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駒澤大学佛教学部論集 27 006佐藤 秀孝「恭翁運良の活動と曹洞宗(上) : 加賀大乗寺と瑩山紹瑾を踏まえて」

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(1)

1

は じ め に   こ こ に 取 り あ げ る

翁 運 良 ( 仏 恵 禅 師 ・ 仏 林 恵 日 禅 師 、 一 二 六 七 − 一 三 四 一 ) と は

倉 末

か ら 南 北

初 期 に か け て 活 躍 し た

宗 法 燈 派 に 属 す る 禅

で あ る 。 系 統 的 に は 法 燈

祖 の

心 ( 心 地 房 ・ 法 燈 円 明 国 師 、 = 一 〇 七

i

一 二 九 八 ) の 法 を 嗣 い だ

弟 の 一 人 で あ る が 、

進 ん で 曹 洞

永 平 下 の 瑩 山 紹

( 仏 慈 禅 師、 一 二 六 四

1

= 二 二 五 ま た は 一 二 六 八

1

= 二 二 五 ) ら と 関 わ り を

ち 、 主 と し て 加

( 石 川 県 ) や

( 富 山 県 ) に 在 っ て 活 動 し て い る 。   当 時

陸 の 地 に は 永 平

元 ( 仏 法 房 、 一 二 〇 〇

1

一 二 五 三 ) を 派 祖 と す る 曹 洞 宗

団 が 地 盤 を 確 立 し つ つ あ っ た

期 に 相 当 し て お り 、 そ の 陣 頭 に あ っ た 禅

こ そ 紹 瑾 ら に ほ か な ら な か っ た 。 そ ん な 曹 洞 宗 の 拠 点 と も い う べ き 地 に お い て 、 運

は ほ ぼ 地 域 を 同 じ く し て

燈 派 の 禅

と し て 臨

を 鼓 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 二 十 七 號   亭 成 八 年 十 月

し て い る こ と か ら 、 中

に お け る 洞

両 宗 の

流 の 歴

に 独

の 関 わ り を 演 じ た こ と で 注 目 さ れ て い る 。 そ こ で 以 下 、 運

の 足 跡 に つ い て 少 し く

察 し 、

末 期 か ら

北 朝 期 に お け る 洞 済 交 渉 の 一 端 を

っ て み る こ と に し た い 。   は じ め に 恭 翁 運 良 お よ び こ の 人 を と り ま く 法 燈 派 に つ い て

如 何 な る

考 が

し て い る か 、 運

わ る 研

文 な ど は そ れ ほ ど

く な い も の の 、 大 ま か に そ の

究 動 向 の 一

を 挙 げ て お く こ と に し た い 。   玉

竹 二 氏 は 「 日 本

に 於 け る 臨 済 ・ 曹 洞

宗 の 問 題

1

「 林 下 」 の 問 題 に つ い て

」 ( 『 日 本 禅 宗 史 論 集 』 下 之 二 に 所 収 ) や 「 法 燈 派 に つ い て 」 ( 『 臨 済 宗 史 』 に 所 収 ) に お い て 五 山

の 立 場 か ら

下 と し て の

燈 派 を 考

し て お り 、 運 良 の 活 動 を 知 る 上 に も

重 な 事

を ま と め て い る 。   ま た

世 曹 洞

の 研 究 の 上 か ら は 、

氏 が 「

期 の 日 本

洞 宗 と 臨 済

法 燈

と の

渉 」 ( 岡 本 素 光 博 士 喜 寿 記 念 論 一 三 七

(2)

恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 ) 集 『 禅 思 想 と そ の 背 景 』 に 所 収 ) を ま と め、 原 田 弘 道 氏 が 「 中 世 に お け る 洞

宗 の 立 場 」 ( 『 駒 澤 大 学 仏 教 学 部 論 集 』 第 六 号 ) を 論 じ て お り と も に

洞 宗 と 法 燈 派 と の 交

の 中 か ら 運 良 の 足

も 考 察 の 対 象 と さ れ て い る 。   さ ら に

尾 良

氏 が 「 瑩 山 禅 師 と 法 燈

」 ( 『 曹 洞 宗 宗 学 研 究 所 紀 要 』 創 刊 号 ) を

し 、 松 田 文 雄 氏 が 「 瑩 山 禅 師 の 尽

文 に つ い て 」 ( 『 宗 学 研 究 』 第 一 二 号 ) を

し て 、

の 大 乗 寺 を め ぐ る 紹 瑾 と 運 良 の 関 わ り に つ い て も 考 察 し て お り 、

残 翁 氏 の 『 加 賀

寺 史 』 や 東 隆 眞 氏 の 『 塋 山 禅

の 研

』 な ど に も

乗 寺 に お け る 紹 瑾 と 運

と の

わ り が

じ ら れ て い る 。   ま た 広

良 弘

は 禅 宗 の 地 方 展

究 か ら 「 越 中 に お け る 五 山 系

盛 と 臨

法 燈

の 展 開 」 ( 『 禅 宗 地 方 展 開 史 の 研 究 』 に 所 収 ) と 、 こ れ と ほ ぼ 同 文 の 「 中 世 越 中 に お け る

宗 の 展 開 ( 文 芸

流 と 社 会 ) 」 ( 『 富 山 県 史 』 通 史 編 H に 所 収 ) の 「 二 、 五 山 系 禅

盛 と

燈 派 の 展

」 の 論 考 を な し て お り、 と く に 法 燈 派 で は 運

と そ の 門 流 に よ る 越 中 地 域 に お け る 展 開 を 詳 細 に 論 じ て い る 。   さ ら に

も す で に 「 出 羽 玉

寺 開 山 の 了 然 法 明 に つ い て

1

元 禅

に 参 じ た

麗 僧

」 ( 『 駒 澤 大 学 仏 教 学 部 研 究 紀 要 』 第 五 二 号 ) や 「 了

法 明 と 出 羽 玉 泉 寺

元 ・ 瑩 山 両

と 関 わ っ た 高 麗

i

」 ( 『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』 第 四 三 巻 第 一 号 ) に お い 一 三 八 て 、 運

く し て 得

け た

で あ る 出 羽 ( 山 形 県 ) の 玉 泉

山 の 了

法 明 ( 弘 章 、 ? ー 一 三 〇 八 ? ) に つ い て 論 じ て お り 、 運 良 と の 関 わ り を も

摘 し て い る 。   そ こ で 以 下 、 こ う し た 諸 氏 の 研 究

果 を 踏 ま え つ つ 、

者 と し て の 恭 翁 運 良 と い う 人 の 足

を 詳 し く 整 理

討 し 、 そ の 目 本

上 に お け る 特 異 な

づ け に つ い て

察 し て み る こ と に し た い 。

記 史 料 に つ い て   は じ め に

翁 運 良 に 関 す る 伝 記 史

と し て 如

な る も の が

し て い る か 、 こ の 点 に つ い て ま と め て お く こ と に し た い 。

日 に お い て 、 運 良 の 足

を 知 る 上 で も っ と も 基 本 と す べ き も の は 、     法 孫 比 丘 某 甲 謹 状 「 大 日 本 国 越 中 州 黄 龍 山 興 化 護 国 禅 寺 開 山 勅     賜 仏 林 恵 日 禅 師 行 状 」 と い う 伝 記 史 料 で あ ろ う 。 こ の 「 大 日

国 越

州 黄 龍 山

寺 開 山 勅 賜 仏 林 恵 日 禅

行 状 」 ( 以 下 、 単 に 「 行 状 」 と 略 称 ) は 東 京 大

蔵 の 『

僧 行 録 』 巻 二 や

学 禅 文 化 研 究 所 所 蔵 の 『 禅 林 諸

行 状 』 四 な ど に 所 収 さ れ 、 す で に 『 大 日 本 史

之 六 や 『 富 山 県 史 』 「 史

                        ( 1 ) 編 」 な ど に 活 字 化 さ れ て い る 。 撰

の 法 孫 比 丘

甲 と い う の が 具

的 に

の こ と な の か は 定 か で な い が 、 お そ ら く 表 題 か

(3)

