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未完の物語 |「絵入自由新聞」の連載記事(続き物)(三)

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全文

(1)

本稿 は、 前稿

「未 完の 物語

――

「絵 入自 由新 聞」 の連 載記 事( 続き 物)

(二

)」 に引 き続 いて

、一 八八 五( 明治 八) 年の 雑報 欄を 中心 とし た連 載記 事を 一覧 化し たも ので ある

。こ れま でと 同様 に編 集体 制の 変遷

、他 社の 動向 出版 状況 に関 わる 雑報 も、 注記 の形 で* 以下 に引 用し てあ る。 本年 は、 社主 兼印 刷人 に松 田脇 知朗

、編 輯人 に小 林清 右衛 門と いう 編輯 体制 に変 更は ない

。た だ、 紙面 の改 良は 前年 から 引き 続き さら に行 われ てい た。 九月 八日 の社 告で

、字 数を 増加 して

「新 聞の 面目 を全 ふせ ん」 とす る心 気を 示す ので ある

。「 東京 絵入 新聞

」が

、す でに 六月 から 紙面 を刷 新し て字 数を 増や し、 九月 から は「 絵入 朝野 聞」 や「 今日 新聞

」も 紙面 改良 を図 り、

「自 由燈

」や

「東 京絵 入新 聞」 もま た一 一月 から 紙面 改良 を企 てて いた

こう した 状況 は、 愛梅

「小 新聞 論説 の沿 革」

「小 新聞 の論 説が 盛に なり しは 下等 田地 の開 墾の 為め すべ きこ と」 とい う自 画自 賛し てい たよ うに

、社 説を 掲載 する 政党 系小 新聞 の嚆 矢で ある

「絵 入自 由新 聞」 の創 が流 行現 象と なり

、「 自由 燈」 の広 告文 にあ る「 大小 新聞 を折 衷し 一種 以て 大小 の効 用を 兼備 した る」 新聞 へと 容し てい った こと を示 して いた

。い わゆ る小 新聞 自体 の「 中新 聞」 化が 進行 して いた ので ある

連載 記事 の最 初は

、前 年一 二月 二九 日の 社告 で予 告さ れた よう に、

花の 夢上 編」 であ った

。一 月四 日よ り二 月八 日ま で新 井芳 宗の 挿画 付き で全 一五 回連 載し てい る。 原作 は、 Wi ll ia m W il ki e C ol li ns の歴 史小 説「 An to ni na

であ るが

、冒 頭で

「本 稿は 頗る 長編 に渉 るを 以て 上中 下の 三編 に分 てり

」と され なが ら、 上編 のみ で中 絶し たの

 

 

 

 

(2)

惜し まれ る。 この 他に 連載 され た長 編の 続き 物に は、

「島 鵆噂 立浪

」全 五五

「峰 の白 雪」 全三 七回

「浮 名の 立花

」全 四六

北雪 美談

」全 五四

「女 天一 花園 於蝶

」全 九〇

、「 茨の 露」 全六 三回

「貞 操三 国艶 妓」 全七

〇回

、「

音頭 日本 銀二

」全 四六

、「 春色 桜茂 地」 全四 二回

「怪 談髑 髏盃

」全 四四

「賤 女の 苧環

」全 四七

どが あっ た。 いず れも

、挿 画は 芳宗 であ る。

「浮 名の 立花

」は 四月 九日 の挿 画が

「猥 褻の 図画

」と 判断 され て、 新聞 紙条 例第 三十 九条 違反 で罰 金二 十円 に処 せら れた こと が四 月一 九日 の雑 報に 報じ られ てい る。 その 処分 は控 訴さ れて 連載 は継 続し たが

