企業の社会的責任と市民の社会的関与の研究(最終 報告)ビジネスと人権―国際経営論の視点から
著者 櫻井 結花
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
巻 21
ページ 65‑68
発行年 2018‑10‑01
その他のタイトル Addressing Human Rights Issues in International Business
URL http://hdl.handle.net/10723/00003490
【企業の社会的責任と市民の社会的関与の研究】
ビジネスと人権―国際経営論の視点から
櫻 井 結 花
(桃山学院大学 経営学部)
はじめに
生産の海外移転や積極的な海外市場の開拓など国境を超えた事業活動が加速する中、企業の社 会的責任の範囲が拡大している。サプライチェーンのグローバル化により、企業は自社やグルー プ企業による直接的な事業活動のみならず、海外の取引先や調達先の環境や人権に対する行為に まで責任を果たすことが求められている。企業が持続的な企業価値を創造するためには、人権問 題への積極的な取り組みが必要不可欠であるといえよう。本稿では、ビジネスと人権問題に関す る近年の潮流について国際経営論の視点から考察する。
人権問題とは
日本国内では、人権問題として、男女の賃金格差、正規・非正規の雇用格差や障害者の雇用、
職場でのハラスメントといった、労働者の差別や職場環境に対する対応や取り組みが主に議論さ れている。さらに近年では、技能実習生や外国人留学生を含めた外国人労働者の処遇についての 問題が指摘されている。また児童労働や強制労働、人身取引といった深刻な人権問題は、途上国 固有の問題として考えられがちである。上記の労働者の権利に関する事柄は当然ながら、人権問 題とは、食品・製品の安全性の担保の欠如による消費者の健康被害や工場建設によって引き起こ される大気や水質、土壌汚染などの環境破壊による地域社会への影響までも含むと考えられてい る。
国境を超えたサプライヤーの人権侵害を問われた事例
企業による対外直接投資の目的の1つとして、低賃金の労働力を提供する国に投資し、生産拠 点を設け、各国の生産要素の違いを利用して、コスト削減など経営の効率性を高めることがあげ られる(Dunning & Lundun 2008)。経営の効率性の向上を目的とした多国籍企業の途上国進出は、
先進国の消費者に安価な製品を提供することができる一方で、途上国労働者の搾取を助長してい るケースは後を絶たない。1997 年に、ナイキが生産委託をする複数の東南アジアの工場におい て、劣悪な環境での長時間労働、さらには強制労働や児童労働が慣行的に行われていることが発 覚し、ナイキ社の評判と株価が下落した(東沢、2015)。2013 年には、バングラデシュで、欧米 の大手アパレル企業の委託生産を行っている縫製工場のある8階建のビルが崩壊した。ビルのオ ーナーが安全対策を怠たり、警察の避難勧告に従わず、倒壊の危険性が極度に高いビルで従業員 を強制的に働かせた結果、1,000 人以上が死亡した。どちらの事例も、国際人権団体や消費者か らの批判の矛先は、発注元の大手先進国企業に向けられた。サプライヤーの人権侵害が発注元に
及ぶリスクは日本企業も例外ではない。2011 年には、日立製作所の部品調達先のマレーシア工 場において、ミャンマー人移民労働者の処遇をめぐって労働争議から訴訟へと発展した。世界の 日立支社には抗議メールが殺到し、デモ隊までもが出現した。国際社会からは、日立の社会的責 任を追及された。これを受けて、日立製作所は 2013 年に「日立グループ人権方針」を策定し、
社是と同じレベルに掲げ、人権問題を精査し、改善する仕組みをとりいれた(藤田 2014)。こ れらの事例は、サプライチェーン上の人権問題の軽視は、企業イメージの低下や経済的損失とい ったマイナスの影響を及ぼすことを示している。ゆえに、多国籍企業はサプライチェーン上の人 権リスクに対する取り組みの重要性を認識し、真摯に対応すべきである。
ビジネスと人権に関する国際的な枠組み
2000 年代にはいって、企業が責任をもつ範囲が拡大し、企業の活動が社会に与える責任の認 識、人権の問題も含めた企業のリスク管理体制の整備とその開示に関して積極的に取り組む国際 的な枠組みが構築されるようになった(加賀谷 2014)。2005 年に「企業と人権」に関する国連 事務総長特別代表に就任したジョン・ラギー氏は、2008 年に「人権の保護、尊重、救済の政策 フレームワーク」におい「人権デューデリジェンス」を提唱した。「人権デューデリジェンス」
とは、組織が及ぼすマイナスの影響を回避・緩和することを目的として、事前に認識・防止・対 処するために取引先などを精査するプロセスを示す。この枠組みは、企業の社会的責任に関する
IOS26000 国際標準化規格の「人権」に関する項目に取り入れられている。IOS26000 は、“持続
可能な社会の構築や発展のために、組織は、どのような社会的責任を果たす必要があるのかを解 説した手引書である”(三輪 2018)。2011 年には、国連人事理事会において、「人権デューデリ ジェンス」を基盤とした「ビジネスと人権に関する指導原則」が日本を含めた参加国により承認 された。指導原則には、企業は「人権に関する方針の策定、自社のグループ全体の事業活動や、
取引先との関係における行為が、人権に及ぼす影響の評価、サプライチェーンの監査とレビュー への取り組み、パフォーマンスの評価や開示など『人権デューデリジェンス』を尊重すること」
が求められている(菅原 2015)。この指導原則に基づき、「OECD多国籍企業行動指針」が改訂、
実施された。国連は 2015 年に、2030 年までに達成すべき 17 の目標と 169 のターゲットを
