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(1)

研究活動報告◎二CO|零度

AⅡアジア・地域研究系アジア研究・交流フォーラム/地域環境研究グループ/南西アジア研究会 多国家︵分散・分断︶民族における内なる民族関係/スリランカ研究フォーラム

世紀転換期と東アジア研究会 アラビア海東域の港湾都市をめぐる文化・民族複合の実態調査

CⅡ教育・生活研究系グローバル・マネジメント研究会/経済学教育研究会/民族と言語教育 インターネット・ピース・ジャーナリズム研究会/青年期健康指標研究会 BⅡ表象・文化研究系表象研究会/神話・イメージ研究会/宗教芸能研究会

(2)

地域環境研究グループは発足三年目の取り

まとめの年を迎え次の活動目標をたてた︒

一九九二年にブラジルのリオデジャネイロ ︑地域環境研究グルー アジア研究・交流フォーラムは︑アジア地

域研究系に属するプロジェクト・チームの要

望に応じ︑共同研究会を開催したり︑イベン

トを企画したりして全研究系の討論と交流を

進める場である︒一九九九年度から︑本フォ

ーラムは︑研究会の他にシンポジウムとモン

ゴル祭りを中心に活動の焦点を絞ってきた︒

本年度は︑九月に異文化交流室との共催で︑

ハノイ国立大学の文化人類学者ホ・フアン・

ホァ先生を招き︑ベトナムにおける祭りにつ

いて報告していただいた︒教員や学生が参加

し︑興味深い議論ができた︒

また︑本年度の主なプロジェクトとしては︑

二月二四〜二五日︿zg忌日宮君鼻◎一s秋 ︑アジア研究・交流フォーラム

のモンゴル祭り﹀を企画し︑学内外の参加者

がモンゴル文化にふれた︒二四日︑学術交流

として︑﹁多様化の進むモンゴル世界﹂とい

うシンポジウムを開催した︵二○○二年度の

﹁東西南北﹂参照︶︒発表者は本学の兼任教員

であるバー・ボルドー氏︑ブレンサイン氏︑

専任教員1.ヒョヂョン氏であった︒それぞ

れ︑モンゴル相撲ブフという伝統的スポーツ

芸能︑中国内モンゴルの漢民族の入植による

大草原の激しい変貌︑モンゴル高原からかけ

はなれた中国雲南省にくらすモンゴル兵士の

末商をテーマにし︑モンゴル民族の多様な実

態を生き生きと語った︒

初日の午前中に︑モンゴル人も含めた学生

で開催された﹁地球サミット﹂で︑経済優先

から脱却し環境重視の﹁持続可能な発展﹂

窃扁国邑号行胃蔚一呂昌の己を目指すことが 決定された︒その後︑世界のいろいろな地域 で持続可能な発展をめざす種々の努力がなさ

れている︒これらの現状を受け止め一九九九 と教職員︑地域住民が力を合わせてモンゴル 住居﹁ゲル﹂を組み立て︑当日のシンポジウ ム後︑ゲルのなかで深夜まで親睦・交流会を 行なった︒翌日は︑モンゴル人留学生と日本 人学生がモンゴル料理の屋台を出店し︑馬頭 琴などの伝統音楽コンサート︑民族衣装のフ ァッションショー︑モンゴル相撲大会を行な った︒二日目︑参加者は約一○○人を超し︑ 異文化交流をさらに深めた︒

来年度も本フォーラムは︑学術交流を重視

しつつ︑文化活動を広げて行きたいと考えて いる︒︵ロバート・リケット︶

‑ I 2 2

(3)

年度は﹁エネルギー﹂をキーワードとして︑

二○○○年度は﹁循環型社会をめざす﹂をキ

ーワードとして研究会および環境先進国のヨ

ーロッパ現地視察を行なった︒本年度はその

成果を踏まえ︑最終目的であるアジア地域の

環境問題にとりかかった︒近年めざましい経

済成長を遂げ︑同時に多くの環境問題も生じ

ているタイを対象地域として選び︑環境問題

の実態を明らかにし︑今後の方向を探るため

資料による調査研究および現地視察を行なっ

た︒

研究会および現地視察の内容は以下のとお

りである︵すべて公開で行なった︶︒

﹇五月例︽召

﹁タイの環境問題の概況と本年度調査サイ

トの選定について﹂

発表者︾小林弘明・和光太鴬簿逗一部助教授

宇目剛窒琶

﹁タイ視察の打ち合わせ﹂

﹇八月タイ視察八月二一〜三0日一

参加者︾小林︑高木︑内田︑三浦

二一日バンコク着

二二日CP・明治︵o逗嶌琶社工場訪問 コラー上z農9口固亘属目鼠昏宮g へ移動

二三日キャッサバ澱粉雄憲案者︵A辻訪問

地域農政局訪問

二四日サラブリ県の世界救世教自然農法

センター訪問

森林破壊の様子を観察

二五日スコタイ周辺の藍ハ務離通域の湿奈

二六日バンコクへ移動大規模稲作地帯

の様子を観察

二七日カセサート大学林学部訪問

二八日バンコクのCP・明治本社訪問

二九日資料収集など 三○日帰国

﹇一一月例︿召

タイ視察資料整理および報告書作成打ち合

わせ ﹇一二月例︽己

タイ視察報告会

発表恥小林︑高木︑内田︑三浦

﹇一月屋久島視察﹈

一月三○〜二月一日

参加者水上︑岡本︵喜︶︑伊東︑三浦︑小林

三○日屋久町堆肥センター訪問 11まとめ

本年の活動は大部分がタイ視察にむけての

準備と視察後の報告書作成にむけられた︒

その報告書は﹁東西南北2002﹂に発表

されているので詳細は省く︒既にタイ滞在経

験を持つ小林助教授による訪問先のアレンジ

により順調な視察ができた︒現地の方々にお

世話になったことを心より感謝します︒特に︑

カセサート大学ブンジット博士には全日程に

わたりお世話になった︒今回の視察はアジア

の環境問題についての認識の第一歩であり︑

この経験を生かし今後どのように研究を進め

て行くかが我々のグループの課題である︒

一月二月にかけての屋久島訪問はたぶん

にタイの森林を観察してきたことと結びつい

ている︒程よい気温で好天に恵まれた訪問は

好印象をもって終わった︒屋久島の森林保護 上屋久町環境政策課訪問

三一日午前は屋久島を一周し西部林道原

生林などを見学︒午後は屋久杉ラ

ンド︑屋久島世界遺産センター︑

屋久杉自然館を訪問

二月一日ガジュマル見学後帰路につく

I 2 ‑

(4)

