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永野芳夫におけるデューイ思想受容(戦前・戦中・戦後)再考―篠原助市の場合との対比を念頭において― 利用統計を見る

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全文

(1)

永野芳夫におけるデューイ思想受容(戦前・戦中・

戦後)再考―篠原助市の場合との対比を念頭におい

て―

著者

米澤 正雄

著者別名

YONEZAWA Masao

雑誌名

東洋大学文学部紀要, 教育学科編

38

ページ

103-114

発行年

2012

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004168/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

永野芳夫 におけるデューイ思想受 容(

戦前・戦中・戦後)再考

一 一

篠原助市の場合との対比を念頭においてー

米  滓

正  雄 *

本 論 文 の 課 題 は 、永 野 芳 夫(1894 −1967) に お け るデ ュ ー イ 思 想 受 容( 戦 前・戦 中・戦 後) のあ りようを 、篠 原 助 市(1876 −1957) の 場 合 との 対 比 を 念 頭 に お い て 再 考 す るこ とにあ る。戦 前 、永 野 は デ ュ ー イ 研 究 三 部 作(『 ヂ ョオン・デ ュー ウィ教 育 学 説 の 研 究 』1920 年 、『 ヂョ オ ン デ ュー イ 哲 学 説 の 研 究 』1922年 、『 ヂョ オ ン・デ ュ ー イ 論 理 学 説 の 研 究 』1926年) を 著 す。永 野 の デ ュ ーイ 思 想 研 究 の 問 題 意 識 は 、篠 原 助 市 論 文「デ ュー イの 教 育 論 」(1917年12 月 /1918 年1 月 、の ち に『 批 判 的 教 育 学 の 問 題 』1922 年 、に 収 録) に 示 され た デ ュ ー イ 教 育 思 想 批 判 お よび「 実 用 主 義 」批 判 を い か に 克 服 す る か 、とい うこ とに 置 か れ て い た 。永 野 は 、一 方 で 、渾 柳 政 太 郎 が 指 導 す る 成 城 小 学 校 教 育 実 践 に「 研 究 同 人 」として 参 加 し 、自ら の デ ュー イ 教 育 学 説 研 究 に もとづ い た 教 育 論 を 、『 教 育 改 造 の 原 理 』1921年・『 改 造 思 潮 に 基 け る新 学 校 の 主 張 と実 際 』1923年( 佐 藤 武 との 共 著) 、に 提 示 す る 。そして 永 野 は 他 方 で 、デ ュー イ教 育 学 説 を ウィリア ム・ジェ イム ズ「 根 本 経 験 論 」に よっ て「 基 礎 づ け 」る 、独 自 な 教 育 哲 学 論 を 構 築 す る( 論 文「 教 育 の 哲 学 的 な ら び に 実 践 的 諸 原 理 」1931年) 。し か し 、渾 柳 の 没(1927 年) 後 、デ ュー イ思 想 に つ い て 論 究 す ることが 著 しく困 難 に な っ た 戦 時 中 、永 野 は『 老 子 の 哲 学 』1943年 、を 著 し 、教 学 聖 旨(1879 年) お よび 教 育 勅 語(1890 年) 以 来 、近 代 日 本 の 初 等 教 育( 特 に 修 身 教 授) の 中 核 に 据 えら れ 、子 ども た ち に( お よび「 臣 民 」に) 教 え 込 ま れ てき た 、そ して 総 力 戦 遂 行 の下 支 え を「少 国 民 」に( お よ び「 臣 民 」に) 観 念 させ る 、「 仁 義 忠 孝 」一 就 中 、「忠 孝 」一 の 徳 目 を、老 子 の「無 為 自 然 」に 照 らし て、「 道 の 末 」、「 末 節 虚 偽 の 徳 目 」と 批 判 す る。戦 時 中 の 永 野 に よるこ の 儒 教 批 判 は 、アメリカ 合 衆 国 に 留 学して デ ュ ー イに 学 ん だ「胡 適 」の「 中 国 哲 学 史 大 綱 」を 参 照 して な され て い る 。そ れ は 、「胡 適 中 国 哲 学 史 大 綱 」を 介 し た 間 接 的 な 、デ ュ ーイ 思 想 の 表 現( あ るい は「方 法 」として の プ ラグ マ ティズ ム の 駆 使) 、とみ なしう る 。こ のような 戦 前 お よび 戦 中 の デ ュ ー イ思 想 受 容 にも とづ い て 、戦 後 、永 野 は 自ら の 教 育 哲 学 論 を 再 提 示 する( 論 文「教 育 の 哲 学 的 なら び に 実 際 的 原 理 」と『 教 育 改 造 の 原 理 』を 合 体 し た、『 新 教 育 の 方 法 論 』1949年) 。永 野 のこ の 教 育 哲 学 論 は 、戦 後 、篠 原 に よっ て 初 め て 提 示 され た 教 育 哲 学 論(『 教 育 哲 学 』1951年) と対 比して 考 察 され る 必 要 か お る。な ぜ なら ば 、戦 前 の 篠 原「 批 判 的 教 育 学 」(『 批 判 的 教 育 学 の 問 題 』1922年 、に 収 録 の 諸 論 文) は 、千 葉 師 範 附 属 小 学 校「自 由 教 育 」 の 指 導 理 論 の 側 面 を 有 す る か らで あ る 。そして 戦 後 の 篠 原 に よる 教 育 哲 学 論 は 、戦 前 から 戦 後 に か け て の「 篠 原 教 育 学 」の 展 開 過 程(「 批 判 的 教 育 学 」確 立 か ら「 理 論 的 教 育 学 」を 経 て「 実 際 的 教 育 学 」へ の) に お い て 、「少 国 民 錬 成 」を 正 当 化 し た『 教 授 原 論 一 一 特 に 国 民 学 校 の 授 業 − − 』1942 年 、の 副 題 を 、「 学 習 輔 導 の 原 理 と方 法 」に 改 め て 論 述 内 容 も 全 面 的 に 再 編 成 し た 戦 後 版(1953 年) の 作 成・提 示 と相 侯 っ て、ようや く提 示 可 能 に な っ たもの だ か らで あ る。大 正 自 由 教 育 へ の 関 与 を 通して 戦 後( 再) 提 示 され た、そ して 戦 後 ほ とん ど 検 討 され てこな か っ た 、デ ュー イ思 想 受 容 を めぐ る、対 照 的 なこ れ ら二 つ の 教 育 哲 学 論 が 、今 考 察 され ね ば な ら ない ので あ る。

キ ー ワード: 永 野 芳 夫 / デュー イ教 育 思 想 /ジェイムズ「根 本 経 験 論 」

/ 教 育 哲 学/ 老子 /儒

教 批 判 / 篠 原 助 市/批 判 的 教 育 学/ 教 授 原 論 /少 国民 錬 成 /大 正 自由 教 育

*よねざわ まさお 東 洋 大 学 文 学 部 教育 学 科

103

(3)

104

「東 洋 大 学 文 学 部 紀 要 」第66集 教 育 学 科 編XXXV

Ⅲ(2012 年)

