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鈴 木 直 治

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(1)

再び「惟」について

鈴 木 直 治

ま え が き

1 西 周 以 前 に お け る 漢 語 の 特 徴

2 「 惟 」 の 本 質

2.1「発語辞」と解されていることについて 2.2「是」と解されていることについて 2.3「唯」が「諾」と解されていることについて 3 「 惟 」 の 用 法

3 . 1 基 本 的 な 用 法

3.2「独」・「専辞」・「但辞」と解されていることについて 3.3「惟」と「錐」との異同について

4《経伝釈詞》における大きな誤解 4.1「與」と解していること 4.2「以」と解していること 4.3「乃」と解していること

む す び

ま え が き

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私は,金沢大学教養部に在職中に,《金沢大学教養部論集・人文科学篇5(1967)》に,

「《書経》語法札記1」として,〈「惟」について>という小論を発表した。その発表後,数 年にして,その小論は,「惟」の本質のとらえかたに,きわめて大きな至らないところがあっ たことをさとった。その後,更に十数年,その間に,その小論は,部分的にも,訂正すべ きところ,補足すべきところが,なお多いことに気づいた。このたび,長い間,気になっ ていたそれらの点をも訂補して,全面的に書きなおしておきたいと思った。この書きなお した小論を,再び発表することを認めてくださった論集委員会のご厚意に深謝するととも に,同学の方々からのご教正をお待ちしている。

《書経》の中から用例をあげる場合に,前稿にならって,《真古文尚書集釈》(加藤常賢,1964,明治書

院)の頁数を注記しておいた。

l 西 周 以 前 に お け る 漢 語 の 特 徴

漢語は,その孤立語的な言語の特徴として,その語と語,句と句との間の語法的な関係

(2)

92 鈴 木 直 治

の表わしかたは,西欧の言語などに較べて,その相手の全体的な直観に期待していること が,より多いものといわなければならない。それで,漢語は,その相手力ざ直観しやすいよ うに話さなければならない言語であって,このことは,その孤立語的な言語という特質か らする大きな制約であるともいうことができる。

春秋以後の文献においては,文末に語気助詞が用いられていることが多い。《馬氏文通》

(vol.9)には,この文末の助詞について,泰西の言語におけるように,動詞に語尾変化のな いことを補うもので,華文独特のものであると説いている。この種の助詞は,話し手の発 話の気持ちを表わしているものである。それで,この種の助詞が多く用いられているとい うことは,その相手の心にうったえて,その気持ちを伝えようとしているのであって,西 欧の言語に較べて,漢語としての大きな特徴であるということができる。

文末の助詞は,このように,漢語としての大きな特徴であって,孤立語的な言語として,

欠くことのできないもののようにも思われる。しかし,《書経》の中には,この種の助詞は,

全体として,きわめて少ない。例えば,春秋以後,この種の助詞の中,もっとも多く用い られているものは,「也」であって,《論語》の中においては,その総字数に対して,3.3%

をこえる高い使用率のものであるが,《書経》の中には,一字も用いられていない。しかし,

《書経》の中には,その文頭や文中に,ある実義をもっているとは見られない助詞を用い ていることが,きわめて多い。「惟」は,その代表的なものであって,その〈商周書>にお いては,2.5%をこえる高い使用率になっている。

以上のような考察からすれば,漢語は,西周以前においては,文頭や文中に「惟」を多 く用いていたものから,春秋以後,文末に語気助詞を多く用いるものに変って来ていると もいうことができる。文末の助詞は,前述のように,孤立語的な言語としての漢語におい て,その発話の気持ちを伝える上に,大きな働きをしているものである。してみれば,《書 経》における「惟」も,やはり,同じように,話し手が,その発話についてのある意図を 伝えようとする働きをしていたものであったろうかと考えられる。しかし,この「惟」の 本質,その基本的な働きについては,これまで,中国においても,まだよく解明されてい ない。

2 「 惟 」 の 本 質

2 . 1 「 発 語 辞 」 と 解 さ れ て い る こ と に つ い て

《書経》における「惟」は,《詩経》においては,「維」の字形が用いられている。王引 之の《経伝釈詞》に,「惟」について,その最初に,「発語辞也」と説いている。これは,

《爾雅》の「郭注」に,「維」について,「発語辞」と注しているのを承けているものと思

われる。その《爾雅》の「邪疏」にあげている用例は,いずれも,文頭または句頭に用い

られているものである。王引之が,その用例としてあげているものも,文頭・句頭に用い

(3)
(4)

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不確定的という意味を伝えながら提起しているものであるのに対して,「故」は,楊樹達氏 の《詞詮》に,その「提起連詞」として挙げられている用例によっても,その副詞として の「原来」というような確定的な意味を伝えながら提起しているものと考えられる。それ で,やはり,あい対立するものが,一つの小類をなしているものということができる。

以上のように考察して来ると,「夫」と「惟」ともまた,あい対立しているものが,一つ の小類をなしているものと考えられる。「夫」は,もともと,指示詞としてのものである。