良くも悪くもこれほどまでに日本全体が︑

南西アジア地域︑パキスタンそしてアフガニ

スタンの報道にさらされたことがあっただろ

うか?︑

今まで︑見向きもされなかった地域に︑い

っせいに世界中の視線が向けられたという意

味でまさに記念碑的な事件が︑九月二日の

世界貿易センタービル攻撃から現在までも続

いている︒偶然にも研究員の村山は︑事件当

日を︑パキスタンのクエッタ市で迎えていた︒

後に︑連日のようにこの街のバザールや広場

が日本のお茶の間にも報道され︑北西辺境州

のペシャーワル市についで︑アフガン報道の ︑U関西アジア研究会 で中心的役割をはたした柴鐵生氏の説明には 説得力があった︒

二○○○年における活動では西欧および日

本において﹁循環型社会構築﹂の着実な歩み

を実感したが︑二○○一年のタイ視察ではア

ジアの現状は大きく異なっていることを再認

中継点として知名度をあげたバローチスター

ン州の州都である︒

振り返れば︑ターリバーンの主要構成民族

であるパシュトゥーンの一族長の屋敷に身を

寄せていた村山は︑連日のように訪れるパシ

ュトゥーンの客人たちに日本政府の対アメリ

カ政策について問い詰められていた︒しかし︑

彼らに反日感情はない︒中国人と並んで日本

人に対する好意と敬意は︑この国では民族を

問わず感じられた︒

ただ一つ︑事件の前後で変化したこととい

えば︑バザールのなかで通りすがりの現地人

に︑﹁広島と長崎に原爆を落とされて︑それ 11発表論文

小林弘明・高木要・内田正夫・三浦郷子 識させられた︒このようななかで日本が果た すべき役割を模索することが必要とされてい る︒

でも日本はアメリカが好きで味方なのか?﹂

と英語で尋ねられたことである︒冷やかされ

た︑または嫌がらせを言われたとも受け止め

られる︒後にも先にも︑バローチスターンで

日本政府のアメリカ寄りの立場を批判された

のは︑湾岸戦争の時以来である.

ペシャーワルでは︑高級ホテルが外国から

の報道陣によって︑中継センターとなりつつ

あった︒バザールではいつもより警官の配備

数が多かったが︑日常はいたって平穏であっ

た︒ただ︑ホテルの従業員たちは﹁アフガニ

スタンが攻撃されるのを︑あいつらは儲け話

に待ってやがるんだ﹂と明らかに不快感を訴 ﹁調査報告タイの環境問題アグロインダ ストリーをめぐって﹂︵﹁東西南北2002﹂ 弱︲拠頁︶︒

小林弘明﹁書評︾固さインターネット版

専ミ愈呉青票︺畳奇専刷畠呂ミ﹂︵﹁和光経済﹂

第誕巻第1.2号縄︲鈎頁︶︒︵三浦郷子︶

I24

(5)

えていた︒この街から日本に国際電話を入れ

ると︑すぐ帰国しろと心配された︒日本の報

道チームは︑集団礼拝後の過激な宗教デモ以

外の︑安らかな日常生活にはピントが合わな

いカメラしか使用していないらしい︒

こんな時勢のなか︑第一回研究会は︑九月

二九日﹁パキスタン︑国土とその人々﹂と題

して︑在東京パキスタン大使館一等書記官イ

ムティアズ・アフマド氏を講師に迎えて開催

された︒

企画発案当初は︑パキスタンの基礎情報を

スライドも交えて︑学生向けに講じていただ

くという趣向だった︒

氏の流暢な日本語に感嘆しつつ︑パキスタ

ンの言語・民族・自然についての講演を聴き

終えると︑誰もが待っていた質疑応答の時間

となる︒氏にとっては︑連日勤務先で繰り返

される問いであっただろうが︑一つ一つ誠意

をもって丁寧に返答して下さった︒

パキスタン政府としては︑カーブルを安定

させた政権を国家の代表として承認する立場

を歴史的にとってきた事実などは︑ニュース で報道されていただろうか︒この事件でパキ スタンがいかに苦しい決断を迫られているの かが︑出席した教員・学生ともに理解できた︒

この研究会を通じて︑パキスタン研究者不

在の報道番組よりはるかに︑現実的な生きた

パキスタン観を育むことができたのではない

だろうか︒

アメリカによるアフガニスタン攻撃が続い

ている翌年二月二日︑第二回研究会を開くに

至った︒

この当時︑われわれも含めて︑多くの国民

たちが︑南西アジア地域のみならず話題の宗

教﹇イスラーム﹈について大きな関心を寄せ

はじめていた︒豚を食さぬのは言うに及ばず︑

音楽までも厳しく禁止したターリバーンを通

して︑イスラーム文化の一端に疑問符が連な

る︒音楽とイスラームは共存可能なのか?

そこで︑イスラーム国家パキスタンにおい

て音楽文化が辿ってきた道を振り返ると同時

に︑体制の下で現在直面している大衆音楽活

動の現状を若き研究者たちに語ってもらうこ

とにした︒ タイトルは﹁音楽とイスラーム︑その融点

と沸点﹂とし︑第一部パキスタンにおける

伝統的音楽文化﹁ガザルと地域音楽﹂︵星野

裕子︶︑そして第二部函イスラーム国家にお

ける音楽活動の諸相﹁ジュヌーンの活動が撹

枠する可能性は﹂︵萩原洋子︶という構成と

した︒

東京外国語大学でウルドゥー語を専攻する

星野氏は︑ウルドゥー語のガザルが印パ分離

の波とムスリム・アイデンティティーを乗り

越えて愛されてきた軌跡を︑そしてヒンディ

ー語をきっかけにパキスタン文化に興味を抱

いたという萩原氏は︑南アジアを代表するロ

ックグループ﹁ジュヌーン﹂の活動を本邦で

唯一総体として語れる専門家の視点からその

特徴と彼らのメッセージを︑共に内容の濃い

そして質の高い報告に仕上げてくださった︒

学外からも多数の参加者を得て︑本研究会

は成功裏のうちに幕を閉じた︒会の最後に松

枝教授から活動終了の挨拶と︑新たに生まれ

る﹁東西交渉史研究会﹂への参集呼びかけが

なされ︑南西アジア研究会四年間の活動は終 了した︒︵村山和之︶

I2"ーーー

(6)

