Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Society foi theStudy of Pali and Buddhist Cultuie
[rx]
Saddaniti
o
mePma
o
IRFallft
ec
D
u
>"(whEa:・gEcD
kala
5>ffuege.
>slr[P,ptt
L
-(za
ve
lj--RK
Some
Distinguishing
Features
Found
in
the
Discussion
ofthe LSZicidaniti:
With
Special
Reference
to
the
Unique
Classifications
ofKa-las ofVerbalEndings
Watanabe,
Y6ichir6
Ever
since the earliestPEIi
grammatical
werk, theKlaccdyana
(=kbcoj,
written
in
the
seventh century, all verbal endings(vibhatti),
including
imperative
ending(paficamTvibhatti),
optative ending(sattamTvibhatti)
and conditional ending(kaljtipattivibhatti),
have
been
interpreted
as marks thatrepresent specific
kinds
ofhala
commonly understood as Ctime'.With
this rough classification,it
is
highly
likely
that theKbcc
does
not make cleardistinction
between
the
two
grammatical
categories of `tence' and `mood.'
Commentaries
on theKdcc,
such as theMbekhamattadipani
(=
Mmop
(11
CE)
and theRiipczsidohi
(1
1-12
CE),
discuss
theinterpretation
ofktiilas
in
theKZ
ccin
a moredetailed
manner.The
Mma
fbr
exarnple,displays
a strainedinterpretation
to equatehala
withhara
i,e.
krtydi
`action' with the aim of showingboth
the
imperative
andthe
optative endingsdenoting
the
present
time
(paccuppannaktila),
In
thisunderstanding,the
imperative
ending,for
example,denotes
both
thepresent
time(paccuppannakola)
and theimperative
action(a-n.
attikjla).The
Mmd
switchesbetween
two aspects of themeaning ofka-la
asboth
`time'and `action'
depending
onthe
context.
The
SZxcidanfti
G
StidtV,
one of the most elaborategrammatical
works writtenin
Pali
composedby
Aggavarpsa
in
the
twelfth century, attempts to56
パ ーリ学 仏 教 文化 学on
the
basis
Qfthe
analysis of accounts citedfrom
canonicalPali
texts.This
paper
,by
means of exploringthe
way ofdiscussion
ofSadd
regarding someclassif『cat{ons of
k
々1
αs, will clarify the
distinguishing
characteristic ofthis text
as
being
a summary of the wholehistory
ofPliligrammar
.キーワー ド :パ ーリ文法学
,
Saddaniti
, Kaccayana ,時制, kala1
. は じ め に上座 部 仏 教で は , サ ン ス ク リッ ト語の 文 法学を基 礎 とし, パ ー リ語で 著
述さ れ たパ ー リ語の 文法学が
存
在 す る。 忌arvavarrnan に よっ て4
世紀 に編まれ た
Katantravyakararpa
(
Kat)
を も とに し たKaccayanavyakara
ロa(且)(
Kacc
)
・の ス ッ タ部分 が その 最 初 の もの で, お よ そ7
世 紀 に成立 して い る。 こ の後
,Kacc
の 最古
の 注 釈で あ るKaccayana
−vutti(
Kacc
−v)
が サ ン ス ク リッ ト文法学文献
KaSikavPtti(
K
副 の 影 響を受け る形で , お よ そ8Ei
:紀 に成立 して いる(2)。 こ の
後
Kacc
,Kacc
−v へ の注 釈 と し て,l
l
世 紀にMukhamatta
(Ilpani
(
Mmd )
が 出 現 す る。 さ らにll
−12
世 紀
にKacc
の ス ッ タ を語 形 派生 の 順 番 を踏ま えて 並 べ替
え ,再
編 集 した 上で 注 釈 を施 すRapasiddhi
(RUp
)が 著 述 さ れ て い る。 こ れ はパ ーニ ニ 文法 に お け るRUpavatara
,Prakriy5kaumu
(IT
,Siddhantakaumudr
に比せ られ よ う。こ う した背景の も と,パ ー リ文法学のな かで最も大き く複 雑な書 物の一つ
で ある
Saddaniti
(
Sadd
)
が12
世 紀 ビル マ に て,Aggavarpsa
に よっ て記 され た。Kacc
,Kacc
−v を尊
重 しつ つ も,諸
所に新
しい 説を打ち 立て, 同時に文 法学 に留 ま ら ない 豊
富
な議
論を含む。 ほ ぼ同 時 期に成立 し たMoggallanavyakararpa
(
Mogg
) とKacc
とSadd
の3
つ を もっ て パ ー リ文 法学の 主要3
学 派 とみな す点に
関
して は諸学者
の同意す る とこ ろ となっ てい る。Sadd
は 第1
巻Padamala
, 第2
巻DhatUmala
,第3
巻SuttamAIE
の 合 計3
巻か ら構 成さ れ て い る。
第 2
巻DhatUmala
は, そ の名の 通 り,DhatUpatha
(
語 根 集 成 )
に対 す る注
釈で あ り, お お よ その 主題
は掴
み や す く,第 3
Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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Saddanitiの 議論の 特徴につ い て
57
れ も, 文 法 学文
