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― ― 家族要因について デュルケームの自殺理論における

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はじめに

 およそ自殺に関する社会学的研究をするときにデュルケームの『自殺論』

(デュルケーム 1897=1985)に触れないものはない。本稿において引用するこ とになる論文や著書もそうであるが,19世紀末に書かれた社会学の著作が世 紀を超えて21世紀の現在もなお影響力を持ち続けるというのは驚きですらあ る。たとえば,家族に関する百科事典の自殺の項目を見ると,自殺の社会的 原因として統合性の概念に基づきデュルケームの指摘した自殺と家族との関 係が今でも有効であるとして述べられている(Levinson 1995)。『自殺論』は 単に社会学史的な意義をもつだけでなく,そこで発見された「事実」が現代 でも無視できない妥当性をもち,その理論が現代においても説得力をもちつ づけているがゆえに,現代に生きる社会学の古典なのである。

 本稿の目的は,とくに家族に焦点を置いて『自殺論』の現代における有効 性と限界と展開可能性について論じようとするものである。これまで『自殺 論』は学説史的に取り上げられることが多かったので,全体の理論的位置づ けや類型論はよく知られているところであるが,細部の理論や仮説について は必ずしも十分に検討されてこなかった面もある。そこで本稿ではとくにデュ ルケームの家族に関する分析に絞り,それが時代と文化を異にする現代日本 においてなおも有効な点は何かを検証するとともに,その理論的限界を明ら かにしようと思う。そして自殺研究の目的が自殺抑止にあるとするならば,

デュルケームの自殺理論における 家族要因について

―『自殺論』は今日でも有効か―

吉 岡 雅 光

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家族という集合体が自殺の理論枠組の中にどのように位置づけられ関係する のかということも考察しようと思う。

1.『自殺論』における自殺の家族要因

⑴ 統合性と規制性

 個人と社会の問題は永遠に続く社会学のテーマであろうが,『自殺論』にお いてデュルケームが解こうとした問題も根本的にはこのテーマをめぐるもの であった。デュルケームは,社会が個々人の単なる集合としてではなく一定 の社会秩序を保つ上で必要な原理として,統合性(intégration)と規制性

(réglementation)を理論の基底に据えた。不思議なことに,この統合性と規 制性は論述の中で繰り返し使われているにもかかわらず,直接的に明確な定 義が見当たらず,その意味はあたかも自明であるかのごとくである(内藤 1994)。周知のとおり,彼は自殺の原因を究明するにあたり気候や季節等の宇 宙的要因,精神病等の遺伝的要因,そして模倣や動機などの心理的要因を次々 と排除し,純粋に社会的要因のみによって自殺を説明しようと試みた。そし てその社会的要因を究極的に説明するものが統合性と規制性の概念に他なら ないのであった。

 これも周知のことであるが,彼の方法論的スタンスは社会的事実の究明に あるので,この統合性と規則性も社会的事実としてみなければならない。社 会的事実は個人の意識の外側にあり(外在性),個人を外側から統制するもの

(拘束性)であるから(デュルケーム 1978:69) ,自殺現象の説明もそのよ うになされなければならないのである。社会的事実つまり個人の外側にある 原理としての統合性が,社会とは独立した存在である個人に有効に作用する のはなぜかと言うと,外在性を内在性へと転化させるメカニズムが存在する からである。そのメカニズムとはすなわち社会化であって,統合性が機能す るのは,社会の価値や規範が個人の意識に内面化されるからである。統合性 の価値を内面化した個人は他者と連携して行為をすることができるようにな

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るので,社会はそのメカニズムによっていわば自動的に統合されることにな る。子どもは周囲の集団や社会の価値や規範を身につけることによって社会 的に適合する人間となることができるのである。

 しかし,そのような内面化=社会化は通常それほど完璧にできるわけでは ない。個人の欲望は自由であるのでむしろ不完全な社会化は当たり前の現象 とも言える。社会化がうまく行かなければそれだけ個人化が進んでしまい,

社会の統合性は覚束なくなるであろう。それゆえ,社会化が不十分で社会的 統合から逸脱した行動に対しては,社会は別の手段を使って制御しなければ ならない。すなわちそれが社会的規制である。社会的規制の具体的現れは法 制度であり,様々な規律であり,社会的な目(規範)である。すなわち社会 は適合する行動にはプラスのサンクションを,逸脱した行動に対してはマイ ナスのサンクションを与えることによって個人の行動を制御しているので ある。

 ところで,デュルケームは家族を二つの異なる関係結合にもとづく二重の 構成要素から成る概念として捉える。すなわち①夫婦関係と②親子関係であ る。①は契約的,選択的関係であるのに対し,②は血縁で結ばれている「自 然な」現象としての家族関係である。また①は同じ世代同士を結びつけるの に対し,②は異なる世代を結びつける点で異なる。さらに,①は家族の歴史 にとっては比較的新しく現れた関係であるのに対し,②は人類の歴史と共に 古くからある関係という違いがある(デュルケーム 1985:215)。デュルケー ムの家族概念は夫婦と親子という性と世代,姻縁と血縁から構成されるとい う点では今日の核家族の概念と同じように見えるが,家族を一つのものとし てではなく二つの異質の要素の結合と捉え,夫婦関係と親子関係とを別もの として二重構造的に捉えており,どちらかと言うと後者に家族をみている点 で伝統的な家族観を反映している。自殺の家族要因の分析を展開するための 理論的基礎がここにあると思われる。

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⑵ 自殺抑止としての結婚と家族密度

 統合性の指標としてデュルケームが注目したのは結婚と子どもの存在であ る。デュルケームのデータからすると,フランスでは男女とも概して既婚者 は未婚者よりも自殺が抑止される。ただし,結婚生活に入りさえすれば自殺 は抑止されると言うほど事は単純でない。既婚者の自殺抑止率をみると男性 は女性よりも大きいことが分かるが,その差はそれぞれの性が結婚生活から 受ける「恩恵」によって決まってくる。当時のフランス社会では女性は結婚 することによって男性ほどには恩恵を受けないので,男性ほどには自殺抑止 率が大きくないのである(デュルケーム 19851))。

 また,デュルケームは,未婚者と既婚者の間に「やもめ」というカテゴリー を導入し,これを頻繁に用いて分析を行っているが,これを上記の社会的性 差の理解と組み合わせるとなかなか含蓄のある分析となる。女やもめ(寡婦)

は一般に経済的 ・ 精神的に男やもめよりも困難な状態に置かれると思われて いるが,やもめになった時に自殺に陥る危険性は男のほうが女よりも相対的 に高い。なぜなら,やもめの位置づけは同一社会の同性の既婚者の精神構造 に準じているので,男性優位の社会では結婚生活からより多くの恩恵を受け ていた男やもめのほうが失うものが大きいからだ,と彼は説明している。

