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『蒙古襲来絵詞』で学ぶ中世の武士像

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(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

『蒙古襲来絵詞』で学ぶ中世の武士像

著者 倉持 祐二

雑誌名 高円史学

巻 8

ページ 36‑54

発行年 1992‑10‑01

その他のタイトル Images of the Warriors of the Middle Ages

learned from "Moko Shurai Ekotoba" (蒙古襲来絵 詞)

URL http://hdl.handle.net/10105/8694

(2)

小学校六年生

﹃蒙古襲来絵詞﹄ で学ぶ中世の武士像

1 鎌倉・室町時代の武士をどう教えるか

倉     持     祐     二

子どもたちが描く武士に対するイメージは︑﹁武士は城に住み︑いくさをしながら︑賀沢なくらしをしている﹂﹁いつも刀

をさしている﹂ととらえていることが多い︒これは︑﹁水戸黄門﹂などのテレビ番組の影響をかなり受けている結果であろ

う︒これは︑中世の武士と近世の武士の姿を区別しないでとらえていることに原因がある︒そこで︑小学校の歴史教育にお

いては︑それぞれの時代の武士の特徴を正しくとらえさせるために︑﹁武士の時代﹂を﹁農村に住む武士の時代﹂と ﹁城下

町に住む武士の時代﹂の二つに大きく分けて指導していくことが必要である︒

特に︑中世という時代は︑有力農民が他の豪族や有力な農民から自分の土地を守るために︑武装して武士化していくこと

を特徴とした時代である︒そこで﹁農村の中から出てきた武士﹂﹁村に住む武士﹂というとらえ方をさせるために︑一つの

︵ 1

荘園の景観を例示しながら︑﹃武士のおこり﹄・﹃武士の登場﹄という単元で扱っていきたい︒

さらに︑中世の武士の特徴をつかませるには︑武士は幕府との契約関係︵﹁御恩﹂と﹁奉公﹂︶によって自分の領地を認め

られていることを教えるのも欠かせない内容となる︒﹁御恩﹂と﹁奉公﹂の契約関係を教えるための教材として︑従来は北条

ー36−

(3)

政子の﹁いざ鎌倉﹂が代表的だったように思う︒ところが︑﹁いざ鎌倉﹂の話の中で︑土地を媒介にして契約関係が成り立っ

ていることは事実では直接語られていない︒﹁御恩﹂と﹁奉公﹂の関係を事実を通してつかませることができる教材として︑

元との戦いにおける﹁竹崎季長の行動﹂が扱えないかと考えた︒﹃蒙古襲来絵詞﹄における季長の行動を通して︑当時の武

士が何のために戦い︑どのようにして自分の土地を認められたのかがはっきりと理解できると思ったからである︒

すでに︑同じ発想で竹崎季長を教材化した実践も出ている︒山本典人氏﹃小学生の歴史教室上﹄の﹁土地に生命をかけ

︵ 2

る武士﹂の中で︑竹崎季長を教材化する視点を山本氏は次のように述べている︒

従来わたしは︑幕府と御家人の﹁御恩﹂と﹁奉公﹂の関係を頼朝政権樹立のところで説明していたが︑図式的説明の

ため観念的になりがちであった︒︵中略︶ ﹁御恩﹂と﹁奉公﹂をダイナミックな歴史内容で教えられないか︒⁝⁝そこ

で目をつけたのが本領安堵を粘い命がけで戦った竹崎季長である︒季長の戦いぶりを話し︑季長の命がけの﹁奉公﹂は︑

実は土地・恩賞の﹁御恩﹂にあやかりたかったためである︒

37

山本氏が述べているように︑季長は︑まさに命とくらしをかけて﹁奉公﹂し︑しかも﹁御恩﹂という恩賞を初めからねらっ

て行動している︒ここに︑当時の武士の特徴を読みとることができる︒

Ⅱ ﹃蒙古襲来絵詞﹄を教材につく日ソかえる

﹃蒙古襲来絵詞﹄︵これより先は略して﹃絵詞﹄という︶をどのような目的で︑どの場面を切り取って授業で使うかによっ

(4)

