「 巻頭言 「
教師を育てるということ
上越教育大学 瀬 戸 健
旧友か らの突然の電話で,ある地区の小 ・中学校第三者評価委員 を引 き受けることになった。4 年前のことである。それか ら2年間,7校の評価 に携わった。 しか し, これはひどく苦痛 を感 じる ものであった。学校 における教育サー ビスの質は結局は 「授業」 に収欽すると考 えて,かな りの数 の授 業 を見せ ていただいたのであ るが,「こうすれば, もっ と簡単 に, わか りよい授 業 になるの に」 と思いなが ら,評価 に徹するのにはかな りの忍耐力がいるのである。
この経験か ら,その後
2
年間は2
つの小学校の協力 を得て,教職経験6
年 までの若手教員16
人 を 対象 に,授業力向上 をテーマ とした校 内研修支援 を継続 して きた。若手教員 を選んだのは,成長へ の意欲が高 く初任教員か らいわゆる熟達教員への過程が見 えやすい と考 えたか らである。 また,教 員養成教育や初任者研修で培 われた資質 ・能力 と,学校現場が求める資質 ・能力 とギャップが顕在 化 しやす く,今後の教員養成 に関する新 たな知見が手 に入るとも考 えたか らである0支援 をするにあたっては,いわゆる研究校 といわれる学校で研究主任等 を経験 して きた教職大学 院実務家教員や特任教員 に協力 を求め,彼 らを中核 に 「実践のプロ」のチームを作 った。 しか し結 果は, まだ成果があがるとい うところまでには至 っていない。
支援の中では様 々な課題 に直面する。 例 えば,若手教員は担任する学級が変わると, まるで力が 出な くなる。 毎年度の初めは, まるで素人のような状態 になるのである。 それはおそ らく,若手教 員 には学級集団 を柔軟 に制御 しなが ら 「自分の学級 をつ くる」力がないか らであろう。 若手教員 に は, 日々子 どもたちと取 っ組み合いを しなが ら,結果 として出来上がる学級があるだけなのではな いか。それが今の若手教員の現実なのである。
先 日,支援チームに入って くだきっている元の先輩同僚か ら手紙 をいただいた。
A校 の若い先生方の授業 を三度参観 しました。成長 したことが よ く分かる人 を見 ると,素直 に嬉 しくな りました。反対 にそ うでない人 を見 ると, 自分の力不足 を感 じ,悲 しい気分 にな り ました。た とえ短い時間の出会いであって も,そ うであればなお さら強い影響力 を与 えられな かったことは,教師 として敗北であ り,残念でな りません。 もっと心 に響 く話がで きるよう自 分の財産 を増やす こと,機 に応 じて引 き出 しの中の ものを適切 にさっと出せ るようにす ること の必要性 を感 じてい ます。
共通 して思 ったことは,「教 師が,教材 と真正面か ら向 き合い,教材 に熱中 し,教材 に感動 する」 ことの大切 さです。教育はこれがないと,何 も始 まらないことを改めて強 く感 じました。
教 えることは,斉藤喜博 の言葉 を借 りれば,「傷つ く」営みである。 教 え られる側 だけでな く, 教 える側 も 「傷つ く」。しか し,その痛み をこらえなが ら,それで も教 えることを続 けることで少 しずつの成長があると考 えている。 その ような痛みか ら生 まれた実践や研究が,本誌の中で交流 さ れることをいつ も期待 している。
せと ・けん/上越教育大学
1