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在日ペルー人における「多文化共生」をめぐる葛藤 : 愛知県T市の日本語教室のインタビュー調査から 利用統計を見る

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(1)

著者名(日)

井沢 泰樹

雑誌名

東洋大学社会学部紀要

50

1

ページ

113-127

発行年

2012

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003130/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

(2)

在日ペルー人における「多文化共生」をめぐる葛藤

―愛知県T市の日本語教室のインタビュー調査から―

Difficulties about Multicultural Symbiotic Society

that Peruvians in Japan Facing

―From the Research Interview to Peruvians and a Japanese Teacher

Concerned with the Japanese Language Classes at T City in Aichi―

井沢 泰樹

Yasuki IZAWA

はじめに  日本の2011年末現在における外国人登録者数は207万8,480人であり、日本の総人口の1.63%であっ た。1991年末現在の外国人登録者数は121万8,891人であり、増加数は85万9,617人、増加率は約1.7倍 である。近年では在日南米人をはじめとする「ニューカマー」外国人の就労・生活・教育の問題が大 きな課題となっている。そしてこうした状況をうけて、日本政府および各自治体でも「多文化共生」 政策・施策が策定され実施されている。しかしそうした施策はかならずしも効果をもたらしていると はいえない状況にある。  本論では、愛知県T市で在日ペルー人によって運営される日本語教室において、ペルー人保護者と 日本語指導ボランティアからおこなったインタビュー調査をもとに、在日外国人が日本社会に対して 持つジレンマと期待をうきぼりにするものである。 1 .日本における多文化的状況  2011年末現在における外国人登録者数は、207万8,480人であり、前年に比べ、 5 万5,671人(22.6 %)減少した。2008年末をピークに 3 年連続で微減傾向が続いており、2011年末は、 5 年前の2006年 末(208万4,919人)をわずかに下回った。外国人登録者の日本の総人口 1 億2,773万人に占める割合 は、前年に比べ0.04ポイント減少し、1.63%となった1  1990年代にはいって、日系南米人をはじめとする「ニューカマー」外国人が急増した。かつて日本 における「在日外国人問題」とは在日コリアンをはじめとする、「オールドカマー」外国人の問題が 主であったが、今日では、「ニューカマー」外国人の日本語習得等、日本への社会適応の問題が大き

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な課題としてあがっている。こうした状況下、自治体や国の機関で「多文化共生」のスローガンが掲 げられ、会議名や部署名に「多文化共生」を入れることが多くなった2  日系定住外国人は、これまでは主として派遣・請負等の雇用形態で製造業などに雇用されており、 労働者派遣事業者や請負事業者が生活全般の面倒を見たことにより、日本語を介した日本社会とのか かわりを持たなくても生活が可能であったため、長期にわたり居住しながら日本語能力が不十分な 人々も多く見られたが、2008年秋の世界的経済危機により、従来の形の就労が不可能になり、再就職 も難しく、生活困難な状況に置かれる人々が増加した。  こうした中、就職の見込みがない者など日本での生活を断念する人々は相当数帰国したものと思わ れるが、日本に残り続けている人々も多数おり、日本での暮らしが長期に及んだ人々はこのまま定住 を希望する傾向にある。  在日ブラジル人・ペルー人の多くを占めるのは、日本人の子孫として日本と特別な関係にあること に着目してその受入れが認められ、日本に在留する、ブラジル人、ペルー人を中心とする日系人およ 表 1 :「定住者」の国籍(出身地)別の推移(各年末現在)(『平成23年版 在留外国人統計』) 国籍(出身地) 2006 2007 2008 2009 2010 総数 268,836 268,604 258,498 221,771 194,602 ブラジル 153,141 148,528 137,005 101,250 77,359 フィリピン 29,907 33,332 35,717 37,131 37,870 中国 33,305 33,816 33,600 33,651 32,048 ペルー 20,612 20,255 18,969 16,695 14,849 韓国・朝鮮 8,891 8,803 8,722 8,622 8,374 その他 22,980 23,870 24,485 24,422 24,102 表 2 :外国人登録者数の推移(国籍・地域別、各年度末)(法務省出入国管理局) 年国籍 (出身地) 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 総数 1,851,758 1,915,030 1,973,747 2,011,555 2,084,919 2,152,973 2,217,426 2,186,121 2,134,151 2,078,480 中国 424,282 462,396 487,570 519,561 560,741 606,889 655,377 680,518 687,156 674,871 構成比(%) 22.9 24.1 24.7 25.8 26.9 28.2 29.6 31.1 32.2 32.7 韓国・朝鮮 625,422 613791 607,419 598,687 598,219 593,489 589,239 578,495 565,989 545,397 構成比(%) 33.8 32.1 30.8 29.8 28.7 27.6 26.6 26.5 26.5 26.2 ブラジル 268,332 274,700 286,557 302,080 312,979 316,967 312,582 267,456 230,552 210,032 構成比(%) 14.5 14.3 14.5 15 15 14.7 14.1 12.2 10.8 10.1 フィリピン 169,359 185,237 199,394 187,261 193,488 202,592 210,617 211,716 210,181 209,373 構成比(%) 9.1 9.7 10.1 9.3 9.3 9.4 9.5 9.7 9.8 10.1  ペルー 51,772 53,649 55,750 57,728 58,721 59,696 59,723 57,464 54,636 52,842 構成比(%) 2.8 2.8 2.8 2.9 2.8 2.8 2.7 2.6 2.6 2.5 米国 47,970 47,836 48,844 49,390 51,321 51,851 52,683 52,149 50,667 49,815 構成比(%) 2.6 2.5 2.5 2.5 2.5 2.4 2.4 2.4 2.4 2.4 その他 264,621 277,421 288,213 296,848 309,450 321,489 337,205 338,323 334,970 336,150 構成比(%) 14.3 14.5 14.6 14.8 14.8 14.9 15.2 15.5 15.7 16.2

