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閉じられた世界の無限性小野 琥珀のまたたき をたいへん面白く拝読しました 小川さんは 空虚とか空洞とか そこに存在しないものを言葉によって立ち上がらせるということをずっとおやりになっています 僕がかつて教えていた学生に熱烈な小川洋子ファンがいるのですが 彼女が言うには 小川さんの作品の特徴は 必ず何

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Academic year: 2021

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■閉じられた世界の無限性 野  『 琥 珀 の ま た た き 』 を た い へ ん 面 白 く 拝 読 し ま し た。 小川さんは、空虚とか空洞とか、そこに存在しないものを言 葉によって立ち上がらせるということをずっとおやりになっ ています。   僕がかつて教えていた学生に熱烈な小川洋子ファンがいる のですが、彼女が言うには、小川さんの作品の特徴は、必ず 何かが欠けている世界が描かれていることだと。例えば、体 の 一 部 分 が 欠 け て い た り、 家 族 の 中 の 誰 か が 欠 け て い た り、 それこそ意味を伝達するための言葉が欠けていたり、欠損と か 欠 如 と い う こ と が 非 常 に 重 要 な モ チ ー フ だ と 言 う ん で す ね。   僕 も 読 ん で い て 気 が つ い た の で す が、 小 川 さ ん は、 「 か け ら 」 と い う 言 葉 を 書 く 際 に、 必 ず 欠 如 の「 欠 」 と い う 字 を 使っています。僕は平仮名で「かけら」と書いてしまうので す が、 小 川 さ ん は「 欠 け ら 」 と 書 い た り、 「 欠 片 」 と 書 い て 「 か け ら 」 と い う ル ビ を 振 っ た り す る。 欠 如 や 欠 片 が あ る ん ですね。とても面白いのが、欠けたものだけ見ると、それは 小さな断片ですが、かけらが生じるときには、同時に、それ が後に残すものとして空虚や空洞が生まれることです。   もうひとつ、小川作品においては密室的な閉じられた空間 が非常に重要な要素になっています。そして、その密室は必 ず壊れます。閉じられている世界は一見すると、非常に無時 間的で、静止した世界で秩序がありますが、閉じられている か ぎ り、 必 ず 外 部 か ら 何 か が や っ て く る。 欠 片 と い う の は、 それこそ何かが外れたり取れたりするということなので、実 は調和の破綻は予感されている。完璧だったものが欠けるこ とによって外部から侵入を受けて、その様態が完全に変わっ てしまう。 『琥珀のまたたき』という作品にも、まさにその二つの主題 がはっきり書き込まれています。温泉地にある高い壁に囲ま れた別荘の中に閉じこもって生活する家族の物語です。その 家族にはお父さんが欠けていて、しかも本当は四人きょうだ いだったはずが、一番下の子が欠けてしまっている。意識し てお書きになっているんでしょうか。 小川   自然とそうなっちゃうんです (笑) 。 小野   ほかの作品を読んでいても僕が不思議に思うのは、小 川さんの作品の人物は大声でしゃべらないことです。ささや きますよね。怒鳴ったり叫んだりしない。今作でも、残った 三きょうだいは、外に出てはいけない、大きい声を出しては いけないと母親から言われているため、声にならないような 小 さ な 声 で し か し ゃ べ り ま せ ん。 し か も こ の 三 き ょ う だ い は、ある意味で三人で一人の人間を形づくっています。長女 のオパールは物語を語る口、次男の瑪瑙は耳がよいので歌が

