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消極的臨死介助(延命処置を諦めること)に関する スイスの議論状況

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(1)

《論  説》

消極的臨死介助(延命処置を諦めること)に関する スイスの議論状況

神  馬  幸  一 1. はじめに

1-1 問題の所在

ス イ ス 法 に お い て, い わ ゆ る「消 極 的 臨 死 介 助(passive Sterbehilfe;

euthanasie passive)」という用語は,人生の最終段階にある患者が「延命処置 を 諦 め る こ と(Verzicht auf lebenserhaltende Massnahmen; renonciation à des mesures de survie)1)」により,その者の(自然な2))死が迎えられる場合

1) ここでいう「諦めること(Verzicht; renonciation)」という表現は, 1997年にスイス 連邦法務・警察省(Eidgenössisches Justiz- und Polizeidepartement; Département fédéral de justice et police: EJPD / DFJP)の下で編制された「臨死介助作業部会

(Arbeitsgruppe Sterbehilfe; Groupe de travail Assistance au décès)」が1999年に 提出した報告書「Sterbehilfe; Assistance au décès」の13頁において用いられている。

当該報告書は, EJPD / DFJPのウェブサイト内において入手可能(2017年4月1日 確認)。当該作業部会は, 1990年代におけるスイスの臨死介助問題に関して,一定の 方向性をもたらす目的により招集された専門家委員会である(刑法学者は Université de Genève の Ursula Cassaniが参加)。従って,その後における当地の議論に大きな 影響を及ぼしているという意味でも,当該報告書は,重要な公的文書に位置付けら れる。そして,上記の「諦めること」という表現は, Trechsel S., Schweizerisches Strafgesetzbuch vom 21. Dezember 1937 : Kurzkommentar, 2. Aufl., Schulthess,

(1997), Vor Art. 111, Rn. 7を参考にしたものとされている。また,そもそも,日本 語における「諦める」という言葉は,本来,否定的な意味合いを有するものでもなかっ

(2)

を総じて概念化したものと把握されている。2)

しかし,ここで特にスイス・ドイツ語圏の議論状況を詳細に検証してみるな らば,その概念設定は,混沌とした状況にあることが分かる3)。例えば,そこ

た。その語源は,仏教用語としての沿革を有する「物事を明らかにして見極める」

という意味の「明(あき)らむ」が近世以降において「迷いを断ち切る」という意 味となり,更に転じて「断念する」という意味へと変化したものと考えられている。

この点に関しては,前田富祺(監修)『日本語源大辞典』小学館(2005)33頁参照。

2) このような死に至る過程の「自然さ」を強調するスイス法上の見解として, Jaag T.

/ Rüssli M., Sterbehilfe in staatlichen Spitälern, Kranken- und Altersheimen, Schweizerisches Zentralblatt für Staats- und Verwaltungsrecht 102 ⑶ , (2001), S.

116; Rehberg J., 5. Kapitel: Arzt und Strafrecht, in: Honsell H. (Hrsg.), Handbuch des Arztrechts, Schulthess, (1994), S. 316. その一方で,ドイツにおいては,この「自 然な死」という表現を批判する論者もいる。例えば,Duttge G., Menschenwürdiges Sterben, in: Baranzke H. / Duttge G. (Hrsg.), Autonomie und Würde: Leitprinzipien in Bioethik und Medizinrecht, Königshausen & Neumann, (2013), S. 348 ff.

3) 2000年 以 降 に お け る ス イ ス・ ド イ ツ 語 圏 の 主 要 な 論 考 と し て, Bänziger C., Sterbehilfe für Neugeborene aus strafrechtlicher Sicht, Schulthess, (2006), S. 61 ff.;

Donatsch A., Die strafrechtlichen Grenzen der Sterbehilfe, recht: Zeitschrift für juristische Ausbildung und Praxis 18, (2000), S. 85 ff.; Ege G., Der Behandlungsabbruch bei zerebral schwerst geschädigten Langzeitpatienten – eine rechtfertigbare Form der aktiven Sterbehilfe?, in: Andorno R. / Thier M. (Hrsg.), Menschenwürde und Selbstbestimmung, Dike Verlag, (2014), S. 289 ff.; Geth C., Passive Sterbehilfe, Helbing & Lichtenhahn, (2010), S. 12 ff.; Kunz K.-L., Sterbehilfe:

Der rechtliche Rahmen und seine begrenzte Dehnbarkeit, in: Donatsch A. / Forster M. / Schwarzenegger C. (Hrsg.), Strafrecht, Strafprozessrecht und Menschenrechte:

Festschrift für Stefan Trechsel, Schulthess, (2002), S. 620 ff.; Petermann F. T., Sterbehilfe: Eine terminologische Einführung: Klärung der sprachlichen Differenzierungen, in: Petermann F. T. (Hrsg.), Sterbehilfe: Grundsätzliche und praktische Fragen. Ein interdisziplinärer Diskurs, IRP-HSG, (2006), S. 34 ff.; Pieth M., Strafrecht Besonderer Teil, Helbing Lichtenhahn Verlag, (2014), S. 22 f.; Schürch S., Rationierung in der Medizin als Straftat, Helbing Lichtenhahn Verlag, (2000), S. 132 ff.; Schwarzenegger C., in: Niggli M. A. / Wiprächtiger H. (Hrsg.), Basler

(3)

で問題とされる行為の説明においては,前述したような「Verzicht(諦めること,

断念・放棄)」のみならず,「Nichtaufnahme(受け入れしないこと,差控え)」,

「Einstellung(留めおくこと,中止)」,「Abbruch(打ち切ること,中断)」とい うように,様々な表現が錯綜して用いられている。この用語法の不統一は,後 述するように,消極的臨死介助の場面において,不作為的態様だけではなく,

併せて作為的態様をも見出されることに起因するものと思われる。

この「消極的臨死介助は,不作為なのか?作為なのか?」という(ある種の 二者択一的な)問題に関して,ドイツの議論では,2010年6月25日付けの連邦 通常裁判所第二刑事部判決(いわゆる「Putz事件」判決)4)により,既に一定 の見通しが付けられている。そこでは,端的に(従前では許容性の論証が困難 とされていた)作為的態様をも含めて許容化する「Behandlungsabbruch(医療 的処置の中断)5)」という新たな法的表現が導入された。このドイツにおける 劇的な進展を受けて,その隣国スイスでは,どのような影響が生じているのか。

先ず,本稿における第1の問題意識は,この点を確認するところにある。

Kommentar StGB II, 3. Aufl., (2013), Vor Art. 111, Rn. 48 ff.; Venetz P., Suizidhilfeorganisationen und Strafrecht, Schulthess, (2008), S. 9 ff.

4) BGHSt 55, 191. このPutz事件に関しては,拙稿「ドイツ連邦通常裁判所二〇一〇年 六月二五日判決(Putz事件)― 人工的栄養補給処置の中止に関する新しい判例動向

―」法学研究(慶應義塾大学) 84巻5号(2011)109頁以下,甲斐克則「ドイツにお ける延命治療中止に関するBGH無罪判決」年報医事法学 26号(2011)286頁以下,

島田美小妃「治療の中止による臨死介助(安楽死)」比較法雑誌 45巻4号(2012)

494頁以下,武藤眞朗「ドイツにおける医療的処置中止 ―ドイツにおける世話法改 正と連邦通常裁判所判例をめぐって―」甲斐克則(編)『終末期医療と医事法』信 山社(2013)194頁以下参照。

5) 従前からAbbruchは「中止」と訳されることが多い。しかし,この表現は,後述す るように,ドイツの議論において,むしろ「作為的態様」をも包含して許容すると ころに焦点が置かれている。従って,不作為的な意味合いが強い「中止」という訳 語よりも,より積極的な作為の意味合いが強い「中断」を用いることにする。この Abbruchに「中断」という訳語を当てるものとして,山中敬一「臨死介助における 同一法益主体内の利益衝突について―推定的同意論および緊急避難論の序論的考 察 ―」近畿大学法学 62巻3=4号(2015) 271頁参照。

(4)

