ディスカッション(和光大学モンゴル学術調査団報 告)
著者 鈴木 勁介
雑誌名 東西南北
巻 1998
ページ 164‑169
発行年 1998‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003698/
司会最初に︑実は言いたかったんだけれど
も言えなかったというようなことがあればお
話願って︑それから参会者からの質問にお答
えするという形で進めたいと思います︒
フフバートルモンゴル人意識と国際化とい
うことについて少し触れたいと思います︒現
在︑国際化が進むにつれて︑モンゴルという
のは国家単位で考えられるようになり︑これ
からモンゴルと言った場合には︑だんだんモ
ンゴル国︑あるいはモンゴル国民を指すよう
な傾向に進んでいくんじゃないかと思います.
そうなると︑国を持たない︑あちこちにいる
モンゴル人たちの存在が忘れられていくとい
う傾向はさけられないと思います︒
三橋中国での民族教育について一言.お祭
りとか言葉︑あるいは文学︑口承文芸という ディスカッション司会・鈴木勁介 ゴル人たちの﹁モンゴル人﹂意識の違いは︑ まさに﹁国家﹂対﹁民族﹂︑﹁近代﹂対﹁伝 統﹂にあるようです︒すなわち︑﹁モンゴル 人﹂という概念を国際法という近代的基準
ところでは︑これを残そうとしたり教育する
のは可能ですけれども︑モンゴルの民族教育
というのは︑高等教育になってきましても︑
最後まで文科系しかないという問題があるわ
けです.そこで新しい近代テクノロジーにつ
いていけるための教育を受けようとすると︑
どうしてもマジョリティの言語の中で学んで
いくしかない︒民族の言語でもってそれを全
部果たしていくと︑恐らくこれは逆に言うと
非常に政治的な意味を持ってくる︒
それから︑テクノロジカルな教育までが完
壁に民族内でそろってきたときに︑今度は古
くから持っていた民族の文化を自ら壊してい
く可能性が出てくる︒その狭間で民族教育と
いうのはどういうふうにあるべきかというこ
とをつくづくと感じたということだけご報告 によって国際的なレベルで考えるか︑それと も伝統にしたがって民族のレベルで考えるか という考え方の次元が違いますので︑異なる モンゴル・アイデンティティをもつ両側のモ
人間関係学部教授
しておきたいと思います︒
ユ自分の報告のときに時間が足りなくて︑
あまり丁寧に触れられなかった話について︑
ちょっとだけコメントしたいと思います.
パンモンゴリズムというのは︑ある種の脅
威をもたらすもの︑危ないものというような
イメージがある.しかし例えばEUに代表さ
れるような広域での民族間統合がその域外に
いる者たちに与えている脅威はパンモンゴル
という言葉で連想されるようなものとは比べ
ようもないほど巨大なものである︒
ですから︑パントルコイズムとか︑パンモ
ンゴリズムというものは︑例えば中国当局の
立場からすれば︑中国の基本的な立場は︑民
族地区の分離というものは許さないというも
のですから︑脅威になるかもしれない︒しか ンゴル人たちが︑こうした意識の違いをお 互いに理解していくことはたいへん難しい
ことだと思います︒− ゴ
し︑不本意に分断され︑お互いの交流さえも
できなかった人びとが︑今のような新しい大
きな流れの中で再び自らが同胞であるという
ことを確認し合い︑そして失われた固有のも
のを早く取り戻す︑そういう努力としてのモ
ンゴル人の再統合の動き︑あるいは交流の動
きが︑どちらかというと否定的な方向性を持
った言葉で語られるということは︑それ自体︑
大きなものによる︑より苦しい状況に置かれ
ている小さいものに対する抑圧の状況のあら
われでしかないと私は思っています︒
もう一つ︑ハイラルで訪問したモンゴル族
小学校で︑エヴェンキとかダフールなどモン
ゴル族より少数の民族の子どもたちが︑一︑
二年生の間は彼らの母語で授業をうけている
ことが印象的でした︒これらの少数民族は固
有の文字を持っていないのですが︑そのため