プロジェクト・チーム発足二年目の二○○

一年度は︑前年度に引き続き︑メンバー各自

が追求すべきテーマやその方法などを模索し

つつ︑それをチーム全体として共有していく

ことを活動の重点においた︒

とりわけ︑後者のための一環として︑本年

度はアジア研究交流フォーラム主催の形で前

年度につづいて開催された﹁和光大学モンゴ

ル祭﹂の第一日目︵二月二四日︶を受け持

ち︑三人のメンバーが報告者をつとめ︑﹁多

様化の進むモンゴル世界﹂という共通テーマ

でシンポジウムを行なった︒報告の内容や討

論の記録は︑すでに﹁東西南北2002﹂に

発表されているので︑ここでは参考までにそ

の題名と報告者名を記しておく︒

1︑バー・ボルドー

﹁ブフ︵相撲︶文化から見るモンゴル世界﹂ n多国家︵分散・分断︶民族における内なる民族関係ⅡⅡⅡⅡⅡU

外部の研究者を招いての研究会は一月三○

日に次のような内容で一回行なった︒

ボルジギン・フスル

︵墓尿外国語大学大学院博士課程︶

﹁内モンゴル人民革命党に対する中国共産

党の政策︵一九四五〜一九四九︶﹂ 2︑ブレンサイン ﹁農地化から沙漠化へl内モンゴル東部

﹃草原﹂地帯の変容﹂

3︑ユ・ヒョヂョン

﹁﹁飛び地の捨て子﹂か﹃新モンゴル人﹂か

l中国雲南のモンゴル族﹂

当日︑シンポジウムには︑大阪︑仙台など

遠隔地からの参加者も多く︑活発な討論が行

なわれた︒ 本プロジェクト・チームは︑﹁モンゴル世

界﹂を主な研究対象としつつも︑その他の

﹁国境にまたがる民﹂についてもできるだけ

目配りをし︑﹁国境にまたがる民﹂一般につ

いての研究の深化を目指している︒三年目に

なる二○○二年度には︑和光大学総合文化研

究所の重点研究として指定され︑二○○三年

度中にはその間の成果を一冊の本としてまと

めることを計画している︒︵ユ・ヒョヂョン︶ 海外への現地調査としては︑1によるロシ ア連邦カルムイク共和国調査とリケットによ るアメリカの公文書館調査が行なわれた︒

三年目の二○○二年度には︑中国内モンゴ

ル自治区フルンボイル盟を重点調査地域と選

定し︑複数のメンバーが調査に出向く予定で

ある︒

ノ26

(7)

︑スリランカ研究フォーラム

スリランカ研究フォーラムは︑二○○一年

度に二回の研究集会を行なった︒

第一一回

テーマ﹁日本で暮らして思うことl在日ス

リランカ人と語る﹂

日時エハ月三○日︵土︶︑一四時より

場所皿和光大学・総合文化研究所

話題提供ごうチタ・ガマゲ氏︑シリ・ヘー

ラット氏︑キトゥシリ・ペレーラ氏

今回は︑日本で学び︑働き︑暮らしている

スリランカ人三人を囲んでの座談会とした︒

ラチタ・ガマゲ氏l日本在住六年︒コロ

ンボ出身︒父親が日本車の輸入販売業のため︑

日本のエンジニアリングに関心をもつように

なる︒本年三月に大学を卒業し︑自動車販売

会社に就職したばかりである︒来日前︑テレ

ビで﹁おしん﹂をみていた︒女性はみな着物

を着ていると思っていた︒来てみて物価の高

いのには驚いた︒

シリ・ヘーラット氏11在住一三年︒中部 のクルネーガラ出身︒来日後︑潜水夫の資格 をとった︒趣味で武道を続けている︒来日当 初︑日本人はみな忙しそうに見え︑日本語も ケンカっぽく聞こえた︒映画の﹁用心棒﹂を みて︑日本人はみな武道をやっているものと 思っていた︒女性も含めて家族で酒を飲むこ と︑宗教的な休日がないことは︑びっくり︒

キトゥシリ・ペレーラ氏l在住一二年︒

コロンボ近郊のヌゲーゴダ出身︒大学院終了

後︑気象情報を扱う会社に勤務︒日本につい

ては︑テレビ番組を通してハイテクを用いる

デリケートな社会であると思っていた︒いま

だにスシやサシミなど生物は食べられない︒

日本の学生は︑世界についてあまり知らない

と思う︒

このほか︑あいさつの仕方や家族関係︑職

場の人間関係など︑文化の差異をめぐって懇

談した︒ 第一二回

日時二○月二○日︵土︶︑一四時より 場所和光大学・総合文化研究所 発表一︾ウダャーニ・ウィーラシンハ氏

︵墓尿大学博物館研究員︶

﹁スリランカにおける人間と象の闘い﹂

発表一言広津秋義氏︵写真家︶

﹁スリランカのお茶の世界﹂

ウダャーニさんは︑開発と自然保發をテー

マにして研究に取り組んでいる︒スリランカ

でも近代化に伴って︑農地拡大と木材確保の

ために森林が伐採され︑野生動物の減少が著

しい︒一日当たり一五○キログラムものエサ

を食べ広い行動域をもつ象にとって︑事態は

深刻である︒アジア象は今日︑一三ヵ国に三

万五○○○〜五万頭いると推定されている︒

アジア象の亜種にあたるスリランカ象は︑現

在二○○○〜四○○○頭いると思われる︒独

立︵一九四八年︶前には一万二○○○から二

万頭いたという︒開発の結果︑今日の森林面

積は二二パーセントにすぎない︒農民と象の

トラブルも続発し︑近年では年間三○〜五○

人が象の椴牲となり︑五○〜六○頭の象が殺

ノ 2 号

(8)

今年度は上記の研究テーマのもとに集まっ

たメンバー爵らたに奥須磨子・経済学部教

授及び岡田俊幸・同学部助教授の二名を加え︑

いつぽう水上健造経済学部教授は定年退職さ

れた︶により︑各個人の研究テーマをどのよ

うに設定するか︑それにかかわる研究会の頼

み重ねをも含めての年度と考えて発足した︒

すでに始まったことだが︑︿異なる専門領

域の研究者が専門の立場を超えて共通のテー

マのもとに新しい視点からの研究を行なうこ

と﹀の可能性はどのような方法によって生ま

れるのか︑これから先を考えるうえで重要で

ある︒二○○○年度に刊行した﹁﹁国民﹂形 n世紀転換期と東アジア研究人 されている︒農産物や農地︑住宅の被害も少 なくない︒開発と象保識の問題は︑大変困難 な課題である︒

写真家の広津さんは︑二○年以上も前から

高地の茶園の取材を続けている︒コロンボか

ら東方に車で数時間も走ると︑山岳地帯とな

り一面茶畑となる︒というよりも︑茶の木で

成における統合と隔離﹂をまとめる過程を考

えてみると次の二点につきるのではないか︒

の個々のメンバーが自己の研究フィールド

を冒雨園璽をもって構築できるかどうか︒

②相互に自由な立場で討議や検討を繰り返

し︑①との間を交錯させつつ往邇のテーマ﹀

を見出す︒

それには学内で研究発表を盛んに行なうこ

とはもちろんだが︑これまで毎年年末または

年度末に実施してきたく調査旅行﹀が意外に

も見えないところでその効果を発揮していた

ことに気づかされた︒﹁﹁国民﹂形成における

統合と隔離﹂も︑大連︵二○○○年度︶︑長 覆われた山々が続いているという光景である. これは一九世紀半ばからイギリス資本と︑南 インドから導入されたタミル人労働者と︑森 林伐採に携わったシンハラ人農民の労働の所 産にほかならない︒スリランカでは今日︑中 部の茶園地帯を中心にインド・タミルと呼ば れる人びとが暮らしている︒彼らはイギリス

