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マルサスと英國古典派の動態理論
第一章緒 特に憤値論との關聯に於て
論 高橋次郎
経濟學の研究に志向する者の關心は︑現に吾々の佳む肚會の経濟に就いての認識に到達することに在らねば
ならない︒然るに︑現實に観る脛濟肚會は︑複雑なる具膣的特殊性と錯綜せる不噺の攣動性とを有する︒斯檬
めもももな脛濟肚會に就いての認識を成功的に導き出さんがためには︑如何にすべきか?・歴史學派は﹃國民経濟﹄の
もヘへ研究を提唱して︑直接に具盟的特殊性にぶつかつて行つて失敗した︒又︑實業家は︑實際枇會に就いては學者
よウ悉良く知つて居る︒しかし︑彼等は﹃私経濟﹄的観鮎に閉ちこもる事が多いのみならす︑叉現象の表面だ
わけで満足し勝ちであるの恨みを持つ︒故に︑吾々は是等の前者の轍を覆む事なく︑維濟肚會を客観的に﹃杜會
経濟﹄的に研究し︑しかも輩純に現象の表面をなで廻す代りにその本質にまで掘り下げて経濟法則の確認を行
マルサスと英國古典派の動態理論'二八三
1)GustavCasse1,FundamentalThoughtsillE◎onomics,Ig25,PP.3‑7.
二入四
はなければならない︒それがためには︑﹃抽象﹄の助けを借りて分析を行ふ︒﹁具髄的なものを根擦として置
へもももき︑非本質的なものと思はれる特殊性を捨象する事によつて︑或る具盟的普遍即ち属又は力及び法則を抽き幽
ハす事ーζれ即ち分析的方法である︒﹂分析の絡極貼は︑綜合の出襲鮎である︒綜合によつて︑吾々は︑抽象
から具盟へと上向する事が出來る︒
理論経濟學は︑固より︑抽象的科學である︒だが︑最も翠純な抽象が斯學にとつての自己目的ではない︒そ
れは︑た穿現實肚會の認識のための手段たるに過ぎない︒古典派の維濟學は︑富の諸形態の分析によつてその
内的關聯を把握しようと努めた︒が︑その主力は静態的・均衡的研究に注がれた︒叉︑後に嚢生せる主観學派
も均衡理論の建設に專念した︒
併し乍ら︑職後の維濟的攣動並びに稜展は︑動態維濟の研究の必要を教えた︒だが︑これは均衡理論即ち静
態理論の無用を物語るものではない︒その上に立つて︑資本主義経濟の存在(︒︒︒εのみならす︑生成つ壽a︒昌)
叉は攣動の過程をも︑研究しなければならない事を意味する︒此庭に新たに導入せられるものは︑﹃時聞的維
過と︑それに封懸して畿生する経濟的攣動﹄である︒吾々は︑この経濟的鍵動の過程をも理論的に取扱はなけ
ればならないのである︒
扱て︑動態理論の研究に際して︑現實に生起する経濟的愛動をば一系列の異質なる蓮動形態に分析する事が
わ必要である︒先づ始めに︑これを﹃構成攣動﹄と﹃景氣攣動﹄とに分ける事が出來る︒更に︑前者は偶穫攣動
1)G.W.瓦Hegel,Encyclop乱diede写pムilosop珂5ch⑳Wお 纈 咽 垂 釦,転n
Gr蔓mdτisse.neuherausg.vonG.Lasson.Ig20。S.Ig8.
2)vg1.EmstWagema=m,Konlunkturlehre.1928.S、44‑63.