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びその家族である。政府および行政は、この在日する日系人のことを「日系定住外国人」と呼んでい る。日系定住外国人は、1988年以降入国が急増し、一定の地域において多数居住することになった。  従来、日系人については、日本国籍保有者を別として、 2 世までは「日本人の配偶者等」の資格で 3 年までの在留が、また 3 世については、当初、祖父母 4 人全員が日本人である場合に限りまたその 後は 4 親等以内の者による身分保証が得られた場合に「特定の在留資格」により法務大臣が特に在留 を認めた者として在留への道が開かれていた。この意味では旧入管法でも、日系人に対しては他の国 籍保有者よりも優遇されてきた。しかし、「特定の在留資格」は「配偶者」資格に比べ手続きも複雑 でまた承認までにも長時間を要した。  1990年に施行された改正入管法で「定住者」資格が新設された。この資格はもともと日本が受け入 れた難民に対する在留資格として設けられたものであるが、新たに日系 3 世もこの資格の適用を受け られるようになり、その申請手続きも簡素化された。さらに 3 世の他に日系でなくとも日系 2 世の配 偶者についても「定住者」資格での在留が認められることになり、日系人の在留の幅が大きく拡大さ れた。現在では日系人の多くはこの「定住者」および「日本人の配偶者等」などの、身分または地位 に基づく在留資格で在留しており、活動に基づく在留資格により入国した人々と異なり活動内容に制 限がなく自由に就労できる3  ここ数年、外国人登録者数は減少しているが、一方、2012年 1 月の国立社会保障・人口問題研究所 の発表では、人口減少は進み、2060年の推計人口は8,674万人で、この年までの50年間に4,132万人の 減少が見込まれるとされる4。また、2060年には65歳以上人口割合は39.9%、生産年齢人口は50.9% と推計されている。こうしたことから、短期的には在日外国人人口は若干の減少をみるかもしれない が、中長期的にはやはり増加傾向をたどるであろうというのが一般的な見方といえる。 2 .ニューカマーの子どもの教育状況-在日ペルー人の場合-  ニューカマーの外国人の問題、とくに在日南米人や日系南米人の問題を議論するときに中心となる のはやはり、数的に多数を占めるブラジル人の場合が多い。在日ペルー人は在日ブラジル人の約 4 分 の 1 の数であり、行政としても自ずと多数者である在日ブラジル人を念頭におく場合が多くなる。実 際、行政が主催する多くの「多文化共生」と銘打った催し物では、ポルトガル語の通訳は多くても、 スペイン語の通訳は少ない。在日南米人の多くを占める日系人のなかでペルー人は相当数を占めてい るが、その存在に注目されることは必ずしも多いとはいえない。  本論では在日外国人のうち1980年以降、渡日した人々を、それ以前より日本にいた、いわゆる在日 コリアンや台湾出身の人々といった、日本の旧植民地出身者を「オールドカマー」の外国人に対して 「ニューカマー」の外国人と称する。「ニューカマー」の中には、出身国でみると、中国・韓国などの 近隣の国、フィリピン・タイなどの東南アジア、日系人が多いブラジルやペルー、そしてアメリカな どからやってきた人々がその大部分を占める。  そしてこうしたニューカマーの外国人の中で、その子どもたちがどのくらいいるのかということを

