林芙美子「山裾」の位置
著者 森 英一
雑誌名 金沢大学語学・文学研究
巻 12
ページ 7‑11
発行年 1983‑03‑30
URL http://hdl.handle.net/2297/7125
昭和三年七月、や芙美子は前年に結婚した手塚緑敏と共に長聿野へ旅 行し、十月には『女人芸術」に「秋が来たんだ」を発表した。、後に 『放浪記』》としてまとめられる第一作である。十二月にも緑敏の友 人と共に長野へ出かけている。.『女人芸術」誌上の「放浪記」は評 判が良くへ続稿を掲載して、ついに昭和五年七月、単行本となり、 十一月の鍵靴篇と共にこれが芙美子の代表作にもなったこ少」は周知の 通りで福ある。丁丁。(~.』「1. 以錘耀彼女は本格的に作家活動を開始するが、昭和十二年、自作 を》大体〉一(私の他事は、放浪記時代、清貧の書時代、牡蠣時代と、 一一一期に渇けることが出来ると思ひます〉(「私の仕事」昭、・8「文 芸」v〉と解説したp《後に〈川副国基はこれを受けて『放浪記」は叙 情の勝った小説(『「清貧の書」はその叙情性を抑えてつとめて写実 的にL韻うとした小説?「牡蠣」は技法的にも見事な写実的小説に なやていて芙美子が小説家として立派にその道をひらいたことを示 している、と述べへ芙美子の小説が段階的に進歩したと観た(「主要 作恥鑑賞小辞典」昭蛆・6「現代日本文学アルバムⅢ林芙美子」学 習研究社)。沙「牡蛎」については〈芙美子が生活派からぬけて客観文 学に変る転期の画期的俗な参考になるYという板垣直子の評価なども あり(『林芙美子の生涯」昭妬・2大和書房)、〉几代一表作『浮雲』(昭沁
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林芙美子「山裾」の位置
・4六輿出版社)に至る道のりの出発点をこれに見るのが今日では 通説になっている。 確かに、芙美子の作品は『放浪記一以後、順を追って作風が変化 しているじp十二年の時点で三期に分けられるというのも、大まか 挑川 すぎるかつほぼ的を得ている。「牡蠣」に辿りつく間、彼女は図書 「館に通うなどして懸命に勉強に励んだというが(「文学的自叙伝」昭 mo8『新潮』)、,何よりもそれは精進の賜物であった。しかしへそ れとは別に彼女に小.説を書く一種の天賦の才があったのも事実のよ うである。「秋が来たんだ」とほぼ同時期の短篇「山裾」を読むと、 そのことを痛感させられる。四
「山裾」は「秋が来たんだ」にやや遅れて昭和一一一年十二月一一十七 日の『東京朝日新聞』に掲載されたP四百字詰七枚程度の短篇であ る。「文学的自叙伝」(前記)にあるように7原稿売込みに歩いたう ちの一作が偶々採用されたのであろう。しかし、同様の事情で発表 された他の作品l「かにの宿」(昭3.6・畑『東京朝日新聞』) 「耳」(昭4ヶ3『女人芸術ご「島を捨て、」(昭4.,.m『大阪朝 日新聞』)…等と比較してみても、1群を抜いた出来栄えになっている。
☆ 森英
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たとえば「かにの宿」は私と母の二人で四国巡礼の旅の途中、小 豆島土の庄の安宿で一泊する話。あんまの夫婦や淫売婦などと同宿 し、彼らとの会話が中心になっている。私が宿から東京へ便りを書 く〈とあるから大正十二、」一一年頃の芙美子の体験が生かされている のだろう。〈消えやすい旅の人の顔よ皆幸福でPあの健康な海の色に 負けないで下さい〉という向日的な結びの一句が作品の暗い素材を 救っている。「耳」は?美しく大きい耳を持っていた初恋の男との思 い出を胸に隠しながら、今は自動車で男と遊び歩く女・夏子を描く。 内容的には『放浪記」中の「雷雨」(初出昭5.7『女人芸術』)の 一部と類似する。 「島を捨て、」は、自分を捨てて行った男に会いにやって来た松 代が手切れ金として三百円を要求して受取って帰る。男の方は友人 と〈三百円で済んでよかったぢゃあないか、どうだい、女ってもの は甘いもんぢやあないか〉と彼女を潮笑し合う。素材的には『放 浪記』中の、「恋日」(初出不詳)「旅の故里」〈初出昭5画5『女人芸 術」)と重復している。しかし、『放浪記」の場合の〈私〉は手切 れ金など要求しない点に大きな差異がある。 このように、これらは作者の主観が露わになっているか、『放浪 記』と共通する素材を採用している作品である。それに対して、「山 裾」は主観が隠されており、『放浪記』と共通の素材も使用してい ない。