と趨勢憂動とに分け︑後者は季節攣動と景氣攣動とに分ける事が出來るbけれどもも経濟的饗動を理論的研究
め封象として観る時には.た穿趨勢攣動と景氣攣動のみが表面に浮がぴ出て來る︒そして︑此の爾愛動は相互
に制約し乍ら︑交錯七つ玉稜展する︒讐へて言へば醤﹃景氣憂動﹄と﹃趨勢憂動﹄と言ふ二筋め縣が絡み合つ
て一本の完き姿に於ける﹃経濟的攣動﹄と云ふ綱を作つて行くのである︒吾々の動態理論の研究は︑勿論︑そ
の申の景氣攣動を中心に行はる可きであるが︑然しそれは絶えす與件の痩動即ち構成憂動を考察の中に取入れ
る事にょつて︑釜々複雑なる現實の経濟肚會の攣動に就いでの認識へと接近して行かなければならないので
ある︒
所で︑主力を翻熊理論に注いだ古典派に於いて︑鍵動理論が如何に展開ぜられて居たか︒これを次に問題と
して取上げなければならない︒
私に與へられた題に︑﹃㌣ルサスと古輿派の機展,理論﹄であつ五︒私に︑︑此の遮の下に︑英國の古典派の學者のみな問題と
し六原稿な書き上げ牝のであろが︑それに餓りにも彪大なものとなり︑鯛減な命ぜられ六〇殆んど二分の一に削減し☆れめ
に︑鼓に提出せろ原稿は著しく最初のそれと異る姿なとるに至つ液︒第一章として構々詳しく述ぺ☆﹃動態魂論﹄と銘うちお
る方法論的部分に︑第二章に於け6翻診目めヨ搾r旨目醗憲戸冒げ昌o︒言舞け冨筐の債値論及び動態理論と共に︑割愛せざろ奄
得なかつたo斯かる事情に︑當然に︑併察の必要なもつ所のリカアドウの側に立つoゆ選の﹃販路観﹄︑及びマ〃サスに組す
めおωぎ9鼠帥の﹃所得不足就﹄にも鯛れる事な許さなかつ索oこれ等の入々への關観は︑他日為期すろ︒
今︑私は︑問題を限定し︑て︑特に債値論との關聯に於いで表oさと︑羅巴昏絹とに就いて研究の歩を進め︑
マルサスと英國古典振の動態理論二八五
t)幸 に して 、『古 典 涯 の 恐 慌 理 論 』t:就 い て は 、 谷 口 教 授 の 著 書 が あ おo改 造 杜 、 縫 濟 學 全 集 、 第14巻 、 『恐 慌 學 説 闘 塗 照 。
︑
二入六
マルサスが古典派の動態理論に封して︑更に一般的に言つて景氣饗動理論に封して︑如何なる地位を占む可き
かを吟味せんとするものである︒
第二章英國古奥派の動態理論
経濟學の鼻組﹀魯ヨoo巳昏は︑交換債値の尺度に就いても︑或ひは支佛勢働設︑或ひは投下勢働設を読くと
玲言ふ風に︑﹁非常な素撲さを以つて絶えざる矛盾の中に動いて居る︒﹂斯かる動摘的便値論から出稜して︑スミ
スは更に便格・賃銀・利子等に就いてその各々の﹃自然的﹄(静態的)歌態の研究を行つたが︑翠にそれのみに
ララぎセさる止らす﹃攣動﹄<講同翼ざ昌をも考察した︒彼は︑賃銀及び地代に逓増︑利潤に遍減の傾向ある事を述べ︑不完全
なりとは言へ﹃趨勢攣動﹄を問題としたが︑恐慌叉は景氣攣動の問題は︑極めて多面的なりしスミスに於いて
すら︑未だ経験せざりしが故に︑問題となるには至らなかつた︒
第闘節リカァドゥ(一)9<{血"凶O曽機αO)の憤値論と動態理論
距8a︒は︑スミスの債値論の矛盾を指摘して日ふ︑﹁若しも勢働者の報酬が常に彼の生産したる所のものに
比例するものであるならば︑一貨物に投ぜられたる勢働の分量と︑その貨物が購買する勢働の分量とは相等し
く︑而して何れも正確に他の物の︹便値︺鍵動を測定するであらう︒併し此の爾者は相等しくない︒前者は多
T)KatlMarx,TheorientiberdenMehrwert.II.S.2.(マ ル 〃 ス 冨 工yゲ シ
ス 全 集.第 九 巻 、P.16.)
