酒を通した交流の変化
著者 望月 淳平
雑誌名 静岡市・由比 入山および由比川流域. ‑ (フィール ドワーク実習報告書 ; 平成29年度)
ページ 58‑66
発行年 2017‑12
出版者 静岡大学人文学部社会学科文化人類学コース
URL http://hdl.handle.net/10297/00024976
酒を通した交流の変化
望月淳平
1 はじめに 2 英君酒造 2.1 概要
2.2 入山での販売
2.3 現在の住民と英君酒造 3 丸福商店
3.1 店の様子 3.2 人々の語り 4 考察
5 おわりに
1 はじめに
本章は、英君酒造と丸福商店に注目し、入山を含む周辺地域において、酒と飲み会という娯 楽を通してどのように人々が交流を持っているのか明らかにする。日本、そして世界に商品販 売を展開する英君酒造株式会社(以下、英君酒造)は、入山を含む周辺の地域住民とどのよう な関係を持っているのだろうか。販売が外部の人間に向けたものになればなるほど、地元での 消費が減少してしまうことが考えられるが、それは英君酒造においても同様であろうか。
また、入山でかつて営業していた丸福商店についてもまとめる。丸福商店で行われていた、
所属集団に縛られない自由な交流を明らかにする。
以下、第2節では英君酒造の入山における販売や、寄付を通した交流の現状を、第3節では 丸福商店における所属集団に縛られない自由な交流と丸福商店の閉店による交流の変化につい て、地域住民の話をもとに記述し、最後に入山を含むその周辺地域における酒を通した交流の 変化について考察する。
2 英君酒造株式会社 2.1 概要
入山の玄関口、街道沿いに蔵屋敷風の建物がある。それが、英君酒造である。英君酒造は入 山において生産、販売を行っている。本章では、2017(平成29)年6月6日から2日間に渡 り行った現社長・望月裕祐氏へのインタビューと、4代目社長・望月英之介氏がまとめた「英 君酒造」をもとに、英君酒造株式会社の概要についてまとめる。
初代・望月昌策氏は、入山大地主・前田(屋号)の次男として生まれ、1875(明治8)年分 家独立、1881(明治 14)年に、望月酒造店を開業した。創業が日英通商条約の年であったこ とから、徳川の英いでた君主にあやかり、酒銘を「英君」と名付けたという。3代目・望月務 氏は、太平洋戦争において召集を受け、1945(昭和 20)年、沖縄にて戦死した。入山にある 八幡神社には、戦没者を祀った石碑があり、望月務氏の名前も刻まれている。また、終戦時に
行われた企業合同によって、他の蔵との共同製造をしなければならなかったという。共同製造 は、1945(昭和20)年から、1951(昭和26)年まで続いた。1952(昭和27)年、亡き3代 目・望月務氏の妻、望月政子氏によって再度製造が開始された。その後1955(昭和30)年に 法人が設立され、現在の英君酒造株式会社にいたる。
4代目・望月英之介氏が述べたように、英君酒造株式会社では、「品質第一」を旨に酒造りが 行われ続けている。コストを考えた安い酒よりも、品質の高い酒の製造を目指しているのであ る。近年では、静岡県清酒鑑評会で最高賞である県知事賞を受賞するなど、高く評価されてい る。
英君酒造株式会社は、親水公園近く川沿いに位置している。しかし、酒造りに使われる水は 3キロメートルほど離れた桜野沢のものを利用している。2代目・望月保策氏が桜野沢を含む 山を購入し、水を使用し始めた。酒造りだけでなく、地域に給水も行っていた。『由比町史』に よると、簡易水道組合である入山水道組合の創立組合長は2代目・望月保策氏である(由比町 史編さん委員会 1988)。現在、南北山内水道組合が管理し、英君酒造は水道料金を支払って いる。
初代・望月昌策氏は分家独立した際、広く土地を得たわけではなかった。よって、酒造りに 必要となる米は、全国各地方から買い求めたものであった。
この点に関し、望月英之介氏は次のように述べている。
当時、地方の造り酒屋は大農家が多く、年貢米酒に作って付加価値を高めた酒屋が多か ったと聞くが、当社は分家の立場であるから農地もなく、従って創業当時から全国各地の 優秀な酒米を捜し求めては酒造りに励んだ。「品質第一」を旨とした初代の精神は今日でも 引き継がれ、コストを無視した酒造好適米の確保と高精白による高品質な酒造りに励んで いる(望月1996:160)。
