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現実世界と仮想世界

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(1)

現実世界と仮想世界

ドイツ語schon,nOCh,erStをめくやって

要旨 人間は自分の頭の中であらかじめ描いた仮想世界をもとに現実世界を認識し、表現 すると仮定する。それに基づき、ドイツ語のschon,nOCh,erStのさまざまな用法を検 討し、それらが現実世界と仮想世界の関係から統一的に説明できることを示す。

0.はじめに

私たちは思っていた時間が現実の時間と食い違うことにしばしば驚かされる。たとえば、

同じ2時間のことであっても、わくわくするような映画や楽しいおしゃべりであれば、それ はあっという間に過ぎるし、退屈な会議に出席したり、興味のない話を聞くときにはなかな か時間は過ぎていかない。このような時、現実の客観的時間と私たちの頭の中にある主観的 時間の間にずれが生じているのだろう。そして、それを表現するために、私たちは「もう5

時だ」とか「まだ5時だ」というようなことを言う。ドイツ語でもEsist schmfムnf Uhr・

とかEsist eTSifiinf Uhr.などと言う。「もう」や「まだ」、SChonやerstなどはこのよう な時間的なずれを表現するものだと考えられる。ドイツ語の場合にはさらにこれにnochが 加わり、それらの関係は複雑である。井口(1997)の中でもschon,erSt,nOChの機能につ

いては言及されているが、ここではそれを人間の認識と言語表現の関係からより精密に考察 し、時間関係以外の用法についても統一的な説明を試みる。

l.現実世界と仮想世界

井口(1997)は、副詞を命題内副詞と命題外副詞に分け、命題外副詞を「仮想世界」とい う観点から記述しようとした試みである。ここではその考え方のうちここでのテーマに関係 する部分をまとめ直しておく。

人間が現実世界のことがらを表現しようとするとき、真っ白なキャンバスに絵を措いてい くようなものではないだろう。そこにはあらかじめ描かれた下絵のようなものが存在し、そ れをもとに現実世界を描いていくのではないだろうか。その下絵とは、話し手が現実だと思

現実世界

い描いている世界である。ここではそのような 話し手が思い描いている世界を現実世界に対し て「仮想世界」と呼ぶことにしよう。

「仮想」とは言っても必ずしも現実に反する 世界というわけではない。話し手自身は現実に 一致する、少なくとも一致する可能性があると 思っている世界であり、常に現実との対応が問 われる世界である。ここでのことがらも現実に対応する要素で措かれる。それは具体的には

「誰か〈何か〉がどうする〈である〉」ということを核にして、それが起こる時間、空間、

‑17一

(2)

様態、原因などの状況的枠組みが描写されたものであると想像される。これは直感に基づく ものであるが、これらには対応する疑問詞、WaS,Wer,Wann,WO,Wie,Warumがある

ことで言語的にも裏付けられる。これらは現実に対応しうるものであるからこそ問うことが できるのだと考えられる。(1)現実世界のことがらはまず話し手の中に取り入れられ、そこで

初めて仮想世界のことがらと照合される。この現実世界が話し手の中に取り入れられたもの を「認識された世界」としよう。これは現実世界そのままではないが、話し手は現実世界だ と認識している世界である。よって、以下では認識された世界を単に「現実世界」と呼んで おく。

人間は現実世界を表現するときには常に仮想世界を参照しているものと思われる。しかし、

表現されるのは現実世界ばかりではない。たとえば、同じDas Kind schlaft.という平叙文 であっても、目の前に寝ている子供がいれは、現実世界のことがらを述べたものであるし、

2階の子供部屋で物音がしないのをもとに階下で言ったものならば、仮想世界のことがらを 述べたにすぎないであろう。(2)命題外副詞の多くは現実世界と仮想世界との関係を表現する。

SChon,erSt,nOChもまたそのような働きをするのだと予想される。

2.schon,nOCh,erStの用法

SChon,nOCh,erStは品詞としてはふつう副詞と分類されている。ただ、近年は従来副 詞とされたものもさらに詳細な分煩がなされるようになってきた。そのような分類では、単 独で文肢となる場合にはZeitadverb(時間副詞)とされ、他の要素とともに文肢を形成す