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と て も う ま い。 長 男 の 琥 珀 は 目 の 中 に 亡 く な っ た 妹 を 見 ま す。話す、聞く、見るという人間が持つコミュニケーション の機能を三人が体現していて、その人物たちが閉じられた空 間に身をひそめている。   そうすると、もう胸が苦しくなってくるんです。この閉じ られた空間にいつ亀裂が生じるんだろう、とドキドキしなが ら読み進めました。 小川   でも、はじめから、そういうテーマで書こうと思って いたわけではないんです。いつも出発点は、これは面白い題 材だぞ、と見つけるところから始まります。今回の長い旅の 最初は、アール・ブリュットでした。   自己実現のためではなく、純粋な要求に突き動かされて何 かをつくってしまう人を描きたかったんです。そこに自分の 痕 跡 を 残 す 必 要 は な い し、 名 声 も 求 め な い。 『 琥 珀 の ま た た き』では、本来の芸術家が嫉妬するような芸術家を書こうと してスタートしたのですが、むしろ家族の話になった。その 点は自分でも珍しいなと思いました。 小野   なぜいつも閉域なんでしょうか。そのことと関係があ るのかわかりませんが、小川さんの小説を読んでいると、こ れはどこの国の話なのかと不思議な異国性を感じます。現代 の日本という感じが全然しないんです。僕はいつもヨーロッ パ の 町 を 思 い 浮 か べ ま す。 特 に 今 回 は 子 ど も た ち の 名 前 が、 琥 珀、 オ パ ー ル、 瑪 瑙 と、 化 石 や 鉱 物 の 名 前 に な っ て い ま す。 小川   名前をつけるには慎重さが必要です。さきほど、言葉 が意味から解放された時の広がりについて話題に上りました が、名前の持つ意味、情報を一旦剝ぎ取ると、より深くその 人物の中に分け入ってゆける気がします。 小野   固有名の選択には結構気を使っていらっしゃるわけで すね。 小川   はい。小野さんは、いつも「浦」という場所を持って おられる。それはたぶん小野さんが生まれ育った町が出発点 になっているのかもしれませんが、ある時点で小野さんだけ の土地になっていると思うんですね。さきほど、閉じられた 空間について言及して下さいました。私が小説を書く時のイ メージは、ドールハウスをつくる感じです。 小野   「コーネルの箱」みたいですよね。 小川   まさにそうです。鉱物やロバや図鑑やオルガンや、ま ずいろいろなものを集めてくる。それらに生き生きと声を発 してもらうためには、やっぱり場所の輪郭を作らなければな らない。それらに相応しい居場所を与える必要がある。それ が曖昧だと、書きづらいんです。きちんとした輪郭に守られ ている安心感、世界からそこだけが切り取られ、誰も邪魔が できないんだという親密感。そうしたものから物語が発生す る。 い ず れ そ の 安 心 も 親 密 さ も 変 質 し、 崩 壊 す る わ け で す が、その過程こそが物語になるんです。

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小野   その場所が、具体的な固有名、都市名とか地名を持っ た場所という感じがしない。現実に存在する場所と結びつか ないから、読んでいる人が、これは自分の町とか自分の場所 だ と、 あ る い は 逆 に、 誰 の も の で も あ る ど こ に も な い 場 所 だ、というふうに想像することができます。 小川   物語の世界に入りながら、読者に自分だけのドールハ ウスを作ってもらえれば、それは理想です。物語を確固たる 塀で囲うことは、一見、制限を加えるように見えるかもしれ ま せ ん が、 将 棋 盤 が 九 × 九 で 無 限 の 宇 宙 だ と 言 わ れ る よ う に、輪郭があるからこそ、無限な感覚を味わえるということ が起こるんだと思います。 小野   閉じられた世界だから、登場人物もそんなにたくさん はいません。だからこそ一人一人がとても丁寧に、しゃべり 方 や 動 き な ど、 全 て が い と お し む よ う に 書 き 込 ま れ て い る。 今、アール・ブリュットのお話が出ましたが、その作り手た ちはマージナルな状況に置かれた人たちが多いので、いわゆ るふつうの芸術家に比べて、非常に不自由な枠組みのなかで 創作活動を行なっていますよね。小川さんもまたある意味で ご自身を厳しい制約のなかに置くところから書き始め、限定 されたある枠の中で世界をすごく丁寧につくっている。小川 さんの世界を満たすささやかな存在に対する優しく静かな接 し方は、そういうところから来ているのだろうなあと思いま した。 小川   輪郭がもう決まっているので、書き手が勝手に外に行 くわけにいきません。登場人物たちと同じ空間にじーっと一 緒にいるんですね。彼らが何をしているのか、何をしゃべっ ているのか、何を着ているのか、黙って見ている。書いてい るというよりも、見ている、観察している時間のほうが長い んです。 小野   そこにないものを言葉で出現させることが小説を書く ことだとしたら、小川さんは、その作品の中にある空洞、不 在そのものを記述しているというか、観察されている。 小川   そこにないものを書く、欠けているものを書く、昔は あったけど今はもうないものを書く。ひたすら観察している と、そういうものが見えてくるんです。   小野さんの小説もそうですよね。海と山と空と岬によって 閉じられた町で、同じメンバーが顔を合わせているんだけれ ど、そこに死者も平等に登場してくる。あるいは、猿や鹿が 加わってくる。ですから決して人数が足りていない感じがし ないんです。 小野   僕が勝手に小川さんに親近感を覚えるのは、小川さん の世界には動物がいっぱい出てくることです。今回もロバや 猫がでてきます。それに亡くなった妹の存在がずっと感じら れるので、死者も常にそこにいる。作品のなかに流れる時間 には、死者が過ごした時間も確かに含まれていると感じまし た。

