著者 三富 紀敬
雑誌名 静岡大学経済研究
巻 2
号 2
ページ 31‑55
発行年 1997‑09‑16
出版者 静岡大学人文学部
URL http://doi.org/10.14945/00000644
論 説
バー ミンガム市のウォーター・ エ ッジ計画
三 富 紀 敬
は じめに
イギ リスのバー ミンガム市は、運河 の街である。市内を流れる運河 は、37マイル (約
59。
2キ ロ)の長 さにのぼる。 これは、イタ リア北東部の港街ベニスを流れる運河よ り数マイル長い。バー ミンガム市には、大小8本の運河が流れている。 いずれ も150‑200年の歴史 をもつ。完 成年次の古 い順 に紹介すると、バー ミンガム運河ナ ビゲーション (BCN)オール ド・ メイ ン・ ラ イ ン
(01d Main Line、
1767年法によ り1769年に完成)をは じめ同バーミンガム・ ファズ リー運 河(Birmingharn and Fazeley Canal、
1783年法 によ り1789年に完成)、 ワーウイ ック・ バー ミ ンガム運河(Warwick and Bl.11.ingham Canal、
1793年法 によ り1799年に完成)、 ウォーセス ター・バー ミンガム運河(Worcester and Birmingham Canal、
1791年法によ り1815年に完成)、ス トラッ ドフォー ド・アポン・エイボン運河
(Stradford―
upon― Avon、1773、
1775及び1799年の 各法によ り1816年に完成)、 バー ミンガム運河ナ ビゲーション 0ニ ュー・ メイ ン・ ライン (1824 年法によ り1837年に完成)、 同テーム・バ レー運河(Tame Va■ ey Canal、
1839年法 によ り1844 年 に完成)、 バー ミンガム・ ワー ウイ ック・ ジ ャンクシ ョン運河 (Birmingham and WarwickJancuOn canal、
1840年法によ り1844年に完成)、 以上の8つの運河である。運河 の開設は、バー ミンガムの産業活動 に大 きな影響 をおよばした。2つの ことを指摘できよ う。その一つは、輸送コス トの大幅な削減である。石炭は、運河の開かれる以前にはもっぱら馬 車を利用 した道路輸送 によって行なわれていた。石炭は、 この方法のもとで トン当 り75ペンス か ら90ベンスの卸売 り価格で売買されていた (1769年 11月)。 バーミンガムに最初の運河が引 かれると、 この価格は、従前の27‑28%にあたる トン当 り20ペンスにまで低下す る (1770年
5
月)。 いまひ とつ は、イギ リスの主要な都市 との運河 による往来である。バー ミンガムは、 リ ヴァプールやブ リス トル、オ ックスフォー ドや ロン ドンな どの代表的な都市 と運河 を通 して結ば れ、都市間の往来が著 しく容易になったのである。
運河 の利用 による石炭の輸送は、20世紀 に入っても続 け られる。 しか しそれは、戦後の 1966 年 に終止符 を打たれる。バー ミンガムにおける運河の時代の終 りである。かな りの数の運河は、
そ うした時代の流れの中で1968年まで に公式に放棄 される。 しか も、 この年 に成立 した運輸法
(The Transport Act)は
、バー ミンガム・ファズ リー運河 をクルージング用の水路 として位置づけ 法的な保護の対象 とした ものの、他の7本の運河 については 「残 りもの」 と区分 して法的な保護 か らはず している。運河の放棄 を法的に追認 したものである。運河 は、 こうした 中で人々か ら忘れ去 られるとともに、「うす汚れた危険な場所」
(dark and
unsafe places)と して さえ見な され るのである。バー ミンガムの歴史に詳 しいC・ チ ン(Carl
Chinn、 バー ミンガム大学史学部)は、 こうした状況を「運河の川面には大や猫の死骸が浮かび、
使い古 るされたタイヤや 自動車の部品あるいは他の廃物が投げすて られていた」 と述べている。
運河がバー ミンガムの産業活動を支える施設か ら廃物の場所 に転 じた背景には、鉄道の発展が ある。1830年には、世界で最初の主要路線である リパプール ーマ ンチェスター間の路線が開通 し、 これ以降、鉄道 による輸送が大幅 に増えていく。運河がバー ミンガム とロン ドン、 リヴァ プール、ブリス トルな どの都市 とをかつて結んだように、鉄道がバー ミンガム と他の都市 とを結 びつけて両者の産業上の連関を緊密化 させるのである。 しかも、運河が馬車による輸送にとって 代ったように、今度は、鉄道が運河 に代って主要な輸送手段 としてその地位 を確立するのである。
運河 を見直 してその効用 を産業や社会 に生かそ うという動きは、よ うや く1982年に始 まる。
運河改善計画 (CIP)がこの年に開始 される。計画に要する資金は、バー ミンガム市議会 (BCC) をは じめ環境省
(DE)、
イギ リス水路評議会 (BWB)それ にウェス ト・ ミッ ドラン ド州議会(WMCC)によって拠出される。600万ポ ン ドを超す資金が、バー ミンガムの運河の改修 と美化 に充て られ、14マイル (約22.5キ ロ)におよぶ歩道が運河 によって新 しく整備 される (1982‑
92年)。 この計画は、運河がかって担 ってきた産業上の効用 に注 目したわけではない。歩道の新 設か らうかがえるように余暇や レクリェーションのための施設 としての運河 に注 目した計画であ る。 この計画は、長い問無視 され忘れ去 られてきた運河にふたたび 目をむけ、その効用 に注 目し た点で、重要である。
本稿で扱 うウォーター・エ ッジ計画 (建設契約は93年9月 6日)は、バー ミンガムで82年か ら始め られた運河 の見直 しの動 きの延長線上にある、ウォーター・エ ッジ計画は、余暇や レク