る場合にはGradpartikel(スケール詞)とされ、時間以外にさまざま話し手の心情等を表 す場合にはModalpartikelまたはAbt6nungspartikel(心態詞)とされることが多い。ここ ではZeitadverbを「時間副詞」、ModalpartikelまたはAbt6nungspartikelを「心態詞」と 呼ぶことにする。Gradpartikelについては定訳がないが、SChon,nOCh,erStの機能を考 慮してここでは「スケール詞」と呼んでおく。ここではまず時間関係を表す時間副詞とスケー

ル詞の用法を検討し(3)、その延長線上で、時間関係を表さないスケール詞および心態詞と しての用法を検討することにする。

3.時間関係を表す用法

時間関係を表す場合と言っても、さまざまな用法があり、しかもschon,nOCh,erStが 入り組んでいる。Hoepelmann/Rohrer(1981:107f.)はschonとnochの考察で、継続 的なものと瞬間的なものがあるとしており、L6bner(1989)はschon,nOCh,erStの考察

を未完了文と完了文に分けて行っている。ここでも、理解を容易にするために、状態表現と できごと表現に分けて考察することにする。

3.1.状態表現

3.1.1.状態表現でのSChonとnoch

次のような文を考えるが、まずはこれらが現実世界を描写したものであるとしよう。

(1a)Peter schlaft schm.

(1b)Peter schlaft noch.

(3)

両方とも「ベーターが眠っている」という事実に違いはない。Doherty(1973:154f・)は、

sch。nは先行する「眠っていない」状態を前提とし、nOChは先行する「眠っている」状態 と後に続く「眠っていない」状態を前提とするとしている。(4)確かに次のようにschonは それ以前の状態がないものには使えないし、nOChはそれ以降の状態がないものには使えな

い。

(2a)Peterist schm alt.

(2b)*peterist schm jung.

(3a)Peterist noch jung.

(3b)*peterist noch alt.

しかし、(2a)(3a)のような場合、SChonやnochがなくてもaltとjungからそれ以前や

以降の状態は明白である。SChon,nOChは単に前後の状態を表すためにあるのではないo schonとnochの違いを話し手の期待に関連づけて説明する研究者もある。たとえば、

Helbig(1988:206,185)は、SChonはその状態が「期待したよりも早い」ことを、nOChは

「そのことがらの終わりが当初期待されたよりも後にある」ことを表すとする。これは辞典

などにも見られる一般的な解釈であるが、L6bner(1989:179)はWieich erwartet hatte,

wardas Lichtsc加椚/1u)Chan.と言えるので、話し手の期待とは関係ないとしている。(5)

ここでは上のようなさまざまな考察を踏まえた上で、SChon,nOChの違いを仮想世界で

の違いであると仮定する。(1)の文でPeter schlaft.をSとし、Peterist wach・をWと しよう。SChonの場合、仮想世界では以前からのWが続いていると想定していたが、発話

時の現実世界ではSであることを表す。Wは必ずしも現実に存在したとは限らないが、少 なくとも仮想世界でそれが前提となっており、また、WはいつかはSに変わると想定され ていると考えられる。nOChの場合、仮想世界では以前の状態SからWになっていると想 定していたのに、発話時の現実世界ではSであることを表す。nOChは現実世界の後の状態

を前提としているのではなく、仮想世界での現時点の状態を表している。(6)これをわかりや すくするために次のように図示した。現実世界に関しては現在以外のことは表現されていな

いので空白にしてある。(発話時を0とし、数字は時間的経過を表すものとする。)

h

ー3 ‑2 ‑1 0 1 2 3

3 ‑2 ‑1 0 1 2 3

ー19‑

(4)

このようにschon,nOChの機能は現実世界に関係して仮想世界を表すことだと仮定する と、(2b)(3b)のような文が言えないことも説明できる。つまり、SChonが(2b)のよう な文で使えないのは仮想世界で前の状態((1a)ではW)がないためで、nOChが(3b)で 使えないのは仮想世界の中で後の状態((1b)ではW)がないためである。

3.1.2.状態表現でのnochとerst

SChonに対立するものとしてnochが使われる場合もあるが、場合によってはerstが使 われる。たとえば、次の(4a)に対するものとして(4b)も(4c)も使われる。(4a)は

(1a)と同じように発話時点において、仮想世界の状態がDozent以前め状態であることを 表す。それに対して(4b)(4c)では仮想世界ではDozent以降の状態が想定されているよ

うに思われる。

(4a)Erist schm Dozent.

(4b)Erist noch Dozent.

(4c)Erist erst Dozent.

