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木村榮一先生を偲ぶ

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Academic year: 2021

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木村榮一先生を偲ぶ

大 谷 孝 一

わが国の保険学界および保険業界に多大の貢献をされた元日本保険学会理 事長・一橋大学名誉教授木村榮一先生が本年1月4日午前零時46分,国立市 の国立さくら病院において肺炎のために逝去された。先生は大正14年1月11 日のお生まれであるから,あと1週間で88歳の米寿を迎えられるという時で あった。

先生は,平成22年7月に胃穿孔の手術をされて2か月ほど入院され,また 昨年11月中旬には感染症で入院されたが,そのたびに治療とリハビリに専念 された結果,毎日のご研究と日課の散歩を続けられるまでになった。しかし,

昨年暮れに肺炎を患われ,体温計が振れないほどの低体温症で意識がなくな られたために,12月15日に緊急入院された。抗生物質,抗菌薬の点滴をし,

酸素マスクをされて,一時回復の方向に向かわれ,ご家族からの連絡で年末 に元損害保険事業総合研究所の隈崎 勇さんと病床に駆けつけた時には意識 もはっきりしておられたが,その後も肺炎の症状はなかなか好転せず,あま りに低い血圧を高める薬を投与した結果血圧が急上昇し,3日午前に薬の投 与を中止したが,時すでに遅く,日付を跨いだ午前零時46分,息を引き取ら れた。前々日の2日には,お見舞いに訪れたお孫さんの おじいちゃん,頑 張って と言う言葉に, ありがとう と答えられるほど意識もはっきりし ておられたが,これが先生の最期の言葉となった。ご遺体は病院からご自宅 に移送され,お気に入りのハロッズの背広を着て書斎のベッドに横たわって おられる先生のお顔は,病室で酸素マスクを付けて苦しそうに呼吸しておら れたお姿とは一変して実に穏やかであったが,初めて触れさせていただいた 先生のお顔はあまりに冷たかった。

特別講演のため、

見出しをイレジ ュラー処理して い ま す。次 回 使 用しないこと

【●●●●】

(2)

先生は熊本県下益城郡隈庄町(現在の熊本市南区城南町)大字隈庄の大き な呉服商の父久米 氏と母ツワ氏の四男三女の三男としてお生まれになられ た。地元の隈庄尋常高等小学校,熊本商業学校から昭和17年4月長崎高等商 業学校(後の長崎経済専門学校,長崎大学)に進まれ,そこで海上保険の権 威である今村 有(のちの福岡大学学長)および勝呂 弘(のちの神戸大学教 授),海商法の松波港三郎(のちの法政大学教授),財政学の松野賢吾(のち の神戸大学教授)など高名な先生方の指導を受けられた。その後大学進学を 志して,昭和19年9月に長崎高商を繰り上げ卒業したが,翌10月に入学を予 定していた東京商科大学を二年間休学して,東京築地の海軍経理学校に入ら れ,その後横須賀海軍工廠会計課に配属になった。この二年間は毎日厳しい 訓練と重労働と空腹に悩まされたそうであるが,これに耐えて,海軍主計少 尉で終戦を迎えられた。終戦翌年の昭和21年4月東京商科大学に復学され,

昭和24年3月同大学を首席で卒業されて ,同年4月から文部教官として東 京商科大学の助手となられた。在学中は,長崎高商時代のゼミの恩師であっ た松野賢吾教授の紹介で井藤半弥教授(後の学長)の下で財政学を学ばれ,

卒業後は大蔵省への入省が決まっていたが,指導教授のたっての勧めで,加 藤由作教授の下で海上保険の研究をはじめられることになった。その後,昭 和28年4月に一橋大学(商学部)助手に配置換になり(東京商科大学は昭和 24年5月に一橋大学となった),同年6月に同学部講師,32年12月に助教授,

40年12月に教授に昇任された。また,44歳の44年11月から46年11月まで一橋 大学商学部長を務められ,大学評議員も兼務された。その後,多くの同僚教 官から学長選挙への出馬を懇請されたが, 自由に海外に行けなくなるから と固辞された話は有名である。

1) 卒業時に総代として読まれた先生の自筆の謝辞が今も木村家に残っているが,

(多くの先輩方が)言論思想の自由を無慙にも剥奪され或は学問に対する断ち 難い執着を残しつつ悲痛な決意を秘めて軍隊に馳せつけ大学生活を中断せざる を得なかった 戦時に比べて, 平和と自由の輝く戦後日本に於いてひたむき な熱情を眞理と正義に捧げ得たことは学生史上最も恵まれたもの であったと 述懐しておられる先生のお言葉には胸打たれるものがある。

(3)