崎・大分・熊本︵一九九八〜九九年度︶︑京

都・神戸︵一九九七年度︶がなければ決して

生まれることはなかったのだ︒以下︑この一

年間の研究発表︑調査旅行のことをメモして

おく︒ ﹇二○○一年五月一六日・研究発聿雪

橋本堯︵表現学部教授︶

﹁調嗣同と章炳麟ll中国近代を生きた二

人の思想﹂

ニハ月一三日・研究発奉召

吉川信衾現学部助教授︶

﹁ケルト復興とアイルランドのナショナリ

ズムについて﹂ 植民地時代に︑コーヒー・プランテーション の労働力として導入された人びとの子孫であ る︒茶は︑一九世紀末に病害によりコーヒー 園が壊滅した後の代替え作物であった︒広津 さんは︑苛酷な茶摘み労働に明け暮れる女性 たちの暮らしに眼を向けてきた︒︵澁谷利雄︶

ノ28

(9)

nァ一壱ァ海東域の港湾都市をめぐる文化・民族複合の実態調査U

本プロジェクトでは︑海路による交易を媒

介にして種々の文化・民族が集頑させてきた︑

アラビア海東城の沿海都市における文化・民

族複合に注目し︑学際的な考察を通してその

実態を解明しようとする︒

これらの地域では︑特にポルトガルの進出

がヨーロッパ世界とインド世界との直接的な

交易と文化接触を生じさせ︑今日のコスモポ

リタニズムにつながる文化・民族の融合や対

立の諸関係をつくりだしてきたといえよう. ﹇一○月二四日・研究函茎召

原田勝正和光大学名誉教授︶

﹁﹁明治大帝﹂論﹂

﹇二○○二年二月一四日・研究発季奮

橋本尭︵表現学部教授︶

﹁国家主義思想の形成l加藤弘之のぱあい﹂

雪一月一三日〜一七日門司・山口の調査﹈

調査参加者函橋本尭︑山村睦夫︑佐治俊彦︑

松永巌︑奥須磨子︑吉川信︒

一三日 門司港駅周辺の見学︑門司市立図書館で の門司港関係の資料調査︑世紀転換期にお ける港としての門司港の位置を考える︒ 一四〜一五日

山口大学経済研究所図書館にて調査︑資

料収集︒ 調査旅行に関する補足l現在の門司市は

まったく一般観光客のみを対象とした情報案

内に重点を置いているので︑旧港湾の規模と

施設の実際や旧市街地の状況などはまったく

二○○一年度は︑ヨーロッパ人がもたらし

た文化の変容と継承︑他の諸文化との融合︑

受容︑対立などの諸関係について︑主に宗教

と生活文化をめぐって︑観察と聞き書きによ

る実地調査を行なった︒

調査は︑インド・スリランカ・グループ

︵澁谷利雄︑スワン・ワジラチャリャ︑川島

耕司︶とイラン・グループ︵村山和之︑山内

和也︑前田たつひこ︶に分けて実施した︒ 不明で︑古地図もなく︑市立図書館の所在を 知るにも苦労した︒そこの郷土資料コーナー の蔵書も貧弱であったが︑それでも旧門司港 の地図を何枚かコピーできた︒

山口大学経済学部の蔵書︑資料は東亜経済

研究所の蔵書︑資料も含めて︑さすがに豊富

ですばらしかった︒ただ︑地方国立大学の常

として蔵書類の整理︑保管は十分とはいえず︑

宝の山を掘り出すに等しい長所と弱点をもつ

ことを記しておく︒ 暦本尭︶

llインド・スリランカ調査

インド・スリランカ・グループは︑一二月

下旬から一月初旬にかけて︑約二週間にわた

って実地調査を行なった︒

川島は︑インド南部のケーララ州で︑クリ

スマスをめぐるキリスト教とヒンドゥー社会

のかかわりをテーマにして取り組んだ︒

ケーララでは早くも三世紀ころからシリア

派キリスト教徒が独自の社会を形成していた︒

これに加えて︑一六世紀に進出したポルトガ

I 2 ‑

(10)

ル人が布教したため︑今日キリスト教徒は州

人口の二○パーセント以上に上る︒今回はポ

ルトガルの拠点であったコチを主に見聞した︒

クリスマスを間近にひかえて︑街路や教会︑

家庭では︑クリスマス・ツリーを初めとする

飾り付けがみられた︒商店街ではクリスマ

ス・セールが行なわれており︑ヒンドゥー教

徒やイスラーム教徒も含めて多くの人びとで

にぎわっていた︒キリスト教徒の家庭および

教会では︑イエス誕生の場面を模した﹁まぶ

れ﹂が作られていた︒教会での荘厳な深夜ミ

サに参加した際には︑インドにしっかり根を

張っているキリスト教を実感できた︒クリス

マス・パーティーにも参加する機会を得た︒

ここでは非キリスト教徒の姿も少なからず見

られた︒

概してケーララでは長年にわたって︑反キ

リスト教運動はなかったのだが︑近年のヒン

ドゥー至上主義の台頭によりいくぶん変化が

生じている︒一九九九年にクリスマス建枩室に

対する鱒蕊や︑ペンテコスタル教会への放火

などの暴力行為が郵生口されている︒

澁谷は︑スリランカのコロンボ近郊のジャ −エラで︑クリスマスの見聞を行なった︒

ポルトガル人の布教活動により一六世紀か

らキリスト教が定着している︒とりわけ西部

沿海地方の漁民に多くみられる︒仏教の伝統

のなかで殺生が否定的にみなされてきたため

に︑漁民の多くが改宗したといわれている︒

その後オランダ︑イギリスの支配が続くが︑

今日に至るまでキリスト教徒のほとんどはカ

トリックである︒

ちなみにジャーエラのジャーとはジャワを

指している︒オランダ時代に当地ではジャワ

人を投入して運河を掘ったことに由来するの

だという︒

キリスト教徒は全人口の七・六パーセント

を占めており︑そのうちシンハラ語を母語と

する者は民族的にはシンハラ人とされている︒

シンハラ人は七○パーセントを占める多数民

族で︑そのほとんどは仏教徒である︒キリス

ト教徒の民族的アイデンティティの危うさが

拒毒像できる︒

ジャーエラもキリスト教徒が多い町として

知られている︒街路には特設の店や露店も並

び︑クリスマス・セールが大々的に行なわれ

ていた︒クリスマス用品としては︒ツリーや ワジラチャリャは︑スリランカのマレー系 コミュニティの実態調査に取り組んだ︒

その多くはオランダ植民地時代︵一七〜一

八世紀︶に傭兵や労働力として現在のマレー

シアやインドネシア方面から導入された人び

との子孫である︒今日のセンサスによれば︑ ロウソク︑まぶれ用の人形と小屋︑カード︑ケ ーキである︒大通り沿いの広場には︑遊園地 や音楽用ステージが設けられていた︒クリス マスに先立って聖マリア教会では︑少年少女 によりイエス生誕のミュージカルが催された︒