献 と し て は分か りや すい構 成
と な っ て い る。 しか し第 1
巻Padamala
に関
して は語 根bhi
と, こ の 派生 語の 注 釈, 活 用 ・ 曲 用 表(
padamala )
の解 説
か らは じ まるもの の,関連
す る文
法事項
に網羅
的に触れ てい く構 成を取 り,代 名 詞 ・数 詞 ・絶 対詞の解 説 も行う。 この巻で は ス ー ト ラ体が 用い ら れず, 韻 文 と散文 との 混 交体で構 成され る。 議論の 内容は多
種 多様で , ときに逸
脱 と思わ れ る記述
も多
く,全体
の構成
が きわめ て把握
し づ らい 。第1
巻は, ある個 所で は第3
巻の議 論の 前提 となっ て い る点を先立 っ て論
じて い るか と思え ば, ある個 所で は両 巻の 議 論の 内容は微 妙 に齟 齬を き た してい る部
分 も あ り,第 1
巻の解
明はSadd
の 著者
で あ るAggavarpsa
の 思 想 理解 の 上で 欠かす こ と が で き な い 。H
.Smith
に よ るSadd
全体の 校 訂テ キ ス トが1928
−30
年に出版 されてい るもの の , 現 在 までSadd
に対 す る本 格的 な研 究は少な く, 全 体の 殆 ど は謎に包 ま れて き た。 わ ずか に,[Kahrs
l
992
] な どの 優れ た研 究 も存在 す る が , その 重 点は第3
巻Suttamala
の議 論に おか れて い る。こ うし た現 状 に鑑み, 本 研 究 は
Sadd
第1
巻Padamala
の内容
を解
明すべ く, 具体 的 事例 として ,動 詞 語尾の 時 間分類 に関す る議論の 読 解を行う。 こ の箇
所は先 述 した過 去の 文 献の 内 容が豊 富に踏ま え られ たテ クニ カル な議論
の一 つ で あ り,Sadd
の 歴 史 的位 置づ けを考え る格 好の 材 料で あると ともに,Suttamala
に お け る動詞語尾の 議 論を 理解す る上で も重 要で ある。先 述の と お り,
Sadd
はKacc
を始め とす る過 去の 文 法 学 文 献を尊 重す る立 場 を とるた め,Sadd
以前の 文献の 知 識が必 須 と な る。 その た め に,本 論 文の構 成 とし て は, まず
Kacc
,Kacc
−v が動 詞 語尾 全体を ,何 らかのkala
「時 間」を
表
わ す もの と して提示 し, そのた めに 命令
法 や願 望法 とい っ た mood を表
す語 尾 に も何 らか の 時 間の カ テ ゴ リーを与 えな け れば な ら なか っ た点を示 す。 続い て,Mmd
,Rnp
が,Kacc
,Kacc
−v を どの よ うに整 合 的に理解 し よ う としたの か を紹 介す る。 次に,Sadd
が,Kalasarpgaha
「kala
の ま とめ」 とい う節に お い て , これ らの 文法 学の 伝 統を受けて , どの よ うに時 間を理解
し, 分類 したの か を論 ず る。 N工 工一Electronlc Llbrary58
パ ーリ学 仏 教 文化学2
.Kaccayanavyakarana
,Kaccayanavyakarana
−vuttiに 見 られ る
分 類
まず,
Kacc
,Kacc
−v の 動詞語
尾 の 体 系は 以 下 の とお りで ある。 本 論で 問題 とす る点に は筆 者が下 線を施し, その よ う な箇所 の 訳 文に 関 して はKacc
に 対 する全訳
で ある[
Senart
l
871】
に暫定的
に従
っ た 。 これ は従来
の 理解
を示 す た めで あ り,後 述す る よ うな 後 世 の 注 釈 と比 して どち らが よ り正 当で ある か を筆 者が判 断 し た もの で はない 。Kacc
415
:k21e
(3).Kacc
−v415
;k
翫le
ti
adhik 盃rattharp veditabbam「時 間の 意 味で
」 (
kdle
)とい う[
ス ッ タ]
は支 配規
則(
adhikara)
の意味
で[
提
示さ れ る]
と理解 され るべ きで あ る。Kacc
416
:vattamanapaccuppanne
(4).Kacc −v
416
:paccupp
ek
翫le
vattam 跏 vibha 廿i
hoti
.現在
(
paccuppanna )
の 時間の意味
で , vattamana 語尾が導入 され る。Kacc
417
:apattyasitthe
’nuttak 且le
Kacc
−v417
:apattyatthe
caasiCthatte
ca anuttak 亘le
paficamivibhatti
hoti
.時 間の 決 定の ない
(
anuttakala ), 命 令(
a
ロatti)
と祈 願(
asi
其ha)
の意 味で 、paficamT
語尾(5)(
命 令法語尾)
が導入 さ れ る。Kacc 418 :anumatiparikappatthesu sattamT .
Kacc
418
−v:anumatyatthe caparikappatthe
ca anuttakale sattamivibhattihoti
.時 間の 決定の ない
(
anuttakala)
, 同意(
anumati)
と想 定(
parikappa)
の 意味で sattami 語 尾
(
願 望 法語
尾)
が導
入 され る。Kacc
419
:apaccakkheparokkCh
亘tite.Kacc
−v419
:apaccakkhe atτte
k
巨le
parokkhavibhatti
hoti
.直 接 経 験 して い ない
(
apaccakkha)
過 去の 時 間 の 意 味で ,parok
a語 尾Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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Saddanltiの議 論の特 徴につ い て
5g
Kacc
420
:hTyopPabhutipaccaklChe
hTyatta1
〕工Kacc
−v420
:hfyoppabhutiatite
kEle
paccakkhe v巨 apaccaklthe v互hTyattanTvibhatti
hoti
昨
日 か らの[
以前
の]時間
の意味
で,直接経
験されて い な くて も, 直 接 経験さ れて い て も,
hiyattani
語尾(
未 完 了語 尾)
が導入 され る。Kacc
421
:samipe ’jjatanl
.Kacc
−v421
:ajjapPabhuttiatitekEle
paccakkhe
va apaccakkhe va samTpeajjatanTvibhatti
hoti
.今
日か らの 時 間の 意 味で, 直 接 経験されて い な くて も,直接経験
さ れていて も, 近 くの 時 聞で あれ ば ,
ajjatanT
語 尾 (ア オ リス ト語尾 )が 導入 さ れる。
Kacc
422
:m 琶yoge
sabbak51e ca.Kacc
−v422
:hTyattanr
ajjatan
τicc
eta vibhattiyo yadel m5yoge tada sabbakale cahonti
