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憲法の平和条項をめぐって

著者

円谷 勝男

著者別名

K. Tuburaya

雑誌名

東洋法学

30

1・2

ページ

291-328

発行年

1987-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003585/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

憲法の平和条項をめぐって

圓 谷 勝男

一、 二、 三、 四、 問題の所在 九条の制定過程 平和条項の解釈をめぐって 平和的生存権の法的性格 ︵日、口︶ 脚、問頭の所在  ﹁人間の歴吏は、戦争の歴吏でもあった﹂と、しばしば指摘される。良心ある国民が、ひとたび国家権力が発動し た戦争において、聖戦という美名のもとに、如何に狂気じみた手段を繰り返して多大の犠牲を残してきたか歴吏上枚 挙にいとまがないといえる。しかしながら一方で、理性的人間は、その戦争吏の教訓として、反軍、反戦、平和を希 求した思想形成に努力した足跡も残している。とりわけ、二〇世紀に入って、二度にわたる世界戦争の結果は、 ﹁戦 争からいかに回避できる平和的国家﹂を実現するかの理論化に、各国とも熱意を示した時期でもあるといえるし、その       ︵1︶ 思想は、各国憲法典の平和条項に影を落していることは周知の通りである。特にこれ等の平和的思想の先駆的役割と

    東洋法学      二九一

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    憲法の平和条項をめぐって       二九二 して位置づけられるのは、一七九一年に制定されたフランス憲法だといえよう。同憲法では、﹁フランス国民は、征 服を行なう目的でいかなる戦争を企画することも放棄し、かつその武力をいかなる人民の自由に対しても決して行使       ︵2︶ しない﹂ ︵第三章一節二条︶と規定して、侵略戦争を放棄したことは有名である。とりわけ﹁人民の自由に対する重 大な侵略﹂とした点は画期的であり、今日でも高い評価を得ているところである。この憲法の立法目的をめぐっては 議論のあるところであるが、その思想の基礎となったのは、近代自然法思想だと考えられている。侵略戦争を不正と し、自衛戦争を正義の戦争と考えるとともに、戦争にも守られるべき規範と制約があることを強調した、グロティウ ス︵罫90鳥器︵嶺o 。o 。∼5濫︶の著者、﹁戦争と平和の法﹂︵99ご9Uo︸摸①望毎8評9の 一六二五年︶等の理       ︵3︶ 論的影響があるといわれる。さらに、一八世紀のドイツの哲学者カント︵い譲働纂︵ミ鍍∼一〇 。鼠︶が著わした、 ﹁永 遠の平和のために﹂の平和論は、後の歴史に一定の平和的在り方を示唆したといえよう。常備軍の全廃や国際法の確       ︵4︶ 立、きらに国際的平和機構の提唱等を発表していることは注目きれる。これ等の提起は、一八世紀の国際政治の刻印       ︵5︶ をうけているとはいえ、今日もなお客観的妥当性があり、その意味では現実的提案を多く含んでいることは忘れては ならないといえよう。その後の歴史では残念ながらカントの主張は生かされず、いわゆる帝国主義戦争があいついで 発生したことは周知の通りである。とりわけ、一九一四年より開始された第一次世界大戦は、総合的科学力が駆使さ れた戦いであったところから、その犠牲は以前の戦争と比較にならない惨禍をもたらして終っている。このような、 人類にははかりしれない殺裁と破壊を残した経験に立って、戦争を防止し、さらに廃止を希求して、国際連盟規約       ︵6︶ ︵Ooく①器箕oコぽ需2器象2鐘窪も ・︶、不戦条約等の世界的平和組織の結実をみたことは注目される。特に後者の

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﹁戦争の放棄に関する条約﹂ ︵○窪雲巴爵9蔓ま附菊窪華o一鋒舅鉱≦巽霧欝ぎ弩鴬臼o旨無乞&2鉱勺&2︶、 いわゆる不戦条約︵一九二六年︶は、 ﹁国際紛争を解決するために戦争に許えることを非とし、またその相互関係に おいて国家の政策手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において宣言する﹂ ︵一条︶ことを規定し た。平和的処理手続や違反に対する集団的措置規定がなかったところから、必ずしも初期の目的が機能しなかったき らいがあるが、戦争違法化の方向を大きく前進せしめた意義は見逃すことはできまい。我国もこれを批准したが実質      ︵7︶ 的に破棄したことは注目される。この点で一九三一年に制定されたスペイン憲法は不戦条約の原則を採用したものだ       ︵8︶ と言われている。同憲法六条は﹁スペインは、国策の手段としての戦争を放棄する﹂と規定したのがそれである。こ のように国際的に平和への努力が前進する反面、資本主義諸国が恐慌の波にさらされるなかで、再び再軍備や軍備増 強がエスカレートして、その理想は遠のいてしまったのも歴吏的事実である。日・独・伊のファシズム台頭の勢いの 中で、完全に平和的前進は霧消したといってよい。一九三五年、ヒトラーはドイツの軍備制限を規定した、ベルサイ ユ条約を破棄し世界侵略を開始したのに呼応し、日・伊は、いわゆる持たぎる国の好みから、軍事同盟を結んで、本       ︵9︶ 格的なファシズムの歩みがはじまり、世界のいたる所で、戦乱が燃えさかり第二次大戦に突入していったことは記憶 に新しいところである。大規模かつ反ファシズム戦争であり、同時に人類がはじめて核兵器を使用した戦争であっ た。まさに人類の将来に恐怖をいだかせた戦争であり、日本はポツダム宣言の受諾によってその終戦を迎えたのであ った。  このような歴史の経験と反省に立って、現憲法は恒久平和を念願し、全世界の国民が戦争という状況が生みだす、

    東洋法学       

二九三

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    憲法の平和条項をめぐって      二九四 ﹁恐怖と欠乏﹂から免れて平和のうちに生存する権利を確認する︵前文︶とともに、戦争の放棄と戦力の不保持︵九 条︶を定めるに至ったことは周知の通りである。戦後の有力憲法学者である、宮沢俊義教授は、憲法第九条の歴史的 位置づけと意義づけを、次のように要約したことはそれを物語っているといえよう。すなわち﹁古くは、第一世界戦 争の後での国際連盟の規約、それから、ことに不戦条約、さらに、第二世界戦争になってからも、国際連合憲章など を通じてあらわれている伝統的な世界平和への努力、すなわち、一方において軍縮、他方において侵略戦争の放棄、 こういう二つの大きな流れ、それを最も徹底させたものが、日本国憲法第九条にほかならないのですから、その根本        ︵10︶ の考え方は、そういった第一世界戦争以来の世界の歴史の流れにのっているわけであります。﹂ 国際法と憲法とを関 連づけで歴史的意義を要約した、銘記すべき的を射た言葉といえよう。  このような歴史的平和思想を含んだ憲法第九条を柱とした、いわゆる平和憲法は、制定から四〇年の歳月が経過し ているが、その歩みは平担でなかったことは周知の通りである。平和憲法は理想論としては、一定の評価を認める が、しかしながら厳しい国際環境の中で考えた場合、政治的に現実性に乏しいという指摘である。特に日米安保体制 強化のなかで防衛力増強が要請されているが、その動きも年々声高になってきている。それと同時にその動きに答え       ︵U︶ る形で、改憲の方向にさらきれているといってよい。まさに憲法第九条は﹁膨大な既成の軍事的現実の重みに圧しひ       ︵犯︶ しがれて、 ”風前の灯”ともいうべき窮状に立たされている﹂といえよう。また一方で、太平洋戦争を経験していな い、いわゆる戦無派世代が年々増加して、国民の多数を占めるに至っている。 ﹁戦争とはそれを知らないものにとっ ては快いものだろう。しかし、一たんそれを経験すれば、それは恐るべきことの泉にほかならない﹂と古代ギリシア