現代においても、静岡市内に契約農家を持つことを検討するなど、より優れた酒造好適米の 探求は続けられているという。その成果は、鑑評会での評価にあらわれている。2016(平成 28)年には静岡県清酒鑑評会にて最高賞である県知事賞と全国新酒鑑評会にて金賞を受賞して いる。2017(平成 29)年にも静岡県清酒鑑評会にて会長賞と全国新酒鑑評会にて金賞を受賞 するなど、継続して評価を得ている。フランスやシンガポールなど、海外での日本酒の試飲会 にも出品している。
海外で行われる試飲会への出品にもみられるように、英君酒造は、積極的な入山外への販売 を行っている。国内においても、東京や名古屋、大阪を中心に、県外への出荷を行っている。
現社長・望月裕祐氏によると、県外に6割、県内に4割の比率で出荷しているという。
2.2 入山での販売
英君酒造株式会社は、蔵と併設された店舗で、清酒の販売を行っている。入山内の数少ない 小売業の 1つである。望月裕祐氏によると、店舗の売り上げは少ないとのことだった。また、
地域住民よりもむしろ、遠方からわざわざ蔵まで来る日本酒ファンによる購入が多いという。
「地域の人は、あまり日本酒を飲まない」という話もあった。
かつて、英君酒造にも地域住民が多く購入に訪れたという。子どもが甕を持ってきて、それ に酒を買い入れて持って帰るという光景が日常的に見られた。当時のことを思い出した年配の 方から昔話を聞くことができた。その1つによれば、上述の通り、親が家庭で飲む酒を、子ど もが英君酒造に買いに行くことが多かった。酒を買いに来た子どもに、「おとうさんが酔わない
ように水入れといてあげるから」などと冗談を言ったという。英君酒造には現在でも、甕や、
販売のための大きな容器が残っている(写真1)。
しかし、現在では地域住民に対する販売は減少してしまった。その要因として、安価な酒の 増加があげられるという。紙パックやペットボトルの容器に入った格安の酒が、バブル期頃か ら多く見られるようになった。英君酒造でも安価な普通酒は製造されていた。しかし、大量生 産の大手企業との価格競争に勝つことは難しく、5代目・望月裕祐氏の代では、本格的に高級 酒にシフトしていった。現在では、販売の9割が高級酒だという。地域で日常的に親しまれる 酒から、全国各地の日本酒ファンに好まれる高級酒へとシフトしていったのである。その成果 は、鑑評会での評価や、海外で行われる日本酒試飲会への出品にあらわれている。
2.3 現在の地域と英君酒造
これまで述べてきたように、紙パックやペットボトルの容器に入った安い酒の影響で、英君 酒造の製造はより高価な商品へとシフトしていった。その結果、入山の地域住民による購入は、
少なくなっていった。では、入山を含む周辺地域と英君酒造のかかわりは断たれてしまったの だろうか。けっしてそのようなことはない。現在では、小売りによる販売とは異なった形で、
英君酒造と入山を含む周辺地域とのかかわりが存在する。まず、地域のイベントにおける酒消 費である。入山は、毎年8月前半に八幡神社にて八幡祭を開催している。八幡祭とは、八幡信 仰を基にした全国各地でみられるお祭りである。入山における八幡祭では、祭りの実行委員会 である入山八幡会が、英君酒造の酒を参加者に振る舞うという。また、お太鼓祭り、天神さん
(神沢川酒造場と年毎交互)など、清水区由比内の他地域のお祭りにおいても主催者は参加者 に英君酒造の酒を振る舞っている。主催者が購入する酒と、英君酒造が寄付する酒があるとい う。
また、その他の入山におけるイベント後の飲み会においても、参加者が英君酒造の酒を飲む という。地域住民は、町民運動会の打ち上げや消防団の入隊団式などの大きなイベントだけで なく、体育委員の会合や廃品回収の集まりの後など、小さな飲み会も行っている。英君酒造現 社長・望月裕祐氏もそうした入山の活動に参加しており、飲み会において酒蔵の社長として酒 を持っていくことは少なくないという。かつて望月裕祐氏が参加していた消防団では、熱海に 旅行に行き、電車内に英君酒造の酒を大量に持ち込みのんだこともあるという。このように、
家庭で日常的な消費が少なくなってしまった現在でも、お祭りやイベント後の飲み会で飲まれ
写真1 英君酒造に残る容器(望月撮影)
ることがある。
