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説明的文章指導を総合学習指導に発展 させてい くについての試案

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説明的文章指導を総合学習指導に発展 させてい くについての試案

阿 部

ATentativePlantoExpandtheGuidanceof ExplanatorySentencesintothatofGeneralLearning

Noboru ABE

Theaim ofthisstudyistopresentatentativeplantoexpandtheguidanceofexplanatorysen‑

tencesinJapaaneseeducationintothatofgenerallearning.Inthispaper,firstofall,Ireferredtoan outlineofhow todoit,reviewingwhattheguidanceofexplanatorysentencesshouldbeinJapanese education.Andnext,Ipresentedatentativeplantopracticeit,introducingteachingmaterialssuchas textbooks.

Astoatentativeplan,Ipresentedthreedifferenttypesofplans.Thefirstplanistosynthesizethe guidanceofexplanatorysentencesandthatofscience,TSingteachingmaterialsofJapanese・Thesecl ondplanistosynthesizetheguidanceofexplanatorysentencesandthatofscience,usingteachingma‑

terialsofscience.Thethirdplanistosynthesizetheguidanceofexplanatorysentencesandthatof socialstudies,usingteachingmaterialsofsocialstudies(history).

1. は じめに

本研究 は,国語科の説明的文章指導を総合学習指導 に 発展 させてい くについての試案 を示そ うとす るものであ る。 は じめに今 までの国語科教育 における説明的文章指 導 のあ り方を振 り返 りつつ,説明的文章指導をどういっ た形で総合学習指導 に発展 させていけるかについて総論 を述べ る。次 いで,教科書教材を具体的に取 り上 げなが

ら, その実践試案を示す。

2.説明的文章指導の二つの陥穿

形式主義

「内容主義」

国語科 の説明的文章指導 においては,「形式主義」 と

「内容主義」 とい う二つの問題が存在 している。「形式主 義」 とは, その文章 の内容 に深 く立 ち入 ることな く段落 の関係や文 の関係のみを, いわば操作主義的に読 ませて い くとい った指導のあ り方である。一方 「内容主義」は, その文章 の書かれ方‑ 語嚢 ・表現,論理等 にほとん ど 分 け入 らないままに,文章 の内容 だけを把握 させてい く

とい った指導 のあ り方である。

明治期 の 「読本」 の授業 においては, ほとん どが 「 識」 を身 につ けさせ ること,つまり 「内容主義」的指導 が中心であ った。昭和 に入 り,丸山林平のように科学的

文章読解 は,形式 の力の陶冶を目指 す」 べ きことを主 張す る者 も出て くる (※ 1)。

戦後,説明的文章 の指導 において 「形式主義」 と 「内 容主義」 は,すれ違いっつ様々な形 でずっと続いてきた。

現在で も,主核 ・述核 ・補核を見 つ け る=〉語 核 を並 べ 換え新 たな一文を作 る⇒飾 っ気 をな くす ・他の語 に置 き 換える⇒要約文ので きあが り」 とい った形 で,「要約文 を書 く」 こと自体を自己目的化 してい くような指導が少 なか らず存在す る (2)。一方で 「フロ ンは, どんな ふ うに してオゾンを こわすのか説明 しま しょう

「わた

したちの生活の中で, フロンは, どんな役割 を している ので しょう。」 とい った形で,文章 の内容 その ものを子 どもたちに読 ませてい くような指導 も多 く存在す る ( 3)。前者が 「形式主義,後者が 「内容主義」にあたる。

今後の説明的文章の指導では,形式」 と 「内容」 を 統合 した形で子 ども自身が主体的に文章 を読解で きるよ うになること,そ してそれを通 じて論理的思考力 を身 に つけてい くことが求 め られると考え る。

3.国語科の説明的文章指導における席緒

そ ういった問題を克服 していくために,多 くの研究者 ・ 実践家が様 々な提案を して きた。それ らはそれな りに二

‑ 41‑

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つの問題を止揚す る切 り口とな りえた。

大西忠治の 「構造読み,要約読み,要 旨読み」(4), 渋谷孝 の 「叙述 の在 り方」 によ る 「想像, 類推」 活動 (※5),小田辿夫 の 「ロジック能力」 と 「レ トリックの 感知力」 の統合 (6),藤井囲彦 の 「述べ方読み」 ( 7),などである。 さらには,小松善之助 の 「デー タ吟 味 よみ」 (頬8),井上尚美 の 「言語論理教育」 (9), 森 田信義 の 「評価読 み」 (※10)など, 文章 を批判 的 に 読んでい くことで, それ らを克服 しよ うとす る提案 もあ

る。

ただ し, それ らの提案の多 くには,国語科教育のフィー ル ドを大 きく越 えることについての梼躍がまだあったと 思 われ る。内容 に 「深入 り」す ることについての梼曙で ある。

たとえば,大西忠治 は,読み手 自身 の経験 や読 み手 自身の現実 を書かれている事実に対置 してみることによっ て,その正当性,事実性を吟味 してみ ることもで きる」

と述べている。 しか し,読み手 の経 験 の浅 さ狭 さ, 読 み手 の現実認識 の低 さ弱 さ」がある場合 には 「その真実 性 の判断を一時保留 しなが ら読む」 と述べているだけで, 読み手の 「経験」や 「現実認識」 を深 め広めることにつ いては何 も触れていない (栄ll)0

