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アムステルダム南部地区における集合住宅デザインの変遷過程に関する研究 [ PDF

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38-1 1.序 1−1.研究の背景・目的  アムステルダム南部地区(以下南部地区)は、全て の所得階級に集合住宅を供給するため 20 世紀初頭に H.P.Berlage(以下ベルラーへ)が「アムステルダム 南部地区拡張計画(以下南部地区計画)」を作成した 地区である。南部地区には建物の正面に複数の玄関扉 が連続する形式の集合住宅が数多くあり、ゲートや装 飾等によって強調されたファサードデザインは、レン ガ素材で統一された街路の表情をより豊かなものにし ている(図1)。また、当時の粗悪な住宅環境を改善 するため住宅法の施行を始め様々な試みがなされた時 期でもある。これらの特徴的なファサードデザインや 住宅状況の変遷、実態を探ることは今後の社会と住宅 のあり方を考える上でも有意義であると思われる。  南部地区に関する既往研究は、欧米での Vladimir Stissi や Nancy Stieber による当時のアムステルダム

の歴史的背景や住宅事情等がまとめられた研究(1) 代表的である。また、日本では吉良によってエントラ ンス構成に着目した住宅プランに関する研究(2)等が あるが、これらはファサードデザインや住宅の変遷等 の面で実態的な分析が十分には行われていない。  本研究では、この南部地区計画に含まれる地区(図 2)において当時の集合住宅を対象とし、ファサード デザインや住宅建設がどのような影響を受けながら変 遷したのか明らかにすることを目的とする。 1−2.研究の方法  既往文献(3)から集合住宅の建設年と建設者の情報 を、住宅地図から建築面積の情報を得た。さらに現地 調査を行い、写真撮影により 7,124 軒(4)の集合住宅 のファサードデザインに関わる情報を得た。これらの 情報を一つのデータベースとして統合し統計的分析を 行い、南部地区計画の実態を把握する。但し、特殊な 構成となる街区隅部の住宅は対象から除外している。  さらに、本研究では吉良の用いた住宅分析項目であ る「専用性」も利用する(5)。専用性とは、全住戸数に 対する玄関扉の内側が専用空間のみである住戸数の割 合で示したもので、4 階建てで 6 住戸、5 階建てで 8 住戸を一単位としている。本研究では吉良の使用した 5分類(専用性が高い順に①、②、③、④、⑤)(6) 長屋型住宅(7)を加えた6分類を使用する。 2.対象の社会的背景  19 世紀後半、産業革命を迎えたオランダでは大都 市に労働者が大量流入し、住宅環境の悪化と深刻な住 宅不足を招いた。これに対応するため 1902 年に住宅 法(Housing Act)が制定される。住宅法は、建物の 最低基準を設け、貸付金により公的住宅の経済支援を 行うことで住宅環境向上と大量供給を目指した。  アムステルダムでは 1917 年に住宅供給計画の一つ としてベルラーへの南部地区計画が承認される。この 計画では低所得の労働者階級、ホワイトカラーの中流 階級、高収入のエリート階級の三つの階級が想定さ れ、それぞれに合わせた住宅が計画された(8)。また、 ここでは住宅法での住宅建設に際し、様々な機関が審 査を行っており、住宅組合の活動を監督した住宅局 (Woningdienst)やファサードデザインの指導を行っ た美観委員会(Committee of Aesthetics)等がある。 3.住宅建設の変遷  南部地区計画の住宅供給者は二つに大別でき、それ は半公共の非営利組織である住宅組合と民間建設業者 である。当時の住宅政策や供給目的はそれぞれで全く 異なるため以下では住宅供給者ごとに分析を行う。

アムステルダム南部地区における集合住宅デザインの変遷過程に関する研究

森 豊 図1 ファサード例 図2 対象敷地(黒は住宅組合による住宅) Zuid 地区 DePijp地区 Concertgebouw buurt地区 Rivierenbuurt 地区 NoorderAmstel運河 Amstel運河