L6bner(1989:190)は次のような例を挙げ、erStはいくつかの段階、ラソクが想定され る場合に用いられ、nOChは二者択一が問題になるような場合に用いられるとしている。

(5a)Hast du schon etwas gegessen?T Nein noch

nichts./*Nein ent nichts.

(5b)Hast du schonvielgegessen?‑*Neinnoch wenig./Nein e73t Wenig.

(5a)では食べたかどうかの二者択一なのでnochが用いられ、(5b)の場合には食べた量 の段階が問題なのでerstが用いられている。また、次のように時刻を表す場合(7)も同様で、

erstはschonに対立して瞬間を表すことができるが、nOChは(6d)のようにある時刻以前 のような形でしか表現できない。ここでもnochは二者択一的なことがらに用いられている と言える。

(6a)Esist schm zehn Uhr.

(6b)Esist eYSt Zehn Uhr.

(6c)*Esist noch zehn Uhr.

(6d)Esist yuxカvor zehn Uhr.

しかし、nOChが二者択一的なことがらに用いられるというのは現実世界の問題というより は、話し手の認識の問題と考えるべきであろう。つまり、(4a)のような場合にはDozent

か否かという二者択一で考えており、(4b)のような場合にはその他にもう一つ段階を加え て考えているということである。その場合どこに段階が加わるかというと、Dozentの前で ある。erStはnochと違い、次のように最初の段階を表すことができないから、(4b)で表現

されているのは2番目以降の段階であるということになる。(8)

(5)

(7a)Erist noch ein Baby.

(7b)*Erist eT3t ein Baby.

noch,erStにおける現実世界と仮想世界の関係を図示するとたとえば次のようになる。

(AはAssistent,DはDozent,PはProfessorを表すものとする。)

d

3 ‑2 ‑1 0 1 2 3

3.1.3.状態表現での現実世界と仮想世界

以上見たように、SChon,nOCh,erStが用いられた文では、現実世界のある時点におい ての状態が表現されている場合でも、仮想世界ではある種の変化が想定されており、その文 が表している現実世界の時点における仮想世界の状態も違う。この違いがschon,nOCh, erstによって表現されている。これは次のようにまとめられる。その文で表現された状態を

pとし、それ以前の状態をⅤ、それ以降の状態をnとしよう。「指示時」(9)というのはその 文で表現された状態を描く時点を指すものとする。

(表1)

Ⅴ→p Ⅴ

p→n

n

Ⅴ→p→n

n

3.2.できごと表現

3.2.1.できごと表現でのSChonとnoch

schonは次のように完了形の形でできごとを表す文にふつうに用いられるが、nOChは時 間表現がない場合には主として否定の形でしか用いられない。

(8a)Erist schm angekommen.

‑21‑

(6)

(8b)Erist noch nicht angekommen.

一般に現在完了形は、発話時においてそのできごとが完了し、できごと後の状態になって いることを表す。SChonの場合、発話時において仮想世界ではできごと以前の状態であると

いうように考えると、現実世界と仮想世界は状態表現の場合と同じような関係にあることに なる。((1a)と(8a)の図を比較。太線はEr kommt an.ということがらが起こった時点 を表す。)

完了形に使われたschonの否定にはnoch nichtが用いられる。一般に状態の否定とでき ごとの否定は違う。たとえば、Erschl註ft・という状態の否定Erschlaft nicbt.は別の状態

(たとえばErist wach.)があることを表すが、Erist angekommen.というできごとの 否定Erist nicht angekommen.は別の何らかのできごとを表すわけではなく、むしろ、

そのできごとが起こらなかった状態(Erist nicht hier.)を表している。(10)そう考えると、

(8b)のように完了形に使われたnochもやはりErist nicht angekommen.の状態が続い ていることを表すものと言うことができる。このとき仮想世界ではErist angekommen.

というできごとが起こり、現在ではその後の状態になっていることが想定されている。

((1b)と(8b)の図を比較。)

0 1 2

上では時間を表す語句のない文について見たが、nOChができごとを表す文に使われる場 合、時間を表す語句を伴うことがある。

(9a)Schmim Maihat

er

seine Dissertation abgeschlossen.

(9b)Nbchim Maihat

er

seine Dissertation abgeschlossen.

この二つの文を比べてみると奇妙なことがわかる。(9a)は「もう5月に論文を書き終え た」ことを表し、(9b)は「まだ5月のうちに論文を書き終えた」ことを表す。両方とも5 月という時点に現実にできごとが起こったが、仮想世界では6月以降に起こると想定されて いたと考えられる。しかし、二つが全く同じことを表しているとは考えられない。

できごとを表す文ではnochは次のように一瞬の時点を表す時間表現とは用いられず、あ る幅を持ったものと共に用いられる。できごとはその時間内に起こったということになる。

(10a)*Die Bomt光eXplodierte noch

um

acht Uhr.

