香 川 大 学 経 済 論 叢
第76巻 第3号 2003年12月 155‑185
地域,政策,知識創造:
地域再活性化と地域社会システム
原 真 志
1 . は じ め に
1)問題の所在
わが国で平成の市町村合併が進行する中で,高齢化社会における福祉財源な どの単なる数合わせや合併ありきの言論ではなく,地方分権の方向性および地 域のあり方に関する本格的な議論が求められている。経済がグローバル化し,
インターネットがブロードバンド化して,人・モノ・金・情報が国境を越えて 動き回る時代において,企業の国際競争力の源泉,あるいは問題解決・分析・
政策の有効な単位として地域に対する関心が高まっているが,単にシリコンバ レーモデルなどの成功事例の内容を別の地域に移転しようとする発想では不十 分であり,より根源的な地域の能力の理解と構築の方法が問われている。
日本人の経営学者である野中郁次郎らによって,日本の企業の競争力に関す る研究から構築された知識創造論は,その後の米国におけるナレッジマネジメ ントの源流の一つとも位置づけられ国際的評価も高いが,筆者は知識創造論の 視点からの本格的な地域論が必要であると考え, 1998年日本地理学会春季学 術大会応用都市地理学グループ第 1回研究集会における「都市地理学の応用発 展の方向性について」という題目での研究発表の中で,知識創造論の視点を地 理学に導入する方向性の議論を行った。さらにその内容に具体例を追加して拡 充し, 2000年度東北地理学会・新潟経済地理学会秋季学術大会の特別研究発 表として「都市と知識創造」と題する報告を行った。野中氏自身が,地域にお ける知識創造について若干の議論を行い(野中他, 1998), また後述するよう
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に,最近は欧米の地理学の中でも知識ベースの集積へのアプローチが盛んに なってきている。しかし,地域振興をめぐる議論の中でも核心となる地域振興 のしくみに関する論点は社会科学方法論に関連し,地理学・政策科学・組織論 などを横断する内容をもっているにも拘らず,そうした部分の掘り下げは依然 として不十分である。筆者が行った二つの報告の中での地域振興に関する知識 創造の論点をここにあらためて整理して提示することで,そうした議論の発達 の一助になればと考える。
本稿は,地域振興にとっての「地域社会システム」の重要性を明らかにし,
望まれる「地域社会システム」の構築に必要な視点とその方向性を提示するこ とを目的とする。第 1に,次節において議論の前提として地域概念,知識創造,
政策科学についての概略を整理する。第 2に,最近の現象としてのマルチメ デイア産業の事例を検討し,地域的な経済活動の焦点としての産業集積に関す るこれまでのアプローチを概観する中で,経済発展における地域の重要性に関 する従来の研究の到達点を整理する。第 3に,村上の解釈学アプローチと佐藤 のフィールドワーク論の検討,産業政策論と産業地域社会論の検討から,経済 活動のベースとしての地域の意義と,経済活動を支える地域のしくみづくりに 必要な視点を抽出し,地誌・政策科学・知識創造をダブルループ学習という観 点から統合する視点を論じた上で,地域に必要とされる地域社会システムにつ いて提示する。第 4に,空間スケールなどの若干の注意点を指摘して,地域社 会システム構築の方向性を論じることにする。
2)地域概念,知識創造論,政策科学
本格的な議論に先立って,前提となる地域の概念,知識創造論,政策科学に ついて簡単に概略を整理しておくことにする。
まず地理学における地域論における地域概念を整理する。地域には,「特定 の事象が支配的で,何らかの意味のある実態的な範囲」ととらえる実質地域と,
「特定の事象が意味をもつ実質的な広がりとは無関係に範囲が規定される」形 式地域という見方がある。実質地域にはさらに同質地域と結節地域という 2つ
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の地域概念があり,同質地域とは「一定のカテゴリーに属する事象が支配的で ある地表面の部分」であり,結節地域とは「構成者が様々なカテゴリーにわたっ ているがそれらを結合して地域が構成する場合」を意味する(木内, 1968)。 たとえば,地域の一つである都市を,人口が集まっているという基準での同質 地域として設定したものの一つにわが国における DID(人口集中地区)があり
(木村他, 1984), 中心都市とその郊外の農村を含めて通勤通学や購買行動な ど何らかの基準で結びついている結節地域としてとらえたものの一つに都市圏
(1)
がある。これらは実質地域の例であるが,形式地域の例としては,経線と緯線 によって機械的に区画された地域や,統計調査の調査区のように,単に 50世
(2)
帯や30事業所が含まれるように区画された地域をあげることができる。
地域をとらえる上で重要な視点として地域の空間スケールがある。ある特定 のスケールを前提にして地域を議論していることが多いが,一般的に地域はい ろんなスケールで想定することができる。昔の農村共同体や町内会,自治会か ら,学区,市区町村,都道府県,地方,さらに国を超える地域統合など,狭域 から広域まで様々な空間スケールが考えられるし,同一の事象によってもスケ ールが異なれば,異なる観察結果が得られることもある。国もさまざまなスケ ールの一つと考えられるし,議論しようとする内容に適切な地域の空間スケー ルを設定する必要があるし,また場合によっては異なった複数のスケールで見 るという重層的な空間スケールで地域をとらえる視点が重要になることに注意 する必要がある(大友, 1997)。
