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混合経済論批判
百田 ネ 田 敏 浩 1 は じ め に 本稿の目的は,西側諸国の現存経済体制を混合経済(mixed economy)と捉 える見方を批判することにある。このような見方は経済体制論の分野ですでに 市民権を獲得し,これに同調する論者も少なくない。筆者は,かねてより西の 現代の経済体制に混合経済という用語を当てることに疑問を抱いてきた。混合 経済なる用語は体制的輪郭の不明瞭な概念である。その語義からしてこれは, 異質の複数の(少なくとも二つの)要素から成る経済体制を意味している。事実, 混合経済は資本主義と社会主義の混合とか,市場と計画の混合とか,私的セク ターと公的セクターの混合というような意味で使われてきた。このようであっ てみれば,混合経済は,資本主義や社会主義や市場経済や計画経済などすでに 市民権を得て久しい体制概念よりも全体の輪郭のはっきりとしない概念である ことが容易に知られよう。 筆者はここで混合経済の言葉だけを問題にしょうとしているのではない。む しろ,西の現存経済体制を混合経済と規定する,その把握の仕方のほうをこそ 問題にしたいのである。このような捉え方をする論者は,イクスプリシットに, あるいはインプリシットに資本主義の純粋型を措定しているばあいが多い。す なわち,国家なしの全面民間経済,この意味でいわゆるレッセ・フェールの体 制モデルがこれである。そうしておいて次に,経済への国家干渉の増大という 現実をもって純粋型から混合型への移行が説かれるのである。したがって,混 合経済とは,国家干渉を伴う市場経済であり,また国家の経済計画に着目する と市場と計画の混合であり,公的所有の拡大に注目すると私的セクターと公的セクターの混合であるということになる。現実の動きはこのとおりであり,こ れについては異論はない。しかしながら,市場と計画の混合といい,国家と市 場の混合といい,私的セクターと公的セクターの混合といいこのような捉え方 は経済体制論的に見てあまりにも不十分である。このような見方を容認すると, 後述するように,西側の現存経済体制ばかりでなく,東の現存経済体制(特に ユーゴスラヴィアやハンガリー)も混合経済ということになってしまう。両者の間 にあるのは程度の差だけとなり,質的差異はなくなってしまう。また,経済へ の国家干渉といってもそれはソ連曲のそれとは質的に異なる。混合経済論者は, この点の体制論的処理をなおざりにしているばあいが多い。 筆者はかねてより,「所有,相互・上下調整の三元論」と体制四分法を主張し てきた。本稿では,このような筆者の立場から,混合経済論の不適切さを論証 することにしよう。なお,以下では西の現存経済体制を混合経済と見る説を混 合経済論と呼ぶことにしたい。
H 多様な用語法
混合経済の用語法は一様でなく,論者によってさまざまの意味を込めて使わ れている。筆者はかってこのような多様な用語法を検討したことがあるが,そ のさいは主要な主張者の説を紹介するという形でこれを行った。ここで改あて, 今度は視点を変え,内容に即してその要旨を示しておくことにしよう。 (1)まず,新旧両経済体制が時間的継起の中で重なり合う局面を混合経済と する説がある。言うならば重合説であるが,これを唱えたのはゾムバルトであ う る。かれによれば実現された経済体制はどれも時間的に初期(FrUhepoche),高 調期(Hochepoche)および後期(Spatepoche)を通過する。どの経済体制も先行 の経済体制の中で発生し,成長する。この旧体制の中にある時期が初期である。 これを経て当該経済体制が純粋な形で実現される,いわば最盛期が高調期であ る。これを通過すると,当該体制は衰退期に入る。これが後期であるが,この 1)福田〔6〕参照. 2)Sombart〔23〕,なお,ゾムバルト説については福田〔5〕第3章で詳しく検討し た。併せて参照されたい。混合経済論批判 57 時期には早くも次の新しい経済体制が発生してくる。