月
樵
の
﹁大
学
樹
立
の
精
神
﹂
宮
本
正
尊
一
大
学
の
在
り
方
に
つ
い
て
二
欧
米
の
大
学、
日
本
の
大
学
令、
聖
喩
記、
安
田
講
堂
三
東
西
を
つ
な
ぐ
師
弟
愛
四
日
本
人
に
哲
学
と
美
術
の
真
価
を
教
え
た
フ
ェ
ノ
ロ
サ
と
ビ
ゲ
ロ
ー
五
科
学
的
創
造
の
原
点
と
汚
染
六
原
子
力
汎
太
平
洋
国
際
会
議
と
太
平
洋
戒
壇
七
月
樵
の
﹁
大
谷
大
学
樹
立
の
精
神
﹂
八
月
樵
の
人
物
・
思
想
・
感
化
大
学
の
在
り
方
に
つ
い
て
研
究。
実
験.
教
育
今
日、
大
学
の
在
り
方
と
し
て(1)
に
研
究、
(2)
に
教
育
が
挙
げ
ら
れ
る。
し
か
し
現
在
の
機
構
で
は、
学
部
と
研
究
室。
実
験
室、
そ
れ
に
研
究
所
・
実
験
所
が
加
わ
つ
た
も
の
が
主
体
で
あ
る。
し
た
が
つ
て(1)
に
研
究、(2)
に
実
験、(3)
に
教
育
と
な
る。
こ
れ
と
い
う
の
も、
研
究
と
実
験
を
重
視
し
た
自
然
科
学
に
よ
つ
て、
近
代
的
進
歩
が
達
せ
ら
れ
た
か
ら
で
あ
る。
分
か
り
易
く
い
う
と、
日
本
学
術
会
議
が
自
然
科
学
・
社
会
科
学
・
人
文
科
学
の
三
分
野
か
ら
成
り
立
つ
て
い
る
け
れ
ど、
も
し
﹁
科
学
研
究
費
﹂
の
必
要
額
の
比
重
か
ら
す
れ
ば、
そ
の
大
部
分
は
自
然
科
学
に
充
当
さ
れ
る
の
で
あ
る。
人
文
・
社
会
は
も
の
の
比
で
は
な
い。
た
だ
こ
こ
で
大
事
な
こ
と
は、
各
分
野
の
学
問
研
究
の
重
要
性
と
真
理
性
に
軽
重
差
別
が
お
か
れ
て
は
い
な
い
の
で
あ
る。
こ
の
点
を
よ
く
わ き ま辮
え
て
お
か
な
い
と、
現
代
お
よ
び
将
来
に
お
け
る
学
問
研
究
の
真
実
も
権
威
も
な
く
な
つ
て
し
ま
う
お
そ
れ
が
出
て
く
る。
自
然
社
会
人
文
に
は、
そ
れ
ぞ
れ
独
自
の
分
野
が
あ
つ
て
こ
そ、
尊
い
の
で
あ
る
o
し
か
も
各
分
野
に
お
け
る
真
理
性
と
重
要
性
に
は、
つ
ね
に
﹁
け
じ
め
﹂
と
﹁
つ
な
が
り
﹂
の
両
者
が
あ
る。
た
だ
﹁
け
じ
め
﹂
の
独
自
性
だ
け
に
偏
つ
て
い
て
は、
到
底、
世
界
人
類
の
進
歩
を
願
い、
繁
栄
に
貢
献
す
る
科
学
者
た
る
資
格
を
持
ち
得
な
い
で
あ
ろ
う。
も
の
の
﹁
け
じ
め
﹂
と
い
う
も
の
は、
つ
ね
に
﹁
つ
な
が
り
﹂
に
よ
つ
て
相
互
の
在
り
方
を
知
り、
と
も
に
融
合
し
て
人
類
全
体
の
価
値
観
を
創
造
し、
実
用
性
を
も
増
進
し
て
く
る
の
で
あ
る。
政
府
も
民
間
も
月 樵 の ﹁大 学 樹 立 の 精 神 ﹂ ( 宮 本)1-月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 神 ﹂ ( 宮 本) し よ う ね ん ば
こ
う
し
た
科
学
研
究
の
も
つ
正
念
場
を
慎