(1) DIDとは,「国際調査において,人口密度4,000人/岡以上の調査区が連続して,人口 5,000人以上の集団を作っているもの」である。また都市圏に関しては,わが国では国 勢調査において,大都市圏は中心都市を東京都区部と政令指定都市,都市圏は中心都市 を大都市圏に分類されない人口 50万人以上の市として,「中心都市への流出通勤・通学 人口の常住人口に占める割合が 1.5%以上の市町村」と設定されている。その他の設定 など日本における都市圏設定の問題に関する最近の検討については,金本・徳岡(2001) を参照せよ。
(2) 野中他 (1998)は,地域について「従来『地域』という言葉には,経済的に不利な状 態にある地理的区分というニュアンスがあった」と述べているが,これは経済発展にお
ける中心周辺の議論での構造的な有利不利という論点の前に中立的に設定されている地 域概念についての誤解があると思われる。
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地理学には,地誌(あるいは地域地理学)と系統地理学(あるいは一般地理 学)という 2つの考え方が存在する。地誌は,それぞれの地域には個性があり ユニークであるという立場から,各地域において自然環境・政治・経済・社 会・文化などさまざまな要素が有機的に連関することで現れている多様な個性 を記述するという地域の個性記述を目的としている。それに対して,系統地理 学は特に論理実証主義の科学的方法論の影響を受けて,地理的表面で生じてい る様々な空間的現象における一般法則定立を目指している。そのため,地誌学 は,地域の捉え方でも地域において様々な要素が有機的に連関していて地域は 実在するものと考える地域有機体説と歴史的に密接に関係し,系統地理学とそ の発展した形態としての計量地理学においては,地域は実在するというよりは 便宜的なものでその目的に応じてそのつど様々な形に設定できるという地域便 宜説と関係している。この両者は対立するものと位置づけられ,学説的にある
(3)
いは方法論に関して様々に論争を引き起こしてきた。
知識創造論は日本人の経営学者である野中郁次郎,竹内,川村尚也らによっ て日本企栗の競争力の分析から生まれてきた理論である(野中, 1996;野中 他, 1990;野中・竹内, 1996)。情報のフローだけでなく,知識がいかに生み 出されるかを対象とし,単なるモノ(処理の対象)としての情報でなく,主体 の相互作用の中で生成される知識に焦点をあてる必要性を主張した。この論点 はデカルト的二元論を克服する視点を持っている点が,これまでの西洋におけ る情報をめぐる研究の流れと異なる特徴であるとされ,知識創造論は米国で発 達したナレッジマネジメントの源流の一つと位置づけられている。知識創造論 の核心部分は,知識を暗黙知と形式知の二つに分類してとらえること,暗黙知 と形式知のダイナミックな変換が新しい知識の創造されるプロセスであるとし て理論化していることである。暗黙知とは,「言語・数式・図表で表現しにく い主観的・身体的な知Jであり,例として,個人の思いや熟練技能があげられ ている。これに対し形式知とは,「言語・数式・図表で表現された客観的・理
(3) こうした論争については,木村他編 (1984),木内 (1968) を参照せよ。
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性的な知」であり,例として教科書やマニュアルがあげられている。暗黙知と 形 式 知 の 変 換 に は 共 同 化 (socialization), 表 出 化 (externalization), 連 結 化
(combination), 内面化 (internalization) の4つ の モ ー ド が あ る 。 共 同 化 と は
「個人に体化されているスキルとしての暗黙知が移転されていくこと」,表出 化とは「暗黙知の形式知への変換」,連結化とは「分散した形式知の断片を収 集・分類・統合して新たな形式知を創造すること」,内面化とは「形式知を個 人の暗黙知に再変換すること,生み出された形式知を理解しこれをスキル化す ること」を意味する。経験により個人の中で形成される暗黙知が,表出化され て形式知となり,集団の中で理解されて形式知として共有され,さらに形式知 が他人の中にも暗黙知となって内面化されて,集団として暗黙知が共同化され る。個人の形式知が連結化によって集団での体系的な知識共有がされ,さらな る知識創造の基盤となっていくという。このプロセスを繰り返す中で,知識は 個人から集団へ,またさらに大きな集団,組織全体,組織間へと徐々に異なる次
(4)
元を含んだ形で範囲を拡大して螺旋状に進化していく様子が論じられている。
現代社会のさまざまな問題に答えるために,既存の学問分野の細分化,専門 化による弊害を乗り越えて,科学と実践を調和させて解決する方法を見出そう
とする政策志向をもった政策科学が 1951年 に ラ ス ウ ェ ル に よ っ て 提 唱 さ れ た。ラスウェルは,政策科学を「公共的および市民的秩序の意思決定プロセス についての (of) およびそのプロセスにおける (in)知識に関わるもの」と定 義できるとしており,「ofの知識」とは,政策がいかに決定され実行に移され るかについての体系的,経験的研究を意味し,「inの知識」とは,現実の意思 決定において動員される利用可能な知識のストックのことであるという。また 政策科学の特性として①コンテクスト志向性,②問題志向性,③方法多様性の
3つをあげるとともに,政策科学が取り組むべき主要な問題群を①政策分析,
②メガポリシー,③メタポリシー,④実現のための戦略という 4つの研究領域 (4) 知識創造の促進条件として,①組織の意図・ビジョン,②自律性,③ゅらぎと創造的 カオス,④冗長性,⑤最小有効多様性があげられている(野中・竹内, 1996)。また,
