論 説
社会変革 と法
―― 〈ルソーとマルクス〉再論 ――
大 江 泰一郎
は じめに一 くルソーとマルクス〉
〈社会変革 と法〉 という主題 はありきたりに見えるか もしれない。 しか し、 この主題 は、見方に よっては、社会主義の崩壊以後あた らしい意味を もちはじめたようにも思われる。 というの も、旧 ソ連 は、社会主義の最終段階 (ペレス トロィヵ期)に「法治国家の創生」 という目標をかかげ、そ の国家意思決定機関であった人民代議員大会はフランス革命か ら200年遅れの人権宣言を発 したの を最後 に解散 し (1991年 9月 5日)、 また社会主義崩壊後、新生 ロシア連邦の憲法 (93年 12月 12 日制定)第 1条は「法治国家」の概念を通説的にいえば現状の規定 としてではな く今後到達すべ き
く目標〉 として掲げているか らである。社会主義 は死 して、体制が掲げた理想か らすれば地味なこ とこのうえない「法治国家」概念 という皮を残 したことになるが、裏か らいえば、 く法治国家の不 在〉が革命 によって74年前 に成立 した体制の く命取 り〉 にな ったわけで もある。 あの、かつて人 類史上「最高の発展段階」を具現す る法律 と呼ばれたスター リン憲法 (1936年)とその後 1991年 末に至 るまでのソビエ ト法史は、何であったのか ?
小論 は、社会変革の思想の出発点にさかのぼってあ らためて検討 し、 こうした現代史が提起する 問題 に、 ささやかな接近を試みようとす るものである。 ソビエ ト法研究を志 して間 もない頃、私 は デ ッラ・ ヴォルペ著の『 ルソーとマルクス』(竹内良知訳、合同出版、1974年)を紐解 いたことが ある。 ヴォルペの作品はルソーとマルクスの思想上の接点を探 るというより、ルソーの人民主権論 とスター リン憲法 との継承関係を発見 しようとす る試みであったが、 スター リン政治体制か らの脱 却の実験が社会主義体制そのものの崩壊へ と帰着 したことが明 らかになった今 となっては、スター リン体制がマルクスの思想の直接的な所産であった (したが ってまたルソーは社会主義体制の崩壊 について説明責任を有する)という前提に立たない限 り、有意味な企図であったとは認めがたいで あろう。ルソーとマルクスは政治思想上 どのような関係に立つのか? 本稿 は、 この問題を、 自分
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な りに再考 してみたいとする企図か ら出発 している①。
I。「 ルソーは正 しい」
問題を く社会主義的変革 によって成立 した社会 と法〉 という形で立てるとき、筆者 にはす っきり しない形で自分 自身に残 されている一つの問題がまず念頭に浮かんで くる。それは、青年マルクス が有名な論文「 ユダヤ人問題によせて」 (1843年)に引用 したルソー『社会契約論』の一節 とそれ にたいする彼のコメントの意味である。多 くの人々にとってはここで今さら再検討すべ き問題では ないのか もしれないが、筆者 自身、頭の中を整理するためには、 ここか ら話を始めるのがいちばん 適切なように思える。
まず、マルクスが引用 したルソーのテキス ト(以下テキス トRと呼ぶ)を念のために掲 げておこ う。 このRは『社会契約論』のなかで ももっとも問題含みであるとされる第2編第7章「立法者 に ついて」に見える。
「一つの人民に制度を与えようとあえて くわだて るほどの人 は、いわば人間性をかえる力があ り、
それ自体で一つの完全で、孤立 した全体であるところの各個人を、より大 きな全体の部分にかえ、
その個人がいわばその生命 と存在をそこか ら受 けとるようにすることができ、人間の骨組みをかえ て もっと強 くすることができ、われわれみなが自然か ら受 けとった身体的に して独立的な存在を、
部分的に して精神的な存在へとおきかえることがで きる、 という確信を もつ人であるべきだ6ひと
ことでいえば、立法者 は、人間か ら彼 自身の固有の力をとりあげ、彼 自身にとって これまで縁のな か った力、他の人間たちの助けをか りなければ使えないところの力を与えなければな らないのだ」
(桑原武夫・ 前川貞治郎訳、岩波文庫、62‑63頁 。以下 CS 62‑63の ように略記す る)。
マルクスは、まず「政治的人間の抽象化をルソーが次のようにえがいているのは正 しい」 とした うえで上のRを引用 し、その引用に続 けて こう書 くのである (以下 これをテキス トMとす る)。
「 あ らゆる解放 は、人間の世界を、諸関係を、人間その ものへ復帰 させることである。政治的解 放 は、一方では市民社会の成員への、利己的な独立 した個人への、他方では市民への、法的人格ヘ の人間の還元である。
現実の個別的な人間が、抽象的な市民 を自分のうちにとりもど し、個別的な人間のままでありな が ら、その経験的な生活において、その個人的な労働において、その個人的な関係 において、類的 存在 となったときは じめて、つまり人間が 自分の『 固有の力 (forces prOpres)』 を社会的な力 と して認識 し組織 し、 したが って社会的な力をもはや政治的な力のかたちで自分か ら切 りはなさない ときにはじめて、そのときにはじめて、人間的解放 は完成 されたことになる」(『マルクス・ エンゲ ルス全集』第1巻 407頁、以下いちいち断 らないが訳文は行論の都合により変更す ることがある。
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本全集 はMEW:1‑407の よ うに略記)。 マル クスの コメ ン トの文意 は明瞭である。 この論文でR
を引用す るに先だ って、 マル クスは、市民革命=「政治 的解放」 による「 政治的国家」 と「市民社 会」 へ の全体社会 の分裂、市民 (citoyen)と人 (homme)とへ の人間の二重化 を論 じ、 これを、
「現実 の人 間 [つま り人権宣言 の い うhomme―以下 ブラケ ッ ト内 は大江注]は利 己的 な個人 と し て は じめてみ とめ られ、真 の人間 は抽象的な市民 [同じく人権宣言 のい う citoyenつ ま り「 政治的 人間」 ない し「 法 的人格」]の姿 で は じめて認 め られ る」 にす ぎな い とい う限界 を もつ もの と して 批判 す る。人 間の「 人 間的解放」=社会革命 か らすれば「 政治 的解放」 はこう した大 きな限界 を も たざるをえないが、 その大 きな限界 を前提 とす る限 りで は、 ルソーは「政治的人間の抽象化」 を正 当 に描 き出 して はい る、 とい うことになる。 この限界 を超 え ること (その論理)を説 くのが テキス
