ユネスコ失敗の機能主義的解釈
―
1980
年代の米英脱退を事例として中 岡 大 記
An Interpretation from Functionalism on the Failure of UNESCO
―
in the Case of U.S.A. and U.K.’s Withdrawal in 1980s
Daiki NAKAOKA
目 次 はじめに
第
1
章 デイヴィッド・ミトラニーの機能主義1.A Working Peace System
(1)一般的な問題 (2)連邦制という当惑 (3)機能的なアルタナティブ
(4)機能的行動を通じた国際社会への道
2.機能主義に関する先行研究
(1)「平和的変更」への批判 (2)「機能的な国際組織」への批判
3.規範理論としての「機能的な国際組織」
第
2
章 米英のユネスコ脱退1.米英脱退の経緯とその理由
2.脱退以前のアメリカとユネスコの関係
3.米英はなぜ脱退したか?
―主たる 2
つの見解第
3
章 ユネスコはなぜ失敗したのか?1.ユネスコ失敗の機能主義的解釈
2.「政治的なもの」の排除の失敗
おわりにはじめに
本稿の目的は、1980年代に生じた米英のユネスコ脱退を国際機構の失敗であるとみなし、それは、
デイヴィッド・ミトラニー(David Mitrany)が提示した機能主義(functionalism)1)
を徹底すること、
換言すれば、「政治的なもの」をユネスコから排除することに失敗したものであることを論じること にある。
本稿でミトラニーの機能主義及びユネスコを取り上げることには主として
2
つの意義がある。第一 に、第1
章で詳述するように、ミトラニーの機能主義は、現今の国際連合をはじめとする国際機構 ―
とりわけ専門機関(Specialized Agencies)と呼ばれるところの国際行政機構
―の理論的支柱
をなすものであるとの認識がなされてきたにもかかわらず、具体的な事例に即した検討は必ずしも充 実しているとは言い難い。従って、機能主義の理論をユネスコという具体的な事例に即して論じるこ とには、少なからぬ意義があると考えられる。
第二に、具体的な事例として取り上げるユネスコは、1980年代に米英が脱退するという危機的な 経験をしてきたにもかかわらず、これを機能主義の観点から検討した論考はほとんど見当たらない 2)。 ユネスコは教育・文化・科学という比較的穏健(ローポリティック)な分野(機能)を所掌しており、
機能主義の考えからすれば、上手くいきやすい分野であると言える。それにも関わらず、ユネスコが 大きく批判される形で米英が脱退するという出来事が生じた。このことを検討することは、適切な国 際機構の運営を考える上での大きな示唆を与えることになるだろう。
以上のことを論じるにあたって、本稿では以下の章構成をとる。第
1
章では、本稿全体の分析枠組 みとなる機能主義という考えについて、その提唱者であるデイヴィッド・ミトラニーの主著“A
Working Peace System”
を整理し、機能主義に関する先行研究を取り上げる。第2
章では、「国際機構の適切な運営の失敗」の事例としてユネスコを取り上げ、1980年代の米英脱退の経緯と、それにつ いて論じられてきた先行研究を紹介する。第
3
章では、第1
章で整理したミトラニーの機能主義の観 点から、米英脱退というユネスコの失敗についての解釈を試みる。第
1
章 デイヴィッド・ミトラニーの機能主義1.A Working Peace System
以下では、ミトラニー 3)
の機能主義が論じられる場合には必ず主著として取り上げられる 1943
年出版の
“A Working Peace System”
をもとに、機能主義と呼ばれるところの理論を整理する。“A Working Peace System”は国際機構論や国際行政学に関する日本の著書・論考の中でしばしば取 り上げられ紹介されている。代表的なものを挙げれば、木下(1998)、郷田(2001)、コーネリア
(2002)、 福 田(2012)、 城 山(2013)、 鈴 木(2013)、 最 上(2016) な ど が あ る が、 い ず れ も
“Working”
に関する日本語訳に違いがある。それぞれ、「実働的平和システム」(木下1998:p 38)、
「機能する平和体制」(郷田
2001:p 155)、「実効的平和システム」(コーネリア 2002:p 256)、「実働
平和システム論」(福田2012:p 30)、「活動する平和システム」(城山 2013:p 26)、「稼働する平和」
(鈴木
2013:p 106)、「働きうる」(最上 2016:p 330)という訳語があてられている。このような差異
はあるものの、“Working”という言葉によって示される機能主義の特徴は、以後見ていくミトラニー
の論考に
“pragmatic”
や“practical”
という言葉が使われているように、「現実に機能し得る」構想を追求した点にある 4)。以下では全
4
章からなる“A Working Peace System”
の内容について見ていく 5)。(1)一般的な問題
“A Working Peace System”全体を貫くテーマは「国際連盟による、武力侵攻を防ぎ、平和を構築す るための試みは失望に終わったが、何らかの新しい種の国際システムの必要性が戦前からひろく議論 されてきた」(Mitrany 1943:p 5)と冒頭で述べられるように、平和構築のための国際システムはど のようなものであるべきか、すなわち、いかにして「平和的変更」(同上:p 6)は可能かということ にある。ミトラニーは平和的変更を「自動的かつ持続的な社会活動を可能にし、統治のあらゆるその 他のシステムと同様の意味、同様の一般的性質を持つ、変化するニーズと状態に持続的に適合するあ るシステム」(同上)と定義する。
この目的のためにミトラニーは世界政府(world state)や連邦制という構想を退け、「すべての国家 の利益と生活が徐々に統合されていくような国際的な活動と機関を拡げ、その網で各政治体を覆う」
(同上)、すなわち「可能な限り、明らかな共通のニーズに関心を寄せ」(同上:p 7)る、「プラグマ ティックなアプローチの必要性」(同上)を説く。19世紀に行われてきた「立憲的な協約(constitu-
tional pact)は、新しいコミュニティのメンバーのためのある初歩的な権利や義務を制定する以上の
ことはほとんど何も行いえない」(同上:p 10)とし、「そのコミュニティは、活動的で有機的な展開 を通して生命力ある実体を獲得する」(同上)のであり、そこでは「どのような方法がより早急に実 際に役に立ち(practicable)、有望かということだけが唯一の問題」(同上)となると述べる。(2)連邦制という当惑
