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水稲作農村パダンララン : その自然条件と二期作化について [Padang Lalang, A Rice-Growing Village : Its Environment and Double Cropping]

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(1)

南ア ジ ア研 究 9巷4号 1972年3n

資料 ・研究 ノー ト

水 稲作 農 村 パ ダ ン ラ ラン

-

その 自然条件 と二 期 作化 につい

て-I1

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Padamg Lal

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マ レー シ ア北 西

cJ)ケ ダー平野 は, マ レー シ アの米 どころ と して知 られ て い る。 この平 野 は

岸 か ら

2

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の幅 を もっ て, 南は ジ ュ ラ イ

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州に まで広 が ってい る。 川沿 いに

長 く連 な る村 々を 囲む よ うに茂 る熱 帯樹 の小 森 を除 けば ,一 面 に 水 田ば か りで あ る。 最近 の統計

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に よれ ば , ケ ダ- と プル リス両 州 の水稲 作付

面精

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マ レー シ ア全 体 の作 付 面机 の

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に も達 してい る。 それ に

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年か らは 水稲 の二 期 作が は じめ られ ,

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の水 田で 二 期 作 が 可能 と *竜谷大学文学部 表

1

州別

稲耕地面積 と収

1968.-1969lllainseason 州 名 i 作付面積 ! 収穫面積 ホ ダ ソ ヨ ーフ ジ ケ ク メ i)i aCreS 31,860 311,900 208,390 - ナ ン :. 77,470 1 へ ラ ; 209,550 プ ル リ ス : 73,730 ス ラ ン ゴ ー ル 99,180 ト レ ン ガ ヌ 95,450 .:r "I:.i I.21】.1,W 収 量 (もみ米) acres-,000 30,770 310,840 gantangs 9,261 154,701 23047;喜…: 日 ;:::87 38,700 13,398 59,710 ; 10,977 209,550 96,108 73,730 44,414 99,120 63,028 94,000 24,659 1,234,040 533,109 (注 :1gantang-5.61bs.もみ米)

JabatanPerangkaan:PerangkaanBeras1969, MalaysiaBarat,p.2.より

(2)

東南アジア研究 9巷 4号 な る予定 で あ る。 この ケダー平野 の- 農村 パ ダ ソララソ (Ⅰ)adangLalang)村 で,1968年8月か ら1年余 り, 筆 者 は村 の人類 学 的調査 を行 な った。京 都大学 東 南 ア ジア研究 セ ソターの マ ラヤ稲 作農村総合 調査計 画 のためで あ る。 これ 以前 に も同 じ村 で短 期 間 の調 査 を2度ば か り行 な った ことが あ る カ\ いず11,も雨期 であ -,たため,一 年 を通 じて ケ ダ-の 自然 と農民 の生活 を観察 で きた のは今 回がは じめ てで あ った。 モ ソス - ンの影響 に よる ケダーの雨期 と乾期 の激 しさや そ の気 ま ぐれ な気象 に接 して,伝統 的 水稲作 と農民 の生 清 を理 解す るに は, ケダーに 固有 な 自然 条件 の理解 がか な り重 要な意味 を持 つ ことに気づ いた。つ ま り, ケ ダーの 自然条 件か らすれば , この地 域 の水稲 作 は決 して歴 史 の古 い ものでは な く,安 定 した水稲 作 農村 の開発 は,近代 的土地 改 良 の 技術 の導 入 に依存 していた ことな どに気づ いた ので あ る。 酉 マ レー シアの中で も, ケ ダ-の農村 は比 較 的大 き く, そ こでは共 同体 意識 が弱 く,伝統 的 行 事や手芸 が 貧 しい U)は, 自然 条件 が 必ず しも古 くか ら水稲 作に適 した ものでは な く, そ の開 図1 西マレ-シアにおける主な米作地帯 534

(3)

口羽 :水稲作農 村バ グ ンララン 発が 比較 的新 しい ものであ ることな どと密接 に 結 びついてい るよ うに 思われ る。 この点,C. Geertzが ジ ャワの水稲 作について 述べ てい ることがそ の まま ケダ- 平野に も適用で きそ うで あ る。 彼に よれ ば, 「正確な資料を入手することは困難であるが,西洋の技術の適用の結果,過去100年余 りの間に,イ ンドネシアや東南アジアの他の地域で,かんがい稲作が著 しく普及 したことが,19世紀中期以前に,水 稲作がわずかの,特に条件の恵まれた地域にのみ限られていたとい う事実をおおい隠すようであってほ ならない。1833年,ジャワがもっとも悲惨な結果を招 く社会変動期にさしかか っていた時に,現在では 350万 haの水田を持つジャワ島には,その3分の 1程度の水凹しかなかったのである.」1) しか し,二 期作 をは じめた ケダー平野 の変貌ぶ りは文字通 りす さま じい.現在 ケダーを訪れ る者 には, もはや数年前 の ケダーの水稲作農村 の姿 を想像 す る ことさえ難 しいであ ろ う。1971 年

8

月に

1

カ月ばか り 補足 調査 のために再 びパ ダ ソララ ソ村 を 訪れ た時 も, 農民は 積 極的に Offseasonの収穫 に従事 していた。 技 術 の点か らすれば, この地域 の 二期作 にはい まだ さま ざまな問題が残 され てい る。 二期作化 は,本来 マ レ-農民 の生清 水準の向上 にその

を置 い てい る。 この 目的が どの程 度に達 成 され たか否 かを評価 す るのは まだ時期 が早 い よ うに思われ る。 しか し, ケ ダーの二期 作は,伝統 的な天 水依存 の一期作に比べ て,全 く近代的な技 術的原 理 を基礎 に置いた ものであ る。 それが農民 の生活に大 きな影 響 を与 え ることは間違 いない。 本論においては, パ ダ ソララ ソ村 の農民 の生活 を中心に, 水稲 の伝統 的

期作 とは どの よ う な ものであ るか を理解す るために, 自然 条件,水稲 作 の発達過 程,

期作化 の経緯,二 期作化 に伴 う諸問題 につ いて, 主に農耕 の技術 の観点か ら考察 してみ たい。 I 自 然 条 件 パ ダ ソララ ン村は, ケダ-州の 首府 ア p-ルス ター (AlorSetar)か ら北 西-約 8km の地

点にあ る。 ケダー平野 のほぼ中央 に位置す る コタス タール郡 (DaerahKotaSetar)パ ダ ソラ

ラ ソ区 (Mukim PadangLalang)の- 村であ る。

ケダー平野は起伏 の少 ない平坦 な低地 で, パ ダ ソララ ン村付 近は海抜 1- 3m であ る。 海 岸部では,満潮時 の水位以下 の ところが 少 な くない。土壌 につ いては,表層 部は粘着性 の強 い 黒灰 色 の腐植土 であ るが,そ の底は重粘土 である。水分を保つ 点では水稲作 に適 してい るが, 水の吸収性が悪 いので野菜作 りには適 さない土地 で あ る。 気象は, マ レー半島の北東部 と同様 モ ンス ー ンの影響 に よ り, 雨期 と乾期 が 明確に分 かれ て い る。 雨期 (musim hujan)は西風 の吹 きは じめ る

5

月頃か らは じま り

,1

0

月 まで続 く。 村 人 は,雨期 とは雨が毎 日降 る時期であ るとい う。 しか し,雨 の降 り方 に一 つ の リズムが あ るo

1)Geertz,C.,AgriculturalZnvoluiion,TheProcessofEcologicalChangeinZndonesia・Berkeley: UniversityofCaliforniaPress,(1963),p.34.

(4)

克甫 ア ジア研究 9巻4号 通常,朝晩には晴れ る時 が 多 く,午後 に1- 2時 間 とい う短時 間 の豪雨が あ る。 過 去10年間 の記録2)に よれば,24 時間 内の最高 の 降 雨 量 は 188mm で あ る。 土地 の水 の吸収性が悪 く,平Lllt-と 低地 で水 の流れが緩慢 であ るため,短 時間 の多雨 は用水を氾 濫 させ る。1965 年頃, 水路 の土手 や 水路沿い の道路が 鉄分 の多い赤色 の ラテ ライ ト(laterite,

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anahme

rah)

に よ-)て整備 され るま では,豪雨後 の宅地 や道 の泥 沼化は 「1 常茶飯 の ことであ った。 水 田の水 もあ ふれ

,

田植 え甫後 の稲 の

が腐敗す る のは珍 しい ことではなか った。 さ らに, モ ソス- ソに よる雨期 の特 徴 の一つは その極端 な気 ま ぐれ性 にあ る。 表

2

が示す よ うに, 月間降雨量 や nU 30 `半 的 〓 榊 維 山 =.-1 m 八日U 0 0 d 「 3 2 ]L L ノ ,-∼ -IL 陀 I ノ O .T 比 ′ y =㍍ て 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12日J)

'nflt法.'Stat10n AIor S(・tar Hii暮王:statlOnNo.18.Al()r.lLmtlguS

図2 雨FI3l_-と気温(1959-68)