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      ︵玲︶ の代表的叙惜詩人ピンダ・ス︵紀元前五二二∼四四二年︶は語っている。そしてまた、平和と寛容の精神を説いたヒ ューマニストのエラスムス︵一四六六∼一五三六年︶は、この言葉﹁淳剛8ぽ冴跨ぎ。巷R静﹂を解説しながら、戦       ︵M︶ 争の否認と平和論を展開するなかで、戦無世代達がいだく戦争に関する甘い認識を戒めていることを銘記しなければ ならないといえよう。  いずれにしろ、戦後政治の総決算を標榜する為政者が、平和憲法の下で、日米﹁運命共同体論﹂構想や日本列島      ︵15︶       ︵蜀︶ ﹁不沈空母論﹂が語られ、それに対して多くの疑問や反論がなされて、あらためて平和憲法の在り方が問われている といってよい。本稿では、戦後四〇年の政治史のなかで、平和憲法の条理がどのような変遷の足跡をたどってきたの か、とりわけ判例、学説の動きと連動しながらその経過を概観したいと考える。また、平和憲法の理念であった非武        ︵葺︶ 装平和論が後退して、武装平和論が現実的に日本の政治史に着地したなかで、皮肉にも発芽し成長してきた、新しい 人権としての平和的生存権とはどのような法的性格を所有しているのかも、併せて論究したいと考える。

((

21

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 図9馨堕建導o註Φ磯聲頃誌亀oF国一”℃露一〇℃鐵ωoぼ吋国8署彊門瞥︾一お貸営”をo誉Pじ  小林昭三﹁憲法九条の性格f憲法史的解関の試み﹂早大政経学雑誌一七七号三四四頁。 ︵一九四九年︶等がありその数は多い。 一年︶が制定され、第二次大戦後には、イタリァ憲法︵一九四七年︶、韓国憲法︵一九四八年︶、西ドイッ憲法・タイ憲法 融8霧8馨8ま段鼠馬象o毒速唇一〇、δ フランス憲法にあいついで、ブラジル憲法︵︸八九一年︶、スペイン憲法︵一九三  原文は、..萄昌魯隣8塗き8誇お8昌8節窪冨讐o&冨象窪8σq器畦o盆窃蜀誰oα窃8お器諺曾⇒.o簿℃霞Φ轟器の  例えば有斐閣編﹃憲法第九条﹄九頁以下に、二ヶ国憲法の平和条項が示されている。

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。9轟謡∼ミ餅

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︵5︶

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10 ) ︵難︶  憲法の平和条項をめぐって      二九六  例えば、宮田光雄﹁カントの平和論と現代﹂﹃平和の思想史的研究﹄一四五頁以下で、﹁3、常備軍は、時とともに全廃さ れるべきである﹂ということにふれて、﹁常備軍というのは、﹃俸給を定期的に受けとる兵員の数をたえず増加する多数の兵 器で装備きれた軍隊﹄を意味する。こうした軍隊を常備することは、当然、他の国にたいしてたえず脅威をあたえ、そのこ とは、互いに軍備の優越性を際限なしに競い合うように刺激することにならぎるをえない。 ﹃ついには、それに費やされる コストのために、平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷となるにいたる。その重荷から脱却するため、常備軍そのもの が侵略戦争の原因になる﹄。このカントの指摘は、現代冷戦の論理に照らせば、きわめてリアルな意昧をもつ。﹂という指摘 もひとつである。特に、カントの平和思想研究の労作として、深瀬忠一﹁カントの平和の法思想についてーフランス革命 の憲法原則との関連の検討﹂北大法学論集二九巻三・四号九三∼一三一頁参照。  田畑茂二郎﹃法律学全集、国際法1﹄四六頁以下。  日本は、 ﹁その各自の人民の名において﹂︵ぼ浮①塁臼①oP竃矯話。 馳もo鼠器需o覧霧︶という文言は﹁帝国憲法の条章よ りみて、日本国に限り適用なきものと了解すること﹂を宣言して一方的に破棄したことは周知の通りである。  宮沢俊義・小田弦美共訳﹃国際憲法﹄二二六頁。  このような動きのなかで、アメリカのルーズベルト大統領は、年頭教書︵一九四一年一月︶で、人権に関わる、いわゆる ﹁四つの自由﹂︵諭弩坤83臣。 。︶を宣言しているが、とりわけ、その一つで﹁恐怖からの自由﹂︵守8魯響守o導律①鴛︶を示 しているが、これは戦争からの恐怖を念頭にしたものと理解され、従来の人権体系に新しく平和に対する人権、いわゆる平 和的生存権を付加したものとして注目されよう。  宮沢俊義﹃各国憲法のはなし﹄一五九頁。憲法第九条の非戦思想の立憲化を考察した論文として、久野収﹁憲法第九条の 思想⋮その思想史的意義について⋮﹂中央公論昭三六・二一月号、同﹁アメリカの非戦思想と憲法第九条﹂中央公論昭三七 二月号。  佐藤功﹃憲法問題を考えるi視点と論点﹄二四一頁以下。山内敏弘﹁改憲の論理と葭本国憲法﹂﹃日本の防衛と憲法﹄︵法 セ増刊︶七四頁以下。横田耕一﹁改憲問題の系譜と現在の改憲問題﹂﹃憲法と平和保障﹄六八頁以下。小林孝輔﹁改憲イデ

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  オ獄ギーの系譜と現代﹂世界昭五六年六月号五七頁以下。 ︵鶏︶ 新井章﹃憲法第九条と安保・自衛隊﹄︵はしがき︶。 ︵13︶ 深瀬忠一﹁戦争放棄と軍備撒廃の法思想史的研究ω﹂圧﹃宮沢俊義古稀記念・憲法の現代的課題﹄四五頁参照。 ︵翼︶ 深瀬前掲︵13︶九五頁以下参照。 ︵蔦︶ 一九八三年一月一九日朝碍新聞︵朝刊︶ ︵賂︶ 例えば、杉原泰雄﹁戦後政治の総決算と憲法制定四〇年﹂法律時報五八巻六号二頁以下。 ︵葺︶ 山下健次﹁平和的生存権の存在理由と検討視角⋮他の人権との対比においてー﹂ ﹃平和憲法の使命﹄九七頁。 二、九条の制定過程  日本国は、昭和二十年にポツダム宣言を受諾し敗戦を迎えたが、それは同時に、宣言を基調とした新生国家建設の スタートを意昧した。軍国主義国家、天皇主権国家から一八○度転換して、民主、自由、平和国家への第一歩が開始       ︵1︶ されるであろうことは、国際協定のポツダム宣言の内容からも当然に予想できたといえる。その意昧から、現憲法の        ︵2︶ 成立の根拠と法的位置づけを、いわゆる八、一五革命説をもって理解されるのが一般的であるが、しかしながら占領 政策の下で、その政策を担う日本政府の中心者が、旧支配層であったところから、 ﹁国体の護持﹂をいかに維持する かに終始したかはよく知られるところである。さらに、戦争の責任や反省は必ずしも充分でなく、むしろ国民総戯悔        ︵3︶ 論によって、それを転嫁する動きさえあったと言われている。したがって、GHQ側から要請されて作られた、いわ ゆる松本憲法草案が、明治憲法の字旬にもっともおだやかな修正を加えたにすぎないもので、日本国家の基本的性格

