"The Birthmark" における "perfect" と
"imperfect" からの一考察
著者 長岡 政憲
journal or
publication title
英語英文学研究
volume 3
page range 51‑64
year 1997‑10
出版者 東京家政大学文学部英語英文学科
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009601/
The Birthmark における perfect と
imperfect からの一考察
長 岡 政 憲
はじめに
The Birthmarfe 『あざ』についてこれまでにも多くの批評がなされて きており、この作品の時代背景は18世紀の後半となっているが、科学崇拝 的なアメリカにあって、医学と化学の様々な実験を通した一つの悲劇とな っている。若くて極めて有能な科学者エイルマーは美しい新妻ジョージア ナの頬の「あざ」を薬品を用いて取り除こうとして妻の命を奪ってしまう。
その大きな犠牲について彼の科学的冷酷な探究心から引き起こされたもの だとする考え方がある。もうひとつは、妻ジョージアナの「あざ」は人間 が生れ持っている原罪の象徴であって、夫エイルマーが、高慢にも人間の 原罪を人間の手で取り除こうとした驕りに対する報いであるとする解釈も
ある。
しかしこの小論ではそういった解釈もふまえながら、エイルマーが妻の
「あざ」を取り除きたかったのは、エイルマーの科学的探究心以上に、彼 の不健全な美意識と偏狭な人間観がその動機となっており、そして彼の「あ
ざ」除去治療の失敗は、原罪を人間の手で取り除くという知的驕り以前に、
彼の薬品を扱う科学者としての見識の浅薄さと見通しの甘さを指摘したい。
エイルマーとジョージアナの命を賭けた治療ではあるが、献身的な妻に対 し、科学者としての人間性の欠陥も論じ、ホーソーンの人間の罪に対する 考え方をまとめてみたい。
自然科学のあらゆる分野で特に優れたエイルマーは実験室の仕事を一時 助手に任せ、美しいジョージアナを自分の妻とした。当時の科学に対する 考え方は、 man s ultimate control over Nature (1)であり、科学者は自 然の創造力の神秘にメスを入れようとしていた。自然科学の研究に没頭し ていたエイルマーだが、ジョージアナに対する愛は一時的には科学への愛 を超えていたかもしれない。
結婚後まもなくしてある日、ジョージアナの左の頬にある「あざ」を取 り去りたいとエイルマーは妻に打ち明ける。ジョージアナは今までその「あ ざ」を魅力のポイントだと言われており、本人もそう思っていた程可愛ら しい「あざ」であった。完壁なまでに美しいジョージアナに対し、エイル マーはそれはひとつの欠陥であり、 the visible mark of earthly imperfection (2)であると妻に語るのである。ジョージアナはその言葉に傷 つき、それでは何故自分を妻に嬰ったのかと問い返すが、その後はジョー
ジアナにとって夫の言葉が重くのし掛かってくる。
ジョージアナの頬の「あざ」はさくら色の顔色に深紅色の小さな手の形 をしたもので、彼女が顔を赤らめたときには目立たないが、雪のように青 白くなった時にはくっきりとした「あざ」となったのである。結婚前のジ ョージアナの恋人たちは、彼女の誕生の際に何かの妖精が彼女の頬に残し た小さな手だとし、その神秘なしるしに口づけできるなら死んでもかまわ ないと思うぐらいだった。しかし彼女の「あざ」を忌み嫌ったのはエイル マーだけでなく、気難しい性格の女性たちもぞっとするものとして見てい たとホーソーンは述べている。ジョージアナの「あざ」さえ除けばあまり にも完壁に美しいために、彼にとってはそのひとつの欠陥が結婚生活のあ
らゆる時も次第に耐えがたいものになっていくのである。
「あざ」は人間性の持つ致命的欠陥であって、大自然が被造物に対し、人 間の欠陥性についてそれが一時的で有限なものであることを意味づけてい るのであり、この「あざ」をホーソーンは、
The Crimson hand expressed the ineludible grip in which mortal−
ity clutches the highest and purest of earthly would degrading them into kindred with the lowest, and even with the very brutes,1ike whom their visible frames return to dust.(3)