それで,「惟」もまた,もともと,指示詞としてのものであって,この「夫・惟」の小類力寸,

もともと副詞としての「蓋・故」の小類とあい対しているのであろうと考えられる。更に,

この「夫・惟」の小類において,「夫」は,もともと,遠指としてのものである(注2)。し てみれば,それに対立するものとされている「惟」は、恐らくは,もともと,近指として のものとされていたのであろうと考えられる。

「惟」は,上述のように,《文心離竜》においては,もともと,「夫」とあい対するもの とされていたように考えられる。このように,もともと,近指としてのもののように考え られる「惟」は,その提起のしかたも,やはり,遠指的な「夫」とは違って,近指的なき

びしい強いものであったように思われる。「惟」(4iuar)は,もともと,その声母d系の「是」

(dhieg)に近いものであるということは,六朝の頃までは,なお,よく伝承されていたこ とであろうと考えられる。

2.2「是」と解せられていることについて

《書経》の中には,ある事柄について,その歳月日時などを述べる場合,その文の冒頭 に,次のように,「惟」が用いられていることが多い。

(1)惟十有三祀,王訪干箕子。(洪範p.68)

〔「これ(武王の)十三年に,王が箕子を訪ねた。」〕

《経伝釈詞》には,「惟」についての「発語辞」としての用例として,上例をあげている。

一つの事柄について,その歳月日時などを述べるのに,このような「惟」を必須とするも のではない。《書経》の中においても,このような場合に,この「惟」が用いられていない ことも,少なくない。してみれば,上例におけるような「惟」は,まさしく,「提起発端之 辞」ともいいうるもので,その次の歳時であるということを,強く提起しているものであ

るということができる。

「惟」は,2.1に述べたように,もともと,近指の指示詞としてのものであったよう に考えられる。上例(1)のような用例は,その近指の指示詞としてのものが,そのすぐ次の 語句などを直接的に提起して強調する一種の助詞としての働きをしているもののように考

(注2)拙論:〈「夫」について−古代漢語指示詞札記4−>《金沢経済大学論集第17巻第2号(1983)》

参 照

(5)

再び「惟」について

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えられる。しかし,《書経》の中に見られる「惟」は,いずれも,この種の助詞としての働 きのものであって,指示詞としてなにかを具体的に指示して,文の主要成分として用いら れているような用例は見られない。

《書経》の中においては,「時」が,近指の指示詞として多く用いられている。この「時」

は,《爾雅》に「是」と解されており,《書経》〈堯典>の「偽孔伝」にも,「是」と解され ている。《詩経》においては,この種の用法の「時」は,《書経》よりも少なく,「是」がよ り多く用いられるようになって来ており,そのく国風>の中には,その「秦風・馴職」に,

ただ1例見られるだけである。その「毛伝」には,やはり,「是」と解されている。このこ とによっても知りうるように,指示詞としての「時」は,春秋以後,ほとんど,「是」に変っ て来ているのであって,《左伝》などの中においても,《書経》・《詩経》の中から引用され ているものを除いては,指示詞としての「時」は,一例も見られない。

春秋以後,近指の指示詞として常用されている「是」(dhieg)は,上述のように,《書経》

の中に数多く用いられていた「時」(dhiag)から転化して来たものと考えられる。また,

この《書経》の中における「時」は,更に「惟」(4iuar)から転化して来ていたものであろ

うと考えられる。「時」が,時には,次のように,上例(1)における「惟」と全く同じように,

文の冒頭に,その次の事柄の日時を強く提起するのにも用いられているということは,き わめて注意すべきことと思われる。

(2)時甲子昧爽,王朝至干商郊牧野,乃誓。(牧誓p.65)

〔「これ甲子の日の未明に,武王は朝早く商都郊外の牧野に至り,そこで(諸軍に)誓を立てた。」〕

《書経》の中において,近指の指示詞として多く用いられている「時」が,上例のよう に,その次の語句を強く提起する助詞としても用いられているということは,「惟」も,も ともと,同様のものであったということを示しているように考えられる。すなわち,「惟」

は,もともと,近指の指示詞として用いられ,また,その近指ということから,そのすぐ 次の語句を提起する助詞としても用いられていたのであるが,やがて,その指示詞として の用法は,その「惟」から転化して来ていた「時」によって継承されるようになり,ただ その助詞としての用法が,現在の《書経》を通じて,なお多く行われていたものであろう と考えられる。

《書経》の中には,例(1)のように,「惟」を用いて,その歳月日時などを強く提起してい る例は,よく見られるが,例(2)のように,「時」を用いている例は,ほかには見られない。

しかし,この例(2)を例外的な異常なものであったということはできない。「惟」を用いて,

その歳月日時を提起することは,《書経》においては,伝統的な雅馴な言いかたとして多く 行われていたものと思われるのであるが,また,現に近指の指示詞として常用されていた