,ma 厂〜 して は な らない
」 との 結 びつ き が あっ た場 合, すべ て の 時
間
で,hiyattan
τ語 尾 とajj atani 語 尾が導入 され る。Kacc
423
:anagatebhavissanti
.Kacc
−v423
:anagatekatle
bhavissanti
vibhattihoti
.未 来の 時 間の 意 味で,
bhavissanti
語 尾が導入 され る。Kacc
424
:kiriy
五tipanne ’titek
葱1
巨tipatti
(6).Kacc
−v424
:kiriy
蕊tipannamatte atTtekale
kalatipattivibhatti
hoti
.行 為 が
実
現 し な か っ た(
kiriyEtipanna
)
限 りの 過 去 の 時 間 の 意 味で ,kalatipatti
語尾(
条件 法語尾)
が導入 され る。 こ こ で,kala
を 「時 間」 と理 解 するの は 【Senart
l
871
:224
]の 仏 訳を踏ま えた もの で あ る。 こ こ で は,Kacc
415
が支 配 規則 とな り, すべ て の 動詞語尾 が, その意味 内容
と して , 何 らかのkala
「時 間」 を与え られ てい る。Kacc
の動
詞体 系
で は, 厂過 去 ・未 来 ・現在」 な どの 時 間を表現 す る カテ ゴ リ ーで あ る N工 工一Electronlc Llbrary
60
パ ーリ学 仏 教 文 化 学tense と, 命令や 願望 とい っ た話 者の 態 度を表現 す る mood を区別 し な い で ,
8
つ の 動 詞 語 尾の 組 (vibhatti )がkala
「時 間」 の 基 準 の み か ら記 述 されて
い る こ とに な る。 勿 論, tense とmood と は, 完 全 に区別で きる概 念で は な
い が ,
Kacc
の記 述 は極 端な印 象を 与 える。Kacc
,Kacc
−v の み を考 慮す れ ば [
Senart
1871
亅の 理解
を待たず と もか か るkala
と は 「時 間 」 以外に理解 し よ う が無
い よ うに思 え る だ ろ う。 し か しなが ら注釈伝統
は, こ のKacc
415
に 見 られ るkala
を必ず し も 「時 間 」 で あ る とは 理解 して い ない 。 更に問 題 と な るの は,Kacc
416
,417
で 扱わ れ る, 命 令 法 語 尾 と願 望 法語 尾に付 与さ れ た 時 間であ る anuttakala とい うパ ー リ文
法学
独自
の概
念 と ,Kacc
424
で述べ ら れ る条 件 法 語尾 が , 過 去とい う時 間の み を 与 え ら れて い る とい う点で あ る。 この な かで , anuttakfila に 関 して は [Senart
1871
:2251
に ‘‘sansd6termination
de
temps ” 「時間
の 決定の ない 」 と訳 語が与 え られて い る が , こ の 語の 意 味に関 して は 注 釈者た ちの 問で 意見の 相 違が 見受 け られ る。 また, 条件 法 語 尾に関して, パ ーニ ニ の 規 定で は,
Pan
3
.3
.139
:Iin
−nimittelpit
kriy
亘tipattau
「
1in
(未来語
尾の マ ー カ ー)
の契機
が あ り,行為
の非
実 現が あっ た な らばlh
(
条 件 法語尾 のマ ーカー)
が 導入 さ れ る」P
麺3
.3
.140
:bhUte
ca 「[
未 来だ けで な く] 過 去 の 意 味で も」 と述べ られて い る よ うに, 条 件 法が未 来 ・過 去の い ずれ の 時 間に も起 こ る と述べ られて い る。 こ の こ と か らpa4
,Kacc
の 両 者の記 述 に 違 い が ある よ うに見 られ る点が 理解で き る。 次節
で は,Kacc
の 注 釈で あ るMmd
,RUp
に おけ る, これ らの 問 題に対す る議論を紹 介 し た い 。3
.MukhamattadipanT
,Rapasiddhi
の解
釈
(1
) 支配規 則kale
に対 する解 釈ま
ず
は,支配規
則で あ るkala
が 「時間
」 を意味
す るの か とい う観
点か らKacc
注 釈 文 献 群は問 題 と して い る。 現 存 す る最 古のKacc
注 釈で あるMmd
の議 論を 引用し て み たい 。 以 下, ダ ン ダ等 はや や 冗長だ が 全て 刊本の表 記に 従 う。Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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Saddanitiの議 論の特 微につ いて
61
Mmd
Be
414
(adKacc
416
:vattamanapaccuppanne
)
:kimattham
ida
正p
/paccuppanne
k
亘le
vattamanavibhaUiyohonti
ti〃fi
巨panatthaTp
!1
dvipadam
idarp
f
k51aggaha
」lamidhanuvattate
1
tenapaccuppanna
k
巨le
vattamfinavibhattiyohontity
attho 〃 ettha ca
k510
nAmak
巨ro !k
互ro nEmakriy
互(7)1tathE
hi
k510
ti“kara
kara
阜e” tim assaladdhadh
巨tUsafifi2dissa
karapalp
k
五roty
atthe “visarujapadAditopa
”[
Kacc
530】ity
翫nvattamane “bh
五ve ce”LKacc
531亅
it
pa
−paccayam
‘‘karita
靼viya nubandho ”
[
Kacc
6231
tik
百ritamiva
katv5
‘‘k5rit5nalp
po
lopan
”[Kacc
525
]iti
paloparp
katv
匪‘‘asalpyogantassa vuddhi
karite
” [Kacc
485j
tikak
翫re ak亘rassa vuddhilpkatv
δ‘‘do
dhassa
ce”[Kacc
20
]ti ettha caggaha 阻ena raki贓dese
kate
rUpalp !tasms paccuppannakriy 巨yagamyam5nZya
vattam5navibhattiyohontity
atthogantabbo
〃 ettha cakalassatit
亘n瓦gatapaccupPannanattiparikapPa
−kalatipattivasena
chadh 五bhinnatt
且paccupPanne
ti viseseti !tattha c且tito tividhoatitaparokkhE atitahiyyattani atTtaajjattanT ti〃te cuttariye vE
pi
(8>bhavissanti
11
これ は ど うい う意 味か。 現在の 時 間の 意 味で ,現在 語尾 (vattamanavibhatti )が起 こ る と知 らせ るため で ある。 こ
