農業大学校の非農家出身者の新規就農を巡って
代 陽 介
1 . は じ め に
現在、我が国の抱える農業問題の中で股も喫緊かつ重要な課題は農業の担い手の育成・確保である。
農業へ従事する若年者層の絶対的不足と高齢者中心型')の農業労働力では、「将来的に我が国の食の 生産を、誰が担っていくか」という問題に直結する2)。それ故、現在の地域農業における担い手の減 少は、日本の社会的安定性においても深刻、且つ危機的な状況下に有るといっても過言ではない。
現在、新規学卒就腿者(中・高・大学直後の就農)数は、ここ近年2,000人少し超える程度である。
この数字は、この年代の同一学年人口約120万人の中の2,000人で、0.16%に過ぎない3)。しかし、農
業の担い手問題は、これだけの危機を、危機と感じない社会(行政・教育・マスコミ等)の中での検 討課題となる。すなわち、従来までは農業の担い手問題は、農家の後継者問題として認識されること が多く、農家の子弟に関する腿家問題として取り扱われてきた。それ故、農業の担い手育成は農家の 課題であり、社会的課題としての認識や:事業は少なかった。
それ故、農業の担い手、特に、非農家出身者の農業就農をめぐる問題に関しては、社会的にも行政 的にもほとんど対応するセクションはなく、奇特な篤農家の農家に全而依存の状態である。ただ、農 業高校と農水省系の農業大学校などの一部の農業教育機関で、この課題に取り組んできたことも事実 である。故に、一般の焼農家による非農家出身者の就農問題は、改めて分析することとして、本稿で は、農業教育機関による非農家出身者の就農問題を分析することに焦点を合わせたい。
2.新規参入農業者に関する既存研究の整理と本稿の課題
明治初年には、我が国岐初の公的農業教育機関が誕生する。札幌農学校と駒場農学校である。しか し、当時の入学していた学生の3分の2は、士族の子弟であった。士族が多く入学した背餓として、
片山清一(1988)は、武士の身分を失った人達に対して、政府としての救済策とし、開墾牧畜などの 奨励を行い士族の子弟を、農業方面に進めるように士族帰農を進めたと述べている。
1886年には、小学校令改正により農業科目の導入が行われ、1899年には実業学校令(腿業学校規 定)公布に、甲種・乙秘の2種類の農学校が設置され、日本の公的な農業教育の骨格が形成された。
戦後の農業教育の歴史変遷を研究したものとして保木本利行(2006)、稲泉博己(2006)らがある。
稲泉は戦後の新学制によって、農学校が高校に推移した1945年代から1955年代頃までは、実業教育機
関としての農業高校は、独自の教育の概念を確立することによって普通高校とは峻別され上下に格付 けされる事はなかったとしている。しかし、1965年代に入ると、選別教育や受験体制がもたらした歪 みにより、高校間の序列化が横行したと、農業教育の揺れを指摘している(稲泉2006:lO3-lO4)。
農業高校の序列化問題の研究については、長須群行(1985)がある。長須群行は、「本来農業高校 は、農学という実学を学習する教育機関であって、普通高校とは教育の理念や概念が異なる。しかし、
現実は進学先として、有名大学へ卒業生を多く飛出する学校が最良の学校とされ、逆に大学進学率の 低い学校はマイナス評価され、農業高校は最悪の学校として序列化の最底辺に位置づけられるように なった」(長須1985:15)という見解を示している。このような指摘は現代における農業高校の位置 づけを的確に示しているといえ、今後の存続問題に直結しているといえる。
大分県高等学校教育研究会農業部会の、大会記録を綴った中に「農業科は中学生が行ける学校では なく、行きたい学校となる様に努力しなければ今後の存続は難しい」との記録ある。これは、農業科 が総合学科へと統廃合される、事実上の縮小傾向のある中で、将来における農業科の存続自体に対し、
教員が危機的意識を抱いている事を的確に表しているといえる。また、既得農業経営を如何に継承し、
参入者への支援を行うかといった研究に酒井惇一(1998)がある。しかし、何れの研究も農業教育や 制度の歴史的変遷を中心として取り扱ったものが多く、肝心な人に視点を向けた研究とは言い難い。
農業労働力が減少の傾向にある中で、注目をあびているのが非農家出身者の農業への新規参入であ る。1989年には全国農業会議所、都道府県農会議を中心として新規就農への相談窓口が設けられた。
農業への新規参入については秋津元卸(1998)が、「一口に新規参入農業者といっても、いろいろな 場合があるが、「担い手論」を背景として施策的に対象となっているのは、農業基盤をまったく新た に築いて自力で経営をおこなおうとする人たちである。」(秋津1998:191)と、指摘しているように、
農業への参入者は、もはや旧来のような農家子弟に限った事ではないといえる。また、三代陽介 (2010)は、これまで、日本の農業教育は、農家子弟を対象と考えられてきたが、近年ではその農家 子弟ですら、農業以外の進路を選択していると指摘した。
このように、「農業の担い手対策には農家の子弟」といった固執した考えだけではなく、柔軟な発 想を持つ必要があるにも関わらず、政策として遅れが目立つといわざるを得ない。この点について、
徳野貞雄(2011)は現在、多様な視点から農への参入を試みているにも関わらず、現在の農業指導関 係者が、20歳前後の、しかも男性だけを対象に、所得経済の保証や向上を軸にした農業後継者育成対 策に固執している事の危険性を指摘し、実際は脆弱なワンパターン的対策になっており、今後は人間 主体からのアプローチの必要性があると指摘している。
確かに現代における農業への参入は、旧来の様な家名、家産の継承といった運命づけられたもので はなく、個人の主体的な選択によるものへと変容した。だが、参入が個人の問題となった結果、農業 基盤の無い非農家出身者がどのような問題を抱えているのか、非農家出身者が地域農業へいかなる影 響を及ぼしているのかを明らかにしていくことは、参入者個人の問題だけではなく、地域農業の存続 にとっても大きな課題である。しかし、本稿は、農村部における不足労働力の補充をどうするかと いった問題ではなく、地域農業の担い手養成機関である農業大学校における、非農家出身者の就農問 題と実態について明らかにするものである。
3.大分県の農業教育と就農
2007年12月公表の農林水産省「新規就農調査」によると、新規就農者数(自営農業に就農した者で 新規参入者の数を含む)は7万5千人で、60歳以上が半数を占め、39歳以下の新規就農青年は
1万’千人である。そのうち2,480人が新規学卒者となっている。これに対し2008年「食糊・農業.