1 。は じ め に 本 発 表 の 課 題 は 、永 野 芳 夫(1894 −1967) に お けるデ ュ ー イ思 想 受 容( 戦 前・戦 中・戦 後) の あ りようを 、篠 原 助 市(1876 −1957) の 場 合 と の 対 比 を 念 頭 に お い て 再 考 す る ことに あ る 。 「 再 考 」とは 、永 野 芳 夫 の デ ュ ー イ研 究 と渾 柳 政 太 郎 の 成 城 小 学 校 教 育 実 践 との 関 連 性 につ い て 考 察 し た 拙 論(1) に お い て、次 の 三 点 に わ たり解 明 が 不 十 分 であ っ た 、と 考 え るか らで あ る。 第 一 は 、戦 前 の 永 野 の デ ュ ー イ 研 究 が 、当 初 か ら 、 先 行 研 究 とし て の 篠 原 助 市 論 文「デ ュ ー イの 教 育 論(2)」(1918 年) の 見 解 の 克 服 を 重 要 な 課 題 とし て い たこ と。こ のこ とへ の 目 配 りが 上 記 拙 論 に お い て 不 十 分 で あ っ た 、 と考 え るか らで あ る 。佐 藤 武 との 共 著『 改 造 思 潮 に 基 け る 新 学 校 の 主 張 と実 際 』(三 共 出 版 社 、1923 年) に お い て 、永 野 は 、篠 原 の 指 導 す る 、手 塚 岸 衛 ら 千 葉 師 範 附 属 小 学 校 同 人 に よる「 自 由 教 育 論 」が 、「す で に 水 平 運 動 も あ る 今 日に 於 て」出 現 しつ つ あ る「教 育 事 実 」に 対 す る 、 「 垂 直 哲 学 」に よる 基 礎 づ け の 試 み で あ る 、と 論 難 し 、そ の 理 論 的 不 整 合 を 批 判 す る(3) 永 野 の この 批 判 は 、『ド イツ 哲 学 と政 治 』(1915年) に 示 さ れ たドイ ツ 観 念 論 に 対 す るデ ュ ー イの 知 識 社 会 学 的 批 判 を 、永 野 自 身 が 、デ ュ ー イ 思 想 に 対 す る 篠 原 助 市 の 評 価 の 枠 組 み( 新 カント派 の「 批 判 的 教 育 学 」)に 対 して 向 け 直 し た も の で あ る 。永 野 の 当 初 の デ ュ ー イ 研 究 の 課 題 は 、こ の ように 、篠 原 助 市 に よるデ ュ ー イ思 想 評 価 の 枠 組 み を 克 服 し 、こ の 枠 組 み に 対 す る 永 野 白身 の 代 案 を 提 示 す ること に 置 か れ て い る 、と推 定 さ れ る の で あ る 。デ ュ ー イ 思 想 を めぐ り、先 行 す る 篠 原 助 市 の 評 価 の 枠 組 み( 新 カ ント 派 の( 批 判 的 教 育 学J) に 対 して 、永 野 の 提 示 し た 代 案 は 、「経 験 の 形 而 上 学 町 に よる「基 礎 づ け 」で あ る。 永 野 に お けるデ ュ ー イ 研 究 三 部 作[『 ヂ ョオ ン・デ ュ ー ウィ 教 育 學 説 の 研 究 』( 大 同 館 書 店 、1920 年)・『 ヂ ョオ ン デ ュ ー イ 哲 學 説 の 研 究 』(大 同 館 書 店 、1922 年) ・『 ヂョ オン・デ ュー イ 論 理 學 説 の 研 究 』(大 同 館 書 店 、1926 年) 、以 下 そ れ ぞ れ 、『 デ ュ ー イ教 育 学 説 の 研 究 』・『デ ュ ー イ哲 学 説 の 研 究 』・『 デ ュ ー イ 論 理 学 説 の 研 究 』と略 記] と、ウィリアム / ヂ ェ イム ズ 著 、永 野 芳 夫 訳『 根 本 経 験 論 』(三 共 出 版 社 、1924 年) と の 、理 論 的 関 連 性 に 着 目 す る 必 要 が あ る。 第 二 は 、デ ュ ー イ 思 想 を めぐ る 、こ の ような 篠 原・永 野 の 評 価 の 枠 組 み の 構 築 が 、そ れ ぞ れ 、国 内 的 に は 大 正 自 由 教 育 へ の 関 与 にも とづ い て 行 な わ れ るととも に 、国 外 の 教 育 事 情 の 視 察 と の 関 連 に お い て も 推 進 され て い るこ とで あ る 。篠 原 の 場 合 は 、1922 年3 月 ∼8 月( ア メリカ 合 衆 国 の 教 育 視 察 、帰 路 の 船 上 で デ ュ ー イ『 人 間 性 と 行 為 』読 了(s))お よ び1922 年12 月 ∼1923 年9 月( 手 塚 岸 衛 が 同 行 して 、フラン ス、ドイ ツ、イギリス の 教 育 視 察 − ド イ ツ が 中 心- 、アメリカ 合 衆 国 を 経 由して 帰 国(6))の 欧 米 教 育 視 察 が あ る に の 教 育 視 察 直 前 に『 批 判 的 教 育 学 の 問 題 』賓 文 館 、1922 年 、が 出 版 され 、視 察 終 了 後『 理 論 的 教 育 学 』教 育 研 究 会 、1929 年 、お よび 学 位 論 文『 教 育 の 本 質 と教 育 学 』教 育 研 究 会 、1930 年 、が ま とめ ら れ る) 。こ れ に 対 し て 永 野 は 、戦 前 は 海 外 に 出 か け て い な い が 、滓 柳 政 太 郎・小 西 重 直・長 田 新 らが 欧 米 教 育 視 察(1921 年8 月 ∼1922 年6 月 、尚 、篠 原 は 、この 一 行 に1922 年5 月 末 シ カ ゴ で 会 って い る)(7)に お い て 収 集 し た 教 育 資 料 の 一 部 を 、『 世 界 教 育 教 授 新 潮 叢 書 』全12 冊( モ ナ ス 、1923 ∼1928 年)(8)、として 公 刊 す る 際 に「 編 輯 」者 として 参 加 して い る。そ して 永 野 は 、「デ ュ ーイ が 大 正 九 年 頃 支 那 北 京 大 学 でし た 講 演 筆 記 の 訳 」を『 新 教 育 パ ン フ レ ッ ト第2 輯 教 育 哲 学 』(日 本 教 育 學 会 、1928 年) 、として 出 版 一 後 に『 デ ュー イの 教 育 学 』(中 和 書 院 、1937 年) に 「デ ュ ー イの 教 育 哲 学( 北 京 大 学 に お け る 杜 氏 の 講 演 筆 記) 」と題 して 再 録 す るととも に 、アダ ム ズ・ベ ック 著 、 永 野 芳 夫 訳『 東 洋 哲 学 物 語( 上・下) 』(アル ス、1930 年) 、 も 出 版 して い る。デ ュ ー イ思 想 を めぐ る 、篠 原 お よ び 永 野 に よ る評 価 の 枠 組 み 構 築 は 、同 時 代 の 欧 米 を 中 心 と す る海 外 の 教 育 動 向 へ の そ れ ぞ れ の 視 野 との 関 わりに お い て 、比 較・検 討 され る 必 要 が あ る。 第 三 は 、第 一 が デ ュ ー イ思 想 研 究 の 初 発 の 問 題 意 識 に 関 わ り、第 二 が デ ュ ー イ 思 想 の 評 価 枠 組 を 支 え る 海 外 の 教 育 動 向 へ の 視 野 に 関 わ るとす れ ば 、到 達 点 とそ れ に 至 る 過 程 に 関 わ る 事 柄 で あ る 。永 野 の『 新 教 育 の 方 法 論 』(中 和 書 院 、1949 年) 、お よび 篠 原 助 市『 教 育 哲 学 』(富 士 書 院 、1951 年) 、は 、大 正 自 由 教 育 へ の 著 者 自 身 の 関 与 に もとづ い て 戦 後 提 示 さ れ た 、デ ュ ー イ 思 想 受 容 を めぐ る 二 つ の 対 照 的 な 教 育 哲 学 の 試 み で あ る。 こ の こと は 、 永 野 の 場 合 、『 新 教 育 の 方 法 論 』の 本 論 部 が 、「 デ ュ ー イ 教 育 思 想 の 紹 介 的 論 文 」とし て 着 手 さ れ た 大 正 時 代 の 自 著『 教 育 改 造 の 原 理 』(大 同 館 書 店 、1921 年) の 再 刊 で あ るこ とに 示 さ れ る。そ して そ れ は 、篠 原 の 場 合 、東 京 高 等 師 範 学 校 在 学 中 の1906 年「 紀 元 節 」の 午 後 の デ ュ ー イ『 学 校 と 社 会 』の「一 気 」読 み 、に 発 す る 新 教 育 思 想 へ の 関 心 の 持 続 と論 文「デ ュ ー イの 教 育 論 」 お よ び デ ュ ー イ『 人 間 性 と行 為 』へ の 高 い 評 価 に 、そし て 戦 後 の『 民 主 主 義 と 教 育 の 精 神 』(賓 文 館 、1947 年) に お ける デ ュ ー イ思 想 の 再 評 価 に 、示 され る 。問 題 は 、篠 原 、永 野 が 、そ れ ぞ れ の 哲 学 的 立 場 か ら「 基 礎 づ け 」よう −104 −

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永 野 芳 夫 に お けるデ ューイ思 想 受 容( 戦 前・戦 中・戦 後) 再 考 とし た「新 し い 教 育 の 諸 事 実 」が 容 易 に は 見 出 せ な くな っ て か ら一 特 に 、 大 正 自 由 教 育( 実 践 家) との 関 係 維 持 が 困 難 に な っ た 、篠 原 の 場 合 は 手 塚 岸 衛 の 死 去(1936 年) 以 降 、永 野 の 場 合 は 潭 柳 政 太 郎 急 逝(1927 年) 以 降 一 敗 戦 に 至 る ま で 、永 野 と篠 原 とは 、そ れ ぞ れ ど の ような 思 想 展 開 を 行 な っ た の か 、に あ る 。そして 敗 戦 後 、 い か にして 上 記 の 著 作 を そ れ ぞ れ 提 示 し た か 、に あ る 、 と考 え る。 永 野 の 場 合 は 、後 述 す る ように 、『 デ ュー イの 教 育 学 』( 中 和 書 院 、1937 年) の 出 版 後 、デ ュ ー イ へ の 論 及 が 敗 戦 ま で ほ とん ど 見 ら れ なくなる( 但 し 、『 老 子 の 哲 学 』1943 年 、の 奥 付 裏 の 広 告 欄 に は 、永 野 芳 夫 の 著 作 として、『 再 訂 増 補 論 理 学 概 説 』ととも に『 デ ュイの 教 育 学 』が 掲 載 され て い る)。し かし 、デ ュ ー イへ の 論 及 が 見 ら れ な い とし て も 、時 代 へ の 永 野 白身 の スタン ス は 、非 常 に 明 確 で あ る 。例 え ば 、『 論 理 学J1943 年9 月( 四 版) の 最 終 頁 に 加 筆 され た「〔 附 〕直 覚 の 論 理 性 」に お い て 、永 野 は 次 の よう に 述 べ る。「知 的 直 覚 」は 、「け っし て 神 秘 的 な は たらき で は な い 」、む し ろ「そ れ は 複 雑 な 論 理 的 過 程 の 自 然 な 短 縮 で あ る 。」「し かし 直 覚 は 一 面 に お い て ま た 過 誤 を ふく み や す い 。そこ で 直 覚 に よって とら へ ら れ た 真 理 は 、そこ に 内 在 す る 論 理 的 連 関 の 開 展 に よっ て 検 証 さ れ る べ き で あ る」、と。そ れ 故 永 野 は 言 う。 「日 本 人 は 伝 統 的 に 直 覚 的( な い し 直 観 的) 認 識 に 長 じ て お る 。と同 時 にそ の 反 面 に お い て は そ の 直 覚 的 の 結 果 の 単 純 な 表 現 を もっ て 満 足 す る の 傾 向 を 強 く 持 つ 。い ひ か ゆ れ ば 、そこ に 内 在 す る 論 理 的 連 関 を 充 分 に 把 握 す る の 力 に お い て 不 足 が あ る。こ の 故 に 日 本 は こ れ まで 科 学 の 領 域 に お いら 自 然 科 学 な らび に 精 神 科 学 に お い 匹 い ささか 貧 乏 で あ っ た ごとく で あ る。 / わ れ ら 日 本 の 若 き 学 徒 は 、伝 統 的 の すぐ れ た る 直 覚 力 に 周 到 な る 論 理 的 思 考 力 を 加 えて 、より 豊 か なる 真 理 の 領 土 を 開 拓 す べ きで あ る(、)。」 総 力 戦 体 制 下 の 日 本 の 現 状 に 対 す る 永 野 の 、この ような 距 離 を 保 っ た 冷 静 な 認 識 は 、昭 和10 年 代 の 篠 原 の 理 論 展 開 と大 き な 隔 たりか お る。篠 原 は 、「 自 然 の 理 性 化 」を 標 榜 する「 批 判 的 教 育 学 」の 立 場 か ら の「理 論 的 教 育 学 」 を、「個 人 の 歴 史 化 」を 掲 げ る「 実 際 的 教 育 学 」へ と展 開 す る に 際 し 、1941 年 に 主 著『 理 論 的 教 育 学 』(1929 年) と 『 哲 学 綱 要 』(1926年) とを 自ら 絶 版 に 付し た 上 で 、『 教 授 原 論 一 国 民 学 校 の 授 業- 』(岩 波 書 店 、1942 年) を 公 刊 し 、時 流 の 波 に 埋 没 してし まうか らで あ る。 そ れ 故 戦 後 に お い て 、篠 原 は 、『 教 育 哲 学 』の 出 版 に 際 して 、戦 時 中 に 出 版 され た『 教 授 原 論 』初 版 の 改 訂 版 、『 教 授 原 論 一 学 習 輔 導 の 原 理 と方 法- 』(玉 105