ゾムバルトは,初期と後 期を様式混合期(stillgemischte Zeit)と呼んだが,この時期の体制が混合経済 にほかならない。 したがって,混合経済は異質の諸要素が混在する過渡期の体 制なのである。 (2)次に,現実の経済体制は時と所を問わずどれも混合経済と見る説がある。 この説を唱える論者はドイツ語圏に比較的多い。オイケン(W.Eucken),エン グリス(KEnglis),シャッハトシャーベル(H. G. Schachtschabel),シュトライ 4) ト(M.E. Streit)およびリッチュル(H. Ritschl)らがその代表である。オイケン, エングリス,シャッハトシャーベルおよびシュトライトは,基本において同じ 考え方をしている。すなわち,基準一元論と体制二分法がこれである。ここに 基準一元論とは,経済体制の区別にさいしてただ一つのものを基準として定立 する説である。また,体制二分法とは一つの基準によって経済体制を二つに類 別する方法である。そのさい,類別される経済体制は理念型(ldealtypus)もし くは体制モデルの性質を帯びている。上記の論者の説のエッセンスを示すと表 1のごとくである。 表1 類別基準 経済体制 オイケン 経済計画の主体の数 i単独か多数か) 中央指導経済 ャ通経済 エングリス 生計配慮の責任の所在 i個人か社会か) 個人主義体制 A帯主義体制 シャッハトシャーベル 時代の支配的イデー i個人原則か社会原則か) 市場経済 ?寢ヌ理経済 シュトライト 経済計画の主体の数 i単独か多数か) 全体的集権計画経済 S体的分権計画経済 3) Sombart (23] S.30. 4)Eucken〔4〕,オイケン説については福田〔5〕第4章をも参照. Englis〔3〕, Schachtschabei〔20〕,〔21〕, Streit〔24〕, Ritschl〔18〕.かれらの説については福 田〔6〕をも参照.
これらの論者によれば現実の経済秩序は上記の理念型的経済体制の組合わせ として捉えられる。すなわち,オイケンの言葉を借りると,現実の経済秩序は (それぞれ複数のヴァリアントを有する)二つの経済体制の「融合」(Verschmelz一 の ung)なのである。融合の仕方は一方が支配し,他方がこれを補完するという形 を取る。いずれが優位に立つかは時と所に応じて異なる。オイケン流に言えば, 中央指導経済が優位し流通経済がこれを補完するばあいもあれば,その逆のば あいもある。 さて, リッチュルであるが,かれのばあいも経済体制を二分するという点で は上述の論者と同様であるが,ただ経済体制の性格規定の面で他の論者とは異 なる。すなわち,リッチュルは経済体制を理念型ではなく,現実型と捉える。 かれは,現実の観察から二つの経済体制を抽出する。共同経済(Gemeinwirtsch− aft)と市場経済がそれである。前者は経済生活の全体が一つの統一的な意志に よって指導される目的構成体である。 これに対し,後者は多数の個別経済が分 業と交換によって相互に結合され,個人の利益が最大限に保証される世界であ る。リッチュルによればいっいかなるばあいも現実の経済秩序はこれら二つの 経済秩序の混合となる。その混合の仕方は一方が支配し,他方がこれを補完す るという形を取る。 (3)第3に,混合経済を目指すべき最良の経済体制と見る説がある。これを わ 代表するのは,ティンバーゲン(J.Tinbergen)である。かれの最良と考える体 制は,最適体制(optimum regime)である。ここに最適体制とは厚生経済学の 角度よりして最適の体制,すなわち社会的厚生を極大化しうる体制を意味する。 ティンバーゲンは,このような最適体制として「公企業および徴税国家」と 「私企業」の並存する体制を考えている。それは,要するに公的セクターと私的 セクターから成る混合経済であるが,これはモデルとしての性格と同時に規範 5) Eucken (4) S.75, 80, 164 ff., 166. 6)リッチュル説については福田〔5〕第3章および福田〔6〕を参照。 7) Tinbergen (26) 8) Tinbergen (26) p.128.
