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ドイツ社会民主党の財政政策(四)

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(1)

ドイツ社会民主党の財政政策(四)

その他のタイトル Fiscal Policy of German Socialdemocratic Party (IV)

著者 広田 司朗

雑誌名 關西大學商學論集

5

2

ページ 93‑130

発行年 1960‑06‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021725

(2)

農業関税の引下げを実現した限りにおいて︑

て与えられた︑といわれている︒この結集政策は︑穀物関税の引上げによって艦隊建設の財源を調達し︑農工同盟

の再編すなわち主農論者

Ag

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と工業資本家の結合によって労働者階級にたいする支配を確保する点に︑基本

線をもっていたといわれていな5すでに前稿において述べたように︑﹁新航路﹂政策は︑通商政策の転回を企図し︑

ュンカーを中心とする土地所有者階級の利益に相反するものであっ

た︒この階級の利害を代弁する農業者同盟の中には宰相カプリヴィの辞職を要求する声も公然化し︑保守的勢力は

政府攻撃に力を集中した︒それと同時にこの勢力は︑九0年代に急速に拾頭してきた社会民主党の党勢拡大を阻止す

るために反社会主義戦線の結成に力を注いでいたが︑折柄提起せられた反革命立法をめぐる政治的抗争を契機とし

て新航路政策の主導者力︒フリヴィは一八九四年一0月に辞職し︑その後継者にホーニンローエ

ドイツ社会民主党の財政政策 一九世紀末から二0世紀初頭にかけて︑ドイツ帝国主義の内政的基盤ほ結集政策

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(3)

この結集政策にたいして全面的に攻撃を浴せたのは社会民主党であったが︑ にしようとするのが結集政策であった︒ 財政的基盤の創出という形で支配階級の利益の調和をはかり︑

しかし前稿においても述べたよう 一方において農業保護の強化

11

穀物関税引上げを要求す ドイツ社会民主党の財政政策

zu   Ho h e n l o h e , S c h i l l i n g s f u r s t

が登場した︒この交替は︑農業者同盟を中心とする保守的勢力にとって︑有利な

状勢の到来を意味するものであった︒というのは一つには︑ホーニンローニもそれにつづくビューロ

1B er nh ar d Gr af   vo n  B ul ow

もともに彼等の要求にたいして談歩ないし支持の態度をとったからである︒

ところでこのような宰相の態度の背後には︑それを必然化させる客観状勢が醸成されていた︒すなわち﹁ドイツ

帝国主義の本格的発展にともなう対外的な政治

11

経済関係の緊迫ほ︑対内的に一切の反動的諸要因を結集して︑帝② 国主義の内政的基盤を再編しようとする企図を大きく浮び上らせるにいたった﹂のである︒短時日の間に急激に発

展したドイツの資本主義経済は︑九0年代後半にいたって質的に新しい過程に入った︒それは端的にいって独占資③ 本による国内市湯の支配であり︑同時にまた世界市場への進出でもあった︒この海外進出の動きがたんにドイッだ

けのものでなく︑資本主義国に共通する現象であったことはいうまでもない︒かくて熾烈化した国際市場争奪戦は

国際的に高度保護貿易への機運をたかめたが︑とりわけこの時期に発生した対英米通商関係の緊迫化はドイツ国内

の保護貿易論者に恰好の材料を提供した︒それと同時に帝国主義的進出にともなう国際的政治関係の急迫化は海軍力増強

11

艦隊建設問題を大きく浮び上らせるにいたった︒

る主農論者の声があり︑他方において海外進出の企図の下に艦隊建設を唱導する独占資本の主張があり︑しかもこ

れらの要求に反対する労働者階級の強力な伸長という状勢の下において︑穀物関税引上げによる艦隊建設のための

ュンカーと独占資本の結合によって支配体制を強固

(4)

促されたといわれる︒

に︑九0年代において同党の党勢が拡大された半面︑その内部には改良主義が漸次浸透しつつあった︒われわれは

すでに︑南独邦国議会における党議員の総括予算協贅の中に改良主義的見解があったことを考察したが︑この傾向⑤ はたんに南独にのみ現われたのではなく︑当時の労働組合運動の中に有力な支柱をもつものでもあった︒九0年代