降雨 口数 は年 に よってか な り不規 則で

あ る

水稲 作には,適 範の水の確保が致 命的に重 要であ る

水は過 剰で あ -)て も, また極度に

不足 して もいけ ない○ この点か らすれば ,かんがい排 水路 が 整備 され るまで の ケ ダー平野 の

然条件 は, 水稲作 を許容す るものではあ -)て も,促 進す る ものであ -,た とは考 え られ ない。

乾期 (

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は東風が吹 きは じめ る11月頃か

ら翌年 の4月頃 まで続 く。 村人に よ紬 で, 乾期 とは1H雨があれば5- 6日雨のない時期であ ち(〕乾期 の前 、畑 土,稲 の収穫時で村人

町 時 であ る。 しか し,そ の後 判 こな ると,土地 は干 か らび て, 田圃や家 の庭 な どのいた るところに 4-5cm 幅 の地割れ が見 られ るO 乾燥 Lた粘 土 にひび割れ の入 った状態に な る。 裏 作はほ とん ど不 叶能 であ る。 そ の よ う

加 1

1

日靴こ見 られ る わず か な緑 は,収穫時 の こぼれ た籾米か ら生長す る末 執 叫 針亡凍 るO そ叫 肩と残

され

た稲 の 切 り株が乾期 におけ る水 牛の主 な飼料 であ る。 乾期 の水不足 は農民 の生活に と -つて もか な り深 刻な影響 を与 え る

特に パ ダソララ ソ村 の よ うに海 岸 に近い地域 で は,飲料 水 と暑 気払いに も-)と も有効 な水浴 のための水が不足 す るか ら であ る。 この地域 の井戸 は, 小 さな池 の よ うな 形 を してい る。 深 さは 2- 3m くらいであ る○雨期 には井戸 の濁 り水は, あふれ/ろほ どもあ る′八 乾 期にはそ の水 も底をつ き, JI

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2)パダソララン村でのかんがい排水用による測定0 536

(5)

口羽 :水稲作農 村/くダ ンララン

表2 SumlllaryOfRainfallfrom January1959toDecember1968(AlorJanggus) Year JAN FED MAR APR MAY JUN JUL AUG SEPT OCT NOV DEC 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 Average 1959-1968 ) ) ) ) ) ) ) 0 8 6 1 8 2 3 4 5 8 2 0 1 8 6 5 0 3 ( 6 ( l ( 3 ( ( 3 ( 3 ( l 32 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 2 3 0 「 ⊥ 2 4 0 8 2 6 1 1 7 7 5 4 1 1 5 5 9 6 1 1 1 1 1 0 ( 2 ( ( 4 ( 5 ( l ( 6 ( 9 1 ( 2 ( 3 ( l ) ) ) ) ) ) ) ) ) 8 8 8 3 0 9 0 4 2 4 1 4 1 7 4 0 5 0 1 4 3 ( l ( 3 ( ( l ( 2 ( 2 ( 5 ( 3 ( 5 1 1 1 ( l ( l ( 2 ( ( ( 1 2 ( l 1 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 5 6 4 1 5 7 5 0 1 6 1 6 2 0 3 8 3 5 7 6 0 8

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6 2 9 1 9 1 5 1 0 1 7 1 4 1 6 1 2 ( 1 2 ( l ( l ( ( 2 ( 3 ( 2 ( 2 ( l ( 1 2 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 5 1 7 5 6 8 8 5 2 5 0 2 5 6 3 0 3 1 4 9 5 5 2 7 1 3 1 0 2 5 2 3 1 6 1 6 2 0 2 6 1 6 4 ( 2 ( 4 ( 3 ( 4 ( l ( 3 ( 4 ( 5 ( 2 ( 3 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 2 5 9 9 6 4 6 4 7 0 2 2 4 9 2 4 2 3 8 7 2 9 1 9 1 2 1 9 1 1 2 5 1 3 1 9 1 2 1 8 1 7 2 ( 3 ( 3 ( l ( 5 ( 4 ( 5 ( 2 ( 3 ( 3 ( 3 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 4 3 7 6 2 9 4 9 3 6 9 1 5 0 1 0 U 4 0 6 4 1 2 1 0 1 9 ( l 1 0 1 5 1 6 1 1 1 5 1 7 1 6 3 ( 3 ( 1 4 ( 2 ( l ( 2 ( 2 ( 2 ( 2 ( 2 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 4 4 4 2 2 6 7 8 1 2 5 9 1 9 2 6 3 1 4 7 8 1 1 8 2 7 1 4 1 5 1 0 1 5 ( 0 1 9 1 6 1 9 4 ( 2 ( l ( 3 ( l ( 3 ( 2

3

( l ( 5 ( 2 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 1 3 8 3 6 8 5 5 8 4 9 9 3 7 4 9 3 4 2 9 9 4 1 3 1 3 1 0 1 7 1 8 ( l ( 5 1 6 1 7 1 5 3 ( 2 ( 3 ( 2 ( l ( 2 2 ( 4 ( 2 ( 2 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 9 2 7 7 9 4 3 6 8 3 0 2 3 8 8 7 4 1 2 0 7 4 1 8 1 7 1 9 1 8 1 6 1 4 ( 4 1 8 1 4 2 2 3 ( 2 ( 2 ( 3 ( l ( l ( 2 5 ( 3 ( 4 ( 3 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 5 3 9 5 5 6 5 3 8 2 7 3 5 0 3 7 5 0 8 9 4 9 1 7 1 2

1

1 1 ( 00 1 9 1 7 ( 0 1 5 ( 3 ) ) ) ) ) ) ) ) 5 0 1 9 6 2 9 5 9 8 5 7 7 3 0 5 0 3 1 4 ( 4 1 4 ( 3 ( 7 ( 3 1 2 1 1 ( 2 ( 1 2 ( 2 ( Annual Total 2990 2442 2810 2334 2047 1881 2546 3019 2584 7 6 9 3 6 5 2 2 Ii inu 1 0 5 1 1 2 1 ( l MAX.24HR 30 67 55 86 144 80 88 188 92 94 71 85 (F短uresinmillimetrebutfiguresinparenthesisrepresentthenumberofrainydays.)

び て くる。 用 水 も同様 で, 雨 期には土 色 に濁った水が 川に あふれ る()乾 期に はそ の

は低下 し, 川藻 のため に水は緑 色 に な り, 塩辛 くな る。 ご く最近 まで村人 は飲み 水を井戸 に, 水浴 のため の水は井戸 と

に求 め てい た。 だか ら乾期 の水不足 は彼 らの生活にと -)て致 命的で

った。塩 分 の濃 い水 で 水浴 をすれば体 中 にか ゆ夫 を 感 じる。 飲 み 水 の問題 が解 決 さjLた のは

,1

9

6

O隼か らであ る。 乾期 の 水不 足の

しい時, 区長(Pe ng-hulu)の 要請が あれ ば, 州政府 は タ ンク車 で 飲 料 水 を 供給 す る よ うに な った。 また

1

9

6

7

年 に は, ア ロール ス ターか ら水道管 で 水が供 給 され る よ うに な った.水道

を家 に取 り付け る工 事 費 が 高 い

(

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5

())た め, 水道 栓 を持 づ 衣は ,水道管 沿 い の

8

6

戸 中 まだ

1

9

戸 に しかす ぎ ないが,現在 で は,村 の全

帯 が飲み 水 に水道 の水 を利 用 してい る。 水道 栓 のない家 は, 水 を

1

81

) ソ トル侶

2

桐 につ き

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〆5 で水道 のあ る家か ら購 入 してい る. また 乾期 には,村 に あ る

2

個 の共 同 水道 栓 を村人 が

由に使 え る よ うに され てい る。

)

しか し, 水浴 のため の 水に は,

干 の富 裕 な家庭 を除い て, い まだに井戸 と川の水が用い られ てい る。 雨 を中心 に見れば ,上 記 の よ うに季節 は2分 され る

Lか L,気

附や

湿

度 ,植 物 の生 態, 農 民 の

f

石とrl然 の関係 を 考慮 に 入れ 7,と, 多分 に休 感 的では ,あるが, 季節 は 四つに分け らjtる 537

(6)

発 南 ア ジア研 究 9巻 4号 よ うに も思われ る。 特に稲作に とっては水の蒸散量や 日照時間が,かんがいに とっては水の蒸 発量が重要 であ る。 この よ うな点で客観的賢料 を示す ことはで きない浴,筆者 の生活体験 と観 察に基づけば次の よ うにいえ よ う。 た とえば,雨期 の前 半に当た る

5

∼ 7

月は水稲作 の準備期に当た る。 午後 の豪雨 のため朝 晩 の気温はやや低下す る。 村人は この時期を

mus

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と呼 んでい る。 それは 涼 し い雨 の季節 を意味す るが,村人にはその 言葉に果物 の季節 とい う合意があ る。 7月になれば ド 1)7 ソやマ ンゴな どの熱帯 の果物Ji/1豊富にな る時期であ るか らであ る。 雨期 の後半8-10月にな ると,夜 はい っそ う涼 しく, HF恒 最蕪し暑 くな る。 蚊 も多い。 田植 えで 忙 しい時期であ るが, この時に農矧 よよ く軽い風邪をひ く。 通風 の よいマ レー農民の高沫 家屋で毛布一 枚では寒 さを感ず る夜 もあ る