ミトラニーはその方法を探る手がかりとして、しばしば提示されてきたスキームのひとつである連 邦制の検討に移る。それは当時において連邦制が唯一、「我々のニーズを満たす」(同上:p 10)もの として提示されてきたからである。そこでミトラニーは「連邦制というスキームがいったいどれだけ 有効で、政治的に我々をどこに導くのか」(同上)と問う。
ミトラニーによれば、連邦制の選択には地理的に、あるいは、イデオロギー的に選択するという
2
つの方法がある(同上:p 11)。しかし、前者は、①大国による支配の恐れがあり、②それを甘受で きたところで世界平和に繋がることを約束するわけではなく、また、③継続的な社会福祉をもたらす わけでもない(同上:pp 12-13)。また、後者の場合には、例えば民主的な連邦制を想定したとき、
民主国家がファシスト化した場合、メンバーシップを失うのか、その逆は加盟することができるのか、
さらに、民主的な国が戦争をしないとは限らないし、民主的とは言えないような国家が国際社会では 民主的にふるまうこともある、と述べている(同上:pp 13-17)。
しかし、地理的なもの、イデオロギー的なものに拘わらず、ミトラニーは連邦制そのものの欠陥を 指摘する。それがセクショナリズム(sectionalism)6)
である。ここでミトラニーは、「その外部団体と
の関係、そして彼らへ与える影響をどう考えるのか」(同上:p 17)と問う。内側と外側を明確に区 分する連邦制は、「政治的、社会的な生活における[非加盟国に対する]積極的な支配であり、不可 避的に、加盟国の特権でもって、非加盟国に対して制限を加えることになる」(同上:p 18)。(3)機能的なアルタナティブ
こうしてミトラニーは連邦制を批判し、そのアルタナティブを模索する中で、近代の統治のあり方 全般が「特定の目的やニーズに応じた統治を形成する」(同上:p 20)という傾向にあることに着目 する。それは国際的なレベルにおいてもまた、「ゆっくりと、また必ずしも安定的ではなかったもの の、諸ルールや諸協定を通して法体系が発達してきた一方で、共同活動はアドホックな機能的アレン ジメントを通して組織され、上手く機能してきた。そのような特定の行政機関や法律の台頭は特徴的 であり、近代の統治の根本を成している」(同上)のである。では、「包括的な政治的枠組みなしに、
そのような機能を国際的に組織することは可能なのだろうか」(同上)。ミトラニーはルーズヴェルト 大統領の下で行われた
TVA(Tennessee Valley Authority)を引き合いに出しながら、「機能的な方法が
容易だからではなく、立憲的な方法が困難であるため」(同上:p 22)、機能的アプローチが選ばれ、功を奏したと評価する。すなわち、「もし立憲的な道筋を避ける必要があるなら、効果的な行動のた めには、既に機能している政治システムである連邦制においてでさえ、数多くの多様で時には敵対的 な国々を初めてまとめるというときに、最初のムードとしてどれほど有望でないかということは想像 に難くない」(同上:pp 22-23)。そのように必ずしも意見が一致するとは限らない、いやそれどころ か、敵対的対立さえ想定され得る国際社会に対するミトラニーの処方箋は次のようなものである。
「新しく出てくるイデオロギーについて言えば、我々はそれを妨げることは出来ないのだから、それ をなんとか迂回して、新しい習慣や利益が発達することで、それらがいつの間にか希釈されるように しなければならない。我々の目的は、潜在的あるいは表面化している[各国間の]論争や対立を呼ぶ 事項に触れることを極力避けながら、協力のための活動や機会が可能な限り高い水準になるよう呼び かけることにある」(同上:p 23)。
では、そのような活動を可能にする機能的な組織とはどのようなものとなるのか。これを考える手 がかりとして、ミトラニーは「平和的変更」と「国家の平等性」という
2
つの問題を指摘する。ミトラニーが述べる平和的変更とは「国内で行われることを国際的に行う」(同上:p 26)、すなわ ち「共通の活動と共通の行政機関の自然な発展で、国境を無意味なものとしてしまう」(同上:
p 27)ことを意味する。それは、「国際的な活動がますます外務省や外交官の手から離れ」(同上)、
「多くの領域において、国家間のアレンジメントは、政治的・外交的な検閲の複雑なネットワークを 通さずに、各国家の技術官庁を代表する技術専門官(technical experts)によって参加される会議で直 接的に取り決められ、発展させられていく」(同上)ことを含意する。
「国家の平等性」に関しては、大国のパワーを尊重するか、小国も含めた権利の平等か、というジ レンマがある。ミトラニーの処方箋は、前者に与する。「平等性という法的なフィクションの代わり に、特定の機能に関する[国家の]キャパシティや関心における実質的な違いから生じる、明白かつ 実際的な不平等が存在するだろう」(同上:p 28)。すなわち、ある分野で他国よりも実際的に劣って いたとしても、他分野での優位性を主張することができる、換言すれば、機能の優劣に応じた「国家 の平等性」をミトラニーは唱える。そうすることで、「リーダーシップが明白な実践的主張に依拠し、
実際的な利益を伴ったとき、どのような場合においても、リーダーシップは直ちに受け入れられる」
(同上:p 29)のである。そして、「徐々に拡大していくような機能の発展を通じて、また、ニーズに 応じた共通のサービスを供給することを通して、そのシステムは、社会状況の接近と、いかなる立憲 的な装置よりも上手く、緊密な政治的アソシエーションのための強固な基礎をやがては打ち立てるだ ろうという展望を生み出すだろう」(同上:p 30)と述べている。
とはいえ、各々の状況を過度に阻害することなく、諸国家の共通の利益をひとつにまとめるために は、どうすればよいのか(同上:p 31)、換言すれば、「広範囲にわたる国際的な活動の機能的な組織 はどのようなものとなるのか」(同上:pp 32-33)。というのも「すべての利益が諸国家にとって共通 なわけでも、共通の利益が諸国家にとって同程度の関心事なわけでもない」(同上:p 32)ためであ る。ミトラニーは「その本質、実施される必要のある条件、そしてその時々のニーズに応じて、諸活 動は具体的に選択され、別々に組織されるということが本質的な原則である」(同上:p 33)と回答 する。そして、例えば鉄道と海運のように輸送という点において機能が互いに交差するような場合に は、実践的な判断に基づいて調整されたり、ひとつの管理下に置かれたりする(同上)。そのような、
