ReserchJournal 1988,3,1‑12
原 著
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バ イデ ガー の 「 超 越 論 的 」 哲 学 と世 界 概 念
唐 沢 徹
DIE „TRANSZENDENTALE" PHILOSOPHIE HEIDEGGERS UND
IHR WELTBEGRIFF
T oru KARASAWA
Atomi Gakuen Women' s University, Niiza-shi, Saitama 352
Die fundamentalontologische Fragestellung von , Sein und Zeit wurde dis zum Jahre 1929 weiterentwik- kelt. Urn den tranzendentalen Horizont der Frage nach dem Sein zu gewinnen, hob nun Heidegger die Transzendenz des Daseins ins Thema. Er nannte sein Verfahren eine „transzendentale" Erorterung. Dort begriindet sich das Dasein transzendental durch sich selbst. Da erhob sich die heikle Frage, ob diese Begriindung und der daraus entnommene Weltbegriff nicht von subjektivistischer Art seien?
Im folgenden wird versucht, die „ transzendentale" Philosophie Heideggers nailer zu erOrtern, im philosophiegeschichtlichen Zusammenhang und dazu im Hinblick auf das Problem der inneren Struktur des transzendentalphilosophischen Denkens iiberhaupt.
Key words: Transzendenz, transzendental, Freiheit, Welt, Subjektivitiit.
z 研 究 報 告1988年 第4号
1929年 の 「カ ン トと形 而 上 学 の 問題 」 の 中 で, ハ イデ ガ ーは,カ ン トが そ の 厂 純 粋 理 性 批 判 」 の 完 成 後,M.ヘ ル ツに あ て た手 紙 で 「 この 種 の 探 究 は いつ も困 難 で あ りま し ょ う。 とい うの は,そ れ が 形 而 上 学 の 形 而上 学 を含 む か ら です 。 」ω と書 いた 事 を 取 り上 げ,「 形 而 上 学 の基 礎 づ け」が 「 現 存 在 の形 而 上 学 」 に基 くもの で あ る とい う彼 の 立 場 を説 明す るた め に役 立 て て い る。 「 存 在 と時 間」
に おけ る 「 基 礎 存 在論 」 の構 想 は,現 存 在 の 実存 論 的 分 析 論 に お い て,現 象 学 的 に 「 実 存 範 疇 」 を 展 開 す る事 を 課 題 と した。 それ は存 在 一 般 の 意 味 を 問 うこ との 道 筋 と して,第 二 部 に おい て 「 時 間 性 の問 題 を 手 引 き とす る存 在 論 の歴 史 の 解 体 」 を 予 定 して いた が,そ れ は行 わ れ なか った 。 そ れ に 代 わ っ て 「 存 在 と時 間」 の公 刊2年 後 に,相 次 い で 「 カ ン トと 形 而 上 学 の 問 題 」,「根 拠 の 本 質 」,
「 形 而 上 学 とは何 か」 が 発表 され た 。 これ らは, あ る意 味 で ハ イデ ガ ーが 「 存 在 と時 間」 で 未 発表 の ま ま に して お いた 問題 圏 の展 開 で あ る。 これ ら に共 通 す る のは 「 超越 論哲 学 」 とハ イデ ガ ーが称 す る立 場 で あ る。 この 「 超 越 論 哲 学 」 は,し か し な が ら ドイ ツ観 念 論 で 意 味 され て いた もの とは 同 一 で は な い
。 ハ イ デ ガ ー の場 合 に は,「 超 越 論 的」
な る語 は,「 超 越 」そ の もの を 軸 に 用 い られ る。そ の よ うな 「 超越 論 哲学 」に よっ て,「存 在 論 の歴 史 の 解 体 」の 作 業 が続 け られ る。以 下,「 カ ン トと形 而 上 学 の 問題 」 と 「 根 拠 の本 質 」 に お い て 展 開 さ れ る 「 現 存 在 の 形 而 上 学 」 と して の 「 超 越 論 哲 学 」 に つ い て 取 上 げ,哲 学 の伝 統 との か か わ り, そ の位 置 づ け に つ い て考 え る。
1
「カ ン トと形 而 上 学 の問 題 」 は,「 純 粋 理 性 批 判 」 を,自 らの 「 基 礎 存 在 論」 の た め に 「 形 而 上 学 の基 礎 づ け」 と して 読 み 取 る試 み の書 で あ る。
この書 に お い て,ハ イ デ ガ ーは カ ン トに対 決 す る 形 で,カ ン トに お いて い か に 「 存 在論 的」 な準 備 が な され て い る か を 強 調 す る 。 カ ン トに 対 す る
「 強 引 な解 釈」 は,「超 越 論 的 認識 」 を手 がか りに して 始 め られ る。 カン トが 「 超越 論 的認 識 」 とす る もの は,「 対 象 に 関 す る認 識 と い うよ りは,む
しろ我 々が対 象 につ い て認 識 す る仕 方 が,ア ・プ リオ リに 可能 で あ るべ き限 りに お い て,一 般 に こ の 認識 に 関す る認 識 を,私 は超 越 論 的 と 呼 ぶ 」(2)
との べ る時 に 明 らか で あ る。 「 純 粋 理 性 批 判 」 は,
「ア ・プ リオ リな 総 合 判 断 は い か に し て 可 能 か?」 を 問題 に す る。 そ もそ も,こ の 間 の示 す 地 平 が存 在 論 の 可 能 性 に か か わ るも の で あ る事 を, ハ イ デ ガ ー は示 す 。 厂 問わ れ る と ころ の ア ・プ リ オ リな総 合 判 断 の 可 能 性 に つ い て は,ま ず 『 総 合 判 断 』 とい うも の が,第 一 に 『判 断 一 般 』 と し て,第 二 に,表 象 の 結 合(総 合)の 正 当性 が,判 断 のか か わ る当 の 存 在 者 自身 か ら提 出 され る限 り に お い て,二 重 の 意 味 で総 合 で あ る」(3)が,ア ・ プ リオ リな総 合 判 断 とい うも のに あ っ て は,な お 別 の仕 方 の総 合 が 重 要 で あ る事,つ ま り,そ こに お い て は,総 合 は,存 在 者 に関 し て,そ の存 在 者 か ら経 験 に よ って は 汲 み取 られ な い も の を呈 示 し な けれ ぼ な らな い とい う事 が指 摘 され る。 この よ うな,存 在 者 の 存 在 規定 を そ の よ うに呈 示 す る と い う こ とは,存 在 者 へ 先行 的 に関 係す る とい う事 な の で あ って,こ の 「 〜へ の関 係 」(総 合)が,は
じめ て,「 そ こに お いて 存 在 者 が そ れ 自体 と して 経 験 的 総 合 に お い て経 験 し得 る も の と な る と ころ の 方 向 と地 平 を 形 成 す る」(4)とさ れ る。 ハ イ デ ガ ー は,自 らの 「 存 在者 の存 在 体 制 の研 究」 の 中 に,「 ア ・プ リオ リな総 合 判 断 」 の 問 題 を ひ き つ り込 んで,更 に次 の よ うに 言 う。「この 『ア ・プ リ オ リな 総 合 判 断』 に つ い て の認識 は,存 在 者 それ
自身 に つ い て の研 究 で な く,む し ろ,先 行 的 な存 在 理 解 の 可 能性,存 在 者 の存 在体 制 を 研 究す る。
それ は 存 在 者 へ の純 粋 理 性 の超越(Transzenden‑
z)に 関わ る,存 在 理解 の この 『 超 越 』の 本 質 を 問 う事 が 『 超越 論 的』(transzendental)に 哲学 す る 事 で,こ れ が存 在 論 の可 能 性 を 問 題 とす る事 で あ る」 。(5)「 超越 論 的」 を こ の よ うに 解 釈 す る事 は, カ ン トの 「コペ ル ニ ク ス的 転 回」 の 意 味 を変 化 さ せ る。それ は,「存 在 的認 識 は,必 然 的 に存 在 論 的 認 識 に 則 る」⑥ とい う意 味 とな る。 ハ イ デ ガ ー は, この 「 転 回」 に よっ て,カ ン トが 「 存 在論 」 の 問 題 を 中 心 に据 えた と考 え るの で あ る。 す で に ハ イ デ ガ ー は 「 存 在 と時 間 」 に お い て,カ ン トが超 越 の 問題 を充 分 に根 源 的 に 考 え なか った と書 い て い た が,こ の書 に お い ては,そ の 問 題 の解 決 に カ ン トが 達 した か ど うか は二 次 的 な事 で,こ の 問題 の 必 然 性 を示 した 事 が 重 要 だ と し て い る 。 問 題 は
「 超 越 」 を ど うと ら え るか に 変化 して い る。 ハ イ
デ ガ ー が 「 こQ『 超 越 』 の 問題 に よ って,形 而 上
学 の代 わ りに認 識 論 が 置 か れ るの で な く,む しろ
唐 沢:ハ イ デ ガ ー の 「 超 越 論 的」 哲 学 と世 界概 念 3
存 在 論 が,そ の 内的 可 能 性 を 問 わ れ る の で あ る」
(7)と言 う時 に
,歴 史 的 に 「 超 越論 的」 とい う言 葉 が 用 い られ て来 た その 運 動 範 囲 の 事 が 問題 とな っ て くる。 「 超 越 論 的」 とい う概 念 は 本 質 的 に 二 重 性 を含 む。 そ の 二 重 性 を 手 が か りに して ハ イ デ ガ ーは 「 純 粋 理 性 批 判 」 を,形 而 上 学 を準 備 す べ き 「 基 礎 存 在 論 」,つ ま り 丁 現 存在 の存 在 論 的 分 析 論」 と して読 む 。「 奇妙 な経 験 的,超 越 論 的 二 重 体 と して の人 間 」 と い う言 葉 を 用 い た の は,M, フー コー で あ るが,「 超 越 論 的 」 考 え 方 とい う も の は,直 接 に 対 象 に 向 か うの で な しに,我 々が ア
・プ リ'オリに 対 象 に つ い て持 つ よ うな概 念 に の み 向 か うので あ るか ら,す で に,そ こ に 「 認 識 論」
と 「 存 在 論 」 の中 間 的 な位 置 が見 え る。R.ビ ッ トナ ー は,こ の よ うな 点 を次 の よ うに表 現 す る。
「 超 越 論 的 に 理 解 され た哲 学 は,存 在 者 に つ い て の我 々 の ア ・プ リオ リな認 識 の理 論 と して存 在 者 の理 論 で あ り,ま た対 象 と しての 対 象 の概 念 の規 定 と して 認 識 の 理 論 で あ る」 。(8)カン トの 「 純 粋 理 性 批 判 」 は,認 識 論 の側 面 に 重 点 を 置 く解 釈 を さ れ る事 が 多 か った が,ハ イデ ガ ーは,そ の よ うな 解 釈 に 反 対す る。 それ は多 く、新 カ ン ト派 批 判 と な って 現 れ る。 内在 主 観 と外 な る客 観 の関 係 構 造
とい う認識 論 的枠 組 み そ の もの が 基 礎づ け の な い ま まに 用 い られ て い る と い う批 判 は,繰 り返 しな され て い る。 それ に対 して,主 観(現 存 在)が, は じめか ら外 に,つ ま り自 らを超 え 出 て い る とい
う主 張 が な され る。 ハ イ デ ガ ー は 「 純 粋 理 性 批 判」 の 中 に認 識 の立 場 で な く,存 在 論 の立 場 を 読 む。 「 も し 『 純 粋 理 性批 判 』が 認識 論 で あ る と主 張 され る の で あれ ば,そ れ は 『存在 的認 識 』(経 験) の 理 論 で な く,む しろQ存 在 論的 認 識 』 の理 論 で あ る といわ れ るべ きで あ る」。(9)こ の 「 存 在 的 」 と
「 存 在 論 的 」 の二 重 性 の 中 で,カ ン トの超 越 論 哲 学 が 解釈 され て行 く。 この 「 存 在 論 的 差 異 」 の 考 え は,も とよ り,ハ イ デ ガ ー の基 礎 存 在 論 の 中 心 概 念 で あ るか ら,カ ン トに対 す る ハ イデ ガ ーの 立 場 が こ こに明 か で あ る。 「 解 釈 」と い うもの が 「 強 引 に,暴 力 的 に な され て い る こ とを ハ イデ ガ ーは こ こで 自覚 して い る。 「 カ ン トが 言 わ ん と欲 した 事 を」 解 釈 す る とい う事 も言 われ る。 カ ン ト解 釈 の書 物 と して の,そ の特 異 な性 格 は,直 ち に カ ッ シ ー ラ ーに よ る批 判 を 招 い て い るが,こ の 書 は 正 に,カ ン トを利 用 して の ハ イ デ ガ ー の存 在 論 の展 開 な ので あ る。 ハ イ デ ガ ーが 「 超 越 論 哲 学」 を 言
う時 に は,す で に それ は,自 らの 存 在 論 の た め の 用 語 で あ る。 実 際 に 行 って い る の は,カ ン トの
「 超 越 論 哲 学」 と 自 らの存 在 論 との 媒 介 の 試 み な の で あ る。 「 いか に して超 越 論 哲 学 が,存 在 の 開 示 と し て,つ ま り形 而 上 学 と して と らえ られ るの か?」a① とい うの は,こ の 意 味 で あ る。 先 に 述 べ た よ うに,そ れ は超 越 論 哲 学 の 二 重 性 を,「 存 在 的」 と 「 存 在 論 的 」 の 二 重 と し て と ら え る が 故 に,上 の媒 介 は成 立 す る。 批 判 的 に は,歴 史 的 カ ン トとハ イ デ ガ ー の解 釈 は 充 分 に 区別 さ れ るべ き で あ る 。 ハ イ デ ガ ーを,こ の カ ン ト解 釈 へ 向か わ せ た の は,「存 在 と時 間 」に お い て意 図 した 「 時 間 性 」 の 問題 で あ った 。 そ もそ も,こ の い わ ゆ る
「 カ ン ト書 」は,「存 在 と時 間 の第 二 部 の最 初 の展 開 の 連 関 の 中で 生 まれ た」 とそ の序 に記 され てい る。 つ ま りそ れ は,「 時 間 性 を 手 引 き とす る存 在 論 の 歴 史 の解 体 」 を め ざ して いた 。r存 在 と時 間 」 の 第 一 部 は,次 の よ うに終 る 。 「 現 存 在 の 全 体 性 の 実 存 論 的,存 在 論 的 構 え は 時 間 性 に 基 づ く。
従 って 脱 自的 時 間性 そ の も のの 根 源 的 な 時熟 の仕 方 は,存 在 一 般 の脱 自的 投 企 を 可 能 に しな け れ ば な らな い。 時 間性 の この よ うな時熟 の様 態 は どの よ うに 解 釈 されね ば な ら な いか 。根 源 的 時 間 か ら 存 在 の 意 味 へ 道 が通 じてい る ので あ ろ うか?時 間 とい う もの は 存 在 の 地平 で 明 らか に な って い るで あ ろ うか 。 」au「カ ン ト書 」 は,こ の延 長 上 に あ る。
「 時 間 性 」 の 解 明 は 「 超 越 」 の問題 に 関連 して論 じられ て行 く。 心 性 の二 つ の根 本 源 泉 と して の
「 感 性 」 と 「 悟性 」 の中 間 能 力 と して の 「 超 越 論 的構 想 力 」 が,実 は 厂 根 源 的 時 間」 で あ る と言 う 時,ハ イ デ ガ ー は,カ ン トの 言 わ な か っ た 事 を 言 って い る。 「 超越 論 的構 想 力 」 と 「 時 間」 につ い て の カ ン ト 自身 の 中 で の ま よい を,ハ イ デ ガ ー は,カ ン トの歴 史 的位 置 に 還 元 す る。 カ ン トが, 第 二版 に お い て 「 超 越 論 的 構 想 力」 を撤 回 して い
る事,こ の 事 が,後 世 に解 釈 の 余 地 を 残 した。 「 超 越 論 的 構 想 力」 を,単 に純 粋 思 考 の 一機 能 とす る の で な く,存 在者 の存 在 体 制 を 明 らか に す る 「 超 越 」 の 生 起 を 基礎 づ け る もの と と らえ 直す の が ハ イ デ ガ ーの 意 図 した とこ ろで あ った 。
II
厂 カ ン トと形 而 上 学 の 問題 」 の序 に お い てす で
に ハ イ デ ガ ー は,そ こで扱 わ れ た主 導 的 問題 提 起
4 研 究 報 告1988年 第4号
を 更 に 明 らか に す る た め に 「 根 拠 の本 質 」 が 役 立 つ と書 い て い る。 ハ イ デ ガ ー の意 図す る 「 存 在 論 の 歴 史 の 現 象 学 的 解 体」 は,「 カ ン ト書 」 に お い て,カ ン トを モ デ ル と して,そ れ を存 在 論 の可 能 性 の 問 題 と して と らえ直 す 型 で行 わ れ た 。 そ こに おけ る,カ ン トとハ イ デ ガ ー の対 応 関 係 を あげ て み れ ば そ れ は 次 の よ うに大 略 示 され るで あ ろ う。
カ ン トに つ い て は,1)経 験 の対 象 とそ の ア ・プ リ オ リな 認 識 を 区 別 し,2)ア ・プ リオ リ認 識 が 経 験 の対 象 の 可 能 性 の 条 件 で あ る こ と,3)そ こか ら, 経 験 の対 象 が,認 識 が そ こか ら説 明 され ね ば な ら な い とこ ろ の認 識 そ れ 自体 の 可 能性 の 問へ 向か う。
これ が カ ン トの 「 超 越 論 的 」方 法 で あ っ た。 ハ イ デ ガ ー は,上 の方 法 を,1)存 在 者 と存 在 体 制 の区 別,2)存 在 体 制 の認 識 は,存 在 者(対 象)の 認 識 の 可能 性 の条 件,3)存 在 者 の 認識 が そ こか ら根 拠 づ け られ ね ば な らな い と こ ろ の 存 在 体 制 の 認 識 (存在 論 的 認 識)の 可 能 性 へ の 間,以 上 の よ うに 読 み直 した 。 この 「 存 在 者 の存 在 体 制Jの 研 究 が,「 カ ン ト書」 で 「 存 在 者 へ の純 粋 理 性 の 超 越」
に か かわ る認 識 とな る こ とが 言 わ れ て い た。 この
「 超 越 」 そ の ものを 中心 と して 存 在 論 的 認識 の可 能 性 を論 ず るの が 「 根 拠 の 本 質 」 に お い て な の で あ る。 「 存 在 者 の 存在 体制 」 の解 明 は,「 超 越 」 と
「 根 拠Jと 「 真 理 」 とが 根 源 的 統 一 を な す とい う 観 点 で 行 わ れ る。 この こ とは,現 存 在 の 「 存 在 論 的 差 異」 を手 が か り とす る。 現 存 在 は,存 在 者 と 存 在 の差 異 を理 解 す る。 この 理 解 の 可 能性 は,現 存 在 そ れ 自身 の根 拠 に根 ざす が,こ れ を 可能 にす