として、肉体の有限性と肉体がいつか朽ち果てて土に帰る無常の存在であ ることを印象づけている。
エイルマーの「あざ」を忌み嫌う朝夕の視線にジョージアナは身震いす るようになり、ある日の夜、一途な彼女は涙が出そうになるのを抑えなが ち昨夜エイルマーが見た「あざ」の恐ろしい夢のことを問い質そうとする。
それはナイフが深く入れば入る程手の形の「あざ」は奥に沈んでゆき、つ いにそれはジョージアナの心臓を掴んだように見えた。 It is in her heart now;we must have it out! (4)とエイルマーは夢の中でその「あざ」を心臓 からもぎ取ろうと寝言で言ったのである。ジョージアナはこの致命的な「あ
ざ」を取り除くのはふたりにとってどんな犠牲になるか分からないと不安 がるが、エイルマーは逆にその「あざ」を除去する治療には完全に自信が あると言ってのける。彼が「あざ」の治療に執拗に固執しており、これ以 上耐えられなくなったジョージアナは、
Danger is nothing to me;for life, while this hateful mark makes me the object of your horror and disgust−life is a burden which I would fling down with joy. Either remove this dreadful hand, or take my wretched life! (5)
として自己犠牲を示す。それに歓喜したエイルマーはジョージアナの苦悩 や死の覚悟も深く理解しないで、自らを高慢な思いに委ねながら非常に挑 戦的な言葉を吐く彼の姿勢にエイルマーの非現実性が見えてくる。それは、
,_what will be my triumph when I shall have corrected what Nature left imperfect in her fairest work! (6)
と言ったエイルマーの不遜がこの作品の悲劇的な結末を暗示していると思 わせるのである。彼は生命の創造の自然に対し、被造物である彼が自然の 創造に欠陥があるとし、その欠陥を正して非のない完全なものに変える尊 大な野望に取り愚かれるのである。
さて、エイルマーがジョージアナの「あざ」の除去治療のため、彼女を 実験室に連れて入るとまもなく彼女は一時的に気を失ってしまう。慌てて エイルマーは助手のアミナダブを呼ぷ。この助手は青白い知的な細っそり としたエイルマーとは異なり、背は低いが大きな体つきで顔中髭面で、実 験室の炉の蒸気で煤けた顔をして、世俗的で下品な男であった。彼は煙の 煤けた実験室でエイルマーの指示を忠実に守っていたが、心の中では「彼 女がもし自分の妻なら、決してあのアザを取り除いたりはしない。」と眩い ていた。彼はエイルマーが完全を求め理想に燃える姿勢を心の中で嘲笑し、
現実の世俗性のまま生きる人間である。
ジョージアナが別の部屋に移され、意識を取り戻した部屋は豪華なカー テンが吊され、彼の化学実験が支障となる日光が遮られており、柔ちかな 人工の紫色の灯がランプから発せられていた。ジョージアナは我に帰ると エイルマーの視線から 恐ろしい 「あざ」を隠すために手で押え、
Oh, spare me! sadly replied his wife. Pray do not look at it again. I never can forget that convulsive shudder. (7)
と痛ましくも叫ぶのである。この部屋の怪しげな光はその幻想作用によっ て、エイルマーが精神界を支配しているという信念を正当化できる程の効 果があった。彼は妻に土の入った器を見せ、土から植物の幼芽が出てほっ そりとした茎となり、葉がゆっくりと開いてその間から完全な美しい花が
咲く様子を見せて驚かせたのである。しかしジョージアナがその花に触れ るとたちまち枯れて、火で焼かれたように黒ずんでしまった。これはジョ ージアナの「あざ」治療の恐怖に標く気持を紛らわせるひとつの魔法のシ
ョーであったが、あまりにもエイルマーの無神経といえば無神経と言える であろう。
彼はまた写真の磨いた金属板をジョージアナに見せ、また錬金術師の歴 史について語り、更に不老長寿の霊薬についての調合の彼の考えを語るの である。ジョージアナは、そんな力を持つことは恐ろしいことであり、そ んなことを夢見ることさえ恐ろしいと言い返す。