(7)

(10b)Die Bombe explodierte noch

vor

acht Uhr・

そうすると、(9)の場合も、imMaiはschonの場合には時点であり、nOChの場合には幅 を持った時間であるということになる。

(9a)の場合にはim Maiというのはそれ以降の月、たとえばimJuni,imJuliなどと の対比においてimMaiという時点を表すのに対して、(9b)の場合にはimMaiかそれ以 降かという対立において、それ以降になっていないということを表している。nOChの場合 にはこのできごとが起こる以前の時点(たとえば論文を書き始めた時点)における想定があ

り、それがim Maiである。そしてこの文で表されているできごともim Maiであるという ことになる。このことから考えると、(9a)のようなschonの場合には月の経過を基準にし

て、そのときに起きたできごとを描く文であるが、(9b)のようなnochの文はできごとを 基準として、それが起こったときの状態を述べる言い方だと言うことができる。これに従っ て図示するとたとえば次のようになろう。(11)(太線が論文の完成時を示す。)(9b)は状態表 現(1b)の図と同じと考えることができる。つまり、nOChはたとえできごと表現に使われ ても状態に関係してくるということになる。(9a)についてはerstとの関連で次に考える。

4 5 6

(9b)経過 書き 稿

始め

3.2.2.できごと表現でのSChonとerst

nochに対して、erStは次のようにできごとそのものに関係してくる。

(11a)Er hat schm um7Uhr mit der Arbeit angefangen.

(11b).Er hat erst um7Uhr mit der Art光it angefangen.

ここでは7時という時点が表されており、しかもできごとの表現である。現実世界と仮想 世界という観点からとらえれば、仮想世界において、(11a)では「彼は8時に仕事を始める」、

(11b)では「彼は6時に仕事を始める」というような想定があったと考えられる。ここで、

現実世界と仮想世界との時間の前後関係よりも、7時という時点に関して現実世界と仮想世 界を対比してみよう。7時において、SChonの場合には仮想世界での状態は表現されたこと

がらの前の状態(仕事をしていない)であり、erStの場合には仮想世界での状態は表現され たことがらの後の状態(仕事をしている)である。これを図示してみる。

(太線が「仕事を始めた」時点を示す。)

‑23‑

(8)

㈲般醐㈹般醐

6 7 8 9

6 7 8 9

今、(11b)の図を(4c)の図と比べてみると、表現されたことがらができごとか状態か

という違いが幅の違いとして出てきている。状態表現(4c)ではある一定の時間の幅を持っ たことがらであり、できごと表現(11b)では一瞬のことがらであるからである。しかし、

それを度外視するならば(つまりDを(11)での太線と見なすならば)、仮想世界での「そ れ以前の状態一表現されたことがら‑それ以降の状態」と現実世界のことがらの関係は同じ である。また、(4a)も次のようにPという状態を考えると(11a)と同じことになる。も ちろん(9a)も同様に考えることができる。

‑3 ‑2 ‑1 0 1 2 3

3.2.3.できごと表現での現実世界と仮想世界

できごと表現におけるschon,erStの違いは次のようにまとめられる。pは表現されたで きごと、Ⅴはそれ以前の状態、nはそれ以降の状態を表す。

(表2)

Ⅴ→p→n

Ⅴ→p→n n

できごとは一瞬のことがらであり、必ずそれ以前の状態とそれ以降の状態がある。(11) の例で言えば、「仕事を始める」というできごとの前後には「仕事をしていない」状態と

「仕事をしている」状態がある。つまり必然的に仮想世界では3つの段階が想定されること になり、そのためできごと表現ではschonとerstが用いられ、2段階(二者択一)を表す

nochは用いることができないのである。(12)

3.3.状態とできごとの認識

これまで見てきたように、状態もできごとも結局は同じように認識され、仮想世界との関 係と仮想世界における経過の違いがschon,nOCh,erStで表現されていると考えることが

(9)

できる。つまり、ここでは便宜上、状態表現とできごと表現を分けて見てきたが、少なくと もschon,nOCh,erStを使う上では認識上その区別はなされていないものととらえるべき である。

このことを裏付ける次のような現象を見てみることにしよう。

(12a)Esist schm vier Uhr.