「時」を用いることも,やはり,その正常な言いかたとして認められていたものであろう

と考えられる。

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96 鈴 木 直 治

「偽古文尚書」の「泰誓」には,この両様の書きかたが,ともに用いられている。すな わち,この「泰誓」は,その上・中・下三篇の冒頭に,いずれも,その事柄の歳月日時な どが述べられており,その上・中・の二篇には,「惟」を用いて,それを提起しているので あるが,その下篇においては,「時」が用いられている。これは,恐らくは,「泰誓」の偽 作者が,特にその文字を変えて,その表現の上に変化を与えようとする修辞的な意図によ るものであろうと思われる。また,このことは,その偽作者が,「時」を用いることも,そ の正常な書きかたであるということを,また,「惟」は,「時」の古雅な書きかたであり,

「時」の前身であるということを,よく知っていたことを示しているものであろうと考え

られる。

また,《文選》(vol.9)にあげられている曹大家の「東征賦」には,その冒頭に,「惟」を 用いて,その東征の年時を述べているのであるが,その「李善注」には,「惟,是也」と注 している。「泰誓」の偽作者も,もちろん,このことをよく知っていたものにちがいなく,

この「李善注」は,その古来の伝承をよく伝えているものと考えられる。

以上述べて来たことからしても,「惟」は,やはり,もともと,「是」の系統の近指の指 示詞であったものと考えられる。

次に,「惟」は,また,次のように,その次の文頭の主語としてのものを強く提起するの にも用いられている。

(3)惟漢十世,将郊上玄,定泰時……拓迩開統。(文選vol.7,甘泉賦)

〔「これ漢の十世(成帝)には,まさに上玄(天)を郊祭し,泰時(天を祭る祭壇)を定め,……基 業を広め,緒統を開かんとす。」

「李善注」に,「惟,有也,是也」と注している。〕

(4)召伯相宅,ト惟洛食。(文選vol.3,東京賦)

〔「召伯が居住するところを視察し,亀卜は,これ洛邑力ざ吉であった。」

この「東京賦」については,李善は,呉の諄綜の注を取り入れており,「惟,有也」と注されて

いる。

なお,この例の中の「惟洛食」の句は,〈周書>「洛詰」から取ったものである。〕

上例(3)の「甘泉賦」の用例について注記しておいたように,その「李善注」には,「惟,

有也,是也」と注されている。その中の「是也」と注されているのは,前述の「東征賦」

についての「李善注」と同じく,古くから伝承されていた注解をあげているものであって,

そのすぐ、次の語句,すなわち,主語の「漢十世」が,強く提起されていることを明らかに しようとしているものと考えられる。

また,この例(3)の注の初めに,「有也」と注されているのは,例(4)の「東京賦」について

の呉の諄綜の注に見られるように,この種の「惟」について,六朝早期の頃から行われて

いた解説のしかたを取り入れたものと考えられる。このような「有」は,主語の前に用い

て,その人物などの存在することを示すことによって,その述語の表わす動作・状態など

の主体としてのその人物などを強調するものであって,主語の人物などを強調するための

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再び「惟」について

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一種の表現法として,古くからよく行われて来ているものである(注3)。例(4)についての諄 綜の注も,その次の主語の「洛」が,強調されていることを明らかにするためになされて

いるのであって,単に存在することを表わす「有無」の「有」ではない。

例(3)についての「李善注」には,このように,古くから行われていた注解力: 二つなら

べてあげられているのである。その解説のしかたに違いはあるが,そのすぐ次の語句であ るもの,また,その次の文の主語であるもの,すなわち,「漢十世」が強調されていること を明らかにしようとしているものであることには変りはない。

なお,《文選》(vol.12)の「江賦」についての「李善注」には,「惟」について,「発語之 辞也」と注されている。その「惟」は,その次の文頭の一句を提起しているものであって,

やはり,「提起発端之辞」として,強調する働きをしているものである。

《文選》の「李善注」の中には,「惟」について,上述の三様の注解が取り入れられてい る。いずれも,古くから行われていたものなのであるが,その中,「是也」と注しているも のが,「惟」の本義をよく伝えているものということができる。

《経伝釈詞》の中には,「惟」について,その最初に,「発語辞也」と説いていることの ほかに,また,上述の「甘泉賦」についての「李善注」の中から,その「是也」と述べら れている点だけをあげて,「惟」には,「是也」と解しうる用法もあるとしており,更に,

「東京賦」についての「諄綜注」に,「有也」と述べられていることをあげて,「惟」には,

また,別に,「有也」と解しうる用法もあるとしている。王引之は,古人の注の真意をよく とらえようとしていないものといわなければならない。

2.3「唯」が「諾」と解されていることについて

《書経》における「惟」,《詩経》における「維」は,甲骨文における「佳」を継承して いるものである。それに対して,「唯」は,甲骨文の中にも,すでに若干用いられていたも のである。「佳」(尾の短い烏)の字形を仮借して用いられていたのに替るものとして,作字さ れていたのであろうと考えられる。《害経》の中には,一例もなく,《詩経》の中にも,一 例見られるだけであるが,西周金文の中には,用いられていたものであり,春秋以後の文 献には,「惟(維)」に替って,その常用字として,広く一般に,数多く用いられている。