トMなのである。
マル クス とル ソーによ って共有 されているか に見 え る概念、人間の「 固有 の力」 とは何か、 とい う問題 があ る。 しか し、 それ はさ しあた り括弧 に入 れておいて も当面 はさ しつかえないであろ う。
じつ は この点で両者 のあいだには重大 な饂館があ るが、 それ につ いて はあ とで触れ ることに しよ う。
ここで見極 めてお くべ きよ り端緒的 な問題 は、 ル ソーの説 く「 立法者」 による一種 の人間変革 (独 立 の人間の「部分的 に して精神的」 な人 間への変換、 マル クスの用語法で いえば「現実的・ 個別的 人 間」 の「 政治的人間」 への抽象化)をど う考 え るのか、 とい うことで あろ う (「立法者」 が何 で あ るか は後述 しよ う)。 マル クスか ら見 れば、 ル ソーが説 くこの く政治的制度化〉 は解放 の限界 を 示 す もの なので あ って、 社 会革 命 の本 領 はそれ を超 え、「 社会 的 な力」 その もの にのみ依拠 して
「 経験 的生活」「 労働」「 個人 的関係」 を組織 す る方 向 に歩 みだす ことにあ るのだ (人間 は本来的 に
「 類 的存在」 なのだか ら)、 とい うことになろ う。 ル ソーの構想 に対置 され るの は、端的 にいえば、
く国家 の死滅〉、 さ らにいえば 〈法 の死 滅〉 なので あ る②。 マル クスが社 会変革 後 の法 と して想定 したのが、 けっ して「 社会的力」 に照応す る 〈新 しい法〉で はな く、 たかだか過渡期的 な死滅 しつ つ あ る「 ブル ジ ョア法」 に過 ぎなか った ことは、「 ゴー タ綱領批判」 のテキス トか ら知 られ る通 り であ る。
マル クスは、 これ もよ く知 られて い るよ うに、 のちの1871年パ リ・ コ ミュー ンにさい して書 い た『 フランスの内乱』 において も、社会変革 の展望 をなお「 労働 の経済的解放」 と定式化 し、政治 的変革 の構想 につ いて は これを意図 して求 め るので はな く、 自然発生性つ ま り「 つ いに発見 された 形態」 に委 ね ることがで きた。 こ う した事情 を念頭 にお く限 りで は、 ハ ーバ ーマ スが1990年の評 論集『 遅 ればせの革命』 に収 めた書 き下 ろ しの文章 のなかで、つ ぎのよ うに指摘 しているのは正 当 で あろ う。「 彼 ら [マル クス とその直接 の継承者 たち]の分析 は、労働社 会 の地平 の枠 内で解 明 さ れ るよ うな現象 に執着 したままであ った。 こう したパ ラダイムを選択 した ことによ って、実践 につ いての狭 い概念が指導的 にな って しまい、 その結果 と して、産業労働 に、 また技術的生産力 の発展
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に、明確 に解放的な役割が アプ リオ リにつ き纏わ ることにな った。労働が工場 に集約 され ることに よ って生 じた組織形態がそのまま、生産者 たちの連帯 的な団結、意識形成、 そ して革命的行為 のた めのイ ンフラス トラクチ ャー とな ると考 え られている。 こうした生産主義的なアプ ローチを取 るこ とによ って、視線 は、増大す る自然支配 が もつ ア ンビヴァレンツか らも、 また社会的労働 の外部 お よび内部 における社会統合 の力か らも、 それて しま うのである③」。
マル クスの思想 を文字通 り忠実 に祖述 した レーニ ンの『 国家 と革命』が (そこに上引のテキス ト
Mが取 り上 げ られて い るわ けで はな いが)、 こう した「 パ ラダイム選択」 を少 しも変 え るもので な か った ことは明 らかであ る。「 社会的統合 の力」 を視野 か ら失 った思想が、1930年代 にス ター リン の もとで 〈国家 の死滅〉 をめざす「 国家の最大限強化」 とい うグロテスクな形姿 を とるよ うにな っ た経緯 を、 ここで詳論す る必要 はあ るまい。
論点 を絞 る方 向で先 を急 ごう。筆者 の脳裡 を去 らな い疑 間 は、 テキス トMその ものの不明確 さに あ るので はない。 そ うで はな くて、「 ユ ダヤ人問題 によせて」 を見 る限 り、 マル クスはRを「 政治 的解放」、つ ま り 〈政治〉革命 と しての ブル ジョア革命、 その結果 と して成立す る近代国家 と個人=
市民 との関係 にかんす る正確 な (正 しい)思想 的表現 と して取 り扱 っているよ うに見え るが、 この 取 り扱 い方 は、ル ソーの側か ら見て も正 当 といえ るか、が問題 なのである。仮 にル ソーの「立法者」
論 が単 に ブル ジ ョア革命 の思想 的正 当化 を超 えて よ り大 きな射程 を もち、 よ リー般的 に、ハ ーバ ー マスのい う「社会的統合」の問題 になん らかの照明を当てるものだ とすれば、マルクスによるルソー の く超 え方〉 は何 かを失 った ことにな る。失 った ものは何か? それが知 りたい と思 う。
Ⅱ。政府の設立 と社会の変革
マル クスは近代社会 を、市民社会 と政治的国家 とへの分裂=二元構造 (Dualismus)化とい う、
直接 にはヘ ーゲル『 法哲学』か ら引 き継 いだ図式 に即 して認識 して いた。 マル クスを聖典 的 に普遍 化 して きた人 々 は、 こう した図式 を近代諸社会一般 に通 ず る理解 とみな して きたか も しれ ない。 と ころが、 ル ソーのい う「立法者」 は じつ はこの図式 にははま らない性質 の ものなのであ る (テキス
トRとMはまず この点ですれ違 っている)。 最初 に これを検討 してお こう。
この問題 を考 え る うえで重要 な前提 は、 ル ソー (1712‑1778)の自然法思想 が、 ジ ョン・ ロ ック (1632‑1704)と トマス・ ペ イ ン (1737‑1809)によ って代表 され るア ングロサ クソ ン系 の 自由主義 的 な 自然法思想 とは異 な り、 国家 と社会 とを合 わせ て一個 の全体 と見 る、 フ ラ ンソワ・ ケネー (1694‑1774)や ミラボー、 ル・ メル シエ らの フィジオ クラシー (「自然 の統治」=いわゆ る重農主 義)に近 い立場 に立 っていた とい うことであ る。 これを もっとも端 的 に物語 るのは、『 社会契約論』