(12b)Esist erst vier Uhr.

これらの文はふつうの意味では状態表現であるにもかかわらず、SChonとerstの対立で 用いられる。Helbig(1988:207)によると、このようなschonは「話し手や聞き手の期待 が現実と対比させられ、現実に照らして修正される」とし、現実が「期待したよりも遅い」

ことを表現するとしている。つまり、この文においては、話し手や聞き手の期待はたとえば 3時であったのに、現実では4時であることを表すことになる。Helbig(1988:138)によ ると、erStはこの逆で現実が「期待したよりも早い」ことを表す。つまり、話し手や聞き手 の期待はたとえば5時であったのに、現実では4時であることを表すことになる。このこと をまずは次のように表示しておこう。これは(1)のHelbigの説明と逆である。つまり、

(12)時 現実 仮想(schon) 仮想(erst)

1 2 3 4 5 6

schonに関しては(1)では現実が期待よりも早いことを表すとしているのに、ここでは期 待よりも遅いとしているのである。そこでHelbig(1988:207)は(1)と(12)のschon は別の用法として記述せざるを得なくなっている。

ただし、これも次のように「4時」をスケールではなく、「4時である」というできごと としてとらえるとこれまでの仮説から説明がつく。太線が「4時である」ことを表す。

‑2 ‑1 0 1 2

十∵エ

1 2

発話時において、(12a)では仮想世界では4時以前だと想定していたのに現実世界では4 時であったということであり、(12b)では4時以降だと想定していたのに現実世界では4 時であったということである。

(12)は状態表現ではあるが、一瞬の状態であるため、それ以前、それ以降も合わせて3

ー25‑

(10)

つの状態が想定される。そのため、できごと表現と同じようにnochが用いられず、SCh。n とerstが対立しているのである。なお、日本人がこのような文でnochを誤用するのは、

「まだ4時だ」というような日本語表現があるためであろう。日本語の「まだ」は

「まだ若い」「まだ寝ている」のように状態や継続の表現に用いられるところから見て nochの働きにかなり近いとは考えられるので、むしろ「4時だ」という表現の性質がドイ

ツ語と異なるのであろう。「まだ4時になったばかりの状態だ」というようにある程度の幅 をもって認識されているのかもしれない。

以上見たように、ドイツ語においては、SChon,nOCh,erStに関する限り、状態もでき ごとも同じようにとらえられていると考えてよい。そこで、SChon,nOCh,erStにおける 仮想世界と現実世界の関係は次のようになる。

(表3)

Ⅴ→p(→n)

p

n n

Ⅴ→p

n n

ただし、SChonはnochとの対立においては→nは想定されない。

4・スケール詞schon,nOCh,erStの時間関係以外の用法

スケール詞schon,nOCh,erStの用法のうち、次のようなものは直接的には時間に関係 しないように見える。

(13a)Er hat schm dreiBriefe bekommen.

(13b)Er hat eYSt dreiBriefe bekommen.

今これを手紙の数を基準に考えると、現在受け取った手紙の数(下の図では太線で示す) がschonの場合には仮想世界の想定よりも上であり、erStの場合には仮想世界の想定より

も下となって、(12)と同じように仮想世界と現実世界の位置関係が逆になってしまったよ うな感じがする。

(13)手紙 1 2 3 4 5

現実 仮想(schon) 仮想(erst)

しかし、ここでEr hat dreiBriefe bekommen.全体をできごととする(下の図では太

線で示す)と、その現実世界のできごとの時点がschonの場合、仮想世界よりも前、erSt の場合、仮想世界よりも後ということになって、(11)と同じになる。(13)

schonにはさらに次のような用法もある。ここでは普遍的なことがらが述べられており、

(11)

㈱躾醐㈱眼醐

1 2

0 1 2

時間を超越しているようにも思われる。

(14a)SdlmderGedankedaranmachtmichk;ank.

(14b)Schm der Versuchist strafbar.

