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「野生の稗」の方言分布とその解釈 : 富山・岐阜 ・石川県境地帯における

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(1)

「野生の稗」の方言分布とその解釈 : 富山・岐阜

・石川県境地帯における

著者 真田 信治

雑誌名 金沢大学語学・文学研究

巻 2

ページ 49‑58

発行年 1971‑10‑20

URL http://hdl.handle.net/2297/23692

(2)

本稿で扱う資料は、富山・岐阜b石川県境地帯において一九六七年から一九六九年にかけて行なった言語地理学的調査から得たものである。調査地域・地点の詳しいことについては、すでに次の論文 栽培する稗に対して、稲田に雑草として自生する稗がある。この野生の稗のことを、富山・岐阜・石川県境地帯では、ニー」、「夕べ」、「オ巳などと呼んでいるが、このような呼び方には地域差がある。そこで、本稿では、これらの語がどのような変遷を辿ったかを、この野生の稗の方言分布図と、栽培した稗の方言分布図との重ね合わせによって探って承ようとするものである。なお、本稿では、以下、この野生の稗を「野稗」と称し、栽培した稗を単に「稗」と称することにする。

二、資料について 『はじめに

「野生の稗」の方言分布とその解釈

l富山・岐阜・石川県境地帯におけるI

で述べたので、ここではくり返さない。(注1)。拙稿「富山・岐阜・石川県境地帯における〃螢袋〃の方言分布

とその解釈」(金沢大学教育学部国語研究室同窓会誌「良文」腓

創刊号)拙稿「富山・岐阜・石川県境地帯における蛙をめぐる語の歴史と体系」(「国語学研究」第扣集)なお、調査地点名は一覧表に、調査地点の位置は地点番号を用いて第1図以下の地図に示した。調査はすべて臨地調査である。それぞれの集落に出向いて被調査者に「野稗」と「稗」の写真を見せながら説明し、その名称を答えてもらうことにした。また、「稗」を栽培したか否かについてもすべての地点で調査した。調査時における語形の記録は音声表記とした。なお、一九六九年夏の調査に当たっては、永瀬治郎氏(当時、東北大学大学院生)と下野雅昭氏(金沢市立花園小学校教諭)の協力を得た。調査者間で音声の聞き取りの傾向についての差異はほとんどないと思う。

可△PC申込|L『 真田信治

(3)

被調査者については、幸一〉その選択の一辱準など詳し’い←」とは前掲の論一文を参照していただきたいp被調査者の生れ年と性別は一覧表にして次に示した。生れ年は特記Pない限りは、》烹承な明治何年かを表わしている。調査地点名・被調査者一覧表岐阜県大野郡白川村弱・〃・弱・皿馬狩(弱・男)品・岨荻町1(四・男)妬・列‐鳩谷(配・」女)兜戸ヶ野(品・男)別・刀飯島(辺・女)弘・刑下田(記・男)伯・加有家原(皿・女)朋・印椿原(弘・男)夕蘆倉(幻・男)肥・閉加須良(弱・男)印・肌・筋小白川(別・男)富山県慰東砺波郡上平村α・田・“桂(弱・男)印・弱・加成出(打・男)別・〃楮(弘・男)別・田真木(佃・男)則西赤尾(亜C男)だC蛆東赤尾(四・男)伯新屋(側・男)絹・鬼田ノ下(四・男)

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(4)

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「野稗」は夏から秋にかけて稲田に雑草として自生し稲の生育を妨げる。そういうことから、この植物はこの地域の人々にとって、〃嫌われもの〃といった意味でなじふ深いものである(注2)。この地域で採集した「野稗」の方言は次のものであった。1、「へ-」この語形については精密な観察によると〔ずQ〕の外に〔のQ〕、〔認、〕、〔n便〕などの音声的変種があった。しかし、これらの間に地理的な分布は認められなかったので、これらの音声を「ヘー」で一括することにする。2、「オロ」白川村椿原(弱・タ・筋・〃)で採集した語形は〔。Bご日田〕であるが「オEに含めることにする。3、「へ1オロ」4、「夕べ」5、「ガキペー」福光町西勝寺(閲・〃・別・印)で採集した語形は〔ぬ受穴日冨函〕であるが、「ガキベー」に含めることにする。6、「タンポヘー」7、「クサベ」8、「オンゾ」これら八種の地理的分布を示したものが第1図である。この分布模様によって、それぞれの語形の変遷過程を考えていくことにする。 三、「野稗」の歴史

