• 検索結果がありません。

<オルターナティヴ>を求めて―中田重厚さんの足跡

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "<オルターナティヴ>を求めて―中田重厚さんの足跡"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

 中田重厚さん(…本稿のような文章を綴る場 合、通例に従うとすれば「先生」と敬称される べきであろうが、ご本人の人柄から推して「さ ん」と呼称させていただきます。・・・)が、

2008年3月末日をもって定年退職されるに際 し、大学人・中田さんの足跡を個人的感慨を交 えて綴ってみることにします。

 中田さんとの付き合いは、私が明星大学にお 世話になった時に始まります。6号館に在った 研究室は、現27号館のように研究室のスペース が潤沢ではなく、私は中田さんの研究室に間借

りをさせてもらう状況でした。但し、こうした 状況だったからこそ、日常的に色々と話し合う 機会を持ち得た次第です。その当時の、二人に 共通する社会学研究上の問題関心は、アメリカ 社会学が支配的な潮流としてあるなかでの「産 業・労働社会学」の現状に対する疑問でした。

すなわち、日本における産業・労働に関する社 会学の研究遺産と裁ち切られたままでのアメリ カ産業社会学一辺倒の潮流(―ミクロ的な状況 への実証研究の隆盛)に対する疑問でありまし た。

《中田重厚教授の定年退職を記念して》

<オルターナティヴ>を求めて―中田重厚さんの足跡

堤  史 朗

中田重厚教授(2008年1月11日 最終講義にて)

(2)

 こうした問題関心を共有した二人は、松島静 雄著『労働社会学序説』・『労務管理の日本的特 質と変遷』、青沼吉松著『わが国における産業 と労働』、尾高邦雄編『鋳物の町』等へのレヴ ューを通じて、社会学的な「認識論―方法論」

を巡る問題領域へと引き寄せられて行くことに なりました。この問題領域に関する良きアドバ イザーが山下淳志郎さん(1998年3月末日退職)

であり、ここに三人の共同研究がスタートを切 ることになりました。三人の共同研究は理論研 究と調査研究の統合化を志向するものとしてお こなわれました。特に、信州高遠・弥勒高地、

駒ヶ根・宮田耕地、甲州・八ヶ岳野辺山高原、

山形・「北方教育運動」及び上山・山元中学校

=「山びこ学校」等での研究途上における想い 出話しには印象深いものがあり、また牧挙があ りません(―その中心は、常に、中田さんであ りました)が、ここでは省略することにします。

 こうした共同研究を通じて垣間見ることを得 た中田さんの学問的姿勢およびその思想的原点 ともいえる処をまとめると次のようになりまし ょうか。

 時々刻々と流れ行く学問的潮流及びその社会 的背景を成す日常的生活様式のあり様に対して は、常に一定の距離を取り、<いま、ここ>で のあり様は本当にこのままで良いのか?の問い が、<いまひとつ>のあり様を問うべき必要が あ る の で は な い の か、 と の 発 問 に な り、

“alternative”へのこだわりに結び付き、この 点こそが中田さんの学問への取り組みの原点で あろうと考えられるのです。

 この“alternative”へのこだわりは、単に学 問上の事柄にとどまらず、中田さんの日常生活 の過ごし方においても確認されるものです。そ して、その思想的な核を成すものは、日常の生 活世界を日々意味であるものとして過ごそうと する生活者の一人ひとりの営みの重視であり、

その営みを「市民」そのものの姿として首肯的 に把握しようとする中田さんの「市民」観(イ メージ)の形成に係わるものということが出来 ます。(―中田さんの「市民」観を巡っては、

あまりにも楽観的に過ぎるのではないか、等々 の議論のあったことが今にして懐かしい想い出 として想起されます)。

 中田さんのこうした「市民」観は、「地域主義」

概念と接合されることで、個々の地域社会に根 差した地域文化(=職人文化)の掘り起こしへ と向かい、そしてその延長線上での自然環境保 全運動への積極的な関与へとその問題領域は拡 大、展開していったものと要約することが出来 るでしょう。

 例えば、フィールドワーク・ノート―『建築 業者と施主(住宅依頼主)との信頼関係の喪失 とその回復への方途―今日の“住まいの文化”