。[

1の気紬 よ32-33、Cで,あ ま り上昇 Lないが, 夜は20-22'Cまで1frFす るC, 乾期 の前半 の11月∼ 1月は,稲 の収穫時 であ る。 湿度が低下す るにつれ て朝夕の如拙土1

8-1

9o

C

に まで下が る。 蚊 も少 な くな り,

1

1本 の初秋を思わせ る季節 で,落葉す る木 の葉 もあ る. しか し, 通風 の よい高床家屋 の床にパ ンダスス (m否

ngk

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か ら作 った ござ

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一枚 を敷 き,そ の上でサ ロ ン一枚 を頭か ら被 るよ うに して寝 る農民は, この時期 の朝夕の涼 しさを 好 まない。農繁期 の この時期に も, よ く帆邪 をひ くか らであ る。 乾期 の後半に当た る2- 4月を農民は もっと も嫌 う。 日朝 よ極度に暑 くな り,最高気視は36 -3TCに まで 上昇す る。 一年で もっと も気配の高い 時期 であ る。 それに水不足 の時期で もあ る。 仕事 もな く,村 の生活は沈滞す る。 熱

の美 しい樹 花は この時期に咲 く。 この時期 の終 り を告げ fJ豪雨が西風 と共にや J)て来 ると,村人は歓声をあげて苗ぶ()

3

MeanTemperature(centigrade)from January 1959toDecember1968 AlorStarAerodrome(KepalaBatas)

JAN FEB MAR Ap又 MAY JUN JUL AUG SEPT OCT NOV DEC 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 Mean1959-68 HighestMax. LowestMin. 538 1 3 8 2 4 7 9 0 0 4 2 4 0 6 6 5 6 6 5 5 6 6 7 6 4 9 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 1 8 8 5 4 5 7 3 0 3 7 3 2 4 5 5 6 6 6 5 6 6 6 7 6 4 0 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 2 4 9 0 1 1 3 3 4 0 3 4 5 6 6 6 6 6 6 6 6 6 6 7 6 3 1 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 2 8 8 4 9 9 4 4 7 8 0 7 6 6 6 6 6 6 6 6 6 6 6 7 6 3 1 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 2 6 1 3 6 9 9 6 1 0 5 0 6 5 6 7 7 6 6 6 6 7 7 7 7 3 0 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 2 1 0 7 0 4 8 9 0 0 6 1 1 1 7 7 6 7 7 6 6 7 7 7 7 4 1 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 2 7 5 1 1 3 4 5 5 1 0 4 2 0 7 7 7 7 7 7 7 7 7 8 7 6 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 2 8 8 QU 8 9 5 5 5 5 2 7 3 3 7 7 7 7 7 7 7 7 7 8 7 6 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 2 7 5 8 6 7 3 4 2 4 8 9 7 4 7 7 7 7 8 8 7 00 7 8 7 7 1 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 2 8 5 6 4 7 3 5 6 8 7 00 0 1 7 7 7 7 7 8 7 7 7 8 7 7 9 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 1 9 5 3 8 7 9 3 5 8 9 4 6 8 7 7 7 6 6 7 7 7 6 7 7 6 8 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 1 0 5 2 3 3 4 5 5 7 2 4 史U 5 7 6 6 6 5 7 5 6 5 7 6 5 7 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 3 1

(7)

口羽 :水 稲 作農 村 バ グ ンラ ラ ン 以 上 の よ うな 自然 条件 と農 民 の生 活 との関係 を,土 地 改 良に よ る二 期 作 は根 本 的 に 変 え よ う と してい る。 ケ ダ ー平 野 は 確 か に地 勢 ,土 壌 , 気 象 か らすれ ば 水稲 作 に適 した条 件 を持 ってい る。 しか し, 水 利 の近 代技 術 が導 入 され る まで は, 上 記 の よ うな諸 点か ら考 え て必ず しも安 定 した 水 稲作地 で あ った とは 考 え られ な い。 パ ダ ンラ ラ ン- の入 植 もさほ ど古 い時 期 に行 なわれ た とは考 え られ な い。 この点 に つ い て 次に考察 してみ よ う。

ケ ダー平 野 初期 にお け る水路 造 築 と入植 16世 紀 以前 の ケ ダ-平野 の歴 史 に つ い ては,正 確 な記 録 が 乏 しい ため, 非常 に あい まい な 点 が 多いが, ケ ダ ー王 国は 現 在 の プル リス

州や

ペ ナ ン州 を も含む もので, そ の中心 地 は南 部 に あ

った ことが 最近 明 らか に され た。 ムダ 河 (SungeiM uda)や ムル ポ ック河 (SungeiM erbok)

の河 H付 近 で 多 くの仏 教遺 跡 が 発 見 され たば か りで は な く3), そ の地 域 は 外 国交 易や 農 耕 に と -)て も適地 で あ った と推 定 され るか らで あ る。 近 くの ジ ュライ 山 (Gunong Jerai) は, 標 高 が

1

,

1

9

7.

6

m もあ り, ベ ンガル湾 か ら渡 来 す る船 の航 海 目標 で あ }つた し, ム ダ河 河 口の クア ラ ム ダ (Kuala M uda) は [桐 距港 と して適 してい た。 それ に ジ ュライ山 の 山す そ に は, ケ ダー で は珍 し く清

水が

流れ

,河

水 の氾 濫 す る胤 晩性 もな く, 果樹 に 恵 まれ ,土 壌 は農耕 に適 して い る。 南 部 に対 して北 部 の ケ ダー平 野 は

,1

7

世紀 頃 まで は マ ング ロー ブや 紺 也で広 く覆 われ た荒 野 で あ った

。1

7

91

年 に ケ ダー平 野 を訪れ た英 人 旅 行者 M .Topping は, そ の情 景 に つ い て次 の よ うに述 べ てい る。 「北に伸び, (南は) ジュライlMこいたるプル リスの土地は,侮岸に向か って低 く,平坦で,海岸か ら1マイルほ ど広がるジャングルで覆われている。ケダー南部に向か ってほ,森がず っと広が り, この 土地は未だ十分開拓 されていない

4

1 Topping の記 述 か らすれ ば ,18世紀 末以前 の ケ ダー 平 野 は 見渡 す 限 り水 田 の広 が ってい る 現在 の情 景か らお よそ ほ ど遠 い存在 で あ った ことは 容 易 に想 像 され る01938年 のか んが い排 水 局 の土 地 利 用 図 (図 4) に よれ ば , ア ロール ス ター北 部 の低地 の大 部分 は, グ ラム (gelam) 森 林 地 帯 で あ った。 それ は ,高 さ

1

.

8

m ぐらい の グ ラム樹 (Melaleca leucadendron) とボ

ン ゴル樹 (bongor,Largesiroemia

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peciosa) とが 混合 した 森 林 で あ る。 これ らの 森 林 は 通

常 乾 期 で も約 1m の淡 水が 淀 む 沼地 に茂 るのを特 徴 と してい る。 この忠, 低 地 で排 水 の悪 い

3)Lamb,Alastair,"MiscellaneousPapers on Ear一y Hindu and Buddhist Settlementil一Northern MalayaandSouthernThailand,''FederaiionMuseumsJournal,vol.6(1961);Braddell,DatoSir Roland,"MostAncientKedah,"MalayainHistory,vol,4,no.2(1958),pp.13-40,

4)Topping,M.,"SomeAccountofKedah,=JournaloftheIndian ArchipelagoandEdSlernAsia, (Singapore),γol.4(1850),p.44.

(8)

諌南 ア ジ7研究 9巻4号 ノ ′ ・一一一ノ /′ \ ./ KualaKedah X G Kerian

A PadangLalang

B KubangSiam l SgAlorJanggus 2 SgKubangRotan 3 SgBahru 4 SgJalanPerlis

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一 50feetconto u r 0 SgMerbok SgMuda 20miles 540 図3 15-18世紀におけ るケダー平野 ・′ ー . \ . t 一ノ \ . ノ \ ノ ー \ ノ ∫-1 ●ノ ー .-ヽ 、 ′ . \ ・1 . . 、 ノ ・J

(9)

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(10)

東南 アジア研究 9巻4号 ケダー平野が, もとはほ とん どグラム森林 で覆われ ていた として も不思議ではない。 この よ うな点 とケダ-平野 の地勢,気象や植物 の生態 を考慮に入れ ると,15-16世紀 の ケダ ー平野は次 の よ うな森林で覆われ ていた と考 え られ よ う。 す なわち, 海岸か ら 1-4km くらい までの ところで海 水が満潮時に逆流 し, 塩分を含む水 が淀む沼地 は, マ ング ローブの森林地帯であ った。 また満潮時には海 水が水底に至 り,干潮時 に淡水が淀む沼地には,農民が屋限 ,壁,か ご,煙草 の巻 き葉 の材料 と して利用す るニパや し