2)AdamSmith,WeaユthofNations.Cannan,sEd.,p.71.(竹 内 課 、pp.222‑3) 3)ibid.,P・247.(竹 内 諦 、P・569)
4)ibid,,P.89.(竹 内 諦 、P.258)
くの事情の下に於ては一つの不憂の標準であつて︑他の物の︹便値︺愛動を正確に示して居るが︑後者は
めその貨物に比較さる︑貨物の数に慮じて千攣萬化するを冤れない◎﹂と︒
此の檬に︑リカァドゥは︑スミスから債値規定の誤れる一面を追放して債値の根本法則を確立する事に
ょつて後世に偉大なる影響を及ぼした所の・勢働便値読の礎石を据えた所の・最初の學者である︒
リカァドゥは述べて日ふ︑﹁人間の勤勢によつて増加し得ざる物を除外する限り︑勢働が眞實に総ての物
ララ の債値の根源である︑といふ事は︑脛濟學に於いて最も重要なる一個の學読である︒﹂コ貨物の債値は︑
換言せば︑その貨物と交換さる玉或る他の貨物の分量は︑其の生産に必要なる榮働の相封的分量に依存す
りる︒﹂﹁肚會の初期に於ては︑これ等の貨物の交換債値は︑即ち一貨物の幾干量が他の貨物と交換さるべき
のかを決定する所の基準は殆んど全く各貨物に費されたる勢働の比較的分量に依存するのである︒﹂それ故
に︑﹁一貨物の交換債値は︑その眞實債値叉はそれと交換さる玉諸貨物の眞實債値が攣更するに非ざれば︑
の攣更し得ない︒﹂と︒これによつて明かなるが如く︑彼は︑債値と交換債値との匠別を認識して居る︒先づ︑
債値(眞實債値︑絶封債値)は︑投下勢働量によつて決定せられる︒而してそれに基いて交換債値(相封便
値)が決定せられる︒從つて︑交換債値の攣動は︑結局投下勢働の相封量に基因する事となるのである︒
此の様に︑リカァドゥは︑便値從つて叉交換債値の中に含れて居る勢働の相樹的分量を問題としたが︑
しかしその質的方面を看過して居るのは不充分であると云はざるを得ない︒内・蜜舞xの言ふが如く︑﹁便
マルサスと英國古典派の動態理論二八七
1)DavidRicardogPrinCiplesofPoliticalEconomyandTaxation,ed量tedby
Gonner.1gI3P.9.(1ed.1817.);堀 樫 夫 謬 『 リ カ ア ド ウ 経 濟 原 論 』P.8;
小 泉 信 三 課 『脛 密 學 及 課 税 之 原 理 』(岩 波 丈 庫)p.Io.
2)原 丈 に は.『 交 換 慣 値 』 と あ る が 、 彼 の 眞 意i:sv)斯 く 改 め る0
3)ibid.,P。7・‑8;堀 謁P.7;小 泉 謬P.
4)ibi乱,P.5;堀 鐸P・5;tJ、 泉 謁 轟P・7・
S)ibid.,P.7;堀 課P.7;小 泉 諦P.9.
6)letters・fRicard・toTrower.(4.JUIy,182L)PP。i55・'一'6・
二八八
・値め軍位を構伐する勢働は︑た穿車忙平等の・.翠純の・李均榮働でばない︒勢働は特定の生産物に於て現
はれる私個人の勢働である︒しかるに︑生産物は︑便値としては枇會的勢働の禮化でなければならす︑
⁝⁝かくて私的勢働は直接にそれの反封物として肚會的勢働として現はされる︑かくの如き同質の勢働は
わそれの直接的反封物として抽象的一般的勢働として︑從つて一つの一般的等債に於て竃現はれる︒﹂
次に︑リカァドゥに於ける便値と債格との關係を見る︒﹁一貨物の債格は︑貨幣のみで現はされたその
わ交換慣値である︒﹂彼が﹃自然慣格﹄と呼ぶ所のものは︑勢働債値叉は自然債値と云ふよりも寧ろそれの
め鱒化したるδ修正せられだるもの︑即ち﹃生産便格﹄であると解ぜらる可きであらう︒而して︑市場債格
なるものは︑自然慣格を中心に偶然的に且つ一時的にそれより偏僑する所の債格を意味する︒それ故に︑
﹁究局に於て諸貨物の債格を左右しなければならない所のものは︑生産費であつて︑而して屡々言はれ來
りし如く︑供給と需要との間の比例ではない︒域る程︑供給と需要との間の比例は︑一貨物が需要の増加
叉は減少に慮じてヨリ大なる又はヨリ小なる分量に於て供給さる玉に至るまで︑暫時其の市場債値に影響
のを及ぼし得るであらう︒併しこの結果はた野一時纏績するに過ぎないであらう︒﹂斯う言ふ風に︑彼は全
然需要供給読を排する︒しかし乍ら︑彼にあつても︑猫占償格が全く需要によつて決定される事︑及び市
場便格は短期間需要供給關係によつて決定される事を認めセ居るのである︒けれども︑彼の理論の構想に
於いては︑全く自由競争と利己心とが支配して居るが故に︑それは﹃自由債格﹄である︒假令それが一時