    東洋法学      二九七

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    憲法の平和条項をめぐって      二九八       ︵4︶ はすこしも変らずに残っていたと指摘されたことは、当時の政府要人の思想性を端的に物語っているといえる。総司 令部の当初の方針は、改正は日本側のイニシアティブによってなされ、それをポツダム宣言等に照らしてチェックし、 必要ならば日本側と協議変更を重ねて、日本側の責任において憲法草案を成立する旨であったとされる。しかしなが        ︵5︶ ら、いわゆる松本案が﹁毎日新聞﹂にスクープされ、その保守的内容が、国民の問で批判されたばかりか、連合国内 でもこの案が公表されれば、対日強硬論に新たな火種を持込むことになると総司令部が憂えたと言われる。この緊急        ︵6︶ の事態を早急に回避するために、やむをえず総司令部案の起草を決意したとされる。このような背景のもとに総司令 部は、いわゆるマツカーサ⊥二原則︵天皇の地位、戦争の放棄、封建制の廃止に関するノート︶に基いて民政局で憲 法草案の起草作業を極秘にかつ短期間の問に進められたと言われる。とりわけ三原則の第二章が、現憲法九条の淵源  ︵7︶ であるとされる。国民主権を大前提にし、そして戦争の放棄と軍備の撒廃、さらに基本的人権の保障を定めた総司令 部案が示されてその検討を求められたことは日本側にとって青天のへきれきであり、その後松本案の復活のために努        ︵8︶ 力したが最終的にその案を基礎に憲法改正が進められたことは周知の通りである。  ところで、憲法第九条は、﹁マッカーサーノート﹂の第二項がその淵源であると前述したが、制定されるまでの経 過をもう少し詳細に概観したい。少なくとも、太平洋戦争の敗戦により、日本軍が武装解除されかつ解体されること はポツダム宣言の内容から当然に予想できよう。しかしながら、占領化が解かれ、講和条約が成立した後に軍備を制 限しようという考えは一部にあったが、憲法改正の上で軍備を禁止する文言を条項にもりこもうとする動きは米国本        ︵9︶ 国政府等にもなかったとされる。また、日本側にも当初において、軍備を禁止することを憲法上に規定する考えはな

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かったとは、いわゆる松本草案でも、統帥権に関する﹁陸海軍﹂の文言を﹁軍﹂に置き換えて存続させ、その結果、 ﹁軍ノ編成及ビ常備兵額ハ法律ヲ以テ之ヲ定ムルモノトスル﹂の提案がなされていることからも知ることができる。  今日のところ、現憲法上の、 ﹁戦争放棄条文﹂に関わる思想と設置が、どのような経過で、しかも誰れの創設であ          ︵⑳︶ るか必ずしも定説がないが、少なくとも、当時の幣原首相とマッカーサ⋮元帥の協議と、両者の基本的主導力の申で       へ11︶ 発芽し結実されたものであることは確実といえよう。その後の起草過程で、 ﹁戦争放棄条項﹂は二ヶ条に別けられ、       ︵捻︶ 正式の憲法改正案として、いわゆる憲法議会に提出されている。  そして、この案が議会で質疑されるなかで、吉田首相はその趣旨を次のように説明をしている。すなわち﹁戦争樋 棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第九条第二項に於て一切の軍備と国の交戦権 を認ない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抱棄したものであります。従来近年の戦争は多く自衛権の 名に於て戦はれたのであります。今日我が国に対する疑惑は、日本は好戦国である、何時再軍備をなして復讐戦をし て世界の平和を脅かさないとも分からないと云ふことが、日本に対する大なる疑惑であり、又誤解であります。先づ 此の誤解を正すことが今臼我々としてなすべき第一のことであると思ふのであります。又此の疑惑は誤解であるとは 申しながら、全然根底のない疑惑とも言われない節が、既往の歴史を考へて見ますと、多々あるのであります。故に 交戦権は先づ第一、自ら進んで掬棄する、樋棄することに依って全世界の平和の確立の基礎を成す、全世界の平和愛 好国の先頭に立って、世界の平和確立に貢献する決意を先づ此の憲法に於て表明したいと思うのであります︵拍手︶       ︵招︶ 之に依って我が国に対する正当なる諒解を進むべきものであると考えるのであります﹂。

    東洋法学      二九九

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    憲法の平和条項をめぐって      三〇〇  この答弁でも理解されるように、九条では自衛権を否定しているものではないが、二項の趣旨からすると、自衛の ための戦争という手段に許えることも不可能であり、きらに、同項によって軍隊及び戦力の保持は一切禁止するとい        ︵焚︶ うことである。この再軍備禁止の趣旨は、憲法改正議会でくりかえして政府側から答弁されているところである。そ して、その後の審議のなかで、いわゆる﹁芦田修正﹂がなされたことも周知の通りである。すなわち第一項の冒頭 に、﹁日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し﹂が追加され、さらに、第二項に﹁前項の目的 を達するため﹂の文字が挿入されたが、とりわけ議論のある後者を追加した理由について、芦田均氏は次のように議 会で述べている。すなわち﹁其の第二項に﹃前項の目的を達するため、﹄ なる文字を挿入したのは、戦争拠棄、軍備 撒廃を決意するに至った動機が専ら人類の和協、世界平和の念願に出発する趣旨を明らかにせんとしたのでありま す。第二章の規定する精神は、人類進歩の過程に於て明らかに一新時期を劃するものでありまして、我等が之を中外 に宣言するに当り、日本国民が他の列強に先駆けて正義と秩序を基調とする平和の世界を創造する熱意があることを        ︵焉︶ 的確に表明せんとする趣旨であります﹂。 この答弁でみる限り、﹁前項の目的を達するため﹂の意味は、第九条一項 の言葉である、 ﹁日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し﹂をうけていると理解されよう。しか しながら芦田氏は、時を同じくする別の場所で矛盾する説明をしていることは注目されよう。すなわち、同年一一月 に刊行した、同氏の﹃新憲法解釈﹄において、それにふれて次のように述べている。すなわち﹁第九条の規定が戦争 と武力行使と武力にょる威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合であって、これを実際の場合に適用す れば、侵略戦争ということになる。従って自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。

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又侵略に対して制裁を加える場合の戦争もこの条文の適用以外である。これ等の場合には戦争そのものが国際法上の 上から適法と認められているのであって、一九二八年の不戦条約や国際連合憲章に於ても明自にこのことを規定して     ︵16︶ いるのである﹂と述べている。この﹁芦田修正﹂については議論のあるところである、日本が自衛のために軍備を保       ︵π︶       ︵娼︶ 持することが可能にできる修正だという見解があるし、芦田氏自身も後日これにふれて同様の見解を述べているが、 制定当時の審議会の公式見解こそ正しいといえよう。とりわけ後日の見解は、往々にして社会の変遷に対応したかた ちで解釈され説明きれる例が多く、その意味では原点から離反しがちである。まして、芦田氏の後の説明は、日米安        ︵鴛︶ 保条約、自衛隊を意識し、これに合致するようになされたとみる評価は妥当性があるといえよう。  尚、憲法六六条二項では、 ﹁内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない﹂と規定されている。こ㌧ でいう文民︵Ω昆一墜︶とは、 ﹁軍人でない者︵非軍人︶﹂と理解されているが、若し、憲法第九条で軍人の存在を認 めていないとすれば、何故に文民の言葉が挿入されたかも疑問視される。この言葉が置かれた経過は複雑性を含んで  ︵20︶ いるが、しかし、その意図するところは、 ﹁恐らくは戦争放棄の規定との関係をほとんど考えることもなく、明治憲 法時代におけるような軍部の政治的支配を排除するために、文官大臣制を日本の新憲法の明文にかかげることを要求 ︵21︶ した﹂と理解するのが妥当といえよう。憲法制定上の経過については、必ずしも完全なかたちで明瞭化されない部分 がある。とりわけ平和条項の創設をめぐっては、とくに不明確といえる点がみられるが、しかし、敗戦を契機にして、        ︵22︾ 新生日本国家が、より徹底した平和憲法を所有して出発したことは、日本のみならず、世界史的意義をもっているこ とは否定できない事実といえよう。

    東洋法学      三〇一

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︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ ︵7︶

