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教 員養成 に関わって, いま思 うこと

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Academic year: 2021

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戸北凱惟

教 員養成 に関わって, いま思 うこと

思えば,29歳の昭和44年 4月,まだサクラもつぼ みのなか,今 は石碑 とイチ ョウとメタセコイヤが面 影 を残 しているだけの新潟大学教育学部高田分校へ 高田駅か ら歩いて赴任 したのだった。大学紛争時代 の真 っ只中で,高田分校のメイン校舎には屋上か ら

大学立法粉砕」の垂れ幕が翻っていた。広島大学 で も経験 した大学紛争であったが,この高田分校の 紛争は分校の存廃 に関わる地域独特の ものであった。

紛争の火種 は,時の大学立法に対する撤回運動であ ったが,ここでは,分校の新潟移転 を決めた大学本 部の評議会決定に対 しての白紙撤回運動であった。

教官が対応 に苦慮 していたところは,学生たちの運 動方法は同意で きないが,統合 に対する白紙撤回に は分校の教職員のなかには賛同するものが多い とい う矛盾であった。早朝か ら深夜 まで学生 との間で団 体交渉が行われていた。統合 を前提 とした大学本部 の評議会決定であ り,分校の校舎の廊下などは老朽 化が進み,立ち入 り禁止の危険箇所 もあ り,窓の鉄 格子は立て付 けも悪い状況が 目立っていた。

そうしたなか,新参者の私は過去のい きさつがわ か らないまま 「このようなふぴんな環境 にあって ど うして統合 しないのですか ?

とベテラン教授たち にお聞 きした ものであった。 これが大失敗で組合の 執行委員にさせ られて しまった。元はと言えば,高 239

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校の物理の教貞 になろうと思っていたのが急速新潟 に大学の助手のポス トがあるか ら行 ってほ しい との 担当教授か らの依頼で地理 もわか らないまま赴任 し たのであ り, とくに,教貞養成 に高い意識 を持 って いたわけではなかった。広島の教授か らは赴任地で は教貞養成の在 り方で火のついた議論 をしていると ころであるので,少な くとも

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年は務めて勤務先 に 報わなければならない と諭 されて赴任 した。

当時の新潟大学高田分校の教官は約

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名で,一般 教養担当,芸能教科 (音楽,美術,体育,書道)担 当の教官たちであった。学生は一般教養科 目と小 ・ 中学校の教員免許状取得 に必要な科 目を選択 して履 修することになってお り,芸能教科の学生 は高田で

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年間を過 ごして卒業 し,その他の学生は

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年間を 一般教養科 目中心 に履修 し,その後の

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年間は新潟 で履修 し卒業することになっていた。私は理科教育 法の科 目と物理学の講義 と実験の担当であった。

ここでは,戦後の教員養成が総合大学 において開 放制の もとで養成 されていることに対 して,教員 と しての 自覚 と使命感育成に問題があるとした論理構 成がなされていた。教員養成は地域性があ り,これ を無視 した教員養成は地域 間格差 を拡大 しかねない などと主張 されていた。主張の経緯 は分校の存立 と 充実を要望する長年の懸案事項である高田分校の4 年課程昇格運動 に連続するものであった。

一方,地域か らの分校の存置活動は政治的な様相 が大 きく,また,同窓会の献身的な協力体制は強大 で,母校 に対する後援活動は現代の私立大学並み以 上の力強 さを感 じた ものである 附属学校 と大学 と

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研究余滴

の連携 も強固な もので週一回の合 同研究会 には大学 の若手教官有志が参加 し,夜 まで研究課題の討論 を していた。 ここでは,大学 と学校現場の垣根 は素通 しで大学の教官の多 くが学校現場 に出かけていて, 附属の正規の授業 を担当 していた教官 もいた。

地元 には現役教月 による教育活動の団体が教科別 に立ち上がっていた。私が所属 していた もので も, 上科技研,理友会,物化 同好会,天文同好会があ り, その他の教科で も個性的な研究会名で現在 も数多 く 存在 している。新潟県内で もこれだけの研究会が今 で も存在 していること自体全国的に見て珍 しいこと である そのため,多 くの全 国大会が この地で行わ れて きたの も引 き受ける人材がいた と言 うことにな

この ように,高田分校の教官が教員養成大学の地 域性 と伝統 を全面 に出 して統合問題の評議会決定に 学生共々反対 を掲 げて闘争 していたことは,否が応 で も学校課題や教員養成 に無関心 になれな くなった のが本当の ところである

その後の1

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年で新構想の大学が この地で設置 され たことになる。その間

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年間新構想大学がで きるま で,新潟本校で教鞭 をとることになったが,本校の 雰囲気 は高田の緊張感 と違 った一般の普通の大学で あった。 さて,現在の心境である。

今の教員養成大学や学部のス タッフも変容 しつつ あることは確かである。た とえば,つい最近 まで, 学校の子 どもたちが大学 に入 って くることさえ場違 いであると発言す る大学の研究者であった。大学 は 研究者の集団であるとする敷居が高かった.今思 え

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ば,ここに来て教員養成 もこれか ら大 きく変わるだ ろうという予感がする その理由として最 も大 きい のは,国立大学が法人化 され中期 目標 を掲げてその 実現のために行動するようにな り,大学の教職員の 意識が変わって きたことや,さらには教職大学院 と い う新たな制度がで きたこと,それに伴い,学部教 育改革がスター トすることである 社会か らの 目が 大学に向 き,これまでの教員養成学部が其の意味で の教員養成に徹することが大学の内外か ら監視 され るか らである。 とくに,教職大学院 (専門職学位課 程)の始 まりは実質的な変革を感 じさせる

具体 には,まず,修士論文の作成ではな く問題解 決事例の収集に徹することである。それが どういう 意味があるか と言えば,従来の修士課程では院生は 1人で

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テーマに取 り組み,オリジナリティーを要 求 されるのに対 して,専門職学位課程では,院生は 1人で解決するのではな く,仲間と解決の方法 を論 議 し共働的に問題解決 をはかることになる そこで は問題の発生か ら解決 まで手順 を追いなが ら多 くの 人が納得する形で事例集を作成する。そ うした取組 は,学校 を取 り巻 く様 々な意見の調整や解決力の育 成 に,また,新人教師か らベテラン教師を含む学校 と言 う職場の組織力向上に直結するものである。指 導にあたる教授陣には学校現場の課題解決に実績 を 有する者であ り, とくに,実務経験者が必須である ことなど,何 よりも制度設計に厳 しい条件が課せ ら れ認証評価が実施 されるとい うシステムは変革 を予 感 させるものがある

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. A

参照

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