川 大 学 出 版 部 、1953年)、に お いて、

「国民 学 校 の 授 業 」

に 関 わる初 版 の論 述を 大 幅 に 削 除・書き換 えをお こなっ

た 上で、再 刊 せ ざるをえな い。これ に 対して永 野 は 、

『 新

教 育 の 方 法 論 』の出 版 に 際して、戦 前 に 出版し た『 教 育

改 造 の原 理 』(1921年)の用 語「改 造 」

「智 性 」

を、そ れ ぞ

れ「 再 構 成 」

「知 性 」

に 改め 、これ に 戦 前 発 表した 論 文

「教 育 の 哲 学 的 ならび に 実 践 的 原 理(10)

を「序 章 教 育

の正 体 と方 法 的 原 理 」

と改 題して 加 えただ け であ る。昭

和10 年 代 の 理 論 展 開 の 差 異 が、篠 原と永 野とに お ける

教 育 哲 学 の 戦 後 にお ける提 示 に お いて、このような 差 異

をもたらしてい るのである。

このような 理 由から 、以 下、永 野 に おけるデューイ思 想

受 容( 戦 前・戦 中・戦 後) のありようを、篠原 の場 合との 対

比を 念 頭 に おい て解 明 する。

2 。戦 前 の 永 野 に お け る 、「 経 験 の 形 而 上 学 」 に よ る「 新 し い 教 育 の 諸 事 実 」の 「 基 礎 づ け 」 (1) 永 野 の デ ュ ーイ 研 究 の 当 初 の 課 題 一 大 き な 壁 と して の 、「 批 判 的 教 育 学 」の 立 場 に 立 つ 篠 原 助 市 論 文「デ ュー イの 教 育 論 」一 永 野 の デ ュー イ 研 究 に とって 当 初 の 大 き な 壁 は 、論 文 「デ ュー イの 教 育 論 」(1918年) に 示 さ れ た篠 原 の 見 解 で あ る 。こ のことは 、「デ ュウヰ イ氏 教 育 説 の 研 究 」とい う副 題 を 持 つ 、永 野 の 最 初 の デ ュー イ研 究 論 文( 四 編(11))の 結 語 部 分 に 示 さ れて い る。デ ュー イ 来 日の 直 前 、論 文「将 来 の 学 校 教 育( 下)-( デ ュウヰ イ氏 教 育 研 究 其 三) ― 」に お いて 、永 野 は こう述 べ る。 「デ ュウヰ イは か か る 教 育 の 理 想 は た だ 米 国 の 如 き デ イモ クラ シイの 国 に 於 い て の み 行 な は れうると説 い て い る。し か しデ イモ クラ シイとは ど ん な もの か 、彼 は 殆 ど 説 明 して 居 ら ぬ 。 察 す る に 彼 の 教 育 の 理 想 の 行 は わ れ る 所 に デ イ モ クラシ イあ りとい ふ 見 地 に あ るの で は あ る まい か と 見 え る。 何 れ にして も 彼 の デ イモ クラ シ イを 民 主 主 義 乃 至 は 民 本 主 義 の 意 に 解 する は 早 計 で あ ら う。/ とに か く彼 の 教 育 説 は 現 今 の 教 育 に 新 らし い 光 を 投 げ たも の で あり、教 育 の 実 際 に も 貢 献 す るところ が あ っ た の で あ る。 然 し 彼 の 論 ず る ところ は 亜 米 利 加 を 立 場 として の も の で あ る 。従 っ て 更 に モ デ イフ アイし な い で 我 国 に 入 れ る に は 少し 無 理 で あ る 。/ い ろ い ろ 批 評 もして 見 た い が 、こ れ は 出 来 る だ け 研 究 の 熟 し た 時 に 譲 るこ とゝす る(12)。 」 こ の 引 用 文 は 、篠 原 論 文「デ ュー イの 教 育 論 」の 次 の 結 語 部 分 に 対 して 、当 初 の 永 野 が 自ら の 意 見 を 提 示 しえ な か った 、とい うことを 意 味 す る。篠 原 は こう述 べ て い る か ら で あ る 。

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「東 洋 大学 文学 部紀 要」第66 集 教 育 学 科編XXXV

Ⅲ(2012 年)