て︑授業も子どもたちが獲得する認識もまったく変わったものになる︒そ

れは︑戦前の歴史教育においては﹃絵詞﹄が皇国史観の昂揚に利用されて

きたのに対し︑ここでは﹁御恩﹂と﹁奉公﹂を教えるための教材として使

おうとしていることからもうかがうことができるだろう︒

小学校の教科書や市販の資料集に最も多く掲載されているのは︑一回臼

の元との戦いにおける季長と元軍の﹁戦闘シーン﹂の絵である︒そこでは︑

元軍の戦闘技術や元軍の構成︑さらに発展させて︑元軍が日本侵略を断念

した背景や鎌倉幕府滅亡の遠因に元完がかかわっていることが説明されて

い る

しかし︑﹁戦闘シーン﹂の一場面だけで︑戦闘技術の比較や元軍の構成 ︒

を説明するには小学生の子どもたちには無理がある︒なぜなら︑元軍の構

成といっても一人しか登場していないので︑異民族によって構成されてい

ることがわからず︑元軍の戦闘技術の要である集団戦法を視覚的に確かめ

ることができないからである︒

そこで︑﹁戦闘シーン﹂の場面の前後を﹃絵詞﹄から取り出して並べて

みた︒すると︑子どもたちにも視覚的に戦闘技術や元軍の構成が比較でき

るだけでなく︑元軍に対するさまざまな疑問や興味も浮かんでくる︒

︵ 注 釈  

﹃ 絵 詞 ﹄

③  

﹁ 季 長 と 元 軍 の 戦 闘 シ ー ン

﹂ ︶

ー38−

(5)
(6)
(7)

さらに︑﹃絵詞﹄では︑一回目の元との戦いを終えた季長が︑鎌倉へ出かけて恩賞をもらって帰る場面へと話がつながっ

ていく︒﹁鎌倉へ出かけ恩賞をもらった﹂という事実を裏付けるために︑﹃絵詞﹄では︑元との戦いにおける季長の勇敢な戦

いぶりを意図的に描くという手法をとっている︒︵恩賞をもらう場面の絵については︑後述する実践記録に掲載︶

ここまでを教材として使うと︑恩賞をもらうために季長が生命がけで戦ったことの意味がつかめるし︑生命がけで戦った

ことに対して恩賞を獲得したことも理解できる︒ここには﹁御恩﹂と﹁奉公﹂の契約関係そのものが表現されているのであ

る︒

ただし︑元軍が日本侵略を断念した背景や鎌倉幕府滅亡の遠因にまで結びつけようとするのは︑﹃絵詞﹄ である教材との

対応からしても︑教える内容からしても小学生には飛躍しすぎているのでここでは扱わないことにした︒

しかし︑﹃絵詞﹄などの史料を使う時には︑史料そのものが持つ限界にも目を向けておく必要がある︒それは︑﹃絵詞﹄が︑

季長自身が自分の功績や恩賞をもらった証拠を後世に残すために描かせたものであるからだ︒それゆえ︑﹃絵詞﹄ の主人公

は季長であり︑季長にとって都合のよいことしか描かせていないだろう︒このことの説明を欠くと︑季長たち鎌倉武士の勇

敢さだけが目についてしまいかねない︒それは︑﹃絵詞﹄の絵の解説文の中にもあらわれてくる︒

﹃絵詞﹄に描かれた世界には制約があるにしても︑当時の武士の姿をビジュアルにとらえさせる格好の教材である︒教材

には︑絵そのものの魅力を十分に生かすために︑解説の文は使わないことにした︒絵の中に描かれている事実を読み取るこ

とを通して︑子どもたちが歴史の授業において主体的に中世武士の特徴をつかむことができると考えた︒

−41−

(8)

Ⅲ ﹃絵詞﹄を軸にして授業をつくる

﹁農村に住む武士の時代﹂として単花を設定し︑全体の指導の流れを次のように設定した︒﹁農村に住む武士のくらし﹂と

﹁御恩と奉公の契約関係で成り立つ鎌倉幕府と御家人﹂の二つを教えることを目標にして︑単冗全体の指導から︑二つの目

標が達成できるように計画している︒

指導の流れ︵全四時間︶

(9)