また、英君酒造では、酒を通した交換が行われているという。筆者が英君酒造で話を聞いて いる最中にも、鍵穴の住民がツタンカーメンと呼ばれるエンドウ豆の一種を2合ほど持ってき た。また、調理方法についての会話が行われた。このような方々に対して初しぼりの際などに、
お返しに日本酒を贈ることがあるという。
中川敏は、人と人との間の「もの」の移動には、取り引き交換と贈り物交換という2つがあ るとしている。取り引き交換は、経済学的な交換を指す。主に金銭を媒介とした、利益を目的 とした交換である。一方で、贈り物交換は、人間関係の構築が主要なテーマとなっている交換 であるという。金銭による直接的で厳密的な交換ではなく、間接的でゆるやかな交換によって、
人間関係に作用するものであるという(中川敏 1992)。
英君酒造に食材を持ち込んだ方に対し日本酒を贈るのは、贈り物交換だといえる。食材に対 しその場で日本酒を渡すような直接性や、物の価値で損得を計るような厳密性はない。この交 換は、交換を通して人間関係が作られることが重要なのである。なお、入山においては、酒以 外にさまざまなものが贈り物交換されている。これについては、介川の章を参照してもらいた い。
「このへんはみんな知り合い」と望月裕祐氏が語るように、住民が多くない地域が故の親密 な人間関係があり、そのなかで酒を持っていく機会はけっして少なくない。確かに、近年、地 域住民が英君酒造の酒を買って飲むことが少なくなったという話は、作り手からも買い手から も聞かれた。しかし、イベントや交換など、店舗での小売り以外に酒が購入または贈与される 機会が失われてしまったわけではない。
くわえて、地域を代表するものとしての英君酒造という姿も見えた。望月高豪氏(男性、70 代)は、「(英君酒造の日本酒を)他の地域の人に贈る」「(息子が外の地域に行く際に)息子に 持たせる」と述べた(望月高豪氏は、英君酒造の現社長望月という姓であるが、英君酒造に勤 務しているわけではない)。地域の特産品として、入山の代表として、贈答するものとして消費 されているのである。
ここまで述べたように、英君酒造は高級酒を製造、販売する方向へとシフトしてきた。それ は、入山の地域住民による、英君酒造の日本酒の購入が減少する一因となった。しかし、この 高級酒へのシフトは、違った側面も持っている。それは、地域住民による英君酒造の日本酒の 再評価である。このことは住民による、由比海側に蔵を構える神沢川酒造との比較の語りにも あらわれている。神沢川酒造は、1912(大正元)年に創業した、こちらも長い歴史を持つ酒蔵 で、由比正雪にちなんで名付けられた「正雪」という日本酒で有名である。山側にあたる入山 においても、正雪の名前を聞くことが多かった。むしろ、正雪のほうが好きだという声さえ聞 かれた。ただ、近年、英君酒造が高級酒へシフトし、鑑評会での受賞によって新聞などメディ アに取り上げられることも増えた。そういった経緯によって、入山を含む周辺地域における英 君酒造の酒の再評価がおこっている。A氏(男性、60代)によれば、海側に正雪と英君の飲み 比べを行っている居酒屋があり、そこでは最近の英君は良いという声をよく聴くようになった という。また、「最近英君はいいらしい」という声は各所で聞かれた。高級酒へのシフトは、地 域住民の日常的な消費を減少させた一方で、入山における英君酒造の日本酒の再評価を生み出 したのである。
ここまでの話をまとめる。英君酒造では、安い酒の流通の増加によって、高級酒の製造、販 売へとシフトしていった。それは、地域住民が英君酒造の日本酒を飲まなくなった一因となっ た。一方で、小売り以外の交換、祭りのようなイベント時の消費、そして入山を代表する品と しての消費は残っている。また、高級酒が鑑評会などで高い評価を得たことにより、英君酒造
の日本酒が入山の地域住民から再評価を受けることになった。英君酒造と入山との関係は、日 常的な購入や消費から、贈り物交換やイベント時の消費、入山を代表する品としての消費に形 を変え、残っているのである。
3 丸福商店
次に、入山において唯一の飲食店であり、酒の消費の場であった丸福商店についてまとめる。
丸福商店が営業していた当時の様子や、丸福商店に対する人々の語りについて記述することに よって、そこで行われていた所属集団に縛られない交流を明らかにする。また、丸福商店は2015
(平成27)年に閉店したが、その後も丸福商店で生まれた交流が存続していることについて述
べる。
3.1 店の様子