それで,春秋以後における「唯」は,《書経》における「惟」を継承しているものであると もいうことができる。なお,《左伝》・《論語》などにおいても,時には,なお,「惟」が用 いられていることもある。しかし,《孟子》においては,「唯」は一例もなく,すべて,な

お,「惟」が用いられている。

春秋以後における「唯(惟)」は,その多くは,副詞的に用いられるようになって来てい

(注3)拙論:〈「有」による強調の表現について>《金沢大学教養部論集・人文科学篇2(1964)》参照

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る。《広雅》には,「唯」は,「独也」と解されている。しかし,《説文》には,「唯,諾也」

と解説されており,その「諾」については,「応也」と解説されている。また,《広雅》の 中にも,「唯」・「諾」について,「応也」とも解されている。「唯(惟)」が,春秋以後,「独」

とも解されるようになって来ていたことについては,後に3.2において述べる。ここに は,まず,「唯」が「諾」と解されていることについて,その「唯」の本質を究明すること

にする。

《説文》に「唯,諾也」と解説されてはいるが,この両者には,大きく違うところがあ る。《説文》の「段注」に,このことについて,次の例文をあげている。

(1)父命呼,唯而不諾。(礼記・王藻)

〔「父が人にいいつけて呼んだときには,「唯」と答えて,「諾」と答えない。」

《礼記》〈曲礼上>にも,同じ趣旨のことが述べられている。その「鄭注」に,「唯恭於諾」とあ

る。また,その「孔疏」に,「父與先生呼召,称唯。……不得称諾。其称諾,則似寛緩驍慢。」と述

○ ○ ○ ○

べている。〕

上例について注記しておいた「鄭注」・「孔疏」に述べられているように,「唯」は,父な どに呼ばれたとき,恭し〈すぐに答える返事であった。子が父にその名を呼ばれたとき,

すぐに「唯」と答えることは,《左伝》(昭公4年)にも,その例が見られる。

《広雅》には,「唯」・「諾」とならんで,「歎」・「然」なども,「応也」と解されている。

この中,「欽」は,「険」とも書かれているもので,「険」は,《説文》にも,「応也」と解さ れている。しかし,この「唆」(・ag)は,擬声語というべきものである。「唯」は,この「嶢」

の類のものとはいうことができない。楊樹達氏は,その《詞詮》に,この応答に用いられ る「唯」について,「諾也,然也」と説いている。「唯」の応答語としての特質を明らかに するためには,まず,この応答語としての「然」との違いを明らかにしておかなければな

らない。

「然」(nian)は,古代漢語において,その声母、系の中指の指示詞である。その相手の 話すことを承指して,「そのとおりである」ということを表わし,また,意動的に用いて,

「そのとおりであると認める」ということ,相手の話すことを是認するということを表わ すのにも用いられるものである。この是認するということを表わすことからして,人と応 答する際に,相手の話すことを肯定的に受けいれることを表わすのにも用いられている。

また,「諾」(nak)も,その声符の「若」は,やはり,その声母、系の中指の指示詞であっ て,「若,猶然也」(漢書・買誼伝,「筍若而可」注)などとも解されているものである。それで,

「諾」もまた,その相手の話すことを肯定的に受けいれることを表わすのに用いられ,更 に進んで,許諾することを表わすのにも,よく用いられるようになっている。人から呼ば れた場合の返事に用いられるのも,相手の話すことを肯定的に受けいれることからして,

相手の呼ぶことに対しても,それを受けいれることを表わすものということ力ざできる。

上述の「然」・「諾」に対して,「唯」(diuar)は,前述のように,《書経》における「惟」

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鈴 木 直 治

いのであるが,また,次のように,文中において,その強調しようとする述語の前に用い られていることも多い。

(1)惟王受命,無彊惟休,亦無彊惟│血。(周書・召詰p.116)

!●

〔「これ王には天命を受けられ,(それは,)限りなくこれ喜ばしく,また限りなくこれ心配でありま

す。」

この例の文頭の「惟」は,そのすぐ.次の主語の「王」を強く提起しているもの。《経伝釈詞》に

は,この例の後の二つの「惟」を,その「発語辞」と呼んでいるものと同じ類のものとしての「在

句中助語者」としている。〕

(2)价人維藩,大師維垣。(大雅・板)

〔「善き人は,これ国の藩屏,人民は,これ国の垣縞。」

劉棋の《助字辨略》には,この例の「維」を,その「発語辞」と呼んでいるものと同じ類のもの としての「語助辞」としている。〕

(3)万邦黎献,共惟帝臣。(虞夏書・皐陶謨p.25)

〔「万邦の多くの賢人たちは,すべてこれ帝の臣であります。」

《経伝釈詞》には,《玉篇》(大広益会玉篇)に,「惟,為也」と解されていることをあげ,その 用例として,この例(3)をあげている。楊樹達氏の《詞詮》は,この説を承けて,「惟」は,「是也,

為也」と解されているものであり,その「不完全内動詞」としての用法力ざあるものとし,その用例 として,この例(3)をあげている。楊跨如氏の《尚書籔詰》・屈万里氏の《尚書集釈》なども,《玉篇》

