爛 ほ じ め に
本稿は︑葡代証券市場の主要な要素が監査にどのような展開
を要求しっつあるかというこ
ャラフの所説を紹介し︑かつ若干の吟味を行なうことを目的とて
︵1︶ している︒われわれも従来より監査の歴史的な展開紅関心をも
ち︑監査の展開の主要な要素として会社の資本調達方法の変化
が認識されねばならないことを︑若干の研究において指摘し
︵2︶
た︒現代の証券市場の発展紅ついて︑監査に運大な影響を与える墓要な要素の分析を行なうぺく︑研究を進める予定であった
とき︑マクツ・ソ㌦﹂フフの苔に接した︒その意味でほ︑本稿ほ
われくめ研究の体系のうちでほ︑﹁米国匿おける監査報告書
の発展﹂の統語の山部分としての位置をしめるであろう︒
しかしながらここで注意しなければならないのほ︑われく
のアプローチの仕方とマクツ・レヤラフのそれとが全く等しい
というのでほない︒むしろ大きな相違点をもっている︒マクツ
研究ノート
現代証券市場と監査職能の展開
現代証券市場と監査職能の展開
森
・ジャラフは︑従来の監査理論がその前提としている証券市場 が現実の証券市場の実態とは違っている多くの要素を指摘す る︒すなわち従来の監査理論が前提とした証券市場における投 資家の構造および情報を利用する投資家の意志決定の方法が︑ 現実とは全く相違することが指摘される︒マクツ・ジャラフほ︑ この現実の諸要素を認識したとき︑監査はどのように展開しなけれはならないかを論じる︒われくの従来からの態度ほ︑歴
史の各段階における監査をその時々の企業と社会とに関する諸
要素によっで説明することにあった︒それ故に現代証券市場の
主要な要素が︑現代の監査紅おいてどのようにあらわれつつあ
るかを説明するにとどまり︑マクツ・ジャラフのように監査の
未来図を描くことまでも主張しない︒このようなマクツ・ジャ
ラフの態度が︑かれちの理論に対してわれ′1に多くの疑問を
起させる原因に怒ることほ︑後にふれるところである︒
︵1︶ 戸.声MautN and H●A■Sha岩f.The Phi−OSOpすOf
AuditingL浣−・マクツ・ジャラフは︑監査理論の全般
紅ついて理論的にきわめて割り切った︑そしてきわめて
ユニークな見解を説いている︒そのうちの監査公準の部
分紅ついてほ︑近沢弘冶教授の﹁監査公準論について﹂
︵産業経理 昭和三十七年六月号所載︶紅おいて論評が
加えられている︒またマクツ・レヤラフの独立性につい
ての見解については︑拙稿﹁﹃独立性﹄概念の新鶴点1
マクツ・ジャラフの所説の紹介 − ﹂︵監査 昭和三十七
︵六五五︶ 六九
第三十五巻 第五号
年七月号所載︶ で紹介︑また拙稿﹁監査人の独立性
−・・米国におけるその概念と規制の展開について − ﹂
︵香川大学経済論叢 第三十五巻第三号所載︶で若干の論
評を加えた︒
︵2︶ 拙稿﹁米国にお仇る生成期の監査報告者について﹂香
川大学経済論叢 第三十二巻第二号︒﹁米国における監
査報告書の発展︵こ ︵二︶﹂香川大学経済論讃 第三
十三巻第二号および第三十三巻第五号︒
こ 証券市場における投資家の構造の変化
山般的な理解によれば︑現代の財務諸表監査は会社の公表し
た財務諸表の適正性を独立の監査人が監査し︑かつそれに対す
る意見表明を行なうことである︒この監査の職能は︑広く社会
の投資家より資金を調達しょうとしている会社と︑有利な投資
対象である会社を選択して投資を行なおうとしている個々の投
資家との間紅あって︑投資の意志決定の基礎となる情報である
会社の財務諸表の信頼性の判断を行なうことである︒この監査
のはたらきによって︑個々の投資家と会社との投資関係または
資金調達関係が正常打保たれ︑証券市場が円滑に運営される︒
このような投資家の構造および意志決定のプロセスについて
の一般的理解が︑現実の証券市場の正しい姿を示すものである
かどうかが︑現代の監査紅とって重大な意味をもつ︒すなわち︑
代の監査人はその監査報告書匿おいて﹁適正匿表示している﹂ ︵六韮六︶ 七〇
という文句を使用するが︑その適正表示の概念のうちにほ︑会
計処理および表示の妥当性のほかに情報公開の十分性が含まれ
ている︒この情報公開の十分性︵adequate disc−○買e︶の問
題ほ︑報告すべき情報の盟と貿に関係する︒ところが︑報告さ
れる財務資料がどの程度まで詳細であることが必要か︑また逆
に理解し易いようにどれはどまでに要約されているととが必要
かというような問題︑またど切ような種類の情報が報告されな
ければならないか︑たとえば公開されるべき情報は財務諸表に
含められる情報に限られるべきか︑あるいほそれ以外の情報払
およぶべきであるかという問題は︑そのような情報を利用する
投資家の構造および︑投資家の意志決定のプロセスにおいて情
報がどのように利用されているかという︑証券市場の実態をし
らねばならない︒その実態の理解がえられるとき︑監査が行な
うべき情報の検証およびその十分性についての意味が明確にな
る︒.そこでマクツ・ンヤラフは︑現代の会計および監査が想定
している前提条件が︑現代の実態に適合しているかどうかを疑
問視し︑それを検討する︒
マクツ・ジャラフほ︑巌近の会計報告の基準ほ報票の対象と
なる人を ﹁適度の知識をもつ投資家 ︵reasOnab首lnfOrmed
in諾StOこ﹂と考えて︑会計資料の公開の責任を︑典形的な財
務諸表における情報に限定して︑情報公開の問題を処理する傾
向があることを指摘する︒たとえばその例として︑劇九五七年
改正のAAA会計原則の﹁投資の決定を行なう場合および経営
者に対するコントロールを行使する場合に︑公表された財務諸
表を投資家が利用することは非常に重要であると考えられねば
ならない︒これらの目的のために財務諸表を使用する人々は︑
注意深くかつ識別力をもって勧務諸表を読む意志があり︑かつ
その能力をもっていると想定するのが合理的であると思われ
る﹂という文句を引用している︒またこの考え方ほ︑はとんど
全ての決算報告書が﹁株主に対する報告書﹂と題されている事
実にょって装づけられるという︒マクツ・ジャラフは︑ここに
は適当な知識をもつ投資家が自分で財務諸表を読み︑かつそれ
に従って投資の判断を行なうという理解があることを指摘す