また,渋谷孝 は 「文章 を読み方教材 として取 り扱 う場 合,何を読み とらせ るべ きか とい うことは, そこに叙述 されている限 りでの内容である。原則的には,その文章 だけで読み とりが行われ るべ きである。」 と述べている。

また,「こうは言 って も,Aな らAに は学習者 との関係 において不足 な もの,補 うべ きものがあり得 るのである。

その場合,不足な もの,補 うべ きものの見当をっけて, Aの文章 に叙述 されていない事柄 を用意 して,授業 の中 に組み入れて もよいのである。」 と述べつつ も,「ただ, それ も,Aの文章がひとまとまりの内容の秩序の範囲内 で行 うことが肝要 なのである。」 としている (※12)

確かに文章 その ものの記述を十分 に検討 しないで,安 易 に文章 の外 に出て しまう 「内容主義」 の指導が少 な く ない現状を見 ると,大西 ・渋谷が こう述べ るの も当然 と 言え る。 まず はその文章の中か ら読 め ることだけに絞 っ て指導 を進 めてい くことはぜひ必要 な ことではある。

しか し,やがてその読みが深 ま り高 まってい く中で, ど うして も文章の外 にその読 みの根拠 を求 める必要が出 て くる。特 に子 どもたちに文章 を吟味 ・検討 させてい く 指導過程 においては,それは避 け難 い。

た とえば, その文章 に書かれている表現 ・用語や論理 展開等 の妥当性 に子 ど もたちが疑 問 を もった とす る。

「この観察方法だ と,鱒 は 『音を聞 き分 け』 たために岸 辺 に集 まって きたとは言 い切れないか もしれない。他 に も可能性があるか もしれないか ら」 な どと。 しか し,そ

の文章だけに止 まっているとす ると, その疑問を解決す ることはで さえない。 どうして も 「鱒が岸辺 に集 ま って くるについての他の可能性」 を確かめる必要があ る。 そ して,確かめた上で再 び文章の表現 ・論理 に戻 るのであ る。

が, それは既 に国語科の分野 ではな く,理科 の分野 に 学習が入 ってい くことになる。 だか ら, そ こまで踏み込 む ことを研究者 ・実践家 は蒔曙 して きた。 しか し,私 は そ ういった蒔糟が,結果 として子 どもたちの学習の可能 性を押 しとどめていたと考え る。子 どもたちにより深 い 学習をさせ るためには,国語科 の外 の フィール ドにあえ て越境 させてい くことも必要である。

その越境が 「総合学習」 につなが ってい くことになる。

国語科 の学習 と理科等 の学習を総合 させ,表現 と内容 を 総合的に検討 してい くことで一層効果的な学習が成立す る。中学 ・高校の場合 は,国語科の教師 と国語科以外の 教師 との連携 によって, それがより有効 な ものとなるは ずである。

森 田信義 ・小田速夫 は越境 について一部触れている。

森 田は,中学校の 「ラスコー洞窟 の壁画」 の実践 を分 析す る中で 「情報の妥当性を吟味す ることを目的 として 他の情報 に出会 うという立場を守 るのがよいよ うに思わ れる。」 と述べている (※13)0

小田は,小学校 の 「新動物誌 カブ トムシ」 の実践 を 紹介 しつつ 「言語 の習得が概念形成 にかかわ るものであ る以上, このように抽象概念を意図的に‑教材 の外 に取 り出 して, それを核 とす るコンテクス トを作 らせた り, 先の 『カブ トムシ』 と 『常山の山』 のよ うに,‑教材 の 概念理解 に他の文章の コンテクス トを関わ らせることは, 言語学習の一環 としてお こなわれてよい ことで あ る。」

と述べている (※14)

4.国語科以外の教科 (理科 ・社会科 ・家庭科 など)が 抱 える問題 国語科以外の各教科 について も,以上述べて きた問題 性があてはまる部分がある。国語科以外では 「形式主義」

に陥 るとい う可能性 は低い。 しか し,「内容主 義」 的 な 状況 は国語科以上 に強い。

理科や社会科等では, たとえば 「記述 の仕方,表現の 在 り方 に問題 はないのか主語が どこに も書 かれて い ない。 とす るとその事件を起 こした主体 は本当 は誰 なの 「この教科書の書 き方 は,なぜわか りに くいのか」

二つの教科書のどち らが正確 な解説 ・説 明 と言 え るの か」 などといった検討が行われることは極めて少 ない。

そのために,当該教科 についての主体的な学習が展開で きに くくなって しまっている。

たとえば中学校学習指導要領 (※15)の 「2

‑42‑

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会」 の 「歴史 的分野」 で は,「1 目標」 と して 「歴史 的事象 に対 す る関心 を高 め各時代 の特色 を世 界 の歴 史 を背景 に理解 させ広 い視野 に立 って考 え させ る」