混合経済論批判 59 型としての性質を有している。ついでに言うと,ティンバーゲンはいわゆる収 敏説を唱えた論者として知られるが,かれの最適体制は東西の両現存体制が将 来行き着くであろう第3の体制と位置づけられてもいる。 規範型としての混合経済を提唱しているのはティンバーゲンだけではない。 ドイツ語圏では実践的にドイツ社会民主党(SPD)に連なる新社会主義の論者 たちが混合経済の擁護者として知られている。その立場は1959年のSPDの ゴーデスベルグ基本綱領のスローガン「可能な限りの競争,必要な限りの計画」 に象徴される。ヴァイサー(G,Weisser)オルトリープ(H.・D. Ortlieb),シラー (K.Schiller),ダイスト(H.・Deist)らが新社会主義の代表的論客である。かれら うの立場は,要するに「中間の道」(Mittelweg)をもって特徴づけられる。つま り,自由資本主義と集権社会主義との問の混合経済(私的・公的所有+市場経済+ 指示的国家計画+経営参加)がこれである。 (4)最後は,西側の現存の経済体制を混合経済と捉える説である。この説を 主張する論者は英語圏に多い。本稿は,先述のようにもっぱらこの説のみを批 判するものである。しかるに以下では上述の(1)から(3)までの三つの説 は考察の対象から完全に除外されている。 皿 混合経済論 上の(4)の意味での混合経済の用語法は,英語圏でもっともポピュラーで あると言ってよい。それだけにこれを採る論者は数多くいるが,ここではもっ とも教科書的な用語法のみを取り上げることにしよう。 (1)これに該当するのは,シュニッッァー(M.Schnitzer)とノールダィク (J.W. Nordyke)の共著Comparative Econonzic Systems(dincinnati,1983)で展開 の されている説である。その要旨は,次のごとくである。 現代の西側先進諸国には,19世紀の純粋資本主義はもはや存在しない。今日 9)これは自由社会主義(Freiheitlicher Sozialismus)と呼ばれることもある。たと えば,Deist〔2〕S. 2,15参照。 10)Schnitzer&Nordyke〔22〕Chap.7.
ではインパーソナルな市場諸力のみによってすべての経済問題の解決を図ると いう考え,および自己の利害関心にもとつく行動が他人の利益になるという考 えも影をひそあっつある。 西側では社会主義政党が政権を取った国も現れている。そこでは,むろん資 本主義的諸要素の多くは保持されはしたが,所得の平等化の措置が採られた。 また,社会主義政権の登場は産業の国有化に与った。ことにフランスやイギリ スでそうであり,石炭や鉄鋼や鉄道などの基幹産業の分野で国有化が行われた。 ユ こうして今日の西側諸国に存在するのは「資本主義と社会主義のアマルガム」 である。シュニッツアーとノールダィクはこれに混合経済体制(mixed econom− ic system)という用語を当てている。 正確を期しておくと,かれらのいう混合経済体制とは確かに資本主義と社会 主義の諸要素の組合わせから成るのではあるが,しかしそのさい基調をなすの は資本主義の要素たる市場メカニズムであることに注意しておかねばならない。 現代の政府は社会政策や経済政策の形で積極的に経済へ干渉しているが,しか しこの社会主義的要素たる政府干渉はあくまでも市場メカニズムの補完をなす ものでしかない。政府の政策目的としては,完全雇用,経済成長,物価の安定 および社会福祉などが立てられ,その実現手段として財政・金融政策手段が採 られるのが普通である。また,フランスのように指示的計画によって国民経済 を管理している国もある。 (2)英語圏の他の論者の用語法も基本において以上の用語法と同様であるが, 念のためもう二,三の論者の用語法を引いておくことにしよう。政府の経済へ の干渉を強調するのは,マティック (P.Mattick),ツィマーマン(R. J. Zimmer− man)およびピィアス(D. Pearce)である。混合経済は,マティックによれば の「市場経済への財政・金融的政府干渉を意味する経済」であり,ツィマーマンに ヨ よれば「私的企業に対する政府コントロール」であり,ピィアスによれば「私 ll) Schnitzer & Nordyke [22) p. 137. 12) Mattick (12) p.286. 13) Zimmerman (27) p.214.
