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『正法眼蔵』の解釈をめ ぐる諸問題

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Academic year: 2021

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(1)

■弘前大学 哲学会 (論文)

『正法眼蔵』の解釈をめ ぐる諸問題

‑ 『正法眼蔵』の思想 と般若系経論の関係 ‑

は じめに

『止法蔵』の難解 さは、定評 となっているが、その難解 さの原因が どこにあるのか、今 だに解明されていない。そのため lE法眼蔵』の現代語訳が、近年相次いでお こなわれて いるが、そのいずれ を とってみても語句の解釈、特に道元の造語 とされてる藷の解釈が 非常に暖味にされ、解釈 されずにそのまま使用 されている例が多々見受けられる。 (l)

このよ うな傾向ので、私は 『止法眼蔵』の解釈を国難にさせている原因は、主 として 次の三点にあるのではないか と考えている。

道元の思想の基本が、曹洞宗教学では 「本証妙修」 と云われているが、この語の しい解釈がなされているのか。

道元は

、『【

仁法眼蔵』においてどのよ うな経論が論理の基本 となっているのか。

C3) 道元は、『正法眼蔵において何を説 こ うとしたのか

今L1は、このような点を中心に多少の資料性 を加味 して私な りの考えを述べたい。

1.

『正法眼蔵

各巻 を形成する経論

(イ) 『正法眼蔵』各巻の示衆年次 と使用経論について

『正法眼蔵』の基本思想を探 る 上で、私は定本 と各巻の示衆年次を比較検討をす ること によって、問題点の 一つを解明することができないか と考えている。そ こで、『止法眼蔵』

の各巻を示衆年次別に配列 し(2)、その巻で扱われている経論 ・祖録 を書き出 してみる と、

次のよ うになる。 (経論」は経典 と論歳、「祖録」は禅宗祖師の語録、 ( )内の数字はそ の巻の引用が認め られ る数で、 (内数)は公案 (問題視起) として長文で原 文に近い形で 扱われているもの、「外典」は仏教関係以外か らの引用、また示衆年月 日は陰暦であるた め ( )内に内暦を入れた、ここでは紙幅の都合上その年の示衆順に巻名 と、経論 ・祖録 をま とめて挙げている。)()

寛善三 (1231)一難道話 (拾遺)(1巻)‑ この春、京都建仁寺より山城探草に閑居 (経論)雑宝蔵経 (2)、法華経 (3)、苫傍厳経 (1)、大 度論 (2)、大乗起信論 (1)

l卜観輔行倦弘決 (1)、阿育 主経 (1)、

(録)雲門録 (1)、宏智広録 (2)宗鏡録 (1)、博燈録 (ll)、禅苑清規 (1)、会要 (4)、普燈録 (1)

天福元 (1233)‑ =(城深草に観音導利興聖霊林寺を開 く一第2摩糾般若波羅蜜、第1

‑ 15‑

(2)

硯成 公案 (2巻)

(経 論)大般若経 (4(4))、般γi蜜 多心継 (3)、法華経 (1)、 首相厳維 (1)、人

度 論 (1)、唐 沢摂 大乗 論

( 1 )

(祖録) 如浄語録

( 1 )

、宏広 録

( 4 )

、広 燈録 (1)、 園悟録

( 1 )

、 (外 典) 名義抄 (1)、

◎ 嘉禎川 (1238)第 7 ・頼明珠 、 (1巻)

(経 論)法 華経 (2)、書薩理路維 (1)、首相厳維 (2)、

(録祖)宏 神仏 録 (5)、 天竜如浄録 (2)、従容録 (2)、樽燈録 (9(1))、会 要 (5)、ll̲ 燈会 元、

(外 典)

荘「

◎ 延応 元 (1239)一 第 5心定価、節50洗面 、節54洗浄、 (3巻)

(経 論) 賢愚 因縁繕 (2(1))、法 華経 (6(1))、六 卜華厳経 (4(4))、北本浬架経 (1)、

歴経 (2)、摩 糾僧 祇律 (3(2))、調律 (1)、根本説 ▲切有部毘奈耶雑 事 (1)、

人比 丘千威儀経 (7(7))、兜網経 (3(1))、倶論 (1)、止観 捕行博 弘決 (1)、

(祖録)宏

広録 (1)、従容録 (2)、樽 心法要 (1)、博燈録 (3(1))、広燈録 (1(1))、

禅苑清規 (ll (4))、趨 州録 (1)、長霊守 卓.禅師語録 (1)、統要集 (1(1))、出家 大 網 (栄 西) (1)、

◎ 仁治元 (1240)‑ 節28礼拝得髄 、第25齢声Irl色、第31諸悪 莫作、第20有情、第 3製 裟功徳 (新草)、節32樽 衣、第29山水経 、 (7巻 )

(経論) 長阿含経 (1)、大楼炭経 (1)、 巾阿 含経 (2(1))含経 (1(1))、悲華 経 (1(1))、人乗本'l:.心地観経 (3(3))、rll一線経 (2)、大荘厳 論経 (1)、法句矧 敵 組 (2)、法 中継 (29)、人積経 (2(1))、観 無最寿経 (1)、北本浬集経 (7)、維摩 経 (2)、侮 龍上経 (1)、金光明経 (1)、金光明最勝 ヨーA.経 (1)、 未曾有 因縁経 (3)、 苫 概 厳 経 (2)、摩 ,河僧祇 律 (2(1))、tJL1分律 (3(1))、根 本 説一石 部 百 一瓶 磨 (1(1))、大比 rT二三 千威 儀経 (2(1))、焚網経 (8(1))、大 度 論 (4(1))、倶舎 論

( 2 )

、情訳摂大乗 論 (

1

(

1

))、立世 阿毘曇 論 (1)、川分律剛繁輔 閲行持紗 (1)、

t‑&伽論記 (1)、法華文句 (1)、唯識論述 記 (1)、大乗義章 (5(1)) 肇 論 (1)、律

感通博 (1)、摩.河」l二観

( 2 ) 、」

1二観 捕行博 弘決

( 3

(1))、附法蔵 因縁博 (1)、法苑 珠林 (2)、像 法決 疑経 (1)、浬襲経会疏 (1)、

(祖 録)博 燈 録 (28 (7))、 普燈 録 (4(3))、会 要 (9(2))、広 燈 録 (3(1))、続 燈 録 (1)、宏智広録 (7(1))、 聞悟録 (2)、越 州録 (1(1))、統要集 (1)、従 容録 (1) 雲 門 録 (1(1))、禅 l【1師 飴 (1)、僧 吏略 (1)、禅苑清 規 (1)、大西域 記 (2

