故木場猛夫先生を偲びて(その人と業績)
教育学部社会科
早 島
哲学・倫理学教室 理
1.故木場猛夫先生を偲びて
長崎大学教育学部社会科,哲学・倫理学教室教授 木場猛夫先生は本年1月31日午後8 時30分に容態が急変し,長崎市内野が丘病院にてご逝去されました。享年58歳,まことに 痛恨の極みであります。
木場先生のご葬儀は2月2日神祭で法倫会館(市内茂里町)を祭場に厳粛にとり行われ ました。急報を耳にして急ぎ駆けつけられた方々400人あまりが参列されましたが,なかに は遠く鹿児島や広島あるいは県内の離島から参列された卒業生の姿も多く見受けられ,木 場先生の人柄を偲ばせるものがありました。葬儀次第の中で,教育学部長竹内清文氏が学 部を代表されて,また社会科教室からは主任外山幹夫氏,付属学校から付属中学校長添田 二三,広島大学同窓及び同大学倫理思想史研究会を代表して中山二二(広島女子大教授),
最後に卒業生在校生を代表して西英久氏(鹿児島女子短大助教授)が悲しみの心を託され た弔辞を読まれました。それらの弔辞を耳にしながら木場先生を思い出し,また偲ばれて 涙をぬぐう参列者の姿が見られました。悲しみの中に参列者一同,榊を先生のご霊前に捧 げ最後のお別れをいたしました。
木場先生は端的に申し上げれば学究の徒でありました。その一生をカント研究に捧げら れた方であったと申し上げることができましょう。文字どおり寸暇を惜しみながら学問に 勤しんでおられました。寸時をも無駄にせずに常にカントの原書に目を走らせ,また通勤・
帰宅の折には小型テープレコーダーを離さず耳からもドイツ語の学習にいつも励んでおら れた先生のお姿が目に浮かんでまいります。先生はまた篤実で几帳面なかたでした。時間 にも厳格で,先生の授業は時間どおりに始まり時間どおりに終ることでも知られておりま した。その授業内容や生活ぶりから学生たちが「カントという人は木場先生のようなかた ではなかったろうか」とよく話していたことを思い出します。
その一方,先生は人情味あふれ機知に富んだユーモアをよく話されておりました。薩摩 隼人を自任されてお酒にも強く,飲んではセミプロ級の歌をご披露下さったのも今は良き 思い出となりました。病気とは無縁のはずのその先生が胃の痛みを訴えられ急遽大学病院 に入院されたのはおよそ4年前のおくんちの頃でした。その病床の中で「この位で死ぬわ けにはいかない」と話され,決死のお気持ちでこれまでのご研究を「カント批判期以前に おける道徳思想の形成の研究」として論文にまとめられました。この論文が高い評価を得 て昭和60年12月に広島大学から文学博士の学位が授与され,また昭和62年12月に『カント 道徳思想形成 前批判期の研究一』として出版されたことは皆様ご承知のことと存じ
ます。
この出版をお祝いして,私どもがささやかながら祝賀会を開かせていただいたのが昨昭
和63年2月19日の夕でございました。大学に籍をおく者として一つのあるべき姿を見せて 戴いたということで特に若い先生方が多く参加して下さいました。木場先生には殊の外喜 んでいただき,また体調もよろしく自ら二次会にまで参加して下さいました。そのお元気 なお姿から半年後の再入院を誰が想像できたでしょうか。
秋9月,先生は急に体の不調を訴えられ大学病院に再度入院されました。不死身の木場 先生のことゆえどなたもご回復を期待しておりましたが,残念ながらこの病ばかりは先生
の気力をしても,また現代医学の成果をもっても力およばぬものでありました。しかし先 生はこの不治の病に何等臆するところなく最後まで立ち向かわれ,この病床の中でも最後 の力を振り絞って大学の研究紀要に論文を発表されました。そしてその初校を終た段階で 与えられたエネルギーの最後まですべて燃え介して先生は永遠の旅立をされました。今に して思いますに,このお正月家族水入らずでおとそを祝われ,また虹が丘病院に最後の入 院をされる直前まで奥様と御自宅ですごされた時間を持てたのはお幸せでありました。
思い出は尽きぬものがあります。ご葬儀に読まれました中山愈先生の弔辞をもってお別 れの言葉にかえさせていただきます。木場先生,どうぞ安らかにお休み下さい。