エイルマーは生命の創造の神秘の摂理を破ろうとしており、科学の力で 自然を支配しようというエイルマーの意図がはっきりと窮える。事実彼は クリスタルの球形の容器に入った金色の不老長寿と称する液体をジョージ アナに見せるのである。彼は強力な薬品の数滴で顔のそばかすも簡単に消
し去ることができると語る。ジョージアナはエイルマーが薬品の化合と分 析に専念している時間に退屈しのぎに彼の科学書を読み始める。その本に はエイルマーのこれまでの実験の成功や失敗の原因が記録されており、科 学の無限性に対する彼の強い追求心が記されていた。そのためジョージア ナは以前より一層エイルマーに尊敬の念を抱くのであるが、ホーソーンが、
Much as he had accomplished, she could not but observe that his most splendid successes were almost invariably failures, if com−
pared with the ideal at which he aimed.(8)
と述べているように、そこには肉体の重荷を負う人間の惨めな限界の告白 と、実験の失敗の実証をジョージアナも見いだして泣き出すことになった。
そのような失敗の内容を知ったジョージアナは夫に取り繕うように言うと、
エイルマーは、..., then worship me if you will. I shall deem myself hardly unworthy of it_ (9)と自らの過去の失敗を無視しながらそんな妻に
自分のために歌を歌うように要求するのである。ここでAgnes Mcneill Donohueはジョージアナの犠牲について次のように指摘していることに
注目したい。
Georgiana completely misreads Aylmer s character when she hints that, if the experiment fails, she can only die while he must live a life of remorce. She does not understand that she will be only another page in his folio. But she does realize that he will be forever dissatisfied and that, even should she live, she would not please him for more than a moment.(10)
つまり、ジョージアナにとっては「あざ」がある限り苦悩の日々が続き、
エイルマーの実験の材料にならざるを得ないのである。
さて科学者が自分の医療技術を施す作品として、有吉佐和子の『華岡青 州の妻』を取り上げて、医者の華岡青州とエイルマーの人間性について比 較してみたい。
華岡家に嫁いだ於継はしっかり者で、京都で医学を学んで紀州に帰って くる息子の雲平(後に青州)に相応しい嫁の加恵を迎え入れる。雲平は京 都での医学の知識に加え、薬草を使いながら犬猫に治療効果を実験してい
たのである。この作品は姑の於継が自慢の息子の雲平に尽くそうとするあ まり、嫁の加恵との確執の深まりが焦点となっている。父親の跡を継いだ 青州が麻酔薬の開発の実験を猫で試していたが、青州の妹、於勝の乳癌の 死を契機に於継が麻酔薬の人体実験になりたいと申し出る。もちろう加恵 は青州の医療開発のため、自分こそ人体実験に備えて命を捧げる覚悟だと やり返す。そんな二人のやりとりを青州は落ち着いて受け止め、結局彼は 母親と妻の二人の躰を実験に使うことに同意し、母親から先に最初は弱い 薬効から段階的に実験する。この作品は、母親が息子に、妻が夫に献身的
に命を捧げるという美談ではなく、姑と嫁の競い合いから人体実験という 闘いの場が生れたのである。姑の嫁に対する憎悪を有吉佐和子は次のよう に描いている。
「だが、加恵は於継の次の番を受持っていた。自分もまもなく、このように して髪を洗う日がくるのだ、と思うと、於継の後ろ姿に嫁も道連れにして やろうという意志がありありと読めて、加恵は標然とした。加恵のいると ころで青州に話を切出したのが、何よりの証拠ではないか。」(11)
姑の嫁への恐ろしい執念という興味をそそられるのである。しかし青州は そんなふたりの心の内面に関わろうとせず、ふたりの躰の安全性を気遣い ながら麻酔薬で母親と妻を交互に眠らせていく。しかし強い麻酔薬の実験 材料となった妻の加恵は数年の実験後に副作用のため盲目となってしまう。