リェーションのための施設 としての運河 に着 目す ることにもとよ りとどまらない。小売 り店舗等 の複合施設の整備 に当って運河 を積極的に位置づけ、 これによってバーミンガムの産業活動を活 発化 し雇用の創出に結びつけようとするところに、 この計画のす ぐれて積極的な内容 をみること ができる。
以下では、ウォーター・ エッジ計画の背景をは じめ他地域 における運河利用の経験 との関連及 び計画の内容 と進捗状況な らびに効果 について、順に述べてみたい。
1。 ウォーター・ エ ツジ計画の背景
1‑1 バー ミンガム市の経済的な低滞 と雇用の縮減
ウォーター・ エ ッジ計画は、バー ミンガム市 における経済の低滞 と雇用の縮減をぬきには考え られない。市当局は、イギ リスは もとよ リウェス ト・ ミッ ドラン ド地方の中で も目立った経済の 低滞 と雇用の縮減 に直面 して、地域経済 の振興 とこれによる雇用の創出を迫 られ、ウォーター・
エ ッジ計画の策定 と実施に乗 り出したのである。
バーミンガム市は、最近でもイギ リスを代表す る工業集積都市である。 これを粗付加価値額の 都市別比較でみる と、バー ミンガム市21億 500万ポ ン ド、 リーズ市13億3,800万 ポ ン ド、コ ヴェン トリー市13億1,100万 ポ ン ド、グラスゴー市11億2,400万 ポ ン ド、ブラッ ドフオー ド市 9 億 3,300万 ポ ン ド、シエフイール ド市8億5,100万ポ ン ド、マ ンチェスター市7億5,700万 ポ ン
ド、エジンバラ市7億2,500万 ポ ン ドな どである。 (91年)。 工業集積度の高さは、製造業就業者 の都市別比較か らも読み取 る ことができる。バー ミンガム市の製造業就業者は、およそ12万 8,000人 である (91年)。 これ に次 いで多いのは、 リーズ市である。多いとはいつてもおよそ6万 人である。他のコヴェン トリー市、グラスゴー市、ブラッ ドフオー ド市、シェフイール ド市、マ ンチェスター市な どの諸都市は、さらに少ない。4万人を前後する製造業就業者である。バー ミ ンガム市における工業集積度の著 しい高さは、 これ らの2つの指標か ら充分にうかが うことがで きる。
しか し、バー ミンガム市の製造業を別の角度か らみると、その低滞状況について指摘 しないわ けにはいかない。 ここでは、4つの指標 をあげておきたい。
(1)製造業粗付加価値額の年平均伸び率 (1986‑91年)
バー ミンガム市 における伸びは、 この期間 にマイナス0.5%である。近隣の自治体 にお ける伸 びは同 じ期間内に、コベ ン トリー市9。
4%、
ダ ドリー市6.6%、
サ ン ドウエル市3.8%、
ウオルサル市5。3%などのように、いずれもプラスの数値である。
(2)製 造業粗付加価値額の年平均伸び率 (1985‑92年)一ヨーロッパ諸都市との比較―
バーミンガム市における伸び率は、1.1%で ある。これは、①年2‑4%の伸びを示すミラノ、
リスボン、シュ トットガル ト、ボローニャ、ローマ、カーディフの諸都市、②同じく4‑5%を記 録するマ ドリッド、ロッテルダム、バルセロナの各都市、③7%以上を誇るダブリンなどに遠く およばない。
(3)資本投資と労働者一人当りの粗付加価値額の伸び (1979卜釧 年)
製造業における新規の投資は、1979‑91年の期間に対前年比でマイナスを記録する。82年と 89年の2カ 年についてのみプラスで推移したものの、79‑91年の期間全体のマイナス基調をく つがえすに足るものではない。労働者一人当りの粗付加価値額は、同じ期間に一貫してマイナス である。 しかも、対前年比で2桁台のマイナスである。これは、イギリスの平均的な伸び率より もかなり悪い結果である。
(4)企業の流入・流出件数 (1988‑90年)
バーミンガム市に新しく流入した企業は、231社である。 これとは逆に流出した企業は286社 である。55社の流出超過である。
資本のこうした動きは、雇用・就業の水準や形態に連動する.このうち雇用の水準について述 べてみよう。表 1は 、バーミンガム市の1981‑91年の期間における雇用者の推移を業種別に示
表1 パ ー ミンガム市の雇用者の推移 (1981‑91年)
(人)
実 数 推 移
(%)
1981‐
914F
1981̀手 1984̀│ 1991̀手
1.バ
ー ミンガム市エネルギー
0水
供給業(A) 製 造 業(B) サ ー ビ ス 業(C)
5,955
197,947 303,438△
4,639△
161,569 307,7444,847
△
127,516 331,83781.4 64.4 109,4
計 (D) 507,340△
473,952△
464,2002.ワ
エス ト・ ミッ ドラン ド地方 エネルギー・水供給業(A) 製 造 業(B) サ ー ビ ス 業(c)
54,803 798,310
1,145,618
△
47,123△
709,1761,194,513
△
32,613△
618,8001,356,262
59.5 77.5 118.4
討 (D
1,998,731 △
1,950,8122,007,675 100.4
3.イ千 リス宝体
エネルギー・水供給業(A) 製 造 業(B)
サ ー ビ ス 業
(C)
695,399
5,453,461 14,186,813
△
603,403△
5,326,64214,567,573
△
425,269△
4,573,62416,280,037
61.2 83.9 114.8 計 (D
20,335,673 20,497,618 21,278,930104.6
篠 罫 り
臀諦蹴 ゝ 哭撃』 繰涎電ピ 遅 Tentであ る 。 バ ーミン ガ ム 市 経 済開 発 部
す とともに、ウェス ト・ ミッ ドラン ド地方な らびにイギ リス全体のそれ と比較 した ものである。