の草稿 (ジュネー ヴ草稿)の第1編表題 にあ る「 社会体」 (corps social)と い う概念 で あ って、
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その第1章では「 われわれは市民 (citoyens)と なったのちに初めて、まさに人 (hommes)と な り始める」(『ルソー全集』白水社、第5巻、作田啓一訳、278頁。以下MJ)と いう、われわれが 普通 に理解する契約説の、 自然状態 において自然権を具有するところの く人〉を起点 とした図式か らすれば、 まことに逆説的な命題が立て られているのである。 これは、初めに「市民」 したがって また く国家〉ありき、 という図式を示唆するものにほかな らない。
『 社会契約論』で は「社会体」 の概念 はほとん ど「政治体」 に置 き換え られるが (「社会」体 と
「政治」体 は同義語 と見てよい)、 思想 は草稿を引き継 いでいる。ルソーは第2編第12章「法律 の 区分」で、「 国制の法律」(lo破 politiques)な い し「基本法」(lo破 fondamentales)に次 ぐ第二 の区分 としてlo破 civiles(桑原・ 前川訳では「民法」)を取 りあげ、 こう述べる。「第二の関係 は、
政治体の構成員の相互の関係、または構成員 と政治体全体 との関係である。そ して、 この関係は第 一の面ではできるだけ小に し、第二の面ではできるだけ大にしなければならない。その結果、各市 民が他のすべての市民か ら完全 に独立 し、国家 (Cit6)に 極度 に依存 しないようにしなければなら ない。 これはいつで も同 じ手段 によって達成 され る。 なぜな ら国家 (Etat)の力のみが、 その構 成員の自由をつ くりうるか らである。 この第二の関係か らlo破 civilesが生 まれヽる」(CS 81)。 今 日の用語では、ルソーのいう第二の面、つまり国家がそこで市民の自由をつ くるところの「構成員 [市民]と政治体全体」の関係 とは 〈憲法〉 に他な らないが、第一の面である「構成員の相互の関 係」 を担当す るのは 〈民法〉であろう。つまり、 ルソーの10破 civilesは、今 日の通常の用語法 に おける 〈民法〉 といった語感 とはまった く異な り、市民社会 と政治的国家の両方 にまたが っていて
(この両者の区別が弱 く)、 いわば 〈憲法〉 と く民法〉を二つなが らに含意するものだということに なる。 この意味での10破 civilesを、われわれはさ しあたり 〈市民社会=政治社会の法律〉あるい はその意味での 〈市民法〉 と訳 してお こう。 さて、 こうして見 ると第一の種類の法律つまり「国制 の法律」(=基本法)が宙に浮 くように見えるか もしれないが、ルソーの言い回 しか ら判断すれば、
これは旧社会=王政における王位継承 に関する法律に代表 されるいわゆる 〈基本法〉、つまりこん にち法思想史家が 〈中世的立憲主義〉 というとき含意される 〈憲法〉 とみてよいであろう(も っと も、 巻末 の第4編第9章で は、 自分が『 社会契約論』 で論 じて きたのは「 国制 の法」(drOit politique)だ とされるが、 これについてはなお後述する)。
ハーバーマスはその論文「 自然法 と革命」(同『理論 と実践』細谷貞雄訳、未来社、1975年 、所 収。以下NR)で、ルソーのこうした思想の特色を シャープに描 きだ している。 これを手懸か りに、
自由主義的自然法 とルソーの自然法 との違いを確認 しておこう。
ロックに由来する市民社会の自然法的構成の自由主義的形態は、 もともと、名誉革命後の政治体 制の正統化 に向けられていたものであって、ハーバーマスによれば、「私的自律に任 される社会的 交易の活動圏を国家的干渉か ら遮断す るという制限的な意味」 しか もっていなか った (NR 88)。
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「 政治社会」 つ ま り「 国家」 の発生 に関す るロ ックの基本 的命題 は、 こうであ る。「 人 が 自分 の 自然 の 自由を棄て市民社会 の覇絆 の もとにおかれ るよ うになる唯一 の道 は、他 の人 と結 んで協 同体 を作 る ことに同意す ることによ ってで あ る。 …… もし幾人 かの人 々が一 つの協 同体 (community)あ
るいは政府 (government)をつ くるの に同意 した とすれば、 これ によ って彼 らは直 ちに一体 をな して一箇 の政治体 (body politic)を 結成す るのであ り、 そ こで は多数 を 占めた者 が決議 を きめ、
他 の者 を拘 束 す る権利 を もつ ので あ る」(『市民政府論』鵜飼信成訳、岩 波文庫、100頁。 以下TT
G)。 ロ ックの用 語 に お け る国 家 (commonwealth)、 政 治 社 会 (political society)、 協 同 体 (community)、 政府 (government)は、 内容 的 にみて ほぼ同義 で あ る④。 〈市 民社 会〉 と 〈国家
〉 が区別 され ない とい う限 りで はル ソー と変 わ らないが、 ロ ックにおいて決定 的 に異 な るの は、一 つ には、 自然状態 か ら社会状態 ない し国家状態へ の移行 を可能 にす る「 契約」(compact)が、何 らかの社会変革 の意味 を もった歴史的行為で はな く、「 同意」(consent)し か も「 暗黙 かつ 自発的」
な同意 とい うモデル化 によ って極 めて平易 に進行 す る過程 と して説 明 され る こと (TTG 54,101, 106,123)、 そ して もう一 つ には、 自然法 が この 自然状態 だ けに とどま らず国家 に もその作用 を伸 張す るほ どに強力 な契機 をな して い る とい うことで あ る。 あ との方 の点 につ いて ロ ックは、「 自然 法上 の義務 は社会 にな って も終止 せず、 かえ って多 くの場合 には一層厳密 とな り、 その遵守 を強制
、す るため に人定法 によ つて定 め られ た刑罰 が付加 され るので あ る。 このよ うに 自然法 は、万人 に、
す なわ ち立法者 に もその他 の者 と同 じよ うに、永遠 の規則 と して存続す る」、 とい う (TTG 137f)。