例えば経済、社会、文化などに関する機能別の組織もまたプラクティカルであるために、「構造や目 的に応じて多様であり変化し続けるのであり、[国家による]委任は機能に従う」(同上:p 34)こと になる。総括的に言えば、「機能は、その適切な活動に適合的な執行の手段を決定し、同様のプロセ スでもって、すべての段階でその手段の改革が、必要な時になされる」(同上:p 35)のである。
こうして様々な機能別組織が想定され得るが、「その様々な組織は、どうのようにして、また、ど
の程度、互いに繋がる必要があるのか、また、より複雑な組織の一部として統合されるのか」(同上)。
一貫して実践的(practical)であることを意識したミトラニーの答えは、「協働することが必要で有用 であるなら、その可能性を排除しない」(同上)と簡潔である。しかし、どのような大きさの機能別 組織、あるいは、さらにそれら複数の組織同士を調整するような上位機関であっても、その政策の監 視は「様々な国家の議会から比例代表によって選出される、連盟総会や
ILO
の総会のような、代表 団体によって定期的に行われ」(同上:p 37)、「全ての国家が意見を表明することが出来るそのよう な総会では、世論の表明としての一般的な政策[の方向性]を自由に討議する」(同上)に留まる。というのも、「実際には政策を処方することはできないだろうし、政府政策との不和を生じさせるこ とになる」(同上)と考えられる。「そのような総会によって提示されたいかなる政策も、様々な国家 自身の政策形成過程を通して進められ、保証される」(同上)。また、このように機能に関心を寄せる ことは、国際社会において「トラブルを引き起こした国からサービスの供給を差し控えることによっ て、侵攻の脅威に対する最初の適切かつ効果的な行動をとることができる」(同上:p 38)というこ ともまた意味するのである。そのような制裁は、従って、「政治的な行動(action)によって引き起こ される政治的な反応(reaction)を少なくさせる」(同上)ことができるのである。
では、そのような機能の供給を担う機能別組織を統制(control)する代表はどのようなものである と構想されるのか。ここでは先ほど「国家の平等性」として議論したことの処方箋がやや具体的な形 で論じられている。まず、「理想的には、すべての機能は世界的な規模で組織され、すべての国家が 統制において声を上げることができるべきである」(同上)。しかし、どの国家が主として統制するの かは、当該組織の業績(performance)を満たす国家の明白なキャパシティによって正当化される必 要がある(同上:p 39)。その業績とは、「[例えば]定期的なバランスシートを用いた、より定義的 で、より検査に適合的な、実践的で計測可能なものとなるだろう」(同上)。しかし、このことは決し てパワーを無視した議論ではなく、むしろ「ある人にとっては、ここで提示しているアイディアは、
パワーへの服従として映るだろう」(同上:p 40)。すなわち、ミトラニーは、各機関において、職員 に関する割り当てから(決して中立的とは言えない)出身国グループが形成されるであろうことも容 認するし ―
最終的には、「機能的組織が、これ以上、資金の貢献ではなく、仕事に対するマネー
ジャーとしてのキャパシティに基づいた純粋に技術的な形のマネジメントへと徐々になっていくこと、すなわち、非代表制の平等」(同上:pp 40-41)を望む声を取り上げる一方で ―「資金の貢献が不平 等であるならば、その種[=統制に関する権限]の不平等は避けられない」(同上)ことも認める。
国家の平等性について付言しておけば、もしそれが法的原則に基づいていればどうか。「いかなる 効果的な行動も再び阻害されるだろう ―
大国はどこまで、彼らの資本と資源などを多数決によって
処理することを許すだろうか?―あるいは、もしそのような決定がなされたとすれば、大国はその
諸問題を自らの手で処理しようと思うだろう」(同上:p 41)。「この種[=法的原則に基づく平等性]の不平等性は、政治的であるがゆえに、その目的と手段において、コントロールし難いものである」
(同上:p 42)、との見解をミトラニーは述べている。
(4)機能的行動を通じた国際社会への道
ミトラニーによれば、機能的なアプローチには「自然な選択(natural selection)」(同上)という特 徴が備わっているという。簡潔に言ってしまえば、あらゆる機能的な組織への出入りは自由であると いうことに他ならない。例えば政治的なことなど、何らかの理由によってある機能的な国際組織から
「あるメンバーが離脱したとしても、セクショナルな連邦制とは異なり、その存在が危険にさらされ はしない」(同上:p 43)。なぜなら、「もし離脱した(諸)メンバーが、ある活動において枢要な役 割を担っているというようなことがあったら、その結果は深刻ではあるが、たとえそうでも、その影 響を受けた特定の機能だけが危険にさらされるのであり、他の機能は存続する」(同上)からである。
これが連邦制であれば、何らかの不満から生じた離脱は、連邦制そのものからの離脱を意味し、その 存続自体が危機に陥ってしまうが、機能的組織であればそれを防ぐことができる。それは「日本が国 際連盟から離脱したが
ILO
には留まったように、ある機能から抜けて、ある機能で存続することが できる」(同上)のである。逆に言えば、機能不全に陥った「機能を復旧させ、政治的な大混乱なし にメンバーは復帰することができる」(同上)。こうして権威(authority)は政治的なものとして確立 されるのではなく、「共通の職務のパフォーマンスから生じ、また、それによって条件付けられる」(同上:p 44)ものとして存在することになる。
“A Working Peace System”は
1943
年に出版されたが、その著書の最後では、戦後に向けた課題を提 示する。「我々が直面している課題は、平時における共通の利益という現実をいかに打ち立てていく かにある」(同上:p 51)。これまで論じてきた機能的なアプローチは、「決して簡単とは言えないが、その難しさというのは、新しい組織を創設するというまさにその行動から生じる政治的難しさではな く、克服することが望まれる全体として機械的な(mechanical)難しさ」(同上:p 52)なのである。