52

(6)

まず、北部に広く分布するコー」と南部に広く分布する「オロ」を取り上げ、どちらが新しいものであるかを考えてふることにしたい。「ヘー」の分布しているのは平野部であり、「オロ」の分布しているのは中心部(町部)から離れた山間部であるから、二1」が「オEに代る新しい勢力ではないかということが一応考えられる。ところで、これに対して、もう一つの考え方がある。すなわち、「オEが南部から新しく北上してきたのではないかということで はだ困難である。そしてまた、平野部の若干の地点にも「オビが現われていることを承ると、「オEが新しく北上してきたものであるということはできないであろう(注5)。そうだとすれば、先の「ヘーがオロに代る新しい勢力」という推定の方が妥当ということになる。実際、ニー」は平野部から山間部への道路に沿って分布している。このように、分布のしかたから「へ-」の方が「オビよりも新しいものであろうと考えられるのであるが、「ヘー」と「オどの両形を併用している一一一地点のうち、今里(弱・〃・品・路)と北豆谷(弱・昭・Ⅲ・別)の被調査者は、「ヘーの方がオロより新しい ある。第1図によると、「オEは岐阜側と富山側の利賀川流域に主として分布域をもっている。そこで、「オEが岐阜側から峠を越えて利賀川方面へ流れ込んで来たのではないかと考えるわけである。しかし、この推定は、どうも実情に合わないように思われる。というのは、岐阜側から利賀川方面へは峠越えができないこともないが、この峠を通じての彼我の交流は古くからほとんど行なわれていないからである。仮に、「オ巳がこの峠を越えて入ったのだと考えるにしても、それでは何故、より交通の頻繁な庄川流域に沿って北上しなかったのかということが問題になる。わざわざ地理的な障害を越えて利賀川方面へ侵入したのならば、どうして障害のない庄川流域から侵入しなかったのであろうか。それを説明することは、はな

55

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(7)

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という変遷を推定して間違いないと思われる。なお、「ヘーオロ」が利賀(弱・記・引・印)に現われているが、この集落は「オどの分布域と「ヘー」の分布域の接触地帯に位置する地点であることに注意したい。この語形は「オロ」の領域に「へ-」が新しく侵入した結果でき上がったものであろう。すなわち、新旧両形が複合されて共存しているのである。次に、コー」と「オロ」の分布域の中間地帯に集中した分布域をもっている「タベ」について考えてぷたい。この「タベ」の分布域は、上平村という一村の区域とほとんど一致している(第1図において点線で囲んだ区域が上平村である)。これは注目すべきことである。この地域における現在の行政区画は中世の自生的生活共同体の区域、そして、近世の加賀藩統治下における組の区域とも異なっており(注4)、現在のこの上平という村の区域が形成されたのは一八八九年(明治一三年)のことであった。したがって、この地域で「タベ」の勢力が広がったのは一八八九年以後のことだと推定できるのである。分布域内の二地点で被調査者はこのことばの語源を「田の稗」であると説明しえいる。

なお、この「夕べ」の分布域の南端に隣接する小白川人弱・印・

別・朗)の被調査者(明治二四年生れ)は、「自分はオロと一一一一口うが、この頃の若い者はタベというようになった。夕べはハイカラなことばだ」という内省報告をしている。「すロ」と「夕べ」とを比べると後者の方が新しいと考えられる。 言い方」と鶴正古している。この地域における「ヘー」と「オロ」とに関しては、以上の側と日によってコー」と「夕べ」のいずれもが「オロ」よりも新しいものであることがわかるのであるが、では、「ヘー」と「タベ」とはどちらが新しいものなのであろうか。これについては後で、この地方で栽培し食用にした「稗」を表わす語形の分布と関連させて考えてふることにしたい。次に「ガキベー」を取り上げよう。「ガキベー」は、平野部の福光町に二地点、そして山間部の利賀村に二地点分布している。このように直接コミュニケーションのない二ヶ所に別々に現われていることから、まず考えられることは、かつてこの語形が連続して分布していたのではないかということである。しかしながら、この「ガキベー」は「食用にできず、しかも稲の生育を妨げる稗」という意味でののしって「餓鬼稗」という命名がなされたものと考えられるから、それぞれの地域で独自に発生する可能性が十分にある。しかも、この場合は、お互いの地域にそれぞれ二地点しか現われていないので、偶然、別々に同じ命名がなされたとふる方が妥当であろう。その他の語形、「タンポヘー」、「クサベ」、「オンゾ」に関しても、それぞれ一地点にだけしか現われていないので「ガキベー」の場合と同様、各地で独自に命名がなされたものとふることができる。「タンポヘー」は「田稗」(注5)、「クサベ」は「草稗」であろう。ところで、桂(朋・夕・田・“)にだけ現われている「オンゾ」は語源がわからない。この集落へは一九六七年と一九六八年の二度調査に出向いたが、二度目の調査によっても、この語形が間違いでないことl一度目と二度目とでは、被調査者が違っている