「凡 て 人 文 の 発 展 は 知 識 を 知 識 として 尊 重 す るところ に 萌 す の で あ る。そ して 人 文 の 発 展 は 教 育 の 最 終 任 務 で は あ るま い か 。/ 知 識 を 道 具 とな す 実 用 主 義 は 斯く て 極 めて 人 為 的 な 、物 質 的 な も の とな っ た 。こ は 実 用 主 義 が 当 然 其 の 行 くべ き 所 に 行 っ た の で あ る 。…[ 略] … 生 物 学 や 発 生 的 心 理 学 の 研 究 は 行 動 の 連 続 的 順 応 を 骨 子 とせ る 彼[ デ ュ ー イ]の 教 育 説 に よりて 最 も 能く 応 用 せ ら れ 、学 校 を 社 会 化 す る 運 動 は 彼 に より て 最 も 徹 底 的 に 、実 現 せ ら れ 、手 工 的 作 業 の 価 値 は 最 も 完 全 に 発 揮 せ ら れ た 。米 国 が 実 用 主 義 の 本 土 で あ る 如 く、彼 の 教 育 思 想 は 首 尾 一 貫し た 米 国 式 のも の で あ る 。もし 教 育 学 が 国 民 性 を 基 礎 と す べ きも の 、教 育 学 は 特 殊 的 に夫 れ 夫 れ の 国 家・社 会 の 特 色 を 顧 る べ きも の で あ るとす れ ば 、デ ュ ー イの 教 育 学 のご とき は お そ らく理 想 的 のも の で あ らう。唯 其 れ 米 国 式 であ る。 故 に 之 を 他 国 に 移 植 す る に 当 たっ て は 細 心 の 注 意 を 払 わ ね ば な ら ぬ 。我 国 に 於 て 実 用 主 義 の 上 に 教 育 を 建 て ん と企 て つ つ あ る 一二 の 人 々 は ま ず 顧 み て 自 己 の 足 場 を 精 査 す べ き で あ らう(13)。」 篠 原 は 、「 知 識 を 知 識 として 尊 重 す る」立 場 か ら 、「 知 識 を 道 具 とな す 実 用 主 義 は …[ 略]・‥極 めて 物 質 的 な も の とな っ た」と論 難 する 。篠 原 は 、「 教 育 学 は 特 殊 的 に 夫 れ 夫 れ の 国 家・社 会 の 特 色 を 顧 る べ きも の で あ る」との 自 ら の 教 育 学 観- 「 教 育 一 般 の 形 式 的 目 的 は 理 性 の 哲 学 が 之 を 与 え 、其 の 特 殊 なる 具 体 的 目 的 は 国 史 の 研 究 と相 侯 って 決 定 せ らる べ きで あ る(U)」との 、「 理 論 的 教 育 学 」・「 実 際 的 教 育 学 」の 構 想- に 則 っ て 、「 米 国 式 」と して は 、と限 界 づ け たうえ で 、「デ ュ ー イの 教 育 学 」を「 理 想 的 な も の で あ ろう」と一 応 認 め る 。そ し て 返 す 刀 で 篠 原 は 、「 国 家・社 会 の 特 色 」を 異 に す る「 他 国 」に そ の ま ま「之 を 移 植 す る 」に は 問 題 が あ る 、と指 摘 し 、「 我 国 に 於 て 実 用 主 義 の 上 に 教 育 を 建 て ん と企 てつ つ あ るこ の人 々 は ま ず 顧 て 自己 の 足 場 を 精 査 す べ き で あ らう」と結 ぶ 。先 に 引 用 した 永 野 の 見 解( 特 に「然 し 彼 の 論 ず る ところ は 亜 米 利 加 を 立 場 として のも の で あ る 」)は 、当 初 の 永 野 が 、「デ ュー イの 教 育 論 」につ い て の 篠 原 の 論 評(「 唯 其 れ 米 国 式 で あ る」)に 対し て、「デ ュウヰ イ氏 教 育 説 の 研 究 」と 副 題 を 付 け た 論 文 四 編 を 著 し た 末 に 、理 論 的 に は 完 敗 と言 える ほ ど 反 論 で きな か っ た 、とい うこ とを 意 味 す る 。永 野 の デ ュ ー イ 研 究 に は 、当 初 、乗 り越 え る べ き 大 き な 壁 とし て、篠 原 論 文「デ ュ ー イの 教 育 論 」が 立 ち は だ か っ て い る の で あ る。 永 野 が 、今 後 デ ュ ー イ研 究 を 遂 行 して い くた め に は 、 「 知 識 を 道 具 とな す 実 用 主 義 は …[ 略]・‥極 めて 物 質 的 なも の とな っ た 」との 篠 原 の 論 難 を 、自ら の「 実 用 主 義 」の 研 究 に よっ て は ね 返 す こ とが 必 要 で あ る 。そ の た め に は 、「自 己 の 足 場 を 精 査 」し 、篠 原 の「 知 識 を 知 識 として 尊 重 す る 立 場 」(新 カ ント派 の「批 判 的 教 育 学 」の 立 場) とは 異 な る、自ら の「実 用 主 義 」の 研 究 を 位 置 づ けう る 、「自 己 の 足 場 」を 定 礎・構 築 す るこ とが 不 可 欠 で あ る 。 そして こ れ ら の 理 論 的 作 業 に もとづ い て 、し か も篠 原 の 教 育 学 観 とは 異 な る 教 育 学 観 に 則 っ て 、「 我 国 に お い て 実 用 主 義 の 上 に 教 育 を 建 て ん 」とす る「企 て」を 擁 護 す るこ とが 必 要 で あ る。 デ ュ ー イ 来 日(1919 年2 月 ∼4 月) を 契 機 とす る 、永 野 に よる デ ュ ー イ 研 究 三 部 作(『 デ ュ ー イ 教 育 学 説 の 研 究 』1920 年 、『 デ ュ ー イ 哲 学 説 の 研 究 』1922 年 、『 デ ュ ー イ 論 理 学 説 の 研 究 』1926 年) と、ウィリ アム / ヂ ェ イム ズ 著 文 学 士 永 野 芳 夫 訳『 根 本 経 験 論 』(三 共 出 版 社 、1924 年) に もとづ い た「デ ュ ー イ 教 育 学 説 」の「 基 礎 づ け 」の 試 み こそ 、「 批 判 的 教 育 学 」の 立 場 に 立 つ 篠 原「デ ュ ー イの 教 育 論 」へ の 、永 野 自 身 の 代 案 提 示 で あ る。そ し てこ の 、「デ ュ ーイ 教 育 学 説 」(特 に 、デ ュ ー イ「生 長 」概 念 を 中 心 とす る)の 、ジ ェ イム ズ「 根 本 経 験 論 」に よ る「 基 礎 づ け 」に 照 らして 、成 城 小 学 校 教 育 実 践( 渾 柳 政 太 郎 『 実 際 的 教 育 学 』に 示 され た 教 育 実 践 上 の 諸 問 題 の 、 「 実 験 」を 通し た 検 討 とし て の) に 関 与 す るこ とこ そ 、篠 原 「批 判 的 教 育 学 」に 依 拠 す る千 葉 師 範 附 属 小 学 校「 自 由 教 育 」を 指 導 す る 篠 原「 批 判 的 教 育 学 」とは 異 な る づ 我 国 に お い て 実 用 主 義 の 上 に 教 育 を 建 て ん 」とす る 永 野 自 身 の「 企 て」、に ほ か な らな い 。以 下、説 明 する 。 (2) 永 野 に お ける 、「 経 験 の 形 而 上 学 」に よる「 新 し い 教 育 の 諸 事 実 」の「 基 礎 づ け 」 デ ュー イが 来 日し た 時 、永 野 は 、東 京 帝 国 大 学 に お け るデ ュ ー イの 講 演 を 聴 講 す るだ け で な く、「 友 枝 高 彦 先 生 につ れ ら れ て 彼[ デ ュー イ]を そ の 宿 所( ニト ベ 邸) に 訪 ね だりし た 回 」。お そ らく、そ の 宿 所 訪 問 の 折 で あろ う、永 野 は デ ュ ーイ にこう質 問 する 。 「 彼[ デ ュ ー イ] の 学 説 の 傾 向 は 、初 め ヘ ー ゲ ル …[ 略]・‥の 影 響 を 受 け て ゐ るも のと 思 わ れ ると 、ヰ ン デ ル バ ント …[ 略] … な ど もそ の 著「 哲 学 史 教 科 書 」の 中 に 言っ て ゐ る。さう言 え ば 、たし か に ヘ ー ゲ ル 式 の 考 え 方 が な い で も な い 。 か の 二 つ の 極 端 を 一 つ の ところ に もっ てき て 結 び 合 は せ る や うな の は 、如 何 にも ベ ー ダ ル の 弁 証 法(Dialektik) に 似 て い る。さうして 見 る と、か うい う方 法 は 、或 い は ヘ ー ゲル の 思 想 か ら 学 ん だ の か も知 れ な い 。併 し 、デ ュ ー イ 自 身 で は 、 大して ヘ ー ゲ ル を 口 に す る の で も な く、ま た ヘ ー ゲル の 影 響 を 受 け た な どど 自 分 で 言 っ て ゐ ることは 更 ら に な い 。ま た 嘗 て 日 本 へ 来 た 時 に も 、「あ な た の 説 は ヘ ー ゲ ル の 系 統 を 引 −106 ―

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永 野芳 夫にお けるデューイ思 想受 容(戦前・戦中・戦 後)再 考

い て ゐ る と人 が 言 い ま す が 、事 実 さうで す か 」と尋 ね た ところ 、彼 は あ まり喜 ば な い 表 情 をして い た(16)。」 デ ュー イ の 著 作 を 通 して だ け で な く、来 日時 の この ような 面 談 をも 刺 激 にして 、永 野 は デ ュー イ 研 究 に 打 ち 込 む 。 東 京 帝 国 大 学 文 学 部 哲 学 科 に 在 学 中 の1922 年 、桑 木 巌 翼 か ら 借 りた 、中 国 に お け るデ ュー イの 講 演 録( 中 国 語 訳) を「 どうして も 読 み た い 」一 心 で 中 国 語 を 独 習 し 、に く め い に 読 み を へ る 」ように な る ほ ど に 、で あ る(17)。東 京 帝 国 大 学 文 学 部 お よび 同 大 学 大 学 院 の 在 学 中 に 永 野 の 著 し た デ ュー イ 研 究 三 部 作 は そ の 主 要 な 成 果 で あ る。デ ュ ー イの「 教 育 学 説 」・「哲 学 説 」。「論 理 学 説 」を 考 察 し た こ の 三 部 作 に よって 、永 野 は 、デ ュ ー イ 思 想 研 究 の 多 面 性 お よ び 具 体 性 の 水 準 に お い て、篠 原 論 文「デ ュ ー イの 教 育 論 」を 凌 駕 す るこ とに なる 。(尚 、永 野 の 処 女 作『 デ ュ ー ウイ教 育 学 説 の 研 究 』が 、成 城 小 学 校 教 育 実 践 を 指 導 す る 渾 柳 政 太 郎 の「 発 達 」概 念 か ら「発 育 」概 念 へ の 再 構 成 に 影 響 を あ た え て い ることに つ い て は 、拙 論(18)を 参 照 され たい 。また 、永 野 に よる、デ ュ ー イ 教 育 思 想(r 生 長 」概 念) に 関 す る 優 れ た 単 独 論 文 として 、論 文「 教 育 目 的 の 根 本 義 一 ヂ ョン・デ ュ ーイ の 見 た る(19) 」か お る こ と。成 城 小 学 校 教 育 実 践 を は じ め とす る「新 学 校 」で の 教 育 実 践 につ い て の 永 野 の 評 価 は 、こ の「 生 長 」概 念 に 依 拠 して な され て い るこ とー 「あ たらし い 教 育 事 実 は 子 供 ら そ の も の を 尊 重 す る。そこで 遠 い ところ に あ る 到 達 を 目 あて に す る ので なし に 、子 供 ら の 刻 一 刻 に 伸 び て ゆ くそ の 過 程 そ のも の を 尊 重 する 。不 断 不 断 の 生 長 そ のも の を 尊 重 す る(20)。」- を 付 言 し てお く。) し かし 永 野 の デ ュ ー イ研 究 に は 、もうひ とつ 、課 題 が あ る。篠 原 の「 批 判 的 教 育 学 」に 代 わ る 、デ ュ ー イ教 育 思 想 を 位 置 づ ける 自ら の 枠 組 み を 構 築 す ること、で あ る 。こ の ことは 、デ ュ ー イ研 究 三 部 作 に もとづ い て、この 三 部 作 と 並 行 して 著 され た 、 永 野 の『 教 育 改 造 の 原 理 』(大 同 館 書 店 、1921 年) に 、そ の 端 緒 が 示 され て い る。「 経 験 」に お ける 、「 経 験 」か らの 、「智 性 」の「生 長 」につ い て、永 野 は こ う説 明 す る。 「 過 去 の 哲 学 は 、久し い 間 この 理 性[ 唯 理 論] と経 験[ 経 験 論] と の 闘 争 で あ っ た 。…[ 略]・‥そ れ ら 理 性 と経 験 とに 握 手 を 強 ひ だそ の 人 は カ ントで あ る 。…[ 略]・‥[カ ントは] 一 方 に 経 験 とい ふも の を 認 め 、一 力 に 理 性 の 存 在 を 肯 定 し て 、無 法 則 な 経 験 へ 法 則 と統 整 とを 与 へ る 役 目 を 理 性 に 言 ひ つ け 、空 的 に なり が ち な 理 性 へ 現 実 味 をも た せ る 役 割 を 経 験 にも た せ 、そこ に 理 性 と 経 験 の 完 全 な 融 合 を は か らうとし た 。 / …[ 略] … し か し は たして 両 者 の 完 全 な 融 合 が そ こ に 出 来 た で あ らうか と考 えて 見 ると、わ れ ら は 残 念 な が らそ れ は 融 107 合 で な か っ た の に 気 づ く。…[ 略] … 経 験 とは 何 ら の 関 係 もな い ところ の 超 経 験 的 理 性 が どうして 経 験 の 中 に は い りうる か 、そし て そこ に 法 則 や 秩 序 を 作 り㈹ しうる か 、とい ふ こ とに 就 い て は 満 足 な 説 明 が な い 。理 性 と 経 験 とは 元 来 相 反 し たも の とされ て ゐ る。 両 極 的 に 異 なっ たも の とされ て ゐる 。そ ん な に 間 隔 の あ る 二つ の 者 が た が ひ に 交 渉 す ることの い か にして 可 能 で あ る か が 明 ら か に され な い 以 上 、二 つ のも の の 結 合 が 完 全 な 融 合 で あり得 ようは ず が な い 。…[ 略] … 理 性 をば 超 経 験 的 絶 対 的 な も のと 見 る 限 り、そ れ ら 理 性 と経 験 は 永 遠 に 別 れ た も の で あ る ほ か は な い 。 / ‥[略]・‥ノ カン トまで の 理 性 や 経 験 は あ る が ま ま の 理 性 や 経 験 で な か っ た 。そ れ ら は 哲 学 者 の 頭 の 中 の 理 性 と経 験 とで あ っ て 如 実 の 理 性 と経 験 で な か っ た 。もしも わ れ ら が …[ 略] … 事 実 を 透 明 に 見 す か す な ら ば 、そこ に あ るも の は 個 々 分 立 的 な 経 験 で は な くて そ れ とは 異 な っ た 如 実 の 経 験 で あ ろ うし 、ま たそこ に あ る の は 超 経 験 の 理 性 で は な くて 、如 実 の 経 験 そ の も の の 中 に 生 長 す る 智 性 で あ らう。…[ 略] ・‥如 実 の 経 験 は 、他 か ら( い ひ か へ れ ば 超 経 験 の 理 性 とい ふ も の か ら) 法 則 や 統 整 を 外 的 に 付 与 さ れ なくて も 、如 実 の 経 験 そ れ 自ら の 中 に 、充 分 の 結 合 関 係 や 継 続 関 係 をも って ゐる 。一 許 多 の 結 合 関 係 や 継 続 関 係 は 他 か ら 附 け 加 へ ら れ な くても 経 験 そ の も の の 中 に 胚 胎 して をる 。存 在 して を る 。そこ に 胚 胎 し 存 在 す る 諸 法 則 諸 関 係 の 開 展 し ゆ くは た らき が 、あ る い は 能 力 が 、何 か の 名 前 を 欲 す る な ら ば わ れ ら は そ れ に 智 性 とい ふ 名 を 与 え る。 か くて 智 性 は 経 験 に 法 則 と統 整 とをあ らし め るとい ひ 得 る け れ ど 、そ れ は 超 経 験 的 の 理 性 で は な い 。 /…[ 略]・‥ / ‥[略]・‥で は い か に 智 性 が 如 実 の 経 験 の 中 に 生 ず る か …[ 略] …/ …[ 略]・‥す べ て の 経 験 は はじ め 受 動 受 難 の 分 子 が 多 く、進 む に つ れ て 能 動 の 方 が 強 くな る 。… … 経 験 は 受 動 より 能 動 へ の 運 動 で あ る とい へ る 。経 験 が 受 動 より能 動 へ と生 長 す ることは 、そこ に 智 性 が 生 長 し たことを 意 味 す る。…[ 略]・‥/ 智 性 は 現 在 の 中 に つ ぎこ ま れ て ゐ る過 去 に 依 っ て 来 た る べ き 経 験 を 指 導 する 構 成 的 創 造 的 心力 の す べ て で ある 。」(21) こ の 引 用 文 に お い て 、永 野 は 、「理 性 」と「経 験 」との 関 係 につ い て の カ ントに よる説 明 の 問 題 点 を 指 摘 す る(「 経 験 とは 何 ら の 関 係も な い ところ の 超 経 験 的 理 性 が どうして 経 験 の 中 に は い りうる か 、そして そこ に 法 則 や 秩 序 を 作 り 出しうるか 、とい ふ ことに 就 い て は 、満 足 な 説 明 がな い 」)。 永 野 は 、カント に よる「理 性 」と「 経 験 」と の 関 係 につ い て の 説 明 へ の 代 案 とし て 、ウィリアム・ジ ェ イム ズ の「 根 本 経 験 論 」に 依 拠 し た 、「 経 験 」に お け る、「 経 験 」か ら の 、「 智 性 」