雇用者の減少は、この期間にバー ミンガム市 についてのみ記録される。その主な要因は、表のよ うに製造業雇用者の大幅な減少である。製造業雇用者の減少は、バーミンガム市以外で も確認さ れるものの、その幅は相対的に小さい。バー ミンガム市における減少の大きさをかえって際立た せる観 さえある。
バー ミンガム市における雇用者の推移 は、都心部 と郊外 とでやや対照的である。表2は、雇用 者の都心/部外別の推移 を確かめるために作成 した ものである。雇用者は、 これ によると都心部 においておよそ1万9,000人 、比率 に して7.4%の減少である。他方、郊外では、9,000人 以上、
比率 にして4。2%の増加である。両者のちがいは、次 の事実 に由来する。すなわち、都心部 にお ける製造業雇用者の大きな減少、な らびに同 じくサー ビス業雇用者のわずかな増加、 これ らであ る。製造業雇用者の4人に1人強は、都 表
2
パーミンガム市の雇用者の都心部/郊外別推移 (1984‑91年) ′ぃ部か ら姿を消 している。製造業雇用者 実 数 (人)
推 (%) 移
84‐
91年 1984
ιF 1991年
1.都
心部エネルギー・水供給業(A) 製 造 業(B)
建 設 業(C)
サ ー ビ ス 業
(D)
運 輸 通 信 業(a)
小 売 ・ 卸 売 業(b)
旅行・余暇サービス業(c)
金 融 業(d)
他の民間サー ビス業
(e)
公的・介護サー ビス(f)
2,708 87,207 9,948 155,654
18,651
33,273 11,186 30,7326,271
55,5412,928
△
64,508△
8,745 160,494 19,008△
28,349△
10,317 38,770△
4,802 59,248108.1 74.0 87.9 103.1 101.9 85.2 92.2 126.2 76.6 106.7
計 (E) 255,517△
236,67592.6
エネルギー・ 水供給業(A) 製 造 業(B)
建 設 業
(C)
サ ー ビ ス 業
(D)
運 輸 通 信 業 (a) 小 売 0卸 売 業(b)
旅行・余暇サービス業 (c) 金 融 業
(d)
他の民間サー ビス業
(e)
公的・介護サー ビス(f)
2.郊1,931
74,362 8,806 133,348 6,858 23,902 12,793 20,706 6,404 62,685∠ ゝ
1,919△
63,008△
8,731 153,867 8,096 27,989 15,758 23,880△
6,187 71,95799.4 84.7 99.2 115.4 118.1 117.1 123.2
115。3
96.6 114.8 E
218,447 227,525104.2 (資
粉 曇撃ダ努1馳署畠晃獣マ議長罪JЫtteぶ
獣乳情報 をもとに作成。
は、郊外で も減少 しているものの、それ も6‑7人に1人の割合であ りやや軽微 な減 り方である。両者における対照的な 動きは、サー ビス業雇用者 について も指 摘される。すなわち、サー ビス業雇用者 は、都心部でも増えてはいるものの、わ ずか に3。1の%伸び にす ぎな い。他方、
郊外における伸びは、
15。
4%である。雇用者の減少は、 こうしてみるとバー ミンガム市のすべての地区でお しなべて 問題であるというよ りも、む しろ都心部 で こそ深刻であるということができる。
バーミンガム市の登録失業率は、1960 年 代 の 中 葉 に は2%に さ え満 た な い
(1966年)。 完全雇用 の状態 にあった と いってよかろう。 しか し、81年には
21
%にまで上昇す る。登録失業率は、郊外 よ りも都心部で相対的に高い。後者の一
角にあるジ ョブ・ セ ンター (公共職業安定所)では、30%を超す登録失業率 も記録 されている。
労働力人 口のおよそ3人に1人は、失業者 としてジ ョブ・セ ンターに登録された ことになる。
バー ミンガム市の登録失業率は、イギ リスの平均はもとよ リウェス ト
0ミ
ッ ドラン ド地方のそ れ に較べて も目立って高い。9o年代初頭の計数 をもって示す と、順 に18.7%、 11.9%、
15.8%で ある (92年12月
)、 これには「求職活動をあきらめた者」(discouraged workers)、
すわわち失業 は しているけれ ども求職活動をお こなわずジョブ・ セ ンターに登録 していない者は、もとよ り含 まれない。実際の失業率は、 これを含めるとさらに高 くなるであろう。ともあれバーミンガム市 の登録失業率は、イギ リスの平均よ り50%以上、ウェス ト・ ミッ ドラン ド地方のそれに較べて も20%近く高い。
著 しく高い登録失業率は、バー ミンガム市の経済発展計画担当者 も公式に認めたように低い生 活水準 と生活必需品の欠乏状態
(dep五
vatiOn)の 引き金である。およそ2人に1人の市民は、貧 困の脅威 にさらされているといわれる。市の経済発展計画担 当者の評価である。バーミンガム市 は、 こうした窮状 に直面 した ことか ら地域の経済的な基盤をた しかなものにして雇用を創出する ための計画策定 とその実施 とを緊急 に迫 られたのである。1‑2 ナショナル展示センター (NEC)などの成功
ウォーター・ェ ッジ計画のいまひとつの背景は、ナショナル展示セ ンター (NEC)などの建設 とその成功である。ナショナル展示セ ンターや国際コンベ ンション・センター (ICC)、 ナショナ ル屋内競技場 (NIA)などの相次 ぐ建設は、バー ミンガム市への集客効果を当初の計画通 りに高 めて、雇用の継続的な創出にしながっている。ウォーター・エッジ計画は、こうした成功事例を よ り所 に策定 され実施 に移 されている。ナショナル展示セ ンターなどが集客や雇用創出の効果を どのように発揮 したか、その概要を示す と次のようである。