デヒヤガーター教会でクリスマス当日の深

夜ミサに参加した︒聖歌が美しく響き渡るな

か︑主教自らの手でまぶれに赤子のイエスを

安置した︒信徒たちはそれぞれイエスに両手

で軽く触れ︑礼拝し︑帰宅して自宅のまぶれ

にイエスを安置するのだ︒

クリスマスの特別な食べ物としては︑ミル

ク・ライスと豚肉である︒仏教徒やヒンドゥ

ー教徒同様︑ココナツ・ミルクを注いで調理

するのだ︒ミルクは︑清浄と豊穣のシンボル

である︒新聞もクリスマス特集に多くのペー

ジを割いている︒

I30

(11)

全人口の○・三二パーセントを占めている︒

一九六○年代ころまでマレー語の新聞が発行

されていたが︑英語使用者が増加したり︑シ

ンハラ人やタミル人との結婚が増えたことに

より︑マレー語使用者は減少している︒かつ

てはコロンボのスレイブ・アイランド地区に

多く集住していたが︑その後各地に散住して

いる︒

そうしたなかで唯一︑南部のキリンダにマ

レー人漁民社会が存続しており︑興味深い︒

最近は︑現在多数ある小規模な互助的なマレ

ー人組織を統括しようとする動きがみられる︒

シンハラ︑タミル間の抗争と多民族社会での

競合のなかで︑イスラーム教を軸にマレー人

としてのアイデンティティを再構築しようと

するものである︒

前述のジャーエラを初めとして︑コロンボ

市内のジャーワッタ通りやマレー通り︑ジャ

フナ半島のチャーワー・カッチェーリ︵チャ

ーワーはジャワに由来するという説がある︶

など︑オランダの植民地支配とマレー・コミ

ュニティの存在は︑スリランカの文化・社会

に深く刻まれている︒

.同様に︑ポルトガル語に由来する人名や生 活語彙︑カトリックの存在は︑ポルトガルの 関与の深さをまざまざと示している︒インド やスリランカの港湾都市を取り上げる場合︑ 依然としてヨーロッパとの文化接触の考察は 不可欠というべきである︒ lllイラン調巽宜 イラン調査グループは︑アラビア海からオ マーン湾そしてペルシア湾沿岸地域に点在す る港湾都市を対象に︑ポルトガルを始めとす るヨーロッパ諸国との文化接触の痕跡を確認 するべく行動した︒

参加者は︑村山和之︵民俗文化︶︑山内和

也︵考古︑言語︶︑前田たつひこ︵歴史︑宗

教︶で︑二○○二年二月〜三月にかけて三週

間にわたって調査に従事した︒

陸路でペルシア湾最奥のフーゼスターン州

都アフワーズから︑湾の出入り口にあたるホ

ルムズ州都バンダル・アッバースまでの港湾

都市を探訪した︒イスラーム時代を含む旧来

の都市遺跡の記録作業から始まり︑要塞や湾

岸特有の宗教施設︵聖廟︑墓地︶を含めた建

造物とともに︑文献・図像・衣装・楽器・遺

物等の収集を行なった︒ 今回の調査からは︑対象地域にはキリスト

教など定着したヨーロッパ文化またはその深

い影響はみられない︒海岸線などにポルトガ

ル時代の要塞が残り︑各地に彼らに導入され

たアフリカ系黒人の子孫がみられ︑イギリス

時代の商館建築にわずかにヨーロッパ的デザ

インが窺われる程度である︒こうしたなかで︑

オマーン湾沿岸地域で興味深い伝承を採集す

ることができた︒ポルトガル人と戦って名誉

の死を遂げたバローチ民族の英雄を称える民

俗芸能である︒

﹁ヨーロッパ﹂をキーワードとした今回の

調査からは︑ペルシア湾交易の長い歴史にお

いては︑一時的に勢力を維持したにすぎない

ヨーロッパ文化の影響力の弱さと︑イラン文

化の豊かさや強さが対照的にみてとれた︒今

後の展望としては︑イラン南東部からパキス

タン南西部への踏査を通して︑アラビア海沿

岸文化ベルトを追究したいと考えている︒

﹇本プロジェクトにはこのほか︑前田耕作︑

川添修司︑松枝到佐川信子が参加した︒﹈

︵澁谷利雄︶

1 3 1 ‑

(12)

第一回研や丑室五月九日

テーマに関するメンバーの問題意識を喚起

し︑かつ方法論のある程度の近似をめざして

全員で﹁構築主義とは何か﹂︵上野千鶴子編︶

を読んだ︒

各章の担当者がレジュメを発表して問題点

を指摘し︑他のメンバーの意見を聴取すると

いう方式をとった︒社会学の分野では耳慣れ

た用語であるようだが﹁構築主義﹂というの

は︑戦後の一時期を席巻した﹁構造主義﹂の

静態的な見方を超克し︑かつ﹁ポスト構造主

義﹂といったお手軽な命名を避けて︑よりダ

イナミックな構造分析をめざそうとしている 本年度からは﹁情報化社会における文化混 清の問題﹂をテーマに掲げて活動を開始した が︑事前の準備不足と研究会主催者の過度の 忙しさによって趣旨の一貫した研究会を開催 できなかった︒この点については大いに反省 している︒次年度はもう少し問題点を絞って 会を運営したいと考えている︒ ︑表象研究会

各界の思考の挑戦を命名の次元で工夫すると

いうようなものであると思われる︒この著作

の執筆者の大半は社会学畑の研究者であるこ

とでもわかるように︑戦後の哲学︑言語学︑

文学︑歴史学︑文化人類学等々の各分野で進

められてきたエピステーメーの大転換を統合

して︑社会学︵引いてはカルチュラル・スタ

ディーズ︶へと吸収していこうという目途の

もとに編まれているようで︑現今勢いを取り

戻し︑リアルな世界とその理念化を今まで学

の対象に乗せられてこなかったさまざまな分

野に拡大しつつある社会学の強烈な自負心を

感じた︒﹁文化混清﹂の問題を対象とする場

合には社会学︵カルチュラル・スタディーズ︶

が関心を寄せている領域についての知見を得

ておくことは必須の前提であるが︑各個別の

分野がたどってきた研究方法の革新の全てを

このように社会学が我がものとすることに疑

問の声があがったのも至当であると思われた︒

著作のそれぞれの見解にはそれぞれの評価・

批判があったことはいうまでもない︒ 第三回研函丑室三月一三〜一四日

掛川の資生堂資料館へ見学に行った︒主た

る展示は化粧品︑および資生堂のコマーシャ

ル雑誌である﹁花椿﹂や宣伝用ポスターであ

るが︑化粧品にまつわる科学的研究の進展お

よび女性︵昨今では男性も︶の化粧に関わる 第二回研亜裂室三月九日

﹁文化混滑﹂といえば︑﹁ポスト・コロニア

ル﹂とか﹁クレオール﹂といった言葉が付随

してくるのがおきまりであるが︑﹁ポスト・

コロニァル﹂はまだしも﹁クレオール﹂とは

何か︑基本のところを把握しておこうと︑ク

レオール文学の研究者︑日本への紹介者であ

る一橋大学の恒川邦夫氏にお話をうかがった︒

﹁クレオール﹂という言葉の持つ歴史的背景

から︑現在のアンティーュ諸島におけるフラ

ンス語とクレオール語の関係まで︑実例を示

しながらの紹介で︑この会は各人の知識の平

均化に非常に有益であった︒

ノ32

(13)

