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こぺる No.009(1993)

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25日(毎月 1回25日発行)ISSN 0919・4843

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とべる刊行会

NO. 9

『特殊部落一千年史jの改題をめぐって@ゆ⑥ 「危険な存在Jの再評価 一 一師岡・沖浦論争に寄せて一一 八木 晃 介 『特殊部落一千年史』の復刻について 布 川 弘 部落問題 、翻 訳、事 情 本 田 豊 時評① はだかのクイーン 師岡佑行

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﹃ 特 殊 部 落 一 千 年 史 ﹂ の 改 題 を め ぐ っ て ④

||師岡・沖浦論争に寄せて||

師岡佑行氏と沖浦和光氏とによる﹃こぺる﹄誌上論争 は、私の最近の問題関心と深くショートするところがあ り、まことに興味深いものがあったので、編集部の勧誘 にしたがって、ここに私見を簡略に示すことにした。 私がもっ部落問題イメージは、私自身のこの間のささ やかな理論的、実証的な考察をつうじてそれなりに変貌 をとげつつあり、そうした変化のプロセスの自覚化を ベースに両氏の論争に関心をもたないではいられなかっ たし、また、それは同時に、私の差別表現論それ自体を 再点検する貴重なチャンスにもなったと思う。とはいう ものの、両氏の論争の内実への全面参加は私の力量が許 さず、したがって、部分的な青山見開陳ということになら ざるをえないことを最初にことわっておかねばならない。 今回の問題の所在は、要するに、 一九九二年末に発行

の再評価

された岩波文庫﹃被差別部落一千年史﹄︵原著名﹃特殊 部 落 千

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高 橋 貞 樹 著 沖 浦 和 光 校 注 お け る 書 名変更を反差別文化の観点からどのように評価すべきな のか、ということにつきる。こうした問題設定に対する 私の反応形式は、①書名変更をどのようにとらえるか、 ②﹁特殊部落﹂なる用語の使用をどうみるか||の二点 に集約されるので、以下、その順序にしたがって私自身 の考えを述べることにしたい。 書名変更︵言い換え︶について 部落解放運動はこれまでに、差別と表現にかかわって、 少なくとも三回にわたって、その公式見解を表明してき た。全国水平社第十回大会︵一九三一年︶の﹁言語・文

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章による︿字句﹀に関する件﹂、同第十三回大会︵一九 五年︶の﹁全国水平社差別糾弾方針﹂における差別表 現にかかわる部分、部落解放同盟第三十一回大会︵一九 七 六 年 ︶ の﹁差別語問題についてのわれわれの見解﹂が それであるが、これらには原則的な共通点が含まれてお り、その後の部落解放運動内外での各種差別表現論の内 容もおおむねその共通点の中に収飲するものばかりだっ たといってよい。その共通原則を私なりに整理してみる と、おおむね①言語の社会的被規定性に関する観点、② 言語の社会的能動性に関する観点、③文脈上の意味に関 する観点||の三点が浮かび上がる。 第 一 の 観 点 が 意 味 す る と こ ろ は 、 一 ︷ 疋 の 言 語 が 一 ︷ 疋 の 社会から産出される以上、差別語も差別社会の反映以外 の何者でもないから、差別語の克服は社会の差別的な編 成原理の組み換えなしには不可能である、という点であ り、第二の観点は、にもかかわらず、 いったん産出され た差別語は人間の個人意識、社会意識に能動的に作用し、 場合によっては差別意識の形成、動員等と直接間接に連 結するので、言葉一つをあだやおろそかにすべきではな ぃ、という点を示している。そして、第三の観点では、 差別語それ自体が問題であるというよりも、表現におけ る全体的な文脈における差別性の有無が決定的に重要で あり、したがって、個々の差別語を追放できたとしても、 それを補完する差別的文脈構成は可能である、とする視 点 で あ る 。 以上の三点が差別︵語︶表現論の基本的枠組みとして完 壁であるかどうかはともかくとして、 一 応 の 常 識 的 な 原 則論の提起とみなすことは可能であり、とりあえずはこ の原則論を今回の問題にあてはめてみると、原著名﹁特 殊 部 落 ﹂ を ﹁ 被 差 別 部 落 ﹂ に 変 更 ︵ 言 い 換 え ︶ し た こ と は 、 第一の観点には背反するが第二の観点には合致し、 し か し、第三の観点には再ぴ背反するという一応の図式を描 くことができる。しかし、この図式化はまことに機械的 なものであって、その図式自体がなんらかの結論を準備 しているとは単純にとらえることができず、姉岡・沖浦 両 氏 の 論 争 は 、 だ か ら こ そ 成 立 し た と も い え る 、 だ ろ う 。 第一の観点についていえば、﹁特殊部落﹂を﹁被差別 部落﹂という言葉に置き換えることによって、この社会

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がもっ差別的な編成原理の反映情況が変動するか否かが 問われるのだが、部落解放運動側ではなく差別側の視点 からすれば、さほど変動が実感されていない現実は、差 別意識に関する意識調査の結果等からしでもみてとるこ とができるのではないか。言語には、事物そのものを指 示 し 、 そ れ 以 外 に は 発 展 し な い 意 味 ︵ 指 定 的 意 味 ︶ と 、 一 定 の 事 物 の 指 示 か ら 出 発 し ・ な が ら も 、 そ れ に と ど ま ら ず よ h 勺広汎で多層的な情緒的ないし連想的な内容を示唆 す る 意 味 ︵ 表 現 的 意 味 ︶ と が 含 ま れ て お り 、

