イギリスにおける行政部の司法的権限と行政権限に ついて
著者 高山 義影
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 16
号 1
ページ 71‑94
発行年 1968‑02‑29
その他のタイトル THE ADMINISTRATIVE AND JUDJCIAL POWERS OF THE ADMINISTRATION IN BRITAIN
URL http://hdl.handle.net/10105/3276
イギリスにおける行政部の司法的権限と行政権限について
高 山 義 影 (法律学教室)
は じ め に
イギリスにおいては、かつてわが国の旧憲法下で、いわゆる行政裁判所法による行政裁判所が 行政事件を独自の特別権限でもって最終的に判決して、普通裁判所の管轄に任せないような、特 別裁判所の制度は存在しないのである。ところが社会の発展にともなう技術性と専門性の増大す る行政事務から発生した諸事件を普通裁判所だけでは処理し切れなくなっていることが実情であ る。戦後一旦廃止した行政裁判所制度を復活せしめたドイツ(西独)を見習って、すでに一部で は、この種制度の創設を主張する傾向がそこここにおいてみられる。思うにわが旧憲法下におけ る大陸法主義から、日本国憲法の下での英米法主義の法理念に移行した筈の行政法の諸原則が、
依然として旧体系の多くのものを温存せしめているゆえんの一つに、わが国の官僚制度の根強い ものを感じる。そこで、過去幾世紀にわたって勝ち得た民主主義の基盤の上に、歴史的に体験を 重ねてきたイギリスの行政部による裁判作用と行政作用の権限の特質の研究は、わが国における 現情の維持ともいうべき、それは権力分立主義を侵さない意味での現行制度の維持と発展のため の何らかの参考にもなろうかと思惑し以下に拙論を述べる次第である0
‑、イギリスにおける行政行為の概念上の分類と作用上の分類
およそ行政部による各種の行政行為は、立法的行為を除いて、イギリスでは、司法的形態(ju‑
dicial type)準司法的形態(quasi‑ judicial type)、行政または執行形態(administrative or excutive type)の明確な三類型に分類できるといわれている。すなわち、上記の分類を強調し て、行政部に新たな権限を付与した各種法律の起草者である大臣権限委員会(The Committee on Ministers'Powers)は、以下に引用するように積極的な任務を持たすべきことが適切であ
るとその報告書で述べている。
1 )概念上の分類概要
上記の分類論は、イギリスでは通説的見解として支持きれてきているのであって、その最高の いわば有権的な決定理論は、かの有名な大臣権限委員会報告書(Report of the Committee on Ministers'Powers)において示されている。すなわち、同報告書は次のように論述してい
る。 「一つの真実の司法的決定(judicial decision)は、二人以上の当事者間の争の存在する
ことを前提とする点で、次の四つの必要条件を含むものである。 (1)争に関する、当事者による当
該事件の提訴(口頭の必要なし) 、 (2)もし双方間の争が一つの事実問題(a question of fact)
であるならば、証拠方法(mean of evidence)による事実の確認(the ascertainment of the
fact)は争の当事者によって挙証され、かつ必要な場合には証拠に関する当事者の弁論補助者に
よって挙証され、または証拠に関して当事者に代る補助者によって挙証される(3)もし当事者間
の争が法律問題(a question of law)であるならば、その当事者による法律上の弁論の提出、
および、 (4)論争中の事実の発見(a finding upon the facts in dispute)による全事件を 処理する決定とその発見事実に対して国法(the law of the land)の通用が、いかなる法律問
9K
題論争にも裁定を要求するものを含むのである。 」と立論し引続いてなおも以下のように述べ る。 「一つの準司法的決定(a quasi‑judicial decision)は、等しく二人以上の当事者間に一 つの実在論争を仮定すれば、 (1)と(2)は包含するが、必然的に(3)を含まない、しかも絶体に(4)を含 まない。実際には(4)の項目は行政行為(administrative action)によって行われ、その性格は 大臣の自由裁量(free choice)によって決定付けられる‥‥.‥純粋な行政上の位置にある諸 決定は、司法的決定や準司法的決定と全く異った論拠に基くものであるゆえに区別せねばならな い。 ‥ ‥ ‥行政決定(administrative decision)の場合には、仲裁付託合意(submission)
と弁論(argument)を考慮判断し、またはいかなる証拠をも掛酌し、あるいはいかなる論点の 解決をなす決定を行う義務を負う者も法律上の責任を問われない.その者が行為をなす範囲およ
(2)のA
び彼自身が行為をなす前に活動する手段は全くその裁量(discretion)に委ねられている。 」と 報告している。
この報告書によれば、いわゆる司法的決定なるものは、 「例外的理由」 (exceptional reason) がない場合には裁判所によって行われるべきであるが、これに反して、準司法的決定と、行政決
(2)のB
定はいわんや当然に国王の大臣(Minister of the Crown)によってなされねばならないと論 じている。従ってこの例外的理由が存在する時には、行政機関(administrative agency)によ る司法的決定が行われても良いことを示唆しているようである。
また、この委員会の意見によれば、司法的作用(judical function)準司法的作用(quasi‑
judicial funnction)との本質的な区別は、前者には絶対に裁量要素(element of discretion) が存在しないが、しかし、後者には常に、準司法作用の行使の中で裁量を行うべき法律上の認許 (statutory permission)があるとする。そこで、この両者は「論争の現存と係争当事者を前擬
蝣a.
