九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
インダス文化からインド文化まで : その発達の過程 と消滅の過程
杉山, 龍丸
国際文化福祉協会
https://doi.org/10.15017/2231555
出版情報:九州人類学会報. 3, pp.21-27, 1975-10-20. 九州人類学研究会 バージョン:
権利関係:
イン ダ ス 文 化 か ら イ ン ド 文 化 ま で
一一ーその発達の過程と消棋の過程一一一一
国際文化福祉協会 杉 山 龍 丸
インダス文化からインド文化までは,インド亜大陸に生れた,世界最古の人類文化の1っとして有名 であるが,この文化の発達の過程と消滅の過程は.我々人類の文化というものに対する重要な示唆を与 えるものと思われますので,これらの文化の現地を調査して,特にその消滅の過程において,砂漠化し たとしづ,現代の文明により発生した公害問題について考えを及ぼすとき,この解決は,極めて有意義
と考えられます。
ここに,短時B中に手持の調査資料をまとめ,まだ充分な論文を発表するものになっていませんが,
主要な事項について,御説明することに致します。
1 .
イ ン ドE
大 陸 の 先 史 時 代 に つ い てこの問題は,第二氷河時期後の人類の文化の発生状況について考えることの出来るものであります
が{約2万年〜1万年九この研究は,イギリスの地質学者, D
・
H,ゴードン研究論文が, 1972 年 12月10日,紀伊国屋書店から,育江舜二郎氏の翻訳で, 「先史時代のインド文化Jとして出 版されてbh
ます。これは,D
・
H,Gordonがインド総督の地質調査官として,インドの地質を調査したとき,研究 して発表した( 1 9 6 0年 Prehistoric Background of Indian Culture )ものであり ますが,学界では,余り重視されませんでしたが,育江舜二郎氏が,この論文をボンベイの書店で発 見して出版されたものであります。私は考古学は素人でありますが,インドの現地を知っているものとして,極めて重要なものである と考えますので,ここに,御紹介申し上げます。
この論文には,インド蛮大陸における各地域の先史時代の文化が緩めて詳細に記述されています。
論文全体を紹介することは,長時間を要しますので,特に注目すべき点を申しあげますと,次の通 りであります。
(1)初期後期の石器時代から土器(約70 0。C焼成素焼陶器)時代にかけて,夫々地母神という女性 神が祭られたこと。
この女性神は,現在のインドの下層民のカリー神,また,アーリアンのインドラやドルガ神にな り,インド南部地核のヴイシーヌ神の務、でないかと考える。
(2) このインド亜大陸の先史時代の文化は,アフリカ,ヨーロッパ,中近東,ソ速から北アメリカ大
‑21 ‑
隆へ,そして南アメリカのインデアンの文化との共通性をもっていることであります。
このことは, 二つの問題があります。
1つは,インド亜大陸の文化が,アフリカ,中近東,ヨーロッパ,ソ連地区との交渉をもつこと が出実たこと,そして,失々は,発生的には,夫々の地威に自然に生れてきたと考えられますが,
何かの共急性をもっ要因をもっていたのでないかということ。
2つは,中間,朝鮮,日本といった私達の身近な文化は,世界の文化において, 1つの特殊性を もっていることが考えられます。
以上のものが,インド亜大陸の文化発生の基盤としてあり,それから,インダス文化,また,イン ド南地区の文化が,夫々の特色をもって,生れてきたと考えられます。
ユ
インダス文化の特徴と崩解について私達がインド文化と申しますと,主として,このインダス文化からガンガ河流践のインド文化を申 すことが多いので,ここでは,この2つを中心に申しあげます。
