• 検索結果がありません。

コミュニケーションの主体 : アダム・スミスの場 合 (5)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "コミュニケーションの主体 : アダム・スミスの場 合 (5)"

Copied!
17
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

コミュニケーションの主体 : アダム・スミスの場 合 (5)

その他のタイトル He Who Communicates : Adam Smith (5)

著者 妹尾 剛光

雑誌名 関西大学社会学部紀要

巻 6

号 2

ページ 73‑88

発行年 1975‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00023187

(2)

ー ア ダ ム ・ ス ミ ス の 場 合

(5)‑

妹 尾 剛 光

小論は,法と経済とにかかわるスミスの次の講義,草稿,著作に見ることができるスミスのコ ミュニケーションの主体としてのありかたを探ろうとしたものである。スミスが生きている間に 出版された「国富論」の

5

つの版(初版

1776

年 ,

2

1778

年 ,

3

1784

年 ,

4

1786

年 ,

1789

年)の間のちがいに, コミュニケーションの主体としてのスミスのありかたのちがいを 見ることはできないと私には思われる。邦訳は下記のものを参照したが,引用文などは自分で訳 出した。引用文中( )内は引用者。

1 .  

Lectures on Justice,  Police,  Revenue and Arms delivered  in  the University of  Glasgow by Adam Smith reported by a student  in 1763 and edited with an intro duction and notes by Edwin Cannan. Oxford: at the Clarendon Press, 1896. (高島善

哉・水田洋訳「グラスゴウ大学講義」日本評論社,

1947)

以下

L.C

「講義」) と呼ぶ。引用文 などの該当個所は,

Part,Division, Chapter. Page. 

の順に数字で示した。

2.  An early Draft of Part of the Wealth of Nations (c. 1763) in William Robert Scott 

"Adam Smith as Student and Professor" Glasgow: Jackson, Son Company, 1937,  pp. 315356. 

以下

D.

(「草稿」) と呼ぶ。引用文などの該当個所は,

Chapter.Page. 

の順 に数字で示した。

3.  An Inquiry into  the  Nature and Causes of  the  Wealth of  Nations by Adam  Smith edited, with an introduction, notes, marginal summary and an enlarged index  by Edwin Cannan. London: Methuen & Co. Ltd.,  2vols., 1904. 

(竹内謙二訳「国富論 上・中・下」(東京大学出版会,

1969) 大内兵衛•松川七郎訳「諸国民の富ー~五」(岩波書

店 ,

19591966,

岩波文庫)) 以下

W.N.

(「国富論」) と呼ぶ。引用文などの該当個所は,

Book, Chapter, Part, Article. Volume, Page. 

の順に数字で示した。

スミスは,人間の社会を動かしている基にあるものは,その社会で生きているそれぞれの人間 の利己心であるけれども,それは,社会の中で生きている人間の利己心であって,自然のままの 利己心でないから,基本的には「公正な観察者」の共感をえられて正義にかなうところまで和ら

‑ 73 ‑

(3)

関西大学「社会学部紀要」第62

げられた,自分以外の人間と自分とができるだけともに生きてゆくことができるように働いてい る利己心であると考えていた。

人間を市民社会に入らせる根諒は原始契約

anoriginal contract

であるという考えを,スミ スは事実に反しているとして斥けている ( L . ,  

1,  1,  1.  pp.  1113.)

。その理由の一つは, 自 分が住む社会を自由に選びとるということは普通の人間にはできない,「そこ(自分が生まれたと

ころ)で生まれるようにしようかどうかと相談をうけたわけではない。・・・・・・たいていの人間はほ かの言葉も国も知らないし,貧しくて,自分が生まれたところから遠くないところに住みつづけ て,生きてゆくために働かなければならない。」 ( L . ,

1,  1,  1.  p. 12.)

ということである。その ような人間を市民社会に入らせている根源の力は,それぞれの人間の中に働いている権威

autho rity

と利益

utility

という二つの力

principles

である,とスミスは考えている

CL.,1,  1,  1. pp.  911.  1,  1,  16. p. 68.)

ある人間をその人間以外の人間にとって権威あるものとしているものは,年上であること,肉 体と精神の力が強いこと,家柄が古いこと,とりわけ,多くの富を持っていることである ( L . ,

1,  1,  1.  pp. 910.  W.N., 5,  1,  2. 

I I ,  

pp.  203206.)