る︒従ってそこに含まれている資料が︑投資家に理解できるよ
うなものであり︑かつ有価証券を﹁買ったり︑持続したり︑売㌢
ったりする﹂決定を行なうのに十分なものでなければならな
い︒この点についてほ︑現在の一般的理解セは︑情報公開の責
任が財務諸表に含まれる資料に限定されることは︑はとんど疑
へ1︶ 間の余地がないものと考えられている︒
しかしマクツ・ジャラフは︑証券市場紅ほ過去三十年はどの
間に相当の変化が生じ︑情報の公開の十分性の考え方紅も東大
な変化を要求しているという︒
通常の理解ほ︑証券市場を規制する法規の説明にとどまる︒
この点についてみれば︑山九二〇年代の米国の証券而場はほと
んど統制がないといえるほど自由であり︑そして会社の営業お
よび収益性について全く虚偽の情報が自由紅流布されていた︒
現代証券市場と監査職能の展開 このことをも山つの庶出として一九二九年に世界的な大恐慌が 起り︑山九三〇年代紅入つて証券市場は統制されることになっ た︒すなわら一九三三年の有価証券法ほ︑州際的紅および国際 的に取引される有価証券の新発行について情報の完全な公開︵ f已−disc−OSure︶を規定した︒また脚九三四年の証券取引所法 ほ︑国内の取引所に上場される全ての有価証券について情報の 十分な公開および登録を規定した︒そしてその結果として︑証 ごこ 券市場ほ十分に統制されたもの紅なったパ
しかしマクツ・ジャラフは︑このような法規のみにょって証
券市場の変化が説明できるものでほなく︑投資活動の専門化
︵prOf2SSiOna−iNatiOn Of in諾StmeコtaCtiまties︶もまた証券
市場の変化を説明する紅必要であるという︒この理解のために
証数市場の重要な要索の発展の血つとして︑機関投資家︵山ns・
︵3︶ tituti昌ai岩諾StOr︶ の発生をあげている︒これは情報をつけ
る側の投資家の構造の変化として理解される︒従来のように個
人投資家紅よって証券市場が形成されるのではなく︑個人投資
家とほ比べものにならないはどの規枚と能力をも?た機関投資
家が証券市場で大きな勢力を占めるようになっている︒この投
資家の構造の変化を監査において認識すべきことをマクツ・ジ
ャラフは強調するのである︒
米国およびその他の国々で︑機関投資家の発展が一九五〇年
代の証券市場の重大な特徴の∵つであることが岬般に認識され
ている︒諸基金︑保険会社︑年金基金︑投資会社およびその他
︵六五七︶ 七山
第三十五巻 第五骨
の類似の会社ほ︑巨額の資金を保有する大企業となり︑かつかれ
らほ従来のような安全な偵券投潜より普通株投資へと向う傾向
紅ある︒このような機関投資家が現在の証券市場で重要な地位
を占める紅至?たことほ︑山九五四年末に扱開投資家がニュー
ヨーク株式取引所の上場株式の市価の総額の約二十八パーセン
トの部分を所有するという事実紅より例証される︒また機関投
潜家は年々投資すべき資金を倍増的紅供給しうる立場紅ある︒
もほや証券市場においてほ︑機関投資家を除外してほ資本調達
︵4し
を行ないえない状態にまでなったのである︒この現象紅ついては︑会社財務論において︑また経営者論においてすで紅その影
響あるいほ意義が分析されているが︑会計および監査の文献に
おいてはこれをとりあげたのはマクツ・レヤラフが最初であろ ︵
∂︶
−つ︒
マクツ・ジャラフほ︑このような証券市場での機関投資家の
比重の増大および監査報告酋の読者としての投資家の構造の変
化として︑監査および情報公開の十分性の概念に重大な影響を
与えるものと認識する︒すなわち︑従来では液圧の知識のある
個人的な投資家を報告の対象として想定していたのであるが︑
機関投資家を報告の対象として考えるとき︑かれらをどのよう
に理解すべきかが問題になる︒そこで機関的投資家をとりあげ
て㌦般的に理解するとき︑機関投資家というものほ有能な経営
者が存在し︑投資にあてるべき多額の資金を保有し︑かつ経営
者がその検閲の受託的性格を認親している相当程度の企菜であ ︵六五入︶ 七二
告このように機関投資家を理解するとき︑その機関の経営者
ほ多額の投資を決定するとき︑投資専門家の助言を求める︒個
人的投資家が理解したり︑利用したりすることのできる情報の
種類とか遠紅は常識的な眼界が考えられる︒ところが専門的な
財務分析家および投資相談家を情報の対象と考えれば︑個人投
資家よりもずっと多くの情報を理解したり︑利用したりするこ
とができるので︑かれらほ個人投資家よりも非博に多くの情報
を必要とする︒もしもかれらが必要な情報が入手できなければ
その情報の提供を要求するであろうし︑機関投資家ほ多額の肇
金を支配しているので︑その関係から要求した情報はえられる
︵¢︶ であろう︒
そこでマクツ・ジャラフほ︑機関投資家が証券市場で占める
地位の増大という事実を認識することが︑情報公開の十分性の
概念の基礎が従来払おいて恕定されていたように公表された資
料を自分で読み︑自分で投資決定を行なう個人投資家にあるの
でほなく︑亀要な投資決定が専門的な能力および責任をもつ専
門家の助言匿基づいているという事実にあることを明らかにす
/︶ るという︒
このよう粧して︑マクツ・ジャラフはまず最初紅︑会計およ
び監査の報彗の対象としての証券而場における投資家の構造の
変化として︑個人的投資家に対する機関投資家の比重の増大と
いう事実を指摘して︑報告の対象における変化を認識せしめ︑
次にそれらの投資家の現実の投資の忠志決定のプロセスがとの
ように行なわれているかを明らかにして︑実際に必要な情報の
性格を認識し︑そこにおいて情報公開の十分性の概念に接近し
ようとするのである︒
︵1︶ R●K・MautNand芦A・Sba岩f−Op・Cit・七p・−ご〜−↓N・
︵2︶ Hbidもp.−↓N〜−↓Pまた︑この問題についてほ︑拙稿
﹁米国における監査報告書の発展︵二︶﹂ ︵香川大学経
済論叢第三十三巻第五号所磯︶匿おいで︑山九二九年の
大恐慌と法定監査︑AIAの﹁財務諸表の検証﹂︑ウル
トラマーレス事件︑ニューヨーク株式取引所とArAの
協力︑法定監査などの項目に泳い守詳しく論じたところ
である︒
︵3︶ Hbid●.p●−↓P
︵4︶ Ⅰ監dもp・−遥〜−宗.