この 自然状態 と国家 との区別 は、同 じ自由主義的 自然法 の伝統 のなかで、 のちに「社会 と国家」
とい う区別 に置 き換 え られ る (マル クスのテキス トMはこの 自由主義的 自然法 と自分が直接念頭 に お いて い るル ソーの 自然法 との区別 を立 てない とい う前提 に立 っている)。 例 えば、 トマス・ ペ イ ンは1776年の『 コモ ン・ セ ンス』 の冒頭で はや くも、「社会 と政府 (government)と を混 同 して しま って両者 の間 にほとん ど、 いな全 く区別 をつ けよ うと しない著述家 たちが いる。 ところが両者 は違 って い るばか りか、起源か らして も別 なのだ」、 と強調 して いる (小松春雄訳、岩波文庫、17 頁)。 また、彼 は 1791‑92年 の著書 で、「 社会」 その もの と「 政府」 との区別 を前提 と しつつ、「 社 会 ない し 社会契約 か ら発生 した (out of society,or out of the social compact)政府」 とい う 言 い回 しで、 こん どは「社 会契約」 と「 社会」 その もの とを同一視 す るに至 って い る (『人 間の権 利』西川正身訳、岩波文庫、原著、72f頁。 以下RM)。 ペイ ンによれば、 アメ リカのよ うに人 々 の母 国や統治 の習慣 の経験 や言語 や信仰 も異 な り、結合 が実現不可能 にみえ るところで も、「 社会 の諸原理 と人 の権利 (rights of man)と に もとづ いて政府 を作 るとい う単純 な作業 のおか げで、
あ らゆ る困難 は消 えて な くな り、 あ らゆ る部分 は和 やかな協調 で結 ばれてい る」、 とされ るので あ る (RA/1217)。
ハ ーバーマスはこの「社会の諸原理」 と「人の権利」 との結合 にス ミスとロックとの連関を見取 っ
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て、 こう書 いている。「 ペイ ンは人の自然権を、商品交易 と社会的労働の自然法則 と同一視 してい る。彼 は [上引のように「社会の諸原理 と人の権利 とにもとづいて」 という表現で ]ロ ックとア ダム・ ス ミスの間に特有の連関があることを明言 し、17世紀 [つま リロックの時代]にはまだ形 式法の規範 として把握 されていたのと同 じ自然法則を、18世紀 [ス ミス]の自由主義的経済学が 社会の自然的基底のなかへ置き移 したことを見届 けている」(NR 89)。 この見方 に付 け加えてお く べ きは、 ス ミスが「社会の諸原理」を展開 してみせた『諸国民の富』(1776年)も、『 グラスゴウ 大学講義』 (1896年 、遺稿 により刊行)を見れば了解 しうるように、 もともとは広義の法学 (自然 法学)の一部をなす ものであって、ハーバーマスも、 ス ミスやペイ ンが 〈市場経済〉か ら無媒介に 統治制度や近代的政治の く論理〉の ごときものを導出 したことを主張 しようとしたわけではない。
以上のよ うな く国家〉 と く市民社会〉の自由主義的構成 と比べてみると、く法律〉の概念 によっ て媒介 される、 自然権ない し自然法の実定化を焦点 とする点ではそれと通底するにしても、 自然法 その ものではな く、 それに代えて「一般意思」の指導 によって基礎づけられるところの 〈人民主 権〉を基軸 としたルソーの構想の特異性が際立 って くる。 アングロサクソン系 自然法 とルソー的な 対抗構想 との違 いを、ハーバーマスはこう表現 している。「 これ [つまリルソーの一般意思か ら出 て くる法律そ して市民の権利の観念]を人の権利の自由主義的構成 と比較 してみると、[後者 にお ける]社会の自然法則を内容 とする自然法 という実質的な自働過程 (Automatismus)に 代わ って、
[ルソーにあっては]ただひとり個人の自由にも社会全体の利益 にもその本性上違反することのあ りえないような、一般意思 という形式的 自働装置 (Automatik)が登場 している。[ルソーの場合 は一般意思]それ自身が国家 と社会 とを組織化す る総合体制 (Gesamtverfassung)の 唯一の制作 者なのであるか ら、 自然権 とはいって もそれは実 はこの一般意思 に基礎づけられたものであって、
[理念的な]自然状態な り [歴史的現実 としての]自然成長的社会な り前国家的秩序の自律的な発 動に もとづ くものではない」(NR 95)。 ここでハーバーマスがいう「 自働過程」「 自働装置」 はい ずれ も自然権 (人の権利)の市民の権利への、立法を通 じた実定化、あるいは、同 じことであるが、
社会内に形成・ 蓄積 されて きた法的素材 (慣習 ない し慣習法)の く法律〉(lois=制定法)への加 工を意味す るものに他な らないが (この点 についてはなお後述す る)、 ルソーにあってはこの実定 化が新 しい国家にとどまらず、く社会〉そのものをも再組織化する積極的な (単なる自律的「過程」
ではな く改造のための変革「装置」 としての)役割を担わなければな らないとされているわけであ る。
さて、 ここでハーバーマスの解釈か らやや離れて考えてみれば、ルソーの「一般意思」を、 自然 権の実定化にかかわる「 自働装置」 として特徴づけることは、 自由主義的な自然法 (社会の自然法 則)に代わる、 自然権の市民の権利への変換器を「形式的」に表現するものにすぎず、主権の担い 手 としての「人民」のいわば社会学的・ 現実的な 〈自働性〉を含意するものではない。む しろ逆で
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ある。「一般意思」 ない し主権を担 う主体たるべ きものとして理論上初めか ら前提 されていたはず の人民 は、現実には存在せず、実 はこれか らその名にふさわ しい「人民」 として形成されなければ な らない (こ こでは自由主義的自然法が前提 に しえた、国家にまでその効力を及ぼすような「社会 の自然法則」を当てにす ることができない)。 ルソーはこの難題を「結果が原因 となる」 こと、つ ま り理論上存在すべ き人民を現実的に形成 しは じめること、 と表現 している (CS 65)。 ル ソーは い う。「 目の見えぬ大衆 は、何が 自分たちのためになるのかを知 ることがまれだか ら、 自分が欲す ることを知 らないことがよ くある。そ うした大衆が、 どういうふ うに、立法制度 (un sistOme de l̀gislation)と いうような、あのように困難な大事業を自ら実行 しうるのだろうか? 人民 はほっ ておいて もつねに幸福を欲する。だが、 ほっておいて も人民 はつねに幸福がわかるとは限 らない」。