 未婚や既婚の状態が自殺率に影響するのは,自殺の原因が結婚淘汰説2)のよ うに個人の内部からくるのではなく個人に外在する結婚という制度からくる からである。未婚者よりも既婚者の方が有利な生活ができる社会ならば個人 にとって結婚することは有利となり,逆の場合は不利となるであろう。自殺 率における未婚-既婚の差はまさに家族制度の性格,ひいては社会構造に依 存しているということになる。

 夫婦であることは必ずしも自殺の抑止に結びつくとは限らないとして,次 に家族のもう一つの構成要素である親子関係についてはどうか。これについ てデュルケームは,子どものいる家族においては夫婦のみの家族以上に自殺 の抑止力が強くなるというデータを提示している。そしてその理由を,子ど もの存在は家族の密度(densité)を高め家族集団の統合力を強化するからで

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あると説明している3)

 家族密度というのは曖昧な概念であるが,デュルケームは第一に家族の規 模を考えている。しかし,たとえ子どもが沢山いても共同生活をしていなけ れば意味がないと明確に述べており(デュルケーム 1980:237),そのような 論述を総合して考えると,家族密度とは規模+αということになろうか。移 民,移住,奉公,出稼ぎ,教育などの理由で子どもが早くから親元を離れる 場合には,家族密度は子どもの数に比例しない。家族規模や出生率が家族密 度の決め手となるのは他の条件が一定であることを前提としている。家族集 団としての統合性や凝集性と同じくこの家族密度という概念も,それを実証 する操作概念と比べてその中身は複雑であることに留意すべきである。

⑶ 自殺抑止としての規制性

 自殺と関係するもう一つの究極的な原理である規制性は,家族においてど のように作用しているのであろうか。デュルケームは家族におけるアノミー 現象として離婚の増大ということを取り上げる。ただし,離婚の増大は社会 的な病理ではあっても個人的な欠陥とは考えられていない。もしもそのよう な事を言ったら離婚の多い社会は少ない社会よりも欠陥人間が多いというこ とになってしまうからだ。

 デュルケームは統計によって離婚率と自殺率との関連性を検討し,かつ同 一社会において離婚者の自殺率は,未婚者や既婚者など他のカテゴリーの自 殺率と比べてさらに高いという規則性(法則)を見出した。では,なぜこの ような規則性が生じるのか。それは「離婚そのものの結果というよりは,む しろ離婚によって終止符を打たれた結婚生活の結果」(デュルケーム 1985:

327)である。それは夫婦が家族の共同生活を送る中で離婚を耐えがたくする からである。だが,離婚は必ずしも生活の困難や精神的な苦痛を伴うものと は限らない。ときにはこれによって苦痛を伴う結婚の拘束から解放される場 合もあるからである。どちらになるかは個人が選択できることではなく社会 が決めることである。そして,このような離婚による自殺傾向は離婚者だけ

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でなくその社会の全体的な特質として人々に共有されるので,離婚者と自殺 率との関連性もそれに規定される。

 デュルケームは,自殺率の高い地域ほど離婚率も高いという規則性を見出 したが,その共変関係はもう少し複雑であって,男性と女性とでは大きく異 なるという事実を発見している。一夫一婦制のような厳格な社会的規制は,

ある意味で夫婦の地位を固定してしまい,女性にとっては義務ばかりが多く て何ら益するところがないのに対し,離婚に対する規制を緩和することは男 性にとって特権の剥奪的な意味合いをもつかもしれない。それゆえに,離婚 の規制が緩和されている社会では夫婦アノミーが起こりやすくなる,と言う のであった(デュルケーム 1985:340)。

 こうして,デュルケームは家族の構造を夫婦関係と親子関係として理解し た上で,社会の統合性の原理を検証するための指標として,結婚と家族密度 を未婚-既婚および家族規模として操作概念化し,かつ規制性の原理を検証 するために夫婦アノミーを離婚率として操作概念化し,それぞれの操作概念 から作られた仮説を統計的に検証することによって,演繹的に家族における 自殺の原因を実証したのであった(デュルケーム 1978:249)。

2.現代日本の家族における仮説の検証

 家族の統合性や規制性の概念は抽象的であるが,上述のようにデュルケー ムは統合性の概念を結婚と家族の密度として操作概念化し,さらに統計的に 検証するために既婚 ・ 未婚 ・ 死別という指標(変数)に置き換えた。また,

これだけでは検証できなかったため,家族の規模=子どもの存在を指標(変 数)として取り込んで分析した。

 演繹的な方法は抽象的な概念を具体的な操作概念によって説明するため,

たとえ検証できたとしても理論を操作概念やデータに置き換えてゆくプロセ スに問題があれば根本的な理論を検証したことにはならない。一般に抽象的 な理論は様々な操作概念化が可能であるので,演繹的な方法は一つや二つの

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検証をしたぐらいでは真に検証できたとは言えないのかもしれない。これは 演繹法のもつ宿命なのだが,実験的な手法をとりにくい社会学的研究はこの 方法に依存することが多い。ここではこれ以上この問題に言及しないが,そ のような点に留意した上で,デュルケームと同じ手法でもって現代のわが国 における自殺の現状を分析してみた場合,どのような結果が現れるであろ うか。

⑴ 統合性の指標としての結婚

 デュルケームによれば自殺率は家族密度と関係するが,家族密度は操作的 には家族規模とほぼ同一視されるので,まずは単純に自殺死亡率と世帯規模 との関連をみることにする。2014年度の都道府県別自殺統計において自殺死 亡率(対人口10万人)が高いベスト10位は,①岩手(26.99)②秋田(25.70)

③新潟(24.88)④富山(24.64)⑤宮崎(24.16)⑥山梨(23.56)⑦島根(22.91)

⑧福島(22.87)⑨青森(21.93 )⑩鹿児島(21.78)となっている(都道府県 平均は19.63人である4))。このような地域の自殺傾向に対して世帯規模が小さ いのは,①東京(1.96)②北海道(1.98)③鹿児島(2.10)④高知(2.12)⑤ 大阪(2.14)⑥山口(2.18)⑦京都(2.18)⑧宮崎(2.19)⑨神奈川(2.20)⑩ 愛媛(2.20)の順となっている(都道府県平均は2.27人である5))。最近数年間 のデータを見ても,都道府県の順位は多少変動するものの上位のグループが 下位になるといった大きな入れ替わりはない。

