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Vol.68 , No.1(2019)040齊藤 隆信「善導の興福――講経との関連――」

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Academic year: 2021

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全文

(1)

善導の興福

―講経との関連―

齊 藤 隆 信

はじめに

善導の各種伝記には,善導が10万巻の『阿弥陀経』を書写し,200∼300幅も の浄土変相図を作成し,さらに寺 の修繕などの興福事業(興福とは,おもに寺院 の造営や仏像仏画の制作などの活動1)を行っていたことを伝えている.たとえば, 『阿弥陀経』は中国で『四紙経』とも呼ばれるように,1巻1,857字を書写するの に4枚の料紙(1紙476字×4紙=1,904字)を必要とする.つまり10万巻の書写には 40万枚の紙と写経する人材を確保しなければならない.また200∼300幅もの浄 土変相図の制作は,張彦遠の『歴代名画記』にしばしば登場する西域出身の絵師 を雇っていたものと考えられる.さらに寺 の修繕においても莫大な資金が必要 だったに違いない.善導はそうした費用を,いったいどこからどのように調達し ていたのだろうか. この の答えは,当時の長安仏教の様相を把握することで見えてくる.すなわ ち講経・唱導・法事・礼讃(礼懺)などの諸儀礼を行い,それによって受領する 布施をもって,これら興福事業の資金に充てていたと考えられるのである.ここ では講経だけにしぼって述べてみたい. 1

.講経の濫觴から盛況

中国における講経は早く朱士行による『道行般若経』に始まり,道安による 『放光般若経』なども知られている.その後南北朝から隋唐にいたるまで行われ ていたことは『高僧伝』や『続高僧伝』において散見される通りである. とりわけ隋唐では在家を対象とする俗講と,出家を対象とする僧講がそれぞれ 盛んに行われていた.以下にその例を示す. 『続高僧伝』巻21明律  隋の道成(T50, 611a)

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釈道成,字明範,俗姓陶氏,丹陽人也.……講十誦律・菩 戒・大品・法華,諸経律等 一百四十遍.又講観音一日三遍.著律大本羯磨諸経疏三十六巻.……以開皇十九(599) 年五月五日.遷神於興厳寺.春秋六十有八. 『続高僧伝』巻22明律  唐の慧旻(T50, 619c) 釈慧旻,字玄素,河東人.……辞退山泉逍遥自 .凡講経律・菩 戒・成実論,各有差. 古律旧疏有漏失者,皆刪正而通暢焉.……以貞観末年(649)八月十一日旦,終於所 . 春秋七十有七. 2

.講経の目的

俗講儀礼を行う大きな目的は,単なる民衆への仏教教化だけではなく,寺院の 建造と修繕などの興福事業の資金調達でもあったことは,宝巖の伝(『続高僧伝』 巻30雑科声徳 ,T50, 705b)から確認できる.長安で塔寺を建造修復するには莫大 な費用が必要であったが,政府からの援助は期待できなかった.しかし法海寺の 宝巖(555?–627)はその卓越した話法のおかげで,高座に登るだけで,おひねり が演壇めがけて投げ込まれた.こうして彼は寺院建造の資金を調達することがで きたとある.これは明らかに在家信者を対象とした俗講であり,ここから当時の 長安城内では俗講が開かれていたこと,および俗講を開く目的が寺 の造営で あったことがわかる. そして,それは少し時代は下るが,入唐沙門円仁の『入唐求法巡礼行記』3 (仏全72, 120bc)と,円珍の『仏説観普賢菩 行法経記』巻上(T56, 227c)からも追 認することができる. 3.

講経儀礼の次第

講経儀礼に関するこれまでの研究成果によると,その儀式の次第は概ね以下の 通りである2) 1大衆入堂 2僧侶入堂 3作梵 4講経 5問答 6 向 7僧侶退堂 このうち,中心となるのは言うまでもなく〈4講経〉であり,それは具体的に は以下の順序で行われる. 〈①経典大意〉→〈②経題解釈〉→〈③経文解釈〉 この中で〈③経文解釈〉が講経の中心であり,経文を適度な長さで区切って読 み,次にその経文を口頭で解説し,解説が終るとその経文に相応しい韻文を斉唱 する.韻文の歌が終れば,またその次の経文を朗読する.つまり, 〈A経文朗読〉(経)→〈B散文解釈〉(白)→〈C韻文斉唱〉(唱)