野 中 自 身 , 地 域 的 な 次 元 で の 知 識 創 造 論 の 発 展 の 可 能 性 に つ い て 論 じ て い る が ( 野 中 他, 1998),依然としてプリミティブな段階と言える。
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に分類している(宮川, 1994)。
こうした政策科学の試みは,地域の次元においても本格的に展開される必要 がある。戦後の冷戦における米国の国家安全保障の危機を契機にしており,国 家という枠組みで出発したものであるため,国家という政策主体の存在を前提 に議論が進められている。政策科学の視点を地域に導入する,あるいは地域の 視点を政策科学に導入するという作業が必要である。政策科学と地域をつなぐ 重要なポイントは,地域の空間スケールは可変的あるいは多様であり,問題解 決の適切な空間スケールは自明ではないということ,また仮に空間スケールが 特定できたとしても,その地域の問題解決には,自治体などの地域的な行政体 の意思決定や政策手段を取り上げるだけでは不十分であり,地域における複数 の自治体,国家の出先機関,民間企業,大学,住民組織,その他の NPOなど さまざま主体を総合する視点が重要である。すなわち,ラスウェルの政策科学 においては,対象とする主体が国家という明確な存在であるのに対し,地域の 問題を論じる場合には地域では空間スケールの問題も含め最終的,絶対的な存 在が自明ではなく,対象となる主体の構築までもが議論の遡上にのぼる重要な 論点となることである。いわば多様な主体からなる地域社会のシステム構築 が,ラスウェルの政策科学の議論の前に,また政策過程の各段階で問題となっ てくると言うことができる。
2 . 産業集積と地域再活性化
1)地域再活性化の事例
近年の地域に対する注目が高まった一つの事例として,北米都市における都 心周辺衰退地区の再活性化の経験として有名なニューヨークのシリコンアレー とサンフランシスコのソーマ地区のマルチメデイア・ジェントリフイケーショ ンを取り上げる。経済のグローバル化,インターネットのブロードバンド化の 中で,人・モノ・金に情報も含めて,世界中を自由にかけめぐるようになって いるので,経済活動するのに企業の立はどこでもいいという「地理の終焉論」
が一部で唱えられた (O'Brien, 1992)。しかしながら,現実を見ると,インタ
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ーネットを駆使している IT関 連 企 業 , ベ ン チ ャ ー 企 業 が む し ろ あ る 特 定 の 場 所に集中するという現象は依然として強く見られ,情報化のパラドックスと呼 ばれる(小長谷・富沢, 1999;長尾• 原, 2000)。 マ ル チ メ デ イ ア 関 連 の イ ノ ベーションの歴史を見ると,ハードウェアを中心とした第 1期,ソフトウェア を中心とした第 2期を経て,インターネットがブロードバンド時代を迎え,携 帯 電 話 が 普 及 し た 現 在 は コ ン テ ン ツ が 重 要 視 さ れ る よ う に な っ て い る ( 小 長 谷・富沢, 1999)。 コ ン テ ン ツ の 生 産 に は , テ ク ノ ロ ジ ー だ け で な く ア ー ト の 才能が必要である。都心固辺の衰退地区であったニューヨークのシリコンアレ ーやサンフランシスコのソーマ地区では, 1990年 代 中 〜 後 期 に , 都 心 に 多 い アート系の人材を求めたマルチメデイアやインターネット関連の企業が立地す ることで再活性化するに至った。ジェントリフィケーションとは,多くの場合 都心周辺の衰退地区において,大規模な再開発とは異なって古い建造物の建替 えは行われず,魅力的な歴史的建築物などに魅かれた居住地選択の自由度が高 い先駆的なグループが流人して,それまで住んでいた低所得者層と入れ替り,
居住者層がアップグレードすることによって地域のイメージがよくなり,さら なる人口流入と企業立地が誘発され,公共の政策ではなく民間主導型で衰退地 区の再活性化が行なわれる現象を意味する。第 1次のジェントリフィケーショ
ンは 1980年 代 に FIRE(金融・保険・不動産)部門の DINKS(ダブル・イン カム・ノー・キッズ)によって生じたが, 1990年 代 の 第 2次ジェントリフィ ケーションは,マルチメデイア関連産業の人材と企業が中心であったため,マ ルチメデイア・ジェントリフィケーションと呼ばれる。こうした現象が起こっ た理由としては,①一般的に都心居住志向の強いアーティストヘの需要,②旧 衰退地区に安い賃料のオフィススペースの存在,③印刷・衣類・広告などのル ーツ産業の存在,④インターネットの高速インフラが早期に整備,⑤歩ける距 離の至近立地で企業を超えた個人間コミュニケーションが盛んであり,またオ
ープンな地区の雰囲気が醸成されたことが考えられる。
マルチメデイア・ジェントリフィケーションをより大きな文脈でとらえるな らば,ベンチャービジネスの拡大を指摘することができる。 1990年 代 中 期 に
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シリコンバレーがいち早く不況から立ち直ったことが注目され,その理由とし てベンチャー企業を中心としたダイナミズムが関心を呼んだ。ベンチャービジ ネスにとってある特定の地域に集積する理由としては,①ベンチャー企業はコ アコンピタンスに特化して他をアウトソースするという形態をとるためビジネ スパートナー・人材をもとめてネットワーキングの需要が大きいが若い企業に は空間的制約が大きいため企業や人材の豊富な地域に立地していることが望ま しいこと,②メンターとして身近な成功事例が近くに存在することが刺激とア ドバイスなど間接・直接の両面で大きな影響を与えること,③ベンチャー・