。利益という力はそれぞれの人間の 利己心に根差していると考えられるけれども,スミスはそれが自分一人の利益という感覚である 以上に,社会をつくっているすべての人間の利益という感覚であって,社会がないよりは,ある 方がすぺての人間にとって,だから自分にとって,利益であるという感覚であるということを指 摘している

CL.,1,  1,  1.  pp.  1011. cf. 

L . ,  

1,  1,  5.  pp. 3132.)

。利益という力が社会 をつくっているすべての人間の利益を求めるものであるかぎりで,それは「社会の中で正義と平 和を生き続けさせる力」

(L.,

1 ,   1 ,  

1.  p. 10.)

であると言うことができる。たとえば,市民社会 の中で統治している者とされている者とは,互いに相手から侵されるべきでない自分の領域を,

その境を正確に決めることは決める者が人間でしかないし,社会のありかたが具体的にはさまざ まであるからできないけれども,持っている

CL.; 1,  1,  14.  pp. 5562.  1,  1,  15.  p.  62.  1,  1,  16.  pp. 6672.)

。「全く完壁な政府というものはない。しかし, それに反抗しようとす るよりは,ある程度の不便には甘んずる方がよい」

CL.,1,  1,  16. p. 69.)

けれども,権威は無 制限なものでないから,統治している者の行為が理不尽であったり,無分別であったり,愚かで 残虐であったりすれば,統治されている者の抵抗は法にかなったものでありうる ( L . ,

1,  1,  16.  pp. 6869.)

とスミスは考えている。

市民社会を人間の中で支えている力についてのこのスミスの考えを,ウェーバーの「正当な支 配の三つの純粋型」についての考え

(MaxWeber ,,Wirtschaft und Gesellschaft, Grundriss  der verstehenden Soziologie, fiinfte, revidierte Auflage, besorgt von Johannes Winckel mann" J.  C. B. Mohr, Tiibingen, 1972  (1.  Aufl.  1921),  SS. 122142.)

とくらぺて特に

目につくことは,スミスが「カリスマ的支配」を独立した一つの型と考えていないということで あって,それはスミスの考えている市民社会が日常的な性格の社会であるということを示してい

‑ 74 ‑

(4)

る(拙稿「コミュニケーションの主体—アダム・スミスの場合 (4)-」

(関西大学社会学部紀 要第 2 巻第 1 号 ) I l I ,   N 参照)。

市民社会の中の人間に分業を行なわせ,自分の生活に必要なものを自分以外の人間とたがいの 生産物を交換することによって手に入れるようにさせている力は,人間を市民社会に入らせてい る利益という力と同じ力である。分業は「一人の人間にもう一人の人間と何かを交換させようと する,人間の自然の中の直接の性質からうまれてくる」

CL.,2,  2,  5.  p.  169.  cf.  D., 2.  pp.  338339.)

。この性質の基にあるのは「人間の自然の中にあのようによく見ることができる,自 分以外の人間を説得しようとする原動力

principleto persuade

(L.,2,  2,  5.  p.  171.)

「 自 然によって非常に強く刻みこまれているので,それより弱い原動力が必要としているような力の 追加を必要としない」

CL.,2,  2,  16.  p.  232.)

「利己心

selfinterest

CL.,2,  2,  17.  p.  253.  cf. 

D . ,  

2.  p.  341. 

W.N., 

2,  3.  I p.  321.)

である。 しかし,人間を交換へと向かわせている

この性質が,人間以外の動物にはなくて,人間にだけ,しかもどの人間にも,あるものであって

(L., 2,  2,  5.  p.  169. 

D . ,  

2.  pp.  338339.), 

さまざまな人間がつくりだしたさまざまなもの をいわば「共有財産

commonstock

CL.,2,  2,  5.  pp.  170  171.  D., 2.  p.  343.)

として 互いに相手の人間の自然な欲求を満たしあおうとするものであるということは, その利己心が

「公正な観察者」の共感がえられて正義にかなうところまで和らげられた利己心であることを示 している。

人間をたえず交換へと向かわせているこの性質は,「国富論」では,「人間の自然にあって,そ れ以上に説明ができない根源の力の一つ」であるよりは,むしろ「理性と言葉という力からの当 然の帰結」 ( W . N . ,

1,  2.  I,  p.  15.)

であると書かれている。そこでは, 人間に勤勉

industry

によって富をつくらせ,倹約によって富を蓄積させているものは「自分の生活状態をよりよくし ようとする欲求

thedesire of bettering our condition

」 ( W . N . ,

2,  3.  I p.  323.  cf. 

