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Vol.24 , No.1(1975)001宮本 正尊「月樵の「大学樹立の精神」」

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全文

(1)

﹁大

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西

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月 樵 の ﹁大 学 樹 立 の 精 神 ﹂ ( 宮 本)

(2)

1-月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 神 ﹂ ( 宮 本) し よ う ね ん ば

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る。 こ う し た こ と は、 大 学 に つ い て の 現 代 的 必 緊 性 で あ り、 大 学 の 適 格 性 そ の も の が、 そ こ に か か つ て い る か ら で あ る。 一 一 欧 米 の 大 学、 日 本 の 大 学 令、 聖 喩 記、 安 田 講 堂 欧 米 の 大 学 中 世 か ら 近 代 へ か け て 発 達 し た 欧 米 大 学 の 雛 形 は、 チ ャ ペ ル ・ 講 堂 ・ 教 室 ・ 図 書 館 ・ 食 堂 ・ 寮 寄 宿 舎 ・ 体 育 ス ポ ー ツ 運 動 場 な ど が 主 要 な 機 構 と な つ て い る。 そ し て そ こ に 一 貫 し て い る 特 質 は、 何 か。 そ れ は 宗 教 行 事 と 実 践、 食 住 の 共 同 生 活 を 通 じ て の 対 話 と 懇 談 の 場 が 重 く 見 ら れ て い る こ と で あ る。 も つ と も 日 本 に も 同 じ 釜 の 飯 を 食 う と い う 言 葉 は あ る。 た だ 欧 米 の 大 学 教 育 に は、 こ う し た 慣 習 が 保 た れ て い て、 現 代 に 生 き な が ら え て い る こ と は、 現 代 的 に も 世 界 的 に も、 頼 も し い こ と で あ る。 大 学 令 日 本 で は、 大 正 七 年 ( 一 九 一 八) 十 二 月、 勅 令 第 三 百 八 十 八 号 に よ つ て ﹁ 大 学 令 ﹂ が 公 布 さ れ た。 第 一 条 大 学 ハ 国 家 二 須 要 ナ ル 学 術 ノ 理 論 及 応 用 ヲ 教 授 シ、 虹 其 ノ 慈 奥 ヲ 攻 究 ス ル ヲ 以 テ 目 的 ト シ、 兼 テ 人 格 陶 冶 及 国 家 思 想 ノ 酒 養 二 留 丑 忌 ス ベ キ モ ノ ト ス。 ﹃ 東 京 帝 国 大 学 学 術 大 観 ﹄ ⋮総 説 六 十 六 頁 一

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月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 ⋮神 ﹂ ( 宮 本)

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総 説 文 学 部 昭 和 十 七 年 十 二 月、 ヨ 四 一. 一レ 三 四 五 頁、

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K e rn) と 梵 文 ﹃ 法 華 経 ﹄ を、 泉 芳 環 と 梵 文 ﹃ 鰐 伽 経 ﹄ ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ を 刊 行 し た。 南 条 笠 原 は 明 治 十 四 年 九 月、 ベ ル リ ン 開 催 の 万 国 東 洋 学 士 会 議 ヘ マ 翁 に 随 つ て 参 加 し た。 終 つ て パ リ 図 書 館 で ﹃ 翻 訳 名 義 集 ﹄ ( Mahavyutaptti 馬 鳴 の ﹃ 仏 所 行 讃 ﹄ (Buddhacarita) な ど を 書 写 し、 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 所 蔵 の 仏 所 行 讃 と も 対 校 し た。 ま た 笠 原 は マ 翁 を 介 し て パ リ 図 書 館 か ら 五 百 三 十 五 校 に の ぼ る 梵 文 ﹄ 倶 舎 論 釈 ﹄ (Abhidharama-kosa-vyakhya) を 借 り 出 し て、 四 ケ 月 で 書 写 し た。 こ の 写 本 が 現 に 大 谷 大 学 図 書 館 に 所 蔵 さ れ て い る。 こ う し た 過 労 に よ つ て、 肺 患 を 重 く し、 医 師 の 勧 告 に よ つ て 帰 国 す る に 当 り、 マ 翁 に ﹃ 法 集 名 数 経 ﹄ (Dharmasamgraha) の 校 訂 梵 本 を 呈 上 し て、 そ の 学 恩 を 謝 し、 マ 翁 は 記 念 に 出 版 し 弟 子 の 笠 原 に 酬 い た。 笠 原 は セ イ ロ ン の 学 僧 と の 学 論 を 楽 し む こ と 二 週 間、 明 治 十 五 年 十 一 月 に 帰 国 し、 熱 海 で 静 養 し た が、 十 六 年 七 月 十 六 日、 薬 石 効 な く、 東 京 大 学 病 院 に お い て 示 寂 し た。 享 年 三 十 二 歳。 現 如 上 人 よ り ﹁ 梵 行 院 研 寿 ﹂ の 法 名 が 遺 族 に 贈 ら れ た。 マ ッ ク ス ・ ミ ュ ラ ー