(Nipafruiicans)や m占ngkuang (Pandanusatrocarpus)が茂 り,海 水が到達 しない沼地

に グラム森林が広が っていた と考 え られ よ う。

一説に よれば,16世紀末 まで マ レー半 島では水稲作はほ とん ど行 なわれ なか った といわれ,

水稲作が シ ャム人に よって北部諸 州に もた らされたのは15世紀頃 と推測 され てい る。5) この推

測 の根拠は判然 と しないが, ケダ-平野 の水路 の開発 も,伝 説に よれば15世紀頃か らであ る。

1472年 (877A.H.)に他界 した スル タソ AttaulahMohamadShahは, ジ ュルル ソ(Jer

-1un)- クバ ソロタン(KubangRotan), アナ ブキ ッ(AnakBukit)- グノンク リアソ(Gunong

Keriang)の2水路を構築 した と伝 え られ てい る。 事実であ るとすれば, 前者はパ ダ ソララソ

村を貫通す るア ロール ジャソブス

(SungeiAlorJanggus)にあた る。 しか し,すでに述べ

た よ うな 自然条件か らすれば,15世紀頃か らア ロール ジャングス川 沿いに 安 定 した水 稲 作 村

落 があ った と想 定 す るこ とは 難 しい。 また1625年 (1035A.H.)に 王 位 に 就 いた スル タン

RijaludinMuhamadShahは, ア ロール ジ ャングスー グ ノ

ソ川

(SungeiGunong)までの水

路を造築 し, 1664- 5年 (1075A.H.)には, プル リスか らアナ ブキ ッの地点で ケダー河 と結 ぶ水路 (多分現在 の ジ ャランプル リス

SungeiJalanPerlis)が造 られ てい る。6) 上記 の

4

水路 の うち, ケダー平野の開発入植 の起点 とな ったのほ ジ ャラ ンプル リス川であろ う。 この川沿いの土地 は高 く,雨期 の氾濫 の危険性 も少ない。農耕 に も適 してい る し,北部 プ ル リス- の 幹線路沿いで もあ る。 現在 の ア ロールス ターに当た る 村が 形成 され は じめたのは 17101年頃であ る。 南部か らケダー王国の中心地 が現在 の位置に北上 したの もこの頃 とす る推定 もあ る。7) ジ ャラ ンプル リス川沿いの開発 も進み,そ こか ら海岸にいた る平野- の農業開発 の

大 きな可能性や ケダ-河河 口の クアラケダ- (KualaKedahまたは KualaKatrang)が貨物

の集散地 と して 発展 しつつあ った ことな どが 南部か ら 北 部- の遷都 の大 きな 理 由 と考 え られ る。

ケダ-平野の中心部に当た るケダー河流域 の開発が進む のは,18-19Lti-紀にな ってか らであ

5)AnnualReportofikeDrainageandZrrigal'ion DeparimenioflheMalayan UnionforikeYear

1946.AlorSetar,1948,p.1.

6)CheMustafabinTan,Tau・drikhSalasilahNegriKedah(mimeographed),1962.

7)ZaharahbintiHajiMahmud,Changein a MalaySultanate:AnHistoricalGeographyofKedah Before1939.ThesisforM.A.,UniversityofMalaya,1966,pp.24-5.

(11)

日羽 :水稲作農 村バ グ ンララン る。1738- 9年 には ケチ アナ プキ ッ川 (SungeiKeckikAnakBukit)浴,1771- 2年 には ク バ ソロタ ン川 (SungeiKubangRotang)の近 くに水路が造 られ てい る。8) 前著 は現在 の どの 水路にあた るか は っ き りしないが, 後者 は クバ ソロタ ン川に 続 くパル川 (SungeiBahru)の よ うであ る。 この水路がで きた1771年 に,北部 の シ ャム人や ビル マ人 の外敵 に備 えて クアラケ ダーに要塞が作 られ,それ は1780年 に完成 してい る。9) この よ うな開発状況か らして, ア p-ル ジ ャソグス川沿いの村 は,19世紀 の初期か ら水稲作 地 域 と して開発人種 され は じめた とい う推測 も可能 であ ろ う。1821年に,時 のスル タ ンか ら農 民 に パ ダ ソララ ソ村 の土地 が 譲 られた (grant)とい う古 い 記録 があ ること もそ の 推測 を 裏 づ け る一一史料 とな ろ う。10) しか し, ケダー平野 の本 格的開発は19世紀後半か らは じまる。 19世紀 の前半 には, シ ャム軍 の 占領 (1821-1841)に よ り, ケ ダ-は一時的に荒廃す る。 シ ャム軍 の侵攻 に よって, スル タ ンは ペ ナ ン (1821), マ ラ ッカ (1831) に逃れ, 英 国を仲介 に して 両 国の和解が成立 した のは 1841年であ る。11)パ ダ ンラ ラ ソ村 の 隣接村 名 クバ ンシアム (KubangSiam)は, 文字 通 り, シ ャム人に よって 作 られた 池 (kubang)に 由来す るものだ といわれ てい るか ら, シ ャム人 の 占領 時以後にで きた村 であ るとも解釈 で きる。 1850年に ケダー河 を舟 で さか のぼ った英人 J.R.Loganは, ケダ-平野 の水稲作地 と しての 将来性 の大 きい ことを予見 し, シ ャム人 の 占領 のた めに多 くの農民が 南部に難 を逃れ て去 り, 末 だ戻 ってお らず, 農地 は荒廃 してい る こと, 新 開地 の海岸部は 稲 の収量 が 東部 よ りよ く,

relong(0.28ha-0.71acre)当 り 2kuncha(160ganiang) もあ って 東 部の2倍 もあ るこ

とな どを記述 してい る。12)

ケ ダ-王国が政 治的に安定 し, ケダ小平野 の基本的 な水路が構築 され るのは19世紀 の末期か

ら今世紀 の初期 にかけ てであ る。 た とえば, ア ロール ス タ-か らジ ュライ山のふ もとの グアチ

ュンプダ (GuaChempedak)まで 一 番 線 に 約 30km もあ る ワンマ ッ トサ マソ (Wam Mat Saman)水路は,1885年 に 同 名の官吏 に よって構 築 され た ものであ る。 1890年 に は 王 族 の

TungkuYa'acobが 現 在 の ア ロールチ ャソギ レ- (AlorChangileh)水鋳 を,1913年 には コ

デ ィア ン(Kodiang)郡 の郡長 ワ ンヤ- ヤ (WanYahya)が現在 のサ ンラ ン(Sanglang)水路

8)Zbid.,pp.55156.

9)Museum Department.FederationofMalaya,MalayanForts.KualaLumpur,1961,pp.113.

1786年には,ペナンが英国に譲渡 されている。

10)Tungku打ongJewa,"LandAlienationinKedah,=(anarticleinanew,spaper),nodate.

ll)この和解時に,プル リスはケダ-か ら独立,Setulはシャム領となった,

12)Logan,J.R.,"NotesatPinang,Kedah,"Journalof ikeIndian ArchipeZdgO andEastern Asia (Singapore),γol.5,p.55,pp.57-58.

(12)

東南 ア ジア研究 9巻4号

を, また 同 じ年 に, ル ナ プ ロ

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また は

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水路が造築 され てい る。13)

これ らの水路 は,いず れ も雨 期 の過 剰 水の処 理のため の もので あ る。 水路 構築 の方法 はか な

り原始的 な もので あ り, ワ ンマ ッ トサ マ ン水路 の場合 には,日中は煙 を,夜 は松 明を 目印に,

中国人労 働 者 が雇 われ て, 水路/7/i- 直線 に掘 られた といわれ てい る。 この水路沿 い の道 路 は,

1

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年英 人 の最 初 の ケ ダー政 府

顧問

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lが着任 した 年 に着工 され ,

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に完成 してい る。 ア p-ル ス ター以北 の主 な :i水路は排 水の ため の もので あ ー)た/)i, 農 艮 がか んが い川 に用い て, 水路 をせ き止 めた りLたため, ほ とん ど

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図4

が示す よ :)に, 入 植 は思 わ し くなか った。14)村 の 古老に よ頼 :ど,氾 濫や牛越に よる稲 の被害 は しぼ Lば あ つて, 被 害 の大 きい時 には仕事 を求め て村 を去 る者 が 少 な くなか った といわれ てい る。 上 記 の

4

水路 が ケ ダー平野 のそ の後 の開 発の起 点 とな る ものであ る浴, これ らの水路が 効率 を高 め るのは,近代 的技術 に よる土 地改 良が行 なわれ は じめ た

1

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()年以後 の ことで あ る。 西 マ L,- シアに 二f沼 -る米 の増 産 がか な り況 刻な問 題 と Lて浮 き

が って くる刷

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年頃か 表4 酉マレーシアの人種別入 日 (1911-1941)15) (

位 1,000) 志 二讐 十 五 十 92Il 6己l 1931 L 1941 ユーラシア人 (混frn) 10.9 12.6 16.0. 19.3 マ レ ー 人 1,437.7 1,651.0 1,962.0 2,278.6

国 人 916.6 1,174.8 1,709.4 2,379.2 イ ン ド 人 267.2 471.7 624.0 744.2 そ の 他 29.3 33.0 56.1 58.4 合 計 1 2,67218弓 3,358十 4,385・3 5,511・1 らであ る。 そ の頃 は鞘 に錫 鉱 山べ⊃ ゴム園 の労働 に従事 す か 卜国人 ・ イ ン ド人 の移 艮労 働者 人「tが急 増 守 ;:)(〕そ

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()隼の問 におけ るイ ン ドと タイ国 の米 の不 作 は

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0%

以上 の米 の国内消費量 を輸 入に依存 していた西 マ レー シ アに とって致 命「軒 ごあ ー)た。 こu) よ うな事情 を反映 して

,

西 マ レー

13)AnnualReportoftheDrainageandIrrigationDepartmentofike Malayan Unionfor the Year 1946.AlorSetar:TheKedahGovernmentPress,1948,p.77.19世紀の末期か ら,外人の来 訪 も多

くな り,ケダー王国の行政府の近代化がは じまっている01883年にフランス人宣教師が AIorSetarを

訪れた時, スルタンの子供の教育 のために 米

生れのフランス人がすでに滞在 していたo JallleSF.