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38-2 3−1.住宅組合による住宅建設  住宅建設は一般的に設計、承認から 0 〜4年程度後 に完成するものが多いため(9)、1917 年に市に承認さ れた南部地区計画の住宅が初めて完成したのは 1920 年の住宅組合による住宅(以下組合系住宅)であった (図3)。その後次第に建設数が増加し、1923 年には 500 軒を超える住宅が完成している。しかし、その翌 年には建設数が激減、1927 年になると建設が完成し たものはほとんど見られなかった。  このような建設数の変化には当時の助成金制度の変 遷(図4)が関係していると考えられる。住宅組合向 けの助成金制度は主に二種類あり、それは住宅法での 建設費前払い制度である貸付金と、第一次世界大戦に 起因した建材費と貸付金利率高騰に対する緊急助成金 であった(10)。建設数が減少し始めた 1924 年に建設さ れた住宅は 1920 年頃から承認されたと思われるが、 それは緊急助成金の対象が縮小され、助成額も削減さ れ始めた時期と重なる。1927 年に建設がほとんど無 かったのは 1924 年に緊急助成金が完全に廃止された ためであると推測できる。また、1933 年に建設が無 いのは 1929 年から始まる世界大恐慌の影響である。  そして、組合系住宅は建築面積も年代によって 大きく移り変わっている。20 年代前半までは主に Noorder Amstel 運河、Amstel 運河以北の De Pijp 地 区(以下 P 地区)、Concertgebouwbuurt 地区(以下 C 地区)、Zuid 地区(以下 Z 地区)北側で建設が見ら れる。これらの地区での住宅は建築面積 100 ㎡以上 のものがほとんどで後年の住宅よりも大幅に大きいも のが多い(図5)。1927 年を節目に前後半の建築面積 の大小の割合を比較するとそれは明白である(図6)。 ここでは組合系住宅建築面積の二山の分布の境と見る ことのできる 100 ㎡を大小の基準としている。20 年 代後半からは Z 地区、Rivierenbuurt 地区(以下 R 地 区)と建設が進み、建築面積に幅のあった組合系住宅 も次第に 100 ㎡以下の大きさに画一化されていく。  ベルラーへの計画図(11)によると組合系住宅のほぼ 全てが労働者用住宅として計画されている。当時の政 府ではアムステルダムの公的援助住宅が高価で贅沢す ぎるという非難があり(12)、それはこのような 20 年代 前半の面積の大きな住宅を指していると考えられ、当 時の政府は労働者用住宅の基準をまだ模索している段 階であった。そのため、半公共の組織であった住宅組 合はそのときの政府の考えや経済状況により様々に変 動しながら住宅を供給していたことが伺える。 3−2.民間業者による住宅建設  南部地区では民間業者による住宅(以下民間系住宅) は 1922 年から完成し始め、20 年代前半は主に R 地 区と P 地区、C 地区で建設されている(図3)。P 地 区、C 地区の民間系住宅は組合系住宅と同時期に建設 され、建築面積も同様に 100 ㎡以上の大きな住宅が ほとんどであった。一方、R 地区ではほとんどが 100 ㎡以下である。同時期の労働者用住宅でありながら建 築面積に大きな違いがあるが、それは P、C 地区では 民間系住宅建設以前に組合系住宅が建設されていたこ とが関係しているだろう。住宅組合は民間の手本とな ることが求められた(13)と言うように、ここでは組合 系の大きな住宅を基準とし統一感のあるよう民間系住 宅も建設されたと考えられる。一方、R 地区では民間 系住宅が先行して建設されたので、効率よく土地利用 組合系 民間系 建設数(軒) 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926 1927 1928 1929 1930 1931 1932 1933 1934 1935 1936 1937 1938 1939 1940 600 500 400 300 200 100 0 500 400 300 200 100 0 140-160 160-180 180-200 200-300 60-80 40-60 80-100 100-120 120-140 Z 地区 R 地区 C 地区 P 地区 建設数(軒) 建築面積 (㎡) 年 建材費 貸付金 緊急助成金 1916 戦前の 150% 1923 戦前の 150% 1919 戦前の 350% 総額 : 1 億 7300 万ギルダー 国と市が建材費、利率高騰分を負担 1924 例外を除いて対象を制限 廃止 1921 総額 :1 億 8300 万ギルダー( 対象 :260 立米以下 ) 半ば一時中断 運営費の 30%までに削減 1922 運営費の 10%までに削減( 対象 :4 室以下の住宅 ) 1920 下降し始める 運営費の 30∼50%に削減 ( 対象 :300 立米以下 ) 1918 市が中流階級向け助成を開始 図3 供給者別住宅建設数 図5 地区ごとの建築面積別住宅数(組合系住宅) 図4 住宅組合向け助成金制度の動き 図6 前後半での建築面積割合の変化 <100 ㎡ 35% 100 ㎡ 65% 100 ㎡16% <100 ㎡84% 前半 (1927 年以前 ) 後半 (1927 年以後 )

