奈良教育大学学術リポジトリNEAR
小学六年生「奈良県における社会運動」の授業実践
著者 井阪 潤一郎
雑誌名 高円史学
巻 11
ページ 40‑60
発行年 1995‑10‑01
その他のタイトル Social Movements in Nara for Sixth Graders URL http://hdl.handle.net/10105/8722
小学校六年生﹁奈良県における社会運動﹂ の授業実践
井 阪 潤 一
﹁教材について
六年生の担任となり︑社会科における日本の歴史の学習をすすめるにあたって︑心がけてきたことがある︒それは︑とか
く支配者階級の歴史的事実の伝達のみに流れがちな学習を改めよう︒そして︑実際にその当時の社会を動かす底流の力とな
り︑歴史を積み上げてきたのは被支配者層の民衆層であったという認識を持とう︒その上で︑常にどの単元でも民衆の立場
から考え︑子どもたちにも民衆の視点から見た歴史の捉え方をさせていこうという私なりの歴史観である︒また︑できるだ
け具体物︵資料や実物︶を提示したり︑野焼きによる土器作りやサヌカイト・黒曜石等を材料とする石器作りなど創造的な
活動をしたりしながら子どもの五感に訴えることで︑とかく出来事中心の考えない授業に陥りやすい歴史学習をより身近な︑
現代の生活にも大きく関わっているものとして興味深く捉えさせる学習を展開してきた︒しかし︑子どもたちのなかには歴
史上の事実を︑今ではない苦の手の届かないどこか遠くの世界で起こった自分たちには全く関係のない出来事として捉えて
しまう子どもたちもいた︒だから︑その子どもたちも含めて︑先人の築いてきた歴史の流れの上に︑今の自分たちが存在す
ー40一
るのだということやこれからの歴史は自分達自らが作り上げていくものだという自覚を持たせたいと考え︑﹁地域の教材化﹂
に取り組むことを歴史学習の一つの軸としてきた︒
本校では︑社会科の教科書としては︑大阪書籍の﹁小学社会﹂を使用している︒二学期もなかばとなり︑﹁新しい日本へ
のあゆみ︵1︶︵三︶日清・日露の戦争と条約改正﹂という大単元を学習する事になった︒その中で﹁3 社会運動の高ま
り﹂という小単元がある︒子どもたちにとって︑内容的にも政治的・経済的・対外的な要素がからみあったこの頃の近現代
史は大変難しい単元であり︑出来事中心の授業になりやすい︒内容としては︑第一次世界大戦後になると︑米騒動をきっか
けとしてロシア革命いらい世界的なデモクラシー気運の流入のもとに︑日本でも勤労民衆の組織化が進んだ︒すなわち︑労
働者・農民︵小作人層︶・女性・学生・市民・被差別部落民の諸運動が急速に広まっていったことを学習する単元である︒
私としては︑その当時の農民層の置かれていた立場やこういった民衆運動の原動力となる生活苦や政治的市民的な自由を求
めていく姿︑すなわち支配者階級によって奪われていた権利や自由を取り戻していく運動への共感を子どもたちが理解し︑
認識していく学習︑民衆の視点からの学習をすすめていくには︑﹁地域の教材化﹂が適切だろうと思った︒それらを踏まえ
て︑﹁奈良県における社会運動﹂の実践を授業で取り扱うことにした︒
ー41−
二︑水平社設立までの社会的背景から
大正五︵一九一六︶年十月︑大隈重信内閣に代わって寺内正毅内閣が成立した︒朝鮮総督として権勢をふるっていた寺内
は︑国内においても言論抑圧に乗り出したが︑第一次世界大戦中の経済の急成長と民本主義の潮流は容易にはせき止めるこ
とができずにいた︒翌年の十一月︑ロシアにおいてソビエト革命が発生した︒この事態に対して日本は︑シベリア出兵とい
う革命に対する干渉戦争を仕掛けていった︒この派兵は︑寺内政権にとってバイカル湖以東の東部シベリアからソビエト勢
力を追い出し︑反革命派による日本の塊偲政権を樹立し︑これまでロシアの勢力範囲であった北満州を日本の支配下におき︑