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(8)

銘2回

なっているのであろうか。 られるのであるが、では一体、この地域で「稗」の方言分布はどう わす名称が先にあって、その上でこういった名称が生まれたと考え なお、「ガキベー」、「タンポヘー」などはいずれも「稗」を表 きない。 点に行なわれるようになったかは今のところ明らかにすることがで Iが確かめられた。しかし、この語形がどのような経緯でこの地 四、「稗」の歴史 ここで、「稗」を表わす語形の地理的分布を示すことにする(第一2図)。この第2図において、まず指摘したいことはy平野部に語形の記入のない地点が多いことである。これは「稗」の名称がないことを一意味する。また、第2図において、斜線で示した地域は「稗』を栽一培しなかった地域である。すなわち、「稗」を栽培したか否か、の問いに対して被調査が「古くから栽培したことがない」と報告し左地域を示しているのである。ところで、「稗」そのものについて少し考察してふよう。「稗」「稗」そのものについて少し考察してふよう。「稗」は現在どの地点でも栽培していないが?山間部では多く栽培したらしい。真木(弱・印・刀・田》などでは、「四○’五○年前までは今のように毎食白米を食べるわけではなく、稗などを混ぜたも一のがほとんどであった」と報告している。また、一一八六八年(明治初年)における白川村山家地方での一戸当りの「米」と「稗」の平均収穫高を比較して承ると、「米」○・五石に対し、「稗」七・四石となっており(注6)、「稗」がこの地域の主要な産物であったことが明らかである。第2図によると、この「稗」を栽培した山間部のすべての地域に「ヘー」が分布している。この。-」と表記したものの中には、先の「野稗」を表わす語形「ヘー」での場合に見たような音声的変種があったのであるが、それぞれの間に地理的な分布は認められなかったので、第1図と同様に「ヘー」で一括して扱うことにした。

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(9)

これまでゑてきたように「野稗」の分布図(第1図)と「稗」の分布図(第2図)に同じ語形が出てくるので二者の意味の上での関係はきわめて深いと考えら取る。そこで次に第1図と第2図とを重ね合わせて、「野稗」と「稗」とで構成する体系の地図を描いてふることにする。まず、「野稗」と「稗」という二つの意味を語で区別するかどうかに注目し、また、その語で表わさ、る意味に該当する物の世界をも考慮して体系をつくると、次のように三種の体系ができ上が の地域が「稗」を栽培しないところであるということである。この「ここは標準語から借用した語形であろう。その物がない場合に標準語を採用することは容易に考えられることである。 なお、「「マタベ」が一一一地点に、「シャムベー」が一一地点に、そして「シンシューピエ」が一地点に現われているが、これらの語形はいずれもコー」と併存しており、「稗」の特定の種類の名称であるとふられる(注7)ので、ここでは考察の圏外に置くことにする。そうすると、第2図はニー」という語形ほぼ一色の地図になる。

ところで、平野部の一部の地点に「ヒエ」が見られるI音声的には〔、の〕である。なお、先の「ヘー」で一括した音声的変種とは区別されることをことわっておくIが、注意すべきなのは、こ

五、「野稗」と「稗」との対比

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(10)