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見る一つの指標として文部科学省が発表する、「日本語指導が必要な外国人児童生徒」数がある。  文部科学省の「日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況等に関する調査」(2010年度)に よれば、日本の公立小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校に在籍する日本語指 導が必要な外国人児童生徒数は、28,511人(小学校18,365人、中学校8,012人、高等学校1,980人、中 等教育学校22人、特別支援学校132人)であり、この数は上記校種全在籍者数の0.27%である。ちな みにこの調査における、「日本語指導が必要な外国人児童生徒」とは、「日本語で日常会話が十分にで きない児童生徒」及び「日常会話ができても、学年相当の学習言語が不足し、学習活動への参加に支 障が生じており、日本語指導が必要な児童生徒」を指している。母語別では、ポルトガル語9,477 人、中国語6,154人、フィリピノ語4,350人、スペイン語3,547人、ベトナム語1,151人、韓国・朝鮮語 751人、英語717人、その他の言語2,364人となっており、ポルトガル語、中国語、フィリピノ語、ス ペイン語の 4 言語で全体の 8 割以上を占めている5。ここでポルトガル語を母語とする者は在日ブラ ジル人、またスペイン語を母語とする者は在日ペルー人に相当するといってよいであろう。  このうち、ペルー人に関しては、彼らの多くが「日系人」であり、就労に制限はないが、多くは高 度な日本語能力を必要としない製造業ラインなどで働いており、来日当初は 1 ∼ 3 年間を目途として 日本での「デカセギ生活」を始める。しかし、実際には目標としていた貯蓄額に達しない、帰国後の 仕事の目処がつかない等の理由で、当初の予定よりも長期間にわたる滞在となることが多く、家族単 位で生活の基盤を日本におくことになる人々が年々増加している6  山脇(2005)によれば、こうしたペルー人児童生徒の日本における教育状況は大きく 5 つに類別さ れる。まず第 1 は日本の公立小・中学校にのみ通学しているというパターンであり、日本語でのみ教 育を受けている場合。第 2 に、日本の小・中学校に通うほかに、ペルー教育省から正式に認定されて いる通信教育で勉強するパターンであり、子どもは日本語とスペイン語の 2 カ国語で、両国によりそ れぞれ正式に認められたカリキュラムに則った教育を受ける場合。第 3 に、日本の学校には通わずス ペイン語通信教育の教材・システムだけによりながら勉強しているパターン。第 4 に、日本の学校に は通わずに、毎日スペイン語学校に通うパターン。しかしほとんどのスペイン語学校は「寺子屋」的 な規模であり、またペルー教育省の認可もない。そして最後はいずれの教育システムからもドロップ アウトしてしまっている場合である7。近年、ニューカマー外国人の定住化にともない生徒の高校進 学率も徐々に高まり、また、不就学率も改善されていっている地域もあるが、やはりいまだにこの進 学率と不就学率の問題は大きな課題である。しかし、とくに在日ペルー人の子どもたちの進学率や不 就学率を示す統計はきわめて少なく、2005年時点での日本に住む学齢期にあるペルー国籍の子どもの 23.9%が不就学の状態にあったという8  ここでは、愛知県T市において、在日ペルー人によっておこなわれている、子どもたちへの日本 語・ポルトガル語・スペイン語教室における、在日ペルー人保護者と、日本語ボランティアをする日 本人青年へのインタビュー調査から、ニューカマー外国人の教育問題を浮き彫りにしていく。

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3 .愛知県T市の日本語教室におけるインタビュー調査から 〈愛知県T市の多文化的状況〉  本論において調査をおこなった、愛知県東部に位置するT市の多文化的状況について見ておこう。  愛知県は2011年末現在において、全国で 3 番目に在日外国人が多く住む自治体である(東京都 405,689人、大阪府206,321人、愛知県200,693人)。また愛知県は、日本語指導が必要な外国人児童生 徒の数が全国一多い自治体であり、その中で、ポルトガル語とスペイン語を母語とするブラジル人と ペルー人がいちばん多い自治体である9  そして愛知県は自動車関連産業などの製造業がさかんな自治体でもある。1980年代半ばのいわゆる 「バブル期」において、その関連企業や工場がいち早く外国人労働者を吸収していった。そして90年 の「出入国管理及び難民認定法」の改正以降、多くの日系ブラジル人やペルー人が生活をするように なる。  T市は、2012年 1 月末現在で人口約18万1,688人の県内第 7 位の都市であり、外国人登録者数にお いては約5,452人で県内第 8 位の、いわゆる「外国人集住都市」である。そのうち、ブラジル籍が約 56%、韓国・朝鮮籍が12%、中国籍が 9 %、フィリピン籍が 9 %、ペルー籍が 8 %、ネパール籍が 1 %、その他が 5 %で、在日南米人で60%以上を占める10 〈在日ペルー人保護者による日本語教室〉  筆者は、2012年 3 月、T市の日系南米人を中心とする外国人を対象とした日本語教室において、こ の教室を運営する 3 名の在日および日系ペルー人の保護者と、この教室で日本語指導のボランティア をする日本人青年からインタビュー調査をおこなった。インタビューはすべて日本語によっておこな われ、ここでは会話は話をしていただいたとおりの表記をしているが、一部をのぞいて筆者の会話部 分をふくめ、途中の相づちなどの部分は省略をしている。   3 名のペルー人の方はいずれも40歳代前半。ここではLさん(男性)、Mさん(男性)、Hさん(女 性)とする。また日本語指導ボランティアの方は33歳の男性で、ここではYさんとする。  この教室は、Lさんが約10年前におこなっていたボランティア活動がそのはじまりであり、おもに 表 3 :日本語指導が必要な外国人児童生徒の母語別在籍状況(都道府県別)より抜粋(児童生徒数:人) (文部科学省初等中等教育局国際教育課) ポルトガル語 中国語 フィリピノ語 スペイン語 ベトナム語 韓国・朝鮮語 英語 その他 計 愛知県 3,163 561 793 703 45 76 61 221 5,623 神奈川県 373 825 394 542 357 99 111 289 2,990 東京都 33 1,193 536 98 87 144 142 472 2,705 静岡県 1,578 76 301 364 93 7 14 52 2,485 大阪府 77 1,156 144 92 132 84 24 114 1,823