あわせて中国本土の政権を日本に従属させるというアジア支配構想の一環であった︒同時に大規模な軍備の拡張と国内の戦
時体制強化を目指していた︒アメリカとは︑日本が中国︑特に満州で﹁特殊ノ利益ヲ有スルコトヲ承認﹂させた石井・ラン
シング協定を結んだ上で︑一挙に約七万二千もの大軍を満州に送りこみアジア大陸東部制圧の野望を実現させようとしたが︑
その実現を阻止したのが米騒動である︒
出兵直後から約一カ月にわたって日本全土を駆け巡ったこの動乱は︑国内の戦時体制化をもくろんでいた政府にとって全
く逆の動きであった︒私は︑この米騒動こそが大戦後から盛り上がる民衆による組織的諸活動の出発点であり︑これから高
まっていく社会運動︑すなわち民衆勢力の支配者への抵抗運動の起点とみる︒大戦下の日本資本主義は︑異常な好況に恵ま
れ︑船成金など﹁成金﹂も出てきた︒その反面︑民衆はインフレのため生活苦を余儀なくされた︒増税により生活財が値上
がりしたのに加えて︑特に民衆をもっとも苦しめたのは︑米価の異常な値上がりである︒奈良県下においても︑一升当たり
の米価が︑二月では二十八銭であったものが︑七月では三十五銭︑八月一日には三十八銭︑五日には四十五銭︑十日には五
十五銭と跳ね上がり︑民衆を極度の不安に陥れた︒当時︑三郷町における部落産業関係︵皮革製品等︶の職人がもらえた一
日平均五十銭前後の賃金では到底軍えない程の高騰である︒これは︑基本的には民衆層の急増に米の増産が追い付けなかっ
たことに加えて︑大米穀商や地主の投機的な買い占め・売惜しみが原因であった︒以前から︑政府はインフレ抑制策をとら
なかったし米価に対しても大きな解決策を講じてはいなかった︒そこへ米価に決定的な影響を与えたシベリア出兵という事
ー42−
件が起ったのである︒民衆の不満や怒りは米騒動へのエネルギーに変わっていった︒
富山県魚津町の漁民の妻女数十名が米の県外移出を阻止するべく海岸に集合したのを皮切りに︑次いで西水橋町で数百名
の民衆が米屋や有力者に米の廉売を要請することで騒動は始まっていく︒これが新聞で報道されるやいなや︑一気に全国へ
波及していく︒騒動の参加者は何百万人にも及び︑主力はもちろん無産大衆である民衆である︒工場労働者はその一員とし
て参加したはか︑労働争議を起こした︒農村では︑飯米に困る貧農や小作争議中の小作人層が︑米商ではなく︑地主を襲撃
した︒被差別部落民の参加も二十二府県百十六町村に及ぶ︒生活的にも差別を受けてきた部落民の蜂起はむしろ当然といえ
る︒奈良県も例外ではない︒まず大和高田で二百余名の民衆行動が起こり︑奈良市から山辺郡︑北葛城郡︑生駒郡へと拡がっ
ていく︒しかし︑県下における米騒動で他府県との大きな相違点は︑騒動の中心となった階層が︑法隆寺や吉野郡竜門村等
一部を除いては部落民だったという事実である︒その背景として︑被差別部落であるが故の生活の窮乏に加え︑一般米穀商
たちからの部落民に対しては︑﹁一升買﹂すらさせなかった差別の厳しさが実在していたからである︒県下最大の部落があっ
た三郷町では︑民衆の蜂起を村の有力者たちは恐れて︑すでに八月十二日から米の廉売を早々に実施し︑騒動を回避してい
る︒米騒動には至らなかったが︑このことは︑民衆の団結力・抵抗力・組織力を支配者層が認めたからこその措置であり︑
部落民にとっては︑これ以後︑組織的に展開される社会運動への意識の高揚につながったと考えられる︒したがって︑奈良
県の社会運動を教材化するにあたっては︑通史的な米騒動とともに県内被差別部落民の行動を含めた県下における米騒動を
考えていく必要があると恩う︒そして︑運動の高まりの延長線上にある水平社設立をも見通した形での授業展開にする必要
がある︒もちろん︑事前に身分制についての学習や部落問題学習︑それ以前の歴史に潜んでいるあらゆる﹁差別﹂︑現代な
ら保障されている権利・自由の剥奪についての学習等の成果につなげた形で取り扱わなければならないことは言うまでもな
−43−
\
○
−.