キャピタルやエンジェルからスタートアップ段階企業への投資には空間的探索 およびモニタリングの制約があり,ベンチャー企業と資金源との近接性が重要 であること,④信頼の構築や最先端の情報のやりとりにはフェイストゥフェイ スのコミュニケーションが重要であり,やはり空間的近接性が求められること があげられる。
空間的な制約条件が強い若いベンチャー企業,大きなフェイストゥフェイス のコミュニケーションやネットワーキングの需要など一企業では処理しきれな い問題のために,成功している地域においては,地域的なしくみを構築して対 応し,地域で望ましいビジネス環境の整備が行われていることが多い。先の例 ではニューヨークにおけるニューヨーク・ニューメデイア・アソシエーション (NYNMA), サ ン フ ラ ン シ ス コ に お け る MDG.orgといった NPO組織がそう であるし,シリコンバレーでは,ジョイントベンチャー:シリコンバレー・ネッ トワーク (JV:SYN)が有名である(ジョイントベンチャー:シリコンバレー ネットワーク, 1996)。シリコンバレーの NPOの取り組みは,オースティンの 地域的な取り組みの影響を受けていると言われている(ヘントン他, 1997)。 サ ン フ ラ ン シ ス コ の 支 援 機 関 NPOである MDG.orgで は , ① ネ ッ ト ワ ー キ ン グ,②プロモーション,③エデュケーション,④マーケット・デイベロプメン トといった分野で新しいベンチャー企業の支援する地域的な取り組みを実施し ていた(小長谷・富沢, 1999;長尾• 原, 2000)。
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2)産業集積へのアプローチ
地域的な経済活動の焦点としての産業集積に関するこれまでのアプローチを 概観する中で,経済発展における地域の重要性に関する従来の研究の到達点を
(5)
整理する。まず古典的集積論として, 20世紀初頭のアルフレッド・マーシャ ルとアルフレッド・ウェーバーの二つの集積論がある。マーシャルは,「ある 特定の地区に同種の小企業が多数集積する」同業種集積を,外部経済の重要な テーマとして議論した。これに対し,内部経済にあたる個別企業の規模拡大は 集積とは考えられていない。マーシャルは集積のメリットとして,スムーズな 技術伝播や技術革新の可能性,補助産業の発達,高価な機械の経済的利用,特 殊技能をもった労働者の労働市場の存在などをあげ,逆に集積のデメリットと して,特定労働力の過大な需要や地代の高騰,需要の低下や原料の減少による 抵抗力の弱さを指摘している。また,マーシャルは,移転しにくく競争上の優 位性が崩れにくい要因として,独特な産業的「雰囲気」をあげている。
ウェーバーの集積論は,集積因子の定義を「生産をある場所においてある特 定の集団として統合して行うことによって生じるところの,生産または販売の 低廉化」としており,費用の最小化から集積をとらえている。輸送費や労働費 と比較可能な立地因子として集積が扱われ,集積の傾向を量る指標として,「加 工係数(労働費と機械費/立地重量)」を提示している。さらに集積の段階区 分を行い,経営の規模拡大は「低次の段階」,数個の経営の近接は「高次の段 階」とされており,マーシャルと違って,ウェーバーは個別企業の規模拡大も 集積に含めている。また「集積の原因の必然的な結果としての集積」としての
「純粋(技術的)集積」と,集積以外の立地因子(輸送費,労働費)の働きに よって生じた「偶然的集積」の区別を行っている。
その後, 1980年 代 後 半 に , ピ オ リ & セ ー ブ ル に よ る 柔 軟 な 専 門 化 や A.ス コットの新産業空間論によって産業集積研究が再活性化するに至った。ピオリ
&セーブルは,産業革命による大量生産体制の支配化という第一の産業分水嶺
(5) ここでの議論は松原 (1999), 小田 (1999), 藤川 (1999), 友 澤 (2000), 松原 (2002) によっている。これまでの産業集積に関する研究の詳細は,これらを参照せよ。
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の後,市場の成熟と市場における不確実性の増加のため,大量生産体制を特徴 とするフォード主義の危機により第二の産業分水嶺が訪れ,「柔軟な専門化」
と呼ばれる生産体制が出現していると述べた。柔軟な専門化の特徴は,多品種 少量生産に適したコンピュータ制御の汎用機を技術的基盤とし,それを使いこ なす熟練技術の伝承を保証する地域産業コミュニティ,すなわち「産業地域」
の再出現をもたらすと考えられており,その産業地域の特徴として,①市場に 対する柔軟な対応,②広い適応力をもつ技術の柔軟な利用,③企業間の協力と 競争を調整する地域協力組織の創造と永続的な革新をあげ,また今日の代表的 成功例として,「第3のイタリア」を取り上げて,プラトの織物地帯を詳しく 紹介している(松原, 1999)。