しかし、これを克服したとき、「この方法だけが唯一、紛争後にまで引き続き敵味方を区別すること による、いわゆる和平調停(peace settlement)における国際関係へのダメージを和らげ得る」(同 上:p 53)。すなわち、政治的・軍事的な敵対者も相互に裨益する機能的な活動を一緒にやっていく ことができる(同上)。また、機能的アプローチは「社会安全保障(social security)」(同上)にとっ ても重要で、「すべての新しい活動は、欠乏と恐怖からの自由の達成に貢献する」(同上)。
このようにしてミトラニーは、冒頭の問い、すなわち、平和構築のための国際システムはどのよう なものであるべきか、いかにして平和的変更は可能か、という問いに対して、機能的アプローチとい う回答を突き付けたのである。
2.機能主義に関する先行研究
では、このミトラニーの機能主義に関してはどのような評価が下されてきたのか。ミトラニーの議 論の論理構造は、①
A Working Peace System
での主テーマであった「平和的変更」を達成するために、②その前提条件として、機能的な国際機構を適切に運営することが必要であるという、①目的、②手 段、の構造になっている。従って、機能主義に対する批判も、「平和的変更」に対する批判と、「機能 的な国際組織の運営」に対する批判が行われることになる。
(1)「平和的変更」への批判
第一の ―
そして最もクリティカルな
―ものとして、ミトラニーが主張するところのサービスの
供給を通じた相互依存が、どの時点で平和をもたらすのか、という批判がある。山田は「機能的な協力なり統制の進展が、『なぜ』あるいは『どのように』平和の確保、あるいは、
戦争の回避につながるのか、という点については、1943年当時点においては深い議論は為されてい ないといわざるを得ない」(山田
2016:p 76)と述べている。より具体的には、「相互依存を高めれば
それを暴力的に切断しようとする国は減るというが、どこまで行けば『後戻りできぬほど』網の目に 組み込まれたと言えるようになるのか」(最上2016:p 333)、逆に言えば、「どの程度までなら網絡過
程(enmeshment process)7)は後戻り可能なのか」(Taylor 1978:p 250)。
いや、そもそも、ミトラニーは平和の条件に「共通の利益」の促進を据えているが、「戦争の原因、
あるいは、平和の条件についての分析は決着のついていない問題であり、機能的アプローチが支持す る前提は、確立された真実ではなく、仮説であるとみなされるべきだ」(Claude 1971:p 388)とも言 えるのではなかろうか。
しかし、ここで、本稿の目的を改めて確認しておけば、それは、機能主義が「平和的変更」へのア プローチ足り得るかという点にあるのではない。本稿の目的に照らした主眼は、次の
2
点目の批判で あるところの「機能的な国際組織」はいかにして可能か、ということをユネスコの事例に即して検討 することにある。「平和的変更」の文脈に即して言うと、その変更が成功裏に成し遂げられるとすれ ば、少なくとも、国際的に財やサービスを供給する「機能的な国際組織」が適切に機能する限りにお いて、という条件が付くだろう。換言すれば、「平和的変更」の前提条件としての「機能的な国際組 織の適切な運営」の条件を探ることが必要となってくる。従って、ここでは「平和的変更」に関する批判をこれまでに留め、以下では、「機能的な国際組 織」に関する批判について見ていく。
(2)「機能的な国際組織」への批判
山田は「機能的な国際組織の内部においても加盟国間の意見の不一致や代表制を巡る対立はあり得
るし、それが高じて戦争につながる可能性は排除できない」(山田
2016:p 76)と指摘する。また最
上も「かりに機能主義が地域的に(限定数の国家間で)働きうるとしても、相互に異質性の高い大多 数の国家を含む普遍的な場(すなわち世界全体)で働きうるのかどうかも定かではない」(最上2016:p 333)と同様の見解を述べている。
このような懸念を
Luard
はより具体的に提示した。1983年当時の論考において、①東西の対立、②南北の対立、③機構とは無縁な政治的論争、を減らし、④効果的な国連ファミリー間での調整を向 上させることが、国連ファミリーの機能的な働きをより効果的なものにすると述べ、それは翻って、
国際機構が機能主義者の想定するような「政治的なものの機構からの排除」が、少なくとも経験的に、
決して実現しては来なかったことの指摘でもある(Luard 1983:pp 678-680)。すなわち「専門機関で 達したいくつかの決定は、本質的に政治的で、政治が一般的には持ち込まれずにいることが可能だと 望むことは浅はかだ」(同上:p 680)というのである。換言すれば、「機能主義者の主張は、『政治』
を理解し始めることに失敗しているために、現在の国際機構の起源と状況を説明するための十分な基 礎を供給できずにいる」(Sewell 1966:p 45)。
また、現在にまで様々な国際機構が設立されてきたが、ミトラニーは、財やサービスの種類によっ て、適切な組織形態が決定されると述べるものの、「その詳細の程度については幾分不明瞭である」
(Taylor 1978:p 240)。
すなわち、ミトラニーの「機能的な国際組織」という構想に対しては、国際組織内での加盟国間の 対立を回避し、政治的なものを排除することは不可能であり、また、そもそもどのような国際組織が 適切かということ自体に具体的な処方箋がない、という批判がこれまでに寄せられてきたのである。
3.規範理論としての「機能的な国際組織」
確かに、本稿で取り上げるユネスコをはじめとして、国際機構内での加盟国間の対立はしばしば見 られ、多分に政治的でもある。では、機能主義はそのような批判にどのように反駁するのか。機能主 義は無意味なのか。
Taylorも、「政治から福祉(筆者注:非政治的なもの)を切り離すことは完全に非現実的である」
(同上:p 247)、すなわち、「機能主義者による力と福祉、あるいは、ハイポリティクスとローポリ ティクス間の関係に関する主張が十分に注意深いものではなかったことはおそらく事実である」(同 上)ということは認めている。しかし、「機能主義者に対するそのような批判はそれ自体あまりにも ぶっきらぼうで、強情なほどに理解しようとしないものである」(同上)。すなわち、「本質的に、あ るいは、完全に『非政治的』であることが可能な領域はないが、専門家間のさらなる合意に関連させ、
特定の問題をハイポリティクスの領域から取り除くよう引き付けるという意味において論争的な問題 せしめることは可能である」(同上)と
Taylor
は言う。結局のところ、どこまでなら「政治的なもの」を排除し、可能な限り技術的・専門的な分野での活 動に注力できるのか、完全に「政治的なもの」と「非政治的なもの」を分離することはできなかった としても、「ある程度までは」それが可能であり、そうすることが望ましいとするなら、「ある程度」