(1))、il'.'・巌録 (1)釈llr]章服儀 (1)、宋高僧博 (1)、臨所録 (1)、不詳 (4(1))、

(外典) 論(1)、蒙 求 (2)、孝経 (2)、通玄 兵経 (1(1))、准南 予 (1)、荘 「 (1)、

◎ 仁治 ‑.(1241)一 第52仏祖 、第39嗣書 、第12法華転法華 (拾遺)、第 8心不†得

. 別

本 心不 叶得、第 19古鏡 、第30着経 、第 3体性 、第 6行俳威 儀 、第34仏 教、第35神、第39 苦、 (11巻)

(3)

(経論) 長

含経 (1)、人般若経 (1)、金剛般1㌧:経 (1 (1))、仁 L護 国般若経

( 1 )

、法 華経 (111 (3))、六十 華厳経 (1)、八十華厳経 (2)北木浬繋経 (7(2))、金光 経 (1)、金 光u)1最勝土継 (1)、 首秩厳経 (3)、像法決疑経 (1)、焚網経 (2)、維摩 経 (2)、人智度論 (2)、倶合論 (1)、法華玄義 (1)、観 無lT摘 ‑:一杯疏 (1)、法苑 4珠 林 (1)、注金剛経疏演 (1)、

(祖録)博燈録 (92 (21))、会要 (37 (7))、普燈録 (5)、統 要集 (8(2))、広燈録 (ll

( 6

)

)

、続統録

( 1 )

、祖党集 (45)、禅苑清規 (1)、園悟録 (

4( 2

)

)

、従容録

( 8)

、 宏智広録 (

7( 2 ) )

、大慧語録 (

1( 1 ) )

、碧巌録

( 4(

1))、雲門録

( 2 )

洞l l l

悟本録 (3(1))、馬祖録 (1)、会元統略 (1)、如浄清涼録 (1)、天童景徳寺録 (1)、臨所 録 (1)、腐居十語録 (3)、金剛組頭 (1)、川老金剛経註 (1(1))、不評 (7(4))、 (外典)易経 (1)、准海集 (1)、老 (‑(1)、荘+ (1(1))、 日本書紀 (1(1))、事物起

原 (1)、貞観政要 (1)、

◎ 仁治 二 (1242)一 第10大悟、第12坐禅蔵、節26向上 事、郡17悠磨、第16行持 f・:卜、

第13梅印 三昧、第21授記、第18観晋、第36阿羅漢、第40析樹子、第15光明、節 4身心学 道、郡27夢 巾説夢、第33道得、第24画餅 、第22仝機、 (16巻)

(経 論)長含経 (1)、 一阿含経 (1)中本起 経

( 1 )

、賢慮 因縁 経 (1)、大般 若 経 (2)、金剛般若経 (2)、般若心経 (1)、法華経 (45 (9))、華厳経 (1)、人I玉稿経 (1)、観無量寿経

( 1 )

、北本浬襲経

( 3 )

、維摩経

( 6( 2 ) )

、菩薩理路経 (

1

(

1

))、

金 光明経 (1)、金光HJ]最勝王経 (1)、 首栃厳経 (2)、千 手干t眼観世音菩薩大悲心陀 羅尼経 (1)、大比丘三千威儀締 (1)、焚網経 (1)、天尊説阿育f̲聾愉経 (1)、摩 僧祇律 (1)唐 訳摂大乗論 (1)、大智度 論 (1)、大乗法苑義林 (1)、華厳 奥旨妄Jヰ 還源観 (1)、摩.iulJr・.観 (5(1))、止観輔行樽弘決 (5)、

(録)樽燈録 (137 (36))、会要 (72 (ll))、普燈録 (6(2))、広燈録 (13 (5))、続 統録 (4)、続 要集 (6)、従容録 (16(1))、園悟録 (ll (5))、雪膏録 (1(1))

山録 (1)、宏智広録 (24 (6))、碧巌録 (2(1))、超 州録 (2)、臨所録 (2)、明覚録 (1)、心PF】林 聞録 (1(1))、如浄天 童録 (1)、如浄 清涼録 (2)、如 浄 再住 浄 慈録 (1)、雲門録 (2)、入店西域 記 (1)、鹿居士語録 (3)、保福従展 ・鵡湖科学 (1)、

禅林宝 (1(1))、禅諸門偶頒 (1)、巌頭全解の藷 (1)、不詳 (2(1))、

(外典)論語 (3)、春秋 左氏博 (1)、 老 (A(1)、後漢書 (1)、文選 (1)、列 (‑(1)、孝 経 (1)仁7子 (1)、文選 (1)、荘子 (4)、 「1屠 易 (2)、 白氏 文集 (1)、准 南子 (1)、

蒙 求 (2)、 史記 (1)、庸書 (1)、

◎ 寛 元元 (合仁治契卯) (1243)一 第23都機、第14空 華、菩提薩唾 四摂法 (拾遺)、節38 葛藤 、第9古仏心、第41三界唯心 (興聖寺破却、7

J j

,lヒ越 (越前 志比 ) 人山)、第42 説心説性、第44棚遣、第43諸法実相、第45密語、第39嗣書、第47棚経、第46無情説法、

第48法性、第49F' l三尼、第51而授 、第11坐禅儀、第53梅華、第55十方 第56見価、節57 福参、第58眼晴、第59家常、第61龍 吟、 (24巻)

(経論) 増一含経 (

1

(

1

))、修行本起経 (1)、傭本行集経

( 4)

、小木起経 (1)、大

‑ 17‑

(4)

般若経 (1)、金剛般若経 (4(1))、仁t:̲般 君波 蜜経 (1(1))、法華経 (79 (20))、

六十華厳経 (1(1))、八十華厳経 (2(1))、無

弄経 (1)、俳説 阿弥陀経 (2)、北 本浬集経

( 5 )

摩経

( 2 )

、金光

(1

(

1

))、諸徳福 田経 (1)、圃党経 (

4( 1 ) )

首秩厳経 (6(1))、肯 兄毘 婆沙律 (1)、焚網経 (3)、人轡度論 (2)、倶合論 (1)、 人乗起信論 (1)、仰説 八人 霊塔 名 号経 (1)、大乗義 章 (1)、阿育上組 (2)、法兆珠 林 (1)、翻 訳名義 集 (1)、大党 人ハ‖弗決疑経 (1)、

(祖録)僻燈録 (109 (31))、会 要 (53 (16))、広燈録 (10 (3))、続 要脹 (9(3))、 普 燈録 (3)、続統録 (5(4))、宏 広録 (13 (2))、砦巌録 (6(1))、雲門録 (3(1))、

闘悟録 (9(2))庵 録 (1(1))、大慧広録 (2(1))、石門林lⅢ録 (1(1))石頭

希遷 (1)、uJはi:録 (1)、臨折線 (1)、馬祖録 (1)、洞 Ill録 (2)、禅林 僧宝樽 (1)、

如浄 天童録 (31 (22))、天 童浄 の語 (8(6))、禅宗頒 古聯珠通集 (2(2))、人天 眼 H (7)、鹿居 f:語録 (2)、般若 多音博法偶 (1)、金剛経餅 (1)、長霊守 阜 師語録