「匡l民 と しての 自覚 を高 める文化遺産 を〜理解 させ, 尊重す る態度 を育 て る国際協調 の精神 を養 う」 な ど

とい った もの しかない。唯一 「様 々な資料 を活用 して歴 史的事実 を多面 的 ・多角的 に考察 し公正 に判断す るとと

もに適切 に表現す る能力 と態度 を育 て る」 とい った記述 が,歴史 の書 かれ方 に関係す るとも考え られる。 しか し,

この部分 に対応す る記述 は, この後 の 「内容「内容 の 取扱 い」 にはない。

実際の授業 ・授業案 で も,平氏 を ほろぼ して成立 し た鎌倉幕府 の基礎 は御家人制 にあ り,守護 ・地頭 の配置 を通 して支配力 をのば してい った ことを理解 させ る。」

(16),豊 臣秀吉 が行 った検地 と刀 狩 のね らいを理解 し, それ らが新 しい封建体制 の成立 に果 た した役割 につ いて考 え させ る」 (17),「昭和 にはいると軍部 が政治 に台頭 し,戦争への道 をたどってい った ことを理解す る とともに,国民 は苦 しい生活 を強 い られていたなかで も, 工夫 しなが らた くま しく生 きて きた ことに気づ くことが で きるよ うにす る」 (18)な どとい った 「目標「ね らい」 が設定 されて いる。 いずれ も書かれ方 その ものの 検討 を含 んだ実践構想で はない。

一方 同 じ中学校学 習 指導要 領 の 「第4 理科」 の

1 目標」 には 「科学 的な見方 や考 え方 を養 う。」 と い う記述 があ る。 これ 自体 はぜひ必要 な ものである。 し か し, それ に対応す る書 かれ方 その ものを問題 にす るよ うな記述 は, この後 の各分野 ごとの 「目標「内容「内 容 の取扱 い」 にはない。「屈折す る ときの規 則性 を兄 い だす こと親 の形質が子 に伝わ ることを兄 いだす こと」

な どの内容理解 につ いての記述 があ るだけである。

実際の授業で も,生物が進化 して きた ことは事実 で あ り, それ は化石 やその他 の証拠 によ って明 らかである ことを理解 させ る」 (19),現在 の地球 に見 られ るよ うな豊 かな生物世界が, どのよ うな過程 を経て形成 され て きたのかを考 え る」 (※20)などとい った 「ね らい」

を設定 し, や は りそれにそ って授業 を展開 している。書 かれ方 その ものの検討 を含 んだ実践 ・実践構想 は,極 め て少 ない (21)0

それ には二 つの原因が考 え られ る。 まず,表現 ・記述 のあ り方 につ いての検討 は, 自教科 の守備範囲ではない と見 てい ること。 それ は国語科 などが専門的 に担 うこと で あると考 えているのであろ う。

もう一 つ は, 自教科 の内容認識 が実 は主 に言語 によ っ て成 り立 っているとい う認識 を,国語科以外の担 当者が 明確 には持 っていないとい うこと。言語 を離 れた実体 と しての理科 の知識 ・定理 が存在す る, あるいは言語 を離

れた実体 としての知識 ・歴史が存在す るとった思 い こみ であ る。

理科 の 「知識定理, そ して社会科 の 「知 識「歴 史」 も, それ 自体が所与 の もの と して存在 しているわ け ではない。 カオスと しての世界 を人間が言語 によ って分 割 し切 り取 り位置づ けることで, た とえば理科 の知識 ・ 定理や社会科 の知識 ・歴史 は成立 して きた。 その意味で 国語科以外 の教科 も,主要 には言語 によ って成 り立 って いると言 え る。 に もかかわ らず, その認識が多 くの担 当 者 に欠落 している, ない しは極 めて弱 い と思 われ る。

そ うであるとすれば, 当然 の ことと して授業 の中で教 科書 の表現 ・記述 について吟味を して い こうとい う発想 は生 まれて こない。 そのために,子 ど もたちが主体 的に 教材 を吟味 してい く学習 は弱 くな る。

国語科 が従来 の教科 の守備範囲を越境す る必要 があ る の とは逆 に,国語科以外 の教科 も従来 の守備範囲を越境 し,国語科的な語棄 ・表現 ・論理等 の観点か らも指導 を してい く必要 があ る。 その意味で も国語科 の説 明的文章 指導 と国語科以外 の教科 の学習指導 とが強 く結 びつ く形 の実践構想が,今後多様 に提案 されてい くべきと考える。

5.実践試案‑ その1

:国語科教材を使 った

説 明的文章指導 と理科の学習指導の総合

小学校 ・国語科 の教科書教材 「魚 の感覚」 (末広恭雄) を使 い,国語科 の説明的文章指導 と理科 の学習指導 とを 総合 してい く形 の実践試案 を示す。 まず説明的文章教材 を吟味 し, その問題点 ・疑 問点 を見つ けだす。 そ してそ れを理科学習 としての リサーチによ って確かめてい く。

最後 に説明的文章教材 に戻 り, それを リライ トして い く とい う実践構想 であ る。

魚 の感覚」 の本文2にあた る部分 は次 のよ うにな っ ている。魚 には音が聞 こえ るか どうかを説明 した部分で ある。 (※22)(段落番号□ ・文番号○ は阿部 がつ けた。

原文 は縦書 き。挿 し絵 は省略。)