W.N., 

2,  3.  I,p. 325.pp. 327328.  3,  3.  I,p. 377.  4,  5.  II,p.  43.  4,  9.  II,p.  172.)

であっ て,この欲求は「母親の胎内からわれわれについてきて,墓に入るまで決してわれわれを離れな い 」 ( W . N . ,

2,  3.  I p.323.)

根源的な欲求であるけれども, 目前の享楽を求める情熱とはち がって「普通,穏やかで,冷静なものである」 ( W . N . ,

2,  3.  I p.  323.)

と書かれている。

「講義」で「あらゆる国民の法の基盤であるべき, さまざまな一般原理を尋ねる学問」

CL., Introduction,̲, 1.  p.  1.)

としての法学

Jurisprudence

をとりあげたスミスは,その正義の 項で, (判断をする人間の認識は不十分で, またゆがみうるということは別にしても,人間が置 かれている具体的な状況がちがうと,その具体的な状況について判断をする人間が知っているこ との内容がちがうから)何が正義かという正義の具体的な内容は人間が置かれている具体的な 状況がちがえばそのちがいに応じてさまざまでありうる, ということを見出している

(e.g.L.,  1,  1,  14. pp.  5556. p.  58. p.  61.  1,  3,  1.  pp.  107109.  1,  3,  3.  p.  112.  1,  3,  4.  pp.  115116.)

。人間が生きてゆくために必要なものをつくったり,手に入れたりするときにそ

‑ 75 ‑

(5)

関西大学「社会学部紀要」第62

れぞれの社会で日常どうしても入りこまなければならない状況は,その社会で人間の利己心が働 く方向を決めている基本的な要因であるから,それはまたそれぞれの人間の利己心をもとにつく りだされている,その社.会での「1;常の人間関係(スミスはこれを,国家の一員としての人間,家 族の一員としての人間,人間としての人間にわけて考えている CL.,1,  Introduction. p.  5.))  の枠組を決めている某本的な要因でもある。人間が生きてゆくときにどうしても入りこまなけれ ばならない状況がどういう状況であるかは, 基本的には,その社会でその時までに蓄積されて きた人間のわざ,特に人間が生きてゆくためにどうしても必要なものをつくったり,手に入れた りするときの人間のわざのありかた(これは大きく見れば,狩猟hunting,牧畜 pasturage, farming,商業 commerceと変わってきた CL.,1,  3,  1.  pp.  107108. cf. W.N., 5, 1,  1. 

I ! ,  p

p.  186192.  5, 1, 2. JI, pp.  202209.))によって決められている。だから,人間のわざが 進むなどして,人間が日常入りこまなければならない状況が変わると,人間の利己心の基本的な 方向が変わるし,日常の人閻関係の枠組が変わる (e.g.L.,  1,  1,  3.  p.  25.  1,  1,  4.  pp. 26 

28.  1,  1,  6.  pp.3234.  1,  1,  7.  p.  35.  1,  1,  10.  p.  42.  W.N., 3,  2.  I, pp. 364  366.  3,  3.  I, pp. 374375.  4,  7,  3. JI, p.  140.  4, 9. 

I ! ,  p

p.  166167.  5,  1,  3,  2. 

I ! ,  p

p.  264265.  5,  1,  3,  3. 

I ! ,  p

.  288. pp. 294295. p.  299.)。それに応じて,ある時代,

ある国で適切であったことが, 別の時代, 別の国では適切でないということがありうる (L.,1,  13.  pp.  5153. cf. W.N.,  3,  2.  I, pp.  360362.  5,  1,  3,  2. JI, p.  255.  5,  1,  3,  3. 

I ! ,  p

.  287.)ということをスミスは指摘している。

一つの社会の地理的な状況は,その社会が人間のわざの改良をどこまで受け容れることができ るかを決めるから,社会のあり方を決める一つの要因であると考えられている (L.,1,

1 ,  

3. p.22.)

他方でスミスは,人間には自然な正義の感覚があって,それぞれの社会で適切である事柄の背 後にはゆるぎない自然な正義の法があると考えているCL.,1,  Introduction. p. 8.  5,  Introduc tion.  p.  265.)。 しかし同時に, 人間のわざが進むのとあわせて人間性が磨きあげられてくると

いうことが,正義の感覚のありかたを変えて,日常の人間関係のありかたを変えることもあると いうことをスミスは指摘している CL.,1,  2,  1. p.  75.  1,  3,  4. p.  121.  5, 

―, 

2. pp. 271   273.)。たとえば,西ヨーロッパの社会では, キリスト教が社会の支配的な宗教として確立され たということが,その宗教の組織に属する人々の利害に導かれることを通して,その社会の中の 人間の人間性を麿きあげる方向に働いてきたCL.,1,  2,  1.  pp.  7374. p.  78. p. 80. pp. 8889. 