第三時の授業においては︑﹃絵詞﹄に描かれている事実を拾いあげることが中心的な課題になる︒この時間につかんだ事

実をもとにして︑第四時の授業での季長の行動を読みとっていくという流れになっている︒

第四時は﹁季長は恩賞をもらうためにどのような戦功をあげたか﹂という課題を設定した︒その課題を解いていくための

方法として︑季長が恩賞奉行の安達泰盛に談合している絵を見せながら︑季長役と安達泰盛役を決めて談合場面を再現する

簡単な劇化を取り入れた︒子どもたちは季長役になり︑安達泰盛役には教師がなる︒季長役の子どもたちには︑恩賞にあず

からせるために戦功の証拠をあげさせていく︒その証拠が不十分であれば︑泰盛役になった教師が不十分さを指摘し︑さら

に劇の中で会話の中身を練りあげさせることにした︒

戦功の証拠を掲示させたのは︑奉公をしていた事実を確かめさせることにつながるからである︒さらに︑奉公の事実をあ

げさせていくことで︑戦功をあげようとしたのは恩賞をもらうためだったということが理解できると考えたからである︒

43

Ⅳ 実践記録﹁竹崎季長 鎌倉へ﹂  一九九一年六月七日の授業

ねらい 元との戦いの後︑竹崎季長は恩賞︵土地︶をもらうために鎌倉へでかけていったことをわからせる︒

﹃  

﹄ は

教 師

の 言

葉 ︒

﹁  

﹂ は

子 ど

も の

発 言

︒ Q

は 発

閏 ︒

肥後国から鎌倉まで

﹃前の時間は﹃蒙古襲来絵詞﹄の上巻を見ました︒その続きの話があります︒今日は︑続きを勉強します﹄

﹃﹃蒙古襲来絵詞﹄の主人公は︑竹崎季長でしたね︒この絵︵前時に見せた絵︶は︑一二七四年の一回目の元との戦いです︒

(10)

歴史プリント(22) 元との戦い一竹崎季長鎌倉へ!

一 二 か ・                                     護 ! ご 伊

順 柚細 岡

ユ ギ

十十 藷 ふ  窟     て竹郎挙罠の敢 . 慮

苛 み

. l

リ     溶 . サ     一 一                     巧

丘  .

i三一 も . 州 1…‖: . : …・

き         .         爾 評   _ . 芸・ 、八ノ 1

. と 甲 , 遜 潤 一 冠 さ

く ∵ ㍉涌闇訂 童

■澤懇肇禦・

. も

. 薫箪 ′ 、 ▼ 一 、 1 ふ深 轡 十

※飴ま絹日加わた?

・10月鋤 恩賞輯母鰍会う。

・11月1日

・2人のと捕つれて軋      ・三舵馬1頚と練の賢金抽らう。

・射って、旅の資鈍。

・見送るもの軌。

・この練の願い柑なえな桝膿接して、再び故か鵬ち紬。

この戦いの後︑季長はどうでしたか?実は︑二回目の戦いが一二

八一年にありますが︑季長は鎌倉へ行ったのです︒どのようにして

行ったのか︑それを示したプリントをわたします︒﹄

﹃季長が出発したのはどこ?﹄

﹁ 肥

後 国

﹃そう︑肥後国八千代郡竹崎というところ︒だいたいこのあたり︒

︵地図で示す︶出発したのはいつ?﹄

﹁ 六

月 三

日 ﹂

﹃一二七五年の六月三日です︒一回目の戦いの次の年︒そこから︑

どこへ行った?﹄

﹁ 長

門 国

﹃ そ こ か ら ど こ へ ﹄

﹁ 京

都 ﹂

﹃ 次

は ﹄

﹁ 鎌

倉 !