︵5︶ 米国の会社財務論の︑多くはへ 証券市場において機関
投資家の比重が増大してきたという事実を認識し︑今後
の会社の資本調達においては機関投資家を無視してほ不
可能であるという意見をのべている︒たとえば次の酋を
見ればよい︒A.S.Dewing﹀TFe Fぎancia−PO−icy Of
COrpOratiOnS一く○−.肖>p.−−○↓● 甲由●DOna−dsOn一COr・
pOrate 句inance.pp.∽岩〜∽許.C.宅.Ger竺enberg﹀
FiロaOCia−Organ−㌫tiOn and Management Of Busi・
ness一旬p.N−の〜N−00.G.只.句unstOn.≦1anted⁚MOreO宅n・
ers Of Am彗ican B宏inessもpJO〜−や
現代証券市場と監査職能の展開 また︑機関投資家が株主としてもつ特殊な諸問題︑た とえば株主の擬利行使の問題︑一般株主との利害の相違 サること︑大株主として経営者に対して大きな勢力をも つこと︑経営者より直接情報をえられること︑機開投資 家白身の経営の問題︑支配権の争における特殊な霊場お よぴその他の多くのことが︑リビングストンの沓にみら れる︒J.A.Liくingst昌︶The American StOCkFO︼der︸ p●会︸定一宗﹀の¢−ごL巴〜設L謡L宏一N∽り﹀N会.N烏﹀N怠†
Nの∽.
さらに︑この機関投資家の出現ほ︑経営者論にとって
重要な意味をもっている︒すなわち機関投資家は巨額の
資金を保有し︑かつそれを企業に投資しているのである
から︑企共に対して非常な支配力をもっている︒この金
融力を社会的に有意義に行使することが問題である︒そ
こで機関投資家ほ受託された資本の管理にのみ注意を払
って︑その資本を投下した企菜の経営に対して中立的な
態度をとることが正しいかという疑問が生じる︒これは
経営者支配を強めることになるであろう︒逆紅︑機関投
資家は企業経営に私感的に参加すべきであるという議論
もあろう︒このことは企業の金融支配という悪い状態匿
追いこむかもしれない︒ドラッカーほ︑その結論として︑
機関投資家と小う新指導者が﹁つぎのことを認識︑理解
することによ?て︑解決される︒つまり︑彼らは︑その
︵六五九︶ 七三
第三十五巻 第正号
資金を預って小る個々人に対して責任を有するのみなら
ず︑社会的富の基本的資本資源が︑いよいよ彼らに信託さ
れようとしているがゆえに︑彼らは社会に対しても茸任
のあることを認識しなけれはならない︒﹂︵PハF.Drucker﹀
America−00Ze已Twenty Years﹁オートメーンヨソと
新しい社会﹂七六頁︒︶経営と所有との問題に︑機関投資
家の増大を関連させて論じているものにA・バーツーの
次の書がある︒
A・Aト謬ユeJr・句OWerWitFOutPrOp誓ty.加藤・開口
・丸尾訳﹁財産なき支配﹂
︵6︶ 戸K.MautNand H.A.Sharafもp.Cit.学−声
︵7︶ Hbidup﹂∃.
三 投資象の意志決定のプロセスの変化
現代証券市場紅おける非常に重要な要素として︑マクツ・ジ
ャラフは機関投資家の発展の次に︑財務分析家の出現をあげて
いる︒さきに証券市場における投資家の構造の変化をのべて︑
機関投資家の発達を指掬したが︑それほ当然紅個人投資家の意
志決定のプロセスと機関投資家の意志決定のプロセスとの相違
紅までおよぶ︒すなわち従来想定された個人投資家ほ自分で投
贋に必要な情報を分析し︑自分で投資の決定を行なうものと考
えられた︒それ紅対して機関投資家は多額の資金を保有し︑有
能な経営者をもつ企業であり︑投資の決定を行なう場合にほ︑ ︵六六〇︶ 七四
多くの情報の収集および分析は専門的な財務分析家にまかせ︑
その結果えられた財務分析家の意見蔽基づいて投票の決定がな
される︒このように機関投資家の意志決定において︑財務分析
家ほ重要な要素であることが理解される︒それ故に︑投資家の意
志決定に必要な情報に関連してえられる情報公開の十分性の概
念ほ︑財務分析家の欲する情報について考えられねほならない︒
マクツ・レヤラフほ︑財務分析家を専門的な職業として成立
せしめた要素として︑機関投資家の発達が直接的な関連をもつ ︵ 1︶ という︒朗務分析家は機関投資家に奉仕するため︑会社の情報
に強い関心をもつが︑伝統的な財務諸表上紅見いだされる情報
だけでほ十分でないとして︑その他の追加的情報を欲している
といわれる︒その一例として︑化学会社の年次営業報望審の十
分性についての委員会報告をとりあげている︒それほ年次営業
報告書中に含まれた情報を次の三つの範疇に分けている︒
︵Ⅰ︶ 必須的情報
当該年度の営業の概要
詳細な損益計算番︵当該年度と前年度のもの︶
貸借対照表︵当該年度と前年度のもの︶
営業の検討
︵Ⅱ︶ 望ましい情報
部門別の売上高
業種別の売上高
設備投資
研究調査費
総賃金︵補完給与も含める︶
十年間の記録︵比較可能な形式で︶
国外への投資
︵Ⅱ︶ 有用な情報
販売価格の指数
賃金の指数 設備投資の将来計画 従業員の総数 営業部門の説明
生産物の概要 経営者についての説明
︵2︶ いろんな図表
財務分析家にとってこれらの情報が必要かつ有用であること ほ明白であるが︑そのことと現実におい七それらの情報が財務
分析家鱒与えられるということほ別問題である︒すなわち︑先 把あげた三つの情報の範噴の彼の二つほ財務諸表上に表示され
ていない情報である︒従って︑財務分析家を投資の決定に必要
な情報を与える対象として考えるとき︑財務諸表に含まれた情 報は投資家の意志決定の目的のために十分でないという結論が
導かれる︒このようにマクツ・ジャラブは︑情報公開の十分性 の概念な証券市場の現実に照して考えるとき︑財務分析家の必
要に対して十分な情報の公開であるとして︑現在の財務諸表に