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︵鉛︶ ︵n︶  憲法の平和条項をめぐって       三〇二  高柳・大友・田申編﹃日本国憲法制定の過程︵E︶解説﹄三頁以下参照。すなわちポツダム宣言は、周知のようにわが国の 国家体制について、﹁民主主義的傾向の復活強化﹂をはかり、﹁基本的人権の尊重を確立﹂し﹁臼本国国民の自由に表明せる 意思に従い、平和傾向を有しかつ責任ある政府を樹立﹂することを要求している。  小林直樹﹃憲法講義上﹄二六頁以下。  久田栄正﹃帝國憲法崩壊史﹄二七七頁。  憲法調査会編﹃憲法制定経過報告書﹄二四〇頁。  佐藤達夫﹃日本国憲法成立史﹄︵二巻︶六六〇頁。  高柳・大友・田申編﹃日本国憲法制定の過程︵1︶﹄三四七頁参照。  法学協会編﹃注解日本国憲法﹄二〇五頁以下。この第二項の原文では﹁自衛のための戦争﹂をも明確に放棄していること は注日されよう。すなわち原文は、..ミ霧器動8毒邑αqづ村軽一什鉱爵①猛ぎ昌冴昏象玲o@ 寳℃琶おぎ戴器の濤器き ぎω馨諺。讐農受嘗ωΦε甘αq富無碧暮Φωき山o︿窪嘗嘆①ωR︿ぎαq欝睾p。 。①。霞一2 H貯匿奮壱o昌爵o鐸讐R箆の鉱の 署窪oゲ漢oぎ乏ω静触ぎ鵬汁一6乏〇二傷8穏一緩血無o霧o鋤注富嘆9①鼠o誉 20樹窟蓼器︾吋簿ざ2鶏ざ黛≧目頃oN8註唱 窪震訂鎖暮げ霞甘亀きα8ユαqぼ。 ・鉱び色蒔R臼q蕊囲一〇︿窪訂8鑑段8&壱8鋤蔓冒冨β①器ま80、.となっている。  田中英夫﹁憲法成立史﹂﹃日本国憲法ー三〇年の軌跡と展望﹄二七頁以下参照。  田中英夫﹁憲法第九条の制定経過とその意味するもの﹂﹃日本防衛と憲法﹄︵法学セミナー増刊︶五六頁以下参照。高柳賢 三﹃天皇・憲法第九条﹄七四頁以下参照。  邦訳﹃マッカーサi回想記﹄一六四頁以下。田申前掲︵9︶五八頁。  平野三郎﹁制憲の真実と思想ー幣原首相と憲法第九条⋮﹂世界一九六四年二二〇号。深瀬忠一﹁幣原喜重郎の軍縮平和思 想と実行﹂ ﹃佐藤功古稀記念ー日本国憲法の理論﹄七五以下で、深瀬教授は幣原が平和思想の持主であったことを論証した 上で、憲法九条の成立過程にふれて、﹁﹃幣原発案﹄とか﹃マッカーサー発案﹄とかで、単線的に割り切れるものではなく⋮ 人類的および賃本の近代的な平和の法思想の大きな流れの正統的展開方向と多元的合流内容が深くかつ十分に分析・総合さ

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︵鶏︶ ︵13︶ ︵拠︶ ︵15︶ ︵弼︶ ︵17︶ ︵B︶ ︵19︶ れねばならない。しかし、第九条が、幣原の積極的発案と協力、マッカーサーの理解と決断の二つながらなくしては制定さ れえなかっただろうことは、たしかであろう。また、幣原が憲法の戦争放棄・軍備撒廃原則を自からの﹃不動の信念に達し た﹄うえで、枢密院と議会と国会の前に支持擁護し成立せしめたものであることは疑いない。﹂と分析しているが妥当とい えよう。同様の見解が示されているものとして次のものがある。憲法調査会小委員会報告書﹃日本国憲法制定の由来﹄二六 〇頁以下。長谷川正安﹃憲法現代史﹄︵上︶。また、小林直樹﹃憲法第九条﹄三四頁以下で、別の側面からその制定経過を評 価しているのも見逃すことはできまい。すなわち﹁⋮⋮幣原とマッカーサーの意気投合の裏には、戦争放棄の宣言こそ天皇 制を存続させる唯一の途だという、共通の意見があったということである。極東委員会の構成諸国の間に、天皇制の廃止や 天皇を戦犯にすべきだという主張が出始めていたことは、制意遇程を早めただけでなく、第九条の成立にもー保持的な目米 の二人の主役の合意を通じて!寄与する結果になったと考えられる﹂。  憲法改正案は、次のようになっていた。第九条、国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国と の間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを拗棄する。陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交 戦権は、これを認めない。  参議院事務局編﹃帝国憲法改正審議録﹄四七頁。  前掲︵焉︶六八頁以下。  清水伸編﹃逐条日本国憲法審議録﹄一〇頁以下。  芦田均﹃新憲法解釈﹄︵昭一二年刊︶三六頁。  安澤喜一郎﹁憲法第九条の起草制定とその解釈﹂明大法律論叢第四九巻・四号一七頁以下。佐藤和男﹁憲法九条の成立過 程と解釈に関する国際法的考察﹂青山法学論第二二巻第四号五四頁以下。  憲法調査会編﹃憲法調査会第七回議事録﹄︵昭33年︶九〇頁。  芦田均﹁平和のための自衛﹂毎日新聞昭二六年一月一四日︵朝刊記事︶  粕谷進﹃憲法第九条と自衛権﹄二二頁。 東 洋 法 学 三〇三

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︵20︶ ︵蟹︶ ︵22︶  憲法の平和条項をめぐって      三〇四  佐藤達夫﹃日本国憲法誕生記﹂ご二八頁。憲法調査会編﹃憲法制定の経過に関する小委員会報告﹄五三七頁以下参照。  稲田正次﹁内閣の構成﹂ ﹃憲法講座3﹄二〇九頁。 これに関して、山内敏弘﹁改憲・﹃防衛﹄論議への基本的視解﹂法律 時報第五三巻六号二六頁以下で次のように指摘しているのは注目きれよう。すなわち﹁憲法制定の舞台裏で総司令部によっ てたといどのようなことが考えられていようとも、それがそのまま日本国憲法の立法者意思となるわけのものではないし、 いわんや憲法の文理解釈、体系解釈を拘東するものでありえないのである。六六条二項の文民条項を強調するならば、それ こそそれとの対比において軍の存在した条項、軍の指揮命令権、宣戦講和の権限の規定などの不存在に留意することの方が より基本的な事柄となるのである﹂。  法学協会編前掲︵7︶二一〇頁。横田喜三郎﹃戦争の放棄﹄二〇頁。 三、平和条項の解釈をめぐって   の  新憲法制定の当初は、平和条項の解釈をめぐっての争いがなかった。それどころか、軍備放棄の歴史的意味とその 画期的意義が憲法制定議会で述べられたばかりか、政府自身も、その趣旨を早期に周知徹底化するために、教育現場        ︵1︶ でも憲法学習の実践が試みられている。特に、憲法制定議会では、警察力と戦力とは明確に異なり、警察力の名にお       ︵2︶ いても戦力は許きれないことが示きれていたことは注目きれよう。しかしながら、憲法施行後、国際環境の急激な変 化が、平和条項の解釈に微妙な影を落とす結果になったことは周知の通りである。すなわち、第二次世界大戦後、ま もなく開始された東西対立の動きとその深刻化が国際政治史の機軸となり、その余波が我が国にも影響したといえよ yつ○