(1)ナショナル展示センター (NEC)
セ ンターの開設は、20年ほど前の1976年2月 である。ホールは、 この当時 としては桁ちがい に広 い (8万 9,000平 方メー トル)。 イギ リスにおける展示会場の広 さは、 このセ ンターによって 一挙 に倍化 したとさえいわれる。ホールの広 さは、その後89年と93年にさらに広げられる。89 年にはつ ごうに12万5,000平 方 メー トル、93年には同 じく15万8,000平 方 メー トルの広 さであ る。76年の開設が数えるとほぼ倍加 された広 さである。イギ リスで開かれた展示会の半分近 く
(42%)は、 このセ ンターを会場 にしたものである (92年)。 ヨー ロッパの レベルでももっとも広 い展示場 (上位10会場)のひ とつに数え られる。
セ ンター を利用す る展示会 は、
76年の時点 で
36回、参加企 業
9万7,000社、参加者
140万人 で ある。 これ は、
95年につ いて み る と展示 回数
140回、参加企 業
3万8,000社、参加者
410万人 で ある。 ヨー ロッパ の中で、有数 の広 さを誇 るだ けでな くもっ とも盛況 なセ ンターのひ とつで あ る。
セ ンターは、バー ミンガム市 を含 む ウェス ト・ ミッ ドラン ド地方 にどのよ うな経済効果 をもた らして いるで あろ うか。
80年代 末葉 にお こなわれ た推 計作 業 によ る と、著 しく大 きな経済効 果 で あ る。
2億ポ ン ド以 上 の所 得 と フル タイ ム に換 算 して
1万 1,000人分 ほ どの雇 用 を ウ ェス ト し ミッ ドラン ド地方で創 出 して いる
(89年)。また
91‑92年の会計年度 をとると、
5億1,500万ポ ン ドの所得 をもた らし、バー ミンガム市 の税収 に限 って も
260万ポ ン ドの貢献 を して いる。 さ ら に、 ウェス ト・ ミッ ドラン ド地方 の旅行 業 の収入 は
5億2,800万ポ ン ド
(94年)である。 この う ちのか な りの部分 は、セ ンターでお こなわれ る展示 か ら生 じて いる。所得 、税収及び雇用 の いず れ の面で も大 きな効果 をあげて いる といえよ う。
(2)国際 コンベ ンション・ センター
(ICC)
開設 は91年4月 である。1億8,000万 ポ ン ドがセ ンターの建設 に投 じられ、そのうちの
3,700
万ポ ン ドは、ヨー ロッパ連合 (EU)の地域開発基金 (RDF)によって賄かなわれた ものである。セ ンターは、前述のナショナル展示セ ンター とバーミンガム商工会議所 (BCIC)の両者 によって 管理 され運営される。メイ ンホールは、1,600席 を設 え、会議用 に設計されている。いまひ とつ のホール (シンホニー・ ホール)は、交響楽団を招 いての演奏会用 に設けられている。2,200席 を用意 している。イギ リスで最上級のホールであると各方面か ら称賛 されている。バーミンガム 市交響楽団の演奏会場で もある。 このほかに3,000平方 メー トルの広 さのホールが設 け られて、
そ こに最大で3,500人を収容す ることができる。いまひ とつのホールは、1,100人 を収容 して会 議や食事の場所 として利用する ことができる。 これ らの他 に15‑350人を収容するホール と会議 室 もいくつか備え られている。
セ ンターで催 された各種のイベ ン トは、91年4月 か ら5年間に 2,000件 を超す。 この中には、
ヨー ロッパ各国の政府代表を集めたヨー ロッパ・サ ミッ ト、西ヨー ロッパ
27カ
国の外務大臣と防 衛大臣を集めた西 ヨーロッパ会議 (いずれ も92年)あるいはイギ リス経営者連盟 (CBI)の全国 総会 (94年)などが含 まれる。各年 とも10万人を超す人々が これ らのイベ ン トに参加す るため に、セ ンターに足を運んでいる。 さらに、各年 ともおよそ35万の人々がシンホニール・ ホール に足を運んで交響楽団の演奏に耳を傾けている。セ ンターの来訪者 は、当然の ことなが らお金 を落 として いく。年間1億2,000万 ポ ン ドがウェ
ス ト・ ミッ ドラン ド地方に落 とされている。セ ンターでは、300人を超す職員を直接に雇 ってい る。バー ミンガム市 に拠点 を置 く会社 には、年間4,000万ポ ン ドの受注がな される。 さ らに、
ウェス ト・ ミッ ドラン ド地方の会社 にも同 じく4,500万ポ ン ドの受注がなされている。 ウェス ト・ ミッ ドラン ド地方のサー ビス業 におけるおよそ 4,000人 分の雇用は、セ ンターの事業によっ て支え られている。
(3)ナショナル屋内競技場
(N:A)
この屋内競技場は、89年4月 に着工され、翌々年の91年10月 に開設 された施設である。国際 コンベ ンション・ セ ンター とともにバー ミンガム市の中心街の一角にある。イギ リスの主な屋内 スポーツセ ンターは、バー ミンガム市のナショナル屋内競技場の開設以前には、シュロプシャー 市のいかにも古 い格納庫だけであった。バー ミンガム市のそれは、 こうした ことか らイギ リスで はじめての本格的な屋内競技場である。1億 8,000万ポ ン ドが建設 に投 じられている。 この うち の5,000万 ポ ン ドは、ヨー ロッパ連合の地域開発基金か ら拠出されている。2万9,000平 方フィー トの建物か らな り、8,000の 固定席を設える。最大で1万2,000人 の席を用意することができる。
スポーツ競技はもとよ り室内の催事や コンサー トにも利用されている。バーミンガム市スポーツ 評議会 (BSc)は、年 に少な くとも 100日 のスポーツ行事 を催 さなければな らない、と屋内競技 場の建設に当って見積 っている。施設の開始か ら