とはどの程度なのか、ということが問題となる。換言すれば、機能主義者が想定するような「完全な 分離」と、機能主義への批判としての「政治的なものの回避は不可能」という主張のどちらにも与す ることなく、実際にはその間が問題となる国際組織において、「適切な運営」とは如何なるものか、
ということが問われなければならない。少なくとも、「政治的な問題が行政上の事柄として扱われう ると想定する点で、ミトラニーは間違っていなかった」(コーネリア
2002:p 259)のである。
そもそもミトラニー自身も、前述してきたように、政治的なものを完全に排除することはできない ことを前提として、①外交官ではなく、技術専門官が参加する会議が行われ、②「国家の平等性」
は ―
機能の充足において資金供給的な貢献が不平等を生むことを容認するという意味を含め
―各
機能に対する国家のキャパシティの優劣に応じたものとなり、③機能的な組織への出入りは自由であ り、④総会では加盟国によって一般的な政策の方向性が議論される、という国際機構のあり方を提唱 している。
これまで国際機構が置かれてきた状況を、そしてまた上述した批判を振り返るに、確かに、―
以
下で見るユネスコが政治化してきたというように ―機能主義は経験的に否定される要素が多いかも
しれない。しかし、これまでの国際機構、そしてこれから見ていくユネスコは、ミトラニーが提唱し た「機能的な国際組織」の要件を必ずしも備えてきたわけではない。換言すれば、ミトラニーの機能 主義が「規範理論」ないし「指示的理論」(Tooze 1977:p 211)(中沢2016:p 104)と呼ばれるよう
に、機能主義を規範理論として見ることによって国際組織の失敗を解釈するとき、「なぜ国際組織は 失敗するのか」ということについての一端を示すことができるのではないか。そこで次章では、米英 のユネスコ脱退の経緯とその理由、そしてそれに関する先行研究について整理する。第
2
章 米英のユネスコ脱退1.米英脱退の経緯とその理由
1983年
12
月28
日、ユネスコのムボウ(Amadou-Mahtar MʼBow)事務局長に向けてアメリカのシュ ルツ(George P. Shultz)国務長官は、ユネスコ憲章第2
条6
項8)に基づき、アメリカがユネスコから
正式に脱退する旨の通告を行った。当該通告では、ユネスコが「ユネスコの政策の傾向・イデオロ ギー的強調・予算及びマネジメントがユネスコの有効性を損ねてきた。我々はユネスコがユネスコ憲 章の当初の目的から逸脱している傾向にあると信じている。我々はユネスコがその国際的な使命より はむしろ加盟国の政治的な目的に資していると感じている」(UNESCO 1984a:Annex I)と述べられていた。これに対してムボウ事務局長は翌
1984
年1
月18
日にアメリカの通告に対する返事を出し、直近の執行委員会(Executive Board)9)
の議題として取り上げたい旨を述べた(同上:Annex II)。同
年4
月には、アメリカはシュルツ国務長官への諮問機関として「ユネスコに関する監視委員会(Monitoring Panel on UNESCO)」を設置し、1984年のユネスコの活動状況をモニタリングする役目を 担った。
このアメリカの動きに同調したのがイギリスであった。イギリスの脱退へ向けた動きは、同年
4
月2
日付でレイソン海外開発大臣(Timothy Raison, Minister for Overseas Development)がユネスコに対 して送付した書簡に始まる。その書簡では、①特定のプログラムに関する問題、②統治機構、③予算 の問題、④プログラム一般に関する問題、⑤評価、⑥その他のマネジメントに関する問題、⑦第三次 中期計画、という7
項目に関する改善要求をユネスコに突き付けた(UNESCO 1984b:Annex IIpp 4-7)。そして、これらの諸点が「その実際において本当の改善が見られない限り、我々がユネス
コに加盟国として留まることを正当化することはますます困難になってくるだろう」(同上:AnnexII p 3)と述べている。
こうしたやり取りの後、同年
5
月9
日から24
日にかけて第119
回執行委員会が開催され、当然の ことながら米英の脱退についての審議が行われた。ユネスコは、イギリスから突き付けられた改善要 求に対して応答するとともに 10)、ムボウ事務局長はアメリカ議会の要請に応じ、アメリカ会計監査院(General Accounting Office:以下
GAO)のユネスコ立ち入り検査を認め、協力するとの意向を示した
(UNESCO 1984d:p 15)。
その報告結果(以下
GAO
レポート)が同年11
月30
日に公開された。これはユネスコのマネジメ ント体制批判におけるアメリカ側の意見が集約された文書であり、脱退理由がより詳細に述べられて いる。GAOレポートでは、初めに主な脱退理由として4
つのことを列挙し、次いでGAO
レポート がユネスコにおける5
つの分野について検討することを宣言している。すなわち、脱退理由として、①ユネスコはユネスコ憲章の範囲を超えて政治的イシューに関わるようになった、②ユネスコはユネ スコの各種のプログラムに個々人よりはむしろ国家の権利を強調する国家主義者の概念を取り入れた、
③ユネスコは際限なく予算を膨張させてきた、④ユネスコは人事・プログラム・財政活動を適切に運 営してこなかった、と述べ、検討分野として、①包括的なマネジメント構造、とりわけ、どのように
[意思]決定がなされているのか、②人事システム、とりわけ被雇用者の略歴と採用手続、③ユネス コがどのようにユネスコの活動を計画、調整、評価するのかを定めているプログラム・マネジメント、
④予算の作成と公表、⑤委員会 11)
が関心を寄せる支出のコントロールと特定の財政の移転、を挙げ
た(United States, General Accounting Office 1984:p i)。GAOは総合的な所見として「事務局と加盟国 はユネスコのマネジメントを向上させるために取るべきいくつかのステップがある」(同上:p xi)とまとめている。
GAOレポートが公表される
3
日前の11
月27
日付で、先述した「ユネスコに関する監視委員会」の最終報告書が公開されており、そこでも「アメリカの基本的な関心についての進展はなかった」と 否定的な見解が述べられた 12)。
こうして、アメリカ脱退の期日であった
1984
年12
月31