UCLAのA.スコットはウィリアムソンの取引費用の考え方を集積に応用し た新しい産業空間論を展開した。一般に,企業組織内部の取引費用が,企業の 外部にある市場を通じた取引費用を下回る場合には垂直統合が生じ,反対に内 部取引費用が外部取引費用よりも大きくなる場合には垂直分割が生じる(松 原, 1999)。垂直分割は,①市場が不安定,不確実な状態にある場合,②相互 に関連する生産工場の最適スケールの差が大きい場合,③外部的な取引関係に 市場の失敗が存在しない場合,④分断化された労働市場が存在する場合,およ び⑤地理的な集積が存在する場合に生じる傾向があり,これに市場の拡大が伴 えば,さらなる社会的分業の深化が生じ,外部的な取引環境によって相互に依 存した生産者の大規模な集合体である産業コンプレックスが形成されると述べ
ている(友澤, 2000)。
こうした流れを受けて, 1990年代には新しい展開が見られた。ここでは,
それらの中で, ミリュウ,地域産業システムならびに知識と学習をベースにし たアプローチを取り上げる。ミリュウ (Millieu)とは,地域を経済だけでなく,
社会・文化・制度を含めてとらえるもので,日本語では「風土」と訳される。
ミリュウの特徴としては,①物質的要素(企業,インフラ),②非物質的要素(知 識,ノウハウ),③制度要素(権力,法的枠組み)を含むものであり,企業,顧 客,研究所,教育システム,法権力が結びつけられている (Malmberg, 1996)。
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サクセニアン (1995) は,シリコンバレーとボストンのルート 128という二つ のハイテク産業集積に関する比較研究を通して,地域の組織や文化,産業構造,
企業の内部構造といった 3つの側面からなる「地域産業システム」の重要性を 分析し,シリコンバレーにおける組織を超えたオープン・ネットワークとそれ
を支える地域的な文化や企業構造の優位性を指摘した。
取引費用のアプローチは直接的な企業間取引のリンケージを取り扱っていた が,集積内の企業間における連結の弱さの実証例が多く指摘されるとともに,
コスト削減だけでなく新製品がいかに生まれるかというイノベーションのダイ ナミズムを明らかにできるような静的でなく動的なアプローチの必要性が指摘
された。現代主義が知識経済化するという大きな流れの中で,情報や知識の比 重が高まっていること,また多くの製造業の生産拠点などが都心から郊外,地 方都市,発展途上国へと移動する中で,先進国の高コスト地域において依然と
して競争力が維持されている現象がみられることなどから,容易に他地域に移 転されにくく,地域や集積の優位性を形成している要因として,学習や知識創 造への関心が高まった。経済活動や研究開発の最先端では暗黙知を含んだフェ イストゥフェイスのコミュニケーションが重要であり,近接立地による企業間 や個人間のこうしたコミュニケーションが,集積における新しいイノベーショ
ンを促進していると考えられており,暗黙知と形式知のダイナミックな相互作 用が新しい知識を作り出すという知識創造論の集積論への応用という位置づけ をすることができる。友澤 (2000) は,地域における学習や知識創造に関する 研究を,①イタリアのボッコニ大学のカマグニを代表とする GREMI(イノベ ーションミリュウに関するヨーロッパ研究グループ)によるローカルミリュウ 論 ②Florida (1995)やAsheim(1996)が提示した学習地域論,③ケンブリッ ジ大学のキーブルを代表とする欧州の研究者グループTSERネットワークによ る 集 団 的 学 習 過 程 論 の 3つに整理している。この他にも, Maskel(1998)や Boekema et al. (2000) といった研究がある。
このように近年では,純粋に経済的側面あるいは直接取引だけでなく,間接 的な関係や地域の文化や社会を含めた環境やシステム,知識や学習といった側
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面が重要視されてきている。しかしながら,地域の活性化をはかろうとする場 合にどのような環境やシステムを構築すべきか,どのような視点が必要かと いった点についてはまだ検討が不十分である。次節ではこうした点を探求する ために,杜会科学方法論と産業政策,産業地域社会論などの検討を進めること にする。
3. 地域振興における知識創造
1)地域振興の「からくり」づくり
地方都市には多くの政策課題が存在する。四国を例にとって例示してみる と,第 1に産業面では,①若者に魅力ある雇用機会の提供,②高齢者・女性人 材の活用・雇用機会(特に転勤族の高学歴女性労働力),③中小ベンチャー支 援,産官学(民)の連携,④情報格差,情報発信能力,⑤都心商店街の活性化,
⑥中山間地域•島嶼地域の活性化,第 2 に生活面では,①都市政策の不在を克 服した都心と郊外の有効な相互補完的発展形態の構築,②都市内交通インフラ の未整備を克服し点在する都市機能の有機的結合の実現,③LRT導入,パー クアンドライドによる交通渋滞,高齢化,環境対策,④都心のコンパクトさの 利便性を生かしての公共交通機関の運行頻度の不満の解消,⑤地方都市と大都 市圏で供給される財・サービスの格差の是正,第3に広域的関係では,①高速 網,南北連携軸,本四三架橋時代の地域間広域連携の具体的内容,②地方都市
間,大都市と地方都市の相互補完関係など多くの課題が存在する。
しかしながら,もっとも根源的なのは,第4としてこうした課題に対処すべ き「地域的枠組み」の問題であり,①地域に各省庁出先機関,関係金融機関等 を束ねる統一的な政策立案の責任主体がないこと,②総合的シンクタンク機能 の必要性,革新者を阻害する社会的風士などの問題をあげることができる。
企業行動や経済成長にとって何らかの地域的な枠組み,あるいは地域社会シ ステムとも呼ぶべぎ地域における社会的制度やシステムの総体への関心は最近 とくに高まっている。わが国では,地方分権の議論の中で,地方に果たして本 当に責任ある政策立案能力が存在するかという議論が提示され,地方分権の受