[
の ス ッ タ]
は2
つ の 語か らなる。kala
とい う語
の 使用が こ こ で は匚
Kacc
415
か ら]
機 能 継 続 して い る。 これ に よ っ て , 現 在 の
k51a
の 意 味で , 現 在 語 尾が 起 こ る とい う意 味で ある。 また ,こ の な か で ,
kala
とはkara
で あ る。kara
とは 行 為(
kriyE)
である。 とい うの も,
kala
とは,「
為
す こ と」
(
kara
ロa)
とい う意味
で ,kara
とい う語 根(9)
(
dhStu
)
な どの 名 称 を得た こ[
の 要素 (
=kara
)
]
に, 「為
す こ と」
(
kara
ロa)
す なわ ちkara
とい う意 味が あっ た な らば,Kacc
530
:visa 吋apa 面
dito
胆 「visa , ruj a,pada
な どの[
語根の]
後にpa
接 辞(
paccaya)
が導入 され る」 [とい うス ッ タの na]が機 能 継 続 し て い るの で ,
Kacc
531
:bhave
ca 「動 作(
bhava
)
の 意 味で も[
語 根の 後に]
箪a 接 辞が導 入 される」の で あるか ら
[
導
入 され た]
rpant
辞が ,Kacc
623
:k
亘ritarp viya nanubandho「p 音を anubandha と し て 持つ
[
接 辞 は]
使 役 接 辞(
karita
)
の よ うに理解
さ れ る べ きで あ る」 で あ るか ら,使 役 接 辞 の よ うに さ れ,Kacc
525:karitanam
4010pan
「使
役接
辞に属す るilt音
が消 去され る」 か ら, ロが消 去62
パ ーリ学 仏 教文 化 学さ れ て,
Kacc
485
:asamyogantassa vuddhikarite
「結 合 子 音
(
samyoga)
で 終わ ら ない 語 根に は vuddhi 音の 代 置が起 こ る。 使役 接 辞が後 続 し た場 合」 で あ るか ら, [語 頭の ]ka
音の a 音に vuddhi の 代 置が起 こ り [kara
とい う語 形が実 現 し た]
あ とで ,Kacc
20
:da
dhassa
ca 「[母音が後 続す る場 合 に]
あ ると きに はdh
音にd
音も代 置 さ れ る」 とい うこ の ス ッ タ で の ca と い う語の 使 用に よっ て , r音の 代 わ りに1
音
が代 置 された場 合の 語形“o)で あ る か ら。 な の で ,現 在の 行 為 (paccuppanakriya
)が 理 解 さ れ て い る場 合 に現 在語尾(
vattamanavibhatti )が導入 され る とい う意 味だ け が 理 解さ れ るべ きで あ る 。 ま た, こ の な かで 行 為(
k51a)
とは, 過 去(
atita)
・ 未来 (
anagata)
・現 在(
paccuppanna )
・命 令(
anatti
)
・想 定(
parikappa
)
・行 為の 非 実 現 (k
琶15tipatti
)に よっ て,6
通りに分け ら れ て い る か ら, 「現 在 のkala
に 」 と[
Kacc は]
言っ て 限 定 して い るの で あ る。 そ の なかで も過去
は3
通 り。直 接経
験 し て い な い 過 去(
atTtaparoklCha)
・昨 日[
以前]
の 過 去(
atitahiyyattanT)
・今 日の 過 去(
atTtaajjattani)
とで。 それ 以 外が未 来(
bhavissanti
)
で あ る。上 記の議 論で 特に注 日す べ きは
Kacc
20
を用い てkala
をkara
と し て 強 引に読み
変
えて い る点で ある(ll)。 この 理解に従え ば ,命 令 法 語尾のkala
「時 間 」 が過 去 ・未来
・現在
とい う時 間の なか で,一体どこ に存
在す るの か とい っ た 問題
に悩ま され る必要は な く,単に 「命 令の行為」 で ある と理解
す れ ぼよい こ とに な る。 これに よっ て 支 配規 則Kacc
415
:kale
の 理解は容易 に な るだ ろ う。 ま た, こ の理解
で はMmd
はkriya
と してのkala
を6 種
類 列 挙す る。(
2
)
anuttakala に対
する注釈
で は引き
続
い て,Mmd
に お ける anuttakala とい う語
の 理解
を見て み たい 。Mmd
Be
415
(adKacc
417
:的aty 亘si其he
’nutta 圃 epaicamT >
:kim
atthamidalp
1
Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
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SaddanTtiの議 論の特徴につ い て 63
tipadam
idalp
!kElaggahapam
ih
互nuvattate 〃 ettha ca 巨ロattTty 且p
匪panalp
!asisattho
ti
pasams
亘〃 [解
釈
1
]anuttak 訓oti
samipe vuttakElo !!anu −saddo
hi
samTpatthav 百ci !tasm 互 亘啅panatthe
capasa
靼satthe cagamyamane
paccuppa
皿 ekEle
paficamivibhattiyo
honti
ty attho 〃imasmirp
pana
pakkhe
麺aty 五
dTnalp
vattam 巨natthe satipi
a諏pan5adigu
翠avisitthatt 翫punaggaha4am
katan
ti veditabbarp 〃[
解
釈
2 ]
utto
kalo
yassa
so uttak 翫lo
〃 na uttak互lo
anuttakalo
1
tasmirp anuttak21e1
evam sati anuttak巨le
琶pApanatthe
capasaipsatthe
ca
paficamTvibhattiyo
honti
ti
attho /kalam
anen 翫masitva 五ロattiyalppasalpsatte
ca(且2>
paficamTvibhattiyo
honti
ti vutta卑hoti
/1
idha
pana
pubbapakkhavasena
vinicchayo
gantabbo
〃 こ れ は ど うい う意 味か。 命 令(
帥 atti)
の 意 味,祈 願 (asisa
)の 意 味で, anuttakala の意味
で,命令
法語
尾(
paficamivibhatti
)
が導 入される と知 らせ るため で あ る。 こ[
の ス ッ タ]
は3
つ の語
か らな る。kala
とい う語の 使用 が , こ こで は機 能 継 続 し て い る。 ま た, こ こ で は命 令(
atti)
と は 「命令
する こ と」(
apfipana
)
とい うこ とで ある。 祈 願(
Esisa)
の 意 味 と は賞
賛(13>
(
pasamsa
)
で あ る。[
解 釈1 ]
anuttakEla とは近 くで(