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38-3 のできる、より小さな住宅が建設されたと推測できる。  20 年代後半には建材費が低下した(14)こともあり、 建設量が急増し、世界大恐慌の影響がある 1933 年頃 を除き、30 年代半ばまで大量建設が続く。この時期 の建設は R、Z 地区で行われた。R 地区での住宅の建 築面積は 60 〜 120 ㎡が多く、Z 地区では 100 ㎡を境 にして二分するように住宅が建設されている(図7)。 ベルラーへの計画図では R 地区には中流階級と労働 者階級、Z 地区にはエリート階級と労働者階級の住宅 が割り当てられており、ここで労働者用住宅を 60 〜 100 ㎡程度、中流階級向け住宅を 100 〜 120 ㎡前後、 エリート階級がそれ以上の住宅とすれば、この分布が 如実にその階層性を示していると言える。 4.ファサードの分析 4−1.ファサードの要素  組合系住宅 2,165 軒を対象としてファサード分析 を行う。凹凸の無い壁面で、均質な窓割り、扉配置で あるものを標準のファサードとし、それに対しデザイ ン的に付加されていると判断できる要素、「出窓」「階 段室の窓(15)」「彫刻的装飾」「バルコニー」「エントラ ンスゲート」「ストゥプ(16)」を抽出する(図8)。こ れに「屋根形状(17)」を加えてファサードの分析を行う。 4−2.ファサードの変遷  南部地区計画の初期に当たる 20 年代前半に建設さ れた住宅ではほとんどのファサード要素が比較的多く 見られる(図9)。助成金の影響が大きかったと考え られる 1927 年以前(以下前半)とその後(以下後半) の割合を比較すると特に「階段室の窓」と「彫刻的装 飾」では前半が圧倒的に多い(表1点線枠内)。また、 「ゲート」「ストゥプ」も軒数自体は少ないが前半の方 が多い。「屋根形状」では初期には「切妻屋根」が多かっ たものの次第に「陸屋根」が増加していく様子が伺え る(表1実線枠内)。30 年代半ばからは「階段室の窓」 「装飾」「ストゥプ」は建設されていない。  南部地区計画ではファサードの審査、決定は美観委 員会が行っていた。1920 年頃は同委員会のメンバー は表現主義的思想を持った建築家集団、アムステルダ 1000 1200 1400 800 600 400 200 0 140-160 160-180 180-200 300-200-300 60-80 40-60 80-100 100-120 120-140 Z 地区 R 地区 C 地区 P 地区 建設数(軒) 建築面積 (㎡) 図7 地区ごとの建築面積別住宅数(民間系住宅) 図8 ファサード要素の例(左上から「出窓」「エントランスゲー ト」「階段室の窓」「バルコニー」「彫刻的装飾」「ストゥプ」) 出窓 100% 0% 50% 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1935 1938 バルコニー 100% 0% 50% 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1935 1938 エントランスゲート 100% 0% 50% 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1935 1938 彫刻的装飾 100% 0% 50% 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1935 1938 階段室の窓 100% 0% 50% 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1935 1938 ストゥプ 100% 0% 50% 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1935 1938 屋根形状 100% 0% 50% 1920 1922 1924 1926 1928 1930 1932 1935 1938 あり 屋根形状 ファサードの要素 なし 切妻屋根 陸屋根 建設数 48 143 180 508 119 157 168 6 66 65 80 117 136 143 40 80 72 31 建設年 1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926 1927 1928 1929 1930 1931 1932 1934 1935 1936 1938 1939 図9 ファサード要素別に見た住宅建設割合 建設年 出窓 階段室 装飾 バルコニー ゲート ストゥプ 陸屋根 切妻屋根 全建設数 前半 37.0 34.2 36.2 18.6 14.9 5.0 38.0 62.0 1299 軒 後半 33.7 9.6 7.4 23.3 11.6 0.0 53.5 46.5 836 軒 ※建設年が不明の 30 軒を除く。 表1 前後半でのファサード要素建設割合の変化(%)