の解説をあげて,この例の「惟」を「為」と解しており,わが国においても,現在,この《経伝釈 詞》の説によって解説している人が多い。〕

上の例(1).(2)・(3)において,その「惟(維)」は,いずれも,語法的に必須のものではな い。例えば,例(1)については,同じく「召詰」篇に見える次のような例からしても,その ことが明らかであろう。

(4)王厭有成命,治民今休。(召詰p.118)

〔「王はきっと天の定められた大命をたもたれて,民を治めることが,すぐよく行われるでしょう。」

禁沈の「集伝」に,この例の後句を,「治民今即休美美」と訳解している。〕

また,上の例(2).(3)は,名詞述語文であって,古代漢語においては,現代漢語における

「判断詞」のようなものを必須とするものではない。次の二例によっても,例(5)における

「惟」が,語法的に必須のものでなかったことが明らかであろう。もちろん,その「惟」

の用いられている方力ざ,その名詞性の述語が,より強く述べられているわけである。

(5)厭士惟塗泥。(虞夏書・禺貢p.33)

〔「(揚州は,)その土質は,これ水気の多い泥土である。」

楊樹達氏の《詞詮》には,「惟」の「不完全内動詞」としての用例として,この例をもあげてい

る。〕

(6)厭土黒墳。(虞夏書・禺貢p.31)

〔「(衰州は,)その土質は,黒い肥えた土である。」

王力氏は,その《漢語史稿(中冊)》(1958,科学出版社,p.350)において,この例をあげて,

例(5)のような例における「惟」が,必須のものではなかったことがわかると述べている。〕

次に「惟」が,文中においても,そのすぐ.次の語または連語を強く提起しているもので

あることは,次のように,動詞の賓語を倒置して提起するのに用いられていることからし

ても,はっきりと見ることができる。

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再び「惟」について

107

な特異性・排他性を強調しているものとはいうことができない。「朱注」にも,例(6)の場合のよう に,「唯猶独也」などとは注していない。この例は,その弟子たちとの対話の際のもので,この

「唯」は,副詞的な日常語として,その人数の少ないことを表わしているものであって,劉漠とし ては,後述の「但辞」としての例とすべきものであったと考えられる。

それで,現代漢語に訳すとしても,例(2)について注記しておいた「唯独」などとは訳することが できない。唐満先氏の《論語今訳》には,「只有我和祢有這様態度ロ巴!」と訳している。〕

○ ○

劉漠が,上例(7).(8)を例としてあげて,「此 専辞也,猶云独也」と説いて,この二つの 用法のものを同じ類のもののように取りあつかっていることは,取ることはできない。し かし,劉漠が,「唯(惟)」について,「専辞」としての用法のあることに着目していたこと は,大いに注目すべきことと考えられる。

次に,《書経》における「音」は,前述のように,その集中・専一ということから,その 範囲の狭いこと,また,その数量の僅少なことを表わすのにも用いられ,「但」とも解せら れていたのであるが,「惟」にも,同様の用例力、見られる。

(9)岡敢涌干酒。不惟不敢,亦不暇。(周書・酒詰p.106)

○ ●

〔「あえて酒にひたるものはなかった。ただあえてそうしないばかりではなく,また,そうする暇も

なかった。」

「偽孔伝」に,この例の「惟」を「徒」とおき換えて,訳解している。この「徒」も,「但」と 同じく,範囲副詞の一種として多く用いられているものである。〕

劉漠も,「唯(惟)」について,前述の「専辞也,猶云独也」と解せられるとしている用 法とは別に,「但辞也」と解せられる用法があるとして,次のような例をあげている。

00)寡人之使吾子虚此,不唯許国之為,亦即I以固吾園也。(左伝・隠公11年)

○ ●

〔鄭伯が許の大夫の百里にいった言葉。

「わたしがあなたをここに居らせるのは,ただ許国のためばかりではなく,また,まずそれでわた しの国の辺境をかためようとするのです。」〕

(11)今王一怒而安天下之民,民惟恐王之不好勇也。(孟子・梁恵王下)

〔「いま王さまも,ひとたび怒って,天下の民を安らかにするというようであれば,民は王さまが勇 を好まれないことをひたすら心配するでしょう。」〕

上例(10)は,前の例(9)と同じような構文のものであり,その「唯」を「但辞」と見ること には,問題はない。しかし,例(ll)の「惟」は,この節の初めにあげた例(1)の「唯恐」の「唯」

と同じような用法のものであり,副詞としては,むしろ「専辞」というべきものと考えら

れる。

なお,この例(ll)のような「惟(唯)」が,「但辞」とされていることについては,大いに 気をつけておかなければならないことがある。「但辞」としての「唯」は,その範囲の狭く,

数量の少ないことを表わすものである。しかし,中国において,この頃刊行されている文 言虚詞についての解説書には,「唯」の用法として,「表示限干某小範囲」,「限定範囲,有排他