、六 月二 日の 雑報 控訴 審で も結 局却 下さ れた こと が分 かる

。こ れら の内 で出 版が 判明 した もの には 次の 四作 品が ある

。「 女天 一花 於蝶

」は

、伊 東専 三『 女天 一花 園お 蝶』

して 出版 され

、「 操三 国艶 妓」 は、 渡辺 文京

『貞 操三 国艶 妓』

とし て、

「閧 音頭 日本 銀二

」は

、一 筆庵 可候

『閧 音頭 日本 銀二

して

、「 怪談 髑髏 盃」 は、 一筆 庵可 候『 怪談 髑髏 盃』

椿 して

、い ずれ も活 版の 草双 紙と して 出版 され てい た。 絵入 自由 出版 社の 活動 は途 絶え

、版 権を 所有 しな い連 載記 事は 再び 自社 以外 の出 版社 から 刊行 され るよ うに なっ ので ある

。な お、

「貞 操三 国艶 妓」 以下 は同 一の 出版 社か ら翻 刻出 版さ れて いる が、 この 出版 社に つい ては 今後 調査 に待 ちた い。 新聞 社の 版権 意識 につ いて は、

「六 大新 聞の 頭痛 鉢巻

」と かぶ せ見 出し をし た五 月八 日の 雑報 に見 るこ とが でき

(3)

る。

「輿 論日 報」 が「 府下 六大 新聞 の社 説は 不残 丸取 の上 必要 の雑 報は 遠慮 会釈 もな く抜 萃し て其 紙上 に載 せ」 ので ある

。し かし

、こ の事 態に 対し ては 五月 二四 日の 雑報 で、

「内 務省 より 新聞 紙に して 他の 新聞 紙( 欧文 新聞 除く

)に 掲載 する 論説 を十 日以 内に 其新 聞紙 に転 載す る時 は必 らず 原新 聞社 の承 諾を 受べ き旨 を制 定さ れ一 般に 達さ れた り」 と報 じら れて いた

。さ らに 七月 三一 日の 雑報 は、 新聞 紙条 例第 三十 条が 改正 追加 され て、

「官 報又 他の 新聞 紙よ り抄 録せ し事 項は 其官 報又 は新 聞紙 の題 に刷 行の 年月 日を 掲載 すべ し」 とい う罰 則を 伴う 規定 報じ られ る。 記事 では

「今 回の 追加 条例 は新 聞社 会一 般に 対し て厚 き保 護を 与へ られ たる 者」 と評 価し

、抄 録を わず 規定 に則 った 正確 な情 報発 信を

「絵 入自 由新 聞」 は心 掛け るこ とが 宣言 され てい たの であ る。 出版 界の 話題 とし ては

、三 月四 日の 雑報

「一 種の 本に 記者 三個

」が 報じ るよ うに

、為 永春 水『

いろ は文 庫』 が二 代目 春水 の染 崎延 房に よっ て書 き継 がれ るが

、十 九編 以下 が伊 東専 三『

いろ は文 庫後 編』

、柳 亭種 彦( 高畠 藍泉

)『

続い ろは 文庫

及び

いろ は文 庫』

、さ らに 斉東 野人

(西 村宇 吉)

ろは 文庫 続編

とい うよ うに

、三 人の 作者 がそ れぞ れに 書き 継ぐ とい う珍 しい 事態 にな った こと が報 じら れて いた

前年

天星 五郎

』で 著者 の権 利を 主張 した 伊東 専三 は、 新し く書 き下 した 分冊 形式 の『 名立 浪龍 神於 玉』 出版 して

、四 月七 日の 雑報 で「 昔し の作 者の 意匠 に倣 ひし もの なる が能 く世 の情 態を 写出 し且 つ文 辞は 艶麗 にて から でゝ も金

が多 き新 奇妙 案極 面白 き美 本な り」 と評 され てい た。

『名 立浪 龍神 於玉

』は

、初 編か ら五 編ま では 三月 九日 御届

、六 編か ら十 五編 まで は五 月二 十日 御届

、十 六編 以下

(十 八編 まで 確認

)は 八月 八日 版権 免許 で、 長の 中本 本文 九丁

、通 しペ ージ が振 られ て、 四月 から 九月 にか けて ほぼ 週刊 で、 東京 金玉 堂出 版( 吉場 清蔵

)よ

(4)