Augustin,"Alor Star-1883,''Kedah DariSegiSejarah (May 1967),p.15.1899年に,William

WalterSkeatを リーダーとする探検隊がケダ-を訪れているoDatoWanIbrahinlWanSoloh,``Kedah,

SetulandPerlis,SeventyYearsAgo,Skeat'sRemi niscencesofVisits,HKedahDariSegiSejarah,

Vol.4(April1970),p.18.1905年には,立法府が設立され, 英人の財政

顧問

G.C.Hartがシャム因 か ら派遣 されているoJ.F.Augustin,`▲TheFounderofModernKedah,HKedahDariSegiSejarah,

Vol.4(April1970),pp.39-40.

14)Mohd.DaudbinAbdulRahman,TheKubang PasuIrrigationScheme,NorthKedah.AlorSetar,

1959,p.3.

15)DingEingTanSooHai,TheRiceIndustryinMalaya192(ト1940. Singapore,MalayaPublishing House,1963,AppendixIII,p.43.

(13)

口羽 :水稲作農 村バ グ ンララン

シアにおけ る米 の増産につ いて審議す る米作委員会

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が マ レー

連邦 州 (現在 のベ ラ, ス ラ ンゴ-ル, ヌグ リス ソピラ ン, パ- ソ州)政 府に よって1931年 に設

立 され,そ の翌年,土地改 良のためのか んがい排水局が設け られ/た。

マ レー非連 邦州 (ジ ョホ ール, ケダー, クラ ンタ ン, トレンガ ヌ, プル リス州)であ った ケ

ダー

が, そ0)か んがい排 水局に土地 改 良につ いての調査 を依頼 した のが1937年 であ り, 自 ら

のか んがい排 水局を設 けた のは1940年 であ る。そ こで最初 に計画 され たのか, パ ダ ソララ ン村

を含む ア ロール ス ター北部 の海岸平野

の土地改 良計画

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あ る(〕 この計画は 多

的な もU)であ り,(1)排 水路 の整備 と氾濫 U)阻 lI二,(2)か んが いC/)改良,(3)防潮 堤 と防潮 水門 の造築,(▲4)水路 と陸路 の改善,(5)グラム森林 の開拓, を 目的 と してい る。 この 計画 に よって 改 良 され る農地面

街は

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であ る。 しか し,計 画が実 施 され るはず であ った1942年 に第2次世 界 大戦がは じま り,結 局,計 画が 実 施 され たのは1946年であ った。 この計 画 の実 施に よって変化 が生 じたパ ダ ンララ ソ付近 の主 な点 のみを記述す ると,1951年には ア p-ル ジ ャングス川が整備 され て, 雨期 の水路交通が改 良 された。 とは いえ, モー タ-ボー トを使用 して もア p-ル ス タ- とパ ダ ソララ ソ問は, クア ラケダ-を経 由 して1fけこか りの旅であ った といわれ るo 北部 の グラム森林 が水 田に開拓 され た のは,1953-54年頃であ る。 そ して, ほ とん どの地域- 水路か陸路で自 転車 に よる接 近 が可 能 に な ったのは,1955-1957年の頃であ る。 パ ダ ンララ ン村 とア T=1-ル ス ター間 のバ スに よる 陸路交通が 可能 にな ったの もこの時期 であ る01955年 に ア ロール ジ ャ ングス ・ダ ノンク リア ソ 間 の道路がで きて,村か らア ロール ス タ-- はバ スで30分 もあれば行 くことがで きるよ うにな った。陸路 交通 が容 易に な るにつれ, 水路に水門がで きた りしたため, 水路 交通は衰 えは じめ た。

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が ほほ計画通 り完 了 した のほ1961年 で あ る

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しか し, この計画は,稲 作 のため のか んが

排 水には全面的 に成功 しなか った。依 然 と してパ ダ ンララ ソ村 の稲作は天 水依存であ った。1964年 に も,豪雨 に よって 田植 え後に被害 を受け ると ころは 少 な くなか った し, 用水の氾濫 に よる宅地 や道路 の泥 沼化 は珍 しくなか った。防潮水Ftはミか え って排水 を妨 げ る役割 を演 じた りした。 ただ,村 の稲 作改良に大 きな影響 を与 えた ことは事実 であ る。 化学肥料 が村に入 り出 した のは1955年頃か らで あ り,農業普及活動 も徐 々には じめ ら れ た。つ ま り, パ ダ ンララ ン村地域 の水稲作がはば安定 しほ じ〟)たのは1950年代に入 ってか ら であ る。 これ に続 く二期化計 画は,水路 や道路 をい っそ う整備す る ことにな った。

16)Mohd.DaudbinAbdulRahman,op.cii.,pp.1-4.;Ow YangHongChiew,ReportoftheDrainage andZrrigdiionDivisionofikeMinistryofAgricultureandCo・operaiives,MalaysidjorikeYears 1961,1962and1963(1964),p.67.

(14)

東南 アジア研究 9巻4号 第 2次大戦後 の西 マ レ-シアに おけ る米 の増 産諸政策には二重 の 目的があ った。一・つは米の 国内生産を高め て,米 の 自給 体制 を確立す ることと,他 の一つは,稲 作農民 のほ とん どが マ レ ー人であ り,都市 に盾住す る中国人, イ ソ ド人 と比べ てマ レー農民 の経済生活 の水準があ ま り に も低 いた め, マ レー農民 の生活 水 準 を高め る ことで あ った。 表5 西マレ-シアにおける米の生産量と輸入炭IT) 生 産 量 輸 入 量 合

生 産 量 の % 1931 1938 1946 1949 1950 1955 1957 1959 1961 264.2 299.2 225.0 307.2 435.8 410.6 487.6 443.0 605.0 515.7 612.4 274.5 495.0 435.9 347.5 340.5 359.6 315.0 779.9 911.6 499.5 802.2 871.7 758.1 828.1 802.6 920.0 34% 33% 45% 38% 50% 54% 59% 55% 65% この 日的 のために, 最初,経費 のかか る土地 の開発 よ りも,土地改 良 (か んが い排 水路 U)改 良)が望 ま しい とされ た。 しか し,二 期 作は,適切 な貯 水池を建設す る場所 の欠 如,土壌 と化 学肥料 の問題,適 当な

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種 の欠如 ,農民 の農耕技術 の質 と自主性 の欠如 な どの諸 問題 のために 敬遠 され ていた。18)二 期 佃 こ対 して精

的 な政 策が取 られ るよ うに な った のは,一つには,節 2次大戦 中, 日本軍 が ペ ナ ン州の ス ソガイ ク リム (SungeiKulim)地域 では じめた 在来種 と 台湾 品種 との組合せに よる二 期作

積 が,農民 の 自発性 に よって

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年 の間に

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年 に マ ラヤ連邦 が英 国か ら独立す ることにな って, マ レー農民 の生活 水準の 向上 は連邦政 府 の至上 命令にな -)た ことに もよる

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年 に,農業局は二期 作が技術的に可能であ ることを 公表 してい る。19)

この よ うな背景 の もとに 立 て られた のが ム ダ 河か んがい 計 画 (M uda irrigation Project)

であ る。30)この計画は, マ レーシ ア政府 に よって

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9

年にそ の可能性 が調査 され, さ らに詳細

17)1931-1950年の資料は,RefOrloftheDrainageand ZrrigatwnDepartmentfor ike Years1952,

1953 and1954.KualaLumpur:GovernmentPrinter,1955,p.6.1955-1961年の資料は,Federal tionofMalaysia,OfficialYearBook,1962,p.482.

18)ReportoftheDrainageand IrrigationDeparlmenioftheYears1952,1953and1954. KuEllこI Lumpur:GovernmentPrinter,1955,pp.6-7.

