[資料紹介] A.A.ロゴウ「労動党政府とイギリス産 業1945〜1951年」
その他のタイトル [Book Review] A.A. Rogow, The Labour
Government and British Industry 1945‑1951, 1955.
著者 寺尾 晃洋
雑誌名 關西大學商學論集
巻 2
号 4
ページ 400‑411
発行年 1957‑10‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00021830
400
の業績を検討︑評価せんとする所以は︑本書が︑一九五一年以
降の党内の論争を背兼にもっている点を考慮すればあきらかで
ある︒この年は︑政治的には︑再軍備とこれに伴う社会保障費
削減による労働党の内部分裂が︑経済的には食糧及び燃料の不
足︑綿業の不況︑榜価値下落︑物価騰貴︑対外収支の悪化そし
て金ドル準備激減が︑労働党政府の崩壊と社会主義政党として
の方向の忘失にみちびいたまさに労働党にとっては最悪の年で
あった︒保守党はこの危機の原因を労働党積年のイデオロギー 本書において今日殊更著者がイギリス労働党政府の戦後六年
資 料
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•A ロゴウ「労働党政府と イギリス産業一九四五—ー一九五一年」
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︑ 的国家統制に求めたが︑これに相並んで労働党右派は統制過剰︑Jー論をとなえ︑社会主義経済は﹁混合経済﹂であり︑必ずしも国
有化を要しないと後退し︑これに代るに︑民主主義社会では租
税と統制により生産手段の所有者の報酬を思うまAに制限で
き︑現実の産業が所有者でなく﹁経営者﹂により運営されてい
るところから︑経営者たちに社会主義の目的と両立できる経営
をなさしめることが可能であり︑社会主義への移行ほかれらの
協力の下に平和的に遂行されると考えた︒このようにして右派
的見解は﹁福祉国家﹂の成果を極めて非現実的に評価するに至 寺
尾
晃
八八
洋
‑40 I
るのである︒かかる見解は︑最近では社会主義者同盟﹁二十批
︑ ︑ 紀の社会主義﹂をもって代表させえよう︒これにたいし同左派 は︑朝鮮動乱につゞく再軍備が輸入増加そして国際収支の赤字 化を誘引したと論じ︑動揺した社会主義的諸政策︑とくに国有 化の拡大を主張している︒本書の課題はこの間の解明にある︒
本書はかかる論争の渦中にあって︑問題を抽象的にではな
く︑極あて具体的に︑できうるかぎり客観的に把握することに よって︑左右両派といわず︑社会民主主義の理論構造とその政 府による貴重な具体的経験を︑かなり正確につかむことを可能 にしている︒かかる意味において︑本書ほ︑すべての社会主義 者たちに夫々の視角から興味ある問題を数多く投げかけている のである︒しかしながら︑ここからストレィチーが序文でえた ような実際的な政策上の教訓をうることも勿論可能とはいえ︑
著者がここで果そうとしていることは﹁民主的手段による社会 的移行﹂という社会民主主義の基本命題に関してゞあるという 認識の上にたって︑小稲もこの点に焦点をあわせて︑できるだ
け具体的内容的に紹介したい︒
山著者によると﹁混合経済﹂とは︑第一に︑公企業と私企
業があり1
しかしこの場合︑国有化は基本的公益企業︑
および経済において重要且つ有力な地位を占める諸産業に
A.A•
ロゴウ「労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年」
第五章
︵寺
︶尾
産業と労働
八九
第四章
限定されているがー︑第二に︑私的産業部門の国家統制 ーとくに︑投資・価格●輸出入および他の需給要因に関 係しているがー~があることによって特徴づけられている 経済である︒そして︑雇傭・社会サービス・平等主義的所 得配分にたいし国家が責任をもった﹁混合経済﹂のことを
﹁福祉国家﹂とよんでいる︒ところで﹁社会主義﹂とは︑
著者の理解によれば︑全生産手段の公的所有や所得の絶体
的乎等を意味せず、G•D.H•コールの「社会主義経済