先生は,助教授時代の昭和35年7月から,半年の帰国を挟んで37年10月末 までのおよそ2年にわたりアレクサンダー・フォン・フンボルト財団の奨学 生としてハンブルク大学に留学され,ドイツ保険学の最高権威ハンス・メラ ー(Hans Moller)教授の下で海上保険の研究に専念された 。そして,帰 国後,一橋大学産業経営研究所の機関誌 ビジネス・レビュー や 一橋論 叢 , 一橋大学創立80周年記念論集 , 保険学雑誌 等に相次いで発表され た被保険利益に関する諸論文によって昭和39年10月各務記念賞を受賞され,

またそれらの論文をまとめられた博士学位請求論文 被保険利益の本質 に より同年12月に一橋大学商学博士の学位を受けられた。この論文は保険契約 の中心概念をなす被保険利益の本質を,ヨーロッパ諸国の当時の著名な保険 法学者が採る被保険利益学説を詳細に検討し,さらに学説の発展の歴史を辿 り,その意義,機能と地位,主観性・客観性,責任保険・新価保険・人保険 における被保険利益等を通して研究され,自説を展開しておられる,まさに 先生の保険研究の原点・出発点となる論文であった。

ドイツから帰国された後の先生のご活躍には目を見張るものがある。損害 保険事業研究所約款研究会会員,保険法研究会会員,日本学術会議経済学研 究連絡委員会委員,日本学術会議第13期会員,日本航空法学会理事,日本海 法学会理事,損害保険料率算定会理事,損害保険事業研究所評議員および 理事,東京海上各務記念財団評議員,The Insurance Hall of Fame(保険 の殿堂)選考委員,International Insurance Seminar(後のInternational Insurance Society)理事,(日本損害保険協会)自賠責運用益使途選定委員 

会委員,安田生命保険相互会社評議員,明治生命保険相互会社評議員,明治 安田生命保険相互会社評議員会議長等々実に多くの要職を務められた。さら にこの間,昭和44年7月から55年1月まで(大蔵省)保険審議会委員を務め られ,54年4月からはさらに(大蔵省)自賠責保険審議会委員も併任されて

2) メラー教授は1979年2月9日,不慮の事故で急逝されたが,1981年,木村先 生のご尽力によって,メラー教授の蔵書3,904冊が一橋大学附属図書館に寄贈 され,メラー文庫として一般に公開されている。

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いる。

日本保険学会について言えば,昭和27年10月に幹事,39年11月に評議員,

43年10月に理事に就任され,また二期目の任期半ばで病気のために辞任され た笠原長壽理事長(昭和56年10月14日に59歳でご逝去)の後を受けて,56年 10月から平成4年10月までの6期11年の長きにわたり理事長を務められ,本 学会の発展に多大の貢献をされた。

また先生は国際的にも大いに活躍され,ルクセンブルグ国際大学での講義 をはじめ,ローマ大学,ロンドン大学,ゲント大学,アテネ大学等でのシン ポジウムやコロクイアムでの司会や報告を行われたが,とりわけAIDA

(Association Internationale de Droit des Assurances) との関わりは特 筆すべきものである。すなわち,当時ドイツに留学しておられた現日本保険 学会名誉会員・神戸大学名誉教授水島一也先生をはじめ,斎藤利三郎先生

(当時和歌山大学),久木久一先生(当時小樽商科大学),滝田格司氏(当時 大蔵省銀行局保険第一課長)などと共に参加されたAIDA主催の第1回保 険法国際会議(I l Primo Congresso Internazionale di Diritto delle Assicurazioni―1962年4月ローマで開催)以降,4年ごとに開催される大 

会にはほとんど毎回出席され,さらに1978(昭和53)年10月開催の第5回マ ドリッド大会以降は,加藤由作先生に代わって東洋人としてただ一人の理事 に選任され,AIDAの70歳理事定年に伴い,モロッコのマラケシュで開催さ れた第10回大会において,日本人初のAIDAメダルを授与された1998(平 成10)年5月まで,日本保険学会(本学会は1961年8月以降AIDAの日本

3) ローマでAIDAの第1回国際会議が開催された時に,メラー教授と共に共 同議長を務められたローマ大学のドナーティ(Antigono Donati)教授の発案 により,イタリアの作曲家ヴェルディの歌劇AIDAに因んでこの学会は以後 アイーダ と呼称されているが,わが国では 国際保険法学会 または 世 界保険学会 と訳されている。ただ,日本保険学会が日本学術会議第3部(経 済・経営・商学部門)に属し,また日本経済学会連合に加盟している関係から,

昭和49年開催の学会理事・幹事会以降,日本学術会議等外部に向かっては 国 際保険学会議 と呼ぶことにしている。

単 語 が 割 ら れ る の を 防 ぐ た め イ レ ジ ュ ラ ー 処 理 を し て い ま す。訂 正時注意

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支部となっている)の代表として実に36年間の長きにわたってご活躍された。