重
に
観
察
し
て、
事
の
重
大
性
を
失
わ
な
い
よ
う
に
し
て
欲
し
い
科
学
者
自
身
は
も
と
よ
り
の
こ
と
で
あ
る。
そ
の
﹁
つ
な
が
り
﹂
に
お
い
て
こ
そ、
学
問
研
究
た
る
本
質
に
基
い
て、
自
己
存
在
も
確
か
な
も
の
に
な
る
こ
と
を、
よ
く
さ
と
る
べ
き
で
あ
ろ
う。
国
立
・
公
立
・
私
立
日
本
の
大
学
は、
国
立
公
立
私
立
に
分
類
さ
れ
る。
し
か
し
量
質
と
も
に
国
立
の
比
重
が
高
い。
こ
の
こ
と
は
激
し
い
入
学
試
験
競
争
に
数
量
と
実
質
が
出
て
い
る
し
た
が
つ
て、
大
学
の
在
り
方
を
語
る
に
し
て
も、
二
般
論
で
は
尽
せ
な
い
の
で
あ
る
た
だ
問
題
は、
大
学
と
名
の
つ
く
学
校
の
多
い
こ
と
と、
大
学
教
授
の
数
の
多
い
こ
と
で、
日
本
は
教
育
に
熱
心
だ
と
い
う
証
拠
に
は
な
ら
な
い。
む
し
ろ
科
学
性
に
弱
く、
常
識
性
に
足
り
な
い
こ
と
を
立
証
す
る
だ
け
で
あ
る。
対
話
と
懇
親
・
社
会
的
使
命
・
経
済
基
礎
の
健
全
性
さ
き
に
大
学
の
在
り
方
と
し
て、
ま
ず
研
究
・
実
験
・
教
育
を
挙
げ
た。
し
か
し
大
学
の
基
本
線
を
つ
め
て
行
く
と、
ま
つ
先
き
に
対
話
と
懇
親
の
場
は、
ど
う
な
つ
て
い
る
か
が、
重
要
な
問
題
に
な
つ
て
く
る。
寮
や
寄
宿
舎
に
お
い
て
師
弟
が
共
同
に
食
事
す
る
慣
習
の
場
が
あ
る
か、
ど
う
か。
宗
教
行
事
や
実
践
は
ど
う
な
つ
て
い
る
か。
さ
ら
に
体
育
と
ス
ポ
ー
ツ
が
重
ん
ぜ
ら
れ
て
い
る
か。
世
の
た
め
人
の
た
め、
大
衆
の
利
益
幸
福
の
た
め、
大
学
は
社
会
的
使
命
・を
ど
の
よ
う
に
実
践
し
て
い
る
か。
大
学
経
営
の
経
済
的
基
礎
付
け
が
健
全
で
あ
る
か、
ど
う
か。
等
々
で
あ
る。 こ う し た こ と は、 大 学 に つ い て の 現 代 的 必 緊 性 で あ り、 大 学 の 適 格 性 そ の も の が、 そ こ に か か つ て い る か ら で あ る。 一 一 欧 米 の 大 学、 日 本 の 大 学 令、 聖 喩 記、 安 田 講 堂 欧 米 の 大 学 中 世 か ら 近 代 へ か け て 発 達 し た 欧 米 大 学 の 雛 形 は、 チ ャ ペ ル ・ 講 堂 ・ 教 室 ・ 図 書 館 ・ 食 堂 ・ 寮 寄 宿 舎 ・ 体 育 ス ポ ー ツ 運 動 場 な ど が 主 要 な 機 構 と な つ て い る。 そ し て そ こ に 一 貫 し て い る 特 質 は、 何 か。 そ れ は 宗 教 行 事 と 実 践、 食 住 の 共 同 生 活 を 通 じ て の 対 話 と 懇 談 の 場 が 重 く 見 ら れ て い る こ と で あ る。 も つ と も 日 本 に も 同 じ 釜 の 飯 を 食 う と い う 言 葉 は あ る。 