( 1 )

、禅林類衆 (1)、不詳 (

5( 2 )

)、

(外 典)庸書 (2)、蒙 求 (2)、論語 (1)、 史記 (1)、荘子 (1)、

[

Lll舌易 (1)、管 (A(1)、

文節 (2(2))、 (1)、李 白 (1)、 (1)、通俗編 (1)、

◎ 寛元二 (1244))‑ 第37春秋 、第62祖 師 西来意 、節64優曇 華、第63磯無 し心 、第4磯 提心 (新草)、第65如来 全身、第66三昧 王 三昧、節60三十七 品 拝捉分法、第67転法輪、節 69「拍 仁三昧、第68大修 行 (9.1人仏 寺法堂竣工)、 (11巻)

(経 論)長 阿含経 (1)、増阿含経 (1)、修 行本起経 (1(1))、太 上応 木起経 (1)、

俳 本 行 集経 (1)、醤 峨経 (1)、法 華経 (19 (7))、六十 華厳 経 (2(1))、 入墨精締 (1(1))、北 本 浬 磐 経 (4(2))、人 〟等 大 集 経 (1)、維 摩 経 (2)、苫 梼 厳 経 (2 (1))、摩糾僧祇 律 (1)、川分律 (2)、大智度論 (13 (4))、大毘婆舎論 (3(1))、

倶 舎 論 (5)、大 乗 荘 厳 論 (1)、大 乗義 章 (1)、摩 糾止 観 (3(2))、法 界 次第 初 Pl (6(6))、阿帝 王経 (1)、人焚天王 問俳決疑経 (1(1))、 トモ経 (1)

(祖録)博燈録 (71 (5))、会要 (34 (2))、普燈録 (5(3))、統要集 (4(1))、広焔録 (6(4))、明覚録 (6(1))、禅苑清規 (1(1))、宏 広録 (12 (1))、園悟録 (6)、

碧巌録 (2(1))、従容録 (2)、雲門録 (2)、大慧広録 (1)、大慧宗 門武庫 (1(1))、

人慧禅師塔銘 (1)、如浄録 (25 (3))、禅宗頒 占聯珠通集 (5(5))、不詳 (2(1))、

(外典) 論語 (1)、易経 (1)、荘+ (1)、

◎ 寛元 二 (1245)一 第70虚空 、第71鉢 克、第72安居 、第73他 心通、第74壬索仙 陀 婆、節 75出家 (6.15大仏 寺 を永 平寺 と改称 )、 (6巻)

(経論)大般若経 (2(1))、人品般若経 (1)、般若心経 (1)、法華経 (5(1))、北 本浬 襲経 (1)、蓮華而経 (1)、jJJ'広 宝僕経 (2(1))、悌 押 印利天為 母説法経 (1)、 園 党経 (2(1))、焚綱経 (2)、人智度論 (2(1))、法苑疎林 (1)、

(祖 録)侍 燈 録 (18 (5))、如浄 録 (7(4))、統 要 集 (5(4))、会 要 (5(1))、普 燈 録 (1)、続統録 (1(1))、禅苑清規 (13 (4))、園悟録 (3(2))、碧巌録 (2(1))、宏

広 録

( 2(

1))、雲門録

( 3 )

、長霊守禅 師語録 (1)、祖庭 事苑 (1)、黄架構 心法

(5)

要 (1)

(外典)論語 (2)、准面子 (1)、史記 (1)、易経 (1)、文十 (1)、

◎ 建長 J工 (1253)‑ 第12八人人覚 (新草)、 (8.28道元示寂)、 (1巻) (経論)沸 垂般押葉 略説教誼組 (1(1))、大 乗義章 (2(1))、

◎ 建長五 (1253書写)一 第 8 三時業 (新草)、 (1巻)

(経 論) 巾阿含経 (1)、雑阿含経 (1)、増一一阿含経 (4(1))、大宝積経 (1(1))、大

度論

( 2 )

、大毘婆沙 論

( 9( 8 ) )

舎論

( 7 )

、法華文句

( 1 )

、大乗義章

( 4)

、 (祖録)博燈録 (

3( 2 ) )

、大店 西域記

( 1 )

◎ 建 長七 (1255書写)一 第 9L)Ll情 (新草)、節 1山家功徳 (新草)、第5供養諸仏 (新革) 第

6

帰依仏法僧宝 (新草)、第7深信 因果 (新草)、第10四禅比丘 (新旦)

、( 6

巻)

(経 論) 長 阿含 経 (1)、人 般 浬 集 経 (1(2))、起 世 囚本起 雑 (1(1))、雑 阿 含 経 (2 (1))、増 一阿含経 (2(1))、六集経 (1)、悲華経 (1(1))、悌本 行集経 (7(3))、 賢愚 l大1線経 (3(1))、法句愉経 (1(1))、 大般若経 (1(1))、摩詞般若波蜜経

(1(1))、法華経 (12 (2))、北本浬襲経 (8(5))、大 方等大集経 (6(4))、摩経 (1)、価蔵経 (1(1))、悌説希有校最徳経 (1(1))、未曾有囲縁経 ((1)1)、摩 討僧祇律 (2(1))、再見律毘婆沙 (1)、兜網経 (2)、大智度論 (19 (9))、人民婆沙 論 (10 (4))、倶合論 (13 (2))、菩薩地持経 (2(2))、法華文句 (1)、川分律行持 紗 資特 記 (2)、 百論疏 (1)、摩止観 (4(4))、̲lL観輔 行樽 弘決 (10 (10))、法華 三昧俄法 (1(1))、大乗義章 (9(2))、釈氏要覧 (1)、慧林 一一切経音義 (2)、 (祖録)侍燈録 (13 (9))、広燈録 (2(2))、普燈録 (1(1))、禅苑清規 (2(1))、会要

(1)、宏智広 録 (

2( 2 ) )

、園悟録 (

1

(

1

))、大慧録 (

1

(

1

))、

(外典)論語 (2(1))、

◎ 弘安十 ・(1288書写)‑ 唯俳輿イ弗 (拾遺)、 (1巻) (経 論)修 行木起経 (1(1))、法華経 (2)、

(祖録)樽 燈録 (5)、図倍録 (1)、碧巌録 (1)、会要 (1)、石 門林間録 (1)、

◎ 不 明 (示 衆 ・書 写共)一 第2受 戒 (新 草)、第11一・打法 明門 (新 菅)、生死 (拾 遺)、

( 3

巻)

(経 論)悌本行集経 (

2

(1))、六十 華厳経

( 1 )

、大宝積経 (1)、 皆薩理路本業経 (1)、

度 論 (3)、大昆婆沙論 (1)、倶合論 (2)、 大乗義章 (13)、 (祖録)広燈録

( 1 )

、会要

( 2 )