1,  2,  2.  p. 92.  1,  2,  3.  p.  101.  5, ̲, 2. p.  272.  5, ̲, 4.  pp.  276277.)。 人間に自然 な正義の感覚は, 社会のありかたによっては変らない根源のところに根差したものであると同 時に,人間の歴史の中で,成熟した人間にふさわしい細やかな区別ができるまでに磨きあげられ てくるものであるとスミスは考えている (cf.Adam Smith "The Theory of  Moral Senti ments"  London, 1759.  6,  4.  pp.  547551.)。それはスミスの場合,正義が,問題の状況に ついてさまざまな事情をよく知った上で,その事情に応じて働くそれぞれの人間への共感を通し

‑ 76  ‑

(6)

てうみだされてくるものであるということを示している。

"

正義は,しかし,人間の社会のはじめから同じようによく行なわれていたのではない,とスミ スは考えている。

社会のはじめ,狩猟民の時代には,「二,三日の労働の価値を越える財産がなく」

(W.N., 5,  1,  2.  II, p.  202.)

権威の基礎は年齢か人間の力かが上であること以外になかったから,社会の 中での不正と外からの侵略とを防ぐ市民政府の力は弱かった。「いつ何時自分の持ちもののすべ てが奪われるかもしれないという時に,人間には勤勉であろうとする動機などない」

(L.,2,  2,  16.  p. 223.)

から,そこでは,富が十分に蓄積されることも,分業が行なわれることもなかっ

(L.,1,  Introduction. p.  8.  1,  1,  2.  p.  15.  2,  2,  2.  p.  160.  2,  ・2,  3.  pp.  161162.  2,  2,  16.  pp.  223224. pp. 233234.  3, ‑・1. p.  239.  5, ̲, 4.  p.  278.)

牧畜民の時代には,かなり大きな財産と,それ故に,財産の不平等とがつくられるから,財産 と生まれとにすぐれている者の権威は大きく,その社会で必要な程度の正義を行なう市民政府を つくりだした

CL.,1,  1,  2.  pp.  1415.  W.N., 5,  1,  2.  II, pp. 202207.)

。 しかし, そこで は公正な正義がはじめから行なわれていたのではなくて,力や富のある者が自分の利害のために 正義を曲げることがよくあった

(W.N.,5,  1,  2.  II, pp. 208210.)

ローマ帝国の下でかなりの程度の文明にたどりついていたヨーロッパの西部は,ゲルマンとス キチアの野蛮民族に荒らされてからは,貧困と野蛮のどん底に落ちこんでいた。征服した民族の 族長や指導者たちは土地の大部分を独占し,この独占は長子相続制と限嗣相続制とによって固定 されていった

(W.N.,3, 2.  I p.  360.)

。都市の住民も農村の住民と同じく,領主の下で奴隷に近 い状態に置かれていた

(W.N.,3,  3.  I p.  371.)

。しかし,頷主たちとは利害が対立する勢力で あった諸都市には,固王たちがやがて自治共同体としての特権を与えてそれらを独立させた。そ

のことによって「諸都市には,秩序と善き政治…・・・諸々の個人の自由と独立とが•…••うちたてら

れ 」

(W.N.,3,  3.  I p. 376.) , 

それらを基に諸都市には外国商業

foreigncommerce

と外国商 業からうまれた精巧な製造業

thefiner and more improved manufactures

とが発展した

(W.N., 3,  3.  I, pp. 371381.  cf. L., 1,  1,  89.  pp. 4041.)

。 都市でのこの外国商業と 製造業との発展は,その近くの農村の状態に影響を与えて, 「それ以前には, ほとんど絶えず隣 人たちと戦争をし,自分の上の者に奴隷のように従属して生きていた農村の住人たちの間に,秩 序と善き政治とを, またそれらとともに,諸々の個人の自由と安全とを次第に導き入れた。」

(W.N., 3,  4. p.  383.)