を 考 え る ―』( 明 星 大 学 社 会 学 研 究 紀 要 No.21)、『微生物との出会い―平塚市のハム工 場見学から「食」と「環境」の問題を考える―』

(同書No.26)の著述はその例証であり、その思 想性は、「消失の危機にさらされている野の植 物の身になって考えることによって人は自然と 自らの自然とを同一視することが可能になる」

のであり、「今日の工業社会をどう克服してい くかについての重要なバースペクラィヴ」、す なわち、「“自然的共世界”というもう一つの視 角から世界を見ると、これまで見えなかったも う一つの世界が見えてくるのである」(書評―

クラウス・マイヤー=アービッヒ『自然との和 解 へ の 道(Wage zum Frieden mit der  Natur)―環境政策のための実践的自然哲学』、

同書No.27)との観点を採用することで、中田 さんの自然観は結実化されたものと考えられる のです。

 中田さんのこうした論理的展開は、彼本来の 研究領域である産業・労働に関する論稿におい

(3)

ても確認されます。イギリス労働史における特 殊伝統的な労働者統制のあり様を産業民主主義 制度の観点から分析した論稿において、「特殊 な伝統の中にこそ、未来の人間労働、人間社会 のあるべき像―もう一つの普遍性―を求めてい く原点が存在する」との観点から、「労働者大 衆が、それぞれの仕事の領域で自己を確立する こと、そしてそのための制度的条件を整えるた めの運動」が、世界のいたるところで、様々な 形で広がっていくことに期待を寄せていて、こ の点にも中田さんの「市民」観を確認すること が出来るでしょう。(『産業民主主義と労働者統 制―イギリス、ショップ・スチュワード制の経 験に学ぶ―』、同書No.16)

 中田さんのこうした論稿に一環している社会 学的な認識論―方法論を要約すれば以下のよう になるのではないでしょうか。

 「ゆたかな諸規定を含む具体的な総体を得る ためには、まず現象の示す偽りの具体性を破壊 することからはじめなければならない」とする 中田さんの社会学的視点は、「総体性(Totalitut)

の観点」に据えられ、「それはものごとを直接 的に与えられた状態のままを経験的に認識して いく中で全体像を浮かび上がらせる見方・方法 ではない。それは、社会的現実が、独自の構造 をもち、自己発展し、自己形成する全体として 抱える見方」なのである(『方法的観点として の「具体性としての総体性」』、同書No.6)とす るところに確認されるものです。

 何が大切であり、また大切にすべきものが何 であるのか、に常にこだわりを持ち続け、そし てまた、常に、今ひとつの方途―“alternative”

にこだわり続けることで、明星大学社会学研究 室での研究・教育活動に積極的関与をはたして きたのが中田重厚さんでした。中田さん、長い 間本当にご苦労さまでした。

 そして私の個人的感慨として、色々な場合で の助言、教示に対して本当にありがとうござい ました、と最後のお礼を言わせて下さい。

(4)

中田重厚教授略年譜

1937(昭和12)年8月14日  静岡県函南村(当時)生まれ 1956(昭和31)年3月  神奈川県立川崎高等学校 卒業 1957(昭和32)年4月  横浜市立大学文理学部文科 入学 1961(昭和36)年3月  同上 卒業(文学士)

1962(昭和37)年4月  日本大学大学院文学研究科修士課程 入学 1964(昭和39)年3月  同上 修了(文学修士)

1964(昭和39)年4月  日本大学大学院文学研究科博士課程 入学 1966(昭和41)年4月  明星大学人文学部社会学科 嘱託助手

1967(昭和42)年3月  日本大学大学院文学研究科博士課程 単位修得満期退学 1967(昭和42)年4月  明星大学人文学部社会学科 専任講師

1974(昭和49)年4月  同大学 助教授 1981(昭和56)年4月  同大学 教授 2004(平成16)年4月~2006(平成18)年3月

      人間社会学科(学科名称変更)主任 2008(平成20)年3月  同大学 定年退職

学会所属 日本社会学会      日本労働社会学会

       