19)ReportofikeDrainageand IrrigationDepartmentoftheYears1955,1956and1957.Kuala Lumpur,theGovernmentPress,1959,p.6. 二期作用の晶桂改良のため, 日本人の専門家の援助が

望まれ,コロンボ計画によって専門家が引き続 き派遣されは じめたのは,1958年8月以後である

藤井 啓史 「日本人専門家による水稲育種方法の改善」『東南アジア研究』 2巻 3号 (1965),p.76. 20)この計画については,冨土間義一 「かんがい排水による東南アジア農業開発

『東南アジア研究』 5巻 4号 (1968)。富士岡義一 ・海田能宏 「マラヤのかんがい排水事業と今後の課題」『東南アジア研究』 6 巻2号 (1968)。杉本勝男 「アジアの農業,二期作の進展 と問題点」『熱帯農業集報』No.15(昭和45年 3月)。堀内孝次 「水稲二期作にいどむKedahに学んで」『東南アジア研究』 9巻 1号 (1971)参照。 546

(15)

[j羽 :水 稲 作農 村パ ダ ンラ ラ ン

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が マ レ- シ ア政 府 に提 出 され , さ らに

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f・ ム ダ河か んが い計 画 とは, ム ダ河とペ ドゥ

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にこ っ のか んがい川u)ダム を

設 し, 二 つ 0'ダムを トンネルで結 び, 乾 期 に ケ ダ- 平野 に 水 を 放 流 して,

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8

年-に は,

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8,

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に訂

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当 りの経 費 は

M$8

0

O で あ る。 現在 の一 期 作 の だい たい の籾 米 年収 鼠は

2

2

9,1

0

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で あ るが, 将 来 の収

危 a

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当 り

5

0

Ogant

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とすれ ば , 二 期 作に よ る親 米 年 間収 量は,

6

5:

3

,

8

0

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とな り,

4

2

4,

7

O

Ot

on

の増 加 が見 込 まれ る。 政 府 の籾 米 の支 持 価

格 1pi

kul

当 り

M$1

6

で計 算 す頼 よ, 二 期 作に よる総 収 量 の価 櫛

よM$

1

1

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,

(

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0

(

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,

(

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(

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)に 粧当す る。21) マ レー シ ア政 府 は この計 画

を1

9

6

5

年 に正 式 に取 り上 げ, r舶 :・1

1

月に

M$1

3

5百

万 の 世銀

款 に成 功 し

,1

9

6

6

年か ら実 施 し

,1

9

6

9

年 に主 要 な工 事は 完工 され たO・12)そ して

,1

9

7

0

2

月か ら ■l マ レ-人'ifJi呈 ⊂コ 中川 人′衷帖

モスク

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ァt1-ル ジ ャングス川 プooれ ¢)濯灘局 (DID),3

場 所 ㊥ pe

ngh

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の 家 し?) マ レ-人中′芋校

(

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賢察 署 (5J 中国人 小 学 校 (

6

)

精 米所 ⑦ 診 療所 ④ 水 門 図

5 Pa

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村略図

21

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の幸腔 i書で用いた換算率は,次の通 りであるo

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a

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もみ 400

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もみ

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もみ 籾米か ら白米への換算 レー ト

6

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1

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o

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22)ダム工事を請負ったのは, 日本の鹿島 ・大成建設会社であ り,北部 と中央の幹線水路工事を請負 ったの

は,スェ-デ ソの

S

e

n

t

a

bLt

d

.

である.

(16)

東l守け ジ ア研 究 9巷 4PJ

3:i,2OOha(83,OOOacre)にか んがい され ,1971年には,52,OOOha(130,0()Oacre)に給 水 さ

れ,1973年 には,二期作予定地 の全 域にか んが い され ることにな っ

い る。 パ ダ ソララ ン村は,そ の東半分に は,197O隼 2月か ら水が供給 され,二 期 作が行 なわれ てい る。西 半分 はか な りの低地 であ るた め,排 水路 が十 分で な く,r十

F

工事

が順調に行 なわれ てい るな らば1972佃か

)Of

fs

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on

か らか んがい され ることに な ってい る。 この

期 作化 の土地 改 良は,村 の

生清

環境 を全 く変 えて しまった01968隼には 水路 はか な り盛 っていた

雨期 の宅 地 の泥 沼C/)光 姑 土姿を消 した。村 と村c

r

)

E

服 )道 路には, ラテ ライ トが

J

机 、らjL, 自動 車の通行 が 日用巨とな った

。乾

期 の水の条件 も変 わ った。 稲 作技術 V)原理 も 根本的に 変 わ ろ うと してい る。 この点,農法 を中心 にその変化 の

実情

につ いて考察 してみ よ う。

l

V

伝 統 的 農 法 まず最初 に伝統的一・期 作の農法につ い て考察 してみ よ う。 大 水依 存の農法 は, 気象, 土地 の高低, 土 壌 な どの

然の条件 に左右 され

立令が高いの 千,画一 性 に乏 しいのが一つ の特徴 であ る。 同 じ村 の中 の農民であ って も,土地 の条件 に よっ て農法 もか な り異 な る。 個人本位t軋思考様式 の強 い マ レー農民 の性 略が,農法をい っそ う多様 化す る一 要 因で もあ る。 --・年 の農 作業は,乾期 の もっと も厳 しい2- 3月には じまる。こiO∼4Ocm もあ る前年度u)棉 の 切株が焼却 され る。 この焼却 も家屋 の近 くで は火災を恐れ て行 なわれ ないか ら, 必ず しも徹

底 した ものではない 。 4- 5月に雨が降 りは じめ ると,lalang (Imperata cylindrica)と呼

ばれ る長 い 雑草が 急速 に 生長す る。 雨が本格的に 降 りは じめ る前に, 農矧 土田の

(baias

tel)i)を鍬 で補修す る。 そ して水が 水 田の中にた ま るのを待つ。 士がやや しめ -,て くると,田

の中 の雑草 と前年 の稲 の 切株 を,柄 の長 いL字 型の大鎌 で刈 る。水が 水 田を浅 く穫 う頃か ら,

水牛 に よる耕 起 (tenggala)が 行 なわれ る。 粘土質 の 土 も柔 らか くな ってい るので, 士 と草

や稲株は深 く混 り合 う。lrelong(-0.71acre-0.28ha)の水 田の耕 起は1朝 (午前7時∼12

時)の労働であ る

通常,耕起

ほ 2

廿行な

れる 。 1964年か ら

国人 の所有す る トラクタ-に よ る耕転 も行 なわれ てい る。196的 斗ニ トラクタ-を

雇い した農家は, パ ダ ソララ ソ村 の115戸中14戸 にす ぎなか ったが,現在 では8割の農家 が トラクターか手押 しの耕 転機で耕転 を行 な ってい る。 この場令,水牛に よるよ りも,時期的 に早 く耕 起で き, また 1relongの耕転 も トラ クターでは3()分余 り,

転機では2時間でで き るとい う利 点があ る。 耕 転機 を農家が購 入 しは じめたのは1969年か らであ り,そ の年 に117戸 の農家 中6戸が購 入 してい る。 緋 起 の後

,雨

の降 り具合に もよるが,

1

週 間後に代掻 き (sisir)が行 なわれ る。 水牛に大 き 548

(17)

Ll調 :水稲 作題村バ グ ン ラ ラ ン

な熊手様の もの をひかせ て, 雑草 と

が 混ぜ られ,水田の中にい くつか U)雑 草:の うね

(

b

ai

as

ka

bar)

が作 られ る。 代掻 きは3- 4日置 きに3- 4回行なオフJLる。 草 の うねは, その度 ごと

にひ っ くりか え され, 腐敗 し, 土 と 混 ざ り合

って

しま う。 最初 の 荒代には 時間がかか り,

lre

l

o

ng

1

日の仕 事であ るが,

2回 l

Jか らは

日で済む。

代掻 きの

上 げに

,Pe

nggi

l

i

ng

と呼ばれ る p- ラ-を 水牛にひかせ て行 な うU)が 従来 0月捗

式 の よ うであ る. この ロー ラ-には 1.5m ぐらいの丸太に 7cm 幅 u)鉄の 断が 7佃差 L込ん

であ るo 通 常. こ′出

土1

回だけ行

われ,

lre

l

ong

当 り

2

- :i時冊の労働であ るれ 最近は

これ を行 なわない農家のほ うが多い。 上記 の よ うに,耕転,代掻 きにかな りの時間がかけ られ る折目よ,雑 隼を-十分す き込む と雑草 防除 に よ く, また土壌 の反転に よる地 力効果に よいためであ ると もし、われ てい る0 5月の

旬にな ると,

f

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-(

i

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Paks

e

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)

が主 に女性に エー)て作 られ る。侮岸寄 F)の低地 で

深の洗い ところでは,現在で も浮 き

苗代 (

t

a

Paks

e

mairaki

t

)

が作 られ る。 田の一

の 土 を盛 り上 げて, バナナの 葉を 3111×1111 ぐらいに敷 き, その上に多 くの刈 り革を しき, さ らに 1.6cm くらいの粘土質 の土 を置 く。そ して種籾 を播 くO 種籾は

2

蟻夜水につけ, さらに

3

日間 日陰にむ しろ状 の ものに広 げて田 き発 芽 させ る。 浮 き

苗代では

発 芽 率 が よいので,1

r

e

l

ong

当 り1.5

gani

ang

(5.61b)の籾 で十分であ るといわれ てい る。 播種 の後,

2

週間 もす

ると 15cm くらいに苗は生長す る。 そ の若 苗を水

1

L

i(

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a

Paks

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de

h)