E] ① それでは、音 はどうで しょうか。

B] (五二十世紀の初 め、 ドイツのあ る養魚場でお こっ たで きごとです。② その養魚場 には、 ますがかわれ ていて、一人 の番人がいま した。③番人 は、近 くの 教会で鳴 らす朝八時のかねを聞 くと、す ぐに、 ます にえ さをや ることに して いま した。

B] ① ところが、 ある朝、番人 は、朝ねぼ うを して し まい、八時のかねが鳴 り終わ って しば らくた ってか ら、 え さを持 って、池 のふちに行 きま した。② す る とど うで しょう。③ いっ もな ら、番人が池 のふ ちに 立 ってか ら、 ますが集 ま って くるのに、 その 日は も ー43‑

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う、水面 にた くさんのますが顔を出 して、えさをさ いそ くす るよ うなよ うすを しているので した。④ し か も、 このふ しぎな現象 は、その 日ばか りでな く、

その後、教会 のかねよ りもお くれてえさをや るたび にお こるので した。

⑤ 「うん、そ うだ。 ますには、かねが聞 こえるんだ な。教会 のかねが鳴れば、えさを もらえることがわ か っているんだな。

(参番人 は、 このお もしろい事実 に、気がっきました。

① その ころ、 ドイツに、 ラ ドク リッフとい う生物 学者がいま した。② その人 は、友だちといっしょに、

魚 は、昔が聞 こえるだろうか。」 とい う研究を して いま した。③ ますのた くさんいる川で、て っぽ うを うって、その昔で、 ますがおどろ くかどうか とい う 実験を したのですが、その結果、「ます は、 音 が聞

こえない。」 とい う説 を発表 しま した。

①その ラ ドク リッフ博士が、養魚場のできごとを 伝え聞いて、 たずねて きま した。(診博士 は、初めの うちは、「ますが集 まって くるの は、 かねの音 のた めではあるまい。水 にうつ る番人 のかげを見て集 ま るのであろう」 と言 っていま した。 ③ それで、 明 くる日の八時前、養魚場 にや って来て、番小屋の中 か ら、池のよ うすを見張 っていま した。

雪 ①やがて、教会のかねが鳴 りだ しま した.②す る と、え さ場付近が、 にわかにさわが しくな って、 ま すが集 まって きま した。③ 口を水面 に出 して、たが いに池をお しのけるよ うに して寄 り集 まったため、

まるで、夕立がかわいた木 の葉をたた くような、や かま しい水音が しています。④ これで、魚が音を聞 き分 けるとい うことが、 はっきりわかったわけです。

⑤ ラ ドク リッフ博士 も、 これを見て、 自分の考えを 変 えないわけにはいきませんで した。

詔 ① この後、 ドイツのフリッシュ博士は、えさを使 っ て魚 を訓練 しなが ら、研究 しま した。② そ して、博 士 は、 なまずの一種であるア ミウルスとい う魚 は、

音を聞 く能力が非常 にす ぐれていて、高 い音では人 間 に少 しおよばないが、低 い音を聞 き分 けることで は、人間以上 にす るどい感覚 を もっていることを発 見 しま した。

この部分 の論理構造 は,次のようにな っている。

本文2の柱 (骨格) となる段落 は,12段落である。 7

は,12段落 にまとめ られていく。13段落 は,12段落を補 っ ている。

柱 となる文 は,その12段落の④文である。

さて, この文章 の中にどこか不十分なところはないか。

文章吟味を してい くと,おおよそ三つの問題点が見えて くる。 (以下,引用部中の下線 は阿部 による)

(1)11段落③文〜12段落③文 の 「ます」の実験結果だ けか ら,12段落④文 「これで、亀空音 を聞 き分 けると い うことが、 はっきりわか ったわけです。」と言い切 っ て しまっている。少な くとも 「これで、ますが音を〜」

とな っていないとおか しい。 (※23)

(2)毎 日同 じ時刻 に鳴 る 「朝八時のかね」 (8段落) で実験 している以上,かね以外の原因でますが集 まっ て くる可能性がある。 にもかかわ らずそれを全 く無視

している。たとえば生物時計等 の可能性である。

(3)10段落などでは 「魚 は、音が聞 こえ るだろ うか。 とな っているのに,12段落④では 「魚が音 を聞 き分 け 旦」 となっている。「聞 こえる」 と 「聞 き分 ける」 は 意味が異 なる。 ここでは11段落〜12段落の実験結果 し か明 らかにな っていないのだか ら,「聞 こえ る」 とま では言えて も 「聞 き分 ける」 とは言 い得 ないはずであ る。 (♯24)

これ らの吟味 は,国語科 の枠を超えて子 どもたちが リ サーチ してい くことで深 まってい く。 (2) の生物 時計 の こと,(3)の 「聞 こえる」 と 「聞 き分 ける」 のの こ とについては, リサーチで確かめ られ る。図書館 ・イ ン ターネ ッ ト・専門家への手紙 ・聞 き取 り等 によって,十 分 に明 らかになる。

(2)の問題点 について子 どもたちが調べてい くと, ほ乳類 はもちろん昆虫 ・節足動物, さらに単細胞生物 も 生物時計を もっていることがわか るはずである。魚類 に も生物時計が備わ っている。 そ して,一般的な生物時計 だけでな くその生物の摂食パ ター ンによって も日内 リズ ムが作 られることもある。 (※25)