samipe)
述べられ た時 間
(
vuttak51a)
とい うこ とで ある。 な ぜ な ら ば, anu とい う語は, 近 く(
sam1Pa)
とい う意 味 を述べ る か ら 。 従っ て , 命 令の 意 味 と賞 賛の 意 味が 理解
されて い る場合
で は, 現在
の 時 間の 意味
で,paficamrvibhatti
が 起 こ る とい う意 味で あ る。 しか し, こ の 立 場 で は,命 令な どに vattamana[
語
尾の持
つ , 現在時 (
paccuppa
akala)]
の 意 味が あっ たの だ と して も,命令
な どの性質
に よっ て[
現 在 時がコ
限定
される か ら,[
現 在 時が]
再 言 及 さ れ た と理解 さ れ ね ぼ な らない。 [解釈2
]それの 時 間が 述べ られた もの , そ れ が uttak51a で ある。 uttakala で ない か ら, anuttakala で ある。 その
anuttakala の意
味
で[
とい うの がKacc
の 意味
で ある]
。 こ の よ うで あ れ ば, 「述べ られ て い な い 時 間」(
anuttakala)
を持つ ,命 令 の意 味と賞 賛の 意 味 でpaficamivibhatti
が導
入 さ れ る とい う意 味
に な る。 これによっ て , 時 間 を考慮
しない で,命令
の意味
と賞 賛
の 意味
で ,paficamivibhatti
が導入 され る N工 工一Electronic Library64
パ ーリ学 仏 教 文 化 学と言わ れ たこ とにな る。 しか し, こ こ で は前の 立場に よ っ て確 定 される
べ
きで ある。
こ の 解 釈 に よ っ て , anuttakala は,第
一に anu −vutta −
kala
「近 くで 述べ られ た時 間」 と して 理解され る。 こ の 場 合の 「近 く 」 とは,
Kacc
の ス ッ タ配 列か ら して , 侖令 法語
尾の 直 前に述べ られ た現 在 語 尾を指してい る よ うで あ る。 こ の 立場に従えば, 命 令 法語 尾に は, 「現 在 時 」 (paccuppannakala)
が付与 さ れ るこ と に な る。 第二 の 立場で は, an −vutta−kala
「 述べ られ な い 時 間 を持つ 」 とい う語が所 有複 合 語 と して理解さ れ, 「命 令の 意 味 」 と 「賞 賛の 意 味」 を 修飾
す るこ とに な る。 こ の解説
は[
Senart
l
871
:225 ]
の 琿解
に近い もの で あ る。 第二 の 立場で は, 命 令 法のtense
の 意 味はか な り弱め られ た もの にな り, 一 見 する と理 解 しやすい もの となるが ,Mmd
は明確 に第 の 立場を棄
却し,第
一 の立場
で語
義を決定して い る(14)。こ こ で 一つ 注 意すべ き問 題が あ る。 直前で ,
Mmd
はkala
を 「行 為 」(
kriya)
で あ ると理解 して い た 点は先 述 の通 りであ る。 しか しなが ら, こ の 場 所 で は anuttakEla のkfila
と は単
な る 「時問
」 で あ る と理解で き る可 能 性が ある。 と い うの も,命 令 法のkala
「行 為」 な る もの はkala
の6
つ の分類 と して 挙 げ られ たanattikala
「命 令の行 為 」 を当て は めれ ば解
決す る問 題で あ るよ うに 思 わ れる。 さ らに付 言 すれ ぼ anuttakala とい う語のkala
まで 「行為 」 と理解す るの な らば
Kacc
415
:kale
とい う支 配 規則 の 機能継 続に従 い anuttakale のkale
とい う複 合 語 後 部の 要 素を述べ る必要は 無 くなっ て し ま う。 文法 学のス ー トラ は音 数の 少な さ を重ん じるとい う一般 原則 に
従
え ば, こ の 複 合 語後部は余 分であ る か ら削 除され るべ き もの とな り,*
anutte とだ け述べ れ ば よ い こ と に な りは しない だ ろ うか。
従 っ て Mmd は
Kacc
415
二kale
とい うKacc
424
まで機能継続
す る支 配規
則の
kala
が 「行為
」 で あ る と注 釈 した あと, 別の観 点か らanuttakala「近 くで
述べ られ た
時間
」 と注釈
した と考 え ら れ る。paficamivibhatti
「命 令 法 語 尾 」
は,
kala
「行為
」 と して はarpattikala
「命 令の 行為
」 を, かつkala
「時間 」 と
Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soclety for the Study of Pall and Buddhlst Cult 二ure
SaddanTtiの議 論の特 徴につ いて
65
して は anuttakala を
表
現す る もの で あ り,Mmd
の解釈
で は 「近 くで述
べ ら れた時 間」
(
anu −vutta−kala
)
で あ る 「現在 時」(
paccuppannakala
)
を意 味す ることに な る。
Mmd
の意 図に即せ ぼ,Kacc
417
は 「近 く で述べ られ た時 間(
一 現 在 時)
の 意 味で,願望 ・祈 願の 意味が 理解
さ れて い るの な ら ば ,[
命 令 と い う行 為の意 味で]paficamivibhatti
が 導 入 さ れ る」 と理解さ れ よ う。(
3
)
kalatipatti
の時
間続い て, 条 件 法の 時 間が, どの よ うに伝 統 的に理解されて い た の か を
RUp
の記述
か ら読
み取
っ て みた い 。RUp
Be
475
(adKacc
424
:kriyatipanne
’tite
k
亘1atipatti
.):kriy
亘tipannamatte
atite
kale
k
互latipattivibhatti
hoti
〃kriy
互ya
atipatanarpkriy
蕊tipatanam !tarppana
s巨dhakasattivirahena
(15)kriyaya
accant 訌nuppatti !!ettha cakific
亘pi
nakriy
五 atTtasaddena voharitabb 且1tath
且pi
takkiriyuppattippatibandhakarakriyfiyak
巨labhedena
atltavoh 巨rolabbhatev
亘tidaghabbam
〃「行為の 非実 現
」
(
kriyatipanna
)
で ある限 りの過 去の 時間の意 味で , 条 件 法語 尾
(
ka15tipattivibhatti
)
力噂 入 さ れ る。 行為(
kriya
)
の 非 実現(
atipatana)
が 「行為 の 非 実現 」
(
kriyatipatana
)
で あ る。 そ れ は ま た, 行 為 成立要 件(
sadhaka)
の 能 力(
satti)
の 欠 如 によっ て , 行 為が究
極 的に形成
さ れ な い こ とで あ る。 この な か で,確 か に [実 現 し な か っ た] 行 為 (kriya