後半から急速な発展をとげた労働組合運動は︑その中央集権化された組織構造の下に︑政党政治にたいする中立性

を標榜し︑現存社会の枠内での労働者の地位の向上にその力を集中したが︑このような労働組合運動の改良主義的傾向が︑その勢力の拡大につれて社会民主党の動向に制約を加えるものであったことは明白である︒

ところで党︑労働組合のいずれにも通ずるこの改良主義的傾向は︑この時代の政治的経済的状勢の変化によって

すなわちビスマルク政権によって遂行せられた社会主義弾圧政策が撤廃されることによっ

て︑党および組合にとってその政治的要求を達成する可能性が大きくなったことはいうまでもないであろう︒しか

も九0年代から第一次大戦にかけての二0年間は︑社会政策の時代といわれるように︑労働者階級のための社会立

法がひろく関心をもたれた時代であった︒このような時期に労働者の組織が拡大し︑党の勢力が伸長しそして公的

機関への代表者の進出が顕著になることは︑それ自体社会改良の可能性をたかめかつまたその達成を容易にするも

のであったqさらにまた九0年代後半から現出した飛躍的な経済発展が直接的間接的にこの改良主義思想の波及に⑧ 影響を与えたことも否定できないであろう︒かくて党内に漸く普及しはじめた改良主義思想は︑シェーンランクの

n u  

⑲ 農民問題に関する修正論を生み︑同じくアウエルの帝国統一論といった形であらわれたが︑就中ベルンシュクイソ

Ed ua rd   Be r n s t e i

n が九七年から九八年にかけて﹁社会主義の諸問題﹂という題目の下に一連の論文を発表し︑そ

こで資本主義発展に関するマルクスの見解の修正を企てるにおよんで︑改良主義的傾向は修正主義

R e v i s i o n i s m u s 

ドイツ社会民主党の財政政策

(5)

ドイツ社会民主党の財政政策

かくて党内における見解の対立はますます明瞭な形であらわれてきたのであるが︑このことはこの時期の財政政

策においても少なからず看取されるところである︒党の財政政策がいかなる展開を示したか︑主要な問題について

以下に考察しよう︒

山大野英二︑ドイッ金融資本成立史論︑

0

Ju rg en   Ku cz yn sk i, i  D e  B ew eg un g  d er   De ut sc he n  W ir ts ch af t  v

on 8 0   1 0  b i s   1 9 4 6 .   1 9 4 8 .

高橋正雄・中内通明訳︑ド

イツ経済史︑ーニ四ー五頁︒

Pa ul Wa nd el ,  D er   de ut sc he   lm pe ri al is mu s  un d  s e in e   Kr ie ge

d as   na t i on a l e  U ng l i ic k   De ut sc hl an ds .  1 9 5 5 .   S . 1 5 .  

④大野英二︑前掲書︑一九四ー五頁︒

C .E . Sc ho rs ke ,  G er ma n  S o c i a l   D em oc ra cy 9   1 05 11 91 7,   19 5 5 .   SS .8 11 6.  

Er ik a  R i k l i D,   er   Re vi si on is mu s. E  in   Revi si on sv er su ch   de r  d eu ts ch en   ma rx is ti sc he n  T he o r ie .   ( 18 90 11 91 4) .  Zu ri ch   19 3 6 .   S S . 8

‑ 9 ・  

a . a . O . , S S.   23

.  B e rn s t ei n V,   on   de r  S ek te   zu r  P a r t e i ,   Je na 9 1   1 1 .   SS .2 52 6. g i、ドイツ対iq匡や王帝女の財年以政笛~臨

関西大学商学論集︑四巻七・八合併号参照︒

R i k l i ,   a . a . O . ,   SS .3 7 . 

P ro t o ko l l   d es   Br es la ue r  P a rt e i ta g e s,   1 8 9 5 .   S . 1 5 2 .  

H•Heidegger,

Di e  d eu ts ch e  S oz ia ld em ok ra ti e  u nd   de r  n a ti o n al e S   ta at   18 70 11 92 0.   Go tt in ge n  1 9 5 6 .   S S. 61 6 2.  