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「東洋 大 学 文 学 部 紀 要 」

第66 集 教 育 学 科 編XXXV

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の「生 長 」、とい う見 解 を 提 示 す る(「如 実 の 経 験[ 純 粋 経 験] は 、・…… 衣口実 の 経 験 そ れ 自ら の 中 に 、充 分 の 結 合 関 係 や 継 続 関 係 を もっ て ゐ る。… … そ こ に 胚 胎し 存 在 す る 諸 法 則 諸 関 係 の 開 展 し ゆくは た らき」を「智 性 」と呼 ぶ こ とが で き る)。そし て 永 野 は 、この ウィリアム・ジ ェ イム ズ「 根 本 経 験 論 」に も とづ い て 、デ ュ ー イ「 教 育 学 説 」(経 験 の 絶 えざ る 再 構 成 として の 教 育- 「 経 験 が 受 動 より能 動 へ と 生 長 す る ことは そ こ に 智 性 が 生 長 し た ことを 意 味 す る。… … 智 性 は 現 在 の 中 に つ ぎ こま れ て ゐ る過 去 に よっ て 来 る べ き経 験 を 指 導 す る 構 成 的 創 造 的 心 力 の す べ て で あ る」)を 位 置 づ ける 。 永 野 の こ のような 理 論 構 築 は 、「デ ュ ー イの 教 育 論 」を 位 置 づ ける 篠 原 の 枠 組 み(「批 判 的 教 育 学 」)へ の 代 案 提 示 の 試 み で あ る 。永 野 は 、自 らの 哲 学 的 立 場 を 論 文 「経 験 の 形 而 上 学(22)」に お い て 提 示 し 、この 立 場 か ら の 教 育 哲 学 論 を 論 文「 教 育 の 哲 学 的 な ら び に 実 際 的 原 理 」(1931年) に お い て 示 す。 論 文「経 験 の 形 而 上 学 」に お い て 、永 野 は 、自ら の「仮 説 」- 「もし 究 極 の 実 在 、な い し 宇 宙 の 本 体 が 経 験 で あ っ た な ら」- を 提 示 す る 。こ の「仮 説 」は「 私 一 人 の 独 断 で は な い 」、「むし ろ 多 くの 考 察 の 結 論 で あ る 」。な ぜ な ら ば 、に の や うな 仮 説 を 立 て た 人 に は 、た とえ ば ウィリア ム・デ ィム ズ〔「根 本 経 験 」八 ヂ ョオ ン・デ ュ ー イ〔「 経 験 と 自 然 」〕、(また 経 験 とい ふ 字 を 露 骨 に 用 ひ て) は ゐ な い が 、 ア ンリ・ベ ル グソン 、日 本 で は 西 田 幾 多 郎〔善 の 研 究 〕、等 か お る」か らで あ る<23)。そ れ 故 永 野 は 、こ の「仮 説 」か ら 「 演 鐸 す るこ とは や め て 、ここ に い たるま で の 道 ゆき 」に つ い て 、次 のように 説 明 す る。 「 私 ら の もつ 最 も 初 め の も の は 何 で あ らうか ?あ る ひ は 私 ら の あ る 最 も 初 め の も の は 何 で あ らうか ?」デ カ ルト の ように 、「は じ め か ら 疑 う我 、あ る ひ は 考 え る 我 、さら にい ひ か え る な ら ば「 経 験 す る 我 」、 が あ る と する こと は 、ま だ まだ そ の うち に 多 くの 仮 説 な いし 独 断 を もっ て をる。我 が あ る か どうか は わ か らな い 、し か し 疑 ふ たり、 考 へ たり、泣 い たり笑 ふ たり、歩 い た りころ ん だ り、す る 事 実 のあ る だ け は 事 実 だ 。・‥[略] … こうし た「 事 実 」を が りに 経 験 と 呼 ぶ ことに し よう。そ うす ると、な に がし か に がし の 諸 々 の 、経 験 の あ ることだ け は たし かで あ る 。」 つ まり、「主 も 客 もな い 渾 一 の 経 験 こそ 意 識 の 最 初 の 直 接 事 実 」で ある 。で は 、「主 観 と客 観 は どうして 出 て き たで あ らうか 。」「 私 か 何 々 す るとかし た とか い ふ や ふ な 経 験 、い ひ か へ れ ば そこ に 主 観 か おり従 っ て ま た 客 観 の あ る 経 験 、は い つ で も 省 み て の 経 験 で あ る。省 み な い 経 験 に は 、決して 主 客 の 別 は な い 。/ ‥[略] … そ の とき の 経 験 は 渾 一 的 で あ る 、一 体 的 で あ る。…[ 略] … こ の や うな 経 験 を い ま か りに 純 粋 経 験 と 呼 ば う(ヂ ェイ ム ズ 等 に な らうて)。 」例 え ば 、「い まご を んと 響 く音 を き く。そ れ を きい た 限 りで は そ れ は 純 粋 経 験 で あ る 。・‥[ 略]・‥し か し そ の 経 験 を 後 か ら ふりか へ りみ るとき に は 私 ら は 、そ れ は な に で あ る と考 へ る。ここ に は[ 考 へ るも の 且 主 観] と[考 へ ら れ るも の 且 客 観] とが あ る 、そ し て「そ れ 」が「な に 」で あ る と定 め ら れ て を る 。 」「か くし て 主 観 と客 観 の あら は れ る 様 は わ か っ た 。し かし こ れ で は ま だ 主 観 そ のも の 、客 観 そ の もの 、の 佃Jで あ るか は 明 ら か で な い 。・‥[略] … こ れ に は 人 間 経 験 の い ち ば ん 最 初 の も の か ら 考 えて み る 必 要 が あ る。 」「い ち ば ん 最 初 に 私 の もっ た 経 験 は 、た だ 何 とも わ か ら ぬ 経 験 で あ っ た に ち が ひ な い 。そ れ は「経 験 」の ことば で 呼 ば る べ きも の で な い か も 知 れ ぬ 、そ れ は た だ そ れ で あ る とい ふ 以 上 に は い は れ ぬ も の か も知 れ ぬ 。し かし そ の そ れ は 次 々 に 動 い て ゆく、新 し い そ れ を 加 へ て ゆ く。 / この「そ れ 」は 純 粋 経 験 で あ る。さて 私 の 最 初 の 存 在 は 一 つ の 純 粋 経 験 で あ る 。そ れ をA とし よう。こ のA は 以 後 そ こを 流 れ をる …[ 略] ・‥。 次 に こ の 流 れ にB 経 験 が 加 は っ た とす る 。こ の 瞬 間 に お い て はB が 有 勢 の 純 粋 経 験 で あ って 前 の 経 験 のA は そ の 影 とな っ て 残 る の み で あ らう。こ の 影 をa とし よう。そ うす れ ばB の 経 験 は そ の 後 ろ にa の 影 を 伴 っ て をる 。ま た 次 々 にCDEF ‥ ‥T の 経 験 が 流 れ こ ん で くるとしよう。そ うす れ ばT 経 験 は そ の うし ろ にa 十b 十c 十d 十e 十f ‥・・の 影 を もつ の で 、そ こで はa 十b 十c 十d 十e 十f … ・十T が 全 経 験 で あ る 。ところ が こ の や うに 諸 経 験 が 加 は っ てくる とそこ に 新 し い も の が 生じ てくる。…[ 略] … そ の 十 は 新 し い も の の 生 産 を 意 味 す る。 純 粋 諸 経 験 の 集 合 は す な は ち そこ に一 つ の は たらきを 作 り出 呪 …[ 略]・‥こ の は たら きは す な は ち 考 へ る 等 の は たら きで あ る 、そ の 結 果 そこ に 意 識 が 生 ず る わ け で あ る。」こ こ に 作 用 す るも の とされ るも の と が あ る。…[ 略] ・‥/ い ま さ れ た も の は 新 し くそこ に 流 れ こん で き た 純 粋 経 験 で あ ると す る な ら ば 、この 純 粋 経 験 が 客 観 で あ る 。い ま そ れ をT とし 、T に 関 係 して そ こに 現 れ た 過 去 の 諸 経 験 をabedef ‥ ‥と す るな ら ば 、客 観 はT で あ る 。またa 十b 十c 十d 十e 十f … ・の 一 体 が こ の 場 合 の 主 観 で あ る 。 /こ の 主 観 な るもの が 普 通 に い は ゆ る 自 我 で あ り、こ の 客 観 な るもの が い は ゆ る 非 我 で あ る 。…[ 略]・‥/ ‥[略]・‥ ここ に 私 ら は 究 極 存 在 として の 経 験 が 主 観 と客 観 とに 展 開 する ことを 承 知 で きる 。」「し か し 、この …[ 略] ‥・主 観 と 客 観 と は そ の 本 来 に お い て 質 を 異 に す る も の で な い ことは 明 ら か で あ る 。す べ て を す る 立 場 に 立っ た とき 、そ れ が 主 観 に な り、され る 立 場 に 立 っ た ときそ れ −108 −