 以上から明らかになることは,東京都は世帯規模がもっとも小さい地域で あるにもかかわらず自殺死亡率は必ずしも高いわけではないし,岩手県や秋 田県は自殺死亡率が極めて高いにもかかわらず世帯規模は最も大きいという ことである。つまり,自殺死亡率と世帯規模とは宮崎県と鹿児島県において 符合する傾向がみられるものの,全体としてあまり関連性がないように見え る。少なくとも,自殺傾向は単純に家族の規模から推測することはできない ということであり,この点ではデュルケームの統合性仮説は検証されない。

 だが,家族の規模に関してもう一つ別の指標を付け加えておきたい。それ

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は人口増減率である。都道府県別に人口増減率をみると,自殺死亡率の高い 上位10位のうち実に8県は減少幅の大きい方から16位までの中に入っている5)。 人口増減は過疎化の指標であるが,自然的増減にせよ社会的増減にせよ,そ れはとりもなおさず家族成員の流出入を意味するので,デュルケーム理論を 敷衍してみれば家族密度と結びつく可能性が大きい要因である。わが国の自 殺は世帯規模よりも流出入の変数のほうが強く関連しているのかもしれない。

 デュルケームの時代には家族とコミュニティはそのつながりを確保するた めに居住を共にしなければならなかった。交通 ・ 通信が未発達であった時代 には「去る者は日々に疎し」の諺どおりであったろう。しかし今日の日本に おいては諺の一面の真理は失われていないとしても,別居することが家族の 統合性を失うことにつながるとは必ずしも言えないだろう。様々な交通 ・ 通 信手段の発達によって東京と辺境地域とはその距離が確実に縮まっているか らである。もちろん,時間的距離の短縮が絆の強化を意味すると単純に言え ないことも事実であるが。

 統合性の指標としてもう一つ,デュルケームは未婚者の自殺率が相対的に 高いことを指摘している。これは逆に言えば,結婚する人が多い地域(社会)

は自殺率が相対的に低いことを意味することになる。そこで,都道府県別の 婚姻率(対人口千人)についてみると,先に挙げた自殺率上位10の諸県のう ち,なんと①秋田(3.7),②青森(4.2),⑤岩手(4.3),⑥新潟(4.3),⑦富 山(4.3),⑧島根(4.4)の6県は,婚姻率が低いほうから8位までに入って しまうことが分かる(都道府県平均は5.1である6))。婚姻率はどちらかと言う と高齢化が進んだ地域においては低くならざるをえないが,高齢化地域は一 般に過疎地域でもあるので,他の条件が一定であればデュルケームの言う家 族密度が低くなる可能性はある。また,過疎地域ではしばしば嫁不足に直面 しており,今後は晩婚化や生涯未婚の人が一層増えて行くことが予想される。

都市部においても晩婚化が進み,都市であれ農村であれ現代のわが国におい て生涯未婚率が減少する兆しはみられない。とくに男性において未婚である ことが自殺傾向に与える影響が大きいとする事実は否定されていないと言え

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よう。

⑵ 統合性の指標としての子ども

 デュルケームが家族密度と言うときに最も重視しているのは子どもの存在 に関してである。本稿では子どもの有無と自殺との関係を示す統計がないの で,合計特殊出生率と自殺死亡率の推移を比較することによって両者の関係 を推測してみることにする。

 合計特殊出生率は戦後急激に低下し,その後高度経済成長以降はほぼ一貫 して減少傾向を辿ってきた。他方,自殺死亡率はそのような一貫した推移を 示すことなく上下の動きを繰り返している。つまり,全人口的に見るならば 自殺と少子化との関係はそれほど強い関連はないと言わざるをえない。地域 別にみると,秋田 ・ 青森 ・ 新潟といった自殺死亡率の高い諸県も少子化が進 んでいるが,埼玉 ・ 神奈川 ・ 大阪 ・ 千葉といった大都市地域も少子化が深刻 であり,自殺と子ども数の減少との関連を単純に言うことはできない。

 また,1世帯当たりの子ども数の変化をみても,児童のいる世帯が全世帯 に占める割合は確実に減少しており,平成に入ってからだけでもほぼ半減し た。また,子どもの数はとくに一人が目立つようになり,2014年では児童の いる世帯の46.4%が一人である7)。わが国の「家族密度」の現状は,今のとこ ろ既婚者はなんとか平均二人の子どもを産んでいるものの,将来的には一人っ 子が増える傾向を示しているといえよう。

 家族密度の中身が子ども数よりも子どもの存在にあり,それがかろうじて 維持されているとしても,今やわが国の晩婚化や非婚化は進む一方である。

わが国の場合,結婚と出産はセットになっており,それゆえに非嫡出子出生 率は他の先進諸国と比べて極めて少ないが8),そのことが子どもの誕生を難し くさせる方向に働く可能性も否定できない。

 以上,現代日本の自殺傾向も,全体として家族の統合性ないし凝集性が弱 まったことと何らかの関連をもつことが示唆されるが,家族要因だけで自殺 の動向が決定されるとは思われない。家族の構造が変動し,夫婦関係や親子

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関係が変化したことにより家族の統合性が緩んできた面はあると思われるが,

反面,伝統的家族では形式的であった家族関係が男女平等の推進や愛情によ る結びつきという意味で密度の濃い家族関係に変化した面もあることを見落 とせない。そのように考えるならば,ここで取り上げた家族変数が自殺とい う究極の行為とどのように結びついているのかは,まだ分からないことが多 い。

⑶ 社会的規制性の指標としての離婚

 デュルケームが自殺の家族的指標として挙げている第三の変数は離婚であ る。彼によれば,離婚の過度な増加は離婚に対する社会的規制が弱まること によって生じる家族的アノミーにあるとされる。

 自殺と離婚との関係については現代においてもしばしば指摘されるところ である。デュルケームは失業が自殺の根本原因であるという主張はしていな いが,戦後のわが国の自殺率の推移において二,三回立ち上がった自殺の山,

中でも1990年代末に急上昇した自殺のトレンドは,労働環境の悪化と貧困問 題が影響したものと考えなければ説明がつかない。たとえば小川(2015)は,

1980年代以降のデータにもとづき重大な影響を及ぼした失業と教育達成(人 的資本形成)との関連を探る中で,媒介変数としての自殺死亡率と離婚率と の関連性を検証している。

 しかし,自殺死亡率を男女の合計によって傾向性をみると重要な点が見え なくなることがある。換言すれば,自殺死亡率と離婚率との関連性は男女で かなり大きく異なることに留意すべきである。図は1947年から2014年までの 男女別自殺死亡率と離婚率の推移を示したものである。第一に,両者の関連 性は1980年代以降のスパンで捉えると強い共変的関係がみられるのだが,戦 後のもう少し長期的なスパンでみると共変的というほどの関連性は認められ ない。第二に,男女別に自殺傾向をみると,1960年代までは男女ともに同じ ような曲線を描いていたのであるが,その後は大きく異なってくる。自殺が 急増したと巷を騒がせた1998年以降においても,女性の自殺死亡率は増大し