た だ 欧 米 の 大 学 教 育 に は、 こ う し た 慣 習 が 保 た れ て い て、 現 代 に 生 き な が ら え て い る こ と は、 現 代 的 に も 世 界 的 に も、 頼 も し い こ と で あ る。 大 学 令 日 本 で は、 大 正 七 年 ( 一 九 一 八) 十 二 月、 勅 令 第 三 百 八 十 八 号 に よ つ て ﹁ 大 学 令 ﹂ が 公 布 さ れ た。 第 一 条 大 学 ハ 国 家 二 須 要 ナ ル 学 術 ノ 理 論 及 応 用 ヲ 教 授 シ、 虹 其 ノ 慈 奥 ヲ 攻 究 ス ル ヲ 以 テ 目 的 ト シ、 兼 テ 人 格 陶 冶 及 国 家 思 想 ノ 酒 養 二 留 丑 忌 ス ベ キ モ ノ ト ス。 ﹃ 東 京 帝 国 大 学 学 術 大 観 ﹄ ⋮総 説 六 十 六 頁 一こ
の
大
学
令
に
は
ま
ず
第
二
に
﹁
学
術
の
理
論
お
よ
び
応
用
の
教
授
と
そ
の
纏
奥
を
攻
究
す
る
こ
と
﹂
が
目
的
と
な
つ
て
い
る。
第
二
に
兼
て
﹁
人
格
の
陶
冶
﹂
第
三
に
﹁
国
家
思
想
の
酒
養
﹂
に
留
意
す
べ
し
と、
三
つ
の
柱
が
立
て
ら
れ
て
い
る。
明
治
天
皇
陛
下
東
大
御
臨
幸
明
治
十
九
年
十
月
二
十
九
日、
明
治
天
皇
陛
下
が
東
京
大
学
へ
行
幸
遊
ば
さ
れ、
元
田
永
孚
侍
講
に
よ
つ
て、
聖
意
の
あ
る
と
こ
ろ
を
喩
し
た
ま
わ
つ
た
﹃
聖
喩
記
﹄
が
あ
る。
﹃
東
京
帝
国
大
学
五
十
年
史
﹄
上
二
〇〇
赫
伍
劇)
に
よ
れ
ば、
明
治
十
九
年
十
月
二
十
九
日、
明
治
天
皇
が
東
京
大
学
へ
行
幸
遊
ば
さ
れ、
午
前
は
理
科
医
科
法
科
文
科、
図
書
館
植
物
園
を
御
巡
覧
の
う
え、
午
後
一
時
す
き、
還
幸
遊
ば
さ
れ
た
o
そ
し
て
十
一
月
五
日、
侍
講
元
田
永
孚
を
召
さ
れ、
天
覧
あ
り
し
大
学
の
模
様
に
つ
き、
聖
意
の
有
る
所
を
喩
し
た
ま
わ
つ
た
記
述
が
﹃
聖
喩
記
﹄
で
あ
る。
そ
の
う
ち
と
く
に
﹁
修
身
﹂
と
﹁
日
本
哲
学
﹂
に
つ
い
て
の
一
節
を
注
意
し
た
い。
聖
喩
記
朕
過
日
大
学
に
臨
す
o
設
る
所
の
学
科
を
巡
視
す
る
に、
理
科
化
学
科
・
植
物
科
・
医
科
・
法
科
等
は
益
々
其
進
歩
を
見
る
可
し
と
錐
と
も、
主
本
と
す
る
所
の
修
身
の
学
科
に
於
て
は、
曾
て
見
る
所
無
し。
和
漢
の
学
科
は
修
身
を
専
ら
と
し、
古
典
講
習
科
あ
り
と
聞
く
と
錐
と
も、
如
何
な
る
所
に
設
け
あ
る
や、
過
日
視
る
こ
と
無
し。
抑
大
学
は
日
本
教
育
高
等
の
学
校
に
し
て、
高
等
の
人
材
を
成
就
す
べ
き
所
な
り。
然
る
に
今
の
学
科
に
し
て
政
治
治
要
の
道
を
講
習
し
得
べ
き
人
材
を
求
め
ん
と
欲
す
る
も
決
し
て
得
べ
か
ら
ず。
仮
令
理
化
医
科
等
の
卒
業
に
て
其
人
物
を
成
し
た
る
と
も、
入
つ
て
相
と
な
る
可
き
者
に
非
ず。
当
世
復
古
の
功
臣
内
閣
に
入
て
政
を
執
る
と
錐
ど
も、
永
久
を
保
す
べ
か