学﹂でのべられているごとき︑﹁残余の調子をきめるに足 るほどの大きさをもった公的産業分野が存在し︑底的産業 は公企業の枠内で機能する﹂ごときものとして理解されて おり︑また社会主義は私的資本の大なる集中と不労特権・
相続特権の廃止・決定機能への消費者および労働者の参加
.﹁能力に応じて働き︑必要に応じてとる﹂という新しい社
会倫理の発生をふくんでいると︒
( p p . 1 0 ‑ 1 1 )
J・ストレィチーの序文
第三章
産業の統制
私的産業の組織 第二章労働党政府の下における計画化 第
一 章 序 説
著者序文 本書の構成
本書の目次は次の通りである︒ A
402
邪悪と不正は大部分なくなったからだ︒今日では混合経済自体
では ない
︒ うることはできない︒なんとならば福祉国家によってこれらの
た︒もっとも記述にあたっては︑この順序が守られているわけ 本主義の邪悪と不正にたいして戦陣をしくことによって勝利を
きらかにすることをもって前記課題解明の鍵と考えたのであっ
しているのか︒けだし著者は︑﹁労働党はもはや自由放任の衰 B 内容を示めそうとしている︒ 討されており︑最後に第九章は樅力の問題を論じ全体の結論的
ついで本格的叙述に入るに先だ
点を提議することによって︑この目的を果そうとしているので 而を姐上にのせ︑そこに対象を限定して︑次のごとき一連の論
第九章 第八章 第七章 第六章が出発点なのである︒﹂
(p .1 87
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ )とのべているが︑ここにも示され
ているように︑出発点たるべき戦後の労鋤党政府の手になる所
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
謂福祉国家の性格解明に︑著者は本書の全努力をかたむけてい
︑︑
︑︑
︑ るのである︒そして労鋤党政府がイギリス産業と接触する諸側
A.A•
ロゴウ「労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年」
産業と租税
政府と民間企業とのP.R
国有化についての衝突
行詰り状態の政治
このうち第一章は序説として本害の中心的な論点をあげ︑分 析対象としての第二章以下第八章にいたる諸政策の出発点たる
労鋤党網領の発展を解説し︑
ち︑労働党政府六年の成果にたいする著者の評価乃至立場をま ずのべている︒第二章から第八章においては︑序説でのべられ た論点を背後において︑労働党政府の諸経済政策が実証的に検
本 書 の 論 点 先に著者の素意が︑社会民主々義の基本命題をあきらかにす るにあるとのべたが︑かかる意隈をどのようなかたちで彼は果
ある︒すなわち︑﹁山一九四五ー五一年の革命は真の革命か︒す なわち中間階級から労働階級への権力の実質的移転があったか どうか?②退陣したグループ︑主として民間企業あるいは企業 に関係あるグルー︒フがどの程度︑またどういった条件で労働党 政府と協力したか?③政府と産業との間に御突のあるところ では︑民間企業は一般的にあるいは特殊的に反対をどのように 表明してきたか?④労働党政府ほどの程度イギリス産業の構 造・心理・目標に影響することができたか?﹂︵
pp.1ー
2
)︑
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
つまり︑伺この福祉国家における権力の所在︑⑮社会的移行に
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
おける支配階級の態度︑@社会主義的諸政策の政策効果︑をあ
︵寺
尾︶
九〇
403
をふくんでいる︑と著者は云う︒
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
しかし︑決定的な理由は︑まず何よりも労働党自体の意欲の
︑︑︑︑︑︑︑︑︑欠除の問題であると
(p .2 4)
︒なんとならば︑内閣の下にある主
︵寺
尾︶
九
機の一要因をなした点を指摘し︑計画化と金融森本の矛盾に著 は反対に非優先産業に最大の抒付を行って︑五一年国際収支危 もち︑重点投衰を行ってきたに拘らず︑銀行がこの政策方向と