21ヵ
月間の来訪者は、HO万人を超す。来訪者 はその後増え、年におよそ75万人を記録する。(4)バーミンガム国際空港
(B:A)
飛行機 による輸送がバー ミンガム市の産業の現在 と将来に明るい見通 しを与えるであろうこと は、すでに1928年当時の経営者や行政当局によって認め られて いた。ェルム ドン飛行場の開設 は、それか ら
H年
をへた1939年であるも しか し、戦後の1970年代 に至って も規模の小さい飛 行場のままであった。バー ミンガム国際空港の開設は、1984年である。91年には第2旅客 ター ミナルが開設 される。6,000万 ポ ン ドを投 じて完成 した施設である。旅客は、空港開設時の83年 に150万人であった ものが、10年後 の93年には倍以上の400万人に増えている。ヨー ロッパの すべての主要都市 と結 ばれるだけでな く、ニュー ョークに向けたサービスも、最近はじめ られた ところである。バー ミンガム国際空港のもつ利便性のひとつは、空港と5本の高速道路 との隣接 である。イギ リス消費者協会(BCA)は「イギ リスで最良の空港である」と高い評価 を与えている。ここを利用する旅客数は、2000年には倍化 して年間8,000万 人を超すであろう、と予測されて いる。事態が この予測にそって進むな らば、新 しく5,000人 の労働者が空港で仕事に就 くことに なる。 これは、空港ですでに働 いている4,500人の労働者な らびに空港 と間接的にかかわって働
いている2,000人の労働者に追加される数である (93年)。
以上 に紹介 した諸施設は、バー ミンガム市への来訪者 を増やす ことに貢献することになった。
ウォーター・エ ッジ計画は、こうした実績に促がされて策定 され実施 に移 されたのである。
2.他地域における運河利用の経験 と教訓
2‑1 運河利用による都市の活性化 (1)一イギ リス国内の場←
運河 を利用する都市の再開発あるいは地域の再活性化は、ひ とリウォーター・ エ ッジ計画 にと どま らな い。それ は、イギ リス国内は もとよ り欧米諸国で も試み られて いる。世界運河会議 (WCC、 96年
6月
26‑28日、 於バー ミンガム)に おける次の報告は、運河利用による都市の再開 発の広が りについて指摘 していて興味深い。「…殆ん どの運河は、その隆盛期を過ぎて以降、都市で も農村部で も見捨て られてきた。 これ らの忘れ去 られた運河が、地域の再生の重要な手がか りになるという反省の始ったのは最近の こ とである。」「運河の役割が都市の再開発の上で認め られるのは、最近 10年 のことであるように思 う」(ジョン・ニ コラス、イギ リス中部開発会社BCDC)、 「水辺の再生計画は、イギ リスと他の 国々にお ける実 に多 くの都市 の再活性化戦略の中で ます ます重要な役割 を演 じて いる」(ジェ ラール
0カ
リー・ エルウィス、イギ リス都市再生協会、BURA)。そ こで、ウォーター・エッジ計画の内容 と効果 を確かめるに先立って、イギ リスの内外で試み られた運河利用 による都市再開発の諸例 について、簡単にで もふ り返っておきたい。
運河 の利用形態 は区々である。イギ リス国内の事例 に即 してみると、およそ4つに区分するこ とができる。第 1に 、 自然環境 についての教育の場所 としての利用である。運河は、格好の教材 である。第2に、余暇活動のための利用である。運河沿いの歩道
(引
き船道)を利用 した散策で ある。カナル・ ウォーク(canal walks)と
呼ばれる。また、小型の船舶を利用 しての余暇 も含 ま れる。第3に、運河沿いに住宅を建てて独 自の景観 を利用することである。最後に、運河沿いに ショッピングセ ンターやオフィスを建設 して独 自の景観を積極的に利用することである。っ運河 の利用形態は、 このように区々であるとはいえ、その 目的は共通する。運河 を都市の再開 発 に独 自に位置づけることである。 これ によって地域の定住人 口や集客 を増や し都市の経済活動 を活性化 させることである。
各地の事例 をいくつか紹介 しよう。
(1)ウェス ト・ ミッ ドラン ド行政庁 (WMGC)運河 を基盤にする再生戦略
この戦略は、ミッ ドラン ドとサウス・ ウェス トの両地方 にまたが り、ウェス ト・ ミッ ドラン ド 行政庁 によって管轄 される地域の運河の再生を目的にする。運河 というかけがえのない資源の再 生を通 して、広い地域の再活性化 を促がそ うとするものである。 この地域の運河の うち農村部の それは、歴史的に高い価値 をもつばか りでな く、今 日で もす ぐれた眺望を誇 り実に魅力あふれる 姿 をとどめている。 しか し、都市部の運河の多 くは、ご多分にもれず これ といった魅力をとどめ ていない。ぃくつかの運河は、放棄 された状態 にある。運河の潜在的な価値は、都市部では殆ん ど顧み られることもな く、都市景観の異端児 としてさえみ られている。
戦略 は、運河 を利用 した旅行 とで もい うべ きウォー ター ウェイ・ ツー リズム
(waterwa.ys
tou●sm)の発展 をね らっている。年に40万人以上の来訪者が、小型の船舶を利用 して この地域 を往来すると推計される。加えて 3,900万 人の旅行者が運河の引き船道 を利用 して余暇を楽 しむ ことになろう、と推計される。 このうちの250万人は、魚釣 りを目的にする人々である。 これに 伴って地域 に流れるお金は、8,500万 ポ ン ドにのぼる。 フルタイムに換算 して 3,400人 分 を超す 雇用が維持 されることになる。旅行者が地域 に落すお金がさらに20%増えると、雇用 も600人分 追加 される見通 しである。戦略の効果が このように見込 まれるだけに、その実施が期待 されるところである。