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け皿としての地域社会システムが注目されているということができる。ポータ
‑ (1992) は,餞争優位は経済,社会構造,価値観,文化,制度,政策の違い など,国の特性を背景に創造され,維持されるが,単位は国ではなく地域であ ると述べている。米国におけるシリコンバレーの JV:SYNの取り組み,オー スティン, NYNMAなどの成功事例に見られるように,ここで地域社会システ ムとしてとらえようとしているのは,狭く地方行政団体をさしているのではな
く,産官学に民を加えた総合的な地域のシステムである。
本節では,地域振興のからくりにおける知識創造の主体として,地域を魅力 あるものにする地域社会システムは,どのようにして形成されうるかについて 考察を進める。地域振興のからくりに問われる視点と,社会科学や人文諸学に おける方法論としてのフィールドワークをめぐる論点には共通点が存在する。
それは,日本の戦後高度成長をめぐって一見対立しているかに見える産業政策 論と産業地域社会論に共通する視点とも大いに関連する。これらの検討と整理 を行い,それらを統合していく方向性を考察する中で,地域振興の枠組みづく りに必要な論点を抽出したい。
2)解釈学的アプローチとフィールドワーク論
村上 (1992) は,現在の社会科学の状況について,過度の専門化,過度の数 学主義,「…帝国主義」と呼ばれるような行き過ぎた理論の適用があると指摘 し,拠って立っている論理実証主義には限界があり,社会科学は現実問題への 対応能力を欠如していると批判している。村上は,人間はやがて唯一の正しい 認識に到達し正しい社会を建設できるだろうという啓蒙主義・進歩主義への傾 向と,理性的あるいは合理的な理解こそ真の理解のあり方と考える欧米的思考 の主流の考え方を批判し,理解についての理解を深め,欧米的なもの以外の社 会・文化を理解しようとする場合,近代的理性を超える視点を設定する必要が あると主張する。そしてさまざまな眼鏡をかけて比較し対照していく以外に方 法はないとし,広い意味での「現象学的」といえるものとして,解釈学的アプ
ローチを提唱する。
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村上 (1992) によると意識が意識を眺めることをさす「反省 (reflection)」 においては,潜在的な後反省的意識(比喩としては観客ないし舞台監督)が顕 在的な前反省的意識(比喩としては俳優)に言及している。そして,後反省的 な自我を重視し,生活世界を超越する認識主体として「自我」を生活世界から 切り離してしまう反省を「超越論的反省 (transcendentalreflection)」,前反省的
な自我を重視し,生活世界を構成する要素として「自我」を生活世界の中に再 び埋め込むような反省を「解釈学的反省 (hermeneutic reflection)」と呼んでい る。超越論的反省は,「法則認識」の努力を進めるが,超越論的反省にとって は自我は対象とならないので,自我を顕在的に自覚しようとするならば,さら にそれを俯鰍する一つメタレベルの超・超越論的自我が必要となる。そのた め,超越化の過程がはてしなく続くことになる。超越論的な思考の例として,
唯識論系の仏教哲学や空海による悟りに至る高次化する認識の階梯や,デカル ト主義の自然科学(全体的反省ではなく部分的反省であるが)をあげている。
しかし,こうした超越論的アプローチは,一般化を追及するあまり現実の問題 への対処能力を喪失してしまいがちである。これに対して,解釈学的反省では,
高次の(後反省的な)自我が,超越したばかりのシステムにおける低次の(前 反省的な)自我へと呼び戻され,新旧のイメージが重ね合わされることで,一 般化による現実からの遊離を避けつつ,新たな認識を発達させることが出来る
という。村上は,超越論的認識と解釈学的な認識の両方がうまく組み合わさる べき点を理解するいい例として,俳優が自分の演技を冷静に評価する視点と演 劇の中に没頭して演じきる視点,霧中の登山者が狭い視界の中で歩き続ける視 点とにわかに霧がはれて視界が開けたときの自分の位置の確認と開ける新たな 展望の視点という例をあげており,時に超越論的反省を行いつつも,現実の問 題の解決をしていくには常に解釈学的反省によって現実の文脈の中に牽き戻り 工夫する必要があるという。超越論的アプローチにおいては,低次の(前反省
的な)イメージは高次の(後反省的な)イメージの具体的な特殊例として低く 位置づけられて,特殊な事例は一般法則の中にいわば嵌め込まれはするが,重
ねられはしない。それに対して,解釈学的反省では,両者は具体的に特殊な点
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で同資格として取り扱われる。自然科学などがもつ超越論的アプローチの傾向 に対して,現実をめぐる個々具体的なさまざまな視点の重ね合わせの作業を通
じた認識の深化を試みる解釈学的アプローチの重要性を指摘している。
論理実証主義,超越論的アプローチの問題克服のため,特に解釈学的反省を 歴史論的反省とも呼びかえ,時間軸的に異なる視点や歴史の蓄積の中での経験 による視点の重ね合わせを重視しているが,重ね合わせは時間的に異なる視点 だけでなく,空間的な重ね合わせという論点,すなわち同じ時点における異な る地域の経験を重ね合わせるという論点が存在するであろう。
社会科学方法論に関係し,研究の実践的な場におけるもう一つの重要な論点 として,フィールドワーク論あるいは社会科学における定性分析と定量分析の 関係をめぐる問題をとりあげる(佐藤, 1996a; 佐藤, 1996b)。佐藤によると,