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小川   小説という道具の画期的なところはそこですよね。そ こにいない人もいるかのように扱っていいんです。私も小野 さんの小説を読んでいて、互いの作品の登場人物たちが、合 図を送り合っている気がしました。 小野   それは本当に光栄です。僕はフランス文学とその他の 地域でフランス語で書かれた文学を研究してきたこともあっ て、 小 川 さ ん の 作 品 の 持 っ て い る、 あ る 種 の 異 国 性 と い う か、これは一体世界のどの場所の話なんだろうと感じさせる 雰囲気に、いつも惹かれてきたんです。 小川   たぶん私が小説を書こうとするときの世界の見方や視 線が、遠くを見通す、上のほうに立って俯瞰して見る、とい うことがないんですね。 小野   傍らにあるということですか。 川  『 琥 珀 の ま た た き 』 で も、 作 者 の 立 場 と し て は、 多 分 庭の木の幹に隠れてじっと見ているという感じで、上から全 体を見回していない。しかも、見えている範囲のことしか書 かない。だから、時代とか社会とか、自分がつくった枠の外 側にあるものについては全く頓着してないんです。 小野   僕も『森のはずれで』という作品で、ヨーロッパ的な 場所を舞台にして書いたんですが、日本語でそういうものを 書くことがいかに難しいか痛感しました。 小川   小野さんの作品は、私が書いている作品とまるで対極 にあるかのように、日本の土着的な場所を描きながら、しか し、決して特定の町ではないと思うんです。背景を知ってい る人が読めば、大分の南のほうの町だろうなと思うかもしれ ないけれども、それは現実的な情報からわかるだけで、例え ば、外国の人がこれを読めば、日本的、異国的といった枠組 みを越えて、 「浦」という舞台を自分なりにまた構築できる。 小野   つまり、作品というのは、別に同時代の読者にだけ向 けて書かれているものではない。小川さんの作品はたしかに 同時代の読者に向けて日本語で書かれているけれど、同時に はるか未来の読者に向けて、百年とか二百年先の人に向けて 書かれている感じがします。まだ生まれていない人たちに向 かっても書かれている。す ぐ れた文学作品とはみなそういう ものなのでしょうが、小川さんの作品に関しては特にそうだ と感じるのです。それはいろんな地域に生きる、さらに遠い 先 の 未 来 の 人 た ち が 読 ん だ と き に も、 違 う 言 語 で 読 ん で も、 みんなが自分の場所として読める作品です。だから作品に含 まれる時間の厚みがすごい。今回の作品では、三きょうだい の名前が化石や鉱物からとられていますが、化石や鉱物の中 にはそれらが形成されるまでの時間が地層となって重なって いる。主人公でもあるアンバー氏(琥珀)は芸術家でもあり ますが、彼の芸術は、いわば地層を掘るようにして、それぞ れの層に含み込まれた時間と記憶を再現することで成り立っ ているのかなと思いました。

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