そもそもスイスにおいて,本稿が採り上げるような「延命処置を諦めること」

に特化した法制度(特別法)自体は,今のところ定められていない。たとえ死 に逝く者の真摯で切実な要求に従う場合であったとしても,他人の死期を早め る行為は,一般的に刑法上の問題として把握されうる。すなわち,そのような 行為において,刑法上,他殺類型の規定(スイス刑法第111条以下)の構成要 件該当性が先ずは検討されなければならない。その中でも,特に同意殺規定(要 求に基づく殺人:同法第114条6))との関連性が問題となる。そして,当地では,

どのような論証により,当該行為の許容性(違法性阻却)が示されているのか。

本稿における第2の問題意識は,その議論内容を検証するところにある。

更に加えて,当地で死を迎えようとしている者は,刑法以外の法状況をも考 慮する必要がある。すなわち,消極的臨死介助の場面は,スイスにおいて,民 法上の問題ともなりうる。近時,スイス民法典(ZGB)は,その一部改正とし て 2013年1月1日より「成年者保護法(Erwachsenenschutzrecht)」を施行 した7)。そこでは「患者の事前指示(Patientenverfügung:以下,事前指示)」

制 度 に 加 え,「医 療 的 処 置 に お け る 代 理(Vertretung bei medizinischen Massnahmen:以下,医療代理)」制度が新たに導入されている。これらの規 定は,人生の最終段階において,患者本人の意思内容が可及的に反映されるこ 6) スイス刑法第114条は,次のように規定されている。「特に同情の念というような尊 重に値する動機により,当人の真摯かつ切実な要求に基づいて,人を殺した者は, 3 年以下の自由刑又は罰金に処する。」

7) この新法の概要に関しては, Resser R. E., in: Honsell H. / Vogt N. P. / Geiser T.

(Hrsg.), Basler Kommentar: Zivilgesetzbuch I, 5. Aufl., Helbing Lichtenhahn Verlag, (2014), Vor Art. 360-456, Rn. 7 ff.; Rosch D., in: Rosch D. / Bücher A. / Jakob D. (Hrsg.), Erwachsenenschutz: Einführung und Kommentar zu Art. 360 ff.

ZGB und VBVV, 2. Aufl., Helbing Lichtenhahn Verlag, (2015), Einführung, Rn. 1 ff.

我が国の文献における紹介としては,青木仁美「スイス成年後見法における法定代 理権の変遷」五十嵐敬喜=近江幸治=楜澤能生(編)『民事法学の歴史と未来 ― 田山輝明先生古稀記念論文集 ―」成文堂(2014) 579頁以下,松倉耕作「新スイス 後見法,親子法 ― 二〇一三年一月一日施行法の邦訳」名城ロースクール・レヴュー 25号(2012)81頁以下参照。

(5)

とを目論むものである。そのような民法規定は,当地の消極的臨死介助に関す る刑法上の議論に対して,どのような影響を及ぼしているのか。この点,ドイ ツ で も, 同 様 に 2009年 9 月 1 日 に 施 行 さ れ た 第 3 次 世 話 法 改 正(3.

Betreuungsrechtsänderungsgesetz)を介して,事前指示制度がドイツ民法典

(BGB)において導入されている。また,ドイツ民法上,世話人(Betreuer)

には,医療代理の権限も付与されている。このことから,刑法と民法の調整と いう論点が共に両国で生じている8)。本稿における第3の問題意識は,その議 論状況を検証するところにある。

1-2 スイスにおける消極的臨死介助の現状

また,最近,スイス・ドイツ語圏における臨死介助・医師介助自殺の現況に 関して,ある実証的研究の成果が示された9)。そこにおいて興味深い内容を抜 粋して図表化すると,次のような事実を示すことができる。

8) 実際,この点に関しても,前掲注⑷の Putz事件判決において,一定の見通しが付け られている。この民法上の制度が刑法に与える影響については,エーザー,アルビ ン(甲斐克則=福山好典:訳)「患者の事前指示と事前配慮代理権:臨死介助におけ るそれらの刑法上の役割」比較法学47巻2号(2013)191頁以下参照,武藤・前掲注(4)

191頁以下参照。ドイツにおいて,このような論点を紹介するものとして, Borrmann L., Akzessorietaet des Strafrechts zu den betreuungsrechtlichen (Verfahrens-)

Regelungen die Patientenverfügung betreffend (§§ 1901a ff. BGB), Duncker &

Humblot, (2016), S. 33 ff.; Lanzrath S., Patientenverfügung und Demenz, LIT,

(2015), S. 98 ff.

9) Bosshard G., et al., Medizinische Entscheidungen am Lebensende sind häufig, Swiss Medical Forum, 16 (42), (2016), S. 896 ff.; Bosshard G., et al., Medical end-of-life practices in Switzerland: A comparison of 2001 and 2013, JAMA Internal Medicine 176 (4), (2016), pp. 555 f. ちなみに,これらの内容は, Swiss Medical End-of-Life Decisions Study Groupによる研究成果の一部である。

(6)

図表1:スイス・ドイツ語圏における臨死介助・医師介助自殺の現況10)

10) Zürich大学病院のBosshardが研究代表者となっている前掲注⑼の研究成果2件は,

同じ質問調査で得られた資料を元データとしている。しかし,各々は,当該論文中 の検討事項に応じて分析対象死亡例の母数を変化させている点に注意を要する。本 表は,前掲注⑼の内,Swiss Medical Forumで公表された数値を元に作成してある。

本表の分析対象死亡例は,前掲注⑼における Swiss Medical End-of-Life Decisions Study Groupがスイス・ドイツ語圏で把握しえた死亡例の内,突然死を除くもの(す

医療的意思決定 なし

消極的臨死介助 間接的臨死介助 積極的臨死介助 医師介助自殺

17.7

29.8 3.1

32.0

41.1 49.3

2001年調査 2013年調査

1.4

25.5 100%

90%

80%

70%

60%

50%

40%

30%

20%

10%

0%

分析対象死亡例

(7)

この「図表1」からは,スイス・ドイツ語圏で死を迎える者において,消極 的臨死介助という選択肢は,大きな比重(約半数)を占めていることが分かる。

更に,同様の問題に関する代表的な実証研究を系統分析した調査報告において も,このようなスイス・ドイツ語圏の数値は,欧州各国の中でも,比較的,高 い傾向にあることが示されている11)。いずれにせよ,スイスにおける臨死介助 の実践は,非常にプラグマティックであり,またリベラルであるとも評価され

なわち,人生の最終段階にあって,医療的意思決定をなしうるだけの余裕があった 死亡例)である。同報告によれば,2013年調査は,2256件が対象とされている。他方,

2001年調査の分析内容は, Bosshard G. / Fischer S. / Faisst K., Behandlungsabbruch und Behandlungsverzicht in sechs europäischen Ländern: Resultate der EURELD / MELS-Studie, PrimaryCare 5 (39), (2005), S. 799 ff. ここにおける国際比較調査

(EURELD / MELS-Study) に 関 し て は, Van der Heide A., et al., End-of-life decision-making in six European countries: descriptive study. Lancet 362, (2003), pp.

345 ff. その抄訳として,ファン・デル・ヘイデ,A(石川悦久=飯田亘之:訳)「ヨー ロッパ6カ国における終末期の意思決定:記述的研究(要約)」飯田亘之=甲斐克則

(編)『終末期医療と生命倫理』太陽出版(2008)257頁以下参照。

11) Chao Y.-S., et al., International changes in end-of-life practices over time: a systematic review, BMC Health Services Research 16 (539), (2016), pp. 1 ff. 特に5 頁の図表2参照。ただし,この Chaoの研究は,前掲注(10)で示された2001年調査 を基礎としているため,最新の動向が反映されていない。ちなみに,その2001年調 査を国際比較の観点から分析した Bosshard, a. a. O. (10), S. 800によれば,全死亡例 の内,消極的臨死介助が占める割合は,スイス・ドイツ語圏では41%,オランダでは 30%,ベルギーでは27%,デンマークでは23%,スウェーデンでは22%,イタリアで は6%とされている。そして,このスイス・ドイツ語圏の数値は,統計学的にも有 意に高いことが示されている。更に,判断能力に問題がある知的障害者に対して,

スイスでは,より頻繁に消極的臨死介助が実施されていることを実証的に示すもの として, Schmid M., et al., Medical end-of-life decisions in Switzerland 2001 and 2013:

Who is involved and how does the decision-making capacity of the patient impact?, Swiss Med Wkly 146, (2016), p. w14307; Wicki M. T., Withholding treatment and intellectual disability: Second survey on end-of-life decisions in Switzerland, SAGE Open Medicine 4, (2016), pp. 1 ff.