日を迎え、結局アメリカはユネスコ脱退 を撤回することなく、通告通りにユネスコを去ることとなった。イギリスの脱退通告は、GAOレポートの公開から
5
日後の同年12
月5
日に、イギリスのハウ(Geoffrey Howe)外相からムボウ事務局長に宛てた書簡で行われた 13)。そこでは、翌
1985
年10
月8
日から11
月9
日にかけて行われる第23
回ユネスコ総会で、改善が見られない場合には脱退が避けら れない旨が述べられた。第23
回総会に付す勧告やプログラム予算案の審議が、第121
回執行委員会(1985年
5
月9
日-6月21
日)で行われた。そこでの案はイギリスからしても「妥当なバランス」を 持っているとの所感が表明されるものとなっていた。そうしたなか、例えば、翌
1985
年7
月8
日には、レイソン大臣が「英国をユネスコに留めるため の委員会(To keep Britain in Unesco Committee)」において、イギリスのユネスコ残留のためには、① プログラムの改善、②政治化傾向の是正、③一層の節約、管理・運営の改善、が必要であることを改 めて述べている。そして、イギリスの言動が注目された第
23
回ユネスコ総会では、イギリスは一転、総会に上梓さ れた勧告やプログラム案について、大幅な追加修正案を提出した。これを実現することにかなりの程 度成功したものの、結局、脱退通告からちょうど1
年後の1985
年12
月5
日に開催された英政府関係 閣僚会議において、ユネスコ脱退が正式に決定された。レイソン大臣によるこの決定に関する声明は ユネスコの問題点として、①過度の政治化(ユネスコは本来支持すべき価値への攻撃の場に利用され てきた)、②非効率な管理・運営、③事業の上での問題(意味の乏しい研究調査活動、他の諸機関と の重複、事業設定の際の適切な判断の欠如)、④職員管理上の欠陥、⑤予算及び職員のパリ本部への 集中、を挙げた。こうして、アメリカ脱退から
1
年後の1985
年12
月31
日、イギリスもまた脱退を撤回することな く、ユネスコを去ることとなった。以上の経緯から、米英両者は大別して、①ユネスコの政治化、②ユネスコのミスマネジメント、を 脱退理由として挙げていることが分かる。しかしながら、特にアメリカの場合には、脱退に遡って、
ユネスコとの間に多くの軋轢が生じていた。
2.脱退以前のアメリカとユネスコの関係
戦後の東西冷戦下にあって、米ソはユネスコ内において、平和・軍縮を巡って対立していた。ソ連 は、「ユネスコは平和・軍縮・反核の教育や世論喚起の活動を強化・推進すべきである」(野口
1996:p 85)と主張し、決議案を次々と総会に上程した。アメリカは「ユネスコの基本的使命は、平
和・軍縮問題そのものを直接的に取り上げることでなく、あくまで教育・科学・文化の諸事業を通じ て、諸国民の福祉と相互理解を増進し、これによって永続的な平和を築く努力を積み重ねることであ る」(同上:pp 85-86)と反論した。また、ムボウ事務局長が就任した
1974
年には、エルサレムの遺跡保存や占領地域での教育問題な どを巡ってユネスコ内ではイスラエル非難の機運が高まった(Imber 1989:p 103)。そしてユネスコ がイスラエル非難決議を採択したことに対して、イスラエルとの事実上の同盟関係にあったアメリカ は、1974年には対外援助法(Public Law 93-559)を修正し、ユネスコに対する分担金の支払いを一 時的に停止した(同上:p 104)14)。さらに、アフリカの年と呼ばれる
1960
年以降、多くのアフリカ諸国がユネスコ加盟を果たしたが、これら諸国は
1970
年代には西側でも東側でもない第三世界としてユネスコ内で多大な影響力を持つ ようになっていた。世界銀行や国際通貨基金(IMF:International Monetary Fund)が、分担金比率な どに比例した議決権を有する加重投票制を採用しているのと対照的に、一国一票制を採用しているユ ネスコでは、アフリカの数の力は有利に働き、アメリカとの軋轢が生じ始めていた。それを象徴する出来事が「諸人民の権利(right of peoples)」と「新世界情報コミュニケーション秩 序(以下
NWICO:A New World Information and Communication Order)」を巡るユネスコ内での一連の
騒動である。「諸人民の権利」はユネスコのプログラム策定においてアジェンダ化され、西欧諸国は「これをうたうことが、国家や集団の名の下に個人の基本的人権を侵害することに利用されかねな い」(野口
1996:pp 89-90)との懸念を示した。他方、アフリカ・ソ連・東欧諸国は、例えば「パレ
スチナ民族への迫害、かつてのユダヤ人への迫害、南アのアパルトヘイト政策等に言及し、これらは 個々人の権利侵害としてとらえるべき問題ではなく、集団としての人権侵害のケースである」(同 上:p 90)と主張した。NWICOは、「元来、西側諸国によって支配的にコントロールされているグローバルなニュース・
メディア(例えば、UPI、Reuters、APF、BBCなど)では、第三世界諸国のニュースの取り扱いに関 してその量と質に懸念がある」(Imber 1989:p 105)との認識に基づき、情報フローのギャップを埋 めようという趣旨から端を発したものであった。1978年には「ユネスコ・マスメディア宣言」15)
が採
択されたが、これが「アメリカをはじめとするいくつかの西側諸国に、言論の自由に対する統制を示 唆している」(同上)との懸念を生じせしめた 16)。NWICOについての議論が盛り上がりを見せる中で、ユネスコが第三世界と結びついた運営を進め ているということと、NWICOが報道の自由を制限するという理由などによって、1982年にアメリカ は、1982年及び
1983
年度の国務省権限法案(The Department of State Authorization Bill:Public Law97-241)を修正し、ユネスコへの予算配分を停止しようとした
17)。このように、ユネスコとアメリカの衝突は
1960
年代末頃から幾度となく発生し、最終的にアメリ カがユネスコから脱退する直前まで断続的に続いていた。その一方で、ユネスコのマネジメント体制 に対する批判は脱退の直前まで、平和・軍縮を巡るアジェンダ、イスラエル非難決議、諸人民の権利、マスメディア宣言への反発ほどに強烈なものではなかった。少なくとも、公然と語られることはな かった。この事実は、アメリカのユネスコ脱退の原因がただ単に政治的反発だけでなかったことを示 唆しているのではなかろうか。
3.米英はなぜ脱退したか?