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の順序で,経典の終りまでA→B→C→A→B→C→A→B……と繰り返される. 4

.講経による布施

講経儀礼を行う重要な目的が寺院の造営や修繕であったということは,儀礼に 参会する信者からの布施があったということになる.もちろん講経だけではなく 唱導・法事・礼讃(礼懺)などの儀式儀礼においても同じく布施がなされていた ことは予想できるだろう.以下はそれを明記している例である. ◎『高僧伝』巻13の唱導 に散見される講経による布施 釈道照の伝「帝言善,久之斎竟,別 三万」(T50, 415c) 釈慧 の伝「帝悦之,明旦別 一万」(T50, 416a) 釈曇光の伝「王自詣房敦請,遂従命焉.給車・服・人力,月供一万」(T50, 416b) 釈法願の伝「日盈万計.〔法〕願,随以修福,未嘗蓄聚」(T50, 417b) 釈法鏡の伝「財不蓄私,常興福業.建武初以其信施,立斉隆寺以居之」(T50, 417b) ◎『続高僧伝』巻30の雑科声徳  釈立身の伝 釈立身,江表金陵人.……大業初年,声唱尤重.帝以声弁之功動哀情抱,賜 帛四百段・氈四十領.(T50, 704a) ◎『続高僧伝』巻30の雑科声徳  釈法琰の伝 釈法琰,俗姓厳,江表金陵人.……不畜貲財,福利所帰随皆散尽.以貞観十 (636)年卒于此寺.九十余矣.(T50, 704c) ◎『続高僧伝』巻30の雑科声徳  釈智果の伝 釈智果,会稽剡人.……遂下令釈之.賜銭一万金鍾二枚.召入慧日.終于東 都.六十余矣.(T50, 704b) ◎『続高僧伝』巻30の雑科声徳  論曰 世有法事号曰落花.通引皂素,開大施門.打刹唱舉,抽撤泉貝.別請設坐, 広説施縁.或建立塔寺,或繕造僧務.随物讃祝,其紛若花.士女観聴,擲銭 如雨.(T50, 706c) 5

.講経と義疏の編纂

かつて牟1987は経学における義疏についての見解を述べ,さらに古勝2001が

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それを要領よくまとめている.それによると牟氏の見解は5項であり,古勝はこ れらの中で,第2項に注目している.それは「口頭でおこなわれる講義と何らか のつながりをもつ注釈.たとえば講義の記録であったり,または講義の原稿で あったり,そのあり方は様々である」ということである. また,湯1938では講経と注経の関係を,そして牟1987では仏教と儒教とを問 わず講経と義疏が関連しあっていることも指摘している.紙幅の都合,煩を避け て以下にその事例を3つ紹介しておく. ①『続高僧伝』巻5義解 梁の智蔵(T50, 467b) 凡講大小品,涅槃,般若,法華,十地,金光明,成実,百論,阿毘曇心等. 各著義疏,行世. ②『続高僧伝』巻8義解 斉の僧範(T50, 483c) 講華厳,十地,地持,維摩,勝鬘,各有疏記.復変疏引経,製成為論.故涅 槃,大品等,並称論焉. ③『続高僧伝』巻8義解 隋の浄影寺慧遠(T50, 491c) 七夏在 ,創講十地.一挙栄問,衆傾余席.自是長在講肆,伏聴千余,意存 弘奨,随講出疏.地持疏五巻,十地疏七巻,華厳疏七巻,涅槃疏十巻,維 摩,勝鬘,寿観,温室等並勒為巻部. 以上の『続高僧伝』も,そして先に引いた隋の道成と唐の慧旻の伝も,みな講 経の開 と義疏の 述が関わっていることを示している.もちろんこれは唐代に 入っても状況は同じことであって,たとえば善導とほぼ同時期に活躍した慈恩大 師基(632–682)について『宋高僧伝』巻4義解では以下のように伝えている(T50, 726a). 東して博陵に行くに,法華経を講ぜんと請うものあり.遂に玄賛大疏を造る. 『妙法蓮華経』の講経とその注疏である「大疏」すなわち『妙法蓮華経玄賛』20 巻がそれにあたる.また平野1984は,『玄賛』20巻の末尾に以下のような基自ら が語っている重要な一文を指摘している(T34, 854a). 夕に制し朝に談じ,講終わりて疏も畢わる. つまり,夜になると『玄賛』を 述し,翌朝にはそれに基づいて講義していたと