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 イギリスのチャーチル首相のいわゆる﹁鉄のカーテン演説﹂ ︵昭和二一年三月︶が物語っているように、東西対立 の冷戦構造は、世界のいたる所で、戦後表面化していった。トルーマン・ドクトリンやマーシャルプランに示され た、対ソ警戒網は、西ヨー糠ッパを直接的に標的とするもので、アジアについてはそれほど危機意識をもつものでは なかったといわれていた。従って、連合国の占領政策の当初は、日本をとりまく情況は必ずしも厳しい環境と理解せ ず、むしろ、日本国家を軍事力を一切所有しない、非武装国家に創設する理想と意欲に満ちていたことは前述した通 りである。しかしながら、国際環境の変化がアジアに波及してくるとその方策は微妙に変化していったといえる。具 体的には、朝鮮半島の南北の緊迫情況、とりわけ、一九四九年の申国大陸に、 ﹁申国人民共和国﹂が誕生することに よって、占領政策は転換され、いわゆる反共防波堤的位置づけ論が語られるなかで、平和条項の解釈にも微妙な変化 があらわれてくる。特に、一九五〇年六月二五日、朝鮮半島北緯三八度線を境に開始された朝鮮動乱が勃発するにお よんで、平和条項の戦力をめぐる論争は、一挙に具体的、現実的なものとして展開されはじまる。在日米軍が朝鮮半 島に出動した後に、海外からの攻撃と日本国内の治安をいかに守るかが急務の課題となり、その解答として、マッカ ーサーは、七万五、○○○名の警察予備隊の設置と海上保安庁の職員の増員を指令し、八月には、ポツダム政令によ る﹁警察予備隊令﹂が正式に公布されるに至る。  同政令に・よると、警憲予備隊は、﹁警察力を補うため﹂︵一条︶に組織きれたものであり、さらにその活動も﹁治安 維持﹂ ︵三条︶の範囲に限定されると規定されていた。その認識は当時の政府自身も認めているところである。すな わち﹁警察予備隊の目的は全く治安維持にある。それが国連加入の条件であるとか、用意であるとか、再軍備の目的

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三〇五

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    憲法の平和条項をめぐって      三〇六 であるとはすべて当らない。日本の治安をいかに維持するかというところにその目的があるのであり、したがってそ       ︵3︶ れは軍備ではない。﹂ことが確認されている。 しかしながら、それが警察力を越えた戦力であることは、装備におい ても警察官の所持できる小型武器の範囲をはるかに越えるもので、明らかに戦力としての性格をもつものであったこ        ︵4︶ とは指摘されていた。また、マッカーサー自身のアメリカ上院における証言もそれを裏づけている。すなわち﹁われ われは、これを米軍師団と全く同様な型で編集した。⋮⋮この警察予備隊を拡充し、ただちに優秀な地上部隊にした てうることはもちろんである。﹂と語っている。警察予備隊は、その後保安隊︵一九五二年︶と改組され、装備も大 型火器や戦車などの重装備が進められた。また、一九五四年三月、アメリカと日米相互援助協定︵MSA協定︶を締 結し、それによってアメリカによる軍事的援助の代りに、わが国に対して、自衛力の強化と軍事援助の効果的利用を 義務づけられていったことは周知の通りである。これをうけて保安隊は自衛隊と名称をかえるとともに、同持に自衛 隊法、防衛庁設置法が制定きれて、名実ともに、非武装体制からの脱却が計られていったのである。  このような経過の中で、政府側の平和条項に関わる憲法解釈は変化変質し、その内容はまきしく現実を追認する憲 法解釈論理につきるといえよう。すなわち、脇前述のように警察予備隊設置については、警察予備隊は憲法上の﹁戦力﹂        ︵5︶ に該当しないと確認し、また保安隊の実態は、近代戦争を有効に即行し得る﹁戦力﹂でなく、そして防衛二法の下で 編成された自衛隊は、 ﹁自衛のために必要最小限度の実力﹂であって、憲法九条でいう戦力に該当しないので、いず       ︵6︶ れも合憲であるとする見解を示している。とりわけ、防衛二法が制定きれるとともに、政府側の自衛権論の解釈が表 面化して、学界の通説である、いわゆる武力なき自衛論と意見が対立して現在に至っている。これを概観すると、す

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なわち﹁わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び問接侵略に対しわが国を防衛することを主 たる任務﹂︵自衛隊法三条︶とする自衛隊が正式に発足するとともに政府の九条解釈が転換していく。﹁国家が自衛権 をもっている以上、国土が外部から侵略きれる場合に国の安全を守るためにその国土を保全する、そういうための実力 を国家が持つということは当然のことでありまして、憲法がそういう意味の、今の自衛隊のごとき、国土保持を任務 とし、しかもそのために必要な限度において持つところの自衛力というものを禁止しておるということは当然これは 考えられない。すなわち憲法九条第二項におきます陸海空軍その他の戦力は保持しないという意味の戦力にはこれは   ︵7︶ 当らない﹂。 この見解は、その後の政府の基本的認識であるが、それが一九七〇年代に入ると多少ニュアンスがかわ        ︵8︶ り、いわゆる﹁戦力﹂とは自衛のための必要最小限度をこえる実力を意味すると変質していく。すなわち﹁戦力とは、 広く考えると文字通り戦う力ということであります。そのような言葉の意昧だけから申せば、いっさいの実力組織が 戦力に当るといってよいでありましょうが、憲法第九条第二項が保持を禁じている﹃戦力﹄は右のような言葉の意昧 どおりの戦力のうちでも、自衛のための必要最小限度をこえるものであります。それ以下の実力の保持は、同条項に       ︵9︶ よって禁じられていないということでありまして、この見解は、年来、政府のとっているところであります﹂。  このような、現実状況に追認する政府側の動きとともに、学界でも平和条項をめぐって解釈上の争いがあることは 周知の通りである。まず、自衛権の在否については、憲法上それを規定する条文、文言は示されていないが、本来国 家は自国に対する急迫不正な危実を防止する権利として内在し、いわば独立国家固有の権利として放棄できないと考  ︵憩︶ える説が有力である。そして、九条一項の戦争放棄条項については、憲法で放棄された戦争の範囲について、一項の

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    憲法の平和条項をめぐって      三〇八 ﹁国際紛争を解決する手段として﹂の文言をどう理解するか、さらに、二項の﹁前項の目的﹂及び﹁交戦権﹂をどう みるかで学説は対立している。戦争も武力の行使も、 ﹁国際紛争解決の手段﹂として通常おこなわれるのであり、自 衛戦争も国際紛争を前提とするので、九条一項で放棄したのは、自衛・制裁・侵略等のいずれの戦争もそこには含ま       ︵1 1︶ れるとする、いわゆる一項全面放棄説がある。また、一項は侵略戦争のみを放棄しているが、二項によって、戦力の        ︵12︶ 保持及び交戦権が否定されているので、結果的に自衛・制裁戦争も放棄されたとみる、二項全面放棄の見解もある。 そして、一項及び二項ともに侵略戦争を放棄したのであって、自衛戦争や制裁戦争は放棄きれていないとみる、いわ       へ紹︶ ゆる限定放棄説がある。九条二項前段の戦力不保持条項についても同じようなことがいえる。 ﹁前項の目的﹂とは、 憲法九条一項の指導精神を指し示しているので、一項のいっきいの戦争を放棄するという目的達成のために、一切の       ︵M︶ 軍備が保持できないと解せられている。これに対して、 ﹁前項の冒的を達するため﹂という文言は、 ﹁国際紛急を解 決する手段として戦争を放棄する﹂ということであり、すなわち﹁侵略戦争を放棄するという目的を達するため﹂を 意味する。この趣旨から、侵略戦争の目的のためには戦力を保持することは違憲になるが、自衛のために戦力を保持       ︵15︶ することは合憲という見解である。       ︵葱  いずれにしろ、学界の通説と異った憲法解釈で自衛隊が設置され、そしてその増強が図かられてきた戦後政治吏で あったといえる。また、最近の政府見解では、自衛権の限界は、国力、国際情勢、科学技術の進歩によつて相対的に 変化するものであるとも述べられ、自衛隊増強という既成事実に合わせて、初期の憲法の平和条項の理想的創設は空 洞化されてきているという批判もよく耳にするところである。また一方で、国際状勢の変化と国民意識の変化を理由