(2)グロスター・ ドックの新 しい利用計画
ブ リティッシュ 0ウ ォーターウェイ (BW)は、イギ リス南西部のグロスターシャー州の首都 グロス ター市 に、25棟の建物 を保有 して いた。88年当時の ことである。 この建物 を風雨か ら 守って維持するためだけで さえ も、当時 のお金で500万ポ ン ド以上を要する代物である。ブ リ ティッシュ・ウォーターウェイは、グロスター市な どの援助 も得て、25棟の建物を含む ドックの 再利用 について検討を始めた。その結果、次のような計画がまとめ られ、90年 代に入って実施に 移 されている。第 1に 、 ドックの北部に位置する倉庫群は、グロスター市に100万ポ ン ドで長期 に賃貸 される。市は、300万ポ ン ドをかけて倉庫群の改修 を行 うことになっている。第2に、ブ リテ ィッシュ・ ウォーターウェイは、 ドックの南部 にナショナル運河博物館 (NWM)を建てて、
そ こに収蔵品を展示する。 これには、300万ポ ン ドが投ぜ られる。荒れるに任 されてきた ドック は、前述の措置 とあわせて一新 される。第3に、20店舗か らなるショッピング・セ ンターが新 し く建設される。第4に、オール ド・ ドックマスター・ハウス (oDH)を改修 して1万平方 フィー トの広 さをもつ事務所を建てる。 さらに、州裁判所の庁舎と賃貸用の事務所を新 しく建設する。
これ らの うちショッピング・ セ ンターの20店舗 は、景気のお もわ しくない時期であるにもか
かわ らず94年までに完売されている。賃貸物件か らの収入 も大きい。年に50万ポ ン ドを超す収 入が、ブ リティッシュ・ ウォーターウェイに安定的に確保 されている。ナシ ョナル運河博物館 に は、イギ リス国内はもとよ リアメリカか らの来訪者 もみ られる。
(3)リーズ市水辺利用計画
リーズ市の水辺利用計画は、英国鉄道 (BR)のシティー・セ ンター駅 に沿 う地域の再開発 に始 まる。荒れるに任 されてきた建物の復旧と新 しいビルの建造 とが組み合わされ、駅舎のアーチ道 沿 いのクラフ ト・マーケ ッ ト (craft market)は 、大変な評判 を博 している。高水準の事務室が リーズ湾に注 ぐり││に沿って建て られ、水辺沿 いの居住用アパー トは、予想以上に短い期間で完売 されて いる。96年には、12万平方 フィー トの広 さをもつ英国アルム リーズ博物館 (MM)が
オープンしている。年に75万人を超す人々が この博物館 を訪れるであろう、と予測される。
これ らの再開発は、ブ リティッシュ・ ウォーターウェイによって手がけ られている。年 に20 万ポ ン ドを超す収入が、ブ リテ ィッシュ・ ウォー ター ウェイ に入 って来て いる。隣接す る
12
エーカーの土地の再開発が、 日程 にのば り始めている (96年)。 水辺の利用 による再開発が次 々 と成功 してきたか らこそ、 日程 にのばった といえよう。(4)マンチェスター市運河再生戦略
マ ンチェスター市の中央部 とりわけチェスター フィール ドの付近には、水路や運河があたか も 網状 に張 りめ ぐらされている。貿易商人倉庫 (Marchants warehouse)は 、その一角にある。 この 倉庫 は、マ ンチェスター市で もっとも古 い運河関係の建物である。 しか し、火災に見舞われた こ とも手伝って、誰れ もが倉庫の取 りこわ しを考えていた。今 日では、巨大なオフィスとして生ま れ変っている。以前には廃物置場であった場所の近隣には、再生戦略にそってパブや レス トラン が建て られ営業を続けている。再生戦略 には、新 しいコンサー トホールの建設 も含 まれる。計画 通 りに進んでいれば96年に完成 している。
倉庫のオフィスの転換 とな らんで、運河 にそ うホテルの建設を忘れるわけにはいかない。 この ホテルは、カ ッスル フィール ド・ ホテルである。ホテルの宿泊料は、建設許可の下 りた当時 には 一泊およそ25ポン ドと見込 まれていた。 しか し、最近の実際の料金をみると一泊75‑80ポン ド である。当初 に予測 された水準 をはるか に上 まわる宿泊料が、可能 になったのである。 これは、
チェスター フィール ド付近の経済的な価値の上昇の現われである。運河の再生戦略の成功 を物語 るといえよう。
運河の利用 による都市の再開発 と地域の再活性化の試みは、以上に紹介 した事例の他 にも、 リ バプール市のアルバー ト・ ドック、 ロン ドン・ ドックラン ドのワッピング・ ウォーターサイ ド、
北アイル ラン ドのイル ビン・ハーボアサイ ド、同じくコー リスラン ド、カーディフ市のア トラン ティック埠頭、グリムスビー市のア レクサ ン ドラ・ ドックなどでもなされている。 これ らの試み は、ジェラール・ カ リー、エルウィス (GoC。―Elwes、 イギ リス都市再開発協会、BUIm)による とバー ミンガム市のウォーター・エ ッジ計画を含む運河の再生 (wate」騰
ont regenera●
on)計画 に 密接にかかわる (世界運河会議における報告)。2‑2 運河利用による都市の活性化 (2)―諸外国の場←
運河や水路の利用 による都市の活性化は、イギ リス以外の国々でも広 く試み られている。それ は、ウォーター・ エ ッジ計画 と目的や内容の上で重な りあう。
(1)アメリカ :ニ ューョーク州における運河の余暇街道化計画 (CRP)
エ リー運河は、ニューヨーク州の首都オールバニー市か ら5大湖のひとつであるエ リー湖沿い のバ ッファロー市をつな ぐ運河である。州内の他の3つの運河に較べてはるかに長い。アメリカ で も有数の運河である。1825年 にニュー ヨーク州 によって建設された運河である。運河の開通以 来、西部か ら5大湖への移民と物資のいきか うルー トとして盛況を極めてきた。経済発展を支え た有数の運河 として、アメリカでは今 日でも語 りつがれている。