1989年3月1日
木場猛夫先生
一昨晩先生のご逝去の報に接しまして,暫時,胸のしめつけられる思いをいたしました。
悲しみに堪えぬ思い,ひとしおでございます。
昨年の暮,ご自宅にお見舞い申しあげました時は,きっぱりと「この位でへたばる気は ない。」と申され,私は,春の暖かさにつれて先生はまた不死鳥のようなご回復が期待でき ると信じておりましたのに,何とも空しいことになりました。先生にはさぞかし残念無念 の一語でございましたでしょう。
振り返りますと,私が木場先生を存じ上げましたのは,昭和37年の頃でございました。
鹿児島県の指宿市に私が在住し,先生のお勤め先(指宿商業高校)がすぐ近くにあった頃で ございました。偶然にも,先生と私は広島大学文学部の倫理学教室で学んだ,あるいは学 ぶ者として,知的関心の共通性もありましてか,私はそれ以来,20数年の長きに亘って木 場先生には公私共にお世話になり,ご指導ご鞭燵にあずかってまいりました。兄弟以上の 親しみと敬愛の情を持たせていただいてまいりました。
木場先生は,端的に申しまして,几帳面さと誠実さの徳を身につけた方でございました。
アカデミカーとしてわが国でも大変秀れたカント研究家であられました。一昨年の暮大晦 日に,文字どおり決死の覚悟をもって完成なさいました,ご高著『カントの道徳思想研究』
で皆様にもご案内のとおり,先生は真からカント研究者(カンティアナー)であられたと 同時に,きわめてカント的なご性格の方でありました。例外的に木場先生においてのみカ ントの学問的研究とカント的な厳粛さ,及び生活とが一致しているのではないかと,私は かねがね敬意の念を抱いてまいりました。
初期カントの思想研究家として高名な,法政大学の浜田義文先生に,私から,一筆木場 先生にお見舞い状をお出しいただけませんかとの手紙を差し出しましたのは1月9日でご ざいました。その浜田先生から「木場さんに激励の文を出しておきました」との嬉しいお
ハガキを私が受け取りましたのは1月30日でございました。カンティアナーの木場先生か ら最も尊敬されていた浜田先生のお励ましも今は空しく終わり,浜田先生も強力な同士を 失くされた悲しみを抱いておられることでございましょう。
一方また,木場先生は実に人間味,人情味あふるる方でございました。エスプリとユー モアを解され,歌を唱われては,その唱いっぶりはセミプロ級に思えたものでございまし た。それも去年の夏,雄大な瀬戸大橋を見おろす合宿研修所で先生ののどを聞かせていた だいたのが最後となってしまいました。
私事にわたって恐縮でございますが,昨年の冬休みの1週間,木場先生の研究室に出入 りさせていただいて,こちらの大学で集中講義をやらせていただきました。その折,驚き を新たにしたことがございました。先生は実に丹念に毎年新しく,思想家ごとの講義用ノー トを作っておられたのであります。私などは,過去のノートに上乗せして,適当にやって おりますのに,先生の机の上の数十冊のノートは,私にとってはまさに驚異の的でありま した。そのことを先生のお宅でお伺いしましたら,先生は大学での講義には力を入れてい ること,うまずたゆまず研鐙を続けること,この2つは共に僕の生き甲斐です,と話され たのでした。わずか1か月前に私が交した,最後の会話となってしまいました。木場先生 のご講義に接することのできた長崎大学の学生は幸せであったこととお察しします。研究 紀要にもいのちの最後のエネルギーを燃え尽くして論文を発表なさったとお聞きしますが,
先生は,真実,学問研究と人間教育の両方が,共によくおできになった大学人の典型であ られたと信じている次第であります。
私の存じますかぎり,先生はおよそ病気とは無縁の方でいらっしゃいましたが,数年前 に,例の大病を患われるまでは,私たちは少なくとも年に2回,定期的に広島ならびにそ の他の地でお会いし,研修を深めることを楽しみにしておりました。木場先生は大変な論 客であられて,先生に手きびしくやられたことに励みを得て,私もやる気をふるい起こし たことも再三ございました。
