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史料紹介 : 大橋彦祐家文書について

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Academic year: 2021

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史 料 紹 介

大橋彦祐家文書について

大橋家は、中世には近江国神崎郡種村(現、東近江市種町)の地に一城を構えていた種村氏の末裔 とされる家です。昭和三年(1928)刊行の『近江神崎郡志稿』の上巻によれば、「伊庭氏、建部氏、志村 氏など、其他佐々木氏の部下で当時名のあつた家は江戸時代に入り、其後裔は幕府の大名、旗本と なり、相当の地位に立たれたが、種村氏のみは二郎隆忠以来、郷土種村に家居した」と記されていま す。なお、史料館に寄託されている大橋家文書の中には、「種村系譜」(年代未詳)という史料がありま すが、これによれば、二郎隆忠が種村に蟄居した後に「大橋」の姓を名乗ったようです。 大橋家の家督は、二郎隆忠の後、清右衛門尉隆重―七郎兵衛尉重成―彦助尉彦兵衛重政(常閑) ―彦兵衛尉猪左衛門成政―弥四郎猪左衛門成永(彦兵衛とも)―仙右衛門義武(松陰)―…と、代々 受け継がれていったようです。(昭和六〇年(1985)刊の小林秀夫『近江源氏佐々木氏分流 種村氏系 譜』)そして、重政は京都の小堀仁右衛門に雇われ、息子の成政は元禄七年(1694)にその跡を継ぎま すが、同十四年(1701)には暇を得て種村に帰住しています。成政の跡を継いだ成永は、郡山藩の藩 主である本多信濃守忠直に仕えますが、その後浪人となるようです。しかし、次の代の義武の時には 井伊家の家来として、彦根藩から米十人扶持を与えられていたとされます。 近世の村には、戦国時代には侍であった者が帰農して、村社会にあって独特な地位を占めることが しばしば見受けられるのですが、大橋家もこうしたケースに当てはまるようです。たとえば元禄二年 (1689)の「仕上ル手形之事(不届ニ付名字取上等承知)」という史料(写真参照)によれば、種村では 大橋家・大西家・辻村家の三家から名字を与えられた者は、村中へ披露した上で「侍分」という格式を 与えられる、という古法があったとされます。 種村の大橋家のような、武士と百姓の中間にある身分の人々が、近世には各地の村々に数多く居住 していました。大橋家文書は、そうした近世の村の実態に迫る手がかりとして、きわめて貴重であると 言うことができるでしょう。 (附属史料館 青柳周一)

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