(8)

ている12)1-3 本稿の構成

以上で示されたような医療の実践を支えているスイスの法状況は,同様の法 体系を有する隣国ドイツの状況と比較することで,より鮮明になるものと思わ れる。従って,本稿では,必要に応じて,ドイツとの比較法的な考察も織り交 ぜながら,検証を進めることにしたい13)

そこで,本稿の問題意識をまとめると,次のようになる。先ず,スイスにお いて展開されてきた消極的臨死介助を巡る概念設定上の問題,特に,そのよう な概念が対象としている範囲及び行為態様の問題を確認する(2. 概念設定を巡 る議論)。次に,刑法上,同意殺規定を有する当地において,どのような論証 により,消極的臨死介助は,正当化されているのかを概括的に紹介し,そこで 展開されている議論内容を検証する(3. 判断能力14)を有する患者における消極

12) クンツ,カール=ルートヴィヒ(拙訳)「スイスにおける臨死介助及び自殺介助」

静岡大学法政研究13巻2号(2008)253頁参照。

13) 従前のドイツ法における議論状況を検討するものとして,甲斐克則「人工延命措 置の差控え・中止(尊厳死)問題の『解決』モデル」井田良ほか(編)『川端博先生 古稀記念論文集(上巻)』成文堂(2014)191頁以下,鈴木彰雄「臨死介助の諸問題」

法学新法122巻 11=12号(2016)257頁以下,只木誠「臨死介助・治療中止・自殺幇 助と『自己決定』をめぐる近時の理論状況」井田良ほか(編)『椎橋隆幸先生古稀記念:

新時代の刑事法学』信山社(2016) 151頁以下,山本紘之「治療中止の不可罰性の根 拠について」大東法学 23巻1号(2013) 97頁以下参照。

14) この「判断能力(Urteilsfähigkeit)」という用語は,スイス民法第16条において規 定 さ れ て お り, 認 識 能 力・ 事 理 弁 識 能 力(Einsichtsfähigkeit) と 意 思 能 力

(Willensfähigkeit)という2側面の要素によって構成されるものである。我が国に おける民法上の「意思能力」と重なる部分はありながらも,厳密には異なるものと 思われる。このことから,敢えて我が国の民法上にはない用語である「判断能力」

という訳語を使用した。この点に関して,シュワルツェネッガー,クリスティアン(拙 訳)「自殺の誘導及び介助(スイス刑法第115条)における利己的な動機」静岡大学 法政研究13巻2号(2008)314頁以下参照。

(9)

的臨死介助)。更に,消極的臨死介助が実施される際,患者の意思表示が明確 に確認できない場合であっても,その意思内容を推定する手段として導入され た民法上の制度が当地の刑法解釈論に,どのような影響を与えているのかを確 認する(4. 判断能力がない患者における消極的臨死介助)。最後に,本稿の結 びとして,ドイツとの比較法的検討も踏まえながら,このようなスイスの議論 状況から得られる我が国への示唆を探る(5. おわりに)。

また,後述において頻繁に引用されるスイス民法典中の成年者保護法に関し ては,後掲の「資料:スイス民法における事前指示・医療代理関連条文」を併 せて参照されたい。

2. 概念設定を巡る議論

2-1 どの段階を対象とするのか

先ず,概念設定上,消極的臨死介助の対象範囲に関して,議論の余地が生じ うる。すなわち,そのような行為は,「人生の最終段階において,どの段階に ある患者を対象としているのか」という問題である。

この点,スイスでは(従前のドイツにおける議論と同様のかたちで15))「狭 義の消極的臨死介助(患者が回復不可能な病状にあり,死が切迫している場合)」

と「広義の消極的臨死介助(人生の最終段階ではあるものの,死が未だ切迫し ていない場合)」という区別に依拠して,検討されてきた16)。前者は,「Hilfe beim Sterben(死 に 際 し て の 手 助 け)」 と し て, ま た, 後 者 は「Hilfe zum Sterben(死に向けての手助け)」とも呼称されている17)。要は,そこに「切迫 性を求めるか否か」という問題である18)

15) 従前におけるドイツの議論は, Ulsenheimer K., Arztstrafrecht in der Praxis, 5.

Aufl., C. F. Müller, (2015), S. 424 f. (Rn. 700)

16) この点に関するスイスの議論を紹介するものとして, Geth, a. a. O. ⑶, S. 44 f.

17) 同様に,そのような呼称を用いるものとして, Bänziger, a. a. O. ⑶, S. 6; Ege, a. a. O.

⑶, S. 291; Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 45 f.

(10)

18)先ず,消極的臨死介助を狭義の類型に限定化する主張者は,そのような死の 切迫性が認められた瀕死の局面にあること(in der Sterbephase)を求め る19)。なぜなら,そこにおいて,患者は死に向かう自然の因果的経過に委ねら れ,すなわち,死という根本的な苦難は回避不可能であり,その経過は,受け 入れられなければならないものだからである20)

その一方で,消極臨死介助を広義の類型において支持する主張者によれば,

死に至りうる慢性疾患又は重傷(chronisch krank oder schwer verletzt)の患 者において,そのような未だ切迫していない死を回避し,又は少なくとも余命 を引き延ばすために必要不可欠な延命処置を実施しない場合も含めて,消極的 臨死介助は正当化されるものとして把握されている21)

しかし,これらの2類型は,スイスの法律上,明確に規定されているもので はない。すなわち,それらは,講学上の概念であり,単なる解釈論上の争いに すぎない。また,両者においては,いずれにしても,患者が十分な判断能力を 有する時点での(推定的)意思内容に応じて,消極的臨死介助を許容する論証 が展開されている。そして,この「十分な判断能力に裏付けられた意思内容」

を求める傾向によれば,それが明確に表示される段階として,広義の類型を志 向するかたちで,両者の区別が消失化されるものとも考えられている22)

更に,スイスの民法において事前指示制度が導入された経緯を検証すれば,

そのような消失化傾向は,益々,促進されていることも確認できる。すなわち,

この点に関するスイス民法典改正の政府案理由書23)によれば,「事前指示の適 18) Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 45 f.

19) 例えば,Donatsch A., in: Donatsch A. (Hrsg.), StGB Kommentar, Schweizerisches Strafgesetzbuch und weitere einschlägige Erlasse mit Kommentar zu StGB, JStG, den Strafbestimmungen des SVG, BetmG und AuG, 19. Aufl., (2013), Art. 111, Rn. 11.

20) Donatsch, a. a. O. (19), Art. 111, Rn. 11.

21) 例えば,Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 48.

22) Geth, a. a. O. ⑶, S. 45. また,Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 46にお いても同趣旨の見解が主張されている。

23) Schweizerischer Bundesrat, Botschaft zur Änderung des Schweizerischen Zivilgesetzbuches (Erwachsenenschutz, Personenrecht und Kindesrecht) vom 28.