ら し て 越 中 の

山 興

国 禅 寺 ゆ か り の 運 良 の

に 当 た る

で あ っ た も の と

さ れ る 。 こ の

当 の 興

護 国 寺 が す で に 廃

し て い る た め 、 そ の 歴 住 の

息 が 明

に つ か め な い の が 惜 し ま れ よ う 。 し か も こ の 「

」 が 具

的 に い つ

述 さ れ た の か 、 そ の 年

も 定 か で な い 。 た だ 、 そ の 記 事 内

か ら し て 応 永 一 六

( 一 四 〇 九 ) に 後 小

天 皇 ( 一 三 七 七 − 一 四 三 三 、 在 位 は 一 三 八 二 ー 一 四 一 二 ) が

運 良 に 対 し て 仏 林 恵 日

師 と 追 賜 し て よ り 後 の こ と と な り

な く と も 運

が 示 寂 し て 七 〇 年 以 上 を

過 し て か ら 撰 述 さ れ た 計 算 に な ろ う 。   ち な み に 聖 一 派 の

胄 ( 樵 隠 子 ・ 栗 隠 叟 、 ?

1

一 四 七 〇 ) は こ の 運 良 の 「 行 状 」 に

し て 、     行 状 後 序       前 南 禅 華 岳 建 胄 叟 越 之 興 化 禅 寺 開 山 勅 謚 仏 林 恵 目 禅 師 実 録 、 予 周 覧 者 数 十 回 矣 。 一 字 無 下 曾 可 二 増 損 者 か 実 得 二 僧 史 之 筆 鴨 乃 今 遷 固 也 。 然 有 二 一 段 脱 所 噌 且 聞 、 師 欲 レ 到 二 大 乗 寺 之 前 夕 、 瑩 山 夢 三 鷹 来 集 二 于 山 門 上 州 厥 貌 太 俊 、 山 怪 レ 之 。 翌 日 師 至 、 便 原 二 前 夢 → 延 侍 首 座 寮 → 瑩 山 謂 レ 衆 云 欲 レ 参 レ 余 者 、 参 二 首 座 叩 衆 僉 参 一 首 座 叩 於 レ 是 山 避 レ 席 、 師 南 面 行 事、 云 々 。 是 口 碑 之 所 レ 伝 也 、 姑 書 以 作 二 楮 少 孫 之 補 云 。 と い う 後 序 を 付 し て い る 。

胄 は 聖 一 派 の

渓 処 謙 ( 普 円 国 師 、 ?

1

一 三 三 〇 ) の 法

に 当 た る

( 祖 浚 と も 、 一 三 二 四 − 一 四 〇 五 ) に 法 を 嗣 い で お り 、

五 山 の 東

寺 の

一 四                                   ( 2 ) 二

や 南 禅 寺 の 第 一 九 三

に 就 い て い る 。 こ の 後

に よ れ 恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 ) ば 、 「

」 は

に 「 越 之 興 化

開 山 勅 謚 仏

恵 日

実 録 」 と も

し た も の ら し く

胄 も こ れ を 周

す る こ と

一 〇 回 に 及 ん だ と 述

し て い る 。 た だ

が 加

の 大 乗 寺 に 住

し た

所 の 記 事 に は 脱 所 が あ る と し て そ の 入

に 至 る ま で の

味 深 い 逸

え て い る の は 注 目 し て よ い 。 そ の 詳 細 に

し て は 後 に

れ る こ と に し た い 。   ま た そ の 建 胄 が 別 に 自 ら 撰 し た 運 良 に 関 す る 伝 記

料 と し て 、     前 南 禅 華 岳 建 冑 撰 「 越 之 中 州 黄 龍 山 興 化 護 国 禅 寺 開 山 勅 謚 仏 林     恵 日 禅 師 塔 銘 井 序 」 と い う

え ら れ て い る 。 こ の 「 越 之 中 州

国 禅

山 勅 謚 仏 林

日 禅

序 」 ( 以 下 、 単 に 「 塔 銘 」 と 略 称 ) の 末 尾 に

は 「 告 寛 正

協 拾 秋 九 月 日、

老 衲 謹 銘 」 と 記 し て お り 、 「

拾 」 が 十 二 支 で

の 異 名 で あ る こ と か ら こ の 史 料 は

禅 寺

と し て

が 寛 正 四 年 ( 一 四 六 三 ) 九 月 に 撰 し て い る 事 実 が 知 ら れ る 。 ち な み に 建 冑 は こ の ほ か に 松

派 金 剛

下 の 心 関

通 ( 心 伝 と も 、 一 三 七 五 ー 一 四 四 九 ) の た め に 康 正 二

( 一 四 五 六 ) に 「

天 龍 心                                 へ 3 )

道 履 歴 之 記 」 も

し て い る 。 た だ 、

胄 が 運 良 の 示 寂 し て 一 世

以 上 を

て た

で 何 故 に 運 良 の た め に 「 塔

」 を

し て い る の か そ の

な ど は 定 か で な い 。   そ の ほ か に 江 戸

に 編

さ れ た 燈 史 ・

伝 で 運

の 章 を 一 三 九

(4)

恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 )

せ て い る も の が い く つ か

し て い る 。

の 高 泉

激 ( 大 円 広 慧 国 師 ・ 曇 華 道 人 、 一 六 三 三 − 一 六 九 五 ) が

し た 『 扶 桑

林 僧 宝 伝 』 巻 六 に は 「 仏

慧 日

」 が 収 め ら れ て い る 。 ま た 臨 済

妙 心 寺 派 の 卍 元

蛮 ( 独 師 、 一 六 二 六 − 一 七 一 〇 ) が

し た 『 延 宝 伝 燈 録 』 巻 一 五 に 「

応 山

燈 寺 恭

」 の

が 、 同 じ く 師

が 編 し た 『 本

高 僧

                                              ( 4 ) 二 六 に 「 賀 州 伝 燈

沙 門 運 良 伝 」 が

せ ら れ て い る 。 江 戸 期 の 燈 史 ・

伝 と し て は 合 わ せ て 三

し て い る こ と に な ろ う 。 『 本

』 は そ の

と し て 「

」 と 『 延 宝 伝 燈 録 』 の み を

げ て い る が 、 内

か ら し て 「

」 で は な く 「

状 」 の 記 事 を 詳 細 に 引 い て い る こ と は 疑 い な い 。 さ ら に 加

大 乗

の 世

に つ い て 記 し た 曹 洞 宗 の 三 洲 白

( 一 六 六 九 ー 一 七 六 〇 ) が 重

し た 『

乗 聯 芳

』 に も き わ め て 簡 略 な が ら 「

                              ( 5 ) 住

翁 運

和 尚 」 の

し て い る 。   中 世 撰 述 の 「

状 」 「

」 と い っ た

い 史

が 運

の 肩

き を

中 ( 富 山 県 ) の 黄

山 興 化

持 と 記 し て い る の に 対 し て 江 戸 期 の 燈 史 ・

伝 に な る と 加 賀 の 瑞 応 山 伝 燈

の 住 持 と し て 扱 わ れ る よ う に な っ て い る が こ れ は

の 廃

っ て 、 伝 燈 寺 の み が 運

と そ の 一 派 の 中 心 寺 院 と し て

づ け ら れ た 時 代

映 し た も の で あ ろ う 。   し た が っ て

日、 運 良 の

と し て は 燈 史 ・ 僧

を 含 め て 六 種 が 存 し て い る こ と に な り 、 以 下 、 「 行 状 」 の 記

一 四 〇 に 添 う か た ち で 運 良 の 足

を 窺 っ て い く が

料 を

記 し て 検 討 す る 場

、 つ ぎ の ご と く

称 す る こ と に し た い 。     行 状 … 「 大 日 本 国 越 中 州 黄 龍 山 興 化 護 国 禅 寺 開 山 勅 謚 仏 林 恵 日           禅 師 行 状 」     塔 銘 … 「 越 之 中 州 黄 龍 山 興 化 護 国 禅 寺 開 山 勅 謚 仏 林 恵 目 禅 師 塔           銘 井 序 」     扶 桑 … 『 扶 桑 禅 林 僧 宝 伝 』 巻 六 「 仏 林 慧 日 禅 師 伝 」     延 宝 … 『 延 宝 伝 燈 録 』 巻 一 五 「 加 州 瑞 応 山 伝 燈 寺 恭 翁 運 良 禅 師 」           の 章     本 朝 … 『 本 朝 高 僧 伝 』 巻 二 六 「 賀 州 伝 燈 寺 沙 門 運 良 伝 」     大 乗 … 『 大 乗 聯 芳 志 』 「 前 住 恭 翁 運 良 釉 尚 」 の 章   な お 「 行