○ ○ ○ ○

的作用」などのように説いているものが多く見られる。「唯」は,その直指的・集中的とい うことからして,おのずから,その範囲が狭く,数量が少なくなっているのではあるが,

特にその範囲・数量を限定しようとしているものではなく,また,排他的な働きをしてい

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110 鈴 木 直 治

起して倒置しているものである。このように,そのすぐ次の語を,より強く提起するのが,

その本来の用法であったと考えられる。

「惟」と「錐」とは,上述のように,もともと,その語音も近く,語法的な働きも,極 めて近いものであったと考えられる。それで,例(4)について注記しておいた《経伝釈詞》

にも述べているように,その伝本などによっては,「惟」の字と「錐」の字とが,たがいに 入りかわって書かれていることも,少なくない。しかし,「錐」は,また,前述のように,

春秋以後,多く連詞的なものとして用いられるようになって来ている。この,もともとは,

同じような働きのもの力ざ,後には,違った働きに用いられるようになって来ているという ことが,「惟」・「錐」について,その本来の特質,その用法の把握を混乱させている大きな 一因となっているともいうことができる。この節の初めに,例(1)としてあげたように,そ の「惟」を連詞としての「錐」と解することが行われているのも,その一例である。

また,次例におけるような「惟」が,「錐」と解されているのも,やはり,「惟」・「錐」

の本質がよくとらえられていないものといわなければならない。

(5)威若時,惟帝其難之。(虞夏書・皐陶謨p.18)

〔楊掎如氏の《尚書籔詰》に,「惟,疑読為錐」と説いており,加藤常賢氏の《真古文尚書集釈》に,

次のように訓読している。

「みな時(かく)の若きは,帝と惟(いへど)も其れ之を難(かた)しとす。」

なお,禁沈の「集伝」には,「雛帝堯亦難能之」と訳解している。また,呉理氏註訳の《新訳・

● ○

尚書読本》(1977,三民書局)には,「就是堯舜亦覚銀難咽!」と訳している。

● ● ○

また,《論語》〈述而>には,「堯舜其猶病諸」と,述べられており,その「朱注」には,「錐堯舜

之聖,其心猶有所不足於此也」と説かれている。〕

まず,上例における「惟」は,その次の文の主語の前に用いられているものであって,

語法的に必須のものではない。注記の中にあげておいたように,《論語》の中に,同様の趣 旨を述べている文においては,この「惟」などが用いられてはいない。この「惟」は,そ の基本的な用法として,その次の主語を強く提起しているものである。その主語の「帝」

は,きわめて偉大なる天子として最も尊崇されている人物である。この例においては,そ の「帝」が,更に強く提起されているのである。また,注記の中にあげたように,察沈の

「集伝」においては,この「惟」を「錐」におき換えて解説している。「錐」は,前述のよ うに,もともと,「惟」よりも,その提起の語気が,より強かったものと考えられる。それ で,その「帝」が,一段と強く提起されるわけである。このことからしても,ある極端な ようなものを,特に強く提起しようとするときには,このより強く提起する「錐」の方が,

より多く用いられるようになって来ていたものと考えられ,それで,「錐」は,現代漢語に おける「就是」に近いような働きをもつようにもなって来ていたものと考えられる。「就是」

は,呂叔湘氏主編の《現代漢語八百詞》(1980,商務印書館)にも,その用法の一つとして,

「表示一種極端情況」と説かれているものである。

「錐」は,このように,ある極端なもの,その相手に取って意外に思われるようなもの,

(21)

再び「惟」について

111

このようなものを強く提起するのにも用いられることは,春秋以後の文献にも,よく見ら れる。その際,その強調されている語句などの後に,「亦」が用いられていることが多い。

「惟」・「唯」についても,なお,同様の用例が見られるのであるが,やはり,「錐」の方が,

その語気がより強いものであったと考えられる。

(6)富而可求也,錐執鞭之士,吾亦為之。(論語・述而)

〔「富というものがもし求められるなら,鞭を手にとって市場の門を守る仕事でも,わたしは,やは

り,やるでしょう。」

銭穆氏の《論語新解》(1964,新亜研究所)に,「冨若可以求,就是執鞭賎職,吾亦願為。」と訳

● ● O

している。〕

(7)且不唯泰誓為然,難禺誓即亦猶是也。(墨子・兼愛下)

〔「それに,ただ「泰誓」だけがそのようなのではなく,「禺誓」でも,まったく,やはり,このよう である。」〕

(8)至於味,天下期於易牙。是天下之口相似也。惟耳亦然。(孟子・告子上)

● ○

〔「味ということでは,天下すべて易牙に期待している。これは,天下の人の口力:似ているからであ る。耳でも,やはり,そうです。」

佐藤一斎の《孟子欄外書》に,「錐」の字として見るべきものとしている。〕

次に,「錐」は,また,その次の文の主題となっているものを,特に強く提起して,その ほかのものと対比して,そのものとしての立場,その特質などを,一段ときわただせよう