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いうことである. 南北朝以来の義疏の 述には講経が関わっており,隋唐以後にいよいよ盛況す る講経であればこそ,義疏の 述も相乗的に増加していったと考えられる.以上 を鑑み,善導の『観経疏』も講経の産物であったと推断できることを以下に述べ る. 6

.善導『観経疏』は講経の産物

善導の師道綽が『観経』の講義を200回開 していたことや(『続高僧伝』20道綽 伝)や弟子の懐惲も同じように『観経』の講義を数10回にわたって開 していた こと(『実際寺故寺主懐惲奉勅贈隆闡大法師碑銘并序』),また当時は宗派を問わず講経 が盛んだったことから,善導も『観経』を講じていたと推察される. さて,齊藤2015において善導『観経疏』の特徴を指摘しておいたが,今それ を示すと以下の10項であり,どれもみな講経儀礼を彷彿させる要件である3) 1.説話的な譬喩譚が冗長 2.難解な用語に必要以上の解説を加えない 3.三福の孝養父母の解説が過剰に長い 4.口語的な語彙と語法を多用している 5.前後で整合しない叙述が見られる 6.至誠心釈における四重破人への対応 7.讃偈が多数挿入されている 8.構造はA経→B白→C唱 9.総計50ヶ所の問答がある 10.延寿『万善同帰集』に「上都儀4」として引用される これらの中,とりわけ7と8の2項に注目したい.それは,ここにこそ『観経 疏』と講経(俗講)との関わりが表れているからである. 7

.讃偈が多数挿入されている

『観経疏』の讃偈は,玄義分の帰敬偈(十四行偈),定善義の水想観・宝樹観・ 宝池観・定善義の末尾,散善義の上中下輩の各末尾に見られる.それらは世親 『往生論』の願生偈,または善導自作の讃偈のいずれかであり,序分義に讃偈は

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説かれていない. この『観経疏』が講経(俗講)の産物であると想定したとき,おそらくは他の 観法においても同じように讃偈がみな挿入されていたのではなかろうか. 当時の俗講において讃偈が挿入されることは常套だった.敦煌石室から発見さ れた変文や講経文は,A経文朗読(経)→B散文解釈(白)→C韻文斉唱(釈)によ る講唱体であり,これを「講唱文学」という.善導の『観経疏』も同じく【A経 →B白(→C唱)】であり,変文や講経文に先んじてすでにその体裁になっている ことが確認できる. 8

A

経→

B

白→

C

『観経疏』が講経の中でも,とりわけ在俗信者を対象とする俗講の産物であっ たということは,中国仏教の経疏に照らしても了解されることである. 経疏は一般的に言って散文で解説されるものであり,そこに韻文が現れるのは きわめて珍しい事例である.ところが後世の講経儀礼における前後の仔細な行儀 を除いて,中心となる経文解釈にあっては前述したように, 【A経→B白→C唱】 の三段構成となっている.『観経疏』は基本的には, 【A経→B白】 だけの構成になっており,C唱はないが,部分的には, 【A経→B白→C唱】 になっている.以下にその例を示しておく. 水想観(『浄土宗聖典』(浄土宗聖典刊行委員会編,浄土宗宗務庁,1994–2000) 2, 83) A経: 三従瑠璃地上,下至分斉分明已来 B白: 正明地上荘厳顕標殊勝……. C唱: 讃云 宝地荘厳無比量 処々光明照十方……. 宝樹観(同上2, 88–89) A経: 三従一一,下至由旬已来 B白: 正明樹之体量.此明諸宝林樹,皆従弥陀無漏心中流出……. C唱: 讃云 正道大慈悲 出世善根生 浄光明満足 如鏡日月輪 『観経疏』の原書形態は,みなこのような三段構造【A経→B白→C唱】に

(7)