丸福商店とは、かつて入山で営業していた飲食店の名称である。丸福商店の他に、「とらへい」
と呼ばれた 1杯飲み屋、「あいこちゃん」と呼ばれた駄菓子屋が入山には存在した。しかし、
より古くに閉店している。丸福商店は、2015(平成27)年2月まで営業していた。現在では、
入山唯一の公共交通機関、由比コミュニティバスのバス停において、「丸福商店前」という名前 だけが残っている(正式名称は入山橋前だが、丸福商店前と併記されている)。丸福商店は、十 数畳ほどのけっして大きくはない店であった。しかし、入山を含む周辺地域の人々にとって欠 かせない店であったという。地域住民は今でも、その店を「ふくちゃん」と愛称で呼んでいる。
誰に聞いても少なからず話を聞くことができたことから、多くの人にとって思い出のある店で あったと考えられる。店舗には、駄菓子屋、雑貨店、そして飲食店という 3つの顔があった。
1つの店舗で、子ども向けに駄菓子を売り、主婦や家庭向けに生活雑貨を売り、そして1杯飲 み屋のような形式で飲食店まで行っていたのである。多くの地域住民の記憶に強く残っている のは、そういった顧客層の幅広さが関連しているかもしれない。
酒の消費について扱う本章では、このうち飲食店の側面に注目する。「とらへい」閉店後、丸 福商店は入山で唯一の飲食店であった。店内は壁で仕切られていて、手前が駄菓子屋及び雑貨 屋、奥が飲食店になっていた。カウンター席と、6人ほどが座れるテーブル席があったという。
店内では、おでん、簡単な料理、駄菓子屋の商品などを食べることができた。駄菓子屋部分 に冷蔵庫があり、客はそこから自分で酒を持っていくことが多かったという。支払いも、自分 で計算し、お金を置いて帰るという気軽な形であった。丸福商店は、ビールや焼酎、そして日 本酒を提供していた。閉店後も残る倉庫には、英君酒造の酒瓶が数多く残っている。しかし、
英君酒造現社長・望月裕祐氏は、10年程前から丸福商店への配達はしていないとしている。第 2節で述べたように、近年、英君酒造は高級酒の製造と販売にシフトしており、家庭で英君酒 造の酒が飲まれなくなったように、丸福商店においても英君酒造の酒よりも安価な酒が飲まれ るようになったと考えられる。
3.2 地域の人々の丸福商店への語り
ここまで、丸福商店の営業当時の様子について述べた。次に、地域住民が丸福商店について、
どのように語っているのかまとめる。
まずB氏(男性、30代)に話を聞いた。丸福商店には何度も行ったことがあり、「ふくちゃ んはこのへんの人らにとってのたまり場だった」、「(閉店して)みんな寂しがっている」、「ふく ちゃんちのおでんは上手いって有名だった」と述べている。「ふくちゃん」とは、丸福商店の愛
称である。たまり場とあるように、唯一の飲食店としての丸福商店は、気軽に集まることので きる場所だったようである。
C氏(男性、60代)は、「スナック、飲み屋がないで、貴重な酒を飲む場だった」、「子ども もたくさん来ていて、かき氷、ところてんが人気だった」と述べている。駄菓子屋という面か ら、子どもも多く利用していたことがわかる。ところで、駄菓子屋と居酒屋の併設という事例 は、筆者が住んでいる静岡県東部、沼津市では見られなかった。静岡の駄菓子屋にはおでんが 売られていることが多い。おでんは、子どものおやつにも大人の酒の肴にもなる。このおでん という存在が、子どものための駄菓子屋と大人のための居酒屋を1つにする役割を担っていた のかもしれない。
D氏(男性、70代)は、「週1で行っていた」、「たくさんの人が行っていた」、「地域の情報 交換の場になっていた」、「ビール1 杯のんでサラっと帰る」そして、「さみしい」、「交流の場 がなくなってしまった」と述べている。ここでも、丸福商店が特別な場と捉えられていること がわかる。また、丸福商店は、情報交換や交流の場であったという。丸福商店では、宴会だけ でなく、酒を飲みたいという娯楽としての飲みが行われていた。ここでいう宴会とは、所属集 団の集まりやイベント後の打ち上げとして開かれる飲み会を指す。また、飲みとは、娯楽とし て酒を飲むことを目的として、コミュニケーションや情報交換が本来の目的でない飲み会を指 す。丸福商店では、宴会とは異なる飲みが行われていたことによって、副次的に交流が生まれ ている。それは、宴会における交流とは異なり、所属集団に縛られない自由なものである。