ら
ず。
之
に
継
ぐ
の
相
材
を
育
成
せ
ざ
る
べ
か
ら
ず。
然
る
に
今
大
学
の
教
科
和
漢
修
身
の
科
有
る
や
無
き
や
も
知
ら
ず。
国
学
漢
儒
固
随
な
る
者
あ
り
と
錐
ど
も、
其
固
随
な
る
は
其
人
の
過
ち
な
り。
其
道
の
本
体
に
於
て
は
固
よ
り
之
を
皇
張
せ
ざ
る
可
か
ら
ず。
(中
略)
臣
嘗
て
大
学
々
科
の
設
け
を
聞
く
に
修
身
の
学
科
な
し、
和
漢
の
学
は
文
学
科
に
和
漢
文
あ
り
と
錐
ど
も、
僅
か
に
和
漢
の
文
章
を
作
る
の
み。
哲
学
科
に
東
洋
哲
学
あ
り
と
錐
ど
も、
是
亦
僅
か
に
経
書
聖
賢
の
話
を
述
る
の
み。
加
之、
僅
か
の
時
限
を
以
て
勿
々
に
経
過
す
れ
ば、
和
漢
修
身
の
学
と
僅
か
に
名
の
み
に
し
て、
其
勢
将
に
廃
棄
せ
ら
れ
ん
と
す
(中
略)。
其
忠
孝
道
徳
の
主
本
に
於
て
は、
和
漢
の
固
有
な
り。
今
西
洋
教
育
の
方
法
に
由
て
其
課
程
を
設
け、
東
洋
哲
学
中
に
道
徳
の
精
微
を
窮
る
に
至
る
の
学
科
を
置
き、
忠
孝
廉
恥
の
近
き
よ
り、
進
ん
で
経
国
安
民
の
遠
大
を
知
得
す
る
を
務
め
た
ら
ん
こ
と、
真
の
日
本
帝
国
の
大
学
と
称
す
べ
き
な
り。
(下
略)
つ
い
で
﹃
五
十
年
史
﹄
上
(
一
〇
六
九
頁)
に
次
の
記
事
が
あ
る。
翌
年
(
二
十)
年
五
月
十
二
日、
徳
大
寺
侍
従
長
東
京
帝
国
大
学
に
参
向、
日
本
哲
学
の
こ
と
を
総
長
に
尋
問
し、
総
長
よ
り
日
本
に
於
て
は
固
有
の
哲
学
な
し
云
々
の
答
を
得、
之
を
復
奏
せ
る
こ
と、
同
侍
従
長
の
日
記
に
見
え
た
り
(下
略)
安
田
講
堂
明
治
二
十
三
年
九
月、
原
坦
山
・
吉
谷
覚
寿
の
後
を
襲
つ
て
東
大
講
師
と
な
つ
た
村
上
専
精
は、
た
ま
た
ま
あ
る
日
教
員
室
で、
国
史
の
三
上
参
次
教
授
か
ら
﹁
村
上
さ
ん、
日
本
全
国
に
隠
没
し
て
い
る
と
こ
ろ
の
史
料
を
懲
集
す
る
た
め
に、
明
治
八
年
以
来
政
府
が
国
庫
か
ら
費
用
を
支
出
し
て
き
た
が、
積
ん
で
山
の
ご
と
き
莫
大
な
史
料
の
三
分
の
二
以
上
が、
み
な
仏
教
史
の
材
料
で
す
よ
o
思
へ
ば、
日
本
は
ま
つ
た
く
仏
教
国
で
あ
つ
た。
仏
教
史
を
除
け
ば、
日
本
歴
史
は
成
立
し
な
い。
思
へ
ば、
日
本
は
実
に
仏
教
国
で
あ
り
ま
し
た
﹂
と
聞
月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 ⋮神 ﹂ ( 宮 本)月
樵
の
﹁
大
学
樹
立
の
精
神
﹂
(宮
本)
き、
そ
の
談
話
に
深
く
動
か
さ
れ、
明
治
三
十
七
年
四
月
八
日、
鷲
尾
順
敬
・
境
野
黄
洋
ら
の
助
力
を
得
て、
﹁
仏
教
史
林
﹂
を
発
刊
し
た
o
そ
の
本
誓
に、
抑