現代証券市場と監査職能の展開 含まれる情報では不十分であるとしている︒ このような考え方ほ︑監査に重大な影響を与える︒すなわち 財務分析家に止って財務諸表に含まれる情報だけでは十分でな いということほ︑寵来の監査人が監査報告書で明確にしでいる ような範囲の情報では十分でほないということになる︒そこで 監査人ほこの現実に対応して監査を行なわねばならないのであ るが︑もしも監査人が従来のよう紅財務諸表に含まれた情報の 監査およびそれら紅ついての意見の表明のみを行なっていれ は︑現実ほ次のような結果になってしまうとマクツ・ジャラフ ほいう︒すなわち財務分析家は投資判断紅未検証の資料虹依存 するように怒るか︑このような資料疫監査と同じょうな信頼性 の保証を与える他の人を見つけなければならない︒このどちら の場合でも監査人に好ましくない結果である川というのは︑も し財務分析家が多くの未検証の資料に依存できるので虜れば︑ 財務諸表が未検証であって惑いという結論はでてこない︒もし 監査人が伝統的な線を固持して︑財務分析家が全ての情報を検 証することのできる独立の専門家を見つけることができれば︑ この新しい検証家が財務諸表に対してもかれらの業務を拡張す
へS二 ることが考えられる︒ 財務分析家とともに︑短資家の意志決定のプロ︑セスに影響を
与えたものとして︑専門的な投資相談業の出現があげられる︒ ここでマクツ・ジャラフが︑財務分析家の出現と区別して︑投
資相談菜の出現を証券市場における重要な変化の要素の仙つと
︵六六こ 七五
第三十五巻 第正号
してあげているのは︑かれらの奉仕する対象に差別を認めてい
るからである︒すなわち︑大規模な労働組合︑信託会社︑保険
会社およびその他の機関投蟄家は︑自分で専門的な財務分析家
を利用することができるだけの規模と能力とをもっている︒こ
のような財務分析の利益を個々の個人的投資家に与えるのが投
資相談菜である︒投資相談米ほ︑投資に必要な分析および調査
を行なって依頼人にいろいろなサービスを提供する︒このよう
な投資相談業務が証券市場で重要な要素となったことは︑一九
四〇年に投資相談業法が制定されたことによって裏付けられ
る︒また多くの銀行も自己の顧客にはいろいろ投資に関する助
言を与えるので︑投資について専門的指導がうけられないよう
︵J︶
な投資家ほ少ないといわれる︒ここにおいでマクツ・ジャラフは︑投資家の意志決定のプロセ
スが個々の投資家自身のみの判断によって行なわれるもの︑でほ
なく︑.投資の専門家である投資相談発の判断が投資家の忠志決
定のプロセスに大きく影響することを指摘する︒そのことを情
報伝達の理論を借りて説明している︒会社の現在および将来株
主に対する財務情報の伝達ほiつのマス・コミであると考える
ことができる︒
マクツ・ジャラフは︑現代のマス・コミの理論からオピニオ
ン・‖ノーーダーと情報の二段階的伝達の概念を借りて︑投資家の
意志決詣石プロセス匿直接適用する︒すなわち大衆の入手する
情報というものはオピニオン・リーダーの意見を経たものであ ︵六六二︶ 七六
り︑大衆ほオピニオン・リーダーの意見に大きく影響される︒
このマス・コ︑︑︑におけるオピニオン・リーダーの役割は︑丁度
そのまま証券市場における投資相談菜の役割として説明され
る︒投資を行なう場合の実情を見れば︑非常に多くの熱心な投
資家が公表された決算報告書の情報だけで︑自分の資金を投資
するということほあまり考えられない︒むしろそれらの投資家
が︑より多くの情報をもち︑かつその情報を有効に分析する能
力をもった専門家に依存する可能性の方が強い︒そこで投資家
ほ︑証券共著︑銀行︑および近くの投資相談巣に助言を求めて取
引を行なう︒勿論多くの投資家が自分の判断だけで勝手に投資
することも考えられるが︑その場合でもそのような投資家が決
算報告書の研究をして投資を行なうようなことほ考えられな
い︒結局において︑投資決定の基礎として健全な情報に依存す
る熱心な投資家ほ︑かれらを助けることができるオピニオン・
リーダーすなわら投資相談業にますます依存するようになる︒
このよう紅現在の投資家の意志決定のプロセスに応じて︑会社
の則務情報ほオピニオン・リーダーたる投資相談業を経て︑二
段階的に投資家に達するという事実を認識せねぼならないので
︵6︶
ある︒このようなマス・コミの実態な認識すれは︑現在の投資家を
﹁適度の知識のある投資家﹂という概念でとらえたときにほ︑
情報公開の十分性について正当な監査上の概念を形成すること
はできないbこの理由から︑マクツ・ジャラフは一般の個人投
資家が理解し易いように財務報告書を簡略化することに同意し ない︒勿論︑一般の個人投資家が財務情報に正当な関心をもつ ことには同志するが︑簡略化は投資家を助けることにほならな
い︒それほ再三指摘するように︑投資家は現在の財務諸表ばか りでなく︑その他の非常に多くの財務情報をも処理する能力の
ある投資の専門家に助言を求めるからである︒従って監査人が
これらの投資家に対してなしうる最大の貢献は︑むしろより多
くの情報の公開を主張するとともに︑小さい投資家に助言した り︑影響力な与えるオヒニオン・リーダーにょって信頼される
ような追加的情報な検討する方法な発達させることであるとい
われる︒このようにマス・コ︑\\におけるオピニオン・リーダー
の概念によって︑小さい個人投資家は財務分析家が必要とする
ものと同じ情報を必要とし︑かつそれによって利益を受けると
︵6︶ 考えられるのである︒
︵1︶ R.戸MautNanPH・A・S訂ra叫JOp・Cit・も・−ヨ・
︵2︶ Hbid・﹀p・−謡・
︵3︶ Hbid・もp・−遥〜ト∞〇・
︵4︶ Hbid・もp−讐〜−00N・
人5︶ Ibidもp・−00N〜−00㌢
︵6︶ Hbid.も.−∞㌢ マクツ・ジャラフ恨︑投資相談業を現代
証券市場のマス・コ︑︑\におけるオピニオン・リーダーと
してとらえる︒しかし︑一九二〇年代の証券市場におい
ても同じょうなオピニオン・リーダーはみられる︒そし
現代証券市場と監査職能の展開 てかれらほオピー∵オン・‖ノー・ダーとして失敗した︒この ことは別稿の次抄記述を利用する︒﹁山九二〇年代紅ほ 証券投資に対する大衆の関心が現象的に最も大きくなっ た︒経済の全般的繁栄に刺戟されて︑投機的株式への大 衆の意欲はあくことを知らないように思われ︑以前には 非常に慎重であった投資銀行家でさえも基準を下げて不 健全かつ時機の惑い内外の会社および外国政府の債権を
投資家に提供する始末であった︑・ :⁝有名な投資会社も充分な調査をせずに有価証券を発行し︑投褒の評価 とか投資家を保護する手段卑考える余裕をもたなかっ