とするようなときに,よく用いられている。その際,その下句に,「則」力寄用いられている ことが多い。なお,「唯」が,このように用いられていることもある。

(9)難我小国,則蔑以過之美。(左伝・文公17年)

〔「これ我が小国としては,もうこれ以上のことはできません。」

《経伝釈詞》には,この例の「錐」は,「惟」と同じく,「發語詞」としてのものとしている。〕

(10雛四方諸侯,則何実以事呉。(国語・呉語)

O

〔「これ四方の諸侯としては,なにを信頼して,呉に事えましょうや。」〕

(11)唯求則非邦也與。(論語・先進)

● ○

〔「これ求の場合は,邦のことではないのでしょうか。」

佐藤一斎の《論語欄外書》には,例(8)の「惟」と同じであると説いている。〕

「錐」は,春秋以後においても,上述のように,「雛……亦……」・「錐……則……」とい うような形式で,その次の語句を特に強く提起するのにも用いられていたのではある力ざ,

やはり,主として,譲歩連詞として用いられるようになって来ていたものということ力苛で

きる。

4《経伝釈詞》における大きな誤解

《経伝釈詞》の中には,「惟」の用法について,古来の注解などをあげ,それを大きな一

つの根拠として,すでに述べたように,誤った解説のしかたをしていることが多い。この

章には,「惟」の用法として,王引之が始めて説き出した大きな誤解について述べる。

(22)

112 鈴 木 直 治

4 . 1 「 與 」 と 解 し て い る こ と

《経伝釈詞》には,「惟」について,「猶與也,及也」と説き,並列連詞としての用法が あるものとしている。これは,王引之が始めて説き出したことである。また,このような 用法のものとすることができるような用例は,きわめて少ない。このことが,まず,大き な問題である。

王引之は,次のような用例をあげている。

(1)(厭貢惟金三品・璃・現も篠・蕩・)歯・革・羽・毛,惟木。(虞夏書・禺貢p.33)

〔(揚州について,)「〔その貢は,これ金三品(金・銀・銅)・塔・現(ともに玉石の類)・篠・蕩(竹 の類)・〕歯(象牙)・革(犀の革)・羽(烏の羽)・毛(牛の尾),これ木(木材)。」

《経伝釈詞》には,「歯」以下をその用例としてあげている。

この例の「惟」も,その基本的な用法として,その次の語を強く提起しているものと考えられる。

この例において,その文末に「惟木」と書かれているのは,その貢ぎ物を数多く書きならべたので,

その最後に,ちょっと一息いれて,「惟木」と強く述べて,しめくくったものと考えられる。「惟」

が強く提起することを利用したもので,一種の修辞的な用法ともいうことができよう。

なお,この例の初めの方に用いられている「惟」については,王引之は,「為」と解されるもの

としていたのであろうかと思われる。3.1の例(3)についての注記を参照。〕

上例には,揚州からの貢ぎ物として,10種のもの力苛,並列的に書きならべられている。

しかし,「惟」は,その最後の一種のものの前に用いられているだけである。「禺貢」には,

その翼州を除く8州について,いずれも,その貢ぎ物が,並列的に述べられている。しか し,この「惟」が用いられていないことが多く,その梁州などは,同じく10種の貢ぎ物が,

並列的に述べられているのであるが,この「惟」は,一字も用いられていない。してみれ ば,《書経》においては,並列関係のものが,2種以上ならべられている場合においても,

この「惟」を必須とするものではなかったことがわかる。また,「惟」が,このように,並 列連詞とも解しうるような位置に用いられていることは,《書経》全体を通じて,きわめて 少ないものである。

《書経》の中においても,後述のように,並列連詞といいうるものがなかったわけでは ない。しかし,全体として,きわめて少ない。《書経》の中においては,その語と語との間 の並列的な関係は,主として,その語間に若干の「ま」をおくことによって,意合法的に 表わされていたものと考えられ,特に並列連詞によって表わすということは,例外的とも いえるほど,少なかったものである。してみれば,上例における「惟」が,たまたま,並 列連詞とも解しうるような位置にあるということによって,ただちに,その「惟」を並列 連詞とすることはできない。やはり,まず,「惟」の本質,その基本的な用法に立ちかえっ て考えて見なければならない。

王引之は,また,次のような用例をもあげて,その所説の証としようとしている。

(2)牧人乃夢,衆維魚美,流維旗美。(小雅・無羊)

〔「牧人乃ち夢みる,衆これ魚とれり,晩(亀蛇の旗)と,これ旗(鳥の旗)なり。」

「鄭菱」に,「牧人乃夢見人衆相與捕魚,又夢見旋與旗」と解説している。王引之は,この「鄭

○ ○

(23)
(24)
(25)
(26)

116 鈴 木 直 治

4 . 3 「 乃 」 と 解 し て い る こ と

王引之は,「惟,猶乃也」と説き,その用例として,次の二例をあげている。

(1)非予自荒絃徳,惟汝含徳,不暢予一人。(商書・盤庚p.49)