とする」(presupposes the existence of a dispute and parties to the dispute)ことで、司 法的作用と準司法的作用を行使する点では共通であって、この点では行政決定と区別されねばな
らないことになる。
そこでこの点について、グリフイッス,ストリートの言を借りれば、 「この委員会は裁判所の
・̲L】、
作用が機械的、非創造的であり、かつ決して裁量的ではないことを仮定している」というように 異論がある。なぜならば、裁判所は、たとえば、刑罰宣告の決定にあたって、あるいは、姦通者 に対する離婚を許可すべきかどうかの決定において裁量を行うからである。これらの場合はわが 国でも同様である。また、裁判所は、公法の分野においても、広範囲の裁量権を行使するもので ある.たとえば、課税資金(rate fund)外の支払についてborough councilの命令に異議あ
る者はは高等裁判所に提訴すべきで、当該高等裁判所は「裁判所が相当と思慮するような事情に
し5)
ついて裁量を行いうる」のである。このように、イギリス公法においても、再びグリフイッス, ストリートの一文を引用すれば「判例理論が先例なき事件における裁判所の法制定を妨げること はまたも真剣に主張できないのである」 (Nor can it be seriously maintained that the
doctrine of judicial precedent prevents the court from law‑making in the marginal
(6)
case)と論ずるように、コモン・ロー(Common‑Law)の制定になる判決においてすら裁判所 の裁量が認められていると解せねばならない。
大臣権限委員会の意見に対する上述の反論を妥当とする立場からも、常に裁判所は「より少い
度合の裁量」 (a lesser degree of discretion)を行うのであり、かつこの裁判所は行政機関の ような公開方式(open manner)と同一の方法によってはその裁量を行使しないことが認められ ている。そこで、委員会が暗示した概念上の結論の擁護者は「全く裁量は、いかなる高度の権威 をもってしても法における不正を宣告できない便宜主義の行政識員特有のアイデアである」(The
discretion is merely the administrator's own idea of expediency, incapable of being
、Tl
declared wrong in law by any higher authority)がゆえに行政機関に属する裁量は裁判所 が行使する裁量と本質的性格が異るという弁論によって関係委員の立場を救済している。このよ うな両者間の裁量の異質性を唱える同'Bの見解として、ゴードンは次のように論じている。すな わち、 「司法的裁判所(judicial tribunal)は、先在する法律上の権利および義務を処理せねば ならない。何となればかかる裁判所は一定の客観的規準(a fixed objective standard)によっ てそれ自体が璃束されていることを宣言するからであるOすなわち、裁判所は自ら権利を与えま たは義務を課すべく公言しないが、しかし、何が法によって命ぜられているかだけは公言するの である。しかしながら、政策上または便宜上で行為する行政審判庁(administrative tribunal)
は、何が得策かまたは何が便益かのそれを命令する。ところで、行政審判庁は先在する権利と義 務に干渉しないが、自身は、それらが実施する権利と義務を創造するのである。司法裁判所は実 施を指導するある種の法を探究する。その実施範囲内の行政審判は、実施自体の実現に至るまで
51の
が法である」と。
ここにおいて、 「司法的」 (judicial)という用語は、上述引用の概念論者のた馴こ確める必 要があるコンスタントな意味があるといえるoすなわち、裁量説による分類論が正しいとすれ ば、それなら、われわれはどうして、なにゆえに貴族院(House of Lords)が、法律は司法的 なものと規定しないのに、使用人に対する一過4ポンドの最少限度の賃銀に関し「相当と考慮す るような」(as it think fit)報酬支払権限を授権された地方当局が支払ったその支払行為をば、
違法と宣告したのかを説明できるだろうかア思うに、裁判所は概念論者が用いる用語の意味でも (9)
行政上の行為を審査できることは明らかであり、 「裁量における相違はその程度の差だけであっ て、裁判所は係属中の事件において行政庁が間違うべきでないものを越えて裁量の限界が遵守さ
inサ:
れてきたかどうかを判定する。すなわち、かの概念論者の弁論は致命的なものとなる」というよ うに、裁量による分類は意味がないと考えてよかろう。むしろ問題は、大臣権限委員会の意見中 の行政行為たる決定に際しての裁量行使が全く法律上の責任を伴わないとする論であるが、しか し、その裁量限界の輸越はやはり違法として取扱われることは上述の判例からも推察できよう。
また、司法的行為と行政行為には単純な二分法があると主張する立場には、なおも大きな弱点 が指摘できる。すなわち、裁判所は、数多くの変遷する文面上で「司法的」という意義を決定す
るように命ぜられているのであるから、たとえば、移送命令(certiorari)は司法機関が発する Uf
、̲lご1
し、また司法的機関は、 「自然正義の原則」 (rule of natural Justise)を遵守せねばならない ことになる、従って、そこには常に司法事務の行使中になされた行為には私犯免除(tortious immunity)が存在しているし、司法的争訟手続に関する新聞記事は誹設罪を構成しない旨の法 の特権があるし、また、政府機関は執行部への司法権の委任を禁止する成文憲法(written con‑
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stitution)に違反できないと解せられるし、さらに、国王は、いかなる司法的性質の責任(any responsibilities of a Judicial nature)をも免除するが、いかなる者によって為された不法行為
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(tort)についても決して責任を負わしめられないのである。これらの例のある種の目的のための
司法的という用語の一定の定義は、もはや定立できないOたとえば、移送命令が、一連の雇傭保
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険立法(employment insurance legislation)によって設置された仲裁裁判所(court of refree)によって発せられても、この裁判所の構成員にはその行為に関する司法上の免責が与え
旨us
られないのである。この欠点は明らかに判断の創造的役割(creative role)の否定に由釆するも のであるといえるo そして、これら仲裁裁判所のごときあいまいな(本釆の司法機関か行政機鳴 かの問題を提起する意味でも)機関に対する通常裁判所の態度は、とにかく行政機関として監督
3軸E
し、できる限りその特権(privilege)を削減すべき要請の下で説明されているのである。
なおまた、行政行為は争の不存在によって特色付けられるという説の確実性の評価を吟味する 必要がある。大臣権限委員会の報告書は、次の二例を挙げる、すなわち、つ1)必需品のための海軍 省(Admilalty)による省契約(a depeartmental contract)の指定、 (2)外国人帰化の許可
(grand of naturalisation to an alien)には争が不存在だから純粋な行政行為だとするので ある。この報告書の定義が、もっぱら、立法措置を指導すべき意図を有している点を想起するな
m覧E
らば、この定義の特色付けの論法での誤った欠点が白から明かとなるであろう。その理由は、国 会が外国人にどの裁判所においても損害賠償を要求することを否定したことで外国人と執行部問
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に争の道が閉された点にあるという。すなわち、 「行為が、性格的に、準司法的あるいは司法的 なものと考えうるにしても、政府が訴えうること自体を認めないということの、かかる事実によ
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って訴の道が妨げられている」のである。上述の(2)の点での反論は訴訟手続面だけの区別であり 性質面での行為の特質ではありえないのである。そこには、やはり、争は否定できないのであ る。また、 (1)の項目をも含めて、政府契約の指定(the placing of a Government contract) の場合は、やや異った範鴫に属する性格のもので、委員会は正当な論ではない。なぜならば、こ の行為は内部規制事項(matter of internal regulation)とみなされうるからである。たとえ ば、ラジオ放送許可申請様式には、 9項目ではなく、 10項目の必要事項を備えるべLとの郵政大 臣( the Postmaster‑General)の内規決定が正に(1)と同じである。この場合は内部的な職務責 任の分担をめぐる争はあろうが、それが裁判問題に発展する可能性はまずありえないからであ
るO従って純理論的には内部的な争の存在は否定できないといえよう.
論争上でのこの委員会のその主張の変形は行政機関ではなくて司法的機関(judicial body)が
し=1,I
当事者の争を処理することに論点が移ってくるO この点の吟味となるD.M.ゴードンの論述の批
・ごご・
判は、上院においてヘルシェル卿によって、この標準の無用性と概念上の結論の根本的誤謬の二 点の面から指摘されている。通常一般には、普通裁判所が当事者間の争を審問する場合には、当 事者の証拠を審理した後に結論に達するいわゆる当事者訴訟(lis inter partes)が存在すると 考えられている。ヘルシェル卿は、裁判官の面前での審問(hearing)が存在するとしても、ア ルコール飲料免許申請(application for liquor licence)の場合には申請者と反対者闇に発生 した争が論争の全分野を網羅する必要がないゆえに当事者訴訟ではないと論じ、そして裁判官の 役目は公の利益(public interest)を掛酌して、その許可を認めるかどうかの判定をなす証拠, を酌量すべきである点を指摘したのである。しかし、上院は、裁判官は裁量が行われた方法につ き裁判所がそれを審査できないという意味で行政的に行動していると言われているけれども、移 送命令が許可機関に対して理由立たないことを判示しなかった。これと反対に、それ以来、アル
(二;;)
コ‑ル飲料免許機関に対する命令権が裁判所に正式に認められたのである。以上のように、イギ
リスでは、用語において、わが国と異なり、概念上厳格な線を引き識別できない性質のものが多
いが、そこは独特の柔較性をもって解釈運用に努力している傾向は、その長所も多いが、また欠
点も忘れてはならないものがある。
( 1) Report of the Committee on Ministers'Power, Cmd. 4060 (1932), pp. 73‑74, 81.なお、
この委員会の別名はダナフモア委員会である。
(2)のA ibid. (2)のB Op. cit., pp.115ff (3) Op. cit., p.75.