」 「 塔

」 は

則 と し て 『 名 僧 行

』 本 を

本 と し 、 必 要 に 応 じ て こ れ を 『 禅 林

祖 行 状 』 本 で

し て お き た い 。 ま た 、 以 上 の 伝 記 史

の ほ か に 運 良 の 消

に つ い て 語 る

し て は 必 要 に 応 じ て そ れ ぞ れ の

に お い て

せ て い く こ と に し た い 。     郷 関 と 出 自                                                 〔 姓 族 ) 行 状 … 師 諱 運 良、 号 恭 翁 、 初 名 元 琳 。 師 絶 レ ロ 而 略 不 レ 道 二 其 姓 ・       郷 邑 → 夫 至 人 以 一 物 迹 一 為 二 大 道 之 累 叩 況 其 姓 氏 等 肯 以 一 為     ( 意 )       重 耶 。 或 云 二 羽 州 人 つ 順 然 豊 碩 、 神 恵 疎 朗 一 切 文 字、       不 レ 仮 二 師 訓 → 自 然 通 暁 。 塔 銘 … 師 諱 運 良 、 号 恭 翁 卓 爾 儀 形 、 超 然 徳 量 、 禅 河 教 海 之 弁、       棒 雨 喝 雷 之 機 、 人 皆 辟 易 以 却 、 無 下 嬰 二 其 鋒 者 加

(5)

扶 桑 … 禅 師 、 名 運 良 、 号 恭 翁 。 未 レ 詳 ご 其 氏 族 殉 或 云 二 羽 州 人 叩     頑 然 豊 碩、 神 智 高 遠 、 一 切 文 字、 不 レ 仮 二 師 訓 「 自 然 通 暁 。 延 宝 … 加 州 瑞 応 山 伝 燈 寺 恭 翁 運 良 禅 師 。 本 朝 … 釈 運 良 、 字 恭 翁 。 不 レ 詳 二 姓 氏 郷 邑 叩 或 日 二 羽 州 人 而 生 質 順     然 、 神 慧 疎 朗 、 一 切 文 字 、 不 レ 仮 二 師 訓 而 通 暁 。 大 乗 … 前 住 恭 翁 運 良 和 尚 、 羽 州 人 。   運

と い う の が こ の 人 の 法

で あ り 、

号 ま た は

を 恭 翁 と い い 、 「

状 」 の み は さ ら に 初

が 元 琳 で あ っ た こ と を

え て い る 。 こ の 点 は 「 行 状 」 の 中 で 参 学 期 の 運 良 に 対 し て 諸 師 が 「 元

長 老 」 と 述 べ て い る 点 か ら も

う こ と が で き る 。 た だ し こ の 人 が な ぜ 元 琳 の

を 後 に 運

め た の か そ の 理 由 や 時 期 な ど に つ い て は

ら 記 さ れ て い な い 。   で は 運 良 は

れ の 出 身 で あ っ た の か 、 そ の 郷 関 や

姓 に つ い て 明

な こ と は 定 か で な い 。 「

状 」 に よ れ ば 、 そ の 理 由 と し て 「 師 口 を

し て 略 ぼ

の 姓

邑 を 道 わ ず 、

れ 至 人 は 物 迹 を

て 大 道 の 累 い と 為 す 。

ん や

の 姓 氏 等 は 肯 て

し と 以 為 ん や 」 と あ り 、 運 良 が 自 ら の 俗 姓 や

邑 に つ い て

生 な ぜ か 口 に す る こ と が な か っ た た め ら し い 。 「 行

」 や 『

僧 宝 伝 』 『 本

僧 伝 』 は 、 運 良 が 羽

す な わ ち 出 羽 ( 山 形 県 か 秋 田 県 ) の 人 で あ ろ う と

測 し て い る が 『 大

志 』 の み は 明

に 羽

の 人 と 記 し て い る 。 つ ぎ に 示 す ご と く 出 家

の 地 が 羽

( 山 形 県 ) で あ る こ と か ら し 恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 ) て 、 お そ ら く 運 良 は 具

的 に は 羽 前 の 出 身 で あ っ た と 見 て よ い で あ ろ う 。 俗 姓 す ら 定 か で な い の で あ る か ら

、 父 母 の 氏

や 幼

時 の

息 な ど に つ い て は 何 ら 知 ら れ て い な い 。   た だ 、 「

状 」 は 運 良 の 人 と な り に つ い て 「 順

と し て 豊 碩

に し て 、 一

の 文

の 訓 を 仮 ら ず 、

然 に 通 暁 す 」 と

え て い る 。 運 良 は

が 高 く 肉

き 豊 か で 大 柄 な 人 で あ っ た ら し く 、

恵 す ぐ れ

ら か 明 朗 で あ っ た と い う の で あ る 。 し か も お よ そ 文 字 を 見 る と 、 何 ら

わ る こ と な く

に そ の 意 に 通 達 し た と さ れ る か ら 、 運 良 は 幼 少 か ら か な り 聡 明 で あ っ た も の と 見 ら れ る 。 『 扶 桑

林 僧 宝 伝 』 と 『

高 僧 伝 』 も こ の 「 行 状 」 の 記 述 を ほ ぼ 踏 襲 し て お り 、 『

禅 林

宝 伝 』 で は 神 智 が

で あ っ た と 記 し て い る 。   一

、 「 塔 銘 」 で も 運 良 の 人 と な り を 「 卓 爾 た る

た る

量、

河 教 海 の

雨 喝

の 機 、 人 皆 な 辟

し て 以 て

き 、

の 鋒 に 嬰 る

無 し 」 と

え て い る 。 こ れ も 運

と 徳 量 に す ぐ れ 、

・ 禅 に 通 じ た 弁 才 と 厳 格 な

喝 を

使 す る あ り よ う か ら 、 あ え て そ の

鋒 に 触 れ る 者 が な か っ                 ( 6 ) た こ と を 語 っ て い る 。   こ う し た 記 述 か ら す れ ば 、 運 良 は

少 の 頃 よ り 聡 明 な 精 神 と

強 な 気

を 具 え た 人 物 で あ っ た も の の よ う で あ る 。 そ し て

測 す る に お そ ら く 運 良 の 持 つ こ う し た 厳 峻 な 性

問 に 対 す る 天

質 が こ の 人 を し て 出 家 か ら 参

学 道 へ の 一 四 一

(6)

恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 )

を 歩 ま せ る 因 由 と な っ て い る の で は な か ろ う か 。 玉 泉 寺 の 了 然 法 明 と 得

の 因 縁 行 状 … 受 二 業 越 之 後 州 玉 泉 寺 了 然 明 和 尚 殉 十 九 歳 遊 方 、 登 壇 受     具 。 塔 銘 扶 桑 … 礼 二 玉 泉 寺 了 然 明 和 尚 一 為 レ 師。 十 九 歳 遊 方 、 登 壇 受 具 。 延 宝 … 受 一 業 於 羽 州 玉 泉 了 然 明 禅 師 鴨 十 九 受 レ 戒 。 本 朝 … 受 鷁 業 於 本 州 玉 泉 寺 了 然 明 禅 師 → 十 九 歳 登 壇 受 戒 。 大 乗 … 受 二 業 於 玉 泉 法 明 叩   運 良 が 仏 門 に 投 じ た の が 具