﹃鎌倉についたのはいつですか?﹄

﹁ 八 月 一 二 日

ー44−

(11)

﹃何日かかっていますか?﹄

野 村

  ﹁

七 〇

日 ﹂

ここで︑季長の決意と鎌倉への道程を説明する︒

﹃肥後国を出発するのに︑二人のともを連れて出発した︒出発した時刻は午前三時︒前の時間に季長のマンガを見たでしょ

︹ 5 し

う︒そのマンガを見て感想を出してくれましたが︑﹁生活が貧しく︑豊かでない︒﹂というのが多かった︒だから七〇日もか

けて旅を続けるお金がない︒そこで︑自分の馬を売って︑お金をつくった︒午前三時で見送る人は誰もいなかった︒今度の

この七〇日の鎌倉への旅︒もし願いがかなえられなければ︑出家をして二度と肥後国には戻らない覚悟で出発した﹄

﹃長門国である人に会っています︒三井季戒という人︒ここで︑季長があまりにかわいそうなので︑三井から馬をもらっ

ていった︒そして︑鎌倉へついた﹄

﹃鎌倉へついたのが八月二一日︒それから一〇月三日に安達康盛に会う︒八月一二日に鎌倉へ着いているのに︑安達康成

に会ったには︑一〇月三日︒季長は安達の家を何回も訪ねたのに︑会ってもらえなかったのです︒﹄

45

福村 ﹁元との戦いで︑だいぶ活躍したのではうびをもらいに行った﹂

福村君の発言を全員で確認する︒

﹃そう︑史料集にものっていると恩いますが︑はうびをもらいに行ったのです︒ところで︑ほうびって何をもらったの﹄

(12)

藤 原

  ﹁

土 地

と か

︑ 馬

と か

季長の恩賞獲得作戦

﹃その時の二人の話し合いの様子が︑この絵の中にあります︒︵下の絵を

見せる︶季長はどちらですか?﹄

百 村

  ﹁

右 側

﹃そうですね︒さて︑ほうびはもらえたかな?﹄

﹁もらえた!﹂﹁どうかなぁ﹂という声︒

Q はうび︵土地︶をもらうために︑季長は何といって安達康盛に話

したと思いますか︒今日はこのことを︑じっくり考えてもらいます︒

﹃では︑これから学習する順番をいいます︒班で相談して︑季長を一人

決めて下さい︒安達康盛役は先生がします﹄

﹁季長役は班長がするの?﹂

﹃いいえ︑班の代表者は誰でもよろしい﹄

﹃安達康盛役の先生が聞いていて︑どこの班がうまく話して︑﹁よし︑こ

れならはうびをやろう﹂となるか︑どうか︒九時二〇分まで班での話し合

ー46−

︵ 註   ﹃ 絵 詞

﹄ ・

﹁ 安 達 泰 盛 に 談 合 す る 季 長

﹂ ︶

(13)

の 時 間 を と り ま す ︒ ﹄

しばらく︑班での話し合いが続く︒

﹃一度︑話し合いをやめなさい︒会話文ができあがっている班だけで︑一度やってみましょう︒まだの班や足りないとこ

ろが出てきた班は︑他の班が発表しているのを聞いて付け加えてもよろしい﹄

季長と康盛の会話を再現する指示

季長と康盛の話し合う場面の会話の進め方を説明します︒はじめに︑康盛役の先生が︑﹁なんの用じゃ﹂といいます︒

その後で︑季長役のみんなは話を始めて下さい︒では︑始めます︒

大門君が季長役

康盛 ﹃何の用じゃ﹄

季長 ﹁はうびがほしい﹂

康盛 ﹃なぜ︑はうびがほしい﹄

季長 ﹁乱が起こった時︑生命を捨てて戦ったのではうびがほしい﹂

康盛 ﹃わしは見ておらん︒どんなふうに戦った?﹄

季 長   ﹁ ⁝ ⁝ ︵ つ ま る ︶ ﹂

(14)

北中くんが季長役

康盛 ﹃何の用じゃ﹄

季長 ﹁元との戦いで︑日本軍は苦戦しました︒むこうはタイコやドラなどを使って作戦を立て︑柵ややりなどの技術はむ

こうの方が有利でした︒そういう技術を持った元と戦いました﹂

康盛 ﹃戦った証拠はあるか?﹄

季 長   ﹁ ⁝ ⁝ ︵ つ ま る ︶ ﹂

劇化の内容を高めるポイント

今の二人との会話の中で︑大事なことを二つ言いました︒一つは︑戦った証拠があるかどうか︒もう一つは︑どんな

ふうに生命がけで戦ったのか︒この二つが会話の中に必要ですね︒では︑もう一度班で話し合いをしましょう︒

48

班での話し合いを再びもつ︒そして︑話し合いの再会︒

宮前君が季長役

康 盛   ﹃ 何 の 用 じ ゃ ﹄

季長 ﹁この前の元との戦いにて︑真っ先に飛び出して戦いましたが︑指揮官がそのことを訴えなかったので︑はうびをい

ただくためにこうして直接訴えにきたのです︒なにとぞはうびをいただきとうございます﹂

康 盛   ﹃ 証 拠 は あ る か ﹄

(15)