「啓蒙」 が、「導 き手」が、必要である。「個人 については、 その意思を理性 と一致 させ るように強 制 しなければな らない。公衆 (le public)に ついては、彼 らが欲す ることを教えてや らなければ な らない」。公衆が啓蒙 されれば、そこか ら初めて「諸部分の正確な協力 (concours)」、 さらには
「全体の最大の力」が出て くる。大衆 の啓蒙を引き受 け、彼 らを「人民」へ と教化するもの こそ、
その導 き手たる「立法者」 に他な らない (CS 60f)。 もっとも、 こうした「立法者」のイメージは 必ず しも唐突にここに初めて登場す るわけではない。『 社会契約論』第1編第6章では「社会契約 について」最初 に論ず る段 においてすでに、社会契約 の締結 には「多人数の協力 (concours)」
(29)が必要だという表現で、それへの伏線がさりげな くすでに張 られていたのである。
「立法者 について」の章 は多 くの解釈者 たちを当惑 させてきたところであって、『 社会契約論』最 大の難所 とされる⑥。だが、ハーバーマスによる二系統の自然法思想の対比図式を発展させてえら れる、上記のような「立法者」 と「大衆」 との関係か らわれわれが容易 に連想できるのは、『何を なすべ きか』 (1901年)の レーニ ンが論 じた、「社会民主主義的意識 は労働者階級の外部か ら [前 衛党が]持ち込むほかはなか った」 という、く前衛党〉 と「労働者階級」 との関係であろう。語弊 を恐れずに単純化 していえば、ルソーの「立法者」 はレーニンの前衛党論 (いわゆる外部注入論) を、ある意味で、 ほとんど一世紀半前 に先取 りしていることになる。違いは、ルソーの「立法者」
が一人の神あるいは人間だということである。普通には く人民主権の主唱者〉 として理解 されてき たルソーは、実 はかな リペ シミスティックな「人民」観をいだいていたということになる。「 ヨー ロッパ には立法可能な国がまだ一つある。それはコル シカ島である」(CS 76)、 というのが彼 には 精一杯なのである。
Ⅲ。「 立法者」の秘密 と く法の実定化〉
『社会契約論』の目次を概観す ると、 ルソーにおける「立法者」の特異な地位が浮かび上が って
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くる。細部 を省略 して第1編お よび第2編の骨組 みだ けに限定 してみれば、 ル ソーの行論 はほぼ、
「最初 の社会」=自然状態 → 社会契約 → 一般意思 → 社会状態 (国家)→ 主権 → 立法者 → 人民 → 法律、 とい う筋 をな して い る (最後 の la loiは 、桑原 0前川訳 のよ うに「 法」 とす ると、
の ちに触 れ るよ うにル ソーの思想 の重要 な契機 をなす le droitす なわち「権利=法」 とい う用語 と 区別で きな くなる)。 社会契約 を結ぶ当の主体 は「 人 々」「 個 々人」 とされてお りまだ人民 で はない。
「法律」 は「 一般意思 の行為」(CS 59)と され るのだか ら、論理 的 には「 一般意思」 を論 じたあ と (主権 を媒介 と して)すぐに「 法律」 に移行 して もいいはず で あ るが、 そ うは しないで、 そ こに
「 立法」(自然権 の実定化)過程 を具体 的 に担 うべ き主体 と しての「 人民」 を初 めて挿入す る。 だか ら、 その前提 と して、 そのままで はたかだか大衆 であるにす ぎない人 々を「人民」へ と啓蒙・ 教化 す るところの「 立法者」が、人民 に先行 して登場 しなければな らない とい うわけである。 しか し、
「 立法者」概念 の重要 性 は、 こうした『 社会契約論』 の筋立 てか らで はな く、概念 内在 的 に見 ると きに、 い っそ う際立 って くるよ うに思 われ る。
その内在的理解 に とって決 め手 となるのは、「立法者」概念が実 は古典古代 (ギリシアおよびロー マ)の国家 をモデル と し、 このモデル化 はルソーの法理論 の独 自性 に深 くかかわ っていたという点、
また、「 立法者」 モデルの成立 の秘密 は、 お、つ う「 社会契約」 や「一般意思」 の概念 を確認 しよ う とうす るだ けの読者 な ら見過 ご して しま う、『 社会契約論』 のむ しろ後半部分 (第 3編お よび第4 編)に隠 されて い る とい うこと、 である。 ここで は この後半部分 におけるル ソーの叙述 を詳 しくた
どる暇 はないか ら、要点だ けを筆者 の旧稿か ら要約 してお こう。
『 社会契約論』 と同 じ1762年に公刊 された教育論『 エ ミール』 はその第1編の初 めに、本稿 の初 めに掲 げたテキス トRと同 じ趣 旨の ことを別 の形 で述 べている (こ こで「 社会状態 にある人間」 と して念頭 におかれて い るの は具体 的 に は古代 の ローマ市民 であ る)。「 自然 状 態 の人 間 (homme naturel)は自分 がすべてで あ る。彼 は単位 とな る数 であ り、絶対 的 な整数 [つま り原子論 的 な個 人]であ って、 自分 にたい して、 あ るいは自分 と同等 の ものにたい して関係 を もつだけである。社 会状態 にあ る人間 (homme social)は 分母 によ って価値が決 ま る分子 にす ぎない。 その価値 は社 会 体 (corps social)と い う全 体 との関連 にお いて決 ま る。 立派 な社会 的 [=政治 的]諸制 度 (institutions sOciales)と は、 人間 を とことん 自然状態 か ら脱却せ しめ (d6naturer)、 その絶対 的存在 [個と しての人間のあ り方]を奪 い去 って、相対的 [=政治 的]存在 を与 え、『 個人』 (mOi) を共通 の統一体 のなかに移す よ うな制度である」(『エ ミール』(上)今野一雄訳、岩波文庫、27頁。 以下E:I)。 この一節 は、小論 の第 1章に掲 げたテキス トRと趣 旨を同 じくす るが、 それ 自体 と し て は、『 社会契約論』 の構想全体が古典古代 の国家 モデル と深 くかかわ っていることを示す もので あ る。 このす ぐあ とでル ソーは こうい う。「 空想 の国 につ いて語 ろ うとす るとき、人 はプ ラ トンの 国家制度 を もちだす。 しか し、 リュクル ゴスが [あの有名 な法律 を実際 に制定 しないでプ ラ トンの