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日系南米人の子どもたちを対象にしている。日本語とともに、子どもたちが母語を忘れないようにと の目的からスペイン語とポルトガル語教室も併設されている。  「教室」は市の福祉会館を会場に毎週土曜日におこなわれている。また一方、T市ではこの子ども 対象の教室とは別に、国際交流協会を会場に成人を対象とした日本語教室も実施されている。  Lさんは20年ほど前に日本に来日して日本人女性と結婚。現在、自動車部品関連の「下請け会社」 を経営しており取引先はすべて日本の企業である。またLさんは永住資格を取得している。10年ほど 前にT市国際交流協会の臨時職員の仕事をした経験を持ち、その後、しばらくフリーターをしていた ときにボランティアで小学校を回り、日系人の子どもたちの相談業務をおこなっていた。そのとき、 「南米の生徒たちがとても不安を感じているのに直面した」という。それを契機に、日系人が多く居 住する県営住宅を校区に持つ小学校の、日系南米人の子どもを対象に日本語を教えたり、さまざまな 相談を受ける子ども会活動を始めた。Lさんは当時の状況を以下のようにふりかえる。   あの子たちは日本に来ていきなり小学校に入らされて言葉もわからずに授業を聞かせました。 もちろんわからなかった。いろいろな悩みがあって先生たちにもすごく悩んでいました。ぼくが サポートしに行った。そのときのぼくの日本語のレベルはすごく低かった。でもその低さでもサ ポートできました。たとえばひらがなの教えとか最初の漢字。 1 年生の漢字とかあいさつぐらい というサポートを始めました。でもそれだけではない。これだけ自分ではない。ぼくは自分でと 思いました。ボランティアの活動をやりたかった。その南米の子どもたちの親と一回話し合って 日本の学校でもっとうまくいくために個人的にボランティアクラスを広げたいという意見があっ て、親たちはすごく喜んで子どもたちを集めてボランティア活動を始めました。  Lさんは子どもたちが多く住む県営住宅の集会場を借りて約10年間子ども会活動をおこなった。し かし、筆者が2012年 3 月に、この県営住宅の日本人住民15名から聞き取りをすると、いずれも居住歴 の長い住民であったが、Lさんの子ども会活動がおこなわれていたことは一人も知らなかった。この 住宅に多くの日系人が生活していることは知ってはいるが、Lさんたちの活動は一切知られていな かったのである。  Lさんがおこなっていた子ども会活動をT市の国際交流協会が知り、子ども会活動を国際交流協会 の事業としてやらないかという申し出をLさんにおこなった。Lさんはそれを承諾し、子ども会活動 は2000年ごろ国際交流協会のサークルとして登録をされることになる。これが子どもを対象とした日 本語教室の前身である。 〈日本の学校へのとまどい〉  Lさんには15歳と11歳の子どもがおり、彼らも他の外国人の子どもと同様、教育の場においてもさ まざまな障壁にぶつかることになる。

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   2 人ともやはり「外国人だから」ということでいわれてきた。子どもたちは外国人だからいじ められる。これはいちばん問題ですね。顔が違うから外国人を見たからいじめる。そういうこと があるから、「わたしはペルー人ではなくて日本人だ」と。「おまえ外国人」といわれないように なりたい。でもそれは親はやはり寂しいよ。大きい問題だよ。   長男は日本で生まれだからいつも「わたしは日本人です」。日本人ですけどお父さんとお母さ んが「違う日本人ではない」と。「違う、おれは日本で生まれた日本人だ」と。それはいつも話 して今から高校生。今、中学生が終わって。だからたぶん 2 年前ぐらいにそれはわかる。みんな 日本になる。クラスは日本人と一緒に。だからいつも「お前、外国人だ」と。いじめられてそれ からみんな「お前、日本人じゃない」と。だからそれから自分でわかりますね。子どものころ日 本で生まれたから日本人じゃないかという、その意識がすごく強める。それは何年か日本で生活 をしながらまわりの人たちがそういうことはいうね。「お前は日本人じゃない、外国人。」「お父 さんとお母さんが外国人だからあなたも外国人」。やはりあれは大きな問題。  日本社会は同質性の高さから、日本語を軸とした「単一民族観」が自明視されてきた。単一民族観 とは「単一純粋の起原をもつ、共通の文化と血統をもった日本民族だけで、日本国が構成されてきた し、また現在も構成されているという観念」である11。それは、日本社会を「不変不動」と考え、日 本人以外の人々に対して自己変容と日本社会への適応を求める考え方である。日本社会が、日本人以 外の人々に期待するのは、「できる限り日本人と同じようになること」である。日本社会は、この単 一民族観にもとづいて、社会内部のさまざまな存在に対して、異質であることを許容しない政策を歴 史的にとってきた。現代社会の教育の場にもそれは貫徹されているといえる。 筆者:日本の学校の先生のサポートはありませんか? Hさん:ない。そのかわりに差別している人が。Mさんの長男が。学校の先生から。 Mさん:学校の先生が「お前はできません」と。「高校は行けない」と。「高校は行かなくていい」 と。「入れませんから」と。励ましてくれないので。「あなたの成績ではできない」と。 Hさん:それでハローワークの書類を「お前は早く仕事」。うん。もちろん親も本人も。親たちもそ んな感じでこちらに来て、ちょうどYさんに。S君(Mさんの長男)にサポート。テストの ために。毎日ぐらい来て自分の力もう本当そういうふうには。そう。でも高校できました。 受かった。素晴らしい。 4 月から。合格したばかり。すごく良かったよ。      でも、なぜいつも先生たちは「外国人だからできないな」とほとんど言うの。そういうこ とがある。本当にその先生に訴えたいわ。なぜ先生が励ましてくれないの。それは先生では ないと思います。それでお母さんが先生に「なぜそんなことをいっている」といったときに は「ぼくの作戦はあなたできないということでS君が反抗してうまくできる。そのためにで きないと(その教員は)いっている」と。そんなのはいらない。その作戦はちょっとおかし