(4) J.A. G. Griffith and H. Street, Principles of Administrative Law, Second Edition, 1959, p. 143.;; Fouth Edition, 1968, p.143
(5) Local Government Act, 1933, Sect. 187(3); cf Housing Act, 1936, Sect. 15 (2)(a).
(6) J. A. G. GriHith and H. Street, op. cit,. p. 143.
( 7) H. W. R. Wade, HQuasi‑judicial and its Background" in 10 Cambridge Law Journal
(1949) 216, p. 224.
( 8) D. M. Gordon, HAdminisitrative Tribunals and the Courts," in 49 Law Quarterly Review (1933) 94, pp. 107‑108.
(9) Robert v. Hopwood, T1925D A. C. 578
(10) J. A. G. Griffith and H. Street, op. cit., p.144.
(ll)この移送命令(cetiorari)は、裁判所が他の機関への事件の移送を命ずるものであるが、かつては この命令が認められていなかった.注eSlの本文個所参照。
(12)後述自然正義の原則の項(83貢以下)を見よ。
(13) E. G. British North America Act, 1867, Sect. 96.
(14) Crown Proceeding Act, 1947, Sect. 2(5).
(15)この裁判所は現在はN.I.A'(1946)の下で創設された審判所(tribunal)となっている。後述(77‑
78貢)を見よO (作用上の分類E))
(16) Collins v. Henry Whiteway & Co.,⊂1927〕 2 K.B. 378. (17) Op. cit., p.81.
(18) J. A. G. Griffith and H. Street, op. cit. p.145.
(19) Cf. F.F. Blachly and M. E. Oatman, Administrative Legslation and adjudication,
pp.98ff.
(20) F. F. Blachly and M. E. Oatman, op. citリp.98.
(21) D. M. Gordon, op. citりp.m.
(22) Boulter v. Kent Justices, ["1897J A. C. 556, p.569.
(23) Leeds Corporation v. Ryder, 〔1907コA. C. 420 ; E. G. R. v. Woodhouse, ⊂1906〕 2K・
B. 501; cf. Sharp v. Wake field, C1891J A. C. 173, 231.
2)作用上の分類概要
イギリス行政法への価値あるアプローチとなるものの一つに作用上の分類による研究が、本論 題において興味を引く。ことに、アメリカの場合とやや異る意味ではあるが、勿論、イギリスで は、いわゆる自由放任主義(lassez‑faire)の放棄と共に、そして各種の分野での諸産業の規制 と著しく進展した国有化企業の管理運営などから、行政部は、益々増大する市民の利益配慮と行 政の円滑な運営問題に絡む点で、市民と衝突するのである。従って、行政部の主要任務はもはや 警察と政策決定ではなくして、個人に対する利益保護を前提とする広範囲の規制監督上の識務を 行っており、かつ将釆増々増大する強力な競争経済勢力間の仲裁者として活動するものである。
ここでの問定酎ま、公明正大(fai play)な行為の民主的保護(democratic safeguard)とその
基準について正当な注視をなす特別な行政目的(particular administrative end)を遂行する
ために何が最良の仕組であるかが絶えず追及されることにあるといえるOその一つに、訴訟の握 起後に利害関係を調整し解決する正式の司法作用よりも、むしろ発生する争に予防措置を講ずる 行為が要請されてきたのである。時にはこの指導的作用は、付帯裁決(incidental adjudication) を含み、場合によっては、裁決(adjudication)は付帯裁決以上の性格を有して、その行為は常 に司法部の専属管轄に類似する職務となっている。この種の作用は、後述するように、立法によ って、その行政行為に司法的、準司法的な裁決の権限付けが掛酌きれる必要があり、そして当該 責任機関の組織とこの機関における行為遂行方法が規定されねばならないことになる。また、国
会は、いかなる機関が行為の審査に適しているかを考慮せねばならず、かつそのように判断した なら審査機関(reviewing body)がもっとも良く審査する権限があることを確認すべきであっ
(24;
て、そこで審査が許される範囲を明示すべきである。そこでの責任と義務が、常に公行政(public administration)において相互に依存していなければならないからである。
グリフイッス,ストリートに言わしむれば、イギリスの議会は、上記引用の立法部の責任と義 務ともいうべき法の確定規準の評価を著しく過っていて、かつ、関係立法を概観するに不明確な 規定をなして問題を回避していると論ずるO また、国会には,行政手続(administrative pro‑
cedures)の法律上の手段に関して、熱心かつ不擁不屈の政治家や法律家に匹敵する国会議員の 支援グループはいないのであるからして、必然と法律上の明確性の不存在が、裁判所をしていか に厳重に裁判所が行政行為を監督するかにつき自己本位に判定する態度の自由に任せているとい
う。そして、続けて、まず最初に裁判所は行為の特質を述べずに適当な審査を応用している。そ れどころか裁判所は、どの程度の範囲にわたって彼らが干渉を欲するかを決める種々可能な理由 付けの結論を出しておいて、そこでできうる限りの欲望目的を達するために行為を識別してきた と思われると論じている。さらに、勿論この過程は言語に絶するものであり,そして、その判決 は既述事項(premises)の選択によって熟練と裁量を隠蔽する形式的論理形態 (mould of
し二ro
formal Logic)の役割を演ずるのであると批判している。その要旨からも、わが国の裁判所の 一連の特性とほどよく似通ったものがあることは否めない事実であろうo とにかく、行政行為の 作用上の考察には法令解釈が無視されてはならないのであるからして、ことに法制定の発端にお いて法文の規準の明確性が強く要求されるべきことは、イギリスと同様、わが国においても必然 であることは否定できない。このような観点から以下噸次項目を分けて、行政機関による作用の 特質を解明することにする。
(‑)内務管理作用(function of internal management)
法律上の権限に影響を及ぼさない内務管理事項に関しては、裁判所は関与しないものである。
たとえば、塵芥掃除夫はチップを要求すべきにあらずとか、郵便局は6時に仕舞わねばならない
とか、 Zイギリス空軍届(R. A. F station)は休憩室用の新聞をYからではなくてⅩで購入せ
ねばならないとかのような、若干私的事務(private business)的な行政は自己の家の秩序を維
持するた釧こ許されているo しかしながら、この管理はわが国やドイツで論ぜられているいわゆ
る特別権力関係(besonderes Gewaltverh畠Itnis)と解すべきではないo国民の権利を侵害す
る性質の内務管理作用には、裁判所は干渉できると解釈すべきであろう。この点は基本的人権の
尊重との関係で困難な問題があるが、ここでは取り上げずに、ただ管理作用の本質を忘脚したそ
の規制は当然に人権問題となりうる点を付言しておこう。
(二)事務的行為(ministerial act)
事務的行為は、法令が裁量または判断の行使に問題なく委ねていない確信を実行する義務を規 定する点でそれ以外の公務行為(official act)と区別する必要がある。この一番普通の例が、
おそらく逮捕状の執行(execution of warrents)であろう。この事務的行為の割合が急速に減 退しつつある現象は、おおむね近代行政の複雑性の結果(a consequence of the complexity of modern administration)であるといえる。この現象はわが国でも同じであるo もし仮に事 務的行為を行うに当って問題が錯雑している場合には、事実調査(investigation of fact)ま たは、裁量行使(exercise of discretion)が事務的行為に先立って行われなければならない。
おそらく、幾割かの事務的行為の減少する重要性の原因には、事務的行為に対して現在の救済手
,:61
段が充分であると考えられると、グリフイッス,ストリートは述べている。それらの救済手段 (remedy)には、公務上の義務範囲外で公務員が国民の権利の侵害(invasion of the right) を惹起せしめた場合に、その不法行為に対する訴訟や、または、時には公務員の義務履行を強制 する職務執行令状命令(an order of mandamus to enforce the performance of the duty) などがある.