的 に い つ で あ っ た の か は 定 か で な い が 、

初 に

ん だ の は 出 羽 ( 山 形 県 ) 大 泉 庄 の

見 山 玉

の 了

法 明 で あ っ た と さ れ る 。 『 洞 上 聯 燈 録 』 巻 一 「 羽 州 玉 泉

了 然 法 明

」 の

に よ れ ば こ の 法 明 は

( 朝 鮮 半 島 )

身 の 渡 来

で あ っ た と さ れ 、 入 宋 し て

州 ( 浙 江 省 ) 余 杭 県 の

山 興 聖 万 寿

寺 に て 臨 済

庵 派 の 無 準

( 仏 鑑 禅 師 、 一 】 七 七 ー 一 二 四 九 ) に

ん だ

、 来 日 し て 出 羽 の 羽 黒 山 下 に

を 開

し 、 こ れ が や が て 玉 泉 寺 伽 藍 へ と 発 展 し て                 7 ) い っ た と

え ら れ る 。 た だ し も っ と も 基

と な る 「

状 」 の み が 玉

寺 の

を 越 後 ( 新 潟 県 ) と 記 し て い る が こ れ は 明 ら か な 誤 り で あ る 。 お そ ら く

の 北 部 と 出 羽 の

し て い る こ と か ら 、 「 行 状 」 の

が こ れ を 見 誤 っ た か 、 一 四 二 あ る い は 玉 泉

の 位 置 が 一 に 越 後 の ご と く 見 ら れ た も の で あ ろ う 。   さ ら に 注 目 す べ き こ と は 、 出 羽 に 定 着 し た 高 麗

の 法 明 が 建 長 三

( 一 二 五 一 ) 頃 に 越 前 ( 福 井 県 ) 志 比 庄 の

祥 山 永 平 寺 に 到 っ て 晩

の 永 平

元 の 席 下 に 投 じ た と さ れ る こ と で あ り 、 と く に 『 洞 上

燈 録 』 で 法 明 が 明

に 道 元 の

嗣 と し て                       ( 8 )

わ れ て い る 事 実 で あ ろ う 。 そ の

、 出 羽 に 戻 っ た 法 明 は 久 し く 法 門 を 振 っ た と さ れ 、 玉 泉

地 方 の 日

海 側 で は も っ と も 古 く 、 か つ 有 数 の

宗 叢

と し て 機 能 し て い た も の ら し い 。 ち な み に こ の 玉

寺 は 後 に

室 町

代 に 曹 洞 宗

源 派 の

( 三 謙 道 人 、 一 三 八 七 − 一 四 五 九 ) に よ っ て 再 興 さ れ、 羽 黒 町 国 見 の 国 見 山 玉 川

と 名 を

め て 現

に 及 ん で い る 。 ち な み に 謙

は 『 玉

軒 記 』 に お い て 法 明 を 道 元 の 法 嗣 と し て

っ て お り 、 伝 承 の 古 い

料 で あ る だ け に 注 目     9 ) さ れ る 。   「 行

」 お よ び 燈

は 、 等 し く 運 良 が こ の 玉 泉 寺 に 法 明 を 礼 し て

と な し

し た こ と を 伝 え て い る 。 お そ ら く 運 良 は 近

の 名

と し て 注 目 さ れ つ つ あ っ た 異 郷 の

法 明 の 徳 風 を 慕 っ て 玉

寺 に

じ た の で あ ろ う 。 運 良 に と っ て 法 明 は

度 の 受 業

で あ る こ と か ら 、 初

で あ る 元 琳 と い う の が 法 明 よ り 与 え ら れ た 法 諱 で あ っ た の か も 知 れ な い 。 ち な み に 「 孤 峰 和 尚 行

」 な ど に よ れ ば 、 出 羽 の 法 明 の

(7)

に は

良 と

門 と な っ た 孤

明 ( 国 済 三 光 国 師 、 = 一 七 一                   ( 10 )

1

= 二 六 一 ) も

ん で お り 、

っ て 当

か な り 独

化 を な し て い た こ と が 知 ら れ て い る 。 運

が 何 歳 頃 か ら

明 に 学 ん だ か は

か で な い が 、 お そ ら く

少 よ り 童 行 ( 童 子 行 者 ) と し て 玉 泉 寺 の

明 に

し て い た も の と 見 ら れ る 。 そ し て 法 明 は

宋 中 に 研

し た

風 や

日 後 に 永 平 寺 の 道 元 に

学 し た

息 な ど を

き 運

に 親 し く 語 る

し た は ず で あ ろ う 。 そ し て 、 こ れ が

に 運

が 瑩 山 紹 瑾 ら

陸 の 曹 洞 宗 と 深 い 関 わ り を 持 つ

由 と な っ て い る も の と 推 測 さ れ る 。   と こ ろ で 、 「 行 状 」 や 『

』 に よ れ ば 、 運

は 弘 安 入

( 一 二 入 五 ) に 一 九

し 、 そ の 後 に 登 壇

具 し た と さ れ て い る が 、 運 良 が い ず れ の

し た の か は

え ら れ て い な い 。 一 方 、 『 延 宝

燈 録 』 や 『

伝 』 に よ れ ば 、 一 九 歳 で 受 具 し た

を 述 べ る の み で 、 遊 方 し た こ と を 伝 え て い な い か ら 、 玉 泉 寺 の

明 に 就 い て

し た も の と

し て い る こ と に な ろ う 。 い ず れ に せ よ

は 一 九 歳 ま で は 明

に 法

に 参 学 し て い た わ け で あ り そ の 間 に 法 明 の 人 と な り と そ の 示 す 禅 風 の 片 鱗 を 実 地 に 修 め て い る は ず で あ ろ う 。 瑩 山 紹 瑳 へ の

学 と そ の 問 題 点 行 状 … 初 参 二 洞 谷 瑩 山 瑾 禅 師 → 周 年 之 間、 尽 得 二 曹 洞 之 旨 趣 → 於 二 恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 )     其 授 受 之 際 噛 乃 自 惟 日 、 禅 有 二 伝 授 哨 豈 仏 祖 自 証 自 悟 之     法 。 遂 棄 レ 之 。 塔 銘 … 初 参 一 洞 谷 瑾 禅 師 → 旁 捜 二 曹 洞 之 旨 → 扶 桑 … 初 参 二 洞 谷 瑾 禅 師 門 尽 得 二 洞 上 之 旨 幻 当 二 授 受 間 ハ 竊 自 惟       日 、 禅 有 ご 伝 授 → 豈 仏 祖 自 悟 自 証 之 法 乎 。 乃 棄 去 。 延 宝 … 辞 去 萍 遊 、 首 参 二 瑩 山 瑾 于 洞 谷 → 尽 得 二 洞 下 秘 奥 → 当 二 授 受     間 → 竊 惟 、 禅 若 有 二 伝 授 → 豈 仏 祖 自 証 自 悟 之 法 乎 。 本 朝 … 萍 遊 参 二 瑩 山 瑾 公 于 洞 谷 → 尽 得 二 洞 上 之 旨 叩 当 一 一 授 受 間 「 竊     自 惟 日 、 禅 若 有 二 伝 授 噛 豈 仏 祖 自 証 自 悟 之 法 乎 。 大 乗   諸 史 料 は 出 羽 の 法 明 に