、禅卓E清規 (

1

(

1

))、

(口) 『正法眼蔵』にお ける経論 の取 り扱 い

次に

、『

止法眼蔵』の示衆数 が どの よ うにな ってい るか とい うこ とで ある。 ちなみ に、

『正法眼蔵』九十三巻 の示衆 年次別 の巻数 を挙げ る と、 次の よ うにな る。

覚書 ・‑.(1231)1巻、天福元 (1233)2巻、嘉禎 四 (1238)1巻、延応元 (1239)3巻 仁治 元 (1240)7巻、仁 治二 (1241)10巻 、仁治三 (1242)17巻 、寛元元 (1243)23巻 (7月北 越 人Ilr)、寛元二 (1244)11巻 、寛元三 (1245)5巻、寛元 四 (1246)1巻、建 長上 (1253)

‑ 19‑

(6)

2巻、書写年次のみの巻及びイ用日の巻 (道元寂滅後に収録 された巻)10

現在我々が定本 として使用 している 『IE法眼蔵』は、道元が晩年になって自ら編纂 し し、新章の部分を書きIFl:した り新たに rlltき 卜すなど、将来的に百巻にすることを目指 して いた と考え られている。

『l[法眼蔵』において道元が使している経論 ・祖録は、 L述のよ うに多種 多様な領域 に亘っている。 しか し長年にわたって、元の基本思想について研究者の問で 「法華経」

に依拠 していると考え られているDその焼固lt:̲が表面的には 「法華経」を は じめ大台顕の摩糾 l卜観」や湛然の 「lL観楯行樽弘決」等の天台教学が多数使用 され ているか らである。 しか し、寛元元 (1243.7.16)年の北越人山を期に 「法華経」か らの

jl川が徐々に減少 してきているのは、京都の観音導利輿望Jll:.林寺時代に比叡lrlの圧迫を多 少な りとも少な くしようとした ことと、また京都時代は在俗信徒に対る教化にも力を入れ ていたため、「法華経」が経典の巾では営晩が多 く文章が美文で、誰にで も理解 しやすか っ たことを考える と天台教学系の 「法華経」の引用が多か ったもの と考え られる。

ここで問題 となるのは、寛元元年の北越人111後に道元に思想的変化があったのか、 と言 うことである。 このことについては、多くの学者によって定論 ・石定論が論 じられてい るが未だその結論が目されていない。私は、そのことについて道元の根底にある基本的思 想をどのよ うに捉えるかの問題が横たわ っているのではないか と考えている。

『止法眼蔵において、道元が この よ うに多数の経論や机録を使用 しているのは、経論 や祖録に従 って参学す る必要を説いていることと、 ことさら宗派に とらわれず仏山伝の 仏法を目指 していたことに も、その原因があるもの と思われ る。そのことについて、 証三昧で次のよ うに述べている。

諸仏七俳 より、沸沸祖祖の LF伝する ところ、すなはち証三昧な り。いはゆる、或従 知識、或従経巻な り。 これはこれ仏祖の眼晴な り.」 (r4)

或従経巻の とき

己の皮肉骨髄 を参究 し、 自己の皮肉骨髄を脱落する とき、桃華 情づか ら突出来fH見せ らる、竹声耳根づか ら存廃相聞せ らる」 (5)

「しかあるに、た とひ知識に もしたがひ、た とひ経巻 にもしたがふ。みな これ 自己に し たがふな り。経巻おのれづか ら自経巻な り、知識おのれづか らr知識な り。しかあれば、 参知識は遍参 自己な り。拓 百草はL'JLlな り菌木は自己な り.['

1

己はかな らずJLiTl.A 鹿の功夫な りと参学するな り。 この参学に、自己を脱落 し、 自己を契するな り」 (6)

このことか ら分かるように、道 元に とって経論

祖録を学ぶ ことは坐禅によって仏道を 学ぶ と様なことであったのである。それゆえ、掠始経典か ら特にあ らゆる大乗経典が仏 11:̲伝の仏道であ り、 「般若経法華経華厳経洞嚢経」や密教に関する経論等にや るまで読破 した もの と考え られる。 「般若経典類としては、般若経 を継承 しつつ菩薩 の あ りノを深 く探 った 「華厳経」・「十地経」や 「維摩経」・「首梼厳経」・「宝積経」等があ り、

法華経」、「浄 土経典類」には 「無量寿経」・「阿弥陀経」等があ り、「密教経典類」では

金光経」等である。 さらに祖録については、如浄禅師の影響によって禅宗関係のもの を巾心 として読まれた もの と考え られるが、禅宗は吉蔵 (7)の般若思想の影響を受 けて成

(7)

立 している と云われていることにも原因があるであろ う

道元が読んだ大乗経 典の特徴 を見る と、「般若経系の経 論の多い こ とが 『二lE眼蔵』

の基本思想を考える 仁で 重要な 手がか りと求めることができるであろ う。

2.

『正法眼蔵』の基本思想

定本では 「第 一現成公案節 二摩詞般若波羅蜜 ‑1価性」とな っているが、 示衆年 次別 に見る と 「第 一成公案が示衆 され る前に 「 般若波羅蜜」が示衆 されてい ることと、 「桃性が示衆 され るまでに八年の戚)Jが過 ぎていること、 さらにその間 に 「第 二摩討般若波羅蜜か ら =.性」までに20巻が示衆 されている。 この点を手が か りとして解明す ることにより、多少な りとも基本的なJir,li!をu)Jらかにす ることができる

もの と考え られ る。

(1) 般若」について

弁道話の巻のTJ頭に、

諸仏如来、 ともに妙法を単博 して、阿縛菩提 を証す るに、最 仁無為の妙術あ り。」

「この法は、人人の分 卜にゆたかにそなわれ りといヘ ビも、いまだ修せ ざるにはあ らほ れず、証せ ざるには うることな し」 (R)

と、述べている。 この阿僻 菩提」は、樽 多羅三助 三苦堤の略で、無 r̲rf.等止覚すなわ ち真理の覚 りのことであ り、 ここでは価件 を意味 している と考え られ るO さらに、

すでに証をはなれぬ修あ り、われ らさいはひに‑・分の妙修を単せる、初心の雛遺すな なはち ・分の証を無為の地 に うるな り。 しるべ し、修 をはなれ 評を染汁せ ざ らしめん がために、仏祖しき りに修行をゆる くすべか らざる とを しふ。妙修を放下すれば本証 手 にみて り、本を出身すれば妙修適身にお こなはる」 (9)

この部分は、仏教学 ・禅学において道元の真髄 とされている 「本証妙修を表 している箇 所 とされている。それは、すべての入に価性があ りそれ を5!,fi現す るためには素晴 らしい 最高の修行による としている。 しか し、

なにによ りてか般の正種 を長 じ、得道の時をえん。 (m)