(11)

用範囲及び拘束力は,一定段階の病状に限定されることなく,むしろ判断無能 力における全ての状況を対象として制度設計される(Die Reichweite und die Verbindlichkeit der Patientenverfügung werden nicht auf bestimmte Phasen einer Erkrankung beschränkt, sondern das Institut steht für alle Fälle von Urteilsunfähigkeit zur Verfügung)24)」ものと考えられている。一般的に,事 前指示は,人生の最終段階において,その延命処置を諦めることに向けられた ものである。また,その制度は,民法第372条第2項により,他の法律に反し ない限りで有効であるとも規定されている。このことからも,事前指示の内容 は,法的に許容される消極的臨死介助の適用範囲として理解することも可能で ある25)。従って,スイスにおける事前指示の制度設計は,前述で説明した広義 の類型に沿うかたちのものであると評価されている26)

この「どの段階を消極的臨死介助の対象とするのか」という論点に関しては,

隣国ドイツでも,長らく論争されてきた。従前,ドイツにおいて,消極的臨死 介助の臨床的実施は,狭義の類型により把握されていた27)。しかし,刑事事件 としては,既に 1994年9月13日付けの連邦通常裁判所刑事第一部判決(いわ

Juni 2006, BBl. 2006, S. 7001 ff. この政府案理由書に関しては,松倉耕作「新しいスイ スの後見法 ― 二〇〇六年連邦評議会草案 ―」名城ロースクール・レヴュー18 号(2010)241頁以下参照。

24) Schweizerischer Bundesrat, a. a. O.(23), S. 7012. この趣旨を展開する民法上の解釈 論として,Gassmann J., in: Rosch D. / Bücher A. / Jakob D.(Hrsg.), Erwachsenenschutz:

Einführung und Kommentar zu Art. 360 ff. YGB und VBVV, 2. Aufl., Helbing Lichtenhahn Verlag, (2015), Art. 370, Rn. 5.

25) この趣旨の民法上の解釈論として Gassmann, a. a. O. (24), Art. 372, Rn. 7; Wyss S., in: Honsell H. / Vogt N. P. / Geiser T. (Hrsg.), Basler Kommentar: Zivilgesetzbuch I, 5. Aufl., Helbing Lichtenhahn Verlag, (2014), Art. 372, Rn. 15.

26) スイスにおける事前指示制度の政府案理由書と消極的臨死介助の関連性を論証す るものとして,Geth, a. a. O. ⑶, S. 92 ff.

27) 例 え ば,Bundesärztekammer, Richtlinien für die ärztliche Sterbebegleitung, Deutsches Ärzteblatt 90, (1993), S. B-1791 f.

(12)

ゆる「Kempten事件」)28)において,死が切迫していない事案にもかかわらず,

一定の要件の下で延命処置の中止が認められた。この方向性は,ドイツにおい て事前指示制度が導入された2009年以降,前掲のPutz事件により再度,確認 されている29)。すなわち,現在の刑事判例においては,ドイツでも広義の類型 が採用されている。

その一方で,民事事件においては,2003年3月17日付けの連邦通常裁判所民 事第十二部決定(いわゆる「Lübeck事件」)30)により,狭義の類型を採用する かのような動揺が過去に見られた。しかし,現在では,2014年9月17日付けの 連邦通常裁判所民事第十二部決定31)により,刑事事件と同様,民事事件におい ても,広義の類型を採用するかたちで落着したものとされている32)

このドイツにおける対象範囲の拡大化傾向は,2009年以降の事前指示制度の 導入により,ドイツ民法第1901条a第3項が「疾病の種類と進行段階のいかん にかかわらず(unabhängig von Art und Stadium einer Erkrankung)」事前指 示の内容は有効であると規定したことに何よりも顕在化している。すなわち,

当地において,事前指示により延命処置を諦めることは,もはや死が切迫した 段階に限定されない。更に,その病状にも左右されない。そのようなかたちで,

法令上も制度設計されている。

以上から,スイスとドイツの両国において,法令の趣旨からしても,判例実 務上も,消極的臨死介助は,死が未だ切迫していない段階で実施しうることに なる。その意味で,両国においては,広義の類型が通説化していると評価でき

28) BGHSt 40, 257. この事件に関しては,甲斐克則『尊厳死と刑法』成文堂(2004)

233頁以下,武藤・前掲注 ⑷ 188頁参照。

29) Putz事件の判決文第16段落参照。

30) BGHZ 154, 205. この事件に関しては,武藤・前掲注⑷188頁以下参照。

31) BGHZ 202, 226. この事件に関しては,山本紘之「ドイツ刑事判例研究(91):生命 維持措置の中止に関する世話裁判所の許可が不要となる要件および覚醒昏睡にある 患者の推定的意思を探知するための要件」比較法雑誌50巻1号(2016)275頁以下参照。

32) ちなみに,両者の民事事件は,共に失外套症候群(Apallisches Syndrom)による 昏睡状態が問題とされており,死は切迫していないものと事実認定されている。

(13)

る。

しかし,両国には,なおも重要な差異が見出せる。なぜなら,ドイツでは,

前掲の民法第1901条a第3項により,消極的臨死介助の対象範囲は,もはや無 限定とされるべきであるにもかかわらず,Putz事件の判決文によれば,その 延命処置を諦めることの刑法的正当化に関して,「既に病気の過程が進行し,

その苦痛が緩和されながらも,(もはや)病気が処置されないならば,最終的 に患者が死に至るに委ねられている状態を(再び)もたらすこと(Zustand (wieder-)herzustellen, der einem bereits begonnenen Krankheitsprozess seinen Lauf lässt, indem zwar Leiden gelindert, die Krankheit aber nicht (mehr) behandelt wird, so dass der Patient letztlich dem Sterben überlassen wird)33)」という状況的限定が付されているからである。このような限定化要 素として,判例が求めている状況は,当地の学説上,「生命を危機的状況に陥 らせる疾患(eine lebensbedrohliche Erkrankung)34)」とも表現されている。

それは,延命処置さえ実施されるならば,そのような危機的状況を一時的に脱 する余地が認められるものであり,この点において,不可逆的な瀕死の状態を 意味するものでもなく,そこでは死の切迫性も求められていない35)。従って,

そのような限定化要素は,ドイツ民法第1901条a第3項に矛盾しないものと考 えられている36)。この点に関しては,連邦通常裁判所第二刑事部 2010年 11月 10日決定(いわゆる「ケルン娘婿事件」)37)においても追認されている。

33) Putz事件判決文第35段落参照。その一方で,この病気の過程から切り離された死 期の短縮は,許容されないことになる。

34) 例えば,Kutzer K., Vorausverfügter Verzicht auf lebenserhaltende Maßnahmen und das Verbot der Tötung auf Verlangen, in: Bernsmann K. / Fischer T. (Hrsg.), Festschrift für Ruth Rissing-van Saan zum 65. Geburtstag am 25. Januar 2011, Walter de Gruyter, (2011), S. 356.

35) Kutzer, a. a. O. (34), S. 356.

36) そのような限定化要件を「医療的処置関連性(Behandlungsbezongenheit)」とい う表現で説明するものとして, Lanzrath, a. a. O. ⑻, S. 70.

37) BGH NJW 2011, 161. この事件に関しては,エーザー,アルビン(甲斐克則=三重 野雄太郎:訳)「近時の判例から見た臨死介助と自殺関与」刑事法ジャーナル37号

(14)

これに対して,スイスの通説における広義の類型は,文字通り,極めて広範 に把握される概念である。それは,前述したように,「慢性疾患又は重傷の患者」

が含まれるとまで解釈されている。そこでは,前述においてドイツの判例で示 されたような「生命を危機的状況に陥らせる疾患」という限定化要素も何ら付 されていない。

以上から,消極的臨死介助が許容される範囲に関して,スイスの議論状況は,

一見すると,ドイツと同様であるように思われながらも,その詳細においては,

より広範な内容を有していると評価可能であろう38)2-2 医療的処置の中断は,作為か,不作為か

消極的臨死介助の場面では,不作為的態様のみならず,延命処置に必要な医 療機器(例えば,人工呼吸器等)の電源を切断するというように,積極的な作 為的態様も見出される。このこと自体が患者の(推定的)意思に応じるものな のであれば,刑法上,不可罰とする帰結が支持を集めている点において,両国 の状況は同様である。しかし,その論証に関しては,従前から議論されてき た39)。特に,この論点は「technischer(-apparativer) Behandlungsabbruch(技 術上ないしは機器上における医療的処置の中断)40)」とも呼ばれている41)

(2013)61頁以下参照。

38) 同様の評価として, Magnus D., Patientenautonomie im Strafrecht, Mohr Siebeck,

(2015), S. 463.

39) 更に,そのような医療機器の中断に関しては「医師のみに許容されるのか,近親者・

友人のような第三者においても許容可能か」という論点も併せて検討されていた。

この点に関するスイスの議論状況は, Donatsch, a. a. O. ⑶, S. 89 ff. 同様の論点に関す るドイツの議論状況は, Roxin C., Zur strafrechtlichen Beurteilung der Sterbehilfe, in: Roxin C. / Schroth U. (Hrsg.), Handbuch des Medizinstrafrechts, 4. Aufl., Richard Boorberg Verlag, (2010), S. 94 ff.