インド文化は,インダス文化を吸収したアーリアン民族が,インダス河流威から,ガンガ河流威に 侵入して,発展させたのが一般的にいわれるインド文化というものでありますが,私は,インド文化 という言葉を用いますと,混乱し,特に南インドの文化は,アーリアン民族でないものがつくった,
(現在までの学説では,インダス文化をつくった民族が,アーリアンの圧迫で南インドに行き,南イ ンドの文化をつくったといわれるが,私の調査では,また結論は出ていないが,疑問の点が多数ある。)
ということにおいて, インドという言葉そのものが,アーリアンの言葉であることから,問題が生れ ると思いますが,ここでは,これを考慮した上で,インド文化はガンガ河流威の文化としましたこと を御諒解下さし、。
インダス文化には,代表的なものとされているものに,ハラ yパと,モへンジ ョダロがありま す。ハラyパは,イ ンダス河の支流,ストルジー河に沿った中流地区にあり,モへンジ ョダロは
インダス河の下流,この地は古代では,海岸の河口地区であったと恩われます。
どちらも,約1万年前後の古代から,石器時代,土器時代,陶器時代,青銅時代,古代鉄器時代ま で,約5,0 0 0年間の段階があり,それが段々に積み重なって,台地をなしていますが,この台地の 端をトレンチ(探査坑〉を掘ったところを見ますと,下から上へと,古代から次々に新しい時代が積 み重なっていることが判りますと共に,最下層のものは,約1万年前の地層といわれるところには木 炭があり,それは古代において,ここは森林が鐙かにあったことの証拠といわれます。
この資料は,モへンジョダロ ,ハラッパ等の博物館にもありますが,特に,イン ドの首都,デリー 市の北方,ヒマラヤの山鍵のデラドン市に在る,イギリスが創立した森林研究所の博物館に保存され ています。
インダス文化の崩解については,モへンジョダロの方は,明らかにアーリアンによって殺されたと
‑22 ‑
いうことが推定されてし、ますが,ハラッパについては,まだその原因は謎になっています。
ここで注目しなければなりませんのは, モヘンジョダロから多くの殺害された遺骨査が発痴され,
その14体について,スユーウエル大佐とグーハ博士が検査した結果3体は,原オース トラリヤ人種.
6体は地中海人積, 1体はアルプス人種の蒙古型分派, 4体はアルプス人穐であるということです。 これらの人鍾がインダス文明を礎いた人種であると断定することには,まだ疑問がありますが,少 くもインダス文化を生み出したものは,インダス地威のみでなく,非常に広範聞な交流交渉があった と考えられることであります。
ここ・で,ハラッパの文化崩解について考えますと,前に述べましたハラ シバ遺跡の地層の状況と,
インド文化の各地威を調査しました結果と,更にハラyパ地区の遺物より推定しますと,次のように 考えられます。
(1) インダス ・ガンガ河の地威は,地球物理学では,アジア大陸プラットに,インド亜大陸プラット が接触し潜首長している地綾で,このため,ヒマラヤ山塊がもち上げられ,その両者の聞にし00 0 米以上の地務が出来たのに権積した平地であるが,全体として上持しているので,地.下水が潜る傾 向をもち砂漠化の原因をもっ。
(2) ハラッパに散乱している陶器煉瓦の破片を調べて見ますと,約1,200℃前後の焼成温度を出し て,それから青銅,古代鉄総を生み出したと思われる。このためには,膨大な木材が 燃料として使 用されたと考えます。
特にこの地威のヒマラヤの地質は石灰岩性の機岩層や石灰層でありますため,崩解しやすい佐賀 があります。インド亜大陸のモンスーンの大訟の雨は,この土砂を運び,堆積させて行ったと考えら れ,遂にハラッパ文化を生んだ大地が砂漠化して,ハラ ,.,,パ文化は崩解,死滅したと思われます。
以上のインダス文化の発生と崩解の1つのパターンは, インド文化についても同じ織な問遁がありま す。
3 .