(≡)法事項と事実事項の裁決(adjudications on matter of law and fact) 行政手続の広範囲の分野においては私権(private rigt)が影響を受け、そこで事実と法に関す る諸決定が要求される。法と事実に関する決定は、常に通常作用たる司法部(Judiciary)にな ぜ委ねないのか、の疑問が生ずる。この疑問は、行政裁決(administrative adjudication) の‑重要類型の例となる国家保険(national insurance)に関する論文によって、最も良く解
(27)
答されうるであろう。そこで、以下この分野における説明をしよう。まず、国は、死亡、病気、
業務上の負傷(industrial injury)、および失業(unemployment)に対する無数の包括的保険 制度(a vast system of comprehensive insurance)を管理している。そして、そこで発生 する諸問題は裁判所が処理するにはあまりにも多きに過ぎる。また、不服・異議・苦情などの申 立(いわゆるclaim とか行政苦情‑ administrative grievanceなどである)事件でのそれ
らの多くは、少額資産者達によってなされるごくわずかの金額のための申立であり、従って、廉 価な手続(cheap procedure)が是非共必要である。なおかつ、この種の諸事件はおおむね反復 性のものであり。その決定の連続性と一様性が望ましいのであって、このために、政府当局は諸 規則を制定し、かつ形式的に解決される申立の大半を処理するために実情に即した活動をなきね ばならないのである。この目的達成のためには、あまねくその組織と裁決機関の最も密接な結合 (the closest integration of that organisatin and the adjudicatory body)によって それが実現されねばならないし、ある場合には、特異な事情の申立についての行政裁決による同 情的処置(sympathetic treatment)が、先例拘束力の原則(stare decisis)の裁判所による厳格
(ご?‑I
71固守を防ぐ好結果をもたらすかも知れないのである。ちなみに、労働者補償申立(workmen's
compensation claims)は、いかにこれらの理由が余儀なくされつつあるかを示す実例として
引証されているのである。すなわち、 1897年から1946年の間におけるこの種の申立が裁判所によ
って判定されていたときには、問題解決の手引資料に関係する‑教科書は37版にも及び、かつ独
占的有権的にこれら申立事件を取扱った‑判例集叢書は47巻もあったとすらいわれている。これ
らの事情の下で、 1946年に国家保険(産業上の負傷)法〔National Insurance (∫ndustrial
∫njury) Act, 1946.〕その他が、裁判所のその管轄権を行政審判庁(administrative tribunals)
(29)のA
に移轄せしめた時は少しの驚きも起らなかったといわれるO (四)法事項と事実事項の裁決および規準の適用
上述の事件における決定をなす諸事実は、証拠または反証を提出する特殊な場合である。とこ ろで、イギリスの展開的な法律制度(developed legal system)の‑特徴は、不可能でない限 り、明白にされた事実状態に対して適用できる諸規範が徹底的な処分機関を骨組みする困難性の
(29)のB
認容となっているといわれている。裁判所は、たとえ固守し確信をもっていても、むしろ確定原 則より規準の実立をなす立法規定に反対はするが、やはり自らはその規準定立の傾向には抗し切 れないのである。裁判所でも、たとえば、不注意運転が私犯である場合に精確な状態を定めえな いで、ただ「運転者は相当な注意をしていたのかア」 (Has the driver shown reaonable care?)と尋問できるだけであろう。ところが、行政機関は、それらのいまわしい規準に拘来さ れずに、その通用が信託きれている。それは、行政行為の専門上の自由(expert freedom of administrative action)を与えた規準の特性によるものであるO それゆえに、この種の審判庁 においては、非法律専門議員(non legal specialist personnel)による法事項と事実事項の 裁決および規準の適用(application of standards)を判断きすように期待を持つのである。
たとえば、不法占有されている土地所有者のための正当な賠償である公正な借地代は何であるか における正当な(fair)だとか相当な(adeqate)だとかの規準の適用と裁決、教育上適切なる もの(educationally suitable)の条件はどうか。特別建築利益(Special architectural inte‑
rest)の建物はどんなものか。適当なる(available)な仕事とは何か0 回家奉仕が例外的辛苦 (exceptional hardhips)の原因になるものはどうかなどである。以上のごく一部の例は、行政 機関に委ねられた範囲内で裁決され解決をみる法律上の規準が適用されうる場合の典型的な実例
である。
(五)政府監督に服する民間諸団体・商業・職業審判所
この種の団体は、競馬クラブ、商業機関、事務弁護士協会(The Law Society)などであっ て、行政審判庁から分離している民間審判所(domestic tribunal)である。これらは、その構 成員を管理するために個人的団体として創設された機関である。本来行政法はかような機関に関 係はなかったのであるが、最近になって、この種の審判所の若干のものが国体内での正義の規準 (standard of justice)維持のために公益と密接に関連する理由から、また、団体が棲示する国 民生活の特別事項が政府監督の一定方式に該当するゆえに政府の監督に眼することになったので
ある。この種の審判所の主要な特徴は、法と事実の問題を裁決することの他に罰金、 (fine)ま たはその他の罰則を課す権限を付与されていることである。わが国での政党・商工会議所などに 類似するものといえよう。
(六)イギリス行政法における規制作用
イギリス行政法における行政行為の最も議論のある分野が、国家による規制作用(regulatory function)の間塩であるo ここでの行政は、立法政策(legislative policy)の推進によって、
市民をばその監督、規律、またはその他の介入に服せしめるのであるO イギリスでのごく一般的
な例としては、人口問題解決のための必要住宅の提供の保証のためと、効果的な地方計画を実施 する必要上から土地所有者に干渉する場合であろうO アメリカ合衆国ですらこの種の手段の最も 効果的な行使を行っている.すなわち、民間企業は国有化せずに公益に奉仕せしめる手段がそれ である。英米両国で用いる一つの重要な規制手段は免許(licence)である、すなわち、免許行 為は特別の場所で特定の企業を経営する権利を国家の許可に留保せしめ、条件を満たす場合に規 制作用をともなわしめて企業経営を認める行為である。とにかく、規制作用の特徴は、事実発見 (fact‑finding)を含み、かつ、ある場合には法律事項(legal point)をも含むのだが、なおも
‑常に規準の適用(application of standard)より以上に選択の自由(freedom of choice)が あることであろう。つまり、選択がなされることによって、服従を強いられる事実発見または政 策決定の要求は、その過程において、二段階に立法部と裁判所をして考慮さすように導いてきて いるのであるO一般的に、この理由付けの線の次第では、第一段階の司法抑制のいくらかの手段 は必要である。がしかし、第二段階では政治上の責任事項となる、なぜならば、国会にとっての
・;in蝣