先生はまた,一橋大学在任中,同大学以外でも,日本大学,明治学院大学,

北海道大学,明治大学,慶應義塾大学,成城大学,東京経済大学,早稲田大 学など多くの大学で非常勤講師を勤められたが,昭和63年3月,一橋大学を 63歳で定年退官された後も(同年4月,一橋大学名誉教授),同年4月から は中央大学商学部教授,平成7年からは東京国際大学教授として教鞭を執ら れた。

平成14年4月には,長年の功績により勲三等に叙せられ,旭日中綬章を授 与された。

ご専門の研究について言えば,著書・訳書は編著を含めて30冊を超え,論 文に至っては100本を超えている。語学の天才と言われた先生は,英・独・

仏・伊・西・ラテン語の語学力を駆使して諸外国のほとんどすべての保険関 係文献を渉猟され,上述の被保険利益の起源まで遡った本質的なご研究をは じめ,相当因果関係説・自然成行説・蓋然説・近因説などの因果関係諸学説 の正当な解釈を示された。さらに,その語学力に加えて,欧米の保険学者や 実務家との幅広い交流から得られる多くの情報を駆使して,各国の保険に関 する稀 本や新刊本,あるいは新たに制定された法律をいち早く日本に紹介 しておられる。

また,先生が最初に学者としてその成果を世に問われたのは,まさに東京 商科大学を卒業され,文部教官として同大学の助手となられた翌年(昭和25 年)12月の 地中海商業の生成と発展 (一橋大学産業経営研究所編 現代 商学の基本問題 新紀元社刊)であったが,その当時から保険の歴史には興 味を抱かれていたようで,海上保険の歴史的研究はまさに先生の生涯を通し た研究テーマとなった。先生が長年にわたってイギリス・イタリア・スペイ ンその他のヨーロッパ諸国において直接収集された膨大な史料を基に,1779 年ロイズ海上保険証券の淵源を14世紀のイタリアの保険証券にまで遡って研 究された492ページに及ぶご労作 ロイズ保険証券生成史 (昭和54年,海文 堂出版,住田海事奨励賞および日経経済図書文化賞を受賞)はその集大成と

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言え,欧米でも高く評価されている世界的名著である。また,世界最大の保 険市場ロイズを日本に紹介し,それまで ロイド と訳されていたLloydʼs について ロイズ という訳語を日本に定着させたのも木村先生である。さ らに,保険を知らない人たちにも保険についての関心を抱かせる,とりわけ 保険の起源や保険に関わる重要人物やヨーロッパの都市についての大変興味 深い読物も多数書いておられるが,日本損害保険協会から出版された 損害 保険の歴史と人物 などは,保険の専門家にとっても読み応えのある読物で ある。

ところで,先生は生前,保険に関する貴重な書物を大量に所持されたが,

その膨大な蔵書については,早稲田大学の中出 哲教授のお骨折りによって,

その一部を東京海上日動火災保険株式会社が受け入れてくださるとのことで,

貴重な文献の散逸を防ぐためにも大変ありがたいことと思っている。

最後に,あまりに多い先生との個人的な思い出の中から,若干の思い出を 記しておきたい。不適切な表現を敢えてお許しいただくとすれば,故事に 贔屓の引き倒し という言葉があるけれど,直弟子でもない私に注がれた 先生の愛情は,それを与える側ではなく受ける側の不徳もあって,時に先輩,

同僚,後輩からの妬み,嫉みがあったかもしれない。先生からは,同年代の 会員の中で逸早く当学会の評議員および理事にご推挙いただいたのをはじめ として,当学会の代表として韓国保険学会やAIDA世界大会への派遣,日 本学術会議経済学研究連絡委員会委員としてドイツ保険学会への派遣もお認 めいただいた。また,日本損害保険協会派遣講師,明治生命保険相互会社社 員総代,(大蔵省)自賠責保険審議会委員,(日本損害保険協会)自賠責運用 益使途選定委員会委員,保険法制研究会(後に損害保険法制研究会と改称)

会員,明治生命保険相互会社評議員,損害保険事業研究所評議員,AIDA 事等々への就任はすべて木村先生のご推薦によるものである。さらに,先生 のご監修の下に何冊かの著書について分担させていただいたし,以下の著作 目録に示す グッドエーカー海上保険クレーム , リシャール・フランス保 険制度史 , テンプルマン海上保険−その理論と実際 等の英書・仏書につ