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・ ハ ヤ カ ワ が 前 者 を ﹁ 情 報 的 内 包 ﹂ 、 後 者 を ﹁ 感 化 的 内 包 ﹂ と呼んだことはよく知られているが︵邦訳﹃思考と行動 に お け る 言 五 巴 岩 波 書 店 、 八 一 ︸ t 五 頁 ︶ 、 ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ を ﹁被差別部落﹂に置き換えたからといって、指定的・情 報的意味にしても表現的・感化的意味にしても、市民意 識 の 内 情 か ら す れ ば 大 差 な い と い わ ざ る を え な い 。 名称変更が対象属性の変化を必ずしも担保しない事情 に t ついては、柴谷篤弘氏も﹁代置名で呼ばれたものに対 する因習的な差別観念が、名称のかわったために自に見 えて変化した、ということはなかったように思う﹂と記 し て い る が 、 同 感 で あ る 〆 ︵ 柴 谷 、 一 九 九 三 、 ﹁ さ か さ ま 差別論の試み﹂京都精華大学紀要第五号、 一 八 一 頁 ︶ 。 早い話が、﹁特殊部落﹂でもなければ﹁被差別部落﹂で もない﹁同和の人﹂ないしそれをつづめた﹁同和人﹂と いった新造語が今や大いに流通しているが、それが保有 する両意味はまったく変化していないのが現実だし、も つといえば、この間の同和対策事業に対する複雑な市民 感情が加味されて、場合によっては﹁特殊部落﹂や﹁被 差別部落﹂という語にはない新たな差別意識を含み込む こ と も あ る の だ 。 第 二 の 観 点 に つ い て い え ば 、 一 応 は 、 今 回 の ﹁ 特 殊 部 落﹂から﹁被差別部落﹂への名称変更に対して正当化の 理由づけを準備するものといえるだろう。今回の企画を 担当した岩波書店文庫編集部の平田賢一氏は、本文中の ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ 用 語 に は 注 記 を 施 し た が 、 タイトルには注 記を施せず、また広告で書名が大きく出た場合には、こ の言葉の差別性が一人歩きするので﹁被差別部落﹂に名 称 変 更 し た と し て い る ︵ ﹃ 乙 ペ る ﹄ 一 九 九 三 年 九 月 号 、 一五頁︶。平田氏の見解は、現時点における出版界をは

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じめとするジャーナリズムの世界の平均的見解でもあっ て、従来の差別語︵表現︶糾弾をとおして到達した一つ の地平であることは疑いえない。 つまり、言葉の一人歩 き︵差別的能動的機能︶に留意すれば、ひとまずはこう した結論に達するであろうことは理解できる。問題は、 ﹁特殊部落﹂という言葉の指定的・情報的意味および表 現的・感化的意味を差別側、被差別側の両者がどうとら えるかという点であり、師岡・沖浦論争も実はその点に かかわって激しく展開されたのであった。 こ こ で は 、 D − K ・ パ l ロ の い 、 つ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 論上の原則を援用したいと思う。﹁コミュニケーション は意味の伝達ではない。意味を伝達することは不可能で ある。伝達できるのはメッセージだけであって、意味は メッセージの中にはなく、メッセージを利用する人の中 にある﹂︵邦訳﹃コミュニケーション・プロセス﹂協同 出 版 、 一 一 一 一 一 頁 ︶ 。 ﹁ 械 多 ﹂ を ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ に 変 更 し 、 そ れをまた﹁細民部落﹂に変更し、さらには﹁未解放部 落﹂﹁被差別部落﹂に変更してきたのは、要するに、﹁意 味﹂の変更ではなく﹁メッセージ﹂の変更でしかなかっ た の で あ り 、 そうした言葉が内包している﹁意味の意 味﹂は、部落内においても部落外においても、実のとこ た ろ と お な り に で ほ あ ど る も 。 変 「 化

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別 は 的 す 能 で 動 に 的 指 に 摘 ー し 人歩きするが、﹁被差別部落﹂用語は反差別的能動的に 一人歩きするという問題ではなく、それらの言葉をメツ セ i ジとして使用する人︵発信者と受信者の双方︶が抱 いている被差別者や差別問題についての﹁意味﹂と、発 信者、受信者双方の人間的関係性がもっ﹁意味の意味﹂ だけが問題なのではないだろうか。 水平社宣言の冒頭には﹁全国に散在する吾が特殊部落 民よ団結せよ﹂とあり、それに続く決議第一項には ﹁吾々に対しエタおよび特殊部落民等の言行によって侮 辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾をなす﹂とある。 前者においては﹁特殊部落﹂用語を肯定的に使用し、後 者においては否定的に使用していることが明らかであり、 その限りでは矛盾しているかに見えるのだが、実は矛盾 していない。すでに師岡・沖浦論争の中で師岡氏が指摘 し た よ 、 つ に 、 難本昌久氏が といかに つ差別語 d ま た 、 ’t

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1 、s 向きあうか﹂︵こぺる編集部編﹃部落の過去・現在・そ 一 九 九 一 年 ︶ の中で丹念に論証したよ し て ・ : ﹄ 阿 件 社 、 うに、初期水平社の人々は﹁特殊部落﹂用語が差別的に 用いられる傾向の強いものであることを重々承知のうえ で、なおかっその言葉になみなみならぬ肯定的な思い入 れを注ぎ込んでいたことも事実なのである。私自身、最 初の著書﹃差別糾弾ーーその思想と歴史﹄︵批評社、 の執筆以前から、こうした水平社初期の同人 九 七 六 年 ︶ た ち の 思 い 入 れ を 十 分 承 知 し つ つ 、 しかし、師岡氏や灘 本氏のような論証作業を手抜きして、運動主流の動向に 無原則に同調してしまっていたことを率直に反省しなけ れ ば な ら な い と 感 じ て い る 。 それはそれとして、水平社創立大会で採択された宣言 と決議との関係は、その両者を素直につなぎあわせれば、 明確な言説イメージとなることが明らかである。すなわ ち、﹁侮辱の意志﹂の有無が決定的に重要だということ であろう。﹁特殊部落﹂という言葉があってもそこに侮 辱の意志︵差別的意図︶がなければ問題はないし、﹁被 差別部落﹂や﹁未解放部落﹂という言葉を用いても、文 脈上侮辱の意志︵差別的意図︶があれば徹底的糾弾の対 象にする、ということである。つまり、言語を用いて行 う人間の意味作用の意味︵そこでは差別側と被差別側の 人間的関係性のモ l ド の 内 実 が 深 く 問 わ れ る の だ が ︶ 、 そのことこそを初期水平社の同人たち︵もちろん、その す べ て で は な い が ︶ は 問 題 に し た に ち が い な い の で あ る 。 す で に 述 べ た よ う に 、 ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ 用 語 は 差 別 的 に 用 い られる傾向が強かったがゆえに、﹁侮辱の意志﹂の有無 の深い文化的な探究︵言語的意味作用の意味の探索活 動 ︶ を 徹 底 し な い う ち に 、 い わ ば ﹁ 特 殊 部 落 H 差 別 語 ﹂ というマニュアルが形成されていったのではないかと思 われる。そして、ひとたび形成された言語マニュアルは、 人間意識の中に深くインプリントされるのである。 ﹁特殊部落﹂という言葉は、したがって、常に差別的 に一人歩きするとはかぎらない。このことは、すでに第 三の観点についての検討を含んでいるのだが、その言葉 が差別的能動性を発揮するか否かは、ひとえに言語的文 脈あるいは状況的文脈に依存するのである。