た︒﹂ ︵香川大学経済論叢墾一宇三巻第五号四1五吏︒︶この失敗紅は全くかれらに責任のない原因も含まれてい るであろうが︑当時ほ情報は無統制の時代でもあり︑十 分な情報な収集し︑かつ分析する専門家が発達していな かったことが関係するであろう︒そして現代の証券市場 でマクツージャラフが考えるよーケに投資相談業が正常に 機能するためには︑これらの専門家たちが投資家に対す る社会的責任を自覚し︑白己の職業の成功がこの社会的 責任を遂行しうる十分な能力を備えることにあることを 認識することが必要であろう︒ 四 会社から投資家への情報の流れ
ここまでは︑投資家の側から投資のさいの意志決定に必要な
︵六六三︶ 七七
第三十五巻 第五号
情報の性格を検討してきた︒それに対して︑次に会社の側から
投資家に対して情報を与える態度を検討するこノとが必要であ
る︒マクツけレヤラフはこれをP・Rの考え方に関連させて論
︵1︶
じている︒︑P・Rとは大体次のよう紅理解される︒どのような組織で
も︑その規模および複雑性が増大するにつれて︑鵬般大衆紅そ
の組織の目的︑動機およぴその全体的イメージを理解させるこ
とがより脚層閤雉紅なる︒従って︑どのような分野匿おいても
P・R担当者が必要とされ︑P・R担当者は当該本人あるいは
組織体と会社の他の人々との忠志の伝達を容易紅するばかりで
なく︑より積極的に好ましい印象をも作りだす専門家である︒
会社の財務問題の領域においても︑このP・R専門家の発展が
見られるとされる︒すなわち現代の企業の問題の一つは︑証券
市場に影響力をもつ人々と満足的な関係を形成し︑かつそれを
維持することである︒換言すれば︑投資家大衆およびかれらの
意志に影響を与える投資相談の専門家にどのような情報を与え
るかが︑経営者の主要関心事であ■る︒そのためにほ十分な財務
P・R計画を立案し︑かつ期務広告競争な行なうことが︑株式
︵2︶
所有者を拡張することになる︒これまで紅のべてきたところより︑財務分析家が会社の刑務
P・R担当者から非常に多くの情報をえなければならないこと
は明らかである︒この場合に︑独立の監査人によ?て検証されて
情報ほ財務分析家匿よって信頼されなければならない︒ ︵六六四︶ 七八
このため紅ほ財務分析家と財務P・R担当者との問に信頼関係
が確立されていなければならない︒P・R担当者の役割ほ正確
な情報を供給すること紅あるが︑財務分析家ほP・R担当者が
次のような責任を負うことを期待する︒第山は︑P・R相当者
が有利なニュースは勿論︑不利なニュースをも含めて会社の状
態の正確な姿をしらせることである︒第二ほ︑P・R担当者の
自己の会社の状態に対する理解が十分であることである︒第三
ほ︑P・R担当者の目的が事実の健全な理解に基づく評価を保
証することであり︑予測および評価を目的としない︒第四にP
・R担当者ほ︑もしも二個の関係老が情緒に対して等しい権利を
もつならば︑その一方により多くの情報な与えてほならない︒
第五にP・R担当者は会社の利益を害するような情報の公開ほ
さしひかえる︒このように会社の情報の鼠および肇を高めるこ
︵3︶ とほ︑財務分析家とP・R担当者の双方の利益に合致する︒
次にP・R相当老の供給する情報の範鯛の問題に移る︒実際
においてそれが財務藷表に含まれる情報正眼られないことは明
らかである︒これほ財務分析家の必要とする情報紅ついてのべ
たことと全く同じである︒例えば︑会社の配当政策︑販売のニ
ュースの解説︑経営者の交替紅ついての現在の経営者の考え
方︑会社の研究調査計画︑労務方針︑対社会関係計画などが含
まれなければならないであろう︒P・R担当者は︑投資家がな
にに関心をもら︑かつなにについて誤解しやすいかをしらねほ
ならない︒こ
相談業が投資に必要などのような情報を求めているかという︑
情報公開の要求を企業に伝える役割を果す︒そこでP・k埴当
者は市場へ情報を提供する手段であるばかりでなく︑市場から
企業への情報の要求をしる手段でもある︒これをマクツ・ジャ
ラフは﹁自動制御的職能﹂とよぶが︑これほ利用できる情報の
︵4し 盈を増大するのに非常な効果をもっている︒
以上でマクツ・ジャラフが現代の証券市場における情報の流
れの負実の姿を描きだすのに必要な要素︑すなわち機関投資家
の発達︑財務分析家の出現︑投資相談業の出現および財務P・
R専門家の出現の四つの説明がなされたが︑勿論かれ鱒情報公
開の問題においてSECと株式取引所の上場要求がおよばした
影響を過小評価するものでほないことを明らかにしている︒
それらほ情報公開の重要な要索として劇般的に認められている
ので︑マクツ・ジャラフほこれを当然の前提として︑ここでほ
むしろ多くの会計士が見すごしていると思われるような諸要素
︵5︶ を故意︑に強調したのである︒
次にこれまでの議論をもとにして︑企業から投資家への情報
の流れに関して二つの構図が提出される︒
第一の構図は︑現在の情報公開の思考に基づく関係を示す︒
ここにおいてほ情報は監査された財務諸表を通じて︑企業から
投資家に供給される︒情報は︑企業から投資家へたゞ一個の仲
介者︑すなわち情報を検討してそれに対する意見な表明する監
査人を経て︑直接に伝達される︒しかしこのような理解は今日
現代証券市場と監査職能の展開 ︵6︶ の証券市場の機能の記述としては十分でないとされる︒
そこで次により現実た接近した構図が京される︒ここでは会
社経営者とその職員とが資料を作成するが︑資料に二種類のも
のが認識される︒をの脚つほ典型的財務諸表に含まれる情報で
あり︑もう血つはそれ以外の設備投資計画︑研究施設および兼
帯の詳細︑経常組織の説明などの情報である︒どのような情報
を公開すべきかを決定する場合に︑経営者は特定目的の最低の
情報公開の基準を設定する上場蟄件ととも紅︑SECおよび株
式取引所などの機関によって影響される︵経営者はまた財務分
析家︑投資相談菜およびその他の証券市場における影響力をも
つ人々から影響をうける︒会社にょって提供される情報の山部︑
すなわち財務諸表だけが独立の監査人の検証奪っける︒財務諸
表に含まれた情報を検討する場合紅︑独立の監査人はSEC︑
株式取引所および会計士菜の借報公朗についての諸要件に合致
するか否かということ︑および報告された情報が一般に認めら
れた会計原則紅一致するか否かということに注意を払う︒財務
諸表以外の情報は︑独立の監査人の検討をうけないでそのまゝ
の形で流通する︒監査をうけた情報も︑監査をうけていない情
報を含めて全ての情報が︑企業の投資対象としての可能性の評
価を行なうために︑財務分析家によ1て使用される︒この財務