ん だ

一 九 歳 で 受

し た 運

が さ ら に 能 登 ( 石 川 県 ) 酒

保 に 到 り 、

谷 山 永

寺 の 瑩 山

瑾 に 学 ん だ こ と を

え て い る 。 と く に 「 行 状 」 で は 運 良 が

寺 の 紹 瑾 に 参 随 し て い た 期 間 を 周

と 記 し て い る か ら 、 運

は お よ そ 一 年 間 に わ た り 紹 瑾 に 学 ん だ こ と に な ろ う 。

は い う ま で も な く 永 平

元 の 四

の 法 孫 に 当 た っ て お り 、 永

は そ の 開 創 し た 拠 点 寺

に ほ か な ら な い 。 し か し

に は こ の 記 事 は か な り 問 題 で あ っ て 運 良 が こ の

期 に す で に 紹 瑾 の

下 に 投 じ た と す る の は 肯 え な い 内

と い っ て よ い 。  

来 、 紹 瑾 に つ い て は 文 永 五

( = 一 六 八 ) の 生 ま れ と い う 説 が 無

判 に

さ れ て い た わ け で あ る が 、 近 年 で は

述 の 古 写 本

料 の 出 現 に よ っ て こ れ よ り 四

早 い 文 永 元

一 四 三

(8)

恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 魯 夙 ( 上 ) ( 佐   藤 ) ( 一 二 六 四 ) の 生 ま れ で あ っ た と い う

説 が 出 さ れ 、 こ れ が 大                     ( 11 )

を 占 め て い る 現

で あ る 。 運 良 と 紹 瑾 と の 年

差 は 従 来 の

瑾 の 生 没

か ら す れ ば 運

の 方 が 一 歳 年 長 と な り 、 近 年 の

説 に

え ば

瑾 の 方 が 三

の 年 長 と い う こ と に な る 。 そ の い ず れ に せ よ 、

瑾 と 運 良 は ほ ぼ 同

に 当 た っ て お り 、 運 良 が 一 九

し た 当 時 紹 瑾 も い ま だ 一 八

か 二 二

で し か な く 遍 参 修 行 の 身 で そ れ ほ ど 名 が

れ わ た っ て い た わ け で な い 。   ま た 運 良 が 赴 い た と さ れ る

登 の 永 光

が 開

さ れ た

期 に つ い て も、 年

的 に 問 題 を

ん で い る 。 す な わ ち

瑾 が 能 登

の 地 に 草 庵 を

ん だ の が 正 和 二

( ; 二 三 ) 八 月 の こ と で あ り

寺 の 諸

立 さ れ る の は さ ら に 遅 く 文                                 ( 12 ) 保 元

( 一 三   七 ) 頃 か ら と 見 ら れ て い る 。 し た が っ て 、 運 良 が 仮 に 永

寺 に お い て 紹 瑾 に 学 ん だ と す る な ら ば そ れ は か な り 後 の こ と と し な け れ ば な ら な い 。   あ る い は 永 光

で は な く 加

乗 寺 で あ っ た の か も

れ な い が

瑾 が

通 義 介 ( 義 鑑 と も 、 一 二 一 九 − 一 三 〇 九 ) の 後

い で 大 乗 寺 第 二 世 に 住 し た の す ら 永 仁 六 年 ( = 一               ( 13 ) 九 八 ) の こ と で あ り、 運 良 の 三 二 歳 の と き に 当 た っ て い る 。 ま し て 無 本 覚 心 が 示 寂 す る の が そ の 同 じ 永 仁 六

一 〇 月 = 二       14 ) 日 で あ る こ と か ら す れ ば 、 運 良 が

乗 寺 の

瑾 に 参 じ て

心 に

ぶ 可 能 性 は ま っ た く 存 し な い こ と に な ろ う 。 た だ 、 → 四 四 紹 瑾 は 正 応 四

( 】 二 九 一 ) か ら 永 仁 二

( 一 二 九 四 ) に か け て 阿

( 徳 島 県 )

部 郡 の

万 寺 の 住

と し て 活

し て お り 、 こ の

、 正 応 五 年 に は 二 九

で 越 前

平 寺 に 赴 い て

四 世 の

                                            ( 15 )

( ?

1

二 四 ) に 参 じ て 受 戒 作 法 を 許 可 さ れ て い る こ と か ら こ う し た

来 の

中 、 京 都 な ど い

れ か の 地 で 運 良 と 面

を 得 る

会 が あ り 、 互 い に

気 投

す る 因 縁 が

し た と し て も 何 ら 不 思

で は な い 。 運 良 の 「 行

」 な ど に い う 「 洞 谷 」 の こ と ば が

に 紹 瑾 に 対 す る

の 意 味 に す ぎ な い の で あ れ ば 、 取 り 立 て て 永 光 寺 に こ だ わ ら な く て も よ い の か も

れ な い 。   と こ ろ で 、 運 良 は 紹 瑾 に 参 学 し て 尽 く 曹 洞 の 旨 趣 を 得 た と 記 さ れ な が ら 、 「

状 」 や 『

桑 禅 林

宝 伝 』 『 延 宝 伝 燈 録 』 『 本

伝 』 に よ れ ば 法 門 の 授

し た 後 、 運 良 が 「

に 伝 授 有 り 、 豈 に 仏 祖

証 自

の 法 な ら ん や 」 と 思

し た と さ れ 、 あ た か も 紹 瑾 の 示 す 曹 洞 の

て る か の よ う な

容 と な っ て い る 。 あ え て

測 す る に 、 こ れ は お そ ら く 後 の

洞 宗 と の し が ら み か ら 運

の 伝 記 内

変 が 加 え ら れ た も の で は な か ろ う か 。 と も あ れ

期 的 に は 運 良 は つ ぎ に 示 す 無

心 や

明 ら に 学 ん で 後 に 大 乗

か で 紹 瑾 に 参 じ た と

す る の が 妥 当 な よ う で あ る 。 紹 瑾 へ の

学 を

に 記 し た と こ ろ に 「 行

」 撰

図 の ご と き も の を 感 じ ず に は い ら れ な い 。 燈

伝 の 記 述 は 単 に こ の 「

状 」 の 説 を

(9)

継 承 し た も の に す ぎ な い 。 由

の 無 本

心 と の 機

行 状 三 竟 聞 三 鷲 峯 法 燈 国 師 熾 二 化 於 南 紀 → 往 諮 参 。 国 師 示 以 二 狗 子       話 → 従 一 昏 鐘 提 撕 、 至 一 五 鼓 豁 然 契 悟 。 趨 扣 二 丈 室 → 竊 作 二       是 念 噛 老 和 尚 不 レ 可 レ 譲 。 国 師 見 レ 来 便 日 、 除 二 汝 胸 中 剣 叩       師 不 レ 覚 白 汗 浹 レ 背 、 即 問 日 和 尚 八 十 二 、 与 二 学 人 二 十       二 門 是 同 是 別 。 国 師 日 、 同 同 。 従 レ 此 機 語 密 契 、 針 芥 相       投 。 親 炙 者 数 歳、 辞 去 遊 方 、 欲 レ 訪 二 諸 善 知 識 叩 国 師 告 日       汝 縁 在 二 北 地 住 欽 哉 。 塔 銘 … 後 詣 二 南 紀 鷲 峰 法 燈 国 師 而 師 示 以 二 狗 子 話 司 一 夕 豁 然 大 悟、       遂 吹 二 起 法 燈 不 焔 之 照 一 矣 。 扶 桑 … 叩 二 法 燈 国 師 於 南 紀 → 燈 示 以 二 趙 州 無 字 叩 師 帰 二 単 下 → 勇 力       提 撕 、 従 二 初 夜 至 二 五 鼓 → 豁 然 大 悟。 急 趨 二 方 丈 一 通 二 所 見 叩       私 自 念 日 、 者 老 和 尚 不 レ 可 レ 譲 。 燈 見 二 其 来 一 便 日 除 二 卻       胸 中 剣 子 → 師 不 レ 覚 流 汗 浹 レ 背 。 自 レ 是 鍼 芥 相 投 。 服 勤 数       稔 、 去 遊 二 諸 方 → 燈 日 、 子 縁 在 二 北 地 ハ 不 二 必 他 往 }。 延 宝 … 後 謁 「 法 燈 干 鷲 峯 而 燈 示 以 二 趙 州 狗 子 話 叩 師 帰 こ 単 下 門 勇 奮       提 撕 、 従 二 昏 鐘 五 鼓 → 豁 然 徹 底 。 趨 扣 二 丈 室 → 思 念、       這 老 漢 不 レ 可 レ 譲 。 燈 覩 二 其 来 便 日 、 除 二 卻 汝 胸 中 剣 著。       師 不 レ 覚 白 汗 浹 レ 背 、 便 問 、 和 尚 八 十 ご 、 与 二 某 甲 一 隔 二 二       十 二 → 是 同 是 別 。 燈 日 、 同 。 従 レ 此 鍼 芥 相 投 。 親 附 数 載、       燈 記 日 、 子 縁 在 二 北 地 → 遭 レ 十 則 止 。 本 朝 … 去 謁 二 法 燈 国 師 于 鷲 峯 → 燈 示 以 趙 州 狗 子 話 → 良 帰 二 単 下 →       勇 奮 提 撕、 従 二 昏 鐘 至 二 五 鼓 → 豁 然 大 悟 。 趨 扣 二 丈 室 → 将 レ 恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 )       呈 二 所 悟 噌 私 自 念 日 、 者 老 和 尚 不 レ 可 レ 譲 。 燈 覩 二 其 来 一 便       日 、 除 二 卻 汝 胸 中 剣 。 良 不 レ 覚 白 汗 浹 レ 背、 便 問 、 和 尚 八 十       二 、 与 二 某 甲 一 隔 三 一 十 ニ ハ 是 同 是 別。 燈 日 同 。 従 レ 此 鍼       芥 相 投 。 親 附 数 載 、 燈 嘱 日 子 縁 在 北 地 → 遭 レ 十 則 止 。 大 乗 … 臨 済 宗 、 嗣 ご 法 田 良 法 燈 而   そ の 後 運 良 は 紀 伊 ( 和 歌 山 県 ) 由