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い。教育的な作戦とは認めないわ。S君は本当に良かった。心が強くてやりますと思ったけ ど、他の子はやはり自分の担任の先生ができないといえばそれはできないなと考えるかもし れないね。S君は良かった。本当に自分で真っすぐ全部できると思ったの。たとえばここは この活動のおかげでYさんが見つかって、たとえば他の場合は外国人の親たちのまわりに人 がいないし、やはり先生のいうとおりに従わなくてはいけないようになってしまう。      それで時々、子どもたちが外国人に「なぜこちらにいる」「なぜ帰らないの」という。そ れは何回もわたしは聞いた事がある。それは先生たちが子どもたちにちゃんと説明しなけれ ばいけないとわたしは思います。子どもはなぜこちらにいるか、むかしペルーでとかブラジ ルで日本人もいました。日本人も行きました。日本は不景気のときにペルーにいましたとか いろいろとお話をすればいいと思うのにお話ししない。 Lさん:だけどそれはもっと深く考えると先生だけの問題ではない。もっと前。教育。結局それは政 府がしてくれないといけないのだと思う。 Hさん:先生たちは外国人の子どもたちに教えるために育てないから。だから最初からその子どもた ちを育てるためにちゃんと訓練しなければいけない。多文化共生とみんないわれているけど きれいな言葉だけ。外国人が日本の習慣とかを覚えて欲しい。だけど自分があちらの習慣を 聞きたくない。 Lさん:日本と西洋とか欧米の文化、交わる。あちらこちらの習慣がね。うん。交わってひとつのも のに。合うところが見てとかなんかね。あちらこちら尊敬しなければいけない。向こうの習 慣とかあちらのとかね。お互いに。そうならないのは日本の習慣だけ覚えて欲しい。これに しましょうとそういう感じ。みんなプッシュするね。日本の文化、日本の教育に日本の法 律。全部、誰が来てもみんなこちらに合わせるように。それはちょっと多文化のイメージが ないですよ。  こうした点については、日本語ボランティアのYさんも、「決めつけてはいけないのですけどSく んの担任の先生なんですよ。またもう 1 人、別の同じ中学の先生も「受ける高校は絶対に落ちる」と いうのですけれど、ぼくは客観的に見て、たぶん受かると思ったんです。ですからサポートして、あ そこを受けて、結局、受かったのですけれども」と述べる。  公立の小・中学校では、その学校に外国人児童生徒が10名以上在籍していると、子どもたちに対し て日本語指導などをおこなうための加配教員が配属される制度がある。しかし、加配される担当教員 は必ずしも外国人児童生徒に対する日本語指導等の教育実践法を特別に学んできているわけではな い。そのため、教員の中には、「子どもたちの言葉がわからない」「子どもたちの必要性を十分に満た す教材がない」といったとまどいの声もきかれる。  教育現場における日系人の子どもたちに対する実践は必ずしも十分とはいえない状況がある。こう した中で、渡日歴の長い子どもを中心に日本語が十分に習得できないことに加えて、母語の読み書き

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も同時にできなくなる子どもも多くいる。そしてしだいに勉強する意欲をなくし、また日本語習得の 意欲を喪失するという悪循環を招いてしまう。  教師たちの悩みには子どもたちの生活習慣が理解しにくいということもある。彼らにどこまで何を 勉強させたらよいのか。また、どこまで学校や日本社会のルールを守らせるべきなのか。こうした疑 問が教師のなかにはある。日本社会で生活をする上で、日本語や日本社会の生活習慣を学ぶことは欠 くことができない。しかし一方、それは、彼らのペルー人としてのアイデンティティを削ぐ結果にも なりかねない。そうしたジレンマを教師たちは感じている。  たとえば、日本の学校において頻繁におこなわれる「集団登校」といった習慣はペルーにはない。 また、学年全体でおこなわれる宿泊学習や修学旅行といった、おおぜいの児童生徒で宿泊するという 学校行事もペルーにはない。日本の学校生活において暗黙のうちに要求されるのは「みんなと同じよ うにすること」である。子どもたちは日本語教室のボランティアに、「同じようにしないと周囲から いやがられる」といった悩みや、「みんなと同じ行動をしないからいじめられる」という悩みを打ち 明ける子どももいるという。ペルーは多民族社会である。さまざまな人種や民族の生活習慣が共存し ている。そうした意味では個人の行動パターンもさまざまである。そうした風土のなかで育った日系 人の子どもたちは、日本の学校や社会の同質性を重んじる集団主義的な雰囲気に強い違和感をおぼえ ざるをえない。  また、小学校高学年や中学生の学齢で渡日した子どもたちにとって、日本人児童生徒の友人グルー プの輪に入っていくことは容易ではない。小学校高学年や中学生ともなれば、友人どうしのつながり は既に固定化され出来上がっているからである。そのため、日系人の子どもたちには日本人の友人が 出来にくいという傾向がある。そしてその結果、不登校状態になる、あるいは学校をやめてしまう子 どもも多いという。  一方、小さい頃に来日して、滞日歴の長い子どものなかには、ペルー人としてのアイデンティティ を失いつつある者も多い。指導員がポルトガル語で話しかけると怒りだしたり、あるいは避けたりす る子どももおり、「ペルー人は嫌だ。自分は日本人だ」と主張する子どもも出てきている。「母語の忘 却」「アイデンティティの喪失」という状況のなかで、親と子のコミュニケーションが成り立ちにく くなっていることも深刻な問題である。  日系人の子どもたちのかかえる問題はカリキュラムの改訂だけで済むことではない。それは日本の 学校の「学校文化」そのものが問い直されている問題である。そしてそれは、文化的社会的に異質な 主体をどう適切に位置づけるかということを、学校だけではなく地域社会全体に投げかけている問題 である。  一方、Yさんは、保護者の教育態度にも要望を持っている。   やはり子どもの教育にもうちょっと注意を払ってもらいたいかな。やはり日本の学校がどう なっているかということを知ってもらいたい。こうやってこちらに任せきりではなくて。学校に