しかし、ここでもある種のスケールがある。(14a)では「考えること」と「現実に何かを すること」など、(14b)では「試みること」と「実際に行うこと」などである。そうする

とここでも仮想世界と現実世界の関係が表現されていると考えられる。(14a)ではふつう

「気分が悪くなる」のは実際に何かを行ってからであるとされている。たとえば「高いとこ ろにあがる」とか「ジェットコースターに乗る」とかを思い起こしてみればよい。指示時、

つまりここでは「考える」という時点においては仮想世界では「気分は悪くない」状態なの であるが、現実世界では次の状態、つまり「気分の悪い」状態になっている。(14b)でも指 示時、つまり「試み」という時点において、仮想世界では「処罰の対象ではない」のだが、

実際にはより進んだ「処罰の対象になる」状態なのである。このように考えると、der

Gedankeやder Versuchがスケール上の点を表しており、時間的経過のある一時点と同様

に見なされていることがわかる。

また、nOChにも似たような用法がある。(15a)ではStundenという語が現れており、時 間的なものと考えることもできるが、同じような(15b)では直接の時間表現はない。

(15a)Er hat乃OCh zweiStunden geartx,itet.

(15b)Sie hat noch ein Sttick Kuchen gegessen.

ここではできごとが表現されているが、これらの表現が言える前提としてそれまで動作の 継続または繰り返しがなければならない。仮想世界ではそこでその継続、繰り返しが終わる

と想定していたが、現実ではそれが継続したことを表している。このような文も時間的用法 のnochが用いられた状態表現と同様に説明できる。

スケール詞に関しては一見時間とは無関係と見える用法においても、時間的な経過が含意

されており、仮想世界での状態の変化と指示時の仮想世界の状態によって統一的に説明でき ると考えられる。

‑27‑

(12)

5.仮想世界の構造

ここではschon,nOCh,erStを取り上げ、仮想世界との関係から現実世界を描き出すも のとしてとらえた。仮想世界と現実世界の関係を表現する手段というものはこの他にも数多

くある。SChonなどと同じようにnur,auCh,SOgarも仮想世界の想定と現実世界が異なっ ていることを表すものである。たとえばnurは仮想世界には他に想定していた候補がある

ことを表し、auChは仮想世界での想定は他の候補であったことを表す。また、Wahrschein‑

1ich,Vielleichtなどの推量を表すとされる話法詞(Modalwort)はまさに仮想世界を描く ためにある。その他、話法の助動詞や接続法など話し手の立場に絡む言語表現は仮想世界と の関連で説明できるであろう。(14)

ここではschon,nOChに関係する次のような文を考えてみよう。

(16a)勒hncheinlich schl孟ft

er

schon/1WCh.

(16b)1ch glaube,er SChlaft schm/noch.

(16a)ではwahrscheinlichという推量の対象になっているのはer schlaft schon/noch である。この文は仮想世界を表現したものであり、その場合、SChon,nOCh自体も仮想世

界のことがらに含まれるということになる。また、(16b)はich glaubによってそのこと がよりはっきりわかる。このようなときには、SChon,nOChは、会話の相手の想定または

一般的な想定があることを表し、話し手はそれをさらに自分の仮想世界で想定していること になる。たとえば、会話の相手の仮想世界においてはErist wach.という想定がなされて いることに対して、話し手がEr schlaft schon.という想定を自分の仮想世界で行っている ような場合である。相手がどう思っているのかを思い浮かべることなどはごくふつうになさ れる人間の行為であろう。話し手は自分の仮想世界の中に別の仮想世界を作っているという

ことになる。(15)

3.1.で(1)のような文を考えたとき「現実世界を描写したものである」と条件を付 けた。1.で述べたように、(1)のような文も仮想世界を表現している場合がある。その

ような場合も(16)と同じように話し手が自分の仮想世界の中に他の人の仮想世界を取り込 んで、それらの関係を表現していると考えることができる。

6.心態詞としてのSChonの用法

心態詞自体の研究はWeydt(1969)以来、語用論とも関連しながらドイツ語学研究で大き な領域をしめることになった。そもそも何をもって心態詞とするかということから一致した 見解があるわけではないが、ふつうは、時間、空間、様態などを表す副詞の意味とは異なり、

話し手の心情や談話に関わる機能を持つ場合に心態詞と扱われる。SChon,nOCh,erStの 中ではschonが心態詞としての用法も多く、また頻度も高い。ここではその用法の中でも次 のようなschonについて仮想世界と現実世界という観点から分析を試みる。(16)

次の文ではschonは時間関係を表すものではなく、「すでに」とも訳せない。

(17a)Wir finden

es

schm.

(17b)Esist schm schwierig,das Buch

zu

bekommen.