の経済計画の民主的性格によって計画化を強制しなかったとい
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︑︑
第二章は︑第一︳一章とともに労働党政府の計画化の検討にあて
られている︒ここではまず著者は計画化が強力に推進されなか ったという現実認識の上にたって︑その理由を問うている︒す なわち︑戦後の計両化は戦時計画の後をうけて︑ある意味では 実施しやすい条件をもっていたが︑尚且つ所期の効果をもたな かったのは︑戦後処理の問題や輸出増強の問題︑また一九四五 年の武器貸与法の急激な停止にもとずく食糧原料の輔入金融難 及び四六・七年の冷害による経済困難︑貿易赤字の連続︑朝鮮 った一連の政治・経済的諸条件︑イギリスの特殊な経済的条件︑
また計画機構の不整備のような阻害的諸要因を背兼として計画 化が行われざるをえなかったからとも云える︒また労働党政府 うことにもよるだろう︒しかしこれだけではかたづかない問題
A.A
・ロゴウ﹁労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年﹂
動乱による再軍備負担︑対外勘定の危大な赤字︑物価騰貴とい
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本論の内容
要計画機関の一っ︱つをとってみても︑
スタテイステイカル・
統 計 局
﹂ は 洋 に 報 告 書 作 成
・ 予 測
・ 観 測 及 び 統 計 を 行 う のみであり︑各省連絡委員会は単なる割当機関にすぎず︑また
セントラル・エnノミック・プラソニング・スタッフ
﹁ 経 済 計 画 本 部
﹂ は 計 画 化 の 参 謀 本 部 た る 権 限 を 与 え
られてはいなかったのであって
(p p. 18
ー
9
)︑労懺党政府の計
両化が︑はじめからこのように極めて限定されたものであった ということ︑云いかえれば︑経済計両の中心にすえらるべき筈 の︑経済の形態・産出高の数批と種類に関する決定が実質的に 市場の諸力に依存しているごとき︑受身の不徹底な計画化たる ことに︑労働党政府が廿んじていた点に問題があると︑著者は
みているのである︒
(p p. 24
│5 ) そしてつぎに︑著者は︑計画化の内容を︑労働党政府が実践 した三大統制領域︑⑱投喪・⑮国際収支.@国内均衡にわかっ て検討することにより︑何がかかる態度にみちびいたのかとい
うさらにつっこんだ問題の考察を行っている︒
キャピタル・イジューズ・コミテイ
まず︑③投森については﹁資本発行委員会﹂が認可の権限を
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Iミック・セクジョンセンーグル・
﹁ 経 済 局
﹂
﹁ 中 央
° 4
A.A•ロゴウ「労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年」
目している
(p p. 28
│9
) ︒
また︑⑪国際収支均衡のための統制では︑政府輸入以外は輸
入認可制をしいていたのであるが︑この民間輸入のうち︑初め
スクーリング地域に限定され︑金ドル保全の効果をもっていた
﹁無制限一般認可﹂が︑五0年においてOEEC
︵欧 洲経 済協
力機楷︶の決定で西欧に拡大され︑この結果西欧よりイギリス
への輸入の九〇彩が放任され︑巨額の貿易赤字そして金流出の
原因となった点を指摘し︑計画化と批界浚本主義体制の矛盾に
注意しているのである
(p p. 29
ー
31
︒そして直接的輸出統制は)
存在せず︑また強力な為替統制にかかわらず︑なお資本の流出
を防渇しえなかったことをのべたのち︑著者は︑@の国内均衡
達成のため︑未配当利澗への税の軽減・貯蓄運動・所得税およ
び購入税による需要制限をもってする消費抑制︑また補助的な
意味をもつ割当制・食糧補助金・価格統制等をもってしても︑
格統制すら有効でなかったことをあげている
(p p. 37
ー
8
)︒
かくて諸政策の検討ののち︑著者は次の如く綜括している︒
﹁労働党政府の統制機構が全般的なものでないことは朋らかで
