はじめに
「作曲者と演奏者は,共同創造者といえる.作曲者が 楽譜を書き,演奏者がそれを再表現するからである」
とは,筆者(内田)の音楽の師であり,ピアニストで あるスメンジャンカ女史の言葉である.演奏家であっ ても,作曲家であっても,また,学生であっても,幼 児期は感性が豊かなものである.この豊かな感性を持 ち合わせている子どもたちに大きく影響を与える幼稚 園教諭,保育士,小学校教諭の責任は大きい.筆者(内 田)がはじめて立正大学で音楽の講師として教員養成 課程の学生の教育に携わったのは,1984年である.当 時の立正大学の社会福祉学部は短期大学であり,学生 は保育者を目指し,一年間という期間の中で技術習得 に向けて努力し,学んでいた.クラシック音楽を極め る為にポーランドに留学し,厳しい環境の中で学んで きた私は,このように前向きに取り組む学生達に対し て,音楽技術や奏法を教えたいと思い携わってきた.
その思いは33年経った今も変わらない.具体的には,
メロディー,リズム,ハーモニーという音楽の3要素 という基礎的な知識や,作曲者の意図を楽譜から分析 し,どのように表現したらいいかを考える,という基 本的なことがらを中心に,幼児教育に関わる音楽技能 を養成してきた.
音楽には技術のみならず感性が必要である.これは 音楽家でも保育者でも,音楽を演奏する者なら等しく 必要な事である.授業の形態を振り返ってみれば,短 期大学時代は音楽の学習は1年間であった.当時の授
業では,前期にピアノの教本である『バイエル』をレッ スンし,後期は童謡を教えたことを記憶している.4 年制になってからは,1年次は必修として,また2年 次も選択して学習できるというカリキュラムのおかげ で,本学の学生達は音楽の技術 ・ 知識をじっくりと学 べる素晴らしい環境を得た.ピアノの技術を伸長させ るための教材も,『バイエル』のみならず,『ブルグミュ ラー』,『ツェルニー』,『ソナチネ』等も扱うようになっ てきた.さらに幼稚園や小学校の教育の現場に対応す るために,童謡,小学校唱歌を学習しており,学生の 層も厚くなってきたことを実感している.我々教員側 はピアノを挟んで学生と「人として」向き合うことと なる.多様な学生に対応するために,音楽の指導のみ ならず,一人ひとりの精神的な状況も判断しながらの 指導を心掛けることが重要になっている.目的とする 所は,30年前と変わらず,音楽的な技術習得を目指し ていることには変わりないが,現在の学生達の音楽表 現力を鑑みると,彼らの感性を磨くための計画も含め,
授業内で検討していくことの必要性を感じている.
1 .20周年記念演奏プログラム
もう一方の筆者である吉田が子ども教育福祉学科の 講師として着任したのは,社会福祉学部の創設20周年 の節目にあたる2016年度であった.祝賀会においての 演奏の機会を頂戴したことは,我々にとって実に有難 いことであった.短期大学時代より学生の音楽教育に 長年携わった内田と,本学科の近年の学生の状況を目 にしたばかりの吉田による共演として,伝統と更新を
* 立正大学社会福祉学部講師(はじめに)(2.)(3.)
* * 立正大学社会福祉学部講師(1.)(2.)(3.)
キーワード:教員養成,演奏記録,楽曲解説,ピアノ,声楽
社会福祉学部20周年記念演奏の記録と今後の展望
―学部の歩みを寿ぐ―
内 田 なおこ* 吉 田 秀 美**
感じさせるものを念頭におきつつ演奏することを目指 したものであった(次頁写真).また,「短報」を通じ て,演奏後もプログラムを振り返ることは学生の音楽
教育に関して考える良い機会ともなった.ここにプロ グラムと写真を記録させて頂く.
プログラム:立正大学社会福学部創設20周年記念祝賀会 2016.11.13 ヴェルディ作曲:《椿姫 La Traviata》より〈乾杯の歌 Libiamo ne’ lieti calici〉
エルガー作曲 :〈愛の挨拶 Salut d’amour〉
ショパン作曲 :〈即興曲第4番嬰ハ短調作品66 Impromptu cis-moll Op.66〉
マスカーニ作曲:〈アヴェ・マリア Ave maria〉
プッチーニ作曲:《ジャンニ・スキッキ Gianni Schicchi》より〈私のお父さん O mio babbino caro〉
写真:立正大学社会福学部創設20周年記念祝賀会における演奏 2016.11.13
2 .作曲者と楽曲解説
今回のプログラムは,学部創設20周年を寿ぐイメー ジを表現するため,華やかで,日本でもよく耳にする クラシック音楽を5曲選び,演奏した.それぞれの作 曲家の幼少期に着目しつつ,各曲が作曲された背景を 中心に楽曲解説を記す.