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38-4 ム派がほとんどであり、美観委員会の決定はアムステ ルダム派の決定と言っても過言ではなかった。アムス テルダム派は「労働者住居を宮殿に」と言うスローガ ンのもと機能的かつ表情豊かな建築を労働者向けに 作ることを目的としていた(18)。そのため、1920 年か ら承認を受けたと思われる前半の住宅には多くのファ サード要素が付加されたと考えられる。1923 年にア ムステルダム派の代表的建築家 M. de. Klerk が没し た後はその力も次第に弱まり、その反動として新即物 主義が強まる。その結果、20 年代後半から 30 年代 前半にかけて建設された住宅にはどのファサード要素 もほとんど見られなかった。30 年代半ばからは装飾 的な意味合いだけでなく採光等の機能面でも有効と考 えられる「出窓」が 1938 年を除いて 8 割以上の住宅 にある。表現主義の反動として無駄な装飾は極力無く しながらも、機能的にも有効な「出窓」を使うことで 表情のある街並みを形成していったと考えられる。 4−3.ファサードと専用性の関係  ファサードと専用性の関係で特徴的な点は二つあ る。それはまず、専用性①グループと長屋型住宅で「切 妻屋根」が多く、「ゲート」が見られないことだ(表 2 点線枠内)。①グループと長屋型住宅はともに玄関 扉を入れば全てが住戸専用空間の専用性の高い住宅で ある。オランダ人にはもともと戸建住宅への憧れがあ ると言われており(19)、そのため複雑な動線を使うな どして高い専用性を確保した住宅が数多く見られる。 ①グループと長屋型住宅はその典型で、そのため屋根 形状にも戸建住宅と同じ「切妻屋根」を採用したと考 えられる。また、ゲートは複数の玄関扉を一つのポー チでまとめ、集団としてのまとまりを象徴するもので あるため、個別の玄関扉として表現したかったこれら の住宅では採用されなかったと推測できる。  そしてもう一つは、専用性の低い④、⑤グループの 住宅で「階段室の窓」が多くデザインされていること である(表 2 実線枠内)。これには住宅内の動線が関 わっている。専用性の低い④、⑤グループでは1F か ら共用階段が存在し、さらに階段室は採光のため道路 側に配置することが義務づけられていた(20)。そのた め、これらの住宅では採光を確保しつつ集団としての まとまりを表現するよう、一体的にデザインされた「階 段室の窓」が多く採用されたと考えられる。これを裏 付けることとして、コミュニティーの考えを持って集 団のアイデンティティーを尊重した社会主義系住宅組 合は専用性④、⑤グループの住宅を多く建設している。 5.結  本研究では、南部地区の集合住宅が当時の社会情勢 や制度の影響をどのように受けながら移り変わったか を明らかとした。特にその影響は組合系住宅において 顕著であった。政府の経済支援が豊富で、かつアムス テルダム派の全盛期であった南部地区計画初期には建 築面積が大きく、より装飾的な住宅が数多く建設され た。その後、公的支援住宅が贅沢過ぎるという声が政 府内で高まり、経済支援も縮小され、さらにアムステ ルダム派が衰退していくにつれ、より小さく装飾も少 ない住宅へと画一化された。ファサードは政治的ツー ルでもあった(21)と言うように、政府の動きが直接的 に住宅に反映されている。この背景にはアムステルダ ムで住宅審査体制がしっかりと築かれていたことがあ るだろう。今後は政府の考えを実現する媒介であった 組合系住宅に対し、民間系住宅がどのような影響を受 けていたのかを検証し、住宅供給における公共のあり 方を考察することが課題である。 【注釈】 (1) 参考文献 (b),(e)(2) 参考文献 (k)(3) 参考文献 (a),(e)(4) 住宅内の界壁で 区画された一棟を一軒とする。(5) 参考文献 (k)(6) それぞれ専用空間のみ の住戸数は① 6/6(8/8) 住戸 , ② 4/8 住戸 , ③ 2/6 住戸 , ④ 2/8 住戸 , ⑤ 0/6(0/8) 住戸 (7) 界壁のみを共有し住戸が積層しない集合住宅。(8) 参考 文献 (f)pp.44-45(9) 参考文献 (e) 付録データより判断した。(10) 参考文献 (e)pp.19-25(11) 参考文献 (a)p.31(12) 参考文献 (b)pp.149-154 (13) 参考 文献 (b)pp.125-126(14) 参考文献 (e)pp.19-25(15) 階段室部の窓を一体的、 あるいは彫刻的にデザインしたものを指す。(16) 前面道路と平行に配され た前階段のこと。(17) 切妻屋根と陸屋根がある。(18) 参考文献 (j)(19) 参 考文献 (b)p.140(20) 参考文献 (g)p.27(21) 参考文献 (b)pp.215-218 【参考文献】