皿リクリは修正主義の歴史を一︱︱つの時期に分けているが︑それによれば︑第一期は一八九0ー一八九六年の間であり︑戦術問

題の論議によって特徴づけられる︒第二期は一八九七ー九九年の間で︑理論的基盤の創出の時期であり︑一九

00

年以後の第

三期は個別的問題への分散ー具体的課題の追求と理論的関連性の喪失ーを特徴としている︒

( R i k l i , a . a . O . ,   S . 1 1 ,   2 0 . )  

なお︑ベルンシュクインの財政思想に関しては︑拙稿︑ベルンツュクイソの財政思想︑山口経済学雑誌︑五巻︱1

1

⑪ という理論の形において示されたのである︒

一九五頁および二二三頁

(6)

のであった︒まず火酒についていえば︑ 火酒と砂糖はいうまでもなくュンカー階級の物質的基礎であり︑ 砂糖の租税立法についても反対の立場をとった︒

若干の財政問題

﹁ 愛

艦隊建設問題に入る前に︑われわれは若千の財政問題にたいする社会民主党の見解にふれておこう︒さきに簡単

0年代初頭の通商政策において不遇な立場におかれた農業者同盟は︑新航路政策の変改を求

め︑その利益を主張し貫徹するために闘争を展開した︒前稿において述べたカーニッツ提案

11

国内消費向外国穀物

の国家専売案もその一手段であったが︑その他にも取引所改革︑火酒と砂糖に関する租税立法等はその利益を保証

する役割を果すものであった︒取引所にたいする国家の監督の強化︑取引所登録制の採用および穀物定期取引の禁

止を内容とする取引所法案にたいして︑その人為的な価格吊上げの故に反対した社会民主党は︑さらに火酒および

二 ︑

ュンカーと独占資本の利益の紐帯を意味するも

一八八七年の統一的な火酒税法によって火酒醸造者は︑いわゆる﹁愛の贈

物 ﹂

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を与えられるだけでなく︑さらに輸出火酒にたいする火酒税払戻しによって間接的に輸出奨励金③ を獲得していた︒その後九一年の改正はその利潤の一層の保証を示したが︑九五年には政府は生産規制と価格引上

げの目的をもって火酒税法の改正を企図し︑醸造税

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の採用とこれによって生ずる収益の輸出奨励金③ ならびに工業用変性アルコール奨励金

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への充当をはかった︒これにたいして社会民主党は︑

この改正措置が火酒を嗜好する貧困な階層に過重な負担をかけることによって大醸造家の利益を保証するものに他

ならない点を指摘して︑これを拒否した︒いうところによれば︑この案は従来の火酒税一三六00

の贈物﹂四

00

0万マルクに加えて新たに導入される醸造税︱二00万マルクが貧困な階層の消費者負担となるこ

(7)

ドイツ社会民主党の財政政策

と︑しかも﹁愛の贈物﹂のうち三七

00

万マルクが大醸造家に供与され︑その五倍の数に達する小醸造家には残り④ の僅か三

00

万マルクしか与えられないことが指摘されている︒かくて次のようにいわれる︑

て愛の贈物が︑また関税において価格騰貴が帝国財政に与えられず︑個々の庇護された階層に贈られる場合︑この

消費者大衆のグロシェンでふくれ上る数百万マルクの受益者は誰か︒それはつねに社会の上層すなわちュンカーと大工業家

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n e ︑富裕者のうちのもっとも富裕なる者である﹂と︒

次に砂糖税についていえば︑これもまた一八六一年以来戻税制度の設定により輸出奨励金が保証せられていた︒

その後八七年の砂糖税法は従来の原料課税のほかに製品課税を導入するとともに輸出奨励金の減額を規定し︑さら

に九一年五月に成立した法律によって原料課税の廃止︑定額輸出奨励金の確定およびその漸次的廃止が規定せられた︒ところが九六年五月に可決せられた新たな砂糖税法は︑総割当高の確定による生産規制のほかに輸出奨励金の

ヨーロッパの砂糖輸出奨励金の引下げをはかるという口実の下に強行しようとするも引上げと経営税の引上げを︑

のであった︒かくて社会民主党は︑同法が奨励金の引下げとまった<逆の事態を生ずること︑これによって約二〇

00

万マルクの消費者負担が大衆の肩に重くかかること︑その反面砂糖税収入の大部分が奨励金の形で製糖業者に

しかもその際に小農民は何ものをも得るものでないことを指摘して︑これに反対を表明したのであ

最後にわれわれは︑当時の公債償還問題に簡単にふれておこう︒七0年代のはじめにはフランスの賠償金によっ

て北ドイツ連邦の公債を償還するだけの余裕を示した帝国財政も︑七六年に最初の公債を発行して以来漸次発行高

を増大していった︒この公債累積の原因について︑

⑧ る ︒

ナヒムソン

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n ~陸海軍事費の膨脹をあげるとと

﹁国内消費税におい

(8)