わが朝は、仁智の くににあ らず、人に智解お ろかな りとして、仏法 を会すべか らず とお もふ ことなかれ。いはんや 人みな般若の止種ゆたかな り.ただ承)L'Jす ることまれに、

受用す ることいまだ しきな らん。」 (ll)

と、人には性が艮わ ‑)ていることを り、それ をil,l'i現す るのは 「般若」であることを述 べている。

( 2)

般若」の具体的なあ り方

この 「般若」に対す る考えを受けて書かれたのが、 「第二摩波羅蜜」 と思われ る。

この巻は、前述の とお り 「 成公案」の数ケJ1Hl吊こ示衆 された巻である。 この巻の冒 頭は、道ノ亡によって 「般若心経 」が解釈 された部分である。

観 自在菩薩の行深般若波維蜜多情は、揮身の照 兄 TT.蕗皆空な り。五組は色受想行識な り、7T.枚の般な り。照見これ般若な り。 この宗 旨の開演現成す るにいは く、色即是空

‑ 21‑

(8)

な り、空即是 色な り、色足色 な り、空空 な り.百 草 な り、 万象 な り。」 (12)

と、すべ ての存在が 「空」 で あ る と してい る。すべ ての存在や 現象 (TT̲綿 とは色す なわ ち 物質 また は現象 と して存在す る もの、受 は知 覚作用 、想 は心作用 、 行 は因縁 に よって造作 され 時間的 に移 り変 わ る作用 、識 は認識 作川) は実体 がな いが 、 しか しす べ てが形 相 と し て保持 され てい る。 実体が ないか らこそす べ ての現 象で あ りうるので あ り、すべ て の現象 はすべ て の現象 と して実 相 として仮 の現象 で あ り、頁理 が そ の ま ま現 象 としてその時 々に 現れ てい るので あ る。 この こ とを 見極 め覚 るのが般若す なわ ち 「覚 りを得 る真実 の智慧」

であ り、それ に よって物 事 を正 しくとらえ、真理 を全体的 に直観す る能 力が 必 要な こ と と 考えて い る。 さ らに、般 若 を次 の よ うに分類 してい る.

「般若 披羅蜜十二枚 、 これ 十 二人 な り。 また 卜八枚 の般若 あ り眼 耳鼻 打身意 、 色声香 味触法 、お よび眼 耳 鼻F.・身意識等 な り。 またf)LJ枚 の般君 あ り、苦 集滅 道な り。 また 六枚 の般 若 あ り、布 施 ・浄 戒 ・安忍 ・精 進 ・静慮 ・般 若 な り。 また一枚 の般若 波羅蜜 、而今 現成せ り、阿頼 多羅三貌 三菩提 な り。 また般若 波羅蜜三枚 あ り、過 去 ・現在 ・未来 な り。

また般若 六枚 あ り、地 ・水 ・火 ・風 ・空 ・識 な り。 また四枚 の般若 、 よのつね にお こな は る、行 ・住 ・坐 ・臥な り。」 (13)

これ を さ らに分か りや す い よ うに分類 してみ る と、次の よ うにな るO

‑一枚 の般 若 は、 而今硯戒 の 薄 多羅三森 三菩提」 (無 LlL等 正覚) 三枚 の般 若 は、 「過 去 ・現在 ・未来 」 (時 間)

四枚 の般若 は、 「苦 ・集 ・滅 ・道」 (vq諦) と 「行 ・住 ・坐 ・臥」 (H常 生活 ) 五枚 の般 若 は、 「色受 想行 識」 (存在 の構 成要 素)

六枚 の般若 は、 「布施 ・浄 戒 ・安 忍 ・精進 ・静 慮 ・般若」 (六波羅蜜す なわ ち六つ の修 行 の完成 ) 「地 ・水 ・火 ・風 (万 有生 成 の元 素)・空 (実体 のな い現 象)・

識 (認識作用 )」 (六大)

十 二枚 の般若 は、 「眼 耳鼻 舌 身意、眼根 、耳板 、鼻根 、舌根 、 身根 、意椴」 (十 ∴二人) 十 八枚 の般 若 は、 「眼耳 鼻舌 身意 、色 声香 味触 法、眼 耳鼻 舌身意 識」 (卜八人 ・十八 界) の よ うに、我 々 の外 握 も心的作 用 も日 常/F.活 もすべ て般 若 で が 、 この般 若 自体が空 で あ る と、道 元は 1:.張 してい る。 さ らに、 如浄禅 師 の 「風鈴頒 (ll)を挙 げ、

「先 師lI召弗云 、渥 身似 日掛虚 空、不 問東西南北風 、 一等 為他談 般若 、嫡r東了嫡 了東。

これ 仏嫡 嫡 の談般 若な り。 渥身般 若な り、揮他般若 な り、滞 日般若 な り、浬東 西南 北 般 若 な り。」 (15)

また、 「大般 君波羅蜜 多経第172巻 初分 随 喜廻 向品第31之5」 (16)を例 示 して、

「梯薄伽兜 は般若 波羅蜜 多な り、般若 波羅蜜 多 は是諸法 な り。 この諸法 は空木l]な り、

! 1 :

.不滅 な り、不垢不浄 、不増不 滅 な り。 この般若波 羅蜜 多の現 成せ るは、俳薄伽 兜 の現 成せ るな り。 聞取すべ し、参取す べ し。 供 養敬礼す る、 これ 併薄 伽兜 に奉親 承事す るな

り、 奉観 承事 の沸 薄伽焚 な り。」 (17)

と述べ て、 身休 ・自他 ・東 西南北 のあ らゆ る存在が般若 で しか も 「空 」 であ り、それ は俳 が価 を硯 してい る、す なわ ち真実 を現成 してい る こ とに他 な らない と考えて い るので あ り、

(9)

このことは全ての真実は 「空」を知ることによって見えて くる と考えていると思われ る。

このよ うに、すべての存在が般若の空であるとい う考えを 卜敷きとして書いたのが、「 規成公案」である

第一現成公案」におい、般若波羅蜜 (智慧の完成)に対応 させているその代表的な例 と考えられ るは、次の文である。

仏道をな らふ といふは、 自己をな らふ也。「El己をな らふ といふは、 自己をわするるな り。 自己をわするるといふは

、菌

法に

せ らるるな り。商法に

せ らるるといふは、 自 己の身心および他 己の身心を して脱落せ しむるな り悟速の休軟なるあ り、休歓なる悟 速を長長日'.な らしむ。」 (1H)

と考え られ るO般ITiの完成の修行すなわち仏道をな らうとい うことは 「自己をな らふ也ことであ り、それは 「自Llをわす るるな りとして前fH. rLL]Liをな らふ也」を否定 して、

色即是空、空即是色、空即空の般若が空である とい う前提に戻 して しま う、 と同情に修行 の無限桃を示 している。

(3) 般若」を基本 と した道元の 「空の時間論」

たき木はひ となる、 さらにか‑ りてたき木 となるべきにあ らず。 しかあるを、灰はの ち、薪はさき と見取すべか らず。 しるべ し、薪は薪の法位に住 して、 さきあ りのちあ り、