一例とし2006年の新規就農者数1,308人に占める新規学卒者の内訳を県別で見ると、鹿児島県335人 のうち新規学卒者112名(33%)宮崎県243人のうち新規学卒者51人(20%)熊本県220人のうち新規 学卒者113人(51%)福岡県152人のうち新規学卒者50人(32%)長崎県150人のうち新規学卒者86人
(57%)佐賀県88人のうち新規学卒者22人(25%)となっており、大分県は120人のうち新規学卒者は 24人(20%)である(図2)。
農村白書」では、農業高校等の専門高校が減少し、総合学科の設置等の動きがみられるなど、農業高 校、道府県農業大学校は厳しい状況におかれているが、新規学卒就農者の3割が農業高校の卒業生で、
4割が道府県農業大学校の卒業生であるとし、農業の担い手の多くを輩出しており、依然重要な役割 を担っていると指摘している(農林水産省,2008:118)。つまり行政は、農業高校、農業大学校を、
今なお多くの農業人を輩出する教育機関として位置づけているのである。
2007年8月に九州農政局が公表した、九州管内における新機就農者の推移は、1998年928人、2001年 1,083人、2004年1,324人、2006年1,308人と増加の傾向にある。しかし、内訳別でみると1998年928人
のうち新規学卒者434人(46%)、2001年1,083人のうち新規学卒者476人(43%)、2006年1,308人のう
ち新規学卒者458人(35%)と新規学卒者は、横ばい傾向にあり、大きな増加を見せていないことが 確認できる(図1)。
九 州 口 内 編 規 郭 風 者 殿 蝿 移
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図1九州管内における新規就農者数の推移 出所:九州農政局2007.84)より筆者作図
図2H18県別新規就農者数 出所:九州農政局2007.85)より筆者作図
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ロ 合 計 152 88 09 0 220 120 24 3 :3 5
ロ 新 規 学 卒 50 22 85 113 24 5 11 2
ロ U タ ー ン 81 59 6 87 43 116 11 8
ロ 新 岨 参 入 21 7 3 20 53 67 54
農業尚校、農業大学校は、農業者教育の中核とし、一般農業経営者はもちろん、地域農業を担う リーダー的な人材を多く誰出し、大変飛要な役割を果たしてきた。しかし、その様な機能は、農家の おかれた社会的構造の変化に伴い形を変えてきた。こうした農業教育の社会的機能の変化を示す指標
として、農業教育機関の卒業生進路動向がある。
本稿でとりあげる大分県の耶例では、2008年3月に閉校した、「大分県立三重農業高校」において、
閉校前である2005年から2007年にかけての、卒業後農業関係の職業に従事した学生数は、いずれも一
桁台であった。閉校前の10年間は、学校存続の為学科の再編を行い魅力ある学校作りを行ってきたが、
入学生の確保は難しく、定員割れの現象は解決出来なかった。
筆新は、中学校教員という職業上、’'1学生の進路指導に関わってきた。そうした場における農業高 校の位世づけは、進路先の確保が難しい生徒の受容体として機能している一面がある‘)。筆者の受け 持った生徒の中には、’'1学校時代、長期間の欠席を繰り返していた生徒、生徒指導上困難であった生 徒等が入学している。しかし、明確な進学目標が無い生徒の中には早い段階で退学といったケースに なることも少なくない。農業高校の多くは、入学生を確保する為に学科の再編成や特色ある学校作り を進めてきた。しかし、大分県は、県内に散在する農業科の統廃合を行い、農業科を総合学科の中に 組み込むという、事実上の農業科縮小計画ともいえる内容を打ち出した7)。大分県は以上のような農 業尚校縮小政策のもと、縮小する農業高校を補佐するものとして、農業教育の上位機関として位置す る、大分県立農業大学校の存在を強調している。しかし、大分県は2008年2月13日に、農業大学校の 鮫高峰教育機関として位悩づけられている専攻科の廃止を発表した。専攻科廃止の理由とし、入学者 の定員削れが慢性化している点。卒業後の就農に占める割合が低下した点をあげている。
卒業時の就農率低下の原因とし、入学生に占める非農家出身者が増加したことを理由としている。
しかし、農業大学校へ入学した非農家川身荷の中には、卒業後に就農をしたいと考えて入学する生徒 もいる。また、農業大学校も非農家出身者を枇極的に受け入れている現状もある。就農をしたいと考 える入学生に対し、就農をさせたいと考える農業大学校。双方とも同じ目標であるにも関わらず、卒 業時に就農という事が機能していないのは何故なのか。また、本当に入学生に占める非農家出身者の 増加が、卒業時の就農率低下の原因となっているのか。学ノ''1の中には、卒業時に就農出来ると考えて 入学した者もいる。しかし、そこには「就腿をしたくても就農出来ない」という、入学当初の思惑と は大きなズレが発生している。そこで、何故その様なズレが生じたかを、明らかにすることを本稿の 目的としたい。
4.調査の対象とした教育機関
(1)大分県立農業大学校の概要と選定理由
農業尚校、農業大学校といった教育機関における、非農家参入問題は、地域的な多少の差異がある にしても、全国的に共通する課題であると考えられる。本稿で取り上げる大分県は、高等学校の農業 科を今後、統廃合化し縮小の計画にあるとしている。縮小する農業教育を補完する存在として、農業 大学校を位世づけており、腿業教育を統廃合集約化する蝋で、より効率的な腿業教育が行えると考え ている。本来ならば、腿業尚校、股業大学校、とそれぞれを対象として洲森することが望ましいが、
大分県を例に見ると、4i実上農業大学校は地域農業の担い手育成の最高峰教育機関と位置づけられて
いる。そこで、筆者が大分県の教員という点もあり、大分県の農業教育の動向を得やすい立場にあり、
深く検討することが可能となるため、大分県立農業大学校の学生を調査の対象とした。