ある。経済の『無計画領域』(労働カ・個人所得•利潤・輸出)とくにここで問題にしていることは︑計画機構のなかにおけ ついで第三章は計画機構をとりあげている︒ b 配当は減ぜず︑貯蓄は殖えず︑主として輸入価格上昇のため価制との矛盾にみいだしていたことは注意すぺきである︒ Jうして︑著者が︑計画化と統制の諸困難の原因を浚本主義体 由市場への好みの増大﹂の結果であるともいっている
(p .4 7)
︒ 不足などによる統計の不整備をあげている︒しかしこの@は﹁自 は始から大きく重要で︑アトリー政府の弱点の主要源泉を構成した︒﹃統制領域﹄︵投炎・輸入統制︶は一般に考えるより厳重でも有効でもなかった︒一般的結論は十分な統制が存在しなかったのでなく︑もっとよい計画︑有効な管理︑よりよい統制方法が現在の機構でも可能であったということである︒労働党政府は改良し拡大するより︑はずす方に関心があった﹂
(p .4 1)
と︒事実多くの物資統制が解除され︑無制限一般認可制の拡大・
割当及び価格統制の緩和等が行われたのである︒
そして最後に︑著者は︑この計画化の後退の理由について︑
固計画化の技術的・政治的困難さの認識︑⑮国家統制拡大への
産業のはげしい抵抗の存在︑c計画機糖の欠陥︑すなわち人手
︵寺
尾︶
九
° 5
いる
︒
りエイゾソる政府にたいする産業のつながりである。まずこれはboard•
council•
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e (l!Hl!-411~ャさる機構によるいは未k昌〖ムk)
アドバイザリイ・コミテイり可能となった︒そしてたとえば諮問委員会は︑通常使・労・
公の三者構成であり︑その多くのものは単なる諮問的ないし協
議的以上のもの︑準行政権能をもっているものすら存在するこ
とが示されている
(p
.5
1) ︒
労働党政府の計画と統制の入員は︑著者によれば︑とくに初
期においては︑私的産業の隊列からえられていたし︑また計画
と統制の遂行も産業自体に委ねられていた︒二︑三の例をあげ
チーフ・ィランニング・オフィスアれば、一九四七ー五一年の経済計画本部長官たるサー•E・プ
ルードソは
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会社の外二社の取締役であ
ったし︑資本発行委員会は七名の銀行家・証券仲買人・産業査
なんら活動的役割を果してはいなかった︒また食糎省の顧問の
nモデイテイ•デイ>クターズ
大部分と物品理者は︑被統制産業での主要企業の無給の
代表者であり︑同省の九0のポストを
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味品の統制はそれぞれ特定の企業結合に委ねられ︑ニッケル輸
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がすぺて行い︑該会社と
供給省間の非公式の割当組識を通して割当てがなされていたな
どである
(p p. 61
│4
︒こうしたしくみは必然的に統制が産業)
の利害に左右されることを意味し︑戦前のカルテルの如くかか
セソトラル・プライス・>ギュレージョ
る組織を通じ新入の企業が排除されたり︑中央価格統制
ソ.
nミテイ委員会が企業結合の価格をうのみしたりする弊をもたらした︒
このように著者は︑計画機構が逆に独占演本の利用にまかされ
ざるをえなかった実態を率直に呈示している︒
第四章は私企業の統制の問題である︒
デペロップメント•カンツル本章で︑著者は︑﹁拡大評議会﹂および反独占政策を主要な
内容とする労働党政府の私企業統制の嵯映に関連して︑論点の
第二にあげられた社会的移行における独占資本の態度に関する
重要な評価を与えている︒
A.A.ロゴウ﹁労慟党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年﹂ また統制についての民間企業の利用についても︑たと 占めていたのであって︑かかる実例を著者は実に豊富にあげて 本家からなり︑唯一人の政府側たる大蔵大臣は委員会の審議に
︵寺
尾︶
九
労働党政府にとって私企業統制は一箇の盲点であったが︑農 c
406
産業側の激しい反対のため︑七産業で設置をみたほか︑完全に