混合経済論批判 61 の 企業と中央コントロールの組合わせ」である。 にの このほか生産手段の所有制に注目した用語法もある。たとえば,ペストン (M.Peston)は混合経済を市場メカニズムを基調にすると同時に,私的セクター と公的セクターの並存する経済と捉え,後者の意味で資本主義と社会主義の交 ユの 雑種と見る。また,ロール・オブ・イプスデン(L.Roll of Ipsden)も混合経済 を政府による経済管理と混合所有制(私的所有+集団的所有)から成る経済と捉 の えている。 さて,われわれは次にいよいよ本題の混合経済論批判に移ることにしよう。 以下,まず筆者の立場を明らかにし,次いで批判を行うという順序で叙述を進 めていくことにしたい。 IV 私説「所有,相互・上下調整の三元論」 (1)先にも触れたように筆者の説は「所有,相互・上下調整の三元論」と体 制四分法をもって特徴づけられる。以下,そのエッセンスを簡単に紹介してお の くことにしよう。 経済体制とは日々の経済の流れたる経済経過(生産,交換,分配,消費,貯蓄, 投資など)を規定する枠組である。経済経過が量の世界であるのに対し,経済体 制は質の世界である。両者の関係は,川の流れと川床の関係になぞらえられる。 このような経済体制は,さまざまの形態(Form)から構成されるが,これら は基本的構成要素と副次的構成要素に区別される。前者は経済体制をして経済 体制たらしめる主柱的要素である。それは,経済体制の類型化や比較研究の主 基準としての役割を演じる。これに対し,後者は文字通り副次的,二次的要素 14) Pearce C15) p.285. 15)ブラウンは,筆者と同様に,混合経済の定義には政府干渉を重視するものと所有方 式を重視するものとがあると見,前者をpolitical definition,後者をapolitical def− initionと呼んでいる, Brown〔1〕p.10. 16) Peston (16) p.18−20. 17) Roll of lpsden (19) p.3. 18)福田〔5〕第3章参照.
であり,重要性の点で基本的構成要素の後方に位置する。副次的要素は経済体 制の類型化や比較研究の副次的基準の役割を演じるが,以下の論述にとっては 基本的構成要素のみで十分なので副次的構成要素についての説明は省略する。 (2)基本的構成要素には三つのものがある。所有方式,相互調整方式および 上下調整方式がそれである。所有方式とは生産手段の所有の態様である。相互 調整方式とは個別経済(家計や企業など)相互間の需給の水平的調整方式である。 上下調整方式とは国家と個別経済との問の垂直的調整方式である。クニルシュ (P.Knirsch)の言う経済政策的調整(wirtschaftspolitische Koordination)がこれ ゆに当る。 (3)歴史的に実現された所有方式は私有と共有に大別される。同じく歴史的 に実現された相互調整方式は,市場経済と中央管理経済 (中央機関の物財バラン スによる需給の調整)に区別される。過去に実現された上下調整方式にはさまざ まのものがあるが,その定型化にさいして筆者はピュッツ(Th.・PUtz)とオーム の(H.Ohm)に倣って国家の経済施策の投下点に注目する。すなわち,国家の経済 施策が個別経済の活動のどの点に投下されるか,がこれである。この投下点を 基準にして,これまでに実現された上下調整方式を定型化すると,次の三つを 得ることができる。自由放任方式,指令方式および誘導方式である。第1は個 別経済への国家の非干渉をもって,第2は個別経済の活動内容(生産や消費など) への国家の直接的干渉をもって,第3は個別経済を取り巻く環境条件(与件)の 国家的操作つまり国家による個別経済の間接的誘導をもって,特徴づけられる。 (4)以上の三つの基本的構成要素を経済体制の類型化の基準にして,この 100年ばかりの間に東西諸国で実現された経済体制を類型化すると,表2のよ うな四つの基本型を確定することができる。 これら四つの基本型は現実型の性質を持つ。つまり,思惟の所産たるフィク ティブなモデルではなく,現実に対応する類型である。 西で実現された経済体制は資本主義であり,東で実現されたそれは社会主義 19)Knirsch〔9〕S.48. 20)PUtz 〔17〕 S,22,0hm 〔14〕 S.82 f.,84 ff.