もあって︑彼らだけの学校はなく︑比較的近
い関係にあるモンゴル語で教えるモンゴル族
の小学校へ通っている︒しかし︑いくら近い
といっても最初からモンゴル語による授業に
ついていくのは難しいので一︑二年生の時は
自民族のことばによるいわば補習を行なって
いるのです︒こうした工夫は︑おそらく国家 の指導によるというよりは学校関係者をふく めて地元の人びとの創案と思いますが︑よく 考えたものだと思います︒こうした努力を積 み重ねていけば︑ここから︑モンゴル族がモ ンゴル語では文科系の高等教育しかうけられ ないという現状も少しは改善できる︑新たな 可能性も見出せるのではないかと思います︒ 司会今話された問題は︑実はモンゴルだけ の問題ではなくて︑日本におけるアイヌ民族 であるとか︑あるいは沖縄県人が基地でどれ ほど苦しんでいるかというようなことを本土 の人間はほとんど知らないでいるという︑そ ういう身近な問題と関連していますが︑さし あたってきょうはモンゴルをテーマにしなが らみんなで考えてみたいと思うのです︒会場
からはどうでしょうか︒参会者現代の民族関係とか教育問題をいろ いろ聞かせていただいたんですけれども︑で は何をもってモンゴルというアエプンティテ ィを持つかというところが︑あまり聞かれな かったような気がするんです︒例えば羊を屠 る問題にしても︑モンゴルのそれというのは どういう方法か︑そういったものを少し聞か せていただければと思うんですけれども︒ 篠原ビデオで見ていただいたのは︑・私たち の車の運転をしていたイスラーム教徒の行な った羊の屠りですが︑九五年にモンゴル国で ビデオ収録した屠りの方法は︑胸に小さな穴 を開けて︑そこから手を突っ込んで心臓の近 くの血管を爪で切って︑血を一切流さないで 解体し︑血も料理に使うものです︒
それからアイデンティティ問題についてで
すが︑私は多くの支族があるにもかかわらず
一つのアイデンティティがあると感じました︒
例えばチャハル族出身のフフバートルさんが
オイラート族を訪れても︑一緒に歌える歌が
沢山あるし︑その時の草原での宴で︑老人が
歌ってくれた歌の内容は︑チンギス・ハーン
を讃えるものでした︒チンギス・ハーンが民
族を結ぶ一つのシンボルであると感じました︒
婚姻関係もかなり広範囲で成立しています︒
こんなところから一つのアイデンティティが
形成されていると言ったのですが︑議論の必
要なところです︒
フフバートル私もモンゴル人共通のアイデ
ンティティについて一言︒チンギス・ハーン
の末南とかモンゴル帝国の歴史となるとかな
り広くなりまして︑1先生が挙げたモンゴル
I −
語系の諸民族︑その辺も当然チンギス・ハー
ンの末窟という意識を持っているわけです︒
しかし︑それに対して現在のモンゴル高原
に住んでいる内モンゴルや外モンゴルの人た
ちが︑はたして彼らを自分の兄弟とか同族と
意識しているかということが問題でありまし
て︑普通の庶民はチンギス・ハーンとかモン
ゴル帝国を知っているわけではないので︑そ
れもまた全体的なものとしては難しい︒モン
ゴル高原の遊牧生活者と違って︑現在︑農耕
なり定住をしている人たちもいます︒
そういうことで地域によって違いますので︑
内モンゴルにおいてはどちらかというと遊牧
生活で︑モンゴル語とモンゴル文字とがある
んじゃないかと思います︒特にモンゴル語を
話していればモンゴル人だと︒
ところが︑モンゴル語というのは︑モンゴ
ル国においてはアイデンティティとしてそれ
ほど意味を持たないんです︒そこに生活して
いる中国人も︑ウランバートルの標準語だっ
たら内モンゴルの人たちよりもきれいに話せ
る︒だからウランバートルの人たちが内モン
ゴルの人たちの話を聞いて自分の同族だとい
うふうに感じたりするとは限らないのです︒ 逆にそれは変な方言ではないかという意識す らあるわけですから︑その辺で共通のものが 基本的にない︒それを探すのは難しいですね︒ かえって彼らの場合はモンゴル国民であると