そ こまで明 らかに したところで,次 に鱒が集 まって く るのは生物時計等 によるのか教会の鐘の苦 によるのかを 確かめるためにはどういう実験 ・観察を した らいいかを 子 どもたちと考えてみる。一人一人考えさせた後にグルー プで話 し合いをさせ る。 そ うす ると,次のよ うな代案が 出て くる。

ア 教会 にお願 い してそのかねを鳴 らさないでおいて も らう。 それで もし鱒 たちが集 まって きた ら,鐘以外 の 要因で集 まっているとい う可能性が出て くる。 もしも 集 まって こなか った ら鐘 によって集 まっているとい う 可能性が強 くなる。

段落 は本文2の問題提示。そ して8‑11段落 までの観察 しか し,それだけでは音 についての確認 はできない。

‑ 44

(5)

次 は,や はり教会 に頼んで, いっ もよ り早 くまたは遅 く鐘 を鳴 らして もらう。 それで鱒 たちが集 まって くれ ば,鐘を鱒 たちが聞いている可能性が強 くなって くる。

また,代案 を出 し合 うとい うだけでな く,その代案 に 基づ いて子 どもたちが実際に実験 を してみることがで き る。鱒でな くとも身近 な魚 を使 って,上記 の代案を水槽 や池で実験 してみ るのである。

た とえば金魚を飼 って,一定の音を出 した後 に必ず餌 を与え る。 それをは じめは毎 日同時刻 に与えることを繰 り返す。 その後 にいっ もとは時刻を変えていっ もの音を 出 してみ る。 それで魚が集 まって くれば,魚 は音が 「聞 こえ る」 とい うことになる。

さ らに,毎 日餌を与えている時刻 にな って も,餌を与 えないでおいてみ る。 それで も,魚が集 まって くるよう な ら,生物時計が働 いている可能性がある。

また,(3)の問題点‑ 聞 こえ る」 と 「聞 き分 け る」 について も,魚 は実 際 に 「聞 こえ る」 だ けで な く

聞 き分 ける」能力 ももっているのかを実験 す ることも 可能である。 たとえば,複数の音を使 って, その昔 ごと に餌を与え る場所を変えてみる。それで魚がその昔によっ て,集 まる場所を区別 しているかど うかを観察す る。な い しは,複数 の音が魚 には聞 こえるとい うことを何 らか の方法で確かめた後 に,Aの音だ と餌を与え る。Bの音 だ と餌 を与 えないという学習をさせ る。その上で,Aの 音の時だけ集 ま って くるとい うことな らば, 魚 は苦 を

「聞 き分 ける」 ことがで きることになる。

以上 のような検討を学級全体で行 う。そ して, どのよ うな説明の仕方がよ り妥当であるのかを考え,実際に文 章 に してい く。「魚 の感覚」 を自分 たちで リライ トして

い くのである。

6.実践試案‑ その2 :理科教材を使 った

説明的文章指導 と理科の学習指導の総合

次 に二つの中学校 ・理科 の教科書教材を使 って,国語 科 の説明的文章指導 と理科 の学習指導 を総合 してい く形 の実践試案を示す。 まず ほぼ同 じ内容 について述べた二 つの理科 の教材を言語の表現 とい う観点か ら比較 ・吟味 す る。次 いでその過程で生 まれた疑問を理科の学習で リ サーチ し確認 してい く。 そ して再 び理科教材の記述 に戻

り, その書かれ方 の妥当性の吟味を行 ってい くとい う実 践構想 である。

中学校理科・2分野下 に動物の 「相同器官」 について 述べた部分がある。「相同」 とは,違 う種類の生物の器 官で,形態や機能が異 な っていて も,発生の起源が同 じ であるものの関係。烏 の翼 と獣 の前足な ど

」(

『国語辞

典』第二版・2000集英社) のことである。

A

ワニ (‑チュウ類),ハ ト (鳥類), コウモ リや クジ ラ, ヒ ト (ホニュウ類)では,前 あ しの外形やはた ら さがちが う。 しか し,骨の形や並 び方 に,基本的に共 通のつ くりが見 られ る。 このように,現在の形やほた らさはちが って も, もとは同 じ器官であ ったと考え ら れるものを相同器官 という。

相同器官を比べ ると, もとは同 じ器官であ った もの が,長 い間に,それぞれの生活の目的に合 うよ うに変 化 して きたことがわかる。 (※26)

セキツイ動物の骨格を調べ ると,すべてに, ヒ トの 手 と腕 にあたる部分が見つかる。魚類 の胸 びれ,両生 類や‑チュウ類の前 あ し,鳥類のつばさ, ホニュウ類 の前 あ Lは, それぞれ生活やはた らさに適 した形 に変 化 している。

このように同 じものか ら変化 した と考え られ るか ら だの部分 (★ 1) は,生物が共通の祖先か ら進化 して きたことを示す証拠 の一つであると考 え られている。

★1相同器官 とい う。】 (※27)

これ らは同 じ 「相同器官」 について述べた部分である。

問題 は,Aの 「それぞれの生活の目的に合 うように変イ Bの 「それぞれ生活やはた らさに適 した形 に変化」で ある。 (下線 は阿部 による)