混合経済論批判 63 表2 基本的構成要素基本型 所有方式 相互調整方式 上下調整方式 自由資本主義 私 有
市場経済
自由放任 誘導資本主義 私 有市場経済
誘 導 管理社会主義 共 有 中央管理経済 指 令 市場社会主義共有
市場経済
誘 導 である。両者を根本において分かつのは,表2から知られるように所有方式 (私有一共有)である。資本主義と社会主義の決定的な体制的差異は所有方式に あるというのが,筆者の見解である。 (5)四つの基本型のそれぞれについて簡単に見ておこう。自由資本主義は 19世紀の資本主義である。周知のレッセ・フェールの原則を基調とする民間主 導の経済体制である。この資本主義体制に決定的な質的変化をもたらしたのは 今世紀30年代の大恐慌である。これを機に経済への国家干渉は事前的・総合的 になり,中・長期の経済計画を策定する国も出てきた。かくて,筆者の用語を もってすると,資本主義は上下調整方式の面で大きく変わったことになる。す なわち,自由放任方式から誘導方式への移行である。 20世紀は社会主義の時代である。ロシア革命以後東の国ぐにで社会主義体制 の建設が開始され,さまざまの試みが企てられた。筆者の立場からすれば,現 存の社会主義は二つの基本型に大別される。管理社会主義と市場社会主義であ る。前者はソ連および東欧諸国の多くにおいて実現されているものであり,後 者はユーゴスラヴィアおよびハンガリーに制度化されているものである。両者 を基本において分かっているのは,表2から知られるように,相互調整方式と 上下調整方式である。管理社会主義は中央管理経済と指令方式を柱としている のに対し,後者は市場経済と誘導方式を柱となしているのである。 V 批 判 (1)先に紹介した混合経済論を仔細に検討すると,次のような特徴が浮かびあがってくるQ ①まず,第1はあらかじめ純粋な資本主義を前提にしていることである。こ れは,いわゆるレッセ・フェールの体制であり,国家干渉なしの民間主導経済 が考えられている。そのさい,このような捉え方は,すべての混合論者に当て はまるとは言えないにしても,いわゆるモデル理論的な捉え方に通ずるものが ある。純粋な資本主義経済はどこか完全競争モデルを彷彿させる。かくて,論 者ごとに力点の置き所に違いがあるとはいえ,市場メカニズム(競争市場),私 有およびレッセ・フェールが純粋資本主義の属性と考えられている。 混合経済論者の議論の背後には,現代の西側の経済体制ではもはやこのよう な純粋性が損なわれ,本来資本主義にとって異質の諸要素が混入しているとい う考えが伏在している。これらの異質的要素として,混合経済論者が挙げてい るのは,国有,計画(政府の経済計画)および所得の平等などであることは上の ところがら知られるであろう。しかも,これらの要素は暗黙のうちに,社会主 義の属性と考えられている。それだからこそ,現代の西側の経済体制を「資本 主義と社会主義のアマルガム」と捉えることができるのである。 ②このように整理してみると,少なくとも上に取り上げた論者に関する限り, 混合経済論者は体制二分法の立場に立っていることが知られる。上で見た混合 経済論者のばあい,その区別の基準は必ずしも明瞭ではないが(シュニッツアー, ノールダィクおよびペストンについては所有方式をもって両体制を区別していることが推 察される),経済体制を資本主義と社会主義に二分していることは事実である。 そのさい,社会主義は資本主義と同様に純粋社会主義と捉えられ,市場メカニ ズムや私有なしの国家主導の経済体制と想定されている。いわば純粋社会主義 モデルである。 (2)さて,この100年ばかりの現実の動きを観察すると,混合経済論者が言 うように西側の国ぐにでは経済への国家干渉が増大してきた。このような動き は誰も否定することはできまい。筆者も,これを重視する立場に立つことは上 述のとおりである。しかし,問題はこのような事実動向をどのように捉えるか である。混合経済論者の把握の仕方は体系性と厳密性の点で筆者のそれよりも