責任となり、他の者の責任ではないからだと、ダリフイッス,ストリートは述べている。
ところで、ここでの政策(policy)という語は慎重に注視せねばならない、すなわち、それは 内閣水準で解決せねばならない特定事項の洞察力を想作する感情的な力を有するのである。とこ ろが、規制行為(regulatory action)の行われる典型的な事件をみれば,この意味における政策 を全然含まないことを知るだろう。例えば、 1936年の住宅法(Housing Act, 1936)第25条を考 察すれば貧民街地域の一掃を目的としている。そこで、もしも地方当局が諸家屋は人間住宅に不 適当だと判断し、地区内の全建築物は取壊わきるべLとして、移転移民のためには他の施設があ ること、かつ、その建築費用を支出できると確信したとすれば,住宅・地方自治大臣(Minister of Housing and Local Government)によってそれが確認された場合にのみ有効となる立退 命令(clearance order)を発しうる。その場合、後者はその命令を確認すべきか否かを決定す
る前に支持さるべき事実(fact to be held)の公共地方調査(public local inquiry)を行わ せる。この決定は政策の一つだと言うにはあまりにも誇張すぎる。政策は最後的な価値ある判断 に限るべきであることが当然に理解できる。思うに、倫理的判断はすべて重要な‑目的であり、
そして、事実的性質の提案は他の目的において、決定で定めた目盛が存在するのであって、この 両者間のすべての論点は、その両者間で一致することが必要である。だが、規範的要素または倫 理的要素が事実的本質に関係して比較的に大であるところでは、全く国会の政治責任たるべきで ある(Only where the normative or ethical element is relatiovely big in relation to
(31)サA
the factual should there be merely political resoponsility to Parliament)とダリフ
イッス,ストリートは、関係大臣による政策決定と国会の制定法の欠点を指摘している。要する に、これらの場合は、裁判所自体が認めた裁量に関する限界の論争であって、爾来、裁判所は裁
(31)のIB
量の濫用(abuse of discretion)として審査しているのである。なお一層の混同に関する要因 となるものには、事実調査手続(factual investigatory procedures)が事件のすべての事実要 素に行きわたらない点から、事実証拠と事実に対する専門意見の双方の間の重要な特質が認定さ れないのであり、実際には、この点が裁量要素の不当な重みとなる欠点がある。たとえば、住宅 問題では、政府の書類入れに隠された工事報告書・測量報告書・会計資料、および実際上これら の資料を無視する政策という名目下で蔽われたところの各種の決定を裏付けたが利害関係者には
口外しない無数の事実が存在している。この事実を証するものには、行政部はこの種の書類の公一
表を好まず、市民に対しきわめて不正義に、訴訟において政府書類(Governmental documents)
に対する閲覧謄写をば利害関係者に禁じた1947年の国王訴訟手続法(Crown Proceeding Act, 1947)の第28条の規定と同一方法でもって、当該関係書類の公表を防止すべく立法部に働きかけ たことである。そして、裁判所も、この不自然な裁量範囲の拡張を支持した。すなわち、アーリ ッヂ事件において、ショーウ卿は、入念に要点を述べずに、不幸にも行政部にある書類を公表せ
t3ご1
しめるのは、 「能率、実際そして各省行為に関する完全な国会責任の真実理論」と矛盾するとい うo また、グ')‑ン卿は、大臣は「閣内または閣外から入手した諸報告書と諸意見のごとく、純 粋に行政上の資格で取得した諸資料も同じく一般政策に関する自己の諸見解をばそれらの胸中の
、ぷ)
まま表明したり、保持する権限を有する」と述べて同じ見解を支持している。
(3fl
規制行為における裁量の限界は、アルコール、映画館その他の営業の許可事件がなお一層明確 な線を打ち出している。要するに、この種の行政部による規制作用は、国会がある程度の確定性 を明示または明白に定義付けすべきであり、その限界内に制限された事実発見過程とその選択の 成立(a fact‑finding process and the making of a choice)という二つの部分から成り立
lこsro
っていると言いうるだろう。
イギリスにおいては、国会が、大臣に政治責任がある権限を付与し、かつ、ただ大臣の意向を 知らせる手段または大臣に世論(public opinion)を獲得せしめる手段として、、実際上の調査権
限を与えられる場合が多分にあることは、もはや否定されるべきではなかろうO このことは、例 外的な場合たらねばならないと、われわれは考えるかもしれないのであるが、事実、この実例に 相当する法律がある。それは、 1946年の新町村法(New Town Act, 1946)であって、要約す れば、本法によって住宅・地方自治大臣は、ある人口過密都市からその過剰人口を収容するため の新町村として、特別な地域を指定できるO その場合に、地方調査を行うべき法律上の義務が課 されてはいるが、この点は、行政方式と行政手段による全体の発見ではなくて貴族院が認定して
い61
きたような真実の政策決定であるといわれている。わが国においても、新産業都市法、新住宅市 街地開発法などの問題においても、みられる斯似現象の一例であろう0
(七)純政策決定(decisions of pure policy)
イギリス行政法においては、前述の政策決定よりも、尚一層高度な段階において、いわゆる
「純政策」 (pure policy)と称きれている作用があるo それらは常に大権権限(prerogative power)であり、かつ、その特質は、いかなる指導原則の国会による定立をも防止する独特の権 限たらねばならないのである。この決定が行われる場合は、前述の類型と異って、どんな方式の 事実調査も必要とされていないO この種の類には、外国政府の承認(recognition of a foreign Government)、宣戦の布告(declaration of war)のごとき決定行為がある。不幸にして、
この種の純政策決定の通切なる限界(resonable limits)を超えて、類推通用された例があるO その一つは、イギリス内務大臣(Home Secretary)が、外国人を追放すべきか否かにつき、自 己の監督されない裁量(uncontrolled discretion)によって、外国人に事実調査が行われなか った理由で行為取消のため裁判所に出訴できないと決定した、それであるO この決定は、グT)フ イッス,ストリ‑トによれば、追放事件(deportation case)で注意を引く法事項の優越と事実事 項の優越(preponderance of legal and factual matters)は、その外国人がアメリカ合衆国 で有する公正聴聞権(right to a fair hearing)がなぜにイギリスでも有することに帰一すべ
しこ与:、・
きでないかの正当な理由ではないと考えると批難しているように、明らかに純政策決定の限界を
越えた濫用である。この事件は、わが国での外国人の処遇問題から発生する困難な事態の‑参考 となるだろうO
(八)即決権限(Summary power)