A.A
・ ロ ゴ ウ
﹁ 労 働 党 政 府 と イ ギ リ ス 産 業 一 九 四 五 ー 一 九 五 一 年
﹂
︵ 寺 尾
︶ 九 四
フ ァ イ ナ ン ス
・ コ ー ボ レ ー
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︑ ヽ ヽ フ ェ デ ビ ー ン ヨ ン
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業 等 へ の 伝 統 的 な 補 助 金 政 策 や 貸 付 政 策 の ほ か
︑
﹁ 産 業 金 た 独 占 の 強 力 な 圧 力 に 存 し た
︒ そ し て
﹁ 英 国 産 業 連
ジョン・プオ・インダスト
9,
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スtリーズ
融公社﹂などの諸施設をもってしても︑政府の私的部門へ盟﹂に代表された独占が︑政府機関に喰いこんでこれを動かし
一九四九年七月のの要求がみたされないところから︑政府は︑
インダストりアル・オーガーてゼーツヨソ・アソド・デベロップメソト・アクト
﹁ 産 業 組 織 化 お よ び 拡 大 法
﹂ に も と づ き 産 業 一 般 に
﹁拡大評議会﹂を設置できることにきめた︒これは従来の﹁作
キング・バーテイーズ
業委員会﹂の発展形態であって︑その職能のうち最重要なもの は︑強制賦課・記録・統計及び科学的調査・人員の訓練・標準 化・デザインと質の改良•市場調査をふくむ能率増進のための 員たる三グループの内二つの連合によってのみ過半数に逹しう るごとく組織されていたのである︒つまり︑不況のための企業 結合が弱体であった産業部門に︑いわば国家の手で結合体をつ くり︑それを労・使・公の三者構成に組織することによって私 的カルテルの弊を除き︑ある意味では独占の公的統制を行わん
としたものと解される存在であった︒
しかるに︑この拡大評議会は︑この頭初の態度から豹変した.
失敗したのである︒著者によれば︑その主な理由は経済的背兼
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
が好転したことと共に︑自らの自主的統制権を失いたくなかっ 一連の活動であった︒ここにおける決定は多数決であり︑構成
たものであり︑これはまた鉄鋼国有化に反対し︑統制を撤廃さ せ︑一九四五年網領の反独占政策を無力化した原動力でもあり︑
独占こそ最大の妨害者である︑と論じている︒
まず経営参加については︑何らの前進も存在せず︑完全傭下
の好条件ではあったが︑個人の査格での参加以外には︑
T u c
ジョイント・コン
は維然それを好まなかったからであり︑むしろ組合は﹁合同
協議会﹂の方向を向いていた︑とのべられている︒
合同協議会は現実の労働環境から生ずる問題の討議と情報意 見の交換の手段であり︑不満の秩序ある解決と相互理解と尊散 を促進する意図をもつが︑労炎の態度も納以否様々であり︑実際 いるので︑四八年八月︑五四産業中︑三八産業に設けられてい
たとはいえ︑さしたる効果をもたなかったと︒
利 潤 分 配 制 や 組 合 制 は
︑ 著 者 に よ れ ば 経 営 者 の 地 位 を
上労働者の政策決定への参加もなく︑些細な問題に限定されて かどうかの問題である︒
第五章の問題は労働者が経営においてその立場を改善できた
d
407
Jの結果として漆本輸出および脱税が盛行したのである︒海
︵寺
尾︶
九五
あることがのべられていると云えよう︒︒ ることが示されている︒つまり疑本主義体制下の所得再配分政策には︑一定の限界が
著者はまず再配分課税の実態を記述しているが︑そこでは︑
ピジネス・プロフィッt
とくに最高の課税増が企業利潤にみられ︑五一年までに︑利
がさらに榜当り九志六片なる所得税の標準税率で課税されてい 潤税は未配当利潤の一0%︑配当の五0%にまで増加し︑残余
はまた賃銀との悪循現にみちびき︑イソフレ圧力を生じ︑労働
第六章は所得再配分政策の効果分析である︒ e