利子の大衆負担の軽減を意味するものであった限りにおいて︑

社会民主党がこれに賛成したことは当然首肯でき ⑨ もにュンカーにたいする浪費的優遇政策の責任をも指摘しているが︑いずれにせよこの公債の累績は巨額の利子支

^

帝国財政を圧迫する要因となった︒増大する財政需要の対策として当然考えうる財政収入増加策

11

ボサドウスキーの財政改革案として示されたが︑これがほとんど失敗に終ったことはすでに前稿に

おいて述べた通りである︒かくてこの時期においては︑公債問題そのものの解決策として公債借換および超過交付

金を財源とする公債償還策が採られた︒とくに後者は提案者であるリーバー

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の名によって

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リーバー法

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と呼ばれている︒

ところで前者については一八九六年に四形から三形への借換が行われたが︑これについてベーベルはそれに賛成

の意向を表明した︒すなわち︑公債利子が間接税によって調達せられることによって大衆負担となるのに反して︑

公債所有者は公債所有にもとづく利益を穫得すること︑借換によって生ずる貨幣市場の変化は国民経済にとってそ

れほど大きな危険をもたらすものでなく︑またそれから生ずる損失に資本家が耐え得ることを述べて︑借換の正当性

" 3 .   d  

を主張した︒このベーベルの見解に応じて党は借換に賛成の態度を明らかにした︒さらにまたリーバー法にたいし

ても社会民主党は賛成の立場をとったといわれてい却°リーバー法が公債償還を促すものであり︑したがって公債

る︒しかし党はこの法律の現実的効果については多くを期待しなかったし︑これによって生ずる帝国債務の減少に

^

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ついての中央党の過大ともみえる評価とは対照的に︑党のそれにたいする評価ほけっして大きなものではなかった︒

山一八九六年一月に帝国議会に提出せられた取引所法案は同年六月に可決せられた︒この法案にたいして社会民主党は︑この

改革で資本主義に内在的な悪が除去されるものではないが︑しかしそれが有価証券の発行やその他の取引における詐欺・睛着

ドイツ社会民主党の財政政策

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(9)

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綴 邑

ドイツ社会民主党の財政政策 を是正するものとして︑容認する用意をもっていたが︑しかし主農論者が穀物価格吊上げを意図したために︑これに反対の立

場をとるにいたった︒

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1913.阿部男訳、財H政学~二七八_!二八0頁。八七年' H の火酒税法によれば︑火酒消費税は二つの異った税率が適用せられた︒すなわち法律によって定められた火酒醸造割当高の範 囲内では︑純正ァルコール一ヘクトリークー当り五〇マルク︑割当高をこえる分については七〇マルクの消費税が課せられた︒

かくて割当内の火酒には︑その差額だけ利潤が保証せられた︒これがいわゆる﹁愛の贈物﹂である︒

③ゲルロフは︑この改正法が帝国財政収入としてはほとんど意味をもたず︑むしろ公然と輸出奨励金が醸造家に与えられるこ

とになったことを指摘している︒

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Protokoll•1895.

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. V•EhebergFignzwissenschaft.

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. 大竹虎雄訳︑二九五ーニ九六頁︒野津高次郎︑独逸税制発達史︑一八

0ー一八一頁︒

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⑨阿部勇訳︑三五ニー︱︱︱五三頁︒

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2 1 . )

 

(10)

皿このリーバー法は連邦分担金を上廻る交付金の超過額の一部を帝国公債の償還にあてることを規定したもので︑それの成立

した九六年には超過額の半分を償還にあてるべく定められた︒その後改正により︑超過額の%をこれに充当するとともに︑交付

金の財源である関税およびクバコ税収入のうち︑フラソケンシュクイン約款によって帝国国庫に確保されるべき額を一︱︱

10 0

0万マルクから一八000万マルクに引上げることとなった︒しかしこの法の実際的効果はそれほど大きなものとはならず︑

しかも九九年以後連邦分担金が逆に交付金を上廻る事態が出現するに及んでまった<意味がなくなった︒

( G e r l o f f , a .   a .  