同 じことについて説明 した文章だが,かな り見え方が 違 う。Aの 「目的に合 うように」 は, ある 「目的」がま ずあ ってそれに向か って, ない しはそれに合わせ る形で 変化が起 きたと読め る。 それに対 しBの 「適 した形 に」

は,生活や動 きに都合のよいよ うに,ない しはそれに有 利 ・便利なように変化が起 きて きた と読 める。

ここで気 になるのはAの 「目的」 とい う言葉である。

「目的」 とは, たとえば 『広辞苑』 第5 (1998岩 波書 店) には 「①成 し遂 げよ うと目指す事柄。行為の目指す ところ。意図 している事柄。② [哲]意志 によ ってその 実現が欲求 され,行為 の目標 として行為を規定 し,方向 づ ける もの。」 とあ る。 「意図「意志」 が伴 う場 合 に

「目的」 とい う言葉 は使われると考 えてよさそ うである。

とす ると,Aの 「目的に合 うよ うに変化」 したとい う説 明には検討の余地があ りそ うである。

そ うい った疑問を もちなが ら,相同器官や進化 につい て リサーチを してい く。

生物の進化 は 「突然変異」 と 「自然淘汰」 によるとい

‑ 45‑

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う考え方以外 に も,連続共生説「中立進 化説「ウイ ルス進化説「隠れ遺伝子説」 など現在様 々な ものがあ る。 そ して, その中には進化が 「自然選択」 とは無関係 に一定 の方向性 を もっているのではないか とい う考え方 も含 まれている。

しか し, それは少 な くとも多数派 と言 いうるものでは ない。 また, その考え方 に して も突然変異 は全 くの偶然 ではな く一定 の方向性を もって生 じるといった もので, Aのよ うな 「目的」つまり 「意思「意図」 的 な ものが が存在 し,それに 「合 うよ う」 に進化 して きたとい うも ので はない。や はり 「目的に合 うように変化」 とい う記 述 には問題がある。

そ ういった追求を行 った上で,再度ABの教科書記 述 に もどり,妥当な表現 について検討 してい く。 ここで も代案 としての リライ トを してい く学習が有効である。

国語科 の教科書の説明的文章教材 に も,上記の問題 と ほぼ同 じ問題があるものがある。小学校教材の 「動物の 体の色 ともよう(日高敏隆)である。

ところで、 お もしろいことに、 自分が さけんな、 あ るいはまずい動物だと知 らせ るような色や もよ うを、

まねたよ うな動物がいます。例えば、‑ナアブは ミツ バチにそ っくりです し、 ガの仲間のスカシバはアシナ ガバチにそ っくりです。 自分 は毒 など持 たないのに、

毒 ぼ りを持っ動物の色や もよ うをまねて、 自分 の身を 守 っているのです。 (28) 問題 は,最後の文 の 「まねて」である。本当にこれ ら の昆虫 は ミツバチやアシナガバチを 「まねた」 と言 って よいのか。「まねる」 とは,「まねをす る」 こと。「まね」

とは,他 と同 じよ うな ことを言 った り似通 った動作 を した りす ること。 また、他の ものの姿形 に似せ ること。」

(下線,阿部)である。「似 ること」で はない。 「似 せ る こと」 である。「似せ る」 とは言 うまで もな く 「似 るよ うにす る(以上,『日本国語大辞典』第二版2001小学館) とい う主体的な行為である。結果 として 「似ることとなっ 似 た」 とい うの 壬は明 らかに違 う.

「これ らの昆虫」 は,本当に 「まねた」つまり 「似 る よ うに した」 のか。結果 としてイ以た形での突然変異が起 こり,それが種 として定着 したのか。

また,「と ころで」 か らは じまる最 初 の文 中 にあ る

「まねたよ うな」 との関係 はど うなるのか。 こち らの表 現 は比職 として 「よ うな」 を使 っているのか。

最後 の文の 「まねて」 とい う表現が本当に適切 なのか どうかは,や はり進化の過程 ・仕組みを確かめることで 明 らかにす る しかない。理科分野 の リサーチを行い,そ

の上で再 び文章 に戻 り,表現 としての妥当性 を再度吟味 す る。

7.実践試案‑ その3 :社会科教材を使 った

説明的文章指導 と社会科の学習指導の総合 最後 に高等学校 ・歴史の教科書教材を使 って,国語科 の説明的文章指導 と社会科の学習指導 とを総合 してい く 形の実践試案を示す。 日本史教科書 のある出来事 に対す

る名付 けをめ ぐる実践構想である。

1899〜1900年 にかけて, 日本 ・欧米諸国の 中国への帝国主義的な侵略 に対 して,義和団による蜂起 が起 こった。 この出来事 については,教科書 によって次 のよ うに呼称が違 う。

A 義和団の乱 (29) B 義和団の変 (※30) C 義和団事件 (31) D 義和団戦争 (※32) E 義和団運動 (※33)

「たかが呼び方 の違 い」 とは言 っていられない要素を, これ らの差異 は含んでいる。

Aで使われている 「乱」 は,乱れ ること。 秩序 のな くなること。」である。用例 としては 「乱雑 ・乱暴 ・混 乱」が示 されている (広辞苑』第5版 ・以下同 じ)。一 定の秩序が存在 している社会の秩序が乱 されたとい うこ