意識の変化︑雑誌やポスターに表れる時代性

など︑﹁美容﹂というひとまとめにしがちな

分野がさまざまな文化のまさに複合︑混清で

あることを痛感した︒

象徴図像研究会およびシンボル文化研究会

という名称で長年にわたって美術史・文化交

流史の視座からのイコノロジー研究を中心と

して行なわれてきた研究会に︑新たに神話研

究も加えて︑二○○一年度より神話・イメー

ジ研究会が発足した︒

永澤峻と松村一男が代表・世話人を務め︑

イメージが神話や図像表現においてどのよう

に用いられているのかを普遍性と時代・文化

特殊性の二面から考察している︒

二○○一年度は次の三人の方々に発表して

いただいた︒ n神話・イメージ研究会

第一回五月一四日︵土︶

篠塚千恵子︵東北芸術工科大学助教授︶

﹁裸体と着衣11古代ギリシア美術の女性 メンバーの一人の発案で︑その他のメンバ ー全員の関心とは直ちに結びつくものではな かっただけにその成果が危ぶまれたが︑じっ さいに行ってみた参加者がそれぞれの関心に

表現試論﹂

ギリシア神話では女性やニンフや女神が男

神によって強姦される場面が少なくない︒そ

してそうした強姦の場面は言説のレベルだけ

でなく︑彫刻や壺絵といったイメージ表現に

おいてもしばしば見受けられる︒このことは︑

神話と芸術にとどまらず︑古代ギリシア文化

全体の理解にも関わる重大な問題であるとい

﹄えよ︾つ︒

篠塚氏はこの発表において︑彫刻や壷絵に

おける女性の着衣︑裸体︑そしてその中間段

階としての片肌を露わにした姿の三種類のモ

チーフのうち︑とくに片肌露出について︑作

品をスライドで紹介されつつ︑動的と静的の

二種に大別したのち︑その内部でさらに分類

を試みて︑それぞれのタイプのもつ意義を考 引きつけてアプローチする事こそ文化混滑の 問題を自分のものにすることだと実感したと いう意味で︑結果的には大成功であった︒

︵杉本紀子︶

察された︒動的なものとしては①レイプ︑の

アマゾネスとの戦い︑⑧運動競技︑④飛翔︑

︑プィオニュソス的舞踏などがあり︑静的な

ものとしては母性や豊穣のメッセージとして

の授乳場面があるとされた︒そしてレイプの

場面での片肌露出は︑大きな危険を前にした

女性の無防備さ︑傷つきやすさ︑死の脅威を

象徴するが︑同時にまた女性が意図しないセ

クシユアリティをも表現しているという解釈

が示された︒

第二回七月一四日︵土︶

保井亜弓︵金沢美術大学助教授︶

﹁沈黙の徴と愚者l︿沈黙﹀の身振りの

シンボリズムと︿愚者﹀のイコノロジー﹂

西洋中世末期のマイスターESの︿形象ァ

I 3 3 ‑

(14)

︑宗教芸能研究会

第一回五月二六日︵土︶

﹁長崎くんちl芸能史からみた近世都市

祭礼﹂ 報告恥福原敏男氏︵日本女子大学︶

映像資料﹁風流のまつり長崎くんち﹂ ルファベット﹀の版画や北方ルネサンスの画 家たちの問題をギリシア・ローマ文化末期の 異教における沈黙の神ハルポクラテスと関連 させた興味深い図像分析が展開された︒

今回の発表では︑とくに西洋中世末期から

ルネサンス・バロック時代にいたるまでのエ

ンブレマタ︵寓意画集︶中のテキストと画像

の対応関係の例を豊富に引き合いに出して︑

唇に指を当てた沈黙の寓意像が知者と愚者の

両方を指し示すのに用いられた経緯を詳細に

跡づけた上で︑これらの時代における愚者と

沈黙の図像の顕著な特徴を明らかにすること

が試みられた︒これらは︑のコメンテーター

としての愚者︑②賢い愚者︑③沈黙の美徳と

舌の罪という三つの視点から分析がなされ︑

︵二○○○年度制作︶を導入に︑風流という

美意識を祗園祭とともに現代に伝える﹁長崎

くんち﹂を︑伝承・文献・画像から考察し︑

近世都市祭礼研究のための布石とする報告︒

休憩時には福原氏架蔵の﹁稲荷社祭礼図﹂ 第三回一一月−0日︵土︶

田井淳三郎︵エーゲ海考古学者︶

﹁有翼獣のいる風景lサントリーニ島アク

ロティリ壁画について﹂

エーゲ海キクラデス諸島南端に位置する火

山島サントリーニ︵ティラ︶は︑紀元前一六

世紀中頃の大規模な火山爆発によって島の中

心部が沈み︑現在のような形になったが︑ミ

ノァ文明以前にキクラデス文明が栄えていた 近年注目されているオランダ一七世紀の風俗 画家ニコラス・マースの﹁立ち聞き﹂の油彩 画や日本の歌麿の浮世絵﹁遊女と達磨﹂など の具体的な作例に則して︑スリリングな新し い図像解釈の局面が提示された︒

第二回七月一四日︵土︶

シンポジウム﹁柱祭りを考える﹂其の弐 が披露され︑実物の祭礼絵図を前に参加者で 絵解きを楽しんだ︒ 地で︑アトランティス大陸伝説のモデルとも されている︒

田井氏はギリシアに留学され︑アクロティ

リ遺跡も調査されており︑今回はスライドを

使用してフレスコ壁画を紹介し︑そのうちと

くに有翼獣グリフォンと女神のモチーフにつ

いて分析を行なった︒その過程で︑モチーフ

からエジプト︑アッカド︑クレタなどとの文

化交流が考えられること︑また壁画には描か

れていないが︑有翼獣の手綱は画面の外に伸

びており︑そこには手綱をもつ支配的神格が

想定されていて︑上下二層の世界観が示され

ているのではないかという壁画の意義につい

ての仮説が述べられた︒

︵永澤峻・松村一男︶

I34

(15)