出版 され てい る。 以下 のよ うな 初編 序文 は、 伊東 の意 気込 みを 伝え てく れる

昔日 の戯 作者 が意 匠を 費し 文に 錦繍 を飾 りた る稗 史小 説も 嘘と 言れ て一 度は 地に 墜た るが 如く にて 何で も彼 も実

(其 僻嘘 が沢 山あ り) と実 説振 ねば 売ず 成り し這 は是 れ開 化の 生噛 にて 稗史 の隠 微を 知ざ るに 然る に此 頃や

と人 智は 進み て実 説ぶ る花 なき 物は 好し から ねば 夫よ り花 実全 く備 ふ稗 史が 反つ て見 栄あ りと 風潮 茲に 傾き て稗 史を 好す 事と 成し に今 更古 き草 紙類 を飜 刻な して 売出 もの 汗牛 充棟 も啻 なら ねば 茲ぞ 僥倖 を揮 ひ新 奇妙 案と は行 ずと も目 先の 変つ た面 白味 の有 を編 輯し ては 如何 と社 主の 望に 安受 合編 はす れど 根な 草香 は素 より あら ざれ ど少 は虚 中に 実を 含め ば這 も勧 懲の はし くれ と御 愛顧 あつ て陸 続と 御覧 の程 を希 ふ  塘伊 東専 三伏 この 分冊 形式 は、 坪内 逍遙

世書 生気 質』

『小 説神 髄』

など の分 冊形 式に 先行 する 出版 形態 であ った

とこ ろで

、絵 入自 由新 聞社 も大 取次 にな った

『当 世書 生気 質』 は、

「絵 入自 由新 聞」 紙上 でも 話題 とな り、 その 波紋 が社 説に 残さ れて いる

。七 月一 七、 一八 日の 社説

「日 本の 政事 小説

」で

、半 狂( 和田 稲積

)は

「自 由の 凱歌 如き 該撒 奇談 の如 きは 皆な 婦女 子に も解 し易 き様 専ら 作者 が注 意の 深切 なる 程あ りて 少も 申し 分な けれ 共( 略) れで は迚 も政 事小 説の 眼目 たる 下等 社会 や婦 女子 をし て政 事思 想を 養成 せし むる こと 覚束 なく 唯だ 懶惰 書生 の午 のお 伽た るに 過ぎ ざる べし

」と 批判 する

。読 者対 象は 書生 では なく

、「 憐れ 墓な き種 類の 人民 即ち 労力 者婦 女子

であ り、 彼等 の「 政事 思想 を養 成」 する こと が求 めら れて いた

。そ こに は、

『該 撒奇 談  自由 太刀 余波 鋭鋒

』(

(5)

『慨 世士 伝』

など

、政 治的 小説 を発 表し てき た逍 遙へ の不 満が 読み 取れ るだ ろう

さら に半 狂は

、翌 一九 日に

「政 事小 説の 作者

」を 掲載 して

、「 尤も 堂々 たる 東京 大学 卒業 の大 先生 の手 に成 しと 云ふ 政事 小説 の類 に至 りて は価 直の ある もの あれ ども 中に は其 の先 生の 作に 係る 詰ら ない 趣向 の小 冊子 など は決 て感 心致 さず 何の 為に 作ら れし か殆 んど 解し 得ざ る所 ろな り斯 る著 作に 貴重 の光 陰を 費す より は寧 ろ其 の嘗 て学 得た る学 識を 以つ て欧 州の 有名 なる 政事 小説 の翻 訳に 従事 する の優 れる に如 ざる を知 る」 と、 明ら かに