他の面におきまして,木場先生はよき家庭人として,ご家族を非常に大切に考えて行動 なさっておられました。先生ご自身がご幼少の折,父上を亡くされたこともございました のか,先生のご家族への思いやりの深さを感じさせられることはしばしぼでございました。
いろいろな思い出や先生にまつわるエピソードがございます。「いとし女房と子供のため に」というセリフなどは,私が何回となく耳にいたした具体例の一つでございます。木場 先生がそれほど大事にしておられたご家族の皆様のご心痛は,もはや光陰以外にお慰めで きないかもしれません。奥様にも長い期間のご看病の労の上にご不幸を重ねられ,さだめ しお疲れの深きこととお察し申し上げます。何とぞこの際,充分にご自愛第一にお身体お いといくださいますようお願い申し上げます。また雅子様にはこ堅実に,進一郎様には亡 き父上様のご意志を胸に,厳しい哲学研究への道を地道に切り拓いていってくださるよう,
お嬢様ご子息様のお幸せをお祈りいたすものでございます。
木場先生の尊いそして希有なるご一生は私なりの表現をもってしますれば,全力主義を もってする己の人生とのすさまじい対決でありました。先生は,死に到る病にいささかも ひるまれることなく,最後の最後まで格闘なさいました。そのお姿はまさに,哲学する人 の姿勢であったと信じてやみません。長崎大学の関係者の方がたをはじめ,数多くの皆様 がたの並並ならぬご支援ご協力にもかかわりませず,この病ばかりは現代医学をもってし
ても力およぼぬものでございましょう。木場先生はさぞかし,思い残すこと多い永遠への 旅立ちでございましたでしょう。私たちは,先生の後輩としてもっと多くを学びとらせて いただきたいと切望してまいりましたのですが,不幸なる有限性の定めを受け容れて,先 生へのお別れをさせていただきます。本当に長い間のこ高詮とご指導まことに有難うござ いました。先生の安らかなご冥福をお祈り申し上げます。
平成元年2月2日
中 山 愈
2.故木場猛夫教授功績調書
先生は昭和5年3月3日置児島県に生まれ,昭和24年3月鹿児島師範学校本科を卒業後,
直ちに広島文理科大学哲学科に進学,昭和27年3月同大二二学科を卒業後も引続き同大学 研究科に在学し,昭和33年3月まで研究生活を送られました。
その後,昭和33年4月加治木高等学校講師,同年5月指宿商業高等学校教諭,昭和37年 4月鹿児島商業高等学校教諭,同39年4月鹿児島誌面育委員会指導課指導主事を経て,同 42年4月鹿児島短期大学講…師,同43年4月同短期大学助教授となり,同47年4月長崎大学 教育学部助教授として赴任し,同50年4月同大学教育学部教授となり,教育・研究に専念
されておりましたが,平成元年1月31日肝不全のため急逝されました。
この間先生は西洋哲学及び倫理学の教育・研究に努め,小学校・中学校の教員養成に多 大の貢献をされました。先生の研究業績は西洋哲学・倫理学,就中イマニュエル・カントの 倫理思想の解明を中心としたもので,早くからカントの道徳哲学研究に従事し,最初期の 学術論文「カントの批判的倫理学と道徳形而上学」以来,著書『カントをめぐる近代倫理 思想』を始め多数の著書及び論文を発表してこられました。特にカントの道徳思想の起源
とその形成の基調を「人間の高貴性への畏敬」として捉えたこと,及び批判哲学成立前の 所謂「沈黙の十年」の期間に重点をおいてカントの倫理思想形成の解明に努めたことにそ の特色が窺えます。
先生の前批判期におけるカントの道徳思想形成の研究業績は内外の学会から高い評価を 受けておられます。昭和55年10月から同56年7月までの文部省在外研究員として西ドイ
ツ・ヨハネスグーテンベルク大学での留学での二二をふまえ,その研究成果は「カント批 判期以前における道徳思想の形成の研究」の論題のもとにまとめられ,昭和60年12月に広 島大学から文学博士の学位が授与されました。さらにこの学位請求論文は昭和62年12月に
『カント道徳思想形成 前批判期の研究』として出版されました。
また学内にあっては,昭和53年4月から同55年3月まで長崎大学教育学部付属中学校長,
昭和57年4月から同59年3月まで長崎大学教育学部付属幼稚園長を併仁し,この間昭和58 年10月から同11月まで国立大学学部付属学校等教官海外教育事情視察団の団長を勤める等,