〔「予が自らこの徳をすてているのではなく,これ汝らが徳をすてて,予一人を畏れないのだ。」

楊向時氏のく尚書詞釈>《孔孟学報,第五期(1963)》は,この《経伝釈詞》の説によっている。

池田末利氏の《尚書》(全釈漢文大系11,1976,集英社)は,この楊氏の説をあげて,この例の「惟」

を,「すなはち」と訓読し,「かえって」と訳している。〕

(2)周錐旧邦,其命維新。(大雅・文王)

〔この詩句は,3.3に,「錐」について述べた際に,その例(2)としてあげた。〕

上例(2)の詩句については,すでに述べたように,その上下両句の連接関係は,意合法的 に表わされているものと考えられる。それで,その下句における「維」は,その基本的な 用法として,その次の「新」という述語を強く提起しているものと考えられる。例(1)にお ける「惟」についても,同じように考えられる。

「惟(維)」には,「乃」と解される用法があるということについて,《経伝釈詞》には,

ただ上の例(1).(2)の二例をあげているだけであって,その論拠となるようなことは,ほか になんら述べられてはいない。これは,王引之としては,このような二例があるというこ とが,その論拠となっているのである。この二例において,その上下の両句は,転接的な 関係である。しかし,この二例の下句には,その関係を明らかにしているような語は,ほ かに見られない。「乃」は,その主要な用法の一つとして,その上句に対して,転接的な意 味を表わすものであって,現代漢語においては,「却」・「反而」などとも訳されるものであ る。《経伝釈詞》の中にも,「乃」のこのような用法のものを,「異之之詞」また「転語詞」

としている。王引之は,それで,この二例における「惟」・「維」は,この転接的な「乃」

の意味のものと解してこそ,この二例における句問の連絡関係が,その語意の上からして も,より明確になるものと考え,それで,「惟,猶乃也」と説いたのであろうと考えられる。

王引之のこの説は,上例(1)についての注記の中にもあげておいたように,現在において も,なお,権威のある説として,多く取り入れられている。王引之が,このように,「惟(維)」

を「乃」と解し,それによってこそ,上例(1).(2)における句間の連接関係を,その語意の 上からしても,より明確なものにすることができると考えていたことは,王引之における 虚詞の研究のしかたを知る上においても,重要なことであろうと考えられる。しかし,王 引之におけるこのような考えかたは,現在,中国においても,必ずしもよくとらえられて はいないようである。次のような例の中における「惟」についても,「乃」と解している人 が,少なくない。

(3)一人有慶,兆民頼之,其寧惟永。(周書・呂刑p.181)

〔「(天子たる予)一人にめでたいことがあるならば,(天下の)兆民はそれにたよって,それ(天下 の)安らかなること,これ永からん。」

屈万里氏の《尚書集釈》に,「惟,猶乃也;経伝釈詞有説」と述べており,また,例(1)について

の注記の中にあげておいた楊向時氏のく尚書詞釈>にも,「惟」が「乃」と解される例としてあげ

(27)
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118 鈴 木 直 治

用いられていることは,《書経》のく周書>の中においては,わずか5例見られるだけなの であるが,《論語》の中においては,その総字数に対して,2%に近い高い使用率のものに なっている。また,この小論の4.1に述べたように,「與」が並列連詞として多く用いら れるようになって来ていること,4.2に述べたように,原因を表わすのに,「以……故」

という形式が発達して来ていることなども,その例である。

王引之の《経伝釈詞》は,その「自序」によれば,《書経》における助字の解明から始め られたものである。しかし,《書経》において最も特徴的な「惟」についての解説のしかた から見ても,王引之は,《書経》における西周以前の上古漢語としての特徴を,よくとらえ ていたものとはいうことができない。《経伝釈詞》の中には,「惟」について,計9種の用 法があげられている。しかし,それらの用法を通じて,「惟」としての一貫性はなく,その 本質については,なんら解明されていない。その用法としてあげられているものも,東周 以後における漢語を基準として,それにあてはめうるようなものを,その個々の用例とし ているものが多いように考えられる。

「惟」について,「與」・「以」・「乃」と解しうる用法があるとすれことは,王引之が,始 めて説き出したことである。王引之は,そのように解してこそ,その部分における句間の 連接関係が,その語義の上からしても,より明確なわかりやすいものになると考えたので あろうと思われる。しかし,王引之は,単に,その個々の部分の意味がわかりやすくなる ことを求めて,このような用法のあることを説いているのであって,それらの用法に通ず るもの,その「惟」の本質,その用法の基本になっているものを求めようとしなかったも の と い わ な け れ ば な ら な い 。

現在,中国においても,《書経》の中における「惟」について,《経伝釈詞》によって,

そのまま「乃」と解することは,なお,権威のある有力な一説として行われており,また,

「與」と解して,並列連詞としての用法をみとめること,「以」と解して,原因を表わす語 法成分としての用法をみとめることは,文言虚詞についての解説書の中にも,多く取り入 れられている。《経伝釈詞》の権威から早く脱出して,西周以前の漢語の特質に立脚して,

「惟」の本質,その基本的な用法を,明確にとらえるようにしなければなるまい。

(1989.10.15)

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