『当 世書 気質

』を 当て つけ る言 説を 残し てい た。 半狂 の主 張は

、要 する に「 学問 は左 程深 から ずと も政 事思 想に 富み 且文 ある 者を して 政事 小説 の作 者た らし めざ るべ から ず」 とさ れ、 小説 は政 治的 啓蒙 のた めの 媒体 とす る、 寓意 的な 説認 識に 基づ いて いた ので ある

七月 二五 日の 社説

、白 骨居 士「 書生 の風 を改 良致 し度 し」 は、

「近 頃の 書生 之風 はあ まり 感心 仕つ らず 彼の 春の 屋お ぼろ 君の 戯作 に係 る当 世書 生気 質と 題す る小 冊子 を見 ても 実に 一読 三嘆 に堪 へず

」と して

、「 労働 して 学資 を得 るこ とを 少も 恥」 じな い「 米国 書生 の風 を見 習ふ 様」 書生 風俗 の矯 正を 求め てい た。 これ も、 寓意 的な 小説 識に 基づ いて 小説 を社 会的 文脈 で読 解す る『 当世 書生 気質

』評 であ った とい える

そし て、 九月 一〇 日の 社説

、有 耶無 耶生

「稗 史小 説の 婦女 子の 翫弄 物と なり 了ら んこ とを 嘆ず

」は

、「 稗史 小説 なる もの は世 態人 情の 真を 写し 出す べき もの にて 其の 間毫 も作 者の 想像 加減 を加 へ挿 むべ から ず唯 だ有 りの 儘を き著 すの み決 して 世態 人情 に外 れた る筆 を入 るゝ を許 さず 又た 稗史 小説 は一 の美 術と して 見る べき もの なり など ふ至 極囂 しき 理屈 あり 如何 にも 有理

の様 に聞 き得 るが コハ 西洋 の学 者等 の鸚 鵡論 にし て全 く感 心せ ざる には あら 共余 り真 面目 に赤 髯さ んの 理屈 を呑 み込 み過 ぎた る正 直掛 け値 なし のお 説な れば 西洋 文明 国の 如き 万端 行き 届き

(6)

る国 柄に ては 至極 宜し かる べき も我 国今 日の 景況 に当 て嵌 めて 同様 に論 ぜら るゝ 時は チト 不都 合の 廉な きに はあ ざる か」 と『 小説 神髄

』の 主旨 を批 判し てい る。

「我 社会 を以 つて 稗史 小説 を唯 だ美 術の 一ツ と致 し置 て宜 しき 代な りと 鑑定 さる ゝか 但し は婦 女子 の翫 弄物 とな り了 るを 何と も思 はれ ざる か左 り迚 は誠 に不 深切 なる 先生 方に らず や余 輩は 仮ひ 西洋 流の 理屈 に反 すと も先 生方 の笑 を招 くと も其 様こ とは 屁と も思 はず 稗史 小説 を一 番利 用し 社会 改良 の道 具の 一ツ とな さん と欲 す否 世の 所謂 下等 社会 の心 田を 開墾 する には 政事 に関 する 稗史 小説 を以 つて るに 如ず と考 ふ」 と、 社会 改良 の手 段と して の政 治小 説を 主張 して いた ので ある

。こ うし た寓 意的 な小 説観 が、 党系 小新 聞と して の「 絵入 自由 新聞

」の 主張 であ った とい える

一二 月二 九日 の「 年末 の稿 條」 では

、「 実利 主義 の世 の中 ゆゑ 読で お為 にも なり 且御 便利 御重 宝御 徳用 とも 相成 るべ き種 々の 事項 を編 纂し 之を 例の 大附 録に 刷立 て発 兌仕 つり 候」 と、 あく まで 社会 的な 効用 を求 めて