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ていないことに留意しなければならない。さらに第三に,注目すべきは高度 経済成長期以降,男性の自殺死亡率と離婚率の描く曲線が非常によく似たも のになってきたことである。日本で夫婦の性別役割分業が一般化されたのは 戦後とくに高度経済成長期以降であることは近代家族論者の常識となってい るが,自殺率も性別分業しているかのように差が開いてくるのである。

(図)自殺死亡率と離婚率の推移(人口動態調査)

 最後に,デュルケームが行ったもう一つ別の作業によって自殺と家族的変 数との関係を検証してみることにする。それは自殺抑止率という指標である。

表は公表されているクロス表データを用い,デュルケームに倣って自殺抑止 率を算出してみたものである(内閣府 20159))。総数でみると,男女とも自殺 抑止力は有配偶者>未婚>死別>離別の順となっている。離婚した人がもっ とも自殺抑止率が低いということになる。これを性別でみると,男性の離別 者の抑止力は女性のそれと比べて弱い。そしてこの差は年齢の影響が大きい ことがわかる。50歳代以降になると男性離婚者の抑止率は女性と比べて半分 程度になっているからである。繰り返すと,離別と自殺との関連性は男女と

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も高いのであるが,とくに男性は中高年になると女性との開きが大きくなる。

いわゆる熟年離婚は男性の身に堪えるということを示唆しているのかもしれ ない。

 デュルケームが分析のカテゴリーとして再三再四取り上げた「やもめ」に ついてみると,「死別」の抑止力は男女および多くの年齢層において「未婚」

よりも低いか同等であって,この点はデュルケームが示した結果とは少々異 なる。ただ,ここでも女性は20歳代を除くすべての年齢層において男性以上 に抑止力が働いていることが明らかとなっており,結婚に対する19世紀末フ ランス社会の男女差と同じ結果が今日のわが国においても認められる。自殺 率に関する統計的規則性のいくつかは当時の統計学者たちも認知していたか もしれないが,デュルケームの慧眼は驚嘆に値する。

(表)婚姻関係別年齢別自殺抑止率

年齢階級 総数 20歳代 30歳代 40歳代 50歳代 60歳以上 男

有配遇者 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 未婚 0.61 0.37 0.31 0.39 0.40 0.33 死別 0.33 0.21 0.10 0.21 0.31 0.40 離別 0.17 0.07 0.09 0.13 0.19 0.23 女

有配遇者 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 1.00 未婚 0.78 0.44 0.34 0.42 0.46 0.71 死別 0.51 0.11 0.36 0.40 0.54 0.69 離別 0.30 0.11 0.17 0.25 0.32 0.44

 以上の結果を総じてみると,現代日本における自殺と離婚との間には,あ らゆる属性との間で共変関係を認めることができるとまでは言い難いが,離 婚が自殺に対して何らかの促進要因になっている可能性は否定できないこと,

および,男女の間で自殺と離婚の関連性は異なっていることが明らかにされ たと言えよう。

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3.自殺類型論の限界

⑴ 理論枠組の問題

 デュルケームの自殺論は,個人の動機や心理をできるだけ分析対象から排 除し,社会的事実である集合意識としての社会の状態から自殺の増減を説明 しようとするものである。社会的原因によってもたらされた自殺の3類型(4 類型)は,したがって個人の自殺のタイプを明らかにすることが目的ではな く,自殺動向を指標として社会の状態を見ることが第一の目的であることは 言うまでもない。

 もしもデュルケームが東洋的な,たとえば日本人の自殺観を知っていたら 自殺類型もまた別のものになっていただろうか。日本人の自殺観と言うと武 士の切腹がすぐ思いつくが,家族の場においては,日本人の自殺は「姥捨て 伝説」に象徴されるように孤独感よりも無益感やお荷物感に強く支配された 自己犠牲的な価値観から引き起こされることがある。また,母親の子どもに 対する無限定的な責任意識や愛着からしばしば「母子心中」ということが起 こる。これは西欧では容易に理解しがたい野蛮な行為とみなされるが,日本 では大方の同情を買って寛大な理解がなされてきた。パンゲ(2011:34)は,

これらの自殺は「意志的」に死ぬことであり,かつ何かを求めてではなく「無 償の」自殺であって,こうした自殺のあり方はデュルケームには理解しがた いことであったと言う。

 最近自殺という語に代わり「自死」という言葉がしばしば使われるように なった。どちらかと言うと遺族や遺児の側に寄り添ってその心情に配慮して 使われることが多い(自死遺族編集委員会 2005)。自殺と呼ばれる行為が遺 族の悲しみを顧みない自分勝手な行動に見えるのに対して,自死は当人が追 い込まれた末の死というプロセスを理解し,それを非道徳的 ・ 反社会的行為 として責めないというニュアンスが込められているように思われる10)。そこに は自殺した人の行為を許し受け入れるという意味あいが含まれているとすれ ば,「無償の」自殺は「自死型」の自殺類型と言ってもいいのかもしれない。

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そしてこれが無償の自殺であるならば,近代の価値観である合理性の原理や 産業社会における競争の原理からは説明できない自殺ということになる。そ れはデュルケームが十分に展開することをしなかった第四の類型,宿命的自 殺に近いものかもしれない。

 では,この宿命的自殺類型とはデュルケームの自殺類型の中でどのように 位置づけたらよいのであろうか。ベナール(1988)は,デュルケームの『自 殺論』に含まれる内在的な欠陥,すなわち幻のように消えた宿命的自殺類型 と,社会的自殺の類型化に用いた二つの分析軸の理論的整合性の問題に言及 して次のように述べている。

 第一に,デュルケームは,鋭くも結婚制度が男性にとっては自殺抑止効果 をもつが女性にとってはあまり効果をもたないことを指摘したが,その男女 差は実はアノミー的自殺と真逆の社会的状況から出てきたものであるという ことに十分気づいていなかった。もし自殺抑止率に見られる男女差が19世紀 西欧の社会構造に由来することが明確にされ,宿命的自殺が自殺類型の中で 十分に語られていたら,彼の自殺類型論はもっと完全になったかもしれない。

 また,第二に,『自殺論』の中で最も注目されたアノミー的自殺類型は理論 的整合性に問題をもつことが指摘される。デュルケームは,個人化が進みす ぎる社会では自己本位的自殺が起こりやすくなり,反対に過剰な社会化が行 われる社会では集団本位的自殺が起こりやすくなるとしている。この分析軸 は自殺と統合性の強弱との関係を理論的に矛盾なく分別することができる点 で完璧なものである。しかし,社会的規制性の原理によって分別するはずで あったアノミー的自殺と宿命的自殺については,前者の説明ばかりに偏り後 者の説明は省略されてしまった。アノミー的自殺に関して詳しい説明がなさ れたように,宿命的自殺についても単に伝統的な過去のものとしてかたづけ ずに,その厳格性や拘束力と自殺との関係を考察すべきであった,と言うの である。