中田重厚教授著作目録

      著書・論文名         発表年月        発表誌名・発行所等 労使関係における普遍と特殊  1971(昭和46)年3月

『明星大学社会学科研究報告』第3集

企業別組合の成立根拠と「家」意識(共著)

1972(昭和47)年1月

『現代社会と社会学』駿台出版社、所収

共同体的土地慣行の予備的考察(共著)

1974(昭和49)年3月  『現代社会学論叢』時潮社、所収 柳田民族学の基礎視点(共同執筆)  1974(昭和49)年3月

『明星大学社会学科研究報告』第6集

ムラ共同体と近代化(共同執筆)  1976(昭和51)年3月

『明星大学研究紀要-人文学部-』第13号

地域性を考える  1980(昭和55)年3月

(5)

『明星大学社会学科研究報告』第12集 戦後の産業変動と地域性(共同執筆) 1981(昭和56)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第1号 コント実証主義に関するノ―ト  1984(昭和59)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第4号 方法的観点としての「具体性としての総体性」

1986(昭和61)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第6号 産業構造の転換と地域労働市場の再編

 ―企業進出に伴う地域内労働循環と家族の生活構造―(共同研究)

1991(平成4)年度~1992(平成5)年度 文部省科学研究費補助金を受ける 殖産興業の展開と岡谷近代製糸業Ⅱ

 -1890年代における地域社会の構造転換-

 (岡谷製糸業と経営・労務管理の展開)

1993(平成5)年3月

『明星大学研究紀要-人文学部-』第29号

労働の社会学への序説

 ―人間労働の質的変化についての覚え書き―

1994(平成6)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第14号 Self-Sufficient Agriculture and Rural Traditional Culture:

 A Case Study of Sakae Village in Japan

1995(平成7)年11月

Ⅵ International Conference of Asian Sociology (Abstract) Conference

Secretariat Beijing, China.

産業民主主義と労働者統制

 ―イギリス、ショップ・スチュワード制の経験に学ぶ―

1996(平成8)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第16号 ギルド社会主義の思想と運動

―G.D.H.コールの産業自治にもとづく民主主義的社会主義の構想を中心として―

1997(平成9)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第17号 伝統産業と地域社会  1998(平成10)年2月

『明星大学理工・人文学部父兄会会報』No.102

クラフト的技術にもとづく地場産業の社会的研究

―イタリアのflexible specializationモデルから三条市の金物学を考える―

1999(平成11)年5月

『明星大学研究紀要-人文学部-』第35号

建設業者と施主(住宅依頼主)との信頼関係の喪失とその回復への方途

―今日の“住まいの文化”を考える―

2001(平成13)年2月  『明星大学社会学研究紀要』第21号

「生活の質」の観点から(1)  2002(平成14)年11月

(6)

『日野市民自治研究所ニュース』第2号

「生活の質」の観点から(2)  2002(平成14)年12月

『日野市民自治研究所ニュース』第3号

「テクノロジー批判理論」についての覚え書き

―自然および人間労働の脱文脈化(decontextualization)、労働の非技能化(deskilling)を中心に―

2004(平成16)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第24号 微生物との出会い

 -平塚市のハム工場見学から「食」と「環境」の問題を考える―

2005(平成17)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第25号 労働は社会的絆か

 -ドミニク・メーダの所説から-  2006(平成18)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第26号 クラウス・マイヤー=アービッヒ著、山内廣隆訳『自然との和解への道(Wege zum Frieden mit  der Natur)

―環境政策のための実践的自然哲学』(上)(下)

2007(平成19)年3月  『明星大学社会学研究紀要』第27号

参照

関連したドキュメント

身体主義にもとづく,主格の認知意味論 69

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

テキストマイニング は,大量の構 造化されていないテキスト情報を様々な観点から

 しかし、近代に入り、個人主義や自由主義の興隆、産業の発展、国民国家の形成といった様々な要因が重なる中で、再び、民主主義という

(ロ)

統制の意図がない 確信と十分に練られた計画によっ (逆に十分に統制の取れた犯 て性犯罪に至る 行をする)... 低リスク

4 アパレル 中国 NGO及び 労働組合 労働時間の長さ、賃金、作業場の環境に関して指摘あり 是正措置に合意. 5 鉄鋼 カナダ 労働組合

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん