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公害と社会保障法

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公害と社会保障法

梅  田  武  敏

害問題において発生する人間存在そのものに関す

〈目次〉       る法的問題を取り扱うことも当然にその任務とし 1問題の所在      なければならない。勿論これまでに「公害と社会

∬公害をめぐる問題      保障法」ということでこの種の問題は論じられて 皿公害と社会保障法      来ているが,そこでは公害の被害者を社会保障に 坪むすびに代えて       よって救済・補償する場合に如何なる法理論を媒 介に行なうのかという社会保障法の規範的根拠に 1 問題の所在      まで連なる問題が明らかにされていないし,既存

の実定法体系と社会保障法とが公害問題において わが国で「公害」といわれるものの殆んどは「私  どの様に関連するのか,或は区別されるのかも不 害」というべきものであるから,私害たる公害の  明だし,そもそも何故社会保障が公害問題を自ら 被害者救済は総て加害者たる企業乃至個人の責に  の対象としなければならぬのか,の基木的な出発 帰すぺきであることはいうまでもない・しかし・  点も厳密に検討されているとはいえない。本稿 損害補償が莫大になる場合には企業乃至個人では  は,この様な問題点を踏まえつつ,社会保障法は 負担しきれないこともあるし・被害者に対する直  現在行なわれているような公害の被害者救済の実 接的な救済とは別個に破壊された環境の回復を広  態からは徹底的に訣別しなくてはならぬと同時 大な面積にわたって行なわねばならない問題もあ  に,他面では原理的に公害被害者救済に深く係わ ったり,或はそもそも加害と被害(=損害)との  らねばならぬという立場に立脚して,公害に関す 間の因果関係が立証されえないために被害者は泣  る社会保障法の課題を法原理に於いて捉えてゆく

きねいりをしなくてはならぬ場合もある・かかる  もので,もってわが国の公害問題と社会保障法と 場合に国家或は自治体が一定の責任を負うことに  の関連を追求する一助にしたい。

よって被害者を具体的に救済してゆくとか,緊急

に破壊された環境を回復していくことが考えられ   ∬ 公害をめぐる問題 ねばならぬが,そのための国家或は自治体の行為

を要請する根拠となる法理論の構築は必ずしも充   ω所謂四大公害訴訟が総て原告側の勝利のう 分であるとはいえない。更に,現在までの法理論  ちに一応の結論を見たことは記憶に新しいが,そ による解決の態勢は一部の被害者に対する事後的  れはあくまでも法的平面に於ける一応の結論にす 救済に止まっており,被害者全員の救済や原因対  ぎず,公害の被害者がこれによって具体的に救済 策としての事前の措置については無力に近いとい  されたか否かは別個の問題であることはいうまで ってよく,多くの問題点が指摘されねばならない。  もないし,又,四大公害訴訟の判決以降公害が消

所で,社会保障は単に貧困対策といったもので  滅したわけでもなく,依然として公害の原因は野 はなく社会サーヴィスをも含み,広い意味での人  放しであるといっても過言でなく,被害者救済の 問生活の維持を目的とし,社会保障法はこの社会  方法も抜本的に再検討されたわけではない。現在 保障を法的に担保するものだから,右のような公  のわが国は公害列島ともいうべき状態にあり,交

(2)

通公害,騒音公害,振動公害,食品公害,薬事公  がほぼ現実へと転化しそうなときであるために文 害等々「○○公害」と手あたりしだいに「公害」  字通りの事前救済ではなく,範疇的には事後的救 の文字をくっつけさえすれば,それが充分に一個  済制度に属するといわざるをえず,被害発生の完 独立の公害として捉えられるほどの事態に至って  全防止の点では問題を抱えている。そして又法的 おり,被害も生命・身体への直接的被害,精神的  には公害の加害者が特定し責任関係が明らかにさ 被害,財産的被害,環境的被害と多岐にわたって  れたとしても,被害者救済の具体的な実施が担保 いる。       されるわけではなくせいぜい不充分な補償が実現 従来・公害による被害の救済及び補償は第一に  するだけのことで,被害者の健康・精神が被害前 民法上の不法行為制度によって処理されて来た。  の状態にもどることはないし,汚染された環境も 無論だからといって民法709条についての古典的  原状に回復するわけではない。例えば,一度汚染 理解に拘束された理論的枠組のなかでのみ処理さ  された大気や海水は二度と再び清潔にはならぬこ れたわけではなく・そこに定める要件が諸々の観  とを考えればこのことは見やすいことである。多 点から検討されて,無過失責任論,新受認限度論  くの人間が肉体的・精神的・経済的に荒廃して行

(1)         (2)

の展開を生み・因果関係論についても新たな地平  くことと,一旦発生した公害は現状では半永久的

が切り開かれ毛〜現代社会に特有な矛盾の一つで  に残存してゆく原因はここにある。ある公害問題が鋭く捉えられた・だがこうした努   行政主体による公害規制・被害者救済をもって

力にも拘わらずこれらの理論はあくまでも事後的  公害対策に万全を期すべきとする考え方が必然的 救済にしか関係しえない点で・「一部の被害者の  に発生して来るのは,かかる司法的救済の事後的 事後的救済のみしか対象としえない」という709  性格と不充分な救済実体という背景に規定された 条についての古典的理論が有する限界を完全に克  といえるが,より原理的には特定の他人に直接的 服することは出来ず・深く潜行するいわば公害が  な具体的被害を与えない限り権利行使は自由であ 現象としてあらわれるまでの形成過程を問題に出  るとする私的所有を基礎・起点とした法秩序の矛 来ない欠陥を有していた。そこで登場したのが差  盾と,自然的・人工的環境をも含めて環境はだれ

止請求を中心的課題とする所謂環境権理論であ  のものでもないが故に,逆に経済的力量のあるも      (4)り・これによって環境共有の法理を媒介に私権と  のは環境を自己のものとして排他的に利用し得る

しての環境権をもって住民が直接自らの力で自ら  結果を予定する法制度に基づいた行為の結末が公 の環境を守りそれを通じて公害の被害を事前に防  害を生み出しこれがその権力的規制と救済を要請 止する道が開けたのである。公害の被害が法的問  したのである。行政主体による公害規制は,水質 題としては事後的にしか採り上げられない,従っ  保全法,工場排水規制法,公害対策基本法,大気 て,公害→被害の補償一公害→被害の補償といっ  汚染防止法,騒音規制法と一連の公害立法により た,補償さえすれば公害を出してもよいとするよ  行なわれたが,この種の特別法は必ずしも公害防

うな何ら問題の解決とはならない悪循環はここに  止に於いて十全に機能するものとはいえず,ザル 於いて克服される一応の展望をもったといえるで  法との批判を受けており事前措置の制度としては

あろう。しかし環境権理論自体がいまだ形成途上  問題を有する。被害者救済に於ける制度は,公害 のもので法的世界では必ずしも充分に市民権を得  紛争処理法そしてこれを発展的に吸収解消して作 ていない点は別としても,果して問題は総て解決  られたと称される公害健康被害者補償法があり,

されたといってよいのだろうか・否である。環境  療養補償,障害補償,遺族補償,児童補償が行な 権に基づく差止請求についてより深く検討してみ  われているがこれも補償自体充分なものといえず れば明らかなように,具体的にそれが行使され得  被害者の具体的な救済は実現されているとはいえ るのは一定の公害被害の発生,或は発生の可能性  ない。行政主体による公害対策はけっして満足の

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ゆくものではない。しかも問題は以上にとどまら  は充分な救済が行なわれず被害者が経済的・肉体 ず原因の発生及び責任の所在が明らかにされえな  的に危機にさらされることもあり得る。こうした いために泣きねいりをしなくてはならぬような場  場合には行政主体が加害者に代って被害者救済を 合の被害者救済問題も放置されたままである。例  担保することが人間尊厳の観点から又は社会政策 えば,茨城県土浦市の上水道は霞ケ浦の水を利用  上からも必要になって来るし,事実公害健康被害 しているが茨城県鹿島臨海工業地帯の企業が使用  者補償法にその具体化を見ることが出来るが,そ する工業用水にも同じく霞ケ浦の水が充てられて  れでも尚救済は充分であるとはいえず多くの被害 いるため,上水道の水がここ数年著しく汚染され  者が一生病苦を背負って生きてゆかねばならない 浄化のために大量の薬品が投入された。その結果  し,救済そのものが殆んど金銭的な補償を内容と 水道水が臭くなって土浦市民の間では水道を利用  する点も克服されていない。そこで行政主体とり せず井戸を堀り地下水を使用することが行なわれ  わけ国家による多面的な救済と補償を求めるため て,各家庭の地下水汲みあげを原因とする地盤沈  に公害についての更なる国家責任の追及が行なわ 下がおこりそれによって家屋が破壊されることも  れて来ている。

発生しはじめた。この家屋の破壊は,地下水の汲   この観点からする国家責任追及の論理は,およ みあげ←上水道の悪臭←工業用水の使いすぎ,と  そ国の公害行政が完壁であったら,そもそも公害 遡っていけば原因を捉えることが出来るが,法理  は発生しなかった,という素朴な感情的批判を出 論的には故意・過失の有無,違法性の有無,因果  発点とし,それが,国の産業政策による工場誘致 関係の中断等の解決において問題があり,原因と  ・設置が公害発生原因の一つである,国家が加害 責任の所在は明らかにならず,かかる被害の救済  行為について適切な調査と規制を怠たり放置した を追及する実定法上の根拠をさがすことは出来な  ために公害が発生し被害が拡大した,既に被害が い。こうしてみると公害をめぐっては民事的救済,  具体的に発生していたにも拘わらずその拡大防止 行政的救済を問わず未然の防止,事後の救済いず  につき適切な措置を講じなかったため事態が悪化 れの側面にあっても多くの問題が残されているこ  した,資本と国家が癒着して公害及びその発生原 とになる。       因を隠蔽し或はこれを究明して来なかった,とい う理論へと発展し国家責任追及の根拠が模索され

(2)我々の祖先がアダム的に耕しイブ的に紡い  ている。だがこれらの鋭い批判にも拘わらずこの でいたとき公害なるものは存在しなかった。従っ  ことを直ちに国家責任を追及する法的根拠になし て公害は総て人為的現象であるといえるし,それ  うるかといえば疑問であり,国家の消極的・積極 故に公害に係わる被害は社会的な被害であり必ず  的行為いずれに関しても,加害者の行為による公 原因があり責任の所在が不明であることは考えら  害の発生と国家の行為との間には企業活動の実行 れないはずである。とりわけ私害たる公害の場合  という主体的な判断が介在するので実定法上は因 にはこの点強調されねばならぬが,ただこれを法  果関係の中断があるとされ,国家責任はここから 的に追及する場合には加害者に帰責事由が存在す  は直接的に発生して来るものではない。もっとも ることを立証せねばならないことが障碍となって  因果関係論については民法416条に定める相当因 被害者救済につき種々の問題が発生するのであ  果関係説が採られていて,損害賠償の範囲を確定

り,このことは既に指摘した通りである。或は責  するための因果関係と国家責任発生の要件を構成 任追及が可能な場合であっても加害者がこれに応  する国家による不法行為の成立要件としての因果

える資力を有しない場合とか,緊急に事態の回復  関係とは区別されずに使用されて,一定の加害行 をしなくてはならない場合(例えば汚染された環  為があれば一般に生ずるであろうと認められる被

:境回復),当事者間の解決(民事的救済)のみで  害についてのみ因果関係ありとされてこの種の関

(4)

係が処理されている。即ち,一定の加害行為から  の範疇に属する,とするのが判例及び支配的見解

o  ●  ●  ●  ●      (5)

一般に生ずるであろうと認められる結果を蓋然性  であるから,結局国家責任追及についての法的限 という関係概念で表現し,加害行為を中心にこの  界は民法709条に基づき公害責任を追及する場合 蓋然性を半径として円を描いた場合に円内に入る  に問題となるところにおいて現われることにな

ものを相当因果関係の範囲内にあるという。従っ  る。このような法的限界が現在の公害被害の救済 て蓋然性とわいわれる客観的な理由。判断が国家  をめぐる諸問題を発生せしめる根源なのである。

責任を規定する構造だが,果してこれは客観的な

のだろうか。       (3)国賠法をも含くめて公害においては司法的 自然的な因果関係の確定は事実の確定問題であ  救済が一定の限界を有せざるをえないとすれば,

るように顕現するが,実はこの「確定」も厳密に  次に考えられるのは公的救済である。それは一連 考えれば事実の確定ではなく,当該社会に於ける  の公害立法による規制にも拘わらず被害が発生し 支配的な見解・判断が一定の事実と一定の結果が  た場合の救済とか,司法的救済ではカバーしきれ 原因と結果の関係に立つとして決定を下したこと  ない部分を公害健康被害者補償法をもって担保す の社会的結論にすぎず,その意味では対立する多  るがそれでも尚具体的に被害者を救済しえない場 くの主張の中の一つが,主張・判断・見解として  合の救済とか,法的には当事者間で解決したが加 ではなく事実として社会的に貫徹されただけのこ  害者に資力がないために具体的に救済されないで

とで,権威ある見解が自らの主張を客観的なもの  いる被害者の救済とかに係わる公的救済である。

として転化する形式であって,因果関係は単に主  公害と社会保障法として個有に問われて来たのは 観性の問題にすぎないといえる。自然的な因果関  実はこの点に関する問題であったといえよう。公 係をどこまでも追及していけば意外なところまで  害の被害者救済の不備を公的救済で補おうとする 原因→結果の関係が及ぶために(事実はそうでは  のが公害と社会保障法との関係を主張する論者た ないのだが)加害者にとって酷であるとして主張  ちの目的で,具体的には救済の不充分な被害者に された相当因果関係論は,原因。結果の関係を  対し健康上の補償,社会手当,社会サービスを実

「相当」な範囲に人為的に縮少せしめるわけであ  施する根拠を社会保障法に求め,これによって国 るから,自然的因果関係論よりも更に主観的であ  家責任を追及するにつき存在した従来の法的限界

りそれは一定の理由をもって一定の事実関係に原  を打ち破って行こうとする考え方である。だか 因・結果という「蓋然性」があるか否かを一つの  ら,ここでの理論構成も民法709条を中心とする 主観が決定することを正当化するための法的用語  それとは異なり,憲法25条或は13条を根拠として にすぎず,対象とされる事象を支配的見解が権威  国家には生存権保障の義務があるから,公害によ 的に処理する方法でしかなく客観的であるわけで  って被った被害者の健康や生活の快適さの破壊を はない。支配的な主観が因果関係の存否の決定を  担保しなくてはならないとされている。現代社会 媒介にして恣意的に国家責任を肯定したり否定し  の生存権保障は,単に生活を維持して行くための たりすることは批判されねばならぬが,そうはい  所得保障をすればいいというものではなく人間が っても現実に国家責任を追及するためには法理論  人間らしい快適な生活環境条件の中で生活し健康 を媒介にしなければならず,そして法理論は支配  で幸福な生活を維持出来ることまでをも保障すぺ 的な見解に規定されているのだから因果関係に見  きとしてその内容が拡大されて来ているので,公

られるごとくそこには一定の限界があることは否  害の被害者に対しかかる生活を保障することは現 定出来ない。特に国家責任の追及は具体的には国  代的生存権の内容をなすといわれ,ここに公害の

家賠償法1条1項による実定法構造になってお  被害者を社会保障によって救済して行く法理論が      (6)

閨Cしかもそれは民法715条それ故に又民法709条  構築されたのである・

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公害の被害者が全面的に救済されねばならぬこ  いと同時に被害者救済に深く取り組まねばならな とはいうまでもないことであり,そのために如何  い課題を抱える。

に法理論の構成をなすべきか,の努力も必要且つ       (1)加藤一郎「不法行為」5頁以下・1957年・有斐閣・

重大なことで,これによって司法的救済と公的救    参照。

済の二つの方法が形成され公害被害の救済と補償   ω代表的な論者のものとして,淡路剛久「公害にお が担保される形式が一応獲得されたこと異論ある    ける故意・過失と違法性」ジュリスト458号・372 はずもないが,しかしだからといって司法的救済     頁,野村好弘・淡路剛久「民事訴訟と環境権」ジ によってカバーされえない部分,司法的救済のみ    ユリスト492号・239頁,加藤「『環境権』の概念 では不充分であるとされる部分の総てを国家責任    をめぐって」(川島教授還暦記念・民法学の現代 へ帰すことで問題が解決するわけではない。被害    的課題所収)317頁・1972年・岩波。

者救済に全力を傾注することは当然としても,公   (3)直接的に公害に係わる因果関係論として論じられ 害の殆んどは具体的には私害であり,主要には産    たわけではないが・因果関係そのものを一般的に 業公害であるから公害に於ける国家責任を追及す    対象とした優れたものに・平井宜雄「損害賠償法

       の理論」23頁以下。1971年・東大出版,がある。ることは,主観的意図はどうであれ結果的には加

       ω環境権理論についてはさしあたり,大阪弁護士会害者たる私企業の責任を国家が肩代りすることを

       環境権研究会編「環境権」・1973年・日評・参照。認め,国民の税金で加害者の私的責任を引き受け       (5)下山瑛二「国家補償法」81頁・1973年・筑摩書房

ることを意味する。税金の理由なき浪費といわね       はこのことを明らかにしている。

ばなるまい。無論,国家が責任主体となって公害       {6)このような主張をするのは,佐藤進「社会保障と

の被害者救済をすぺきであるとする主張の前提に    市民生活」273頁以下.1972年.総合労働研究所。

は・現代的な生存権理論もさること乍ら,被害者   ωこの点については,梅田「社会保障の規範的根 は加害者によって直接救済されるべきことは原則     拠」・茨城大学人文学部紀要(社会科学)9号・

なるも,被害を先ず国家が一旦補償しその後に加    85頁・1977年,に述ぺておいた。

害者がその全部又は一部を負担するという費用の

原因者負担主義の理論が置かれており,総てが税   皿 公害と社会保障法 金でまかなわれるわけではないが,それにしても

「私害」のために部分的・一時的にしろ税金を使   (1)さて,これまでに公害と社会保障法につき 用することは納得のゆかないことで,国家が補償  言及して来た見解は,公害被害については加害者 した後に加害者が資力を失う危険も考えられ充分  が原則としてその責を負うべきとしつつも被害者 に納税者を説得しうるものではなかろう。     の具体的救済を急ぐあまり,加害者の責任と併存 社会保障はそもそも人間が具体的には労働の協  させて,或はこれとは別個に社会保障による被害 業体系の中でしか存在しえないため,労働の協業  者救済を主張し,本来国家が社会保障として責任 を原因とする生活危機を社会的に保障するもので  を負うべきものではないことにまで国家責任を拡

ある,と捉える立場からすれば,このような社会  大してきた・公害と社会保障法との関係を理論的      (7)保障として公害被害を救済していくことに対して  に解明する上で障害となっている原因の一つはこ

は,社会保障の基本的性格からして公害被害の救  の点に存在するといえるであろう・例えばこれは 済に社会保障法がかかわるいわれは全くないとす  次のような主張に典型的に見ることが出来る。

る批判もありうる。だが翻って考えれば,いくら  「公害対策が,私企業の責任とは別に,健康保全,

そうであったとしても被害者救済を放置すること  生活関連環境保全という点で事前防止(サーヴィ もまた許されるものではない。社会保障法はかく  ス保障)と事後救済(医療その他のサーヴィスと して公害の被害者救済から訣別しなくてはならな  ともに時には所得保障と)をもつ点では,まさに

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社会保障の一つとみてよいのであ奮当公害によ 嫁させ砿理論の構造を招来することにつながるる被害ならば総て社会保障によって救済されると  点は否定されるべきことである。社会保障法は人

主張されているといっても過言ではないかかる見  間が協業体系のなかでしか生存しえないことの故 解の前提には,公害の理解につき,公害対策基本  に必然的に被る生活危機を救済するものではあっ 法第2条に定める「公害とは事業活動その他人の  ても,それ以外のことを原因とする危機を対象と 活動に伴って生ずる相当範囲にわたる人の健康又  するものではない。

は生活糊に係る被害が生ずるこ謝と搬るこ 所で公害の被害者救済から訣肌なくてはなとが置かれている。      らぬと同時に公害の被害者救済に深く関係せねば

公害の被害は救済されるべきとする主張の主観  ならないのが「公害と社会保障法」の課題である 的意図は理解出来るが,公害対策基本法に定める  点からすれば,以上のような批判をするだけでは 公害概念を認めることになると・相当範囲にわた  訣別の論理は構築出来ても関係の論理は形成しえ る人の健康又は生活環境に係わる被害は総て公害  ない。そこで,基本的には私的企業乃至個人が加 となるのだから,そして又現在の公害は資本制経  害者である場合には責任は加害者のみが負担すべ 済が原因となって発生しているものであるから,  きで,加害者が原理的に特定しえない場合にのみ 資本家階級が引き起した加害行為のうち被害が相  社会保障による公害救済が行なわれるべきと構成 当範囲にわたるものは総て公害となって国家責任  することによって右の課題は解決されるが,そう に結びつき税金による救済対象とされ,支配階級  すると私的企業乃至個人からの不充分な救済を受 の責任を被支配階級が分担することを肯定するこ  けることによってのみ満足すべきとされた被害者 とになってしまう。公害責任を負担すべきでない  の救済が放置され,社会保障が公害の被害者救済 ものにまで分担責任を課すことはこうして「公  と深く関係せねばならない関係の論理が成立しな 害」の概念規定においてまず発生するが,次には  いのである。

生存権が社会保障の規範的根拠で,生存権の保障

=健康で庚適な生活を維持していくことが社会保  (2)我々はここで出発点の「公害」にたちもど 障の目的であるとする理論において法的に担保さ  ってみる必要があろう。既に述べたように,従来 れる・即ち,生存権は健康で庚適な生活を維持す  の学説は公害を公害対策基本法の延長線上におい ることをも含むとしてその拡大がいわれているた  て捉え,事業活動その他人の活動によって生ずる めに,公害が原因であろうとなかろうと,とにか  相当範囲にわたる人の健康又は生活環境に係わる

く健康で映適な生活が破壊されれば生存権の侵害  被害が生ずること,と理解する。加害者が明らか として社会保障の対象とされる,という法構造な  であろうと不明であろうとを問わず,とにかく人 のである・たとえそれが支配階級の利益追求行為  為的なもので相当範囲に被害が及ぶものであれば

を原因とするものであろうと。無論,これらの理  等しく公害として捉えるわけだから,個有の意味 論は一面においてこうした問題点を有するが,他  での公害と私害たる「所謂公害」との区別をしな

面においては既に指摘したように既存の実定法体  い考え方に立脚している。勿論,私害を公害と呼系では充分に救済されえない被害者を具体的に救 び轄を給くめて公馨と称すべきと積極的に主

済していく役割を果しておりこの点は評価される  張する理論もあり,私害を公害と表現することは べきこと当然で,又,生存権概念が内容的に拡大  けっして奇妙なことではなく,それは私害を私害 されて被支配階級が商品所有者としてではなく人  としてのみ捉えるのでは事件は個別的に解決され 問的側面において配慮の対象とされるようになっ  てしまい一般的にはならず,同様な事件が全国各 たことについても異論はないが,それを認めるこ  地で次々に発生するであろうことを防止しえな とがあらゆる公害責任を無原則的に国家責任に転  い,これに反し私害をもそれが相当範囲にわたる

(7)

ものであれば公害として捉えることによって社会  き出されて来る民法709条によっては充分に律し 的問題にすることが出来,国家をもまき込んで事  きれないもので,独占資本の活動により引き起さ 前・事後の対策も充分に採りうることになる,と  れる被害を救済する新たな法的手立が採られねば

の趣旨でいわれている。しかしこの理論は公害対  ならない。しかるにわが国ではこの分野の法的整         (4)

と公害と私害との区別を混同しており,公害と  備は,明治の殖産興業政策に象徴的にあらわれた       嘱 フさねば救済対策が講じられないように主張する  国威発揚を支える工業化優先の思想に於いて否定 点で賛成するわけにはゆかない。私害であっても  乃至は放置されてしまい古典的な不法行為制度以 重大な社会的被害を発生させる虞れのあるものに  外に新たな法的措置は講ぜられることなく今日に は公害と呼ぶか否かに関係なく防止対策が講じら  至り,わずかに極く最近になって全く不充分な公 れ得るし,逆に公害と呼べば充分な救済対策が採  害立法ををみただけで,その結果公害列島を現出

られうるというものでもなかろう。私害を公害と  せしめてしまったのである。

呼ぶことの理由は全く存しない。私害であれば加   民法709条が現代社会に特有な公害現象を処理 害者が総ての責任を負う,個有の意味での公害で  する法的原理を有しないのに,これを補完乃至は あれば国家が責任を負う,と法的責任の帰属関係  これにかわる新しい法的手立の採られなかったこ の分類からしても両者は区別されなければなら  と及び公害に関する行政的救済制度の貧しさが,

ぬ。にも拘わらずどうして責任の所在を不明確に  公害の被害者救済を緊急の課題とさせて「公害と し混乱の原因をわざわざ作るような私害を含くめ  社会保障法」ということでとにかくなんであれ公 た「公害」概念が主張されるようになったのだろ  害に係わる被害であれば国家の責任において救済 うか。       ・補償すべし,とする主張を生み出させてしまっ r現代の企業は独占資本として社会的に多くの影  たといえる。尚,公害に係わる被害ならばなんで 響を与える存在で,大規模な生産を展開しこれま  あれ国家による救済と補償を考えるべきとするか でになかった行動様式を発生させ,新たな社会的  かる主張は,単に国家責任の無制限な拡大をもた 諸関係を形成するが,それに伴い法的にもこうし  らしただけに止まらず(国家責任の拡大はその裡 た新たな企業活動によって引き起こされる,或は  に於いて支配階級が自から負担すべき公害責任の 巨大な生産力の駆使によって発生する被害に対処  大部分を労働者階級に転嫁する構造を含んでいる する措置が講じられる必要がある。就中,独占資  ことはいうまでもない),公害と私害の区別をも 本による企業活動は自然人のそれと異なり彪大な  放棄してしまった。私害は個人であれ集団であれ 資源を消費することにより行なわれるから,企業  加害主体を特定しうるものによる被害であり,公 活動自体が合法的で且つ即自的に何らの被害を与  害は加害主体を特定しえない不特定多数による加

えるものではなくともそれが継続されることによ  害で,前者は加害者が特定しうることの故に私的       (5)り量的なものが質的に変化し人体に被害を与えた  責任の問題として処理されるが,後者は加害者が

り環境破壊へとつながることは現実にしばしばあ  原理的に特定しえないため被害の救済と補償は国 りうる。例えば,一定の排出基準内の煤煙しか出  家責任に帰せられることになる。だが被害者救済 していなくともその量が多くなると質的な変化が  を第一の目的とする考え方からすれば私害と公害 起こり被害が発生する場合がそれで,これは基本  とを区別する意味はなく,問題は如何なる法理論 的には対等の商品所有者たる市民像を法的な人格  を媒介に国家責任を追及するか,ということにな 者として規定し被害者が加害者の帰責事由を立証  ってしまい,一方に於いて私的責任を不問にする したときにのみ加害者は被害についての填補責任  と同時に他方では公害についての被害者救済の社 を負うとする市民法原理の予定しない現象であ  会保障法的根拠の析出を不可能にするのである。

       (6)

驕B従ってこの現象は市民法原理から直接的に導

(8)

(3)公害と私害とを区別してはじめて個有な意  全に担保される法理論を獲得したことになるが,

味での「公害と社会保障法」との関係が法理論的  しかしこれも厳密にいえば法的平面でのことが に形成されるわけで,以下はこの点の分析に入る  らで,いくら責任の所在が明確になったとしても が・その前に私害の私的救済についても若干の考  企業主体に資力がなくなった場合には被害者の具 察をしておくことが必要であろう。というのは・  体的な救済・補償は不可能になるとか,破壊され 私害についての責任追及の法理及び被害の具体的  た環境を緊急に回復する行為はそれが合法的企業 な救済・補償が不充分であるならば・私害であっ  活動から生じたものだけに経済的理由でなかなか たとしても被害者救済が先決ということになっ  実行されにくい,等の問類が残ることは否定出来 て・救済のために国家責任が登場し公害と私害を  ない。とはいえ,従来の主張のようにただちにご 区別した意味は無に帰してしまうからである。   こで国家責任をもって来ることは妥当ではなく,

民法学に於ける支配的な見解は所謂意味での公  私害であることを踏まえてこれらの問題は企業の

害について原理的には過失責任蟻を採略危 計算による保険制度によって解決されるべきもの険な設備を有する企業活動の発展によって過失責  とすべきである。

任主義に対する批判が生じここから無過失責任主   かくして法理論的にも具体的救済に於いても私 義が台頭したといい,公害については無過失責任  害と公害が区別されると次には公害の社会保障的

蟻をもって対応すゑ1だ撫過失責任主義は損 救済の法理が問われて来る.知こ見て来たように害の公平・妥当な分担をはかるものであくまでも  この問題は従来生存権を媒介にして構成されたた過失責任蟻の醐的関係として存齢る,と主 め}、被諸救済の側面に於いて私害.公害の区別

張されているのであるから,被害(=損害)の全  を問わず国家が責任を引き受けなければならな 部が担保されるわけではないし・損害填補の分担  い,という結論を導く欠陥を有していた。歴史的 の決定総をて裁判官に委ねる構造になっているこ  に存在する社会は常に労働の協業体系であるため とからも被害者救済は問題を残すことになろう。  社会の構成員は協業によって必然的に発生する生 公害は独占資本の企業活動によって必然的に発生  活危機からのがれることは出来ない。従って当該

して来るものである点を捉えれば・発生した被害  社会は社会の構成員についての生活危機を保障す の填補は独占資本が負うべきことはいうまでもな  る原理を自らの原理として包含せざるをえず,社 いことで・それは独占資本による企業活動は社会  会保障法はこの生活危機を法的に担保するもので 的な危険を自ら作り出して行くものであるから,  あるから,その規範的相拠を本来資本制社会の矛 企業活動をすること自体に被害発生についての主  盾を否定するための正当性の根拠とされて来た法 体性の契機の存在を見「個々の加害について主体  的用語たる「生存権」に求めることは妥当でな 性の契機の媒介をとくに要件としないで損害賠償  く,単純に社会の構成員である事実に社会保障の

責任を課制とする危殆責任(G・f註h・dung甑 規範的根拠を求めるぺきであろうし,公害の社会ftung)の法理によって担保さる。無過失責任主義  保障法的救済もこうした関係において捉えられね

は,原則はあくまでも過失責任主義だが例外的に  ばならない。即ち,公害が加害主体を特定しえな 企業責任を追及する法理として主張されたために  い不特定多数による加害であるならば,その原因 不充分なものであったのに対し,危殆責任は許さ  は社会自身の再生産行為に求められ加害主体を特 れた企業危険(合法的企業活動)から生ずる被害  定しえない点で社会が協業体系において不可避的 を救済・補償する制度で,企業活動をするという  に発生させる社会的危機=社会構成員の被る危機 主体的契機と,その活動によって被害が発生した  といえ,それは社会保障法が保障しなければなら

こと=結果としての違法性をもって損害賠償責任  ぬ個有の問題の一つである,と。そこで公害の被        (11)

フ要件を構成するのである。私害はこれにより完  害者救済と社会保障法を媒介する法理の問題であ

(9)

るが,これはは具体的には社会保障法の規範的根    に要約した。

拠規定乃至は権利性の問題でありそれは基本権的   紛ここでいう公害と私害の区別は英米不法行為法に 権利の側面と実定法上の権利の側面とに区別され    いうPub!ic nuisanceとP「ivate nuisanceの

       区別とは異なる。区別の基準は後ほどの行論で明て考えられるべきであろう。

      らかにする。社会保障法は,社会が協業の体系であることに

       (4)窪田隼人・乾昭三・田村悦一編「現代の企業災害」よって社会の構成員が必然的に被る被害を保障す      24頁・1973年・有斐閣。る法であるから,国家がこうした被害につき責任       (5)この区別の論理は,川村泰啓「商品交換法の体系」

を負うことを定めた規定にその規範的根拠をも    上.112頁.1967年.勤草書房,によった。

っ。この意味で社会保障法は憲法25条に自己の存   ㈲このような結果は単に被害者救済を第一の目的と 立基盤を有し,これは社会保障法の基本権的権利    するその主観的意図からのみ導き出されるのでは の側面といえる。公害は社会が協業の体系である    なくして,これらのことを主張する理論の根拠と ことを原因として必然的に生み出す生活危機の一    なる生存権理論がもう一つの原因となっているこ つであるからその社会保障法的救済の法理も,洗     とは否めず・この点も批判されねばならぬことは ず憲法25条に基本的根拠を求める構成となる。も    いうまでもない。

っともこのように捉えるときには従来からの主張   (7)所謂新受認限度論も原理的には過失責任主義を採 である生存権的構成と異なるところはないとする    り,その枠内で過失責任主義の限界を克服せんと 批判が考えられるが,資本制社会に於ける特殊歴    して解釈技術をあれこれと展開するわけであるか

       ら,民法学に於ける支配的見解は原理的には過失史的な矛盾と一定の社会が労働の協業体系である

      責任主義を採る,といいきってよいであろう。ことにより発生せしめる生活危機とは原理的に異

       (8)加藤前掲書・9頁。なり区別されるべきもので,憲法25条は後者に係       〔9}加藤前掲書・26頁。      、

わる規定なのである。ただ現実の歴史社会では両       ㈲川村前掲書・106頁。

者が同一のものとしてダブって現象することの故   {u)より詳細な説明は,川村前掲書.106頁以下参照。

に,資本制社会の矛盾を否定する正当性の根拠も

具体的には憲法25条に求められるにすぎない・従   IV むすびに代えて 来の主張と本稿の立場とは,現象的には共に憲法

25条に立脚するものの,その構成原理は異なって  21世紀の社会を自然科学的観点から予測するこ いるのである。       とは限りなく困難に近いといわれるほどに,地球 P    実定法上の権利についてはさしあたり公害健康  の汚染は急速に進展している。公害と社会保障法 被害者補償法が考えられるが,これは公害と私害  の課題はこの現状を踏まえれば,個有な意味での 一   とを区別しない点に於いて広すぎ,被害発生の原  公害と社会保障法ではなく所謂意味での公害と社

因を限定する点で狭く,右に述べべた公害の社会  会保障法との関係として設定されるべきで,企業 保障法的救済の実定法上の根拠とはなりえない。  公害消滅のための法理こそが問われるものであっ 新たな立法化が行なわれるべきである。      たかもしれない。しかしそうであればあるほど逆 に個有な意味での公害と社会保障法との関係が明

(1)佐藤前掲書・275頁。       、らかにされるべきであると考える。何故かならば,(2)公害対策基本法第二条は,公害を大気汚染,水質

      資本制社会にあっては企業活動は経営権の内容を汚濁,騒音,振動,地盤沈下,悪臭,というよう

      なし私的所有の自由の保護対象となるために,そにきわめて例示的・限定的に規定しているが,そ

の趣旨は「事業活動その他人の活動に伴って生ず  の規制には限界があり企業公害の発生原因を根本 る人の健康又は生活環境に係る被害」を公害と規  的且つ全面的に解決することは出来ず,常に一定 定するところにあると考えられるので行論のよう  の被害が発生したことを要件として以後の発生を

(10)

防止する法構造にならざるを得ないからである。  するには企業公害の被害者救済には国家は一切関 即ち,一旦被害が発生した場合には事後対策にお  与しない原理を確立し,社会保障法は個有な意味 いてその後の同様な被害の発生はくいとめられて  での公害にしか関係しないことを明らかにするこ

も,事前規制が私的所有の自由との関係で不充分  とが必要である。

である結果,新しい種類として発生する企業公害   私害と公害とを区別し社会保障と私害との関係 の完全な防止は法原理上不可能で,地球の汚染防  をたち切ることはこの意味において企業公害を事 止の点では現行法体系は充分な機能を果しえな  前に防止する道へと連なる一つの方法であるとい い。それでもなお現行法秩序を前提にして事前防  えよう。勿論だからといってこのことは政策的 止を追い求めるには企業自身の自己規制にまたね  意図に於いて主張され理論構成されたわけではな ばならず,そしてこれを間接的に強制するような  く,法原理として必然的に導き出されて来た結論 方法が要請されるが,そのためには企業公害から なのである。本稿はまさにかかる観点から公害と 発生した被害は徹底的に企業主体の責に帰す法理  社会保障法との関係を原理的に追究したものであ

を形成しなければならない。更に右のことを実現  る。

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