) は, 過去 とい う語によっ て は述べ られ得な い が, そ うで はあっ て も, その[
実 現 しな かっ た]
行為 発生の 阻害
を為
した行 為は, 時 間の 区分 に関 して過 去 とい う表 現が得 られる以外に無い と理解 され るべ きで あ る。 一般に ,原 因となる行為
は,基 本 的に 結果 とな る行為 よ り過 去の 時間に属 す る もの で ある。 結 果 とな る行 為が どの 時 間に な る か は確 定で き ない とい う点 をRUp
は認 め て い るこ とに な る。 しか し, 結果で あ る行 為 を阻害 した, 原 因で ある行為の 時 間は相 対 的に過 去に属 するわ けで ある か ら, 条 件 法 語 尾が N工 工一Electronlc Llbrary66 パ ーリ学 仏教 文 化 学
過 去の 時 間に属す る, とい う議論を行っ て い る よ うで あ る。
Kacc
が述べ てい る よ うに,条 件法 に対 して過 去の 時 間だ け を与えて い る点は一貫 してい る
が , こ の議 論は説得 的で あ る と は思わ れ な い (16>。
4
.SaddanTti
Padamala
巻
Kalasamgaha
節
に見
ら れ るkala
分 類
以上
Kacc
の難 読箇
所に 対す る注 釈 者 た ちの解
釈 を紹 介 し た。 続い て,Sadd
が これ らの 問 題を どの よ うに理解 したか が窺
え る箇 所で ある, 第1
巻Padamala
の第 3 章 Pakim
.Lakavinicchaya章
に お けるkala
分 類の 議 論 を整理 した い 。 こ の 節で
Aggava
叩sa は動 詞 語尾の 持つkala
が 何 通 り存 在 し得 る か を 論 じて い る。(
1
)
3
通 りの時間kalatipatti
は未来
を表わ す かまず,
3
通 りの 時 間を論 じる箇
所を取 り上 げる。 こ こ で の 議論 の 重点は, 条件 法 が未来
の 時 間 を表
わ し得 る こ とを 示 す 点 に あ る。 こ の論 証に お い て は 経典の 使用 例か らの 経 証 と,Kacc
ス ッ タ解釈 に よ るテ クニ カル な証明 の 二 っ が共に見 られ る 。Sadd
50
,12
−15
;PaccupPanne
vattarn 巨napaficami
sattamT c’im
蕊,hont
’巨恒te
parokkh
盃dl
sahak
巨IEtipatt
量y
言,69
an5gate
bhavissantl
k
亘1
蕊tipattik亘pi
va ;eva 卑
kalattaya
正p
fieyyalp
,akhyatalp
tappak訌sakarlL70
[
中 略コ
Sadd
51
,33
−52
,4
:a葺te’
n巨
gate
c2pik
巨1
百tipattisambhav互;96
tatha
hi
C
司anirut 口mhi visup
aya 珥:‘‘
k
亘
1
…itipaty
atftamh ’anagate c5”tidi1
)aye .97
‘‘
kriy
甜
panne
’百te”
Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soclety for the Study of Pall and Buddhlst Cult 二ure
Saddanltiの 議 論の 特徴 につ い て
67
Athapi
ce vadeyy , atra ‘‘payena
”ti
pak
盃saye ,98
yebhuyyena
hi
lokasmim
atitamhipavattati
kalatipattisalpyutto
voh5roiti
lakkhaye
.99
vattamEna ,
pacamT
, sattami とい うこれ らが現 在の意味で,paroltkh5
な どが,kalatipatti
と と もに過 去の意味
で,(69
)bhavissanti
,ka12tipatti
も また未 来の意 味で , こ の よ うに, そ れ
(
一時 間 )を述べ る動 詞 は , 時 間の3
つ ひ と組
を持
つ もの と して理解
さ れ るべ きで ある 。(
70
)[
中略]
過 去の 意味
で も未 来
の 意味
で もkElatipatti
語 尾 は発生 す る。 とい うの も,CU1anirutti
で は これは[
過 去 ・未来の 意 味で]そ れ ぞ れ に起こ るか ら。 「kElatipatti
は 過 去 の 意味で も未 来の 意味で も」 と説明 す るべ きで ある。 (97
)[
反論]
その よ うで あっ て も, どうしてKacc
【424
】で は 「行 為の 非 実現 で ある限 りの過 去 の意味
で」 と述
べ られて い るの か , とい うの で あれ ぼ, [回答コ
こ の 場合 「多くの 場合[
過 去の 意味
で用い られ るか ら]
」 と解き明か すべ きで あ る。(
98
)
とい うの も,世 間で はka15tipatti
語 尾 に結 びつ け られた表 現 は多 くの 場 合に過去の意 味で起 こ るか ら, と考えるべ きで ある。 (99
)Sadd
は,CU1anirutti
(17>(
現 在で は散 逸)
の議 論を手 掛か りに ,条件
法が未来
の 意 味で も起 こ り得 る とい うKacc
解 釈 を提 示 する。 こ の 際に, どこ か ら機
能継 続
す る とい うわ けで は な い が, 「多 くの 場 合 」(
鐔yena
)
とい う表
現を合
わせ て 理解
する点が提案
さ れ る。 さ らに,Sadd
は こ の後
に,条件
法語
尾 が 未 来 の時間で も起 こ り得る こ とに関 し て い くつ か の 経証を示 して い る(18)。 こ の よう な聖 典パ ー リか らの 豊富
な 引 用 はSadd
の特 徴の 一つ で あ る 。 逆に,少な く と も該 当箇 所の
Mmd
,RUp
で はKacc
,Kacc
−v の解釈
に比 重が置
か れる傾 向が あっ た とい う
相
違 点は指摘
す る に値 しよう。さ らに, 以
下
に 示 す よ うにSadd
はKacc
ス ッ タに対 す るかな りテ クニ カ ル な解釈
か ら も ,「多
くの 場 合 」(
payena)
とい う語 をつ け る 以外
の 方法
に よっ て条 件法語尾 に未 来の 時 間を付 与 して い る。 N工 工一Electronlc Llbrary68 パ ーリ学 仏 教 文 化 学
Sadd
53
,1
−
6
;
Kaccayane
pi
v5 es 議k
巨1
五tipattik互pana
an互
gate
pi
hoti
ti ayam atthopi
dissate
〔19);100
‘‘
apaccakkhe
parokkh
且ya
’tite
”[
Kacc
4191
iti
hi
lakkha
口esante
pi
atitaggaharpe anapekithiyatarp
idarp
l
O
l
“
anagate
bhavissantr
’[Kacc
423
]iti
suttass anantara 甲ka15tipattivacana
anfigat盃nukaddhanarp102