、 、 ニL ケ 1 ション論に立ちかえっていうならば、﹁人々の聞の

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コミュニケーションは、人々が解釈の一般的な枠組みを 共有する範囲で可能﹂なのである︵同

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目 、 m 三 ロ ∞ o o E ニ マ お ω ︶。今回の問題でいえば、原著者・ 高橋貞樹に差別意識がなかったことは明白だし、﹃特殊 部落一千年史﹂なる書物自体が差別性を持っているわけ でもない。それどころか、そこに含まれた価値的内包は まったく逆にきわめて感動的に解放的であったことは、 師岡・沖浦両氏をはじめ、すべての人々が認めるところ で あ ろ う 。 以上、三つの観点について述べたところからも明らか なように、結論的にいえば、今回の書名変更は私自身の 現 在 の 考 え 方 に 反 す る も の で あ っ た 。 次 に 、 ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ という用語を考える場合の私自身の発想法について略述 し た い と 思 う 。 ﹁特殊部落﹂用語考察の発想法 これまでに私自身が経験した﹁特殊部落﹂用語につい て の 糾 弾 事 例 は 、 い ず れ も ﹁

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は 特 殊 部 落 み た い だ ﹂ いんゆ というように、おおむねメタファ l ︵ 隠 聡 ︶ ま た は メ ト ニ ミ i ︵換聡︶の範障に属するものばかりであり、今回 のような﹁特殊部落﹂用語の単独使用例に対するものは ほとんどなかったと記憶する。隠聡や換聡となることに よって、この言葉は初めて差別的な文脈を構成するので あって、この言葉を単独に使用するだけでは﹁侮辱の意 志﹂を込めることができないのではないかと思われる。 実際、私自身、自分の学生に対して﹁特殊部落﹂とい う用語と、﹁被差別部落﹂という用語とから連想する事 柄を述べさせてみたことがあるが、差別性の感受という 点ではその両者の聞にほとんど有意差はなかった。ただ し、両者ともかんばしからざる負性のイメージによって 包み込まれることが多かったのだが。つづいて次に、 た と 三車業のアヤ、ものの警え﹂として差別的意味を構成す る 文 脈 ︵ 例 え ば 、

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は特殊部落みたいだ、という事 例︶を出して、その文脈への感化的反応を調べたが、予 想外に、学生たちは、差別的な意味を抽出することがで

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きず、むしろ彼らの多くは、すでに紹介したように、 ﹁同和の人﹂﹁同和人﹂という言葉の方にするどく差別的 な反応を示したのであった。してみると、差別的な文脈 を構成するはずの隠験や換験自体が、彼らにあっては差 別的な意味をことさらに生み出すものではないというこ とになり、これには私自身も少々驚かないではいられな かった。部落解放運動の側は差別語︵表現︶に対して従 来のマニュアルをほぼ道守しているのに、差別する側 ︵ここでは私の学生に限定されるが︶にとっては、その マニュアルはすでに形骸化してしまっているらしいので あ る 。 もっと驚いたことがある。九三年夏休み前の前期レ ポートの中に、﹁差別されるという大多数の人には経験 できない貴重な経験をしている被差別の人々を羨ましい と思うことがある﹂という音 ω 味の記述を数人の学生の文 章に見出したのであった。私自身、学生がそのように考 えられるような授業の組み立てを工夫してはいるのだが、 実際にそのようなレポートが少数ながらも出てくるとな ると、どうやら部落問題についてのまったく新しい感性 が部落外にも生じているらしいことに目をやらないでは い ら れ な く な る の で あ る 。 もろさわ・ょうこさんも同じような体験をしたことを 近著仁記していた。差別する人はダサイ、差別される人 はナウイというわけだが、なぜそうなのかというと、も ろさわさんが接触した若い人たちは﹁部落に生まれるの って、生まれたくてもなかなか生まれられないのに、素 敵なことジャ l ン﹂と反応したというのである︵﹃いの ちに光あれーー女性史と差別﹄径書房、 一 九 九 二 、

五 頁 ︶ 。 こうした感性は、もろさわさんや私の世代の目を点に してしまい、旧来の解放理論マニュアルでことたれりと している運動家たちの目を三角にしてしまうのだが、し か し 、 よく考えてみれば、こうした感性は近代的市民的 エトスをこえるものを含んでもいそうなのである。私の 研究室によく出入りする仏教学科の三回生は、二回生の 時まではそれこそパターン化された差別意識を吐露して 恥じることがなかったが、私の勧めで被差別部落の人々 や在日韓国・朝鮮人と個人的な接触をふかめる中で、 E 寂