いうのが強いものであると思います︒三橋もう少し重層的だという感じがするん です︒例えばいろいろな形でもって︑現在︑ いい意味でたがが緩んでいる︒つまり自分た ちのブラックボックスだったところをどうい うふうに埋めていくかということが︑いろい ろな部族で行なわれはじめているということ があると思うんです︒例えば一つの国を構え ているモンゴル国だと︑さっきの話で︑星だ けをちょっと取ってしまえば︑レーニン像を
倒さなくても︑粋珪云主義の象徴を取ってしまうようなことが可能になります︒そうすると 今度は︑一九二四年からのソビエト型正史に たいして︑それ以前の歴史の再評価の必要が 出てくる︒そこに変革前なら大侵略者であっ たチンギス・ハーンがもう一度統一の象徴と
して現れてきます︒一方︑今度の報告の中で言えば︑オイラー
トの人たちというのは︑別の形でアイデンテ
ィティを求めています︒先ほどビデオでちよ つと遺跡が出てきましたけれども︑あの遺跡 も文化大革命のころは全く無視されていて︑ そこら辺の岩を勝手に持っていって自分たち の家をつくっていた︒それが開放政策が行な われるあたりから少し自由になってきて︑改 めてその遺跡というのは何だったのかと︒あ れはジュンガル・ハーン国の首都だったのか︑ 単なる寺院だったのかという議論が国際的に 起こっているわけだけれども︑そういうもの が何であったのかというのを︑自分たちのも
のとしてつかみ直す︒あるいは︑チンギス・ハーンが登場しない
ジャンガルという口承文芸がある︒この口承
文芸はいろいろなところにあるんです.そう
いう口承文芸をもう一回自分たちのものとし
て調べ直し︑記録し︑そして叙事詩として編
成し直すことが︑過去に自分たちの固有の歴
史があったんじゃないかということをつかみ
直すことが今行なわれているということが︑
アイデンティティに向けての一つの動きであ
るし︑そういうことの流れの中で︑ある意味
ではチンギス・ハーンというのが象徴的に引
っ張り出されてくる︒だからチンギス・ハー
ンの末商であるからといって︑単純に同族意
‑ I 6 6
識が生まれてくるのではない︒
中国の内部では漢民族化というのがものす
ごく進んでいるわけですから︑それに対する
リアクションの中でそういうことが行なわれ
る︒こういった現代的な試みの中でアエプン
ティティというのが模索されている︒そうい
うダイナミズムであって︑アイデンティティ
が全部なくなってしまったのを︑今︑チンギ
ス・ハーンを一つの柱にして︑昔︑我々は大
帝国をつくったという格好で何かをつくって
いくという︑そういう意識のあり方ではない
というふうに私は考えています︒
参会者私もこのグループがモンゴルの共同
研究をし始めたということで︑なぜモンゴル
かということがちょっと初めのうちはわから
なかったんです︒
それで︑まず一番単純な質問としてお聞き
したいのは︑あちこちに散らばっている民族
同士︑交流がどれぐらいなされていたのか︒
交流がないと︑それぞれの地域にばらまかれ
たモンゴル族がそれぞれ別の文化をつくると
いうことが考えられます︒
今度このグループがあちこちのモンゴル族
の住んでいるところに行かれたということは︑
住み着いた場所の条件によって︑モンゴル族 のアイデンティティがどのように変容したか ということに重点があるのだったら︑それを はかる共通のものと言うと変ですけれども︑ 学校制度とか︑親族関係とか︑何か幾つかの ポイントがあって︑それで比較して歩くとい
うことが一つあるだろうと思います.もう一つは︑それぞれのところに住んで︑
自分たちの文化をどれぐらい守ってきたり︑
育ててきたりしたのか︑今この変動する世界
の中でどういうふうに変容しつつあるのかと
いうこともこのグループの研究目的にあるの
でしょうか︒
三橋まず交流についてお話しますと︑モン
ゴル国のほうから見れば︑内モンゴルとの交
流はあるけれども︑それほど盛んではないと
いうふうに言えると思います︒