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いて共訳もさせていただいた。私が学部長の当時,極左組織の支配する自治 会を非公認にしたことでひどい攻撃を受け,彼らによって事実無根の内容が マスコミに流され,大学による保護や警察による一時間おきのわが家への巡 回によってようやく身の安全が保たれていた時にも,先生は私の身を案じて 絶えずお電話をくださった。私の留学中には,渡仏された先生とパリの街を 散策し,カフェで紅茶を飲み(先生はいつも紅茶しか飲まれなかった),ま AIDAの大会や理事会で訪れたコペンハーゲン,ロンドン,ローマ,マ ラケシュの街の散策のお伴もさせていただくことができた。海外におられる 時の先生のお顔はいつも生き生きとして楽しそうであった。さらに,私の若 い頃から,先生にお目に掛かるたびに 早く博士論文をまとめなさい との お叱りを受けたが,何とかまとめた博士学位請求論文についても,先生に審 査員のおひとりに加わっていただくことができた。一橋大学ご退官の折りに は 一橋大学に来ないか とのお誘いまでいただき(身に余る光栄で,心も 動いたが,それほどの能力もなく,恐れ多いことであるので,結局お断りさ せていただいたのだけれど),また几帳面な先生らしく生前から既に準備さ れていたご自身の葬儀の様式や手順についてのメモ書きにも, 日本保険学 会からは大谷が弔辞を読むように とのご指示があった。こういった先生の あふれんばかりの愛情やご学恩に対して何一つお報いすることができないま まに,先生は逝かれてしまった。先生は今,ご長男の嘉秀さんが眠る多磨霊 園の墓地で眠っておられるが,今さら取り返しのつかない後悔と悲しみに打 ちひしがれることもしばしばで,慙愧に堪えない。

心から先生にお詫びしつつ,先生のご冥福をお祈りするばかりである。

(筆者は日本保険学会名誉会員,早稲田大学名誉教授)

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木村榮一先生著作目録

(先生の書かれた論文の数はあまりに多く,紙面の都合上これをすべて掲載するこ とは不可能であるので,ここでは編著を含めた著書・共著・翻訳のみを掲げる。)

著書・共著・編著

加藤由作博士還暦記念・保険学論集 (共編)

春秋社 昭和32年

商業一般 (共編著) 大原出版 昭和36年

海上保険関係文献総目録 (編) 損害保険事業研究所 昭和39年 大林良一博士退官記念・保険学論集 (編) 春秋社 昭和40年 海上保険関係文献総目録―主題別 (編) 損害保険事業研究所 昭和40年 新訂・商業一般 (共編著) 大原出版 昭和41年 火災保険関係文献総目録 (編) 損害保険事業研究所 昭和41年 損害保険契約の基本問題・

今村有博士古稀記念論集 (編)

損害保険事業研究所 昭和42年

損害保険教材 (編著) 松涛印刷 昭和43年

喜寿記念・加藤由作博士論文集 (編) 記念論文集刊行会 昭和45年 保険概論 (有斐閣双書)(共編著) 有斐閣 昭和51年 貨物海上保険普通保険約款改正試案理由書

(共著)

損害保険事業研究所 約款研究会

昭和52年

英独仏和・保険用語辞典 (共同監修) 保険研究所 昭和52年 損害保険論 (有斐閣双書)(編著) 有斐閣 昭和53年

海上保険 千倉書房 昭和53年

ロイズ保険証券生成史 海文堂 昭和54年

保険の知識 (共著) 有斐閣 昭和55年

ロイズ 世界最大の保険市場 (日経新書)

日本経済新聞社 昭和56年

研究開発リスク負担制度検討会報告書 科学技術庁 昭和57年 損害保険論 (第2版)(有斐閣双書)

(編著)

有斐閣 昭和58年

ロイズ・オブ・ロンドン 日本経済新聞社 昭和60年 英独仏和・保険用語辞典

(改訂新版)(共同監修)

保険研究所 昭和62年

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保険入門 (共著) 有斐閣 平成5年 損害保険の歴史と人物 日本損害保険協会 平成5年

損害保険概論 (共編著) 有斐閣 平成5年

損害保険論 (共編著) 有斐閣 平成18年

損害保険の歴史と人物 (第2版) 日本損害保険協会 平成19年 海上保険の理論と実務 (共編) 弘文堂 平成23年

翻訳

モーリス・フォーク 保険 (クセジュ文庫)(共訳)

白水社 昭和28年

ドナーティ他編

E.E.C.加盟諸国の保険契約法−比較表

損害保険事業研究所 昭和40年

1906年英国海上保険法 (共訳) 損害保険事業研究所 昭和52年 グッドエーカー海上保険クレーム

(共訳)

損害保険事業研究所 昭和53年

リシャール・フランス保険制度史 (共訳)

明治生命 昭和58年

テンプルマン海上保険―その理論と実際 (共訳)

損害保険事業総合研 究所

平成3年

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