の、TheLate Kenjiu Kasawara

笠 原 の 計 が 英 国 に 達 す る や、 師 の マ 博 士 は 明 治 十 六 年 九 月 二 十 二 日 の タ イ ム ズ

にThe Late Kenjiu Kasawara

" 逝 け る 研 寿 笠 原 " を 寄 稿 し た。 師 弟 の 恩 情 豊 か で 薫 り 高 い 名 文 で あ る。 そ の 全 訳 は ﹃ 明 治 仏 教 の 思 潮、 井

潮、

佼 成 出 版 社、 ト昭 和 五 十 年 三 月 ↓ 二 二 二 ー-ー一、 三 六 頁、 に あ る マ 翁 は そ の う ち に、 月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 神 ﹂ ( 宮 本)

(6)

月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 神 ﹂ ( 宮 本) (上 略) 彼 は 英 語 を 正 確 に 話 し、 且 つ 綴 つ た。 幾 分 の ラ テ ン 語 と 少 し ば か り フ ラ ン ス 語 を 学 ん だ。 ま た 歴 史 と 哲 学 に 関 す る 英 文 の 古 典 を 学 習 し た。 彼 は 帰 朝 後 に は 日 本 に お け る 非 常 に 有 為 な 人 物 と な つ た で あ ろ う。 何 ん と な れ ば、 彼 は た だ に 西 洋 文 明 の よ い と こ ろ は す べ て 鑑 賞 し 得 た ば か り で な く、 常 に 二 種 の 国 民 的 襟 度 を 持 つ て い て、 決 し て 単 な る 西 洋 の 模 倣 者 と な ろ う と は し な か つ た か ら で あ る。 彼 の 行 儀 は 完 全 で あ つ た。 そ し て そ の 行 儀 は 無 我 な 人 の 自 ず か ら な る 態 度 の そ れ で あ つ た。 彼 の 性 格 に つ い て は、 実 の と こ ろ 久 し き に わ た つ て 彼 を 観 察 し て 来 た の で あ る が、 予 は 彼 に ず る さ の 片 鱗 も 見 出 し 得 な か つ た と だ け は 断 言 で き る。 そ し て こ の 四 年 間 果 し て オ ッ タ ス フ ォ ー ド は 貧 し い 天 涯 の 孤 客 た る こ の 二 仏 教 僧 侶 よ り も 純 潔 に し て 高 雅 な 魂 の 持 ち 主 を そ の 学 徒 の う ち に 持 つ た で あ ろ う か。 予 は 疑 う も の で あ る。 仏 教 こ そ、 実 に こ の よ う な 人 物 を 誇 り と す べ き で あ ろ う。 (中 略) 予 は よ く 思 い 出 す の で あ る。 過 ぎ し 年、 わ れ 等 は マ ル ヴ ェ ル ン の 丘 か ら 一 緒 に 眺 め た あ の 輝 か し い 夕 陽 の 一 時 を。 西 方 の 空 は あ た か も 黄 金 の 幕 を お ろ し た よ う で あ つ た。 そ し て そ の 向 う に 何 物 が 蔽 わ れ て い る の か、 知 る 由 も な か つ た が。 そ の 時、 彼 は 予 に 語 つ た。 " あ れ こ そ、 わ れ 等 が 極 楽 の 東 の 門 と 呼 ん で い る も の で あ る " と。 彼 は 極 楽 を 楽 し み に し て 待 つ て い た。 そ し て そ こ で は 彼 を 愛 し て く れ た 懐 か し の 人 々、 ま た 彼 が 愛 し た そ れ 等 の す べ て の 人 々 と 倶 に 会 つ て、 無 量 光 に ま し ま す 阿 弥 陀 さ ま を 仰 ぎ 見 た て ま つ る の で あ る と、 彼 は 堅 く 信 じ て い た。 一 八 八 三 年 九 月 二 十 日 オ ッ タ ス フ ォ ー ド フ リ ー ド リ ッ ヒ ・ マ ッ タ ス ・ ミ ュ ラ ー マ 翁 が 研 寿 に 示 し た 親 愛 の 情 に つ い て は、 一 つ の エ ピ ソ ー ド が あ る。 マ 翁 夫 人 は 近 世 美 術 批 評 家 と し て 有 名 な オ ッ タ ス フ ォ ー ド 大 学 教 授 ラ ス キ ン (JOhn Ruskin) の 令 嬢 で あ つ て、 文 才 が 豊 か で あ つ た。 夫 妻 は 明 治 十 四 年 ( 一 八 八 一) カ ン ト の 第 一 批 判 書 を 英 訳 し