の 鷲

山 西 方 興 国

寺 に 赴 き 、 本

と 仰 ぐ こ と に な る 無 本

心 の 門 に 投 じ て い る 。

心 に つ い て は 『 鷲

開 山

燈 円 明 国

行 実 年 譜 』 が 存 し て い る こ と か ら 比

的 に 詳 し い 足 跡 が 知 ら れ る 。

心 は

( 長 野 県 ) 近 部 ( 神 林 と も ) の 人 で 、 二 九

都 ( 奈 良 県 ) の

大 寺

壇 で

具 し 高 野 山

教 を 学 び さ ら に 山 中 の 金 剛 三 昧 院 に 明 庵 栄 西 ( 千 光 房 、

四 【

1

一 二 一 五 ) の 高 弟 で あ る 退 耕 行 勇 ( 荘 厳 房 、 一 一 六 一 ニ ー = 一 四 一 ) を 訪 ね 、 行 勇 が 鎌 倉 の

寿

福 寺 に 遷 る の に 随 侍 し て い る 。 そ の 後 、 京

の 観 音 導 利 院 興 聖 宝

寺 ( 宝 林 寺 ) に 道 元 を 訪 ね て 菩

        16 ) 戒 を 受 け る な ど 、 国 内 各 地 の 善 知

に 歴

し た 後 、 入 宋 し て

州 ( 浙 江 省 ) 銭 塘 県 の 霊 洞 山 護 国 仁 王

寺 に お い て 楊 岐 派 の 無 門 慧 開 ( 仏 眼 禅 師 、 一 一 八 三 − 一 二 六 〇 ) に 参 じ そ の 法 を 嗣 い で 帰

し て い る 。   由 良 の

峰 山 西 方 興 国 禅

貞 元

( 一 二 二 七 ) に

三 代 将 軍 の

実 朝 (

九 ニ ー = = 九 ) の 家 臣 で あ っ た

山 五 郎 景

( 入 道 願 性、 ?

1

一 二 七 六 ) が 実

の 菩 提 を 弔 う た め に

一 四 五

(10)

恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 ) 立 し た も の で あ り 、 最

は 西

寺 と

し 、 真 言

に 属 し て い た ら し い 。 か つ て 南 宋 か ら 帰 国 し た

元 が 西 方 寺 の 寺                               ( 17 )

を 揮 毫 し た と い う 因

し て い る 。 そ の

六 年 ( = 一 五 四 ) に

か ら

し た

心 が 西 方

の 開 山 始 祖 と し て 迎 え ら れ 、 正

( ] 二 五 八 ) に

心 が 入 寺 に 当 た っ て 禅

宗 し て い る わ け で あ る 。 興

の 寺 号 に

め ら れ る の が

の 興 国 元

( 北 朝 の 暦 応 三 年、 =

西

○ ) の こ と で あ る か ら 運 良 が 到 っ た 当 時 は い ま だ 西 方

と い う 呼 称 で あ っ た こ       ( 18 ) と に な ろ う 。 運 良 は

心 が 南

に て 盛 ん に 化 導 を な し て い た の を

き 知 っ て そ の 門 を 叩 い た と さ れ る 。   門 下 に 投 じ た 運 良 に 対 し て 、

心 は 「 趙 州 狗 子 」 の 話 頭 を 参 究 せ し め た と さ れ る 。 か つ て 入

し て

門 慧 開 に 参

し た

心 に と っ て 「 趙 州 狗 子 」 の 話 頭 は 特 別 の 意

を 持 つ 古 則 公

で あ っ た と い っ て よ い 。

心 が

師 と

い だ 無 門 慧 開 は

の 参

を 通 し た 公

( 看 話 禅 ) を 標

し て 『 禅 宗 無

』 を

し て い る が 、 そ の

で も 「

狗 子 」 の 話 頭 は 無

の 参

と い う 点 で も っ と も 重 要 な 古

と な っ て い る 。 す な わ ち、 『 無 門 関 』 第 一 則 「 趙 州 狗 子 」 に よ れ ば 、     趙 州 和 尚 、 因 僧 問 、 狗 子 還 有 二 仏 性 也 無 。 州 云 、 無 。 と い う も の で あ り 、

の 趙 州 従 論 ( 真 際 大 師 、 七 七 八 ー 八 九 七 ) が 一 僧 よ り 「 狗 子 、 還 た

性 有 り や 」 と 問 わ れ て 「 無 」 と

え た

量 で あ る 。

開 は こ の 無 字 を

門 に お け る 入 道 の 一 四 六 関 門 と し て 位 置 づ け て お り そ れ 以 来 「 趙 州 狗 子 」 の 話

は と く に 公

禅 の も っ と も 中 心 と な る 古 則 公

と し て 参 究 の             ( 19 ) 対

と さ れ て い る 。 こ れ を 覚 心 は 会 下 に 到 っ た 運 良 に 参

の 眼 目 と し て 課 し て い る わ け で あ る 。   と き に 運

は 夕

鐘 ( 初 夜 ) よ り

心 に 「 趙 州 狗 子 」 の 古 則 を 工 夫 し 、 五

に 至 っ て 豁 然 と し て 契 悟 し た と さ れ る 。 五 鼓 と は 一

を 五 更 に 分 け て 時 刻 を 知 ら せ た 更 鼓 の 五 更 目 の 鼓

の こ と で あ り 、 時 間 的 に は 暁 天 ( 午 前 四 時 前 後 ) に 当 た っ   ( 20 ) て い る 。 契

し た 運 良 は た だ ち に

っ て 覚 心 の 方

を 叩 く の で あ る が 心 中 ひ そ か に 「 老 和 尚 は 譲 る べ か ら ず 」 と 感 じ て い た ら し い 。

心 が そ う 簡

に は

悟 を 認 め て は く れ ぬ で あ ろ う と い う 思 い で あ る 。 案 の 定 、 覚 心 は 運

が 方

に 入 っ て く る の を 見 て 、 た だ ち に 「 汝 が 胸 中 の 剣 を

け 」 と

げ て い る 。 心 の 中 に わ だ か ま っ て い る 剣 を

け と い う の で あ り 、 い ま だ 運 良 の

界 を 認 め な か っ た こ と に な ろ う 。 運

は こ の こ と ば を 聞 い て 、 覚 え ず 白 汗 が

を 浹 っ た と

え ら れ る 。   で は 、 運 良 が 西 方 寺 の 覚 心 に

ん だ の は い つ の こ と で あ ろ う か 。 「 行 状 」 に よ れ ば

の 問

に つ づ い て さ ら に 八 二

の 覚 心 と 二 二 歳 の 運

の あ り よ う が 問

の 課 題 と な っ て い る 。 す な わ ち 、 「

状 」 で は 、     即 ち 問 う て 曰 く 、 「 和 尚 の 八 十 二 と 学 人 の 二 十 二 と は 是 れ 同 か     是 れ 別 か 」 と 。 国 師 曰 く 、 「 同 、 同 」 。 此 れ よ り 機 語 密 に 契 い 、