付属学校の運営・発展に尽力をつくされました。
教育学部にあっては,同学部の重要かつ緊急課題である大学院修士課程の創設に而て大 学院準備委員会委員長を努め,鋭意その任務を遂行されました。
さらに社会における活動として先生は,各種団体や学校の求めに応じて,教育思想や道 徳倫理思想に関する講演を行い,また長崎県内の教育委員会や学校等の主催する講演会・
講習会等の講師に招かれ,地方の文化及び教育の発展向上に多大の貢献をされました。
この他,昭和52年9月から同55年3月まで長崎県教育委員会教育問題研究委員会委員,
昭和53年4月から同54年4月まで長崎家庭裁判所調停委員,昭和53年4月から同60年3月 まで長崎県教育委員会長崎県教科用図書選定審議会委員,昭和60年9月から急逝するまで 長崎県教育委員会道徳教育振興会議委員を努め,さらに昭和59年4月から同60年3月まで 文部大臣より教科用図書検定調査審議会調査員に任命され,また昭和59年6月から同63年
5月まで連続4期国立諌早少年自然の家運営委員に任命されるなど,その専門的知識を生 かし地域社会の発展に多大の貢献をされました。
以上のように,木場先生は研究・教育面において優れた業績をあげ,日本のカント研究 の発展に多大の寄与をするとともに,長崎大学及び教育学部の運営・発展,さらには地方 における教育・文化の向上に尽力されました。その功績はまことに顕著であり,この生前 の功績を讃え平成元年2月21日付けで従四位勲三等瑞宝章が授与されました。
3.故木場猛夫教授業績一覧 著 書
『人生の探求としての倫理学』
『カントをめぐる近代倫理思想』
『人間と自由』
『医学と倫理』
『人間と悪』
『カントの道徳思想形成』
(共著)
(共著)
(共著)
(共著)
(共著)
(立直)
以文社 1976 画面社 1983 以文社 1984 大分医科大学倫理学研究室 1985 以文社 1987 風間書房 1987
論 文(いずれも単著)
「カントの批判的倫理学と道徳形而上学」 哲学
「コーヘンにおけるカントの人間規定の発展」倫理学年報
「カントの人間観」
「カント『道徳形而上学』研究」その1 その2 その3 その4 その5
鹿児島短期大学紀要 鹿児島短期大学紀要 同
同・
同 同
「カント前批判初期における道徳思想の形成について」
哲学
「カントの宇宙論における自然・神・人間」倫理学年報
「カント『形而上学的認識の第一原理の新解明』における自由論」
鹿児島短期大学紀要
「カントの宇宙生論的人間観の問題」 鹿児島短期大学紀要
「カントの『負量の概念を哲学に導入する試み』について」
鹿児島短期大学紀要
第6輯 第7集 創刊号 創刊号
2号 4号 5号 6号
1956 1958 1966 1966 1968 1969 1970 1970
第20集 1968 第19集 1970
7号 1971 8号 1971
9号 1972
「カントの『視霊者の夢』における叡知界について」
長崎大学教育学部人文科学研究報告
「カント前批判期における転向の問題」 倫理学年報
「カントの道徳的感情と尊敬について」 哲学
「カントの『理性批判』の現在的意義」
長崎大学教育学部人文科学研究報告
「現在の基本的徳についての一試論」
長崎大学教育学部人文科学研究報告
「KANTの批判期前における道徳原理の探究と確立」
その1 長崎大学教育学部人文科学研究報告 その2 同
その3 同 その4 同 その5 同 その6 同 その7 同 その8 同 その9 同 その10 同 その11 同 その12 同 その13 同
「カントの批判期以前の自由論」 哲学
23号 第23号 第26号
1974 1974 1974
24号 1975 25号 1976
26号 27号 28号 29号 30号 31号 32号 33号 34号 35号 36号 37号 38号 第38集
1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1986
翻 訳(単著)
「P,A.シルプ『カント前批判期倫理学』」
長崎大学教育学部人文科学研究報告 22号 1973