あとで観るように、「放浪記」の叙情や楽天性を飛び越えて、 「牡蠣」の世界にも通じる作品世界を形成している。これは従来、 全集や選集はむろん、どの短篇集にも所収されなかったので、埋没 性② していたのである。 「山裾」は全五節から構成されている。第一節は〈斑尾、妙高 黒姫、飯繩、戸隠の山々に押されきう〉な須坂の町を舞台に、そば 畑に囲まれた旧街道沿いの小料理屋、みどり屋を紹介する。この舞 台設定は前述した長野行きの体験が生かされたものだろう。擬人法 が多用された文章は新感覚派文学の影響でもあるのだろうか。第二 節ではP歌舞伎芝居の一座が長雨でトヤについた後、座頭の団十郎 がみどり屋の女主人おみきに気に入られ、そのまま居坐る。〈山裾は 冷たい風の吹きそめるのも早い。団十郎もいつかおみきの洗ひざら したネルの上にどてらを重ねるやうになった。〉という叙述は巧みで ある。以上の二節がいわば導入部である。 第三節はおみきの入浴の場面。かまどを炊きつける女中のお菊の 若々しくPはち切れそうな身体を凝視するにつけても、衰えたわが 身がわびしく思える。おみきはお菊へ嫉妬を覚える9第四節、プロ からあがって固練をつけるおみきは、いよいよ老いを感じる。百姓 の伊太がやって来、冗談を言いあう。外へ団十郎をさがしに出た彼 女は、放尿している後の姿に力強い頼もしさを感じる。第五節、そ の翌朝、団十郎とお菊はみどり屋から姿を消す。町の停車場へ追う が、後の祭り。おみきは気が狂いそうになるほど落胆する。彼女は 懐妊していた。 このように、最初の二節は作品の舞台とおみき達が知合った経緯 を示し、後の三節で団十郎達が出奔するまでの一一日間のことを説明 するという構成である。三、四節には会話文も混じっているが、方 一一一一口で書かれており、地方色を示す効果をあげている。また、伊太と おみきが交わす話に繭の相場が話題となって農家の生活ぶりを間接 的に知るように配慮されてある。さらに、伊太と話込みながら、一 方の耳はお菊と団十郎達の気配をさぐる辺りのおみきの描写は、リ アルである。作品が次のようなおみきの妊娠を暗示する文章で終わ っているのは、注目すべきである。
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そして何度も何度も吐気のくるあさましい胸をさすりなから、 ゲエゲエと》すがれたはうせん花の上にすっぱい水を吐いた。 つまり、怜てられた彼女の悲惨さは妊娠している場合とそうてな い場合とでは大述いだし、帥君の場介であっても、この表現のよう に略示的に柵がした〃がより効采的と思われるからである。この部
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分の存在によって小説は格段のしまりが生じたと言うべきである。 ところで鋪一節において統料の視線をみどり膿の外に世き、二節 以後、その内部に移動させ、そして九節において沢小を用いて視線 をまた彼〃に逆ぶ、という冒頭と巻末をあい雌応させた手法はみご
とと言うしかない。
もちろん、男に怜てられるというこの話には芙美子の体験が投影 されている。考えうる第一のケースは岡野単一との別離であり、第 一一は田辺若男、そして第三に野村吉哉とのそれがある。特に田辺と 野村の場合は、相手に恋人ができたことが別離の直接の理由であっ たから、今の話と似ていよう。しかし、読者はそういう知識をあら かじめ備えていなくとも、作品を鑑賞する上で不都合はさほど感じ ないと思われる。それほど個人的体験が普遍的テーマヘ昇華してい る。 とはいえ、最初期の作品ということで、以下に観るような表現技 法等において未熟な面をもつことも否めない。たとえば、直楡やオ ノマトペが多用されており、作品内容に若干そぐわない傾向がある。 杼情味が過ぎた文章が気にかかる。 o風が吹くたび海のやうに繁ったそば畑の葉がくれにチラリホラ リ白々とした小さな花がさいてゐて、野ぶろをたく煙がゆるく