も
余
輩
の
精
神
此
の
如
く
凝
結
す
る
所
以
は、
一
に
仏
教
史
は
日
本
の
国
史
に
至
大
の
関
係
あ
る
が
故
に、
国
家
を
思
ふ
忠
義
心
に
指
導
せ
ら
る
る
こ
と、
二
に
仏
教
史
は
吾
身
の
栖
息
す
る
自
家
の
経
歴
な
る
が
故
に、
仏
教
其
者
を
思
ひ
祖
先
其
人
を
思
ふ
義
務
心
に
動
誘
せ
ら
る
る
こ
と
に
由
る
も
の
な
り。
余
輩
は
此
の
二
由
に
依
つ
て
一
心
已
に
凝
結
せ
る
が
故
に、
是
よ
り
泰
山
を
挾
ん
で
北
海
を
越
え
ん
と
す
る
に
左
も
似
た
る
業
務
に、
大
胆
な
が
ら
も
従
事
せ
ん
と
す。
こ
の
よ
う
に
国
家
を
思
う
忠
義
心
と
祖
先
を
思
う
義
務
心
に
立
ち
あ
が
つ
た
村
上
専
精
は、
壮
大
な
意
気
に
燃
え
て、
明
治
を
代
表
す
る
に
足
る
大
著
﹃
仏
教
統
二
論
﹄
(
大
綱
論
34
年、
原
理
論
36
年、
仏
陀
論
38
年、
実
践
論
二
巻
昭
和
2
年)
五
巻
を
完
成
し
た。
さ
ら
に
安
田
善
次
郎
翁
を
説
い
て、
大
正
六
年
十
一
月
﹁
印
度
哲
学
講
座
﹂
創
設
に
成
功
し
た。
時
に
専
精
六
十
七
歳。
東
大
教
授
に
任
じ、
印
度
哲
学
講
座
担
任
を
命
ぜ
ら
れ
た。
専
精
つ
と
に、
天
皇
陛
下
東
大
御
臨
奉
に
際
し、
御
休
憩
に
な
る
御
便
殿
の
な
い
こ
と
を
恐
催
し
て
い
た。
勇
を
鼓
し
て、
安
田
善
次
郎
翁
に
勧
奨
こ
れ
努
め
た
誠
意
に
感
じ
て、
大
正
十
年
五
月
六
日、
善
次
郎
翁
自
ら
古
在
総
長
を
訪
問
し
て、
金
百
万
円
を
も
つ
て
便
殿
お
よ
び
大
講
堂
の
建
造
な
ら
び
に
寄
附
を
申
し
入
れ、
大
学
は
こ
れ
を
受
け
た。
竣
工
式
は
大
正
十
四
年
七
月
六
日。
寄
附
金
は
総
額
百
十
五
万
に
の
ぼ
つ
た。
昭
和
十
五
年
十
月
八
日、
今
上
陛
下
東
大
に
御
臨
幸
遊
ば
さ
れ、
始
め
て
御
便
殿
に
入
ら
せ
給
い、
全
学
職
員
六
百
名
に
拝
謁
を
賜
わ
つ
た
式
後、
筆
者
は
雑
司
ケ
谷
墓
地、
香
厳
院
釈
専
精
の
墓
に
参
拝、
御
臨
幸
の
一
伍
一
什
を
報
告
し
た。
(﹃
東
京
帝
国
大
学
学
術
大
観
﹄
総 説 文 学 部 昭 和 十 七 年 十 二 月、 ヨ 四 一. 一レ 三 四 五 頁、三
東
西
を
つ
な
ぐ
師
弟
愛
光
尊
・
黙
雷
と
海
外
新
知
識
明
治
維
新
に
お
け
る
神
道
者
の
排
仏
運
動
は
初
め
の
三
年
ほ
ど
は
嵐
の
よ
う
に
吹
き
荒
れ
た
が、
そ
れ
を
過
ぎ
る
と
欧
米
の
哲
学
や
科
学
思
想
か
ら
の
反
映
も
あ
つ
て、
新
し
い
時
代
か
ら
遊
離
し
て
い
る
弱
い
面
の
あ
る
こ
と
も
顕
わ
に
な
つ
て
き
た。
当
時、
政
府
当
局
に
宗
教
認
識
が
浅
く、
政
策
そ
の
も
の
も
不
用
意
で
あ
つ
た。
こ
う
し
た
混
乱
し
た
明