混合経済論批判 65 見劣りがすると言わねばならない。 まず,混合経済論者による経済への国家干渉の把握の仕方を問題にしたい。 結論を先取りすると,混合経済論者の把握の仕方は厳密さと体系性を欠いてい ると言わねばならない。先述のように,経済への国家干渉が国有化や財政・金 融政策や社会政策や経済計画の形を取って増大しつつあるという指摘はあって も,またその干渉が市場メカニズムを補完するという指摘はあっても,その干 渉方式はどのような性質を持つかについては体系的な説明はない。この点を正 確に捉えるとすれば,比較経済体制論的考察がどうしても必要となる。という のは,経済への国家千渉は,東の国ぐにでも行われているからである。した がって,西の国家干渉の性質を的確に捉えるには,東のそれとの比較が不可欠 となる。混合経済論者にはこうした比較の視座が欠けていたり,あるとしても 前面に出てこないばあいが多い。 このような国家干渉の性格規定に関しては筆者の説のほうが厳密かつ体系的 であると思う。上述のように,筆者は国家施策の投下点に着目して国家干渉の 性格づけを行った。個別経済の活動分野を活動内容(生産や消費など)と環境条 件に分け,国家施策がいずれへ向けられるかによって国家干渉の性格を規定す る立場がこれである。この立場からすれば,東の伝統的な干渉方式は,個別経 済の活動内容への干渉,つまり指令方式をもって特徴づけられる。これに対し, 西側諸国の国家干渉は,戦時中のような非常事態を除いて,一般に個別経済を 取り巻く環境条件のみに向けられる。環境条件には経済的なものと,非経済的 なものがある。前者は個別経済を外から規定する経済的条件であり,オイケン 流に言えば個別経済的与件(einzelWirtschaft!iche Daten)にあたる。価格,賃金 率,利子率,税率,関税率,補助金などがその代表的事例である。これらは国 家サイドよりすれば,政策変数である。つまり,国家はこれらの政策変数を操 作することによって個別経済の活動をある方向へ間接的に誘導するのである。 一方,非経済的環境条件とは個別経済的与件ではなくむしろ社会経済全体に とっての与件,つまりは経済の外にあってこれを規定する総体経済的与件のこ 21) Eucken {4) S,93,143 ff.
とである。これには自然的条件(経済規模,地形,地味,地下資源など),人的条件 (人口の量と質)ならびに文化的条件(政治体制,社会体制,法制度,時代精神,科 22) 学・技術など)がある。これらは,個別経済の経常活動に直接影響を及ぼすもの ではないが,その活動を規定しているのは事実である。 現代の西側諸国の国家千丁にとって重要なのは,個別経済的与件の操作であ る。財政・金融政策,社会政策などはその手段である。また,中・長期の経済 計画もこの操作のための手段である。 しかるに,西の経済計画は個別経済の活 動内容を規定するソ二型の指令的計画ではなく,その間接的操作の手段なので 23) ある。このような計画は通常,指示的計画と呼ばれる。 厳密に言うと,19世紀の自由資本主義の時代にも国家の干渉はあった。確かに個 別経済的与件への干渉はまれであり,国家は経済政策の主体とは言えなかった。しか し,国家はある意味で積極的な役割を演じた。すなわち,国家は国防や司法の任に当 る一方,自由競争秩序の形成・維持のための法律や法制を制定したのである。この意 味で,国家は総体経済的与件の操作は積極的に行ったのである。かくて,筆者の解釈 では,自由放任とは国家は個別経済的与件への介入は原則として行わないが,総体経 済的与件へは積極的に介入したり,これを操作したりする上下調整方式なのである。 以上要するに,現代の西側諸国の国家干渉は誘導方式をもって特徴づけられ るのであるが,筆者の知りえた限りでは,混合経済論者には筆者の説に匹敵す るものはないように思われる。 (3)混合経済論者による資本主義の混合体制化に関する論述の方法は,挿入 法のスタイルを取っている。先述のとおり,あらかじめ純粋資本主義と純粋社 会主義を想定しておいて,混合化への現実の動きを後者の諸要素の前者への混 入と解釈するやり方である。社会主義の要素と考えられているのは経済計画や 22)福田〔5〕第6章参照. 23)筆者は,西の誘導資本主義を上下調整方式に着目して二つのヴァリアントに区別す ることにしている.すなわち,国家が経済へ干渉するにさいし中・長期のマクロ経済 計画を立てるかどうかを基準にして,区別するのである.かくて,中・長期の経済財 画を有する誘導資本主義(フランス,イタリア,オランダ,日本など)と短期的総需 要管理の誘導資本主義(アメリカ,西ドイツ)が区別される.福田〔5〕第6章参照.