2 - 1 ヴェルディ作曲《椿姫 La Traviata》より
〈乾杯の歌 Libiamone’lieticalici〉
ジュゼッペ ・ フォルトゥニーノ ・ フランチェスコ ・ ヴェルディGiuseppe Fortunino Francesco Verdi(1813
-1901)は,ミラノ南東のロンコレという町に生まれ,
ミラノにて没したイタリアの作曲家である.3歳の時 に,ロンコレの少年聖歌隊の指導者兼オルガニストの ピエトロ ・ バイストロッキに師事.ここで基本的な楽 譜の読み方やオルガンの弾き方などを習った.練習は もっぱら教会のオルガンであった.7歳の時に,宿屋 をしていた両親が,ヴェルディに買い与えたスピネッ ト(小型チェンバロ)は,自宅での練習を可能にした.
練習をしすぎて,ハンマーを壊してしまったが,それ は音楽への情熱からのものであることを知った調律師 は修理代を辞退したという逸話がある.ヴェルディは,
生涯このスピネットを手放さなかった.音楽に関して 異常なまでの興味を示したヴェルディは,9歳にして 聖ミケーレ教会のオルガニストになった.休みの日は ロンコレまで戻って教会オルガニストの仕事をしてい たという.学習と仕事を両方しながらヴェルディは音 楽を修得していった.ミラノへの留学が持ち上がった が,その時ヴェルディは18歳になっており,ミラノ音 楽院の入学年齢を超えていたため,音楽学校に入るこ とはなかった.
『椿姫』は1853年にヴェネツィアのフェニーチェ劇場 で初演された.パリを舞台にして繰り広げられるこの オペラは,アレクサンドル ・ デュマ ・ フィス Alexandre Dumas fils が1848年に書いた『椿を持つ女 La Dame aux came’lias』を原作としている.第1幕冒頭で,女 性主人公のヴィオレッタ宅のパーティーで,乾杯の挨 拶を任された若い学生アルフレードが,朗々と〈乾杯 の歌〉歌う.ヴィオレッタとアルフレードの出会いの
場面であり,ワルツの3拍子で豪華絢爛に演奏される.
2 - 2 エルガー作曲〈愛の挨拶 Salutd’amour〉
エドワード ・ ウィリアム ・ エルガー Sir Edward William Elgar(1857-1943)は,ウースター近郊ブロー ドヒースに生まれ,ウースターにて没したイギリスの 作曲家である.地方の私塾とカトリックの学校,次に リトルトン ・ ハウスで教育を受けたエドワードは,15 歳で生活費を稼がなければならなくなり,短期間であ るが事務弁護士事務所に働いていた(1872-73).彼は 子供のときにピアノの即興演奏で称賛を博しはしたが,
正式な音楽教育は受けていない.彼は父親の店やオル ガンを備えつけた教会の2階で,大聖堂の礼拝で,町 の音楽界で,吸収できるものは何でも吸収した.16歳 のときに勤めを辞めてフリーランスの音楽家となり,
以降は生涯定職に就くことはなかった.実業家のリ チャード ・ ペイトンは,エルガーが最初の教授になる ことを条件に,バーミンガム大学に音楽講座を設置し た.エルガーは気が進まない面もあったが,こうして 学者の一員となることができた点については満足して いた.1905年3月から06年11月までエルガーは主に当 時のイギリス音楽の状況に関する8つの講義を行い,
それらは68年に出版されている.生涯を通じて彼は商 業音楽の世界を嫌悪し,イギリスの聴衆の審美眼を低 く評価した.彼はよりよい訓練,音楽への補助金,国 立のオペラ団の必要を,如才なく説くというより,良 識と勇気をもって主張しており,彼の論評は広く世間 に知れわたった.エルガーは記譜法を理解する前から 作曲を始め,彼の言葉「音楽は空気中にある」は,川 のほとりの葦のそよぐ音を書き留めようとしたほどの 想像力の豊かさを示すものにほかならない.