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遅刻しないとかそういうのは親御さんが教育していかなければいけないと思うから。内申点にす ごく必要になってくるものですから。学校の先生の方としては「ルーズだ」とか感じるわけです よね。それはもう国民性だとかで片づけられてしまう。「ブラジル人は」「ペルー人は」と。それ で内申点が落ちてしまうんです。   初めはしょうがないかもしれないですけれども絶対に宿題を出すことも必要ですから出すよう にはいっているのですけれども。すごく気になるのがみんな答えをコピーするだけなのです。宿 題をやるというのは。それは絶対にやめて欲しいといっているのですけれども。初めはやはり理 解できないで、コピーするしかないという考え方で始めてしまってずっとそれが続いてしまうと いう感じなのですけど。だから今度の週にそういう親御さんの話があるのでそのときに話すつも りなのです。最初はやはり大変でも時間がかかっても答えを見ないで努力をしてやってもらう。 親御さんもたぶんそこまで見ていないと思います。もう任せきり。これはどうしようもないんで す。やはり共働きの人が多いのですよ。夜勤をしているのも多いですから。  子どもたちは日本語の理解のむずかしさから、中学校ともなると授業での教師の説明がむずかしく なり理解できないことが多くなる。数学や社会や理科など、その分野の専門的な用語が多く出てくる 科目ではその特徴が際だつという。そして授業を聞くことをあきらめてしまう子どもも多いと。  Yさんはときどきペルー人やブラジル人の家庭に食事に招かれることがあるが、彼らの家庭で多い のは母国のテレビ番組を見ている場合である。両親が日本語が不自由なため自ずとポルトガル語やス ペイン語の番組を見るようになる。そうした環境は家に帰ると完全に日本語のない環境であり、また 親子の会話の中で、たとえば日本の歴史の話が出てくることなどまずない。日本人の子どもであれ ば、テレビを見ながらそうした話題を取り上げることもあろうが、ペルー人やブラジル人の家庭では まずないのである。だから学校で「日本史」を習っても興味がわかないわけである。こうした点から も、ペルー人やブラジル人の子どもたちは日本の学校教育の内容から疎遠になる傾向が強い。  学習内容の理解における日本語の必要性という観点から、Yさんは、通常の「国語」の授業は「国 語」の授業として受けさせた上で、それとは別に週に 1 時間でも 2 時間でも特別に「日本語」の学習 をする時間を設けないと子どもたちはとても身につかないであろうと述べる。そうしないとたとえば 「数学」においても、簡単な計算問題は解けるが、文章問題や応用問題になると解けないということ になってしまう。そして「解けない問題」が多くなると、「どうせわからない」と、はじめから考え たり、問題を解こうとする意欲さえ持たなくなってしまう。しかし日本語を理解していれば、教師が 丁寧に説明すれば理解できるのである。 〈名目化する「多文化共生」〉  L さんは述べる。   「多文化共生」の意味はなに? ぼくも元職員として日本の文化をアピールするためにできてい