騒動は結局国民に銃弾を発射した軍隊の力で鎮圧され︑少なくとも三十名の死者︑七千七百八十六名の起訴︑無期懲役十 V
二名︑死刑二名を数えた︒この裁判にも︑差別が色濃く影を宿している︒差別裁判の色彩が濃い判決内容である︒死刑にさ
れた二名は共に和歌山県内の被差別部落民なのである︒この米騒動によって政府のシベリア出兵にからんだ画策は完全に消
える︒それどころか政治責任を問われ寺内内閣は総辞職︑代わって原敬率いる政党内閣が誕生し︑大戦終結にともなう全世
界的なデモクラシーの風潮も加わって民衆層の社会運動が加速的に進んでいく︒
米騒動は植民地化されていた朝鮮や中国の民衆にも大きな衝撃を与えた︒日本帝国主義に対して米騒動が内なる民衆の抵
抗という位置付けをするなら︑外部からの民族的抵抗であり︑独立・解放を目指した大正八︵一九一六︶年の﹁朝鮮三・こ
﹁中国五・四﹂の両運動である︒この単元については︑本稿で記述する授業後におこなったのだが︑これらの両運動とも政
府は武力によって抑圧を加えていく︒場所こそちがえ︑政府・国家権力・支配者に対する民衆の立ち上がりであり︑現代社
会に生きる我々にとって歴史から学ぶべき大きな反省点であり教訓でもある︒
その後も戦後恐慌の嵐の中︑民衆による社会運動はますます進展していくのであるが︑やはり奈良県の社会運動を考える
うえで欠くことができないのが︑全国水平社並びに各部落毎の地方水平社の設立であるといえる︒そして︑﹁民本主義﹂を
唱え︑第一次護憲運動︑ついでは普通選挙運動へとつながる大正デモクラシーのオピニオンリーダーとなった吉野作造が︑
﹁現代日本に於ける最も真剣なる民衆運動の一つ﹂と評している初期水平社運動︑部落解放運動ほど︑奈良県内においては
他の諸運動と比しても大きな高まりを見せた民衆運動はないと考えるからである︒
一44−
三︑水平社設立を重点指導する理由
奈良県内においても︑様々な組織が作られ︑様々な形での社会運動が展開されていく︒その中でも︑この単元で重点指導
をしようとしたのが︑﹁部落解放運動﹂であり﹁水平社運動﹂の出発点でもある﹁水平社の設立﹂である︒その理由として
は︑以下の六点が上げられる︒
① 奈良県における社会運動の実践にあたって︑どの運動・民衆層にスポットを当て︑﹁時代﹂を認識させていけばよいか
という点で︑教材化の可能性が考えられたのは︑全国レベルでの発生件数︑規模等からみては︑小作争議や労働争議の両
争議・両階層を取り上げてもよかったが︑奈良県においては目立って多くなく︑総じて﹁時代﹂を把握できるだけの特徴
的な事件は起きていない︒むしろ︑前述したように︑米騒動︑第一次世界大戦後のデモクラシーの中で差別の不当性を訴
え︑人間性の回復に向けて展開されていった社会運動である水平社運動を取り上げる方が奈良県の場合︑地域の教材化と
いう視点からも適切な社会運動の事例であるといえる︒逆にいえば︑奈良県の社会運動を考えるにあたってはこの時代に
興った水平社による初期部落解放運動を抜きにしては考えられない︒
② 水平社宣言を起草し︑水平社結成の中心人物である西光万吉が主となり広めていった水平社運動は︑この奈良県から始
まり︑全国へ波及していったものである︒その点で彼は︑奈良県という子どもたちにとっても身近な地域と大きく関わり︑