ここで青州は乳癌で死を前にした妹の於勝が必死に麻酔薬による手術をせ がんだ時、彼は犬猫以外に人体を試すときが熟していないとして拒んだ慎 重さを持ち合わせた医者であったことを記す必要がある。さてこの青州の 人体実験における生命に対する考え方を見据えながら、エイルマーの生命
を扱う考え方と比較しておきたい。
ジョージアナは自分の体に痛みではないが、何か不安を引き起こす感覚 を感じながら、初めて実験室に入っていく。そこには燃えている炉、蒸留 装置、シリンダーや他の様々な化学実験装置がガス臭い空気を漂わせてい る。そんな中でエイルマーの「あざ」除去の実験の態度はどのようなもの であろうか。ホーソーンは、
He was pale as death, anxious and absorbed, and hung over the furnace as if it depended upon his utmost watchfulness whether the liquid which it was distilling should be the draught of immorta1
happiness or misery. How different from the sanguine and joyous mien that he had assumed for Georgiana s encouragement!
Carefully now, Aminadab;carefully, thou human machine;care−
fully, thou man of clay! muttered Aylmer, more to himself than his assistant. Now, if there be a thought too much or too little, it is all
over.,,(12)
としてエイルマーの医療技術の余裕のない不安に満ちた様子を述べている。
ジョージアナが勝手にエイルマーとアミナダブが作業をしている実験室に 入って来るとエイルマーは彼女に対し、
Why do you come hither?Have you no trust in your husband?
cried he, impetuously. Would you throw the blight of that fatal birthmark over my labors?It is not well done. Go, prying woman,
90!, (13)
として自分の不安材料を知られるのを極端に恐れ、妻を詰るのである。
実験の準備前にはエイルマーはジョージアナに対し、自分は「あざ」
の除去治療には絶対に自信があり、「あざ」のために損なわれている妻 の美貌を完壁な美貌に変えることができると自負していたのであり、
彼女には自分の治療はパーフェクトであると説得したのであった。先 に述べた華岡青州であれば、医者の見識から病気でもない「あざ」を 取り除きたいなどと考えたりはしないし、その必要性も感じないであ ろう。それはあくまでエイルマー個人の美に対する不健全な意識と、
偏狭な人間観からの動機と考えられる。科学者の探究心からのものと は言い難い。また18世紀後半の急速な科学発達の流れの中で、錬金 術や不老長寿の妙薬が持ち出され、植物に実験したものを人間にも応 用できるといったエイルマーの学者としての浅薄さと、知的驕りは青
州には見られないのである。青州は何度も犬猫で麻酔薬の実験を重ね、
その効果を実証しながら自分の妹の乳癌の死を見守るしか術がないと したのである。
さて「あざ」の治療にあたり、完全を求めるエイルマーを崇拝して いこうとしたジョージアナであったが、彼の実験のいくつかの失敗の 記録を知った後、彼の不安を隠した非難がましい言葉に対し、毅然と
した態度でジョージアナは、
..., 奄煤@is not you that have a right to complain. You mistrust your wife;you have concealed that the anxiety with which you watch the development of this experiment.... And, Aylmer, I shall quaff whatever draught you bring me;but it will be on the same principle that would induce me to take a dose of prison if offered by your