治
初
期
に
あ
つ
て、
宗
教
界
に
お
い
て、
時
代
の
前
途
を
見
抜
く
ほ
ど
の
英
遭
な
人
物
が
あ
つ
た。
西
本
願
寺
第
二
十
一
世
の
明
如
宗
主
光
尊
上
人
一 八 五 〇 一 九 〇 三そ
の
人
で
あ
る
維
新
の
原
点
に
立
つ
て、
正
し
い
日
本
を
建
設
す
る
意
気
に
燃
え、
広
く
知
識
を
世
界
に
求
め
る
こ
と
こ
そ、
先
決
問
題
で
あ
る
と
し
て、
明
治
四
年、
島
地
黙
雷
・
赤
松
連
城
を
欧
州
に
派
遣
し、
宗
教
事
情
の
調
査
と
制
度
慣
行
の
研
究
に
当
ら
し
め
た。
黙
雷
は
長
州
の
英
才
で、
維
新
の
元
勲
木
戸
孝
允
・
伊
藤
博
文
な
ど
と
親
交
も
あ
り、
知
遇
も
得
て
い
た。
大
洲
鉄
然
・
赤
松
連
城
ら
と
と
も
に
本
願
寺
の
近
代
化
・
宗
門
建
て
直
し
に
偉
功
を
建
て
た
ば
か
り
で
な
く
﹁
三
条
教
則
建
白
書
﹂
﹁
大
教
院
分
離
建
白
書
﹂
な
ど
に
よ
つ
て、
大
き
く
世
論
を
喚
起
し
て、
政
教
分
離
・
信
教
自
由
運
動
に
遭
進
し
た。
し
か
も
幸
い
な
こ
と
に、
東
本
願
寺
宗
政
の
大
立
物
石
川
舜
台
・
哲
学
館
(
今
の
東
洋
大
学
の
前
身)
の
創
立
者
井
上
円
了
・
共
存
同
衆
運
動
の
主
唱
者
で
あ
り
曹
洞
宗
の
礼
仏
行
儀
の
宝
典
﹃
修
証
義
﹄
を
編
纂
し
た
大
内
青
轡
な
ど
が
み
な
挙
つ
て
黙
雷
の
後
押
し
を
し
て、
成
功
せ
し
め
た。
こ
の
こ
と
は、
明
治
仏
教
の
す
べ
り
出
し
に、
大
き
な
和
合
力
と
実
行
推
進
力
を
与
え、
新
し
い
日
本
の
前
途
に
光
り
と
希
望
を
そ
そ
ぎ
こ
む
こ
と
が
で
き
た。
こ
れ
に
対
し、
明
治
六
年
九
月
十
三
日、
東
本
願
寺
で
は
光
螢
新
法
主
の
随
行
と
し
て
石
川
舜
台
・
成
島
柳
北
・
松
本
白
華
・
関
信
三
ら
が
渡
欧
し
た。
舜
台
は
翌
七
年
ア
メ
リ
カ
経
由
で
帰
国
し、
直
ち
に
﹁
翻
訳
局
﹂
を
設
置
し
て、
海
外
文
化
の
吸
収
に
先
鞭
を
つ
け
る
と
と
も
に、
新
時
代
に
生
き
る
人
材
を
養
う
べ
く、
明
治
九
年、
笠
原
研
寿
と
南
条
文
雄
を
英
国
オ
タ
ッ
ス
フ
ォ
ー
ド
へ
送
り、
当
時
の
世
界
的
碩
学
マ
ッ
タ
ス
・
ミ
ュ
ラ
ー
教
授
へ
入
門
せ
し
め
た。
南
条
力
タ
ロ
ー
ゲ
の
貢
献
南
条
は
英
文
﹃
大
明
三
蔵
聖
教
目
録
﹄
を
完
成
し
た。
欧
米
人
が
漢
訳
大
蔵
経
を
学
ぶ
た
だ
一
つ
の
指
針
を
提
供
し、
今
日
も
な
お
﹁南
条
カ
タ
ロ
ー
グ
﹂
と
し
て
親
ま
れ
て
い
る。
さ
ら
に
南
条
は
マ
翁
を
扶
け、
法
隆
寺
や
高
貴
寺
に
保
存
さ
れ
て
い
た
﹃
金
剛
般
若
経
﹄
﹃
阿
弥
陀
経
﹄
な
ど
の
梵
本
刊
行
に
協
力
し
た。
ま
た
オ
ラ
ン
ダ
の
ケ
ル
ン
(H.