ァ ー リ ア ン 族 慢 入 前 後 の 民 族 問 題インド文化の包手として,アーリアン民族は,その中心であることは明らかであるが,しかし.その 文化を築き,崩解するものが今のインドにも現存していることから,一応説明すると,次のようにな
ります。
インドには,原イ ンドの民族が各地に在って,先史時代をつく っていたが,第2氷河時代の後期, 東北邸より,中国系アジア民族(ムンダ〉,中近東より中近東の民族(ドラヴイダ)が侵入し.次い で約7,000年頃,セム族,ハム族がアーリアン族の前駆的に侵入し,これは現在,カシミールより 東のヒマラヤ山獄地獄,デカン高原,また,パングラデシュ,ビルマ,マレー半島を通って,イ ンドネ
シアに及んでいます。
そのような状況に,酋北郎よりアーリアンが進入し,インダス文化を吸収し,鉄器と陶器文化によ
一
23‑って,ガンガ河流続に進んで,インド文化そっくり次に回教が入って来ました。
この回教と,アーリアンのヒンズー教は元来,同じアーリアンのものであると考えます。
これらの民族の文化のっくり方は,大地より生む産業を利用し,大地を型車略し自然、を破渡して文化 を築いたと考えられます。
4 .
仏 教 文 化 と 砂 漠 化 の 関 係アーリアンは,インダス文化を吸収し,それから生んだ鉄器,陶器(煉瓦)を,ガンガ流域に持ち 込み,その力でインド文化を生み出したと思われますが,進入後,約2,00 0年において,この弊害 を救わんとする釈迦が生れたとも考えられます。
釈迦が創始した仏教を信奉したアソカ王朝は,インド文化の最盛期であり,また代表的なものであ りますが,このアソカ王朝に 8万4千の仏舎利塔を建設しましたが,これは皆,膨大な煉瓦と鉄が利 用され,それに使われた燃料は全て木材であるため,非常に広範囲な篠林が失われました。
この実情は,ブツダガヤ地核において,アーリアン族の居住地威には森林が失われ, この地区のム ンダ地区には,森林が残っている事実において,明らかであります。
S . DR. HANS. Jenny
とDR. S. P . Ra.ycha.udhuri
の研究この
2
人のインドの土援の研究論文,Effect o f Climate an d Cultivation on N i ‑ t rogen and Organic Matter r eserves i n Ind i a S oils
より,別図の統計表が出てい るが,アソカ王朝の土療は,有機物が殆んどOに近いものになっています。この事実において,インダス文化と同じ大地の生産力を失った文化は崩解せざるを得なかったし, これが,インドで仏教が消滅した原因と思われます。
以上の事実によって,インダス文化からインド文化まで,その発達と崩解の過程の大略を説明した次 第です。
使用資料
① インダス文化の遺物,地母神像,石器,陶器(焼成温度による区分)
② パキスタン国,カラチ,モヘンジョダロ,ハラッパ,ラホール,インド,その空中よりと現 地8%1映画。
参考文献
① D H.ゴード ン 箸 育 江 舜二郎 訳 先 史 時 代 の イ ン ド 文 化 紀 伊 国 屋 書 店 出 版
② 富 野 寿 彦・西川幸治箸 死者の丘,漫然の答,新潮社
③
S i r Mo r t i me r Wh e e 1 e r
著Early India and Paki s t a n , Thames Huds 。 n
出版‑24 ‑
( プ ロ グ ラ ム )
① インドの先史時代について,
DR, G, S
,ゴー ドンの研究② インダス文化の特徴→石器→土器→煉瓦→青銅→鉄器,インダス文化崩解について
③ アーリアンの進入前後の民族問題
第2氷河時代後期 セム・ハム族,アーリアン宗教
@仏教文化と砂漠化の関係
ブツダガヤ地区の例,現象と民族問題と森林
⑤
DR. HANS
Jenny
とDR. S . P . Raychaudhuri
の研究,土嬢有機物と文化の関係⑥ 砂 漠 化 の 解 決 方 法
⑦ 現 地 映 画
(図面資料 )
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以 上
この図は,インド
の歴史的な文化と森 株と土濃の中の有機 質の成分との関係を 示す図である。(こ の図は, DR.HANS.