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よ うに]その制度 を書物 に書 いただ けに とどま った と した ら、 それ は [プラ トンよ りも]はるか に
空想 的な ものだ ったろうと思 う。 プ ラ トンは [その著作で]人々の心 を浄化 したにす ぎないが、 リュ クル ゴスは [法律 の制 定 によって実 際 に]人々を 自然状態か ら脱却 させたのである (d6naturer)」
(同前 29)。
『 エ ミール』 か らの以上 の引用 は、 ル ソーが「 人民」 ない しその構成員 と して の「 市民」 を論 ず る場合 にはローマを、 また「 立法者」 を語 るときはスパ ル タの伝説 的立法者 リュクル ゴス⑥を例 に 引 くとい う、『 社会契約論』の随所 (と くに前半で は「立法者 について」 の章、 そ して後半 の第3・
4編)で繰 り返 され る論法 を典型 的 に示 す もので あ る。 スパ ル タとローマ とい う例証 の方法 は、 し か しル ソーの独創ではない。 これは、モ ンテスキューを介 してマキ ァヴェッリか らル ソーが学 び取 っ た もので あ った⑦。 この点 は旧稿 で も触 れてい るか ら、 ここで はさ しあた り、 マキ ァヴェ ッリの論
じ方 だ けを例示 的 に確認 してお こう。「 ある都市 の場合 には、創設 当初、 あるいは創設 直後 に、一 人 の立法者 がただの一度で必要 な法律 (leggi)を作 って しま って い る。 ち ょうどスパ ル タの リュ
クル ゴスの例がそれで あ る」。「 その国家 [スパ ル タ]は、800年以上 も存続 したが、[その法律 の お陰で]リ ュクル ゴスの名声 は後生 まで轟 き渡 り、 その都市 は静穏 を楽 しむ ことがで きた」。「 われ われ は一般論 と して次 のよ うに考 え るべ きだ。 どんな共和国で も王国で も、 その始 ま りか らすで に 完璧 の域 に達 して い ることな どは全 くあ りえない、 またあ って も稀 な ことで、誰 か一人 の人物 がや らない限 り、古 くか らの制度 を新 たに根本か ら改 め られ るもので はない」 (永井三 明訳「 デ ィス コ ル シ」『 マキ ァヴェ ッリ全集』第2巻、筑摩書房、15,19,39頁)。
これだ けで は、 しか し、 ル ソーが近代 の「 立法者」 のモデルを リュクル ゴスに求 め る理 由は明 ら か にはな らない。 とい うの も、上述 した ところか ら、 ル ソーに してみれば、 リュクル ゴスは人 々を
「 自然状態 か ら脱却 させ る」立法者、 つ ま り「 人民」 を作 る立法者 で な ければ らないか らで あ る。
まさ しくここに、 ル ソーの法理論が先行者 のそれか ら極 めて重要 な転回を とげた契機が ひそんで い る。
ル ソーは政治 にかんす るあ る断片 的 メモにおいて、「 ローマの共和政が そ うであ ったよ うに、法 律 よ りも習俗 の価値 が大 で あ る国家 で は、[家にお ける]父の権威 は絶対的で はあ ったが、 それ以 上 にはな らなか った。 しか し、 スパ ル タのよ うに、法律が習俗 の源泉であるところで はどこで も、
家 (famille)のなか にお いてす ら父 に優先 して『 国家』 が命令す るほどまで に、私人 の権威 は公 共 の権威 に従属せ じめ られな ければな らない。 この原理 は『 法 の精神』 とは対立 す る結論 を もた ら す とはいえ、私 には動 か しえない もの と思 われ る」(ルソー『 政治経済論』河野健二訳、岩波文庫、
72頁。 以下EP)。 ル ソーが ここで念頭 においた と推測 され るモ ンテスキ ューの叙述 は、 こうであ る。「[ローマや スパ ル タのよ うな共和政 において は]父の権威 も習俗 を維持す るには極 めて有効で あ る。すで に述べたよ うに、共和国 において は、他 の諸政体 にお けるほどの抑止的 な力 は存在 しな
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い。それゆえ、法律 はそれに代わるべきものを見出さなければならない。法律 は父の権力によって それを実現 している」(『法の精神』(上)野田良之 ほか訳、岩波文庫、120頁 。以下EL:I)。 ここ で問題 となっているのは、国家の「法律」 と社会における家の「権威」(=「習俗」)であるが、そ れについてはさしあたり詳論を割愛 しておこう。本稿の行論 に直接関係するルソーの「『法の精神』
とは対立す る結論」 とは、ルソー自身が立てている「法律が習俗の源泉である」 という命題、つま り 〈習俗→法律〉 と図式化 しうるテーゼである。ルソーはモ ンテスキューの理論を換骨奪胎 して、
それを く法律→習俗〉図式へ と転回させようとしているのである。 この転回に役立つ古典古代モデ ルが くリュクルゴスの法律〉に他ならない。
その理由はおよそ以下の通 りである。 もともとヨーロッパには、すでに前1世紀 (共和政末期)
ローマの哲学者キケロが「われわれが提案する法律が、わた したちの国家にないもの、あるいは、
これまでなか ったものであって も、それ らはほどんど父祖の慣習 (mOs)の中に見出されるもので あり、当時は慣習が法律 (lex)と して通用 したのだ」(岡道男訳「法律について」『 キケロー選集』
第8巻、岩波書店、240頁)と書 いているように、ぐ貫習mOs→法律lex〉 と図式化 しうる法律認 識の枠組が存在 した。 モ ンテスキューは、 しか し、 この図式をギ リシアやローマの古典に依拠する のではな く、 ゲルマ ン人 (フランク族)の封建制史のなかに く習俗か ら法律が生 まれ る〉つまり
〈習俗 m∝urs→法律 loi〉 の関係を再発見 し、 これをさらに「作 られた法律が存在する以前に、
正義の可能的な諸関係 は存在 していた」(EL:141)と いう定式にまで一般化 したのである (モン テスキューのいう「習俗 m∝urs」 はキケロのい うラテ ン語の「慣習mOs,mores」 を語源 として お り、われわれはキケロの 〈慣習→法律〉 とモ ンテスキューの 〈習俗→法律〉 とを理論的にはほぼ 同一 の社会現象を指す もの考えることができる)。 ちなみに、中世 フランスの「成文化 された慣習 法」史料 における用語法では、上記の関係 は 〈慣習法 consuetudo→ 法律lex〉 とも表現 され、 モ ンテスキューはこれをフランス語で くcoutumes〉 → 〈loi〉 と表記 している。 したが って、西欧中 世史を念頭にお く限 りでは、く慣習法→法律〉を、く習俗→法律〉 とこれ も同義の現象 として考える