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関川北鵬を灰色に隠していった.二節) ○ムクムクともれlって、今にも押しかけて来たさうな、山の姿 にブルブルと胴ぶるひすると、おみきはサアッと跡から上った。 雌傑の力では、何かⅦnきうにキヤッキヤッとお菊の笑ひ声や、 団十郎の含み識が時々チカノ~して、おみきはいらノーしくょ ばつた。(三節) もっとも、これらは『放浪記』についても言えることであり、「牡 蛎」辺りから次第に姿を消す。 さて、一人の女性が男に擁てられるこの作品は、〈愛していた男の 影があすこにも、こ、にもうろうろしてゐる〉という記述はあるも のの、稀な例というべきで、男と女を結びつけるまでの愛情それ以 後の愛情などというものは、ここでは問題にされていない。少なく とも描写はされない。それに代わるものは肉体であり、セックスで ある。これこそが男女を吸引する全てとして強調される。この作品 の特長であり、「放浪記」を底流する一節の流れであり、以後の林 芙美子の文学の基調となるテーマだといっても過言ではあるまい。 たとえば、今まで度々、引合いに出した「牡蛎」(昭n.9「中央 公論」)を例にとってこの事を説明してみよう。この作品ではまず 袋物職人の周吉が妻となるたまとどのようにして出会ったか.それ を語る作者芙美子の手法に注意したい。作品は周吉が製品を納めに 問屋へ出かけるところから始まる。帰りしな、彼は新小牛の皮の原 材料を仕入れるが、夕食後、その皮を刻み、切端の匂いをかぐと、 たまの汗ばんだ時の髪の毛のような匂いを連想する。そして、次節 の、〈周吉がたまを知ったのは、その年の夏の事である。〉という文 章へつなげて行くのである。 周吉の仕事部屋を偶然のぞくことになったたまは、彼の眼に〈肌
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と述べている。初恋の男岡野との交際が彼女にとっていかに懸命 で純粋なものであったか、以後の恋愛が彼女にとってはセックスプ レイに等しかったかを如実に物語る。「放浪記』における男性観も同 様のことを表わしている。たとえば、こんな言い方がある。 ああ情熱の毛虫、私は一人の男の血をいたちのやうに吸いつく してみたいやうな気がする。男の肌は寒くなると蒲団のように 恋しくなるものだ。(二人旅」初出昭3.m『女人芸術』) もちろん「放浪記』はかなりの虚構をこらした作品であり、とり 注側 わけ〈私〉にまつわる描写にはそれが顕著である。この部分も額面 通り受けとることは危険かも知れない。しかし、島の男・岡野と別 れたあと四、五人ほどの男性との交際が指摘でき「放浪記』以後の 実生活においても、手塚緑敏と結婚後のパリ行き(昭和六年)は、 注⑤ ある男性を追いかけてのものだったという説が有力である。 さらに、エッセイ「恋愛の微醸」(文泉堂版全集第、巻所収)の中 で、〈結婚をしてゐるひとたちの恋愛には交通巡査がいる。あぶなく の姿を芙美子はよく描く。作品世界では、動物的とも思えるほど男 女がいとも簡単に肉体関係をつくる。「牡蠣」に続く「枯葉」(昭u・ 4「中央公論」)や「稲妻」(昭n.1~9『文芸」)「女の日記」(昭 n.1~、「婦人公論」)等々、皆そうである。一言でいえば、男 女間の愛情を不問に附す、このような考え方を芙美子に植えつけた 主因は岡野軍一との別離体験である。「山裾」より二か月前の「女人 芸術』(|の四)に掲載された座談会「恋愛異説」で芙美子は、 性欲なんか忘却した、たず好きノといふ気持時代の恋が非常に 貴く思はれますね、もうその後恋から恋にうつって行っては、 身も汚れ心も汚れて、恋愛ぢやなくて遊びだったといふ気がし ますわ。 ないやうに恋をしなければならぬX交通の整理された恋愛は、悪い ことだとはおもはない〉と述べている。かなり進歩的な考え方を示 しているのである。 「山裾」は以上のような芙美子の考え方が示された最初のまとま った三人称小説であり、それを描く作者の態度が『放浪記』完成以 前のものとは思われないほどに先を行く作品であった。オノマトペ の多用を廃し、文章の杼情味がもっと抑えられ、各登場人物の人間 像がより深く掘り下げられたとすれば、これはすでに「牡蠣」の作 品世界である。芙美子は、早急ぎせず、着実な精進を段階的に積重 ねてそこに辿りついたのであった。
注Ⅲたとえば「野麦の唄」(昭n.1~6「婦人公論』)の出現は、 読者サービスを意識した作品群の開始を意味する。 注②この作品を記した今川英子編の「年譜」(文泉堂版全集第咽 巻)の学恩に謝意を表したい。 注③わずかに〈周吉は、たまのような平凡な女が好きであった〉 という一文があるのみ。しかし、これだけでは不十分すぎる。 注側この点については「『放浪記』論」(『金沢大学教育学部紀要」 第調号、昭閑・2予定)に詳細に述べる。 注⑤和田芳恵編『日本文学アルバム型林芙美子」(昭虹.u筑摩書 房)や平林たい子『林芙美子」(昭“・7新潮社)等。
(金沢大学助教授)
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