一般に「農業大学校」と呼ばれているのは、農業を担うべき者に対し、近代的な農業経営の担当者 とし、必要な農業技術、農業経営に関する科学技術、及び知識を習得させる事を目的とされ設立され た施設である。
「農業大学校」は、農業者研修教育施設と位置づけられ、農業改良助長法第3章7項第5号におい て、協同農業者普及事業のひとつとして、規定されている施設である。都道府県が主体となる設置者 としてある農業者研修教育施設は、農業者大学校等の名称で呼ばれている。現在全国に、都道府県農 業大学校42校、独立行政法人農業者大学校1校、民間団体大学校4校の合計47校が全国に存在する。
いずれも、就農意欲が高く高等学校卒業レベルの者を対象とした、2年間の実践に重点を置いた農業 教育を行っているとされている。通常多くの場合は寝食を共にする、全寮制を導入している学校が多 い。又、一般の短期大学卒業者や、農業大学校の養成部門の卒業生を対象とした専攻科(研究部門)
を持つ大学校もある。
大分県立農業大学校の前身は、1966年4月に、大分県豊後大野市三重町の赤嶺地区に設立された (図3)。1992年4月には現在の学校名でもある大分県立農業大学校と校名を変更した。設立時は「大 分県農業実践大学校」という校名であった。
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図3大分県立農業大学校位置図 出所:大分県立農業大学校学校要覧8)
設立時の目標は、高度な知識・技術を習得させ、幅広い視野と誇りと希望を持った農業経営者を養 成する事であった。従来の①農業講習所、②経営伝習農場、③蚕業技術員養成所、④農業協同組合専 門学校など、大分県内に散在していた施設を統合し、農業経営の後継者養成、及び農業技術員養成を する為の、機関として生まれた。開設当時は地域農業のリーダー的存在ともいえる人物を多く輩出し、
卒業生はおよそ3,000人に及ぶ。現在は、農業改良助長法に基づく農業者研修教育施設とし存在し、
農学部及び研修部を設置している(図4)。
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図4大分県立農業大学校組織図 出所:大分県立農業大学校学校要覧91
「農学部」は、高等学校卒業生等を対象とし、全寮制度のもと2年間の実践的教育を行うものとす る。研修部は短期大学卒業者及び農学部卒業生を受け入れの対象とした、2年間のより高度な教育を 行う「専攻科」を設けている。又、短期の研修を行う「研修科」を設けている。大分県立農業大学校 の誇る農地や施設は、公的施設という性質上、行き届いた整備管理が行われている。大規模・機械型 による大量生産を主軸とした、近代的農業に必要な道具・施設といった設備を多く備えている(表
l)。我が国の高度な農業技術を学ぶための教育環境は整備され、良好である。
表 1 大 分 県 立 農 業 大 学 校 施 設 の 概 要 施 設 の 概 要
◇土地(校地)
・水田、普通畑、樹園地、建物敷地、運動場等
◇ 教 育 研 修 施 設
・研修館、教室棟、農業機械施設、厚生棟、体育館、寮等
・作物施設(農産物収納庫、パイプハウス等)
・しいたけ施設(菌床培養室、人工ホダ場等)
・園芸施設(ガラス室、パイプハウス、鉄骨ハウス等)
・畜産施設(肥育・繁殖・育成・乳牛舎、飼料庫等)
出所:大分県立農業大学校学校要覧'01
22.71ha
8,234㎡
1,245㎡
1,123㎡
12,563㎡
3,309㎡
(2)分析する項目
大分県立農業大学校の(1)入学生の推移、(2)入学生に占める非農家出身学生の推移、(3)卒業 後の進路状況、を提示しながらすすめていく。(1)では入学生の推移を、2002年から2007年の農学部、
専攻科の入学定員に対する入学者数を明らかにし、入学生徒の2003年度の65名(定員60名)以降は減
少の傾向にあることを示した。(2)では、実際に入学した学生に対する非農家出身学生の割合を示し、
6年間の平均割合(38%)と入学者に対して4割が非農家出身者である事を示した。非農家の割合を 確認することで、もはや現代における農業教育の対象は農家子弟に限った事ではないということがい
える。(3)に関しては卒業時の進路動向を示しており、いまや農業基盤を有している、農家子弟でさ えも、農業以外の進路を選択しており、現代の担い手問題を検討するにあたって、再認識しなければ
ならない事柄である。その様な中、農業大学校に入学してきた非農家出身者は、どの様な眼差しや期 待を抱いて入学をしてきたのか。また、卒業後の生活はどうなっているのかを、農業大学校へ入学し た4名の学生を対象に在学時、卒業後と追跡的に調査した。
4名選定の理由とし2009年12月に、農業大学校在学生徒を対象に行った聞き取り調査が契機となる。
農学部1年(35名)2年(28名)を対象に、入学の動機、卒業後の動向などを尋ねた。農家子弟学生 の場合は「進路、就職先が無い場合は実家に戻る」という声が聞けた。また、非農家出身学生からは
「深く考えた事が無い」という声も多く聞けた。その様な中、卒業後の動向に特に強い不安や関心を 抱いていたのが、本稿で取り上げる4名である。
4名の非農家出身者を対象に、生い立ち、入学の動機、卒業後の動向といった詳細な事柄を聞き取 る事ができた。非農家出身学生が就農をする際、どの様な課題や障害があるかといった事を考察でき るといった点も選定の理由である。農業大学校の在学中の様子と、卒業後の動向について、個別の ケースを記していく。
5.分析結果 5.1-全体編一
(1)入学生の推移
農学部の募集定員は、2学科より構成され各専攻別にコースが別れている。2学科合わせての募集 定員は60人となっており、受験者は入学願書提出時に第2希望までコースを明記する事になり、出願 の状況等により各コースの均等化を図っている(表2)。
表2大分県立農業大学校学科区分及び募集定員 農学部
区 分 学科・コース名
水田普通作コース
農 学 部 総合農学科 野菜コース 花きコース 果樹コース 総合畜産科
専攻科
科 名 専攻名
専 攻 名 農産園芸専攻 畜産専攻
募集定員
60人
募集定員 10名
出所:大分県立農業大学校学校要覧'')