(SDGs)を定め、誰一人取り残されない社会の構築、社会の持続可能性には、企業を含めたす べてのステークホルダーの環境問題と人権問題への取り組みが必要不可欠であることを強調した。
このように、企業は自社の行為のみならず、ビジネス関係を有する取引先や調達策の行為にたい しても社会的責任を持つべきであるという「人権デューデリジェンス」の概念のもと、国際的な 枠組みの整備が加速している(牛島、オーエンズ、名越、2017)。
国際経営論におけるビジネスと人権についての議論
上述した通り、ビジネスと人権に対応する国際的な枠組みの整備が進んでいる。それでは国内 での企業レベルでの取り組みはどうであろう? 2017年に経団連がSDGs に基づく、「企業行動 憲章」に関するアンケートの結果と企業の取り組み事例を公表した。回答企業の8割がSDGsに 基づく「持続可能な社会の実現」を経営理念などに反映しているが、中長期経営計画などにまで
盛り込んだケースは 6割にとどまった。現時点では十分とは言えないが、今後企業内部にSDGs への関心や取り組みが広がって行くことが予想される。実務レベルでSDGsの関心が高まる中、
国際経営論においてはビジネスと人権はどのように位置づけられているのか? 開発経済学やソ ーシャルマーケティング論といった分野ではこの問題について積極的に取り扱われている。しか し、日本語の国際経営論のテキストにおいては、ビジネスと人権に関する記載はごく僅かであり、
言及の仕方も様々である。例えば、「グローバル経営入門」(浅川 2003)では“グローバリゼー ションの功罪”として多国籍企業による先進国主導のルールに対して注意を呼びかけ、「国際経 営」(安室 1993)では“コーポレートカルチャー”として多国籍企業に対して異質(多様性)
を容認し、自然環境への配慮をすべきことを強調し、「はじめての国際経営」(中川、林、多田、
大木、2015)では“多国籍企業に求められる企業の CSR”において、多国籍企業は、営利側面 以外の国際社会とのかかわりを企業課題の 1 つとして認識すべきであること述べ、「コア・テキ スト 国際経営」(大木 2017)では、“グローバル化に向けた更なる議論”において、ダイバー シティマネージメントの重要性について説いている。
ビジネスと人権問題は倫理的・法的問題を超えて、全世界的にビジネスや資本市場の視点から 議論されてきていることから(牛島、オーエンズ、名越、2017)、今後は、ビジネスと人権、特 に国境を越えたサプライチェーン上の人権について、国際経営論の中でより活発に議論し、学生 に周知していく問題であると考える。
終わりに
少子高齢化に伴い、日本企業は積極的に海外市場を開拓し、海外投資を行なっている。中でも、
新興国市場における海外子会社の比率が高まっている。にも関らず、日本企業においてはサプラ イチェーンにおける人権問題に対する対応が遅れているとの指摘がある(山田、2015;牛島、オ ーエンズ、名越 2017)。新興国・途上国では法制度が未整備、或いは違反に対しての罰則が不 明確、法規定があっても、法の執行性が脆弱であることから、企業活動全体の中で人権が尊重さ れていないリスクが高い(山田 2014)。新興国におけるビジネスと人権問題への対応が持続的 な企業価値創造には不可欠であることから、日本企業のビジネスと人権問題へのより積極的な取 り組みが必要となるであろう(加賀谷 2014)。同時に、大学においても国際経営論の講義では、
ビジネスと人権問題をシラバスに正式に組み込み、その重要性を学生に伝える取り組みを早急に 行う必要があると考える。
<参考文献>
Dunning, J.H. and Lundan, S. M.(2008)Multinational Enterprises and the Global Economy, 2nd ed. Edward Elgar.
浅川和弘(2003)『グローバル経営入門』日本経済新聞出版社
安室憲一(1993)『経営学入門シリーズ 国際経営』日本経済新聞出版社
牛島慶一、アシュリーオーエンズ、名越正貴(2017)「ビジネスと人権―日本企業の取り組みと課題(特集)ビジネスと人 権に関する国連指導原則にもとづく日本の行動計画策定にあたって―政府・企業・市民社会は何を求めるのか、何を 求められているのか」『アジ研ワールド・トレンド』No263(2017.08)pp.16-19
大木清弘(2017)『コア・テキスト 国際経営』新生社
加賀谷哲之(2014)「ビジネスと人権問題と持続的な企業価値創造」『アジ研ワールド・トレンド』No223(2014.05)pp.9-13 藤田香(2014)「世界の供給網で高まる人権リスク」『日経ビジネスオンライン』2014年10月6日(月)
東澤靖(2015)「ビジネスと人権:国連指導原則は何を目指しているのか」『明治学院大学法科大学院ローレビュー』No22
(2015.03)pp.23-40
中川功一、林正、多田和美、大木清弘(2015)『はじめての国際経営』有斐閣ストゥディア
山田美和(2014)「ビジネスと人権―2016 年国連ビジネスと人権初のアジア地域フォーラム開催される(国連フォーラム報 告)」『アジ研ワールド・トレンド』No250(2016.07)pp.56-59
日本経済団体連合2018年11月『企業行動憲章に関するアンケート調査結果』
山田美和(2014)「特集にあたって 日本がはたすべき人権尊重の責任―新興市場におけるビジネスのあり方とは―」『アジ 研ワールド・トレンド』No223(2014.5)pp.2-4
※ 本報告書は、国際学部付属研究所共同研究「企業の社会的責任と市民の社会的関与の研究―大学と 社会をつなぐ体験的な学びの視点から」の最終報告書である。