る もの と して超 越 が とらえ られ る。 そ して,存 在 論 的差 異 が,存 在 的 真 理 と存 在 論 的 真理 の 問題 の 本 質 とな る 時 に 「 根 拠 」 と 「 超 越Jと 「 真 理 」 の か か わ りとな る。 手 が か りと して 「 超越 」 が選 ば れ るの は,そ れ が,そ の 内部 に お い て 「 根 拠 」 の 問 題 が 出会 わ れ る 「 領 域 」 で あ る とい う事 に よる。
しか し,同 時 に,上 に示 した 根 源 的 関連 か ら,そ の 逆,つ ま り 「 根 拠 」 の問 題 を 通 して 「 超 越 」 自 身 が,か って よ り以 上 に 根 源 的,包 括 的 に規 定 さ れ る。 とい う こ とも言 わ れ る。 °2ハイ デ ガ ー は,
この 研 究 の方 法 が 「 超 越 論 的 」 で あ る と言 う。 こ の 時 に,明 確 にrr超 越 論 的』 とい うのはr超 越 』 に 本 質 的 に 帰属 す る もの,な らび に,自 己 の 内面 可 能 性 を,そ れ に 負 うもの」⑬ で あ る と規 定す る。
「カ ン ト書」 に 引 きつ づ いて 「 超 越 論 的 方 法」 の
「 批 判 的 意 義」 が後 退 す る。 こ こに お い て,カ ン
トの み な らず,ド イ ツ観 念 論 を 通 して そ の 展 開 と 一線 を 画 した 解 釈 で あ る。 「存 在 と時 間」 に おい で 「 存 在 論 」 が 「 根 無 し」 に な っ て い る事 態 を 言 い,歴 史 的 に 「 デ カル トの コギ ト」,「主 観J,「 自 我」,「理 性 」,「精 神 」,「人 格 」 等 に そ れ ぞ れ 重 点 を置 かれ た型 で行 わ れ て 来 た 一 定 の 「 優 れ た 存 在 領域 」 へ の注 目が,す べ て 存 在 の 問 を 不 問 に 付 し て い たaqと い う立 場 を 取 る ハ イ デ ガ ー は,同 じ
「 超 越 論 的」 の 中 に,新 しい 意 味 づ け を 加 え た の で あ る。 もち ろ ん カ ン トに,ハ イ デ ガ ーの 意 味 す る如 き存 在 論 的 な 超 越 の 考 え 方 は 見 出 せ な い 。 フ ィ ヒテ の絶 対 的 に措 定 され た 「自我 」 が,存 在 す る もの の全 体 を,そ の 絶 対 的 な 「 主 観 性 」 か ら 演 繹 す る こ とを意 図 し,「世 界 」 を 単 に 自己 の 措 定 とす る限 り,有 限 的 ・事 実 的 「 現 存 在 」 の 超 越 とは 同 じに扱 え な い。 た しか に,一 見 す る時 に, フ ィ ヒテ が立 て た 「 純 粋 活 動 性 」,「事 行 」 の 「自 我 」 とハ イ デ ガ ー の 「 現 存 在 」 との間 の機 能 的 類 似 は 見 られ る。 しか し,「世 界」に いか な る独 立 性 も付 与 しな い 「自我 」 と事 実 的 な もの と して の 現 存 在 に と って の 「 世 界 」 は 内容 的 に は全 く異 な る。
ハ イデ ガ ーのr超 越 論 哲 学 」 に お い てはr超 越 的 現 存 在 」 な る語 を用 いた とす れ ば,そ れ は 同 語 反 覆 を 意 味 す る と され る ほ どに,超 越 を現 存 在 の 事 実 的 あ り方 とす る。 この超 越 の 中 に世 界 の 問 題 が 浮 か び 上 が って くる。 ハ イデ ガ ー の場 合,一 般 的 な 「内在 」 の担 関者 と して,つ ま り 「 限 界 」 を 設 定 して の 厂 主 観 一客 観 」 の関 係 と して超 越 は 考 え られ て い な い。 そ の超 越 は 実 存 的 で あ る。 そ こ では,現 存 在 は,超 越(も し くは 超 出)に お い て,は じめ て 自己 が そ れ で あ る と こ ろ の 存 在 者 に,つ ま り 「自己 自身 」 と して の存 在 者 に 達 す る とい う事 が い わ れ る。 超 越 が 「自己 性 」 を構 成 す る もの と と らえ られ て い る の で あ る 。 現 存 在 の
「 根 拠 づ け」 の 分析 に お い て詳 しい説 明が な され
るの で あ るが,超 越 を通 じて,現 存 在 に とって は
自己 で あ る存 在 者,そ うで な い存 在 者 が 明 らか に
な る。現存 在 は,厂存 在 者 」 を超 出 す る が,存 在 者
の個 別 的 規 定,分 節 の前 にそ れ は,あ らか じめ 全
体 に お い て超 え られ て い る とい う構 造 が あ る。 超
越 は,全 体 的 に存 在 者 を 超 え て るが,そ れ が 目指
と こ ろの 行 先(Woraufhin)が,そ れ 自身 は存 在
者 で な い と ころ の 「 世 界 」 と名 づ け られ る 。 °9こ
の構 造 が,す で に用 い られ て きた 「 世 界 内存 在 」
の規 定 で あ る。 こ こで は 「 超 越 が 世 界 内存 在 で あ
唐 沢:ハ イ デ ガ ー の 「 超 越 論 的 」 哲 学 と世 界 概 念 5
る」 と言 わ れ る。 現 存 在 は,存 在 と存 在 者 の 区別 を 知 っ てい る存 在者 で あ る と され た 。 そ の 「 存 在 論 的 差 異 」 の 根 拠 は,現 存 在 の超 越 に あ る ので, 存 在 者 を 超 え 出 るそ の行 先 に 存 在 が あ る と考 え ら れ るが,こ こに お い てハ イ デ ガ ー は,「 世 界 内 存 在 」 と して 規 定 した 現 存 在 に と って の 「 世 界 」 に,ま ず 至 って い る ので あ る。 ハ イ デ ガ ー は 「 世 界 」 の概 念 の 超越 論 的 徹 底 化 を 意 図 して い る。 彼 は 通 俗 的 前 哲 学 的世 界 概 念 と,超 越 論 的 に とら え られ た 世 界 の 概 念 を 区別 す る。 「 世 界 内 存 在 」 が 現 存 在 の 規 定 で あ るた め に,こ の 時 の 「 世 界 」 は,通 俗 的 な 「 総 体 性 」 の 意 味 で は な い。 ここで ハ イ デ ガ ーは ,カ ン トに よる分析に注 目し,彼 が
「 総 体 性 」 を脱 して,「経 験 の可 能 性 」 と 「 超 越 論 的 理 想 」 との 中 間 に 「 世 界」 を 位 置 づ け た こ とを
「 世 界 概 念 の 有 限化 」 と考 え る。 なぜ な らぼ 「 理 念 」 と して の 「 世 界 」 は 超越 的 で あ って 「 現 象 」 を 超 え るが,し か しそ れ が 「 現 象 の 全体 性 」 と さ れ る時 に は,そ の全 体 性 は 有 限 な 認識 の 可能 的 対 象 で あ る 「 現 象」 に関 係 づ け られ る限 り,そ の全 体 性 は 「 現 象 」 に連 れ も ど され る,こ の事 態 が 有 限 化 を 示 す。⑯ ハ イデ ガ ーは,カ ン トの 世 界 概 念 に つ い て 更 に,そ れ が 「 歴 史 的共 同存 在 」 の意 味 に 考 え られ て い る事 に つ い て も言 及 して い る。 こ の 問 題 は,フ ヅサ ール に お い て も考 え られ た の で あ るが,そ こで は 「 世 界」 は 「 間主 体 性 の 自 由な 能 動 に基 づ く形 象 」 の 方 向 に発 展 した 。 ハ イ デ ガ ー は,フ ッサ ール の 立 場 を克 服 す る た め に,
フ ッサ ー ル が まず 各 人 の 「 経 験 の地 平 」 と して 考 え る 「 世界 」 が,実 は この 「 地平 」 は単 に各 人 の もの で は な く,原 理 的 に 各 人 が共 に そ め 「 世 界 」 の 中 に 存 在 して い る 他 者 を 指 示 して い る こ と,
「 世 界」 は そ の 各 人 の み 負 う も の で な く 「 共 同 的」 で あ る とす る。 フ ッサ ー ル で は,人 間 各 自 が,そ の経 験 能 作 に お い て形 象 を構 成 す る,自 由
・絶 対 の主 観 で あ って ,こ れに よ り,厂世界」 は, そ の よ うな主 観 性 の,共 同 に構 成 した形 象 とい う 位 置 づ け を受 け る,そ の意 味 で,フ ッサ ール も ま た近 代 の主 観 性 の観 念 論 に連 な る こ とに な るが, ハ イ デ ガ ー は ,そ の主 観 の能 動性 と同 時に受 動 性,そ の実 存 的 自己 の有 限性,つ ま り特 定 の可 能 性 の 中 に投 げ 出 され た 自己 の存 在 の在 り方 を 問 題 にす る。 「 事 実 的 に世 界 の うち に 常 に す で に 存 在 して い る」 も の と して の現 存 在 の事 実 性 で あ る。
この事 実 性 が,絶 対 的主 観 性 に よ って は産 出 され
な い こ と,形 成 的 能作 べ 解 消 され な い と い う立 場 を ハ イ デ ガ ーは 取 る。 ハ イ デ ガ ーが 「 主 観 」 な る 語 で な く 「 現 存 在」 を用 い る の もそ の よ うな 立 場 か ら考 え られ て い る。
カ ン トが 示 した 「 世 界 概 念 の有 限 化 」 の 問題 も 現 存 在 と世 界 を 結 ぶ ポ イ ン トで あ る。 「 延 長 」 の 自体 的 存 在 も,ま た 各種 の 「 主 観 性 」 か らの産 出 等 も排 除 した ハ イ デ ガ ー の 「 超 越 の行 き先 」 と し ての 「 世 界 」 は,現 存在 の 「自己 性 」 に,そ の実 存 に か かわ る もの で あ る。 現 存 在 と世 界 のか か わ りを 見 よ う。 「 存 在 者 の 只 中 に 自己 を 見 出 しつ つ, 存 在 者 と交 渉 す る存 在者 で あ る現 存 在 は,そ の際 存 在 者 が いつ も全 体 的 に 開示 され て い る よ うに 実 存 して い る」。 この全 体 性 の範 囲 は 可 変 的 で あ る が,こ の全 体 性 の 前 把 握 的 ・包 把 握 的(vorgrei‑
fend‑umgreifend)な 理 解 が 「 世 界 へ の超 出」で あ る と さ れ る。 ° の全 体性 と して の世 界 は,こ れ は 存 在 者 で は も はや な い。 現 存 在 は,そ の全 体 性 の 中 で 「 情 態 的 に」(befindlich)実 存 して い る も の な の で,そ の全 体 た る世界 とい うも の は 「 そ こか ら して 現 存 在 が,い か な る存 在 者 に,か つ いか に し て,存 在 者 に か か わ る事 が 出来 るの か とい う こ と を 指 示 され る と ころ の も の」 ⑱ で あ る。 こ の こ と に よ り現 存 在 は 自己 の意 味 を 自己 の 世 界 か ら理 解 せ しめ られ る とい うことが いわ れ て い るが,そ れ は 一 般 に 「 超越 」 とい うも の の基 本 性 格 と して の
「 根 本 へ 行 くこ と と して の乗 り越 え,こ の根 本 か ら現 実 を 解 明,変 化,改 良 す る こ と と し て の
む
帰 還 」⑱ と い う出 来 事 で あ る 。 ハ イ デ ガ ー は,こ の 帰 還 を 「 世 界 か ら 自 己 へ 帰 還 し 来 る 事 に よ っ て,そ れ は 自 己 と し て,即 ち,そ う あ る べ く彼 に 委 ね ら れ た,そ うい う存 在 者 と し て 『時 熟 す る』
(zeitigen)」 ⑳ こ と と す る 。 現 存 在 の 被 投 的 な る こ と,事 実 性,有 限 性 の 導 出 で あ る 。 現 存 在 の 自 己 性 の 分 析 は,世 界 に あ る 性 格 を 与 え る 事 に つ な が っ て 行 く。 実 存 と し て の 自 己 が 問 題 と す る の は,い つ も 、 自 己 の 「 存 在 可 能 」(Seinkonnen)で
あ る が,こ の 実 存 が,い つ も 「そ れ の た め 」,「 そ れ の 故 に 」(Umwillen)実 存 して い る の は と り も な お さ ず 世 界 で あ る の で,世 界 は,そ こ か ら個 々 の 厂〜 の た めJが あ る こ と の 可 能 性 の 根 拠 と い う こ と に な る 。 つ ま り世 界 に は,根 源 的 な 「〜 の た め 」 と い う性 格 が 認 め られ る こ と と な る 。
世 界 は,現 存 在 の 「 〜 の た め 」 の そ の 時 々 の 全
体 と し て,現 存 在 自 身 を 通 じ て,現 存 在 そ れ 自 身
s 研 究 報 告1988年 第4号
の前 に もた ら され る。 この こ とは,「 世 界 の 企 投」
な の で あ るが,そ れ は 実 際 に は,「 企 投 され た 世 界 」を,存 在 者 を 超 え て ・ 「 超 投 」(uberwerfen)す
る こ とで あ っ て,こ の先 行 的 な 「 超 投 」 が,は じ め て存 在 者 が そ の も の と して顕 わ に な る事 を可 能 にす る の で あ る と説 明 され る。 現存 在 の世 界 内存 在 は,同 時 に超 越 そ の もの で あ るの で 〜超 越 と と もに,(現 存 在 に と って の)世 界 が 現 出 とす る と い う こ とを ハ イ デ ガ ー は考 え て い る。現 存 在 は, そ の意 味 で 「 世 界 形 成 的」⑳ で あ る。つ ま り,現 存 在 は,世 界 を 「 生 起 」 せ しめ る。 もち ろ ん それ と 共 に,自 己 の根 源 的 形 姿 を 与 え る の で あ る が 。
「 世 界 を形 成 す る」 あ る いは 「 生起 せ しめ る」 と は どの よ うな意 味 で あ ろ うか?こ れ は 厂自然 」 の 成 立 を意 味す る。 この意 味 も また慎 重 に考 え られ ね ば な らな い。 ハ イ デ ガ ー の言 うの は,現 存 在 と い う 「 世 界 内存 在 」 とい う性 格 の 存 在者 が,存 在 者(自 然)の 中 に侵 入す る時 に の み,存 在 者(自 然)が 顕 わ に な る可 能 性 が 生 ず る とい う事 で あ る。
厂自然 」 の 可能 性 が現 存 在 に託 され て い る。 ハ イ デ ガ ー は,そ のた め に,こ の 事態 を 「 原歴 史」⑳ と 呼 ぶ。
皿
原 存 在 は 「 世 界 形 成 的」 で あ る。 また は,「 自 然 」 の可 能 性 が原 存 在 に 託 され る。 これ らの規 定 に よっ て,ハ イ デ ガ ー の こ の 時 期 の 「 超 越 論 哲 学 」 に とっ て のや っか いな 問題 が現 れ る。 つ ま り
「 世 界 」 が 「 主 観 性 」 か ら導 出 され て い る,と い う,ド イ ツ観 念 論 以 来 の 問題 で あ る。 こ の点 に つ い て のハ イデ ガ ーの 立 場 の表 明 は次 の よ うに な さ れ る。 「 超越 は,客 観 的 な もの へ の 逃 避 に よ っ て で は な く,た だ 主 観 の 主観 性 につ い ての 絶 え ず 更 新 せ ら るべ き存 在 論 的 解 釈 を 通 じて の み 呈 露 さ れ,把 握 され る。 … …而 して,か か る存 在 論 的 解 釈 は 厂 主 観 主 義 」 に 反 対 す る と と もに,同 時 に
「 客 観 主 義 」 へ の追 従 を もまた 拒 否 せ ね ば な らな い」 ㈱ あ る い は,ま た 注記 に お い て次 の よ う に 言 う 「 存 在 を,超 越 に お い て且 つ そ こか ら存 在 論 的 に解 釈 す る とい うこ とは原 存 在 と しての 存 在 者 か
ら非 原 存 在 的 存 在 者 の全 体 を存 在 的 に 導 き出 す 事 で は ない 」 ⑫ ゆ。ハ イ デ ガ ー の 目的 は 「 存 在 概 念 」の 哲 学 的 基 礎 づ け で あ って;そ れ はす で に 「 存 在 と 時 間 」 で も言 わ れ て い る如 く,い わ ゆ る 「自然 的
態 度 」 の 「自体 的 に存 在 す る客 観 的世 界」 そ の も の が 基 礎 づ け を 得 る地盤 を獲 得 し よ う とす る も の で あ る。 この 点 の ハ イ デ ガ ー の意 図 と方 法 は,安 易 に 思 弁 的 な 限 りの 主観 主 義 的 観 念 論 と混 同 され るべ きで は あ る ま い 。H.フ ァ イ ク が 厂ハ ィ デ ガ ーに お い て は 『超 越 』 も し くは 『超 越 論 的 』 が,『 主 観 性 』 も し くは 『 意 識 』 にか か わ る言 葉 で な く,存 在 を 理 解 す る 『 現 存 在 』 の脱 自的 時 間 性 か ら規 定 され る」 ㈱ と指 摘 してい る事 に も注 意 す べ きで あ る。
ハ イ デ ガ ーは ,「主観性」 につ い て の存 在論 的 な 解 釈 を 試 み る の で あ る。 そ の 限 り,い わ ゆ る
「 主 観 性 の 哲 学 」 と,問 題 の対 象 領 域 が重 な り, 用 語 もそ こか ら取 り出 され る こ とが 多 い 。 「 超 越 論 的 」 の 語 も,そ の 重 な りと差 異 とに注 意 が 向け られ ね ば な らな い 。 例 え ば、 今 現 在,H.ク リン グ スは 代 表 的 な 超 越 論哲 学 者 で あ る と い え るが, この 場 合 は,認 識 一般 の構 造 と意 識 と が 「 超 越 論 哲 学 」 の 指 示 した 領 域 で分 析 され る。 それ は,と
りも直 さず カ ン ト,フ ィ ヒテ,フ ッサ ール の よ う な 超 越 論 的 論 理 学 や,シ ェ リン グ も含 め ての 自 由 の 問 題,更 に は 恐 ら くハ イデ ガ ー の超 越 の問 題 等 を,「 存 在 の現 勢 性(Aktus)に 帰 属 し,何 らか の 関 係 性 の あ る と ころ に は ど こで も 自己 を表 す 性 格 で あ る 『 超 越 』 」 ㈱ を 手 が か りに,「 自 己 自 身 へ の 帰 還 」 の 意 味 に解 され た 「 超 越 論 的 」 な方 法 で, ま さに これ らの 問題 の 「 超越 論 的 生 成 」 の 内在 的 分析 に よ って 体 系 的 に明 らか に せ ん とす る立 場 な の で あ る。 ク リング ス の 「 超 越 論 的 生 成Jの 分 析 の 立 場 は,例 え ば フ ィヒテ の 「自我 」 を 扱 う時, ク リン グス の 問題 意 識 で 分析 し,解 釈 す る。 そ こ に お い て は,フ ィ ヒテを 主観 的観 念 論 の 哲学 者 と して で な く,主 観 の背 後 の 「 超 越 論 的 行 動」 を 問 う哲 学 者 と して,そ して そ の哲 学 をrr抽 象 的 自 我 』 を,行 動 と 自由 の構 造へ と構 成 的 に 解 消す る 哲 学 で あ る」 伽 と理 解 す るの で あ る 。 ク リン グ ス の哲 学 は,「 超 越 論 的」 とよば れ る 問題 と 「 実 在 」 との 問題 につ い て,つ ま りこ こで の 「 主 観 か らの 世 界 の導 出」 とい う外 見 の事 態 に つ い て,解 明 的