40) これに対して,単なる不作為的態様として見出される概念が「medikamentös- therapeutischer Behandlungsabbruch(薬物療法上における医療的処置の中断)」であ る。この点の区別に関しては, Eser A. / Sternberg-Lieben D., in: Eser A., u. a. (Hrsg.), Schönke / Schröder: Strafgesetzbuch Kommentar, 29. Aufl., C. H. Beck, (2014),

(15)

41)この問題に関して,ドイツの議論では,前掲のPutz事件により,一定の方向 性が採用された。すなわち,そのような二者択一的な問題設定自体が問題視さ れたのである42)。当該判決以降,ドイツでは,概念設定上,(許容性の論証が 困難な)作為的態様としての「aktive Sterbehilfe(積極的臨死介助)」と(許容 性 の 論 証 が 比 較 的 に 困 難 で は な い) 不 作 為 的 態 様 と し て の「passive Sterbehilfe(消極的臨死介助)」という構図は,問題が多いものとして放棄され た43)。そして,それに代替するかたちで,既に指摘したように,延命処置を諦 める場面において,不作為的態様のみならず,端的に作為的態様をも含めて許 容化する「医療的処置の中断」という新しい範疇が判例上,形成された44)

Vorbem. § 211 ff., Rn. 32.

41) この点に関するスイスの議論を紹介するものとして, Geth, a. a. O. ⑶, S. 29 ff.

42) ただし,Putz事件判決で採用された論証以外においても,従前,この二者択一的 な問題設定から離れて,独自の視点から,その正当化の論証を試みた見解がある。

例えば, Jakobs G., Behandlungsabbruch auf Verlangen und § 216 StGB (Tötung auf Verlangen), in: Schütz H., u. a. (Hrsg.), Medizinrecht, Psychopathologie, Rechtsmedizin: Diesseits und jenseits der Grenzen von Recht und Medizin, Festschrift für Günter Schewe, Springer, (1991), S. 72 ff. ここでは,患者におけ る「Organisationskreis(組織化領域)」が侵害されたか否かが重要視されている。こ のJakobsにおけるOrganisationskreisの議論に関しては,中村悠人「刑罰の正当化根 拠に関する一考察⑵ ― 日本とドイツにおける刑罰理論の展開 ―」立命館法学 342号(2012)214頁 以 下 参 照。 こ の 論 証 を 検 討 す る も の と し て, Merkel R., Die Abgrenzung von Handlungs- und Unterlassungsdelikt, in: Putzke H., u. a. (Hrsg.), Strafrecht zwischen System und Telos: Festschrift für Rolf Dietrich Herzberg zum siebzigsten Geburtstag, Mohr Siebeck, (2008), S. 206 ff. このJakobs説をスイスで支 持するものとして, Geth, a. a. O. ⑶, S. 31 ff.

43) Putz事件判決文第30段落によれば,積極的な作為を規範的に不作為であるとして,

その価値的評価を転換させる解釈論は,明確に「Kunstgriff(策略,技巧を凝らした もの)」であるとして批判されている。スイスで同様の疑問を示すものとして, Pieth, a. a. O. ⑶, S. 22 f; Stratenwerth G., Sterbehilfe, ZStrR 95, (1978), S. 67; Venetz, a. a.

O. ⑶, S. 13. 我が国で同様の疑問を示すものとして,米村滋人『医事法講義』有斐閣

(2016)190頁参照。

44) Putz事件における判決要旨第2番及び判決文第31段落参照。この着想に関して

(16)

これに対して,スイスでは,ドイツのように,ここでの解釈論を先導する判 例が存在していない45)。このことから,当該論点は,現在でも論争の的として,

は Jähnke B., in: Jähnke B., u. a. (Hrsg.), Strafgesetzbuch : Leipziger Kommentar : Großkommentar Bd. 5, 11. Aufl., (2005), Vor 211, Rn. 18における

「tätiger Behandlungsabbruch(活動的な医療的処置の中断)」という概念が参照され ている。このLeipziger Kommentarの解説によれば,技術上ないしは機器上における 医療的処置の中断は,明確に「不作為ではない(keine Unterlassung)」と位置付け られている。ただし,判決文の同段落は,類似の論証として, Roxin, a. a. O. (39), S.

94 f.も合わせて参照している。ここでは, Roxinが主として 1960年代から提唱してい た「作為による不作為(Unterlassen durch Tun)」という解釈論も紹介されている。

この解釈論において, Roxinは,問題とされる当該行為を不作為犯的に構成しようと していた。例えば, Roxin C., An der Grenze von Begehung und Unterlassung, in:

Bockelmann P., u. a. (Hrsg.), Festschrift für Karl Engisch zum 70. Geburtstag, Klostermann, (1969), S. 380 ff. 特に395 ff. 当該解釈論によりRoxinが目指し たところに関する解説として,Schwedler A.-K., Die ärztliche Therapiebegrenzung lebenserhaltender Maßnahmen auf Wunsch des Patienten: Ein Rechtsvergleich zwischen Deutschland und Frankreich unter besonderer Berücksichtigung des Patientenverfügungsgesetzes in der Bundesrepublik Deutschland, Peter Lang,

(2010), S. 44 ff. 従って,Putz事件における同段落の態度(特にRoxin説を巡る理解 の仕方)は,その点の不明確さから,議論の余地が残されているといえよう。この点,

Putz事件判決を下した裁判官(Ruth Rissing-van Saan)の解説によれば, Roxin説は,

その客観的帰属(帰責)という独自の観点から,当該医療的処置の中断が構成要件 該当性に欠けるという論証において注目されており, Putz事件判決は,その見解に影 響を受けたものであることが説明されている。この点に関しては, Rissing-van Saan R., Strafrechtliche Aspekte der aktiven Sterbehilfe: Nach dem Urteil des 2.

Strafsenats des BGH v. 25. 6. 2010 – 2 StR 454/09, ZIS 6/2011, (2011), S. 549 f.

45) ただし,スイスの判例上,作為と不作為の区別は,一般的に「ある刑法的結果に差 し向けられるかたちで因果的に惹起された外部的原動力の有無」という理解に従って いるものとされている。この理解は,問題となる事案で全く積極的な行為が見出せな い場合にのみ検討されるという意味で「Subsidiaritätstheorie(補充性理論)」と呼称 されている。そのようなスイス連邦裁判所の判例として, BGE 115 IV 199, 203; 120 IV 265; 121 IV, 10, 14; 121 IV, 109, 120. この点の紹介として, Ege, a. a. O. ⑶, S. 300 ff.

(17)

通説的な見解を見出しえない状況にある。すなわち,スイスの議論は,今のと ころ,前述したようなドイツ法上の展開から直接的な影響を受けていないよう にも思われる。

例えば,ある論者によれば,不作為犯としての構成が支持されている46)。そ の論証によれば,消極的臨死介助が実施される場面において,積極的動作と消 極的動作が複合的に見出される文脈では,法的非難の観点から不作為態様が決 定的に重要と把握されている47)

その一方で,スイスでは,作為犯としての構成も根強く支持されている48)。 すなわち,そこでの積極的な行為により,死への因果関係が惹き起こされるの であり,それは,刑法上,作為であると評価される。従って,当該行為が問題 となる場面は,消極的臨死介助というよりも,むしろ直接的・積極的臨死介助 の事案に相当するものとして構成されることになる。しかし,後述で紹介する ように,この作為犯構成によっても,当該行為の社会的な意義と患者の自己決 定権の観点から,その不可罰性は論証しうるものと考えられている49)。そして,

この作為犯説の論証自体は,前述したドイツにおけるPutz事件判決の論証に も近しい内容を有している50)

46) Donatsch A., Strafrecht III: Delikte gegen den Einzelnen, 10. Aufl., Schulthess,

(2013), S. 20によれば,延命処置の中断に際しては,医療者の保証人的地位が問題 とされている。更に, Donatsch A. / Tag B., Strafrecht I: Verbrechenslehre, 9. Aufl., Schulthess, (2013), S. 301 f.; Gunzinger P.-A., Sterbehilfe und Strafgesetz, Juris,

(1978), S. 141 ff.; Schürch, a. a. O. ⑶, S. 126 f.