、二 大附 の掲 載を 予告 する ので あっ た。 一八

八五

(明 治一 八) 1月 4日

~2 月8 日 

花の 夢上 編」 全一 五回  * 雑報 欄に 別行 見出 し、 1月 9、 22、 23日

、2 月8 日を き、 芳宗 の挿 絵付 きで 連載

。4 日冒 頭に

「該

西洋 小説 は英 国ウ ヰル キー

、コ リン ス氏 の原 著に 係り 古代 羅馬 旺盛 を極 めし 有様 より 遂に 没落 せし まで の事 実を 婦女 子童 幼に も読 み易 く解 し易 きや う小 説体 に綴 りた るも にて 主義 目的 を異 にす るた め親 子兄 弟も 骨肉 恩愛 の私 情を 断て 公義 の為 に戦 かふ あり 或ひ は才 子の 時に 遇は 亦た 佳人 の薄 命な るあ り而 して 小説 者流 の尤 も難 しと する 夥多 の隠 微を 含畜 し脚 色巧 妙文 辞艶 麗実 に西 洋政

(7)

小説 中の 巨擘 と謂 べし 看客 幸ひ に此 意を 諒し て熟 読翫 味な すに 於て は大 に益 する 所あ らん か且 本稿 は頗 る長 に渉 るを 以て 上中 下の 三編 に分 てり 其為 め稿 條か くの 如し

」と ある

*1 月4 日 

「雑 報」  「 配達 の増 加  一月 一日 の郵 便配 達は 是ま で一 回限 りな りし 処本 年よ り三 回に 増加 され 前二 回午 後二 回都 合四 回と 定め られ たり 是れ も前 号に 記し たる 如く 世の 事物 の追 々頻 繁な るに 因る もの なる し」 1月 7、 8日  「 明治 十七 年紀 事略

」 

*「 絵入 自由 新聞

」欄 に別 行見 出し

*1 月7 日 

「雑 報」  「 今日 新聞  毎 夕社 は今 度両 国村 松町 十四 番地 に移 転せ り」 1月 9、 10日  「 取り 越し 苦労  有 耶無 耶生  稿

」 

*「 絵入 自由 新聞

」欄 に別 行見 出し

1月 9、 10日  「 故歩 兵大 尉磯 林真 三君 の履 歴」  * 雑報 欄に かぶ せ見 出し

1月 11、 13日  「 呵惜 男児

」 

*「 絵入 自由 新聞

」欄 に別 行見 出し

*1 月11 日 

「雑 報」  「 遊郭 新設 の出 願  従来 府下 に設 けあ る貸 座敷 は根 津吉 原を 除く の外 は東 京の 入口 に有 不体 裁ゆ ゑ俗 に深 川六 万坪 とい ふ洲 崎の 海面 を埋 立煉 瓦石 造に て普 請を なし 茲に 遊廓 を設 立し たし と銀 座一 目の 永井 勝輔 外十 三人 より 昨日 その 筋へ 出願 した り」 1月 14~ 18日  「 騒乱 の詳 報」 全五 回 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 しで 連載 15。 日よ り「 変乱 の詳 報」 と改 題さ れる

朝鮮 の事 変。 1月 14、 15日  「 遭難 詳話

」 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 し。 1月 17~ 20日  「 斧を 揮て 痴漢 母子 を害 す」 全三 回 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 しで 連載

。18 日は 挿絵 つき

*1 18月 日 

「雑 報」  「 提灯 持  田嶋 象二 氏戯 著の 漂流 記一 冊を 本石 町二 丁目 の文 宝堂 より 発兌 しま した

(8)

1月 20~ 22日  「 日本 の輿 論」 全三 回 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 しで 連載 20。 日冒 頭に

「朝 鮮事 変に 付各 地方 より 報道 を掲 ぐれ ば左 の如 し」 とあ る。 1月 21~ 25日  「 人は 何故 に働 くか  曖 昧子 寄稿

」全 四回  *

「絵 入自 由新 聞」 欄に 別行 見出 しで 連載 21。 日冒 に「 左の 一篇 は極 て不 活発 なる 理屈 にて 目下 の時 勢よ り見 れば 固よ り無 益の もの ゝ如 しと 雖も 時事 に適 切な 論説 を掲 げん とし て時 に或 は自 ら警 めざ るを 得ざ る場 合あ れば なり 読者 諸君 請ふ 折々 箇様 な填