K e rn) と 梵 文 ﹃ 法 華 経 ﹄ を、 泉 芳 環 と 梵 文 ﹃ 鰐 伽 経 ﹄ ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ を 刊 行 し た。 南 条 笠 原 は 明 治 十 四 年 九 月、 ベ ル リ ン 開 催 の 万 国 東 洋 学 士 会 議 ヘ マ 翁 に 随 つ て 参 加 し た。 終 つ て パ リ 図 書 館 で ﹃ 翻 訳 名 義 集 ﹄ ( Mahavyutaptti 馬 鳴 の ﹃ 仏 所 行 讃 ﹄ (Buddhacarita) な ど を 書 写 し、 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 所 蔵 の 仏 所 行 讃 と も 対 校 し た。 ま た 笠 原 は マ 翁 を 介 し て パ リ 図 書 館 か ら 五 百 三 十 五 校 に の ぼ る 梵 文 ﹄ 倶 舎 論 釈 ﹄ (Abhidharama-kosa-vyakhya) を 借 り 出 し て、 四 ケ 月 で 書 写 し た。 こ の 写 本 が 現 に 大 谷 大 学 図 書 館 に 所 蔵 さ れ て い る。 こ う し た 過 労 に よ つ て、 肺 患 を 重 く し、 医 師 の 勧 告 に よ つ て 帰 国 す る に 当 り、 マ 翁 に ﹃ 法 集 名 数 経 ﹄ (Dharmasamgraha) の 校 訂 梵 本 を 呈 上 し て、 そ の 学 恩 を 謝 し、 マ 翁 は 記 念 に 出 版 し 弟 子 の 笠 原 に 酬 い た。 笠 原 は セ イ ロ ン の 学 僧 と の 学 論 を 楽 し む こ と 二 週 間、 明 治 十 五 年 十 一 月 に 帰 国 し、 熱 海 で 静 養 し た が、 十 六 年 七 月 十 六 日、 薬 石 効 な く、 東 京 大 学 病 院 に お い て 示 寂 し た。 享 年 三 十 二 歳。 現 如 上 人 よ り ﹁ 梵 行 院 研 寿 ﹂ の 法 名 が 遺 族 に 贈 ら れ た。 マ ッ ク ス ・ ミ ュ ラ ーの、TheLate Kenjiu Kasawara
笠 原 の 計 が 英 国 に 達 す る や、 師 の マ 博 士 は 明 治 十 六 年 九 月 二 十 二 日 の タ イ ム ズ
にThe Late Kenjiu Kasawara
" 逝 け る 研 寿 笠 原 " を 寄 稿 し た。 師 弟 の 恩 情 豊 か で 薫 り 高 い 名 文 で あ る。 そ の 全 訳 は ﹃ 明 治 仏 教 の 思 潮、 井
全
訳
は
﹃
明
治
仏
教
の
思
潮、
井
上
円
了
の
事
績
﹄
佼 成 出 版 社、 ト昭 和 五 十 年 三 月 ↓ 二 二 二 ー-ー一、 三 六 頁、 に あ る マ 翁 は そ の う ち に、 月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 神 ﹂ ( 宮 本)月 樵 の ﹁ 大 学 樹 立 の 精 神 ﹂ ( 宮 本) (上 略) 彼 は 英 語 を 正 確 に 話 し、 且 つ 綴 つ た。 幾 分 の ラ テ ン 語 と 少 し ば か り フ ラ ン ス 語 を 学 ん だ。 ま た 歴 史 と 哲 学 に 関 す る 英 文 の 古 典 を 学 習 し た。 彼 は 帰 朝 後 に は 日 本 に お け る 非 常 に 有 為 な 人 物 と な つ た で あ ろ う。 何 ん と な れ ば、 彼 は た だ に 西 洋 文 明 の よ い と こ ろ は す べ て 鑑 賞 し 得 た ば か り で な く、 常 に 二 種 の 国 民 的 襟 度 を 持 つ て い て、 決 し て 単 な る 西 洋 の 模 倣 者 と な ろ う と は し な か つ た か ら で あ る。 彼 の 行 儀 は 完 全 で あ つ た。 そ し て そ の 行 儀 は 無 我 な 人 の 自 ず か ら な る 態 度 の そ れ で あ つ た。 彼 の 性 格 に つ い て は、 実 の と こ ろ 久 し き に わ た つ て 彼 を 観 察 し て 来 た の で あ る が、 予 は 彼 に ず る さ の 片 鱗 も 見 出 し 得 な か つ た と だ け は 断 言 で き る。 