酒を飲むことは、人びとにとって娯楽であり、楽しみである。丸福商店では、飲みを楽しむ ということを通して、所属する集団とは異なった人びとの交流や情報交換が行われていた。
丸福商店以外で複数人で酒を飲む場として挙げられたのは、公民館であった。公民館とは、
入山地区民会館を指す。英君酒造と親水公園の間に位置する入山地区民会館には、数十人が同 時に利用できるスペースが存在する。しかし、あくまで公共施設である。丸福商店ほど、時間 や集団に捉われない自由な人の出入りや幅の広い交流が行われているとは考えにくい。上で述 べたように住民から丸福商店の閉店について「みんな寂しがっている」という話がきかれたの は、幅広い交流が失われたことに由来する。丸福商店が閉店したことで、店に集まっていた住 民の交流の場が失われたことこそが、地域にとって大きな損失だったのであったのではないだ ろうか。
3.3 丸福商店閉店後の酒を通じた交流の変化
ここまで、丸福商店が、入山で唯一の飲食店であり、駄菓子屋、雑貨屋、そして居酒屋とし て営業していたことや、特に居酒屋において、入山やその周辺の地域住民の重要な交流の場に なっていたことなどを述べてきた。つづく本節では、丸福商店が2015(平成27)年2月に閉 店した後の、人びとの酒を通じた交流について考える。
丸福商店が閉店してしまったことで、交流の場が失われ、住民が集まりがたくなってしまっ たことは事実である。では、丸福商店にて生まれた交流は、現在ではなくなってしまったのだ ろうか。調査を進めていくうちに、現在でも「ふくちゃん会」という名前で宴会を開いている 方たちがいるという話を聞いた。そのメンバーの1人、望月喜和氏(男性、70代)に話を聞い た。
ふくちゃんとは、丸福商店の愛称である。望月善和氏は、丸福商店が営業していた頃は「行 かない日を数えたほうがはやかった」と語るほど、常連であったという。当時、冗談交じりで はあるが、「ふくちゃんを守る会」と名付け、ふくちゃんの女性店主を含めた集まりで、ブドウ 狩りや潮干狩りに出かけたこともあるという。丸福商店について、他の人と同じように「憩い
の場だった」、「なくなってさみしい」などと述べた。そして、現在では、「ふくちゃん会」を開 いているという。メンバーは5人で自分よりも若いという。丸福商店の代わりに、自分達で月 2回程度集まり、飲み会を開いている。親水公園のテーブルや、個人宅、海側の居酒屋など、
場所は様々である。
ふくちゃん会は、丸福商店で行われているわけではない。かつて丸福商店であった建物は、
現在では住宅に改修されている。誰もが集まることができる飲み会の場は、失われてしまった。
ふくちゃん会には、かつて丸福商店にあったような自由な集まりがあるわけではない。大勢が 集まることができるわけではない。では、どうして「ふくちゃん会」と名付けたのであろうか。
望月善和氏の語りから、その理由が丸福商店に対する愛着にあることがわかる。上で述べた「さ みしい」、「行かない日を数えたほうがはやい」といった語りにそれがあらわれている。また「(店 主は)けっして悪口を言わない人だった」という言葉に、店主の人柄の良さへの好意がみられ る。「ふくちゃんを守る会」と名付けられた会は、まさにそのあらわれである。
人類学者の中根千枝は、1967(昭和 42)年に出版した『タテ社会の人間関係』において、
社会集団の構成について論じている。中根は、社会集団の構成の要因には、資格と場という原 理があるとしている。ここでいう資格とは、個人が持つ属性や能力をあらわすものであり、場 は、地域や所属集団をあらわすものである。中根は、日本の社会集団のあり方の特徴として、
場を重要視する点をあげている(中根 1967)。
丸福商店では、所属集団に縛られず誰もが参加できる交流が行われていた。営業されていた 当時、丸福商店は、地域や所属集団をあらわす「場」を問わないものであった。一方で、丸福 商店閉店後に開かれた「ふくちゃん会」において、丸福商店そのものが「場」となったといえ る。「ふくちゃん会」に参加するのは、かつて丸福商店に通っていた人びとである。この時、丸 福商店へ通っていたことは、丸福商店に(客として)所属していたと言い換えられる。丸福商 店に客として通っていた人々は、「ふくちゃん会」と名乗り一部の交流を存続させることを通し て、丸福商店を1つの「場」にしているのである。
4 考察