農学部と専攻科の年度別入学生の推移を見ると、農学部にあっても2002年度以降は、2003年度の65 名(定員60名)を最盛期に以後減少を続けている事が確認できる(図2)。専攻科は2002年度4月の 開設以来、一度も定員を満たしておらず2007年度には過去最低の4名(定員10名)となっている(図
5。)
(2)入学生に占める非農家出身学生の割合
下記、図6は2002年から2007年までの農学部に入学した学生に占める非農家出身学生の割合推移で ある。2002年入学生44名に対し非農家出身者14名(32%)2003年入学生65名に対し非農家出身者27名 (42%)2004年入学生53名に対し非農家出身者22名(42%)2005年入学生45名に対し非農家出身者17 名(38%)2006年入学生44名に対し非農家出身者18名(41%)2007年入学生32名に対し非農家出身者
9名(28%)と、6年間の平均割合は38%となっている。また、入学生徒数は、2003年の65名を最高
として、減少の傾向にある。この様な入学生の減少傾向に対応するためには、魅力ある学校づくりが 必要となった。その策の一つとして、同校は2007年8月31日に学校教育法に基づく専修学校へと移行
した。そうすることで、農学部を卒業すると短期大学卒業と同等の学歴が付与される事となった。そ うすることで、4年制大学への編入試験の受験が可能となった。これまでの、卒業時進路選択におい て就農、就職、以外に新たに進学という選択が可能となった。編入学により進路選択の幅が広がった 事に対しては一定の評価はできる。しかし、筆者が聞き取りをした中では、「大学受験に失敗したか
図5大分県立農業大学校入学生推移 出所:農業大学校改革計画素案より筆者作図'2)
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図6大分県立農業大学校の入学生に占める非農家の割合推移 出所:農業大学校改革計画素案より筆者作図'31
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ら入学した」「公務員採用試験の為の時間稼ぎのため入学した」といった声も聞かれた。厳しい表現 ではあるが、結果的には高校卒業後に進路先の無い学生の、隠れ蓑として機能している一面もある。
この様な事に対し、最も懸念される事は、農業大学校が予備校化する恐れがあるという事である。仮 に、今後編入学の実績を積み重ね証明した結果、編入ができる事を目標に入学する学生が増加したと しても、在学中の最大の目標が編入学をする事となる。つまり、進学率が増加するほど、就農率は確 実に低下する。これでは、就農のための準備教育機関であるという、本来の教育目的からは逸脱する 事になり、本来の使命である、地域農業の担い手輩出機能は衰弱すると言わざるを得ない。
(3)卒業後の進路
現在、農業基盤の備えない者が新たに農業へ参入する際には農地確保、資金確保、住居確保、非常 に多くの課題がある。大分県立農業大校の卒業生の進路の中で、農業自営という項目がある。しかし、
ゼロからの状態から新たに農業経営の基盤を成した自己創業型就農か、既得の農業基盤を活用しての 実家等継承型就農かの明記はされていない。農業自営という項目の実態は実家継承型就農を意味して いる。悪く言えば就職先が無く、実家に転がり込んだ様なケースもカウントされている(図7)。
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大分県立農業大学校の喫緊の課題とし就農率の低さがある。2004年から2007年迄の卒業生で実際に 農業法人に就職した学生は、毎年一桁程度である。筆者が聞き取りした中では、県や市の臨時職員、
道の駅や生産物販売所へ就職した場合も農業関連産業として取り扱っている。
『大分県立農業大学校改革計画素案」において、卒業時就農率低下の理由とし農業大学校は農業基 盤を備えていない非農家の入学が増加した点を強調している。しかし、特記すべき点として、入学者 に対する卒業生の進路傾向をみると、農業基盤を備えている農家子弟でさえも農業外の進路を選択し ている事が確認できる(図8)。
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図7大分県立三重農業大学校卒業生の進路状況一農業科一 出所:農業大学校改革計画素案より筆者作図'4)
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5 . 2 一 個 別 事 例 一
個別の事例を示すに先だち、農業への新規参入者の定義を整理する必要がある。秋津元輝(1998)
は農業への参入動機として「事業志向」的動機と「生活志向」的動機の二つがあるとし、新規参入者 の定義として以下のように分類している。
①非農家出身者が開業地に新たに農業基盤を築き農業経営を開始する場合
②農家出身者だが、分家などによって既存の農業経営の継承を受けることなく新たに農業基盤を築き
Z0口s(H1匂 Zロロフ(H1動
・事例3.H(23歳)(農業大学校へキヤリアアップ、現状の生活からの脱却を目指して入学。結果 的には卒業時農業法人へ就農する。秋津の分類では④にあたる)
私立高等学校を中退後、職業に従事しながら通信高校卒業し、農業大学校へ入学
・事例4.K(29歳)(農業大学校へ就農するために入学。秋津の分類では①にあたる)
工業高等学校卒業後、会社員、退職後個人事業主、転職後、農業大学校へ入学
1幸匡“ず5急卒=~。。“曇“◇
先ず、事例1(T氏)は、高等学校卒業後、大分県立農業大学校へ入学をした。Tは就農の為に農 図8大分県立農業大学校入学生に対する卒業時の就農割合
出所:農業大学校改革計画素案より筆者作図'51
農業経営を開始する場合
③既存の農家へ婿入り、嫁入り、夫婦養子として入る場合
④農家・農業法人へ雇用される場合
⑤収入の基盤は他の職業におきつつ、自給自足的農業を新たに始める場合
このうち、行政等が考える新規参入として対象とされるのは①②となる。①②の場合は、既存の農 業基盤を持たない状態で、しかも独立した農業基盤を築く必要があるので、政策的な支援が最も必要
とされる部分であり、しかも政策的に関与しやすい部分であると指摘している。