季長 ﹁証拠はこの戦いで︑左右に矢を射られ︑その傷がまだ治りません﹂

この会話を聞いていた子どもたちの問から歓声があがった︒

野村君が季長役

康 盛   ﹃ 何 の 用 じ ゃ ﹄

季長 ﹁はうびをもらいに来たのだ︒中国で強かった元の国と戦い︑勝利をおさめたので︑はうびをください︒お願いだ﹂

康盛 ﹃証拠はあるか?﹄

季長 ﹁戦いで負ったこの傷が証拠だ︒顔の一番はしの長い傷で︑深い傷をおったのじゃ﹂

川崎君が季長役

康 盛

  ﹃

何 の

用 じ

ゃ ﹄

季長 ﹁これは︑これは︑康盛様にはごきげんうるわしゅう︒実は︑今日ははうびをいただきにまいりました︒大事な馬を

売ってきたかいがありました︒元との戦いでは︑だいぶ苦戦しました︒それにしても︑元の大将の首を切り落とした

時には感動でした︒家でも我が家の家宝です﹂

康 盛

  ﹃

証 拠

は ?

季長 ﹁それでは︑血のついた槍でもお見せいたそうか︒それとも︑私の活躍をごまかそうとしている奴を白状させましょ

う か

49

(16)

北中君が季長役

康 盛   ﹃ 何 の 用 じ ゃ ﹄

季長 ﹁元との戦いで日本軍は苦戦しました︒タイコやドラなどを使って作戦を立て攻めてきました︒技術はむこうの方が

上でした︒それで︑ほうびをもらいにきました﹂

康 盛

  ﹃

証 拠

は ?

季長 ﹁この絵です︒︵﹃蒙古襲来絵詞﹄を指していう︶

梅田さんが季長役

康 盛   ﹃ 何 の 用 じ ゃ ﹄

季長 ﹁わたしは︑竹崎の季長でごさいます︒〝てつほう〟などを使った元軍と勇敢に戦い︑引き返させることができまし

た︒これが︑馬にささっていた矢です︒どうかはうびをいただきとうございます︒﹂

−50−

恩賞をもらう季長

班での発表が終わり︑発表の講評をする︒

﹃では︑はうびの結果を︒証拠をちゃんといっていた班は合格︒ただし︑誤解しているところがあるので説明します︒

この絵︵﹃蒙古襲来絵詞﹄︶は︑一二八一年の二回目の元との戦いの後に季長が描かせたものです︒証拠として残すために︒

自分はこれだけ勇敢に戦ったんだぞというのを残すために︒

(17)

みんなが今言ってくれたのは想像です︒ほんとに弓矢を持っていたのか

どうかは分かりません︒けれど︑みんなが今言ってくれたように︑一生懸

命お願いしたわけです︒それで︑はうびをもらえることになったのです︒

一二八一年の二回目の元との戦いが終わったのち︑証拠を残すために描

かせたのが﹃蒙古襲来絵詞﹄です︒

さて︑はうびをもらいました︒︵下の絵を見せる︶ はうびはなにか

な ぁ

一 斉 に ﹁ 馬 ﹂ と い う 声 ︒

﹃そう︑馬です︒では︑馬の上にのっているのは?﹄

﹁ 鞍 ﹂

﹃鞍ももらいました︒また︑土地ももらいました︒季長は︑七〇日もか

かって鎌倉へ行き︑一生懸命お願いしてほうびをもらった︒でも︑他の武

士はもらえなかった︒ほとんどの武士は頼みに行ってももらえなかった︒

なぜかというと︑この戦いは元が攻めてきた戦いなので︑勝ったからといっ

て土地を広げてはいない︒はうびをあげる土地がなかったのです︒

はうびをもらって帰路についたのが二月一日︒だから︑一カ月間ねぼっ

て話をしているのですね﹄

︵ 註   ﹃ 絵 詞

﹄ ⑦

・ ﹁ 恩 賞 を も ら う 季 長

﹂ ︶

(18)