混合経済論批判 67 国有や所得の平等である。だが,これらを社会主義に固有の属性とみなしてよ いだろうか。思想史的に見ると,たしかにこれらは社会主義者によって強調さ れてきたものであり,この限りでは社会主義的と言えるかもしれない。しかし, この100年ばかりの現実の動きに徴して見ると,必ずしもそうだとは言えない ように思われる。たとえば,経済計画を例に取ると,たしかにこれはことにマ ルクス・エンゲルスによって社会主義での需給の調整方式として強調されては いるが,資本主義での経済計画がかれらの思想の影響を直接受けて制度化され たとはとても思えない。国民経済を対象にした最初の本格的な経済計画は,第 1次世界大戦中のドイツで立てられたのである。これによって計画の有効性が 実証され,恐慌の乗り切り策として30年代以降上述のような経済計画が形成さ れたと見るほうが現実に忠実なのではないだろうか。ついでに言うと,ドイツ の戦時中の経済計画は指令的性質を持つ物量的計画であったが,その有効性は レーニン(V.1. Lenin)にも大きな影響を与え,ソ連の社会主義建設の範型と のなったことはティンバーゲンやコスタ(J.Kosta)の指摘するとおりである。 レーニンといえどもマルクス・エンゲルスー辺倒ではなかったのである。国有 化や所得の平等化にしても同様のことが言えるように思われる。つまり,これ らは社会主義思想の影響を受けているのは確かだが,しかし実際には資本主義 の欠陥(いわゆる市場の欠陥,貧富の格差など)を克服してこの体制を保持しよう とする西側諸国民の努力の所産と見るほうが妥当だと思われる。以上要するに, 筆者は,計画化にしろ,国有化にしろ,所得の平等化にしろ,これらは資本主 義体制の自己展開の中から生み出されてきたと解したいのである。これらは, イデオロギー的な要請からではなく,その時々の難局乗り切りのためというい わばプラグマティックな要請から選択された手段であると見たい。 (4)筆者の見るところでは,混合経済論者の一部は市場メカニズムと経済へ の国家干渉と混合所有方式を混合経済の柱と見ている。先に見たシュニッツ アーやノールダィクやペストンやロール・オブ。イプスデンがそうであるが, この見方はきわめて不適切である。このことは東の社会主義体制と比較すると 24)Tinbergen〔25〕邦訳13ページ, Kosta〔10〕S.24,〔11〕S.33.
すぐに分かる。東の体制も国家干渉を柱とすることは言うまでもあるまい。 ユーゴやハンガリーではすでに市場メカニズムが広範に制度化されている。そ のほかの国においてもいわゆる第2経済(second economy)では市場メカニズ ムが作動している。また,混合所有制はことにユーゴやポーランドやハンガ リーに見られる。ユーゴやポーランドの農業では私有が支配的であり,ハンガ ラ リーでは私企業が公認されている。ソ連でもいわゆる家庭菜園は実質的に私有 地であり,近年では合法的な第2経済で私有が公認されている。このように見 ると,上の定義はそっくり現存の社会主義にも当てはまることになる。つまり, 現存社会主義も混合経済になってしまい,西側の現存体制との区別がっかなく なってしまう。 西側の現存経済体制と東の現存経済体制を質的に区別しようとすればまず筆 者のように国家干渉の質的差異(誘導方式一指令方式)を明らかにする必要があ る。次に,市場メカニズムについてはこれが経済体制の機軸をなす体制原則で あるかどうかを確かめる必要がある。西の現存経済体制でそれが体制原則であ ることは言うまでもない。確かに混合経済論者は,西では市場メカニズムがド ミナントであり,国家干渉はこれを補完すると捉えている。この限りでは異論 はない。しかし,東にもこのような現実が出現しているのである。ユーゴとハ ンガリーでは市場メカニズムが主要な相互調整方式となり,特にユーゴでは国 家干渉は誘導方式化しているのである。だからこそ,筆者は両国の体制を市場 社会主義と呼んだのである。両国以外の東の国ぐにでは依然として中央管理経 済方式が体制原則であり,市場メカニズムは補完的な役割を演じているにすぎ ない。筆者が管理社会主義と呼ぶゆえんである。 所有方式についても同様のことが言える。ただ単に所有の混合化を言うだけ では西の現存経済体制を特徴づけることはできない。こうした特徴づけは,カ ルドア(N.Kaldor)やブラウン(D. M. Brown)が言うように,東の経済体制に 25)ハンガリーではこれまで従業員30人までの私企業が認められていたが,最近の会 社法の改正により従業員500人までの私企業が公認された. 26)これについては福田〔5〕第6章参照.