私人の権限を侵害するが、それでもやはり聴聞が否認きれる裁量上の行政行為(discretionary administrative action)の類型がある。診しい財物と通貨の監督はこの種の手段で行われてい るし、また、イギリスでは、運転免許申請者ですらも行政当局の面前での聴聞権が認められてい ない。この後者の即決権の管轄には、担当公務員がその申請形式について、即決の決定をなすあ らゆる実質的必要条件を具備している必要がある。この申請と酒類販売許可申請とを比較する と、地区民の意見または口頭証拠(local opinion or oral evidence)の配慮問題が後者にはあ るが、前者にはこれらも必要でない。また、運転テストが命ぜられる場所には、特定の審判庁 (tribunal)の面前で発生事件の弁論権を受験者に認めるどんな目的根拠もありえないのである。
なぜなら、受験者は、おおむね試験官(examiner)の専門意見(expert opinion)を己むなく ても受入れるからである。実地試験にあっては、免許発行は、その実施テストで容易に判断でき る技術事実または専門知識がどうかの適切な査定の結果となる。従って、この場合のその即決手 続(summary procedure)における不公平はないと推定されている.それは特に、免許を拒否 された者が、その原因となった即決権限の濫用またはその他の違法を理由に当該即決権限の行使
tこlド1
につき司法審査(judicial review)を要求できることで担保されている。量的に言って、この 種の略式手続たる即決手続は、イギリスでもわが国においても近年増々その重要性が注目されて いる。それは、国民の基本権侵害問題を伴うからである。
(九)査察、調査(inquiries and investigations)
イギリスでは、事故防止による一般の利益の保護のために、行政部は鉄道・工場・航空などの 事故の正式調査(formal investigation)を行う権限を与えられている。この種の調査は、検屍 官(coroner)の行為が裁判所の事後裁決(subsequent adjudication)なしには私人の権利に 影響は及ばないというその検尿(inquest)に類似している。しかしながら、この検屍官の認定 は刑事訴追(criminal prosecution)に落着くかまたは民事訴訟(civil action)の根拠となる。
し:1こ11
その検屍富の検屍におけると同様に、この種の査察調査では、利害関係当事者(interested par‑
ties)に聴聞権(right to be heard)を与える相当な理由があるのは当然である。最近、公正 聴聞(fair hearing)の必要性は、多数の産業の国有化(nationalisation of industry)をよ り多く強調するようになってきたことが要因となって、いよいよ重要となっている。たとえば、
運輸・民間航空大臣(Minister of Transport and Civil Aviation)は、自己の管轄に属する 国有航空線(nationalised airline)の飛行機事故調査のために審判庁と密接に提携すべきであ るとの要請は、 1950年に政府によって、国有民間航空事故調査手続協議委員会(Committee of NaH'.onalised Civil Aviation Consultative Council on Accident Investigation Proce‑
3mg
dure)の作成にかかるその報告書の意見を採用せずに反対に否定きれた。本来、国会に対する大 臣責任は、大臣側では偏見(bias)に対抗する適切な安全装置となるという結論に落著したので
(41)のA
ある。
もちろん、この種の調査は一般に広範囲にわたって種々の目的のために行われている.上述の
調査におけるように、時としては、その調査は事実の確認(ascertainment of fact)を目的と することもある。また、別の場合には、たとえば、大臣は政策を定立する以前に世論を知らされ
るように希望する調査もやる。すなわち、少くとも、これらの場合には、あらゆる利害関係者に 無制限の聴聞権(unrestricted right to a hearing)を認めることにおいてこそ利益をうるの
(41)のB
であると、グリフイッス,ストリートは論じている。わが国で各種の聴聞を行うに際して、ま た、委員会を構成するに当って、その聴聞権を制限したり、委員会構成員の人選に偏見がみられ るのは、誠に、我田引水的な哀れむべき現実といわねばならない。
(24) J. A. G. Griffith and H. Street, Principle of Administrative Law, Second Edition, 1959, p.146; Fouth Edition, 1967, pp.146‑147
(25) J. A. G. Griffith and H. Street, op. cit., pp.146‑147; Fouth Edition, 1967, p.147 (26) J. A. G. GriHith and H. Street, op. cit., p.147; p.148. (27) Op. cit., p.148.
(28) ibid. (29)のA ibid. (29)のB Op. cit., p.149. (30) Op.cit., p.150.
(31)のA Op. cit., p.151. (31)のB Leeds Corporation v‑ Ryder C1907〕 A. C. 420, p.423.
(32) Local Govenment Board v‑ Arlidg, C1915⊃ A. C. 120, p‑137.
(33) Robinson v. Minister of Town and County Planning, 〔1947〕 K. B. 702, p二713
(34) Cf. Sharp v. Wake field, C1891〕 A. C. 173; Leeds Corporation v. Ryder 〔1907〕 A. C.
420; Local Government Boardv.Arlidge, L1915T A. C. 120; Shart v. Poole Corporation,
〔1926〕 Ch. 66! Liversidge v. Anderson, 〔1942〕 A. C. 120, 206; Thompson v. Randwick Corporation 〔1950〕 81C. L. R. 87; Earl Fitzwilliam's Westworth Estates Co. v. Minister of Housing and Local Government ["19521 A.C. 362 and so on.
(35) J. A. G. Griffith and H. Street, Op. citりpp. 151‑152.
(36) Op. cit., 152. (37) ibid (38) Op. citりp.153.
(39)この点に関する観察検討については、 W. A. Robson ̀̀Public Inquiries as an Instrument of Government" in 1 British Journal of Administrative Law (1954), p.71 が参考とな
'‑>i>
(40) Report of the Committee of Nationalised Civil Aviation Consultative Council on Accident Investigation Procedure Cmd. 7564 (1948)
(41)のA民間航空(事改調査)施行規則CCivil Aviation(Investigation of Accidents)RegulPtion, 19 51.S.I. 1951 No. 1653コによって、現在は、分離管轄の下で事件が処理されているようであるo (41)のB J.A.G.Griffith and H.Street, op. cit, 1952 ed. p.154; 1967 ed. p.153.