前後あ りとい‑ ども、前後際断せ り。灰は灰の法位にあ りて、のちあ りさきあ り。かの たき木、はひ とな りぬるのち、さらに薪 とな らざるが ごとく、人 しぬるのち、 さらに牛 とな らず。 しかあるを、生の北になるといはざるは、仏法のさだまれ るな らひな り、 こ のゆゑに不'+二といふ。死の

/

I:̲にな らざる、法輪のさだ まれ る悌転な り、 このゆゑ に不滅 といふ。ll:.も‑・時の くらゐな り、死 もL時の くらゐな り。た と‑ば冬 と春 とのごとし。

冬の春 となるともはず、春の夏となるといはぬな り」 (19)

この部分は道元の時聞論を端川勺に衣現 している箇所であるが、この剃那/l滅論は仏教のす べての学派の認める ところである。 しか し、それを明確に論理的に説明 したのが道元で、

剃那完結の内定の否定による肯定の時間の連続の連続性 と述べ られているのである。

この理論の根拠 となったのは、般経 と般若経を注釈 したナ‑ガールジュナ (龍樹ca‥

3C..主著 「申論鮎」「六 T類如理論」「空七 卜論」「廻評論」「広破経お よび広破論」等) 「lr論」ではないか と考え られ る。 とくに、「Llr論」の偶 において、 1:.休 とその作用の

定で 「 と主体 ・客体」を論 じる際の偶鮪に非常に類似 した侶飴があることも注 目さ れ る。それは、

若燃是可燃 作作者即 ・ 若燃異F.I Hl燃有燃

如足常応燃 不l燃'l:̲即無燃火 亦名無作火」 (20)

(もし薪がそのまま火であるな らば、 巨体 とその作用の対象 とがt仁一となって しま う。

火が薪 と別であるな らば、火は薪な しに もあるであろ う。 (そ うな らば火は)常住 に燃 えるもの となるであろ うし、燃える原因を要 しないもの、あ らためて燃や しは じめる必 要のない もの となる。そ うであれば (火は)作用 をもたない ものであろ う。)

である さらに、

‑ 23‑

(10)

「うを水をゆ くに、ゆけども水のきはな く、烏そ らを とぶに、 とぶ とい‑ どもそ らのき はな し。 しかあれ ども、 うをとり、いまだむか しよ りみづそ らをはなれず。LUll人の と きは、便人な り、要小の ときは使小な りo」 (21)

のよ うに、否定の否定を特徴 とす る道元の論法は、 「空の論理」あるいは 「無常の論埋」

と考えて よい と思われ る。 このよ うな道元の論は、「11J論」の次の偶畑 を基本 として いるのではないか と考えられ るが、 このことについて江島恵教氏は、巾論の時間論につい て次のよ うに指摘 している。(22)

Li去無有去 来去赤無去 己去未去 去時亦無去」

(過ぎ去 られた ものは、 (もはや過ぎ去られ る とい う過程を終 了しているものであるか ら)、 (現在において)過ぎ去 られは しない。まだ過ぎ去られていない ものは、 (まだ過 ぎ去 られるとい う過程 と結びついていないか ら)、 (現在において)過ぎ去 られは しない。

過ぎ去 られた もの とまだ過ぎ去られていない もの とはの、現に過ぎ去 られつつあるも のは過ぎ去られは しない)

動処有去 此小有去時 」去来去 敢 去時 去」

(動きのある ところには過ぎ去 られ る過程があ り、 しか もその動きは現にすぎさられつ つあるもののなかにあるのであって、動きは もはや過ぎ去 られた ものや まだ過ぎ去 られ ていないののなかにあるのではない。 したが って現にすぎさられつつあるものに過ぎ去

られる とい う過租がある。)

云何於去時 1'r有去法 君離於去法 去情不t.1得」

(過ぎ去 られ る とい う作用のない現にすぎさられつつあるものは決 してあ りえない。 し たが って、 (‑一11.現 にすぎさられつつあるもの」 とい う表現で もって過ぎ去 られ る と い う作用が先取 りされているわけだか ら、現に過ぎ去 られつつあるものが 「過ぎ去 られ る」 と表現すること、すなわち)現に過ぎ去 られつつあるものに (さらに)過ぎ去 られ る とい う作JHがある とすることが ど うして正 しい ものであ りえよ うか)

言去時去 是人則 有省 離去有去情 去時独去故」

((現に過ぎ去 られつつあるもの」 とい う表現でもって過ぎ去 られ る とい う作用が先取 りされているのではな くして、なになにが 「過ぎ去 られ る」 とする述語部分の方に過ぎ 去 られ とい う作用は結びつ くとして、この味で)規に過ぎ去られつつあるものに過ぎ 去られ る とい う作用がある とする立場があ りうる。 このよ うな立場を人に とっては、過 ぎ去られ る とい う作用な くして 「現に過ぎ去 られつつあるもの」 とい う (表現)がある ことになって しま う。なぜな らば (過ぎ去られる とい う作F机ま述語部分に結びつけ られ て)現に過ぎ去られつつあるものが 「過ぎ去られ る」 とされているか らである)

若去時 有二種 去 謂為去時 二謂去去」

(このよ うに、規に過ぎ去られつつあるものに過ぎ去られ る とい う作川がある とした場 合には、過ぎ去 られ る とい う作用が 二伸あることになって しま う。すなわち 「規に過ぎ 去 られつつあるもの」 とい う表現を成 ̲lil.せ しめている 「過ぎ去 られ る とい う作Jl]」と、

それが 「過ぎ去られ る」 とす る表現を成 立せ しめ、「過ぎ去 られ る」 とい う述語部分に

(11)

闇係 す る 「過 ぎ去 られ る とい う作用 」 とで あ る)

と、 運 動 を再定 しIl日の運 動性 を否定 して い る こ とを挙 げ て い る。 さ らに仏 教 で は 、

は現 象 とす る存 在 宵の変 化 ・牛減 の状 態 にして 立て られ て い る。 したが って 、変 化 して や まな い現 象 にして時rlTHが 考 え られ て い るか ぎ り、時 H削ま定的 で は な い。 固定 的 で な い

聞 は 固定 的 な 量 を転位 と して認 識す る こ とは で きな い。回定 的 で な けれ ば 、 そ こに あ るの は いわ ば それ 以 rl.分割 不分 割 な 点 に等 しい原+I'l'J時 附 の前後 無 関係 な継起 で あ って 、 この点 をい く ら集 め てみ て も量的 に は 認識 され な い。 それ な ら回定 的 で 認識 され うる よ う なuJilH]が 存 在す るか とい うと回 定 で あれ ば そ のゆ えに日割l".]は的 ItH]で で はな くな る とい