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      ︵17︶ にして、自衛隊違憲説から合憲説に改説する有力学者もみられるが、それを支える、いわゆる﹁憲法変遷論﹂は必ず       ︵18︶ しも一定の評価を受けているとはいえず、その評価の推移を見守らなければならないといえよう。また、 ﹁日米安全 保障条約﹂は、九条の制約があるとはいえ、日本の防衛力を前提とした軍事同盟的性格をもつ条約であるところから、 合憲か、違憲かの論議がなきれていることは周知の通りであり、しかも、その条約が日本にとって危険性を含んでい       ︵鴛︶ ることは、砂川事件のいわゆる伊達判決等でも指摘されているところであるが、それについては、別の機会に論究し たい。   口  日本国憲法が制定きれた当初は、前述したように、世界にいまだ例を見ない、いわゆる非武装平和国家を創設する のが、憲法上の平和条項の趣旨であることが語られていたが、その後、日米安保条約の締結や自衛隊の創設という既 成事実が、積み重ねられる過程で、解釈改憲もそれに対応して変化変質の跡をたどっていった。 一方、この現実に 対して、疑問や反対運動も惹起され、その一つとして裁判に提起される例も多くなったことは周知の通りである。こ こでは、政治的・司法的にインパクトを与た代表的訴訟事例を年代順にとり上げて、その動向と問題点を概観した い。  この種の訴訟の先がけは、 ﹁警察予備隊違憲訴訟﹂といえる。既述したように、朝鮮動乱が勃発後、警察予備隊が 発足する。これは後に保安隊を経て自衛隊に改編されていくのであるが、その最初の﹁再軍備﹂のステップに対する 違憲訴訟である。組織や訓練の内容から、明らかに軍隊に該当し、一切の﹁戦力﹂の保持を禁止した憲法第九条に違

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三〇九

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    憲法の平和条項をめぐって      一三〇        ︵20︶ 反し、無効である旨の確認を求めて、野党の左派社会党︵代表鈴木茂三郎︶が直接に最高裁判所に提訴したものであ る。最高裁判所に直接提訴されたところから、訴訟が可能かどうか、憲法第八一条の、いわゆる違憲法令審査権の法 的性質が問われることになったが結果的に最高裁判所は、訴えそのものを不適法として却下している︵民集六巻九号 七三八頁︶。 すなわち判旨は、提訴側が問題とした、警察予備隊の違憲性と九条解釈には一切言及しないで、ただ一 言本件訴訟のような、いわゆる抽象的訴訟は認めらと判断したものである。この点で、本件判決は、憲法八一条に関 わるりーディング・ケースになりその面でも有名である。  戦後の防衛体制は、警察予備隊の創設を足場に、その後着々と増強の一途をたどっていくが、それと同時に日米安 保体制が組み入れられていく歴史でもあるといえる。その点後者に基づく、在日米軍駐留が、憲法九条に違反しない かどうかも重要な争点の一つである。それが問われた、砂川事件で、一審判決︵昭和三三年一二月一六日東京地裁八 王子支部判決判例事報一七二号九頁︶と跳躍上告の最高裁判決︵刑集ニニ巻二二号三二二五頁︶とで対照的判決がなさ れた。この二つの判決が、その後の憲法の平和条項裁判上に重く、かつ歴史的刻印を残したことは否定できない。前 者の、いわゆる伊達判決は、被告人側の主張を認め、日米安保条約は違憲であると論断している。すなわち、在日米軍 の駐留は、自国と直接関係のない武力紛争に巻き入まれる危険性を指摘し、これを許容することは、平和憲法にもと る疑いがあり、しかも、指揮権の有無、出動義務の有無にかかわらず、憲法第九条によって禁止きれる戦力の保持に 該当すると判旨した。一審判決であるが、司法機関として、はじめて日米安保条約と憲法九条、前文との適合性の問 題を、直接的かつ大胆にその解答を示したところから、その波紋は大きく、政治的には、ショクキングなものとして

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うけとめられたといえよう。これに対して、後者の最高裁判決は、憲法九条を正面からとり上げ、ひとつの解答を示 したことは注目される。すなわち憲法九条は、 ﹁戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、し かし、もちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されるものでなく、わが憲法の平和主 義は無防備・無抵抗を定めたものではない﹂とした上で、そこで保持を禁じた戦力とは、わが国が主体となって指揮 権、管理権を行使うる戦力を示しているのであって、在日駐留米軍はこれに該当しないとした。しかも、安保条約の ような主権国家として、わが国の存立に極めて重大な関係をもつ、いわば﹁高度の政治性﹂を有する問題については、 ﹁一見きわめて明白に違憲、無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のもの﹂というべき性 質のものである。その意昧からすると、日米安保条約は、憲法前文及び第九条に照らして、一見きわめて明白に違憲 ・無効といえないと判示した。この判決は、旧安保条約についての判決であるが、その後の新安保条約の違憲性が問 われた訴訟においても、この判決の判旨が踏襲きれている︵最判昭四四・四・二刑集二三巻五号六八五頁︶。 また、 その論旨は自衛隊の違憲性が問われた裁判にも拡張されたものとして、後述の長沼控訴審判決や百里一審判決にみら れることは周知の通りである。このように、後者の判決は、最終的な公権力の判断であり、その後の、この種の裁判 に不動の拘東力を与えたばかりか、立法・行政機関、そして政党政策に強力なインパクトを与えたことは否定できま        ︵2 1︶ い。また、最高裁判所をめぐる、法と政治の在り方が問われる契機にもなったといえる。いずれにしろ、両判決の、 その後の史的役割を比較して見ると、前者は、いわば憲法九条裁判の先駆的問題提起者としての役割をになったのに       ︵2 2︶ 対して、後者は、いわばその最終的問題解答者としての決定的役割を果たした位置づけができ、その意味では、憲法

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    憲法の平和条項をめぐって      三一二 の平和条項解釈の節目になった判決といえる。  次に、昭和四十年代に入り、自衛隊及び自衛隊法の違憲性が問われた恵庭事件では、憲法の平和条項のなかに、国 民各自は、いわゆる平和的生存権を享受できる権利が含まれ、その見解の立場から訴訟の過程で平和憲法論争が展開   ︵23︶ されたが、札幌地裁︵下刑集九巻三号三五九頁︶は、このことには一切言及しなく、一種のコ眉すかし判決﹂と評さ れるように憲法判断を回避している。自衛隊の実態審査に多くの時問をかけ、さらに近代的装備をもつ自衛隊を、司 法機関がどのような憲法的認知をするのか注目きれたが、結果的には被告、きらにその支持者、とりわけ護憲論に立       ︵腿︶ って被告を支持した憲法学者達の期待を裏切ることになった。しかしながら、この訴訟の過程で主張きれた、いわゆ る平和的生存権思想は一定の社会的認知がなされ、新しい人権として、一足歩み出した意義は見逃すことはできない といえよう。尚札幌地検は控訴しなかったので一審判決で終了している。この恵庭事件で、憲法判断が回避きれて以 後、いわゆる﹁長沼基地訴訟﹂で、自衛隊とその戦力の実態が司法機関によって解明され、その違憲性が裁判史上は じめて示きれたことは周知の通りである。  事件は周知のように、北海道長沼町の自衛隊が、ミサイル基地を設置するため、政府が国有林の保安林指定を解除 したのに対し、国を相手として地域農民が、憲法九条に違反する自衛隊の基地建設の保安林の指定解除は公益上の理 由を欠き違法であるとして、その取消を求めた訴訟である。  第一審札幌地裁の判決︵判例時報七二一号二四頁︶は、きわめて詳細かつ長文のものである。原告等の主張は、保 安林制度に照らして訴えの利益があり、また、基地建設は原告等の、いわゆる平和的生存権を侵害する。その意味で