﹁ネパールの柱祭り〜マッチェンドラ祭を

中心に﹂ 報告皿寺田鎮子氏︵ネパール研究家︶

緑の葉でおおわれた巨大な︿山﹀を曳く雨

乞い神事マッチエンドラナート祭︒この山車

に焦点を当てつつ︑カトマンズのインドラ・

ジャトラ祭︑バクタプルのビスケート祭と合

わせて柱祭祀の意義に加え︑政治と祭祀の関

わりが指摘された︒ 二○○○年度に続く柱のシンポジウム第二

弾で︑第一部は映像鑑賞﹁諏訪の御柱﹂﹁イ

ンドラ・ジャトラ﹂で︑第二部で二つの報告

と討論を行なった︒

﹁神樹と柱立て〜諏訪の御柱とシャーニズ

ムをめぐって﹂

報告皿萩原秀三郎氏︵民俗研究家︶

ある空間領域の中心軸をなし︑秩序を創出

し︑天地の始まりの時間を演出する柱︒

諏訪の︿御杖柱﹀に着目しながら︑柱を神

の依り代とする通念を越え︑シャーマニズム

における︿宇宙樹﹀の役割を探ろうとするも

の︒

第四回二月二日︵土︶

﹁伝統音楽と声l三味線と歌によるレク

チュア・コンサート﹂

出演叩歌・語り・三味線Ⅱ高田和子氏

助演︾﹁玉手箱﹂歌・箏Ⅱ佐久間景子氏︑

笙Ⅱ豊明日美氏

ゲスト皿お話・歌・打楽器I港大尋氏

日本の伝統楽器の代表格である三味線︒古

来より歌の伴奏楽器として活躍してきたが︑ 第三回一○月二七日︵土︶

﹁対馬の神人〜神職・神楽師・巫女・法者﹂

報告叩渡辺伸夫氏︵昭和女子大学︶

昨年に続く︑対馬の宗教芸能シリーズの第

二回である︒

対馬総宮司職の藤家と法者頭の蔵瀬家︒

両者は対立関係にあったのか︒吉田神道の

支配を受けず︑独自の対馬神道を形成した両

家の古文書と対馬藩の藩政資料の解読により︑

これまで不明であった︑対馬の神人の実態に

迫る報告︒

新資料の発掘と解読により︑対馬の神楽の

内実が次第に浮き彫りとなってきた︒第三回

の報告が待たれる︒ 第五回三月一六日︵土︶

﹁王の舞1声と音の芸能史﹂

報告叩橋本裕之︵千葉大学︶

コメンテーター小島裕子宏学非常勤講触

鳥兜に鼻高面で舞う﹁王の舞﹂は︑中世前

期を代表する芸能の一つで︑現在でも広い地

域に分布している︒

そもそも︑王の舞は特異な声を伴っており︑

﹁王の舞﹂という名称自体がそうした声に由

来していたとしたら⁝⁝︒声に託された象徴

の効果についても考察した︒

︵山本ひろ子︶ 一部では箏曲など︑弾き歌いの形式をとるジ ャンルがあった︒

伝統の世界に箏曲から入り︑現在は古典を

踏まえ︑三味線による現代の弾き歌いを追求

し︑﹁狐﹂︵テクストⅡ山本ひろ子︑作曲Ⅱ高

橋悠治︶を通じ︑山本ひろ子との協働を行な

った三味線奏者・高田和子が︑ジャンルを越

えた声を駆使して伝統楽器と声の変遷を探る

コンサート︒研究会にとって新しい試みとい

やえス略

I 3 ‑

(16)

グローバル・マネジメント研究会では海外

進出日系企業における現地人ホワイトカラー

の育成を研究テーマとしており︑本年度はア

ジアにおける日系企業の人材育成を取り上げ

ることとした︒その理由は近年アジア諸国へ

の日本企業の進出は激増しており︑それに伴

いアジア日系企業では︑現地従業員の育成の

重要性に対する認識が深まりつつある︒しか

し︑アジア現地日系企業の日本人管理職は人

材育成の重要性は認識しつつも︑現地事情に

精通していないこともあり︑日本における人

材育成をアレンジして行っているのが一般的

である︒したがってアジア現地に適応した人

材育成システムを創造することが日本側・現 nuグローバル・マネジメント研究人

n経済学教育研究会

近年の経済学部経済学科新入生の学力低下

︵基礎学力の貧弱さ︶や︑経済学を勉強する

上での動機の希薄さはまことに憂慮すべき事 地側双方にとって急務となっている︒そこで 本研究グループでは︑まず在アジア日系企業 が現地でどのような人材育成システムを取っ ているかをアンケート調査とヒアリング調査 で明らかにずることにした︒

四月〜七月はアンケート票を作成するため

に研究会を毎月開催し︑アジア日系企業にお

ける人材育成システムについての問題点を討

議・検討した︒また︑二○○二年春のヒアリ

ング調査に向け︑二○○一年八月に上海の日

系企業︵エレベーター製造メーカーと銀行︶

に対してプレ・ヒアリングを行なった︒

九月〜一月においては研究会での検討とプ

レ・ヒアリングにより﹁アジアにおける日本

態です︒しかしながら︑そういった学生が今

後も継続的に入学してくることもまた明白で

す︒われわれはこのような事態を直視し︑経 企業の現地コア人材に関する調査﹂を行なう ことに決定し︑アンケート票を作成した︒・

二○○二年二月に東南アジア三カ国︵シン

ガポール︑マレーシア︑タイ︶の日系企業三

○○社にアンケート票を送付し︑三月五日ま

でに七○社から回答があった︒回答のあった

七○社のうちの一○社︵シンガポール五社︑

マレーシア三社︑タイニ社﹀に対して︑三月

二五日から四月二日まで特別研究員の谷内篤

博氏と鈴木の二名でヒアリング調査を行なっ

た︒シンガポールとタイでは現地企業に対し

てもヒアリングを行なった︒なお︑二○○二

年度は中国において調査を行なう予定である︒

︵鈴木岩行︶

済学の基礎訓練や経済学を学ぶ動機をどのよ

うに高めていくかべきかについて考えざるを

得ない︑というところからこの研究会は発足

ノ36

(17)

しました︒

経済学科も他学部他学科と同様に︑開学以

来プロゼミナールで新入生に経済学を勉強し

ていく上での動機付けを与え︑経済学へのオ

リエンテーションを行なってきました︒しか

しながら︑初学者︵新入生︶に経済学の基礎

のどれだけを︑如何に効果的に教えるかとい

う方法論はあまり考慮されていなかったよう

に思われます︒なぜならば︑学びたい者は学

べばいいというのが一般的な風潮であったと

考えられるし︑特に和光大学においては学生

を大人として扱い自発的に勉強させるべきだ︑

と考えられていたからのように思われます︒

またそれでも大学︑特に経済学科はさして危

機感を感じるものでもありませんでした︒そ

れはバブルのころには受験生が殺到し︑経済

学または経済学科への需要は十分にあると考

えられていたからです︒

しかしながら︑少子化などによる今後の大

学の︵存続に関わる︶危機的な状況を考えれ

ば︑︵経済学科では︶経済学の教育法につい

て十分吟味する必要があります︒受験生の減

少とともに︑入試方法の多様化によって学生

の基礎学力のレベルに大きなバラツキが生じ ている現実を考えると︑今後の経済学科の新 入生に︑経済学の基礎のどれだけのことを︑ 如何に教えるかということを改めて考える必 要がある︑というのが本研究会発足の主要な テーマです︒今年度は二度の合宿研修を含め︑ 総計六回の研究会を実施し︑以下のような研 究活動を行ないました︒