﹃残りの時間︑康盛と季長の話し合いの場面︑季長がほうびをもらって

帰る場面の話をノートに書きなさい︒︵この課題は︑歴史絵本につながっ

て い

く ︶

Ⅴ 実践をふりかえって ﹄

授業記録の学習活動の中で︑子どもたちは次々と戦った証拠や手柄を考

えて発表した︒﹁左足に矢がささってここに傷がある﹂﹁元の大将の首をとっ

た﹂﹁証人を連れてきましょうか?﹂﹁馬にささっていた元軍の矢です﹂と

いうように︑安達康盛役のわたしに恩賞を要求してきた︒この歴史の再現

の場面が一番おもしろいところだった︒

授業を終えた後でわかったことなのだが︑子どもたちの恩賞要求の証拠

や手柄話は︑歴史の事実においても的を得ていたのには驚かされた︒相田

二郎氏の﹃蒙古襲来の研究﹄︵吉川弘文館︶には︑当時の戦功として次の

ような内容があげられている︒

ー52−

(19)

第一の戦功

第二の戦功

第三の戦功 討死・ぶんどり︵敵の首をとる︶ 先駆け・手負︵傷を負う︶

箭合︵せんごう・かぶら矢を放つ︶・一騎打

見継ぎ︵戦いを引き継ぐ︶

季長の戦功は︑〝先駆け″ 〝手負″ にあたると考えられる︒しかし︑〝先駆け″ の証拠はない︒そこで︑大将武藤景資か

ら︑〝先駆け″ の功を認知されたことを話し︑景資に御教書で確かめてもらうように告げた︒自分の首をかけての再三の訴

えに︑御恩奉行の安達泰盛もついに承知をしたという経過をたどる︒

この授業実践は︑一九九二年の歴史教育者協議会全国大会と近畿・東海サークル連絡協議会奈良大会﹁社会認識と教育部

会﹂において報告した︒その時に出された批判点を付記して︑課題としたい︒

・﹁﹃絵詞﹄に描かれている季長だけが恩賞にあずかったのはなぜか?﹂という疑問を子どもたちの中から引き出せると︑

元との戦いの性格を理解させることができる︒それは︑授業の中で史料を批判的に見ていくことにつながっていくので

は な

い か

・﹃絵詞﹄に描かれた元との戦いと実際の戦闘とはくい違っているところがある︒そのくい違いを意識した指導が必要

で は

な い

か ︒

・なぜ季長が必死になって恩賞にあずかろうとしているのかが︑子どもたちに意識されていただろうか︒

・所懸命﹂の意味を教えられる教材を発掘していくことで︑﹁御恩﹂と﹁奉公﹂の関係も理解させることができるの

〜53−

(20)

ではないか︒それを︑鎌倉前半に求めた方が土地を仲立ちにした関係をより正確に理解できるのではないか︒

︹ 註 ︺

︵1︶ 櫻本豊己 ﹁イラストで学ぶ小学校の歴史−﹁武士の時代﹂のイメージ化の一方法﹂ ︵奈良教育大学教育学部実研究指導センター

研究報告 甑1︶の﹁荘園に住む武士﹂に実践として掲載されているものを参考にした︒

︵2︶ 山本典人著 ﹃小学生の歴史教室上﹄ ︵あゆみ出版一九八五年︶

︵3︶ ﹃蒙古襲来絵詞﹄は︑奈良女子大学附属中・高等学校に保存されている﹁写本﹂を借りた︒﹁写本﹂︵カラー︶は︑大正期に歴史教

育の史料として使われていたようである︒授業では︑その﹁写本﹂をカラーコピーして使った︒

︵ 4

︶ ︵ 5 ︶   ﹃ ま ん が   日 本 の 歴 史 4

﹄  

︵ 大 月 書 店 一 九 八 七 年

︶   の ﹁ 竹 先 季 長 奮 戦 記 ﹂ を 参 考 に し て 授 業 を つ く っ た ︒

︵奈良教育大学附属小学校︶

54

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