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二重の訴えの利益を認定している、また従来のこの種の訴訟のパターンと異なり、自衛隊の憲法適合性についても、 司法審査の対象から除外することを厳しく戒めたことも注目きれる。きらに自衛隊の実態は、その編成、装備、能力 等からして、憲法九条で保持を禁じた﹁陸海空軍﹂に該当し違憲であると明確に判示し、その上で違憲の自衛隊の基 地建設の解除処分は違法であり、保安林指定の解除処分は取消しを免れないと判断している。尚、この判決について は、後述の平和的生存権のところで、さらに詳細にふれたい。  これに対して、第二審札幌高裁判決︵判例時報八ニヨ互二頁︶は、代替施設の完成をみたので、原告等の訴えの 利益がないとして、原判決を取り消し訴えを却下した。尚判決はすすんで、 ﹁自衛隊等違憲の主張について﹂付加見 解を示したことは注目きれる。すなわち、自衛隊は一見きわめて明白に侵略的なものとはいえない以上、憲法判断を 下すべきでないという趣旨に立却して、いわゆる﹁一見明白論﹂と﹁統治行為論﹂を融合した論説を下している。こ の見解は、前述した日米安保条約が問われた、いわゆる砂川最高裁判決の判旨を自衛隊法に転用して解釈した考え方 といってよいといえよう。原告等が上告したが、最高裁判決︵判例時報一〇五四号一六頁︶は、高裁判決と同様に訴       ︵25︶ えの利益がないとして上告棄却した。自衛隊の違憲性の判断には一切ふれず、憲法判断は回避している。  次に、茨城県百里に航空自衛隊基地を建設することを決め、その土地売買の経過のなかで、自衛隊の憲法違反が問 われた、いわゆる百里訴訟で、第一審水戸地裁判決︵判例時報八四二号二二頁︶は、自衛隊にふれて、 ﹁自衛権行使 のため有効適切な防衛措置を予め組織、整備することは、憲法前文、第九条に違反するものではない﹂との見解を示 し、その上で、自衛隊は一見明白に侵略的とは認定きれないばかりか、統治行為として司法審査の対象外であると判

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一三三

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    憲法の平和条項をめぐって      三一四 旨して、違憲、無効でないことを示している。また、第二審東京高裁判決︵判例時報一〇〇四号三頁︶は控訴棄却の 判決を下すとともに、自衛隊に関して、 ﹁自衛隊がその存在を否定されるのでなければ社会の存立、発展を脅かすに 至るほど反社会的、反道徳的である﹂とはいえないので、基地建設のための土地取得行為は、公序良俗違反にならな いとした。被告側の上告により現在、最高裁に係属中である。  この事件と前後して、基地内外で、 ﹁デモ鎮圧訓練、治安訓練を拒否せよ﹂等のビラを配布して、自衛隊法の罪で 起訴された、いわゆる小西反戦自衛官事件で、被告側は、自衛隊の違憲性と被告人の行為の正当性を主張したが、最 終審である︵差戻し審︶新潟地裁判決︵判例時報一〇〇二号六三頁︶を含めて、いずれもその違憲性について一切言 及しないで無罪判決が確定している。  これまで、平和憲法、とりわけ九条に関わる判例の動向を概観してきたが、そこには二つの流れを見ることができ るといえよう。すなわち、一つは、地裁段階の判決であるが、砂川事件、長沼基地訴訟の、いわゆる伊達・福島両判 決に見られる、現憲法制定時の原点に立って、直接正面から自衛隊や日米安保条約の違憲性を明確に示した判決であ る。一方、これに対して、砂川事件の最高裁の論理である、いわゆる﹁一見明白論しと﹁統治行為論﹂を結託融合し て判断し、結果的に九条についての判断を回避する流れである。前者の動きは点として存在するが、後者は線から面 として、一つの大きな潮流になってきている観きえあるといえる。このような判例の流れについて、憲法学界では必 ずしも歓迎きれていない。むしろこの傾向については、憲法規範としての九条の実効性を考えると、きわめて憂慮す       ︵26︶ べき事態であると受けとめる声が多い。とりわけ、憲法判断の回避の論理として、いわゆる統治行為論が採用される

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      ︵27︶ 例が多いが、憲法上の違憲法令審査権との関わりから疑問視きれるが当然といえよう。この点で、いわゆる長沼基地 訴訟においては、一審、二審では対照的立場を採用している。一審は、統治行為論はあくまで法治主義の例外として 促え、その適用を受ける国家行為は限定されるとして適用を否定したが、二審判決はそれを適用している。すなわち 二審判決では、自衛隊の設置等は、高度の政治的判断を要する統治事項であり、一見明白に違憲とされる場合以外は 司法審査権が及ばないとした。また憲法第九条が侵略のための戦力の保持を禁じていることは、一見明自ながら、自 衛のための戦力の保持に関する九条二項前段は一義的に明確な規定と解することはできず、そしてまた自衛隊の侵略 戦争遂行能力が、一見極めて明臼とはいえないから、統治行為として司法審査の対象外とした。この判断について       ︵28︶ は、多くの批判がみられるところである。その声の多くは、憲法上の問題は統治事項にかかわることが多いことを考 えると、憲法上の解釈が裁判所によってではなく他の機関になされる先導誘発の可能性の道を開門するという指摘で        ︵29︶ ある。﹁最高裁判所が﹃憲法の番人﹄なのではなく、国会や内閣が﹃憲法の番人ヒに転換するという言葉はその多く の声を集約したものである。また、法令の解釈そのものを統治行為の要件とする考え方は、本判決が初めて採用した ものとして注目されたが、この考え方によると、 ﹁統治事項はほとんど全ての憲法問題に及びうるから、司法審査制        ︵3 0︶ における違憲審査権行使の原則と例外は逆転してしまうおそれは十分にあろう﹂という指摘は妥当といえよう。いず れにしろ、一審判決は、憲法の規定と自衛隊の実態とのズレを指摘して政界や社会に大きな反響を及ぼした。しか し、その憲法解釈は通説を機軸にして展開して学界より高い評価をうけている。その点、二審判決は、いわば﹁”政治 問題は政治へ”という発想で判断を停止することによって、一見政治から距離をとるごとくみえながら、実はかえっ

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一三五

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    憲法の平和条項をめぐって        ︵3 1︶ てより高度に政治的な態度をとる結果になった﹂ くの問題を残したといえよう。 という指摘は、的を射た評価といえようし、  三一六 今後の統治行為論に多 ︵1︶ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵6︶ ︵7︶  星野安三郎﹁平和教育と検定の機能﹂法律時報﹃教科書裁判﹄︵一九六九年八月臨時増刊︶九二頁。例えば、一九四八年 八月に文部省が教科書として発行した﹃新しい憲法のはなし﹄では、戦争放棄条項に触れて次のように記述されている。 7⋮とんどの憲法では、日本の国がけっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も 軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍 も空軍もないのです。戦力の放棄といいます。 ﹃放棄﹄とは﹃すててしまう﹄ということです。しかしみなきんは、けっし て心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりききに行なったのです。世の申に、正しいことぐら い強いものはありません。もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じ ぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。⋮⋮また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおど すようなことは、いっきいしないことにきめたのです。それを戦争の放棄というのです﹂。 この教科書は、昭和二二年の学 習指導要領に基づくものであったが、次の昭和二六年学習指導要領でも、岡じような平和主義の教育を基本とする内容であ った︵星野・前掲論文九二頁︶。  衆議院憲法改正委員会、金森大臣答弁︵一九四六・七二五︶  参議院本会議、吉田首相答弁︵一九五〇・七・三〇︶  法学協会編﹃註解霞本国憲法上巻﹄一三三頁参照。  昭二七・二・二五政府統一兇解。  昭四七・二・一三政府統一見解。この論理を代表する憲法論として、大石義雄﹃臼本国憲法の法理﹄一九九頁以下。西 修﹃自衛権﹄二四頁以下。  衆議院予算委員会、林内閣法制局長官答弁︵一九五四・一二二二︶。