―主たる 2
つの見解アメリカ脱退の経緯及びアメリカが提示した脱退理由や、脱退以前の背景に際し、多くの先行研究 では、アメリカの「いらだち」を脱退の主たる要因として挙げている。すなわち、例えば、斉藤は
「アメリカのユネスコ批判はユネスコの政治化、少数派グループに対する配慮の欠如、自由制度に対 する攻撃の三つに帰すると言え、予算の無制限の膨張、ミスマネジメントも挙げられているが、それ らは重要ではあるが前記三つほど基本的ではない」(斉藤
1985:p 1)と述べている。また、最上は
「行財政面に積年の問題があることはつとに指摘されてきた……(中略)……それが脱退の主たる理 由とは考えにくい」(最上
1987:p 145)と同様の見解を述べている。あるいは脱退騒動当時のユネス
コの職員であった野口は「米国の場合、やはり(筆者注:先述してきたような)積年の不満、いら立 ちの表明であったと考えるのが適当である」(野口1996:p 102)と結論付けている。これらの論者は
国際政治、国際機構、外交といった国際関係論を学問的バックグラウンドとしており、それだけに、ユネスコの政治的「偏向」に主要な関心を寄せているように思われる。
だが、例えば、米英脱退後の
1987
年の著作でBeigbeder
が「明らかにユネスコには実際のマネジ メントに関する問題が存在する」(Beigbeder 1987:p 37)と論じ、アメリカとイギリスが復帰した当 時にユネスコ事務局長を務めていた松浦が「就任以前のユネスコの実施運営体制には多くの問題点が あり、その改革を成し遂げたことが大国復帰の要因であった」(松浦2011:p 15)と述べていること
からも推量されるように、後者の組織マネジメントのあり方もまた前者と同程度に重要な ―いや、
ことによると、より一層重要な ―
脱退の要因であったのではなかろうか。
というのも、米英が脱退した
1984
年という時期には、アメリカがレーガン大統領、イギリスが サッチャー首相と、それぞれがいわゆる「新自由主義」を標榜し、行政マネジメントにおいても重要 な改革に着手していたという国内的な背景があった。1981年1
月20
日に就任したレーガン大統領は、同年
2
月17
日に「大統領令12291」(Executive Order 12291)を発令し、これによって、アメリカの
行政機関は規制政策の導入・実施に先立って費用便益分析を行うことを義務付けられた 18)。また、NPM(New Public Management)の導入に象徴されるように、サッチャー政府に堅持された公務員制
管理政策の基調は、全公務員の「コスト意識」(cost-consciousness)と「出費に見合った成果」(valuefor money)の強調であった(山崎 1990:p 56)。これら両国の国内的背景に鑑みるに、ユネスコのミ
スマネジメントという脱退に際する主張は、決して受け入れ難いものではない。しかし、このような米英脱退の
2
つの要因については、どちらかということではなく、国際政治的 な要因とユネスコのミスマネジメント(ないしガバナンスの欠如)の両方が作用した結果であると考 えられる。そしてまた本稿も、このどちらが脱退の要因として重要であったかということに決着を求 めることを目的としているのではない。第3
章では、本稿の目的に照らし、第2
章で扱ったこの米英 脱退という「ユネスコの失敗」を、第1
章で検討したミトラニーの機能主義の観点から解釈していく。第
3
章 ユネスコはなぜ失敗したのか?1.ユネスコ失敗の機能主義的解釈
ここで改めて、ミトラニーの提示した機能主義的な国際組織の特徴を確認しておくと、①外交官で はなく、技術専門官が参加する会議が行われ、②「国家の平等性」は ―
機能の充足において資金供
給的な貢献が不平等を生むことを容認するという意味を含め ―各機能に対する国家のキャパシティ
の優劣に応じたものとなり、③機能的な組織への出入りは自由であり、④総会では加盟国によって一 般的な政策の方向性が議論される、というものである。この機能主義の特徴から、ユネスコを概観すると、①ユネスコは、無論、国際公務員によって日常 的な運営がなされるが、事務局長は選挙によって選ばれる。また、ユネスコ活動のプログラム予算を 承認する総会や、事務局の活動を監視する執行委員会は、加盟国によって構成される。従って、必ず しも技術的な専門家によって代表される組織として運営されるわけではなく、そこにおいて、政治性 を完全に排除することはできないだろう。
②ミトラニーの定式化に従うのであれば、当時において予算の多くを拠出しており、米英がユネス コの担う機能を満たすキャパシティが、相対的に他国に比べて高いと考えられる以上、米英は他国よ りもある程度の優越性をもって迎えられるべきであるが、ユネスコでは一国一票制を採用しており、
米英の地位は他国に優越しない 19)。
③アメリカはシュルツ国務長官の脱退通告において、自国の国益にそぐわないと述べていた。第
119
回執行委員会で、アメリカはその際に用いられた「国益」は「国際協力の促進、経済社会発展の ための多大なサポート、そして公正で持続する平和を生じせしめるために可能なすべてのことを行う ための揺るぎない決心を含むものである」(UNESCO 1984d:pp 137-138)と弁明している。しかし、そのようなエクスキューズを行うまでもなく、「国益にそぐわない」という言辞は、大国と小国の発 言権の相違を自明とする機能主義的観点からして、十分に正当化される。もし、アメリカを国際機構 に留めようとするならば、ユネスコはアメリカの意見に真剣に耳を傾けなければならなかった 20)。米
英脱退は、ミトラニーの機能主義的な観点からすると、自由に退出を行ったに過ぎない。
④ユネスコ総会では、2か年のプログラム予算(Programme and Budget)21)
を巡って議論が行われる。