近代史上︑県史上︑偉業を成し遂げた人物であるといえる︒
③ 当時の社会矛盾の全てが被差別部落に一極集中していったことから︑ここを焦点化することで﹁時代﹂が見えてくる︒
④ 奈良県は︑被差別部落の数で他府県と比べても群を抜いて多く︑未だに部落差別が発生し︑あとを断たない︒また三郷
−45一
北小学校がある三郷町内にも︑奈良県最大の差別の残る被差別部落があるという事実を考慮した︒︵地区出身児童もクラ
スに
いる
︒︶
④一概に︑部落民といっても︑地主から小作地を借り受けて農業を営む小作農民層であり地主層と対立を見せたり︑零細
家内工業である皮革産業︑いわゆる部落産業で生計をたてている賃労働者であり︑労使関係の対立である労働運動とも関
わっている人たちもいた︒そのことからも︑両層の問題も同時に扱えることができると思った︒
⑤ 三郷町内でもこの被差別部落を中心に水平社運動が起こり﹁西和水平社﹂という組織が設立され︑部落解放運動を力強
く推し進めていったという事実がある︒子どもたちと歴史を結ぶ地域教材になりうると考えた︒
⑥ 本校の教育推進目標として同和地区を含まない本校でも部落問題学習を積極的に進めていくことが掲げられているし︑
奈良県においても同和教育の重要性を指し示す指導要項・指針等がだされている︒
そこで全国レベルでの通史の中に﹁地域教材﹂をうまく溶け込ませ︑子どもたちの実感・共感のわく授業の創造に取り
組んでいった︒
46
四︑
指導
計画
︵全
四時
間︶
第一次 度重なる戦争によって民衆の生活が圧迫され︑ついには米騒動という事態にまで発展した歴史的経過を知り立ち上
がった民衆の恩いや願いにせまる︒︵こ
第二次 第一次世界大戦以後の社会矛盾から起こってきた社会運動の高まりについて考える︒︵一︶
第三次 水平社を設立するに至った被差別部落の人たちの恩いや願いにせまる︒︵一︶
第四次 自分たちが住んでいる三郷町にも当時︑西和水平社ができたことを知り各自意見を持つ︒︵一︶
◎ 課外で他教科と関連させながら学習を進めていった︒特に道徳科において︑﹁なかま六年﹂﹇奈良県同和教育研究全編﹈
を使
う︒
五︑展開について︵◎⁝主要な最終発問である︶
﹇本時のねらい﹈度重なる戦争によって民衆の生活が圧迫され︑米騒動にまで発展した歴史的経過を知り︑47
2 1 第
ヽ ヽ
第 〇 衆 目 次
の 楕
次 [ [ 生 ・
立 ち 上 が っ た 民 衆 の 願 い に せ ま る
○
世 軍 軍 活 日
界 事 備 に 露
轡 絹
紺 摘日 賦 獅 取隻 品 空 色 査収 た 税 響
制
( ) で 税
戸 を も 負
主 優 減 担
﹇シベリア出兵﹈
﹇戦地へ大量の軍需物資の移出﹈
3︑大戦後の様子を知る︒
4︑米騒動が起こったことを知る︒
﹇名古屋で起こった米騒動の挿し絵﹈
5︑当時の民衆のいかり︑思い︑願いを考え︑発表する︒
6
︑ ま と め る
初めて起こった世界中を巻き込む戦争であり︑日本は輸
出を拡大し好景気となる︒
日本も日英同盟を理由に参戦する︒
一転して大不況になり︑物価が高騰した原因を読み取る︒
︵欧
米諸
国の
経済
復興
︶
教科書から︑その経過や政府のとった行動を読み取る︒
米価の変動グラフから値上がり状況を知る︒︵約三倍︶
◎当時の人々はどういう気持ちで米騒動に参加していっ
たんだろうか?