 たしかに,アノミー的自殺は急激な産業化の結果として伝統的な規範や規 律が失われてくることに対するデュルケームの道徳的反応として出されたよ

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うにも思われ,そのことと社会的統合性の弱化仮説とが重なり合うために,

類型化に対するわれわれの理解は攪乱させられることがある。たとえば,デュ ルケームは軍人の自殺を集団本位的自殺に位置づけているが,奴隷の自殺や 子どものいない妻の自殺は外的抑圧が強すぎることにより生ずる宿命的自殺 として分類される。しかし,軍人の自殺は宿命的である場合も少なくないし,

他方,子どものいない妻の自殺は妻としての心得を強く内面化したがゆえの 集団本位的自殺であるとも考えられる。アノミー的自殺は独立した概念とし ては魅力的だが,これを先の統合性の軸と組み合わせようとすると,その位 置づけはかなり難しくなる。

 中久郞(1964)は,デュルケームの自殺類型の基準は個人化―集団化の軸 と内在的(個人が社会に総合する様式)―外在的(社会が個人を統制する様 式)の軸によって区分されたものとしている。しかし,二つの軸はもともと レベルの異なる軸であるので,同一平面上にきれいに切り分けられた4類型 というよりも,二つの軸がそれぞれ別の平面上にあってそれぞれ二つの類型 化がなされた結果として4類型になったようにも見えるのである。それゆえ に,たとえば自己本位的自殺がアノミー的自殺とオーバーラップすることも ありうる「類型化」なのである。ベナールが未完の理論としてその不整合性 について批判するのももっともなことである。

 デュルケームの自殺類型はその抽象性と論理的不整合性から具体的な社会 の自殺傾向を分析する道具としては使いにくい。では,いっそのことデュル ケームの自殺類型論をトータルに利用することはやめ,使えそうな部分だけ を操作的な概念に置き換えてしまったらどうだろうか。佐々木(2004)は,

文化的目標とそれに到達するための手段の欠如ないし不整合を基準とするマー トン(1961)のアノミー仮説を日本の自殺死亡率の年次推移,性 ・ 年齢別傾 向,および地域別傾向に適用した結果,いずれにおいても彼のアノミー仮説 が検証できるとした。マートンがアメリカ社会の価値目標として示した「金 銭的成功」とそこに到達するための手段のギャップが自殺を引き起こすとい う仮説を日本において本当に検証できたと言えるかどうかはここでは問わな

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いこととして,一般論として述べれば,大規模な統計によって示された特徴 と歴史的 ・ 社会的現象との間の相互関係の解釈はどちらかと言うと後付けの 説明(事後解釈)になりやすいということだけは留意しておきたい。

 ところで,アノミー類型の分析に関するマートンの作業仮説が有効だとし ても,それが自殺現象全体のどれだけを説明することになるのかについては 疑問である。マートンのアノミー概念は観察可能な指標に強くこだわったた めに操作概念としての道を進むのだが,その過程で逸脱行動の観点に偏って しまったように思われる。マートンのアノミー概念は単純化 ・ 操作化され,

個人の目標への到達のチャンスの問題とされており,最初から何が目標であ るのか誰にとっても自明であるかのようである。これに対しデュルケームの アノミーの概念は目標が定まっているのではなく,むしろ目標に手が届きそ うになるともっと高い目標が湧いてきてどこまでも限りな続くような現象を さしている。つまり,マートンのアノミー的自殺は競争社会の一側面を分析 できるかもしれないが,デュルケームのアノミー概念を操作化したとは必ず しも言えないのである。

⑵ 実践的な問題

 家族の場面に戻れば,たとえば前章で示したように,離婚者は結婚をして いる者と比べて自殺する確率が高い。この傾向は,確率論的に実証されるに すぎないとしても,現代の日本のみならず世界の多くの国々においてもみら れる一般的傾向でもある(マシューほか編 2015)。デュルケーム理論によれ ば自殺の抑止力を高めるためには社会的規制を強めればよいわけだから,離 婚をしにくい法律や慣行をつくり家族の統制を考えればよいことになる。

 しかし,こうした統計数字に現れた離婚と自殺との関連性は,社会的規制 の強化によるアノミーの解消といった荒療治だけで済むようには思えない。

そもそも離婚の社会的規制を強化する方向での制度改革などは時代の流れに 逆行しており非現実的である。もしも自殺の研究が単に統計的事実を集める ことではなく,自殺率を低減させるための対策的な企図と結びつく必要があ

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るとするならば,未婚者はなぜ自殺の抑止力が弱いのか,未婚者でいる理由 や社会的背景は何なのかといった,もう一歩踏み込んだ「原因」を追求しな ければならないだろう。だが,デュルケームの理論枠組ではそこから先の分 析や展開には限界がある。

 ベナールの主張するように,家族や男女の文化的性差の問題が第四の類型 である宿命的自殺においてよく説明されるのだとしたら,デュルケーム理論 を補足的に発展させることも意義があるかもしれない。しかし,そのように モデルを補強したとしても,今日生じている多様な自殺を減少に導くための ルートを拓くことができるだろうか。

 たとえば,「尊厳死」の問題を考えてみよう。それは,病気や障害によって 生きている苦しみから解放されたいと思ったとき死をも自分で選択してしま おうという合理的かつ理性的な自殺であって,ある意味では典型的な自己本 位的自殺と言うことができるだろう。しかし,自分の命は自分で決めると言 うと極めて合理的だが,たとえ重篤の病人であっても人間は首尾一貫して死 の決断を堅持することができるとは限らないし,感情は揺れ動きやすいもの である。たとえば重度脳性麻痺患者が強制的栄養補給装置の撤去を求めた裁 判や,四肢麻痺となった患者が人工呼吸器を停止するスイッチの使用を裁判 で認められたにもかかわらず尊厳死を実行しなかったといった事例や,原因 不明の神経の病の苦しみから逃れるために安楽死を決心したが,実は気持ち は大きく揺れ動いていたにもかかわらず自殺幇助プログラムにしたがって粛々 と実行されてしまったという事例もある(大谷 2013)。

 個人主義が発達した社会では自分の命は自分のものと考えられているので,

病気や障がいが原因のことならば自殺できると考えるのも道理である。しか し,自身の健康が原因であっても,自殺する理由は何も自分のためだけとは 限らない。自殺者が,家族に看病の時間的 ・ 経済的 ・ 精神的負担をかけたく ないとか,自分が死ぬことによって保険金給付等により家族に最後の貢献を することができるとかを考えているとすれば11),それは限りなく集団本位的な 決定をしていることになる。安楽死の例も同様で,家族を介護から解放して