hand. (14)
としてすでにエイルマーの「あざ」の除去治療の失敗を覚悟の上で、夫に 実験をさせようとしているのである。彼は妻の人格の気高さと深さを覚え ながら、初めてこの実験の難しさを妻に打ち明けることになる。献身的に 命を惜しまないジョージアナだが、もはや冷静でいられなくなり、
Remove it, remove it, whatever be the cost, or we shall both go mad! (15)
と叫ぶ妻は哀れであり、エイルマーとジョージアナの愛の絆はもはや精神 的に破碇となっていると考えられるのである。これは『ラパチー二の娘』
において、ビアトリースの毒が自分の体内に感染したと気づいたジョバン ニがビアトリースに罵声を浴びせ、愛の絆が壊れる場面を想起させる。気
を取り直したジョバンニがビアトリースに解毒剤の薬瓶を見せると、ビア トリースが自らその解毒剤を先に試し、自らの命を絶つ結果となるが、ジ ョバンニとの愛が破碇したと分かった瞬間にビアトリースは死を覚悟し、
ジョバンニに最期の別れを告げて天国へ昇るのである。
エイルマーの場合、ジョージアナの自然の姿を受け入れず、「あざ」が致 命的な欠陥としてジョージアナの頬を嫌悪感で見続けたのであり、彼女と
しては、「あざ」が取り除かれない限り、ふたりの愛は成り立たず、追い詰 められたジョージアナは失敗した場合の死を覚悟したのであろう。彼女は 夫にとって忌まわしい「あざ」が自分の肉体にある限り、死を覚悟した人 間にとって、生命とは悲しい所有物でしかないとまで語る。
エイルマーは葉に拡がった黄色い斑点がつき、病気に罹っているゼラニ ュームをジョージアナに見せ、その植物に薬液をふりかけ、その醜い斑点 が葉から消えてゆく様子を見せる。ジョージアナはそれに納得し、その薬 液を飲もうとすると、彼は、
There is no tint of imperfection on thy spirit. Thy sensible frame,
too, shall soon be all perfect. (16)
と以前不安で青ざめていたエイルマーが、魔法使いのセリフのように、ま た神をも畏れぬ冒漬者の如く、ジョージアナの魂と肉体の perfect までも 宣言してしまうのである。ジョージアナは薬液を飲み干すと、やがて吸い 込まれるように眠ってしまい、エイルマーは薬効を調べるべく彼女の頬や 表情を観察し続けた。深紅色の「あざ」は期待していた通り、だんだん色 が幽かになって輪郭がぼやけ、虹が消えるように見えなくなってしまった。
しかしジョージアナの顔色はあまりにも青ざめていた。彼は今まで厚いカ ーテンで遮断していた日光をその部屋に差し込ませ、自然の恵みである太 陽の暖かさで青ざめた頬に赤みをと思ったのである。その瞬間に助手のア ミナダブはこの治療が失敗であると察知し、下品なかすれた笑い声を上げ
た。しかしまだ自分の失敗に気づかないエイルマーはアミナダブに、
Ah, clod!ah, earthly mass! cried Aylmer, laughing in a sort of frenzy, you have served me wel1!Matter and spirit−earth and heaven−have both done their part in this !Laugh, thing of the
senses!....,,(17)
(下線筆者)
として自分を天に、アミナダブを地に置き換えた高慢さがエイルマーの人 間性の浅薄さを物語っている。眠りから覚めたジョージアナは鏡を見て、
「あざ」が消えてしまったのを知る。しかし自分の躰に何が起きているか を彼女自身が一番よく分かっていたのである。不安そうな眼差しで彼女は エイルマーに、 My poor Aylmer! と眩くと、夫は Poor?Nay, richest,
happiest, most favored! _ it is successful!You are perfect! (18)とし
て自分の状態がまさに惨めになっていることに気づかないばかりか、
poor の意味さえ取り違えている。妻は夫に人間的なものを超えた優しさ で最期の別れの時が来たことを告げる。
My poor Aylmer, _ you have aimed loftily;you have done nobly.