文の 飛び 出す こと を怪 む勿 らん こと を  編者 識」 とあ る。 1月 23~ 25日  「 遭難 者杉 重起 氏の 直話

」全 三回  * 雑報 欄に かぶ せ見 出し で連 載。

*1 月27 日 

「雑 報」  「 読売 新聞 の祝 宴  前号 にも 記せ し通 り一 昨廿 五日 は芝 紅葉 館に て読 売新 聞第 三千 号発 の祝 宴を 兼ね 新年 宴会 を開 かれ 来会 者に は各 新聞 記者 を始 め日 就社 員一 同午 後六 時開 宴柳 ばし の芸 妓数 名酌 侍し 何れ も歓 を尽 して 解散 され しは 午後 九時 頃に やあ りけ ん近 来珍 しき 盛会 也」

「詩 文詳 解  木挽 町一 丁目 の成 章館 より 発兌 する 題号 の雑 誌は 頗る 世上 の喝 采を 得日 増に 盛大 を極 むる に付 爾来 尚ほ 一層 の改 良を 加へ 欧州 の詩 賦を も漢 字に 飜訳 して 掲載 し其 他種 々の 改良 を加 ゆる との 事な り」 1月 29日

~2 月6 日 

「相 撲派 別」 全四 回 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 しで 連載

*1 月29 日 

「雑 報」  「 提灯 持  京橋 西紺 屋町 の牡 丹屋 から は鏡 が池 操の 松影 の第 一編 を加 賀町 の成 文社 から 絵本 三国 志の 第三 編が 何も 出版

「羅 馬字 会  日本 語を 書く に仮 名も 漢字 も一 切廃 して 新に 羅馬 文字 に改 めん との 目的 なる 羅馬 字会 にお ゐて 近来 会員 も大 分増 加し 追々 目的 拡張 の事 の緒 に就 きた れば 更に 書方 取調 委員 四十 名を 撰挙 する ため 本二 十九 午後 三時 より 東京 大学 理学 部講 義室 にて 集会 を催 す筈 なり

(9)

1月 29日

~2 月10 日 

「両

の繁 り」 全一

〇回  * 雑報 欄に かぶ せ見 出し

、芳 宗、 国峯 の挿 絵付 きで 連載

*1 31月 日 

「雑 報」  「 大隈 重信 様  前改 進党 総理 大隈 重信 様に は彼 の結 構を 極め たる 九段 下飯 田町 の邸 宅を 藩主 なる 鍋島 氏へ 大枚 拾三 万円 の代 価に て売 払は れた る由 チト 高直 の様 に思 はる れど 土佐 珊瑚 珠を 壁に 塗込 れた る等 の風 評も あり し程 の御 普請 なれ ば左 のみ 高く はあ りま すま い」

*2 月3 日 

「雑 報」  「 紙腔 琴  今度 戸田 欽堂 氏が 発明 創製 せら れた る紙 腔琴 と云 へる は発 音婉 暢幽 美に して 国古 来の 楽器 は勿 論切 々西 洋の 楽器 にも 劣ら ざる もの にし て長 唄、 端唄

、琴 歌よ り唱 歌、 讃美 歌の 諸曲 をし 意の 如く 奏す るを 得且 つ之 を運

には 別段 手術 を要 せざ る至 極簡 便に して 雅致 ある もの なれ ば貴 顕紳 士の 需用 最も 多し と云 ふ」

「稲 葉猴 雪燈 新話  と 題す る孤 蝶園 わか な子 が編 述さ れた る例 の絵 入美 本を 文苑 閣よ り発 兌し たり 但し 是は 版に て初 版は 既に 売切 たる 由」 2月 4日