混合経済論批判 69 の も適用できるからである。 したがって私有,共有いずれが体制原則なのかを確 定する必要がある。国によって程度の差はあるものの,西では私有が,東では 共有が体制原則であることは現実より明らかである。 現存の丙側の経済体制を定型化するには,少なくとも以上のような作業が不 可欠である。筆者の作業の結果は上の表2に示したとおりであるが,筆者の知 る限り,混合経済論者には筆者に匹敵するような厳密かっ体系的な論述は見当 たらない。 (5)最後に,混合経済論者の体制二分法を問題にしたい。上記のとおり,混 合経済論者は純粋資本主義と純粋社会主義を少なくとも暗黙のうちに想定して おいて,現代の西側の経済体制の現実動向を社会主義的要素の混入と捉える傾 きがある。こうした論法に従う限り,現存の西の経済体制を明確な輪郭を持っ た基本型として捉えることができないし,したがって19世紀資本主義との質的 差異を画定することもできない。筆者のような三元論をもって現存の経済体制 を誘導資本主義という基本型に類別してはじめて,こうした質的差異を確定す ることができるのである。むろん,正確を期しておくと,混合経済論者は上に 述べたように,国家干渉の増大をもって西の現存経済体制の基本的特徴と見て いる。この限りでは筆者と同様であるが,しかし問題はこの現実動向を経済体 制論的にどう処理するかである。この点に関する混合経済論者の立場は明確さ を欠き,その処理を回避しているような印象を受ける。この問題の処理は,筆 者のような上下調整方式のカテゴリーの採用によってはじあて可能になると考 える。多様化しっっある現代の経済体制を的確に把握するには,混合経済論者 流の体制二分法ではもはや不十分である。この方法では現代の西の体制ばかり でなく,東の体制も十分に把握できなくなる。たとえば,この方法に従うとす 27) Kaldor [8) pp. 1−12, Brown (1) p, 10. 28)ハンガリーの市場社会主義の建設を指導しているニエルシュは,私的セクターを含 む多セクターの形成を政策目標に掲げているが,しかし支配的役割を演じるのはあく までも国家セクターおよび協同組合セクターであることに注意を促している.Nyers C13) p.10.
れば,ユーゴおよびハンガリーの経済体制も体制的輪郭のはっきりしない混合 経済ということになってしまうだろう。筆者の三元論のほうが両国の体制を市 場社会主義という基本型の形ではるかに的確に把握できるように思われる。 VIお わ り に 筆者は,混合経済という言葉に対して漠然とあいまいな概念だという思いを 抱いてきた。一度,そのあいまいさを問題にしょうと思い,混合経済の用語法 を調べていると,意外にさまざまの使われ方をしていることが分かった。その 作業の結果をまとめたのが「混合経済の用語法の検討」(r彦根論叢』第246・247 号1987年)であった。その内容の要旨については本稿でも紹介したとおりであ るが,この論文を書き終えたあと特に強く感じられたのは西の現存経済体制を 混合経済と捉える説のあいまいさと体系性の欠如であった。また,混合経済の 用語を使う論者の大半が体制二分法の立場に立つ(これについても上述のとおりで ある)ことも確認できた。三元論の筆者からすれば,このような説や立場は現 実認識の面で大いに問題があり,一度批判的に検討する必要があると思われた。 本稿はこのような問題意識から書かれたのである。 本稿は,西の現存経済体制を混合経済と見る説に焦点を絞ってこれを批判し たのであるが,平皿節から知られるように,これを主張する論者を網羅的に取 り上げたのではないので思わぬ見落としや誤解をしているかもしれない。本稿 はおそらく不完全さから免れてはいないだろう。だが,少なくとも平皿節で見 た混合経済論に関する限り,筆者の批判は的を外していないと思う。 本稿ではテーマ上の制約もあって,体制二分法に十分な批判を加えることが できなかった。年豆節に見られるように,ことにドイツ語圏では今日でもこの 立場を取る論者が多い。三元論の立場に立つ筆者としては,体制二分法の現実 認識面での不適切さを批判せざるをえない。この方法では筆者の言う誘導資本 主義と市場社会主義を基本型として確定できないのである。このような批判の 一端についてはすでに別稿で展開したが,本稿を閉じるにあたっていっそう体 系的な形での批判を行う必要を感じている。別の機会を待ちたい。 一1989 ● 4 ● 8一 29) ネ畠E日 〔7〕
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