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永 野 芳 夫 に お け るデ ュー イ思 想 受 容( 戦 前・戦 中・戦 後) 再 考 は 客 観 と な る の で あ る 。 さき の 例 で 、 新 米 の 純 粋 経 験T は 客 観 で あ る とい は れ た が 、し か し 一 瞬 の 後 に さ ら に 新 々 来 のZ 経 験 が 来 た と き に は 、T は も は や 主 観 の 一 部 と な り 、Z が 客 観 と な る の で あ る 。 」「こ の や うに 最 初 の 単 な る そ れ とし て の 純 粋 経 験 が 生 長 進 展 して ゆ く うち に 、そ こ に お の づ か ら 定 ま っ た 経 験 の 統 体 が で き る 、…[ 略] … こ の 経 験 統 体 が す な は ち 個 人 で あ る 、私 と い ふ 個 人 で あ る 。 …[ 略] … / か く て こ の 私 は 肉 体 で も 精 神 で も な い 、物 で も 心 で も な い 、こ の 私 は 経 験 の 一 統 体 で こ そ あ る 。 / 肉 体 と い ひ 、精 神 と い ひ 物 とい ひ 心 とい ふ は 、 経 験 の 二 種 で こそ あ る 。 私 とい ふ 経 験 統 体 は 、そ の め ぐ りに 経 験 の 世 界 を 作 る 。そ の 経 験 の 世 界 に 二 種 の 型 を 私 ら が もつ の で あ る 。 私 ら に と っ て 、 一 つ は 硬 い 世 界 で あ り 、一 つ は や は ら か い 世 界 で あ る 、一 つ は 頑 固 な も の で あ り、 一 つ は 自 由 な も の で あ る 。し か し こ れ ら は ど こ ま で も 私 の 経 験 で あ る に は か な い〔ヂ ェ イム ズ の「根 本 経 験 論 」参 看 。 〕/ か くて 私 の も つ 世 界 は す べ て 経 験 で あ る こ と に な っ た の で あ る 。 か く て 宇 宙 の 本 体 、 究 極 の 実 在 を ば 、 経 験 で あ る と仮 説 す る の で あ る 。 」(24) 以 上 が 、ジ ェ イ ム ズ「 根 本 経 験 論 」に 依 拠 し た 、 永 野 に よる「 経 験 の 形 而 上 学 」の 主 要 な 論 旨 で あ る 。 永 野 は 、こ の「 経 験 の 形 而 上 学 」に も と づ い て 、論 文「 教 育 の 哲 学 的 な ら び に 実 際 的 原 理 」に お い て 自 ら の 教 育 哲 学 論 を 提 ゝ ゝi ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ ゝ X ゝ ゝ ゝ ゝ 示 す る 。 永 野 は「も っ とも 確 実 な 存 在 は 純 粋 経 験 で あ る 、 そ し て す べ て は み な 経 験 で あ る 」こ とを 説 明 し( 上 に 要 約 し た の と同 じ 論 旨) 、教 育 を 次 の よう に「 基 礎 づ け 」る 。 Fす べ て は 世 界 で あ り 、そ の 世 界 は す な は ち 経 験 で あ る 。こ の 経 験 を 、 は た ら き とし て み る と き 、す な は ち 生 産 過 程 とし て み る と き 、そ れ は 生 命 で あ る 。 そ の 生 命 を 人 間 等 に 限 定 し て み る と き は 多 く 生 活 と い は れ る 。 次 に こうし た 生 命 とい ふ 生 活 過 程 の 産 物 とし て み る とき 、そ れ は す な は ち 文 化 で あ る 。 あ る ひ は 歴 史 、げ ん み つ に い ふ な ら ば 歴 史 的 内 容 、で あ る 。 き は め て 卑 俗 な こ と ば を つ か ふ な ら ば 、 文 化 は 経 験 の 、す な は ち 生 命 の 、 くそ で あ る 、 排 泄 物 で あ る 。 」「文 化 は や が て ま た す な は ち 生 命 で あ る 。…[ 略] … た と え ば 文 化 とし て み た 諸 科 学 は 、そ の か ぎ り に お い て は た だ 産 物 で あ る 、た だ 静 的 な 存 在 で あ る 。 け れ ど も そ れ が は た らくと き そ れ は す な は ち 生 命 で あ る 。 た と へ ば 、説 か れ る 哲 学 、書 か れ る 哲 学 は 、そ の まゝで は 、た だ 文 化 で あ る ば か り。 だ が 、そ の 説 か れ る 、 か ゝ れ る 、哲 学 の 正 体 とし て の 哲 学 は 、 声 で も 文 字 で も な く 、そ れ は 私 ら の 生 命 自 体 、 生 活 自 体 、とし て の は た ら き で な け れ ば な ら な い 。 教 育 な い し 教 育 学 も ま た そ の ご とく で あ る 。 教 育 学 か ら い 109 へ ば 、そ れ は お ほ か た 文 化 で あ って 生 命 で は な い 。し か し そ うし た 教 育 学 は 声 、文 字 として の 通 俗 に い は ゆ る 学 問 で あ る ば か り。だ が そ れ が 、や が て 人 の 心 をうご か し 、世 の 文 化 を 進 め て ゆくに お い て は 、す な は ち 経 験 の 一 動 力 となっ て 経 験 を 再 新 し 再 構 成 して ゆ くに お い て は 、そ れ は もう生 命 で あ る 、生 活 で あ る 。こ うし た は たらき は もう教 育 学 とよ ば れ るよりも 、む し ろ 教 育 とよ ば れ る べ きも の で あ る 。教 育 は こと ば で も声 で も 文 字 で も な い 。そ れ は 生 き た 事 実 で あ る 。そ れ は 生 命 、生 活 、は たらきそ のも の 、で な け れ ば な らな い 。」か くして 、 「教 育 の 正 体 は 生 命 で あ る 、生 活 で あ る。くわし くい ひ か へ る な ら ば そ れ は 根 本 実 在 として の 経 験 の 、 再 新 な い し 再 構 成 の 生 き た 行 動 そ の も の で あ る 。もっ とも 、 経 験 とい ふ を ひ ろ い 意 味 に とれ ば 、宇 宙 あ ら ゆ る は た らき 、あ ら ゆ る 生 命 、が す な は ち 経 験 作 動 で あ る ゆえ に 、教 育 ば か りが そ うし た 作 動 で あ る わ け で は もち ろ ん な い 。…[ 略] …もし せ ま い 意 味 、とい ふ の は 人 間 生 活 に 即 す る 限 りの せ ま い 意 味 、の 教 育 の 何 で あ る か につ い て は 、デ ュー イの 教 育 の 定 義 に 剖 すば 充 分 で あ る 。− デ ュ ー イの「民 本 主 義 と教 育 」、永 野 の「デ ュ ー イ 教 育 学 説 の 研 究 」参 照 。」(25) 永 野 は 、こ の ように 、自ら の「経 験 の 形 而 上 学 」に も とづ い て「デ ュ ー イ 教 育 学 説 」を 位 置 づ け る(「 根 本 実 在 として の 経 験 の 、再 新 な い し 再 構 成 の 生 き た 行 動 そ のも の 」と し て の「教 育 の 正 体 」)。そして 永 野 は 、こ の「 教 育 の 形 而 上 学 的 な 位 置 な い し 定 義 」か ら 、「大 にして は 根 本 実 在 の 原 理 、す な は ち 実 在 として の 経 験 、生 命 、生 、の 原 理 、さ ら に 小 にして は 教 育 とい ふ 生 命 な い し 生 活 の 指 導 原 理 、 として」、次 の 三 原 理 を、「形 而 上 学 的 の 演 鐸 原 理 」お よび 「 実 践 的 指 導 原 理 」として 導 き出 す。 A. 感 賞 的 生 活 の 原 理(「 根 本 実 在 とし ての 経 験 、す な は ち 純 粋 経 験 は 、た だ 感 賞 的 で あ る …[ 略] … 。そこ に は 主 と客 とが な い 、自 他 の 分 立 が な い 。…[ 略]・‥ 生 活 は 一 心 不 乱 で 、あ ら ね ば なら ぬ 。」) B. 智 性 の 原 理(「流 暢 な 純 粋 経 験 の 進 展 は 、や が て そ の 経 験 の 、ま す ま す 複 雑 な 有 機 的 統 体 を 形 成 し 、そ こ に 複 雑 微 妙 な 有 機 的 の は た らき 、あ る ひ は 能 力 、を うむ 。そ れ は い は ゆ る 智 力 で あ り、智 性 で あ る。そ れ は 経 験 の 指 導 精 神 で あ る。/ ‥[略] ‥ノ よい 智 性 は よ い 感 賞 的 生 活 のうち に 最 もよく生 長 す る。」) c. 現 在 高 調 の 原 理(「 経 験 、生 命 、生 活 、 文 化 、とい ふ は み な 実 在 を 内 容 的 に み た 。し かし い まそ れ を 、 形 式 として み るな ら ば 、そ れ は「 時 間 」で あ る 。」「 す べ て の 存 在 は す な は ち み な 時 間 で あ る 。…[ 略] …