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SS .3 36 3 38 .  Ma x  S c h i p p e l , a .   a . O . ,   S S. 39 94 00 .  Al be rt   Su de ku m, R   ei ch sf in an ze n  un d Fi na nz re fo rm ,  Di e  N eu e  Z e i t ,   2 1   Ja h r g.   1 .   Bd .  S . 5 0 2 . )

なおこのリーバー法は︑帝国と邦国の財政関係という側面についてみた湯合︑従来のフラン

ケソシュイクソ約款の栢桔を打破するものであった点において意義をもつものと考えられている︒

( G e r l o f f , a . a . O . ,   S .   3 4 0 . )  

H. M.   C! ! l mi m n ,  Di e  F i na n z po l i ti k e   d r  d eu ts ch en   So zi al de mo kr at ie   18 67 1 91 4.   M t ic he n  1 9 2 2 .   S . 1 19 1 1 20 .  

C ! ! l m ! l n n ̀ a . a . O . S . ,   1 2 0 .  

Su de ku m, a . a . O . ,   S . 5 0 2 .  

艦隊建設問題

すでに簡単にふれたように︑ドイッ資本主義の急速な発展と一八八四年の植民地創設をもってはじまるその帝国

が︑これにともなう両国の政治・経済関係の緊張は︑

に鉄鋼独占資本によって推進せられたこの艦隊強化政策が諸政党に与えた反響はかなり複雑なものがあったが︑九

0年代第一党としての地位を保持しかつこの問題の決定権を握る中央党の賛成によって︑艦隊法案は成立をみるに

いたった qこの艦隊強化政策は二回にわたって実施せられた︒すなわち一八九八年三月二八日の第一次艦隊法︑

00年六月︱二日の第二次艦隊法の成立がそれである︒これら両法成立の経緯については措くとして︑前者は︑

ドイツ社会民主党の財政政策

ドイツ国内における艦隊政策促進の機縁をもたらした︒とく 0年代に入って英国の植民地独占を脅かし︑世界分割競争における両国の闘争を激化せしめた

(11)

ドイツ社会民主党の財政政策

海軍経費の一定額をこえる超過経費支出の制限と同じく一定額をこえる超過需要の大衆課税による支弁の禁止を条かつまた艦隊建設費に見合う新しい収入源を開拓することなしに議決せられた︒しかしながら第一次艦隊

法の議決の際にすでに予測されていた事態が一年半後に現われざるをえなかった︒というのは艦隊建設計画の遂行

にとって第一次艦隊において予定された額が十分でなかった上に︑当時の高景気にともなって艦船建造費の騰貴と

いう事情が加わったからである︒かくて第二次艦隊法はその提案の当初より財源調達という財政問題を含むもので

あった︒そしてこの問題は︑有価証券および富級にたいする印紙税の引上げ︑

にたいする印紙課税ならびにビール︑火酒︑③ 税の引上げという形で決定されたのである︒ および船荷証券

リキュールおよびシャンペン酒にたいする関

ところでこれらの艦隊法にたいして社会民主党が反対の立場を表明したことは容易に想像されるところである

が︑その見解はいかなるものであっただろうか︒艦隊強化賛成論者にたいする同党の反対の論拠は︑カルマンによれば︑九八年の場合にも一九00年の時にもいずれも同じであったといわれている却︑われわれはその反対の論拠

の問題にたいする原則的反対の見解につづいて政府およびブルジョア諸党の主張を批判し︑さらに経費支弁のため

の租税法案の批判を詳細に展開している︒そのいうところによれば︑党の基本的立場は︑軍国主義および世界政策

にたいする原則的立場に求められる︒すなわちいう﹁艦隊法案にたいするわわれれの立場は︑軍国主義にたいする

われわれの原則的な態度から生ずる︒われわれは陸軍および海軍の要求を拒否する︑というのはかかる提案は︑わ

れわれの反対している経済組織の強化に役立ちかつわれわれの信任しない政府の要求によるものであり︑また陸海 を党大会における議会活動報告に求めることができる︒

00

年マインツで開催せられた党大会での報告は︑こ

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鉱山株

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(12)