~4 月14 日 

「島 鵆噂 立浪

」全 五五 編 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 し、 芳宗

、国 峯の 挿絵 付き で連 載。 2月 4、 5日  「 卒業 証書 授与 式」  * 雑報 欄に かぶ せ見 出し

。東 京大 学。

*2 月6 日 

「雑 報」  「 飜刻 出版  長 柄長 者黄 鳥墳 と題 する 故栗 杖亭 鬼卵 の作 なる 小説 を例 の共 隆社 より 絵入 本に 仕立 飜刻 出版 した り」 2月 7、 8日  「 勇士 節婦

」 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 し。 8日 末尾 は「 婦人 金氏 の話 は余 白な けれ ば次 号に 譲る

とあ るが

、続 稿は 確認 でき ない

*2 月7 日 

「雑 報」  「 第一 遊清 記  旧自 由燈 の記 者目 下外 務省 の准 判任 御用 掛小 室信 介様 が編 輯さ れた る第 遊清 記と 題す る書 籍を 銀座 四丁 目の 書林 山中 喜太 郎方 より 出版 した り時 節柄 有用 必読 の良 書と 思る

(10)

*2 月8 日 

「雑 報」  「 岩崎 弥太 郎様 死去  三 菱会 社岩 崎弥 太郎 様は 一昨 日特 旨を 以て 従五 位に 叙せ られ たり るに 弥太 郎様 は先 日来 の御 病気 愈よ 重り 養生 叶は ず遂 に同 日死 去さ れた り」

*2 月12 日 

「雑 報」  「 出版  例 の成 文社 より 絵本 三国 志の 五編 六編 が出 版お

佳境 に入 て来 まし た」 2月 13日

~3 28月 日 

「峰 の白 雪」 全三 七回  * 雑報 欄に かぶ せ見 出し

、芳 宗の 挿絵 付き で連 載。

*2 月15 日 

「雑 報」  「 東洋 立志 編  故松 村操 氏の 遺稿 東洋 立志 編と 云へ るを 此程 巌々 堂よ り出 版し たり 此書 西国 立志 編に 倣ひ 本邦 古今 の聖 主賢 人仁 者等 を輯 録し たる 必読 の書 なり

2月 18、 19日  「 人心 を維 持す るの 策」  *

「絵 入自 由新 聞」 欄に 別行 見出 し。 2月 18、 19日  「 故岩 崎弥 太郎 様の 履歴

」 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 し。 2月 21、 22日  「 志士 を論 ず  東洲 生  寄稿

」 

*「 絵入 自由 新聞

」欄 に別 行見 出し 2月 22、 24日  「 埼玉 県暴 動の 死刑 宣告

」 

*雑 報欄 にか ぶせ 見出 し。 24日 は「 秩父 暴徒 首魁 加藤 織平 の宣 告」 改題 され る。

*2 22月 日 

「雑 報」  「 糸桜 春蝶 奇縁  と 題し 翻蝶 丸綱 五郎

、半 晌黒 平、 小糸

、佐 七等 が伝 記を 演し 曲亭 翁が 作の 読本 を今 度飯 田町 の金 玉社 から 西洋 紙の 小本 に飜 刻し 十冊 を以 て満 尾に する 趣き にて 其第 一冊 を発 兌し した が密 画入 にて 刷も 能く 中々 能い 本で 続々 あと を出 版し 忽地 に満 尾の 上は 一冊 の洋 本仕 立に もす ると いふ

「地 底旅 行  英国 チユ ール スベ ルネ 氏原 著日 本三 木愛 花高 須墨 蒲両 氏の 合訳 に成 拍案 驚喜 地底 旅行 する 書( 洋装 一冊

)を 三十 間堀 の九 春堂 より 発兌 せり 此書 は博 物学 と測 地学 とに 素づ き噴 火の 洞穴 より 地底 旅行 した る事 を記 した る西 洋有 名の 学術 小説 なり

2月 22、 24日  「 旅按 摩多 喜の 市」  * 雑報 欄に かぶ せ見 出し

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