に仮移植 し, 1カ月後に定植させ る。 る。種籾は上記の よ うに用意 され,1

r

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ng

当 り

2-3gani

ang

の種籾が 用 意 され る。 播種 の後には強い陽 光 を避け, また鳥 に種籾 を食べ られ ない よ うに 隼で覆われ,る。 苗代 の周囲は, ねずみや家鴨 の侵入を防 ぐために竹や金 網で囲む。 定木跡 よ

,

播種後40-50日に行 なわれ る。

Iは,移楯の頃には 70-90cm くらいに生長す る。 実験に よれば, 在来種 の場 合に も, 苗 は こんなに長 くな らない といわれ てい る。23)それは,密集植 えのためか もしれ ない。農民は苗 をひ き抜 き, 甫径 10-15cm の東

(

unt

i

ng)

を作 る。 その時, 薬先を 30cm くらい煎除す る。 どの程度 切るかは,

水m

u)水深に よる。 つ ま り,豪雨 や風 で 情が定植後腐敗 しないためだ 浴, これ は根が定着す る前 に

葉か らの水の蒸発を防 ぐのに も役立 ってい る。

I

l

えは女性 の集

作業であ る。

7

月中旬か ら

9

旬 まで行 なわれ る

。 H

本 U_)ゆいに当た るよ うな共 同作業

(

b

e

r

durau)

もあ るれ

7- 8

年前か ら作業 も早 くて 割安であ るとい う理

由で,女性 集団 (Sharegroup)を雇 う傾 向が 強 くな りつつあ る。 田植 えの時には, 苗 の東が

適当な間隔で 田の畦に二つずつ 置かれ る。 そ して,10名の集団であれば, 2人が 甫運 び (

at

o

r

s

e

ma

i) を して, 田植 えをす るものに適量ずつの苗 を手渡す。 男性 は田植 えに全 く参加 しない

23)西尾敏彦氏による。

(18)

東 南 ア ジ7研 究 9巻4号 が,参 加す るとすれば, 苗運 びの役 をす る。 田植 えには,

kuku kamb

i

ng

と呼ばれ るt射 痘え 棒 が用い られ る。 そのために,探植 えの傾 向があ る。 しか し深植 えは,在来種 の場 合 には収量 とあ ま り関係はない.'34' 稲 株 間はだいたい 33-35cm くらいで,

lre

l

ong

にだいたい 30東 の

が必 要であ る。 田植 えに 要す る労働時間は,水 田の水深や土 の柔 らか さに よってかな り異 な るが,

1

日に

1

()人で,3-5

re

l

o

ng

ftJ.えが 可能であ る。 fH柚え後 の水の調整 は非常 に 重 要であ る. /糾 トJの後に 田の水が 溢/虹CEfTfi'/)、ミ腐敗す る瑚 よ, 1966- 7隼頃 までは しば しば 起 こりた。特 に パ ダソララ ソ瑚酬川の侮岸寄 りの低地では, 8-(J月頃 に

え替 え

(

me

nyul

am)

を行 なわ抽 fな らない ことが多か つた. この時 には 苗を探し て購 入 しなけ′抽 どな らない。 この費用は,苗 1東 M 〆2(),1

re

l

ong

当 り30東を

す るか ら, 1

re

l

o

ng

当 り計 M$6であ る。 これ に運 賃や植 えか えの雇 用費 を含 め ると,

lre

l

o

ng

当 り, M$15はかか る。 だか ら, 農矧

用心 のため残 った苗 を 田の畦わ きに一 列に植 え る。 農民が化学肥料 を使 い 出 した のは1955年頃か らだ といわれ てい る。 しか し,農務局が市価 よ り多少安 くして,化学 肥料 (硫安, ク リスマ ス島 リン鉱粉

,塩

加の配合肥料や尿素)を供給 L

u

-

i

.

した のは1963年か らであ る。1964年に この化学肥料 を用 いていた農家数は,村 の中で3割 で あ る。 これ 以前 には, 近 くの岡で とれ る l【こ うも り

の糞

(

t

ahike

l

awar)

が用 い られ てい た。 しか し,1969年に は全 農家が化学肥料 を

j

削 、てい る。 施肥 は 田植 え前 と田植 え後1回ずつ であ る。 r

l

湘7:え後U)重 要な 作業はねずみ 取 りであ る(,人き

ねずみ を追 う畑 土子供 U)仕 事:で あ る。

1955隼か ら竹で作 ったねずみ取 り (Pe

rangka

pi

i

kus

)

が用い ら′れ 1963年か らは,農務局に

よ り薬 が供給 され, これ を使 用 してい る農家 も少 な くない。 雑 甘苦 は保 水のため にな く,

取 りはほ とん ど行 なわ′行ない。 峠道 の草が刈 られ るだけであ る。 稲 刈 りは11月∼ 2月 に行なわれ る。 これ も女性 叫 上事で あ る。 乾燥 期で,東風が強 い と,在 来種 の稲 は 某が長 く生長す るので, 稲 は横 に倒伏す る。 しか も, 在来種は非常 に脱粒が よ く て,収穫前 に強 い帆 に当た ると田一面に穂 が こぼれ る。 これ は

Indi

c

a の特徴で,収量 の一 割 近 くが こぼjLるそ うで あ る。 こぼ れ種は休眠性 があ ー

て,乾期 明け の雨に按す るまでは発芽 し /71:L、が,

2- 3

月頃雨が降 ると

はそ の発芽 で一

に緑 に覆われ る。 これ は,水牛が力を回復 す るため の最適 の飼料 であ る。 稲刈 りは,稲 の倒伏 のためにか な り困難 な作業であ る。 この労働 の難 易が,土地 の排 水の程 度に よって相 当異 な るので, 田植 えの時 の よ うな 「ゆ い

J

は行 なわれず,ほ とん どが雇 用労働 であ る。 この時期 に東 岸部 の クラ ンタ ン州や タイ種 の/ミクニか ら出稼 ぎ労働者 がや って来 るの が常 であ ったが,1969年 を最後に来 な くな った。1968年か らクラ ンタ ンで裏作 の煙草 が作 られ 24)杉本勝男氏に よる。 550

(19)

口羽 :水稲作農村パ ダ ンララン

るよ うにな った ことと, ケダーでの労働力過剰に もよる。

女性は稲刈 りに 1.5m くらいの稲刈 り鎌

(

1

)

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)

い根か ら 30-40cm く

らいの ところで刈 る。 この長 さは脱 こ くのために便利 な長 さであ る。 女性 は刈 った稲 を束に し

なが ら足 もとに置いて行 く。 この労働 は10人で1日

2-4r

e

l

ong

済 ませ る.

刈 った稲 を直径 25cm くらいに束ね て脱 こ くす るのほ男性 の仕事であ る。 脱 こ くは, 前横

を ござ

(

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i

kar)

で囲 ったおけ

(

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ng)

の中に置かれた小 さなは しごの よ うな もの

(

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anggal

ong)

にたた きつけて行 なわれ る。 稲 の穂 は,在来種の場合には脱粒 が よいので, 3- 4度たたけば 皆 おけの中に落 ち る。 それを袋

(

guni

)

の中 に入jtて, 農道 (峠道)や道 路 まで 運 ぶ の も男 性 の 仕事であ る。 この作業 の支払いは, 耕地面

の 単位であ る

re

l

o

ng

当 りで 計 算 され ない で,袋 の数で計算 され る。 稲刈 りの時に未熟の稲は,その まま残 され る。 これ を再 び取 り, よいのは食用に,悪 い籾 は にわ と りやあひ るの飼料に用い る。 家 に運ばれた籾は, 自然 の凧や手回 L扇風機で風選 され て,余 り乾燥 され ないで

,j

e

l

a

Pang

と呼ばれ る米倉で貯蔵 され る()籾 の乾燥 (

me

nj

e

mo

r)があ まり必 要でないのは, 閏の中 でほ とん ど乾燥 Lて Lま うか らであ るo

V

二期作化に伴 う諸問題 ケダー平野におけ る稲 の二期作化に伴 い上述 の農法は どの よ うに変化 し,そ こに どの よ うな 問題が生 じて くるのであろ うか。 この点について考察 してみ よ う。

図6

が示す よ うに, 一期 作は全 く自然に依存 し, 時間的に 余裕があ る 農作業であ るのに対 し,二期作では,人為的なかんがい排水に大部分依存す るため,厳密 な スケジュ-ルに従 って 農作業が進め られねば な らない。 この変化は,技術的に も農民 の/日和こもか な りの影響 を与 え

2

,

,31 ,41 ,5, ,61 ,7, Jq lti H' 壬I 享子 ,1, ,2, 切株焼き

播種 田植 収稚

:

地価

椎田

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秤捕

地幣

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a川 SeaSOIl

6

一期作

暦(

) 551

(20)