(13)

前にも見たように平叙文は現実世界を表現することもあるし、仮想世界を表現することも ある。たとえば(17a)は現在のことではなく、これから起きることがらである。これから 起きることがらということは仮想世界のことがらであると考えざるを得ない。Gornik‑

Gerhardt(1981)は心態詞としてのschonの用法を詳しく検討しているが、このような schonは「pを根拠付けられたものと見なし、pが偽であるという主張または推測に反対す

る」(Gornik‑Gerhardt1981:91)としている。(17a)でもwirfinden esに反することが らが主張されるか、推測されているのであろう。もしwir finden esが仮想世界のことがら ならば、それに反することがらは仮想世界の中にとりこまれた別の仮想世界のことがらであ

ると言える。今、仮想世界をVとし、仮想世界に取り込まれた別の仮想世界をⅤ'としよう。

未来のある時点において、V'では「見つかっていない状態」が想定されているが、Ⅴでは

「見つかる」というできごとが起こることが想定されていることになる。下の図でもわかる ように、これはこれまで述べてきたschonにおける仮想世界と現実世界の関係に一致すると 言えよう。(太線が「見つかる」というできごとを表す。)未来のある時点(「探す」という

行為を行う時点)において「(見つからないという想定に対して)それが見つかることを仮 想世界で想定している」ということを表しているわけだから、結果的に話し手の確信のよう

なものを表すことになると考えられる。これがたとえばWir hat光n

eS

SChon gefunden.

のように現実世界のことを述べた場合にはスケール詞として仮想世界と現実世界の時間的ず れを表現することになると考えられる。

m V V (

(17b)のような場合は、Gornik‑Gerhardt(1981:61)は「前提の確認」という機能を 持つとしている。ここでは、現実世界のことがらが述べられており、話し手はそのこと自体 を当然の事実と見なしているということになる。SChonを用いてこのようなことをわざわざ 述べるのは、発話時において仮想世界ではそうではないという想定があったからであろう。

しかしこのような場合、話し手は「簡単だ」とは思っていないし、聞き手も「簡単だ」と思っ ているのではなく、むしろ「難しい」と主張していると考える方が自然である。

Helbig(1988:202)はこのようなschonを「制限された確認、条件付き賛成」としてい るが、それは次のように文が続く場合が多いからである。

(17b')Esist schm schwierig,das Buch

zu

tx,kommen,aber esist m6glich.

つまり、話し手は、自分と聞き手の前提を当然のこととして、むしろその後に何かを言いた いことが多いのである。そうすると、どこにも「難しい」ことを否定するようなことは想定

されないことになってしまう。ただ、話し手は次に続ける文を言いたいがために、自分がそ れが当然の前提であるとしていることを聞き手に伝えておかなければならない。話し手側に は、後に続くべき文を発話すると、自分が反対意見であると聞き手から思われるかもしれな いという不安があるのであろう。そうすると、ここでは「難しい」と「難しくない」という

一29‑

(14)

対立というよりは、「難しいと見なしている」と「難しいと見なしていない」という対立が あると考えるべきではないだろうか。

次のような例もある。

(18)Ich sagte esIhnen,glaubeich schon,daB hochm竜tige,SCheinbar k屯hle Frauen

vonjeiibermich Macht hatten...aberjetzt,jetzt kam noch dies dazu, daB…(Zweig,Stefan:DerAmoklaufer)

ここではich glaube schonという明示的な形で「確かに言ったと思う」ということが表さ

れている。ここでも、自分が前に言ったことを忘れていると相手に思われてはいけないとい う気持ちがあるにちがいない。この文では、ich glaubeがあることでもわかるとおり、仮 想世界で自分がどのような想定をしているのかということを表している。(17)すると、相手に そうではないと思われるかもしれないと思うのは、仮想世界にとりこまれた別の仮想世界と いうことになる。(17b)も現実世界ではなく仮想世界のことがらの表現と考えると、(17a) と同じような関係にあるということになる。ただし、(17b)は(17a)はどは時間的な観念 はないように思われる。

ここで心態詞一般について述べることはできないが、SChonに関しては次のようなことが 言えるだろう。時間副詞、スケール詞としてのschonは仮想世界と現実世界の時間的関係

を表現しているが、心態詞としてのschonは話し手の仮想世界の中で他の仮想世界との関 係を表し、時間関係というよりはそれらの対立を表現している。

7.最後に

人間は自分の仮想世界をもとに現実世界を認識し、表現していると仮定し、それに基づい てschon,nOCh,erStの文を分析した。時間関係を表す文もそれ以外の文も現実世界と仮 想世界(場合によっては仮想世界と別の仮想世界)のずれや対立を表現しているととらえる