ま た 、
Kacc
で も, こ のkalatipatti
語
尾が,未来の 意 味で も起こ る とい うこ の 意 味 も理解され る。 (100
)[Kacc
419
] 「直
接経
験 して い ない過 去の 意 味でparokkha
語 尾が 」 とい うこの 定 義の な か に は, 「過 去」(
atita)
とい う言葉 の 使 用が あるの に も関わ らず
,例の そ れ を考
慮 し な い で ,(
101
)
「未 来 の意 味 (anagate )で
bhavissanti
語尾 が起 こ る」 [Kacc
423
】とい う[
ス ッ タの ]直後 に
LKacc
424
で ]kAlatipatti
と述べ て い る こ と か ら, 未 来 (anagata ) [とい う言 葉の 使 用
]
が[
Kacc
424
に対 して]機
能継続
して い るの だ。 (102
) 上記の 議 論を敷 衍 し て説 明す る。 完 了語尾 を述べ るKacc
419
におい て , atite とい う語が 述べ ら れ ,未 完 了 ・アオ リス ト語
尾 を定 義す るKacc
420
,421
で は こ の atite とい う語が 機 能 継続す る た め に , それ ぞ れ のKacc
ス ッ タ部 分 に お い て は述べ る必要
は ない 。 さて , も し も従 来 の 解 釈の 通 りに,条 件法語 尾に過
去
の時 間
だ け を与 え るの だ とす る と,Kacc
424
:kriy
酣panne
’ titekalatipatti
とい うス ッ タは,Kacc
419
−421
の ど れか後 に位 置 して い るべ き で は な い だ ろ うか。 そ の よ うに す れば,Kacc
424
の なか にあ る atite とい う言 葉を省 略で き,音 数の 節 約 と して ス ッ タの簡
略性の 観 点か ら は好 ま しい こ とにな る。 しか し,実 際のKacc
ス ッ タの配 列を見 る に,未来語
尾を定 義す るKacc
423
:anagatcbhavissanti
の 直 後に置 かれて い る こ と が分か る。 こ の 点を
Sadd
は,「未 来の 意
味
で」
(
anagate)
とい うKacc
423
の な かの語 が,Kacc
424
に も機 能 継 続 し て い る た めで ある と考 えて い る よ う で あ る。 その よ うで あ れ ば,
Kacc
424
で直
接書
か れ て い る 「過 去Society for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soclety for the Study of Pall and Buddhlst Cult 二ure
SaddanTtiの議 論の特 徴につ い て 69
423
か ら 引き継が れ て い る(
とSadd
で考
え ら れ て い る)
「未 来
の 意 味で 」 (anagate ) とい う2
つ の 時 間の 意味で,条件 法語尾 が 用い られ るこ とに な る。 また,命令
・願 望 法 語 尾が現 在(
paccuppanna)
に組み入 れ られ て い る点 はMmd
か ら同様
で あ り,Sadd
にまで 継 承されて い るもの で ある (20) 。(
2
)
4
通 りの時 間 分類anuttakala の
独
立続
い て,Sadd
が4
通 りに時間
を分
類す る箇 所を見て み たい 。Sadd
51
,6
−16
: “ anuttakale ”ti
padam
etass’atthassajotaka
τP
‘ ‘
samTpe vuttak 蕊
le
” ti atthadipanato .’
thavE
83
atth5na 卑
gaman
瓢dinam
nipphatti na tUdissati
gacchatU
gaccheyy
’icc
亘divuttak
亘le
yato
,tato
84
avuttak 蕊
le
niddit‡ha
taddipakavibhattiyo
kalo
v五‘‘ ’vuttak 蕊lo
” tiicc
eva エP
gahito
idha
85
Dhakkhi4tisuddhipathamhi
kat
亘 va ‘‘tatiy
互ayalp ”1
(aladTpanata tasamiti
yUjjati
n’afifiatha86
atthadvaya 靼
pakasetU
エp
ganthe
Kacc
亘yanavhaye
thero
Kaccayano
“’nuttak互le
”ti
padam
abravi .87
Eva
卑tidha
catUdh 蕊pi
vuttok
翫1
琶na sahgahoanuttakale とい うこ の 語 は, こ の
(
− anu −vuttakale)
意 味を 示 す もの で ある。 「近 く
(
s 1pe)
で述べ ら れ た時 間」 とい う意 味を 示 すか ら。 あるい はま た, (83
)gacchatu
,gaccheyya
「彼 は行 くべ き だ」 な ど と言 わ れ た時 間 に は, 行 くこ と(
g
… ana)
な どの 意 味の 完 成が 見られ ない か ら, その た め に(
84)
そ れ を述べ る語 尾 た ち(
=paficam
τvibhatti , sattamivibhatti ) は, 「明言さ れて い ない 時間を持
つ もの 」(
avutta −kala)
とい う意 味で 説明 さ れ る。 こ こ で は,avuttakala とは, 「時間
」(
kala)
に他
な ら な い とこ の よ う に理解
され る。 (85
)
「布施
の清浄
」(
dhaklthinasuddhi
)
の読
み のなか で は7 N工 工一Electronlc Llbrary7 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 「こ れが
3
番 目[
の 布 施の清 浄で ある]」 と, ま さ に書かれて い る か ら, そ れ ら (−paficamivibhatti
, sattamivibhatti )が 時 間を述べ る こ と は必 ず 理 に か な う。Kacc
と呼ば れる書物
で は,2
っ ひ と組
の 意 味を解
き 明かすた め に, カ ッ チャ ーヤ ナ長
老 は anuttakdla とい う語
を述べ たの で あ る。(
87>
こ の よ うに ,3
通り ・4
通 りに も時 間 た ちの ま とめ が 説 か れ た。 こ こ で は ま ずは Mmd で 採 用 さ れ た理 解 を提 示 し た あ とで ,Mmd
で は 一 端 棄 却 され た 立場で あっ た avuttakala を独立 させ, 第四 の 時 間と して の 設 定が 試み ら れて い る。 こ の 際 にSadd
はMN
の 一節
に あ る 「布
施 の清
浄」(
dakkh
噸 suddhi)
とい う語
を あ た か もpahbh
鰤 「ス ー トラ解釈
・適 応に関
する箴言」 の …
部
の よ うに して用い て い る。MN
III
256
,13
−16
:Catasso
kho
imE
,Ananda
,dakkhi
頭visuddhiyo ,Katam
翫catasso ?