2 - 3 ショパン作曲〈即興曲第 4 番嬰ハ短調作品66 Impromptucis-mollOp.66〉
フリデリク ・ フランチシェク ・ ショパン Fryderyk Franciszek Chopin(1810-1849)は,ワルシャワ近郊 ジェラゾヴァ ・ ヴォラに生まれ,パリにて没したポー ランドの作曲家である.ショパン家では,母ユスチナ の弾くピアノが中心となり,家庭音楽会が開かれたり もしていた.7歳になったフレデリクは音楽以外では どの子どもとも変わらなかったが,一度ピアノに向か うと,子どもとは思えない即興演奏や作曲,ピアノの 技術であった.6年間のこの師との勉強が,大きな礎
になっている.その後も両親の意向で,フリデリクは 音楽だけでなく,家庭と高等学校(1823-26)の双方 で十分な一般教育を受ける.両親は日常の勉強を邪魔 しないよう気を配った.ショパンは聡明で,勤勉な子 どもであった.
即興曲第4番嬰ハ短調作品66は,通称として「幻想 即興曲」ともいわれている.1834年ショパンが24歳時 の作品.生前は,出版されずに,これは,ショパン自 身の命名ではなく,彼の死後1855年に友人フォンタナ によって「幻想即興曲」と,命名されて出版された.
形式は,A-B-A+コーダ形式で,現在広く親しまれ ている作品である.
2 - 4 マスカーニ作曲〈アヴェ・マリア Avemaria〉
ピエトロ ・ マスカーニ Pietro Mascagni(1863-
1945)はイタリアのリヴォルノに生まれ,ローマで没 した,イタリアの作曲家.おじの助言によって音楽の レッスンを受けることが出来た.1882年10月音楽院に 入学し,ポンキエッリやサラディーノに就いて学んだ が2年後中途退学.ヴェルメ劇場でコントラバスを弾 いて辛うじて生計を立てていたが,やがてミラノを去 り,幾つかの三流オペレッタ一座の指揮者として巡業 を続け,気が向くと作曲した.
ソンゾーニョ社による一幕のオペラコンテストに出 すために,マスカーニは自身の作品を吟味していたが,
妻リーナがその時に出来上がった作品を何も知らずに コンテストに出したと言われている.結果,1位が3 人いた中の一人として選ばれる.この作品が《カヴァ レリア ・ ルスティカーナ Cavalleria rusticana》であ る.今回演奏した〈アヴェ ・ マリア Ave maria〉は,
1幕オペラであるこの作品の途中にある,間奏曲 Inter- mezzo のメロディーを利用して書かれている曲である.
2 - 5 プッチーニ作曲《ジャンニ・スキッキ Gianni Schicchi》より〈私のお父さん Omiobab- binocaro〉
ジャコモ ・ アントニオ ・ ドメニコ ・ ミケーレ ・ セコ ン ド ・ マ リ ー ア ・ プ ッ チ ー ニ Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini(1858-
1924)は,イタリアのルッカで生まれ,ベルギーのブ リュッセルで没したイタリアの作曲家である.この一 家はイタリアの宗教音楽一族であった.しかし,ジャ コモが5歳の誕生日を迎えた直後に,父ミケーレが没
したため,ジャコモは,おじのマージから音楽の手ほ どきを受け,その他にもパチーニ音楽学校の校長カル ロ ・ アンジェロ―ニに学んだ.おじのマージもアンジェ ロ―ニも,父のミケーレの弟子だった.10歳になり,
聖マルティーノ大聖堂とサン ・ ミケーレ ・ イン ・ フォー ロ教会の聖歌隊員となり,4年後,両教会でオルガニ ストの道を歩み始める.17歳のころに本格的に作曲を 始める.76年ピサで見たヴェルディの《アイーダ》に 強い衝撃を受け,一家のしきたりと縁を断ち切ってオ ペラ作曲に向かう.1880年から1883年まで,ミラノ音 楽院で勉強した.
1918年にニューヨークで初演された《ジャンニ ・ ス キッキ》は,《外套 Il tabarro》,《修道女アンジェリカ Suor Angelica》とともに,「三部作」と呼ばれている.
主人公のジャンニ ・ スキッキが莫大な遺産を巡って,
親戚間で騒動を巻き起こす喜劇.そこに登場する,ジャ ンニの娘であるラウレッタがリヌッチョとの結婚を許 してもらおうとして歌うアリアである.