〜資料A〜
48
授業の実際
T⁚今までに日本が大きな二つの戦争をしてきた事を習ったね?覚えてますか?
Cl⁚日清戦争と日露戦争です︒︵説明︶
T⁚そう︒二つとも大きな戦争だったね︒ところで戦争をするのには何が国にとって必要になるのかな?
h⁚兵士がいる︒武器とか︒きっかけがいる︒国がいる︒国がないとできない︒
T 3
CT .4
︑L
T
5
CT 6
CT
T 7
︑L
T
T C8
⁚ ⁚まとめてなんて言うの? ⁚まきあげた︒平民︑農民︑新平民から︒ ⁚今日のこの時間は︑戦争にかかったお金にこだわります︒政府はどうやってお金を用意したと思いますか? ⁚食料がいる︒たくさんのお金がいる︒ ⁚そうだね︒相手がいるよね︒他にないかな7 人は機械のように動かないね︒国民
︑し
⁚国民からお金をとるために一番簡単なやり方は何だと思う?
⁚税金としてとること︒
⁚今の消費税と同じやり方ですね︒当時もみんなが言ってくれたようにすごく税金が上がります︒難しい言糞だけど
税金が上がることを増税といいます︒
⁚今まで明治政府がとってきた税金はどんなものを習ったかな?
⁚土地の税金︒地租改正・・・地租︒
⁚でも︑これを簡単にあげることはできなかったよね︒︵実物の地券を提示︶この地券は前にも見せたけど︑途中で
地租の値段が下がるんだね︒なぜ?
⁚地粗改正反対一揆がおこったから︒
⁚だから︑政府は地租を簡単に上げることができなかったんだ︒そこで︑政府は︑新しい税金をかけていくようにし
ます︒たくさんあるけれど︑三つあげます︒その一つは町村税です︒
一49−
h⁚どういう理由でかけたの?
T⁚いい質問だね︒町に住んでいるなら︑町のため︑村のために税金を払ってくださいっていう名目でかけたんだよ︒
少しも戦争に使うって言ってないよね︒
T⁚はかに今の消費税と似ているんだけどある食料に税金がかかりました︒何だと思いますか?
T⁚その当時の調味料なんです︒
Cl
O⁚
酢で
す︒
納豆
︒
T⁚今︑みんなの家でたくさん使う調味料で考えて下さい︒
CH⁚塩︒砂糖︒こしょう︒醤油︒味噌︒
T⁚実は︑砂糖と醤油なんです︒税金がかかるってことは︑そのものの値段が7
歳⁚あがるってこと︒
h⁚こうなったら︑うかつにごはんが食べられなくなる︒どっちもよく使うもの︒
h⁚くらしは苦しくなる︒
玩=どれぐらい税金かけたのですか?
T⁚それは︑調べないといけないね︒でもものすごく高くなったらしいです︒
h⁚一番税金が高かったのはどれですか?
T⁚それもいっしょに調べないといけないね︒︵解答はわざとしなかった︒︶
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T⁚特に︑町村民税だけど︑払えない人もでてきました︒政府はどうしたか? 例えば︑三郷町の町民全部の税金が全
部払ったら︑三郷町を優良村として表彰しました︒﹁あなたの町は税金の支払いはいいですね︒﹂ って︒町単位︑村
単位で税金を掻き集めていきます︒町長さんや村長さんは︑自分たちの町や村で税金を払えない人をなくそうと︑
表彰してもらおうと努力するわけです︒政府としてはうまいやり方だよね︒
持⁚自分たちはやらないからだよね︒
T⁚そう︒確実に政府は自分たちに税金が入ってくるわけです︒そして︑また︑さらに大きな戦争を日本は始めていき
ます︒それが︑教科書に載っている第一次世界大戦なんです︒
︵教科書から事実を読み取らせる︒︶
T⁚戦争後の様子はどうなったんだろう?