ことができる。
ルソー自身、「習俗 と統治の必然的な関係は『法の精神』 という書物で十分に述べ られているか ら、 その関係を研究す るにはこの著作を参考 にす るのがいちばんいい」(E:Ⅲ 246)、 と考えて き た。 リュクル ゴスを契機 とした法律認識図式の転回のアイディアが成立 したのは、『人間不平等起 源論』 (1755年)における次の記述か らして、 このす ぐ後 と見 ることができよう。「スパルタでは リュクルゴスの法律が主 として子 どもの教育を担当 していて、それ以上法律を追加する必要がほと んどないような [良い]習俗を彼が確立 したのであるが、 これを唯一の例外 として、法律は一般に 情念 ほど強 くはないので、人間を抑制 はするが変革 は しない」(本田喜代治・ 平岡昇訳、岩波文庫、
121頁)。 ルソーの思考のなかでは、古代の「例外」が近代のモデルヘと成長 していくわけである。
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1755年以 降のル ソーの思想 の「 転回」 は、E.カ ッシー ラーが証言 している通 りである③。
だが、 くリュクル ゴスの法律〉 の解釈 にかかわ って、 モ ンテスキ ューの く習俗→法律〉 図式 をル ソーが 〈法律→習俗〉図式へ と転回せ しめ ることは、何 を意味す るのか? この問題 につ いて は、
『 法 の精神』 が く主権〉概念 をあえて排除す る構想 に立脚 して いた (その成果 が主権概念 を前提す る限 り単一 であるはずの国家権力 を三つ に分割 してそれ らを競合 させ る権力分立理論であ った)の
にたい して、『 社会契約論』 が「 主権」概念 をむ しろ基軸 にす え る構想 を打 ちだす もので あ る こと を、想起すべ きであろ う。問題 は、主権 の成立 を契機 とす る 〈法 の実定化〉 に収敏す る。 ル ソーは、
近代 にお ける法 の く実定化〉 の意味転換 を理論化 しよ うとす るので あ る。現代 ドイ ツの社会哲学者 ニ クラス・ ルーマ ンによれば、「法の実定化」(Positivierung des Rechts)は ヨー ロ ッパで はむ ろ ん ローマの法律 や後期 ゲルマ ンの諸部族法 (サ リカ法典 など)にも見 られたが、 それ はまだ全面 的 な もので はな く、 中世 にお ける政治的支配者 の「 立法行為」 もむ しろ法 の不変性 (本稿 の文脈 で は ぐ慣習法 → 法律〉 図式、 つ ま り、変更 しえ ない く慣習法〉 の立法 によ る単 な る確認)の象徴 と し て役立 った。「実定化」 を示す基準 は、一般的 には、立法 とい った一 回的 な「 決定行為」 にで はな
く、本来「 たえず現実 的で あ りつづ ける法体験 (Rechtserleben)」 (例えば中世 において は裁判)
に求 め られ るのであるが、近代への移行過程 において、同 じ「立法 とい う決定」 によるもので はあ っ て も、法が こん どはそれによ って「 妥 当す るもの」 と して、す なわ ち多様 な可能性 のなかか ら選択 され た もの、 したが って「 変更可能 な もの」 と して「 体験 (erleben)され る」 よ うにな ると、 こ れが「実定 的 に妥 当す る」(posit市 gelten)よ うにな るので あ り、 その結果、「 法 の変更」 が合法 化 され るのだ、 とされ る (村上淳一・ 六本佳平訳『 法社会学』岩波書店、1977年、230‑231頁。以 下RS)。 ここか らすれば、 ル ソーの この 〈転 回〉 は、 旧 ヨー ロ ッパ にお ける法 の実定化 の伝統 を、
近代化す る (実定化 を全面 的 な もの とす る)ためのプ ログ ラムの成立、 を意味す ることにな る⑨。
ル ソー自身 の言 い方 は こうであ る。「 人民 は自分の法律 を、 それが最善 の ものである場合です ら、
変更す る ことがつね に 自由にで きる」 (CS 80)。
この近代 的な 〈法 の実定化〉 プログラムにつ いて一言 しておかねば らな らないのは、次 の点であ る。 まず 〈慣習法〉 につ いて いえば、 く習俗→法律〉図式 の く法律→習俗〉図式へ の歴史的 な転 回 (市民革命)によ つて、 それ は基本 的 にはすべて実定化 (=制定法化)され るで あ ろ う。 また く習 俗〉 につ いてみれば、 それ は、 もはや 〈法 にあ らざ る もの〉 と して く法律〉 と峻別 され るよ うにな り、 く法律〉 ない し く法〉 の世界か らしば らくは消滅 したか に見 え るよ うにな る (これが法実証主 義 の成立 で あ る)。 しか し、習俗 はやがて、例 えばオイゲ ン・ エール リッヒの もとで「 生 ける法」
(lebendes Recht)と い う名辞 をえて、 いわば再発見 され る°の。 〈法Recht〉 と く法律Gesetz〉 とが 収敏 は して も同一 の概念 とはな りえ ないの は、一 つ には、近代 にお いて は 〈主権者 の命令〉 と して の く法律〉が、 それへの服従 を要求す る単 な る権力 の く命令〉 で はな く、人 々によ ってなお く体験
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され る〉 ことによって初めて実定的に く妥当す る〉、つまり「生 ける法」 によって支え られ、 いわ ば補完 されざるをえないところの、秩序 としての く法〉を前提 としているか らであろう。
この次第を『社会契約論』のルソーは、 自分 自身にとって難関であった「立法者について」「人 民について」の諸章を越えたあと、「法律の区分」の章 (第2編第12章)で、 こう書 く。 これはお そ らくこの作品のなかで も格別に印象的な、今 日で もなお読者の深い感銘を誘 う、一節である。す なわち、「 国制の法律」(いわゆる基本法〉、「市民社会=政治社会の法律」(市民法)、「刑事の法律」