近年,定性的アプローチを主体とする成果が増大し,定性的アプローチに関す る議論が盛んになっているわりには,定性的な研究法に関する基本的認識への 回答が不十分であり,定性的アプローチと定量的アプローチの間のより生産的 な関係のあり方を探る必要があるとして,①学問分野,②技法,③データのタ イプ,④報告書の文体の特徴,⑤認識論的前提という 5つのポイントから定性
/定鼠の区別について論じている(佐藤, 1996b)。
特に方法論的な点で問題であるのは,社会科学において一般的に定性的アプ ローチと定量的アプローチが二項対立的にとらえられていることであり,実際 に両者のどちらかだけを行っている研究者が多く,また両者は相容れない二律 背反的な方法論がなされることがよく見られる。佐藤 (1996b) によると,定 性的なアプローチにおいては,仮説検証というよりは,仮説生成ないし仮説発 見あるいは問題発見の手法として,偶発的な観察 (incidentalobservation) が重 視されるのに対し,定量的アプローチにおいてはチェック・リストや測定法を 用いた組織的観察および実験的観察が典型的である。
学問的探求の本来の目標をどこにおく(べき)かという点で,定性的アプロ ーチは個性記述 (idiographic), 定量的アプローチは法則定立 (nomothetic) を 重視し,対立するアプローチとしてとらえらてきた。定性的な個性記述アプロ
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ーチは,単一の事例や個々の事件をインテンシブに吟味し,事例や事件の唯一 性・一回性を強調し,個々の事例や事件の丹念な記述によって,その全体性に おいてはじめてとらえることができる内的な構造や意味の読み取り,すなわち 解釈や了解,理解を目的とするため,単一の事例や事件にのみ適用可能な因果 や構造の説明の探求に向けられるべきだとするのに対し,定量的な法則定立ア
プローチは多数の事例や出来事を現前させている一般法則を見出そうとし,こ この事例は多数の事例に適用できるモノサシとしての「変数」の組み合わせと して把握できるとして,分析や測定,そして「予測とコントロール」を目的と するため,数多くの事例から統計的に導き出された法則こそが,科学的に有意 味 な も の で あ り , 事 例 研 究 は せ い ぜ い 探 索 的 な 意 味 し か も た な い と す る ( 佐 藤, 1996b)。
しかし両者は本来,二項対立的な図式ではない。自然科学においては,例え ばある物質に含まれている元素の量を測定する定量分析を行うためには,その 前にその物質にどんな元素が含まれているかを調べる定性分析を行う必要があ るというように,定性分析は定量分析に先立って行われるものであり,自然科 学の手続きの中で両方とも必要とされているが,社会科学では検証すべき意味 のある仮説をいかに見つけるかという仮説探索の過程が定量分析の前にあるべ きところが省略されているケースが多い。社会科学においても,定量的な分析 の前には,その前段階として,「そもそも何をどう見るべきなのか」という問 題を確定するために定性的なアプローチが不可欠であり,偶発的な観察を元に して観察すべき対象やその次元を確定した上で尺度やチェックリストを構成し て組織的観察を行い,個別の仮説を検証し,あるいは定量的な解析の結果をも
とにして新たな問題を発見していくというような研究法がとられた時にこそ,
最も実り豊かな研究が可能になると述べている。社会科学における定性分析と は,定量分析を行うにふさわしい意味のある仮説の探索と言い換えることがで きるとし,仮説探索プロセスとしてのフィールドワークの重要性を主張してい る(佐藤, 1996b)。
村上の解釈学的アプローチと佐藤のフィールドワーク論は,ともに超越論的
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思考,あるいは一般法則を追求する科学のもつ過度な一般化による現実の説 明・解決からの遊離傾向という弊害を克服し,具体的な問題に対して意味のあ
る問いを発するための視点を提供している点で共通している。現実社会の諸間 題に肉薄する研究へと回帰する方向性として村上の解釈学的アプローチはより 歴史的な時間軸に重きをおいており,佐藤のフィールドワーク論は調査の現時 点での経験的な側面に重きをおくという点で,異なる側面での処方を提示して いるということができ,社会科学方法論として佐藤のフィールドワーク論と村 上の解釈学アプローチは相補関係にあると言える。解決の方向の重心が違って いても両者に共通する一般と特殊(個別具体),定量と定性の間のバランスを 再考し,問題設定の仕方とそのときの視点に対する感受性の重要性を指摘して いる点は,地域振興においてもいかなる視点で,いかなる問いを立てて思考と 行動を進めるべきかについて,示唆するところが大きいと言える。
3) 産業政策論と産業地域社会論
次に日本の戦後高度成長をめぐる二つの議論,すなわち産業政策論と産業地 域社会論を検討しそこに共通する視点を抽出したい。
戦後日本の高度経済成長という現象を説明するために,日本政府の通産省が 行った産業政策に注目するという視点の議論があり,チャーマーズ・ジョンソ
ンによる研究がよく知られている(ジョンソン, 1982)。日本の産業政策が注 目されるまでは,市場競争を中心に考える新古典派経済学の中で,「産業政策」