で あ る の で更 に見 て行 く。
ク リング ス が,詩 篇 の 「 主 の精 神 が 大 地 の 相 貌 を新 た に し給 う」 と い う一 節,あ るい は 「 諸 事物 は神 が認 識 す る こ とに よ って存 在 す る」 とい う ト
ミズ ム の命 題 を ひ き あい に 出 して,「 人 間 の 思 惟
は,神 に比 す べ き存 在建 立 の 力 を持 つ 」v,;とい う
唐 沢:ハ イ デ ガ ー の 「 超 越 論 的 」 哲 学 と世 界 概 念 7
時 に 再 び こ こで の問 題 に 我 々は 入 る。 ク リン グス に と って も,思 惟 の本 質 は 超 越 に あ る。 「 人 間 が 対 象 を 意識 の 中 に所 有 す る事 が 出 来 る の は,彼 が 同 時 に そ の対 象 を超 え 出て い る こ と に よ る」。 思 惟 の,こ の 「 踏 み越 え」 又 は 「 超 え 出 る こ と」 と い う形 式 的性 格 が超 越 で あ り,そ れ は世 界 との基 礎 的 な関 わ りで あ る。 す べ ての 思 惟 の 中 に超 越 が あ る。 「 言 表 」 に お い て 主語 か ら コ ブ ラ を 経 て 述 語 へ 超 え 出 る こ とがそ れ で あ る。 ク リング ス は, こ の こ とは 「 存在 を創 り出すJ事 で な く,厂存 在 を 聞 き取 る」 ⑳ 事 で あ る とい う。 なぜ な らば 「 主 語 」
と 「 述 語 」 の 問 の 「 〜 あ る」 と して架 け られ る橋 は,土 台が す で に 設置 され て い る と ころで しか架 設 され な い即 か らで あ る。つ ま り 「 超 越 」の 作 用 は,現 実 の 中 の 土 台 に 依 存 す る。 事 実 的 超 越 に は,す べ て限 界 が あ って,こ の 限界 が そ れ ぞ れ の 歴 史 的 現実 性 を示 す の で あ る。 ク リングス は,哲 学 を 「 二乗 され た超 越」⑳ と規 定 す る 。 思 惟 の行
う超 越 は 「 存 在 す る もの を 増 加 させ た り改 良 す る の で な く,存 在 関 係 を 濃 密 に す る」働 事 に そ の意 味 を 持 つ。 人 間 は事 物 を 創 造 しな い,そ うで は な く,超 越 に お い て 「 事 物 を 集 め る」。別 言 して 「 統 合 す る」 。 こ の よ うな 思惟 の力 に よ る新 し い統 一 の 実 現 を,ク リン グス は,Realisieren(知 現 す る) と呼 び,フ ィヒテ の 「 対 象 が対 象 と して認 識 され る と同 時 に 実 現 され る」 の意 味 の用 語 を用 い て い る。 超 越 の 意 味 は,よ っ て諸 事 物,世 界 を 「 形 成 す る」 こ とに あ る。 この よ うな意 味 で 「 神 に比 す べ き存 在 建 立 の 力」 が言 わ れ,思 惟 に よ る新 しい 統 合 的 現 実 の 誕 生 を,ア ナ ロギ ー に よ り 「 人 間 が 大 地 の相 貌 を 新 た にす る」 とい われ た の で あ る。
この よ うに,ク リン グス は,人 間 と世 界 との 関 係 を,ダ イ ナ ミックな超 越 の 関 係 と して,そ の 構造 の解 明 を意 図す る。 そ こで は,フ ィ ヒテ の 自我 の 知 の循 環 の超 越 論 的 立 場 を,更 に そ の構 造 の可 能 性 そ の もの に 立 入 っ て そ の 根 拠 を 示 す とい う時 に,明 らか に な る よ うに,超 越 論 的 内題 設 定 を, 更 に 深 化 して,そ の 内在 的 分 析 に よ って捉 え直 す 立 場 が確 立 され て い る。 ハ イ デ ガ ーに お け る,現 存在 の 「 世 界 形 成 ゴ の 内題 は,超 越 論哲 学 の新 し い 一 つ の立 場 か らの ア プ ロ ーチ で あ り得 る とい う 事 を,ク リ ン グス の分 析 は 示 そ う。
「 超 越 」 の 問題 は,再 び 「 根 拠」 へ と も どっ て 行 く。 これ は 「自 由」を媒 介 に行 わ れ て 行 く。 「 現 存在 が 世 界 を生 起 させ る」 とい うこ とで,す で に 示 され た 如 く,そ れ は,超 越 に お い て起 る事 で あ り,世 界 は,単 純 に在 る も ので は な い 。 この た め に,ノ ・ イ デ ガー は,「世 界現 成 す る」(welten)⑬ と い う用 語 を 用 い る 。 この 超 越 の 根 拠 は 何 で あ ろ う?現 存 在 は 「 〜 の た め」 の 中で,自 己 を 超 え る 時 に 自己 へ の 存 在 に な る。 自己 自身 の 存 在 可 能 性 に 向 けて 自己 を 企 投 す る もの は,「 意志 」 で あ る。
この 「 意 志」 は,超 越 と して,「超 越 に お い て 「 〜 のた め」(Umwillen)そ の ものを 形 成 す る も の で も あ るた め,そ れ は 「自由」 と呼 ばれ る。 帥 実存 で あ る現 存 在 は,「 〜 のた め」 を超 越 に お い て 自己 に対 峙 さ せ る意 志 で あ る 「自由」 に基 づ い て可 能 に な る とiこ の よ うに 言 わ れ る。 この 「 自 由」 、の 性 格 は,非 常 に根 源 的 に 考 え られ て い る。 「自由」
が現 存 在,そ して世 界 の 根 源 に位 置 づ け られ る。
「自 由の み が,現 存 在 の た め に 世 界 を躍 動 させ, 世 界 を現 世 せ しめ る」 とい わ れ る時,そ れ は,特 定 の 種類 の も の で な い 位 置 づ け を 得 て い る の で あ って,そ れ が故 に,そ の 自由は 厂 根 拠 一 般」 の 根 源 にす え られ て い る。 超 越 を 形 成 す る 自由 は,
「 根 拠 へ の 自 由」 で あ る。 この種 の 自 由は,例 え ば,フ ィ ヒテが 「 行 為 の行 為Jと して,「 自我」 の 超 越 論 的 行 動 の核 に した 自由 と同 じもの と考 え ら れ る。 つ ま り,そ れ は 「 超 越 論 的 自由」 で あ る。
カ ン トが 「 認 識 の 制 約」 と して 「 意 識 の超 越 論 的 統 一 」 を,そ れ 以 上 に は解 消不 能 の事 実 と して た てた の に対 し,フ ィ ヒテ は 「 絶 対 的 自我 」 を 「自 発 性 の現 勢 態 」 と して,原 理 と して措 定 した 。 こ の時 に フ ィ ヒテが 必 要 と した の は 「自由 な行 動 」 の概 念 で あ っ た。 「自我 が 自我 と して,自 己 を 措 定 す るの は 自由 を通 して で あ り,自 由 か らで なけ
れ ば な らな い」。
こ の 「 自由」 は,シ エ リン グに お い て も現 れ て
い た 。 「 人 間的 自由の 本 質 」 に つ い て の,ハ イ デ
ガ ー の注 目は,こ の 「 根 拠 の本 質 」 の 中 で触 れ ら
れ て い るが,具 体 的 に,シ エ リン グを 引用 して い
る箇 所 は な い 。 しか し,本 質 的 な 点 で,シ エ リン
グの 扱 う問 題 に ハ イ デ ガ ー は関 わ りあ って い る こ
とが 充 分 に 考 え られ る。 「自由」 に つ い て い えば,
シエ リン グは,そ れ を人 間存 在 の根 本 的能 力 と し
て,そ れ も フ ィ ヒテ とは異 な っ て,世 界構 成 の純
粋 思 惟 の 運 動 の 原 理 で な く,有 限 な る人 間 の 自由
8 研 究 報 告1988年 第4号
と して意 識 して 取 り扱 った 。 そ れ は 実在 的 な 自己 措 定 の原 意 志,根 拠 の 意 欲 と して現 れ た。 善 と同 時 に 悪 へ の 自 由で あ る 人 間 の 自由 につ い て の シ エ リン グの 問 題 の 展 開 は,人 間 の 内 な る最 深 の 「 深 淵 」(Abgrund)へ,更 に は,「 深 淵 」 と 「 天 」 と の 絶 対 的 無差 別 と して の 「 無 底 ・無 根 拠 」(Ung‑
rund)に 至 り,彼 の後 期 哲 学 で の 「 何 故 総 じて何 か が 在 って,何 も な い ので はな い の か?」 の 問 へ つ な が る局 面 を 開 く。 ハ イデ ガ ーの シエ リン グへ の 注 目は,明 らか に 「自 由」 と 厂 根 拠」 の 関 わ り の存 在 論 的 意 味 に あ る。
「 原 存 在 」 と 厂 世 界 」 の 根 源 と して の 「自由」, これ は,超 越 論 的 地 平 に お い て の み 問題 とな り得 る。 先 のH.ク リン グス は,自 由 につ い て 「 実 的 自由」,「実 践 的 自 由」,更 に 「 超越 論 的 自由」 に分 け,そ れ ぞれ の個 有 の局 面 を 分 析 して い る。as「 超 越 論 的 自 由」 は,「 行 為 の 行 為 」p9であ っ て,そ れ を通 じて は じめ て 行為 者 が 自己 固有 の行 為 の 関 係 に 入 る と ころ の もの で あ る。 そ れ は,自 己 の 行 為 の 規 定 性 の規 定 で あ る。 ク リン グ スは,カ ン トと フ ィ ヒテ の 「 超 越 論的 論 理 学 」 の 地 平 を さ ぐる。
そ れ は 厂自己 措定 」 の概 念 の 内在 的 分 析 とな る。
「自己 指 定 の概 念 は,形 式 的 には,抽 象 的 同 一 性 (自 我)に お け る 『 距 り』 の開 示 で あ る。 しか し 個 体 は,抽 象 的 に 同一 の も ので な く,自 己 の 自己 存 在 に 向 け て 開示 す る。 そ して そ の 中 で,自 己 を 同一 性 へ と媒 介 す る根 源 で あ る」 。 ¢ のこの 形 式 的 自 由 は,し か し空 虚 であ る。 自由 の 内 容 とは,超 越 論 的 な 自己措 定 の,無 制 約 な 行 動 を満 たす と ころ の もの で あ る。 こ の 内 容 も,与 え られ る の で な く,自 由 の産 物 で あ る,つ ま り行 動 の性 格 を 持 た ね ば な らな い 。 自己媒 介 が 実 的 とな るた め に,超 越 論 的 規 定 性 が,内 容 が獲 得 され ね ば な らな い。
超 越 論 的 行 動 は,実 的 な もの,実 在 性 を,一 般 的 な よ うに 客 観 に 帰 す る の で な く,超 越 論 的 に 基礎 づ け ね ば な らな い。 「 経 験 的 な 実 在 性 が 知 覚 され るな らば,そ れ は まず,あ る超 越 論 的 行動 の,つ ま りそ の 中 で,そ れ な しに は知 覚 が不 可能 で あ る よ うな,あ の 開示 存 在 が もた ら され る,あ る超 越 論 的行 動 の 内容 で あ る」 。㈱ ク リング ス は,こ の事 態 を 次 の よ うに述 べ て 説 明 す る 。 「あ の 開 示 性 が な され て い な いた め に,ま た知 覚 す べ き も のに 対 して それ が 自 由で な い た め に,決 意 が 欠 け るた め に,あ る いは 実 際 の 自己 閉鎖 の 中 で否 定 され た が ため に,他 の 個 人 に と って は 自明 と思 わ れ る知 覚
が,い か に 多 く,あ る個 人 に とっ て不 成 功 に終 わ る こ とで あ ろ うか?」 。 ㊥9「 実 在 的 な もの とい うの は,生 の 事実(factumbrutum)に 留 るの で な く て,決 心 に よっ て,媒 介 され た 実 在 性 に な り,そ
して 自由 の 内容 と して,は じめ て そ の真 理 を 獲得 す る。 つ ま り,そ れ は,開 示 され,肯 定 され た実 在性 に な る」 。⑳ この よ うに,自 己 規 定 の 概念 は, 弁 証 法 的 な 意 味 を 持 つ の で あ る。 超 越 論 的 自 由
が,自 己 の 内容 的 に 規定 され た規 定 性 と共 に ,自 己 に と っ て実 在 的 な もの の規 定 性 を基 礎 づ け る。
個 人 に と って の 自然 の,個 人 的 環 境 の 如 き,実 在 性 の超 越 論 的 地 平 が,こ の よ うに 解 明 され る ので
あ る。
さて,ハ イ デ ガ ー の 「自由」 と 「 根 拠 」 のか か わ りは,「 根 拠 づ け」の 問 題 へ 移 る。そ のか か わ り は 「 根 拠 づ け」 で あ る。 「 根 拠 づ け 」 は,そ れ に よ って 「自由」 が 「 根 拠 」 を 与 え,か つ 受 け 取 る とい う事 態 で あ っ て,超 越 の 内 容 が 明 らか に な る と ころ の もので あ る。 「 根 拠 づ け」 は,1)建 立,2) 地盤 獲 得,3)基 礎 づ け,と して三 重 の 仕 方 に お い て,し か し等 根 源 的 に 起 こ る。 簡 単 に は,こ の三 重 の根 拠 づ け は,原 存 在 が,そ の 都 度 実 存 出来 る 全 体 を 生 み 出 す もの で,そ の全 体 は,1)世 界 企 投 と して 実 存 の 諸 可 能 性 を 与 え,2)存 在 者 の 只 中 に,そ れ に よ って 気 分 的 に貫 か れ て い る とい う地 盤,つ ま り企 投 と被投 性 と,更 に,3)「 何 で あ る か 」,「い か に あ る か」,「あ る と い うこ と」 の存 在 理 解 の 分 節 化(存 在 者 の証 示)の 三 重 の統 一 で あ る。 ㈱ 「 自 由」 は,こ の よ うに して 「 根 拠 へ の 自 由」 で あ る。
は じめ に 問題 に され た 「 根 拠 律 」 の 問題 へ の解 答 が,こ こで 得 られ る事 とな る 。 「 根 拠 律 」は,存 在者 を超 えた 命 題 で あ る。 つ ま り 「 何 物 も根 拠 の な い も の はな い」 。 この命 題 が,い か に して 存 在 者 に妥 当す る の か,と い う の が 問 の 手 が か りに
な っ て いた 。 この 問 は 今や 次 の よ うに答 え られ る。
「 存 在 は,も と も と先 行 的 に理 解 され た もの と し て根 源 的 に 基 礎 づ け る も の で あ る の で,存 在 者 は,存 在 者 と して 自己 のr根 拠 』 を持 つ 。 こ の故 に 「 根 拠律 」 は存 在 者 に妥 当 す る」 ゆ
「 根 拠 律 」 の根 源 に も,自 由が 設 定 され た こ と に な る。 「 根 拠」 の 解 明 に お い て,「 根 拠 」 が,自 己 を 「自由」 そ れ 自身 へ と戻 し返 す こ とが わ か る。
「自由」 は,根 源 と して,自 ら 「 根 拠 」 とな る。
この構 造 を,ハ イデ ガー は 「自由 は,根 拠 の根 拠
唐 沢:ハ イ デ ガ ー の 「 超 越 論 的 」 哲 学 と世 界概 念 9
で あ る」 ⑱ と して規 定 す る。
現 存 在 の超 越 の 中に,自 由 と根 拠 とそ して世 界 の か か わ りが 解 明 され て 来 た。 現 存 在 の 自 由 と は い か な るも の か?現 存 在 の 自由 の有 限 性 を 指 摘 し な け れ ば な ら な い。 しか し,そ の有 限 性 は,直 ち に根 拠 につ な が る。 現 存 在 は,自 由 な 「 存 在 可 能 」 と して存 在 者 の許 に投 げ 出 され てい る(被 投 性),現 存在 は,常 に 自己 の 自由に 応 じて い る,超 越 が,根 源 的 に 「 生起 」 と して時 熟 す る,そ の 根 源 に 自由が あ る,以 上 の よ うな 「 事 実 」 そ れ 自体 は,「 自由」 そ の もの の 自 由に は な ら な い。 「『根 拠 』 と して の 『自由』 は,現 存 在 の 『 深 淵 』(A‑
bgrund)で あ る」 色 ゜ とい うハ イ デ ガ ー の言 葉 は , この 事 態 を述 べ る言 葉 で あ る。 現存 在 が ,始 めて 自己 を 「 深 淵 」 と して 理 解 す る に至 る とこ ろで, この 書 は終 る。
同 じ1929年 に,更 に 厂 形 而上 学 とは何 か 」 が 刊 行 さ れ て い る。 そ こに お い て も,更 に超 越 の問 題 が解 明 され る が,そ こで は 「 根 拠 の本 質 」 の 「 現 存 在 の深 淵 」 は,更 に 厂 無 化 」 す る 「 無 」 の 問 題 とつ なが る。現 存 在 の超 越 は,「無」 の中 に 保 ち 入 れ られ て い る こ と と して解 され る。 厂自由」 と 「 根 拠」 は,そ こで は 厂 無 の根 源 的 開 示 生 な く して,
自己 存 在 もあ りえ ず,自 由 も あ り得 な い」 とい う 境位 に 置 かれ る。 そ の書 は 次 の 間 を も って終 る。
「 何 故 に一 体 存 在 者 が 在 って,却 って無 で は な い の か」。す で に,シ エ リング の後 期 の哲 学 は,同 じ 問 を発 して い た 。 ハ イ デ ガ7の 「 超 越 」 の 哲 学 は,こ の よ うに して,形 而 上学 の根 底 の 問 に達 し た。
V
以 上 に,ハ イ デ ガー の 「 超 越 論 哲 学 」 の 展 開 を
「カ ン トと形 而 上 学 の 問題 」 及 び 「 根 拠 の 本 質」
を 中 心 に 見 て きた 。 「 超 越 論的 」 な方 法 は,「 存 在 と時 間」 で示 され た課 題 の遂 行 の た め に選 ばれ た。
しか しな が ら,哲 学 の伝 承 の中 で 「 超 越 論 的観 念 論」 との差 異 は,彼 自身 が'自らの意 図 を表 明す る ほ どに は 明確 で は な い。 この 点 に つ い て,「 超 越 論 的」 な る概 念 の用 い られ る地平 を示 し,ハ イ デ ガ ー の言 う 「 超 越 論 的 」 な る立 場 の位 置 づ け を試 みた 。 ハ イデ ガ ー の思 索 の 展 開 の 中 で は一 つ の段 階 にす ぎな いが,し か し,そ の後 の立 場 を 解 釈 す る上 で も重 要 な一 段 階 で あ る。 以 下 に は,ハ イ デ
ガ ーの,こ のr超 越 論哲 学」 の立 場 そ の も の の哲 学 史 的 位 置 づ け に つ い て,簡 単 に触 れ て お く。
フ ヅサ ー ル の 弟 子 で,そ の 遺 稿 の 整 珪 の 仕 事 を,L.ラ ン トグ レーベ と共 に行 い,・か つ 後 に フ ライ ブ ル クで,ハ イ デ ガ ー に協 力 す る型 で 仕 事 を したE.フ ィ ン ク は,ハ イ デ ガ ー の 「 超 越 論 哲 学」 に 対 し批 判 的 で あ る。 彼 は 「 根 拠 の 本 質 」 を と りあ げ て,ハ イ デ ガ ー の 「 超 越 」 の 考 え を,カ ン トと比較 して い る。 カ ン トの 厂 主 観性 」 に お い て,純 粋 感 性 の 静 的 な 形 式 で あ っ た 「 空 間 」 と