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ました。外国人が日本に来るときには日本の文化とアピールするためには国際交流協会で決まっ ていると。そういう基本がぼくはわかった。日本で暮らしている外国人をサポートするためには できていなかった。それでやはり外国人の教育問題は国際交流協会の解決するところではない。 市と。本当に市役所。市の仕事ですよと。市役所は何も手を出さないから。見たくない。わから ない。見たらやらなければいけないから。見たくないけど見るけど見えない振りにしている。本 当。実際に皆さんがどういう生活で困っているかとかあまり見たくないと。  現在の日本の地域社会や教育現場における「多文化共生」は、得てして名目的なものになってし まっている傾向が強いといえるかもしれない。  T市の国際交流協会において、Lさんは臨時職員の時代から、「もっと自分たちの生活に目を向け てほしい」と働きかけてきた。その結果、少しずつ変化があったという。   変わったとおもう。「日本の文化をアピール」ではなくて、「皆さんの生活の事を考えていきま しょう」と変わった。根本的に変わった。だけどT市だけ。他の市ではそんな変化がなかったみ たい。Hさんが A 市。それで A 市の方はサークルをそんなふうにしてくれないのね。何年前。B 市にもこんな今の同じ外国人の活動をしたがっていた人が何人かいたのですがサポートをしてく れなかった。B 市の国際交流協会で。 4 .考察 ( 1 )「日本人と外国人の共生」の現状と課題  インタビュー調査から、Lさんが10年前に始めた子ども会活動は、同じ公営住宅の住民には知られ ていなかったということが明らかになった。この公営住宅には多くの日系人世帯が生活をしている。 その中には、学校をドロップアウトしてしまい、仕事をすることもできない少年や青年たちが昼間あ るいは夜間にたむろをしていたり、一部の青年たちは夜半に敷地内で大きな音を立ててバイクを集団 で乗り回すといったことが頻繁にあり、そのたびに地域住民の通報により警察が取り締まりに来ると いったことが見かけられていた。日本人住民はこうした光景をいつも苦々しい思いで眺めている。聞 き取りをした日本人住民に日系人の印象をたずねると、「こわい」という答えが頻繁に返ってきた。  日系人の若者のこうした「迷惑行為」は日系人であれ日本人であれ許されるものではない。しか し、日系人の若者たちがなぜ学校をドロップアウトすることになるのか、なぜ夜半にけたたましい音 を立ててバイクを乗り回すことになるのか、日本人住民にその背景は理解されにくい。そして、理解 不能な「こわい存在」としての側面のみを日本人住民は見聞きし、Lさんたちがおこなってきた活動 は知られることはなかったのである。  T市でも「日本人と外国人の共生」は謳われているが、現実には、日本人住民と外国人の間の没交 渉の状態が続いている。こうしたことは、行政が唱える「多文化共生」や「日本人住民と外国人住民

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の相互理解」とは、「何を理解し合うことが必要なのか」という問題をなげかけている。 ( 2 )日本社会における「多文化共生」の課題  日本の学校教育は「日本人になるための教育」であるといわれる。そうした「国民教育」における 「国民」とは単一民族観に則った「国民」概念である。  国家・社会の教育において、誰の価値や歴史をその国の価値・歴史とするのかということはきわめ て政治的な問題である。辻内(1994)はウィリアム・ベネットの言を引き、多文化主義をめぐる論争 を指して、「誰の価値がアメリカで支配的になるのか。我々はその闘争のまっただ中にいる」と述べ ている12  日本の学校教育における「国語」や「社会」といった科目の内容は、外国人の子どもにとって「自 分たちのこととはかけはなれた問題」なのであり、それは彼らを学校教育における主体ではなく、 「よそ者」と暗に位置づける効果を持っている。いわゆるマイノリティの子どもたちの成績が振るわ ず、かれらが社会的に上昇できない状況におかれる理由の一つは、マイノリティ文化が主流文化に対 して価値的に劣るものとされる13、そうした暗黙のメッセージ性にある。  インタビューから、子どもたちは独自な存在としての「ペルー人」というエスニシティを保持する ことがむずかしく、「自分は日本人だ」と主張する姿が浮き彫りになっていた。子どもたちは日本の 地域社会や学校社会の同質性を求める価値観のなかで、ペルー人であることを捨て日本人化していこ うとしている。しかし、彼らの教育ニーズは日本の子どもたちと同一ではないだけではなく、彼らの あいだには多様なニーズが存在しているのである14。日本における多文化主義は、この「単一民族 観」の相対化・脱構築化をめざすものと期待された。しかしそれは容易なことではない。それは一方 には、多文化主義は「日本という国家・社会の統合性を崩す可能性を持つ分離・分裂的なものであ る」という意見もあるからである。  日本の多民族状況が進行する中で「多文化共生」が声高に謳われるが、それは得てして、既存の社4 4 4 4 会システムを脅かさない範囲での4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4「多文化共生4 4 4 4 4」であり、私的な領域の範囲内でのみ許容される「多 文化共生」であるともいえる。しかしこうした私的領域の範囲内だけの多文化共生は、エスニック・ マイノリティがうける社会的不平等・不公正を是正することにはつながらず、かえってそれを温存さ せることにもなりかねない。 ( 3 )教育現場における制度と実状  日本の学校に通う外国人児童生徒の現状から、「制度」の充実はもちろん必要なことである。しか し、それ以上に大切なのは、制度=ハード面だけではなく、それを実際に運用する教育現場の教師た ちの意識や態度、また同級生たちの、外国人児童生徒に対する意識や態度=ソフト面なのである。そ うしなければ、「これだけ制度を充実させているのに高校進学率が上がらず不就学者が減らないの は、外国人生徒本人たちの問題だ」ということで片づけられてしまう可能性も高い。ソフト面の問題

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は、学校という、ある種、閉鎖的な社会の中で起こっていることであり、それはなかなか顕在化しに くい問題である。積極的に外国人児童生徒の進学を疎外する行為はもちろん起きにくいとおもうが、 ペルー人保護者の訴えにもあったように、消極的な疎外要因は多く存在することが推測される。そう した不可視的な相互作用的要因の中で、外国人児童生徒は学校という場からふるい落とされ進学をあ きらめていくことになるのである。