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「東 洋 大学 文学 部 紀 要」第66 集 教 育 学 科 編XXXV

Ⅲ(2012 年)

/・‥[略]・‥現 在 が 時 間 の す べ て ゞあ る 。そ してこ の 現 在 を は な れ た 過 去 や 未 来 は 実 在 し な い 。 実 在 と して の 過 去 や 未 来 は す な は ち たゞ 現 在 の 内 容 で あ る[ 。] 実 在 は 、た 暇 現 在 で あ る。 / 時 は 永 久で あ る 。あ るひ は 永 遠 で あ る。と す るな ら ば 、現 在 は す な は ち 永 遠 で あ る 。 / 実 在〔す な は ち 生 活 〕は 、時 間 で あ り、時 間 は た だ 永 遠 の 現 在 で あ る。な ら ば 、 私 ら は もとよりこ の 現 在 と 現 実 に 愛 さ れ ば な らぬ 。そ して 偶 像 化 され た 過 去 や 未 来 に だ ま され ぬ や うに せ ね ば な ら ぬ 。ここ に この「 現 在 を 高 調 」する の 原 理 が あ らは れ る 次 第 で ありま 肌 」)(26) 既 に『 教 育 改 造 の 原 理 』(1921年) に お い て 永 野 は 、こ れ ら 三 原 理 につ い て、教 育 実 践 の 諸 問 題 との 関 わりに お い て 詳 細 に 説 明 して い る 。例 え ば 、永 野 は 、同 書「 第 二 章 智 性 の 原 理 」に お い て、「修 身 教 育 」につ い てこう批 判 す る 。 「 尋 常 小 学 校 の 一 年 生 の とき か ら 、修 身 教 育 は 、…[ 略]・‥み な 外 部 か ら の 焼 き つ け 教 育 で あ る 。 君 に 対 し て は か うす べ き で あ る 、父 母 に 対 して は か うす べ き で あ る、…[ 略] …とい ふ ことを 、折 角 子 供 のもって 生 れ た 智 性 の 芽 生 え に 相 談 す ることなし に 、外 部 か ら 独 断 的 に 先 天 的 に 焼 き つ けようとす る。「 忠 義 」とい ふ 概 念 も わ か ら な い うち に 、「 君 に 対 して は 忠 義 を つ くさ ね ば な ら ぬ 」とい ふ ことを 、「孝 行 」とい ふ 概 念 も わ か ら な い う ち に 、「 親 に 対 し て は 孝 行 を せ ね ば なら ぬ 」とい ふ こと を 、…[ 略] … 機 械 的 に 幼 き 者 の 口 か ら紡 ぎ 出 し 得 た か ら とて そ れ は 何 に も な ら ぬ 。/ こ ん なこ とを して お く か ら 、…[ 略] … 修 身 教 授 の 効 果 は 出 な い 。…[ 略] … そ れ 故 に あ る 一 つ の 徳 行 を す る にして も 何 故 に そ の 徳 行 の 必 要 で あ る か を 知 るこ とも 感 ず るこ とも なく、た 斗 食ミひ ら れ る が 故 に 行 ふ に す ぎ な い た め 、そ の 徳 行 は 一 つ の 労 役 となる 。… … 徳 行 が 労 役 として の み 行 わ れ る ことに な れ ば 、労 役 が わ れ ら に 望 まし きも の で な い 以 上 、徳 は わ れ らか ら 姿 を 消 す(呪) 永 野 は この ように 、論 文「教 育 の 哲 学 的 な らび に 実 際 的 原 理j に お い て 、ジ ェ イム ズ「 根 本 経 験 論 」に 依 拠 し た 自ら の 哲 学 的 立 場 、「経 験 の 形 而 上 学 」、にもとづ い て 、「デ ュ ー イ 教 育 学 説 」を 位 置 づ け て い る。 永 野 に よ る「デ ュ ー イ教 育 学 説 」の こ のような「 基 礎 づ け 」の 試 み は 、「デ ュ ー イの 教 育 論 」を 位 置 づ け る 篠 原 の 枠 組 み( 新 カ ント 派 の 「批 判 的 教 育 学 」)とは 異 な るも の で あ る。そ れ は 、デ ュ ー イ 教 育 思 想 の 位 置 づ け を めぐって 既 に 提 示 さ れて い た 篠 原 の 枠 組 み へ の 、永 野 に よる代 案 提 示 の 試 み で あ る 、と 言 え る。 永 野 論 文「 教 育 の 哲 学 的 なら び に 実 際 的 原 理 」 は 、渾 柳 政 太 郎 の 指 導 す る 成 城 小 学 校 教 育 実 践 へ の

自らの関 与 を 踏まえた、

「デューイ教 育 学 説 」

の 位 置づ け

をめぐって「経 験 の 形 而 上 学」

の 立 場 から定 礎 された 、戦

前 日本 に おける独 創 的 な教 育 哲 学 論な のであ る。

3. 戦 中 の 永 野 の 思 想 展 開 に み る 、 時 代 へ の( レ ジ) ス タ ン ス 論 文「 教 育 の 哲 学 的 な ら び に 実 際 的 原 理 」の 発 表(1931 年5 月1 日)以 後 、 永 野 は 教 育 につ い て 、そ して デ ュ ー イ 思 想 につ い て 、新 た に 論 著 を 著 す ことが ほ と んど な く なっ てし まう。渾 柳 政 太 郎 の 急 逝(1927 年12 月24 日)に 典 型 的 に 示 され る 、大 正 自 由 教 育 の 退 潮 を 伴 う、「 暗 い 谷 間 の 時 代 」の 到 来 で あ る。- 「永 野 芳 夫 が 彼[ 大 分 師 範 に お け る 永 野 の 同 級 生 、島 為 男] に 直 接 し た 談 話 」に よ れ ば 、文 検 の「教 育 科 委 員 の 乙 竹 岩 造 教 授 が 、デ ュ ー イの『 民 主 主 義 と教 育 』を 危 険 思 想 とし て 、そ の 邦 訳 出 版 に 好 意 を 示 さ な か っ た」とい う、「日 本 主 義 」強 調 の 時 代 、 「特 高 の 左 翼 弾 圧 の 内 容 に つ い て は 、新 聞 な ど で きか さ れ い た の で 、隠 匿 す る 方 が 望 まし い と考 え ら れ た 書 籍 な ど、永 野 芳 夫 君 の 天 井 裏 に 上 げ て 貰 っ た らと相 談 し たも の だっ た」が 、「自 分 の ところ だっ て デ ュ ー イ で す ら が 問 題 となっ て い る か ら 安 心 は で き な い とい う永 野 だっ た 」時 代 で あ る(28)。 こ の 頃 か ら敗 戦 ま で の 永 野 の 主 要 な 著 作 をあ げ ると、ア ダ ムズ・ベ ック著 / 永 野 芳 夫 訳『 東 洋 哲 学 物 語( 上・T) 』ア ル ス 、1930 年 、『 唯 物 論 は 真 理 か 』日東 書 院 、1931 年11 月 、 『 哲 学 概 論 』改 造 社 、1932 年 、『 現 代 欧 米 の 哲 学( イ弗・ 英・米 ・伊 編) 』改 造 社 、1932 年 、『 デ ュー イの 教 育 学 』中 和 書 院 、1937 年 、『 論 理 学 』三 省 堂 出 版 、1924 年 、『 老 子 の 哲 学 』中 和 書 院 、1943 年 、『 老 子 道 徳 教 の 研 究 』中 和 書 院 、1943 年 、で あ る(鸚 こ れ ら の 著 作 の な か で 、デ ュ ー イ(お よび ジェ イム ズ) へ の 比 較 的 ま とまっ た 論 及 の あ る永 野 の 著 作 として は 、『 現 代 欧 米 の 哲 学( 佛・英・米 ・伊 編) 』1932年 、お よ び『 デ ュ ー イの 教 育 学 』1937 年 、が あ げ ら れ る 。 前 者 は 、「 附 録 現 代 三 個 哲 学 家( 北 京 大 学 に 於 ける 杜 威 の 講 演) 」を 収 録 して は い るも の の 、「 現 代 アメ リカ 哲 学 」の「ニ プ ラグ マ ティズ ム 」の 論 述 内 容 は 、永 野 の デ ュ ーイ 研 究 三 部 作 や 永 野 訳 ヂ ェ イム ズ『 根 本 経 験 論 』か ら の 抜 粋・要 約 が 大 半 を 占 め て い る。後 者 は 、永 野 の 処 女 作『 ヂ ョオン・デ ュー イ 教 育 学 説 の 研 究 』に「デ ュ ー イの 教 育 哲 学( 北 京 大 学 に お ける 杜 氏 の 講 演 記 録) 」 を 付し たも の で 、とも に 再 刊 で あ る。 しか し 、天 皇 機 関 説 問 題(1935 年2 月) や「 国 体 明 徴 決 議 」(衆 議 院 、同 年3 月) の 行 な わ れ た1935 年 以 降 に 、そ し て「日 本 教 育 学 」とい う題 名 を 冠 し た 教 育 学 書( 例 、入 渾 宗 壽『 日 本 教 育 学 』東 洋 図 書 、1939 年) もじ き 多 数 出 −110 −