エ リー運河の再利用計画は、1990年に発案 されている。計画の目的は、3つある。第 1に 、過 去のす ぐれた遺産の保存、第2に、運河 を利用 した余暇活動の高揚、第3に、適切で持続的な経 済発展の促進、これ らである。
計画は、エ リー運河 とその周辺の特性 を生かす内容である。第 1に 、運河は、実に多様な風景 の中を流れている。全体が15の地域 にわけ られる。多様な風景を計画に生かすための配慮であ る。
15の
地域は、運河の利用による レクリェーションの促進 という共通の目的をベースにしなが ら、それぞれに特色あふれるテーマを掲げている。第2に、運河は、アメリカでも重要な湿地帯 のひ とつの中を流れている。鳥や動物、森林や地質学上の遺産のうえでも重要な資源の中を流れ る。計画は、こうした 自然の資源 を破壊することな く、む しろ人の手の加えられていない地域で の余暇 を求めるハイカー(hikers seelcing wildemess vaca●
ons)を引きつけるべ く、そ うした方 向での資源の利用をね らっている。第3に、運河の多様な利用が考えられている。船舶 による往 来やサイク リング、ハイキ ングな どである。8つのセ ンターが運河沿いに建て られ、船船で往来 する人々はもとよ リハイカーやサイクリス トの利用 にも供される手はづである。 この他に、馬ぞ りやス ノーモー ビルな どのウィンター・ スポーッ用器材を、運河を使って運ぶ ことも考え られて いる。この計画は、実施 に移 された暁には次のような効果が見込 まれる。年間に130万人の人々が運 河 を訪 れ 、2億1,000万 ドル の旅行 費用が これ に費や され る。年 に820万 ドルの売上 げ税が ニュー ヨーク州 に入る。2,700人 分の雇用が創出され、運河の直接収入 として年間700万ドルの 収入 も見込 まれる。
(2)スウェーデン:ダルスラン ド運河の利用による旅行
スウェーデ ンにおける運河の建設計画は、15世紀 に遡る。実際に建設されたのは、最 もはやい もので1555‑1558年である。その後1629‑1639年には、今 日で もスウェーデ ンで良く知 られ る運河が建設 されている。 さらに、1780‑1820年代 にかけて も相次いで建設 される。建設の目 的は、明確である。コス トの高い陸上輸送 に代えて価格の安 い運河輸送の提供である。陸上輸送 は、運河の開通 とともに減少 し、かわって運河が、国内輸送 とその増加に貢献する。 しか し、鉄 道の建設 とともに、運河 による輸送 もかげ りをみせ る。1850年頃のことである。さらに、第 1次 大戦後 には、バスな どの自動車が登場す る。道路輸送は、道路網 の発達 と安い価格か ら飛躍的に 増える。 これは、運河 による輸送 に根本的 ともいうべき影響 をおよばす。運河の近 くに住む人々 は、近 くの街に行 くのに運河ではな くバスな どの車 を利用 しは じめたのである。戦後の1970年 代 になると、運河 に一大転機が訪れ る。すなわち、運河 に輸送手段 としての活路はな く、旅行 業、すなわち運河 を利用 した観光 にこそ唯一の活路が70年代 に開かれる。
運河は、今 日ではスウェーデ ンの重要な余暇資源である。その名を良 く知 られる運河 ともなれ ば、外国か らの旅行者の利用するところとな り、外貨 を稼 ぐ有力な手段でもある。運河は、地域 の雇用やサー ビスそれに所得 に貢献する。ダルスラン ド運河の例 をあげよう。全長250キロにお よぶ運河である。運河 に接す るダルスラン ドは、人口5万人の小さな街である。 しか し、運河 に よる観光か らの収入 は、年間3億スウェーデ ン・ クローネ (およそ 3,000万 ポ ン ド)にのぼる。
350人分の フルタイムの雇用が、維持 される。運河は、発展す る観光業のよ り所 として地域の経 済を支えている。
(3)フランス(1):VNFの設立 とその 目的
フランス可航水路公社 (VNF)は、政府 と地方 自治体 の出資 を得て91年に設立 されている。
公社は、6,800キ ロメー トルの長 さの運河や河川に加えておよそ8万ヘクタールの土地、2,000棟 の建物及び運河 にかかる橋や こう門な どの建造物 を保有 し、その利用 と管理 とを委ね られてい る。公社は、大 くぐりにいえば3つの業務を手がける。
第1に、運河や河川の輸送手段 としての利用である。フランスの水路網は、イギ リスとは対照 的に資材の輸送手段 として今 日で もその機能 を発揮 している。6,800キ ロに及ぶ運河や河川のう
ちおよそ 2,000キ ロメー トルは、広 い規格の運河や 河川である。年 に 4,400ト ンの積荷 を運んで いる。
従来か らの原材料 の輸送 に加 えて、 コンテナやパ レッ トによる輸送 にも対応 している。パ リに運び込 まれ る貨物 の15%近くは、セー ヌ川 を通 って陸 に 揚 げ られた ものである。
第 2に 、運河や河川 を利用 した旅行 (Water―based Tou三sm)の発展である。公社は、水路 に関係 した あ らゆる種類の活動の発展を委ね られている。運河
表3 フランスの水路利用旅行に
関する諸指標 (1995年) 旅客用
船 舶
貸 舶 賃
船 計
売上 げ (億フラン)
会社数 船舶数 旅客数 (万人)
常用雇用者数 (人)
観光税 (億フラン)
800 228 367 800
2,000 6250 100
2,000 16600
5.5
1,050
328
2,367816
2,600 11.5(lla料
)World Canals Conference,26‑28Jllne 1996の配布資料による。