ここまで酒をキーワードに、作り手としての英君酒造と消費の場としての丸福商店について 述べた。英君酒造では、高級酒へのシフトによって入山を含む周辺地域の人びとに対する小売 りが減少してしまった。それは、英君酒造の関係者からも地域住民からも聞かれた話である。
また、丸福商店では、娯楽として行われる飲みによって、所属集団に縛られない交流が行われ ていた。その丸福商店が閉店して以降、会の名にふくちゃんという愛称を残し、今でも小規模 の宴会を開き続けている人びとがいる。
英君酒造における地域との酒を通した関係は減少し、丸福商店の店内における交流は消滅し てしまった。それは、時代の流れと捉えることができる。地域住民による英君酒造の日本酒の 消費が減少してしまったのは、大量生産の安い酒の流通が原因の1つである。家庭における消 費が減ったと同じように、丸福商店においても人びとが安い酒を消費するようになってからは、
配達は行われなくなった。そして、より高級な酒の生産販売にシフトし、大衆に向けた酒では なくなっている。その後丸福商店は、店主の高齢化によって閉店してしまった。そして、そこ に人が集まることができなくなってしまった。時代の経過によって、以前と同じようにやって いくことは難しくなってしまったのである。
しかし、小売りが少なくなってしまった現在でも、英君酒造は異なった形で酒を通して地域 と交流を続けている。お祭りやイベント時の消費、地域住民との酒と食材などの交換は残って
いる。丸福商店は閉店してしまったが、そこで生まれた交流が、今でも一部存続している。丸 福商店は、もとの所属集団とは異なる交流を生み出し、閉店後、住民にとっての一つの「場」
として、集団が形成されている。
入山とその周辺地域の酒を通した交流の多くは、減少あるいは消滅している。地域住民によ る英君酒造の酒の消費は減少し、英君酒造から丸福商店への配達はなくなった。そして、人々 が気軽に集まり飲みを行っていた丸福商店は閉店した。一方で、すべてが消滅したわけではな く、英君酒造の酒の交換や寄付、祭りにおける消費や、丸福商店を「場」とした新たな集団の 形成という形で存続している。酒を通した交流は、形を変え現在の入山を含む周辺地域におい て、存在しているのである。
5 おわりに
英君酒造の店舗での小売りの減少と、丸福商店の閉店は、酒をキーワードに入山を調査する 上で大きな不安材料であった。しかし実際に現地に行くと、多くの方から様々な話を聞くこと ができた。地域住民は、英君酒造や丸福商店に対しそれぞれ思いを持ち、その多くが好意的な ものであった。特にかつて丸福商店に通っていた人々の語りは、非常に熱いものであった。当 時の店の様子から、自分の好きだった料理、会話の内容まで、多彩な話を聞くことができた。
酒を通した人々の繋がりは、娯楽であり、純粋な楽しみなのである。
謝辞
この報告書を作成するにあたり多くの方々にご協力いただき、充実した調査となりました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
参考文献
株式会社 神沢川酒造場
2017 株式会社神沢川酒造場ホームページ(2016年7月16日取得、
http://www.kanzawagawa.jp)。 静岡県酒造組合
2007 「英君酒造株式会社」静岡県酒造組合ホームページ、(2017年7月17日取得、
http://www.shizuoka-sake.jp/report/cent/eikun_1.html)。
静岡新聞
2016 「英君酒造が金賞、全国新酒鑑評会「静岡酵母」の味評価」アットエス、2017 年 5
月14日取得、
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/252691.html)。 中川敏
1992 『交換の民族誌――あるいは犬好きのための人類学入門』世界思想社。
中根千枝
1967 『タテ社会の人間関係』講談社。
望月英之介
1996 「英君酒造」日本醸造協会誌、260-260。
由比町史編さん委員会
1988 『由比町史』静岡県由比町教育委員会。
KURA MASTER
2017 「2017年度 受賞酒発表」KURA MASTER ホームページ(2017年7月16日取得、
http://kuramaster.com/ja/concours/comite-2017/laureats/)。