調査対象である大分県立農業大学校の卒業生の進路動向をみると、卒業時の新規就農の割合は極め て低い位置にあり、実際に非農家出身者が農業へ新規参入をしようとしても④以外の選択は難しく、
農家の子弟ですら農業以外の進路を選択している現状ある。そこで、次に、実際に大分県立農業大学 校へ入学した、以下4名の学生に対し行った聞き取り調査の内容を詳述する。なお、事例に記された 年齢は2009年12月時点の年齢である。
・事例1.T(19歳)(農業大学へキャリアアップを目的に入学)
普通科高等学校卒業後に農業大学校へ入学。卒業後、大学編入。
・事例2.M(24歳)(農業大学校へ就農するため入学。秋津の分類では①にあたる)
4年制大学卒業後に農業大学校へ入学
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業大学校へ入学した訳ではない。農業大学校への入学をキャリア形成の場と考えて入学をしている。
就農出来ないというズレを明らかにするという本稿の目的とは合致しないが、農業大学校へ就農を目 的とせず入学した学生の一例として取り上げる事にする。
次に事例2(M氏)は、4年制大学卒業後、農業へのビジネスチャンスを感じて、農業への参入 を志して、農業大学校に入学をした。しかし、卒業後は就農をせずに、他産業へ従事をしているが、
就農への夢は諦めていない。
事例3(H氏)は、就農を目的に農業大学校には入学していないが、結果的には卒業後、農業法人 へ就農した事例である。最後に事例4(K氏)は、転職し農業への参入を志して農業大学校へ入学を した。2年間の農学部の学習の後、専攻科に進学をした事例である。4人とも共通している点は非農 家出身者という点である。
(1)事例1.T氏
Tは大分県大分市のT地区の出身である。T地区は、新日本製織大分工場、昭和電工といった大規 模工場が隣接する地区である。Tは父、母、兄、の4人家族である。父は、大分市内の中核規模の電 気工事会社へ勤務している。父の故郷は大分県由布市の庄内である。赤梨が特に有名であり、父の実 家も梨山を所有している。現在はTの祖母が梨山の管理を行っている。Tは小学校時代サッカー、中 学校時代はテニスと活発的で体を動かす事が大好きだった。
中学校卒業後、Tは大学進学を目指して大分市内の普通科高校へ進学した。しかし、雰囲気に馴染 めず、何の為に勉強をするのかと悩む事が多かった。学校は退学することなく通ったが、卒業後の進 路に関しては特に明確な目標があった訳ではない。漠然とではあるが、どこかの大学へ進学する気持 ちはあった。Tが大学の選定をする中で、熊本県の私立大学農学部に興味をもった。理由として、父 の実家に梨山があるし、大学を卒業すれば何か仕事があるのではないかという気持ちであった。
Tは同大学が実施するAO入試を受験した。試験当日は、自らのプレゼンをするが、Tは農業と環 境の問題や、農薬の環境に及ぼす影響といった内容の学習がしたい旨を伝えた。しかし、結果は不合 格となった。その後、明確な進路の設定が無かったが、出来れば理系の大学に進学したいと考えてい た為、進路先を探したが興味を持てる大学がなかった。進路の選定に悩んだTに対して当時の高校時 代の教員が、「おまえは、農業科を受験しているようだが、最悪の進路先確保として受験してみない か」と進められたのが大分県立農業大学校である。
農業大学校は、1年間の寮費、授業代、経費を含めても60万円もかからない。両親には「万が一の 保険として受験する、賢用も安いから取りあえず受験してみる」と伝え受験した。試験は合格しその 後、Tは本命の進路先を模索していたが、見つからず、留年して大学受験をしようとしたが、担任か らは「農業大学校卒業後大学に編入学できるみたいだぞ」と聞かされ編入をする事を目標として入学 をした。
Tは農業大学校入学後の学校の授業に関して「正直面倒だ」という。学校の一日の大きな流れは午 前中教室において座学を中心とし、午後は同校の所有する農地にて作業を行うといった内容である。
座学に関しては、農業に関する内容の教科は目新しく面白いが、一般教養に関しては興味が持てな かったようだ。午後の作業実習についても体力トレーニングをしている感じで、収穂できた作物を両 親にあげたら喜ぶぐらいであったという。
Tの研究する作物はトマト栽培であった。手間を掛けて収穫が出来るという感覚については面白み があった。将来的にはトマトの勉強を他大学の農学部で扱ってみたとも考えた。農業大学校在学中に 行われる、必修科目として「農家実地研修」というのがある。実際の農家に赴き、寝食を共にして農 作業をする事を通じて、農業に対する理解興味を深める事が目標とされている。Tはトマト農家の実 習を希望したが、受け入れ先が無く三つ葉栽培農家へ行くこととなった。
2年生の進路を選択する時期に周囲が騒ぎ始めていた。十分な進路先が無く、JAの求人に対して 大半の学生が受験をした。Tも編入学を考えていたが「運良く合格するといいな」と軽い気持ちで受 験をしたが不合格であった。しかし、Tは本命が編入学と考えていたので特に気落ちもせず進学先を 探していた。しかし、Tは編入学受験を実施している大学を探しても農業系統の学科は非常に試験が 難しく、うまくいかなかった。そこで、教育学部といった他学部の受験も検討し農業大学校の進路担 当に相談したが編入額に関するノウハウや実績が無く情報の収集を自身でゼロの状態から行う事と なった。卒業を直前に迎えたが、就職先も、進学先も確保できない状態であった。その様な中、大分 県の私立大学が指定校編入学試験を実施する情報を知り、受験をして合格した。
農業大学校卒業後、Tは編入学した大学で頑張っている。入学した学科は「発酵食品」を学ぶ科で ある。現在、編入学し理科教職の履修をしており、将来的には中学校現場で働く事を目標としている。
Tに対して「農業をする気持ちはないのか」と聞くと、「今は大学での学習だけで精一杯である」「就 職し生活が安定したら、自分の食べる位は栽培できたらと思っている」「農業法人等へ就職しても良 いけど、やはり収入の面で正直不安が大きい」と答えた。Tは農業が好きとか嫌いという問題ではな
く、職業として一定の保証を期待することが難しいと考え、職業としての就農は考えていない。
(2)事例2.M氏