「 時 間 」 が,こ こに お い て は 「 現存 在 の生 起 」 と して 「 空 間 の形 成 」 と 厂 時熟 」 とな っ て い る こ と に不 満 を表 す 。 「 超 越Jに おけ る 「 世 界 形 成 」 の
「 原 歴 史 」,あ る い は,厂 存 在 者 の世 界 へ の 侵 入 」 の如 き考 え 方 は 「 世 界 を主 観 の 中 にお き,人 間 は 特 別 な あ りか にす る」 もの で あ る と彼 は 言 う。 彼 は 次 の よ うに ハ イ デ ガ ー批 判 を く り広 げ る。㈲1) ハ イ デ ガ ーが ,世 界全体 の唯一的全体を,そ の完 全 な広 が りに お い て判 明 に際 立 た せ ず,疑 わ しい 全体 組 織 の,死 んだ 動 か ぬ 形 式 で 普 遍 者 を表 象 し た。2)「 現 存 在 」 が 「 存 在 了 解 」 の 所 有 者 に な
り,い か に して人 間 が 世 界 全 体 と して の世 界 の 中 に存 在 す るか とい う,人 間 の 世 界 関連 性 を隠 蔽 し た 。3)「 現 存 在 」 の 概念 が 「 超越 論 哲 学 的 」 に と どま っ た 。 つ ま り人 間 が 「 絶 対 的 観 念 論 」 の
「 器 」 に な った 。
この フ ィ ン クは,フ ッサ ー ル に対 して す で に 批 判 を 行 って い た が,そ の 点 で は,ハ イ デ ガ ー も フ ィ ン ク と同 じ考 え で あ った 。 ハ イデ ガ ー の フ ッ サ ー ル 批 判 とほ ぼ 同 じよ うに,例 え ば,フ ィ ン ク は 次 の よ うに 言 う。 「フ ッサ ー ル に と って は,志 向性 が 主観 ・客 観 関 係 の基 本 語 で あ るが,い か に
この 関 係 が具 体 的 ・多 岐 に研 究 され よ うと,こ れ だ け が存 在 の唯 一 の圏 域 な の で は な いJ。絢 つ ま り
「 す べ て の主 観 ・客 観 よ りも,世 界 が よ り根 源 的
で あ る」。ハ イ デ ガ ー 同様,フ ィ ンク は,フ ッサ ー
ル の 「 超 越 論 的 自我 」 の主 観 性 が,存 在 問題 を不
問 に して い る事 を 指 摘 した の で あ る。 フ ヅサ ール
も,未 だ ドイ ツ観 念 論 の影 響 下 に あ る とい う事 の
批 判 で あ った 。 フ ィ ン クは,自 ら と出発 点 に おい
て同 じ考 え を 持 つ ハ イ デ ガ ー の哲 学 が 「 存 在 と時
間」 の後 に 「 超 越 論 哲 学 」 とな った 事 を,「根 拠 の
本 質」 の世 界 の概 念 に見 て取 って い る。 フ ィ ン ク
は,人 間 の存 在 関 与 を,「人 間 存 在 一般 」の そ れ と
す る こ とにす で に反 対 で あ る。 フ ヅサ ール に お け
10 研 究 報 告1988年 第4号
る 「 超 越 論 的 自我 」 と 厂 内世 界 的 人 間 の 自己 」 の 区 別 に 関 して,「 『 肉化 』 した我 々」 ㈲ の 問題 を 立 て る。 そ の後 の フ ィ ン クの 思想 の展 開に 見 られ る 如 く,フ ィ ン クの 「 世 界」 は,人 間 の歴 史 的 ・社 会 的 共 同 存 在 と宇 宙論 的(ヘ ラ ク レイ トス的)世 界 と の協 働 の 「 世 界遊 戯 」 の世 界 で あ る。 この視 点 の中 で,フ ィ ン クは,ハ イ デ ガ ー の,こ の時 期'
の思 想 につ い て 徹 底 的 に反 対す るの で あ る,フ ィ ン ク は,「 超 越 論 哲学 的 」 の語 を,ま さ に そ れ が
「 主 観 的 観 点 論 」 と して取 られ るそ の ま ま の意 味 に解 釈 してい る。 そ の 意 味 で は,ハ イ デ ガ ー の意 図 した とこ ろ は,期 待 した よ うに は 理 解 さ れ な か った とい う好 例 で あ ろ う。
0.ペ ッゲ ラ ー は,こ の よ うな意 味 で フ ィ ンク の ハ イ デ ガ ー批 判 に皮 肉な 見 方 を して い る。 ペ ッ ゲ ラー は,何 よ りも,フ ィン クの 「 世 界」 の,ド グ マ 的,思 弁 的設 定 に危 険 性 を 見 て 取 る。 それ は
「 世界 論 的方 向転 回」 で あ る と され る。 ⑱ ペ ッゲ ラー 自身 は,ハ イ デ ガ ー の思 惟 に対 して,内 在 的 解 釈 を 行 う人 で あ るが,フ ィン クへ の批 判 は,そ
の 方 法 意 識 に 向 け た も の で あ ろ う。 彼 は 言 う
「(フィ ン クに あ って は)『 超 越 論 的 な』 問 の立 場 が見 棄 て去 られ る。 ハ イデ ガ ーに お い て は,あ る r超 越 論 的 な 』 な い しはr存 在 史 的 な』 意 味 で言 わ れ て い る主 導 語 が,フ ィ ン クに お い て は,あ る 全 く別 な意 義 を獲 得 す る」,こ の よ うに フ ィ ン ク が,ハ イ デ ガ ー の 指 示 に 考 慮 を 払 わ ず に ハ イ デ ガ ー批 判 を展 開す る事 を 「 奇 妙 な事 」 とす る ので あ る。
L.ラ ン トグ レーべ は フ ィ ン ク と共 に フ ッサ ー ル の弟 子 と して,ル ー ヴ ァ ンの フ ッサ ー ル文 庫 の 仕 事 を受 けつ いで い るが,ハ イ デ ガ ー の 「 世 界 」 の概 念 につ い て は,フ ィ ン ク とは逆 に,そ れ を評 価 す る。 彼 は,ハ イデ ガ ーに;egocogitoに 始 ま
る近 代 の 「 主 観 性 の哲 学」 の止 揚 の立 場 を認 め る。
彼 も,フ ッサ ール を,デ カル ト的 な着 手 の頂 点 に 位 置 づ け る 。 そ れ 故 に,フ ッサ ー ル か らハ イ デ ガ ー の移 り行 き の 中に,近 代主 観主 義 の崩 壊 す る 思想 的 転 回を 確 認 す る。 「 現 象 学 は,デ カル ト的 端 緒 の最 後 的 完 成 と根 源 化 で あ って,そ れ が 同時 に そ の こ とに よっ て,そ の 内的 問題 性 と裂 け 目を ま ざ ま ざ と露 出 させ て きた ので,ハ イ デ ガ ー は こ の 断層 を手 が か りに,彼 自身 の 出発 点 をつ か む よ うセ ヒな った」。 四 この よ5に 言 う時 に,「 意 識 一 般 とそ の普 遍 的 本 質 」 が 人 間 の 窮 極 の 問題 で は な い
事,む しろ そ の 「 歴 史 的状 況 」 に お け る人 間 存 在 そ の もの が 問 題 で あ る こ とが理 解 され るに 至 る時 代 背 景 が 考 え られ て い る。 彼 の見 る と ころで は, フ ッサ ール の 現 象 学 に お け る よ うに 「 事 実 的 世 界 」 が,絶 対 的 出 発 点 と して の 「 意 識 」 の 「 構 成 的 能 作 」 に 還 元 され る時 に,こ の 「 意 識 」 とい う 関 係 点 の 「 事 実 性」 が飛 び越 され て しま うの で あ る。 彼 は 「 歴 史 的 状 況 に おか れた 人 間存 在 の 事 実 性Jへ の 哲 学 的 通 路 を 求 め る。 そ の 通 路 を,彼 は,ハ イ デ ガ ーの 「 現存 在 」 の 「 情 態 性 」(Befin‑
dlichkeit)と い う,・ 人 間 の 受 動 的 事 実性 の 存 在 論 的 命 名 に 見 い 出 す 。 この 「 事 実 性 」 は,も は や 意 識 に は 還 元 出 来 な い の で あ る。 ラ ン トグ レー ベ は,ハ イ デ ガ ーの 「 世界 内存 在 」 を支 持 す る。 彼 は,ハ イ デ ガ ーに よ る 「 世 界 」 の概 念 の解 明 に よ り,経 験 科 学 に お い て用 い られ る よ うな 「 世 界 」 意 識 もは じめ て,充 分 に そ の 自己解 釈 を与 え る こ とが 出来 る よ うな 基 礎 が与 え られ る よ うに な った と証 言 す る。
ハ イ デ ガー ,フ ィンク,ラ ン トグ レーベ は相互 に非 常 に 近 い 関 係 に あ って,.フ ッサ ー ル に 対 す る考 え方 は 共 通 で あ った。 しか し,ハ イデ ガ ー が r存 在 と時 間 」 の 後 に 「 超 越 」 を核 と して 「 超 越 論 哲 学 」 を 展 開 した 時 に,フ ィ ン クは 同調 出来 な か った 。 フ ィ ン クの 不満 は,そ こに お いて は 「 超 越 」 が 「 世 界 そ の もの」 よ りも先 行 す る も のに 見 え るか らで あ る。 フ ィ ン クの 場合 に は 「 世 界 」 が 先 行 す るの で あ る。 フ ィ ンク は,フ ッサ ール に 向 け て 行 った 同 じ批 判 を,も う一 度,今 度 は ハ イ デ カ ーに 向け て 行 った の で あ る。
W.シxル ツは,ハ イ デ ガ ー を哲 学 史 の中 で ど
う位 置 づ け る か 考 え て い る。 彼 は,し ば しば 行 わ
れ る如 き,哲 学 の伝 承 とハ イ デ ガ ー を対 立 させ る
構 図 に お い て は 把 え な い。 む しろ,ハ イデ ガ ー の
哲 学 が,伝 承 に つ な が っ て行 く と ころ の歴 史 的 ・
内時 間 連 関 を 反 省す る。 これ は,シ エ リン グの 後
期 の 哲 学 に よ り ドイ ツ観 念 論 が最 終 的 に完 成 を み
た と考 え る彼 の 立 場 を反 映す る も の で あ る。 端 的
に 言 え ば,彼 は,ハ イ デ ガ ー を,伝 承 の,主 観 性