班再 ア ジア研究 9巻4号 る。 農民は, この変化に どの よ うに対応 し, また どの よ うな点に不適応 の状態が見 られ るであ ろ うか。 まず,か んがい排 水につ いて考察 してみ よ う。 ム ダダムU)貯 水最は,全供給 水量の

2

3%

を 占 め るにす ぎない。 つ ま り,

mai

ns

e

as

on

9

月か ら

1

月 まで の問は, 稲 作は主 に 天水に依存 し,乾期 の

Of

fs

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as

on

には, ダムの貯水量 と河川 の水が使 用 され ることに な ってい る。 もし も

mai

ns

e

as

on

の初期 に降雨量 が少 なければ, ダムの 水が使 用 され なければ な らない。 ダム の水 鋸 こは限界があ るので,水は効率 よ く配水 されねば な らない。 この点,農作 業の厳格 なス ケジ ュールを守 らなけ れば な らない とい Et)ことと絡んで,

Of

fs

e

as

on

の 冊 Lと代 掻 き用 水(}) 効率的 配水が 重要な

題 とな る(〕 か んがい排 水局 (以T

DI

D)

では,最小 のか んが

いI

i

仲'/-_とな る水 田剛 也を

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ompar

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呼 んでい る。 この面禾封土約

1mi

l

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'1であ るが, この

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ompar

t

ment

の一方にかん水路, 他方

に排 水路があ って, 水は

1mi

l

e

の間を 田越 しにか んがい され るよ うに な ってい る。 しか し, 取 り入れ られた 用水が

1mi

l

e

先 の水 じ り水 田に まで十//)か んがい され るのに約30口を要す る。 したが -つて

,Of

fs

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on

の耕 転 ・整地期F榔 こは, ス ケジ ュールの上で もか な り余裕 が もたせ て あ る。 ところで,天 水依存 の農業 を行 な -)ていた農民には,

n

分 の水 田の水を確保す る習慣 が あ -)て も,それ を水 じ りの水 田に 回す ことには慣れ ていない.一 カ月 の水利の所 要時間のずれ は,作業 ス ケジ ュールを乱す 要因で もあ る。

1

9

7

0

2

1

日に水が

水 され た時には,降雨 量の少 ない年 で もあ った ので,農民 の間には 所 に よってか な りはげ しい水中 いがあ ー)た よ うであ る

。1

9

71

年には,降雨 読が 多か った ので余 り目立 った 問題はなか った。 そ こで, 配水 ・排 水を迅速にす るたが),幅

2

-3f

e

et

深 さ

1

-2f

e

e

t

の末端 水路を作 るの が望 ま しい と

DI

D

では考 えてい る。 しか

し,

必 要な 水路 の全長は,

1

,

5

0

0mi

l

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に な り

,1

9

6

8

4

月の平均地代

M$

1

,

4

0

(

)pera

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e

では,その 水路 の地代 だけで,

M$

7,

1

6

(

)

,

0

(

)

(

)が必要で あ る。

DI

D

にはそ の用意はないので, 農民 が土地 を提供 しさえすれば 末端 水路 を作 るとい う 姿 勢で, この土地 問題 を郡役所 に任 してい る

。郡

役所 では,す でに多 くの零

農民が道路や 水 路 の造 築に土地 を失 った ので, これ 以上 の刺激 を農民に与 え ることを恐jl′て, この問題には触 れ ない ままでい る。 また,二 期 作には生 育期閥が短 く,耐肥性 の強 い

品種

が必 要であ る。 日本人が第

2

次大

戦中

試みた二 期作 品種 の台湾米 は,粘着性 が強 くて, 農民 の曙 好に合 わない。そ こで,在来種 の味 に似た品種 が作 られねば な らない。在来種には,中生 と晩 生があ り

,生育期

「制

£5- 8

カ月の ものであ る。 しか し,在来種 の生育期問で

題に な るのは,そ の感

(

phot

os

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ns

i

t

i

vi

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y)

であ る。 つ ま り,一定 の時期 にな らない と幼穂 しない。幼穂 時は

1

1

1

∼ 7

日, 出穂時は

11

2

:

川 ∼:

洲 十

1

酎 即鉦も

1

2

2

3日∼:

lく

F

)

いである o Lたが -,て,二期作には,いつで も栽 552

(21)

口羽 :水稲作頗村バ グンララン 培 の可 能 な無感 光性 品種 が 必 要 とな る。 そ こで, マ レ- シ アで 日本人技 術 者 の協 力 で 作 られ た 改 良 晶種 が 次 の

Ri

a

を除 く新 晶種 で あ る。25) 改 良 品種 生育 期 間 収 量 (

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a

nt

ang/ac

r

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) 米 質 脱 粒 改 良年

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1

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3

5

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良 困難

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Bahag

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)

優 容

1

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6

8

Ma

l

i

nj

a

は脱 粒性 が悪 く, 農 民 は 農作 業上 あ ま り好 まないO

Mahs

ur

i

Lにい もち病 に弱い 。

Ri

a

は精 米 時 に くだけ 米 が 多 い ので,

段 が安 い。

Baha

gi

a旧 f

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く倒伏 しや す い. こ の よ ,>)な lTlJI種 の改 良 が現在 で も継続 して行 なj)凡 て い る。 さて, 次に 農 作業 につ い てみ る と, 一 期 作 か ら二 期 作 に変 わ って変 化 す る ものは 整地 の期 間 で あ る。耕 転 は もっぱ ら手 押 しの耕 転 機 と トラ クタ ーに よるのが ほ とん どで, 水 牛で は 代 掻 き と

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のみ が行 なわれ る よ うに な った . しか も代 掻 きの 回数 も

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可どま りとな り つ つ あ る。 一 期 作 の時 の よ うに あ ま り時 間 がか け られ ない よ うに な って きて い る。 この よ うな こ とれ 稲 の 切株 の処 分 を不 十分 な ものに 1∴ 田植 え の 作業 が 困難 で あ る と農 民 は 訴 え て いた。 また, 田植 えに は 閏柿 え棒 が 用 い られ , 深 植 え の傾 向が あ る杭 こj吊よ新 品種 に と って収 量 の点か らあ ま り望 ま し くない。 また, あ る程 度 の据楠 が よい といわれ るが , 農民 は在 来 種 と同 じ

陶 で植 え て い る。 田

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深 も相 変 わ らず 深 い

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か ら田植 え棒 は, か ん排 水 の状 態 が さ らに よ くな る まで は使 用 され るで あ ろ う。 肥 料 は ほ とん ど農 務局 の奨 励 す る化 学 肥 料 (前 出)

)肌 、ら31., 田植 え後

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同 に用い られ て い るが ,深 水 田で どの程 度 の増 収 の効 果 を持 つ ものか , 農家 条件 で はや や 疑 問 が あ る。 この点, 農 民 はか ん が い排 水 の水操 作 に慣 れ てお らず , 雨水 の不足 に よる危 険 性 を避 け るた め, 常 に 深 水に してお く

田が あ る。

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の作 業 員が排 水 口を聞 い て も, また再 ぐに そ れ を閉 じて しま う。 した が って

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の収 穫 時 は雨 期 で もあ り,収 穫 作業 が 困難 とな る。 特 に この時 期 に は成 熟 した稲穂 が倒伏 して 水に ひ た り, 腐 敗 す る危 険 性 もで て くる。 そ こで , 急 い で刈 り入 れ を 済 ませ よ うと農 民 は あせ るので,労 働 力 が一 時 的 に著 し く不 足 す る。 さ らに

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の収穫 は

期 で あ るか ら籾 の 水分 が 多 く, これ は 乾燥 させ る必 要が あ る。 5日間 も放 催 してお くと,経 済価 値 は 著 し く減少 す る と

う 。 この 点 の解 決策 と して, 農業 親 令 に よる乾 燥 施 設 と運 送 の 便宜 が政 府 に よ -)て後述 の よ うに 考 え られ て い る。 収 量に つ い て は,農民 の

接 調査 か ら正 確 な ことを知 る こ とは 困 難 で あ る。

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当 りU)籾 米 収嵐 の 目標 を

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に 置 い て い る。 ム ダ計

画地 域 で も,約

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分 の 1に硫 酸 酸性 土 壌 の分 布地 域 が あ り

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書 の著 しい地 域 で は ,

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25) ケダー州農務局 の資料か ら。

図 2 雨F I 3 l ̲ ‑ と気 温 (1 959 ‑68) 降雨 口数 は年 に よってか な り不規 則で
表 2 Suml l l a r yO fRa i n f a l lf r om J a nua r y1 9 5 9t oDe c e mb e r1 9 6 8( Al o rJ a nggus ) Ye a r J AN FED MAR APR MAY J UN J UL AUG SEPT OCT NOV DEC 1 9 5 9 1 9 6 0 1 9 6 1 1 9 6 2 1 9 6 3 1 9 6 4 1 9 6 5 1 9 6 6 1 9 6 7 1 9 6 8 Av e r a g e 1
表 3 Me anTe mpe r a t ur e( c e nt i gr a de )f r om J a nua r y 1 95 9t oDe c e mbe r1 96 8 Al o rSt a rAe r o dr ome( Ke pal aBat a s )

参照

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