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あげたいといった気持ちで実行されるとすれば,それは単なる自己本位的自 殺類型に分類することはできないだろう。自己本位的自殺は集団本位的自殺 に転化する可能性があるのである。

 デュルケームの類型論からは,このように自殺の型が流動的であるのは社 会の統合性や規制性が不安定になっているからと解釈できるとしても,それ 以上の示唆や何らかの対策的な方向性を引き出すことはできない。離婚の例 で言えば,道徳的規制の強化を唱えて離婚を抑止する法律を制定することな ど,少なくとも現代日本において実現可能な対策とは思えない。デュルケー ム自身が「種々の自殺タイプの個人的形態」の章で論じたように(デュルケー ム 1985:345-369),個人の自殺のタイプは複合的に起こりうる。より柔軟 な理論モデルを展開する必要があるように思われる12)。そこで最後に,複合的 モデルの可能性について考えることにする。

4.中間集団としての家族の意義と自殺諸要因の多重 ・ 複合性

 デュルケームは自殺抑止率というタームを使って自殺の抑止についてたび たび言及しているものの,彼の厳格な社会学主義の理論は,これを現に生じ ている自殺を予防したり減らしたりするための理論としてみたとき甚だ心許 ない。自殺という個人的な出来事ですら社会の状態に影響されていることを 実証したデュルケームの功績はだれもが認めるところであろうが,社会の何 をどのように予防し対処したらよいかという点に関してはほとんど教えてく れないからである。統合性と規制性が自殺の根本原因であるということが社 会学的に正しいとしても,その社会状態の如何は自殺率という結果を見てか ら知るところとなる。自殺抑止という観点からすればそれでは間に合わない のであって,やはり具体的な自殺の諸要因のメカニズムを知らなければ対処 できないであろう。そこで最後に,自殺抑止の観点に立ってデュルケームの 理論を発展させる可能性について考えてみたい。

 デュルケームが考えた自殺抑止の対策は唯一,同業組合の再組織化という

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提案であったが(デュルケーム 1985:459-504),残念なことにデュルケー ムの提案が有効に実現しなかったことは歴史が証明している。だが,そのこ とはデュルケームの着眼点が間違えていたということではない。産業の進ん だ国々においても自殺率はどこまでも高まっているわけではなく,ある意味 高止まりをしているのであって,極端に悪化しているというほどでもない13)。 この事実の中に,産業化した社会は単純に自殺率を高めるだけでなく,エゴ むき出しの個人主義やアノミーを抑えるメカニズムをも生みだしたことを我々 は見落とすことができない(阪本 2011)。

 そのようなメカニズムとは何かと考えるときに,陳腐に聞こえるかもしれ ないが,やはりデュルケームが最後に「実践的」な考察に向かったように自 殺を抑止する機能をもつ個人と社会の中間集団について再検討する必要があ るように思う。デュルケーム理論の中では家族,宗教,職場,学校などの中 間集団は社会を反映している存在にすぎないが,ここで言う中間集団とは崩 壊しつつも,あるいは激しく変貌しつつもある程度の自律性を保ちながら存 続している現代の中間集団である。家族はそのような中間集団の代表的な存 在として自殺との関連性をもち続けてきたと考える。Baudelot と Roger

(2006=2008)が言うように,日本で20世紀後半から女性の自殺死亡率が低下 したのも,家族変動の中で新しい形の統合性が生まれてきたからなのかもし れない。ただし,家族は自殺を抑止するだけでなく促進してしまう場合があ ることも現実であるから,単純にプラスの機能ばかりに目を奪われることは できない。正負両面の機能をもつという点では,伝統的な中間集団が衰退し た隙間を埋めるように簇出してきた多様な集団や SNS のような情報ネット ワークによる擬似的な集団も例外ではない。

 自殺の原因を抑止の観点から研究しようとする視点は世界的にみても強く なっているように思われる。そしてその際に家族要因が取り入れられること も少なくない。世界21ヶ国で実施された調査に基づく研究によると,自殺の 社会人口属性危険因子として次のものが指摘されている。①性別(女性は自 殺念慮と企図のリスクが高い),②年齢(若いほど自殺念慮と企図のリスクが

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増加する),③教育(高所得国では学歴が低いほど自殺念慮と企図のリスクが 増加する),および④婚姻状況である。未婚 ・ 離婚 ・ 死別と分けた場合,離婚 と死別に関してはすべての調査実施国において自殺と結びつく危険因子とみ なされるが,未婚であることの自殺リスクはとくに高所得国で示されるのに 対し,低所得国では関連をもたないばかりか自殺の抑止にもなるという結果 が報告されている(ノック他 201514))。

 社会状況や文化の違いを無視して社会人口属性危険因子を統計的に見出す ことに対して,社会学者ならばどれだけの意味があるのかと疑問に思うかも しれない。しかし,たとえば日本においてもこれと同様の傾向が見られると した場合には,これらの要因が文化を超えた普遍性をもつ何か4 4として,ある いは世界の多くの文化が共通にもつ何か4 4として存在する可能性があるわけで,

こうした社会人口属性に関するグローバルな疫学的研究も一笑に付すことは できない15)

 しかし,上記の自殺行動モデルには一つ重要な点が欠落しているように思 われる。それは自殺の社会人口属性危険因子があまりにも固定的な状況変数 として捉えられすぎていることである。教育変数や婚姻という家族変数は実 は人間の一生の間においても可変的でありうるし,性や年齢を含むこれらの 諸変数は社会や文化によってその意味づけが異なり,社会はまた時代に応じ て変動するものである。社会学が問題にしているこうしたことを視野に入れ るならば,社会人口属性危険因子を独立変数的にのみ扱うのは十分ではない と言えるだろう。

 今日のわが国の自殺の実態をみると,自殺者の属性としては高齢者の割合 が高く,自殺の「原因 ・ 動機16)」で最も多いのは「健康問題」であって,過去 40年以上も一貫してその座を譲らない。2007~13年における構成割合は,自 殺者総数の47.7%をこの「健康問題」が占めている。そして第二位は「経済 ・ 生活問題」であり,第三位が「家庭問題」とつづく(警察庁「自殺の状況」;

ライフリンク 2013)。「経済 ・ 生活問題」はとくに時代の変動が激しい要因で あるが,この順位はほぼ一定で三大要因となっている。しかし,自殺の抑止

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を考えるときこれらの要因が重要であることは間違いないが,それらは果た して別個に独立した要因として存在しているのだろうか。