う事 態 が !卜.じて しま うので 、 そ の よ うな時l帥 ま存 在 しない こ とにな る。

ナ ーガ ール ジ ュナ は、時IIri]を同定 的 な もの と して もL'叫定t't/Jな もの と して も、そ こに は 量的 な時認識 が成 、Li‑̲せ ず 、 また 星的 な 時 問認 識 が 矛爪 を持 つ こ とを指 摘す る こ とに よっ て 、 時の量 的 認識 を否定 し、 情]の独 立 存 在性 を否定 して い るの で あ る。

道 元 の時IH」論 は、 ま さに このナ ‑ガ ール ジュナ の時問論 を基 木 と して い る もの と思 われ るが 、 それ は般 若 経 典 を基 本 と して い る とい う 一つ の証 拠 とな るで あ る。

( 4)

道 元 の空 (無 常 )悌 性 論

さ らに、 「第 三沸性」の巻 にお いて 「傭性 」 を どの よ うに 考 えて い た か を検 討す る必 要 が あ る。 道 元 は 、 「悌性」の 巻 の

目頭

に、

「一'l:̲有価性、如来住 無 イ1‑変 易」 (2二i)

を挙 げ て 、 「 ・切衆 生 悉の悉 有 とは仰性 で あ る。」 と述べ てい る。禅 宗で は、体性 が イ]ーるか 無 いか の論 は 古 くか ら行われ て い るが 、 この性 有 無論 の問題 に に対 して道元 がIL:. 面か ら取 り組 んだ のが , この 「沸性」 の巻 で あ る。 この巻 につ いて 、高崎 直道 博 上は 「沸 件 とは何 か 」 ので 、 この 「拙作」 の 巻 を詳細 に分 析 され て い るので 、 それ を弓=1は せ て 頂 く と、 次 の よ うに区.分 され て い る。 (2′1)

A. 序 説‑ 『渥襲 継 』 の価 性 義 とrF̲しい価性 観

§1. 「 一切 衆 'f:̲有価 性 」‑ 「悉 イ1‑は性 な り、 悉 有の ・悉 を価性 といふO」

§2. 俳 件 を党知√の 主体 とみ るは先 尼 外 道 の

§3. イ肝性を 草二木 の種 /・の ご と くノ揖 うのは 凡夫 の

§4.畑作 は帖囚縁 B. 諸仏IIL性 観

§5. 馬鴫 の 沸件海」

§6. 川祖 の 「無俳性」

§7. 五祖俳性 」

§8. 六の 「無常 俳件 」

§9. 龍樹 の 「rll)Hl]」 (道 元 の 見 た目 )]の 図)

§10.17芹安 の 「・切衆 生価性」

§11.僕 IIJ砧の 「 ・衆 ′t.無俳 性 」

§

1 2.

百丈懐毎の

「1 T ‑ 1

塗不壊 身 は浄妙 l司 卜」

‑ 25‑‑

(12)

§13. 黄葉 ・南京の問答 定慧等学、別比価性」

§14.越州従詮の 「狗 了・悌性」

§15. 長沙 景琴の 「虹矧斬為断」

こので、博士が非常に重視 されているのは、 r祖 と六祖の初会 見の場に対す る道元の 次の見解であ り、私 もこの 「無常俳性」が道元の悌件観である と考えているoそれは、

祖示門人行目云、無常即価性也、有常悪 ・切諸法分心也。

いはゆる六祖の無常は、外道二乗等の測度にあ らず。 二乗外道の鼻机鼻末、それ無常 な りといふ とも、かれ ら窮避すべか らざるな り。 しかあれば、無常のみづか ら無常無常 を説 貨 ・行 苦証 苦せんは、みな無常なるべ し。今以現 自身得度 者、現 自身而為説法 な り、 これ伸 性な り。 さらに或現長法身、

法身なるべ し。常聖 これ無常な り、常 凡 これ無常な りO常凡型な らんは、イ弗性なるべか らず.小童の愚見なるべ し、測度 の管 見、なるべ し。仏者小塙身也、性肯小量作也。 このゆ‑ に′l祖道取す、無常昔悌性也、

常甘 木な り。末転 といふは、た とひ能断 と変ず とも、た とひ所断 と化すれ ども、かな らず Lも去来の躍跡にかかほれず。ゆ‑に常な り。 しかあれば草木叢林の無常なる、す なはちI.)Tl性 な り。人物身心の無常なる、 これ俳 性な りo匡廿山河の無常る、 これ俳性な るによ りてな り。 阿碍多LI̲書堤、 これ俳 性なるがゆ‑に無常な り、人般浬集、 こ れ無常なるがゆへ に俳件な り」 (25)

と、述べ ている箇所である。Hgfiの 「六祖云々」の部分は、「僻燈録」上 江 西志徹 章」の 小の文を道 元が独特の解釈を行 った ものであるが、道元の価性観は これ を読む限 り 「無常 弗性」すなわち 「体性空」である と考 え られ る。 この解釈の基本 とな っているのが、

価性 音名第‑一 節 一義 名為fLll慧。所言空者不兄空輿イこ空。知音見空及典不空。

常輿無常之輿楽我興無我。空音 ▲L:̲o」 (26)

と、考え られ る。 この よ うに見て くる と、道元が lLl己の.LAI,想を展llHす るための基礎 とした のは、 「般若経」 と 「小論」及び 「浬集経」ではなか ったのか とい う問題 に突 き 、l'.たる。

第 二般若波羅蜜」を示衆 した後8年 とい う

時問

の経過があるが、私は、その刷の思 想は 一Eiして 「般若経」 を基礎 としてその他の経論を引用す ることによって L」己の思想を 展開 した もの と、考え られ る。

( 5)

道元の修証論

道元の修 (行) と証 (悟)すなわち修.論については、 「耕道話」巻 に

わづかに ・人 ・時の人l乍禅な りとい‑ ども、諸法 とあひ冥 し、諸とまどかに通ず る ゆゑ に、無尽法鼎のなかに、去来硯 に、常恒の化道事 をなすな り.彼彼 ともに 一等の l冊 客な り同評な り。ただ上の修のみ にあ らず、空を うちてひび きをなす こと、撞の 前後 に妙声綿綿たる ものな り。 このきわのみ にかぎ らんや、 白みな本口に本修行を そな‑て、か りはか るべ きにあ らず」(27)

とあるのは、先述の 「現成公案」の次の文に相 )l'lす る ものであるo

仏道 をな らふ といふ は、

1己をな らふ也。 自己をな らふ といふ は、 自己をわす るる な り。己をわす るる といふは、商法に許せ らるるな り。商法に証せ らるる といふは、

(13)

F :

」己の身心お よび他 己の身心 を して脱落せ しむるな り。悟速 の休軟な るあ り、休歓 なる 悟速 を長長'.な らしむo」 (2R)