Do not repent that with so high and pure a feeling, you have rejected the best the earth could offer. Aylmer, dearest Aylmer, I am dying! (19)
つまり、エイルマーの高慢、偏狭な人間性、そして不健全な美意識から創 造主が、地上で最高のものとして与えた自然の肉体を彼の未熟な医術によ り拒否した結果が妻の死であった。ホーソーンがこの「あざ」は生命の神 秘を握り、天使のような精神が死すべき肉体と自ら結びついていた絆であ
ったと述べているように、人間が被造物であるならば、この地上では自然
のままの姿がこの地上での完全なのである。死すべき運命の有限な肉体が 永遠を目指したperfectなものになること自体不可能である。エイルマー の目指したperfectは一瞬のperfectである筈なのに、時間の連続の延長
という意味の永遠であって、それはもちろん不可能であり、ましてや天上 の永遠を理解したものでは決してない。ホーソーンはそのことを次のよう に述べている。
一that sole token of human imperfection−faded from her check,
the parting breath of the now perfect woman passed into the atomospher, and her sou1,1ingering a moment near her husband,
took its heavenward flight.(20)
ジョージアナは「あざ」の除去の薬液を飲む前に死を覚悟しており、自 分の生命は創造主に委ねたのであり、『ラパチー二の娘』のビアトリースも
同様に解毒剤を飲む前にすでに死の覚悟ができていたので、ジョバンニと 父親に永遠の別れを告げて昇天したのである。
おわりに
ホーソーンはこの作品の結びとして次のように締めくくっている。
Yet, had Aylmer reached a profounder wisdom, he need not thus have flung away the happiness which would have woven his mortaI life of the selfsame texture with the celestial. The momentary circumstance was too strong for him;he failed to look beyond the shadowy scope of time, and, living once for all in eternity, to find the perfect future in the present.(21)
これは不完全であるエイルマーが自分以外の不完全な人間に完全を求め、
不完全な技術によって完全を創り出そうとする矛盾にエイルマーは全く気 づいていない悲劇である。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるの だ」(22)というルカ伝17章21節のイエスの言葉を考えるとき、現実の有限の 世界が次の永遠の世界に繋がりがあることを暗示しているが、この世にあ
っての信仰者が完全である訳ではない。
ホーソーンがこの「あざ」という作品で、morta1とimmortal, earthly とheavenly、 imperfectとperfectそして肉体と魂の問題を取り上げなが ら、エイルマーの歪んだ完全主義の人間観と科学至上主義のimperfectな 言動を考察するとき、それらの間には人間が踏み込めない、時を超えた隔 たりのある世界をホーソーンは印象づけようとした作品であると思われる。
注
(1)Nathaniel Hawthrone, Mosses from an Old Manse, ed. William Charvat and Others,(Ohio State University Press,1974), X,
p.36,以下このテキストをM.σ〃とする。
(2) Ibid., p.37.
(3) Ibid., P.39.
(4) Ibid., p.40.
(5) Ibid., p.41.
(6) Ibid., p.41.
(7) 1bid., p.44.
(8) Ibid., P.49.
(9) lbid., P.50.
(10)Agnes Mcneill Donohue, Hawthorne, Cα1漉否Ironic Stepchild (The Kent State University Press,1985), p.189.
(11)有吉佐和子『華岡青州の妻』(新潮文庫,1970)p.126.
(12) M.0.M, pp,50−51.
(13) Ibid., p.51.
ハ男 励 薗Ψ 引り 鋤 鋤 mΨ り 助G q 向μ 向μ q q ⑫ ⑫ ⑫
Ibid., P.51.
lbid., P.52.
Ibid,, P.53.
Ibid., P.55.
Ibid., P.55.
Ibid., P.55.
Ibid., P.56.
Ibid., P.56.
聖書(口語訳)ルカによる福音書17章21節.
参考文献
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Albany. New York:Magibooks, Inc.,1965.
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『ホーソーンの短編小説』 北星堂書店,1996.
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