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.Raychaudh‑
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iの著書 Effectof Climate and Cultivation on Nitrogen and Organic Matter
r e s e r v e s i n India Soi I s
より)B. C.
250年のASOKA
時代に,仏舎利第と寺院の建設用煉瓦と鉄を作ったことで,森林を失い,そのために土中の窒素分と 有機物が失われ,その後自然に森林が増加し,また回教徒の佼入,アクパル大王の時代に森林を失っ たということを示している。しかし,現実のインドの実情からアソカ王朝以後このようになったか,
或は根本的にヒドイ状況として進んだかということはこの図において私の調査したインドの実情から は疑問に思うが,一つの大きな示峻を与えるものとして参考に供するものである。
‑ 25 ‑
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納 付 処
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イ ン ダ ス 文 化 の ハ ラ ッ パ 地 域には 古 代 に お い て 森 林 が あ った。国際文化福祉協会は,かねて,文化の栄えた地 域は古代に美しい豊富な森林があったが,文化に よって自然、と森林が破媛されたことにより,文化 が崩媛し,荒廃砂漠化が進み,人類に飢餓をもた らしたと考えて調査中でしたが,インドのニュー デリーの北地方ヒマラヤ山箆のデラドンの森林研 究所に,インダス文化の古代の中心地,ハラッパ 地妓の地中より発掘された,炭化木が保存されて いるのを確認したことにより,文化が森林自然を 破媛し,文化そのものが崩穣し,砂 漠化すること
えの確証を得た。
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アフガ三スタン
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インダス河文化ハラッパの位霞図
@
イ ン ド の 砂 妻 、 ラ ジ ス タ ン 地 埠 はB.C . S0 0
年 前 は 森 林 で あ っ た。今年7月 I7日のナショナルへラルド紙は次の様に報じている。
インドのラヂスタン地域に鉱がる砂漠は,約2,50 0年前は,森林(Green)であった。
そして,その地下には,
8,0 0 0年前からの河水が流 れている。
このような砂漠になったの は,インダス文化の栄えたと き,ヒマラヤ山総や各地域の 森林を伐ったことによる,と
報じていた。
RAJASTHAN WAS GREEN BEFORE 500 B . C .
NEW DELHI, Julf 17.‑
Rajasthan became畠 desert only ill the last 2,500 ye晶rs, a leadine mcteorol
。
eistsaiil here yesterdav.
Dr. 0 R晶maswamy, bro‑ ther of the late CV E.aman and f
。
rmer dir蜘tor‑::eneral。
fobsenator』es.said thathe bad now obtained tirm ev11le11ce that Rajasthan was as耳reen as Orissa. b
−
fore 500 BO.
North‑west India and pakista咽 1・eceived a lot
。
Erain because the monsoon wa::; very ,•ii:orous between ti.500 BC and 500 BC. Dr. ltamaswamy said in a lee. t.nre at the India Interna‑ tional Cent陀 here,
But ・this vi::orous monsoon beca,ne weak after 500 BC
for unknown reasons. he 1,aid,
Ace
。
rclin: to Dr. Rama‑swamy, there are minions and milliQnS of cubic matres
llf ,:r,。undwater in the de.
民rt. all accumulated from
‑27 ‑
rains that poured lo desert fo. a. 'Period
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6.th000・
宮ears.Tbis has further been conlirmec by scientists of the Tata Institute of l<'unda‑
mental Jteseareb, who bave estimated t:.e a:e of water in Jalsalmer Dii;trict ai ll.000 :re主rs.
Dr. ttamaswamys 4is・ cove1‑y that the 回。n釣on・!I vlirour chan2;ed around SOU BC is bi島sed on a苗tuc'b'ot modern weather charts of the northern hemisphere
and radio‑carbon datlnit evidence of the middle lati‑ tudes for the peri
。
d 6.5U岨BC to 500 BO.
!¥'laps for this p1・eblstρ
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timo ,vere c
。
n111iled anduuhlished by Witish sclent‑ 1st
喧 . 。
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