る労働者の立場は何ら前進しなかったことになるのである︒ 在すると批判している︒かくして︑著者に従へば︑産業におけ の考え方になる︒著者はここに利潤分配制・組合制の意義が存 らである︒それにも拘らず結果的には財産所有者乃至支配階級 あり︑また従業員持株は多くの場合議決権をもってはおらぬか 留保を控除したものを分配するのであり︑ここに既に不公平が 質を有しないものである︒というのは儀先株・普通株の配当・ はなく︑そこにおける所有と利潤への参加は︑多くの場合︑実 れ始めてきた︒しかしこれらの一般化は産業の民主化の証拠で であった労働組合や労働党のサークルの中にも漸次興味が示さ 脅かさず﹁産業平和﹂に有意義ではある︒また伝統的に敵対的
示されている︒
外支店の拡充・輸出入に際しての受払のごまかし︑企業の海外 移住のかたちをとった資本輸出︑また︑会計操作・現物給与・
キャピタル・ゲー~ンズ
無税の資本剰余金の利用などによる脱税行為がこれであった︒
これにたいし︑勿諭労慟党政府としては︑直接間接に所得税・
利澗税の義務回避を結果すべき企業の海外移転は違法である
ファイナンス・アクt
との条項を︑五一年の﹁融資法﹂に挿入するなど︑贅本流出の 防止に当然努めざるをえなかった︒従って﹁平等への途をこれ 以上進めば︑私企業体制の継続的存続ともはや両立しがたい点 にやってくるに相違なく︑事実︑労働党の政策ほこの点にごく
近くやってきたのである﹂
A.A
・ロゴウ﹁労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年﹂
(p .1 28 )
題が起ってくる︒私企業体制がある限り︑
という記述にある如き問
「生膨炭釘叫〗政
策と﹁利澗﹂は矛盾せざるをえない︒利澗をみとめて前者を抑 えれば福祉国家がおびやかされる︑そしてこの利潤配当の増大 組合を︑好戦的たらしめ︑利潤課税・資本剰余金課税の増大を
求めしめ︑ひいては盗本逃避をうながすに至る︑という矛盾が
Ji.08
烈な﹁反対﹂理由はここに求められねばならぬと︑著者は考えあり︑また政府が連盟をおさえる力を欠いていた点を指摘し︑ 上に︑国有化以前以後の状態に大差を認め難かったが︑ただ鉄鋼国有化の場合は︑労働党とその政府に対する鉄鋼独占資本のヽ
畜 ヽ ヽ ヽ
カ関係から国有化が行われたという点に特徴があり︑従って激業自体にも国有化への四五年当時みられた熱情をさます要因が かかる状況にたいし︑ロゴウは︑労働党の側にも︑国有化企 さ
れて いる
︒
のであった︒これにたいし鉄鋼国有化の場合︑他の場合より以 ず︑その国有化の必要性が一般的に認識せられて実施をみたも社が統制を加え︑ れによって労働者への権力の移行がおこるとは考えられておら一年七月において許されるまで連盟傘下各企業の取締役会に公 A.A•ロゴウ「労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年」
ついで著者は︑第七章において遍労働党政府が社会主義政策
遂行のためのP.R活動の意義を余り評価していなかった点を
指摘したのち︑第八章では︑労鋤政府下の国有化企業一般の性
質と対比して︑とくに鉄鍋国有化における産業との敵対関係に
焦点をあわせつつ︑かかる抵抗の存在のもとでの国有化の実態
を批判的に検討し︑ここから生ずるところの問題点を明らかに
して いる
︒
鉄鋼国有化までの国有化は︑たとえば英蘭銀行は
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といった保守党の支配し
た委員会の﹁勧告﹂に基礎づけられていたのであって︑勿諭こ f
るわ けで ある
︒
この力をめぐる対立関係から︑鉄鋼連盟は徹底して公社への
協力を拒否していたのであって︑このために一九五一年二月一
五日をもって鉄鋼公社が発足し︑八三の親会社と二四の子会社
の証券移管が行われ︑鉄鋼の大部分の統制を獲得したはずであ
ったが︑実際はこの証券移管と二︑三人の重役の辞任のほか︑
前述のごとく殆ど旧情に何ら認められうるごとき変化はあらわ
れなかった︒公社の社長は結局労働党員であり民間会社の社長
であったs.J•L.^ルディにきまったが、この決定にいた
る間︑連盟は終始その指名者を呈示することをしなかった︒ま
た授権日付後の暫定期間中︑連盟は公社の代表者が連盟の委員