(a)F.F.Fraenkel,"fraenkel het plan amsterdam-zuid van berlage" (b)Nancy Stieber,"HOUSING DESIGN AND SOCIETY IN AMSTERDAM - Reconfiguring Urban order and Identify1900-1920",The University of ChicagoPress,1998

(c)The City of Amsterdam's Physical Planning Department,"planning amsterdam Scenarious for urban development 1928-2003",NAi Publishers,2003

(d)Susanne Komossa,Han Meyer,Max Risselada,Sabien Thomaes, Nynke Jutten,"Atlas of the Dutch Urban Block",THOTH Publishers Bussum,2005

(e)Vladimir Stissi,"Amsterdam,het mekka van de volkshuisvesting Sociale woningbouw 1909-1942",Uitgeverij 010,Rotterdam,2007 (f)"planning amsterdam Scenarious for urban development1928-2003", 2003,NAi Publishers

(g)H.VAN DER KAA,"THE HOUSING POLICY IN THE NETHERLANDS ",1935,Geneva:League of Nations (h) ドナルド・I・グリンバーグ 著 , 矢代真己 訳 ," オランダの都市と集住 多様性の中の統一 1900–40", 住まいの図書館出版局 ,1990 年 (i) 角橋徹也 , 塩崎賢明 ,"20 世紀アムステルダムの計画綱領と成長管理に関 する研究 ", 日本建築学会計画系論文集 ,No.555,pp.231-238,2002 年 5 月 (j) 下瀬哲郎 , 延藤安弘 ," アムステルダムスクールの建築思想の一考察 ", 日 本建築学会大会学術講演梗概集 ,No.9199,pp.1115-1116, 昭和 62 年 10 月 (k) 吉良直子 ," アムステルダム南部地区における集合住宅のエントランス構成に 関する研究 ", 日本建築学会大会学術講演梗概集 ,No.9358,pp.715-716,2009 専用性 その他長屋 出窓 階段室 装飾 バルコニー ゲート ストゥプ 陸屋根 切妻屋根 全建設数 ① 11.9 0.0 69.5 32.2 0.0 0.0 3.4 96.6 59 軒 ② ③ ⑤ ④ 42.9 3.7 49.3 20.5 12.8 17.4 52.5 47.5 219 軒 26.2 0.5 17.0 19.8 16.3 0.0 49.6 50.4 405 軒 35.1 39.0 28.9 33.4 18.3 0.0 31.2 68.8 356 軒 35.0 41.9 25.4 22.7 13.1 3.1 49.6 50.4 881 軒 73.1 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 100.0 93 軒 40.8 3.9 7.9 0.7 10.5 10.5 48.7 51.3 152 軒 全体 35.6 24.2 25.7 21.4 13.4 3.0 43.4 56.6 2165 軒 表2 専用性別ファサード要素を持つ住宅の割合(%)

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