 アメリカの人類学者であるオグブ(Ogbu, John U.)は、先進社会といわれる社会においてアウト カースト的地位を占めるマイノリティが少なからず存在していることを再発見している。そして、こ うしたカーストライク・マイノリティを社会的・経済的に低位な地位へと強制するカーストバリアが 存在し、それを正当化するイデオロギーや神話・俗説が存在し、そうしたバリアに対してマイノリ ティが集団として対抗的な感情を募らせることによって、アウトカースト的地位に適応していくとい うのである。従ってオグブは、近代社会の中にも「カースト的層化」のメカニズムが働いていると見 る15  このカーストバリアの結果、カーストライク・マイノリティの子どもたちは、努力の量とそれに よって得ることのできる将来の地位とを天秤にかけた場合、学校で努力することに大きな意義を見い だすことができず、ひいては低学力をもたらすという16  外国人の若者が、学校からドロップアウトしていき、学校にも行かない就労もできない、より不安 定な状態におかれていく要因は、在日ペルー人やブラジル人の個人的な資質や能力の問題に還元され がちである。しかし、そうした状況がつくりだされていく社会構築的な背景が現実にはある。そこに はもちろん、家庭の経済状況や保護者の教育への関心の有無、「帰国」か「日本への定住か」といっ た将来への展望等、家庭的要因が大きく影響していることも事実である。  山脇は、先述の、在日ペルー人における教育状況の 5 つのパターンの中で、近年、最後のパターン である児童生徒の不就学の問題が取り組むべき大きな課題として議論されていると述べる。その原因 を、①学校での諸問題(言語能力に基づく学習困難、人間関係〔教員 / 友人〕など)、②家庭 / 家族 の諸問題(親が抱える就労や生活上の諸問題など)、③デカセギ・ライフスタイルの諸問題(価値観 の準拠枠のゆらぎなど)の 3 つをあげており、実際にはこれらの原因が複数からみあっている場合が 少なくないという。こうした状況は、社会階層下位グループへ外国籍住民を閉じ込めることを意味す るだろう。外国籍の子どもたちが、自らの意思によるか否かを問わず、「日本人」としての社会化が できない場合、公的教育場面から排除されるさまざまなメカニズムが作動しており、教育面での不平 等は、就業の機会の幅を狭めることや所得格差を拡大するという社会的公正を損なうような帰結を招 くだろうと指摘する17  日本社会は、ニューカマーをはじめとするマイノリティが、社会階層的により低位の位置におかれ ていき、不安定な状況におかれていくことを、「それは彼らの責任」といった本質主義的視点に立つ 要因に求めるのではなく、その社会構築性に注目していかなければならないであろう。

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〈注〉 1  法務省入国管理局2012 2  山脇啓造2005 3  森 1994:p.78 4  国立社会保障・人口問題研究所2012 5  文部科学省初等中等教育局国際教育課2011 6  山脇千賀子2005:p.104 7  同上:p.104∼107 8  同上:p.108 9  法務省入国管理局2012 10 愛知県T市2011 11 小熊1995:p. 7 8 12 辻内1994:p.44 13 同上 : p.45 14 志水・清水2001:p.366 15 鍋島1993:p.209 16 同上 : p.220 17 山脇千賀子2005:p.112 【引用文献】 愛知県T市 2011『T市 多文化共生推進プラン』 法務省入国管理局 2012「平成23年末現在における外国人登録者数について(速報値)」 http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri04_00015.html 国立社会保障・人口問題研究所 2012「日本の将来推計人口(平成24年 1 月推計)」 http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/sh2401top.html 文部科学省初等中等教育局国際教育課 2011「『日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況等に関する調 査(平成22年度)』の結果について http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/08/1309275.htm 森 博美 1994「日系ブラジル人就業者の定住希望意識について」『研究所報20』法政大学日本統計研究所 Ogbu, J. U. 1978 Minority Education and Caste, Academic Press

小熊英二 1995『単一民族神話の起源』 新曜社 志水宏吉・清水睦美 2001『ニューカマーと教育―学校文化とエスニシティの葛藤をめぐって―』明石書店 辻内鏡人 1994「多文化主義の思想史的文脈 ― 現代アメリカの政治文化 ―」『思想』843号 山脇千賀子 2005「日本の学校とエスニック学校―はざまにおかれた子どもたち―」 宮島 喬・太田晴雄(編) 『外国人の子どもと日本の教育―不就学問題と多文化共生の課題―』東京大学出版会 山脇啓造 2005「2005年は多文化共生元年?」http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/culture/187/index.html

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【Abstract】

Difficulties about Multicultural Symbiotic Society

that Peruvians in Japan Facing

―From the Research Interview to Peruvians and a Japanese Teacher

Concerned with the Japanese Language Classes at T City in Aichi―

Yasuki IZAWA

 Japan is gradually becoming more and more multicultural. At the end of 2011, the number

of registered foreigners reached 2,078,480, representing 1.63% of Japan s total population.

In recent years, the problem of employment, housing and education of new comers

includ-ing Japanese South Americans has become a significant topic. In addition, the Japanese

gov-ernment as well as local govgov-ernments is developing and implementing policies and measures

for multicultural symbiotic society, considering such a situation. However, these policies

and measures have not brought about benefits to the new comers. There must be some

im-portant points we should grasp in order to solve the problems the foreigners in Japan suffer

from. Through the research interview from Peruvian parents in Japan and a Japanese

volun-teer teacher, I clarify the dilemma of the foreigners and their demands for Japanese society.

参照

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