︵教科書から事実を読み取らせる︒︶
T⁚特に︑米の値段のグラフを見てください︒一九一四年には︑十キログラム︑一円だった米がだんだん二円になり︑
三円を超えていくよね︒今だったら一円二円というお金はしれているけれど︑当時の暮らしから考えたら︑二倍︑
三倍に物価が上がっていくことになるよね︒そうなればどうなるかな7
歳⁚くらしが困る︒︵多数意見︶
T⁚その後︑どうなったのか?みんなが恩っている通り︑ある事件が起きました︒教科書を読んでみましょう︒
︵米騒動についてのあらましを読み取る︒︶
T⁚教科書には︑名古屋で起こった米騒動の様子がわかる挿し絵があります︒どんな様子かな?小さな事でもいいよ︒
Clg⁚棒を持っている︒米屋を襲っている︒
︵絵からわかることを発表させた︒︶
T⁚ここにいる人たちはどういう思いで米騒動をおこしたんだろうか?
資料A 米の値段を安く! 物価が上がっている時に米の値段まで上げないで! 生活に困っているんだから! 米をもっ
と安売りしろ! 売りおしむな! ただでさえ物価が上がっているのに! など米価の異常な高騰が民衆の生活を
脅かしていった現状やそれに対する民衆の怒りの声を表現する子がほとんどであった︒
T⁚今まで政府のやり方に口を閉ざしていた人たちも︑この頃から自分たちの願いを訴えていくようになっていきます︒
そのことを歴史の世界では︑社会運動の高まりと呼んでいます︒次の時間から︑その社会運動の高まりについて学
習していきます︒
﹇本時のねらい﹈第一次世界大戦後の社会運動の高まりについて考える︒
ー52−
① 小作人
教科書を振り返り︑当時の小作人
層の 悩み を考 える
︒
︵高い小作料・重労働・強い地主
の力・貧しい暮らし・子の身売り︶
◎どんな願いを持っていた?
・小作料の減免
・豊かなくらし
・労働の軽減 ② 労働者野麦峠をこえた娘たち等より当時の労働者がおかれていた状況を患い
出さ
せる
︒
︵長時間労働・低賃金・劣悪な雇
用条 件・ 若年 労働 者の 存在 等︶
③ 女性
教科書を振り返り︑当時女性のお
かれていた立場・女性に対する偏
見を
思い
ださ
せる
︒
︵就
学率
の低
さ・
家庭
科の
始ま
り・
参政権がないこと・女性差別︶
どんな願いを持っていた?
・労働条件の改善
・失
業者
対策
どんな願いを持っていた?
・参政権の獲得
・差別意識の撤廃
☆こういった階層の人たちが互いに力を合わせ︑自分たちの要求を訴え︑勝ちとろうとするために進めていった運動
が社会運動であり︑それ以降全国的に高まりを見せていったことを伝える︒
3︑それぞれの闘争で作り上げていった組合を教科書から読み取る︒
①農民組合 ②労働組合 ③女性解放運動︵育とう社⁚平塚雷鳥ら︶
4︑それ以後︑グラフから︑小作争議や労働争議等の社会運動が全国で頻繁に起こっていたことを読み取る︒
5︑意見発表をおこなう︒
6︑まとめ
◎あなたは︑社会運動の高まりについてどう田心いますか?
〜資料B〜
53
授業の流れ
T⁚五箇条の御誓文の内容を覚えている?
Cl⁚全ての国民の願いがかなうような政治をする︒悪い慣習はやめる︒会議を開いてみんなで決める︒
T⁚でも︑その内容と今勉強している時代は全く違うようだね︒当時の民衆たちはどんな願いを持っていたのかな?
︵教科書を読み︑階層ごとに発表しあう︒︶
T⁚小作人はどんな願いをもっていたの?
h⁚小作料を少なくしてほしい︒貧しい生活はいやだ︒楽に暮らしたい等︒
T⁚工場で働く労働者はどうかな?
h⁚長時間労働を考えて! もっと給料を上げろ︒もっと健康を考えてはしい等︒
T⁚女性はどうだったと思う?