や河川 を利用する旅行 は、非常に大きな発展の可能性 を秘めている。 この種の旅行者の3人に2 人は、外国か らのお客である。 これ らを含めて総員816万の人々が、この種の旅行を楽 しんでい る (95年)。 表3は、 これに伴 う売上げや雇用及び税収について示 したものである。
第3に、運河や河川の 目的は、すでに述べてきた物資の輸送 と観光 にとどまるわけではな く、
もっとも重要 に働きとして水の供給がある。公社は、年に4,000万 立方メー トルの水を供給する。
それは、工場や家庭 に供給 されることはもとよ り農業用水な どにも利用 され、環境の保全に直接 寄与 している。
(4)フランス(2):運河の利用による余暇
フランスで最初の運河は、1652年の建設
(ブ
リアル運河)である。次いで1681年である (ミデ ィ運河)。 この2つの運河は、開設当時 と同 じよ うに今 日も利用 されている。他の運河の多 く は、18世紀末か ら19世紀は じめに相次いで建設 されている。
フランスの運河 は、J・ リダル
00hn Riddel、
クラウン・ ブルー・ ライン社 フランス支店)による とい くつか に類別 され る。そのひ とつ は、重量物 の運搬 のために建設 された運河である。
ローヌ運河な どが これにあたる。今 日でも、建設当時の目的にそって利用され、余暇のための船 舶の航行は、船舶の移送を除いて一般 にお こなわれていない。いまひとつは、
19世
紀末にフレシ ネ規格 と呼ばれる運河 に変換 された種類の運河である。 この種の運河は、物資の輸送 と余暇の双 方に利用 される。この うち運河 を利用する余暇について少 し詳 しく述べると、次のようである。旅客用の船舶バ トー・ムー シュは、長い間パ リを流れるセーヌ川で営業を続けわが国を含めて国際的にも良く知 られ る。最近では、地方の運河や河川でも営業を始めている。 これに加えて、ホテルの機能を備 えた船舶が、主 としてアメリカか らの観光客 を相手に営業を続 けている。 この種の船舶は、数に
して40隻を超す。年間の利用者は、2種類の船舶でおよそ800万人にのぼる。その半分以上は、
パ リのセーヌ川沿いで運行 される船舶の利用者である。総売上げ高は、推定で7億7,700万 フラ ンである (95年)。 フランスには、 この他 に賃貸用の船舶が代表的な運河や河川に係留されてい る。100社2,000隻 にのぼる。 この数は、イギ リスの2倍を超す。総売上げ高は、2億4,300万 フ ランと推定 され る。船舶の賃貸 に伴 って地域の得る間接的な所得は、2億フランと推定 される。
つ ごう12億2,000万 フランが、運河や河川 を走る観光用の船舶 を介 してフランスに落 とされる勘 定である。
カナル・ホ リデー (canal hOhday)と して知 られる休 日のす ごし方は、こうしてみるとフラン スにしっか りと根 を下 していると評することができる。
運河や水路 の積極 的な利用 による都市の活性化 は、以上 にごく簡単 に紹介 したアメ リカ、ス ウェーデ ン及びフランスの他 にカナダやアイル ラン ド、ノルウェーやデ ンマークそれに ドイツな どで も試み られ、 しかるべき成果 をあげている。
3。 ウォーター・ エ ッジ計画の内容 と効果 3‑1 計画の全体像 と進捗状況
ウォーター・エ ッジ計画 による建造物は、ブライン ドレイ・ プ レイス (BHndleyplace)の 一角 にある。前者は、後者 における他の建物や広場 と一体のもの として計画されている。そ こで、後 者の位置や建物 について確かめることにしたい。
ブライ ン ドレイ・ プレイスは、国際コンベ ンション・セ ンターの裏手に位置す る。図 1を ご覧 いただきたい。図中国 は、ブライン ドレイ・プレイスである。1は、国際コンベ ンション・セ ン ター、2は、ナ シ ョナル屋内競技場、ブロー ド・ ス トリー ト
(Broad street)に
面 した3はホテ ル・ハイヤ ッ ト(Hyatt Hotel)、 国際コンベ ンション・セ ンターの右手の4は劇場、ニュー・ス トリー トの西はずれの5は市庁舎な どである。 また、ブロー ド・ ス トリー トに面 した2はセ ンティ ナ リー広 場
(Centenary square)、
そ の右 手 にある3‑5も、それぞ れ順 にチ ェ ンバ レン広 場(Chamberlain square)、
ビ ク トリア広 場(Ⅵ ctoHa square)、
セ ン ト・ フ ィ リ ップ ス広 場(SToPhilip's square)で
ある。図中右下のニュー・ ス トリー ト駅(New Street Station)は
、ロン ドンのユース トン駅 (Euston)か ら出るイ ンター・ シテーの到着駅である。 ここか らブライン ド レイ・ブ レイスは、図中点線で示 した歩道 に沿って10分足 らずのうちに到着す る。ブライ ン ドレイ・ プ レイスは、12.75エ ーカー (およそ5万1,600平 方 メー トル)の広土をも
図1 建設計画地域の付近略図
(資
料)Alan Chatharn(Brindleplace Plc)の 提供資料による。
つ 。そ の南側 と西側 は さきの図
1からうかが え るよ うに道 路 に面す る。北側 と東側 には、バー ミンガム運河 が流れて いる。運河 は、中央部 をやや北 の方向 にのばった辺 りにも東西 に流れて い る。工事 は、
93年に着 手 されて いる。 この工事 は、
HO万平方 フィー トのオ フィス をは じめ
33万平方 フィー トの店舗 、 レス トラン及び余暇施設 、
140戸分 の住宅、バー ミンガム市で
15番目に 当る広 場 、
2,600台収容 の駐 車場それ にホテル の建設な どを主な 内容 にす る。建設 の状況 につ い て図
2を参 考 にや や詳 しく紹介すれ ば、次 のよ うで ある。
図2 ブラインドレイ・ プレイスの建物・広場・運河の配置図
(資料