二、イギリスにおける行政審判庁の構造・権限・手続
イギリスにおいては、かつてダイシーが行政法の存在を否定した趣旨からも容易に推察される ように、政府全体の政治責務の増大とその能率的処理の必要性が必然的に行政権(administra‑
tive power)の発展を促進せしめ、今や行政法を否定する者はおろか、その重要な役割がいよ
いよ増大している。そして、行政権の及ぶ範囲は、司法的・準司法的な作用をば、行政審判庁
(administrative tribunal)の形態において行使するに至っている。それゆえに、行政部は、こ
の種の職務を行うに当って、能率の分野からも評価きれなければならないのは、もちろんのこと
だが、われわれは、この種の行為の必要性とその重要性の吟味に際して、イギリス行政法でのこ
の行政部が司法的にまたは準司法的あるいは行政的に行為しつつあるか否か、そしてその場合に
厳格な規準をその行為に通用しているかどうかを検討するだけではもはや不充分だと悟らねばな らないO そこで、上記の吟味に加えて、経済・社会学的な目的とそれを背景とした政治哲学的な 権限範囲、権限行使機関の構造組織、その手続、および責任の度合などについてのあらゆる行政 過程の活動状態が、公益と私益の間のバランスのとれた決定を行っているかどうかをも総合的に 考察すべき必要があろう。以下は、貢数の都合上、上述の観点が充分に叙述できないことは筆者
の無能によることを付言して要約することにしよう。
1.事務的行為と行政審判
まず、純粋な内虜管理行為(purely internal administrative act)についての考察は、私 権を侵害しない範囲に属すると解すれば問題とならない。また、事務的作用も多くの困難な問題
を提示しない。例示すれば、確定判決債務者の貨物に対する差押令状の執行などの場合の事務的 行為の大多数は裁判上の事実調査(judicial investigation in to the fact)が優位させられ
ているからである。このような場合、下級職員への権限委任による処理でも、その委任権限内の 行動は職務上の免除(official immunity)が保障される。また、巡査(constable)は裁判官
(42)
発行の逮捕令状の執行の場合に自己の管轄外で行動したとしても保護されることは相当である。
これと反対に、事前の司法調査なしに公務員が自己の危険において行動する場合には、本件での
!'い
その公務員の責任は免れないのは明白と解されている。なお、グリフイッス,ストリートによれ ば、 「事務的行為は偏見だけでは当然に無効ときれない、何となれば、その事務的行為は司法的 作用の行使における偏見が法に違反しているという原則の目的たる司法的なものではないからで
(ォ)
ある」と主張しているが、しかし、憲法上の法の下の平等の原則(principle of equality)か ら考えて、不公平な事務的処理行為はやはり違法問題を生じせしめ無効となる場合は否定できな いのではなかろうか。
2.法と事実の争点の裁決審判庁・準則の適用審判庁
法と事実(law and fact)、準則(standard)問題の解決に当る審判庁は、法律によって設置 された施設であって、われわれは主にこの種の審判庁を創設した関係法律に本題の研究資料を求 めねばならない。ところで、イギリスでは、国会が二十世紀の初頭において大規模にこの種の審 判庁を初めて創設した時には、これら審判庁の法律上の手続(statutory procedure)を詳細に 規定していなかったのである。そこで、この種の審判庁は、通常の司法方式(normal judicial method)に従うべきかどうかの問題が生じ、裁判所がこの問題を裁定したのである。すなわ ち、この問題は、本題で論ずる行政審判庁の形態に直接関係はない範時であるが、偶然な面から
mag
貴族院によって、有名な、教育庁対ライス事件(Board of Education v. Rice)と地方自治省
蝣4fc、
対アーリッヂ事件(Local Government v. Arlidge)で判決きれたのである。
(A)自然的正義の原則(the rule of natural justice)
上記の二判決を支えるこの自然的正義の原則は、行政審判庁が裁判手続を遵守すべく要求され
るべきではなく、一定最少限度の安全装置規定(provision of certain minmum safeguards)
に従う審判庁制定の規則を遂行するのに自由でなければならないというのである。すなわち、判
決では、 ‑ ‑・ r審判庁は、誠実に行動しなければならず、かつ、公正に双方当事者の意見を聴聞
しなければならない一一しかし、私は、審判庁がかかる問題をあたかも裁判であるごとく処理す
ベく拘束されているとは考えない。 ・・‑審判庁は、常に、争の当事者に対して、その者の見解に 不利益ないかなる関連陳述でも訂正する機会を与えまたは反駁するための公正な機会を与えて、
し1了)
最良と信ずるいかなる方法ででも資料を入手できる」と判示している0
さらに、この論旨は、ア‑リッヂ事件において、なお一層の発展をみたのである。この事件で ホールディン卿は「審判庁は、挺起された問題を偏見なしに処理せねばならない。そして、各々
し.IS〕
の当事者に問題となる陳述を適切に提出する機会を与えなければならない」と判示している0 ‑ 般に、この二つの原理は、十九世紀の即決裁判所(court of summary)の管轄監督において、裁 判所が拡張的に用いた法律用語たる「自然的正義の原則」と称されてきている。この二つの事件 から、 ④何人も自己の事件の裁判官たるべきでないこと、 ⑥両方の当事者は聴聞されなければな
らないこと、という二原理が行政審判庁の必要最少限度の唯一の要件であると確定されたと解さ れている。しかもなお、貴族院がこれらの二原理を審判庁が遵守するかどうかは法律解釈上で解
し.1リ\
決される問題であることを判定している点を忘れてはならないのである。ここにおいて、自然正 義の原則は変化しやすい内容のものかも知れないが、表題が示す形態の審判庁は、アーリッヂ事
し5Lll
件の規制機関(regulatory body)より以上に厳格な準則を有すると考えられてよいだろう。こ の見解と一致して、パームーア卿は、実質的正義の原則(principle of substantial justice) の決定においては、審判庁は、 「決定さるべき事件の性質と審判庁の構造の性質に必然的な配慮
(51)のA
を払わねばならない」ことに順応する必要があると判決している。従って、この種の審判庁は、
ア〜リッヂ事件での諸原理や、別の範鴫の審判庁で遵守される原則よりも、尚一層高度な手読 上の準則を∃釦,られねばならないことから免れないのであるo
行政機関が自然的正義の原則を遵守する必要があるのは、その行政機関が「司法的」に職務を
(51)のB
行いつつある過程だけである。この司法的という意味はここで説明する必要はない。ただ単的 に、表題が示す形態の審判庁が「司法的」かつ自然的正義の原則に従うのであると言えば充分で ある。以上、偏見と反対当事者聴聞によるこの原則の保障について述べる。
(a)偏見(bias) 偏見の禁止は、審判官が不公平に一万当事者の利益を計り影響を及ぼす 要素に対抗する。この偏見には、無資格を結果する三形態があって、その第‑は、内容上の偏見
(bias on the subject‑matter)である。この種の偏見は、ただ稀ではあるが、その手続が無効 となる.フィールド判事は、英国学士院動物残酷行為防止会(Royal Society for the Preven‑
tion of Cruelty to Animal)に賛成した治安判事はその賛成によって、馬に対する残酷行為 に関して当団体が提訴する告訴事件を審査する資格がなくはならないことを支持して、 「一般的