3 .今後の音楽授業の展望
今回のプログラムを1曲ずつ解析していくと,それ ぞれに学生を指導するときに必要な要素が含まれてい ることが分かる.〈乾杯の歌〉では,3拍子の習得を目 指している.社交界で流れるワルツの3拍子である.
日本人は,この3拍子が苦手な傾向にあり,なかなか 上手に演奏できない.しかし,この楽曲を勉強したり,
もちろん,聴いたりするだけでも,3拍子の楽しさを 体感できる.その点に効果のある楽曲である.〈愛の挨 拶〉は,弾き歌いの要素を含んでいる.冒頭部,よく 知ったメロディーを右手で奏しながら,左手は伴奏を 演奏する.弾き歌いの場合はこれプラス自身の歌声が 必要となる.〈幻想即興曲〉については,楽曲分析をす ることによって,ショパンのポーランドへの強い思い を感じ取ることが出来る.自分の生まれた国であるポー ランドを大切に思い,その民謡や独特のリズムを感じ る.自分の生まれ育った場所を大切にして,その文化 を身体に沁み込ませることに他ならない.マスカーニ 作曲〈アヴェ ・ マリア〉は,大きく見ると2つに分け ることが出来て,その前半に大切な要素が含まれてい る.ピアノの持つメロディーと,歌のパートが持つメ ロディーが全く違うものになっているという点である.
それぞれのメロディーをしっかり歌うことが出来,尚 且つお互いの違いをよく聴き取りながらアンサンブル
を進めていく技術が必要となる.〈私のお父さん〉は,
オペラのアリアなので,ソリストそれぞれがどのよう に歌うかが任されているため,どのように感性を音楽 に乗せていくかが大切な要素となる.そして,ピアノ はオーケストラのパートを一気に引き受けているため,
よくそのイメージをもって弾くことが必要である.も う一つ,テンポ通りには動かない楽曲なので,どのよ うにソリストが歌うのかを逐一見て,ぴったりと合わ せなければいけない高度な一曲である.
全曲通して言えることは,前述した通り,共同表現 者である作曲者の意図をしっかりと把握して理解する ことである.そして,それぞれのソリストの持つ感性 を通して音楽を再表現していくということである.こ れは,音楽を表現するときに,どんなに小さな楽曲で も絶対に変わることのない大切な要素である.
学生の歌唱やピアノの授業において,「音程があって いない」,「テンポ通りに弾きなさい」という指導は,
云うにたやすい方法である.音楽を通じて自己表現を させるためには,常に学生が自分自身の演奏表現に疑 問を持つような提案をいくつもするということが必要 なのではないだろうか.我々講師陣は芸術音楽を体験 し表現をしてきたという自負がある.これは非常に大 切にしたいところである.教育養成機関においては,
その積み重ねを活かして,学生への教育にあたってい くという視点の転換を行う必要があろう.しかし,学 生の演奏技術のレベルを考慮して楽譜を簡素にしてし まうことに抵抗が無いとは言えない.なぜなら芸術音 楽の本質をそぎ落とすことになるのではないかという 危惧が生まれるのも確かであり,芸術の音楽と教育の 音楽が分離してはいけないと考えている.外部から見 ても立正大学の社会福祉学部における音楽の授業は,
カリキュラム的にも,内容的にも非常に充実している ものである.そこに学生が安住し,受動的な態度が垣 間見られるのは残念なことでもある.今回は祝賀会に おいて,我々内田と吉田は学部の20周年を寿ぐという 気持ちを持って演奏させていただいたが,今後学生達 にも披露できる機会もあろう.
学生が「この曲に挑戦したい」,「あのように演奏を したい」という気持ちが芽生えることによって,幼児 や児童らに音楽を愛好する気持ちを伝えられるような 授業をしたいと思えるように,我々教員も日々演奏に 精進しつつ,音楽教育の方向性を考えていきたい.
参考文献
・『ニューグローヴ世界音楽大辞典』第3,4,8,15,17巻(1994)講 談社
・レギナ・スメンジャンカ著,田村進監修,大迫ちえみ訳(2009)
『ショパンをどのように弾きますか? その答えを探してみま しょう』ヤマハミュージックメディア
・河上徹太郎著(1989)『ショパン―大音楽家と作品7―』音楽 之友社
・加藤浩子(2013)『ヴェルディ―オペラ変革者の素顔と作品―』
平凡社
(2018年1月15日受理)