Mは、他の農業大学校学生と違い、特異な経歴をもっている。Mは京都の生まれで、家族は両親 と兄からなる。入学前は、一人暮らしをしていた。両親も農地や山林を所有していない、非農家の出 身である。高等学校卒業後に直ぐに就職進学はせず、短期のアルバイトを繰り返していた。社会経験 を得てMは「大学で学んでみたい」という思いから、進学を考え始めた。その後、大分県の私立大学 へ進学する。
Mは大学では主に語学教育や、アジア諸国での経営問題といった事柄を学習した。国際色豊かな 学校の性格上、各国から強い学習意欲を持った学生が集まり、良い刺激になり、4年間の学習をする 上でのモチベーション維持に役立った。
卒業を迎える4年生の時期に、Mは経営に関する内容を学習する中で「農業」に関して興味を抱 いた。理由としては、消費者の安全性や健康といった「食」へ対する興味関心の高まりをキーワード に、農産物の生産、販売、又は加工商品の提案開発を行えば大きな市場として期待ができると考えた からだ。これまでの農家が作物の栽培だけではなく、消劉者の視点に立ち、農作物等に付加価値をつ け販売する事ができれば、将来的に農業は大きなビジネスチャンスとして十分に価値があると考えた からだ。Mは農家に必要なものは、効率的な栽培方法や、作物を消費者に届ける販売方法を含めた、
農業経営自体であると考えたのである。今の農業は全体的にみると、収益性も他産業に比べて、良い とは言い難く、全体として過酷な労働の印象が強く、農業従事者が減少してきているのは、やはり農 業の収益性の問題が一番大きいとMは指摘している。収益性がよければ、仕事が多少過酷であっても、
農家数や従事者数の減少は発生しなかったのではないかと考えている。その後Mは、インターネッ トで情報を収集し、大分県立農業大学校の存在を知り入学する事となった。
実際、Mが農業大学校入学後に「農家実地研修」や体験活動を通じて強く感じたのは「多くの農 家は、経営概念に対する認搬が甘いのではないか」という点である。多くは、股協を通じ市場へ出荷 するシステムを採用しており、他者依存型システムであるという。Mは、従来型農家にあっては、
農協へ作物を出荷する事に専念し、農協の提示する企画基準内の作物を育てる栽培技術に特化してい ればよく、収稚後出荷した後は、担当者任せであると考えている。よって、直接消劉者の声を聞くこ とも無く後の改善に活用することも出来ない。先ず、独立したビジネスとして、成り立たつ為には、
自らが経営者という自覚をもち、生産、出荷、販売の一連を担う必要性があると考えている。生産者 自らが作った農作物の生産労働に、どれだけの経費を要し最終的に利益がどの程度あったのかを把握 する必要があるいう。その上で、何処に経営上の問題点があるのか診断を行い、対策・修正を加える ことで、経営の効率化を行う事が可能となる。「これからの農業は、従来の様な依存傾向型ではビジ ネスとして成り立たない」とMは断言する。
Mの卒業後の進路予定は新規就農である。農業大学校の備える農業資材や圃場完備された農地や 設備のおかげで、技術を学ぶには非常に良い環境にあって満足している。しかし、肝心の作物の栽培 にどれだけの資金を必要として、鮫終的に市場に出荷したとしたらどのくらいで販売され、どのくら いの利益がでるかといった内容に関しての学習をすることが出来ず残念であるとしている。Mは、
仮想的でもよいので金銭的ながれを把握する事ができなければ、学校で行う農作業実習は、あくまで 農作物を育てるための作業訓練で終わってしまうと指摘している。自分自身が新規就農をするにあ たって、基本的な金銭の流れを一切知ることが出来ず不安という。
Mが農業大学校へ入学し2年間の学習期間を終えた。新規就農を志していたが、現在は地元京都 に帰り、学習塾の諦師として生計を成している。何故、新規就農をしなかったかという質問に対し、
大分県で新規就艇をしようとしても、知人や人脈がない。一時期は農業法人への就職し、技術を身に つけ将来的に独立し股業へ参入をする事も考えた。しかし、仮に10年法人で仕事をして技術を身につ けたとしても、自身が参入するときは農地の選定、資金の確保をする為には、ある程度の借金をする 必要性があり不安を感じ止めた。将来的には、農業で勝負をしてみたいという思いも強く持っている が、先ずは仕事をして資金を貯める事が先決であると判断した。その為には、農業法人への見習いで は、貯金することが難しく、収入の良い塾の講師が効率的に稼げると考えたのである。今後Mは、
新規就農を秋極的に受け入れ実施している市町村や、補助金制度に関して情報収集を行っていき自分 の夢が形に出来ることを望んでいる。
(3)事例3.H氏
Hは大分市の出身である。母(清掃業)姉(看護師)長男(不動産業)次男(会社員)といった家 族構成である。Hは三男で一番年下であり、自分より上の兄弟は独立して生計を立てている。父親は Hが小学生の時に蒸発し行方不明になっている。Hは中学校時代、恵まれた体を活かしてハンドボー ルを始めた。自身の興味があったという事も、中学校卒業時にはチームの主力として活躍する立場に あった。中学校卒業後の進路にはハンドボールで有名な県内の私立高校へ進学した。当時、Hの家庭 は母子家庭であった為、ハンドボール特待生として学費が無償であった鞭が大きな決め手になった。
高校入学後、Hはハンドボールに熱中していたが、思春期特有ともいえる遊びを覚え、集団で深夜 俳掴を繰り返すようになった。その後、高校の欠席が続き2年に進級する事ができず高校を退学する こととなった。高校卒業後は暴走族とよばれる集団に入り改造バイクで毎晩走り回っていた。しかし、
遊び回る生活が一変した。夜遊び後の帰宅途中、日も上がらぬうちから歩いて仕事に出かける母の姿 を見て以来、夜遊びを止め仕事を探すことにした。
中卒という事に対し、世間の対応は思ったよりも厳しかった。品終的には18歳と年を偽って建設関 係の会社に潜り込んだ。しかし、梅雨時期や工期の関係で長期間仕事が無いという事も多かった。将 来の不安を感じ、19歳の時、通信制の高等学校に入学をした。その後、3年間の学習の末に卒業を迎 える事ができた。
農業大学校入学の経緯