というタームが存在せず理論的な位置づけも不十分であった。日本の産業政策 に対しては,「開発モデル」として移植を期待する途上国や東欧旧社会主義国 から,多大な関心が寄せられているにもかかわらず,全体を体系的にまとめた ものは数少なく,個別産業,個別政策ツールからとらえたものが多いため,日 本発の産業政策のモデル構築=理論化が求められている(小野, 1992)。日本 の成功と通産省への関心により,産業政策をめぐる研究が始められることと なったが,産業政策は一部日本人の学者からは不当に過小評価されている反 面,海外ではあまりに過大評価されており,長年,産業政策の経済学的意義に
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ついては,経済学者と政策担当者の間で不毛な議論が展開されたとされる(小
(6)
野, 1992)。
小野 (1992) による産業政策の定義の整理を見てみると,通商産業省の見解 として,福川氏は「産業政策とは,市場原理を基礎としながら,第一に公害,
貿易摩擦,大規模な R&Dの難しさ,エネルギー供給の不安等の市場の不確実 性を解決する補完措置を講じるとともに,産業の転換や労働移動を,社会的な 摩擦を避けながらスムーズに進める政策である。通産省と民間企業の接触面で 見ると,第一は,法律による規制,第二は,将来のビジョンや指針を提示する 情報提供,第三は,税制や政府金融機関などの間接的な誘導,第四は,通産省 による助言や指導であります」と述べている。これに対して,経済学者の見解 として伊藤他は「産業政策を『一国の産業(部門)間の資源配分,または特定 産業(部門)間の産業組織に介入することにより,その国の経済厚生に影響を 与えようとする政策である』と定義する。より具体的には,①‑国の産業構造 に影響を与えようとする政策。すなわち,貿易・直接投資など海外諸国との取 引に介入したり,補助金・税制などの金銭的誘因を使うことによって,発展産 業を育成・保護したり,衰退産業からの資源の移転を調整・援助する政策。② 技 術 開 発 や 情 報 の 不 完 全 性 な ど に 伴 う 市 場 の 失 敗 を 是 正 す る 諸 政 策 。 す な わ ち,的確な情報を提供したり,補助金や税制による政策手段を用いることによ り様々な形の市場の失敗を是正し,資源配分を望ましい方向に誘導する政策。
③個別の産業組織に行政的に介入し,経済厚生を高めようとする政策。具体的 には,不況カルテル・設備投資カルテルなどを通じて産業内の競争構造や資源 配分に直接介入しようとする政策。④経済的な根拠というよりむしろ,主とし て政治的要請に基づいてとられる政策。つまり,貿易摩擦などに対処するため (6) その原因として,小野 (1992)は,学会による産業政策評価の問題点として,第一に 事実認識上の誤りとして,①単純な事実誤認,②事例研究の乏しさおよび内容の希薄さ,
③情報源の偏り,①分析対象の不適切さや偏り,⑤責任の所在の混同を指摘し,第二に 行政の役割軽視と偏見として,①政策効果に対する過小評価,②行政官の能力の過小評 価,③官僚機構の弊害に対する偏見,④根拠が薄弱な批判・中傷,⑤行政官の理論研究 に対する過小評価と経済学者自身の責任転嫁を指摘し,「途上国等に対するモデルの提 示」のためには客観的な評価システムの構築が必要であると述べている。
695 地域,政策,知識創造:地域再活性化と地域社会システム ‑]73‑
の,輸出自主規制や多国間協定などの政策」としている。
先に解釈学的アプローチで紹介した村上が産業政策についても独自の論を展 開している。村上 (1992) は,従来の幼稚産業論を乗り越える視点として費用 逓減の考え方を産業政策に導入し,「産業政策とは,費用逓減の利点をできる だけ生かそうとする政策をさす。具体的には特定の費用逓減的産業における適 切な競争状態の維持が目標となる。このような政策なしには費用逓減産業は潜 在的な成長力を十分に発揮できない。」と述べている。
さらに村上 (1992) は,現実には費用逓減状況と経済的意思決定の視野の長 期化が一般的になってきているとする。費用逓減産業では価格切り下げ競争が 自殺的なものになる可能性を導き出すため,価格切り下げ競争の過程で生じる 諸弊害一つまり一方では企業破産や失業のコスト,そして他方では独占の定着 ー を 除 去 す る す る 必 要 が あ る 。 安 定 し た 均 衡 の 達 成 を 保 証 し な い ば か り で な く,効率企業を選ぶメカニズムとしての働きも十分ではないという特徴をもつ 費用逓減下での市場競争を過当競争とし,産業政策の目的は,過当競争の抑制,
あるいは「適度な競争」の維持であり,競争過程での破産や失業のコストを少 なくすることと,競争のもつ動機付けの力を弱めないこと,この二つの要請の 間のバランスを取ることを意味すると述べている。このような費用逓減産業政 策に基本的に必要な政策として,①重点産業の指定,②産業別指示計画,③技 術進歩の促進,④価格の過当競争の規制をあげ,場合によっては必要な補完的 政策として,⑤保護主義政策,⑥補助金政策,をあげている。そして基本的に は不必要な政策として,⑦投資競争の抑制,⑧金融部門の統制,⑨参入規制を あげている。
産業政策をめぐっては,こうした経済理論を基礎にしたものとは別の組織論
(7) 村上は,収穫逓増を利用するという視点からの産業政策は発展途上段階では容認され るべきであるが,収穫逓増を利用する産業政策は国際的には摩擦を生じるため,いつま でも保持されるのではなく経済発展の何らかの段階で放棄されるべきであり,そのため に市場を前提とした国際的産業政策のルールづくりが必要とされるとしている。そこに 日本発の経済理論の必要性があるという。この議論ではグローバル・スケールでのシス テム構築が主張されているが,空間的地域的次元の考察が不十分であり, P. テーラー による世界システム論的視点の政治地理学の中で取り組むべき課題と考えられる。