分析家の結論が︑投貸家紅投資についての助言を与える投資相
談業︑またほ投資およびその他の財務問題につき情報を求める
他の関係者に伝えられる︒それ故に会社経営者から提出される
︵六六五︶ 七九
第三十五巻 第五号
情報の最終の受益者は︑元の形で情報をうけとるのでほなぐ︑
投資相談業から直接的にまたは間接的にうける助言の形で情報
︵7︶
に接触するだけである︒マクツ・レヤラフほこの節この構図を現在の証券市場におけ
る会社から投資家への情報の流れの現実的姿であるとして︑こ
こにおいて情報公開の新概念を展開しょうとする︒すなわち.現
実における情報の提供は︑自分で投資の決定を行なう適度の知
識をむつ投資家に対する情報の提供でほ篭く︑十分な知識およ ︵
8︺
び経験をもった専門の分析家に対する情報の公開である︒この第二の構図では︑監査人は過去におけるはど重要な地位
を占めていないことが分る︒というのほ︑現在においで投資の
決定のために必要な情報の非常に多くの部分が独立の監査人に
よって検証されていないことである︒以前ほはとんど全ての情
報が監査人の手を経ていたが︑現在でほ劇部分のみである︒こ
のような傾向を阻止しなけれほ︑投資市場のオピニオン・リー
ダーにはより多くの未監査の情報が伝えられること紅なる︒こ
れはまた監査人は財務諸表の情報公開についての基準歓も1て
の基準をもっているだけで︑投資の決定のために必要な情報公
︵9︶ 開の基準をもっていない︒
このような現実の構図における監査人の地位の姿を認識し
て︑現実に対処して監査の職能を展開すべきことが主張される
のである︒
︵1︶ 投資家への情報の掟供を︑会社のP・R政簸と関連さ ︵2︶ ︵3︶ ︵4︶ ︵5︶ ︵六六六︶ 八〇
せて論じることは必らずしも突飛なことでほない︒たと
えばコクラγほ︑山九二〇年代の米国では株主ほ避ける
ぺき厄介な批判者としてよりも︑むしろ啓発すべき友人
と考えられるよう紅なり︑株主に対し会社ニュースの文
書またほ社内雑誌が送られ︑また営業報告垂正二層嘉得
的に︑かつ詳細紅作成されるようになり︑投資家がp▲・
Rの対象とされたことを指摘している︒︵T.C.COChr・
a声Amer甘nBuのinessSystem﹀ pp・ヨ〜声︶ われ
われはこのような会社の政策は︑会社の支配構造が変化
したことに基づいていることを明らかにした︒すなわち
株主が厄介な批判者と考えられたのほ︑株主が会社に支
配力を残していた時代であり︑それが株式の分散によっ
て流動的な投資株主が大部分になると︑経営者はこのよ
うな株童を避ける必要ほなく︑むしろこれら株主をP・
Rに利用し︑大規模化によって問題化した会社の立場を
大衆的な株主の意見によって支持しようと
る︒このような会社の支配構造の変化の認識において︑
強制監査が経営者紅よってうけ入れられたのである旬 ︵
拙摘﹁米国における監査報告書の発展日三二−三三頁︒︶
R.K.MautNandH.A.Sharafもp.Cit.﹀pp﹂00∽〜−慧.
Hbidこpp.−∞の〜−00↓.
Hbidこpp.−00↓〜−0000.
Ibidこp.・−00P
五 監査職能の展開
このような従来想定されていた情報の流れとは全く異なった
構図における監査職能の展開として︑マクツ・ジャラフは会社
から投資家のために公開される全ての情報の検証を監査人が担
当することを主張する︒
その場合︑監査人が財務諸表以外の情報を監査できるかどう
かという問題がある︒一般に監査人は︑予算︑財務封画︑設備
投資釘画などの資料の検証を行なうために︑監査の範組を拡張
して︑責任の拡大になることを好まないことが予想される︒し
かし根本問題は︑責任を制限するということでほなく︑サービス
を拡張することにある︒投資判断を行なうオピニオン・リーダ
ーの必要な情報を検証して信頼性を確かめることは︑どうして
も必要なことである︒ところで監査人は全て払情報を検証し
て︑涼風を表明するための検証方法および基準を展開できるか
問題になる︒マクツ・ジャラフは︑会社の行為および釘画の基
礎である事項ほ検証することができ︑多少せも確信的証拠によ
って背走または否定できるという︒この新しい業務の領域に入
って行くためにほ︑監査人は少し能力を拡張することが必要な
現代証券市場と監査職能の展開
【\ 一\ 一、・  ̄ ̄\
9 8 7 6
\_ノ \J \J )
Ib乙.も.−箸.
:b−dこpp.−∞¢〜−芦●
Ib乙.てp.−也−.
−bid.﹀pp﹂望〜−¢N●
九けであるといわれる︒というのほこの新しい領域では同じ披 紺が適用され︑同じ種頬の証拠が発見され︑同じ判断の問題が あるからである︒だがそうはいうものの︑新しい業務には相彗 な困難を伴うので︑監査はゆっくりと展開して︑このような仕事を注意しながら引きうけるであろう︒しかし上の新しい業務
を監査人がすぐ紅行なわなけれほ︑他のものによってその機会
を奪われてしまうであろう︒それほよりよい情報への要求が︑
︵−︶ 山層高まりつつあるからである︒
現代の証券市場は統制された市場であり︑そこでは多くの技
能をもった専門家の全てが高度に統合され︑かつ非常紅重要な
役割を演じている︒すなわち︑財務P・R担当者︑財務分析家
投資相談菜の全てが︑資金を必要とする会社と投資を欲してい
る投資家との双方の利益紅奉仕している︒この専門化された市
場組織での役割ほ︑第一に他の専門家の重要性と正当な地位を
認識することであり︑第二ほ市場の統制と投資家の保護の専門
︵2︶ 的責任の部分をひきうけなけれはならない︒
血つの廃業として︑監査人ほ自己の菓務に依存する全ての人
々に対して式任をもつ︒証券市場からの圧力がなくても︑監査
人は環境に即応すべく自己の兼務を拡張したり︑改馨したり常
紅努力しなければならない︒それ故紅監査人ほ叫つの職業とし
て重大な社会的責任をもっている︒こ監貝任のうちには︑証券
市場の必要に十分な情報の公開を維持する責任がある︒それに
ほ情報の公開における人々の利害関係を認識し︑現実的な情報
︵六六七︶ 八山
第三十五巻一節五骨
の公開の基準の展開の方韓を指導する責任から︑情報の公開を
効果的にする方法を展開する茸任まで含まれる︒公開された情
報が独立の専門家紅よって検証されなければ︑その目的のため
に完全に満足的であるとほいえない︒従って監査人ほ︑財務分
析家およびその他の関係者が必要とする追加的な情報の検証方