入学をした決め手は金銭的問題であったそうだ。本心としては歴史に興味があったので、史学科系 の大学に進学したかったが、学費、生活費の問題があり、母親に依存する事は難しく選択する事が出 来なかった。
折角、高校卒業の切符を手にしたので、元の不安定な生活から抜け出したかった。そこで金銭的負 担の少ない学校を探した。同時に、奨学金や育英会といったものを活用する事も念頭においた。しか し、奨学金を受ける事はできず進路先が無い状態であった。その様な中、当時の担任が大分県立農業 大学校の存在を知らせてくれた。2年間の寮生活と3度の食馴、学劉や雑費を含めても、年間60万、
更に2年生の時にはドイツ研修も行く金額も含まれている。Hは農業に対し何ら興味は無かった。し かし、卒業すると短期大学卒業の扱いになる、ということを知り学歴を得ることが出来るという点に 興味を抱いた。
問題は、2年間120万の資金をどうやって準備するかである。幸いに農業大学校には独自の貸付制 度が存在した。就農支援資金である。就農支援資金とは、新たに農業を始めようとする人に対し、必 要な資金を無利子で融資する制度である。
就農支援資金の種類は、就農研修資金、就農準備資金、就農施設等資金の3種類が設定されており、
農業大学校への入学という内容は、就農研修資金の融資対象項目となっている。融資を受ける際に、
二人の保証人を求められた。そこで、母親と親族にお願いをした。融資を受ける事が出来た金額は、
一月当たり金5万円とし、卒業までの在籍期間である24ケ月分の、合計金学120万であった。Hは就 農支援資金という制度の恩恵を受け、高校卒業後に大分県立三重農業大学校に入学した。
就農支援資金と職業選択
Hは農業大学校に入学したのが22歳であったが、入学後の学校生活は「それなりに楽しかった」と いう。Hが入学し1年が経過する頃、彼女ができたのである。彼女は同じ農業大学校に通う年下で あったが、長い交際の末にHは、彼女との結婚を真剣に考え出した。
Hは本来、座学よりも、実際に体を動かす事が好きで、特に午後の「農作業実習」には興味を示し 積極的に取り組んだという。入学した当初は「農業」に対し、全く関心を抱いていなかったが、将来 の職業とし「農業」という選択を考える様になった。そこで、Hは卒業後、彼女と結婚するという目 標の為に就職活動を行った。
Hが実際に就職活動を行う際に苦労したのが、学校に送られてくる求人数の絶対的な少なさ故に、
雇用条件を比較検討する事すら、出来なかったという点である。更にHが最も悩んだのが、毎月の給 料の低さであった。Hが農業大学校へ入学を決めた理由の中に「安定的な職業確保をしたい」という 点があったが、農業大学校に送られてくる、農業法人の求人票に記されている給料は、決して高いと はいえない会社が多かった。
そこで、Hは彼女との結婚の為に、農業分野以外の求人を探すようになり、自らハローワークに通 い、好条件で雇用してくれる、重機関係を扱う会社を見つけた。Hは直ぐに、会社に連絡をし、面接 を行った。面接の結果、農業大学校卒業後に雇用をしてもらえるという内定を得た。
卒業後の、進路も決まり、残る学校生活を満喫するだけであった。しかし、新たな問題が浮上した。
学校の職員に「卒業後の進路は決まったか」と尋ねられ、Hは卒業後の予定を伝えた。すると、話は 思わぬ方向に展開し、就農支援資金の話になり「卒業後、農業関連の仕事に従事しなければ、融資し た金額は一括返済になる」という事実内容を知ったのである。
Hは直ぐに、貸し付け元に「一括返済を行う」という内容の事実確認を行った。結果は、「就農支 援資金は、就農の為に要する融資なので、就農しなければ直ちに全額返済を行うものとする」という 内容であった。当然、農業大学校卒業後、直ちに120万円という金額を一括返済するという選択は難
しい。Hに対する負担は大きく、現実問題として一括返済は不可能であった。Hの選択できる職業は、
「農業」以外なかったのである。
農業法人への就農
Hは内定を受けていた会社に事情の説明を行い、内定の取り消しを行った。新たな就職活動を再開 する中で、大分県T市0町の農業法人から誘いを受けた。誘いを掛けた農業法人は主にトマト生産 を行っており、栽培・出荷・販売と独自のルートで展開している法人である。今回、法人は社員とし 常勤の職員を雇用するのは初めての試みだという。Hは、法人からの「将来的にはのれん分けをした い」という誘いと、就農支援資金の一括返済をしなくて良いという事もあり0町の農業法人に就職 を決めた。就職するにあたり法人からは給料や勤務条件といった内容はおおよその事を聞いた。「今 後販売によっては給料も上げていく」「将来的には新たな施設の理事を任せたい」といった言葉に期 待をよせてHは農業で真剣にやっていく価値があるかもしれない決意したのである。将来的には、
「人並みに生活できる程は渡せるから」といった言葉を信じ、新規参入したのである。
就農をしてその後
Hは、農業法人へ就職をした。Hは農業大学校在学中、トマトの専門的な学習はしていなかったと いう。Hはトマトに関する知識を備えないまま、雇用型の新規就農を行ったのである。先ずは腿業大 学校卒業後の居住地の選定を行うのだが、Hは彼女と同棲をする事にした。最初に、借りたアパート は農業大学校付近のアパートであった。Hの勤務する法人までは、車で1時間程であり往復2時間通 勤をしていた。Hは毎月、給料の手取りは12万である。その中から通勤の為などのガソリン代4万、
食費、生活費等を引くと1~2万程しか手元に残らない。更には、仕事で用いる、雨具、手袋、長靴 に関しては自己負担の為、生活は楽ではなかった。しかし、Hが頑張れたのは、「将来的には、新た な法人の理事長としてやって貰いたい」「農地を分け与えてやる」といった言葉があったからだ。
トマト農家に従事して1年半が過ぎた。だが、Hは現在(2011/09)退転職を考えている。理由と しては、第一に生活が出来ない事がある。先ず交通費が負担になっている為会社付近の市営に引っ越 した。しかし、家の中には家具といったものは無く、食事をするのも直接床に置いて食べているのが 現状である。