会に加わり︑また連盟の会議の会員たることを拒否し︑また五
これに代表を送ることを拒否したのであっ
て︑鉄鋼国有化はこのように徹底した抵抗に遭遇したことが示
︵寺
尾︶
九六
409
る完全雇傭は資本への高利潤を︑その計画化は経営者の地位の 開
して
いる
︒
福祉国家より社会主義への社会的移行過程において︑議会制度
バワア•インタレスツ
や政府の意志だけではうごかぬ力関係の問題が存在するこ
とを論じ︵
.p 17 1)
何らかの手段によってこれに打克たねばなら
ぬとのべている︒
故後に︑第九章は福祉国家における権力の問題を論じ︑結論 的に福祉国家から社会主義への推移についての著者の見解を展
著者
︑は
左の暴力革命論︑
右の無制限協力論にこたえるべ く︑まず労働党政府六年の実績が︑右からの︑変革期おける支 配階級の無制限﹁協力﹂のドグマがいかに修正の要あるもので
リアクジぢツ
あるかを示している︒反革命はありうべく︑鉄鋼国有化以外に 偶々妨害はなかったとはいえ︑かかる協力は条件次第のもので あり︑﹁福祉国家﹂を限度とした協力である︒従ってこれを越 えることは当然反撃︵非協力︶を意味するのである︒つまり労 鋤党政府の福祉国家は︑査本の利益をおびやかしたり︑とくに 大査本の力関係をおびやかしたりするものでなく︑その意味す 不動を︑認可割当制による大企業における獅子の分け前を意味
D
結 論
︵寺
尾︶
九七
ついでこの﹁力関係﹂の突破口をどこにおくかの問題︑つま
点にこたえている︒ するから
(p p.
176│7)
︑その限りで姿本の協力がえられたの
であ
ると
︒ このように︑著者は︑福祉国家における権力がなんら棗本主 義社会とことならないことを示し︑従ってそこにおける資本の 協力には一定の限度があることを示し︑頭初の第一と第二の論 り福祉国家の限界を超えて社会主義へ移行する可能性をどこに
みいだすべきかの問題が展開されている︒
まず︑著者が前提している考え方が出されている︒すなわ ち︑著者は︑労鋤党政府下の経験からして浚本家たちが﹁民主 主義的なプロセスを破壊してもと思うまでの反対はしないだろ う ﹂
(p p. 17 9│ 18 0)
と考える︒そこで︑この上にたって﹁贅同 関しがたい社会的変革にあたつて︑完全な民主主義の下では︑カ
係は
ます
ます
政治
の舞
台に
入り
こむ
ので
ある
:・
・・
・戦
術の
選択
︑ とるべき態度はもっばら政治権力の諸要素に依存する⁝
.
. . .
労働
党内の統一の程度︑議会の過半数の大きさ︑政権にあった時期 の長さ︑次期選挙での敗北のみこみ︑これらが政府と産業の相 互関係に決定的な重要性をもつ要因である﹂
(p p. 18
0ー
18 1)
と
A.A
・ロゴウ﹁労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年﹂
490
者を︑問違いなく協力する有能なる人と置き換えることが必要 倫理に擬せらるべき人間的理想を登場させている︒日く︑教育 さらに著者は︑現実の福祉国家が直面すべき諸課題に言及し A.A
・ロゴウ﹁労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年﹂
のべている︒要するに︑ここで彼が云わんとすることは︑古く
︑︑
︑︑
からの議会主義のくりかえしに外ならぬ︒ロゴウは︑既に﹁序
説﹂において自己の立場が漸進主義に存することをのべていた
が︑ここにおいて彼の真意の存するところが一層朋確化された
ので
ある
︒ つA︑福祉国家の本来的性格から必然化すべき︱つの矛盾とそ
の解決について興味ある記述をなしている︒すなわち本来妥協
︑ ︑
的な性格を有する福祉国家の諸政策は︑必然的に改良をその本
質とする︒改良は改良することによって変革への意欲を阻害す
る訳であり︑これでは決して福祉国家の厚い壁は突破できない
であろう︒ここにおいて︑その動力として︑著者は社会主義的
の機会︑相応な住宅獲得の機会︑経済的社会的地位の改善︑余
暇の享受︒この点は︑前章における記述︑すなわち﹁現在の経営
である︒勿論時をうるということは大切だが︑また多くのもの
が新しい政治家︑産業家の性格と叡智にかかっている﹂
( p.