とである。

この動 きを作 り出 した中国の義和団の人々は,欧米や 日本の侵略 に対抗 して蜂起 したわけだか ら, 自分 たちの 行為を 「秩序」を乱す否定的で乱暴 な行為 とは考えてい なか ったであろう。「秩序」 を乱 し乱暴 で あ る と見 たの は,当時の中国を実質的に支配 し 「秩序」を維持 しよ う としていた側である。

とす ると,義和団の乱」 とい う言 い方 は, 義和 団 と 戦 った当時の日本や欧米諸国 に近 い立場か らこの出来事

を見ているという可能性が読める。 その立場か らこの出 来事 を望 ま しくない騒乱 と否定的に評価 している者 の姿 が浮かび上が って くる。

Bで使われている 「変」 は,非常 の出来事。 事故。

事件。」,用例 は 「本能寺 の変」 が示 され て い る。 Cの

事件」 は

,「

(意外な)で きごと。 もめ ごと。」, 用例 は

世間を騒がす事件」が示 され る。

Bの 「義和団の変」 とCの 「義和団事件」 はかな り近 いニュア ンスと言える。 これ らは,「乱」 に比 べやや当 時の 日本 ・欧米諸国か らは距離 を置いた立場か らの名付 けとも言 える。 しか し,事件」 に 「もめ ごと」 と

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い った否定的なニュアンスが含 まれる以上,少な くとも 義和団をは じめ とす る当時の中国の民衆の立場 とは逆の 立場か らこの出来事 を見ているとい う可能性がある。 た とえば 「浅間山荘事件地下鉄サ リン事件雪印食中

毒事件」 などとい う場合, そ うい う出来事を起 こした者 たちに対す る否定的な評価が強 く含 まれている。

それに対 してDの 「義和団戦争」では,少な くともい ずれか一方 を特 に否定的に見 るとい う意味あいは少 な く なる。「戦争」 とい う以上 (それ 自体 は否定 的 な出来事 で はあるが),義和団 と日本 ・欧米諸国 とは当事者 と し て一応 は対等 な立場で扱われていることになる。

Eで使われている 「運動」 は,「目的 を達 す るため に 活動す ること,用例 は 「選挙運動市民運動」。 とす

ると 「義和団運動」 は,義和団による 「目的を達す るた め」 の 「活動」 とい うことであ り,否定的なニュア ンス は消え る。「民主運動平和運動「地雷廃止運動」 な どを考え ると 「運動」か らはむ しろ肯定的な意味あいが 読 める。 この出来事 は, 日本 ・欧米諸国の帝国主義的侵 略 に対す る必要 な行為の一つであ った という評価 さえ読 み とれ るか もしれない。少な くとも,名付 けの立場 は, 義和団を中心 とす る当時の侵略を受 けていた中国の民衆 の側 に近 いと言 える。

つ ま りこれ ら呼称 の違 い (語童選択) は,義和団によ る蜂起 とい う出来事を, どうい う立場 に立 って どのよう に評価す るか とい う執筆者 (群)のものの見方 (歴史観 ・ 世界観) を大 きく反映 しているのである。今 までの国語 科 の語棄指導で は, そ うい った語嚢選択の背景 にあるも のの見方 の解明 とい う要素が弱か った。今後 はそ ういっ た観点での解明を語量指導 において も重視 してい く必要 がある。

以上 の ことを明 らかに した上で,今度 は実際に当時の 社会情勢 ・国際情勢 はどうであったのかを リサーチ して い くことが必要 となる。で きるだけ文献 ・資料 にあた り 情報を集 め, それ らを検討 (吟味) しなが ら, この出来 事 の場合 どの呼称がより妥 当なのか とい うことを考えて い く。

もちろん, この出来事 の経過 を丁寧 に確認 してい くこ とも大切 だが,同時 にたとえば,義和団」とはどういっ た集団なのか。彼 らは蜂起を何のために起 こしたのなの か。 その蜂起 を歴史的にはどう評価す ることができるの か。‑ などといった切 り口で リサーチす ることが有効 である。

義和団」 とい う集 団 につ いて も, 教科書 によ って

宗教的秘密結社である義和」 (34)) や 「農民 の宗 教結社である義和団」 (35)とい う書 き方 な ど様 々で ある。「義和団 とい う宗教団体を中心 に,中国の民衆 が たちあが り」(36)とい う述べ方 の教科書 もある。「

和団」 とい う集団の性格を リサーチす ることで, その集 団の記述 の仕方, この出来事 の呼称のあ り方 の妥当性が 見えて くる。

義和団」 については,たとえば 「列強の侵略 に対抗 して活躍 した排外集団に対す る総称」(37)「中国人民 の反帝国主義運動 の主体. (中略)義和 団 は太平天 国 の よ うな統一的指導機関を持 たない義和 団 の集合 体」 (※

38)などの見方がある。多 くの資料 ・文献 にあた りなが らリサーチ してい く。

そ して,最後 に子 どもたち一人一人がどの呼称 (語妻) こそが妥当であるかを判断 してい くことになる。 その過 程で グループごとのそ して学級全体での討論を展開 させ