なっていたが,成書される際に,C唱をまったく含まない他の義疏類の体裁に合 わせるべく,もともとあった数多くのC唱が省かれたと考えられないだろうか. 現行の『観経疏』にある かなC唱は,何らかの理由によって削除されずに残 されたままになっていると理解したい. ちなみに善導の『法事讃』は施主の依頼による行儀であるが,『阿弥陀経』の 講経が含まれる.そこには経文を17段に区切りながら「高座入文」で『阿弥陀 経』を読み,「下接高讃」でそれにちなんだ讃偈が読まれる.これは, 【A経→B白→C唱】 の構造をとっており,中間のB白が省かれている.実際の儀礼においては必ず 都講によるB白が存在するはずで,成文化されたときに省かれたと思われる(齊 藤(2015, 276)を参照). B白は,施主や参集する人々の能力や条件などを勘案して,その都度,時宜に 応じて自由に語られていく性格であるので,成文化するときには除かれたのであ ろう.ところが,A経は経文そのものであり,C唱もすでに決められている定型 の偈文であって,改変できないので,これだけが記録されたのではないだろう か.したがって,現存する『法事讃』そのものは敦煌の講経文のような体裁に なっていないが,巻下では『阿弥陀経』による講経が行われたのである4).韻文 を挿入するのは俗講における常套であり,これは法事を執行する僧が俗人ととも に唱和するためである. 『観経疏』も『法事讃』も,ともに儀礼の執行と関連して成立したが,前者は 講経の義疏として成文化された際にB白が残されC唱が削られ,後者は施主の 依頼に応じた法事儀式が成文化された際にC唱が残されB白が削られたのであ る.

おわりに

善導は『阿弥陀経』10万巻を書写し,浄土変相図200∼300幅を制作し,廃頽 した塔寺を修繕するなど,そうした興福事業の資金を準備することが可能だっ た.それはどこからどのように調達していたのかというと,当時の状況から推察 して講経・唱導・法事・礼讃(礼懺)にともなう布施によって賄っていたと思わ れる.本発表ではこれらのうち講経だけをとりあげて検討した. 要するに,善導の活動は【講経→布施→興福事業→講経→布施……】という有 機的な循環に依って支えられていたということである.

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また講経と『観経疏』の関係についても述べた.大乗基による『法華玄賛』に 「夕に制し朝に談じ,講終わりて疏も畢わる」とあるごとく,当時は講経による 成果が義疏として 述されていたことも概ね承認されているので,『観経疏』は 講経の産物であったと推定できる. 師の道綽や弟子の懐惲が行っていたように,善導も『観経』を講じた.それは 僧侶を対象とする僧講ではなく,俗人を対象とする俗講であり,その成果が『観 経疏』だった.そして,こうした講経儀礼だけではなく,唱導・法事・礼讃(礼 懺)などの各種儀礼を行うことによって獲得した布施をもって,さまざまな興福 事業を展開していたと考えられるのである. 1)仏典の興福については『法苑珠林』巻33興福 を,僧侶の興福については『高僧伝』 巻13興福 と『続高僧伝』巻29興福 を参照. 2)小野1964,山崎1967,福井1984,蓑輪2003. 3)10項の詳細については齊藤2015を参照. 4)劉長東は『法事讃』を講経資料ではないと判定しているが(劉2000, 282–291),筆者は これに同意するものではない. 〈参考文献〉 湯用彤1938「漢晋講経与注経」湯用彤編『漢魏両晋南北朝仏教史』上冊,商務印書館, 80–84. 小野勝年1964「円仁の見た唐の仏教儀礼」福井康順編『慈覺大師研究』天台學曾,171– 208. 山崎宏1967「仏教徒の教化活動」山崎宏編『隋唐佛教史の研究』法藏館,277–298. 平野顕照1984「講経文の組織内容」牧田諦亮・福井文雅編『敦煌と中国仏教』講座敦煌7, 大東出版社,321–358. 福井文雅1984「講経儀式の組織内容」牧田諦亮・福井文雅編『敦煌と中国仏教』講座敦煌 7,大東出版社,359–382. 牟潤孫1987「論儒釈両家之講経与義疏」牟潤孫編『注史齋叢稿』中華書局,239–265. 劉長東2000『晋唐弥陀浄土信仰研究』巴蜀書社. 蓑輪顕量2003「中国における講経と唱導」『東アジア仏教研究』1: 17–30. 古勝隆一2001「釈奠礼と義疏学」小南一郎編『中國の禮制と禮學』朋友書店,469–504. 齊藤隆信2015『中国浄土教儀礼の研究』法藏館. 〈キーワード〉 善導,興福,講経,『観経疏』 (佛教大学特別任用教授,博士(文学))

参照

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