い⁚選挙に出たい︒投票に行きたい︒学校で勉強したい︒男と差別するな︒
T⁚みんなもそうだけれど︑願いがあってかなえてほしいなと思ったとき︑一人よりも大勢で力を合わせて訴えていっ
た方が大きな力になるよね︒こういった人たちもそうするんだよね︒これを社会運動といい︑これからだんだん
盛り上がっていくんだよ︒どんなまとまりを作っていったか教科書で調べよう
h⁚農民組合︒労働組合︒育とう社︒
T⁚農民たちが自分たちの願いを力を合わせて訴えていった運動を小作争議といいます︒労働者の場合は労働争議と
いいます︒このグラフを見て下さい︒
54
T⁚小作争議や労働争議の行なわれた数を表すグラフですがどんなことがわかりますか? ︵発生件数のグラフを読む︶
h⁚だんだんどちらも増えていっている︒
T⁚そう︒全体で見ると社会的運動は高まっていくんだよ︒人々が自分たちの願いを自分たちの手で力を合わせて訴
えていく時代になってきたんだね︒
T⁚あなたは︑社会運動の高まりについてどう思いますか?
資料B 自分の願いを大勢で力を合わせて訴えていくのはいい事だと思います︒今までにいろんな事に対して声を出す
ことができなかった人︑参加できなかった人達が積極的に参加しようと立ち上がったんですから︒
社会運動が高まりを見せていくことについての肯定的な意見が多く︑むしろ当り前に起きてきた必然的な出来
事であったと捉えている意見がほとんどであった︒
55
﹇本時のねらい﹈ 水平社が設立されるまでの被差別部落の人々の恩いや願いを考える︒
2︑解放令についてふりかえる︒
・新平民という餞称を生む結果となる
・士族・華族・皇族など新しい身分制を新たにつくる︒
3︑副教材の﹁曙の誓い﹂を読み︑感想を出しあう︒奈
良県同和教育研究全編﹁なかま﹂より
4︑水平社が設立されたことを知る︒
5︑設立されたことを知った当時の人々の気持ちにせま
り︑発表しあう︒
6︑まとめ
差別を受けてきた人々にとっては待望の法令であったこと︒でも実際は﹁形だけの解放﹂ であったということを思い出
す︒
実際に︑奈良県で起こった差別事件であることを知らせ
る︒差別されてきた人々の願いや恩いにせまる︒︵団結す
る必要性・社会の矛盾に対する怒り・差別の不当性等︶
教科書︵﹁山田少年のさけび﹂より︶
◎水平社が設立された時の人々の気持ちを想像しましょ
う︒また︑どんな願いから作られたと思いますか?
〜資料C〜
56
授業の流れ
T⁚渋染一揆を覚えているかな?