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永 野 芳 夫 に お けるデ ュー イ思 想 受 容( 戦 前・戦 中・戦 後) 再 考 版 され ようとす る 頃 に 、形 容 詞 に「日 本 」で は な く「デ ュー イの 」を つ け た「 教 育 学 」書 を 公 刊 す るこ と 自 体 が 、時 代 の 動 向 へ の 永 野 の(レ ジ) スタン スを 示 して い ると考 える。 そ れ は 、永 野 に とっ て は 、どうし て も 抑 え き れ な い 、哲 学 す ることの 、自ら な る 所 産 で あ っ た の で は な い か 。こ のこ とは 、総 力 戦 体 制 下、「少 国 民 錬 成 」が「 国 民 学 校 」に お い て 行 な わ れ て い た 頃 に 公 刊 さ れ た 、「デ ュ ー イ」につ い て は 一 言 も 論 及し な い 、永 野 の 著 作『 老 子 の 哲 学 』中 和 書 院 、1943 年 、に 最 も よく示 され て い る。 同 書 の「第 二 章 人 間 論 」「(十) 仁 義 疆 智 忠 孝 等 の 儒 教 的 道 徳 」に お い て 、永 野 は 言 う。 「 儒 教 的 徳 目 は み な 人 為 の そ れ で あ る。 だ か ら 無 為 自 然 を 主 義 とす る 老 子 哲 学 が 、そ れ を 否 定 的 に 批 判 す るこ とは 、ま た 当 然 で あ らう。 老 子 哲 学 に お い て は 、天 下 の 大 道 を 歩 くか ぎ り、そ れ は 広くて 平 坦 で あ る ゆ え に( 大 道 甚 夷( 第 五 十 三 章)) 、まっ たく無 為 自 然 で あ るこ そ よい の で あ る 。だ か らこの 大 道 の 無 くな らぬ か ぎ り、( そ して そ れ は 本 質 的 に は 決 し て な くな ら ぬ も の で あ る が) 、か や うな 人 為 的 な 道 徳 は 不 必 要 な の で あ る 。 され ば 。 《 大 道 廃 有 仁 義 智 慧 出 有 大 偽 六 親 不 和 有 孝 慈 国 家 昏 乱 有 忠 臣 》(十 八 章) とあ る。 人 間 の 大 道 の 廃 れ た とき に こそ 仁 義 は の さ ば り出 て 来 るし 、ま た 智 慧 の 出 るところ に は 、(つ まり 自 然 の 道 が す てら れ て 心 の 技 巧 が もて あ そ ば さ れ る をりに は) 、種 々 の 偽 りが 生 ず るで あ らう。 親 子 兄 弟 親 類 同 志 が 仲 よく 暮 して ゆ くか ぎり 、(つ まり自 然 の 道 を す す む か ぎり)、孝 行 や 慈 愛 な ど の 徳 目 は 不 必 要 で あ るし 、ま た 国 家 が 少 しも 乱 れ ず に ゐ る か ぎ り、(つ まり道 が 天 下 に 行 は れ て ゐ る 限 り)、忠 臣 な ど は 不 必 要 なも の で あ らう。だ か ら 仁 義 を 説 き、智 慧 を す ゝめ 、孝 子 忠 臣 を 待 望 す る は 、は や 道 の 末 の ことが らで あ る。い や そ れ は も は や 道 に は づ れ たこ と がらで あ る 。 / もし そ ん な 末 節 虚 偽 の 徳 目を 奨 励し て ゐ た ら、とうて い 人 間 社 会 は お さ まらな い 。む し ろ さうし た 徳 目 を 根 こそ ぎ す て へ 本 然 の 道 に 帰 り、そ の上 を す す ま せ る や うに 人 々を 導くな ら 、世 は 太 平 に 治 まって ゆくことで あ らう(30)。」 永 野 は 、ここ で 、教 学 聖 旨(1879 年) お よ び 教 育 勅 語(1890 年) 以 来 、近 代 日 本 の 初 等 教 育( 特 に 修 身 教 授) の 中 核 に 据 え ら れ 、子 ど も た ち に( そし て「 臣 民 」に) 教 え 込 ま れ て き た 、そ して 総 力 戦 遂 行 の 下 支 え を「 少 国 民 」 お よ び「 臣 民 」に 観 念 させ る 、「 仁 義 忠 孝 」一 就 中 、「忠 孝 」- の 徳 目 を、老 子 の「無 為 自 然 」に 照 らして 、「 道 の Ill 末 」、「末 節 虚 偽 の 徳 目」と批 判 し 、こ れ を 一 蹴 して い る の で あ る。 総 力 戦 体 制 下 に お け る、牢 屋 に 入 れ ら れ な い 状 態 で の 、お そ らくは「 非 転 向 」者 に よる 、こ れ 以 上 の 時 代 批 判 は 、め っ た に 見 ら れ るも の で は な い 。 永 野 の『 老 子 の 哲 学 』に は 、「参 看 」文 献 の ひ とつ として 、「胡 適 中 国 哲 学 史 大 綱 」が あ げ ら れ て い る(呪 永 野 に よる 、こ の 根 底 的 な 時 代 批 判 に は 、デ ュ ー イ 思 想 へ の 論 及 は 全 く見 ら れ な い け れ ども 、永 野 自 身 の 参 照 し た「胡 適 中 国 哲 学 史 大 綱 」を 通して 、間 接 的 に デ ュ ー イ 思 想 が 、あ る い は「 方 法 」 として の プ ラグ マ ティズ ム が 、まさ に 生 きて 働 い て い る の で あ る。 4 。戦 後 に お け る 、永 野 自 身 の 教 育 哲 学 論 の 再 提 示 敗 戦 後 の1949 年 、永 野 は『 新 教 育 の 方 法 論 』中 和 書 院 、を 公 刊 す る。こ の 著 作 は 、永 野 が 大 正 時 代 に 出 版 し た 、『 教 育 改 造 の 原 理 』大 同 館 書 店 、1921 年 、を 再 刊 し たも の で あ る 。永 野 は 、この 再 刊 に 際 して 、戦 前 に 著 し た 論 文「 教 育 の 哲 学 的 な らび に 実 際 的 原 理 」(1931年) を 「 教 育 の 正 体 と方 法 的 原 理 」と改 題 して「 序 章 」に 据 え 、若 干 の 用 語 修 正- 「改 造 」・「 智 性 」をそ れ ぞ れ「 再 構 成 」 。 「知 性 」に 変 更- を施 し た だ け で あ る。論 述 内 容 に ほ とん ど 変 更 は み ら れ な い 。『 新 教 育 の 方 法 論 』「はし が き」 に お い て 永 野 は 言 う。 「お よそ 三 十 年 もま へ に 日 本 に は 新 教 育 の 時 代 が あ っ た 。そ して そ の 時 代 の 開 幕 の ベ ル を お した の は 、そ の ころ の 教 育 の 大 御 所 、そして 最 も 進 歩 的 な 思 想 のも ち 主 で あ っ た ところ の ー そし て もし 今 田 こな ほ 生 き て あ らせ た な ら ば 、この 日 本 の 第 二 の 新 教 育 時 代 に お い て も お そ らく最 先 端 を ゆく指 導 者 で あ るで あ らうとこ ろ の 一 渾 柳 政 太 郎 博 士 で あ っ た 。こ の 書 の か ゝれ る 発 端 の 機 縁 は 、そ のmm 先 生 か ら(そ のころ 先 生 が 校 長 で あり、小 原 國 芳 氏 が 主 事 で あり、小 西 重 直 博 士 と長 田 新 博 士 とが 顧 問 で あ っ た 東 京 牛 込 の 成 城 小 学 校 の 機 関 雑 誌『 教 育 問 題 研 究 』に 、)デ ュー イ の 教 育 思 想 の 紹 介 的 論 文 を か け と、い ば れ た ところ に あ る 。 とい ふ の もこ の 書 の 第 一 章 第 一 節 の「 労 役 とし て の 教 育 を 救 ふ 」が 、そ れ に 応 へ た 論 文 で あ っ た か らで あ る 。 この 論 文 を きっ か け にし て、私 は 私 の わ か さに ま か せ て 、か なりに 自 由 放 胆 な 教 育 改 造 論 を か きあ げ て 、こ れ を「 教 育 再 構 成 の 原 理 」[「 教 育 改 造 の 原 理 」]として 世 に 出 し た 。さ て い ま ま た 同 じ 新 傾 向 の 、-( とい っ て も 先 きの 新 教 育 論 者 ら は 、教 育 の 実 践 的 方 法 は ア メリカ の デ ュ ー イに 、な いし は デ ュ ー イ 主 義 の 各 国 の 新 学 校 に 、借 りて ゐ な が ら 、そ の 称 える ところ の 基 礎 的 理 論 は 主 としてド イ ツ の 、た とへ ば ナトル プ な どの 流 儀

参照

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