際して︑租税案にたいしてその態度を明らかにする機会をもった︒われわれは使用目的に反対する故に︑自明のこ

ドイツ社会民主党の財政政策

租税法に批判を加えた︒それは次のように述べている︑﹁わがフラクションは︑租税法および印紙法の特別審議に の軍国主義は反文化的反国民的目的に利用せられ︑そしてかかる提案の費用は︑主としてわれわれがわれわれの立場から拒否しかつ不公正なものーー有産者階級には十分にかからないが無産者には耐えがたいほどの負担をかけるーとして決定的に抗議しなければならないような方法で︑調達されるからである︒われわれは︑艦隊法案でもって推進されかつ交戦を招来せずにはおかない世界政策の反対者である︒最近の艦隊強化もドイツの艦隊慾望を終燻せしめるものでないというわれわれの意見は︑感謝電文中に述べられた﹃さあ一層労働せよ﹄という勧告といまや新聞にあらわれている強力な巡洋艦隊︵国外の︶の早急な創設および海外での陸軍の設置への要求によって︑すでにいまその確証が見いだされる︒支那における現在の事件は︑世界政策の行方︑土地渇望︑征服欲および排外主義がこの種の政策の基盤であること︑支那において文明に導く平和的労働が問題なのでなくて︑そこで推進される冒険的で暴力的な政策がわれわれを最悪の混乱に陥しいれ︑ドイツ国民にたいして困難な危険を促しそして生命財産の莫大な儀牲を要求することを証明している﹂と︒以上のような原則的な立場の閾明につづいて︑報告は︑艦隊法案成立の決定票をもつ中央党の賛成により国民の諸力が軍国主義に手渡されたこと︑ドイツの政策はその一面的な農業政策によって貿易および工業を侵害しながら︑他方において貿易振興のために数十億の間接税を利用するという矛盾に陥っていることしかも貿易振興のためには世界艦隊の建設がかならずしも必要でないこと︑さらにまたこの艦隊法案によって多数の労働者に就労の機会が与えられるという賛成論者の見解にもかかわらず︑労働者の代表である党はこの反文化的反労働者的労働を拒否することを明かにし︑さらに進んで艦隊法と同時に議決せられた

(13)

ドイツ社会民主党の財政政策

とながらこの目的のために定められた手段の調達をも拒否した︒かくて広汎な大衆を抑圧するものとみなされない

租税が若千問題となる場合にも︑われわれの原則的立場は与えられた︒われわれの租税政策的原則ーー直接的累進

的な所得税︑財産税および相続税ーに対比して︑貿易︑流通および消費物資にたいする租税はすべて拒否すべき

ものである︒われわれが若干の租税ー│取引所税︑富緩税︑印紙税︑いわゆる奢移品税ーーにたいしてかならずし

も拒否しない態度をとりうるとすれば︑これは︑大衆に負拒をかける間接税および関税l塩︑クバコ︑砂糖︑火

酒税、穀物、石油関税等々ー—が他の大衆消費に負担のかからない租税の協賛と引替に即刻排除される場合にのみ

起るであろう︒しかし帝国議会の権威ある諸党にあっては︑ことに労働者への友好を装う中央党においても︑この

ことは些かも考えられない︒有産階級は︑その政治権力を陸軍および海軍の強化に利用し︑世界的な陸軍と艦隊を

創設し︑征服政策と世界政策を推進する︒すべては彼等の物質的階級利益のためにあるにもかかわらず︑他方すべ

てこれらの富裕者の保護に捧げられた諸制度の生命財産負担は︑主として無産者︑労働者階級によって担われなけ

ればならない︒これが今日の社会の租税政策であり︑この租税政策にたいして社会民主党は一グロシェンたりとも

協賛しない︒われわれは︑原則的ならびに現実的な理由から︑艦隊案とともにその費用支弁のために定められた租

税法をも拒否した﹂と︒

以上のところで社会民主党の艦隊強化政策とそれにともなう租税法案にたいする反対の立場が明らかになった

が︑しかし帝国議会フラクションによって代表される党の態度がはたして党内の統一的な見解を意味するものであ

ったか否かについては︑かなり問題がある︒というのは︑この艦隊法にたいして表面的には一致して反対が表明さ

れたにもかかわらず︑軍国主義およびドイツ帝国主義の世界政策をめぐって党内においてはげしい見解の対立が惹 四︵広田︶

(14)