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近では、差別する多数者側にある自分が差別問題を考え るには︶何らかの意味で自分も少数派のアイデンテイテ イを獲得しなければならないのではないかと、まるで柴 谷篤弘氏のいう﹁異叛者﹂性の模索に時間のすべてを費 やしているかのようである︵柴谷篤弘﹃反差別論||無 根 拠 性 の 逆 説 ﹄ 明 石 書 店 、 一 九 八 九 ︶ 。 多 数 者 の 論 理 で 少数者を引き上げる近代主義ではなく、多数者側に属す るものが自分自身の少数者性を獲得して、そこで少数者 とつながるという発想は、おそらく﹁部落にうまれるの っ て 、 素 敵 な こ と ジ ャ l ン﹂という発想にどこかでつな が る よ う に も 思 わ れ る 。 部落解放運動と、それを導くべき部落解放理論におけ る低迷の原因を、私は最近、はっきりと﹁同対審﹂路線 に よ る ﹁ 水 平 社 宣 一 言 巨 路 線 の 吸 収 な い し 換 骨 奪 胎 、 お よ ぴ、それゆえの対抗性の希薄化にみる立場に立ってきた ︵たとえば拙稿﹁共同調査研究報告・被差別部落青年層 の生活世界﹂、花園大学人権教育研究室・部落解放浅香 地区総合計画実行委員会、 ﹁ 社 会 臨 床 学 か ら み た 部 落 解 放 理 論 ﹂ 、 日 本 社 会 臨 床 学 会 一九九三年三月、および同 編﹃社会臨床雑誌﹄創刊号、 ﹁格差﹂という浅薄な概念で説明し、近代市民社会への 全面参入をもって﹁解放﹂といいならわす同対審路線に 一 九 九 三 年 四 月 ︶ 。 差 別 を 運動体までもが同調している、まさにその現実こそが蛇 立した水平杜精神への違反であり、解放を遠ざけるもの ではないかというのが、この間の私自身の考え方の基軸 をなしている。対抗性の放棄どころではなく、きびしく いえば退行性の具現そのものではないか、と思われるの で あ る 。 たとえば、部落差別イデオロギーの重要な部分を構成 し て い る ﹁ ケ ガ レ ﹂ 観 念 に つ い て の 対 抗 性 は 、 ﹁ ケ ガ レ ﹂ のイデオロギー性を論証し、その理由のないことを強調 し 、 ﹁ 、 だ か ら 、 ケ ガ レ て い な い ﹂ と 主 張 す る と こ ろ に は 決して成立しない。私がいう意味での対抗性は、﹁ケガ レていて何が悪い!﹂と、少なくともいわば開き直ると ころに成立するものなのだ。マイナスに評価されてきた 自己のアイデンティティをプラス価値に逆転させること によって自己価値を奪還するプロセスが、おそらく﹁解 放﹂過程なのである。ここでの私の強調点は、見てのと

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おりメアリ・ダグラスの主張に導かれている。彼女は、 ケガレのあるところには必ず体系が存在するとし、 一般に尊重されてきた分 ﹁ 我 々 の 汚 職 に 関 す る 行 動 は 、 類を混乱させる観念とか、それと矛盾しそうな一切の対 象または観念を非とする反応にほかならない﹂︵邦訳 ﹃ 汚 職 と 禁 思 ﹄ 思 潮 社 、 人

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頁 ︶ と 言 い 切 っ て い る 。 体系的︵体制的︶秩序に混沌をもたらすものが﹁ケガ レ﹂なのであって、してみれば、反差別の言説としては ﹁ケガレていて何が悪い!﹂ではなお不十分なのであっ て、反差別的対抗性を貫徹するならば、少なくとも論理 的には﹁ケガレこそ最大の意味﹂と居直ることこそが解 放的価値奪還を担保することになるだろう。水平杜宣言 における﹁吾々がエタであることを誇り得る時が来たの だ﹂というステートメントの言説内容は、このような文 ︶脈においてとらえかえされる必要があると私は考えてい る。ケガレ︵不浄性︶が持つ役割的意味は、 メ ア リ ・ ダ グラス流にいえば、区別され分類づけされた秩序的体系 を脅かすところにあり、それだからこそ、それは生成 発展。・成長のシンボルとも見なされるわけである。﹁差 別される人がうらやましい﹂とか﹁部落に生まれるのつ て 、 素 敵 ジ ャ l ン﹂という感性を、ダグラス流言説に直 つ 接無媒介的に接ぎ木するのは短絡的にすぎる可能性もあ るが、しかし、こうした新しい感性は、水平杜宣言の精 神を部落外から表現する場合の一形式ですらないという こ と は で き な い の で は あ る ま い か 。 ﹁特殊部落﹂という用語への、私の発想法も、おおむ ね以上に記したところに収数しそうである。私の観点は、 師岡・沖浦論争における師岡氏の発言や、灘本氏の論点 とはややことなる位相において成立しているようにも見 えるが、結論的にはおおむね一致していると考える。 ﹁特殊部落﹂という言葉によって差別されることを放置 できないのは当然であるにしても、その言葉によって自 らを誇り得る存在と認識して、何事もないかのごとくに すましこんでいるこの体系的秩序に不断に混沌をもちこ み異議をとなえる﹁危険な存在﹂として自己をアイデン ティフアイしつづけることが、﹁解放の主体﹂を形成す るプロセスに一致するのではないか、というのが私のさ し あ た り の 結 論 で あ る 。

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﹃ 特 殊 部 落 一 千 年 史 ﹂ の改題をめぐって⑤

布川

弘 ︵ 京 都 橘 女 子 大 学 非 常 勤 講 師 ︶ 私は、高橋貞樹の﹃特殊部落一千年史﹄が、原文の削 除や改変もなく、しかも読みやすい形で岩波文庫の一冊 として復刻されたことを心より喜んだ一人です。その意 味で、校注・解説を担当された沖浦和光さんや岩波書店 の功績は大であると考えます。しかし、﹃こペる﹄誌上 で師岡佑行さんや脇田修さんが指摘されているように、 私も﹃被差別部落一千年史﹄と改題されたことについて は ど う し て も 納 得 い き ま せ ん 。 改題の趣旨について、岩波書店編集部の平田賢一さん が、﹃こぺる﹄誌上に﹁見解﹂をよせておられます。そ こに気になる箇所がありました。それは、タイトルに ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ と い う 言 葉 を 使 う と 、 ﹁ 広 告 で 書 名 が 大 き く でますが、その場合、この言葉の差別性が見過ごされた 、ままひとり歩きしてしまう可能性があります﹂とし、そ の言葉自体が﹁差別を助長することを倶れ﹂たと述べて いる点です。こうした認識の根底には、﹁特殊部落﹂と