に次いで、すべての法律のなかで もっとも重要 な「第4の法律」が加わる。「 この法律 は、大理石 や銅板 にではな く、市民たちの心 に刻 まれている。 これ こそ、国家の真の構造 (constitution)を なす もの、 日々新たな力をえて、他の法律が老衰 し、また亡びてゆ くときに、 これにふたたび生命 をふ きこみ、 またはこれにとって代わるもの、人民に建国の精神を失わ しめず、知 らず知 らずのう ちに権威の力を習慣の力へ とおきかえるものである。わた しのいわん とするのは、習俗、慣習、 こ とに世論 (les m∝urs,les coutumes,et sur― tout l'opinion)で ある。現在の政論家たちに知 ら れていない法律のこの部分 こそ、実 は他のすべての法律の成否をにぎるものである。偉大な立法者 は、個々の規則のことしか考えていないようにみえるときも、ひそかにここに心をこらしている」
(CS 81‑82)。 このテキス トについて も旧稿で検討を加えてある。 ここで留意すべきは、「慣習」や
「世論」 にまで拡張 された近代の く習俗〉 は、市民たちの「 たえず現実的であ りつづける法体験」
(ルーマ ン)と して、他の諸法律の妥当を支えているということ、 したが ってルソーの 〈法律→習 俗〉図式 は、モ ンテスキューの 〈習俗→法律〉図式の歴史性 (習俗が歴史の過程 においてやがて法 律に結晶するという観念)を吸収 しつつ、 この図式をいわば論理化 して自らの 〈法律→習俗〉図式 の基礎構造 に組み入れている、 ということである。 これまで「習俗」 とされ、近代において「慣習」
「世論」とされるに至 った「第 4の 法律」は、実定化 された法に く体験〉を調達 し、その く妥当性〉
を確保するものとして定位 される。
Ⅳ.く法〉の概念―ルソーとマルクス
以上の考察を前提 として、最後にわれわれは小論の初めの章で自分が立てた問題、つまり、マル クスによるルソーの く超え方〉 と、そこで失われたものとの検討を試みることにしよう。
マルクス (とェ ンゲルス)が終生維持 した、有名な く法〉の概念 は、1848年 に彼 らが発表 した
『共産党宣言』第2章に記 されている。「 だが、 自由、教養、法などについての諸君のブル ジョア的 観念を尺度に してブルジョア的所有の廃止 [という共産主義者の目標]を付度するというや り方で、
われわれに論争を しかけるのは止めて くれたまえ。諸君の観念その ものがブル ジョア的な生産関係 や所有関係の産物なのだ。同様 に、諸君のいう法 (Recht)と は、諸君の階級意思を法律 (Gesetz)
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へ と高 めた ものにす ぎず、 その意思 の内容 は、諸君 の階級 の物質的生活条件 の うちに与 え られてい るのだ」(MEW:4‑491.1888年英語版 で は「 意思 の内容」 の代 わ りに「意思 の本質的 な性格 と方 向」 とな って いる)。
ル ソーにとっては、すでに見て きたよ うに、く法律 loi〉 は「一般意思の行為」であった (CS 59)。
〈法 drOit〉 概念 につ いて いえば、『 社会契約論』 の最初 のペ ー ジ (第 1編第1章)に、 こ う書 か れて い る。「社会秩序 は一個 の神聖 な法 (un droit sacr6)で あ って、 これが他 のすべての権利= 法 (les autres=droits)の基礎 とな っている。 しか しなが ら、 この権利=法 は自然か ら由来す るも ので はない。 それ はだか ら約束 (conventiOns)に もとづ くものであ る。 これ らの約束が どんな も のかを知 ることが、問題 なのだ°D」 (cs 15)。
マル クス とル ソーの法概念 の比較検討 は、両者が ともに「 意思」 を く法〉概念 の重要 な構成要素 と していることか ら始 め ることも可能 か もしれない (ルソーの場合 は「 意思」 は、法律=loiの概 念 と結 びつ いて媒介的 に、 つ ま り 〈「一般意思」→ その行為 と しての「 法律」→諸法律 の体系 十習 俗=「法」〉 とい う思考回路 において重要 な媒介 と して、組 み込 まれている)。 しか し、論文「 ユ ダ ヤ人問題 によせて」か ら連想 しうるよ うに、 マル クスが法概念 につ いて もル ソー (さ らにはその影 響下 に成立 した1789年人権宣言第3条の「 法律 は一般意思 の表明であ る」 との命題)から刺激 を 受 けた ことは否定 しえないに して も、「 ヘーゲル国法論批判」 な どの初期 の作 品 に即 して、 ヘ ーゲ ル『 法哲学』 との関連 を探 るほうがむ しろ本筋であろう。 この問題 には、 しか し、 いま踏み込 まな い ことにす る。 ル ソー とマル クスはどこが違 うのか? ル ソーの命題 の検討か ら始 め ることに しよ う。
ル ソーの命題 はきわめて簡素 な もので あ って、 く法 とは秩序 であ る〉 とい う表現 に置 き換 え るこ とがで きる。 だが、『 社会契約論』 の冒頭 に置かれ るに して は、 この命題 はあま りに も唐突 で はな いか? 既存 の邦訳 にお ける混乱 は ここに起因す る面 がある。 われわれ はここで、 それ は必ず しも 無前提で はないのだ と主張 したい。
『 エ ミール』 の最終編 の終 わ りの ほ うで、 ル ソーは同 じ年 に刊行 され た『 社 会契約論』 の第10
2編の筋 を 自 ら要約 してい る。 その書 き出 しの ところで彼 は、「 統治 につ いての問題」 を論ず るに は基準 が必要 だ と述 べ、 その基準 を「 国制 の法 の (droit politique)原 理」 に求 めて い る (E:Ⅲ 227,228)。 ここで、先 に触れたよ うに、『 社会契約論』 の最終章 でル ソーが、 この書物で論 じて き たの は「 国制 の法」 であ った と書 いて いることが合 わせて想起 され よ う。『 エ ミール』 の ほぼ同 じ ところで はさ らに、 こう書 かれてい る。「 この重大 な、 しか も無用 な学問 [=国制法 の学 つ ま り憲 法学]を創 り出す能力 のあ った唯一人 の近代人 は、高名 なモ ンテスキ ューだ ったに違 いない。 しか し彼 は国制 の法 の原理 を論 じよ うとは しなか った。彼 は既成 の統治体 の実定法 (drOit positif)を 論 じるだ けで満足 した。 ところで、 この二 つ の研究以上 に違 うもの は世 の中 には何 も無 いのだ」、
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