摘するポイス

H e i n r i c h Pe us

き起されたからである︒従来党の軍国主義に関する積極的な見解ほ︑現存常備軍制度に代る民兵制度の設置にあっ⑧ た︒軍国主義に関する討議が活澄に展開せられたハノーヴァー党大会において採択せられたガイアー

F r i t z G ey er  

の決議案も︑この甚本線を擁護し︑現存常備軍制度の変革

11国民防衛組織の確立を主張するものであった6

このようないわばエルフルト綱領の軍事的要求の再確認がなされたのも︑この問題に関する見解の不統一のためで

A d o l f   H of fm an n

ガイアーの決議案と同時に提出され採択された他の決議案すなわちホフマン

Kl ar a  Z e t k i n

の四人の提案になる決議文によっても明らかである︒この決議案は︑シッペルが軍国主義に関して

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党の基本的立場に反する見解を表明したことを指弾するものであった︒ガイアーは党の公式的見解に背反する立場

Wo lf ga ng He in

e 等をあげている︒シッペルは九七年^ン

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ブルクでの党大会において︑ゲヴェール

Wi lh el mG ew eh

rの質問にたいする答弁において︑現存常備軍制度の廃

止と民兵制度創設に関して賛成多数派が現在はもとより将来においても得られないことを指摘した後︑そのような

現実の下で﹁プルジョア諸党の無理解を労働者の血でもって償う﹂ような形での対軍国主義闘争が無意味でありま

た労働者の利益に反するものであるとし︑さらにまた政府の政策が戦争の到来を予想せしめるものであることを指

﹁もしかかる状態にあって戦争が阻止できない場合︑われわれの

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兵士たちに劣悪な小銃や大砲を与えることはできない﹂と主張した︒このシッペルの主張が惹き起した党内の批判

にたいしてシッペルの弁明に起ったアウニルは︑九八年二月九日^ノーヴァーでの選挙集会において︑労働者の議

会その他の公的な場における地位が向上した場合には艦隊問題について党が諒解を与える可能性のあることを語っ

ドイツ社会民主党の財政政策 をとった者としてシッペルのほかにアウニル︑ レーデプール

Ge or L g ed eb ou

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ローザ・ルクセンプルク

Ro sa Lu xe mb ur

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あったといいえよう︒

(15)

5 1  

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る︒さらにガイアー︑ベーベル︑

ドイツ社会民主党の財政政策 g l  

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ている︒さらにまたハイネはより明快かつ率直に述べている︒すなわち彼は九八年二月一

0

マルクス主義多数派の主張する絶対的反対の見解の再検討と軍事協賛問題の政治的闘争手段への利用 の可能性についての吟味を要求し︑党の軍事問題に関する原則的立場と矛盾しない軍事的要求の存在しうることを 指摘するとともに︑その種の要求については国民の内政的自由の保証と交換にこれを承認しうることを明言してい

^  

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る ︒ 1  

これらの修正主義的見解にたいしては当然多くの批判がなされた︒この問題をめぐる討議がいかに活澄になされ たかは九七年以降の党大会議事録が詳細に伝えている︒修正派の見解にたいする批判はとくにシッペルにはげしく ハイネおよびミュンヘンでのフォルマールの発言をあげて︑彼等がたとえ現在は政府与党の軍事的要求に反対する

将来彼等の見解がより大きな地盤を得た場合には彼等は賛成投票を行うにちがいないときめつけてい

述べたように︑

ツェトキン等も修正派の見解をはげしく攻撃したが︑この対立の結果は︑すでに

"

ガイアーの決議案およびホフマンほか三人の決議案の採択により修正主義的見解の敗北に終った︒

になってきたことは︑ しかし党の公式的見解が多数派の立場において統一されたにせよ︑党内の見解の対立抗争がしだいに公然たるもの

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リヒター

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の談話に徴してみて否定できないであろう︒

同様のことは世界政策をめぐる争論においても示されている︒この問題が活撥に討議された一九

00年マインツ

の党大会では︑ジンガーの提出した決議案の採択によって掠奪

11

征服政策にたいする決然たる反対が表明せられた

ヵしかし例えばシェーンランクは﹁労働者層と国民大多数にとってドイツの全世界政策の核心は︑個人的統治と 浴せかけられたが︑ハノーヴァー党大会においてローザ・ルクセンブルクは︑シッペルのほかに前記のアウエル︑

参照

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