 最大の理由として挙げられた「健康問題」についてみれば,身体的疾患で あれ精神的疾患であれ,病気固有の原因による自殺と捉えられやすいかもし れない。しかし,たとえ第一次的には病気を苦にしての自殺であったとして も,病気とは個人に発し個人に終わるものとは必ずしも言えない。たとえば 精神的な病気はもちろん癌のような身体的な病気であっても,手遅れになる まで治療できなかった理由として家庭の貧困や勤務先の問題が深く関わるこ ともあるからである。最近のデータでは自殺死亡率への「経済 ・ 生活問題」

の寄与度が減少するのに伴って「健康問題」の寄与度も減少する傾向が見ら れる(竹島 2015;内閣府2014)。病気ないし健康であるということは,自殺 の様々な要因群の中で単独に存在していると言うよりも複合的に関係し合っ ているとみるべきである。

 では「経済 ・ 生活問題」についてはどうか。わが国では長引く不況を背景 として1998年から急激に自殺者数が増加したため,自殺について多くの関心 の目が貧困や失業に向けられた。周知のとおり,自殺者が急増したのを受け て,政府においてもその原因を探るべく自殺関連の委員会が設置されるとと もに法案の策定が慌ただしく行われたところである17)。学術的にも,OECD 諸 国の中で日本はとくに失業 ・ 貧困 ・ 所得格差といった経済的要因と自殺率と の関連性が強いことが明らかにされ,経済的要因説は説得力のあるものになっ たと言えよう(澤田ほか 2013)。自殺者数の年次推移グラフのうち1990年代 末からの突出した部分について,失業率を代表とする経済的要因説はうまく 説明でき,デュルケームが排除した自殺の原因としての貧困は,中心的な自 殺要因としてクローズアップされることによって「復権」を果たすとともに,

自殺を経済的問題とすることによって,自殺の原因を心理決定論的に捉えよ うとする考え方が正しくないことを証明したとも言える。

 しかし,逆に,自殺は経済的要因だけで説明できるだろうかと問い返して みたい。もしも自殺者に生活を共にする家族がいたら,一家の大黒柱的役割

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を担う責任感のようなものが作用したかもしれない。そしてその背後には性 別分業による働き方やその価値観が関係したのかもしれない。それは,わが 国における自殺の増加が圧倒的に男性において起きた現象であったという事 実をみても推測できるところである。かつてエコノミックアニマルという言 葉があったが,そうした世代を引き継ぎ,高度経済成長とともに成長し老人 になった団塊の世代は,この自殺率上昇と関係するかもしれない。自殺率の 急上昇に寄与した変数として生活難の問題があることは否定できない事実で あるが,それは単純に経済的要因としてあると言うよりも複合的に存在する と考えるほうが適切である。

 京都大学のグループは,自殺の背景要因を分析するために,経済学的要因 として所得と負債を,社会学的要因として年齢,離婚,結婚,出生,社会関 係を,そして複合的要因として失業を指標とするモデルを示した。そしてこ れを用いて分析した結果,自殺率との強い関連性を「失業」に見出している

(京都大学 2006:36)。複合的な要因はそれを細かく分けてそれぞれを分析し ても要因そのものの意味を解明したことにはならないのであって,デュルケー ム流に言えば,社会的事実として一つの要因としてみることによってこそ理 解できるのかもしれない。

 最後に健康問題とも絡むが,高齢者の自殺についても少々触れておきたい。

高齢者は若者と比べて自殺しやすいことはデュルケームも指摘しているとこ ろであるが,その事実は世界に普遍的にとまでは言えないにせよ,現代のフ ランスや日本においても引き続き見られる現象である18)。アメリカ社会におい てこの問題に取り組んだオズグッド(1994)は,高齢者とは身体的 ・ 社会的 に「喪失の時」でありストレスの多い時期であって,抑うつ症やアルコール 依存症になったりして最終的には自殺に結びつきやすいことを指摘する。そ して,高齢者をそのような状態に追い込む背景には,高齢者に対して否定的 な評価をするエイジズムと社会制度の貧困があると言う。わが国にアメリカ のようなエイジズムがどれほど強く働いているかをここで検証する余裕はな いが,高齢者の自殺が何らかの社会的価値観や社会規範に関わるとともに,

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社会制度の貧困に問題があるという指摘は道理であろう。だが,高齢者の自 殺は,社会福祉制度の整っている北欧諸国においてもアメリカと比べて格段 に低いというわけではないのであって,そうした制度の問題ばかりが重要と は言えないようである。たとえば癌のような病気は年齢が高くなると罹患率 が上昇するので,高齢者の自殺死亡率が高まる要因となるし,先述したよう に家族という中間集団の状態やその有無とも関係することが分かっている。

高齢者虐待を持ち出すまでもなく,一口に孤老と言っても精神的な孤老は子 どもと同居していても起こりうることである。やはり自殺原因を1つの要因 から説明することは無理であって,多重=複合的なメカニズムとして考える 必要があるように思う。

5.結 び

 デュルケームの自殺理論を自殺抑止の理論として発展させるためには,中 間集団としての家族の自律性を確認しつつ個人の状態と社会の状態の関係か ら自殺という行為を捉え直す必要がある。そこで構築する理論モデルは,自 殺の要因を単一ではなく複合的かつ多重的に組み入れたものである必要があ るだろう。

 だが,複合的というのはやや曖昧なタームである。分析的には複合性を解 きほぐし,諸要因相互の関係を解明することが求められる。Denney(2014)

は,自殺に関係する重要な要因として家族サポート,雇用,および教育達成 の三つを取り上げ,要因間の複合的な関係を分析している。彼は大規模の調 査データを用いて分析した結果,第一に,失業者は単純に自殺に結びつくの ではなく,家族のサポートがあることによって抑止されること,そして第二 に,高い教育を受けている人は家族による保護と密接な関係があることを見 出した。自殺の抑止という観点から理論的に述べれば,前者は補償(compen- sation)のプロセスが,後者は強化(reinforcement)のプロセスが働いてい ると言える。補償とは,ある要因の肯定的属性が他の要因の否定的属性を無

(24)

効にすることであり,強化とは,肯定的属性をもつ二つの要因が共に働き,

自殺死亡率をさらに減じることである。雇用も教育も生きていく上での資源 であるが,それらは家族というフィルターを通して作用していることを明ら かにしている。これは端緒的な研究にすぎないかもしれないが,このように 複合化のメカニズムを探っていくことは今後の研究にとって極めて重要で ある。

 今や『自殺論』の次なるステップは,自殺抑止の観点から理論構築をする ためにも,社会の状態のみに固執して構築された自殺類型論を踏み越える必 要があることは明らかである。それはベナールや Baudelot 等が指摘したよう に,社会の状態と個人の状態を結びつける理論枠組であり,そして両者の間 に介在する中間集団の機能を考慮した理論枠組でなければならないだろう。