Atth
’Ananda
,dakkhipa
dayakato
vis両
jhati
nopatigg
温hakato
.._Atth
’
Ananda
,dakkhi
項 n ’eva
dayakato
vis両
jhati
nopa
専iggahakato
.Atth
’Ananda
,dakkhi1
頂dayakato
c,eva visujjhatipatiggahakato
ca.周知の とお り, これ らが , アー ナン ダよ,
4
つ の布
施の清 浄で あ る。 何が4
つ なのか。 ア ー ナン ダ よ ,布施者
か ら清
め られて い て,受
け取
り手か ら 清め られて い ない もの が あ る。 _ ア ー ナ ン ダよ。布
施者
か ら清め ら れて ない で , 受け取 り手か らも清め られて い ない もの が あ る。 布 施 者か ら清め ら れて お らず
, 受 け取 り手か らも清め られて い ない布 施 は, 清 浄で は ない こ とにな る だ ろ う。 しか し な が ら, その よ う な布施が, 「布 施 の清浄
」(
dak
ipasuddhi
)
の数
え 上げ
の な かで取
り上げ
られ てい る(21)。 こ の 点 を踏まえ て avuttakala とい う概 念 も 同様
で あ る とSadd
は述べ て い る よ うであ る。 これ に従 えば 「布
施 の清
浄 」(
dakkhinasudChi)
に 関す る 四句 分 別 の な かの第
三項
目 も 「布
施の清
浄」 に数え上 げられ る よ うに, 時 間の 特定 さ れて い ない avuttakEla が 「時 間
」 に含
まれて い るこ とは問
題 とな らない こ とSociety for the Study of Pali and Buddhist Culture
NII-Electronic Library Service Soclety for the Study of Pall and Buddhlst Cult 二ure
SaddanTtlの議論の特 徴につ い て
71
にな る。 こ の 理解に よっ て, avuttakala が独立 して第四番 目の 時 間の位 置 を 与え られ るこ とに なる(22)。(
3
)
6
通 りの時間(
?)分類上
記
に 引 き続
き,6
通 りのkala分
類をSadd
は行 う。Sadd
51
,17
−23
chadh 巨
idani
kll15nam
safigaho n亘ma niyyate :88
vibhattiyo
parokkh
互cahiyyattanivibhattiyo
atha
ajjatanT
c互ti tisso ’tftepak
且sit巨89
anagate
bhavissantT
bhavati
tipakittit
直,
paccuppanne
vattamana ,tikale
paficadh
蕊kat5
;90
paficamT
−sattamavhit 百Epatti
−parikappikE
,
safigayham 亘na
ta
yanti
paccuppannamhi
safigaharp .91
次に ,
6
通 りのkala
の ま と め とい う もの が 理解 さ れ る。 (88
)parokkha
語尾 と
hiyattani
語 尾 と さ らにajjattani
語
尾 とい う3
つ は過 去の 意味
で 述べら れ る。
(
89)
bhavissantT
語 尾 は 未 来の 意 味で 述べ ら れ る。 現 在 の 意味
でvattamatla 語 尾が。
3
つ の 時 間の 意 味で5
通 りに され る。(90
)paficamT
とsattarni と呼ばれ る
[
語 尾 は そ れ ぞれ]
命 令[
のkala
] (
anatti
[−kala
亅)
, 想定 [
のk51a](
parikappika)
に属 する。[
paficam
τ語 尾 とsattami 語 尾 とい う]
これ らは
[
も し も]ま とめ られ た な ら ば ,現 在の 意味で ま とめ ら れ る (91
)こ の 議 論 で は,
kala
が6
通 りに分 類 されて い るが , こ の 組み合わせ と表 現は,
Kacc
415
:kale
に対す るMmd
に 見 られ たkala
の 分 類 と極 めて類 似 して い る。 その 点を考 慮す る と,Sadd
は こ の 分 類で はkala
を 「時 間
」 で あ る と は考えず
, 「行 為」 で ある と解 し た可 能 性がか な り高い の で は な い だ ろ う か(23)。 ま た , 上記箇 所 の6
通 りの 分 類 に は条 件 法 語 尾が直 接は現 わ れて い ない がSadd
50
,7
−
8
:kalEtipattivibhatti
kAI
五tipattikalikfi
「条件 法 語 尾は, 条件 法
72 パ ーリ学仏 教文 化 学
の
kala
(kalatipattikalika
)に属す る」 とい う,Kalasamgaha
節韻
文部
分直
前の6
つ のkEla
に属す る記 述か ら,固 有のkala
を持
っ てい る もの で あ る と理解 す るべ きであろ う。4
.結
び
以 上 見て き た よ うに ,
Sadd
は過 去の学 説 を 踏 ま えてkEla
と動詞語尾 の 関 係をい くつ か に分 類 し た 凶 。注 目すべ き は,Sadd
は多 様な分 類の 口∫能性 を 示 した だ けで, 「ど の 分類で あ るべ き か」, とい う問題 に関 して は,少な く と も該 当箇所 に於い て は沈 黙を保 っ て い る点で あ る凶 。 過 去の 学 説 を尊 重 し, 広 く分 類 整理 す る記述がPadam51a
に お い て は他 にも何 箇 所か で 見 られ ,著者 自身
の説
は逆に見
え に くい とい う特 徴 は指 摘す る に値す るだ ろ う。 今 回取 り扱っ た箇所 の 記 述を 見 る に,Sadd
Padamala
巻は,新た なパ ー リ文法 学の 一学 派 の 著 作 とい う よ りは,従 来の パ ー リ文 法 学 の 綱 要 書の 性 質が強 い と言 え るの で はない だ ろ うか。 本 論で はPadamala
で の 議 論の み を取 扱い ,SuttamEIE
に お ける動 詞 語尾 のkala
の 議 論 と, 両 巻の 関係 を論じ る点が で き な か っ た が, これ は今 後の 課 題 とす る(26>。 ま た,今 同取 り扱っ たSadd
のkala
分 類は以下の 通 り。tik51a catuk 且la chak 盃la
paccuppanna paccuppanna paccuppanna 剛 一 pancam1 paccupPanna paccuppanna paccuppama avuttaavutta atti 曹 sattam1 parikappa parokkh蕊 hiyyattan1 atTtaat コtaatlta atTtaat 了taat 了ta atτtaat τtaat τta 勾