現在交流はやりたいという思いはある︒モ
ンゴル国では過去の歴史を調べようと思って
も︑何しろいろいろなところに出かけて行っ
ては何かやって︑戻ってこなかったことが多
いわけですから︑他国にいかなければ自分た
ちの歴史的記録が見られないという問題があ
るんです︒うんと古い話ですけれども︒
そういうことも含めていろいろなところと の交流をしたがっている︒だけれども︑内モ ンゴルの問題というのは︑中国との関係でい って︑単純に内モンゴルとだけ仲良くできる かというと︑中国全体との関係でどういうふ うに動いていくかということについて︑非常 に警戒心を持っているというふうに言えると 思います︒⑩
一方︑新弱ウイグル自治区の人たち︑特に
このたび私たちが訪れた地域であるオイラー
トモンゴル族の場合は︑歴史的に分断されて
しまったカルムイク部族の人たちとの交流を
かなりやっています︒これは国を超えた動き
です︒結論としては思ったほどに交流が豊か
だとは言い切れないと思います︒
第二のことですが︑ある尺度を我々があら
かじめ持って行くというよりは︑尺度を探し
に行くというふうに考えていただいたほうが
いいと思うんです︒
微妙な例をあげてみますと︑モンゴル国の
中で言えば︑社会主義の時代が長かっただけ
に︑ラマ教が随分復活していますけれども︑
生活の中の根づき方から言うとそんなに根づ
いていないのに対して︑内モンゴルのほうが︑
I 6 7 ‑
現在の社会主義の中国ができてから︑それか
ら開放政策にいくまでの時間の短さというこ
とを考え合わせた上での話ですけれども︑例
えばオイラートモンゴル族の人たちのほうが
生活の中にラマ教が息づいているというふう
に言えると思います︒とはいえ遊牧をしてい
る人たちの間の違いというのは︑思ったより
も少ない︒
中国の内部においてオンドルで暮らしてい
るというような︑定着したモンゴル族の農民
たちと︑遊牧民の違いというものが︑これか
らどういうふうにさらに広がっていくのか︒
これは生活パターンも相当違ってきています
から︑その辺がこれからの課題です︒
針生実例の補足ですけれども東北地区の北
のほうで︑ブリヤートモンゴル︑つまりバイ
カル湖のあたりから移ってきたモンゴル族の
家を訪ねたんです︒それで︑シベリアにはま
だ親族なんかがいるという話を聞きました︒
しかし交流はそんなに密接ではないんです︒
中ソ対立の事情がありまして︑今︑手紙を交
わしたりしているというような︑そういう状
態のようです︒
さっきのアエナンティティという問題です が︑これはどんな民族だって混血が続いてい るわけですから︑文化的なアイデンティティ しか見出せないと思うんです︒文化的という
のは︑さっきフフバートルさんが挙げた言語︑それから文化︑僕は文化の根源は生活様式だ と思います︒だから羊の殺し方というような ものも︑そこに入ってくるんだと思うんです︒
もう一つは︑さっきユさんが言われたよう
な︑各地に散らばっているモンゴル族が政治
的に再統一を宣言するというようなことは︑
私はちょっと現実的に考えられなかったので
それを否定したんですけれども︑もしそれが
可能ならば私もそれを望みます︒
ただ︑レーニンがかつて言った民族自決︒
今︑中国は明らかに民族自決を否定している
わけですし︑自治の拡大ということしか現実
にはあり得ないんですね︒そうすると︑中国
の中の内モンゴル自治区と言っても︑実際は
植民地みたいになっているような実情がある︒
各地に散らばっている人たちの自治を拡大し︑
文化的な統一をもっと強めるということは具
体的にはどうするのか︒私も具体的にちょっ
と考えにくいんですけれども︑長い目で見れ
ばそれは可能だし︑かなりインパクトを与え