47) この考えは「Schwerpunkttheorie(重点理論)」と呼称され,前掲注(45)におけ る「補充性理論」とは異なり,不作為犯を規範的に理解するものである。スイスに おいて,この理論を支持するものとして, Donatsch / Tag, a. a. O. (46), S. 301 f.

48) Bänziger, a. a. O. ⑶, S. 56 ff.; Ege, a. a. O. ⑶, S. 306; Petermann, a. a. O. ⑶, S. 35 f.;

Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 60; Stratenwerth, a. a. O. (43), S. 67.

これらで展開される作為犯的構成は,前掲注(45)で紹介されたスイスの判例が採 用する補充性理論に忠実な論証であるとも各文献において説明されている。

49) 例えば, Bänziger, a. a. O. ⑶, S. 123 ff.; Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 61.

50) Rissing-van Saan, a. a. O. (44), S. 544 ff.における論文の題目が「積極的臨死介助

(18)

以上から,仮に,スイスの議論がドイツ法上の展開を参考にして,それに近 似していく傾向を有しているのであれば,今後,この作為犯説が有力化してい くようにも思われる。

3. 判断能力を有する患者における消極的臨死介助

前述したように,スイスにおける消極的臨死介助は,その状況的(客観的)

要件として,死の切迫性が求められていない。従って,消極的臨死介助の許容 可能性を論じる場面では,判断能力を有する患者の「医療的処置拒否権

(Behandlungsveto)」という主観的要件が重要な意義を有することになる51)。 判断能力を有する患者により,この医療的処置拒否権が瑕疵なく表示されるこ とで,その内容の実現を医師は義務付けられることになる52)。この医療的処置 という外部的強制からの解放を求める自己決定権は,十分に尊重されるべきで あり,このことがスイスでは従前より基本原理に据えられている53)

しかし,消極的臨死介助が正当であるならば,それは,スイス刑法第114条 において可罰的とされる「要求に基づく殺人」との区別が求められる。ここに おいて,どのような論証により,その区別を設けるべきなのかという困難な問

(aktive Sterbehilfe)」を対象にしていることからも, Rissing-van SaanがPutz事件で問 責された作為的態様の許容性を念頭に置いて論証を展開していることは明らかである。

51) Geth, a. a. O. ⑶, S. 43.

52) 医療的処置拒否権の要件に関しては, Geth, a. a. O. ⑶, S. 52.

53) 例えば,Schweizerische Akademie der medizinischen Wissenschaften (SAMW), Betreuung von Patientinnen und Patienten am Lebensende, Medizinisch-ethische Richtlinie, 5. Aufl., (2013), S. 6 (II. 2. 1.). このスイス医科学アカデミーのガイドライ ン(SAMW-Richtlinien)は,法定拘束力を有していない。しかし,刑事裁判におけ る解釈を補助する行為規範集としての意味合いは有する。そのような指摘として,

Geth, a. a. O. ⑶, S. 5 (Fn. 10). 当該ガイドライン策定の経緯に関しては, Heine G., Schweiz, in: Eser A. / Koch H.-G.(Hrsg.), Materialien zur Sterbehilfe: Eine internationale Dokumentation, Eigenverlag Max-Planck-Institut für ausländisches und internationales Strafrecht, (1991), S. 598 ff.

(19)

題が生じる。

この点,スイスでは,医師の職業的義務に関連付けて,刑法上,消極的臨死 介助の不可罰性を論証する見解が支持を集めている54)。特に,消極的臨死介助 における不作為犯的構成を強調する立場によれば,そこでは生命保持に関する 医師の保証人的地位(ないし義務)が解除されるものと考えられている55)。更 に加えて,患者が拒否しているにもかかわらず,医師が医療的処置を継続する 場合,そのような医療的侵襲は,患者の身体における統合性を侵害するものと して,傷害罪(スイス刑法第123条)により可罰的として評価されることにも なる56)

その一方で,消極的臨死介助において,前述したように,作為犯的構成をも 含めて理解する立場からは,その許容性を憲法的な基本権秩序自体から導出す る見解が主張されている57)。先ず,そこにおいて,消極的臨死介助の許容性は,

憲法的な基本権秩序に沿うものとして把握される。その論証によれば,スイス 憲法第10条第1項で規定された「生きる権利(Recht auf Leben)」は,同条第 2 項 で 規 定 さ れ た「人 格 的 自 由 に お け る 権 利(Recht auf persönliche Freiheit)」と比較衡量されうる58)。その基本権間の比較衡量において,患者が 自由答責的に医療的処置を拒否する場面では,単なる生命保護よりも,その自

54) Rehberg, a. a. O. ⑵ , S. 317 f.; Stratenwerth G. / Wohlers W., Schweizerisches Strafgesetzbuch: Handkommentar, 3. Aufl., Stämpfli, (2013), Art. 114, Rn. 2.

55) 例 え ば,Riklin F., Die strafrechtliche Regelung der Sterbehilfe: Zum Stand der Reformdiskussion in der Schweiz, in: Holderegger A. (Hrsg.), Das medizinisch assistierte Sterben: Zur Sterbehilfe aus medizinischer, ethischer, juristischer und theologischer Sicht, 2. Aufl., Universitätsverlag Freiburg i. Ue. (2000), S. 325 ff. この ような議論内容を一般的に説明するものとして, Geth, a. a. O. ⑶, S. 14 ff.

56) Kunz, a. a. O. ⑶, S. 620 ff.

57) Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 50 ff., 61. 特に Schwarzeneggerは,

間接的臨死介助の正当化論拠においても,同様の論証を展開する。この点に関して,

拙稿「間接的臨死介助(安楽死)の正当化論拠 ― ドイツ・スイスにおける議論 を中心に ―」獨協法学 101号(2016)182(横 139)頁以下参照。

58) Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 20.

(20)

己決定権に優位性が見出される59)

ただし,そのような比較衡量は,生きる権利の核心的部分を本質的に抵触す るものではないことも同時に求められている60)。そこで,このような見解は,

消極的臨死介助を許容する論証として,医師の職業的義務を転換するという理 由付けも併せて採用している61)。すなわち,高度な医療的処置の実施が実際上,

僅かな延命作用しかもたらさず,患者の苦痛が強められるような場合には,む しろ,そこでは,その苦痛を緩和する医師の義務が前面に出てくるものと説明 されている62)。そのような意味において「要求に基づく殺人」の適用範囲は,

目的論的に制限(teleologische Reduktion)されることになる63)

スイスにおける以上の議論状況に対して,ドイツでは,Putz事件判決により,

59) この自己決定権に対する高い意義付けは,スイス刑法における各種殺人罪規定(第 111条以下)の体系性からも説明できる。例えば,スイス刑法第115条で規定された 自殺関与罪規定は,その典型として挙げられる。当該条文によれば,判断能力を有 する患者において,その自殺に患者の行為支配性が認められる場合,医師又は第三 者は,利己的な動機により自殺に関与しない限りで不可罰となる。そのように判断 能力を有する患者の死への希望は,医師であっても尊重しなければならない。この ことから,医師介助自殺を支持する世界的に有名な団体(例えば Dignitas, Exit)が スイスでは肯定的に受け入れられていることも説明できよう。このスイスにおける 医師介助自殺の議論状況に関しては,拙稿「医師による自殺幇助(医師介助自殺)」

甲斐克則=谷田憲俊(編)『シリーズ生命倫理第5巻:安楽死・尊厳死』丸善(2012)

168頁以下,拙稿「医師による自殺幇助(医師介助自殺)」甲斐克則(編)『医事法講 座第4巻:終末期医療と医事法』信山社(2013)77頁以下,只木誠「臨死介助協会と 自殺援助処罰法 ― ドイツおよびスイスの現状 ―」井田良ほか(編)『浅田和 茂先生古稀祝賀論文集(上巻)』成文堂(2016)647頁以下参照。

60) Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 6. この点に関するスイスの議論内容 は, Weissenberger P., Die Einwilligung des Verletzten bei den Delikten gegen Leib und Leben, Stämpfli, (1996), S. 122 ff.

61) Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 22, 50 ff.

62) そのように Schwarzeneggerの見解をまとめるものとして, Magnus, a. a. O. (38), S. 457. 同趣旨の見解として, Gunzinger, a. a. O. (46), S. 175 f.

63) Ege, a. a. O. ⑶, S. 306 ff.

(21)

医療的処置を正当に中断するための要件として,患者の生命における危機的状 況が求められている。すなわち,そこでは,特段の状況的(客観的)要件が設 定されている。その一方で,ドイツ刑法第216条において可罰的な「要求に基 づく殺人64)」が問題とされる場面は,そのような危機的状況と無関係なものと して把握される。従って,ドイツでは,不可罰的な行為と可罰的な行為が上記 のような状況的(客観的)要件の有無により,先ずは区別可能と考えられてい る65)

また,ドイツにおいては,そのような状況的(客観的)要件が整いさえすれ ば,医療的処置の中断に関して,その実施は,判断能力を有する患者本人の明 確な自己決定により可能であるだけでなく,後述するように,推定的意思であっ ても十分とされる。その意味で,ドイツでは,この状況的(客観的)要件の確 認が重要な意味を有している。

このことから,スイスで展開されているような議論内容は,現在,ドイツに おいて状況的(客観的)要件を巡る問題へと解消されたかたちになってい る66)。その反面として,ドイツでは,当該状況的(客観的)要件が欠ける場合,

スイスと異なり,「要求に基づく殺人」を正当化する論証は,極めて困難(又 は不可能)なものと成りうる。ドイツとスイスの議論状況においては,そのよ うな差異が見出せる。

4. 判断能力がない患者における消極的臨死介助

以上のような判断能力を有する患者の場合に比べて,判断能力がない患者に おける消極的臨死介助は,その正当化の論証が更に困難なものとなる67)。なぜ 64) ドイツ刑法第216条は,次のように規定されている。「⑴被殺者の明確かつ真摯な 要求により,それを殺害するに至らしめた者は, 6月以上 5年以下の自由刑に処する。

⑵本罪の未遂は罰せられる。」

65) Rissing-van Saan, a. a. O. (44), S. 546 f.

66) 同趣旨の見解として, Magnus, a. a. O. (38), S. 463 f.

67) ここで展開されるスイスの議論状況として, Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art.

(22)

なら,判断能力が失われたことにより,そのような者は,十分な思慮に裏付け られた自己決定を現に表明できなくなるか,単に表明できたとしても,それを 適切な自己決定として捉えることに問題が生じうるからである68)。すなわち,

このような場合,患者本人の現在的な意思内容は,推定されたものにならざる をえない。

この点,ドイツでは,前述したように,主として民法上の事前指示制度と世 話人に付与された医療代理制度により対応している69)。ここでいう事前指示制 度とは,同意能力を有する成年が同意能力を失った場合に備えて,未だ差し迫っ ていない特定の健康状態のために,そこで実施される医療的処置に同意するか 否かを表明するものである(ドイツ民法第1901条a第1項)。また,そのような 事前指示が存在しない場合又は事前指示の内容が現況に適合的ではない場合,

世話人には,被世話人の意思を推定し,その医療的処置に同意するか否かを表 明する代理権限が付与されている(同条第2項)。

111, Rn. 53 f. 概して,患者が判断能力を有する場合と同様に,医師の職業的義務に 関連付けて論証する方向性が一般的とされている。

68) 従って,ここでは正当化緊急避難を用いた正当化の論証が試みられることもある。

例えば, Stratenwerth, a. a. O. (43), S. 73. しかし,この正当化緊急避難による論証は,

臨死介助の場面において,適切ではないとも批判されている。なぜなら,正当化緊 急避難は,ある危難ないし危険源から本人又は第三者が逃れるために,他者の利益 が侵害されるという場合を想定するものであり,その本人自身の利益が侵害される 場合に関しても適用可能であるかは,不明確だからである。この同一主体内におい て正当化緊急避難は適用できないのではないかという問題に関しては,山中・前掲 注⑸ 287頁以下参照。この点,間接的臨死介助でも同様の問題が生じており,そのド イツ及びスイスにおける議論状況を紹介するものとして,拙稿・前掲注(56)177(横 144)頁以下参照。

69) ドイツにおける制度の概括的な説明に関しては,新井誠「ドイツ成年者世話法と わが国の成年後見制度」ドイツ研究44巻(2010)152頁以下,亀井隆太「同意能力が ない患者の医療同意 ― ドイツ法を中心に」千葉大学人文社会科学研究28号(2014)

86頁以下,新谷一朗「世話法の第3次改正法(患者の指示法)」年報医事法学25巻(2010)

201頁以下,神野礼斉「成年後見制度と終末期医療」甲斐克則(編)『終末期医療と 医事法』信山社(2013) 237頁以下参照。

(23)

そして,ドイツにおけるPutz事件判決は,患者の意思推定に関して,この ような民法上の規定が刑法的にも意義を有することを確認するものであり,そ の意味で画期的な内容を含んでいた70)。すなわち,ドイツの刑事判例は,この Putz事件判決以降,当地の民法における世話法上の議論展開も参照しながら,

臨死介助の正当化に関わる論証を展開することが求められている。

また,このようなドイツ民法上の制度と同様に,スイスでも2013年1月1日 に施行された新しい成年保護法により,事前指示制度(スイス民法第370条以下)

及び医療代理制度(同第377条以下)が導入されている71)。これらの規定により,

判断能力がない患者における医療的処置に関して,どのように対応するべきか という問題は,民法上,一定程度,明らかにされたことになる。

しかし,そのような民法上の規定が刑法において,どのように考慮されるべ きかは,議論の余地が残されている72)。この点に関して,スイスでは,ドイツ と異なり, Putz事件判決のような指導的判例が未だ示されていない。そのこと から,スイスにおいて,この問題は,現在,明確な方向性が示されていない状 況にある。

従って,以下では,スイスで新しく導入された民法上の諸制度が刑法に及ぼ しうる影響を確認する。

70) Putz事件の判決文第25段落によれば,民法と刑法は,憲法的秩序の観点から,調 整されなければならない旨が強調されている。

71) その概説として, Gassmann, a. a. O. (24), Art. 370, Rn. 1 ff., Art. 377, Rn. 1 ff.; Geth C., in: Trechsel S. / Pieth M., (Hrsg.), Schweizerisches Strafgesetzbuch, Praxiskommentar, 2. Aufl., Dike Verlag, (2012), Vor Art. 111, Rn. 6a; Vionnet R., Die Behandlung urteilsunfähiger Patienten nach dem neuen Erwachsenenschutzrecht vom 1. Januar 2013, Igel Verlag, (2014), S. 47 ff.; Wyss, a. a. O. (25), Art. 370, Rn. 1 ff.; Eichenberger E. / Kohler T., in: Honsell H. / Vogt N. P. / Geiser T. (Hrsg.), Basler Kommentar: Zivilgesetzbuch I, 5. Aufl., Helbing Lichtenhahn Verlag, (2014), Art. 377, Rn. 1 ff. 青木・前掲注⑺596頁以下参照。

72) この論点に関するスイスの議論状況は, Ege, a. a. O. ⑶, S. 310 ff.; Geth, a. a. O. ⑶, S. 53 ff.