今年度は経済学科の﹁ミクロ経済学I﹂と

﹁マクロ経済学I﹂の授業を利用して︑

一︑経済学の基礎として︑どれだけのこと

を教えるべきか︑

二︑いかに効率よく教えるか︑

三︑授業のスタイル︑内容についてはどう

あるべきか︑

などの点について考えました︒

経済学科の﹁ミクロ経済学I﹂と﹁マクロ

経済学I﹂は一年次の必修科目であり︑経済

学の基礎科目であるという点でわれわれのテ

ーマにとって最適であると考えました︒両科

目ともに︑毎週宿題を出しました︒両科目と

も前期八回︑後期一○回で合計一八回です︒

試験は前期末試験と後期末試験の二回︑他に

﹁ミクロ経済学I﹂で一回︑﹁マクロ経済学I﹂

で二回の小テストを行ないました︒両科目と も宿題のテーマはその日の授業の復習です︒ 翌週の授業開始前に宿題を提出させ︑授業の 前半で宿題の解説をします︒その後︑授業の 後半の内容を再び宿題として出し︑翌週の授 業の前に提出させます︵宿題を毎週提出させ るために宿題のプリントは二部ずつ配布しま す︒実際には里の用紙に両面印刷し︑真ん中 で切って二部にします︒一部は宿題としての 提出用︑もう一部は各自の保存用です︒なぜ そのような方法をとるかといえば︑二百数十 人以上の受講生の宿題を採点して返却するの が不可能だからです︒両科目で一八回掛ける 二○○人としても︑膨大な数量になります︒ 前期末試験︑学年末試験の採点と返却だけで も大変な重労働です︶︒

以上のような宿題の提出と︑複数回の試験

の結果から︑いくつかのことが判明しました︒

一︑宿題の提出回数と最終成績の相関関係

は非常に高い︒毎回宿題を提出している学生

はよい成績を得ています︒ところが︑毎回宿

題を提出しているにもかかわらず︑成績が芳

しくない学生も若干います︒これは授業内容

の理解が不足しているか︑または宿題だけを

出席代わりに提出しているだけの学生のよう

I 3 ー

(18)

本研究会は﹁アジアの教育I研究と交流﹂

研究会を受けついだものであるが︑前研究会

と本研究会の成果をまとめて︑﹁東西南北﹂ に見えます︒

二︑宿題をほとんど提出していないにもか

かわらず︑成績がいい学生もわずかながらい

ます︒授業にでて経済学の学習をするのでは

なく︑独自に勉強しているといえるのでしょ

うか︵または試験の時に︑頼りになる友人が

隣にいたとか︶︒

上記のような経験から導かれるのは以下の

本研究会は前年度の﹁平和の文化研究会﹂

を受け継いだものである︒本研究会の二○○

一年度の課題は︑すでに立ち上がっている平

和の文化ニュースネットワークのサイトであ

るCPNNに関するアクションリサーチであ nNインターネット・ピース・ジャーナリズム研究会 ︑民族と言語教

別冊として﹁アジアの教育llその変貌と未

来﹂︵和光大学総合文化研究所年報﹁東西南

北・別冊舵﹂二○○一年一二月一日発行︑一 ようなことです︒

一︑毎回与えられる宿題のように︑授業内

容の復習を目的とする教材は学習の理解を深

める上で有効である︒

二︑クラスの学生数が二○○人以上という

のは大きすぎる︒

三︑通年の授業は緩慢になるので︑半期ご

とに授業が完結する方式︵セメスター制の導

子︵句◎

平和と非暴力の国際一○年に向けて︑CP

NNという構想がある︒﹁CPNNは︑ユネ

スコとその平和パートナーが行うプロジェク

トである︒平和の文化と非暴力の文化に関す る地域の活動︑およびメディアの動向の情報 を︑インターネットによって広げることを目 的としている︒﹂とあるように︑これは新し いジャーナリズムである︒ホームページを開

いてそこに誰でも投稿できるようにする︒そ 二八百一をまとめた︒今年度はその作業を中 心として動いた︒今年度を以てこの研究会は 一休みする︒︵奥乎康輝︶ 入︶を考える必要がある︒

四︑授業時間以外に︑授業の内容や宿題に

ついて自由に質問できる環境が必要である︒

次年度は以上のような点をふまえて︑経済

学科の他の専門科目を利用し︑それと同時に

他大学の情報なども参考にしてさらに研究を

充実させていきたいと考えています︒

︵山田久︶

138

(19)

の投稿したものを︑モデレータと呼ばれる︑

あらかじめ訓練を受けた編集者がこれを編集

する︒﹁私の平和宣言﹂に基づいた︑八つの

項目のキー概念のどれにあたるかという判断

を投稿者と編集者がお互いに共有しながら︑

平和のニュースやメディアかどうかというこ

とを判断していく︒したがって︑民主主義的

であり︑双方向的であり︑インフラがあれば

という条件付だけれども︑非常に安くできる

メディアでもある︒

すでに︑英語版はメルボルン大学の国際紛

二○○一年度は︑﹁青年期にある男女一般

大学生と運動部に所属する男女大学生の体組

成と骨密度の関係﹂を研究テーマとした︒

正木らによる︑﹁子どものからだ報告書﹂

では︑保育者︑教員の実感として︑﹁なんで

もない骨折﹂﹁ちょっとしたことで骨折﹂と

いうことが﹁最近増えている﹂という項目の

回答率は︑一九七八年に小学校一九%︑中学

校二六%︑高等学校二一%であった︒しかし︑ 同望月年期健康指標研究会 争解決研究所において作られている︒ユネス コの公用語である六カ国語のサイトもできて いる︒本プロジェクトは日本語による七番目 のサイトである︒二○○○年にCPNNが日 本で立ちあがるのに多くの時間を要し︑また それ存餓涯糠するという課題があった︒

そのために本年は国内で四回のモデレータ

ワークショップを行なった︒また︑一○月に

はオーストラリアにトレーナーのトレーニン

グワークショップに会員が参加することがで

きた︒また︑第一期のウェブデザインから︑

一九九○年は小学校五八・四%︑中学校六

一・四%︑高等学校五五・七%と急増︑一九

九五年には小学校五五・二%︑中学校六三・

六%︑高等学校四三・九%となっている︒こ

の調査はあくまで実感を調査したもので︑実

態とはいえないが︑子どもたちと日々接して

いる回答者の実感として無視できないデータ

であり︑青年期にある大学生への影響も考え

られる︒ 第二期へのウェブデザインに変更することが できた︒二名がCPNNについてのアクショ ンリサーチをもちいた卒業論文を完成するこ とができた︒埼玉の平和のための戦争展に参 加してCPNNを普及した︒

このように︑今年度の活動は︑CPNNを

運用することに主な努力を行なってきた︒来

年度は︑継続して和光大学の学生が中心とな

ってさらにCPNNを発展させることが課題 となる︒︵伊藤武彦︶

今年度の研究は︑青年期にある男女一般大

学生と運動部に所属する男女大学生を対象と

してこの時期の骨密度の特徴とそれに影響す

る要因について検討することを目的に調査を

実施した︒

11研究方法

A︑対象 本研究の被験者は︑継続的な運動経験のな

I 3 ‑

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