31里革E
目的で追述されるような単なる一般的な利益には、法律上の資格を失わない」と判決している。
(s3)
この種の偏見となるには、本事件の訴訟についての指示がなされている必要がある。もし、裁判 所が公正聴聞をやらない結果の理由または見解の基磯付けのない確定的・不変更的な結論に達す る内容上の侵害が存在するならば、 (たとえば、裁判官が規定時間後の酒類提供嫌疑で自己の 面前に送付される者は誰でも有罪行為だと宣告して、裁判所が勘定を没収すると同じである)
(54)
これらはまさしく偏見である。また、大臣権限委員(The Committee on Ministers'Powers) は、偏見の範囲を拡大して、政策についての意見ですらも無資格根拠となる場合があるとの見解 を支持している。だがしかし、政策問題は司法的決定に適さないということは、前述したごと く、あまりにも明白な根拠があるので、これは違法であると確信をもって述べうるとグリフイッ
しElしい
ス,ストリートは論じる。思うに、世論的な意見が偏見となるこの意図は肯定できないが、逆
に.各種調査や聴聞会の参考人に政策的決定に都合のよい者を選定し、いわば芝居の意見を聴取 する場合には双方が偏見行為を公的に権威付けていると言えないだろうか。この点について、有 力な回答がアメリカのフランク判事によって出されているのが参考となるだろう。すなわち、同 判事は、 「しかしながら、もしも偏見と不公正が審判官の心中での先入観の絶無をもくろむべく 明示されているとすれば、その場合には公正な審理をかつて行った者は誰もないし、かつ、誰も それを以前に望んではいない。幼年時代ですらも、人間の精神は空白な紙切れではない。われわ れは、素質をもって生れている、そして形式的かつ略式的な教化過程は特別な場合における理由 付けに先行する態度を形成し、かつそれゆえに定義によって偏見である状態を創造するのである
し:1丁 l
‑・」と述べている。次に、その第二の偏見の形態に属するのは、金銭上の偏見(pecuniary bias)である。たとえ僅かな額であっても、金成上の利得をなす場合は、当該関係事件でのその 裁決がどのような面に影響しているかが証明されないとしても、やはり偏見と認められて無資格
、!‑? 、
となる。さらに、その第三の偏見形態は、人的偏見(personal bias)である。判事は一方の当事 者の親族かもしれないし、彼は審理過程前または審理過程中に発生事件の結論に自ら敵対するか
もしれない。ところが、裁判所は、この種の偏見が聴聞を無効とする場合を判定するのに首尾 一貫していなかった。そこで、貴族院は、フローム共同バター製造所対浴場治安判事事件(Frome
ヽI
United Dairies Bath Justice)において、 「偏見の実存性がある」かどうかの判断をやがて是 認したのであった.爾来、貴族院は、 「裁判は慢然と行われるべきではなくて、明確かつ疑問の
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余地なく行われるべし」というへワード卿の格言を同一用語の表現ではないにしても認容してき
A:.い
た。すなわち、 「裁判の進行に重要な防害があったという嫌疑すらも生じさす何ものも存じ行わ れるべきでない」 (Nothing is to be done which creates even a suspiction that there
川‑:、
has been an improper interference with the course of justice)と判決している。
要するに、もし法律がこの種の原則‑の違反を認容するならば、数多い事件にこれら原則が通
・ボr
用できないのである。換言すれば、あらゆる場合に、すべての有資格審判官が偏見で行動したと しても、それらの行為は全く不法行為でないと考えられることになって了うのである。思うに、
わが国の裁判所識貝の除斥、忌避または回避の制度に類似しているイギリスの制度であるが、し かし、わが国の行政機関が行う司法的行為に関しては、あまり確定的な原則が樹立きれていない 点は今後の課題であるともいえよう。それは自然的正義観念から解決すべき問題である。
(ち)双方当事者聴聞(audi alteram partem)次に、 「両当事者は聴聞されるべし」 (Both
しバーい
sides should be heard)という原則が自然的正義の原則の意味の中に含まれる。この原則は、
原則自体よりもむしろ、原則に対す必然的結果が重要である。ここには、固有口頭聴聞権(in‑
しボ三11
herent right to an oral hearing)は存在しない。一般に、証拠は一万の当事者に秘密で提出 されてはならない、もし書面証拠(written evidence)が提出されていると、それは相手方当
ヨ莞3.E
事者に役立つようにきれねばならない。また、当事者は聴聞の告知(notice of hearing)を受
1t;こ.
ける権利を有する。すなわち、当事者は、彼に対する事件を反駁する適切な機会を有することが この原則の根拠であるから、この告知は当面する事件の関係者に通知されねばならないというこ とである。
すべての証拠を知る権利と共に、当事者は、その証拠を反駁する権利を有するO しかし、もし 当事者の弁護人(counsel)が、その当事者が証拠を要求しない事項の弁論行為を禁止されてい
しti.'、
るときは、抗告原因(cause of complaint)でない証拠が・与えられるO また、理論的には、スイ
フト判事が以下で論ずる格言により支持した弁論の反対尋問権(right to cross‑examination) が存在する必要がある。すなわち、同判事は、 「‑そこには本事件の頂点に関係する若干の不適 格性が存在していなければならない。もし、一方当事者が相手方が弁明したのを知る機会、また は相手方が反対尋問で弁明したのを吟味する機会、あるいは相手方から弁明されたのに対する回 答をなす機会を、他方の当事者がそれらの機会を与えられずに審理されているとすれば、そこに
、us、
は明らかに自然的正義の原則の権利侵害があったのである」と判決で論じている。
なお、相当な英語の理解力がない場合の事件では、上述の点は依然として愚問が残る。また、
この場合には、若干の固有的な法律上の代理権(inherent right to legal representation)が
ししi'Ti
存在するか否かは疑わしいものであるという。
ところで、証拠が当事者に秘密で採用されてはならない原則は、物的証拠(real evidence) に及ぶものである。国王対バッジングトン・セントマリイレボン賃貸料審判庁、ベルロンドンプ
ロビンス財産有限会社の一方的申立事件(R. v. Paddington and St. Marylebone Rent Tri一
丁‖1
bunal, ex parte Bell London and Provincial Properties, Ltd)は、この原則を一層厳格 なものに進展せしめた。すなわち、本事件で地代審判庁は、聴聞前に既述事項を調査し、かつ地 主の使用人の面前で天井の高さを測定したのであった。ところが、その地主は、天井が所定の基 準で要求されている高さに足りないことの事実が、賃借料値下げの理由として審判庁から示され た時に仰天し異議を申立てたのである。この事件では、審判庁の測定が不正確であったことが暗 示されなかったが、裁判では地主に対する通知なしに本事件を尉酌するのは自然正義の不履行と なると判示された。もし、本事件が、審判庁は当事者が実質的と思慮し、かつそれを面前に弁論 する要素たる実質的証拠を特定する必要があると判定し判決きれたとすれば、この判決は不当に 患われる。すなわち、裁判所は、もはやこれ以上法の観点に対する主張点を制限できないからで
しlT 、