1 7 1 )
という記述に示されている著者のいわば観念的態度と共に︑著 者の研究態度の根底にある主観的観念的傾向を示すものと云えよう︒これが議会主義思想と共にコミュニストヘの彼の返答である︒そして著者は︑最後に︑新しい事態への新しい理論の要
︑︑
︑︑
︑︑
さて︑本書の最良の部分は右派への批判である︒右派の見解
は︑それ自体たわいもない幻想であると一言ですむ問題かもし
れない︒しかし本書は現実に存在した労働党政府の成果を極め
てリアリステックな技法で客観的に読者にみせてくれているの
で︑イギリス労働党の今後の前進の貴重な足がかりとなり︑ま
たひろく討論の素材となることを可能としている︒
しかし本書は︑第一に︑コミュニストにたいしては古い議会
︑︑︑︑︑︑︑︑︑主義と観念的な人間観による展望を与えているだけで説得力に
欠いている︒
第二に︑問題のとりあげ方が︑網領から始まり︑これにもと
づく諸政策を産業がどううけとめたか︑協力したかー反抗した
か︑という単純な政治的議論に終始している点に問題がある︒
これは﹁力関係﹂を中心に移行の問題を考えている彼の基本的 請をもって本書を結んでいる︒
以上が本害の梗概である︒
︵寺
尾︶
九八
411
態度と相応するものであって︑
定にも拘らず︑これからの前進にたいする必然性の分析を不可
能にしている︒
むしろ彼が福祉国家の限界をえがき︑資本家たちの﹁協力﹂
の限界を論ずる以上︑そして社会的変革が社会民主主義者のえ
がく平和的な過程をたどって成就すべきものとすれば︑社会主
義的諸政策がこの限界内において制約されながら果すべき経済
効果を今少しく経済学的に分析すべきではなかろうか︒勿論こ
れらの政策が社会主義への移行をたすける効果をもつものか︑
あるいは︑たんなる妥協と改良の域にとどまらざるをえない
か︑その結論いかんに拘らず︒この場合︑経済政策は上部構造
たる国家の経済的行為として土台に働きかけているものである
から︑かかる経済効果の分析が可能であるためには︑土台その
ものへの理論的研究が必要である︒かかる意味において本書が
いていることは最大の欠陥といわざるをえず︑このことが頭初
かAげた本書の課題にたいし︑すぐれた客観的評価を与ええた
に拘らず︑いかなる政策を労働党がとったらいAのかといった
点についてほ十分こたえていないことの最大の理由である︒ 綱領から出発して現代資本主義の理論的実証的分析の基礎を欠 ﹁福祉国家﹂の正しい客観的規
※
G寺
尾︶
九九
﹁われわれは︑イギリスが社会主義の目標に到達すると考
えるべき途を具体的に考察する必要がある︒いかなるそのよ
うな検討も︑今日のイギリス帝国主義の政治的経済的形態を
説朋し︑イギリスの金融資本の影響︑及び金融資本と結んで
イギリス人民の窮乏の上に帝国主義的利害に優先権を与える
(L
ab
ou
r
政治的諸勢力の影響を正しく評価しなければならない︒これ
をするのを怠ったのは本書の弱点である﹂と︒
Mo
nt
hl
y,
No v
. ,
19 56 )
本書にはほかに経済論叢本年七月号における金潤河氏
の紹
介が
ある
︒ A.A
・ロゴウ﹁労働党政府とイギリス産業一九四五ー一九五一年﹂
論じている°││ レーヴァ︒マンスリーの批評も︑この点についてつぎのごとく