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︵8︶ ︵9︶ ︵10︶ ︵11︶ ︵鷲︶ ︵13︶ ︵M︶ ︵焉︶ ︵弼︶ ︵葺︶ ︵路︶  吉田善関編﹁憲法第九条の政府解釈変遷史﹂﹃憲法第九条の総合的研究﹄法律時報臨時増刊︵昭四一︶一二五頁以下。 ま た、わが国で最初に刊行された防衛白書である、防衛庁編﹃日本の防衛﹄︵昭四五年版︶三六頁でも、次のように記述され ている。 ﹁小型の核兵器が自衛のための必要最小限の実力以内のものであって、他国に侵略的脅威を与えないようなもので あれば、これを保有することは法理的に可能ということができる﹂。  田中内閣の政府統一見解︵一九七二・八︶。  宮沢俊義︵芦部信喜補訂︶﹃法律学体系ユンメンタール全訂日本国憲法﹄一七九頁。佐藤功﹃日本国憲法概説﹄七五頁。 尚、山内敏弘﹁日本国憲法と﹃自衛権﹄概念﹂﹁憲法と平和主義﹄︵法律増刊︶一二二頁で、自衛権が不可避的に﹁武力﹂つ まり﹁戦力﹂の行使が伴うものである以上、 ﹁戦力﹂の保持を禁じられた憲法の下にあっては、 ﹁自衛権﹂も実質的に放棄 されたとみなさぎるをいないとしていることは注目される。  宮沢前掲︵10︶一六八頁。小林直樹﹃憲法講義上﹄一九五頁。田畑忍﹃憲法学講義﹄二七頁。  鵜飼信成﹃新版憲法﹄五九頁。浦田賢治﹁憲法裁判における平和的生存権﹂﹃現代憲法の基本問題﹄六七頁。  西前掲︵6︶一九頁。佐々木惣一﹃改訂沼本国憲法論﹄三二一頁。  小林前掲︵11︶二〇〇頁。宮沢前掲︵10︶一六六頁。  西修﹃国の防衛と法﹄三五頁。佐々木前掲︵B︶二喜二頁。  深瀬忠一﹃平和憲法の弁証﹄五五頁以下で、公法学者の大多数が違憲説を支持していることが報告されている。また、近 時の実証的報告として、 ﹁自衛隊は合憲かー公法研究者四一八名の見解i﹂法律時報一九八一・五月号で、違憲説の支持が 七一二二%に達している。  橋本公亘﹃日本国憲法﹄四二九頁以下。同﹁憲法変遷論﹂﹃日本国憲法i三〇年の軌跡と展望﹄︵ジリュスト臨時増刊︶一 〇九頁以下。  長尾龍一﹁憲法変遷論考﹂﹃目本の防衛と憲法﹄︵法学セミナー増刊︶六五頁以下。上田勝美﹁憲法改正と憲法の変遷﹂龍 谷法学コニ巻四号二六頁。粕谷友介﹁わが国における憲法変遷論の批判的考察︵三︶﹂上智大学法学論集二〇巻二号八七頁以

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(  (  (  (  ( 23 22 21 20  19 )  )  )  )  ) ︵艇︶ ︵25︶  憲法の平和条項をめぐって      三一八 下。尚、杉原泰雄教授は硬性憲法論の見解から批判を加えている︵田上穣治編﹃憲法事典﹄一七〇頁以下︶が妥当な見解と いえよう。すなわち、硬性憲法の論理と存在理由からすれば、憲法の変化を意味する﹁憲法の変遷﹂の観念を認めることは 不可能であるとする。硬性憲法は、それに矛盾する国家行為を否定し、法生活の安定と予想を可能にしようとする見解なの で、 ﹁本来違憲の国家行為が当該憲法を改変するカをもって合憲に転化するということは、法論理的には絶対に不可能﹂で あり、民衆の意思もその憲法の定める手続によって始めて国家意思となるので、それを援用して憲法の変遷を肯定すること はできないとしている。また、樋口教授も﹁硬性の憲法典を持つ国では、疑う余地なく、制定憲法そのものが、この意味で の憲法法源とされ﹂、﹁憲法法源の変遷という意味での﹃憲法変遷﹄観念は法の科学の観念としては維持されえず、イデオロ ギーとしての有効性だけが問題となりうる﹂と批判している︵樋口陽一﹁﹃憲法変遷﹄の観念﹂思想四八四号六六頁︶。  一方、橋本教授と同様に変遷論肯定説に立ちながら橋本教授の変説の誤りを鋭く指摘したものとして、上野裕久﹁憲法第 九条の変遷について!橋本公亘教授変遷論批判i﹂ ﹃法学と政治学の現代的展開ー岡大創立三〇周年記念号﹄一三頁以下が ある。  ﹃安保条約1その批判的検討﹄︵法律時報臨時増刊四八二号︶。  松田聴子﹁警察予備隊違憲訴訟﹂ ﹃戦後政治裁判史録二﹄一四五頁以下参照。  ﹃最高裁をめぐる法と政治﹄︵法律時報臨時増刊三五九号︶  和田英夫﹁砂川事件﹂ ﹃戦後政治裁判史録三﹄一〇三頁以下参照。  ﹃恵庭裁判﹄︵法律時報臨時増刊三九巻五号︶。憲法論として整理した文献として、深瀬思一﹁恵庭事件における憲法解釈 上の諸間題﹂前掲︵8︶五三頁以下。  和田英夫﹁恵庭事件﹂前掲︵22︶四十九頁以下参照。  ただしこの憲法判断の回避について、法理上のことを考えると二つの憲法的意昧が含まれているという深瀬教授の指摘に 注目しなければなるまい。第一に、自衛隊の合憲性について最終的憲法解釈権は国民が持っており、それはまだ解決されて いないこと、第二に、国民の平和的生存権を直接侵害する事態が起った場合には、裁判所はなお違憲法令審査権を発動して

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︵26︶ ︵27︶ ( 28 ) ︵29︶ ︵30︶ ︵31︶ 救済する可能性があるということを留保したという二点の理解である。︵深瀬忠一﹁長沼最高裁判決と憲法の平和主義﹂︵上︶ 法学セミナー三三六号一八頁以下。同︵下︶三三七号一二頁以下。深瀬忠一﹁平和憲法は冬眠しているか﹂﹃法律時報五六巻六 〇号二三頁以下等参照。︶  山内敏弘﹁戦争放棄・平和的生存権﹂山内・・阿部・江橋・中村・浦部・樋口﹃現代憲法講座下﹄五六頁。  野中俊彦﹁九条裁判における﹃統治行為論ヒ法律時報六一巻六号一三七頁以下。奥平康弘﹁﹃統治行為﹄理論の批判的考 察﹂﹃自衛隊批判﹄︵法律時報臨時増刊︶五六頁以下。山内敏弘﹁自衛隊と﹃統治行為論﹄法律時報四九巻八号十頁。  例えば、作間教授の指摘は多くの疑問を集約した言葉といえよう。すなわち﹁この基準が、一見するところあたかも統治 行為論に基づく司法審査の例外であるかのように用いられているが、実際は全くそれと反対に、常に事案の違憲性の否定を 導くための論理・操作ないし修辞として用いられている﹂︵作間忠雄﹁統治行為論﹂﹃憲法三〇年の理論と展望﹄二一二九頁。  奥平康弘﹁長沼訴訟控訴審判決と統治行為論﹂法律時報四八巻コ号四九頁。  浦田賢治﹁平和的生存権・或力・自衛隊﹂ジュリスト増刊憲法の判例︵第三版︶一九八頁。  小林直樹﹁長沼控訴審判決の問題点ーその憲法学的評価﹂法律時報四八巻二号一八頁。 四、平和生存権の法的性格  平和憲法ときれる現憲法では、国民の基本的人権の一種として、前文第二節で﹁われらは、全世界の国民が⋮⋮平 和のうちに生存する権利を有する﹂と定めて、いわゆる平和的生存権を保障していることは周知の通りである。そし て、この権利の具体的内容として、第九条では非武装体制による平和主義を定めて、その権利の確保を達成しようと していると今日理解きれている。しかしながら、この権利が国民の基本的人権の一種として捉える思想は、憲法制定 当初より説かれ、かつそのように理解きれていたわけではない。実質的な再軍備が進行する過程で萌芽し成長した権

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