(24)

4-1 事前指示がある場合

スイスにおいては,事前指示制度により,患者本人は,予め消極的臨死介助 に関する意思を表明しておくことが可能である。しかし,この事前指示の法的 拘束力に関しては,元来,民事法上も完全に明らかなものではない。

この制度における立法者意思によれば,スイスの成年者保護法は,患者の 自律を保護することに尽力するものであり73),そのことから,事前指示は,法 的拘束力を有し,その内容が最大限に尊重されなければならないものである かのように喧伝されている74)。ここにおける立法者意思を前提にするならば,

事前指示の法的拘束力には,全く制限が設けられていないようにも想定され うる。

しかし,実際のところ,スイスの事前指示制度は,その条文の文言から,判 断能力を失った時点における潜在的な意思を探るための単なる状況的証拠にす ぎないように規定されている(特にスイス民法第372条第2項)75)。また,そも そも事前指示の内容は,撤回可能である(同第371条第3項)76)。そのような意 味で,従前の意思と現在の意思における隔たりが考慮されるところでは,事前 指示を表明した者と事後に判断能力が失われた者との間に自己同一性を見出す ことは困難になる77)。そこにおいて,事前指示は,絶対的な拘束力を有するも のではなくなる。むしろ,個別具体的な比較衡量の下で,その内容は,一定程 度,勘案されるにすぎないものとなる。従って,その法的拘束力は,制限され

73) Gassmann, a. a. O. (24), Art. 370, Rn. 2; Schweizerischer Bundesrat, a. a. O. (23), S. 7030; Vionnet, a. a. O. (71), S. 47; Wyss, a. a. O. (25), Art. 370, Rn. 3.

74) Schweizerischer Bundesrat, a. a. O. (23), S. 7033.

75) Gassmann, a. a. O. (24), Art. 372, Rn. 9; Vionnet, a. a. O. (71), S. 51 ff.; Wyss, a. a.

O. (25), Art. 372, Rn. 7 ff.

76) 撤回権の趣旨に関しては, Gassmann, a. a. O. (24), Art. 371, Rn. 5; Wyss, a. a. O.

(25), Art. 371, Rn. 13 f.

77) この撤回に関わる問題の指摘として, Geth, a. a. O. ⑶, S. 109 ff.

 

(25)

たものにならざるをえない78)

以上のような議論状況に照らせば,刑法上も,事前指示は,それを表明した 患者の自己同一性に連続性が見出せる範囲内に限り,法的拘束力を有するとい う見解が一般的な解釈論として支持されている79)。すなわち,過去において患 者が将来の危機的状況を具体的に予見し,更に,そこで示された患者の推定的 意思が現在の状況的証拠に反するものでもない場合,事前指示は,刑法的な意 味においても法的拘束力を有するものと考えられている80)。そして,この場合,

新しい成年者保護法の立法者意思が求めているように,この事前指示の内容か ら逸脱する医療的処置の継続は,もはや許されないことになる。このような要 件の下で,事前指示は,刑法上も一定の意義を有するものとして理解されてい る81)

4-2 事前指示がない場合(医療代理)

前述した通り,事前指示が残されていない場合,スイスでは,判断能力がな い者のために,一定の代理権限者が当事者の意思を推定した上で,医療的処置 に関して判断することができる。個別具体的な事案において,誰が医療的処置 の決定権限者に適しており,どのような実質的な基準に従って,その判断がな されるべきかという問題は,新しい成年保護法において規制されている(スイ ス民法第377条以下)。スイス民法によれば,そのような医療代理の権限は,緊 急の場合,医師に付与されるという例外(同第379条)もある。しかし,原則 としては,法定の序列に従って様々な類型の者に付与されている点(いわゆる

「序列型規制(Kaskadenregelung)」82))が特徴的である(同第378条)。

78) Geth, a. a. O. ⑶, S. 111.

79) Geth, a. a. O. ⑶, S. 112.

80) このようにスイスの状況をまとめるものとして, Magnus, a. a. O. (38), S. 457. 同趣 旨の論証を展開するものとして, Gunzinger, a. a. O. (46), 172 f.

81) Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 55.

82) Gassmann, a. a. O. (24), Art. 377/378, Rn. 13; Schweizerischer Bundesrat, a. a. O.

(23), S. 7036 ff.; Eichenberger / Kohler, a. a. O. (71), Art. 378, Rn. 2; Vionnet, a. a. O.

(26)

⑴ 医療代理による意思推定の刑法的効果

スイス民法上,この医療代理の権限者により,患者本人における推定的意思 が見出されたとしても,その刑法における取扱いに関しては,議論の余地が残 されている83)

そもそもスイスにおいて,医療上の侵襲的行為は,その正当化に際して,患 者自身による有効な同意を要件としている84)。従って,判断能力がない者の場 合,本人から有効な同意が得られないことから,当該行為の許容性は,代理権 限者により推定された意思内容を患者本人に帰責することができるか否かに左 右される85)。すなわち,代理される者に帰責できない内容は,他者による意思 決定にすぎないとして,それを正当化することはできないという見解がスイス では一般的とされる86)

この一般論から,新しい成年保護法上における規定の仕方に着目して,民法 上の医療代理を本人による意思推定の範疇に含めて刑法的にも正当化する見解 が支持されている87)。例えば,この新制度下における医療代理は,判断能力が ない者において,その推定的意思が客観的利益(Interesse)に関連付けて判 断されなければならない(スイス民法第378条第3項)88)。また,そこで推定さ れた意思内容が患者自身の希望するところに適うものであるかに関して,公的

(71), S. 57 f.

83) この論点に関して, Geth, a. a. O. ⑶, S. 54; Seelmann K., Drittnützige Forschung an Einwilligungsunfähigen, in: Donatsch A. / Forster M. / Schwarzenegger C.

(Hrsg.), Strafrecht, Strafprozessrecht und Menschenrechte: Festschrift für Stefan Trechsel, Schulthess, (2002), S. 572 ff.

84) BGE 124 IV 258; Roth A. / Berkemeir A., in: Niggli M. A. / Wiprächtiger H.

(Hrsg.), Basler Kommentar StGB II, 3. Aufl., (2013), Art. 122, Rn. 37. 従前における スイスの議論状況に関しては,Rehberg, a. a. O. (2), S. 306 ff.

85) Geth, a. a. O. ⑶, S. 61.

86) Geth, a. a. O. ⑶, S. 62.

87) Geth, a. a. O. ⑶, S. 62.

88) Eichenberger / Kohler, a. a. O. (71), Art. 378, Rn. 12 ff.; Gassmann, a. a. O. (24), Art. 377/378, Rn. 12.

(27)

に問い質す手続も用意されている(同法第381条第2項第2号及び第3号)89)。 このような制度設計の趣旨は,刑法上,患者の自律・自己決定(ひいては自由 答責性)に基礎を置く正当化の論証とも,その本質を共有するものである。以 上を前提として,代理権限者により推定された患者自身の意思は,刑法的にも 有効とされる。すなわち,それは,判断能力がない者に帰責しうる有効な同意 であるかのように評価されることを介して,医療上の侵襲的行為を刑法的な意 味においても正当化する90)

⑵ 意思推定と客観的利益との調整

以上の民法における規定内容から,医療代理の場合,そこで推定された意思 内容は,状況的前提(客観的利益)に照らして妥当であるか否かが重要視され る。その意味において,医療代理が許容される場面は,必ずしも無制約ではな いことになる。従って,前述したように,判断能力を有する患者の場合,スイ スでは,消極的臨死介助の適用範囲が広く認められていたことに比べると,こ こで問題とされる状況は,大きく様相が異なるものといえよう。すなわち,推 定的意思には,限定的な効力しか認められていないということになる。

この点に関連して,刑法の解釈論上も,患者の意思推定に際しては,延命処 置の継続が医学的な観点から「無益(Sinnlos)」とされるか否かも判断の一要 素に加えるべきことが主張されている91)。そのような意味で,医療的処置の継

89) Eichenberger / Kohler, a. a. O. (71), Art. 381, Rn. 7 f.; Gassmann, a. a. O. (24), Art. 381, Rn. 1 f.

90) このようにスイスの状況をまとめるものとして, Magnus, a. a. O. (38), S. 458.

91) 例えば,Schwarzenegger, a. a. O. ⑶, Vor Art. 111, Rn. 54によれば,「延命処置と 当該実施による効果の関連性において,合理性が見出される場合のみ,医学的な観 点から,そのような介入は有意義」と主張されている。また, Geth, a. a. O. ⑶, S. 57 によれば「各人の反応可能性とコミュニケーション能力の不可逆的喪失をもって,

更なる自己決定と自己実現の可能性が全て奪われた」ところに,その限界が見出さ れている。この点, Ankermann E., Verlängerung sinnlos gewordenen Lebens? Zur rechtlichen Situation von Wachkomapatienten, Medzinrecht: MedR 17⑼, (1999), S.

参照

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