(11)

    針 芥 相 い 投 ず 。 と 記 さ れ て い る 。 こ れ に よ れ ば 、 明 ら か に 運

心 と

ら の 年

の 違 い を 問 題 に し つ つ 、 年

を 超 え た

の あ り よ う を 如 何 に と ら え る べ き か を 問 い 質 し て い る も の と 見 ら れ る 。 と こ ろ が 、 こ れ を 燈

伝 で は 覚 心 と 運 良 と の

の 隔 た り が 二 二 年 で あ っ た か の ご と き 表 現 に

め て い る 。 実 際 に は

心 と 運 良 の 年

差 は 干 支 を ち ょ う ど 一 回 ず ら し た 六 一

で あ り、

に 二 二 歳 を 隔 て て い た わ け で な い か ら 、 燈

伝 は 内

を 見 誤 っ た も の と せ ざ る を 得 な い 。

心 の 八 二

は 正 応 元

( 弘 安

年 、 一 二 八 八 ) に 当 た っ て お り 、 こ の と き 運                         ( 21 )

は 二 二 歳 で あ っ た の で あ る 。   師 匠 の 自 己 と 学 人 の

己 が

齢 を

え て 同 じ で あ る と い う

心 の こ と ば に よ っ て 運 良 は 機 縁 が

い 、 あ た か も 針 穴 と

子 が

ず る か の ご と き で あ っ た と さ れ る 。 し か も 運 良 が

心 に 随

し て い た の は

歳 で あ っ た と 記 さ れ て お り 、 正 応 元 年 の 当

、 先 に 述 べ た

瑛 は い ま だ 二 五

ま た は 二 一

で し か な い か ら 、 そ れ 以 前 に 運

が 紹 瑾 の

下 に 学 ん だ と は 到

考 え ら れ な い わ け で あ る 。   『

峰 開 山

燈 円 明 国 師

実 年

』 な ど に よ れ ば 、 す で に

べ た ご と く 覚 心 は 永 仁 六

( 一 二 九 八 ) 一 〇 月 一 三 日 に 示 寂 し て い る が 、 運

が 覚 心 の 示

ま で 参

し て い た か

か は 定 か で な い 。 た だ 、

侍 が

で あ っ た と す れ ば 、 お そ ら く は 恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 ) 運 良 は

心 の 最 期 を 看 取 る こ と な く 、 そ れ よ り か な り 早 く に 西 方

れ て い る も の と 見 て よ い で あ ろ う 。    

大 寺 で の 研 鑚             ( 塵 )           ( 諸 方 ) 行 状 … 師 少 有 二 出 群 作 略 → 名 聞 ; 四 方 叩 故 一 時 宗 匠 、 共 推 尊 レ 之 、       称 三 兀 琳 長 老 → 其 肆 説 如 二 蘇 張 之 雄 弁 州 其 応 機 如 二 孫 呉 之 用       兵 → 諸 老 歛 レ 衽 莫 三 敢 当 二 其 鋒 殉 往 詣 二 東 大 寺 唖 因 聴 三 戒 壇 主       講 二 華 厳 六 相 義 噛 屡 加 二 難 問 而 主 箝 レ ロ 不 レ 言 、 即 自 慚 服 、       就 問 二 別 伝 之 旨 叩 師 日 、 我 仏 祖 単 伝 之 正 宗 、 豈 義 学 之 所 レ       階 哉 。 然 既 問 不 レ 可 レ 不 レ 言 、 即 示 以 宗 門 関 梹 → 主 之 所 レ       未 レ 聞 也 、 疑 網 頓 除 、 起 而 作 レ 礼 日 若 不 レ 見 レ 師 、 安 得 レ 窺 二       仏 祖 之 玄 枢 殉 師 従 容 告 日 、 我 師 法 燈 、 昔 遊 二 於 此 哨 時 戒 壇      

尊 、 探 二 直 指 之 道 有 レ 省 。 又 有 二 一 老 宿 → 虔 恭 諮 啓、 於 レ       是 省 悟、 忽 坐 化 。 尊 乃 建 二 旦 過 於 戒 壇 院 → 待 二 十 六 開 士                                             ( 宜 )       委 報 二 法 燈 → 今 也 不 レ 給 、 起

於 不 朽 → 不 二 亦 可 哉。 主       即 諾 。 爾 来 復 接 二 雲 水 之 衲 子 → 旦 過 之 再 興 者 、 実 師 之 力       也、 尊 贈 二 謚 興 正 菩 薩 叩 塔 銘 … 又 遊 二 南 都 講 寺 → 以 化 二 律 虎 叩 扶 桑 … 因 至 二 東 大 寺 → 聞 三 戒 壇 主 講 二 華 厳 六 相 義 → 師 屡 加 二 難 問 崎       主 箝 レ ロ 不 レ 能 レ 答 、 即 自 慚 服 、 就 問 二 禅 要 叩 師 日 、 我 仏 祖       単 伝 之 旨 、 豈 義 学 者 所 二 能 階 耶 。 然 既 問 及 、 不 レ 可 レ 不 レ       説、 即 示 以 二 宗 門 関 梹 噌 主 疑 網 頓 除 、 乃 作 レ 礼 日 、 若 不 レ 遇 レ       師 、 安 得 レ 窺 二 見 仏 祖 之 玄 枢 叩 延 宝 一 四 七

(12)

恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 )     本 朝 … 良 抵 二 南 都 東 大 寺 → 聴 三 戒 壇 院 凝 然 講 二 華 厳 ハ 至 二 六 相 義 →           良 屡 問 難 。 然 公 以 三 問 出 二 意 表 → 渋 二 滞 答 釈 → 就 レ 良 問 二 禅           要 叩 良 日 、 我 仏 祖 単 伝 之 旨 、 豈 義 学 者 所 二 能 階 一 邪 。 然 公           請 益 不 レ 止 良 示 以 二 宗 門 関 捩 叩 然 公 疑 網 頓 釈 、 乃 作 レ 礼           日 、 若 不 レ 遇 レ 師 、 安 能

一 見 仏 祖 之 玄 枢 つ 良 謂 二 然 公         昔 睿 尊 律 師 問 二 禅 於 法 燈 有 レ 省 、 因 為 二 雲 水 建 二 旦 過 於 戒           壇 院 側 → 而 今 不 レ 給 願 公 興 レ 廃 。 然 公 即 営 レ 之 。     大 乗   「 行

」 に よ れ ば 、

心 に つ い て

し た 頃 の 運

の 消 息 を 「 師 、 少 く し て 出

の 作

り 、 名 四 方 に 聞 ゆ 。

に 一 時 の

匠 、 共 に

し て 之 れ を 尊 び 、 元 琳 長 老 と 称 す 。 其 の 肆 説 は 蘇 張 の 雄 弁 の 如 く 、 其 の 応

は 孫 呉 の 用 兵 の 如 し 、 諸 老 衽 を

し て

て 其 の 鋒 に 当 た る

し 」 と 伝 え て い る 。 こ れ に よ れ ば 、 運

く し て

の 器 量 ・ 作 略 を 具 え 、 そ の 名 声 は 諸 方 に 知 れ 渡 り、 と き の

宿 ら か ら 「 元 琳 長 老 」 と い う 尊 称 を も っ て 呼 ば れ て い た と さ れ る 。 当 時 、 な お 運

は 元 琳 の 法 諱 を

使

用 し て い た こ と が

ら れ 、 若 く し て か な り の                         ( 22 )

名 度 を

て い た も の ら し い 。   「 行 状 」 に お い て は 、 さ ら に 運

の 説 法 の

さ を 中

国 時 代 の 弁 論 家 と し て 名 高 い

秦 ( ?