の復刻について

いう言葉がいわゆる﹁差別語﹂であり、その言葉を使う こと自体が、﹁差別性を見過ごしたまま﹂の状態、即ち 無意識の状態で差別を﹁助長﹂することになるのだとい う こ と な の で し ょ う 。 こ う し た 見 解 の 問 題 性 を 明 ら か に す る た め に 、 倒を出しましょう。例えば、岩波文庫の中に福田英子の ﹃ 妾 の 半 生 涯 ﹄ と い う 自 伝 が あ り ま す 。 ﹁ 妾 ﹂ と い う 言 い 方 は 江 戸 時 代 の 武 士 や 明 治 の 士 族 の 女 性 が 自 分 を へ 猷 だ っ て言う場合に使う言葉で、﹁わらわ﹂と読みます。これ は、一面で明らかな身分制度上における女性差別の表現 でしょう。岩波書店の言い分によれば、こうした言葉が タイトルになり広告で出回れば、無意識の内に女性差別 を助長することにならないでしょうか。しかも、この言

の 葉は死語にはなっていません。テレピの時代劇では何回 となく多用され、﹁めかけ﹂と読めば現代でも立派な差 別語だと思います。さて、それでは岩波書店はこの福田

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英 子 の 自 伝 を 、 ﹃ 私 の 半 生 涯 ﹄ と 改 題 す る で し ょ う か 。 私は今指摘した問題の中に、二つのポイントがあると 一つは、﹁妾﹂という言葉が明治という時代 思 い ま す 。 の社会関係の一面を明らかにしてくれるということ。し たがって、その言葉は歴史的な財産です。二つめに、福 田英子があえて﹁妾﹂と自称した意図です。福田は士族 の出身で、志士仁人としての気概がそこに込められてい ると見てよいでしょう。即ち、著者の意図、乃至は思想 の表現がそこにあるという点です。同時にそれは当時の 自由党左派の思想の一端を表現してくれています。これ は 、 ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ と い う 言 葉 に も 当 て は ま る と 思 い ま す 。 沖 浦 さ ん は 、 ﹁ ︿ 特 殊 ︵ 特 種 ︶ 部 落 ﹀ は あ く ま で 劣 悪 ・ 低 位を表すための政治的造語﹂であり、﹁支配階級によっ て押しつけられた侮蔑語﹂で、﹁差別を現存させてきた 諸要因を暖味にし被差別民そのものに原因があるかのよ うに思いこませる巧妙な政治的造語﹂であると言い切っ ておられます。また、師岡さんによれば、水平杜の青年 たちは﹁実質が変化しなければ名称は問題ではない﹂と いう立場から、賎視、侮蔑を感じながらもあえて﹁特殊 部落﹂という言葉を用いてそこに﹁誇りある名﹂をもと めたのだとされます。この両氏の議論は一見かけはなれ ているように見えて、実は一つの重大な問題を浮かびあ がらせてくれたと思います。それは、﹁特殊部落﹂とい う言葉の使用を歴史的に振り返ることによって、様々な 人々の部落に対する認識が浮かびあがってきたことです。 私にとっては大変勉強になりました。そして、このお二 人の議論やそれに対する私の感想や認識の深まりの過程 こそが、この言葉を歴史的財産として留め置くことの重 要性を知らず知らずのうちに明らかにしてくれているの で は な い で し ょ う か 。 また、師岡さんの指摘されている水平社の人々の認識 と 共 通 す る か も し れ ま せ ん が 、 福 田 が ﹁ 妾 ﹂ と い う 一 言 葉 にこだわったように、著者の高橋貞樹がこの言葉をあえ て使ったことの意図が重要だと思います。高橋は、﹃特 殊部落一千年史﹄という書物を、それまで歴史の片隅に 追いやられていた労働者階級の歴史の一環として描いた のだと考えます。労働者が自らを生産の主体として自覚 し対自化したときに初めて﹁労働者階級﹂としての誇り を 抱 い た よ う に 、 戸 部 落 の 人 々 が 遅

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く生きてきた過程を 歴史的に振り返り、自らが歴史の主人公であることを認

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識したときに初めて﹁特殊部落﹂民としての誇りに目覚 め、そして﹁特殊部落﹂民としての立場を対自化できた のであろうと思われます。変革の主体は、その立場の特 殊性、即ち社会の中で占める自己の役割を−認識しそれを 対自化したときに生まれます。高橋が﹁特殊部落﹂とい う言葉を使った意図はそこにあり、労働者階級の一翼と して革命の主体として位置づけたところに大きな意味が あると思います。だからこそ、この本は多くの人々に感 激をもづて迎えられたのだと思います。 私は、この本の改題が二つの意味で誤りだと思います。 一つは、﹁特殊部落﹂という当時の社会関係を明らかに ﹃ 特 殊 部 落 一 千 年 史 ﹄ の 改 題 を め ぐ っ て ⑥

部落問題

H H 稲 刈 リ 刊 門 付 1 話 命 同 ニ = 同 H H

事情

豊 ︵ 東 京 都 立 大 学 ︶ ﹁ 特 殊 部 落 ﹂ と い う 言 葉 を 、 こ こ 一

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年ほど聞く機会 が少くなった。週刊誌とか雑誌では時たま見かけること はあるが、差別表現としてのそれは、年間に一、二件あ るだけだ。あるいは、こちらが気がつかないだけかもし れ な い が 。 してくれる歴史的財産を無視したということ、二つめは、 著者の意図がもっ歴史的背景を無視したということです。 即ち、二重の意味で歴史に対する冒漬だと思います。岩 波書店はいまだかつでこうした改題をしたことはなかっ たのではないでしょ今か。それが何故この本に限って改 題をじたのか。無用な詮索はじませんが、私たちが日本 文化の誇りと考えてきた岩波文庫が、こうした冒漬行為 で汚されるのを見るに忍びない思いが致します。一刻も 早く原題に復帰されるよう望んで止みません。これは、 岩波書店だけの問題ではなく、広範な読者と社会に対す る 冒 演 だ と 思 い ま す 。 一 九 七