そ し て こ の 四 年 間 果 し て オ ッ タ ス フ ォ ー ド は 貧 し い 天 涯 の 孤 客 た る こ の 二 仏 教 僧 侶 よ り も 純 潔 に し て 高 雅 な 魂 の 持 ち 主 を そ の 学 徒 の う ち に 持 つ た で あ ろ う か。 予 は 疑 う も の で あ る。 仏 教 こ そ、 実 に こ の よ う な 人 物 を 誇 り と す べ き で あ ろ う。 (中 略) 予 は よ く 思 い 出 す の で あ る。 過 ぎ し 年、 わ れ 等 は マ ル ヴ ェ ル ン の 丘 か ら 一 緒 に 眺 め た あ の 輝 か し い 夕 陽 の 一 時 を。 西 方 の 空 は あ た か も 黄 金 の 幕 を お ろ し た よ う で あ つ た。 そ し て そ の 向 う に 何 物 が 蔽 わ れ て い る の か、 知 る 由 も な か つ た が。 そ の 時、 彼 は 予 に 語 つ た。 " あ れ こ そ、 わ れ 等 が 極 楽 の 東 の 門 と 呼 ん で い る も の で あ る " と。 彼 は 極 楽 を 楽 し み に し て 待 つ て い た。 そ し て そ こ で は 彼 を 愛 し て く れ た 懐 か し の 人 々、 ま た 彼 が 愛 し た そ れ 等 の す べ て の 人 々 と 倶 に 会 つ て、 無 量 光 に ま し ま す 阿 弥 陀 さ ま を 仰 ぎ 見 た て ま つ る の で あ る と、 彼 は 堅 く 信 じ て い た。 一 八 八 三 年 九 月 二 十 日 オ ッ タ ス フ ォ ー ド フ リ ー ド リ ッ ヒ ・ マ ッ タ ス ・ ミ ュ ラ ー マ 翁 が 研 寿 に 示 し た 親 愛 の 情 に つ い て は、 一 つ の エ ピ ソ ー ド が あ る。 マ 翁 夫 人 は 近 世 美 術 批 評 家 と し て 有 名 な オ ッ タ ス フ ォ ー ド 大 学 教 授 ラ ス キ ン (JOhn Ruskin) の 令 嬢 で あ つ て、 文 才 が 豊 か で あ つ た。 夫 妻 は 明 治 十 四 年 ( 一 八 八 一) カ ン ト の 第 一 批 判 書 を 英 訳 し
て、Critique of Pure Reasan
と し て 刊 行 し た。 哲 学 気 質 の 笠 原 は 一 本 を 購 い、 師 に 隠 れ て 愛 読 し て い た こ と が、 後 に 知 れ た の で あ る。 そ し て マ ッ ク ス こ、、 ユ ラ ー 博 士 の 胸 に 湧 い た 驚 き と 感 激 を 交 え た 友 情 は 大 き く ふ く ら ん だ も の と な つ た。 思 う に カ ン ト の 第 一 批 判 を 英 訳 で 読 ん だ 最 初 の 日 本 人 は 多 分 笠 原 で あ つ た で あ ろ う。 南 条 は そ の ﹃ 懐 旧 録 ﹄ 三 一 三 頁) に マ 翁 の 満 悦 ぶ り を、 一 度 そ の こ と に ふ れ る と、.. 肉 畠 旨
さKasawara, Oh Yes Oh Yes
と い つ て 歓 ば れ た と 伝 え て い る o 筆 者 が 東 大 文 学 部 の ﹁ 仏 教 概 説 ﹂ の 講 義 (時金 か曜 ら午10 前 時8) に、 世 界 の 碩 学 マ ッ ク ス ・ ミ ュ ラ ー が 若 く し て 学 問 に 一 身 を 捧 げ た 笠 原 研 寿 を 追 悼 し て、 こ れ ほ ど 真 実 を 探 求 す る 学 徒 は オ ッ タ ス フ ォ ー ド 五 千 の 学 徒 の う ち に い な い と ま で 激 賞 し て い る タ イ ム ズ 紙 上 の
The Late Kenjiu Kasawarar
を 紹 介 し た 時、 講 席 に あ つ て 感 ⋮激 し た 一 学 生 が ﹁ 先 生 是 非 こ れ を 毎 年 や つ て 下 さ い ﹂ と い つ て、 次 週 の ﹁ 仏 教 概 説 ﹂ の 時 間 に、 マ 翁 の 英 文 原 典 を タ イ プ に し た も の を 百 部 持 参 し て ﹁ 毎 年、 新 入 生 に 読 ま し て 下 さ い ﹂ と、 筆 者 に
手 渡 し た。 こ の 学 生 こ そ、 戦 死 に つ な が る 自 己 を 見 つ め た 仏 教 に 生 き る 自 叙 伝 小 説 ﹃ 召 さ る る 日 ま で ﹄ 昭 和 十 八 年 十 ﹄ 月 7十 五 日、 内 外 書 房、 を 発 行 日 の