プログラム予算は、事務局(国際公務員)が原案を作成し、執行委員会を通して内容が修正され、最 終的に総会に提出する予算案が決定される。ミトラニーによれば、ここでは政策の一般的な方向性が 議論されるべきであるが、ユネスコでは実際に具体的な政策は事務局によって形成・実施され、総会 では政策の方針について議論がなされる。
最後の④を除いては、ユネスコは機能主義が想定する特徴を必ずしも十全に備えてはいなかったこ とが分かる。次節では、機能主義の最大の特徴であり、かつ、しばしば批判が寄せられるところの
「政治的なもの」の排除という観点から、より具体的に米英の脱退を考察する。
2.「政治的なもの」の排除の失敗
「政治的なもの」を可能な限り除去することに失敗するということは、①(場合によっては不必要 な)「政治的マター」を組織内に持ち込んでしまうこと、②「政治的マター」を「行政的マター」と して取り扱うことに失敗するということ、③「行政的マター」が「政治的マター」に転換されてしま うこと、を意味する。
アメリカが脱退する以前にユネスコ内で抱えていたソ連ないし第三世界諸国との対立、すなわち、
平和・軍縮を巡るアジェンダ、イスラエル非難決議、諸人民の権利、マスメディア宣言は、明らかに、
①「政治的マター」の組織内への持ち込みであった。しかし、例えば平和・軍縮を巡るアジェンダが 必ずしも不必要な「政治的マター」であったかと言えば、そうとも言えない。というのも、「だれし も平和に反対し軍縮そのものに反対することはできな」(野口
1996:p 85)いためである。
従って、ユネスコが行わなければならない対応は、このようにして持ち込まれた②「政治的マ ター」を「行政的マター」として転換せしめることにあった。しかし、ここに機能主義の想定との齟 齬が生じる。すなわち、機能主義的な「国家の平等性」に従い、アメリカという大国の利益を優先す るのであれば、イスラエルのエルサレムの文化遺産発掘事業に伴うそれらの破壊行為に対する非難決 議の採択のような行動は差し控えられるべきであった。しかし、それは、国際機構が担う「規範創 出」という機能を放棄するということでもある。ミトラニーの議論の「政治的なものの排除」から導 かれる最たる特徴は、国際機構が国際的な規範を創出するという役割を ―
領域によっては「政治
的」であるのだから ―担うべきではないという結果を招く、という点にある。本稿でこの難題に立
ち入ることはかなわないが、少なくとも機能主義の「国家の平等性」原則に即せば、ユネスコは「政 治的マター」を「行政的マター」として処理することに失敗したと言えるのである。逆に、諸人民の権利やマスメディア宣言に関する「主要な決議案などは、すべて西欧を含めてのコ ンセンサスで採択されてきた」(同上:p 88)のであり、「行政的マター」への転換に成功したと言え
る。しかし、にも関わらず、アメリカによって脱退理由として取り上げられることで、政治的マター として浮上してしまった。すなわち、③「行政的マター」として穏健に処理することが可能であった ものを「政治的マター」として取り上げられてしまったと言えるだろう。
以上のように、「基本的に『南北』の問題であることが『東西』の対立の場に入り込んだように思 われ、そこにおいてユネスコはそれらを阻止することに、ほとんど、あるいは全く、リーダーシップ を発揮することが出来なかった」(Sack 1986:p 114)。換言すれば、1980年代におけるユネスコの状 況は、ミトラニーが
“A Working Peace System”
において述べた「政治的なもの」の排除という「機能 的な国際組織」の特徴を満たすことはできなかった。従って、ユネスコからの米英脱退は、機能主義 的な要件を具備することのできなかったユネスコの失敗とみなすことができる。おわりに
これまでの議論から、1980年代における米英の脱退としてのユネスコの失敗は、機能主義が要求 する要件を満たしていないことから生じたもの、特に「政治的マター」を「行政的マター」として処 理することに失敗したものであると結論付けることができる。
本稿の議論の過程で明らかとなったいま一つの重要な点として、機能主義の不徹底としての「ユネ スコの失敗」は確かにあったが、反面、国連全体の枠組みから見れば「機能主義の成功」という側面 があったことには言及しておくべきである。なぜなら、ミトラニーは各国が自身の関心に応じて「あ る機能から抜けて、ある機能で存続することができる」と述べていたように、米英は、ユネスコの担 う機能からは脱退したが、その他の国際機構の担う機能からは必ずしも脱退していないからである 22)。 本稿では、以上の諸点を明らかにしてきたが、規範理論としての機能主義の有効性をさらに検証す るためには、米英のユネスコ復帰のプロセスを併せて検証する必要がある 23)。換言すれば、本稿で結 論付けたように、米英脱退が「政治的マター」を「行政的マター」に転換できなかったという失敗に 起因するものであるならば、米英のユネスコ復帰は「政治的マター」を「行政的マター」に転換する ことに成功したものであったのか、これを検証せねばならない。このことを検証することは、国際機 構がどの程度、イニシアティブを取ることができるのかということに答えることでもある。
さらに、再び
Taylor
の指摘を思い起こせば、どのような組織形態が機能的組織として適切である のかということについて、ミトラニーは多くを語っていない。しかし、米英によるユネスコの「ミス マネジメント」という指摘は、行政的マターを適切に処理することのできる機能的組織とはいかなる ものであるかという、避けては通れない問題を惹起させた。すなわち、米英が脱退理由として挙げた「ミスマネジメント」とは、ユネスコの「行政的マター」を処理する能力が低いとの指摘であった。
「政治的マター」を「行政的マター」に上手く転換できたとして、当該「行政的マター」を滞りなく