Cl⁚﹁なかま﹂で習ったよ︒死を覚悟に︑部落の人たちが自分たちの願いを岡山藩の武士たちに訴えていって︑願いを
勝ちとった江戸時代の一揆です︒
T⁚解放令って覚えているかな? ︵回答︶
T⁚明治の世の中になっての話を読もう︒
︵﹁曙の誓い﹂を読み︑感想を出しあう︒︶
h⁚解放令が出されても差別がなくなっていない︒団結して訴えていくことの大切さがわかった︒︵差別に気づく︒︶
T⁚部落の人たちもこういう願いをもっていたんだね︒この事件は︑実際に奈良県の高田市で起きたことなんです︒米
騒動の時は︑部落の人だという理由から︑米屋はいくらお金を持っていっても売ってくれなかったところもありま
す︒この後︑どうなったでしょう
︵教科書で水平社が設立されたことを知る︶
T⁚水平社が設立された時の部落の人たちの気持ちを想像しましょう︒
資料C
・私は水平社がみんなの差別された怒り︑悔しさからできたものだと田心います︒人々の差別に立ち向かっていこう︒負け
ないでがんばっていこう︒みんな悲しい恩いをしているんだ︒﹁曙の誓い﹂みたいな悔しい思いを︒みんなに伝えよう︒
伝えていこうと︒米騒動の時だって︑お金があって米が買えるのに︑差別されているからって︑買わせてくれないなんて
ひどい︒だから水平社ができた時には︑差別されていた人々はすごく喜んだと思います︒
・水平社は差別され続けられた人が﹁このままじゃ︑いつまでたっても差別はなくならない︒私達の恩いを訴えていかな
ければ︒﹂という気持ちがあったから水平社を作ったのでは︒そして︑水平社が設立された時は︑﹁私達のいかりを︑気持
ちを︑政府に訴えていくぞ﹂という気持ちだったのではないかと思います︒差別され続けた人は水平社ができてうれしかっ
たかもしれません︒差別のない世界の第一歩を進んだのでは・・・
57
・もっと自分たちの意見を聞いてほしい︒一人では聞いてもらえなかったけれど︒文句をいわれ︑汚いもの扱いされ︒そ
んな悔しい思いはみんなしてきたはずだとみんな言いあっただろう︒自分たちがされたことは︑決して後の世代につなげ
たくないと思っただろう︒
感想のどれをとっても︑水平社設立という歴史的事実を︑﹁民衆﹂の視点からより的確に︑自分たちにとってより身近な
事としてとらえている意見が多い︒また︑当時の人々の切実な反差別に対する思いや願いに共感し︑より深い心情にせまっ
ている意見も数多く見られた︒社会運動展開の基礎となる﹁団結すること﹂の重要性に気づく子も増えた︒
﹇本時のねらい﹈ 三郷町にも西和水平社ができた事実を知り︑意見を持つ︒
1︑西和水平社設立までの歴史的経過を知る︒︵児童にプリント配布する︶
・皮鼻緒の生産・大和川の水運業が主な産業であったこと︒
︵現在でも多くの皮革製品が身の回りにあることを伝えていく︒︶
〜ランドセル︑ベルト︑サイ7︑くつ︑グローブなど〜
・解放令が出される二か月前に﹁死牛馬処理権﹂の剥奪を書いた御触れ書が出されたこと︒
・これにより︑原料としての皮が入手困難になり︑土地や家屋を質入れしてまでしないと現金で購入できなくなった
人もいた︒
・長時間労働を余儀なくされたこと︒家族総出の零細家内工業であったこと︒
・一年中仕事はなく︑半年は出稼ぎにでないと暮らしていけなかったこと︒
・皮鼻緒の製造はとても重労働であったこと︒
・しかし︑人々の努力で︑最盛期には全国皮鼻緒生産の約八十%のシェアを誇ったこと︒
・﹁大和の銀座﹂と呼ばれ︑様々な娯楽施設や遊技場・劇場・映画館・小料理店等が建てられ︑仕事を求めて多くの
労働者が集まる地区だったこと︒
・米価の高騰・物価上昇によって三郷町にも米騒動が起こりかけたこと︒
・一部有力者によって実施された寄付金や米の廉売によって回避されたこと︒
・大戦後の大不況の影響を皮鼻緒生産も受け︑生活苦に悩む人々が増加したこと︒
・その頃から起こり始めてきた水平社運動に呼応する形で︑数ヶ月後に西和水平社が作られたこと︒
2︑まとめる︒︵これ以後様々な闘争運動に積極的に参加し︑社会運動をすすめていったことを伝える︒︶
3︑感想を出しあう︒
◎明治から大正にかけてのこの時期をあなたはどう恩いますか? 〜資料D〜59
資料
この発問自体に疑問を持つ︒感想をみても︑﹁この時代は嫌な時代だ︒差別も多い︒今でなくてよかった︒﹂的な感想が D
たくさんでてきた︒今の生活に活かしていくこと︑学ぶべきところはないか?といった現代の生活に直結できるような発
問にすればよかった︒