と述べ てい るが、 「ただ 坐 卜の修 のみ にあ らず、空 を うちてひび きをなす こ と、接 の前 後 に妙声綿綿たる ものな り」 と、1己をわす るる といふ は、商法に証せ らるるな り」が、

道元の基本的な考 えを示 している と考え られ る。 この こ とは、 「小論」 にお ける次の ・文 が非常に類似 している。

「衆 囲縁/1:.法 我説即是無 亦為是仮名 亦足小道義 未曾有 一法 不従因縁 I+二 足故 一切法 無不足空耳」 (L''j)

(依存性 (縁起)をわれわれ は空性である とい うのである。その空性 は仮の名づ けであ り、

それ は道 とじことである。依存 しないで牛 じた ものなぞ何 もないのであるか ら、空で ない ものなぞ何 もない。)(24・18‑19)

「以有空義故 一法得成 若無空義 者 一一不成(3O)

(この空性 を会得す る人にはすべての ものが会得 され る。空を会得 しない人にはいか な る もの もえ とくされ ない。)

道元に とって修道 とは、すべての存在が 「空」である ことを会得 し、すべての存在の真 実 を見極 めるこ とである と考 え られ る。それゆ え、道 元の 「本証妙修」 を最 もよ く税 して いる箇所 として挙げ られ ている、次の文につ いて検 討す る必要がある0

「それ修詔 はひ とつ にあ らず とお も‑ る、すなはち外道 の見な り。仏法 には、修 叢 こ れ 一等な り。いま も証 Lの修 なるゆゑ に、初心 の耕遺す なはち本の全体な り。か るが ゆゑ に、修行の用心 を さづ くるに も、修 のほか に証をまつなかれ とお しふ

直指 の本正

な るがゆゑなるべ し。す でに修 の証なれば、証にきはな く、証の修なれば、修には じめ な し。 ここを もて、

釈迦如 来 ・迦葉尊 者、 ともに証 しの修 に受用せ られ、達磨人師 ・人鑑祖、おな じく 証上の修 に転せ らる。仏法住持のあ と、みなか くの ご とし。

既 に証 をはなれぬ修 あ り、われ らさいはひ に 一分の妙修 を単博せ る、初心 の耕遺すな はち一・分 の本評を無為の地 に うるな り。 しるべ し、修 をはなれ ぬ評 を染汗せ ざ らしめん がために、仏しき りに修行のゆ る くすべか らざる とを しふ。妙修 を放 卜すれ ば本 証手 の中にみて り、本証を身すれ ば妙修通身にお こなはる。」 (.ril)

この 文か らも分か るよ うに、道元が説 こ うとしたのは 「修の証」であ り 「証 しの修」で あ って、修行に よって許悟 を得 、.iJf.を得て もさらに修 し.田.Jt.‑・を得 とい うよ うに、 .言削ま 一利邪に同時に行われ る 「修讃 一等」であるoそれが、前述の 「彼彼 ともに一一等の修な

り、同証な り」であ り、「空 を うちてひび きをなす こ と、拓 の前後 に妙声純綿 た る ものな り。」 として、 ▲の修も空なのである。そ うなる と、 「木証」 も 「妙修」 も空であ り 無常であるた め、通常考 え られ る 「本 証妙修」は成 立せず、 「修 証一一等」が道元 の 真意で あ り、それ も空 と考 えていた もの と思われ る。

この修道 一等 については、 申論 ・観lVl節:A/r二 において論 じられている迷悟‑如 と 非常に類似 した考 えである。(32)

‑ 27‑

(14)

如来所有性 是世=目性 如来無有性 世間亦無(:i.'i)

(如来の本性 である もの、それ をこの川の人々 も本性 とす る。如来 は本体なき もので あ り、 この世冊の人々 も本体なき ものである。)

「如来過戯論 lrl1人′L戯論 戯論破

慧日 比

是皆不見悌」 (:i4)

(ことばの仮構 を超越 した不壊なるブ ツダをことばで仮構す る人々はみな、ことばの仮構 によってそ こなわれて如来をみ ることがない。)

と述べているよ うに、迷 った 世般の と悟 った如来 とはl司じ空佐 とい う本性 を もってい る。 この世Hは 区され 、 この世問と離れた ところに如」栗 を求めて もむだである、 とナ‑

ガール ジュナはい う。 ものの空性 を見ることのほかには悟 りはない し、その空性 とは世間

の人々世問の事物のあ りのままの姿である。それ を見ないでll川口と如来 をL*̲BrJす るのは、

ただ 言葉の 卜の ことだ けである。 如来はある、如l乗はない、 とい う論 も、如来が世間の 人々 とl司じよ うに空性その ものであることを知 らない ことか らお こる。空性はあることを

も、ない ことを も超 えているのである。

如来が空である、 とい うことの論証その ものは、如来が身心を とって この世にあ らわれ る とき、その如来 と身心 とがIH1 ‑で も別 異で もない し、 また、身心に依 ってあ らわれ る以

卜は、如来は本体 としてあるのではない。

それゆえ、 「木証」 とは、本来的な悟す なわ ち

u 比

前に現れ る事実であ り俳性であ り般 若であ り、 「妙修」はその木を 自己の もの とす るための素晴 らしき この 上ない修行 と解 して良い と思われ る。そのため、 前述のよ うに道元の修謡封ま 「般若」の修行であ り悟 りで あるがそれ 自体が空なのである。 「評妙修」 として成語で扱 った場合、 とか く陥 りやす い誤 りである修行 したか ら悟 りを得た とは解釈できないことにな り、それは道元の本意 ではなか った と思われ る。 この よ うに考 えて くる と、道元の修讃論 も先に述べた よ うに、

般Jf,:経の経論の影響を・Jr&く見て取 ることができる。

3. 『正法眼蔵』の 「心」に関す る用語の分析か ら

『L

l蔵』の 「新草第 二寝 汗提心」に述べ られている、

おはよそ、心 三種 あ り、

質 多心、此方称慮知心。

.者汗栗 多心、此方称 木心。

二者央栗多心、此方称積衆粕 要心。(:ilr,)

このなかに、捉心をお こす こと、かな らず慮知心 を もちゐる。拝堤は天竺 の音、 こ こには道 といふ。質多は天竺の 汗、 ここには慮心 といふ。 この慮知心にあ らざれば、

汚損心 をお こす ことあたはず。 この慮知心 をすなはち 拝捉心 とす るにはあ らず、 この慮 知心 を もて損心 をお こすな り心 をお こす といふは、おのれいまだわた らざるさ きに、 一衆'L:.をわた さん と発願 し、い となむな り」 (:i(,)

この 文 とItiJ様 な記述は、 「第PLJ身心草道」の冒頭 の部分 の2箇所 に見 られ る。 この文を 手がか りに、 三種 の 「心」についてその意味す る ところか ら

『1

仁法眼戯』全巻の 「JLIJに

参照

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