大土地所有者は都市の外国商業や製造業が差し出すものの中に自分の 土地の余剰生産物と交換できるものを見出したために,それまでその余剰生産物で養っていた従 者を次第に解雇し,借地人を土地の耕作にぎりぎり必要な数にまでへらし,残された借地人には

‑ 77 ‑

(7)

関西大学「社会学部紀要』第62

長期の借地契約と引きかえに地代をできるだけ引き上げた。しかし,そのことによって借地人は 大土地所有者から独立してゆき,大土地所有者が持っていた権力は次第に衰えて,農村でも正義 がいつも変らず行なわれるようになっていった

(W.N., 3,  4.  I pp. 382394.  cf.  L.,  1,  1,  10.  p. 42.)

。農村でも精巧な製造業が,外国商業からうまれた都市の製造業には立ち遅れたけ れども, どの社会にもある普通の家内製造業からうまれて自力で成長していった

(W.N.,3,  3. 

pp. 380381.)

スミスが生きていた当時のイギリスの社会はこのような歴史をへた後でうみだされてきた社会 であって,さまざまな問題点を持っていた(たとえば,富の配分が仕事の大きさ,辛さに比例し ておらず,「いわば社会の重荷を背負っている者が,一番わずかの利益をえている。」

(L.,2,  2,  3.  p.  163.  cf.  D.,  2.  pp. 327328.)  cf.  L.,  2,  2,  17.  pp. 255259.  W.N., 5,  1,  3,  2.  II, pp.  267268.)

けれども,奴隷制が廃止されて

(L.,1,  2,  3.  pp. 99102.), 

一夫一妻制が確立し ている

(L.,1,  2,  1.  pp. 8081.)

上に,「さまざまな政治形態が適切に抑制しあっていて,自由 と財産とを完全に(人間の社会に出来るかぎりで完全に, であろう)保障する」「自由の合理的 な体制

arational system of  liberty(L.,1,  1,  11.  p.  45.  cf. W.N., 5,  1,  2.  II, p.  212.) 

を持つようになった社会である,とスミスは考えていた。イングランドの法は,ヨーロッパの他 のどこの国の法よりも長い伝統に支えられていて,一番正確で,一番よく人間の生命,自由,財 産を保障するものであった

(L.,1,1,  12.  pp.  5153.  W.N., 3,  2.  I, pp. 367369.  4, 5.  II,  pp. 4243.  cf. 

「イングランドの税金は, 他のどこの国の税金よりも適切な仕方で集められて いる。」

(L.,3,  ̲, 2.  p.  245.  cf.  W.N., 5,  2,  2,  4.  II, pp. 383384.))

正義がよく行なわれている社会はそれまでの人間の長い生活の積み重ねを通してはじめてうち たてられてきた, と言うことができる

(cf.L.,  1,  1,  12.  p.  53.)

。 そのような社会がうちたて られるのに一番決定的であったことは,人間が自分の生活に必要なものを手に入れるときに使う わざが磨きあげられてきたということである

(cf. Millar

によれば,スミスは「講義」の正義の 項で「公けのことと私的なこととについての法が徐々に進歩してきた跡を,一番未開の時代から 一番磨きあげられた時代までたどり,生きてゆくのに必要なものと,財産の蓄積とに役立つ人間 のさまざまなわざが,法と政治の中でそれに見合う改善や変化をうみだしてきた,その影響を指 摘しようとした。」

(DugaldStewart "Account of the Life and Writings of Adam Smith,  LL. D." Sec.  I. ・‑Adam Smith "The Theory of Moral Sentiments" London: Henry  G. Bohn, 1853  (Reprinted by Augustus M. Kelley, New York, 1966.),  p.  xvii.))

。 同 時に,正義が十分に行なわれるためにはそれだけの強さを持つ市民政府が必要である,とスミス は考えていた。「誰でも, 正義の法を侵さない限り, 自分の利益を自分なりの仕方で完全に自由 に追い求めることができる」「自然な自由

naturalliberty

という制度」

(W.N., 4,  9.  II, p.  184.)

が行なわれている社会で,主権者の義務は,

1. 

その社会をそれ以外の社会の暴力,侵略 から守ること,

2. 

その社会の構成員を他の構成員の不正,圧制から守ること,つまり,正義を

‑ 78 ‑

参照

関連したドキュメント

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

私たちは、2014 年 9 月の総会で選出された役員として、この 1 年間精一杯務めてまいり

北区らしさという文言は、私も少し気になったところで、特に住民の方にとっての北

を負担すべきものとされている。 しかしこの態度は,ストラスプール協定が 採用しなかったところである。