の 哲 学 の 末尾 に位 置 づ け る。 これ は,し か しな が
ら,主 観 性 の 全 体 史 の 中 で の,ド イ ツ観 念 論 で 行
わ れ た 如 き,「 実 体 の非 実 体 化 」 を 地 平 と して 考
え て 行 わ れ る 。 ラ ン グ レー ベ は主 観 性 の哲 学 の 末
尾 に フ ヅサ ー!レを 置 い た が,シ ュル ツ は,フ ッ
サ ール,シ ェー ラー,そ して ハ イ デ ガ ーを そ の 末
唐 沢:ハ イ デ ガ ー の 「 超 越 論 的 」 哲 学 と世 界 概 念 11
尾 に置 く。 つ ま り,そ れ は,ド イ ツ観念 論 とは一 線 を画 した,「 ドイ ツ観 念 論 以後 の主 観 性 の哲 学 」
と して の位 置 づ け を 得 る。 それ は,こ の3人 の 哲 学 に お け る 「 主 観 」 が,厂 非 実 体 化 され た 主 観 」 ⑬ と して共 通 で あ る事 に よ る。 シ ュル ツに よれ ば, 人 間 が実 体 で な く,「作 用 の 遂 行 者」で あ る事,こ の 点 に お い て は ハ イ デ ガ ー は,フ ヅサ ー ル, シ ェー ラー と同 じで あ る事,た だ し,ハ イ デ ガ ー が 指摘 した通 り,彼 等 は,厂 こ の 遂 行 の 存 在 論 的 な 意 味」 を 明 らか に しな い ま まで い た。 こ の こと が,ハ イ デ ガ ー を彼 等 か ら分 け るの で あ る。
シ ュル ツに よれ ば,ヘ ー ゲル の 「 絶 対 的 精 神 」 か ら,ハ イ デ ガ ー の有 限 的 な 「 現 存在 」 ま で に3 つ の 段 階 が 考 え られ とい う。 そ れ は,1)自 己構 成 す る精 神 は,そ の媒 介 の 中 で,も は や何 の対 象 も 持 た な い こ とを,自 らを無 限 と して 把握 す る。2) 自己 自身 を 措 定 す る精 神 は,自 らをr円 環 」 と し て 発 見 す る。 精 神 は,も はや 思 惟 に 止 揚 出 来 な い 自 らの 存 在 の"dad"を 知 る。(後 期 シエ リン グ) 3)そ の 遂 行 の中 で 自 らを,有 限 の,現 実 の もの と
して経 験 した 精 神 の 発 見 に よ り,「 現 実 一 般 」 の 如 きも のを,思 惟 よ りも高 い も の と して 対 置 し, 思 惟 を 「 把 握 不 能 の 実 在 性」 か ら基 礎 づ け る事 が 導 かれ た。6D以上 の3段 階 は,ヘ ー ゲ ル か ら後 期 シ エ リ ング,更 に キエ ル ケ ゴー ル ・マル ク ス を経 る展 開 を説 明す る もの で あ る。 シ ュル ツ の用 語 で は,「 考 え る 主 観」か ら 「 存 在 す る主 観 」へ の移 り 行 きで あ る。69先 に示 した 如 く,こ の 「 存 在 す る 主 観 」 が 「 事 実 的 自己 遂 行 の 主 観」 で あ る。 この もはや,非 実 体 化 され た 主 観 が,フ ッサ ール に は な い存 在 論 的位 置 づ け の 中で,厂 現 存 在 」 と し て 把 え直 され,も はや 他 の もの に よ って措 定 さ れた もの で は な い もの と して,す で に そ の 中 に存 在論 が 可 能 に な る,そ の よ うな遂 行 と して規 定 され る。
シxル ツが 「 存在 と時 間」 を 厂 主 観 主義 的Jで あ る と規 定 す るの は,次 の意 味 に お い て で あ る。
そ れ は,そ こに お い て は 「 現 存 在 が,そ の 自己 の 全 体 性 の中 で,も は や 他 の存 在 者 か ら して で な く,自 己 自身 か ら して解 釈 し よ うと試 み る」 そ の 限 り,そ の 意 味 で 「 主 観 主 義 的 」 で あ る,と い う
の で あ る。 ㈲ シ ュル ツは1こ の29年 の 「 形 而 上 学 とは何 か 」 が,伝 統 的 形 而上 学 の最 後 の 作 品 で あ る と言 う。 つ ま り,精 神 が 自 らを疎 遠 に し,そ の こ とに よっ て 自己 自身 へ もた らす 「 媒 介 」(ド イ ツ観 念 論 に おけ る弁 証 法 的媒 介)が,こ こに おい
て は 「 無 」 を 「 媒 介 」 と して行 わ れ る とい う根 源 的事 態 に立 ち至 るか らで あ る。 絶 対 的 精 神 に お け る媒 介 は,思 惟 の 中で 見 通 せ る もので あ った,と ころ が媒 介 と して の 「 無 」 は,「 形 而 上 学 とは 何 か」 で 明 らか に され て い る よ うに,そ の 「 無 化」
に お い て 「 襲 う」 も の で あ る。現 存 在 は,こ の媒 介 を,も はや 自由 に な し得 な い。先 に も示 した 通 り,ハ イ デ ガ ー は そ の 「 超 越 」 に お い て,現 存 在 の 根 拠 が 「 無 」 の 中 に保 ち入 れ られ て い る事 を 示 す 境 位 に 至 って い た の で あ るが,こ の 嘸 」 を, シ ュル ツは,哲 学 の伝 統 の 「 終結 点」 と呼 ん で い る。 働
シ ュル ツは,し か し,こ の 「 主 観 性 の 哲 学 の 頂 点 」 に お い て,ハ イ デ ガ ー が 嘸 」 の 哲 学 か ら
「 存 在 」 の 哲 学 へ と 「 転 回」 して 行 くと言 う。 そ して,そ れ を 「 主 観 性 の哲 学 」 の 克 服 を ハ イ デ ガ ー が 目ざ した の だ と述 べ る。
シ ュル ツの この 解 釈 は,再 び 「 主 観 性 」 に つ い て の新 た な問 を よび 起 こす 。 ラ ン トグ レーベ も,
シ ュル ツ も,ハ イデ ガ ーに お け る近 代 の主 観 性 の 哲学 の止 揚,あ る い は克 服 を 言 う。 そ の よ うな哲 学史 上 の重 要 な位 置 づ け に お い て共 通 で あ る が,
こ こで取 り上 げた 「 超 越 論 哲 学 」 の 時期 の ハ イ デ ガー の 思 想 が,す で に 「 主 観 性 の 哲 学」 を 克 服 し た も ので あ るの か,あ る い は,ま た,こ の 「 超越 論 哲 学」 の完 遂 が そ れ を も た ら した の か,見 方 が 分 か れ て い る。 そ れ は,つ ま り,シ ュル ツの 用 い た,限 定 つ きの 「 主 観 主 義 的 」 な る語 の 意 味 に か か っ て くる問題 で あ る。 シ ュル ツの 用 語 は,ラ ン トグv一 べ の 用 い た,あ る い は,先 に ク リン グス の用 いた よ うな 意 味 で の 「 主 観 主 義 の 観 念 論 」 の 意 味 で は ない 。 シ ュル ツが 言 う よ うに 「 非 実 体 化 され た主 観 に は,必 ず 世 界 が 属 す る押 時 に は,
「 主 観 性 」 は新 た な地 平 に お い て 問わ れ なけ れ ば な らな い。再 び,ハ イデ ガ ーに 言 わ しめれ ば,厂主 観 の 主観 性 自身 へ の絶 えず 更 新 せ られ るべ き存 在 論 的 解釈 を通 じて のみ 超 越 は呈露 され 得 る … …」。
註 (1)Vgl.K.S.45 (2)Kant:KrV.S.25 (3)K.S.24 (4)ibid.S.24 (5)ibid.S.24.25 (6)ibid.S.26
1z 研 究 報 告
(7)ibid.5.26
(8)R.Bittner:Transzendental(Handbuchartike‑
1)in:HandbuchphilosophischerGrundbegrif‑
fe.S.1524 (9)K.S.25
(10)Vgl.0.Poggeler:DerDenkwegMartin
Heideggers.(大 橋 ・ 溝 口 訳,ハ イ デ ッ ガ ー の 根
本 問 題,晃 洋 書 房p.93)
Ql)SuZ.S.437
⑫Vgl.G.S.8 (13)ibid.S.19 (14)Vgl.SuZ.S.22
⑮VgLG.S.19 (16)Vgl.G.S.31ff.
αのVgl.G.S.34 (18)ibid.S.34
(19)Vgl.E.Simons:Transzendenz(Handbuch‑
arfikel)in:HandbuchphilosophishcherGrund‑
begriffe.S.1540
⑳G.S.34
⑳G.S.36
⑳ibid,S.36 (2⇒ibid.S.38ff.
②9ibid,S.39
㈱Vgl.H.Feick:IndexzuHeideggers>Sein andZeit(.S.86
㈱H.Krings:TranszendentaleLogik.S.51 (27)H.Krings:Freiheit(Handbuchartikel)in:
HandbuchphilosophischerBegriffe.S.504
㈱H.Krings:MaditationdesDenkens.(竹 内
編,哲 学 の 変 貌,岩 波 書 店,p,118)
⑳ 同 上p.113
⑳ 同 上p.92
⑳ 同 上p.96
働 同 上p.108
㈹G.S.40
㊤φibid,S.40
㈲Vg1.H.Krings:RealeFreiheit,Praktische Freiheit,TranszendentaleFreiheit.inFreih‑
eit.hrsg.vonJ.Simons.KarlAlber .1977
㈲H.Krings:Freiheit(Handbuchartikel)in:
HandbuchphilosophischerBegriffe .S.497
(37)ibid.S.502 (3⑳ibid.s.503 Gibibid.s.504