るだろうと︒ユアイデンティティに関する話がありまし たけれども︑私は少なくとも中国のモンゴル 族には︑彼らの民族としての意識の持ちよう︑ あるいは暮らし方を見るときに︑アイデンテ ィティという概念はなじまないというか︑部 分的な意味しかもたないと思います︒という のは︑今まさに雲南︑四川のモンゴル人は︑ 針生先生が言われる文化様式︑生活様式はモ ンゴルの伝統的なものとはかなり違います︒ そして彼らが本当にフビライの兵士の末商か どうかということを確認する方法もないんで すね︒そうしたなかで彼らは今までは︑漢族 またはそのほかのなに民族というふうにされ ていた︒それが近年になって︑自分たちはも ともとモンゴル族だということで︑家系譜あ るいはその他の昔からの記録を根拠として族 籍変更を申請し︑それで一応モンゴルとして 認定されたというような状況です︒この他に︑ 少数民族優遇政策の恩恵にあずかるためとい う理由だけで︑モンゴル族その他に替えよう とするいわゆる﹁偽りのモンゴル族﹂もかな
りいるといわれます︒こうした状況ですから︑モンゴル人という
‑ I "
のは何かとなりますと︑モンゴル人にされて
いる人とモンゴル人でありつづけたい人にモ
ンゴル人になりたい人などを合わせたものが︑
とりあえず︑モンゴル人であるという状況だ
というふうに説明できると思います︒モンゴ
ル人がたとえ文化様式︑生活様式などをなく
したとしても︑なおモンゴル人であるという
状況は当分変わらないだろうと思います︒
司会松枝さん︑台湾のモンゴル族の貢栗の
問題とアイデンティティについて︑何か︒
松枝台湾の人びとは︑自分が何々人である︑
あるいは特定の民族︑あるいは文化様式とい
うものを選択するということについては深い
関心があります︒私はこうした意識を勝手に
﹁文化ジェンダー﹂と呼んでいますが︑それ
はなにかというと︑自覚がないままに特定の
民族に編入させられることと︑自覚を持って
ある民族に編入すること︑その意識の距離を
さします︒一つはユダヤ人問題です︒たとえ
ばある人が率先してユダヤ人を発見して追跡
して︑収容所に送っていた︒そのご当人があ
るとき政府からおまえもユダヤ人だと言われ て絶句した︑などという例が無数にあるとい うことです︒これはただ血統を何代かさかの ぼって︑ひいおばあさんか何かのいとこにユ ダヤ人がいたとか︑そういうことから突然押
し付けられる民族性があります︒もう一つは︑ボスニア・ヘルッェゴビナの
事例ですけれども︑この間まで同級生で楽し
くやっていたのが︑ある日突然おまえはモス
レムだと言ってなぐられたり殺されたり︑レ
イプされたりということが起きたときに︑そ
れならモスレムになってやろうじゃないかと
言って︑今まで全く中庸的な生活様式だった
のが︑一気にイスラームに走ってしまうとい
うようなものが︑ある種の選択としてある︒
そういうロジックがあったと思うんです︒お
母さんがモンゴル語をしゃべるので︑少数民
族の側にいたほうが得だから︑勝手に自分を
モンゴル族にしてしまいましたとしゃべる女
性がいましたが︑そういうことは当然起こり
得るだろうと思います︒
そういう意味では︑台湾で自らモンゴル人
である︑あるいはチベット人であるというこ とで運動を展開する人びとは︑おじいさんか︑ ひいおじいさんかの代に︑国民党の政治政策 としてかなり定着した人ですから︑これを家 宝のようにしている断固たるモンゴル人です から︑それはまたちょっとニュアンスが違う
かなという気がします︒三橋そこで中心になって活躍している人が︑ 学校教育ではずっと野蛮人だと教えられて︑ 自分が野蛮人じゃないかと思っていたけれど も︑もう一回︑モンゴルはすごいんだと思っ て自分のアイデンティティを取り戻したと言 っていましたから︑複雑ですね︒それから︑ 漢族のほうが圧倒的な勢いでモンゴルを圧倒 しているということと︑モンゴル人の生活が 必ず圧倒的に漢民族化している文化の中で漢 民族よりも貧しいかというと︑それは別のこ とです.だからこの問題も複雑ですね︒ 司会一時間になろうとしていますので︑本 当は会場からもっと発言なさりたい方があっ たかもしれませんが︑これで打ち切らせてい ただきたいと思います︒長い時間︑どうもあ
りがとうございました︒I 6 9 − 一