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年代には、教職員組合や共産党員といった ﹁進歩的﹂といわれる人たちと話していても、部落問題 を語るとき﹁特殊部落﹂という言葉は日常語として使わ れていた。使う側も、何の抵抗もなく使っていた。聞い ていて驚いた経験が何度もある。 可 U '

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いまでは﹁特殊部落﹂という言葉はほとん ど聞かれない。だがしかし、それは必ずしも、この言葉 に対する理解が深まったから、ではなさそうだ。﹁使っ たら大変だ﹂という意識の方が大きいから、言葉の使用 け れ ど も 、 が封印されているだけ、のように思われる。 いま、それに代わって大手をふって使用されているの が 、 ﹁ 同 和 ﹂ と い う 言 葉 で あ る 。 ﹁同和﹂ならどのように使用しても問題だと指摘され る心配はない。部落問題に関係したことなら何でも﹁同 和﹂の二文字で表現してしまう。こんな傾向が極めて顕 著 だ 。 研 修 会 は ﹁ 同 和 研 修 ﹂ 、 教 育 は ﹁ 同 和 学 習 ﹂ で あ っ て 、 同和教育とも呼ばれなくなってきた。同和行政は﹁同和 施策﹂といった具合である。戦前いらい使用されてきた ﹁ 同 和 行 政 ﹂ と い う 言 葉 も さ け ら れ る 傾 向 が 出 て き た 。 部落問題は、一般的には大変にわからなさがつきまと う。だから何となく不気味な存在と意識される。そのた めに﹁同和﹂の二文字だけという単調な表現一色になっ てしまうのである。﹁未解放部落﹂という言葉も最近で はほとんど聞かれなくなったし、活字としても見かけな

く な っ た 。 ﹁特殊部落﹂という言葉を、﹁被差別部落﹂と代えて みても、その変化に気がつくのは、部落問題によほど精 通している者に限られるのではないか。その言葉に代え た意味について理解できるのは、よほどの部落問題の理 解 者 で あ る 、 と み て よ い 。 もちろん、﹁特殊部落﹂という差別語が完全に死語と なった、というわけではない。今日、この言葉を使用し なければならないのであれば、表現方法の配慮、解説を 付すという行為は、最低限必要であると考える。だが、 ﹃部落問題事典﹂にみられる﹁特殊部落﹂の項目解説で は 、 ま こ と に 不 充 分 で あ る 。 部 落 問 題 を 表 現 す る と き 、 N 翻訳 u しなければならな い言葉が実に多い。けれども、歴史的夫献や史料の改ざ ん は 、 絶 対 に さ け る べ き で あ る 、 と 考 え る 。 部落問題を表現するとき、何と言えば問題とならない かを人々が探っていたとき、救世主のごとくあらわれた のが﹁同和﹂の二文字であった。﹁言語明瞭意味不明﹂ い ま 問 題 に し て い か な く て は な ら な い 、 の こ の 言 葉 こ そ 、 と 思 っ て い る 。

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時 評 ①

はだかのクイーン

師岡佑行︵京都部落史研究所︶ 皇 后 は 、 一

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月二

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日、五九歳の誕生日に突然意識を 失って倒れ、目がさめても言葉が出ない。出なくなって からもう半月にもなる。失語症である。しかもなお公務 に精励、手話をつかったとったえられる。位卸だが、な んともいたわしいことだ。 テレピは毎日のようにこの問題を取り上げ、新聞でも 記事が多い。最初のうちは外遊や宴会など公務に忙しす ぎたことが原因だと報道していた。やがて﹃宝島 3 0 ﹂ 八月号に始まる﹃週刊文春﹄など週刊誌による皇后パツ シングに焦点をあてることになった。そして、とうとう、 めったに頭をさげたことのない﹃週刊文春﹄が一一月 一日号に﹁おわび﹂の社告を掲載する羽田となった。 深夜、職員にラーメンをつくらせたり、毎回服装を変 えて宴会に登場したり、あるいは皇居の自然林を丸坊主 にして

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まったりなどなどの記事が雑誌や週刊誌にあふ れた。これにたいして、異例にも皇后は﹁事実でない報 白 三正

が 倒 れ た あ と 武 村 官 房 長 官 は ー「 疲 れ よ る 貧 血 だ 道には大きな悲しみと戸惑いを覚えます﹂と述べ かの事例についてだけでも関係者の説明がなされ、人び との納得が得られれば幸せに思います﹂との談話を発表 した。誕生日当日のことである。失語症という事態にお どろいた宮内庁が、この言葉を受けてこれらの記事が事 実誤認であると指摘、﹃週刊文春﹄が﹁おわび﹂するに ミ ’ − コ ’ − 円 ノ z − o

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ナ J てナ J 庁 ν ∼ ナ J これらのことは、よく知られていてあらためて取り上 げることはないと思うかも知れない。つまり、皇后は公 務に多忙すぎたばかりでなく、﹁女帝﹂などと事実にな いことまで非難されたことに耐えられず、 ついに言葉を 失うにいたったというとらえかたは自明の理なのだ。そ んなことに貴重なで﹂ペる﹄ の ベ l ジをさくことはない。 だが、私が疑問をもつのはこのことだ。テレピや新聞、 雑誌や週刊誌の報道の皇后の扱いようは﹁はだかのク イ l ン﹂さながらではないか。かんじんの点はふれない で い る 。 \ ﹁ 幾 つ

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ろう﹂と語り、宮内庁は﹁皇后さまの容体は重くない﹂ と 発 表 し た ︵ ﹃ 京 都 新 聞 ﹂ 言葉が出ないとわかって専門家の松谷雅生東大医学部脳 一