て、Critique of Pure Reasan

と し て 刊 行 し た。 哲 学 気 質 の 笠 原 は 一 本 を 購 い、 師 に 隠 れ て 愛 読 し て い た こ と が、 後 に 知 れ た の で あ る。 そ し て マ ッ ク ス こ、、 ユ ラ ー 博 士 の 胸 に 湧 い た 驚 き と 感 激 を 交 え た 友 情 は 大 き く ふ く ら ん だ も の と な つ た。 思 う に カ ン ト の 第 一 批 判 を 英 訳 で 読 ん だ 最 初 の 日 本 人 は 多 分 笠 原 で あ つ た で あ ろ う。 南 条 は そ の ﹃ 懐 旧 録 ﹄ 三 一 三 頁) に マ 翁 の 満 悦 ぶ り を、 一 度 そ の こ と に ふ れ る と、.. 肉 畠 旨

さKasawara, Oh Yes Oh Yes

と い つ て 歓 ば れ た と 伝 え て い る o 筆 者 が 東 大 文 学 部 の ﹁ 仏 教 概 説 ﹂ の 講 義 (時金 か曜 ら午10 前 時8) に、 世 界 の 碩 学 マ ッ ク ス ・ ミ ュ ラ ー が 若 く し て 学 問 に 一 身 を 捧 げ た 笠 原 研 寿 を 追 悼 し て、 こ れ ほ ど 真 実 を 探 求 す る 学 徒 は オ ッ タ ス フ ォ ー ド 五 千 の 学 徒 の う ち に い な い と ま で 激 賞 し て い る タ イ ム ズ 紙 上 の

The Late Kenjiu Kasawarar

を 紹 介 し た 時、 講 席 に あ つ て 感 ⋮激 し た 一 学 生 が ﹁ 先 生 是 非 こ れ を 毎 年 や つ て 下 さ い ﹂ と い つ て、 次 週 の ﹁ 仏 教 概 説 ﹂ の 時 間 に、 マ 翁 の 英 文 原 典 を タ イ プ に し た も の を 百 部 持 参 し て ﹁ 毎 年、 新 入 生 に 読 ま し て 下 さ い ﹂ と、 筆 者 に

(7)

手 渡 し た。 こ の 学 生 こ そ、 戦 死 に つ な が る 自 己 を 見 つ め た 仏 教 に 生 き る 自 叙 伝 小 説 ﹃ 召 さ る る 日 ま で ﹄ 昭 和 十 八 年 十 ﹄ 月 7十 五 日、 内 外 書 房、 を 発 行 日 の

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え に し 今 も 眼 に 新 し く 蘇 る 一 期 二 会 の 縁 で あ つ た。 筆 者 は 石 津 の 遺 言 通 り、 新 入 生 諸 君 に 記 念 の タ イ プ を く ば つ て 講 義 を し た。 マ 翁 が 笠 原 の た め に 追 悼 文 を 書 い て か ら 六 十 年 の 後 に、 極 東 に お け る 若 い 一 学 徒 を 感 激 さ せ た ﹁ 師 弟 愛 ﹂ に は、 ま さ に 普 遍 的 な 真 実 が 生 き 生 き と 薫 つ て い る。 弱 冠 二 十 一 歳 に し て 清 沢 満 之 の 一 文 を 読 ん で 医 学 を 中 退 し て 仏 学 に 向 つ た 筆 者 は、 つ と に ﹁文 は 人 な り ﹂ ﹁ 文 は 不 滅 な り ﹂ と 信 ず る 二 人 で あ る。 マ 翁 の 一 文 に 感 激 し て、 学 徒 出 陣 し 詳 荒 鷲 と し て 大 千 に 華 と し て 散 つ た 石 津 敬 を 敬 慕 す る ゆ え ん は、 釈 尊 仏 陀 の さ と り 以 来、 真 理 は 永 遠 性 で あ る と 教 え ら れ て い る か ら で あ る。 四 日 本 人 に 哲 学 と 美 術 の 真 価 を 教 え た フ ェ ノ ロ サ と ビ ゲ ロ ー 日 本 の 近 代 化 は、 明 治 年 間 に 招 い た 欧 米 人 教 師 と、 欧 米 に 学 ん だ 日 本 の 先 覚 者 た ち の 向 上 努 力 の 人 道 主 義.Humanism に よ る も の で あ る。 イ ン ド 学 仏 教 学 関 係 で は、 南 条 ・ 笠 原 を 始 め と し て、 高 楠 順 次 郎 ・ 渡 辺 海 旭 ・ 荻 原 雲 来 ・ 常 盤 井 尭 猷 ・ 大 森 禅 戒 ・ 立 花

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月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 神 ﹄ (宮 本)

参照

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