②は、「稗」の意味で表すべき物が存在せず、その名称をもたない体系である。これらの体系の地理的分布模様を描いたものが第5図である。さて、この三種の体系間の歴史的順序を考えてふよう。「稗」が主要な産物であった地域では、これを稲田に雑草として自生する、いわゆる「野稗」とは区別して呼ぶ必要があっただろうことは容易にうかがうことができる。しかしながら、食用にする「稗」が栽培されなくなれば、「野稗」と「稗」とを区別して呼ぶ必要はなくなってくるわけである。こういう観点から言えば、体系⑰が体系的よりも新しいということになる。そして、さらに、「稗」をかつて栽培していた地域でも、その名称は忘れられていくであろうから、体系⑪ししだいに「稗」そのものを古くから栽培していなかった地域と同じような体系②に移っていくであろう。以上のことから、これら三種の体系間の歴史的順序は、次のように推定される。

この順序は、それぞれの体系の地理的分布状態からいっても矛盾はしない。先の第三章で「野稗」を表わす語形「ヘー」と「タベ」との新古を問題にしたが、結論はすでに明らかである。「野稗」を表わす語形としては、「ヘー」が新しく「夕べ」が古いということである。しかしながら、「夕べ」が古いといっても、「タベ」という語形の生まれる素地として、栽培する「稗」を表わす語形としての。-」が古くからあったのである。「稗」が栽培されなくなって、「野稗」と「稗」とを区別する必要のなくなった今、体系②の範囲は将来ますます拡大していくであろうという予測ができる。 餌l↓②l↓②「夕べ」は、明治以降にその領域を広げたものと考えられるふしがある。なお、「ヘー」という語形に注目すれば、この語形が「稗」の意味から、しだいに「野稗」の意味へと変化しているということができる。この「へ-」の語義が遷り始めたのは、多分、「稗」を栽培しなくなったという半世紀くらい前のことであろうと考えられる。 以上、「野稗」方言の歴史を「稗」の方言分布と関連させて考察してきた。ここで、推定した変化の大筋を図で示すと、次のようになる。

(注1)この地域の平野部は有数の穀倉地帯である。また、山間部においても、ほとんどの集落が谷間に田を持ち、古くから水稲栽培を営んでいる。 野稗

六、おわDに

(明治中期ノ

(昭和初期)

(現 在)

57

(11)

、ノ(注2)稲田の除草は農家の主要な仕事の一つなので、「田に野稗が多生している」ということは「怠け者である」という比愉にもなる。!(注5)「オロ」については、民間語源は一つも聞き出していない。古く「倭名類聚抄」などでは「自生の稲」である「櫓」を「オロカオヒ」は訓んでいる。

櫓唐韻云櫓鮪鵬雌鵬璃鵬翻鯲路自生稲也(倭名類聚

抄)

櫓仙侶汚元ヵ対坐哨煽元ツチ 操梠け泥勃オヒ(類聚名義抄) 櫓形津劫宕上自生稲也(色葉字類抄)

また、東條操編『全国方言辞典(補遺篇)』によると、!、j「種子も蒔かないのに偶然に生えること」を表わす「おし?iろか仁」とか「おろかぱえ」という語が香川県にあるこ丁痙hβとがわかる。fおろかに副一種子も蒔かないのに偶然に生えること。i1LJ「オロカーー生えた南瓜だがよくなるな」香川。、おろかぱえ種子も蒔かないのに偶然に生えること。「オロカパエの桃」香川。ふ角・軒‐へ皿》1さらに、仙台地方などには、「間伐する」という意味で「お》ろぬく」という語がある。これらの「お・ろ!」という語形と何らかの繋がりがあろうが?細かなことはわか

(注4)米沢康署『五箇山研究ノート』(昭和三七年、越飛文 らない。 〔付記〕本稿は、昭和妬年6月刀日、東北大学における日本文芸研究会での発表に基づくものであります。なお、佐藤、喜代治先生、加藤正信先生、川本栄一郎先生に御指導いただいたことを記し、感謝の意を表します。(東北大学大学院博士課程在学) 化研究会発行。一一一一頁、二一頁)を参照。(注5)本稿では「タベ」と「タンポヘー」とは一応別に扱ったが、両形ともに「田稗」であるという点では同一に扱うべきであろう。なお、国立国語研究所編『日本言語地図』第四集C九七○年)には「水田」の名称(目缶・弓少三国。……)の全国分布図がある(珊図)が、この分布図と対比すると興味深い。(注6)米沢康著『五箇山研究ノート』(越飛文化研究会発行、五九頁)を参照。(注7)コタベ」については、小院瀬見(弱・印・昭・印)と梨谷(弱・印・訂・引)の被調査者は「穂がまたになって分れている種類の稗の名称である」と述べている。

58

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