ことができた。多くの点において今後の検討が必要ではあるが、人間の認識という観点から さまざまな言語現象を統一的に説明しようという試みは有意義であることがわかった。それ は同時に人間の認識のあり方を探ることでもある。古くから言われてきたように、言語と認 識は切っても切り離せない関係にある。

(15)

(5)

(8)

(16)

その他にもwo+前置詞でさまざま疑問詞を作ることができるが、それらは語形成上二 次的なものであるし、意味的にもここで挙げた6つの疑問詞に含まれると考えられる。

Inokuchi(1991:138)では平叙文に「命題と『意図された真実性』の間に一致がある ことを知っている、または確信している」という話し手の立場が表現されているとしてい る。

時間副詞とスケール詞の区別は単独で文肢になるかどうかという統語的なものである。

このような副詞に関係する品詞分頬上の問題点は井口(1994)を参照。

K6nig(1977:176)は、nOChは必ずしも後に続く状態を前提にはしないとし、L6bner (1989:176)も、もしそうなら現在以降のことまで知っていることになると批判してい る。

L6bner(1989:174)は、SChon,nOChはその状態を特定のperspectiveのもとに置くと している。SChonはnot‑pの後にpが起こるという、n∝hはpの後にno卜pが起こると いうperspectiveを持つという。ただし、このperspectiveという概念は明確ではない。

仮想世界は必ずしも話し手の「期待」とは限らないのでL6bner(1989:179)の批判は ここにはあてはまらない。この問題については後であらためて触れる。

Helbig(1988:138,207),L6bner(1989:193),K6nig(1979:151)が述べているよう に、これら表現においては現在の時刻がschonの場合には話し手の想定よりも遅いこと を、erStの場合には想定よりも早いことを表し、その他の場合の関係とは逆転するように 見える。この問題については3.3.で触れる。

Shirooka(1988)は、erStは「上向きの変化」(Aufw益rts呂nderung)にしか使えない のに対し、nOChは「下向きの変化」(Abwarts益nderung)にも使えるとしている。L6b‑

ner(1989:186)はerstには下向きの変化もあるとしている。いずれにせよ、これらは 話し手の認識の問題であろう。

L6bner(1989:169)は未完了の文は時間的表現がない場合には含意された時点を指示 するとし、この時点を「指示時」(reference time)と呼んでいる。

L6bner(1989:169)参照。

このようなnochをL6bner(1989:202)はItis stillT,When

e

occurs.と解釈して いる。なお、Hoepelman/Rohrer(1981:106)には時間表現を伴わない例が挙がっている。

Die Bombe explodierte doch YuXh.

ここではdochが必要なようだが、dochの機能を含めた詳しい考察が必要になる。

(8b)のようにnochが用いられている場合には、仮想世界でのできごと(状態の変化) はひとつの段階としては認識されていないと考えるべきであろう。

次のような表現は状態を表してはいるが、現時点における瞬間的な状態(現時点までで 1時間遊んだ)なので(13)と同じように説明できる。

Er spielt schon/ersteine Stunde.

nurやauch、話法詞、心態詞などを仮想世界から記述する試みは井口(1997)を参照。

L6bner(1989:179)のWieich

erwartet

hatte,War das Licht schon/n∝h an.の schon,nOChも聞き手または一般的な想定と考えると説明がつく。K6nig(1979:152)は

schon,erStは話し手または聞き手の期待を表すとしている。Hoepelman/Rohrer(1981:

110)は、話し手は聞き手や社会的、一般的に受け入れられた観点にあわせることもある として、次のような例を挙げている。

A:Kannich Hans sprechen?‑B:Nein,erist schon

gegangen.

心態詞としてのschonはその他に次のように補足疑問文、命令文で用いられる。これら

‑31‑

(16)

も仮想世界と観点から説明できると思われるが、文タイプによって仮想世界のあり方も異 なるので、別の機会に詳しく考察したい。

Wer weiB schm,Wie dasist?

Schreibihm schm einen Brief!

また、nOCh,erStにも頻度は低いが心態詞としての用法がある。

Wie hieB er,αh?

Waren wir erst wieder

zu

Hause!

(17)ich glaut光については(16b)を参照。なお、ich glautx:SChonの場合にはschonは表 面的にはich glaubeに関係しているが、ich glaube nicht,da8…と同様に意味的には

ich glaubeの内容(ich

sagte

esIhnen,daB‥.)に関係していると考えるべきであろ

う。

参考文献

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参照

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