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平成17年度から3年間にわたって実施された文部省特別教育研究経費「国際連携を活かした高等教育 システムの構築」プロジェクトの一環として、平成19年度に海外の4カ国で行われた大学の教育システ ムに関する調査の成果報告書である。調査と執筆を分担したのは、東北大学の3名を含む国立大学に所 属する教員6名で、いずれも、高等教育に関する分野を専門としている一線の研究者である。
第1章で問題提起と本書のねらいが示されたあと、第5章まで、アメリカ、カナダ、英国、オースト ラリアの大学での、いわゆる FD活動の内容や組織などに関する調査結果の記述が章ごとに続く。本書 の約8割を費やしているこの部分は、各国で行われている FD活動の範囲や組織体制の現状と方向性を 知る上で貴重な資料である。そして、終章では、ふたたび日本の現状を振り返って「終わりに─わが国 への示唆」と題する提言がまとめられている。
非専門家が各国の現状や日本における問題点の概要を知るには、1章と終章を読むだけでも十分かも しれない。しかし、それにしても、かなりの根気が必要である。最大の理由は、似かよった内容の用語、
それも略語の多さである。PODや SEDAなど、多くは組織名の短縮語だが、記憶の許容範囲を超えてい る。そもそも、本書のタイトルにもなっている FDという用語自体が、世界で広く市民権を得ているも のでは全くなく、本家のアメリカでも破棄されつつあるという。とはいっても、代わりに使われている 用語も AD(Academicdevelopment)、ED(Educationaldevelopment)、PD(Professionaldevelopment) など多岐にわたり、これもフォローしきれない。それだけ、関連した概念や対象がたくさんあり、整理 ができないほど流動的な状況にあるということなのだろう。また、教育制度の歴史など、個別の事情が 反映していることがうかがえる。
本書から、諸外国と比較すると、現在日本の多くの大学で行われている FD活動の内容は、教員個人 の教授能力の開発という極めて狭い範囲に限定されていることがわかる。また、基本的な背景として、
本書で扱った諸外国ではいずれも、教員の任用や昇進に教育活動の評価が取り入れられているため、FD 活動が、教員自身が安定した職を得て雇用条件を改善するための仕組みとして機能している点も、日本 と大きく異なっている。
日本では2007年度から大学院教育で、2008年度からは学士課程教育でも FDが義務化された。しか し、十分に認知されないままで始まった“義務化”は、多くの大学教員に対して、 FDを不本意ながら 余儀なくされるものにし、教育か研究かという二項対立の図式を植え付けてしまったように見える。教 育の質保証は、教員個人に限定した範囲の取り組みで実現できるはずがない。学校教育の要素として は、教員と学生だけでなく、事務職員などのサポート体制、そして講義室や図書館、web環境などのイ ンフラも重要なことは言うまでもなく、それらを含めたシステム全体を見据えた改善の必要性を訴える 本書の主張はあまりにも当然である。日本の FDは、“義務化”によって広く認知された感があるが、ス タート時点から超えるべき対象になった。
書評 /新刊紹介
書評 /新刊紹介
東北大学高等教育開発推進センター編
ファカルティ・ディベロップメントを超えて
日本・アメリカ・カナダ・イギリス・オーストラリアの国際比較
榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎榎 大 高 明 史*
*弘前大学教育学部 理科教育
Faculty ofEducation,HirosakiUniversity
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教員はだれでも自分の授業を魅力あるものにしたいと思っているし、学生はみな自ら進んで学習した くなるような魅力ある授業を望んでいる。大学は、教員にとって研究に裏打ちされた新しい課題を学生 と共有できるという大きな魅力があり、学生から見た大学教員の魅力は、研究と直接向き会う姿勢にあ るに違いない。研究と教育が相反するものであってはならないし、教えることは学ぶことである。FD は本来、そのような環境の中で、自発的な問題提起から起こってくる性質のもののはずである。
しかし、一方では、学生の多様化に伴ってとりざたされる基礎学力の確保など、日本の大学で起こっ ている諸問題に、現在の大学教育が対応できていないのも事実で、問題の多くはすでに教員の個人の努 力で解決できる範囲を超えている。大学の大衆化が日本よりも早く起こった諸外国で現在行われている FD活動の組織化や多様化の動きは、それぞれの国や大学が試行錯誤の
末で選択してきた歴史と見ることができるだろう。
調査を行った各国とも、多くの大学に教授センター・学習センターが 設置されている。背景はさまざまのようだが、そのスタッフはファカル ティー・デベロッパー、あるはエデュケーショナル・デベロッパーと呼 ばれる専門家である。これらの取り組みが教育の改善にどれくらい役 立っているかについては、今後とも科学的な検証が必要のように見え る。そのためにも、FD自体を研究の対象とする研究者がもっと必要で ある。日本でも、本書の執筆者を筆頭に大学教育のプロフェッショナル が生まれてはじめていることは頼もしい。FDを超える日も遠くないの かもしれない。
〔東北大学出版会、本体1,600円〕
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