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月 二

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日 ︶ 。 と こ ろ が 翌 日 、 神経外科助教授の﹁﹁一過性脳虚血発作﹄で、言葉をつ かさどる脳の血流が一時的に滞った可能性が高い。失語 には声が出ない、言葉が出ないなど多様な症状があるが、 一過性の虚血なら徐々に回復していくとみられる﹂など の話が記事になった。いずれも病状を軽く伝えようとす る気持ちがすけてみえる。ようやく一一月三日になって 皇后を診察した金沢一郎東大医学部神経内科教授の﹁長 期に及び心に大きな傷を受けておられたことによるも の﹂とした上で、明今後回復には時間を要すると思われ るが、必ず治癒されると思う﹂︵﹃朝日新聞﹄︶という談 話 が の っ た 。 これが専門家の診断だが、しろうとでも失語症だと聞 けば、すぐ気がつくことだ。皇后自身の深部の無意識層 から発せられた

SOS

である。つまり皇后という堅い殻 を突き破ってほとぼり出た生身の人間の声なき声なのだ。 しかし、無惨にもマスコミは聞こえないふりをしている。 そして、公務多端、皇后パッシングでおちゃをにごすば かりだ。なるほど、皇太后とのいさかいをあげたものも あ る が 、 エ ピ ソ ー ド に と ど め て い る 。 普通、失語症におちいるほど大きな心の傷を受けたな らば、会社をやめるなり、離縁するなり、その原因を取 り除く方法をとるに違いない。さまざまな噂をふくめて 1 皇后の失語症の原因が皇后にあることは間違いない。美 智子さんとよばれた女性が皇室に嫁いだぽっかりに起こ った自殺さええらべない悲劇である。このことに気付か ないマスコミ人はいないだろう。しかし、 c 会社ならやめ ることはできるが、皇后はやめることができない。所詮、 不可能なことをいったところではじまらない。かくて公 務がどうの、皇后パッシングがどうの、といったことに 終 始 し て い る 。 もっとも正しい、唯一の処方遣は皇后をやめ、皇室を 去って、正田美智子さんにもどることだ。天皇が難色を 示すなら、天皇をやめて、正田明仁となったらよい。 はしなくも、皇后の失語症は天皇制の残酷さを生身の 人 聞 を 通 し て あ ば い て い る 。

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第六回﹁こぺる﹄合評会から 今 回 の 合 評 会 ︵ 十 月 一 一 一

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日 ︶ で は 、 8 号に掲載された論文﹁岐阜県水平 運動史覚書二則﹂の筆者高田嘉敬さ んに﹁高木重太郎のその後﹂と題す る 短 い 報 告 を し て も ら い w ました。な お高田さんは岐阜県出身で、いま西 宮の授産施設︵印刷所︶で働いてお ら れ ま す 。 古 風 な ∼ 表 現 を 使 え ば 在 野 の研究者ということになりますか。 さて、高木重太郎さんは一九二五 年四月に出獄した後も水平運動にか かわっており、三三年八月大阪で聞 かれた高松地裁差別裁判糾弾闘争の 全国部落代表者会議に山田又七さん ︵大垣︶らと出席し、また四

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年九 たいわ 月の大和報告運動発足大会には吉野 正義さん︵大垣︶と参加しているこ と が わ ν かっているものの、その事蹟 はほとんど不明で、あとは聞き取り に た よ る し か な い ら し い 。 七四年春、部落解放同盟岐阜県連 の結成がはかられたころ、高木さん つ に た っ こ し ミ と て が lい あ ろ れ しミ

ま全

婆ばせ 鬼 て 」 も と ら いうあだなにふさわしい逸話もさる ことながら、雪の夜、浴場の前でた った一人荊冠旗を振っていたという あの話が忘れられません。水平杜に は、高木さんのような個性の持ち主 が数多く参加していたと考えられま すが、その事蹟も心性も歴史の表面 になかなか出てこない。それはおそ らく高田さんが指摘するように、文 字をもっ者が歴史を書くところから き て い る 。 長良川の鵜飼を眺めてはマルクス 経済学の剰余価値説を思い浮かべる ほどの北原さんからすれば、高木さ んは文字どおり﹁無学文盲﹂だった にちがいない。しかし無学無筆であ ろうと、水平社のなにかが高木さん を衝き動かしたことは確かであって、 出獄後もその思いは断ち切れず、高 松闘争への参加になったのでしょう。 灘本昌久さんによれば、初期水平 社の運動に加わり、その後しばらく 離れていたけれど、﹁高松﹂で再度 顔を出すようになる一群の人々がい たとのことで、高木さんもその一人 北 だ 原 岐 っ さ 阜 た ん に の が お か 逝 い け も つ る し て 最 れ 十 高 ま 二 の せ 年 権 ん 、 威 も 者 う だ そ っ ろ た そろ歴史評価の対象になってもいい ころです。埋もれさせられてきた高 木さんに光をあてるとともに、北原 さんを歴史の中に戻そうとする高田 さんの試みは、わた

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にとって感慨 深 い も の が あ る 。 ︵ 藤 田 敬 二