1

前 三 一 七 ) や 張

( ?

1

前 三 〇 九 ) の 雄 弁 に 比 し 、 ま た 運 良 の

に 応 じ て 自

す る さ ま を 春 秋

代 の 兵 法 家 で あ る 法 家 の

武 ( 孫 子 ) と 呉

( 呉 子 ) の 用 兵 に

え て い る 。 こ の た め 諸 山 の 長 老 の

く 一 四 八 は 運

で は

を 正 し あ え て そ の

鋒 に 当 た る

が な か っ た と 伝 え ら れ る 。   「

状 」 と 『

禅 林 僧 宝

』 『

朝 高

伝 』 に よ れ ば 、 そ の

運 良 は

奈 良 に 赴 い て 東

寺 に お い て 華

教 学 の 研

を な し て い る 。

大 寺 は い う ま で も な く

点 と し て

く 天 平

間 ( 七 二 九 − 七 四 一 ) に

武 天 皇 ( 七 〇 一 ー 七 五 六 、 在 位 は 七 二 四 ー 七 四 九 ) の 発

で 平

立 さ れ た                                                   ( 23 ) 官

で あ り 、 金

の 毘 盧 舎 那 大 仏 坐

の 造 立 で 知 ら れ る 。   か つ て 栄 西 は 重 源 ( 俊 乗 房、 一 = =

1

= 一 〇 六 ) に よ る 東 大

殿 の 再 建 に

力 し

の 後 を

け て

勧 進 職 を       ( 24 ) 勤 め て い る が 、 栄 西 門 流 に も

な る 覚 心 と そ の 系 統 の 人 々 に と っ て も 東

寺 は か な り 関 わ り 深 い

で あ っ た と い え る 。 し か も 東 大 寺 は 華 厳 教 学 の 学

で あ る と と も に 、 そ の

よ り 比 丘 戒 ( 具 足 戒 ) を

与 す る

都 仏 教 の 中

を な し て い る 。 運

で あ る

心 も か つ て

大 寺 戒 壇

で 比 丘

け て お り 、 運 良 に と っ て は 因 縁 浅 か ら ぬ も の が

し た わ け で あ る 。   と こ ろ で 、 「

状 」 そ の

で は

大 寺 戒 壇 院 に お い て 運 良 が 戒

主 と

わ し た 興

深 い 問

え て い る 。 し か も 『

高 僧 伝 』 で は と く に そ の 院 主 の 名 を

然 ( 示 観 房 、 冖 二 四 〇

1

一 三 二 一 ) で あ っ た と

し て お り 、 吏 実 な ら ば 運 良 と 凝

さ れ た 一

が 偲 ば れ よ う 。

然 は

倉 中

(13)

を 代 表 す る 学 僧 で あ り 、 東 大 寺 に お い て 円 照 ( 実 相 房 、 一 二 一 ニ ー 一 二 七 七 ) に

事 し 、 さ ら に 諸

の 碩

い て 八

三 年 ( = 一 七 七 ) に 円 照 の 後 を 継 い で 東

寺 戒

主 に

任 し て い る 。 そ の

書 に は 『 八

』 一

や 『 三

仏 法

通 縁 記 』 三

お よ び 『

厳 五

章 通 路 記 』 五 二                     ( % ) 巻 な ど 多 く が

し て い る 。  

主 が 果 た し て

そ の 入 で あ っ た か 否 か は と も か く と し て 、 運

主 に 対 し て 東

心 と も い う べ き

厳 六 相 の

を 問 う て い る 。

六 相 の

と は 十 玄 門 と と も に

厳 宗 の 重 要 な

で あ り 、 一 々 の

相 に

わ っ て い る と す る                                                     ( 26 )

相 ・ 別 相 ・ 同

・ 異 相 ・

相 と い う 六 種 の

の こ と で あ る 。 す べ て の

在 が こ の 六 相 を 具 え て 互 い に 他 を 礙 げ る こ と な く 、 一 即 一

や 一 切 即 一 と し て 一 体 化 し て 円 か に 融 け 合 っ て い る こ と を 示 し て い る 。  

主 は 口 を 噤 ん で 何 も 言 わ ず 、 た だ ち に 自 ら 慚 じ い っ て 心 服 し 、 つ い で 運 良 に 対 し て 逆 に

宗 の 教 外 別

を 問 う て い る 。 運 良 は 「 我 が 仏

の 正

に 義 学 の

む 所 な ら ん や 」 と 答 え 、 仏 祖 単 伝 の

宗 の

旨 が

究 を

心 と す る

学 の

に と っ て は

な い 旨 で あ る こ と を

げ て い る 。 し か し な が ら 、

主 の 問 い に 対 し て 何 も

え な い わ け に も い か ず 、 運

の 関

す な わ ち 枢 要 と な る と こ ろ を 開 示 し た と さ れ る 。 そ の

容 は 院 主 が そ れ ま で に 聞 恭 翁 運 良 の 活 動 と 曹 洞 宗 ( 上 ) ( 佐   藤 ) い た こ と の な い も の で あ っ た た め 疑 網 が た ち ま ち に

か れ 、

ち 上 が っ て 運 良 に 礼 を な し て 「

に 見 え ず ば 、 安 ん ぞ 仏 祖 の 玄 枢 を

う を 得 ん 」 と 述 べ た と さ れ る 。

を 究 め て い た

主 に と っ て 運 良 の 示 す 仏

仏 の 正 宗 を 聞 い た こ と で

の 極 致 を 垣 間 み る 思 い で あ っ た の で あ ろ う 。

の 仏 教

と 禅 宗 の

指 単 伝 の

旨 を 課 題 に し た 両

の や り と り は 、

と の

点 を 求 め て い た 法 燈

の 禅 者 ら に と っ て も 興 味

い こ と が ら で あ っ た の で あ ろ う 。   し か も 運 良 の 「 行

」 に よ れ ば 、 か つ て す で に 覚 心 が 東 大 寺

に 叡 尊 ( 思 円 ・ 興 正 菩 薩 、 一 二 〇 一

1

= 一 九 〇 ) を 訪 ね                   ( 舒 ) た 事 実 が

し た と さ れ る 。 叡 尊 は

都 西 大

興 と

え ら れ る 鎌

期 の 律 僧 で あ り 、 西 大 寺 を 中 心 に 各 地 で 戒

興 と 社 会

済 事

に 邁 進 し た こ と で 名 高 い 。 と く に 弟 子 の

性 ( 良 観 ・ 医 王 如 来 、 】 二 一 七

1

】 三 〇 三 ) と と も に 奈 良

宿

な ど で 盛 ん に 文 殊 供 養 や

行 を

な っ て 社 会 の 底 辺 に う ご め                                     ( 圏 ) く 人 々 の 救

に 尽 力 し た こ と は 貴 重 で あ る 。   と こ ろ で

」 に は 運

主 に

げ た こ と ば と し て 、 師 、 従 容 と し て 告 げ て 日 く 、 「 我 が 師 法 燈、 昔 し 此 に 遊 ぶ 。 時 に 戒 壗 の 叡 尊 、 直 指 の 道 を 探 り て 省 有 り 。 又 た 一 老 宿 有 り 、 虔 恭 諮 啓 し 、 是 に 於 い て 省 悟 し 、 忽 ち 坐 化 す 。 尊 乃 ち 旦 過 を 戒 壇 院 に 建 て 、 十 六 開 士 を 待 え 委 し く 法 燈 に 報 ず 。 今 や 給 わ ら ず 、 廃 を 不 朽 に 起 こ す こ と 、 亦 た 可 な ら ざ ら ん や 」 と 。 四 九

参照

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