ることによって,学習 は一層深 まる。

以上,国語科の 「説明的文章指導 を総合学習指導 に発 展 させてい くについての試案」 を提案 して きたが, これ らの実践 は常 に 「総合」か ら始めなければいけないとい うわけで はない。 は じめは国語科の授業 として構想 され て もいい し,理科や社会科 の授業の一環 として構想 され る場合があって もよい。

各教科 の系統性を重視 しつつ も,必要 に応 じ互 いに越 境 しあ う。そ して条件がそろえば 「総合」 として構想 し てい く。‑ といった柔軟 な対応が必要であろ う。

上記のよ うに越境や総合を構想 ・実践す ることをきっ かけに,国語科 も他教科 も,今 まで教科の枠 に蛸壷的に 閉 じこもっていた閉塞状況を打 ち破 ってい くこと,そ し て文章吟味 ・内容吟味を含んだ教科構造へ と転換 してい

くことを期待す る。

1:渋谷孝 『説明的文章の教材研究論』1980 明治図書,戟 谷孝 『説明文教材の新 しい教え方』1999 明治図書に詳 しい 考察がある。

2:横山験也 『力をっける説明文の解読法』1990 明治図書 p.5

3:植田雅子 「『オゾンがこわれる』の実践事例」/ 『新学 力観に立っ 「説明文教材」の支援発問』 1995 明治図書 p.157

4:大西忠治 『説明的文章の読み方指導』1981 明治図書

5:渋谷孝 『説明的文章の教材本質論』1984 明治図書

6:小田迫夫:説明文教材の授業改革論』1986 明治図書

7:藤井囲彦 「説明文の読ませ方』こう改善 したい‑

『ことがら読み』から 『述べ方読み』への転換を」/教育 科学国語教育』381 1987 明治図書

8:小松善之助 「説明的文章の読みで問題とすべきことは何 」/教育科学国語教育』132 1969 明治図書

9:井上尚美 『言語論理教育への道‑ 国語科における思考』

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秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 第57

1977 文化開発社

※10:森田信義 『筆者の工夫を評価す る説明的文章の指導』

1989 明治図書

千ll:前掲書 (4)p.40

※12:渋谷孝 『説明文教材 の教材研究論』 1980 明治図書 p.64

※13:前掲書 (井lo)p.143

※14:前掲書 (6)p.94

※15:文部省 『中学校学習指導要領』1998

※16:大野功編 『社会科教育法』1984 明治図書 p.112

※17:披葎文隆他編 『新 しい学力観に立つ中学校社会科の評価 ・ 授業改善 と通信簿』1994 明治図書 p.56

※18:北俊夫編 『授業参観 に役立っ新社会科の指導案事例集 ・ 小学6年』1997 明治図書 p.84

※19:左巻建男編 『新中学理科の授業』1992 民衆社 p.182

※20:千葉県高校生物授 業研究会編 『たの し くわ か る生 物 100時間』1989 あゆみ出版 p.200

♯21:ただ し,山口康助 は社会科教育の立場か ら 「社会科の説 明文がよ く子 どもたちに問題の所在を理解 させ,考 えさせ る ような的確な文章 になっているか どうかを点検する」 ことの 必要性を指摘 している。そ してそ ういった 「社会科教科書の 解指導 は社会科教師の責任 において行われなければな ら ない し,行 うのが当然だ と考える。」 と述べてい る(「社 会

科教育 よりみた説明文指導」/国語科教育学研究3』1976 明治図書/国語教育基本論文集成 ・第15巻』1994 明治図 書所収 pp.156160)

※22:『小学校国語五年下』1981学校図書 pp.42‑46

※23:この点 については,小松善之助が 「これまで読 みとって

きた養魚場の実験か らこのように一般的な結論 を導 く事 は無 理であるO実験で明 らかになったのは,魚一般』ではな く, ますであり」 という指摘を している(『楽 しく力のつ く説明 文の授業』1981明治図書 p.132)

※24:2001年の学校図書の教科書では 「これで,魚が音を 聞 き分 けるとい うことが, はっきりわか ったわ けです。」 の 一文は削除 されている。その替わ りに第13段落 に 「そ して, 博士 は,魚 には音を聞 き分 ける能力があること (中略)を発 見 しま した。」 という記述が加 わっている。 この 「博士」 は, フ リッシュ博士の ことである。

※25:千糞喜彦 『生物時計‑サーカデ ィア ン ・リズムの機構‑』

1975岩波書店 ・他

※26:『新編新 しい科学2分野下』2000 東京書籍 p.61

※27:『新版中学理科2分野下』2000 大 日本図書 p.57

※28:『小学校国語四年上』2000 学校図書 p.35

※29:『高等学校 ・新 日本史B改訂版』2000 桐 原 書 店 p.260

※30:『新 日本史A』2000 桐原書店 p.36

※31:『詳解 日本史B改訂版』2000 三省堂 p.245

※32:『高校 日本史B新訂版』2000 実教出版 p.161

※33: 『詳解 日本史B改訂版』2000 清水書院 p.262

※34:前掲書 (※29)p.259

※35:前掲書 (※32)p.161

※36:前掲書 (※31)p.245

※37:京大東洋史辞典編纂会編 『新編 ・東洋史辞典』1983 京創元社 ・ 「義和団」の項

※38:石田米子 「義和団」/世界大百科事典』1988 平凡社

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参照

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