【注】

1) しかし,別の箇所で彼は,全体的に女性の自殺率が男性よりも低いのは,女 性の感受性が未発達であるのと,社会の必要性 ・ 社会性が低いためと述べてい る。(デュルケーム 1985:258)

2) 結婚淘汰説(sélection matrimoniale)とは,既婚者の自殺率が低いのは健康 ・ 財産 ・ 品行など一定の資格をもつものが篩(ふるい)にかけられた結果だから だとするものである。

3) デュルケームはマルサスの人口論について,快適な生活のために出産を制限 することは誤りであると批判している。出産は,富者のみが享受する贅沢品の ようなものではなく,人の生きる糧や希望の源泉であると,彼の家族道徳観を 披瀝している。(デュルケーム,1897=1980:237)

4) 内閣府自殺対策推進室(2015)「地域における自殺の基礎資料(平成26年」都 道府県別集計(住居地)

http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/tsukibetsu-h26.html

5) 総務省(2015)「平成27年住民基本台帳人口 ・ 世帯数,平成26年度人口動態

(都道府県別)」 

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01gyosei02_03000062.html 6) 厚生労働省(2015)「平成26年(2014)人口動態統計(確定数)の概況」

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei14/index.html

(25)

7) 国立社会保障人口問題研究所(2010)「第14回出生動向基本調査(夫婦調査)」

http://www.ipss.go.jp/site-ad/index_Japanese/shussho-index.html 8) 厚生労働省(2015)「平成26年国民生活基礎調査の概況」

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa14/dl/02.pdf 9) 抑止率は有配偶者における自殺死亡率を1としたときの割合を算出したもの

(小数点2位以下を四捨五入)。内閣府(2015)第1-34表より算出した。

10) 自死の概念に関してはガイドラインを提示している組織もみられる。

NPO 全国自死遺族総合支援センター「自死 ・ 自殺の表現に関するガイドライ ン」 http://www.izoku-center.or.jp/

11) 自殺に対しては無条件で保険金が支払われるわけではない。

12) デュルケームは『社会学的方法の基準』の中で,複数の原因から1つの自殺 を考えることを誤りと述べたが(デュルケーム 1978:244),究極的な原因とし て抽象的な1つの原理を指摘することができたとしても,その原理を操作して 自殺を減少させる方法が示せないならば,現に起きている自殺の防止や抑止と いう実践的な問題に寄与することはできないだろう。

13) 2012年におけるフランスの自殺死亡率(対人口10万)は15.8で,低いとは言 えないかもしれないが,日本の23.1や,明らかに産業の遅れているロシアの22.4 よりは低い(世界保健機関 2014)。

14) ただし,その理由については,「結婚によって相手からサポートが得られるた め,否定的なアウトカムが多少なりとも緩和される」(ノック他 2015:134)と 述べられているだけで,デュルケームが指摘していた以上の説明にはなってい ない。

 ※ 調査によると生涯で自殺を本気で考えた人は全体の9.7%,過去12か月間で本 気に自殺を考えた人は1.2%いると言う。

15) ただし,これらの因子が必ずしも明確でないまま危険因子として個人に適用 されると,その人は自殺の危険があるというレッテルを貼られることに繋がり,

そのことが個人の意識へのスティグマとなったり社会的偏見に結びつく危険性 もあるので十分な注意が必要であろう。

16) ただし,この「原因 ・ 動機」なるものは警察が事後的に遺書などを調べて特 定し分類したものに他ならない。また,この推定された原因や動機は主なもの を3つまで計上しているので,複数あった場合の優先順位は不明であるし,分 類の客観性や信頼性については疑問の余地がある。たとえば鬱のような症状は,

病院にかかっていなければ遺書から特定することは難しい。

17) 自殺対策基本法(平成18年施行)/自殺総合対策大綱(平成19年策定,閣議決

(26)

定)/地域自殺対策緊急強化基金創設(平成21年)

18) デュルケームにとってそれはある意味自然な傾向であったのかもしれない。

しかし,現代社会においても若者の自殺率が高い国や中高年の自殺率が高い国 など多様であることが分かっているので(世界保健機関 2014),この要因は自 然というよりも社会の状態によって変化しうるものと考えるほうが正しいだ ろう。

【文献】

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Levinson, David (1995), editor in chief, Encyclopedia of Marriage and the Fam- ily, Simon & Schuster Macmillan, pp.709-713

Denney, Justin T. (2014), Families, Resources, and Suicide: Combined Effects on Mortality, Jourrnal of Marriage and Family 76 (February): pp.218-231 大谷いづみ(2013)「理性的自殺」がとりこぼすもの―続 ・「死を掛け金に求めら

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京都大学(2006)「自殺の経済社会的要因に関する調査研究報告書」(平成17年度 内閣府経済社会総合研究所委託調査)

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澤田康幸,上田路子,松林哲也(2013)『自殺のない社会へ ―経済学 ・ 政治学か らのエビデンスに基づくアプローチ』 有斐閣

自死遺族編集委員会 ・ あしなが育英会(2005)『自殺って言えなかった。』サンマー

(27)

ク出版

世界保健機関(2014)(自殺予防総合センター訳)『自殺を予防する~世界の優先 課題~』 http://ikiru.ncnp.go.jp/

竹島正(2015)「自殺対策の推移と現状」『精神医学』57(7),499-505頁 内閣府(2014)『平成26年版自殺対策白書』勝美印刷

内閣府(2015)『平成27年版自殺対策白書』勝美印刷 内藤完爾(1994)『デュルケムの近代家族論』恒星社厚生閣

中久郎(1964)「社会学における自殺理論の検討」『社会学評論』vol.15 No. 4,

30-48頁

モーリス ・ パンゲ(2011) 竹内信夫訳『自死の日本史』講談社(Maurice Pinguet, La mort volontaire au Japon, 1984)

ベナール(Philippe Besnard)(1988) 杉山光信,三浦耕吉郎訳『デュルケムと 女性,あるいは未完の『自殺論』―アノミー概念の形成と転変―』新曜社 1988

(原著 =1973~87)

マートン(1961) 森東吾他他訳『社会理論と社会構造』みすず書房(Robert K.

Merton, Social Theory And Social Structure, 1957)

マシュー ・ K ・ ノック,ギリェルメ ・ ボルヘス,大野裕編(2015)坂本律訳『世 界自殺統計~研究 ・ 臨床 ・ 施策の国際比較~』明石書店(Suicide:global perspec- tives from the WHO world mental health surveys, 2012)

NPO 法人ライフリンク(2013)「自殺実態白書」 http://www.lifelink.or.jp/hp/

whitepaper.html

(2015年12月11日受理,2015年12月21日採択)

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参照

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