第二に、入社する当初は時期を見て給料の見直しをし、貸与も出すという話であったが、実際は給 料の変化はなく、所得的に苦しい状況である。この事を会社に相談すると「ウチの会社だけだと生活 がきついなら、アルバイトをしなさい」といわれた。特に退職を考えさせる決め手となったのが、給 料の明細を受け取るときに会社の社長から「お前の給料すぐないな」と冗談交じりで言われた言葉で あった。
第三に、田舎の地区独自の慣習に疲れたという点である。地区の運動会、道路の掃除、草刈りへの 参加といった苦役に参加する事に抵抗があり、「何で、俺は農地も持っていないのに、他人の農地の 世話をする必要があるのか」会社で農業はしているけれど、地区の農業はしているつもりはないとい うのが本音である。例えば、通夜葬儀の時は、付き合いの無いような人であっても参加しなければな らない。折角の自分の時間や予定を変更してまで強制の参加を求めてくる事が理解できないようだ。
以上の事柄が絡み合って、転退職を考えている。その後、退職をしようかと大学校の恩師に相談を した。当時の恩師は現在、転勤で振興局へ勤務しており、「盟後大野市でピーマン栽培の新規就農者 を受け入れている」という情報を得た。
その後、ピーマンの新規就農担当者と会い話を聞いた。「ピーマンは市場の価格が安定しており、
新規参入としては扱いやすい作物です」「実際に、参入をするとなると1年間は里親の元で学習をし てもらい、その後独立して営農していきます」といった内容であった。しかし、「新規に参入するに は最低でも400万程必要になります」という金銭的問題に直面した。担当者からは「新規参入者向け の融資制度もありますので、保証人2人いれば大丈夫です」と説明を受けたが、成功するか不安のあ る状態での400万の借り入れは不可能であると判断した。
Hは農業へ実際に1年以上関わってみて「意外とおもしろい」と感じている。しかし、一方では年 齢的に将来の事、子どもの出産などを考えると、収入面で厳しい現状があると考えているようだ。H の就職した法人は農業大学校より2名の就農を受け入れた。もう一人は、先日退職をした。退職の契 機は父親の勤務する大手の味噌工場で中途の採用試験があって、合格したのである。一人になったH は、会社の役員に相談すると「給料を上げる事はむずかしい。もしお前が辞めたなら新しいのを雇え ば良い。その方が、会社も補助が出て負担が少なくて済む。」との解答であった。一時は、他の農業 法人等へ就職をするという事も考えたが、金銭的条件に大差は無く取りやめとした。
Hは現在、可能であるならば早い時期に転職を考えている。しかし、借り受けした就農支援資金は、
離農後一括返済を求められる事になっている。Hは、就農支援資金の120万を誰かに借りて返済を出 来ないか考えているようである。最終的に、貸してくれる人がいなかった場合は、貸し付け元に直接 相談に行ってみようと考えているそうだ。Hは今後どの様な生活設計をしていくか非常に悩んでいる。
(4)事例4.K氏
Kは、現在農業大学校の2年生(2009年12月時点)である。年齢は30歳(※2012年現在32歳)であ
る。現在農業大学校の学生の中では、リーダー的存在で、周囲の学生からの信頼も厚い。Kは大分市
内で生まれ、小学校から高等学校卒業までを過ごした。Kの父は大分にある、大手製鉄会社の社員で ある。
Kは、中学校までは学校の部活動に熱中し、活動的な学生であったという。優れた身体能力により、
中学校時代は器械体操の九州代表選手となり、各県の尚校監督から誘いを受けていた。
中学校の成績は上位層にあり、進学高校も十分に狙える位置にあったが、いち早く金銭を稼ぎたい という思いから、工業高校の電気科へ進学した。就職活動解禁後、早速熊本県の会社へ就職の内定を 決めた。
Kの入社した会社は、電話関連の工事会社で、仕事も熊本県のみならず、九州各県を飛び回ったよ うだ。入社後の5年間は、何かを考える暇も無く、賢明に職場と自宅の往復を繰り返す。現場を任さ れることも多くなった。
そ ん な K に 転 機 が 訪 れ た 。 K が 新 人 の 教 育 担 当 に な っ た の で あ る 。 数 ケ 月 が 過 ぎ あ る 飲 み 会 の 席 で給料の話になり、入社5年目のKよりも大卒の後飛の方が多くの給料を得ている事実を知った。
「企業の歯車で良いのか」と自問自答する日々が続き彼は会社を辞職した。
退職して半年ほどが経過した後、彼の仕事を評価していた関連工事会社が、Kに直接仕事の依頼を 持ち込んできた。結果的には1年もしない内に、元の仕事に戻った訳だが、社員ではなく個人親方と して従事する事になった。生活としてはサラリーマン時代より忙しくなったが、収入の面は非常に満 足していた。
農業大学校入学の理由
Kは多忙な工期を繰り返していた。しかし、26歳の時に体調を壊し、実家に療養の為に帰郷した。
体調も回復したKが社会復帰の為に選んだ、仕事の条件は、給料よりも労働環境を重視して探した という。丁度、臨時採用の求人があって中学校の用務員として勤務する事になった。
仕事の内容は鈎定や、特別支援学級の生徒の為に、作物(イモ)を育てることもあった。何もない 土の中から作物を収穫出来た時は、何とも言えない達成感があり、次第に強く農業の世界に興味を 持ったという。
その後、28歳の時に大分県立農業大学校に入学した。入学した理由は、農業へ興味を持った事、自 分で経営すれば企業の様に「定年退職が無い」という事であった。農業を一生の仕事としてやってい ければという思いであった。
Kの農業大学校へ対する不満
Kは大きな期待を抱き入学をした。確かに期待どおり、農業技術を学ぶという点においては、満足 のいく内容であるという。しかし、一般教養である講義科目の内容においては、必要性を感じないと いう。その理由として、Kは農業大学校で創業型の新規就農をする為の知識、技術を学ぶ為に入学を しており、就職活動をする為に入学したのではないという。学校側は、就職試験のため面接練習の時 間を確保しているが、Kが学びたいのは新規に農業への参入はどのようにしていったら良いか、農地 の確保や、どの程度の規模から農業経営を開始するのが良いのかといった点である。Kは新規に参入 するための情報は学生側から強く要求をしないと情報が得ることが難しく、「学校側は、新規の創業 を想定しているのか」と疑問さえ抱いた。更に問題のある点として、KはMと同様に農業大学校の