︵3︶
法および手続を展開する責任をひきうけなければならない︒このようにしてマクツ・ジャラフは︑情報公開の十分性の新
しい概念を導きだす︒第一に︑それは企業の財務顔料に対する
全ての利害関係者がその設定に発言権をもつ概念である︒第二
紅︑それはこのような情報を用いる人々が誤解しないように保
証するはかりでなく︑このような資料を直接に分析する人々の
助言に依存する投蟄家を保護することに関連する︒この保護的
情報公開のためには︑情報が十分担検証されるととが必要であ
る︒投資のために情報に依存する人々は︑独立の監査人の業務
をもっとも必要とする人々である︒そして第︷に︑独立の監査
人が現在の市場の条件における投資決定のための十分な情報を
利用できることを保証しなければ︑欝二にその情報を検討し︑
かつその信頼性紅ついて意見を表明するため紅︑専門家として
の能力および意志を示さなければ︑第三に終始専門的能力の最
善をつくして投資家を保述する態度をとらなければ︑独立の監
︵4︶ 蛮人ほ正当な業務を行なわなかったことになるとされ乱︒
以上のような楷報公開の十分睦の概念に対してほ︑それは監 凄人の頂担を過重直するという反論が予想されるが﹂マクツ・
︵六六八︶ 八二レヤラフはそれ紅対して次のような答を用意している︒第二
に︑それほ負担というよりもむしろ鵬つの機会という性質のも
のである︒第二に︑証券市場の新しい展開は︑もしも監査人が
現在の望ましい地位を保持し︑かつその職業的な責任を達成し
ょぅとするならば︑このような概念は不可避であるというナ﹂と
である︒第三に︑監査人が時代の要論に応えようとするなら
ば︑より大きな機会と責任とが与えられるのが今日のアメリカ
︵5︶ 経済の傾向であるからである︒
さらにマクツ・レヤラフほ︑公共政策達成の州環にまで監査
の職能を展開している︒現代ほ﹁情報の時代︵age Of旨fOr臼a・
tiOn︶﹂とよぶことができ︑適当な情報を利用して統制を/口なう
傾向が強くなってきている︒社会の叫般の人々がいろいろな事
実とか数字を理解できるようになれほな各はど︑政府︑企業︑
労働者などはより多くの情報を与えることによって社会を助
へ8︶ け︑あるいほ社会に影響を与えようとする︒ へ7︶
このような社会的情報公開ほ吏要である︒知識ある社会は搾
取を防止する立法を要求するという理論から︑情報公開目身が
不公正を十分阻止することほ明らかである︒搾取を防止する法
律を通じて公平を獲得かつ維持しようとする吸合に︑適当な統
制の手段として正確で︑客観的で︑かつ信頼できる情報を必要
とする︒社会の利益に関与する機関によって必要なのほ︑社会
の利益に関係のある情報である︒もしもこの情報が不正紅操作
されれば︑搾取ほ統制できないので︑信頼できる情報が必要で
ある︒情報は検証されれほ信頼できると考えられる︒社会の人
々も同じ考え方になりつつある︒より多くの情報が必要になる
紅従って︑より多くの信観できる情報が要求される︒従って米
国でほ︑公共政策の盈要な劇部分として検証された情報の提供
が亀祝されることほ続くであろうし︑またそれがより強調され
ることが予想される︒そして﹁情報の時代﹂が↓信頼できる情
︵8︶ 報の時代﹂紅なるとき︑その目的が有効に達成される︒
情報を信葡できるように検証するのに︑現在のところ山つの
職業だけが関係している︒監査は証拠の理論︑検証技術︑検証
および報告における経験なもっているの・で︑社会がより多くの
検証された情報を要求するにつれて︑監査ほその英務の領域を
拡張する機会を発見し︑かつとらえることができるであろう︒
そうすれば監査業務の将来は無限であるが︑逆に意識的にまた
ほ無意識的牢情報の﹁部分の検証正眼定すれほ︑その鬼婆な地
位は他のものによって奪われてしまうであろう︒
そしてマクツ・ジャラフほ次のように結論する︒監査は長い
間資金市場で信用の流通を援助する重要な役割を果してきた︒
もし監査がこの藍要な職能の達成を継続しょうとするならば︑
現在の職能の前途を鬼とおして︑蛋要な統制の決定の基礎であ
る情報の将来の検証者としての自己を発見しなけれほならな
い︒すなわち︑監査ほ公共政策達成の機構の重要な一部分とし
︵9︶ ての自己を発見しなければならない︒
︵1︶ R・只●MaまN and声A■S訂raf︶名・Cit・も・−琵・
現代証券市場と監査職能の展開
︵2︶ Ⅰ♂id.もー富・
︵3︶ Ibid●らー一宏〜−当● ︵4︶ Ibidこp.−S● ︵5︶Hbid.もp.−彗〜−象. ︵6︶ HbidこpL冨● ︵7︶ われわれほ別稿でほこの社会的情報公開を︑会計職能の委譲の結果として試論的匠説明した︒﹁会社の活動お
よび存在がより社会的な意義をもつよう紅なり︑ノまた社
会により重要な諺褒を与えるもの紅成長してくれは︑会
社の諸利害関係者として株主︑金融機関およびその他の
偵梅者︑国家および地域社会︑消費者︑労働者およぴそ
の他のものが含まれるようになる︒⁝ ・・これらの利
害関係者の⁚⁚∵:会計職能への参加は計画的会計職能の
より基本的な部分についてであり︑現実にほ劃般に認め
られた会計原則に諸利害関係者の意志が綜合的に反映さ
れている︒そしてそれに応じて監督職能を結合的紅スタ
ッフ化して︑公共会計士が監査人として叫般に認められ
た監査基準に従って社会的な監査職能を行なう︒﹂ ︵﹁
会計監査の職能に関する仙試論﹂香川大学経済論叢第三
十五巻第叫号二1−こ二頁︒︶
︵8︶ Ibid・らp・−浣〜−¢P
︵9︶ lbld.らp・−¢¢〜N00●
︑六 マクツ・ジャラフの所説に対する若干の批判
︵六六九︶ 八三
第三十五巻 第五骨
1むすび紅かえて﹂靂−
最後紅︑マクツ・ジャラブの所説に対するわれわれの見解を
まとめておこう︒
マクツ・レヤラフが︑従来や1もすれは無批判的にうけ入れ
ていた監査理論の前提に反省を加えようとした努力は評価され
ねばならない︒証湊市場の実態に基づいた監査理論が樹立され
るべきであるという指摘は正しいであろう︒他の学問領域に比
して︑証券市場の実態の検討︑およぴその監査理論への適用が
遅れていたことほ事実であり︑監査理論の発展においてもやゝ
もすれば技術的な精練にのみ努力が払われ︑理論の基礎とすべ
きものの実態およびその変化ほあまり注意されていなかった︒
このような監査理論の従来の態度ぬ対して反省を求めるものと