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自 国 柑 レ 九 ヨ U 聞 ド 4 4 Z 一 日 マ南天の実がいちだんと鮮 やかさを増し、垣根の山茶 花も顔を覗かせて、深まり ゆく秋に早や冬の気配が感 じ ら れ ま す 。 マ 今 月 号 と 次 号 で 、 ﹁ ﹃ 特 殊 部落一千年史﹄の改題をめ ぐって﹂につき、お寄せ下 さったご原稿を集中的に掲 載いたします。すでに掲載 ずみの諸論稿と合わせて、 十一月、十二月の合評会の テ i マとさせていただきま す 。 なお、皆様のご原稿は、 九月から十月なかばごろに かけて前後していただいて おりますので、その点ご理 解 下 さ い 。 マ十一月号に大きな誤植が ありました。大変申し訳け ございませんでした。左記 のようにご訂正下さい。 十一二頁下段後から二行め 指示←支持 ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 十二月二五日︵土︶ 午後二時より テ i マ ﹁ ﹁ 特 殊 部 落 一 千 年 史 ﹂ の 改 題 を め ぐ っ て ﹂ 入 、 、 京 都 府 部 落 解 放 セ ン タ ー 方第二会議室 m O 七 五 l 四 一 五 | 一 O 二 一 O 忘年会のお知らせ 今年度の忘年会を、こぺ る合評会と京都部落史研 究所の共催にて開きます。 ぜひ、多数ご出席下さい。 十二月二五日︵土︶ 午後五時より 於 鳳 舞 m O 七五二一一二五七七六 会 費 五 、 000 円 ※お申し込みは、左記あ てに、十二月十八日まで にお願いいたします。 京都部落史研究所 E O 七五回一五一 O 三 一 二 こ ぺ る 事 務 局 ︵ 阿 昨 社 気 付 ︶ m O 七五二五六二二六四 編集・発行者 こベる刊行会(編集責任藤田敬一)

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者 か ら H それは差別ではないか H とか H 差 別 の拡大 ・ 助 長につ ながる H と指摘されても平然とし、 H 差別とはなにか、なぜこ れが差別になるのか H と議論をたたかわせられる人はめったに いない。まして H ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛 みを知っている被差 別 者にしかわからない 勺 差 別する 側 に立っ ている者に、被差 別 者の思いなどわかるはずがない H といわれ て 、 なおかつ対話を試みようとする人はめずらしい﹂。 ︵ 本文より ︶ このような立場・資格が、差別 ・ 被差別の双方から固定化 ・ 絶 対 化 されているとしかいいようがない現実は、実は、差別 ! 被 差 別 の隔絶された関係の反 映 ともいえる 。 い ま、大きく変貌を遂げつつある被差別部落の現実を直視し、 既 成 の 理 論や思想の枠組みそのものの検討を 、 自由な対話をと ι 訂して積み重ねられてこそ、この隔絶された関係の蘇生への道 が聞かれるのではないだろうか 。

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九 号 一 九九 三 年 十 二 月 二 十五日発行︵毎月 一 回 二 十五日発行︶ 一 九 九 三 年 五 月 二 十 七 日 第 三 種郵便物 認 可 定 価 − 内 容 ・ 執 筆 者 紹 介 部 落 青 年 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ ー ︹ 座談会 ︺ 4 7 問 順 二 + 中 島 久 恵 + 灘 本 昌 久 + 山 繊 弘 敏 + 山 本 尚 友 常 織 の 再 検 討 部 落 日 貧 困 の 再 検 討 ・ 山 本 尚 友 不 利 益 U 差 別 の 再 検 討 ・ ・ ・ ・ 援 本 昌 久 現 在 を 考 え る 同 和 事 業 総 括 の 一 視 点 ・ ・ ・ 山 本 尚 友 ﹁ 差 別 語 ﹂ と い か に 向 き あ う か ・ ・ 温 情 本 昌 久 図 書 館 の 自 由 と 差 別 表 現 ・ ・ ・ 0 高木 奈保子 今 日 の 実 態 的 差 別 と は 何 か ・ : ・ 住 回 一 郎 差 別 と 言 葉 の 狭 間 宮 武 外 骨 と ﹁ 穣 事 ﹂ の 語 師岡佑行 差 別 と い う こ と ぱ − − − − 山 本 尚 友 そ し て : 被 差 別 部 落 民 の 内 面 −j i − − 住 田 一 郎 差 別 1 被 差 別 の 現 在 を 凝 慢 す る : : : : 厳 回 敬 一 あ と が き − こ ぺ る 編 集 部 編

− 四 六 判 ・ 並 製 ・ 三 O 四 頁

+ − 定 価 一 二 六 O 円 ︵ 本 体 一 変 竜 門 ︶

同和は

藤 田 敬 一 著 定価八 二 四 円 発行以来すでに 六 年 。 そ の 聞に多くの読者に支 え ら れ 、 数々の詣穫を生ん だ 。 そ し て いまなお新たな読 者 を 獲 得 し て い る 。 部落解放運動の存在恨拠そのものを、差別 ・ 被 差 別 の 関係総体の 中 に伺い直した本書は、寸共同の 営 み ﹂ と し て の 運 動 の 創 出 を 強 く 訴 え る 。

同和は

こ ぺ る 編 集 部 編 定価 一 さ

5

円 ﹁ 批 判 の 拒 否 は 、 結 局 の と こ ろ 自らが H 練 の 王 様 H に なる道しか残されて い な い と 確 信 す る ・ ・ 部落民でな いお前に何がわかるかな ど と は 決 し て 言 う ま い ﹂ ︵ 本 書 よ り ︶ 。 || 解 放 運 動 あ る いは部落問題やさ ら に 諸 差 別 の 問 題にかかわり、その 主 体の有織を深 く 考 え よ う とする人々によ っ て 論 議 さ れ た 機 々 な 滋 論 を 収 録 。

光あるう

| 中 世 文 化 と 部 世 帯 問 題 を 追 っ て | 横 井 清 著 定価 二 三 六 O 円 ﹁ 現 実 の 都 港 問 題 に つ い て はむろんのこ と 、 部 世 帯 史 そ の も の に つ い て も 、 今 後は多数の人前で自らの音声を つ う じ て 悟 る ことも敢えてし な け れ ば 、 読者に活字を と L 訂 し て ・ 告 げ る こ と も ま た ・ : ﹂ ︵ 本書 ︶ 。 ひ た す ら に 内なる心音 の伝え来る差別 意織の波長 に耳傾けできた 著者 が 、 遂 に この一容に独り作 み 、 自 ら の軌跡 を 問 う 。

阿昨社

草 創 冊 市 上 京阪寺 町 今 出川上 ル四丁目 曲 山 町 十四 T E L 自 主 l = 実 l 一 書 固 F A X O 輩 l 三 T ’ 契 畠 三 百 円

参照

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