して︑マクツ・ジャラフの所説が大きな貢献をなすことほ明ら
かである︒
マクツ・ジャラフの監査理論ほ全くユ土−クな特色をもつが︑
かれらの理論の基礎は従来のいわゆる﹁会計監査論﹂のそれと
ほ全く絶縁された所におかれている︒すなわら︑かれらは会計
理論に基づかない監査理論の形成を試みているので︑監査を会
計の枠よりはずし︑全ての情報に関する職能に展開している︒
しかんわれわれとしてはこのようなかれらの立論の基礎につい
て同窓しえないことは︑われわれの監査職能論の立場から明ら
︵1︶
かである︒かれらの所説をまとめてみると次のよう紅なる︒ノ従来の監 ︵六七〇︶ 八四
査理論が前提としている証券市場の実態の理解は正しくない︒
市場は個々の個人投資家の意志決定により形成されているので
ほなく︑投資の専門屠の意見に基づいている︒すなわち︑現代
の証券市場では個人投資家に代?て機蘭投資家の比重が増大
し︑それに伴って投資分析の専門家が発達し︑投資家の意志決
定の主要な部分がこれらの専門家によって担当されるようにな
ってきている︒従って投資の決定に必要な情報の十分性とほ︑
これらの専門家に対する情報紅ついて考えられるぺきであり︑
そこでまた監奄の職能も会社から投資家に提供される全ての情
報の検証にまで展開されることが必要とされる︒
証券市場および投資家の意志決定のプロセスの理解として
ほ︑かれらの見解ほ正しいであろう︒しかし監査としてほ問題
がある︒例えば︑機関投資家の比重の増大の認識は正しい︒し
かしながらそのような利害関係者の様相の変化ほ︑まず会計に
おいて反映されねばならない︒従って監査においても︑会計に
おける利害関係者としての機関投資家の立場が正当に保護され
ているか否かを確かめるであろう︒このように従来の会計監査
論においても︑この現実に対処しうるのである.︒現実における
監査の機能を分析することなく︑会計と他の情報とを同列にお
いて︑単なる情報の拡大によって問題の解決を論じることほ結
論を急ぎすぎているのではないであろうか︒
投資家が投資の決定のために多くの情報を求めているという
資の専門家の意見にょって指導されているという事実認識もま た正しい︒しかし投資家の必要とする全ての情報が検証されね
ばならないというのは問題である︒投資家の意志決定ほ日々刻 々の問題であり︑劇定時期の問題ではない︒また会社の状勢も
刻々変化する可能性をもっている︒このような情報の全てを会
社より投資家へ流れるように制度化することが可能であろう か︑またそれに対して検証の機会を作ることはより困難に思わ
れる︒ 次に︑叫定期日︑例えば営業年度末の情報に限定してみても 問題が残る︒投資の意志決定には︑会社から与えられる情報ば
かりでなく︑会社の外部からえた情報も重要である︒例えば︑ 金融状勢︑経済の動向︑政治の状勢またほ国際状勢などが会社
におよはす影響について︑会社以外から情報がもたらされるこ とが考えられる︒このような会社以外の情報はどのように検証
されるか︒もしもこれらの事項について会社からも情報がえら れるとき︑もし両者が異なっているとき︑どのように解決しう
るか︒ さら紅︑会社の営業報告書に含ませられる情報に限定しても︑
監査人が客観的な証拠によって公正な判断を下すことができる ような情報ばかりでなく︑そのような判断をなしえないような 情報も含まれる︒例えほ新製品の見通しとか︑研究開発の成
否︑あるいほ経営者の営巣方針などの情報についての検証は困 難であり︑どうしても予測または評価の要素が入り込む︒会計
現代証券市場と監査職能の展開 にほその検証の基準となる会計原則または基準があるが︑経営 方針についてその検証の基準をもたない︒このよう匿投資紅必 要な全ての情報の検訂は︑監査人に相当の能力の拡張を要求 し︑かつ予測または評価まで要求することになるであろう︒ マウツ・ジャラフ︑のとく監査職能の展開は︑理想論としては
非常に面白い考え方であるが︑実践論としては︑一方においで 全ての情報の流れの制度化において︑他方において検証の可能
性において全くその適用ほ困難で.あろう︒
われわれとしてほ︑直接に職能の展開を議論するよりも︑そ のまえにまず現実の会計監査の枠のうちにおいて︑︑証券市場の 変化に対応してその利害関係者の要請をみたすことが果して不
可能かとうかを︑十分に検討してみるべきであろう︒またその ためには株式会社の構造を掘り下げることも必要であろう︒例
えば︑マクツ・ジャラフが監査理論を証券市場の実態に即応さ せることを主張するならば︑株式会社における株主がどのよう に変質しっつあるかということをも関連せしめなければならな
いであろう︒さらに会社財務において︑証券金融の比重が減少 し︑それに対して自己金融の割合が大きくなっているという事
実が︑監査理論にどのような影響をおよぼすかについても説明 することが必要になろう︒同じように監査理論におけるマス・ コミの理論の適用にしても︑証券市場における投資家の意志決 定がオピニオン・リーダーの意見によって指導されるという指
摘ほ正しいにしても︑従来の監査で何故不十分で届るかという
︵六七こ 八五
第三十五巻 第五号
こと︑すなわち会計とその他の情報が同質と考えられねばなら ない根本的理由が示されねばならない︒
マフツ・レヤラフの所説が︑非常に新鮮な感覚と方法論に基
づいていることほ確かである︒そして従来われわれの監査理論 が︑縁遠いものと考えていた諸学問の領域の成果を巧妙にとり 入れようとした試みほ評価せられねばならないが︑より近接的
な学問である会計学︑経営学の成果は勿論︑かれらがあまりみ るぺきものがないとした従来の監査理論の成果により一層の掘 り下げが必要であったのではなかろうか︒このことほマクツ・
レヤラフの理論が︑われわれ紅極めて一面的な印象を抱かせる 大きな原因となっていると思われる︒
︵1︶ われわれの監査職能論においてほ︑監査職能ほ広義の
会計職能の一部を構成するものである︒別稿でほ︑監査 職能を﹁会計職能の委譲から生じた監督的職能のスタッ
フ化として︑斜面的会計職能︑執行的会計職能および統 制的会計職能が円滑に綜合的な会計職能の循環過程を構 成して︑その目的を完全紅達成するよう鱒指導する監督
的職能を促進し︑あるいほ助言する職能﹂と定義した︒︵
拙稿﹁会計監査の職能に関する一試論﹂ 香川大学経済
・ .論叢 第三十五巻 第劇号 二二頁︶ ︵六七二︶ 八雫